ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

メディアが看過する報道の「責任」

 作家の百田尚樹氏が先月25日、自民党若手議員主催の勉強会で、「沖縄の二つの新聞は潰さないといけない」と発言したということで、本人ばかりか同氏を勉強会に招いた自民党関係者に対しても批判が出ている。そして批判の矛先はここにきて安倍晋三首相にまで広がり、首相自身が、「言論の自由を侵すことは許されない」と語り、作家の発言騒動の沈静化に乗り出している。

 アルプスの小国オーストリアに住み、正直言って問題の主役、作家の百田さんについて、当方はその著書をまだ読む機会がないので、本来何も言えない立場だが、テーマが「言論の自由」ということなので、当方の考えを少しまとめてみたい。

 「言論の自由」は憲法でも保障されている基本的人権の一つだ。ただし、「報道の自由」については、報道が国民を誤導し、ひいては国家をミスリードすることもあることを私たちは学んできた。

 最近では、朝日新聞の慰安婦誤報の怖さを体験したばかりだ。「旧日本軍が慰安婦を強制的に性奴隷とした」といった類の報道が朝日新聞を中心に久しく流れた。その朝日の慰安婦誤報は米紙「ニューヨーク・タイムズ」に頻繁に引用され、「日本人は性奴隷をした民族だ」といった論調がアルプスの小国オーストリアのメディアまで広がっていった。当方はウィーンに35年余り住んでいるが、慰安婦報道では朝日の誤報に悩まされてきた一人だ。

 すなわち、朝日新聞の慰安婦報道は日本に住む国民だけではなく、世界に住む日本人にも消すことができない汚名を着せてきた。その朝日新聞を含む日本のメディアが現在、私人の一作家の「沖縄の2紙を潰せ」といった批判を問題視し、それを政権批判に利用しているのだ。
 もちろん、同氏を招いた自民党青年部議員の発言は看過できない。その集まりが公なものではなく、私的な勉強会だったといっても与党の看板を背負う党員は公人だ。一私人の作家とは明らかに異なる。だから、自民党本部が勉強会を主催した党責任者、木原稔青年局長党員を処罰したのは正しいだろう。

 しかし、作家発言の報道を追っていると、首をかしげざるを得ないことがある。「報道の自由」を守れといった論調が主流を占め、メディアの「責任」問題を追及する声がほとんど聞かれないことだ。メディアが報道しているのだから自身の問題は後回しに、というのかもしれないが、「報道の自由」が日本社会にいい影響だけではなく、日本の国益すら危険にさらすケースが増えていること、それに対する一部国民のメディアへの憤りが高まっていることなどを無視していることだ。

 非情な性犯罪が発生する度に、メディアは犯人の犯行に至った背景を詳細に報道するが、メディア関係者が連日、いかがわしい性情報を垂れ流してきた責任を見落としている。性犯罪を助長する一方、犯罪が生じると、容疑者を批判し、審判する。これはおかしい。「報道の責任」についてもう一度、メディア関係者は再考する必要がある。
 自由は尊い。自由を勝ち取るために多くの先人が血を流してきた。それだけに、その自由を大切に行使する義務がわれわれメディア関係者にはあるはずだ。繰り返すが、自由を求める前にやはりその責任を指摘しなければ不十分だ。

 朝日新聞の慰安婦報道をもう一度検証し、間違った報道が国家、国民の名誉すら傷つけてしまうことを想起し、メディア関係者は「報道の自由」に対し謙虚となるべきだろう。百田尚樹氏の発言問題の議論もメディアの責任論に言及してこそ実りある議論となるのではないか。もう少し、突っ込んで言及すれば、「沖縄の二つの新聞(「琉球新報」と「沖縄タイムス」)は潰さないといけない」といった同氏の発言内容を検証するのもメディアの役割ではないか。

交渉期限後の「外交の正念場」

 2つの「6月30日」が過ぎた。一つは国際通貨基金(IMF)へのギリシャの債務返済期限だった。IMFはギリシャのデフォルト(債務不履行)を「延滞」と受け取り、今月5日実施のユーロ圏グループが提示した金融緊縮政策の是非を問う国民投票の結果待ちとした。もう一つの「6月30日」はイランの核協議で、国連安保常任理事国とドイツの6カ国とイラン間で最終合意を達成すべき交渉期限だったが、「まだ解決されなければならない問題が残されている」(ケリー米国務長官)として1週間余り、協議は延長されたばかりだ。

 前者の「6月30日」は欧州経済ばかりか、世界経済にも影響を及ぼす深刻な問題だ。欧州連合(EU)、ユーロ圏諸国はギリシャ政府と最後の土壇場まで交渉を繰り返したが、チプラス首相が突然、債務返済期限後に国民投票を実施して緊縮政策の是非を問うと表明し、EU側を失望させた。ユーロ圏の財務相は、「国民投票を実施するのなら、なぜ6月30日前に実施しなかったのか」と不快感を吐露したほどだ。チプラス首相にとって、「6月30日」は対ユーロ圏との債務交渉の期限ではないわけだ。

 イラン核協議では昨年11月、今年6月30日までに最終合意を実現することで一致したが、イランの軍事関連施設への査察、対イラン制裁解除の手順などで6カ国とテヘラン間で意見の隔たりが埋められずにきた。イランの核協議は2002年以来13年間、延々と続けられてきた。
 
 2つの「6月30日」で、前者のギリシャの債務返済期限は明らかに時間が過ぎたが、債務返済交渉をしてきたユーロ圏諸国とギリシャは依然、最終的決定を下せずにいる。
 一方、イランの核協議は4月の段階と6月段階でどれだけ前進があったか。4月の段階でも「まだ解決すべき問題が残されている」といってきた。そして6月末まで協議を延長してきた。極端にいえば、時間は経過したが、協議自体は停滞してきたというべきだろう。

 2つの「6月30日」を振り返ると、外交の交渉期限は関係国の意向によって、延長されたり、無視されたりする。すなわち、外交世界では「時間」はアインシュタインの相対性理論ではないが、絶対ではなく、相対的に過ぎないわけだ。換言すれば、外交は最終決定まで非常に流動的だというわけだろう。
 メディアは外交の交渉期限、日程を重視し、それまで協議がどのように進展するかを注視するが、協議を実際に行う外交関係者にとって、外交は国益を守ることにあるから、国益が守れないとなれば、交渉期限は意味がないため、容易に破棄したり、延長する。交渉期限が過ぎても何も決定されない時、メディア関係者は失望するが、外交官は新たな妥協を模索して必死の外交を水面下で進める。
 
 ギリシャの債務返済問題では、チプラス首相は選挙前の公約を果たすためにあらゆる手段を駆使する。交渉相手を怒らすことも、ある時は騙すことも躊躇しない。いい顔を続けることはできない。交渉の風向きが良くなれば、突進する。まさに、外交は武器を持たない戦争だ。
 イランの核協議も双方に相手への信頼がない。だから、口約束や文書も決して十分ではない。相手が約束を実施し、それを検証するまでは信頼できない。だから、交渉はきめ細かく、一つ一つ詰めていくしか道がない。イラン核協議が13年間も続いてきた理由だろう。

 2つの「6月30日」という交渉期限はその成果をもたらさなかった。延長戦に入った今週末までに解決の見通しがつくだろうか。ギリシャの債務返済問題では5日に国民投票が実施され、イラン核協議では核保障措置協定を担当する国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長が急遽テヘラン入りした。交渉期限後に「外交の正念場」がやってきそうな雰囲気だ。

「幸せへのナビゲーション」

 7月に入れば、欧州国民は移動を開始する。バケーション(独 Urlaub)の季節だ。子供の学校が夏休みに入るや否や、休暇地に向かう家族連れの人々で空港、駅、アウトバーンは溢れる。「今年の夏はどこで休日を過ごすのか」という挨拶が路上で飛び交う季節だ。

 世界に12億人以上の信者を有するローマ・カトリック教会の最高指導者ローマ法王フランシスコも今月に入ると9月半ばまで夏季休暇に入る。水曜日の一般謁見だけではなく、サンタ・マルタでの朝の礼拝も中止だ。例外は、7月6日から1週間、エクアドル、ボリビア、パラグアイの南米3カ国訪問が控えているだけだ。78歳の高齢法王にとって、夏季休暇は健康管理上大切だ。
 3カ月余りの夏季休暇といえば、フランシスコ法王だけではない。駐オーストリアの金光燮・北朝鮮大使(金正恩第1書記の義理の叔父)も3カ月余り平壌に戻る。帰任は通常10月に入ってからだ。羨ましいぐらい、長い夏休みだ。

 ところで、バケーションに不可欠なものはナビゲーションだ。車で新しい地を訪ねることが多いので、カー・ナビゲーションは必需品だ。目的地までの道順はナビゲーションでサーチすれば簡単に手に入る。
 イタリアの友人家庭が昨年夏、ウィーンの当方宅を訪ねてきたが、カーナビのお蔭で最短ルートでウィーンに到着した。彼らがイタリアの北部の小都市ベルガモからミリオン都市のウィーンを初めて訪れるというので、最初は少し心配していたが、取り越し苦労だった。知人はカーナビの示すルートに従って快適に車を飛ばし、ザルツブルクで一度休憩し、8時間余りで無事ウィーンに到着した。

 独週刊誌シュピーゲルを読んでいると、ナビゲーションは目的地へ「最短距離のルート」を示すプログラムだけではなく、散策者用の「最も美しいルート」、「最も静かなルート」を示すプログラムなどが作成されているという。もちろん、そのためには該当する都市のメガ・データが必要だ。そのうえ、「美しい」という主観的な感情もデータに基づいていなければならないから、プログラム作成者は事前に多くの人々に「何が美しいと感じるか」といった意識調査を実施する必要がある。「静かなルート」でもそうだ。また、昼は美しく感じた公園が夜は怖い場所に変ることもあるので、そのデータは複雑であり、プログラム作成には大変な時間とデータが不可欠となる。

 例えば、自宅から会社に通う場合、今日は少し時間があるから「最も美しいルート」で、寝坊したので時間がないから、「最短距離ルート」で会社へ行こうといったふうになる。また、花粉症や汚染大気に過敏な人用に「最も健康なルート」を利用するといったように、使用者に応じてナビゲーションのプログラムを臨機応変に利用できれば最高だろう。

 ところで、人間はどんな人も幸せを求めている。そこで人を幸せに導くプログラム(幸せへのナビゲーション)を作成すれば大ヒットするのではないか。
 もちろん、幸せを感じるというのはかなり主観的なものだから、事前に好みや趣味、気質や性格などのデータを入れ、どんな時に幸せを感じたかなどをデータに覚えさせなければならない。
 見知らない街に旅した時、「幸せのナビゲーション」のスイッチを押すと、自分の好みの食事を提供してくれるレストラン、好きなフィルムが上演中の映画館、気の利いたコーヒーを飲ませてくれる喫茶店があるルートを見つけ出してくれる。
 レストランや娯楽施設だけでは物足りない知識人用には、ウィーン郊外の「ベートーベンの散歩道」のような歴史的人物の香りが漂う散策道、博物館、記念館、美術館などがあるルートを教えてくれるだろう。神様に関心が強い敬虔なキリスト信者には教会回りも考えられる、といった具合だ。

 しかし、全てプログラムによってコントロールされると、人によっては充足感・幸福感が減少する場合がある。人は冒険を好み、想定外の出会い、偶然を好む傾向があるからだ。そのような人にはナビゲーションのスイッチを切り、街に飛び出し、心の赴くままに歩き出すことを助言する。いずれにしても、夏季休暇を有益に過ごしてほしいものだ。

欧州はギリシャを救えるか   

 ギリシャのチプラス首相が29日、「金がないのにどうして払えるか」と語ったという記事を読んで、欧州連合(EU)とユーロ圏諸国は最終的にはギリシャの要求を大幅に受け入れる以外に今回の金融危機を乗り越えることが出来ないのではないか、と感じた。なぜならば、ギリシャが圧倒的に弱い立場に立っているからだ。少し文学的に表現すれば、欧州はギリシャの厚顔無恥な交渉に敗北するのではなく、欧州自身の優しさに屈服するのではないかと思うからだ。

P1000877
▲「ギリシャ中央銀行」の看板(2012年5月 撮影)

 ギリシャは30日までに国際通貨基金(IMF)へ約15億ユーロの返済を求められたが、返済できなければ、デフォルト(債務不履行)だ。実際は、欧州中央銀行(ECB)が当分、ギリシャへの金融支援を続けるから、ギリシャ情勢は7月5日実施予定のブリュッセルが提示した金融改革案の是非を問う国民投票の結果待ちだ。それに先立ち、ユーロ財務相会合はギリシャとの交渉の打ち切りを決めている。

 客観的にみると、債務国ギリシャの立場は弱い。ポルトガルなど他のEU諸国が厳しい緊縮財政で危機を乗り越えようとしている時だ。ギリシャ側の改革への意識が十分ではないと言われても仕方がない。

 ギリシャの金融危機問題で欧州連合、ユーロ圏諸国は議論を繰り返し、アテネに財政支援してきた。シニカルな経済学者は、「イランの核協議を思い出すべきだ。彼らは既に13年間あまり議論を交わしているが、やっとここにきて最終合意交渉に入ったばかりだ。欧州とギリシャの財政協議はまだ5年間に過ぎないではないか。いずれにしても、ギリシャの国民経済は今後もユーロ圏やIMFの財政支援を必要としている」と予測する。

 確かに、ギリシャがIMFに16億ユーロの債務を返済したとしても、10月末までに返済期限を迎えるのは、IMFへの返済のほか、7月20日に約35億ユーロ、8月20日に32億ユーロをECBへ返済しなければならない。次から次と債務返済日が訪れてくるのだ。

 ギリシャがその返済期限を順守しなければ、その時にデフォルトだ。IMFは緊急理事会を開き、その対応を検討する。ユーロ支援基金(EFSF)はギリシャの返済分をIMFに返済しなければならない。EFSFはこれまで1300億ユーロを支援してきた。どうみても、ギリシャが金融危機を完全にクリアするためには長い、苦難の道のりが控えているわけだ。

 考えてほしい。ECBが緊急支援を中止すれば、その瞬間、ギリシャは破産だ。国民は現金自動支払機(ATM)にカードを入れてもユーロはもはや出てこない。物価は急騰し、年金や公務員の給料未払いが続けば、暴動の危機が出てくる。路上には空腹の国民の姿がロイターやAP通信社の写真で世界に流れる。子供の食事すら買えなくて戸惑う母親の姿は国際社会の同情を引くだろう。

 ここで欧州の移民問題を思い出してほしい。欧州には北アフリカ・中東諸国から移民が殺到している。冷戦時代、難民収容所国家と呼ばれたオーストリアでは移民を収容できず、テントを設置して収容しているほどだ。雨が降れば濡れるテント生活を強いられる移民たちの姿が夜のニュース番組で流れると、「移民たちをテントではなく、収容所に収容すべきだ」という声が与野党から出てきた。テント生活を強いられ、雨が降れば濡れる移民の姿を国民は冷静に見ることができなくなるのだ。 

 ギリシャ問題でも同じことが生じるのではないか。ブリュッセルが同じ欧州大陸で展開する惨めなギリシャ国民の姿にどれだけ耐えられるだろうか。必ず、ギリシャを救えといった声が飛び出し、緊縮政策を強いるブリュッセルへの批判が高まるだろう。その結果、ユーロ圏側が再び腰を上げ、ギリシャ支援に乗り出し、債務返済の延期、免除などを実施していくことになるのではないか。もちろん、その背後には、ギリシャに対して巨額な債権を保有するドイツやフランスなどの欧州諸国がギリシャの完全な破産だけは避けたいという台所事情があるだろう。

 ギリシャは過去、オスマン・トルコに長い間支配され、その後、ナチス・ヒトラーに占領されてきた。戦後は、軍事政権が国家を掌握する一方、一部の上層部の腐敗政権が続いてきた。そのためというか、ギリシャ国民は国家を信頼できず、国家に税金を支払うことを拒否する傾向が他国民より強いといわれる。民主主義の発祥の地ギリシャの国民が彼らの利益を代表する国家をこれまで体験出来なかったことは悲劇だ。

「夫婦」で聖人となる時代の到来

 非常に象徴的な決定だ。ローマ・カトリック教会では中世以降、聖人に列聖された人物は個人であり、夫婦が共に列聖されたケースは殉教の場合を除いてなかった。それが今年10月、1組のカップルが列聖されることになったのだ。バチカン放送独語電子版が28日、報じた。以下、オーストリアのカトリック通信「カトプレス」の記事の概要を紹介する。

150px-Louis_Martin150px-Zelie_Martin
▲列聖されるルイ・マルタン、ゼリー・マルタン夫妻

 フランシスコ法王は、「夫婦は聖人への王道だ」とツイッターで呟いたことがあったが、ローマ・カトリック教会の聖人カレンダーを見る限り、過去500年の間、殉教した夫婦以外で聖人となったカップルはいない。その教会歴史上初めて、夫婦が模範的な生き方をしたという理由から列聖されるというのだ。その夫婦とは、フランス人のルイ・マルタン(1823〜94年)とゼリー・マルタン(1831〜77年)夫妻だ。
 
 フランシスコ法王は27日、枢機卿会議で同夫婦を将来聖人とすると発表、今年10月18日、「福音宣教からみた家庭司牧の挑戦」をテーマに協議する通常の世界司教会議(シノドス)の枠組みの中で列聖式を挙行すると述べた。それによって、教会近代史で初の“聖家族”が生まれることになる。なぜならば、同夫婦は聖人のカルメル会修道女リジューのテレーズ(Therese von Lisieux、1873〜97年)の親だ。両親と娘が聖人となるからだ。同夫婦の聖遺物は昨年10月の特別シノドスの時、サン・ピエトロ大聖堂とサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂で設置済みだ。

 カトリック教会で過去、列聖された夫婦がまったくいなかったわけではない。例えば、マリアとヨゼフ夫妻、マリアの両親のヨハヒムとアンナ夫婦だ。ただし、同2組の夫婦や列聖された夫婦は中央ローマ列聖手続が導入された1588年前だ。それ以後は、日本と韓国のキリスト教迫害時代に殉教した夫婦が列聖されただけだ。

 独ケルンの聖人問題エキスパート、ヘルムート・モル氏は、「ルイとゼリー・マルタン夫妻は列聖される初の夫婦となる」という。ゼリーは2008年、第2番目の夫婦として列福されている。その7年前、イタリア人の夫婦、Luigi(1880〜1951年)とMaria(1884〜1965年)Beltrame Quattrocchiが列福されたが、まだ列聖されていない。カトリック教会では、列福(福者)は列聖(聖人)の前段階に当たる。

 マルタン夫妻の場合、「娘が列聖されているから、その恩恵で列聖されるだけだ」といった憶測が審議段階で流れたことがあるが、夫婦は19年間、9人の子供を産み、全ての5人の娘は修道女となっている。すなわち、親として子供たちを立派に教育してきたというのだ。

 カトリック教会では聖人はスターだ。そして夫婦が今回、初めて一緒にその栄光を受ける。これは明確なシグナルだ。教会のスターは過去、信仰を守り、誘惑に勝利した個人が受けてきたが、これからは夫婦が共に聖人への道を歩むことになる。少し神学的表現をすれば、ローマ・カトリック教会で「個人救済」の時代は終わり、「家庭救済」の時が訪れてきたというわけだ。マルタン夫妻の列聖はカトリック教会の新しい歴史の幕開けを意味する。


 ちなみに、「どうしたら夫婦は聖人となれるか」の問いに対し、フランシスコ法王は「毎日、犠牲と献身で生きることだ」とツイッターで述べている。

「中立性の原則」を破った潘基文氏

 米連邦最高裁判所が26日、同性婚を合憲と認めた、というニュースが流れると、バチカン放送は「悲劇的な過ち」と批判した米国カトリック教会司教会議のコメントを掲載する一方、「米国の勝利だ」と述べたというオバマ米大統領のメッセージも伝えた。立場と信念が異なれば、評価も異なるが、同性婚問題で一方は「悲劇的ミス」と評し、他方は「米国の勝利」と称えたのだ。これほど好対照な評価は珍しい。

wurst2
▲同性愛歌手ヴルストさんを歓迎する潘基文国連事務総長(2014年11月3日、ウィーン国連内で撮影)

 同性婚問題ではその少数派への差別撤回という点では多数の支持を得てきたが、同性婚をどのように認知するかで意見は分かれている。例えば、欧米諸国では同性婚を認める傾向が強い一方、旧ソ連・東欧諸国では拒否姿勢が強い。ロシアは同性婚を拡大するような言動に対して法的に強い姿勢で対応しているほどだ。同性婚問題では依然、コンセンサスはないのだ。

 ところで、共同通信によると、潘基文国連事務総長は26日、同性愛者の権利促進に貢献したという理由でハーヴェイ・ミルク勲章を受賞した。同勲章は米政治家で同性愛者の活動家だった故ハーヴェイ・ミルク氏(1930〜78年)の遺族が創設したもので、同性愛者運動に寄与した人物に贈られる賞だ。事務総長は米サンフランシスコ市庁舎で「ミルク勲章」受賞演説をしている。すなわち、事務総長は同性婚の支持者だということを内外に明らかにしたわけだ。

 潘基文事務総長は昨年11月3日、ウィーンの国連を訪問し、欧州ソング・コンテスト、ユーロヴィジョン(Eurovision)で優勝したオーストリアの同性愛歌手コンチタ・ヴルスト氏と会合し、「国連内では人種、性的指向の差別は存在しません。ヴルストさんが性的差別の克服するために健闘していることを評価します」と歓迎スピーチをした。事務総長は同性愛問題では久しく熱心な支持者だ、というわけだ。ミルク勲章の受賞は納得できるわけだ。

 しかし、問題が出てくる。国連は193カ国の加盟国から構成されている。その事務局のトップ、国連事務総長が同性婚を率先して支持することはその立場上好ましくはないのだ。米連邦最高裁判所は合憲と判断したが、あくまでも米国内の判決だ。世界には同性婚を公認しない国も多数存在する。国連憲章第100条1を指摘するまでもなく、国連事務総長はその職務履行では中立性が求められているのだ。

 ドイツを公式訪問中のエリザベス英女王が24日、晩餐会で「欧州の分裂は危険だ」と発言したことに対し、2017年末までに実施予定の欧州連合(EU)離脱を問う国民投票を意識した政治発言ではないか、といった批判の声が飛び出している。英王室は政治問題では中立性を守るという不文律があるからだ。中立性という問題では加盟国間の調整役を演じなければならない国連事務総長も同様だろう。

 多分、事務総長は、「私はこれまで差別されてきた同性愛者の権利を擁護しただけで、同性婚問題については何も表明していない」と反論するだろう。しかし、事務総長が支持している同性愛者は同性婚の権利を要求している人々だ。すなわち、同性婚を要求する人々を事務総長は応援していることになるわけだ。宗教や民族の少数派支持とは異なるのだ。同性婚問題はその家庭観、人生観、世界観まで網羅しているテーマなのだ。

 ちなみに、潘基文氏は自身の「宗教の有無」を明らかにしていない唯一の国連事務総長だ。宗教紛争が絶えない現状を考慮して、どの宗派にも属さない中立の立場をキープするために、「宗教の有無」を公表していないとしたら、賢明かもしれない。その国連事務総長が同性婚問題ではなぜ安易に支持側に立つのだろうか。例えば、国連事務総長は同性婚を強く拒否する国連加盟国ロシアの国益を無視していることになるのだ。

 2期目の任期も後半に入る事務総長はこれまでこれといった実績がない。焦る気持ちは理解できるが、加盟国間で意見が一致しない同性愛問題で国連事務総長が率先して同性愛者支持の姿勢を示すことはその職務上、好ましくない。

ローマ法王の爆弾発言「離婚の勧め」

 神の前に永遠の絆を誓って結婚した夫婦は生涯、尊敬しあい、助け合って生きる。その絆を断つことは許されない。このようにカトリック教会で結婚した信者たちは神父から聞かされてきた。
 しかし、南米出身のローマ法王フランシスコは、「時には離婚は避けられないというより、道徳的に必要な場合がある」と語ったのだ。イギリスのヘンリー8世は離婚を認めないカトリック教義に反発して、独自の教会(英国国教会)を創設したが、同8世がフランシスコ法王の「離婚の勧め」を聞いたらビックリしただろう。

 フランシスコ法王の爆弾発言、「離婚の勧め」を少し紹介しよう。バチカン放送独語電子版によると、フランシスコ法王は24日、一般謁見で、「家庭は自動的に幸福な世界ではない。傷つけあい、罵声が飛び交う場所でもある。多くの子供たちは親が互いに罵り合っているのを見て傷つく。夫婦間の葛藤の最大の被害者は子供たちだ」というのだ。

 さらに、「家庭内で互いに傷つけあうことは残念ながらよく見られる病だ。後で後悔して互いに償いができる段階ならいいが、罵倒が限度を超え、敵意と非情となれば状況は悪くなる。夫婦間のいがみ合いの悪循環は最終的には男と女の繋がりを破壊してしまう。それだけではない。それを目撃する子供たちの魂も傷つくのだ。人々は魂が傷つくことがどのような意味かを理解していない。家庭内の両親の不和が子供たちの魂に取り返しがつかない傷を残すのだ」と繰り返し指摘する。

 法王の発言はそこで留まらない。一歩、前に出る。「夫婦間の不和、葛藤がある段階を超えると離婚が避けられなくなる状況が出てくる。そうなれば、離婚が道徳的にも必要となるのだ」と強調し、離婚に理解を示したのだ。もちろん、「厳しい状況下にある夫婦は神への信仰と子供への愛を思い出して困難を乗り越えて再出発してほしい」と付け加えたが、法王はそれが容易ではないことを知っているのだ。

 カトリック教会の信者たちはフランシスコ法王の「離婚の勧め」をどのように受け止めるだろうか。カトリック教会は男と女が一旦結婚すれば、永遠に連れ添いあうと考えてきたし、教会側もそのように教えてきた。歴代のローマ法王の中で離婚を勧めた法王はいなかった。フランシスコ法王は誤解を恐れず、現実の多くの絶望的な家庭を意識したうえで、「離婚が道徳的にも避けられない状況がある」と判断しているのだ。
 ちなみに、離婚の場合、夫婦が共にカトリック教徒の場合、教条上は離婚は許されないが、一方がプロテスタント信者や無宗教者の場合は状況は少し変わる。また、教会側に「婚姻無効宣言」をしてもらい、再婚する信者もいる。

 バチカン法王庁で今年10月4日から通常の世界司教会議(シノドス)が開催される。バチカンは昨年10月、特別シノドスを開き、「福音宣教からみた家庭司牧の挑戦」について協議したが、通常シノドスではその継続協議が行われる。フランシスコ法王の離婚容認発言はシノドスの主要議題の一つ、離婚・再婚者への聖体拝領問題に大きな影響を及ぼすのは必至だろう。カトリック教義ではこれまで離婚・再婚者への聖体拝領は許されていないのだ。

 欧米社会では3組に1組、多いところでは2組に1組の夫婦が離婚する。カトリック教会が離婚・再婚者への聖体拝領を拒否し続けた場合、信者たちを教会に引き止める手段がなくなる。フランシスコ法王は離婚・再婚者への聖体拝領を認める方向で検討に入っているのかもしれない。法王の「離婚の勧め」が教会の教義と一致するかなどの神学議論は今後、活発化するのではないか。

「ハルモ二の恨」を利用したのは誰か

 韓国の尹炳世外交部長官(外相)は24日に聯合ニュースのインタビューに応じ、日韓国交正常化50周年の記念行事を期に日韓の関係修復に意欲を示したが、その中で、慰安婦問題に対して、「被害者のハルモニ(おばあさん)の恨(ハン)を晴らすことが必要」と訴え、薬の処方に喩えて、「慰安婦被害者問題においても、細かい分野で痛みを和らげる効果がある処方にならなければならない」と答えている。

 外相は「ハルモニの恨」を晴らさなければならないというが、韓国政府はそのためにこれまで何をしてきたのか。ソウルの日本大使館前に少女像を建て、米国にも慰安婦少女像が建てられたが、それで「ハルモニの恨」が本当に晴らされると信じていたのか。それとも、「ハルモニの恨」は日本側が晴らさなければならない問題と考えてきたのだろうか。

 われわれは隣国を選ぶことは出来ない。同時に、どの国に生まれるかも選ぶことはできない。ハルモニのことを考えてみよう。生まれた国が日本に併合された韓国だった。慰安婦とならなければ生きていけなかったハルモニには恨があったかもしれない。しかし、終戦を迎え、多くのハルモニは解放された。その段階で、ハルモニは慰安婦であった人生に終止符を打って新しい人生を歩み出したはずだ。当然、慰安婦であったことなど誰にも告げず、生きていこうとしただろう。彼女たちの家族も同様だろう。娘たちが過去を忘れて新しく出発してくれることを願っていたはずだ。

 そこに旧日本軍の慰安婦問題が韓国の政治議題となって浮上してきた。そして慰安婦として政治の舞台や集会に呼び出され、その恨をもう一度想起するように強いられてきたのだ。

 外相は、「ハルモニは自身の過去を世界に証言したいと願っている」というが、本当にそう考えているのだろうか。どの国の慰安婦がその過去を公の場で語りたいだろうか。彼女らは本来、静かに余生を過ごしたかったはずだ。しかし、韓国側は反日攻撃の武器として慰安婦問題を活用してきたのだ。時間の経過と共に癒されつつあった「恨」に塩を摺り込み、目覚めさせた張本人は韓国政府だったのではないか。

 繰り返し聞きたい。韓国政府は過去70年間、「ハルモニの恨」を晴らすためにどれだけの努力を払ってきたのか。もし、「わが国はハルモニの恨を十分晴らしてきた」と主張するのなら、日本側に慰安婦への経済的支援を求める必要などないはずだ。

 国民の幸せに対して、国側が先ず責任を担う。慰安婦の幸せ、恨を晴らす最初の責任は韓国側にある。外相は、「細かい分野で痛みを和らげる効果がある処方にならなければならない」と答えている。韓国側が恨を晴らす処方箋を熟知しているのならば、どうして彼女たちの恨みがこれまで晴らされなかったのか。韓国側には十分な時間があったはずだ。

 朴大統領は今月、ワシントン・ポストとのインタビューの中で、「慰安婦問題の協議は最終段階に来ている」と述べたという。この発言は慰安婦問題を国主導で推進してきたことを半ば認めたようなものだ。慰安婦問題とは、「ハルモニの恨」云々ではなく、対日交渉で有利な状況を勝ち得るための政治道具だったことを、朴大統領の発言は図らずも明らかにしているのだ。「ハルモニの恨」を晴らすことが主要関心事なら、「慰安婦問題の協議が最終段階に来ている」とは絶対に表現しないだろう。「恨」には最終段階や初期段階など存在しないのだ。

 日本側は過去、「河野談話」、「村上談話」などを通じて謝罪を表明してきた。そして、「アジア女性基金」を創設して慰安婦救済に乗り出してきた。慰安婦たちもそれを聞いてきたはずだ。
 一方、韓国では、慰安婦問題で日本側から謝罪を勝ち取りたいという誘惑に駆られてしまう政治家が余りにも多いのだ。これは韓国の「政治の後進性」を示すものだ。

私の本当の友人は誰?

 17世紀のイギリスの神学者トーマス・フラー(Thomas Fuller)は「見えないところで私のことをよく言っている人は、私の友人だ」(He's my friend that speaks well of me behind my back)と語ったという。とすれば、私がいる前で私のことをよく言っている人がいたら、ひょっとしたら私の友人でない可能性があるということになる。

 内部告発サイト「ウィキリークス」は23日、「米国の国家安全保障局(NSA)が3代のフランス大統領の通信を傍受していた」と指摘し、その関連文書を発表し、大きな波紋を投じている。このニュースを読んだ時、先述のイギリス神学者の言葉を思い出した次第だ。少し説明する。

 メディア報道によると、NSAはフランスのシラク元大統領、サルコジ前大統領、オランド現大統領の通話を傍聴していたという。オランド大統領は24日、緊急の国防会議を開催して対応を検討したほどだ。
 隣国ドイツではメルケル首相の通話がNSAに傍聴されていたことが発覚し、米独両国関係が一時、険悪化した。独連邦情報局(BND)がNSAと久しく連携して情報工作を行ってきたことも次々と明らかになっていった。ワシントンからの情報では、メルケル首相の通話を今後傍聴しないことで独米両国は一致したというが、NSAとBNDの連携は今後とも続けられる、と受け取られている。

 米国は他国の首脳の通話を傍聴できる技術的能力を有している。その国がその能力を行使せず、押し入れにしまって置くことなどは考えられない。メルケル首相もそのことを十分知っているはずだ。だから、オバマ大統領が、「あなたの携帯電話は盗聴しません」と表明したとしても、メルケル首相は完全には信じないだろう。

 冷戦後、世界は情報戦争に突入している。他国より、より早く、正確な情報を入手できる国が情報戦で勝利し、経済活動でも相手に先行して有利な商談を進めることができる。その情報戦争でトップを走っているのが米国だ。

 外交の表舞台では、お互いに相手を褒めるが、相手国の代表がいないような場所では相手の悪口や弱点を言いふらす。そのいやらしさは、どの国でも程度の差こそあれ同じだろう。外遊先で日本を批判してきた朴槿恵大統領の“告口外交”はその典型的な例だ。ただし、朴大統領の告口外交は余りにもストレートすぎて、変化球ではないから、相手側に読まれてしまう欠点がある。

 「大統領は素晴らしいですね」と安倍首相がオバマ米大統領の前で述べた場合、賢明なオバマ大統領は「ありがとう」と礼をいったとしても、安倍首相の言葉をそのまま信じないだろう。しかし、オバマ大統領がいない場所で安倍首相が「オバマ大統領は本当に素晴らしい大統領だ」と絶賛するならば、そのニュースは人の口から口へと伝わり、オバマ大統領の耳にも届くだろう。そうなれば、オバマ大統領はどう思うだろうか。「晋三もいいやつだ」と笑顔を見せながら呟くだろう。安倍首相がそこまで計算したうえでオバマ大統領を称賛するならば、安倍首相は情報戦で勝利者となれるだろう。安倍首相を外交の表舞台で批判する朴大統領の“告口外交”は情報戦がいかなるものかを理解していない最悪の外交だ。

 NSAの仏大統領盗聴工作が発覚した後、オバマ大統領がにやにやしながらオランド大統領に近づいてきたとする。オランド大統領は、「オバマ大統領はNSA関係者から自分の夜の行動に関する情報を手にいれたな」と考え、警戒するだろう。

 情報戦ではオバマ大統領は世界のどの指導者より有利な立場にいる。NSAがオバマ大統領の個人的な通話内容もひょっとしたら傍聴しているかもしれないが、基本的にはあり得ない。ただし、完全には排除できない。

 イギリス神学者の名言は21世紀の情報戦の勝利の秘訣を提示している。相手国は自分の通話を必ず傍聴していると考え、電話では相手を称賛すればいいのだ。その通話内容は必ず相手の耳に届き、相手はあなたを本当の友人と誤解するかもしれないだろう。もちろん、相手はあなたの褒め言葉すら計算済みかもしれないが……。
 それにしても、17世紀の神学者が21世紀の情報戦に生きる知恵を既に知っていたということは驚きだ。

フランシスコ法王の「謝罪」表明

 ローマ法王フランシスコは22日、イタリアのトリノ市のワルドー派教会を訪問し、「ローマ・カトリック教会が過去、キリストの名でワルドー派教会信者たちに対して行ってきた非キリスト的、非人間的な蛮行を許してほしい」と謝罪を表明した。

Waldo
▲ワルドー派の創設者、ピーター・ワルドー(ウィキぺディアから)

 ワルドー派は12世紀にフランス人のピーター・ワルドー(1140〜1218年)によって始まったキリスト教会内のグループで、中世のローマ・カトリック教会から異端といわれ、関係者や信者たちは迫害されてきた。ワルドーは1182年、リヨン大司教から破門され、1184年には当時の法王ルキウス3世によって異端宣言を受けている。
 ただし、ここにきて、「ワルド―派教会はルターたちの宗教改革に先駆けて現れた改革派教会であり、その教えは清貧を重視、聖書を翻訳し、原始キリスト教社会を理想としてきた」と高く評価する声が宗教学者の間で出てきている。

 ワルドーの生き方、思想はアッシジの聖フランチェスコと酷似している。裕福な商人だったが、富と享楽の生活の虚しさを感じ、イエスの「山上の垂訓」に感動し、神の道を求めて修道僧として歩み出した。イエスの教えを守らない腐敗した当時のカトリック教会指導者を批判し、聖書で記述されていないことを行う教会を糾弾した。ワルドーは「リヨンの聖人」と呼ばれた。

 バチカン放送独語電子版によれば、トリノのワルドー派教会指導者 Eugenio Bernardi 牧師は、「われわれは多くの共通点を有している。われわれは兄弟姉妹だ。カトリック教会から謝罪を受けた以上、われわれもいつまでもカトリック教会に恨みを持ち続けてはいけない。起きたことは起きたことであり、変えることは出来ない。重要な点はローマ法王がこのようなことを2度と起こしてはならないと表明したことだ」と述べている。バチカン放送はワルドー派教会指導者とローマ法王との会合を「兄弟姉妹の歴史的出会い」というタイトルで大きく報じた。


 ワルドー派教会は現在、約10万人の信者を有する。彼らは主にイタリアに住んでいるが、一部はドイツ南部や南米諸国にいる。ワルドー派教会は、ローマ法王フランシスコのトリノのワルドー派教会の訪問を評価し、その謝罪表明を歓迎している。

 フランシスコ法王は、「私の母国アルゼンチンでもワルドー派は非常に活動的で、社会分野で貢献している。カトリック教会とワルドー派教会は連携して、貧者救済に取り組むことができる」と喜び、「キリストの名で洗礼を受けた全てのキリスト者たちは互いに尊重しあって助け合うべきだ」と呼び掛けている。

 故ヨハネ・パウロ2世は西暦2000年の新ミレニアムを「新しい衣で迎えたい」という決意から、教会の過去の問題を次々と謝罪し、ヤン・フス(1370〜1415年)に対しても謝罪を表明した。フスはボヘミア出身の宗教改革者だ。免罪符などに反対し、コンスタンツ公会議で異端とされ、火刑に処された。フランシスコ法王のワルドー派教会への謝罪表明はそれに匹敵するものであり、キリスト教の再統合と和解を促進させる狙いがあると受け取られている。
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

Recent Comments
記事検索
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ