お父ちゃんはパーキンソン病

娘「ヒロコ」が癌を患い、父は現在施設暮らし。 父親をぼやいていたはずが、いつの間にか自分をぼやいてます。

2007年08月

今週末はさほど忙しくなかったことから週末のショートステイも休ませてみた。

但し、父には悪いが、生活リズムはこっちに合わせてもらわねばならない。
起床も早くなったり遅くなったり(苦笑)、また寝るのも遅くなったり。。。

食事時間も当然、こっちの都合に合わせてもらった。
昼食は1時半頃には食べられるが、晩ご飯が8時過ぎてしまうのは、もう普段のこととなってしまったかも。
夜7時に店閉めて、それから晩ご飯準備にかかるとどうしても8時過ぎてしまう。

そうなると就寝時間も遅くなる。。。。ま、コレは宵っ張りの父には苦痛ではないだろうが(笑)

朝は7時過ぎに起こす。
ベッドの上で簡単なストレッチをやった上で、ゴロンっと父の身体を転がしながら自己流で起こしてベッドの縁へと座らせる。

室内だが足元を安定させる為に常時スポーツシューズを履いている父。
ベッドの縁に座らせたまま、いつもの様にシューズを履かせたうえで、今度は父の頭を前屈のやり方でストレッチを行う。

ようは、父親の頭を、お辞儀するように上から押さえ込むのだ。
コレを3回ほど行うと背中や腰がしっかり安定してくる。

後は父が自分で手を伸ばしたり屈伸したりする。
フラダンスのように左右に手を伸ばしてみたり、開脚した自分の足元へ両手を下ろしてお辞儀屈伸したり。

つい先日のこと、開脚した両足の間での屈伸から両手を戻しなが、いきなり「コマネチ」と父。。。
想像もしてなかったコノ一言に思わずワタシは父のおでこをペシっ!と(笑)
アホか。。。。相変わらず突拍子もない発言をするオヤジです。

そんなこんなの日常ですが、父が朝起きて車椅子へ移動してから必ずするのが仏壇に手を合わせること。

ちょうど、父がベッドから車椅子へ座ると真正面に仏壇が見えるのです。
「今朝も無事朝が迎えられましたことに感謝申しあげます。本日もどうぞ宜しくお願い致します」手を合わせながら唱えています。

それから居間へ移動して食事になります。
台所にカウターを付けてもらったのでソコでの食事も出来るのだが、もう長年居間での食事が習慣になっている。
車椅子の高さに合わせた移動式の小さいテーブルでの食事になるのだが、慣れた部屋での食事が居心地がよいのかもしれない。

TVもつけている。
食事時のTVは良く無いと言われるが、父にはコノ方が合うかもしれないとTVは点けっ放しにしている。

だから、父が自宅に居ると電気料金がはね上がるのです。
エアコンもつけないといけないし、TVは1日中点いているし。
はぁ〜早く涼しくなっておくれ〜
電気料金が減ります様に。。。。。。

結局ワタシは何を書きたかったんだ?
そうなのよ、週末の在宅介護は手が掛かるけれど、介護する私がヒマ時はなるべく自宅に置いておこうかなと思った訳で。
大変だけどもね。

けど本音を言えば、父にかかりっきりする時間よりも仕事が忙しい方が売上には結び付くってもんですが(苦笑)だはは〜

毎年、父は歌会始めに応募している。
だからと言って、普段から短歌を詠んでいる訳ではない。
詠進歌に応募するのが趣味といってもよいのかも(笑)

若かりし頃は自分で書いて応募したようだが、手が不自由になってからは、ワタシが筆耕係だ(笑)
正式には半紙に毛筆だが、点字でも大丈夫らしい。

代筆の場合はその旨を記載しなければならない。
だから父親の分にはワタシの名前も記入している。

じつは、ワタシも何度か送ったことがある(苦笑)
短歌は好きで以前からちょこちょこと詠んではみたが。。。
なにせ普段から書いている訳ではないので、詠進歌に送る場合はどうしても夏休みの宿題状態に陥る(苦笑)

今年もまもなく締め切りがやってくる。
9月30日当日消印有効だ。

今の所父親は忘れているのか何も言わない。
お題は「火」
さぁ、ワタシはどーしようなかぁ(笑)

盆の行事やしきたりなどは、各地で違うだろうなと思います。

私が住んでいる地域での盆は、迎え灯篭を玄関先に灯すことから始まって。
盆の3日間の仏前への御供えは、三度三度のお御馳走に、この時期の山の幸の初物も御供えして。
それから真っ赤な「ほおずき」も御供えします。

本来は「こも」を敷いて、そこへお供え物を並べるのですが、今ではカゴに盛って売ってありして。。。

初盆の御宅では初盆参りといってお客様が大勢お参りに見えられるから、酒肴と食事を用意します。
それからお参りお礼に何がしかの引き出物を用意して。

そう、初盆の御宅で必ず作られるのが「精霊船」
ほとんど専門店へ注文しましが、中には家庭での手作りの船もあります。

それと花火も必需品。
購入が多い御宅では数万、中には数十万掛けられるとか(苦笑)
精霊船と共に花火を打上げて御霊を西方浄土へ送ります。
お墓でも花火するのが昔からの慣わし。。。打上げ花火を上げます。
けど、我家はやったことありませんが(笑)

我家のお盆行事はものすごい手抜き(苦笑)
三度三度のお御馳走なんて無理です。作れませんって。よくて1日1度(苦笑)
盆のコノ時期は商売の方が忙しくて、自分の食事もカップ麺ってこともあるんだし。
カップ麺御供えする訳にもイカンでしょう〜(笑)
亡弟は好きだったけど。。。。あはは。。。

お参りに来るのは、亡き母の姉妹一家くらい。
盆正月と命日には必ず来てくれます。

今年は父も自宅に居たので(盆時期はショートステイに預けている)、叔母達とも話せて嬉しそうだった。

さて、昨夜の盆最終日は、御先祖様を西方へ見送る日。
夜に、家族全員でお題目を上げて、それから仏前に御供えしていた食事や他の供物、花等と一緒に海へ流します。
と、言っても、昨今の事情で実際に海へ流す訳には行かず、十年以上前から、盆ゴミとして設置場所が限定されていて、そこへ各家庭が持参して、線香を手向けて送ります。
指定場所も、大概は海へ通じる水路がある場所になっています。

昨夜のお題目代表はワタシ。。。。
つっかえながら、途中端折って(苦笑)お題目を上げました。
父にもベッドから起こしてお経を上げさせようとしたら、「オイは寝たまんま上げた」といって。。。。

いつもながらの、慌ただしい盆行事でした。
さあ〜これから涼しくなるはずだ。そうなれば忙しくなれれば良しだね(笑)

この当時、父が入院していた病室は2人部屋で、その上、ナースステーションのまん前。
父の心電計のモニターがナースステーションで常時映し出されていたのを知った時、これはただ事ではないと恐怖だった。

転倒して救急車で運び込まれたのだが、一晩中、転んだそのままの態勢だったので、強烈な床擦れ状の火傷のような傷が身体のアチコチに出来た状態だった。
両腕に数カ所ずつ、脚も両膝と脛の一部。
それから脇腹と肩の一部。。。。
うつ伏せに転んだので、背中は無傷だった。

傷は滲出液も多くて、直視するのも切ないくらいかなりの傷だった。
完全に治るのに相当の時間が掛かったような記憶が。。。。
その時の傷は、今はケロイドになって残っている。

この非常事態は、私が急な入院することになったのも運が悪かった。
その頃退院したばかりだった父は、いくら頼んでも、入院など施設に入所する事を拒んだ。
仕方なく、食事だけは近所に住む叔母に頼んで運んでもらう事にした。でも夜は父一人だ。

叔母が晩ご飯を届けてくれて、父の様子を見て帰った直後に転倒したようで。晩ご飯には手が付けられてなかったと、後で聞いた。
(実は、この時奇しくも、叔母の夫(叔父)も同じ病院に入院していた。しかも入院日は私と同じ。叔母は同じ病院内で3病室をかけ回ることになった)

また、私が留守する時は、必ず父の手の届く所に電話機を置いていたのだが、転倒した時は手元になかったのだ。
残念な偶然が重なる。

父と同部屋の方は、40歳代後半かと思われる男性で、顔以外は全く動かせない方だった。
でも病状は安定されていたようで、入浴にもベッドごと移動して行かれていた。
御本人も付き添いの御家族も物静かで笑顔の優しい方々だ。

そんな静かな病室にウチの父親。。。。
耳が不自由だから声はデカイし、突然お経は空んじる。。。。
本当に申し訳ない状態だった。

年末には4人部屋へ移動出来たが、そこからが長かった。
結局、父のこの時の入院は約10ヶ月にも及んだのだった。

少しづつ快復して来ました。今日まで載せてみました。

11月27日(木)
  今日も夕方5時頃病棟に到着。病室へ向かっていると廊下にまで父の話し声が聞える。おや今日は機嫌が良いなあと私も胸の内でニンマリ(笑)

病室では看護婦が父の話し相手しながら点滴を調節していた。
時折笑いながら、しごく当り前に普通に話している父の姿を久し振りに見たような気がする。
今日も輸血があるのかと看護師に尋ねてみると、今日は無いらしい。
けれど昨日の輸血のお陰か、父の顔色も良くなったようだ。何より気分が良さそうだ。

よくよく聞いてみると、ここ数日間、父は相当気分が悪かったと言うのだ。吐き気があり気鬱気味だった様で、それが輸血をしたあとはかなり改善されたようだった。
昨日までホトンド目を瞑ったままいた父が、今日は良く目を開けている。

そう言えば2〜3日前に担当看護師から「〇〇さ〜ん、目を開けてよォ!・・・美人の私よ〜見える??目開けて〜」と笑いながら声を掛けられた父は、でも面倒臭いのか「う〜ん・・・3日後ね」とやり返していた(笑)
「え〜!3日後って私休みの日よ〜今、目開けて見せてよ〜」と尚更つっこまれて笑ってた。

その看護師が言うには、私と声が似ているのか父がよく間違えて名前を呼ぶらしい(笑)
それも一度や二度じゃないようだ。
なので間違えたときは私のフリして(父を)騙していからね・・と伝えた。
大笑いしていたわ〜その看護師!

11月28日(金)
  父が心不全を起こしていると解ってから点滴が減量されたようだ。
これまでより水分を欲しがるようになった。
今日も、私が夕方持参したリンゴジュース200ccをホトンド一気に飲んでしまった。

それまでは一時(いちどき)に50cc飲めばオンの字だった。
しかも食事も残す場合が多い。父のデカかった顔が幾分痩せてきたようだ。頬がすっきりして来たのが良く判る。
それにしても相変わらず目を瞑ったままだ。会話も目を瞑ったままで話す。正気なのかと時々気になるが、いざ積極的に話し出すと話しは中々止まらない。それは以前とまんま同じだ(笑)
片方の耳が全く聞えないので、つい声も大きくなり始める(苦笑)隣のベッドの患者サンも相当迷惑だろうな。。。。。お経まで唱えるお隣サンって(苦笑)

11月29日(土)  
仕事が立て込んでしまって作業も遅れたので、病院へ行くのが遅くなってしまった。
病室へ行くと、既に看護師から夕食を食べさせてもらっていて、後は薬を飲むだけになっていた。
「遅くなってごめんね。。。。。ありがとうございます。私、代りましょうか」
「はい、バトンタッチ!」看護師が了解とばかりに笑顔で、袋から出した剥き出しの錠剤を私に手渡す。

少々驚きながら、パーキンソンの薬を飲ませて食事も終了した。

さて、この夜も父の話しは軽快だ。
「今日はね、梅干の出たとバイ」
「梅干?!」 まさかと思った。父は腎不全患者向けの食事を取っている。それ以上の塩分はご法度なのでは。また父が夢見たのだと思った。
私にも、父が何度も好物の梅干を持ってこいと言っていたが無視していたのだった。
なのに、ナゼ???
「オイ(俺)がね、直訴したとさ、先生に!」・・・

マイッタね、この親父!主治医に直訴が多すぎる。
今食べている食事も、主治医へ「せんせー、重湯でも良かけん食べたかぁ」と直訴して実現したもの。それが今度は梅干とは!
それで良いのかぁーーー主治医ドノ!

あ、、、、そう言えば、生命保険会社への申請書を直接お願いして(結局、直訴じゃん)して書き直して貰ったのは、私でしたな(^^ゞ

もう少し、昔の日記にお付き合い下さいませ。。。。

11月23日(日)  
今日の父の病室行きは午後4時だった。
病院に着いて直ぐ手洗い&うがいを行うことに決めている。風邪を持ち込まないようにする為だ。巷では風邪が流行し始めている。私だって発病はしていないけれど、若しかして菌は付いている可能性大だから。
良く見ると看護師さん達がクシャミ連発したりしている(苦笑)
数人は風邪引いているようだ。をいをい・・・注意してくれよォ

さて、今日の父だが、すこぶる機嫌が悪かった!
病室で私と口喧嘩までしてしまう始末。。。後半は父の言う通りで反論しないよう気をつけたが、何しろ幻覚症状で見えないものへ怒っているのだから、その対処が難しい。
当人は現実だと信じて決め付けて、付き添っている私に言い張るのだ。誰も居ないと言っても怒り出すし。。。どーしましょ(^_^;)

ま〜病院ですから、以前に亡くなられた方の無念な念が残っていて、ソレが影響を及ぼしていると言うのも絶対無いとは言えなくも無いのだろうが、今回の父親の場合は幻覚だと私は思うのだ。
一貫して父が口にするのは「足を押さえ付けている」「長い尖った爪を手や足に突立てる」「身動きできない様に縛り付ける」等々・・・その上に誰か人の存在も口にする。上目遣いで空中をキョロキョロ見回す様は、我が父親ながら気味が悪くなる。
今日などは、祓う為に生供物気(お供えする魚類など)が無いかと私に尋ねる。そんなの無いよと言い聞かせても病院の食事に出た魚を置けとさえ言うので、全部消化が良いようにミンチにしてあるし魚かどうかも解らないよと伝える。
先生が魚も有ると言った・・と言い張り納得出来ない模様だ。仕方ないな。
夢うつつに幻覚も加わって不思議な世界が広がっているようだ。まだまだ不可解なパーキンソン病の世界だわ(苦笑)

11月25日(火)
  父は朝から胃カメラ検査。この状態の父に、あの胃カメラを飲み込めるのだろうかと心配になる。先日の入院の際に私自身が散々な苦しい目にあったものだから想像から心配が増幅されてくる。
当日の付き添いも言われなかったし、また私も呼吸器科へ外来(父が入院している同じ病院)行く日でもあったので、父の検査が心配だったが、私は自身の診療を優先させた。そして診察が済み次第、急ぎ父の病室へ掛け付けた。

胃カメラ検査で苦しみ機嫌が悪くなっているだろうなと覚悟して病室へ行ってみると、予想に反し穏やかな表情で父は眠っていた。
ほっとした反面、もしかして検査が無かったのかも・・・そうも思った。

耳元に近づいて「おはよ!着たよ」と言うと、ふっと目を開けて「おはよう」と答えてくれた。
「検査はどうやった?胃カメラ飲んだとやろ?」
うんと頷く父・・・・「具合悪くなかね?」・・・すると、うんにゃ・・と首を横に振ったのだ。
「おえーって喉を開けたらスルって入った。直ぐ終わったバイ」

こうして父の胃カメラ初体験は簡単に終わったようだ。
なんとなく、私は父に負けた気分で口惜しくなった。

またレントゲン検査も難なく終わったらしい。

昼食を食べさせて後帰宅したのだが、ほどなくして病院から電話が掛かってきた。輸血を行いたいので承諾書にサインを欲しいとの内容だった。
あわてて病院へ戻り、ナースセンターへ行ってみると主治医が父の現状とコレからの治療方針を私にも解る様、詳しく説明して下さったのだった。

父は入院直後、急性腎不全になり緊急の人工透析と尿を出す点滴とを受けていたのだが、現在数値も落ち付き尿も順調に排出出来るようになったらしい。腎不全の山場は越えたらしいのだ。
しかしながら、腎臓の機能が急激に回復した後に赤血球が不足し貧血状態に陥ったと言うのだ。このまま赤血球とヘトマクリックの数値が下がり続ける事は非常に良く無いと言われる。なので主治医は赤血球の輸血をしようと考えているらしいのだ。
輸血には患者からの承諾サインが必要らしい。

また、承諾書を書く事前の説明で、輸血に対するリスクも詳しく説明を受けた。ひとつは感染の問題。そしてもうひとつは拒絶反応の恐さだった。
全血から赤血球だけを取り出したとしても若干の血小板、白血球が混じるらしい。その2つが今回は悪役なのだ。それらの働きを弱める為に放射線を照射した後の血液を使用するらしいのだが、それでも僅かの白血球などが自ら拒絶反応を起こして、輸血した患者の身体に悪影響を与える場合があるらしい。それは最悪の結果になってしまうという説明だった。
また最近大問題になっている感染症についても、やはり絶対安全だとは言い切れないと主治医の説明だった。
しかし、これらは何万分の1かの滅多に無い確率ではあるらしいのだが・・・・

私は父に、父当人に関する事で隠し事はしないと決めていたので説明受けた事柄は全部話し、本人の意見を聞く事にした。父もひとしきり考えたようだが、懸命に治療をしてくれている主治医に大きな信頼を寄せていて、その主治医が良かれと考えて出した治療法ならお願いしようと考えたようだ。
私も「早く家に帰られるようになろうね」と言ったら頷いていた。

父の話しをすぐさま主治医に伝え、父の代りに承諾書に署名捺印を行った。私にも大きな決断だった。父の命を預かった気分だった。
普段無口な主治医が喋り過ぎて咳込みながら、こと詳しく、大きなリスクを隠さず説明してくれたことで更に信頼感が増して来た。
さっそく明日から輸血が始まることとなった。

11月26日(水)  
 なるべく病室へは、夕食の時刻1〜2時間ほど前に到着するように行っている。自分の体力の所為でもあるが、父も娘から夕食を食べさせてもらう事が嬉しいようだ。
到着後「輸血は?」と聞くと、「まだ、しとらん(まだ、やってない)」と父が言うので驚いた。既に夕方5時近くになっているのに本当にまだなのか?

そこへ看護師が駆け足で飛び込んできた。手には真っ赤な点滴袋が・・・一目で輸血だと解る。
「ごめんなさいね〜遅くなって〜!今からしますね」
え・・・食事直前にやるのですか?今頃?・・・・口にこそ出さなかったけれど少々むっとしながら「これ何時間くらい掛かるのですか」と私が尋ねると2〜3時間程掛かると言うのだ。
「そんなには付き添って居られないですが・・」と言うと、開始30分程で体調に異変が無ければ大丈夫だとのこと。ならばそれまで居ますと伝えたら看護師サンの表情が幾分ほっとされたようだ。

そのうち食事も届いた。まだミンチ状の食事で、何が何やらサッパリ解らないシロモノ。三分粥で食べ応えも無いし塩気も制限されているので益々味気ないだろう。
少しベッドを起こしてエプロン掛けさせ、スプーンで一口ずつすくって食べさせる。液状のモノはストロー使って飲ませる。
目をつむったままで父は食事をする。目を開けるのもキツイのかもしれない。
時々口に入れ損ねてこぼす私に、父は不機嫌になりながらも少しづつ食べてくれる。しかし今日は2分の1も食べてくれない。
体調が悪いのかな・・・・心配しつつ、けれど輸血そのものでは気分も悪くならなかったのが見て取れる。
食事後、うつうつと穏やかに寝入っている父の寝顔を見ているとひと安心した。予定よりも長居して父の寝顔を見つめていた。

と、そこへ突然主治医が登場。病室の出入口に背を向けてカーテンの陰に座っていた私の存在に一瞬驚いたようだが、おもむろに実は・・・と話しをされ始めた。
「今日CT検査した結果、心不全になられているようなのです」

予想もしなかった内容だったのでショックに近い動揺があった。説明によると、食事と摂取する水分量を考えて点滴を行っていたらしいのだが、尿の排出増加によって父の身体に脱水症状が表れ、それを補う為に点滴を増やした結果、心臓に負担が加わったらしいのだ。想定以上の事だったのだろう。
なので暫らく点滴の量を減らすことにしたらしい。その為父が口が乾いたりするかもしれないと言われた。ならば水分を過分に飲ませれば対処出来るだろうと言ったら、それほど気に止めなくとも普段通りにすればよいとのことだった。

人間の身体は摩訶不思議。治療や薬剤投与で一方が改善されれば片一方に悪影響が表れる場合も少なくないのだなと思い知らされる。
やはりごく自然に口から食べ物を食べ順調に排出出来るの事が、人間の身体に余分な負担も何も掛からなくて、きわめて健康そのものなのだと。
父の闘病は当分続くようだ。私も心して掛からなければ。

父が救急車で搬送されて入院したのが11月3日でした。
自宅で夜に転倒してしまい、朝まで転倒したそのままの状態で発見されたのです。
当時、私が緊急入院することになり、再三、父には入所か入院を頼んだのですが聞き入れてくれなかったのです。
まだ自力で歩けたのが反って妙な自信になってしまい、結果、最悪の事態が起きてしまったのです。

私が入院したのが10月28日。
手術が11月4日と決まっていて、その前日になって、私が入院している同じ病院に父が緊急入院してしまったのです。

手術前の検査などで食事が全く出来なかった私は、ほぼ1日中点滴に繋がれていました。
点滴スタンドを転がしながら日に何度も父の病室へ通いました。
私は腹空鏡手術だったので術後経過も良く、11月10日頃には退院したように記憶しています。
↓はそんな頃の日記です。

11月18日(火)
  父が入院して2週間目に食事が出るようになった。三分粥とミキサーに掛けたようなトロトロ状のオカズも付いている。
一時期の意識混濁状態から、やっとココまで来たと感慨深い。
入院した直後尿道からの出血もあり、尿の激減で腎不全を起こしている事も判明した。対処療法として人口透析も行われて来たが、それも明日で終わる様だ。
尿の出が改善されたようだ。私としても一安心だ。

皮膚の方も3ヶ所がガーゼが取れた。しかしまだ傷口からの滲出液が多い個所があるらしい。私は傷を直接見た事はないが、病院へ搬送する時点では、前回化膿して一応治っていた左スネは表皮が剥けてしまっていたらしい。転倒していた父は一晩で強烈な褥そうが出来た状態になってしまっているらしいのだ。
その個所は肩、両腕、両足脇腹など全身に渡っている。背中が無傷だった事と骨折していなかった事がせめてもの救いだった。

最近になって父は自分が転倒した事を話すようになった。記憶も戻って来たようだ。それによると、立ったまま椅子に手を掛けて畳に落ちた錠剤を拾おうと屈んだ瞬間転んだらしい。
足元に置いていた週刊誌で助かったと言っていたが、私から見ると、テーブルで打ったのか口元も当初は相当腫れていたし歯も折れていたようだ。
先月の退院直後には父もすこぶる体調も良かったし、何より気力も充実して店番さえ出来る様になっていた状態だったのだが・・・・・私の突然の入院が無ければこう言う事態にはならなかったものを。考えれば考えるほど気が滅入る。

11月19日(水)
  父が以前の入院した分の保険の受給の申請を行っていた。そしたら今日父の所へ保険会社の支店長が訪れていたようだ。父の病室に名刺が置いてあった。
本来保険申請には当人の署名が必要なのらしいけれど、何せ現在の父に署名させる事は難しい。そこで父の現状を保険会社側が確認した後で私が代理署名を行うことに。
面倒いね、難しいね、全く!

私も同じ保険会社に掛金しているので、今回の入院手術に際しての申請をやった。そうしたら思ったより保険金の支払があった〜でも実際の入院費用には足らなかったけれど(苦笑)無いよりはマシだと一息付けた気分だ。

父の状態も快復しつつあるのが見て取れる。ほっとしてきた。
それでも昨日は私が事故死した夢をみたらしく、その上私が病院に到着するのがいつもより遅れたせいで、更に実感が増してきたらしく、遂に夢うつつでお経まで唱え出したらしい(苦笑)
看護士さん達ももビックリされた様だ。最初はお経のテープを流していると思ったらしい(大笑)
確かに父は空でお経を詠めるし中々上手ではある(笑)それにしても病院でお経とは!
他の入院患者さんたちに申し訳ない。何しろ、父が入院している病棟は神経内科で長期に入院している患者さんが多い病棟だ。
重篤な患者さんも多い病棟でお経とは(とほほ・・)
この話しを聞いた私は、幾らなんでもお経だけは止してねと父に念押して言い含めた。
解ってくれたのだろうか・・・・・・

11月20日(木)
  野暮用を済ませ早めに病院へ到着出来た。
顔色も随分良くなって来ている。しかし皮膚の炎症のせいか微熱が中々取れない。額に手を当てるとやはり熱い。
常時氷枕を当てて下さっている。しかし私が到着した時点では既に温い枕になってしまっていた。
担当看護士さんが点滴を交換に来られたときに、申し訳ありませんが・・・と氷枕を再度頼んでみることに。

また今日は神経内科の巡回日だったようで、父の主治医と他に数人従えて部長医師が病室に入って来られた時点で私は一応病室を出て廊下で待つ事に。
部長を務めている先生は表情が柔かい。父の主治医はどちらかと言えば無表情気味(苦笑) しかし暫らくして病室から出て来られた先生方、一番後ろから出てきた主治医の先生、私の方に向かって深深と頭を下げられた。もちろん私も下げたけれど、普段無愛想だった主治医の先生だったから不思議な気分(苦笑)少々驚いた・・・・・
それにしても今回の父の病状に際して主治医の先生はとても良く診て下さった。
仕事なのだから当然と言えば当然なのかも知れないが、まさかまさかの連続で最悪の状態まで体調を崩した父を、深夜問わず診て下さった事に感謝してもしきれないくらいだ。

そう言えば父の保険申請の診断書を微妙に書き間違えた主治医せんせー(笑)窓口を通さずに直接先生に訂正を求めたずーずーしい私の申し出に、戸惑いながらも即書き直して下さった。
はぁ〜先生って相当苦労されてるわ〜(苦笑)私より年下の様だけど髪の毛も白い方が多い!
そうか、苦労を掛けて居る一人が父なのだな(苦笑)

8月26日(火)
  最近の父は原始人。朝からほぼ1日素っ裸状態で過ごしている。(苦笑) 遅れてきた猛暑にイササカ参っているようだ。
けれど、裸なのは実に扱い易い(更笑) シャワーも、風呂場へ直ぐ連れて行って直ぐ出来る。実に簡単作業だ。暫らくは素っ裸で居させようかな。(爆笑)

定期通院は月イチになった。処方される薬剤も変化無し。やはり薬剤が減った所為か、少々動きが鈍くなった感じはあるし、本人も実感しているようだ。でも何より幻覚が少なくなったのが当人にとっては楽な事だろう。

深夜に起されるのにも大分慣れて来た。リズムを掴んできたのかも。寝入りばなに数回。そして3〜4時頃に1〜2回くらい。明け方にはホトンド無い。
一昨日深夜の事、一人で出来る様にと足元に尿器を用意しているのだが、寝ぼけていて尿器からこぼしてしまったらしい。大声で起されて後始末をしたが、足元に防水マットをしていたのでさほど汚してもいなかった。
しかし当人はかなりショックだったのだろう。ブツブツと何時までも腹を立てて口惜しがっている。直ぐ風呂場に行きシャワーを掛けて洗いながら「大丈夫、なンも汚れとらんって。気持ちン良かろう。すぐ洗えば何もなかって」励ましの言葉を次々かけながらさっさと洗ってやった。
その後、父はすっかり目が醒めてしまった様だったが、私はワザと「アタシは寝るよ、オヤスミ」と言って横になった。
ごそごそ音がしてたようだが、その後は静かになったので素直に寝たのだろう。あまり深夜に起きていると昼間とのバランスを無くすので、だらだら起きておかないようにさせてはいるが、何分気任せ気まぐれ満点の父親なので、気分を損なわない様に放任している。

あ〜ホトンド子供に立ち向かうようなものなんだな〜

8月27日(水)  
愚痴が続く(苦笑)

昨夜、私は穏やかな心持ちで夜を迎えた。飲酒もなく寝られそうだった。しかし、父はそうは思わなかったらしい。
食事時も穏やかだったので静かに寝てくれるものと思ったら、そうはいかない。
ウトウトとし始めた寝入りばなに呼ばれたのが始まりで、そこから何度も繰り返し起される。
結局2時までに5〜6回ほど起され、私自身のイライラが高まり眠気など吹っ飛んでしまったのだった。
こうなったら酒の力を借りないと眠れない。
しかし呑み出してからも、まだ私を呼ぶ声は止まらない。イライラは私の声と障子の開け閉めに表れる。父も気が付いている筈だ。

ついに私はPCのある場所へと移動した。それはつまり、父が呼び掛けても私には聞えない場所・・・・・もう父の私の名を呼ぶ声が聞こえるのさえ嫌悪だった。

数10分経ち、部屋に戻って見ると父の寝息が聞えていた。
やっと眠れる。。。。私も酔いで眠気が来始めていた。

しかし私の気配に気がつき、また呼ぶ声!もう嫌だッ!

喉元まで出かかった声を飲み込んで父の枕元へ行って見ると、虫が居ると、取ってくれと言う父。しかし、そんなものは何処にも居ない!否定をすると痛みが走ったと訴え続ける。
身体を横へ転がして体位変換して、ベッドのシワを直して、背中をさすってやって薬を塗ってなだめる。

もう寝るからねと、言い放って部屋へ戻り横になった私。寝たのは3時頃も過ぎてたのかも。

ここ数日、虫の存在を感じているのか、顔中をティッシュで押さえたり擦ったりの症状が出始めた。顔が傷ついて赤くなってしまっている。そこへ汗をかくのだから、皮膚が荒れてしまっている。
刺激が起きてヒリヒリするのだから、尚更虫が這っているように感じているはずだ。
また、父がティッシュを扱うと手が震えるものだから、イラついて声を荒げ出す。そうすると手が身体が凝縮してしまい、全然動かなくなるのだ。父のイラつきは更にヒドクなる。
改善させたいが、本人が言い張るのだから仕方ない。虫を取れと言われても、どこにもいない虫をどやって取れば納得するのかも解らない。

少し行き詰まっているのかも。

8月29日(金)   思い返せば、今週はホトンド本業をやっていない私。
父の介護にかまけている感もある。本当に必要な介助と、父の思いを先回りしての介助・・・・やはり難しい。

最近の父は不安感でメゲテいたような感じだ。私が側に居てやると安心していた様だ。しかし、今度は私自身がメゲテ爆発しそうになる日も多くなって来た。
昨夜は勝手に寝付いてしまった私。いつもなら、父をベッドに寝せる手助けをするのだけれど(身体を横にしても両足をベッドに上げられない場合が多い)寝返りも打てないし。

なのに、昨夜は私の剣幕に遠慮したのか1度も起されなかった。
案の定、今朝覗くと、足はベッドからダランと下がったままだった。昨夜からそのままだったのかも解らない。
今朝は浮腫みもひどかった。悪かったなと少々反省(苦笑)

そして今朝、介護認定が郵送されて来た。「要介護4」となっている。思ったより重いかも・・・・父には軽い方だと言ってはみたが、どこまで解っているか。

夕方皮膚科へと連れて行く。向うずねに出来ていた老人性の乾燥性湿疹が悪化していたのと、顔の痒みを診てもらった。結果、処方された薬が5種類(苦笑)
一応、パーキンソン病の処方箋も持参していたので皮膚科の医師にも見せた。

さて、こうなりゃいよいよ、父も立派な病人だ〜(笑)
今夜は疲れたのか、何時もより3時間以上も早くベッドに入った父。そう言えば、昨夜は何時に寝たんだろう〜3時にはまだ起きていたような。。。。気まぐれな病人で困ります!

御近所に御主人を在宅介護なさっている奥さんがらして(ウチの父親より少し年上の方)、時々ウチへ買物に来られた時に介護についてよくお話しさせてもらう方がいました。

御主人は半身不随で自力歩行も出来ない状態。
でもとても明るい人で、時々利用するショートステイ先が我家と同じ。
なのでウチの父とも施設では会話していたそうな。

ところが、この御主人が再度倒れられて。
しかも、これまで大丈夫だった方の脳に出血があり、今は完全に意識を失って、呼びかけにも答えない状態になってしまったとのこと。

「もう何も分からンごと、なってしもうたとですよ」
奥さんが悲しそうに仰った。
運転出来ないので、運行接続の悪い田舎のバスだけど、それで毎日病院へ通っていらっしゃるとか。
「着替えのありますけんね」
コレまでと同じように淡々と看護を続ける強さを感じました。

夫婦ゆえの強さなのでしょう。

ウチの父親にとって頼れるのは娘である私だけです。
父と娘の関係で言えば、おそらく父は遠慮もしているだろうと思われます。
ナンでもカンでも遠慮無く言える訳ではないだろうなと。。。。

父親にとっての娘への感情は微妙だろうなと想像しながら、ソレに甘んじて、娘の方はどうやったら介護をサボられるかと思案しているのだ(苦笑)

かわいそうな父ちゃんだな(笑)

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