ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

潘基文氏の「名文」とその胸の内

 国連社会人道文化委員会は昨年11月、満場一致で11月2日を「ジャーナリストへの犯罪を追及する日」(the International Day to End Impunity for Crimes against Journalists)に制定する決議を採択した。今月2日は制定されて最初の記念日だ。それを祝って、潘基文・国連事務総長は以下のメッセージを発表した。

 「自由でオープンな報道は民主主義と開発の根本だ。しかし、過去10年間で700人以上のジャーナリストがその職務を履行する中で殺害されている。あるケースは国際的に知られ、別のケースでは知られないものもあった。昨年1年間だけで少なくとも17人のイラク人ジャーナリストが処刑された。世界で多くのジャーナリスト、メディア関係者が脅迫、殺人や暴力の脅威にさらされている。10件のうち9件は犯罪人は処罰されずに終わっている。その結果、犯罪人は益々いい気になっている。人々は腐敗や政治的弾圧や他の人権蹂躙について語ることを恐れ出した。これをストップしなければならない。これが国連が11月2日を記念日として制定した目的だ。われわれはジャーナリストやメディア関係者が世界至る所で安全で活動できる環境を作るために支援する国連行動計画を構築してきた。犯罪人が刑罰を受けないような状況を終わらせことで、表現の自由を深め、対話、人権を促進する社会を構築する。ニュースを報道するため命を危機に落とすようなジャーナリストを出してはならない。共にジャーナリストを支援しよう。正義のために立ち上がろう」

A free and open press is part of the bedrock of democracy and development.
Yet in the last ten years, more than 700 journalists have been killed for simply
doing their job.
Some cases have received international attention – others less so.
In the last year alone, for example, at least 17 Iraqi journalists have been
executed.
Many more journalists and media workers around the world suffer from
intimidation, death threats and violence.
Nine out of ten cases go unpunished.
As a result, criminals are emboldened.
People are scared to speak out about corruption, political repression or
other violations of human rights.
This must stop.
That is why the United Nations declared November 2nd as the International
Day to End Impunity for Crimes against Journalists.
We have a UN Action Plan to help create a safe environment for journalists and media workers everywhere.
By ending impunity, we deepen freedom of expression and bolster dialogue.
We advance human rights and strengthen societies.
No journalist anywhere should have to risk their life to report the news.
Together, let us stand up for journalists – and stand up for justice.

  いつものことだが、国連事務総長のメッセージは名文だが、気になることがある。産経新聞が10月22日、ニューヨーク発の特派員記事で「国連事務局長の沈黙」という記事を掲載していた。韓国の朴槿恵大統領に対する名誉毀損で産経新聞前ソウル特派員が在宅起訴された問題について、世界のメディア関係者は一斉に「言論の自由」を蹂躙する蛮行と韓国を批判する論調を発表する一方、国際機関も韓国に言論の自由を守るように要求したが、肝心の国連事務総長はスポークスマンの代行で終始し、母国の言論蹂躙という蛮行に対してこれまで沈黙している、という趣旨だ。

 その潘基文事務総長が11月2日の国際デー用の上記の名文を発表しているのだ。「ジャーナリストへの犯罪を追及する日」の趣旨と産経新聞前支局長の件は異なるが、ジャーナリストの「言論の自由」を擁護するという点では同じだ。
 産経は事務総長が母国の蛮行に対して沈黙している背景について、「2016年の韓国大統領選に出馬を考えている事務総長は韓国内の評判が悪くなるのを恐れ、口を閉じている」と分析する有識者の声を紹介している。

 いうまでもないことだが、国連事務総長は世界の全加盟国の代表だ。出身国の政情に影響を受けてはならない立場だ。しかし、潘基文氏は過去、機会ある度に韓国の反日運動を擁護し、日本を間接的に批判してきた前歴がある。「ジャーナリストの報道の自由」、「言論の自由」をアピールするのならば、潘基文氏には韓国の言論事情について厳しい声明文を公表するだけの一貫性と中立性を期待したい。

なぜ日本人は災害で冷静なのか

 ウィーンの国連で28日、国際赤十字赤新月社連盟が2014年版「世界災害報告書」(World Disasters Report)を公表した。昨年の報告書のテーマは「災害時での人道支援と通信技術の役割」だったが、今年の報告書は「文化とリスク」(Culture and Risk)の関係に焦点を合わせて考察している。報告書は7章から構成されているが、2章で「宗教と信仰は危機対応への考えや対策にどのような影響を与えるか」(How religion and beliefs influence perceptions of and attitudes towards risk)という興味深いテーマを扱っている。

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▲最新の「世界災害報告書」

 「文化と危機」の関係とは、インドネシアの津波、ニューオリオンズのハリケーン・カトリーナ、そして東日本大震災などの大惨事では、被災地の文化的、宗教的な考えを踏まえて危機救済活動を行っていかなければならないという視点だ。

 例えば、インドネシアの津波(2004年)で大被害を受けたアチェ州(Aceh)の人々は「観光業や原油採掘を容認したことに対する一種の聖なる刑罰、懲罰だ」と信じている。インドのコシ川の氾濫の場合(2008年)、人々は「洪水は女神の怒りだ」と受け取っている。ムラピ山の噴火の時(10年)もそうだった。

 ハリケーン・カトリーナ(2005年8月)が米国東部のルイジアナ州ニューオリンズ市を襲い、多くの犠牲者を出したが、その原因について「同市の5カ所の中絶病院とナイトクラブが破壊されたのは偶然ではない」と述べ、「神の天罰が下された」といった天罰説がキリスト教会の一部で広がったものだ。西アフリカ諸国で猛威を振るうエボラ出血熱の場合でも住民の文化的、宗教的考え方が感染防止の努力を阻害するケースが報告されている、といった具合だ。

 古くなるが、1755年11月1日、ポルトガルの首都リスボンを襲った大地震は当時の欧州に文化的、思想的影響を与えた。ヴォルテール(Voltaire)、カント(Kant)、レッシング(Lessing)、ルソー(Rousseau)など当時の欧州の代表的啓蒙思想家たちはリスボン地震で大きな思想的挑戦を受けたといわれている。彼らを悩ましたテーマは「全欧州の文化、思想はこのカタストロフィーをどのように咀嚼し、解釈できるか」というものだった。大震災はカトリック教国ポルトガル国民の信仰にも大きな影響を及ぼした。「神はこのような大惨事をなぜ容認されたか」といった「神の沈黙」への最初の問い掛けが呟かれている(「大震災の文化・思想的挑戦」2011年3月24日参考)。

 ちなみに、東日本大震災では被災者が冷静に対応し、パニックに陥る被災者が少なかったことについて、欧米メディアは驚き、被災者の文化的、宗教的考え方に関心を注いだことはまだ記憶に新しい。「神道の影響」を指摘する声から、「日本は地震や台風など天災の影響を受けてきた。だから日本人は自然の災難に対して諦観が強い。その経験が日本人を災害時に冷静にさせる」という考え方までさまざまな見解が報告書で紹介されている。参考までに、2012年のNHKの調査結果によると、「災害時の日本人の冷静さ、秩序よさは特定の宗教や文化とは関係がない」という意見が26%を占めていた。

 報告書は「被災者(地)の宗教、文化の影響は危機管理ではプラスとマイナスの両面がある。ただし、被災地の文化に対する理解なくして、危機管理を効果的に実施できない」と強調している。

フーリガン対サラフィストの戦い

 ドイツのケルン市で26日、約4000人のフーリガンがイスラム過激主義者サラフィスト・グループに抗議するデモを行った。フーリガンは警備する警察隊に向かって石やビンを投げるなど、一部暴動化した。警察当局の発表では、44人の警察官がケガをし、20人以上のデモ参加者が逮捕された。
 フーリガンたちは今月初め、マンハイムやエッセンで反サラフィストデモを行ったが、いずれも小規模に終わった。ケルンのデモでは、フェイスブックなどSNS(ソーシャルネットワーク)を通じてデモの参加を呼び掛けていた。彼らは「次回のデモはベルリンだ」と表明しているという。

 フーリガンのデモの背後には、国内でサラフィストが増加し、国民の間で警戒心が高まってきていることがある。ちなみに、ハンス・ゲオルグ・マーセン独連邦憲法擁護庁局長は、「国内に約6300人のサラフィストがいるが、年内にはその数は7000人を超えるだろう」と推定している。独連邦憲法保護報告書によれば、2012年は4500人、昨年は5500人だった。

 マーセン局長は「懸念すべき点は多くの若者たちがサラフィストに惹かれてきていることだ。その理由として、サラフィストは明確な目的を有し、何をすべきか、何が黒か白かなどにはっきりと答えることができる。だから、人生の目標が明確ではない多くの青年たちはサラフィストの生き方に魅力を感じるのだろう」と分析している。

 サラフィストの思想は初期イスラム教への回帰思想であり、彼らは聖典コーランを文字通りそのまま信じ、その解釈を拒否し、欧米社会との統合を拒否する。国際テロ組織アルカイダに近く、イスラム教内では超保守派のワッハープ派の思想潮流をいう。

 一方、フーリガンのメンバーもサッカーファンというより、暴れ、破壊することで鬱憤を晴らす若者たちの集まりだ。それだけに、フーリガンとサラフィストが正面衝突した場合、多くの犠牲が出ると懸念されている。実際、ドイツのボンで2012年5月5日、サラフィストが警察隊と衝突し、ナイフと投石で少なくとも29人の警察隊員に負傷するという事件が発生した。その衝突の直接の契機は極右政党「プロNRW」がイスラム教祖ムハンマドの戯画を掲げてデモ集会を行ったことだ。同衝突で109人が拘束されている。

 ちなみに、独週刊誌シュピーゲル(電子版)によると、警察当局は「フーリガンと極右グループが密かに連帯している」と報じている。実際、ケルンのデモには多数の極右活動家たちの姿が目撃されたという証言がある。

  ドイツだけではない。隣国オーストリアでもサラフィストが増加してきた。彼らは路上でイスラム教の聖典コラーンを無料配布などし、リクルートしている。今年に入り、15歳と16歳の2人のイスラム教徒のギムナジウムの少女が突然、シリアに行き、反体制派活動に関わっているという情報が流れ、ウィーンの学校関係者ばかりかオーストリア社会全般に大きなショックを与えたばかりだ。

「50年間事故ゼロの新幹線」と駅弁

  当方は、新幹線に乗り、移り行く景色を眺めながら駅弁を味わいたいと久しく願ってきた。10年前に帰国した時はチャンスだったが、なぜか実現できず、ウィーンに帰国した。「中国の夢」を吐露した習近平国家主席流にいえば、新幹線で駅弁を食べるのが“当方の夢”だ。 「中華民族の偉大なる復興」という習主席の「中国の夢」のように、隣人(隣国)に迷惑をかけたり、危険を感じさせることなどまったくない、異国に住む日本人のささやかな夢だ。

 なぜ、突然、新幹線と駅弁が飛び出したかというと、新幹線が開通して今月で50年を迎えたが、その半世紀の間、一度として人身事故が発生しなかったというというニュースを聞いて驚いたからだ。反日報道が多い韓国最大手紙、朝鮮日報日本語電子版は26日、「50年間事故ゼロの新幹線」というタイトルのコラムを掲載し、日本の安全システムのすごさを紹介していたほどだ。

 同コラムは「新幹線は最初から、個々の安全システムをただ寄せ集めたわけではなかった。一つの統一された安全システムとして設計された。これが原点だ。そのために、大規模な事故を起こすことなく運行を続けているのだ」という東日本旅客鉄道(JR東日本)会長を務めた山之内秀一郎氏(故人)の言葉を紹介していた。山之内氏によると、新幹線は衝突の危険が感知された場合、自動的にこれを確認し、列車を止めるシステムを世界に先駆けて導入したという。これにより、乗務員が信号の確認を怠ることによる事故発生の可能性をほぼゼロにすることができたというのだ(朝鮮日報)。

 朝鮮日報が新幹線の話を紹介する背後には、橋や建物が突然崩れ落ちるといった類の事故が頻繁に起きる韓国社会の安全システムに警鐘を鳴らす狙いがあるのだろう。300人以上の犠牲者を出した旅客船セウォル号沈没事故を見ても分かるように、事故が発生する度に魔女狩りのように責任を追及するだけで、具体的な安全対策に関する議論は後になってしまう傾向が韓国では強いからだ。
 コラム記者は最後に、「新幹線が50年にわたり、死傷者を出す事故を起こさず運行を続けてきたのは、過去の鉄道事故の原因を分析した後、あらゆるシステムにどのような弱点があるかを徹底的に分析したからこそ成し得たものだ。新幹線とは、そのような分析を基に、長期的かつ大規模な計画の下で策定した安全システムだ」と評している。

 まとめると、人間はミスを犯す存在という前提の上で、いかにその危険を最小限にする安全システムを構築していくかが重要だ、というのが「新幹線50年、事故ゼロ」の教訓というわけだろう。日韓両国は過去の歴史問題に多くのエネルギーを消費せず、両国が得意とする分野で相互に学び合うことができればどれだけいいだろうか。

 いずれにしても、事故ゼロの新幹線に乗っておいしい駅弁を堪能できる日本人は本当に幸せな国民だ。

数日早いが、「死者の日」に寄せて

 当方は死者の権利を擁護する弁護人でも代弁者でもない。ただ、残念ながらこの地上で死者の尊厳が損なわれていると感じることがあまりに多い。生きている人間は死んだ人間の状況が分からないから、死者が今、何を願い、何をして欲しいか理解できないのは致し方がないが、生きた人間が死者の状況を誤解し、死者に払わなければならない敬意を失っている状況をみると、少々憤りを感じる。

 ハプスブルク王朝最後の皇太子、オットー・ハプスブルクの葬儀の様子をコラム欄で紹介したことがある(「ハプスブルク家の“最後の別れ”」2011年7月18日参考)。欧州を一時期席巻した王朝最後の皇太子であり、「汎欧州同盟」の名誉会長として欧州の統合に人力を尽くした著名人だ。ハプスブルク氏はこの地上の数多いタイトル、称号をもっていた。しかし、それらの無数の呼称、タイトルは葬られるカプチーナー教会の墓場で眠りにつくための入場券とはならなかったのだ。彼が眠りの場につけたのは「罪人オットー」という呼称だけだった。この話は非常に示唆に富んでいる。

 地上生活での過ちやその言動をもって死者を裁くことは酷だ。なぜならば、死者自身がそれらに対して最も痛みを感じているからだ。生きている人間が「お前はこれこれをやった犯罪人だ」と批判する必要などない。生きている人間ができる唯一のことは死者の痛みが早く癒されるように祈るだけだ。それを死者への敬意という。

 生きている人間が死者に対して取れる最悪の行為は死者のために「祈るな」いうことだ。誰からも祈られない死者は慰められず、苦悩し続ける。これは死者にとって文字通り地獄のような状況だ(「靖国神社参拝と『死者の権利』」2013年7月26日参考)。
 死者への最大の奉仕は、先述したように、死者のために祈ることだが、それ以上のことがある。死者が生きていた時、果たしたかったその願いを代わって果たしていくことだ。実際、死者のために生きている数多くの人間がいるのだ。

 戦争で死んだ死者の場合、彼は平和な世界を夢見ていただろう。愛する家族と再会して楽しい家庭を築きたかったはずだ。学徒兵として出陣し、亡くなった死者は大学で好きな勉強をしたかっただろう、等々、死者は多くの夢を持ちながら死んでいったはずだ。
 死者にとって、地上に生きている我々は彼らの羨望の対象だろう。だから、生きている人間は2つの責任がある。自身の生涯に対し、もう一つは死者に対してだ。

 
 欧州のカトリック教国では来月1日は「万聖節」」(Allerheiligen)」、2日は「死者の日」」(Allerseelen)だ。教会では死者を祭り、家族は花を供えて、亡くなった親族の墓前で思い出を語り合う。喧騒な日々を送っている現代人は死者の日、自身と死者の未来のために静かに語り合いたいものだ。

慰安婦の映画「鬼郷」クランクイン

 3人の娘さんをイスラエル軍の空爆で亡くしたパレスチナ人医者イゼルディン・アブエライシュ氏(現トロント大学准教授)は、「憎悪はがん腫瘍だ。そのまま放置しておくと繁殖し、死をもたらす」と語ってくれた。医者はしみじみと、「憎悪を持ち続ければ、犠牲者の救いを妨げる。生きている者が亡くなった者の分まで生きてこそ、犠牲者は慰められる」という。医者は亡くなった3人の娘さんの願いを継いで、学業に励む中東女生たちを支援する奨学金基金「Daughters for life Foundatoin 」を創設し、多くの学生たちを応援している。

 韓国の朝鮮日報は25日、慰安婦をテーマとした映画「鬼郷」のクランクインを報じていた。その記事を読んでいた時、この夏、ヨルダンのアンマンで会った医者のことを思い出したのだ。
 「韓国は憎悪を処理できず苦悩している」と感じ、心が苦しくなってきた。その一方、パレスチナ人医者の証を改めて羨ましく感じた。ちなみに、映画のタイトル「鬼郷」とは、慰安婦となった女性が異国で亡くなり、魂となって故郷に戻るという意味という。

 韓国は慰安婦像を駐韓国日本大使館前だけではなく、米国など世界各地で設置し、慰安婦の恨みを晴らそうとしている。そして今、慰安婦となった少女の悲しい生涯を映画化しようとしている。朴槿恵大統領は「韓日首脳会談を実現するためには慰安婦問題に対する日本側の真摯な謝罪が前提だ」と繰り返す。

 当方は韓国人に慰安婦問題を忘れよ、といっているのではない。そのようにいえる資格も権利も当方にはない。韓国人に憎悪を乗り越えてほしいのだ。どのような言動もその動機が憎しみの場合、決してよき結果をもたらさない。
 当方はこのコラム欄で「憎悪を輸出してはならない」と何度か書いた。サムスンや現代自動車の対外輸出のように、韓国民族の憎悪を世界に広げてはならないのだ。

 憎悪は破壊的なエネルギーを持っている。それを発信する者もその受信者も幸せにはなれない。個人的には自分と他者を傷つけ、民族・国家的にはその国運を損なう。政治家や一部の国民が憎悪という感情を弄ぶことは危険だ。止めることができなくなるからだ。セルビア人青年の発砲が第1次世界大戦を勃発させたように、憎悪に基づく言動は何を引き起こすか分からないのだ。


 大国の支配を受け続けた韓国国民には多くの恨みがある。「日本には100年の恨み、中国には1000年の恨み」といわれている。だから、その恨みは憎悪となって噴出するわけだ。

 韓国を愛する日本人の一人として、韓国国民が恨みを克服し、憎悪という感情を昇華した国家、民族となってほしい。韓国国民が歴史の憎悪を昇華できれば、韓国は文字通り世界的な民族として自他共に誇れるだろう。慰安婦の映画「鬼郷」のクランクリンというニュースを聞いて、正直に言って、強い痛みを感じた。

「死刑」と共に「終身刑」も廃止?

 バチカン放送独語電子版をみていると、興味深い記事に出会った。ローマ法王フランシスコが23日、バチカンで国際刑事裁判官協会の使節団の表敬訪問を受けたが、その際、法王は「死刑を完全に廃止するだけではない。終身刑も廃止すべきだ。終身刑は死刑の変形に過ぎなく、非人道的だ」と語ったという。

 バチカンは熱心な死刑廃止論者であることはよく知られているが、フランシスコ法王はそれだけで満足せず、終身刑の廃止まで要求したのだ。そのうえ、法王は未決の拘留にも異議を唱えているのだ。

 要するに、フランシスコ法王は死刑、終身刑の廃止を要求し、未決拘留の慎重な適応を求めているわけだ。ローマ法王に就任して以来、何度か刑務所を訪問するなど、南米出身の法王は“囚人の人権”に非常に熱心だ。

 なぜだろうか。ローマ法王は売春婦や囚人を愛したイエスの歩みを慕っているからだろう。イエスは「私は罪びとを救うために来た。健康な人ではなく、病に苦しむ人のためにきた」と述べている。「医者と患者」論だ。
 同じように、フランシスコ法王は囚人の救済に心が行く。その前提は「人は変わる」ということだ。悪いことを繰り返す重犯罪人もいつか悔い改めてよき人間に変わることができるという確信があるからだろう。

 繰り返すが、それでは人は変わるだろうか。DNA、遺伝子によって、人の生涯の輪郭は決定されているといった現代版「完全予定説」が勢いをもっている時代だ。
 フランシスコ法王は人は神に出合えば変わると信じている。実際、悪人が善人に生まれ変わった例は無数ある。フランシスコ法王の名前、アシッジの聖フランチェスコも神に出会う前までは放蕩を繰り返し、好き放題の人生を送っていた青年だった。それが“貧者の聖人”と呼ばれるほどに変わっていった話は有名だ。


 一方、死刑廃止反対者は「死刑制度は犯罪防止の効果がある」と主張し、犯罪防止に貢献するという。「神がいなければ全てが許される」と豪語したイワンの台詞(ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」)に倣い、「死刑がなければ、世界の至る所で犯罪が発生する」と脅迫する。換言すれば、死刑制度が神の代役を果たしているというわけだ。


 だから、死刑廃止論者はその主張に説得力を与えるために早急に神の存在を証明しなければならない。証明できれば、死刑制度を廃止できるからだ。しかし、死刑、終身刑の廃止を主張するフランシスコ法王の足元の教会で聖職者の未成年者への性的虐待事件が多発している。神の名で多くの犯罪が行われている。ローマ法王の死刑・終身刑廃止論は残念ながら空論と揶揄されても仕方がない。

 フランシスコ法王は「われわれは全て罪びとだ。他者を審判する資格を有している人間はいない」と主張し、罪びとが他の罪びとを殺す死刑制度に反対する。しかし、神を失ってしまった現代社会で神の代行(審判)を果たしてきた死刑制度が廃止されればどうなるだろうか。神が再発見されるまで、死刑制度は必要悪として容認せざるを得ない。

寛容と慈愛が招いた教会の“戸惑い”

 世界に12億人以上の信者を有するローマ・カトリック教会は5日から19日、特別世界司教会議(シノドス)を開催し、「福音宣教からみた家庭司牧の挑戦」という標題を掲げ、家庭問題について集中的協議を行い、最終報告書を賛成多数の支持を得て採択した。同報告書は来年10月開催予定の通常シノドスの協議のたたき台となる。

 世界から191カ国の司教会議議長、専門家たちが2週間、「オープンな雰囲気で話し合われた」テーマは離婚、再婚者への聖体拝領問題、同性婚、純潔、避妊などだ。特に、離婚・再婚者の聖体拝領問題と同性婚に対する教会の姿勢については、高位聖職者の間で最後まで意見が分かれたという。

 離婚・再婚者への聖体拝領を認めるかどうかは、来年10月まで協議を重ねていくことになった。継続審議だ。同性愛者問題は、中間報告書の段階では「兄弟姉妹として同性愛者を迎える」という声が強かったが、最終報告書ではそれらのパラグラフは見つからなかった。そのため、欧米メディアは「保守派勢力が巻き返しを図った結果」と分析し、フランシスコ法王が進める教会刷新は後退を余儀なくされたと解説する記事が多く見られた。

 シノドスの報告書のまとめ役だった3人の枢機卿は18日、記者会見を開き、そこで最終報告書の概要を説明した。枢機卿たちは、「教会は全ての人々に開かれた家だ。キリスト者たちは自分の教会が常に開かれて、誰をも排除しない家であることを願っている」と述べ、同性愛者に対しても、「教会は彼らを歓迎する」と答えている。ここで注意しなければならない点は「歓迎する」とは、同性愛者を容認することを意味しないことだ。真意はその逆だ。

 先ず、教会の教え(ドグマ)を振り返ってみよう。再婚・離婚者の聖体拝領の是非問題について教会の答えは明らかだ。イエスが述べたように、神の名で結びつけられた者を分つことはできない。だから、聖体拝領は神の教えを破った離婚者、再婚者には本来、与えることができないのだ。
 同性愛者の公認問題でも教会の教えは明らかだ。夫婦は男性と女性の間の婚姻を意味する。同性愛者は神の願いに反しているから、夫婦として認めることは出来ない。


 それではなぜ、教会はここにきて教義で明確な問題を議論し、その是非を問いかけるのだろうか。その答えも明確だ。欧米社会では2組に1組の夫婦が離婚し、再婚するケースがほとんどだ。欧米では同性婚者を夫婦として公認する国が増えてきている。われわれが生きている21世紀の社会がそのようになりつつあるからだ。

 教会は久しく、神の世界に閉じこもり、「カイザルのものはカイザルに」と世俗社会とは一定の距離を置いてきた。それが第2バチカン公会議後(1962〜65年)、教会の近代化が促進され、開かれた教会が合言葉となってきた。そして時間の経過とともに、離婚、再婚者の聖体問題が課題となり、同性愛者に対する教会の対応が問われだしてきた。教会が「教えではこうなっている」と主張すれば済んだ時代は過ぎてしまったのだ。

 信者たちの現実と教会の教えの間に乖離が広がり、信者の教会離れが急速に進んできた。そこで教会は現実問題への対応を強いられてきた。教会が選んだ解決策は「寛容と慈愛」という魔法の言葉だ。教会の教えでは絶対に受け入れられない問題についても、「寛容と慈愛」で取り組んでいこうというのだ。換言すれば、教会のポピュラリズムだ。その最先頭で走っているのが南米出身のローマ法王フランシスコだ。法王は「イエスは罪びとをも愛したように、われわれも寛容と慈愛の精神で全ての人々を迎え入れるべきだ」と、新しい宣教時代の到来を告げている。「教会は全ての人々に開かれた家」という先述した枢機卿の言葉は法王の意向を反映させているわけだ。

 ところで、「開かれたハウス」にはさまざまな人々が入ってくる。離婚者、再婚者、同性愛者の人々も教会の門を叩く。教会側は「寛容」と「慈愛」で彼らを「兄弟姉妹」として迎え入れていこうと努力する。問題は、教会の教えが変わらない限り、同性愛者、離婚者は教会では“2等市民”信者の立場を味わざるを得ないことだ。一方、教会側も新しいゲストを迎え入れ戸惑いを隠せない。すなわち、両者とも幸せな状況とは言い難いわけだ。

 教会の教えだけを絶対と信じることができた社会は消滅し、価値の相対主義が支配する世界が訪れてきた。ドイツの前法王べネディクト16世が恐れ、警告を発してきた世界が現実化してきたわけだ。ちなみに、教義の番人、バチカン教理省長官のゲルハルト・ミュラー枢機卿がシノドスで同性婚の承認や離婚・再婚者の聖体拝領の容認に強く反対したのは偶然ではない。ミュラー枢機卿はべネディクト16世が法王時代、ドイツから招いた聖職者だ。

 フランシスコ法王は昨年11月28日、使徒的勧告「エヴァンジェリ・ガウディウム」(福音の喜び)を発表し、信仰生活の喜びを強調した。同法王は「教会の教えは今日、多くの信者たちにとって現実と生活から遠くかけ離れている。家庭の福音は負担ではなく、喜びの福音でなければならない」と主張している。
 教会の教えが信者たちにとって負担ではなく、喜びとなるために教会はどうしたらいいのか……、フランシスコ法王の悩みはそこにあるわけだが、不思議な点は、教会の教えが信者たちに喜びの福音となれない理由について、法王は何も明らかにしていないことだ。

 いずれにしても、シノドスで展開された議論は、改革派聖職者とそれに抵抗する保守派間の路線の戦いではない。なぜならば、大多数の聖職者は教会の教えを死守する一方、「寛容と慈愛」を取り入れていくべきだと考えているからだ。異なるのは、教会の教えと「寛容と慈愛」間の割合だけだ。ある司教は前者が、別の司教は後者の割合がより多い、といった具合だ。特別、シノドスで見られた司教たちの揺れは、教会の教えを変えず、「寛容と慈愛」を取り入れることが如何に難しい問題かがより一層明らかになったからだろう。

韓国は「言論の自由」を遵守すべし

 ウィーンに本部を持つ国際新聞編集者協会(IPI)の言論自由マネージャー、バーバラ・トリオンフィ女史は22日、当方とのインタビューに応じ、産経新聞前ソウル支局長の在宅起訴問題と朝日新聞の慰安婦報道の誤報について、その見解を明らかにした。

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▲インタビューに応じるIPIのトリオンフィ女史(2014年10月22日、IPI事務所で撮影)

 ソウル中央地検が8日、韓国の朴槿恵大統領に関するコラムをめぐる問題で、産経新聞の加藤達也前ソウル支局長を名誉毀損で在宅起訴したことに対し、同女史は「言論の自由を著しく傷つけている。加藤氏に対し刑罰上の名誉毀損(criminal defamation)を適用することは国際法の基準を逸脱している。政府関係者や公人は批判に対して寛容であるべきだ」と述べ、韓国当局は加藤氏への全ての処罰を即撤回すべきだと要求した。

 イタリア人の同女史は「「『言論と表現の自由』に関する2002年の国連特別審査官の共同宣言、欧州安全保障協力機構(OSCE)や米州機構(OAS)の特別報告書は『刑罰上の名誉毀損』を表現の自由の制限に適応することは正当ではないと明記している。産経新聞の場合、朴大統領が自身の名誉が毀損されたと感じたならば、民事法の名誉毀損(civil defamation)を訴えるべきだ。産経新聞のジャーナリストが起訴された背景には、険悪な日韓関係が多分影響を与えているのかもしれない」と語った。

 一方、朝日新聞の慰安婦問題に関する誤報について、同女史はメディアの「責任問題」に言及し、「メディアが誤報をした場合、2つの対応が不可欠だ。一つは誤報記事に対する正式謝罪だ。2つ目は誤報関連の全記事リストを公開することだ」と指摘した。


 朝日新聞の場合、社長が謝罪を表明し、誤報記事の背景を検証する委員会を設置したが、朝日新聞の慰安婦報道は国内だけではなく、海外のメディアにも大きな影響を与えている。安倍晋三首相は「朝日の慰安婦報道の誤報は日本の名誉を傷つけた」と主張しているほどだ。
 トリオンフィ女史は「国や公共機関はメディアの誤報に対し、賠償請求はできない。国は誤報による被害総額を計算できないからだ。ただし、読者が連帯して朝日の誤報に対し被害賠償を請求することは可能だろう」と説明した。

 
  IPIは1950年10月、創設された機関で、言論の自由を促進し、世界の言論の自由を検証した年次報告を発表している。 120カ国以上が参加している。

モスクワの不動産業者の「宣伝文句」

 “この別荘を購入した人にはヘリコプター1機プレゼント”
 こんな宣伝文句を聞いたことがあるだろうか。モスクワ郊外の不動産の広告だ。けっして子供たちのレゴ遊びではない。

 モスクワ郊外に大きな敷地にある別荘を購入するためにはもちろん巨額の資金がいる。ヘリコプターもその大きさによってコストは違うだろうが、けっして安くないはずだ。その両者がセットとなって今、モスクワで売り出されているというのだ。少なくとも欧州社会では聞いたことがない規模のデカい不動産ビジネスだ。

 ロシア富豪たちの生活は桁が違うとよく言われる。ロシア富豪の生活ぶりはこのコラムでも数回紹介した。ウィーンの日本レストランにロシア富豪の家族が食べに来た時の話だ。その注文する量と食べ方は通常ではない。ロシア人は寿司や刺身が好きだから、大量に注文する。食べ残すほどだ。そしてお勘定の時、大札のチップを気前よく振る舞う。チップで気前のいい米国旅行者もロシア人のチップには勝てない。食べ方は行儀良くはないが、チップはいい、ということでレストラン側もロシア客を大歓迎する。


 冬になればチャーター機でザルツブルクやチロルのスキー場ーに家族で来る。チロルではロシア語ができる人を雇っているホテルもあるほどだ。採算が合うからだ。スキー・シーズンになればモスクワ発のチャーター機でザルツブルクやインスブルックの飛行機場は一杯となる。

 ロシア富豪の一部はウクライナ紛争に関連した欧米諸国の制裁で渡航禁止リストに載っているから、この冬はスキー休暇を見合わせなければならないかもしれないが、大多数の富豪たちは今年もスキーを楽しむだろう。オバマ米大統領がゴルフ狂のように、ロシアの富豪たちはスキーが大好きなのだ。

 ところで、ロシアの富豪たちはどうして西側の人々も羨むほどお金持ちとなったのだろうか。答えは簡単だ。ガス、原油、地下鉱物資源の輸出だ。すなわち、クレムリンの権力者と巧みに手を組んで一山を当てた人々だ。ロシア語で「オリガルヒ」と呼ばれている人々だ。もちろん、全ての富豪たちがそうだとはいえないが、スーパー・リッチと呼ばれる人々は例外なくそのような人物たちだ。

 ハーバード大学の国際政治学者ジョセフ・ナイ教授は、「ロシアは将来、中国にガスや原油を供給するガソリンスタンドの存在に過ぎなくなるだろう」と予想している。ロシアが抜本的な経済改革を実施しない限り、同国は先端技術の生産・開発力を失い、原油とガスの輸出依存の未開発国の地位に留まるというのだ。

 欧米諸国の対ロシア制裁はロシアの国民経済を確実に弱体化させている。ルーブルの下落、外国投資・資本の流出などは既に現実化している。モスクワのスーパーではこれまで西側から輸入してきた農産物や商品が姿を消し、ロシア産の農産物だけとなってきた。富豪者向けのスーパーだけは依然、西側からの輸入農産物が売られている。モスクワの多くの年金者は貧困ライン以下の生活を余儀なくされている。

 ロシアの国民経済は厳しい冬を間近に控えているが、ロシアの富豪たちはどこ吹く風といったように、欧米社会のショーウインドーを覗いては、財布のひもを緩めている。
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