ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

「天使」には本来、翼がなかった

 欧州の街は今、クリスマス一色だ。足早にプレゼントを買う人々、仕事帰りにクリスマス市場に出かけ、ワインやラム酒に砂糖やシナモンを混ぜて暖かくしたプンシュ(Punsch)を飲む人々の姿が見られる。日が暮れると家々の窓からクリスマスの飾りの光が外にこぼれてくる。Christkind の訪れを待つ小さな子供たちは、願い事を託して楽しみに待つ。

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▲ペーテル・パウル・ルーベンスの絵画「聖母被昇天」(天使には翼が付いている)

 ところで、クリスマスになると、忙しくなるのは天使たちだ。「天使」といってもピンとこない人が多いだろう。聖書によると、天使は神の僕であり、神に頌栄を捧げる存在だ。天使には、ルーシェル、ガブリエル、ミカエルの3大天使がいる。例えば、聖母マリアへの受胎告知は天使ガブリエルの業だった。

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▲聖シュテファン大聖堂近くのクリスマス・ツリー(2014年12月17日、ウィーンで撮影)

 「天使」といえば愛らしい存在と考えやすいが、残念ながら事実ではない。17世紀の英国詩人・ジョン・ミルトンの「失楽園」(Paradise Lost)の中で記述されているように、天使(ルーシェル)は人類始祖を罪に誘っている。すなわち、“堕落した天使”だ。ただし、ここではクリスマスの雰囲気を壊すので“堕落天使”の話はしない。

 「神の使い」として創造された天使には翼があるというイメージがあるが、「天使にはもともと翼がない。4世紀半ばに入って初めて翼をもつ天使が登場してきた」という考古学の研究がこのほど明らかになった。カトプレス通信が14日、ボン発で報じた。

 同通信によると、独ボン大学キリスト教考古学研究所は紀元前1000年から紀元後1000年の2000年間の269件の考古学文献や絵画、ミイラなどを研究した。それによると、天使は当初、翼はなかった。翼をもつ天使が初めて文献や絵画に登場したのは紀元後4世紀半ばに入ってからだ。“神の使者”天使は短い服を着、小さな棒をもった男性として描かれてきたが、ローマ神話の“勝利の女神ヴィクトーリア”(翼をもつ)のイメージと合流し、翼のある存在として変身していったというのだ。
 天使は霊的存在だからもともと翼はいらないが、時空を超えた存在であることを強調するため翼を付けて描かれ始め、時間の経過と共に今日の“天使像”となっていったのだろう。

 当方はこのコラム欄で「天使と交信出来る王女様がいる」という話を書いた。ノルウェー王ハーラル5世とソニアの長女としてオスロで誕生したマッタ・ルイーゼ王女(43)は2002年、同国の作家アリ・ベーンと結婚し、3人の娘さんがいる。2012年2月、エリザベス・ノルデング女史との共著で「天使の秘密」というタイトルの本を出版している。天使に関する2冊目の本だ。天使の存在を人々に紹介したいから本を出版したという。王女によると、「天使は私たちの周辺にいて、私たちを助けたいと願っています」という。王女は幼い時から天使と交信してきたという。(「『天使』と交信できる王女様」2012年8月24日参考)。

 ルイーゼ王女の前に出現する天使は翼を付けているのだろうか、それとも翼のない本来の姿だろうか。一度、尋ねてみたいものだ。
 クリスマスが近づいてきた。読者の皆様には楽しいクリスマスを迎えていただきたい。

ワシントン・ポスト紙の挑戦

 独週刊誌シュピーゲル最新号(12月15日号)に興味深い記事が掲載されていた。米紙ワシントン・ポストの現状だ。オンライン通販の最大手アマゾン・コムのジェフ・ベゾス会長(Jeff Bezos)が昨年8月、2億5000万ドルを投入して同紙を買収した話は聞いていたが、同会長の下、ワシントン・ポスト紙がデジタル時代のメディアに生まれ変わるため死闘を繰り返しているというのだ。以下、シュピーゲル誌の記事を紹介する。

 先ず、ワシントン・ポストの部数(月曜日から金曜日)の動向を見てみると、2000年は81万3000部あったが、04年77万3000部、08年67万3000部、12年46万7000部と年々減少し、今年は37万7000部まで後退した。2000年比で53.6%の急減だ。世界のメディアはどこでもデジタル時代の到来でプリント部数が激減し、生き残りに苦慮しているが、メディア界の雄、ワシントン・ポスト紙も例外ではないわけだ。

 同紙は2003年以来、人材削減をくりかえし、これまで400人が解雇されている。ところが、オーナーがグラハム氏からアマゾン創業者のベゾス会長に交代して以来、ワシントン・ポスト内で大きな価値観の転換が進行中だ。同紙関係者は137年のワシントン・ポスト紙の歴史を、ベゾス氏就任前(Before Bezos,B・B)とベゾス氏就任後(After Bezos,A・B)に区分して呼んでいるほどだ。簡単にいえば、ワシントンDCを中心とした地方紙時代から読者を世界に広げたデジタル新聞への大転換だ。

 ピューリッツァー賞を獲得した記者を多く抱え、ウォーターゲート事件ではリチャード・ニクソン米大統領を辞任(1974年8月)に追い込むなど、数多くのメディアとしての業績を誇るワシントン・ポスト紙だ。彼らはプリント紙の歴史に誇りを持っている。それだけに、価値観の転換は容易ではなかったはずだ。

 ワシントン・ポスト紙は1996年6月にWebを開始。ニュース担当の責任者スティ―ブ・コル氏は2003年5月、インターネットはポストに大きなチャンスを与えると考え、ドン・グラハム会長(当時)に全国に読者を広げたデジタル新聞を打診しているが、グラハム会長は首都ワシントンDCのメディアに固執、インターネットを利用した全国紙化案を拒否している。
 しかし、オンライン通販の最大手アマゾン・コム創業者が昨年夏、オーナーに就任したことで、ワシントンDCを超えて全国版デジタル新聞に乗り出す絶好の機会が到来したわけだ。具体的には、Websiteを強化し、Morning Mix、PostEverythingなどを始めた。今年9月段階でWebsiteのユーザー数は4700万人で、1年前に比べ47%急増している。

 ワシントン・ポスト紙が首都ワシントンDCのメディアを脱皮し、全米で最も多くの国民に読まれるメディアに成長できるだろうか。アマゾン・コム—キンドル電子書簡ーワシントン・ポスト紙を掌握するベゾス会長の次の一手が注目される。

独の「反イスラム運動」はネオナチ?

 独ザクセン州の州都ドレスデン市で15日、約1万5000人の市民がデモを行った。デモ主催者は、「西洋のイスラム教化に反対する愛国主義欧州人」( "Patriotischen Europaer gegen die Islamisierung des Abendlandes" (Pegida) だ。独週刊誌シュピーゲル電子版によると、参加者は「フラストレーション、不安、そして怒りを感じている市民たちが自分の懸念を表明するために集まってくる」という。

 同市では先週月曜日(8日)にも、約1万人が同様のデモを行った。Pegida は日本人が多く住むデュッセルドルフやカッセル市(ヘッセン州の都市)でも同様のデモ集会を開催している。彼らは「イスラム教の拡大に恐れを感じ、自国文化の異文化を懸念している」という。そして口々に‘Wie sind das Volk’(われわれは国民だ)と叫ぶ。

 同運動がドイツ全土に拡大する気配を見せていることから、独連邦政府関係者もその動向に注意を払いだしてきた。与党の「キリスト教民主同盟」(CDU)や社会民主党、野党の「緑の党」、左翼党関係者は Pegida 運動には批判的だ。例えば、旧東独出身のヨアヒム・ガウク大統領は「彼らは秩序破壊者だ」と批判し、ノルトライン・ヴェストファーレン州のラルフ・イェガー内相は「彼らはネオナチだ」と酷評している。

 ところが、トーマス・デメジエール連邦内相がここにきて、「彼ら(Pegida)は国民の不安や懸念を代弁している。われわれは彼らの懸念を深刻に受け取るべきだ」と指摘、平和なデモを行う同運動を連邦政治家として初めて評価している。

 Pegida 参加者は「移住者殺到は限界に達している。経済難民を受け入れるべきではない」と叫ぶ一方、ロシアと対立する北大西洋条約機構(NATO)に反対を叫ぶ者もいる。その主張は多種多様だ。労組や政党主催のデモではなく、一般市民が日頃不満を感じている内容を叫んでいる、といった感じがするほどだ。主催者側によると、「デモは平和的に行う。それを守る限り、誰でもデモに参加できる」という。

 同デモには、"Hooligans gegen Salafisten" (Hogesa)や極右派活動家も参加しているが、彼らは異口同音にPegida運動の動員力に驚いている。「われわれが動員できる数は数百人程度だが、彼らはその数倍の参加者を動員する」という。

 Pegida のリーダー、ルッツ・バハマン氏(Lutz Bachmann)は「われわれは過激なイスラム教徒に反対し、自国のイスラム化に反対する」と述べている。それに対し、シュピーゲルは「興味深い点はザクセン州に住むイスラム教徒は全体の0・1%、約4000人に過ぎない。彼らのイスラム化の懸念はかなり主観的な感情に基づいている」と分析している。
 ちなみに、ドイツ全土には約450万人のイスラム教徒が住んでいる。20年前にはその数は270万人に過ぎなかったから、20年間でほぼ倍化している。また、Pegida が恐れている過激なイスラム教徒(サラフィスト)の数は独連邦憲法擁護局によると、約7000人だ。

(以上、シュピーゲル誌の概要を紹介)

 ドイツが東西両ドイツに分裂していた時代、旧東独のドレスデン市はライプツィヒ市と共に、反政府運動の拠点だった。ドイツ再統一が実現して25年が経過しようとしている時、旧東独のドレスデン市を中心に反イスラム・デモが発生してきたわけだ。彼らは旧東独時代の亡霊か、それとも新しい草の根運動の芽生えだろうか。ここ暫くはPegida運動の動きを注視する必要がある。

日本共産党への警戒を緩めるな

 日本で14日、総選挙の投開票が行われ、大方の予想通り、安倍晋三首相が率いる自民党が議席291、公明党と合わせて与党326議席と3分の2以上の議席を獲得して圧勝した。総選挙の結果を受け、第3次安倍政権がスタートする。

 安倍首相の早期議会解散、総選挙の実施は大きな賭けだったが、成功したわけだ。アルプスの小国オーストリアでも14日夜、日本の総選挙結果を報道し、安倍首相の笑顔を映し出していた。オーストリア通信は「弱い野党勢力が与党自民党の大勝利の主因」と分析する記事を発信していた。
 民主党は議席を微増させたが、自民党を脅かすには余りにも貧弱だった。維新も前回ほどの勢いがなかった。同党は分裂後、党の態勢立て直しができないまま、選挙戦に突入してしまった。橋下徹共同代表が指摘していたように、準備不足は明らかだった。

 総選挙結果で驚いたのは共産党の躍進だ。8議席から21議席と大きく議席を伸ばした。同党の躍進について、「共産党は国民の政府批判票の受け皿となった」という。肝心の民主党が伸び悩み、代表の海江田万里氏は落選。維新は党分裂後の混乱が続いた一方、共産党は他の野党陣営のゴタゴタに助けられた感じだ。

 自民党への批判票が共産党へ流れたことに戸惑いを感じる。民主党はその政治信条では自民党と余り変わらないが、共産党は共産主義というイデオロギーに基づく世界観を有した政党だ。イデオロギー色は少なくなったが、同党が共産主義思想を破棄したとは聞かない。

 日本の有権者は共産主義の実態を理解しているのだろうか、と懸念する。冷戦時代、東西両欧州の架け橋的な位置にあったオーストリアは共産主義諸国の実態を間近に目撃してきた。連日、旧ソ連・東欧共産政権から人々が命がけで逃げてきた。オーストリアは冷戦時代、200万人の政治難民を収容した。だから、大多数の国民は共産主義が間違った思想であり、国民を幸福にしないことを教えられなくても知っている。

 オーストリアにも共産党は政党として存在するが、国民議会で戦後、議席を獲得したことがない。国民は共産党を信頼しないからだ。一方、日本はどうだろうか。共産党が政権への批判の受け皿になった、ということは何を意味するのだろうか。繰り返すが、共産党の歴史観、世界観、人間観が人間を幸せにしないことは実証済みだ。

 多分、日本の有権者の中には、共産党イデオロギーを支持はしないが、与党批判の声として票を投じた国民が多くいたのだろう。冷戦を身近に体験してきた当方は日本の共産党が正式にその思想から決別するまで警戒を解くべきではないと考えている。

「天下の朝日」の新しい友達探し

 慰安婦問題と福島第1原発問題の報道で歴史的な間違いと意図的な偏向報道をしてきた朝日新聞は目下、国内のメディアばかりか政府、国民まで、あらゆる層からバッシングを受けている。自身が撒いた種だから、その結果を刈り取るのは当然で、本来、誰も同情しないだろう。

 ところで、誰にも友達が必要だ。独りで歩む人生は淋しいからだ。苦難を理解してくれる真の友達を探しているのが偽りのない人生だろう。「天下の朝日」と自負してきた朝日新聞も現在、新しい友達を必死に探しているところだろう。

 世の中には、水に落ちた人を徹底的に叩き、岸に這い上がれないようにする人と、溺れている人がいれば、その信条や過去の罪状とは関係なく、救いの手を差し出そうとする人がいるものだ。
 朝日新聞が連日、政府関係者、同業者の仲間から殴打されている姿をみて、手を差し出そうとする後者の人が出てきても不思議ではない。ある意味で、バッシングが激しさを増せば、それを救おうと手を差し伸べる人が出てきてもおかしくはない。
 私たちが生きている社会は論理や事実だけで動かされているのではなく、人情が幅を利かす世の中だ。狡猾な「天下の朝日」はそのことを十分知っているはずだ。自身に手を差し出そうとする人が出てくるのを首を長くして待っているはずだ。

 それでは、「溺れようとする朝日」に手を差し出そうとする人(グループ、機関)はどのような人だろうか。慰安婦問題や原発問題で朝日をこれまで支援し、朝日新聞の記事を武器に戦ってきた反政府活動家、反原発関係者たちはここ暫くは朝日を擁護できないだろう。自身の主張や見解の信頼性を自ら破壊することになるからだ。事態の推移を静かに見守りながら、朝日バッシングが終わる日を待つだろう。
 いずれにしても、朝日にとって、彼らは旧友だが、今緊急に必要としている新しい友達ではない。「困った時の友こそ真の友」(friend in need is a friend indeed)という諺があるが、彼らは朝日の真の友ではない。

 それでは誰が「天下の朝日」の新しい友達になれるだろうか。朝日と同じように頻繁に誤報を繰り返してきたメディア機関だろうか。朝日が犯した誤報は恣意的であり、その影響は国家の名誉にも及ぶものだった。そのようなメガ級誤報は日本では朝日しかできない。だから、他のメディア機関も唖然とするだけで、あえて同情することはできない。とすれば、同業者から朝日の新しい友達になるメディアやジャーナリストが現れる可能性は少ない。

 唯一、考えられるのは、海外メディアが朝日を擁護することだ。彼らの多くは日本の歴史やその動向に精通していない。特に、米国メディアは上からの視点が多いから、些細な点も諭すような論調で批判する傾向がある。ニューヨーク・タイムズなど米メディアは朝日誤報事件が明らかになった後もまだ事態の深刻さに気がついていない。

 もちろん、政府主導の反日報道を繰り返してきた中国や韓国のメディアはこれまで自身の反日攻撃の材料を提供してくれた「天下の朝日」がこのまま沈没すれば困る。しかし、誰の目にも誤報と分かる慰安婦問題や福島第1原発関係の朝日報道を表立って擁護できないから、事態の好転を待つ以外にない。
 すなわち、「天下の朝日」が近い将来、新しい友達を見つけ出す可能性は少ない。現実的なシナリオは、ここ暫くは旧友の励まし以外は期待できない。

 ここまで書いて、「天下の朝日」とローマ・カトリック教会の総本山バチカンが酷似していることに気が付いた。聖職者の未成年者への性的虐待事件が多発したバチカンと、誤報で国家と民族の名誉を傷つけた「天下の朝日」の現状は、信頼性を一度失うとそれを回復することが如何に難しいかを端的に物語っている。 

議論を呼ぶモナコ王室の「継承問題」

 英国のウィリアム王子(32)は来年2月末から3月初めにかけ、日本を公式訪問する。キャサリン妃(32)は妊娠中で出産予定が4月ということもあって訪日できないことは日本国民にとっては残念だ。オランダのウィレム・アレキサンダー国王王妃両陛下が10月末、国賓として訪日されたばかりだ。欧州の王室関係者の動きが活発化してきた。

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▲モナコ王室の朗報を大きく報道するオーストリア日刊紙エステライヒ12月12日付

 朗報が届いた。モナコの大公アルベール2世(56)とシャーリーン・ウィットストック妃(36、南アフリカの元五輪水泳選手)の間に10日、双子の赤ちゃんが誕生したニュースが流れてきたのだ。一時期はプレー・ボーイで名を馳せたアルベール2世の大喜びの顔写真が欧州メディアにデカデカと報道された。

 ところで、双子の赤ちゃんは男の子と女の子だったが、王室の継承権は男の子が第1位と報じられたことから、王室の継承問題がにわかに脚光を浴びている。欧州メディアによると、女の子(Gabriella Therese Marie)が男の子(Jacques Honore Rainier)の2分前に誕生したが、王位継承権は男の子にあるということが明らかになったからだ。
 400年余り続くモナコ王室の規約によれば、王位継承権は男子優先が原則というわけだ。そこで「モナコの王室は古い」といった批判の声が上がってきたわけだ。ちなみに、モナコ王室は1982年9月、国王レ―ニエ3世と結婚して王妃となった米女優グレース・ケリーの急死で当時、大きな衝撃を投げかけた。

 欧州の王室の王位継承権は出生順優先が多数を占めている。欧州の王室の代表格、英国では王位継承権は出生年月日優先だ。男女の区別は廃止されている。スウェ―デンでは1979年以来、男女平等で女性の継承権を公認。ノルウェーは1990年から、ベルギーは1994年から、デンマークは2009年に入ってから、それぞれ王位継承権は最初に出生した者にあると改正された。男女平等は欧州の王室では既に定着しているわけだ。例外は、モナコのほか、スペイン王室だけだ。

 欧州の王室の世代交代はほぼ終了し、落ち着いてきた。スペインの国王フアン・カルロス1世(76)は6月2日、退位を表明し、フェリペ皇太子(46)が国王に就任したばかりだ。オランダのベアトリクス女王(76)は昨年1月、退位を表明し、長男のアレキサンダー皇太子(47)が国王に就任している。ベルギーではアルベール2世(80)を継承して長男のフィリップ皇太子(54)が昨年7月、国王となった、といった具合だ。

 世代交代が遅れている王室は、スウェーデンと英国の2国だ。前者の場合、女性スキャンダルなどで人気を失ったカール16世グスタフ国王(68)の退位を促す声が高い一方、2010年6月に平民出身のダニエル・ウェストリング氏(41)と結婚したヴィクトリア王女(37)の国民的人気が高い。
 一方、英国では王位継承の焦点は本来、チャールズ皇太子(66)だが、ウィリアム王子がエリザベス2世(88)の後継者に就任すべきだ、という声が国民の間で聞かれる。

フランシスコ時代いつまで続くか

 21世紀は本格的な高齢化社会を迎える。90歳、100歳の老人はもはや珍しくはない。世界に12億人以上の信者を有するローマ・カトリック教会総本山のバチカンでも高齢化は避けられない、というか、高齢者によって運営されている機構だから、その深刻さは一層大きい。

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▲コンクラーベで、黒い煙をだすシスティーナ礼拝堂の煙突(2013年3月12日、オーストリア国営放送の中継から)

 さて、フランシスコ法王は来年2月、新たに10人前後の枢機卿を任命する予定だ。バチカンのロンバルディ報道官が11日、明らかにした。ローマ・カトリック教会の現在の枢機卿数は208人で、そのうち次期ローマ法王の投票権を有する80歳以下の枢機卿数は112人だ。コンクラーベ参加数の上限は120人だ。 
 ただし、112人のうち、来年2月前に80歳を迎える枢機卿が2人いるから、コンクラーベ参加有資格者は2月の段階で110人となるから、フランシスコ法王は10人の枢機卿を新たに任命できる。新枢機卿の任命式は来年2月14、15日に開催される枢機卿会議で行われる。

 ところで、枢機卿が参加するコンクラーベには年齢制限があるが、ローマ法王にはそのような年齢制限は基本的にない。ただし、前法王べネディクト16世が在位期間中に退位を表明したことで、ある一定の状況下では法王の退位も可能だったことが判明した。すなわち、フランシスコ法王もその気になれば前法王と同様にいつでも退位できるのだ。その際の退位理由も同じように、「健康理由からペテロの後継者として法王職を全うできなくなった」ということになる。

 「フランシスコ法王時代は昨年3月スタートしたばかりだ。退位など縁起でもないことを書かないでくれ」と指摘されるかもしれない。しかし、忘れないでほしい。フランシスコ法王は76歳の時に法王に選出され、今月17日に78歳だ。58歳の若さで法王に任命され、27年間の長期政権を維持した故ヨハネ・パウロ2世とは違う。べネディクト16世の場合、法王に就任した時、78歳だった。同16世の場合は次期法王へのショート・リリーフ役が期待されていた。本格的なローマ法王が選出されるまでのつなぎ的役割だったのだ。フランシスコ法王の場合、本格的な法王として選出されたのだ。
 問題は、ブエノスアイレス大司教から本格的な法王として選出された時、ローマ法王は既に76歳の高齢だったという事実だ。だから、新法王が選出された直後から次期法王の選出について,バチカンは常に準備態勢を維持しなければならないのだ。ここにバチカンの機構的欠陥があるわけだ。

 フランシスコ法王は就任直後からバチカンの改革を訴えてきた。興味深い改革案の一つとしては「ローマ法王の地位の見直し」だ。ローマ法王を東方正教会の精神的指導者(エキュメニカル総主教)バルトロメオス1世のように象徴的最高指導者とし、実質的行政権を各国教会の司教会議に委ねるという改革案だ。換言すれば、バチカンの非中央集権化だ。
 この改革が実行できれば、ローマ法王の健康問題はもはや大きなテーマとはならない。職務が停滞する懸念もないのだ。残念ながら、このウルトラCの改革案には反対が余りにも強いのだ。

イエスはもはや「羊の話」をしない

 2000年前のイエスの福音をその文字通り受け取り、信じるキリスト信者がいる。葡萄畑も少なくなり、羊や羊飼いももはや多く見られない21世紀の社会でイエスのたとえ話を読み、その通り受け取ろうとするから、その理解は観念的となり、時には非現実的となる。
 同じことがイスラム教の聖典コーランでもいえる。1400年前の聖典を21世紀の現代社会にも完全に適応しようとするから、さまざまなな障害が生じている。シャリアを宣言したイスラム国(IS)はその代表的だ。石打ちの刑を今も実施するイランでもそれがいえる。サウジアラビアでは女性は車を運転することすら禁止されている。あれも、これも聖典に基づくという。

 「真理は時代的変遷の影響を受けない」と主張し、聖書の時代的解釈を拒否する神学者や信者グループが存在する。通称キリスト教根本主義者と呼ばれるグループだ。オプス・デイ(神の業、1928年、スペイン人聖職者、ホセマリア・エスクリバー・デ・バラゲルが創設)、ガブリエレ・ビターリッヒが創設した「ワーク・オブ・エンジェル」(「天使の業」)などと呼ばれる信者グルーはそれに属する。彼らは聖典の時代的解釈をあたかも不敬な行為のように受け取る。なぜならば、イエスは2000年前、真理を語ったのであり、真理は一つだ。それを時代が変わったからといって勝手に解釈するのは不敬だという論理だ。
 その主張の一部は正しいが、多くは間違っている。正しいのは「真理は不変だ」という点だ。間違っているのはその真理は時代的変遷の影響を受けないという頑迷な姿勢だ。真理は変わらないが、その表現方法は時代の変化に従って変わるからだ。

 ドイツで制作中の映画「帰ってきたヒトラー」(「ヒトラーはモンスターでなかった」2014年12月10日参考)に倣って、「帰ってきたイエス」の状況を想像してほしい。「帰ってきたイエス」は21世紀に生きるわれわれを前にして2000年前と同じような表現でその福音を語るだろうか。どこに羊と羊飼いがいるのか。ペテロのような漁師を探し出すのも大変だ。彼らは大きな船舶で遠洋漁業に従事しているからだ。イエスが会った売春婦は21世紀の社会でもいるが、特定な場所に行かなければならない。葡萄畑のたとえ話を背広姿の現代のビジネスマンが理解するのは一苦労だろう。

 「帰ってきたイエス」は必然的に新しい表現でその真理を伝えるだろう。より多くの人々に分かりやすく説明しようとすれば、その時代の社会で使用される表現形式を利用するのは当然だからだ。

 イスラム教圏の中東諸国では現在、キリスト教徒への迫害が激しい。イラク、シリアなどで少数宗派のキリスト教徒はイスラム根本主義勢力によって迫害され、追われている。イスラム教徒によれば、イスラム教徒ではないことはアラーへの不敬と受け取られる。非イスラム教徒の迫害は敬虔なイスラム教徒の義務と考えられるからだ。

 新・旧約66巻から成る聖書の文字に囚われた結果、イエスの福音を信じるキリスト教会は現代、300以上に分かれている。各団体が我々の解釈こそ真理だと主張し、他を批判する。キリスト教だけではない。イスラム教のコーラン(114章構成)でも同じだ。そのような混乱を回避するためには、われわれは一度は聖典の文字から解放される必要があるだろう。
 
 繰り返すが、問題は聖書やコーランにあるのではない。そして「聖典」が先にあったのではなく、救いを必要としていた「多くの悩める人々」が先ず生きていたのだ。逆ではない。「聖典」の文字の奴隷になってはならない。「聖典」の文字から解放された時、「聖典」が伝えようとした真意がより一層理解できるかもしれないのだ。

プラハで何を忘れてきたのか

 今回はかなり私的なことを書くが許してほしい。当方は最近、同じストーリーの夢を頻繁に見るのだ。若い時は日中の疲れで夢を見ることもなく朝方まで熟睡したものだが、年をとったせいか、夢を見る機会が増えた。夢をみるだけなら何も話題にすることではないが、ここ数年、同じような夢を見続けているのだ。同じ設定、同じ思いが湧いてくる夢を見続けてきたのだ。その度に、「また同じ夢をみた」とため息をつきながら、目を覚ましたものだ。

 そこで今回、当方の夢に付き合っていただくことにした。当方はこのコラム欄で数回、夢について書いてきた。ポップ界の王(King of Pop)マイケル・ジャクソンが当方をネバーランドに招待してくれた夢を見た。当方はマイケル・ジャクソンの歌を知らないし、彼のファンでもなかった(「ちょっとフロイト流の『夢判断』」2012年10月22日参考)。また 300年前に亡くなった皇帝レオポルド1世が登場してきた(「レオポルド1世が現れた」2013年6月29日参考)。その度に、このコラム欄で夢の解釈を試みた。

 さて、今回の夢は何度も頻繁に出てくるという点で一度だけの夢とは違う。そしてその内容は酷似している。舞台は国際線のバス停、見つからない荷物、そしてプラハに行こうとしている、という設定だ。夢の中の当方には「早くしなければバスに遅れる」という焦る思いがある。

 なぜ、同じような設定の夢を何度も見るのだろうか。当方は冷戦時代、プラハには何度も取材に行った。後日、大統領となったバスラフ・ハベル氏にも会った。ワルシャワ条約機構軍のプラハ侵入を国連で批判した外相とも自宅で話した。チェコの民主化改革の原動力でもあったトマーシェック枢機卿とも3回ほど会見した。プラハは当方にとって冷戦時代の思い出が一杯詰まった中欧の都市だ。

 しかし、夢には当方が会った政治家や友人は出てこない。夢の当方は荷物を整理してバスでプラハに行かなければならないが、荷物が見つからないので一生懸命に探す場面が出てくる。当方はプラハ取材では電車を利用し、バスでプラハに行ったことはない。しかし、夢ではバスでプラハに行こうとしているのだ。夢の中の登場人物は当方一人だ。

 「プラハで何かを忘れてきたのだろうか」、「それともプラハで誰かが当方に会いたがっているのか」等、様々な解釈を考えてみた。

 思い出すことは、チェコ共産党時代、その信仰ゆえに逮捕され、刑務所内で死亡した知り合いの若い信者のことも考えた。当方は冷戦終了後もその信者の墓を訪ねたことがない。墓の場所を聞き出して慰霊の祈りを捧げるべきなのか。
 日本人女性が冷戦時代、チェコ人の夫と家庭を持つためウィーンで暫く住んでいたことがある。当方はその時、彼女と知り合いになった。数年後、彼女は家庭を持った直後亡くなった、と聞いた。その彼女が当方をプラハに呼び、何か伝えたいと思っているのだろうか。彼女の夫は再婚して子供もいる。そういえば、当方は彼女の墓をまだ訪れていない。

 同じ夢を繰り返し見る度に「プラハに行かなければ」という思いが湧くが、これまで実現していない。しかし、近いうちに行かなければならないだろう。夢は当方にプラハに来るように告げているからだ。誰が、何のためか、現時点では残念ながら分からない。

 このような話を書くと、「当方氏は変わっている」と、奇人扱いされる恐れが出てくる。奇人であることはほぼ間違いないが、狂人ではないから安心して頂きたい。いずれにしても、夢に意味が含まれている場合がある。頻繁に同じ設定の夢が出てくる場合、その夢には何かメッセージが隠されていると考えざるを得ないのだ。

 新約聖書には、「神がこう仰せになる。終わりの時には、わたしの霊を全ての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう」(使徒行伝2章17節)という聖句がある。当方は老人のように夢を見ているのだ。

ヒトラーはモンスターでなかった

 ドイツでアドルフ・ヒトラーを主人公にした「帰ってきたヒトラー」(Er ist wieder da)という映画が製作中だ。2012年に発表されたティムール・ヴェルメシュの風刺小説の映画化だ。ヒトラーが現代社会に現れたらどうするか、というテーマで可笑しく、ある時は諷刺を利かしたストーリーで話は展開される。
 ヒトラーの映画化を契機に、ドイツのメディア、知識人、歴史学者の間で、「ヒトラーを喜劇の主人公と見なすことは可能か」、「ヒトラーの戦争犯罪をぼかすことにならないか」、等の議論を呼んでいる。

 独週刊誌シュピーゲル(12月1日号)で編集責任者の一人、Dirk Kurbjuweit氏は「ヒトラーを抱擁する」というタイトルで非常に興味深いコラムを書いている。同氏は以前、ヒトラーをモンスター(怪物、化け物)のように考え、出来る限り遠ざけてきたが、ある日、ヒトラーのプロパガンダ映画を制作した女性監督と会う機会があった。既に100歳近い彼女は、病気で床に就いていた時、ヒトラーが見舞いに来た話を語った。彼女は「彼は繊細で優しい男性だった」と証をしたという。同氏はその女性との会見後、ヒトラーを見る目が変わったという。すなわち、ヒトラーはモンスターではなく、われわれと同様の生身の人間であったと悟ったのだ。同氏曰く「彼は決して特別な被造物ではない」と書いている。

 多くのドイツ国民にとってヒトラーは依然大きなハードルだ。第2次世界大戦後、ヒトラーは悪のシンボルであり、その言動は決して評価できない。喜劇の主人公として人間ヒトラーを演じることなど考えられなかった。戦後70年が過ぎようとしている今日、ドイツ国民の中に「ヒトラーを英雄視できないが、モンスターのように全て否定し、遠ざけていくだけでは十分でない」という声が聞かれだしたのだ。

 具体的には、ヒトラーを単に600万人のユダヤ民族を大虐殺した悪魔のような存在ではなく、われわれと同じ人間だった。熱い血が流れ、病人に同情する人間の一人だったという見方が再評価されてきたわけだ。小説「帰ってきたヒトラー」は、ヒトラーに対する社会の認識の変化を作品化したもの、といえるだろう。

 少し飛躍するが、2000年前のイエスの場合も同じことがいえる。彼はメシアであり、人類の罪を救済するために十字架上で亡くなった。イエスの神聖を疑う人間は不信仰、異端者と追放された。
 しかし、イエスは救い主だったが、スーパーマンではなかった。新約聖書にはイエスが行った数多くの奇跡が記述されているが、それらはイエスの神聖を強調するために後日付け加えられたものに過ぎない。イエスはわれわれと同じように痛みを感じ、喜びを感じる一人の青年だったはずだ。イエスを神のように拝むことでイエスの人間性、その喜怒哀楽を恣意的に排除してきたのではないか。ローマ・カトリック教会の教義の中にはその傾向が強い。イエスが一人の男性として女性と結婚し、家庭を築きたかったと主張すれば、異端として一蹴されてきたのが教会歴史だ。

 ヒトラーはモンスターであり、イエスは神の子だ。ヒトラーが犯したユダヤ人大虐殺はモンスターの仕業であり、イエスが十字架上で殺害されたのは神の計画であり、彼は神の子だった……、われわれは久しくこのように教えられてきた。換言すれば、ユダヤ民族を抹殺しようとしたヒトラーは悪魔であり、人間の罪を償うために十字架で亡くなったイエスは神そのものであった、と考えてきた。

 しかし、そのような考えからはヒトラーの戦争犯罪に対する真の謝罪や償いは出てこない。ヒトラーがモンスターだったからだ。イエスの場合も十字架救済が神の計画なら、イエスを殺害した罪を選民ユダヤ民族や人類に帰することはできない。われわれはヒトラーの蛮行からもイエスの悲劇からも両者の人間性を意図的に無視することで責任の追及を免れてきたわけだ。

 だから、イエスとヒトラーの“人間復活”によって、われわれは歴史の隠されてきた事実に初めて直面するかもしれないのだ。換言すれば、人間イエスはわれわれに何を伝えたかったのか、人間ヒトラーはなぜ戦争犯罪を犯したのか、等の疑問にこれまでとは違った答えが見つかるかもしれないからだ。

  ちなみに、イエスとヒトラーには不思議な一致点がある。神の子イエスの遺体を葬った墓が存在しないように、モンスター・ヒトラーの遺体は燃やされ、彼の墓はどこにも存在しない。
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