ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

ユダヤ民族とその「不愉快な事実」

 1917年のロシア革命は人類史上初の社会主義革命だった。その革命の主導者、ウラジーミル・レーニン自身はロシア人だったが、彼の側近にはユダヤ系出身者が多数を占めていた。

 レーニンも厳密にいえば、母親がドイツユダヤ系だからユダヤ系ロシア人だ、ともいわれている。カール・マルクスもユダヤ系出身者だったことは良く知られている。すなわち、マルクス・レーニン主義と呼ばれる社会主義思想はユダヤ系出身者によって構築されたわけだ。スターリンがその後、多くのユダヤ人指導者を粛清したのはユダヤ人の影響を抹殺する狙いがあったという。


 興味深い点は、ユダヤ民族はロシア革命にユダヤ人が関与したという事実を否定してきたことだ。ノーベル文学賞受賞者のソルジェニーツィンは「200年生きて」という歴史書の中でボリシュヴィキ革命におけるユダヤ人の役割について書いている(200年とは1795年から1995年の間)。

 ソルジェニーツィン氏は「ユダヤ人は1917年革命の関与について否定し、『彼らは本当のユダヤ人ではなく、背教者(otshchepentsy)だった』と弁明する。ユダヤ人の主張を認めるなら、同じ論理でボリシュヴィキ革命を主導したロシア人は本当のロシア人ではなかったと主張できるはずだ」と書いている。
     
 冷戦後のロシアでもユダヤ系ロシア人の影響は少なくない。ソ連解体後、新興財団のオリガルヒ関係者にはユダヤ系が少なくない。代表的な人物はプーチン大統領の政敵だったミハイル・ホドルコフスキー氏だ。同氏は石油会社ユコス社元社長で昨年末、プーチン大統領から恩赦で釈放されたばかりだ。英国サッカーのプレミアリーグの「チェルシー」のオーナー、ロシアの大富豪ロマン・アブラモヴィッチ氏もユダヤ系だ(ホドルコフスキー氏の場合、父親がユダヤ人だが、母親はロシア人だ。母親がユダヤ系でない場合、正式にはユダヤ人とはいわず、ユダヤ人の父親を持っているロシア人ということになる)。

 ロシア革命とユダヤ民族の関係についてで当方の見解を少し述べる。

 ユダヤ人のイエスは2000年前、ユダヤ社会で指導的立場にあった聖職者や指導者から迫害され、十字架に処刑された。「復活のイエス」からキリスト教が誕生し、その教えは多くの殉教の歴史を経ながら古代ローマ帝国で公認宗教となった。しかし1054年にキリスト教は東西両教会に分裂(大シスマ)。現在のロシアには東方教会が伝達され、ロシア正教会が広がっていった。
 そして1917年、ロシアで唯物思想の無神論国家を目指す社会主義革命が発生した。その背後に、2000年前イエスを殺害したユダヤ民族の末裔たちの影響があった。
 イエスを殺害したユダヤ民族は“メシア殺害民族”という追及から逃れるためロシアで革命を支援し、無神論社会を構築していった。そしてロシア革命への関与を追及されると、「彼らは決して本当のユダヤ人ではなく、ユダヤの背教者だった」(ソルジェニーツィン)と突っぱねてきたわけだ。

15歳の少女がシリア内戦に参戦?

 ムスリム同胞団の本部がロンドンからグラーツなどに移動した……というニュースが流れてきた。英国のデイリー・メール紙が13日付で報じた。グラーツ市(Graz)はオーストリア南部の第2の都市で人口約25万人だ。

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▲グラーツ市の時計塔(グラーツ市観光局のHPから)

 ムスリム同胞団のグラーツ市拠点説は決して新しいニュースではない。当方は「アルカイダは本当に弱体したか」(2009年9月15日)というコラムで「ムスリム同胞団はジュネーブ、アーヘン、ミュンヘン、そして現在、ロンドン、ブリュッセル、グラーツなどで活発な活動をしている。警戒を要する」と書いたことがある。そのグラーツ市がムスリム同胞団の主要拠点となったというのだ。

 そこで当方にグラーツ拠点説を教えてくれたイスラムテロ問題専門家、アミール・ベアティ氏に電話で今回の英メディアの報道について聞いてみた。

 「グラーツ市にはムスリム同胞団の事務所はある。ただし、それが即、ムスリム同胞団の本部とは断言できない。ムスリム同胞団はエジプトから始まったイスラム教根本主義グループだ。アルカイダの創始者ウサマ・ビンラディンやアイマン・ザワヒリ、ナイジェリアの『ボコ・ハラム』、ソマリアのアル・シャハブ、ヒズボラ、そしてハマスまで現在のイスラム過激派組織の母体だ。本部はエジプトだが、彼らは公の事務所と秘密拠点の2か所所を持っている。グラーツ市の場合、ムスリム同胞団の東欧責任者が潜伏しているから、重要拠点であることは間違いない」という(「イスラム世界の『クトゥブ主義』」2013年7月14日参照)。

 メディア関係者の問い合わせに対して、オーストリア連邦憲法保護・テロ対策局(BVT)関係者はグラーツ市拠点説について肯定も否定もしていない。ベアティ氏は「当然だ。事務所の存在は掴んでいるが、詳細な点が不明だからだ」と説明する。ちなみに、オーストリアに約1300人の同胞団メンバーがいると推測されている。

 最近、15歳と16歳の2人のイスラム教徒のギムナジウムの少女が突然、シリアに行き、反体制派活動に関わっているという情報が流れ、ウィーンの学校関係者ばかりかオーストリア社会全般に大きなショックを投じたばかりだ。「どうして若い女性が突然、シリア反体制派過激派活動家になったのか」という問題だ(「ホームグロウン・テロリストの脅威」2013年9月12日参照)。

 ベアティ氏は「ムスリム同胞団らイスラム過激派は欧州のイスラム教徒(ユーロ・イスラム、欧州で約1400万人)をオルグし、危険な地域に戦士として送っている。欧州社会はムスリム同胞団が危険なテロ組織であることを認識すべきだ」と指摘、ムスリム同胞団の非合法化を要求している。ムスリム同胞団の発祥の地エジプトでは昨年12月、テロ組織に指定されている。

なぜモスクワ特派員は「本」を書くか

 「プーチン大統領はクリミアの併合に成功し、国内で支持率を高めているが、同国の反体制派活動家は『プーチン氏の終わりの始まりだ』と予測しているよ」

 ロシア語が堪能な友人のブルガリア人国連記者はこのように語る。
 「欧米はスロバキア経由でウクライナへガスを供給することを考えている。一方、原油価格が1バレル100ドルを割り、70ドル、60ドルに急落すればプーチン氏は終わりだろう」というのだ。

 同記者のロシア分析を更に聞いてみよう。

 「もちろん、プーチン氏も何もせずして静観はしていない。中露両国はガス供給に関する交渉を10年余り続けてきたが、来月には締結する予定だ。交渉が長期化したのは、中国がロシア産ガスの価格を欧州レベル以下にしてほしいと強く要求してきたからだ。欧米側がロシア産ガス依存度を弱めていけば、今度はロシア側が大変だ。外貨獲得のために原油、ガス輸出先が急務となる。最大の顧客は中国だが、ロシアの台所事情を知っているので、北京側も価格交渉では強硬姿勢を崩していない」というのだ。

 「クリミア併合でロシアへの外国投資はストップ、外貨も海外に流出している。プーチン氏はオリガルヒ関係者の出国を止めている。だからモスクワは現在、世界で最も多くの富豪が住んでいる都市だ」という。

 「一方、英国サッカーのプレミアリーグの『チェルシー』のオーナー、ロシアの大富豪ロマン・アブラモヴィッチ氏はモスクワに帰国しないだろう。危険だからだ。そういえば、ロシア政権に批判的だったロシア人富豪ボリス・ベレゾフスキー氏は昨年3月、謎の死を遂げている」

 「プーチン氏は国内経済の破綻から国民の批判をかわすためにクリミア併合を画策したのだ。ソチ冬季五輪大会で巨額の資金を投入し、国家の威信を内外に示したが、国内経済は完全に停滞している。そこでプーチン氏はクリミア併合という作戦に出てきたというのが、ロシア反体制派グループの主張だ」

 「プーチン氏はここにきて反体制派メディア、ネットの検閲を強化してきている。2、3の著名なブロガーのアクセスは閉鎖されている。プーチン氏は独裁者の道をまっしぐらに突き進んでいる。レオニード・ブレジネフは18年間、ヨシフ・スターリンは30年間、政権に君臨してきたが、プーチン氏はスターリンを越えるのは難しいが、少なくとも24年間の長期君臨を狙っているはずだよ」というのだ。

 友人はロシア人の反体制派政治家や海外亡命中の活動家のサイトを毎日、注意深くフォローしている。彼は「モスクワ駐在の西側特派員は必ずといっていいほど本を出版する。どうしてなのか君は知っているか。ロシアには毎日、考えられないほど多くの出来事が起きているからだよ。君もモスクワに駐在すれば、数冊の本は出せるよ」と、笑いながら語った。

なぜ人は武器を買い求めるのか

 米国の話ではない。音楽の都ウィーン市で武器所持カートを申請する市民が急増してきたのだ。10年前の2004年、334人(合計1万9707人)が武器所持カードを申請したが、昨年はその数は975人(2万3573人)とほぼ3倍に急増したという。

 なぜウィーン市民は武器を求めだしたのだろうか。一般的には、武器購入の動機は家宅侵入窃盗犯や暴力犯罪から自分の命と財産を守ることにある。その背後には、犯罪の急増があることは明らかだ。

 オーストリアの2013年の犯罪総件数は54万6396件で前年比で0・3%減(1631件減)だったが、首都ウィーン市(特別州)の昨年犯罪総件数は21万2503件で前年(20万355件)比で4・7%増加している。家宅侵入窃盗件数は2010年以来減少傾向にあったが、昨年は1万6548件と前年比(1万5454件)で7・1%増加。特に、ウィ―ン市では東欧犯罪グループによる家宅侵入が増えている。

 ウィーン市内の武器販売店関係者によると、「市民は犯罪の増加を懸念している。その一方、警察官に自身の安全を委ねることに不安を感じだしてきた」(メトロ新聞ホイテ)と指摘し、市民が自衛手段として武器を求めだしてきたというのだ。
 
 オーストリアでは1997年7月に現行の武器法が施行された。武器を購入、保有するためには武器所持カード(Waffenbesitzkarte)が必要であり、携帯には武器パス(Waffenpass)が求められる。
 基本的には18歳以上の国民は武器所持を申請できるが、武器のカテゴリーによっては21歳以上と制限されている。職業上、武器の携帯が認められているのは治安関係者のほか、ガソリンスタンドやタバコ屋さん、タクシー運転手などの職種に従事している関係者だ。 

 オーストリア内務省は2月27日、首都ウィーンの98カ所の警察署のうち16カ所の閉鎖を決定したばかりだ。市民の不安は高まってきているから、武器を買い求める市民が今後も増えてくるだろう。

 ちょっと脱線するが、オーストリア警察官には優秀な拳銃の使い手が多く、的を外さないという話を紹介する。

 警察官がスーパーに侵入しようとしていた犯人を目撃した。警察官は若い犯人に声をかけた。犯人が振り向いたとき、武器を所持していると思った警察官は直ぐに拳銃を抜いて撃った。それも心臓にだ。

 その事件前にも警察官が逃げる犯人を射殺したという事件があったことから、「なぜ警察官は犯人を簡単に射殺するのか」という議論が湧いた。
 若い犯人の場合、まだ何もしていない段階で射殺されてしまったのだ。警察官が自衛のために撃つのなら心臓を狙うのではなく、足とか手などを撃てば良かったはずだ、といった批判の声が当然聞かれた。

 調査で判明したことは、犯人を見つけた警察官が慌てて拳銃を抜いて撃ったというのだ。手か足を狙って犯人を取り押さえる、といった余裕はなかった。日頃訓練を受けている警察官ですら武器を正しく使用するのは容易ではないわけだ。

日韓両国は今こそ世界を驚かせ

 日韓外務省局長級会議が16日、ソウルの外務省で開催される。テーマはウクライナ情勢への支援問題に関する協議だ。世界の主要国の一員として両国がウクライナ問題に対し、連携して貢献を果たしていくために話し合いが行われる。
 と、書きたいところだが、残念ながら、ソウル外務省で開催される両国局長級会議の議題はウクライナ問題ではなく、70年前の慰安婦問題だ。なぜ、残念なのかを少し説明したい。

 慰安婦問題とその女性の人権を軽視しているからではない。アジアの代表的国家の日本と韓国両国がウクライナ問題の対応とその支援問題を協議するならば、米国を含む欧米諸国はまず驚くだろう。地理的にも、経済的にも関係の薄いウクライナの情勢について、アジアの両国がその対策で頭を痛めるということがあったならば、欧米諸国は両国を見直すだろう。

 実際は、両国の局長級が慰安婦問題を話し合う。両国の立場ははっきりとしている。韓国側は日本に謝罪と補償を要求している。日本側は1965年の日韓請求権協定で解決済みという立場だ。
 それぞれが自国の立場を繰り返し主張することになるから、協議の成果などは期待できない。しかし、オバマ米大統領の日韓訪問を前に何らかの外交的歩み寄りを勝ち取りたいというのが両国側のささやかな願いだろう。

 一方、世界情勢に目をやると、北朝鮮問題だけではない。シリア内戦問題、ウクライナ問題から中東・北アフリカ諸国の民主化運動、南スーダン紛争、イスラエル・パレスチナ問題など、世界の平和の動向に密接に関係するテーマが文字通り山積している。

 日本はそれらの問題に経済的支援などで関与しているが、政治的、外交的な貢献は少ない。一方、韓国はどうか。韓国は国連軍の派遣などで一部、関与しているが、その貢献度は更に微々たるものだ。

 両国が過去の問題にエネルギーと人材を浪費するより、未来の平和実現のためにその経済力、国力を投入すべき時ではないだろうか。両国が世界平和実現のために連携して活動できれば、両国の評価は高まることは間違いない。それだけではない。両国間の過去の問題も自然に解けていくのではないか。なぜならば、両国が他国の問題解決のために汗を流すことで相互間の理解が深まっていくからだ。

 過去問題を解決しない限り、未来の関係構築はあり得ないという姿勢は余りにも教条的であり、単細胞的な思考だ。日韓両国は今こそウクライナ問題を真摯に話し合うべきではないだろうか。そうすれば、世界が驚く。

「復活祭」とは何を意味するか

  世界に約12億人の信者を有するローマ・カトリック教会は20日、キリスト教最大のイベント、復活祭を迎える(復活の主日から聖霊降臨までの7週間を「復活節」と呼ぶ)。ローマ法王フランシスコは復活祭が終わると、27日にはヨハネ23世(在位1958−63年)とヨハネ・パウロ2世(在位1978〜2005年)の列聖式を挙行する。5月24日からは法王の中東の聖地巡礼がいよいよ差し迫ってくる。77歳の高齢フランシスコ法王にとってストレスの多い日々が続く。

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▲「シュロ枝の主日」を祝うカトリック教会(2014年4月13日、ウィーン16区で撮影)

 イエス・キリストが十字架で亡くなった後、3日目に蘇ったことを祝う「復活祭」は移動祝日だ。今年は4月20日だ。英語でイースターと呼ばれる復活祭は、キリスト教会ではイエス・キリストの生誕を祝うクリスマスと共に、最大の宗教行事だ。
ただし、キリスト教の誕生という意味では、“復活したイエス”によってキリスト教が始まったことから、復活祭が最も重要なイベントといえるだろう。

 十字架で亡くならなかった場合、イエスはユダヤ教の土台でその教えを宣布すればいいだけだったが、ユダヤ教指導者たちの反対と弾圧の結果、十字架で亡くなられた。そのため、イエスは復活後、ばらばらになった弟子たちを呼び集め、その教えはローマに伝えられていった。初期キリスト教時代の幕開けだ。

 聖週間を紹介する。13日は復活祭前の最後の日曜日だ。エルサレム入りしたイエスをシュロの枝で迎えたことから「シュロ枝の主日」と呼ぶ。17日は復活祭前の木曜日で、イエスが弟子の足を洗った事から「洗足木曜日」と呼ぶ。イエスは十字架磔刑の前夜、12人の弟子たちと最後の晩餐をもった日だ。ローマ法王はサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂でイエスの故事に倣って聖職者の足を洗う。18日は「聖金曜日」でイエスの磔刑の日であり、「受難日」「受苦日」とも呼ばれる。そして19日夜から20日にかけ法王は復活祭記念礼拝を挙行し、サン・ピエトロ大聖堂の場所から広場に集まった信者たちに向かって「Urbi et Orbi」(ウルビ・エト・オルビ)の公式の祝福を行う。

 復活したイエスに出会った弟子や信者たちは厳しい迫害にもかかわらず神を賛美し、キリスト教は313年、迫害するローマ帝国でミラノ勅令によって公認宗教となった。しかし、聖霊に満ちた時代が過ぎると、教会でさまざまな問題が生じ、キリスト教は1054年には東西に分裂(大シスマ)。中世時代に入ると、教会は腐敗と堕落が席巻。宗教改革を経験した後、20世紀には神の不在を説く唯物主義、共産主義が台頭し、「神は死んだ」といわれる世俗時代に入っていった。

 しかし、「死んだ」といわれてきた宗教はここにきて再び台頭してきた。分裂を重ねてきたキリスト教は再統合し、別々に発展してきた宗教は共通の教えを模索する一方、科学は非物質世界の存在に迫ってきた。

 当方はこのコラム欄で「万能細胞が甦らせた『再生』への願い」(2014年3月14日)を書き、科学と宗教の両分野で「再生」が時代のキーワードとなってきたと指摘した。

 「復活のイエス」から始まった2000年間のキリスト教の歴史は、イエスが当時成し得なかった課題を実現できる新しい時代圏を迎えている、といえるだろう。

なぜプラハの市民は神を捨てたのか

 当方はこのコラム欄で「日本は世界4番目の無宗教国家だ」という記事を書いた。その際、世界1番の無宗教国家がチェコであると紹介した。それに対し、「中欧のチェコがどうして世界で最も無宗教なのか」と不思議に思われた読者もおられたと聞く。そこでなぜ、チェコ国民は無宗教が圧倒的に多いのかについて、当方の考えを紹介する。

 まずワシントンDCのシンクタンク、「ビューリサーチ・センター」の宗教の多様性調査のチェコ欄を紹介する。キリスト教23・3%、イスラム教0・1%以下、無宗教76・4%、ヒンズー教0・1%以下、民族宗教0・1%以下、他宗教0・1%以下、ユダヤ教0・1%以下だ。無神論者、不可知論者などを含む無宗教の割合が76・4%なのだ。キリスト教文化圏で考えられない数字だ。

 冷戦時代、当方はチェコのローマカトリック教会最高指導者、トマーシェック枢機卿と数回、会見したが、枢機卿が「自分はハベル氏(旧チェコスロバキア元大統領、チェコ共和国元大統領)を信者にしたかったが、出来なかった」と笑いながら語ってくれたことを思い出す。
 バツラフ・ハベル氏(Vaclav Havel)は当時、著名な劇作家であり、反体制派グループ「憲章77」のリーダーだった。同氏は後日、民主選出された初代大統領となったが、2011年12月に亡くなるまでカトリック教会とは一定の距離を置いていた。

 チェコは昔、カトリック教国だった。それがヤン・フスの処刑後、同国ではアンチ・カトリック主義が知識人を中心に広がっていった。チェコ国民の無宗教は厳密にいえば、反カトリック主義だ、といわれる所以だ。

 ヤン・フス(1370〜1415年)はボヘミア出身の宗教改革者だ。免罪符などに反対したフスはコンスタンツ公会議で異端とされ、火刑に処された。同事件はチェコ民族に今日まで深く刻印されてきた。歴史家たちは「同国のアンチ・カトリック主義は改革者フスの異端裁判の影響だ」と説明するほどだ。

 民主化後、東欧諸国の中でチェコ国民が急速に世俗化の洗礼を受けていったのは決して偶然ではないだろう。旧東独の民主化運動の拠点であったロストックやライプツィヒの福音派教会の信者たちが民主化後、一斉に姿を消していったように、チェコ国民は教会から益々距離を置いていったわけだ。もちろん、共産政権時代の無神論教育の影響も無視できない。

 ちなみに、故ヨハネ・パウロ2世は西暦2000年の新ミレニウムを「新しい衣で迎えたい」という決意から、教会の過去の問題を次々と謝罪した。ユグノー派に対して犯したカトリック教会の罪(1572年)、イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイの異端裁判(1632年)と共に、異端として火刑に処せられたフスの名誉回復を実施している。

 クラウス前大統領が欧州連合(EU)のリスボン条約に強く反発し、その批准書の署名を拒否し続けたことがあったが、チェコの知識人にはブリュッセルを中心としたEU機構に強い不信感がある。換言すれば、権威者に対する払拭できない不信感が強いのだ。フス事件の残滓といわれる現象だ。なお、来年はフス死後600年を迎える。

なぜ「教会の鐘」を鳴らすのか

 オーストリアのチロル州ランデック群のフリース村で夜の教会の鐘を止めるべきかどうかでちょっとした議論があった。オーストリア放送がHPで紹介している。

 フリースに宿泊する旅行者やホテル業者から、「深夜の教会の鐘はうるさい」という苦情が出てきた。現地の教会神父は、「教会の鐘が時間を告げた時代は既に終わっている」として、その苦情を受け入れ、教会の鐘を夜10時15分から翌日早朝5時45分の間、鳴らすことを止めた。

 これで本来、「教会の鐘」騒動は一件落着だが、今度は教会信者たちから、「教会の鐘をどうして止めたのか」と文句が出てきたのだ。信者の中には、「教会が鐘を鳴らさないのならば、教会から脱会する」と警告を発する者すら出てきたのだ。驚いたのは、教会側だ。信者たちが「教会の鐘」をそれほど大切にしていたと考えていなかったからだ。

 敬虔な信者たちは、「教会近くには2件のディスコがある。うるさい音楽が早朝まで流れてくる。その騒音は教会の鐘よりうるさい」というのだ。一晩中、ディスコの騒音は受け入られるが、1分余りの教会の鐘はうるさい、という苦情は到底理解できないというのだ。

 欧州を初めて旅した日本人には「教会の鐘」がうるさいと感じる人は少ないだろう。旅の風景の一つとして考えるだろう。
 当方が取材でボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボを訪問し、ホテルに宿泊していた時、ホテル近くのイスラム寺院のミナレットから祈りの時間を知らせる「アザーン」が鳴り響いてきた。イスラム教徒は1日5回の祈りが義務付けられているが、最初のアザーンは早朝4時前後に流れる。それを聞いて、「ああ、ここはイスラム教圏だなあ」といった感慨を持ったものだ。
 
 「アザーン」も「教会の鐘」も信者の日常生活にとっては必要不可欠なものだが、信者でもない旅行者や異邦人にとって、一定の許容範囲を超えると騒音以外の何ものでもなくなる。
 日本では過去、隣りのピアノの音がうるさい、ということで隣人を殺害した「ピアノ殺人事件」があったが、「音」の問題は、被害者の立場でないと、なかなかその悩みが理解できないだろう。

 「教会の」鐘問題に戻る。教会の鐘がうるさいとして裁判争いになったこともあるが、多くはケース・バイ・ケースで処理されてきた。都市の「教会の鐘」か、それとも田舎の「教会の鐘」かで状況は異なるうえ、苦情者の立場もさまざまだからだ。

ドイツ人はロシア人を理解する

 当方はこのコラム欄で「なぜプーチン氏を擁護するのか」(2014年3月29日)を書き、2人の元独首相の発言を紹介したが、独週刊誌シュピーゲル最新号(4月7日号)はドイツとロシアの複雑な関係を興味深く分析した記事を掲載している。クリスティーネ・ホフマン記者の「心の友」(Die Seelenverwandten)と題する記事だ。ウクライナ問題で揺れるドイツとロシアの両民族関係を知る上で非常に参考になる。

 ホフマン記者は、「ドイツとロシアは特別な関係がある」という。ドイツ人はロシア人の未開性を軽蔑する一方、ロシア文化を尊重し、ロシアの民族魂に心酔するといったアンビバレント(相反する)な感情を抱いているというのだ。

 ドイツは過去2回の大戦を経験し、ロシアと戦ってきた。その後、40年間余り、旧東独はソ連の支配下にあった。2回の大戦でドイツはロシア民族に多くの犠牲者をもたらしたが、ロシアは終戦後、ナチスの犠牲となった他のオランダや北欧諸国とは違い、ドイツの戦争責任を激しく追及することはなかった。両国関係は過去問題で日中関係のように険悪な関係に陥ったことはないのだ。

 同記者は、「ロシアはドイツとの大戦を共同体験と受け取り、大戦を通じて両国関係は成長してきたと考えている」という。ロシアに収容されてから帰国したドイツ兵士たちはロシアの悪口を吐くものは少ない。「ロシア人は素朴で荒々しいが、想像を絶するほど心情的であり、精神的な民族だ」と証するドイツ兵士が多いという。

 ドイツ人のロシア民族への好感はドイツ民族自身のアイデンティティと密接な関係があるからだ、という意見すら聞かれる。「ロシア兵士たちはウォッカを飲みながら、捕虜のドイツ人兵士の歌に涙を流しながら聴き入った」というのだ。

 欧州には根強い反米主義が見られるが、ドイツ人の場合はそれだけではない。西欧文化の浅薄性を嫌悪し、東欧のロシア文化の深い精神性に憧れるという。

 クリミア半島の併合問題で深刻化してきたウクライナ問題はドイツ人に厳しい選択を迫っている。欧州の盟主としてロシアの覇権主義を批判し、制裁を要求する一方、「欧米諸国の欺瞞性を指摘する声」も同時に聴かれる。ドイツ国民の半分はロシア側の主張に理解を示しているといわれる。欧米諸国の中でドイツ人ほどロシア民族を理解し、好感を抱いている民族はないのだ。

 プーチン氏の政策に理解を示すのはシュレーダー氏やシュミット氏の2人の元独首相だけではない。経済的な利害関係だけではない両民族のつながりを無視しては理解できないことだ。広い大陸に展開するロシア民族の文化、精神性に対し、ドイツ民族には抑えることができない憧れがあるのだろう。冷戦時代のブランド元独首相(Willy Brandt、任期1969〜74年)の“東方外交”はそのような背景から生まれてきたのかもしれない。

欧州で「ファミリー番組」は終わった

 欧州で最も成功したテレビ・ショー、ドイツ公営放送ZDAの「ヴェッテン・ダス」(‘Wetten, dass…?’)が今年末で終了することになった。ドイツ語圏メディアは7日付けで長寿番組の終了宣言をトップ・ニュース扱いで一斉に報じた。

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▲「ヴェッテン・ダス」の終了を大きく報道するオーストリア日刊紙(2014年4月7日、撮影)

 ショーマスターのマルクス・ランツ氏(Markus Lanz)は5日夜、番組終了間際、「ヴェッテン・ダスは夏休み後、3回行った後、終了することになった」と突然、明らかにしたのだ。

 フランク・エルストナー氏(Frank Elstner)が1981年、初めて「ヴェッテン・ダス」を始めてから33年間、ドイツ語圏の最大のエンターテーメント番組として定着してきた。番組では、世界的な人気歌手やハリウッドのスターを招き、談話し、人気歌手の歌を聴き、そして視聴者が参加するゲームを占う。番組はドイツ、スイス、オーストリアのドイツ語圏のほか、中国、イタリア、ロシアまでも放送されてきた。

 視聴者数最高記録は1985年2月9日の番組で2342万人だ。平均1500万人が視ていた。文字通り、大看板の番組だった。例えば、キング・オブ・ポップスのマイケル・ジャクソンがゲストの時(1995年11月4日)、約1900万人が番組を追った。

 ZDF側も看板番組として力を入れ、高い出演料を払ってハリウッドの俳優、世界的人気歌手を番組に招いた。1回の番組製作費も200万ユーロにもなったという。

 しかし、ここ数年、番組に陰りが見えてきた。具体的には、視聴者数の減少だ。民間放送が若者向けの番組「スター誕生」などを放送し、視聴者合戦が激しくなってきたこともある。
 オーストリア日刊紙プレッセ(3月7日付)の文化部記者は「ドイツ社会で家庭が崩壊し、家族揃って、テレビの前に座って番組を見るという情景が少なくなってきたことも影響している」と述べている。
 ドイツ社会は少子化であり、核家族だ。お爺ちゃん、お婆ちゃん、両親、子供たちがテレビの前で一緒に番組を視るという光景は現在、ほとんど見られなくなった。現代は一人一人がスマートフォンやインターネットで好きな音楽や動画を楽しむ傾向が強い。欧州一の長寿番組の終了は、ファミリー番組が今後一層難しくなることを端的に示している。換言すれば、ドイツを含む欧州では、ファミリー番組はもはや成功しない、というわけだ。

 番組の終了を早めたのは2010年12月4日の番組で、走る車に向かってジャンプするゲームに出演した青年が失敗し、大怪我。青年は背骨を負傷し、歩行不能者となるという不祥事が起きたことだ。人気者の司会者トーマス・ゴチャルク氏(Thomas Gottschalk)は、「番組を継続して司会できなくなった」として番組から下りることを表明した。

 同氏の後継者のランツ氏は2012年、番組を軌道に乗せるために努力したが、彼のショーマスターとしての器量の足りなさに不評が多かったこと、番組に招かれたゲストのレベルが落ちる一方、ドイツ人ゲストが増えていったこともあって、視聴者数の減少を止めることができなかった。視聴者数は最近では550万人程度だったというから、全盛期の3分の1だ。

 欧州のテレビ関係者は「ZDFは、番組をしばらく休んだ後、人材を一新してヴェッテン・ダスを再開するだろう。なぜならば、視聴者数が減少したといってもまだ約600万人が観ているのだ。ZDF関係者はその番組を完全に終わらせることはないはずだ」と予想している。

 
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