五島・岐宿出身の田上富久長崎市長が来年4月にある統一地方選での長崎市長選に先日、出馬断念と報道された。長崎市の発展にとって非常に良い判断だ。もう自分は長崎市長ととしてはふさわしくないーと思ったのなら少しは賢明だ。
 私は呼び捨てを許してもらえるなら、まだ雲仙普賢岳噴火前だったから40年近く前の小浜(現雲仙)支局長時代から知っている。田上が長崎市の広報紙を作る担当の時からだ。彼は主査の係長待遇だった。
島原半島の各市町は団結が強く、毎年1回、広報紙作成向上の勉強会を雲仙温泉で開いていた。小浜町が幹事で、これに長崎市からの参加を呼びかけ、これに田上も出席してきたわけ。私は新聞の見出しなどのデザインを担当する整理部の経験がないので、この部分の、わが長崎新聞で一番、うまいと思う先輩を講師にと紹介、私も泊りがけで付き合った。
この時の田上は優秀な広報紙担当で、全国コンクールでも入賞していた。この研修会で各担当者はよい広報紙を作るようになったと思う。その後、幹事が代わったのと、市町村合併などもあって県内でこのような研修会が開かれているかは分からない。
私も長崎市の本社へ戻り、田上は観光課などで活躍。
長崎で、お酒などを飲んだりして、うれしくて騒ぐことを「さらく」というが、田上は五島人。何を勘違いしたか「さるく」と勘違いしたか?。ガイドとしてボランティアガイドの平和案内人の養成などをし、街を歩くことを「さるく」とし、各名所の観光案内のコースを作った。
このほか、長崎の中華街には福建省からの華僑が多く、細々としていた旧正月の行事を華僑と相談して、本場から派手な提灯などを取り寄せ「ランタンフェスティバル」をはじめ、寒くて観光客の少ない冬の長崎観光の目玉となった。
その後、都市計画などを経て初めての課長としての統計課長となった。
この人事は長崎県庁ではありえないこと。良い仕事をして意欲があると見込まれた職員は、財政、人事、市町村課の御三家に行くのが通例だ。統計課に行くという辞令をもらったら普通は、もう出世はないと覚悟する。しかし長崎市役所の人事は、財政、行政、人事課は優秀な人財が行くが、同じ優秀な人財でも、人事担当部長か市長の気まぐれか分からないが、優秀な人でも変なといったらおかしいが閑職へ行く場合も多い。
統計課長の時に、右手で平和と言いながら左手では「金よこせ」といっていた伊藤一長市長(当時の多くの職員の市長への評価だ)が市長選で銃撃されて死亡、急遽、一長の娘の夫で西日本記者と皆、市職員ならずとも「まだ定年まで10年あるのに当選できないと思われる市長選に出るとは田上は狂った」といった田上氏が出馬し、市職員は団結して田上を個別に応援。一長氏の娘婿殿には、西日本新聞がブロック紙といっても、本場福岡市でも部数戦争でも読売に負け、ほとんどの地区で他紙と比較したら最も部数減がひどいので、危機感を抱いたいた西日本新聞社は役員かどうかは知らないが最も選挙通といわれる人物長崎市に張り付かせて、長崎市を拠点に西日本新聞の部数増を願い長崎市長のしようとした。
表側では田上が財界人と面会し,財界は田上を応援するとした。裏は取材していないが、田上の故郷の五島・岐宿には長崎3区に谷川弥一代議士がおり、故郷五島の同じ地区で遠い縁戚関係だ。私は谷川は隠れて、田上を応援したとみる。その理由は後で書く。結果は1000票も離れないで田上が当選。私もそうなると思った。その夜のカメラの前で私と出身大学は同じの一長の娘が「一長が落ちるなんて」と叫んで気を失ったように見えたのを鮮明に覚えている。


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田上市政になって、数年すると、田上を自分のことのように応援した市職員時代の仲間が次々に田上の後援会などから離れた。私の「なぜ」という問いに「政治は分からない」とだけ私に言って田上から離れていき、2期目の選挙からはた谷川色が強くなって、当選を重ねると谷川の選挙と思ってきた。

これは戦争被爆都市ナガサキの市長が世界に発する平和宣言文起草委員会に出てくる。友人の取材では、戦争の加害責任を強調する人をは除し次には「平和祈念式典に来ている首相の安倍の前で平和政策を非難するのはよくない」と忖度して、国会で自民党推薦の参考人も違憲といった安保関連法案にはっきり反対といわなくなった。これは「谷川からの助言だ」と友人は取材した結果をいろんなところに書いている。

もう一つ。田上が職員時代に「さるく」「ランタン」など多くの企画をしたのに、今はコンクリート市長といわれている。豪華な市庁舎、MICE、恐竜博物館などを造り、代わって小島養生所などの保存を切りすてた。この恩恵を最も受けたのが、実質、谷川弥一代議士が経営する谷川建設だ。一代で築き、いつの間にか長崎で最も大きな建設会社となった

今月6日だったか、市議会建設水道委員会で、市民総合プールを松山総合陸上競技場に移すとのを慎重に審議する請願が出た夜、このプールに「ゼイキン市長♡ゼネコン」などとの落書きが書かれていたのを7日朝の長崎新聞に載った。これはネットニュースに載り全国に流れた。その夜に田上が不出馬意向 田上も、これを見て市民の気持ちや評価が分かったと言ってもいいが、私は、もうこれ以上、長崎市にコンクリートを造る金がなく、市長をしても、うまみがないと思ったのではないかと思っている。もう辞め時と思ったはずだ