ドラマの「砂の器」はSAMAPの中居や玉木宏主演のを見た。先日、テレにで玉木宏のを再放送していたので、見てこのブログに書いた。ここをクリックだが、ハンセン病というのには触れなかった(原作者の松本清張の遺族の要望)から何か物足りなかった。
映画版が長崎ではTOHOシナマズ長崎の午前10時の映画祭でしていたので、さっそく見に行った。100席入る劇場がいつもは10人から20人なのに60人以上入るという盛況。それに映画の終盤には感動して泣きだ人もいた。14日まで公開しているので、ぜひ、多くの人に見てほしい映画だ。
原作は1961年に完結。その後、松竹が映画化権を取得して橋本忍と山田洋次の脚本も出来上がったが、作中に出てくるハンセン病に関する取扱いや膨大な製作費のために製作が難航し、作品の完成は13年後、1974年で、私が就職した後だったため、仕事で忙しく見る機会を逃していた。
ハンセン病との関わりを先に書くが、ネットによると、この映画において、ハンセン氏病の元患者である本浦千代吉と息子の秀夫(和賀英良)が放浪するシーンや、ハンセン氏病の父親の存在を隠蔽するために殺人を犯すという場面について、全国ハンセン氏病患者協議会(のち「全国ハンセン病療養所入所者協議会」)は、ハンセン氏病差別を助長する他、映画の上映によって“ハンセン氏病患者は現在でも放浪生活を送らざるをえない惨めな存在”と世間に誤解されるとの懸念から、映画の計画段階で製作中止を要請した。しかし製作側は「映画を上映することで偏見を打破する役割をさせてほしい」と説明し、最終的には話し合いによって「ハンセン氏病は、医学の進歩により特効薬もあり、現在では完全に回復し、社会復帰が続いている。それを拒むものは、まだ根強く残っている非科学的な偏見と差別のみであり、本浦千代吉のような患者はもうどこにもいない」という字幕を映画のラストに流すことを条件に、製作が続行された。協議会の要望を受けて、今西がハンセン氏病の患者と面会するシーンは、シナリオの段階では予防服着用とされていたが、ハンセン氏病の実際に関して誤解を招くことから、上映作品では、背広姿へと変更されている、という。
この映画は大ヒットし共同通信の映画記者の立花珠樹氏は「最も有名な日本映画の1本でいいだろう。あんなに泣いた映画はないという感想をしばしば、聞く。だが、文庫だけでも400万部以上売れている松本清張の原作を読んで泣いた人はたぶんほとんど、いないはずだ。先に映画を観てから原作を読むのがお勧め。どちらも楽しめたうえ、なぜ映画が泣けるかよくわかるはずだ」と言っている。
また松本清張の小説は映画やテレビで数多く、映画化され、この頂点をなすのがこの「砂の器」という映画評論家は多い。
監督の野村芳太郎は「張込み」(58年)を皮切りに「ゼロの焦点」(61年)「影の車」(70年)「鬼畜」(78年)「わるいやつら」(80年)「疑惑」(82年)「迷走地図」(83)と清張作品を映画化したが、興業面を含めて最も成功したのが「砂の器だ」。
この作品が単なる犯人捜しのミステリーではなく、その人物がなぜ犯行に行ったったかということを人間ドラマの中に描いている。被害者の元警察官で雑貨商の三木謙吉(緒方拳)という温厚な育ての親で大恩人を殺さなければならなかったか。本籍詐称やハンセン病患者の子供ということでは殺さない。大恩人が父親がまだ生きており、会いたがっているから、会うように説得するのを拒否し、大物代議士の令嬢と結婚して上流階級を目指そうとしたから殺したんだ、と捜査会議で、今西刑事(丹羽哲郎)が説明する。
この捜査会議で今西刑事が犯人の和賀英良(加藤剛)に逮捕状を請求する。この間、45分ぐらいか、和賀英良の新作曲「宿命」のコンサートシーン、ハンセン病のため忌み嫌われ、全国を流浪する和賀らの親子のシーン。芥川也寸志音楽監督のもとで菅野光亮が作曲した「宿命」の旋律が一体になる。松本清張も「これは小説では表現できない」と認めた映画ならではの作品に仕上がっている。
やはり「砂の器」はハンセン病をなくして映画化もドラマ化も無理だ。ハンセン病に対する差別がまだあるのなら仕方がないが、もし差別がなくなっているとしたら、松本清張の遺族もハンセン病を取り上げないという条件を取り下げてほしい。
ドラマのブログでも載せたが当時のハンセン病と映画に対する考察も再度、掲載する。
松本清張著 『砂の器』とハンセン病
荒井裕樹
1 松本清張『砂の器』の問題点
『砂の器』は昭和35年6月から約1年にわたり読売新聞に連載された松本清張の代表作である。推理小説を要約することほど難しいことはないのだが、大体の筋だけ示しておこう。
将来を嘱望されている前衛音楽家和賀英良は、音楽界での成功ばかりでなく、大物政治家の愛娘との婚約も決まり、着実に名声を得つつあった。そんな折、彼の真の身元を知る元巡査、三木謙一が不意に現れる。実は和賀英良の正体はハンセン病者本浦千代吉の息子本浦秀夫であった。彼は戦後の混乱に紛れ身元を偽造し、現在の地位を手に入れたのだった。彼はその地位と名声を守るため三木謙一を殺害する。
この作品には「業病」という言葉が頻出する。かつてハンセン病(「癩病(らいびょう)」)は遺伝性のものと考えられ、「業病」や「天刑病」などと呼ばれ、前世の罪の報い、もしくは悪しき血筋による病との迷信があり、それを発病することは少なからぬ罪悪を犯すことと同義とされた。もし一人でも親族に発病者が出ると、その家は共同体の中で一切の関係性を断絶され、時には一家離散に追い込まれたという。そのような患者迫害が最も激しかった時期、それが昭和10年代の無癩県運動期であった。
本浦父子が放浪し、父千代吉が三木謙一巡査に保護され療養所に収容された昭和13年という時代はちょうどこの無癩県運動期に該当する。無癩県運動とは〈民族浄化〉を旗印に各府県警察の主導で患者狩りが広く展開された時代である。本浦父子もこの無癩県運動の被害者であったと言えよう。ハンセン病は〈一等国日本〉にとっては〈国恥病〉であり、その存在自体が〈国辱〉とされ、誤った伝染力の認識と相俟(あいま)って、国家を挙げて隔離撲滅が奨められた。ハンセン病は「業病」であり同時に凶悪な伝染病であるという、患者にとって極めて不都合な偏見が幾重にも重なり合っていた。そのような境遇に貶(おとし)められたハンセン病患者を父に持つ本浦秀夫は、戦後の混乱に乗じて自身の身元を偽造し、和賀英良に再生することに成功する。苦労して手に入れた現在の地位を守るために、自身の正体を知る三木謙一を殺害したのだ。しかしそのような嘘で作り上げた彼の栄光はもろくも崩れていく。まるで砂で作った器のように。
松本清張は『砂の器』の作品内時間を発表時期と同じ昭和35年前後に設定している。つまり彼はリアルタイムのこととして同作を書いたことになる。しかし昭和35年には、ハンセン病はすでに科学治療法が確立していたばかりか、患者たちは自分たちの権利獲得と境遇改善のための運動を広く展開していた。昭和34年には「癩病」から「ハンセン氏病」への改称の動きも出ている(『全患協運動史』参照)。そんな昭和35年当時に、松本清張がなんらの疑問を抱くことなく「業病」と言い切れるのはなぜなのか? 社会派と称された松本清張でも、ハンセン病問題に関しては見識が乏しかったとしか考えられない。彼が欲したのは作品の山場を作るに相応(ふさわ)しい〈社会的負性〉であった。その〈社会的負性〉に相応しいものとしてハンセン病=「業病」があったのだろう。とにかく、隠すべき〈社会的負性〉の象徴としてのハンセン病という偏見自体が、同作の中で全く疑われていないのは問題であろう。
2 映画版『砂の器』の問題点
映画版『砂の器』(監督野村芳太郎)は昭和49年に映画化され、同年の『キネマ旬報』の読者投票では一位に選ばれている。脚本を山田洋二と橋本忍が担当していることもあり、幾分ハンセン病問題に配慮した痕跡が窺(うかが)える。
原作から映画への最大の変更点は、刑事今西栄太郎による和賀英良の正体暴露の場面である。捜査本部の刑事たちを前にして、三木謙一殺害事件の真相を語る今西は、今まで隠されてきた本浦父子の境遇について言及する。原作ではわずか約6ページにすぎないこの箇所は、映画では約45分弱と全体の大半を占めることになる。「親知らず」の浜を夕陽に照らされながら父子の歩む美しい映像や、秀夫を苛める悪童たちを追い払う千代吉の姿など、悲惨な境遇に陥った親子の愛情を感傷的に描き出し、涙を誘う仕掛けがなされている。そのような感傷的なシーンとクロスして今西刑事の調査報告が差し挟まれ、和賀英良が三木謙一を殺害するに及んだ経緯が詳細に説明される。原作では和賀英良が正体を隠すことは殺人の単なる動機として描かれているのだが、ここではやむを得ない事情に換えられていると言えよう。原作ではすでに死亡したことになっている本浦千代吉が映画版では生存し、和賀英良の写真を差し出す今西刑事に向かって涙ながらに「知らん男だ」と叫ぶ場面は、息子の幸福を願い、親子の関係を自ら否定する父親の悲しい愛情という映画独自の脚色である。しかし、やはりここでも隠すべき〈社会的負性〉としてのハンセン病という偏見は相対化されていない。
映画が製作された昭和49年には、すでに他ならぬハンセン病回復者自身によって隔離政策への歴史的再考がなされていた。そのような時代に、無癩県運動によって隔離される本浦父子を感傷的に描くばかりで、ハンセン病=〈社会的負性〉という偏見を相対化する視点がなかったのは残念である。
さて、映画は当然のことながら映像を表現の手段とする。そのため不可避的にハンセン病患者を映像化する必要が生じる。『砂の器』はハンセン病患者を、シミのある土気色のメイク、ボロボロの衣裳、ずらしてはめられた軍手(歪んだ手)という形で表現したが、実はこれらの映像表現は、『小島の春』(昭和15年)、『ここに泉あり』(昭和30年)、『愛する』(平成9年)にも共通するハンセン病患者を映像化するための紋切型なのである。そしてこのように表現された患者たちはいずれも重く沈痛な表情をしている。いわば悲しげな表情もメイクの一部となっているのだ。もちろんこのような者もかつてはいただろう。しかし映像化される患者がことごとく同様の紋切型で描かれ、いつも泣いているものだと思われては、描かれる側としてはたまったものではないだろう。
またもネットから
言うまでもなく『砂の器』は原作が清張だけあって、飽くまでも主役は罪を犯した和賀と彼を追う丹波哲郎と森田健作らが演じる刑事というミステリー。しかし、この映画の魂はこの作品のために菅野光亮によって作曲された『宿命』と題されたピアノと管弦楽のための組曲だ。作中では和賀が生涯の全てを賭けて作曲し、自らラストシーンでピアノ演奏をするのだが、『宿命』という曲それ自体が映画のテーマ曲として各シーンでもBGMとして使用されている。音楽を言葉で表現するのは苦手とするところだが、敢えて言うならば映画音楽というジャンルを超越した見事なほどに心を揺さぶる一曲だ。この曲無くして、『砂の器』は傑作となり得なかっただろうし、かつてあるブロガーが『砂の器』という映画のために『宿命』が作曲されたのではなく、逆にこの『宿命』のために『砂の器』という映画が作られたと書いていたのを読んだことすらある。それほどまでに音楽的に素晴らしく、かつクラシックというジャンルでありながら、どこか懐かしさを感じずにいられない和風の旋律を『宿命』は感じさせるのだ。
cap049_2物語が展開し、和賀が恩人を殺害するに至った経緯をようやく把握した警察の会議にて、丹波哲郎は和賀がらい病(ハンセン病)を患った父親と共に流浪の旅を続けていた過去があった事実を語る。しかし、ここで何よりも見事なのは、野村監督が台詞で丹波にその旅がいかに過酷なものであったかを語らせなかった点。丹波には二人の旅がどのようなものであったかは、「想像する」ことしかできないと言うだけに留めている。その代わりに、この警察会議が行われているのと同時期に開始された和賀の『宿命』披露コンサートの模様と、幼い和賀が父と苦楽を共に歩んでいた頃の旅の映像が画面に映し出される。二人の旅するシーンに台詞は一切無い。バックに流れ続ける『宿命』、和賀がコンサートで演奏している曲そのものが台詞以上に、二人の想いを描写しているのだ。冬は凍えそうな雪の吹き荒ぶ海辺を黙々と歩き、桜が咲き誇る春は訪れた村の子供達に苛められる父と子…それは悲しくも美しい。何故ならば、それは切っても切れない親と子の絆をも描いているのだから。かなり延々と続くこの旅の描写を長過ぎると感じる観客は少ないはず。観る者は二人と共に旅を続け、そこで彼らが体験する辛さとわずかな喜びを存分に共有できる、この作品の中で最も感じ入り共感できるシークエンスだからだ。『砂の器』は一種のロードムービーとも言えると思う。刑事達は常に事件解決のために日本各地に旅をし続け、真実に辿り着いた段階では犯人と目星をつけていた和賀に対する意識も変わって行く。そして前述の『宿命』が流れるシークエンスで、観客は今度は和賀と父の旅を疑似体験することで、和賀=殺人者以上の何かしらを彼の中に見出すこととなるからだ。‘宿命づけられた旅’という言葉こそ、この作品の重要なキーワードではないか。
10099204816この作品は原作と異なり、和賀と父が故郷を追われた理由を病人への村八分とその後の社会の差別的扱いに置き換えたことで、同情と同時に『宿命』という曲名を一層生かすことに成功もしている。原作では和賀の父がある罪を犯したために故郷を追われる設定となっており、らい病というモチーフは一切登場しない。しかし、病を患うという当人の意志ではどうにも回避できない理由を物語の発端とすることで、『宿命』という曲がより深い意味を持ち、多くの人々の心を打つ作品に仕上がったのだ。そして観る者達も何かしらの‘宿命’を背負って生きているからこそ、殺人事件というほとんどの者には縁のない出来事を扱う映画でありながら、この作品に感動を覚えるのだろう。それらは生まれや生い立ち、或いは単に容姿や能力に関する小さなコンプレックスかもしれない。しかし、人間は誰しもきっと何らかの‘宿命’を和賀親子同様に抱きながら生きているはずだ。ラストで警察会議を終え、まだコンサート中の和賀を逮捕しに刑事達が会場に到着した際に、丹波はすぐに逮捕に踏み切ろうとする他の刑事達を抑え、最後まで演奏だけはさせてやるように指示したのは、彼もまた和賀を追求する中で誰もが逃れられない‘宿命’を持つことを実感したからではないかと思う。丹波の最後の台詞も素晴らしい…「彼(和賀)はもう、音楽の中でしか父親に会えないのだから」。
(このような私にとっての映画『砂の器』への思い入れの深さを語って聞かせれば、「おおおおら、ここここんなひとししししらねぇだぁぁぁ!」などと加藤嘉の下手糞な物真似をしやがるアホな旦那なんぞがいることも、私が背負わねばならない‘宿命’なのだろうか…?私の理想の男性はこの映画で殺されちゃう元駐在さんを演じてた緒形拳さんみたいな男性なのにな~溜息。)
映画版では、和賀英良は原作どおりの前衛作曲家兼電子音響楽器(現在でいうシンセサイザー)研究家ではなく、天才ピアニスト兼、ロマン派の作風を持つ作曲家に設定変更された。劇中での和賀は、過去に背負った暗くあまりに悲しい運命を音楽で乗り越えるべく、ピアノ協奏曲「宿命」を作曲・初演する。物語のクライマックスとなる、捜査会議(事件の犯人を和賀と断定し、逮捕状を請求する)のシーン、和賀の指揮によるコンサート会場での演奏シーン、和賀の脳裏をよぎる過去の回想シーンにほぼ全曲が使われ、劇的高揚とカタルシスをもたらしている。原作者の松本清張も「小説では絶対に表現できない」とこの構成を高く評価した。
原作と違う点がいくつかあり、今西・吉村が利用した列車が時代にあわせて変化しているほか(亀嵩へ向かう際、原作では東京発の夜行列車で1日かけてもたどり着かなかったが、映画版では当時の主流であった新幹線と特急を乗り継いで向かっている)、和賀英良の戸籍偽造までの経緯も異なっている。また、中央線の車窓からばら撒かれた白い物(犯行時に血痕が着いたシャツの切れ端)は原作では今西と吉村の二人で拾い集めたことになっているが、映画版では今西が被害者の生前の経歴を調べる為に出張している間に吉村が一人で発見し、独断で鑑識課へ持って行ったという流れになっている。その他にも、原作ではハンセン(氏)病への言及は簡潔な説明に止められているが(言及箇所は第六章・第十七章中の2箇所)、映画版では主に橋本忍のアイデアにより、相当の時間が同病の父子の姿の描写にあてられている。なお、今西がハンセン(氏)病の療養所を訪問するシーンは原作にはなく、映画版で加えられた場面である。
「宿命」は音楽監督の芥川也寸志の協力を得ながら、菅野光亮によって作曲された。なお、サウンドトラックとは別に、クライマックスの部分を中心に二部構成の曲となるように再構成したものが、『ピアノと管弦楽のための組曲「宿命」』としてリリースされた。
あらすじ
六月二十四日早朝、国鉄蒲田操車場構内に扼殺死体が発見された。被害者の年齢は五十~六十歳だが、その身許が分らず、捜査は難航をきわめた。警視庁の今西栄太郎刑事と、西蒲田署の吉村正刑事らの必死の聞き込みによって、前夜、蒲田駅前のバーで被害者と酒を飲んでいた若い男が重要参考人として浮かび上った。そしてバーのホステスたちの証言で、二人の間に強い東北なまりで交わされていた“カメダ”という言葉に注目された。カメダ……人の姓の連想から東北各県より六十四名の亀田姓が洗い出されたが、その該当者はなかった。しかし、今西は「秋田県・亀田」という土地名を洗い、吉村とともに亀田に飛ぶが、手がかりは発見できなかった。その帰途、二人は列車の中で音楽家の和賀英良に逢った。和賀は公演旅行の帰りらしく、優れた才能を秘めたその風貌が印象的だった。八月四日、西蒲田署の捜査本部は解散、以後は警視庁の継続捜査に移った。その夜、中央線塩山付近で夜行列車から一人の女が白い紙吹雪を窓外に散らしていた。その女、高木理恵子を「紙吹雪の女」と題し旅の紀行文として紹介した新聞記事が、迷宮入りで苛だっていた吉村の触角にふれた。窓外に散らしていたのは、紙なのか? 布切れではなかったか? 早速吉村は、銀座のクラブに理恵子を訪ね、その事を尋ねるが、彼女は席をはずしたまま現われなかった。だが、その店に和賀英良が客として現われた。和賀英良。和賀は音楽界で最も期待されている現代音楽家で、現在「宿命」という大交響楽の創作に取り組んでいる。そしてマスコミでは、前大蔵大臣の令嬢田所佐知子との結婚が噂されている。八月九日。被害者の息子が警視庁に現われた。だが被害者三木謙一の住所は、捜査陣の予測とはまるで方角違いの岡山県江見町で、被害者の知人にも付近の土地にもカメダは存在しない。しかしそれも今西の執念が事態を変えた。彼は調査により島根県の出雲地方に、東北弁との類似が見られ、その地方に「亀嵩」(カメダケ)なる地名を発見したのだ。なまった出雲弁ではこれが「カメダ」に聞こえる。そして三木謙一はかつて、そこで二十年間、巡査生活をしていたのだ……。今西は勇躍、亀嵩へ飛んだ。そして三木と親友だった桐原老人の記憶から何かを聞きだそうとした。一方、吉村は山梨県塩山付近の線路添いを猟犬のように這い廻って、ついに“紙吹雪”を発見した。それは紙切れではなく布切れで、被害者と同じ血液反応があった。その頃、とある粗末なアパートに理恵子と愛人の和賀がいた。妊娠した彼女は、子供を生ませて欲しいと哀願するが、和賀は冷たく拒否するのだった。和賀は今、佐知子との結婚によって、上流社会へ一歩を踏み出す貴重な時期だったのだ。一方、今西は被害者が犯人と会う前の足跡を調査しているうちに、妙に心にひっかかる事があった。それは三木が伊勢の映画館へ二日続けて行っており、その直後に帰宅予定を変更して急に東京へ出かけているのだ。そして、その映画館を訪ねた今西は重大なヒントを得た……。本庁に戻った今西に、亀嵩の桐原老人から三木の在職中の出来事を詳細に綴った報告書が届いていた。その中で特に目を引いたのは、三木があわれな乞食の父子を世話し、親を病院に入れた後、引き取った子をわが子のように養育していた、という事だった。その乞食、本浦千代吉の本籍地・石川県江沼郡大畑村へ、そして一転、和賀英良の本籍地・大阪市浪速区恵比寿町へ、今西は駆けめぐる。今や、彼の頭には、石川県の片田舎を追われ、流浪の旅の末、山陰亀嵩で三木巡査に育てられ、昭和十九年に失踪した本浦秀夫と、大阪の恵比寿町の和賀自転車店の小僧で、戦災死した店主夫婦の戸籍を、戦後の混乱期に創り直し、和賀英良を名乗り成人した、天才音楽家のプロフィルが、鮮やかにダブル・イメージとして焼きついていた。理恵子が路上で流産し、手当てが遅れて死亡した。そして、和賀を尾行していた吉村は理恵子のアパートをつきとめ、彼女こそ“紙吹雪の女”であることを確認した。今や、事件のネガとポジは完全に重なり合った。伊勢参拝を終えた三木謙一は、同地の映画館にあった写真で思いがけず発見した本浦秀夫=和賀英良に逢うべく上京したが、和賀にとって三木は、自分の生いたちと、父との関係を知っている忌わしい人物だったのである。和賀英良に逮捕状が請求された。彼の全人生を叩きつけた大交響曲「宿命」が、日本音楽界の注目の中に、巨大なホールを満員にしての発表の、丁度その日だった。
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製作年 1974年
製作国 日本
配給 松竹
上映時間 143分
[1974年10月19日(土)公開]砂の器
上映スケジュール スタッフ
監督 野村芳太郎
脚本 橋本忍 、 山田洋次
原作 松本清張
企画 川鍋兼男
製作 橋本忍 、 佐藤正之 、 三嶋与四治
音楽監督 芥川也寸志
作曲・ピアノ演奏 菅野光亮
指揮 熊谷弘
演奏・特別出演 東京交響楽団
キャスト
今西栄太郎 丹波哲郎
吉村正 森田健作
和賀英良 加藤剛
本浦千代吉 加藤嘉
本浦秀夫 春日和秀
高木理恵子 島田陽子
田所重喜 佐分利信
田所佐知子 山口果林
三木謙一 緒形拳
三木彰吉 松山政路
捜査一課長 内藤武敏
捜査一課係長 稲葉義男
新聞記者・松崎 穂積隆信
女給・明子 夏純子
三森署々長 松本克平
安本 花澤徳衛
桐原小十郎 笠智衆
女中・澄江 春川ますみ
ひかり座・支配人 渥美清
山下お妙 菅井きん
のみ屋・主人 殿山泰司
若葉荘の小母さん 野村昭子
巡査 浜村純
客 芥川也寸志
国語研究所所員桑原 信欣三
岩城署署長 山谷初男
鑑識課技師 ふじたあさや