whomeohのblog長崎ぶらぶら平和日記

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長瀧重信氏や山下俊一氏らの日本の放射線影響リスク関連の医学者の名前を挙げると、よく「731部隊の残党ですね」などという反応が返ってくる。しかし、よくいわれる重松逸造氏にしても、今のところ、731部隊に直接協力した形跡がない。重松氏は、731部隊にいた石川太刀雄丸が教授だった頃の金沢大学医学部に教授として招聘されたことはあった。731部隊の協力医学者や元隊員たちが戦後勤務した教育研究機関や医療機関を調べていくと思わぬ発見をすることがある。

731細菌戦部隊残党が複数、戦後、長崎大学の前身、長崎医科大学に勤務したのは、731部隊をよく知る人なら、きわめて有名なことらしい。これは特にオリジナリティのあるスクープではないので、多くの人に無料記事として公開することにする。(ただし、著作権は放棄しませんので、転載禁止でお願いします)

長崎医科大学(現・長崎大学医学部)関係で、731部隊関連の元隊員や協力医学者として、よく名前が上がるのは、731部隊の隊員だったとされる斎藤幸一郎、林一郎、そして、731部隊との深い結びつきが指摘されている同仁会漢口診療防疫部長だったといわれる青木義勇、731部隊関連施設「陸軍軍医学校防疫研究室」に1944年8月から終戦直後までいた福見秀雄だ。

斎藤幸一郎(さいとう こういちろう、1908年 – 1994年)は、岡山県出身。1931年京都帝大医学部を卒業し、同大学生理学教室第1講座で、731部隊の関係機関である「陸軍軍医学校防疫研究室」に関与した正路倫之助教授の下で血液、呼吸の生理学を修めた。陸軍技師として731部隊の活動に参加、京大付属臨時医学専門部教授、山口県立医専教授を歴任した後、戦後、長崎医科大学教授をへて、1949年には戦前の731部隊の拠点のひとつで部隊員だった石川太刀雄丸が戦後も教授として在任していた金沢医科大学の第1生理学教室教授に就任(金沢大学50年史編纂委員会編「金沢大学五十年史部局篇」)。

1945年8月9日の原爆投下で被害を受けた長崎医科大学(現・長崎大学医学部の前身)

林一郎(はやし いちろう、1907年 – 1985年)は、1933年京都帝大医学部を卒業し、同大学病理学教室で藤浪鑑と731部隊長だった石井四郎の恩師で同部隊の病理解剖の最高顧問であったとされる清野謙次の門下として研究に従事。戦時中に731部隊に陸軍技師として従軍。1946年3月、原爆で壊滅していた長崎医科大学の教官として赴任。被爆地において胎児・新生児の数千例の解剖を手がける。奇形児内分泌腺に着目し、1960年の日本病理学会総会で「奇形児の内分泌腺に関する病理学的研究」として発表(「日本病理学会会誌」49)。1960年には日本先天異常学会の設立に尽力し、理事となり、1967年に会長に就任。1973年に長崎大学を定年退官。1984年には「先天奇形図譜」を刊行(池田高良「林一郎名誉会員の御逝去を悼む」日本先天異常学会会報 25(4), 260、1985年)。

青木義勇(あおき よしお、1905年 – 1990年)は、1931年長崎医科大学卒業。同細菌学助手、同講師、1936年大邱医専教授、1940年長崎医科大学助教授、1942年9月から45年3月、同仁会漢口診療防疫部長嘱託として同地の「防疫業務」と特殊研究に従事。応召、1946年長崎医科大学教授、1971年退職。著書に『同仁会診療防疫班』(1975年)がある(「青木義勇文書 同仁会診療防疫班に関する問い合わせへの回答書簡」、飯島渉「熱帯の誘惑―近代日本のマラリア研究―」日本熱帯生態学会ニューズレター No.53 November 30, 2003)。


飯島渉氏の前掲論文によれば、長崎医科大学は、1940年、病理学教室と細菌学教室を母体として、大陸医学研究班を組織したそうだ。同大学では、東亜風土病研究所の設立のために、朝鮮の大邱医専から大陸医学研究班の細菌学科に青木義勇を招聘。1942年、長崎医科大学附属東亜風土病研究所を開設したという。東亜風土病研究所は、同仁会漢口診療防疫班を拠点にしていたため、青木は、同仁会漢口診療防疫班防疫部長を兼任した。

1902年に発足した同仁会は、外務省所轄の財団法人の認可を受け、中国各地に医院や医学校を開設した。同仁会は、731部隊と繋がりの深い宮川米次東大名誉教授(1959年死去)が副会長を務めていた医療機関だった。中国各地に診療防疫班を派遣し、表向きは、住民の診療・防疫・衛生、医学教育等を展開するとともに、裏では特殊研究やワクチン製造等に従事した。華北中央防疫処では発疹チフスのワクチン製造用のシラミの飼育箱を中国人労働者の皮膚に密着させ、吸血させたという報告が1943年発行の同仁会の刊行物に掲載されている。1946年2月、GHQ/SCAPによって結成禁止団体に指定され解散した。

福見秀雄(ふくみ ひでお、1914年 – 1998年)は、松山市生まれ。1934年3月、松山高等学校(旧制)卒業、1938年3月、東京帝国大学医学部医学科卒業。1938年4月、東京帝国大学附属伝染病研究所嘱託(小島三郎教授研究部)。1944年8月から終戦直後まで陸軍軍医学校防疫研究室嘱託。1947年7月、国立予防衛生研究所勤務(厚生技官)、1952年10月、国立予防衛生研究所細菌部長に昇任。1963年12月〜1969年12月、長崎大学教授併任、長崎大学風土病研究所長。1977年8月 国立予防衛生研究所長に昇任。1980年4月、国立予防衛生研究所定年退官。1980年10月、長崎大学学長に就任。1984年10月 長崎大学退任(財団ゆかりの人たち | 福見秀雄先生について【黒住医学研究振興財団】)。

福見秀雄が所長にまで上りつめた予報衛生研究所は、広島・長崎・呉に支所を置き、ABCCと後継の放射線影響研究所と連携して被爆者の疫学調査を行った。

731部隊協力医学者であった福見は、長崎大学に学長として、1980年10月から1984年10月まで在任したが、放射線医学総合研究所理事長となる長瀧重信は、1980年に長崎大学医学部教授(内科学第一教室)、学部長等として1996年まで在任した。山下俊一は、1978年、長崎大学医学部卒業後、福見が長崎大学学長であった1984年に長崎大学大学院医学研究科博士課程を修了している。

731部隊関係の細菌戦に従事し、人体実験への関与も疑われる医学者と今日、福島第一原発の放射能汚染被害の過小評価に狂奔する長瀧重信や山下俊一の関係、みなさんはどのようなお感じになっただろうか。


◎8月10日のBSL4施設地域連絡協で感じたこと 長崎のBSL4施設は安倍案件で軍事転用目的しか考えられない

長崎大学が731部隊の残党の巣窟になって、人体実験をいとわないことや長崎大学がBSL4施設建設予定地の周辺住民になぜアンケートをしない理由を書き、国策だから住民の反対を押し切って強行突破して建設するだろうと言うことはこの欄で書いた。

ここは私の一番、大きな疑問である、反対住民の多い中でなぜ長崎大学にBSL4施設を造ろうしていることが決まったかを書く。

2016年8月末の長崎大の地域連絡協議会で文科省からオブザーバーとして出席した企画官は「まだ住民への説明継続が必要と判断し本年度の概算要求は見送る」という重大発言をして、建設予定地の坂本キャンパス周辺住民は一安心した。

ところがである。突然、この年の11月22日だったかどうかは調べていないが、文科大臣ではなく、安倍政権で大きな力を持つ菅官房長官が長崎市長と長崎県知事を官邸に呼びつけた。これで市長と知事は「国の関与が得られた」と言ってBSL4施設を坂本キャンパスに造ることを「容認」した。そして2017年の予算を付けた

国の関与と言っても、市や県はこれを造る代わりの見返りは全くなく、短く言えば、万一の事故の時に国が責任をもつというもの。事故があったらこの対応や賠償は国が行うこと。私はこれで市長や知事が市や県に何のメリットもないのに、なぜ「容認した」かが分らない。

これを地域連絡協議会で私が質問した文部科学省の回答を少し長いが紹介する(書き間違っていたらごめんなさい)

政府としては長崎大学による地元理解促進を図るための取組等の進捗状況を踏まえ2016年11月17日に「長崎大学の高度安全実験施設(BSL4施設)整備に係る国の関与について」を決定した。これを踏まえ、文部科学省では、長崎大学に対する必要な支援を行っているところです。長崎大学のBSL4施設整備に当たっては、地元の理解(私が付ける注、地元の合意とは長崎市も大学も言わない。学術会議の提言では合意と書いているのに。だから理解が得たとして強行建設があり得る。そして住民の反対が強い場合は武蔵村山やつくばのように稼働でくなる可能性が高い。学術会議が反省に元で地元の合意を全く無視している)を得るための不断の努力を行うことが重要であると認識しており、文部科学省としては、引き続き、長崎大学がじっそする地域との共生のための取組に対し、必要な支援を実施してまいりたいと考えております。-という内容。

ここで私が不思議に考えるのは8月末時点から、なぜ急転回して担当の文部科学省ではなく官邸の事項になり官房長官が市長と知事を官邸に呼ぶ出したのかだ。最近、私が所属する「言論の自由と知る権利を守る長崎市民の会」が当時の前川喜平事務次官の講演会を実施して、講演後、個人的にBSL4問題について聞いてみた。そうしたら「8月の概算要求時点では担当局長から地元の合意が出ていないので予算をつけないと言ってきたので了承した。しかしその後11月になって、市長が言うので地元の合意が得られたと思い予算を認めた」と言い、「永秋大学には熱帯医学研究所があるからー」と言ってくれたが。詳しいことは知らないかどうかは分らないが、言わなかった。

そこでここからは私の意見、推論。長崎大学では多くの教授が文科省からの予算削減に嘆いている。ある工学部の教授は「年間たったの30万円。たったこれだけで何の研究ができるか」と怒っている。

これはどこの国立大学も同じで、安倍政権下、防衛省の予算が増え、背に変えられず研究をしたいために防衛省から研究費をもらう研究者もいる(長崎大にはいない)

長崎大は軍事研究はしないと声明したなず少ない大学だ(調漸学長特別補佐)はいう。長崎大は生き残りのために、大学の独自性を出すためにBSL4施設にかけていると私はみている。
ここでエボラウイルスなど国内に存在せずに治療薬やワクチンもないのを研究。この地球で最も危険なウイルスを長崎にに持ってきて、動物実験や遺伝子組み換えの実験をして、よく言えば治療薬やワクチンをつくろうと計画している。

いかに感染症だからいつアフリカから日本に来る恐れがあると言っても、長崎大に熱研があり、感染症専門の医師が多いと言っても長崎大で研究する理由にはならない。

私が危惧するのは、学術会議の提言にも、バイオテロ防止を明記している。
前のこの欄に長崎大学には、731部隊の遺伝子、人体実験の遺伝子があるとを載せた。
そこでBSL4施設の真の目的はバイオテロの研究だと断言する。だから一昨年の夏に概算要求をするはずではなかったのに、軍事大国として戦争へと進んでいる安倍政権下、安倍案件となり、いかに全世界に分らないいうにバイオテロの研究をして、もしも攻撃された場合の治療薬やワクチンを作るかだ。その場合は人体実験をする必要がある。これは秘密裏にしないと、敵国からこれが分ったら非難される。もちろん、長崎大は軍事研究はしないと言っているし、バイオなどの化学・生物兵器の製造は禁止されてはいる。
しかし多くの先進国、中国や韓国にもBSL4施設はあり、多くの国がバイオテロの研究をしているはずだ。もちろん、実施していてもしていないと原則言うだろう。軍事秘密とはそういうことだ。
日本でこの研究をする大学は、人体実験の遺伝子のある長崎大学なのだ。731部隊に福見茂雄氏がいて長崎大の熱研の前身の風土病研究所長や学長を歴任、福見氏を原点に長滝氏、現副学長の山下俊一氏とつながっている事実を注目しよう。もちろん、今は山下氏は福島に行って原発被害を研究しているが、次の学長に山下氏がなったら、完全に軍事研究だし、今回の学長にも河野茂氏ではなく山下氏が大本命だったが、福島に行って原発被害者に「研究だけで、治療はしない」(これは私のとらえ方)として嫌われ、学長になれなかった経緯がある。
この私の意見に賛同している人は多い。
長崎大は「軍事研究はしない」と言って、BSL4施設でバイオテロの研究をする。しかしこれを情報公開しようとしても、のり弁の状態で出てくるだろう。

いかが長崎大の情報公開の実態。


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◎長崎大や長崎市でBSL4施設建設で大学周辺住民施設住民へのアンケートをしない理由

昨日8月10日、長崎大が設置した地域連絡協議会が開かれた。先に他の委員からの質問で、長崎大がなぜ、BSL4設置の周辺住民アンケートをしないかが論議された。高尾地区の連合自治会長から「アンケートをすれば反対が多いはず。だがこれをすることによって住民同士が対立する恐れがあるのでしない」と述べた。このように明確にアンケートをしない理由を述べればいいものを長崎大、長崎市共に理由は言わずに、「アンケートをする必要はない」とオウムのように繰り返すだけ。そこで平野町山里自治会長が、アンケートをする理由を理論的に質問したが、大学側の答えは、会長によれば「議論がかみ合わない」。なぜしないかの理由を言えないのだ。
わが橋口町でも2,3年前、自治会アンケートをした。その直後、当時の自治会長が死んで、後任の自治会長はなぜかBSL4には関わらない。アンケート結果は公表は控えているが、私がある人から聞いたところでは、圧倒的な数字でBSL4施設反対が多かった。そこでこれは噂に過ぎないが(私は裏は取れているので書くが)ある市会議員がこの会長に、「BSL4にタッチするな」と言い、この自治会長はBSL4問題には全くノータッチを決め込んでいる。
他の大学(坂本キャンパス)の周辺自治会も独自にアンケート調査をしており、いずれも反対が賛成を大幅に上回っている。このことを上記の高尾の連合会長は知っており、「アンケートをすれば反対が多い」と言ったのだ。

すなわち、アンケートをきちんとすれば、住民はBSL4施設に反対し、施設建設の合意が取れないために、長崎大、長崎市とも「理由も言わず」に「アンケートはしない」としか言えない。アンケートが科学的な材料だから、BSL4施設建設の周辺住民の合意は取れないのだ。

これまで日本では2つBSL4施設を造った。東京・武蔵村山(国立感染研究所が建設)は建設から約35年間住民の反対で稼働できずに、最近になってやっと検査だけ(動物実験、遺伝子組み換えはしない)でやっとで稼働、またBSL4施設の遺伝子組み換え施設として造った茨城・つくば(理化学研究所が建設)も住民の反対でBSL2として稼働している。

日本学術会議はこの2つの施設の反省から、2013年に「BSL4施設を造るときは地元住民の十分な合意と理解が不可欠」との提言をした。

大学間の競争で、大学の特色を出すために、何が何でもBSL4施設を造りたい長崎大は「反対が多い」と分っている周辺住民アンケートは出来ないのだ。これからいかに「国策」のBSL4施設を強行突破するかかを、なるべく住民の反対が少ないような方法で強行するかを、国と熟慮している。

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