ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

ローマ法王「独身制は永遠です」

 バチカン法王庁のナンバー2、国務長官、ピエトロ・パロリン枢機卿は6日、「ローマ法王フランシスコは聖職者の独身制の改革を考えていない。独身制問題はローマ法王の緊急課題となっていない」と述べた。ローマ・カトリック教会系グレゴリアン大学での会議で語った。

 欧州のメディアでは先月末、「フランシスコ法王は聖職者の独身制の見直しを考えている」「メキシコ訪問の際に独身制の緩和を発表するのではないか」といった憶測が流れていた。パロリン国務長官の発言は独身制に関する憶測を否定する狙いがあったものとみられる。

 その上で、パロリン枢機卿は、「独身制をどのように改革するか自分には分からない。聖職不足は独身制とは直接関係はなく、人口減少、特に欧米社会の少子化に関連するものだ。例えば、婚姻が認められている聖公会も聖職者不足に直面している」と述べている。

 南米教会出身のフランシスコ法王は前法王べネディクト16世と同様、「独身制は神の祝福だ」という立場だ。ただし、「聖職者の独身制は信仰(教義)問題ではない」と認めている。なお、フランシスコ法王は聖職者の2重生活については批判的だ。聖職者が一人の女性を愛するなら、聖職を断念し、愛する女性と家庭を持つべきだという立場だ。

 パロリン国務長官自身、2013年、べネズエラ日刊紙の質問に答え、「カトリック教会聖職者の独身制は教義ではなく、教会の伝統に過ぎない。だから見直しは可能だ」と述べ、欧州メディアで大きく報道されたことがある。

 カトリック教会では通常、聖職者は「イエスがそうであったように」という理由から、結婚を断念し、生涯、独身で神に仕えてきた。しかし、キリスト教史を振り返ると、1651年のオスナブリュクの公会議の報告の中で、当時の多くの聖職者たちは特定の女性と内縁関係を結んでいたことが明らかになっている。カトリック教会の現行の独身制は1139年の第2ラテラン公会議に遡る。聖職者に子供が生まれれば、遺産相続問題が生じる。それを回避し、教会の財産を保護する経済的理由が(聖職者の独身制の)背景にあったという。

 ところで、バチカンは昨年10月4日から25日まで、世界代表司教会議(シノドス)を開催し、「福音宣教からみた家庭司牧の挑戦」について継続協議を行った。シノドスの主要議題の一つは離婚・再婚者への聖体拝領問題だった。
 シノドスでは「個々のケースを検討して決める」という見解が多数を占めた。すなわち、神の名による婚姻は離婚が許されないが、何らかの事情から離婚した信者に対して聖体拝領の道を閉ざさず、現場の司教たちが判断を下すという見解だ。離婚を認めないカトリック教義を維持する一方、聖体拝領を離婚・再婚者にも与える道を開くという典型的な妥協案だ。


 一方、先述したように、聖職者の独身制は教会の教義ではなく、伝統だ。普通に考えれば、教義の見直しは大変だが、伝統は必要に応じて改革、刷新できると考える。

 しかし、カトリック教会では逆なのだ。聖職者の独身制の見直しは離婚・再婚者への聖体拝領問題よりもはるかに難しいのだ。当方の憶測だが、独身制の見直しは教会全体への影響が離婚・再婚者への聖体拝領の刷新よりはるかに大きいからではないか。

 離婚が多い世俗社会で離婚、再婚者に聖体拝領を拒否すれば、教会を訪ねてくる信者は減少していく。だから、教会側としては教義と現実の妥協がどうしても不可欠となる。一方、聖職者の独身制を改革し、緩和すれば、家庭持ちの聖職者が増加し、子供たちも生まれるから、教会の経済的負担は当然増加する。

 家庭持ちの聖職者の増加は家庭問題を抱える信者への牧会にプラスだが、聖職者の家庭が離婚問題に直面するかもしれない。イエスを新郎とし、イエスと結婚していると信じる多くの修道女に動揺が起きるかもしれない。家庭を持った故に、愛は聖書の中の問題ではなく、日常生活での課題となるからだ。

 改革を実行するのは、その結果、以前よりいい影響が考えられる場合だ。改革実行後、組織や機構が混乱し、衰退するならば、改革の意味はない。フランシスコ法王が聖職者の独身制の見直しに消極的なのはある意味で当然かもしれない。

金正恩氏よ!ゲームオーバーだ

 北朝鮮は7日午前(日本時間)、長距離弾道ミサイルを打ち上げ、軌道に乗せることに成功したもようだ。北側は地球観測衛星「光明星」と称しているが、日米韓などは「長距離弾道ミサイル」と判断、ミサイル発射を禁じる国連安保理決議に明確に違反すると指摘、緊急安保理を招集し、北側への厳しい制裁を協議する運びだ。

 先ず、韓国の報道から北のミサイル発射の状況を振り返る。 

 聯合ニュース7日午前9時34分・・「北、ミサイルを打ち上げ」と報道
 聯合ニュース同10時21分・・・・「打ち上げ失敗か」と速報
 連合ニュース同11時12分・・・・「北朝鮮ミサイル 東倉里の南790キロ・高度386キロで消える」と速報

 韓国軍同日12時08分・・「北の発射体は軌道進入」と発表、打ち上げ成功と分析
 北側は同日12時34分・・「光明星4号、打ち上げ成功」と発表
 (朝鮮中央テレビ同日正午、特別重大報道で「地球観測衛星の光明星4号が軌道進入し、打ち上げに成功した」と発表)

 
 北朝鮮は今回を入れて6回、長距離ミサイルを発射した。

 。隠坑坑固8月31日、「テポドン1号」日本列島を越えて約1600キロ飛行した
 ■横娃娃暁7月5日、「テポドン2号」は発射約40秒後に東海に墜落
 2009年4月5日、「銀河2号」は発射
 ぃ横娃隠嫁4月13日午前7時38分に発射した「銀河3号」が空中爆発
 ィ横娃隠嫁12月12日、「銀河3号」2号機を発射
 Γ横娃隠暁2月7日、「光明星4号」、発射、軌道進入に成功
 
 発射時間はいずれも午前から正午にかけて実施されてきた。


 <欧米諸国の反応>

 (謄吋蝓執駝劃拘
 「北朝鮮は核実験からわずか1カ月で大規模な挑発を行った。これは朝鮮半島の安定を脅かすだけでなく、地域と米国に対する脅威だ」(聯合ニュース)
 ∨几欸誕臈領「容認できない挑発行為を敢行した」
  韓国政府声明
 「北側住民の生活は度外視し、もっぱら体制を維持するための極端な挑発行為」と批判
 F本の安倍省三首相
 「ミサイル発射を強行したことは断じて容認できない。明白な国連決議違反だ」
 み基文国連事務総長
 「国際社会がミサイル実験をしないよう促したが、安保理決議に違反して弾道ミサイル技術を用いてロケットを発射したのは非常に嘆かわしい」(聯合ニュース)
 ッ羚饌Δ糧娠
 「平壌の今回の行動は非常に遺憾だ」

 以上、北側の今回の長距離弾道ミサイル発射に関連する報道をまとめた。

 金正恩氏は先月6日、4回目の核実験(北側発表・水爆)を実施したばかりだ。その1カ月後にその核爆弾の運搬手段でもある長距離弾道ミサイルの発射を強行した。核実験と長距離ミサイル発射は戦略的にセットされたものであり、北はこれまでも核実験直後、長距離ミサイル発射を行ってきた。その意味で、北側のミサイル発射は織り込み済みの事であり、驚きには値しない。
 問題は、北が核実験と長距離ミサイルの実験を繰り返すごとに、その性能が着実に向上してきていることだ。ミサイルの射程距離だけではない。核の小型化もかなり進展してきている可能性がある。

 厳密にいえば、北の核問題は朝鮮半島周辺の安全問題だったが、米本土にまで飛ぶ北の長距離弾道ミサイル開発で文字通り米国の安全問題ともなってきた。北に非核化を要求し、北の動向を見守るオバマ大統領の「戦略的忍耐」の対北政策は完全に失敗したわけだ。

 長距離弾道ミサイルの発射を受け、米国は北に対しこれまで以上に厳しい制裁に乗り出すことが考えられるが、米国の政界の焦点は現在、次期大統領選にある。それだけに、米国は対北への抜本的対応が取りにくい。それゆえに、日本と韓国両国は率先して米国と連携を取りながら、積極的な対北制裁に乗り出すべきだろう。

 核兵器を開発し、長距離弾道ミサイルを発射したとしても国民の飢えは解決されない。そのことは過去の核実験と長距離ミサイル発射で明らかなことだ。金正恩氏はいつまで国民を犠牲にし、父親・金正日総書記の「先軍政治」を継続するつもりだろうか。
 祖父は国民に向かって「国民が白米を食べ、肉のスープを飲み、絹の服を着て、瓦屋根の家に住めるようにする」と約束したが、3代目の独裁政権に入った現在もその基本的な国民の願いは果たされていないのだ。

 北が核実験を実施し、長距離弾道ミサイルを発射すれば、同国は国際社会から益々疎外され、国民経済の発展は期待できない。国連の対北制裁が北の国民経済の発展に大きなハードルとなり、外国企業の投資は完全に途絶えてしまうからだ。
 金正恩氏よ、ゲームオーバーだ。

2026年までに「復活祭」の統一を

 バチカン放送独語電子版が2日、報じたところによると、英国国教会(聖公会)のジャスティン・ウェルビー・カンタベリー大主教は「今後5年から10年以内に全キリスト教会は復活祭を4月の第2、ないしは第3の日曜日に統一して祝うことができる新しい規約ができることを期待する」という。英国国教会通信ACNSに答えている。

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▲オーストリアのローマ・カトリック教会のシンボル、シュテファン大聖堂

 同大主教によると、ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王、コプト正教会のアレクサンドリア総主教タワドロス2世、そして、世界正教会の象徴的指導者コンスタンディヌーボリ総主教のバルソロメオス1世は復活祭を統一して祝う方向で話し合いをもっているという。
 フランシスコ法王は昨年6月、ローマで開催された神父集会でキリスト教会の統一復活祭の決定への希望を吐露している。ウエルビー大主教は「タワドロス2世もそのような提案を支持、バルソロメオス1世とも共同祝日の設定で話し合った」と述べている。

 復活祭は英語ではイースターと呼ばれ、イエスが死後3日目に復活したことを祝う日であり、イエスの誕生を祝うクリスマスとともにキリスト教会の2大祝日だ。ただし、世界に12億人の信者を誇るローマ・カトリック教会では今年は3月27日に復活祭を祝うが、正教会は5月1日に祝日を迎えるといった具合で、東西のキリスト教会では復活祭の日付が異なってきた。

 「統一復活祭」案に対して、「全ての独立正教会はそのような提案を早急に支持するとは考えられない」という。なぜならば、第1ニカイア公会議(西暦325年)で地方によって違う復活祭の日付について話し合われた結果、復活祭は「春分の後の最初の満月に次ぐ日曜日」と決定されたからだ。ちなみに、時差の関係で春分の日が場所によって異なり、復活祭の日附も異なってしまうため、春分を3月21日に固定して計算されている。

 東方教会(ギリシャ正教会、ロシア正教会など)は紀元前1世紀につくられたユリウス暦をもとに復活祭を計算する一方、ローマ・カトリック教会、プロテスタント教会、英国国教会(聖公会)はグレゴリオ暦で計算して復活祭の日程を決めてきた。復活祭の日付が毎年異なる移動祝日となったわけだ。なお、復活祭の日付カレンダーによると、2017年は西方教会も東方教会も復活祭は4月16日と祝日が一致する。

 蛇足だが、宗派によって復活祭の日が異なれば、イエスは年に何度も復活しなければならなくなる。それにしても、復活祭の日付も統一できないようでは、どうしてキリスト教の統一ができるだろうか。復活問題でもキリスト教は肉体復活と霊的復活でその見解が分かれている。神学の統一も不可欠だろう。一旦分裂すれば、統一はなんと難しいことだろうか。

初の女性国連事務総長誕生か

 潘基文国連事務総長の2期目の任期(5年間)は今年末で終わる。その前に次期事務総長を決定しなければならない。国連では不文律だが地域ごとの輪番制が機能している。それによると、次期事務総長は東欧諸国から選出されることになっている。

 候補者名は既に多く挙げられてきたが、国連初の女性事務総長が誕生する可能性が予想されている。米国でクリントン女史が大統領に選出され、国連で女性事務総長が生まれれば、2017年は文字通り“女性の時代”が到来することになる。

 世界の女性の願いが実現するかは不明だが、今回の次期事務総長選はこれまで以上にロシアの動向がカギを握っている。ウクライナのクリミア半島併合問題やシリア紛争で欧米諸国がロシアと険悪な関係である今日、ロシアが拒否権を行使して欧米諸国の支持候補者をボイコットする可能性が考えられるからだ。次期事務総長選出は予想外に難しくなるかもしれない。 

 事務総長は安全保障理事会が決定するが、今年は総会が一定の役割を果たし、候補者にヒヤリングできる点が新しい。

 オーストリア日刊紙プレッセ(3日付)は6人の次期事務総長候補者を挙げている。以下、それを参考に候補者を簡単に紹介する。

 .好蹈戰縫△慮蟻臈領(任期2007〜12年)のダニロ・テユルク氏(63)。
 アナン事務総長時代に国連の政治補佐官に任命されるなど、国連外交で豊富な経験を有する。同氏にとって決定的なハンディはスロベニアが北大西洋条約機構(NATO)の加盟国という事実だ。ロシアのプーチン大統領はNATO加盟国出身の事務総長を拒否しているからだ。

 ▲ロアチアのべスナ・プシッチ外相(62)。
 ザグレブ大学哲学教授などを歴任した才媛で、次期総長選には有利な点もあるが、選出されるチャンスは少ないというのが国連外交筋の共通の受け取り方。

 モンテネグロのイゴル・ルクシッチ外相(39)。
 同国が昨年12月、NATO加盟を申請しているために、ロシアの支持が得られにくい。年齢も39歳と事務総長としては若すぎる。

 ぅ泪吋疋縫元外相スルジャン・ケリム氏(67)。
 第62回総会議長を務めた。イスラム教徒であり、非同盟諸国からの支持も得ているといわれる。そのうえ、マケドニアはNATO加盟国でもなく、欧州連合(EU)加盟国でもない。ロシアが拒否権を行使して拒否する恐れは少ない。

 ス駭教育科学文化機関(ユネスコ)事務局長イリナ・ボコヴァ女史(63)
 国連外交筋では有力な次期事務総長候補者の一人と受け取られている。ブルガリアのソフィア出身。ユネスコが昨年、南京大虐殺文書を世界記憶遺産に登録したことから、同女史の名前は日本のメディアでも知られるようになった。ブルガリアはEUとNATOの両機関の加盟国だが、同女史はモスクワ国際関係大学を卒業するなど、ロシアとは良好な関係を持っている。問題は同女史が前社会党政権の支持を得ていたが、ブルガリアのボリソフ首相は同女史を事務総長候補に担ぎ上げるかまだ決定していないことだ。

 Γ釘娑儖会副委員長(国際協力・人道援助・危機対応担当委員)のクリスタリナ・ゲオルギエヴァ(62)女史。
 経済学者。ブルガリア出身。国連外交筋は次期候補者として最有力候補とみている。

  6人の候補者の中に3人の女性が含まれている。初の女性事務総長が誕生する可能性は決して低くない。もちろん、東欧諸国以外の地域から突然、有力候補者が出てくる可能性も完全には排除できない。明確な点は、事務総長は世界政治のメイン・プレイヤーである大国、強国からは選出されないということだ。

北朝鮮が自国の英語名を変更!

 うっかりして知らなかったが、北朝鮮は今年5月から国名「朝鮮民主主義人民共和国」を意味する英語名をこれまでの「Democratic People's Republic of Korea」から「Democratic People's Republic of Corea」に変更するという。

 「え、どこが違うの」と聞かれそうだが、ゆっくりと文字を追うと「Korea」が「Corea」と変わっている。発音上は両者は同じだろう。意味は違うのか。そうでもない。それでは前者の「Korea」から後者の「Corea」に改名した理由は何か。
 
 海外中国反体制派メディア「大紀元」によれば、「金日成総合大学の朴学哲氏の論文によれば、元々北朝鮮の英語名は「Corea」だったが、北朝鮮が日本の植民地だった時代、日本はアルファベット順に見て『Japan』の『J』が『Corea』の『C』よりも後ろにある事を不満に思い、『Corea』から『Korea』に改名した」というのだ。その説明が正しいとすれば、なんと子供じみた国名変更理由だ。

 基本的には「Korea」であろうが「Corea」であろうが大きな変化はないのだから、どうでもいい問題だ。それにしても、金正恩第1書記は自身の独自性を大切にする独裁者だ。祖父・金日成と父親・金日正日時代に紀元を「主体」に変更したが、正恩氏は昨年8月、とうとう「時間」まで手を付け、韓国より30分時差の「平壌時間」を導入したばかりだ。

 興味深い点は、今回の英語名の国名を「K」から「C」に変更する時も、「平壌時間」導入の際も、「日本帝国主義云々」がその理由として常に登場することだ。北の朝鮮中央通信(KCNA)は平壌時間の導入の時、「最高人民会議常任委員会はわが国の標準時間を定め、平壌時間と命名する政令を発布した」と報じ、その理由を「日本帝国主義者は長い歴史と文化を誇っていたわが国の領土を踏みにじり、民族抹殺を繰り返し、わが国の標準時間まで奪っていった」と歴史的背景を紹介し、「祖国解放70周年を迎え、30分時差導入の決定を下した」と説明していたほどだ。北の独自色とは、「日本帝国主義時代前」への回帰というわけだ。

 これまでのところ、「平壌時間」導入で問題が生じたとは聞かないが、北の3代の独裁者はなぜ意味のないことに拘り、自分のカラーを出そうと腐心するのだろうか。そのような些細なことに心を砕かず、国民の生活向上に全力を傾けなければならないのではないか。明らかに、国家目標のポイントがずれている。

 祖父が国民に向かって「国民が白米を食べ、肉のスープを飲み、絹の服を着て、瓦屋根の家に住めるようにする」と約束したが、3代目の独裁政権に入った現在もその基本的な国民の願いは果たされていない。

 その結果、南北の国民の平均寿命が大きく違ってきた。韓国統計庁の「2015年北朝鮮主要統計指標」によると、韓国の昨年の平均寿命は男性が78.2歳、女性が85.0歳、北朝鮮は男性が66.0歳、女性が72.7歳で、南北の差は男性が12.2歳、女性が12.3歳だ。南北間の寿命の格差についてはこのコラム欄で報告済みだ(「北の金王朝は国民の寿命を奪った」2015年12月22日参考)。


 ちなみに、韓国は正式は「大韓民国」と呼び、英語名では「Republic of Korea」だ。欧米では南北の英語名から両国を取り違う人も少なくないと聞く、そこで、金正恩氏にアドバイスしたい。国名を「朝鮮民主主義人民共和国」から「民主主義」を取り、その代わり「主体」を入れ、「朝鮮主体共和国」とすればどうか。理想は「民主主義人民共和国」を完全に削除し、「朝鮮主体国」にすれば、現状を最も反映しているうえ、南北を取り違う人も少なくなるのではないか。

ジュネーブ難民条約は忘れられた

 オーストリア日刊紙プレッセ2日付に興味深いコラム記事が掲載されていた。心理分析学者マルチン・エンゲルベルク氏の「ベトナム戦争以来、写真(画像)が世界を変える」というタイトルの記事だ。
 同氏は「ベトナム戦争で米軍のナパーム弾から逃げる裸のベトナム少女の姿を映した報道写真が米国のその後のベトナム戦争の行方を決定したように、欧州の難民政策もその時々の出来事とそれに関連する画像や報道写真によって豹変している」と解説している。以下、同記事の概要を紹介する。

 メルケル独首相は元々、難民ウエルカム政策の信望者ではなかった。同首相は昨年6月、独放送の市民対話番組に出席した。その時、一人のレバノン出身の少女が「ドイツに留まりたいが、強制送還されることになった。家族も自分もドイツが大好きで留まりたい」と泣きながらメルケル首相に訴えた。突然の少女の訴えを聞いたメルケル首相は少女に近づき、「あなたの気持ちはよく分かるが、ドイツは全ての難民を受け入れることはできないのよ」と冷静に説明し、少女を慰めた。
(メルケル首相は当時、厳格な難民政策を支持)

 そのシーンが放映されると、「メルケル首相は紛争から逃げてきた難民に冷たい」といった批判の声が国内メディアやネット上で殺到した。その後、一人のシリア難民の3歳の子供の遺体が海岸に打ち上げられた。その溺死体がテレビでお茶の間に放映されると、難民受け入れを求める声が欧州全土に広がっていったことはまだ記憶に新しい。

 紛争地シリアからの難民殺到に直面したメルケル首相は8月末、「ダブリン条項を暫定的に停止し、シリアからの難民を受け入れる」と表明した。そして難民収容所を訪ね、ドイツ入りした難民の青年とセルフィー(自撮り)に応じるなど、難民ウエルカムをアピールした。
(メルケル首相は難民ウエルカム政策に変更)

 その結果、独南部バイエルン州国境にはオーストリア経由で難民が殺到した(2015年は100万人の大台を突破)。バイエルン州からは難民受入れの上限の設定、国境監視の強化を訴える声が高まったが、メルケル首相は難民受入れの上限設定には反対し続けた。

 しかし、11月13日にはパリ同時テロ事件が発生し、テロ実行犯の中には偽造難民で欧州入りした者がいたことが判明。そして大晦日に難民・移民の集団婦女暴行事件が起き、難民への国民の目が決定的に厳しくなった。

 それを受け、ドイツの難民政策は他の欧州と同様、厳格になった。メルケル首相は難民受入れ上限の設定こそ拒否したが、受けれる難民数の減少を約束し、国境管理の強化、難民申請者の身元確認の強化など、難民受け入れ制限に乗り出したばかりだ。今年に入り、ドイツ国内では難民襲撃事件や難民収容所の放火などが多発している。
(メルケル首相は厳格な難民受入れ政策に再び軌道修正)
 
 以上、メルケル首相の難民政策に影響を与えた出来事を羅列した。これを見ても分かるように、メルケル首相は難民問題では元々明確な信念に基づいて実施してきたわけではなく、その時々のメディアに流れる出来事、それに伴う国民の反応をみて、政策を決定していったことが明らかになる。

 欧州で今年、昨年のパリ同時テロ事件のようなテロ事件が起きた場合、ドイツの難民受入れは完全にストップすることが予想される。逆に、ドイツから強制送還されたアフガニスタンの難民家族や若者たちが母国で弾圧されたり、処刑されたニュースが写真とともに世界に発信された場合、難民受け入れを求める声がドイツでも再び高まってくるかもしれない。

 ところで、ジュネーブ難民条約(「難民の地位に関する条約」)の第1条には難民の定義が明記されている。それによると、「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であること、または政治的意見を理由に迫害を受ける恐れがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けられない者、またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者」となっている。

 しかし、欧州各国の難民政策は実際、ジュネーブ難民条約に基づいて機能していない。欧州連合(EU)内相理事会が昨年、16万人の難民の受け入れ分担を決定した時、ドイツやスウェ―デン、オーストリアなど数カ国しかそれに応じていない。ドイツの場合を見ても分かるように、その時々の出来事で触発された難民に対する社会の空気が政治家の政策を決定してきたわけだ。

 ナパーム弾から逃げる裸のベトナム少女の報道写真のように、難民の遺体となった子供の姿、レバノン出身の少女の涙など報道写真や画像が欧州の難民政策を決めてきたわけだ。欧州ではジュネーブ難民条約は完全に忘れられている。
 

メルケル首相とペルシャの訪問者

 イランのロハニ大統領は欧州では目下、最も人気のあるゲストだ。大統領はイタリア、バチカン市国を訪問した後、フランスを訪問したばかりだ。行く先々で大きな商談がまとまる。財政危機で厳しい欧州経済にとってペルシャからの訪問者はまさに恵みの雨をもたらす助っ人というわけだ。

 イランと米英仏独露中の6カ国との間で2003年から未解決であったイランの核問題が包括的解決で合意した。それを受け、イランへの制裁が解除されてきた。イランは国際社会に再び積極的に参加する一方、停滞してきた国民経済の回復のために欧米企業から先端技術関連商品、旅客機や完成品の購入ラッシュだ。

 ところが、欧州連合(EU)の盟主ドイツのメルケル政権は目下、ロハニ大統領を招待する意向はないという。独週刊誌「シュピーゲル」(1月30日号)によると、.ぅ薀鵑魯譽丱離麁發離ぅ好薀犇汽謄軈反ゥ劵坤椒蕕鮖抉腓掘↓▲ぅ好薀┘襪旅餡噺認を拒否、、昨年750人を処刑した。その数はサウジアラビアよりはるかに多い、等々を挙げ、「イラン指導者を早急に公式招待する考えはない」というのがメルケル連邦首相府の説明だ。
 イランの核問題は解決へ動き出したが、テロ支援問題などは未解決だ。そのイランのロハニ大統領をベルリンに招くわけにはいかない。シュタインマイヤー外相がテヘラン指導者と未解決問題で先ず協議をすべきだ、というのがメルケル首相の考えのようだ。非常に理屈っぽい。

 一方、ドイツ国内では、イラン大統領を早急に公式招待し、ドイツ企業との商談を加速すべきだ、遅れると他の国が商談を奪っていく、という焦りの声が大手企業から出ている。

 メルケル政権の連立パートナー、社会民主党のガブリエル経済エネルギー相(副首相)は「ロハニ大統領を招待すべきだ」という立場だ。ガブリエル経済・エネルギー相は昨年7月、60社余りのドイツ企業代表を連れてテヘランに一番乗りし、ロハニ大統領と会談している。
 ドイツはジーメンス社などテヘランとの商談経験の豊富な大手企業が多く、イランとのビジネスに積極的だ。人口7800万人のイラン市場はドイツ自動車メーカーにとっても魅力的な市場だ。グズグズ屁理屈を述べているとフランスの自動車メーカーに受注を奪われてしまう、といった焦りが独企業側に強い。メルケル首相への批判も与・野党から出てきた。

 ところで、ドイツでは昨年、北アフリカ・中東諸国から100万人以上の難民が殺到し、メルケル政権の“難民歓迎政策”に対して国内で様々な軋轢が表面化してきた。難民収容所への放火、難民襲撃事件が今年に入って絶えない一方、昨年のシルベスター(大晦日)に、難民・移民による集団婦女暴行事件が発生したばかりだ。メルケル首相の難民政策が暗礁に乗り上げたのは誰の目にも明らかになってきた。

 これまで順調に政権を担当し、ギリシャの金融危機でも政治手腕を発揮して乗り越えてきた。「世界で最も影響力のある女性」にも選出されたメルケル首相は政権担当10年間で初めて辞任要求を突きつけられている。政治家として61歳とまだ若いメルケル首相がどのような危機管理を見せて、この危機を乗り越えていくだろうか。

なぜ人は裸を恥ずかしく感じるか

 バチカン放送独語電子版(1月31日)は「芸術と宗教、この複雑な関係」という見出しの記事を配信した。その直接の契機は、イランのロハニ大統領のイタリア訪問時、レンツィ首相の意向もあってローマ市がカピトリーノ美術館に展示されている古代の裸体彫像を敬虔なイスラム教徒、イラン大統領の目に入らないように白い布で覆った、というニュースだ。

 このニュースが配信されると、「馬鹿なことをする」「ゲストへの過剰な配慮」「芸術作品への検閲だ」といった批判的な声が多数を占めた。「よくやった」といった褒める声はさすがに少ない。昔の彫刻像を訪問者の文化的感情を尊重するあまり覆い隠すことは公的な検閲に当たる、といった問題提示をする知識人もいるほどだ。

 興味本位の一部メディア報道とは違って、バチカン放送は「芸術と宗教、この複雑な関係」という格調ある見出しを掲げ、専門家の意見も入れた記事を配信していた。

 バチカン放送の記事は「イタリアは怒っている。イタリアだけではない」という書き出しで始まる。裸体像を布で隠すように最初に言い出したのは誰か、といった犯人探しはせず、ブルカで覆われたモナリザ がインターネットの世界で人気を呼んでいる、といった客観的な事実を先ず紹介している。

 その上、ドイツ出身の美術歴史家でバチカン博物館副館長アルノルド・ネッセルラート(Arnold Nesselrath)氏が「芸術は2つのルーツがある。一つは死者への追悼であり、もう一つは宗教だ。この2つの要素が古代から今日まで芸術品を創造させてきた」と説明している。

 キリスト教会は昔から芸術家のパトロンだったし、同時に、検閲も行ってきた。有名な実例を紹介する。
 バチカンのシスティーナ礼拝堂のミケランジェロ(1475〜1564年)の「最後の審判」(1535〜41年)だ。ミケランジェロは「最後の審判」で多くの裸体姿を描いた、そのため、「聖なる場所に相応しくない」といった批判が教会内外から飛び出し、「イチジクの葉運動」と呼ばれる検閲が起きたという。パウルス4世は、「最後の審判」の作者ミケランジェロを「異端だ」と激しく罵倒したという記録が残されている。

 ミケランジェロの死後、ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ(1509〜66年)は1565年、ミケランジェロ作「最後の審判」の登場人物の性器を腰布やイチジクの葉で覆い隠す仕事を担当した。その為、ダニエレは「ズボン作り」という芸術家としては有難くないあだ名を貰ったほどだ。

 ローマ法王は当時、人間の裸は恥ずかしいもので、公共の場では隠さなければならないと考えていた。問題は、なぜ人は裸を恥ずかしく思うのかだ。そこで人類の始祖アダムとエバの登場を求めざるを得ない。

 旧約聖書の創世記にはアダムとエバが「エデンの園」から追放される話が記述されている。失楽園の直接の契機はアダムとエバが蛇に誘惑され、神が「取って食べてはならない」と戒めた善悪を知る木の実を取って食べたことにある。創世記には、取って食べる前までは、「アダムもエバも裸だったが恥ずかしいとは思わなかった」とわざわざ記述している。善悪を知る木の実を取って食べた後、アダムもエバも自分が裸であることを知ってその下部を覆ったというのだ。人類最初の“恥ずかしい”という感情が生まれた瞬間だ。

 善悪を知るの木の実が単なる果実であったとすれば、食べた口を人は隠すが、アダムとエバは下部を隠した。人は罪を行ったところを隠そうとするから、アダムとエバは下部で罪を犯したという結論になるわけだ。

 それ以来、人類は性行為、性器を恥ずかしいと感じだした。この感情は失楽園の話を記述したキリスト教世界だけに該当するのではない。世界宗教と呼ばれる宗教は程度の差こそあれ性的な行為や裸体を恥ずかしく感じ、戒めてきた。

 ところで、ルネッサンスを経験し、人間の肉体の美、理性を賛美する人道主義時代に入ると、欧米キリスト教社会では次第に裸体は市民権を獲得していった。21世紀の欧米社会では裸体はもはやタブーではなく、商品化してきた。欧米社会では裸はもはや恥ずかしいとは受け取られなくなってきた。

 そこに大きな商談を抱えてテヘランからイスラム教の厳格な指導者でもあるロハニ大統領がやってきた。商談を是非ともまとめたいイタリア側は、「裸は恥ずかしい」といった人類の感情が今も生きているイスラム世界のゲストを配慮して、カピトリーノ美術館の古代ローマ時代の裸体彫刻を慌てて白い布で隠した。
 その行為は、アダム・エバからの継承した歴史的感情から出てきた対応というより、ビジネス最優先のクールな計算に基づいた接待の延長だったのではないか。それとも、ゲストに「裸は恥ずかしくないのだ」と説得できるだけの確信がないので、裸の芸術品を白い布で覆い隠したのだろうか。

 いずれにしても、ロハニ大統領のローマ訪問は、裸文化に慣れ切った社会に生きるイタリア国民に、小さなカルチャー・ショックをもたらしたのではないか。

「私は知らなかった」からの別れ

 日本では甘利明経済再生担当相が辞任した。甘利氏は、千葉県の建設業者側から2度にわたって献金を受け取った件を認めたうえで、秘書に「適正に処理」するよう指示したと語ったが、秘書が受領した500万円のうち、200万円は適切に会計処理したが残りの300万円は秘書が個人的に使用した点が疑惑を呼んでいる。

 今、書こうとしているテーマは甘利氏辞任劇とは直接関係がない。「私は知らなかった」という弁明について、一種の哲学的な思考を巡らせてみただけだ。お付き合いを願う。

 前日のコラムで紹介した元ナチス幹部のアドルフ・アイヒマンの公判での発言が気になった。「私はユダヤ人虐殺の件は知らなかった」「私は上からの命令を受けてそれを従順に履行しただけだ」と述べたという。この発言は死刑を逃れるためのアイヒマンの弁明だったのかもしれないし、ひょっとしたら、事実かもしれない(「アドルフ・アイヒマンの恩赦請願」2016年1月30日参考)。

 この発言を読んだ時、当方はナチス・ドイツ軍の戦争犯罪容疑で国際社会から激しいバッシングを受けたオーストリアの元大統領、クルト・ワルトハイム氏(1918〜2007年)の事を思い出した。ワルトハイム氏もアイヒマンと同様、「私は通訳将校としてバルカン戦線に参加していたが、ナチス・ドイツ軍のユダヤ人虐殺の件は知らなかったし、知れる立場でもなかった」と当時、説明していた。両者の発言は酷似している。

 両者の「その後」は少し異なった。アイヒマンは「人道への罪、戦争犯罪」で絞首刑を受け、ワルトハイム氏は世界ユダヤ人協会を含む国際社会から激しいバッシングを受け、現職中はオーストリアを訪問する国家元首はなく、淋しい王様と呼ばれ、最終的には再選出馬を断念せざるを得なかった。ちなみに、大統領職を降りたワルトハイム氏は後日、「私の返答」という著書を出版して、自身の潔白を重ねて主張したが、アイヒマンにはその時間は与えられず、絞首台に消えた。

 「私は知らなかった」は、ある意味で容疑を受けた者の常套句だ。知らなかったから、「私は潔白だ」という論理だ。もちろん、知らないのにその責任を追及されれば、堪ったものではない。誰かが悪事を犯した。その悪事を行った者の上司、同僚だった、という理由で共犯扱いされたら、これまた大変だ。

 一方、甘利氏の辞任が明らかになると、安倍晋三首相は、「私には任命者としての責任がある」と述べ、閣僚の不祥事に謝罪を表明した。同じことが会社の不祥事でも社員の責任に社長が辞任に追い込まれるケースは少なくない。ある意味で、共同体の連帯責任だろう。不祥事を知らなかったことは即、監督不行き届きという責任論が出てくる。

 それでは、その連帯責任はどこまで該当するのだろうか。会社の場合、社員の不祥事に対して社長だけではなく、その社員の直接上司の課長、部長が責任を負うケースもある。不祥事の内容でケース・バイ・ケースというべきかもしれない。

 ところで、人類の始祖アダムとエバの失楽園の話を思い出してほしい。旧約聖書「創世記」によれば、エバは蛇の誘惑を受けて神の戒め、取って食べてはならないを破り、食べた。その直後、エバは神の教えを破ったという良心の痛みから逃れるためにアダムを誘惑して彼も同じように食べた。神がアダムとエバを追及する。アダムは「あなたが与えてくれたエバが食べるようにいいました」と述べ、エバの責任を強調。一方、エバは「蛇が……」と弁明し、失楽園の深刻な結果について、「私は知らなかった」と言い逃れた。

 私たちは不祥事が生じる度に「私は知らなかった」と直ぐに口から飛び出す。驚きに値しない。「私は知らなかった」という台詞は、人類の歴史が始まってから今日まで繰り返されてきた弁解用語だからだ。

 身近な問題を考えてみる。地球温暖化による気候不順について、「私は知らなかった」といえるだろうか。若い女性が露出度の多い服を着て夜道を一人歩いて、暴行を受けた時、「私は知らなかった」と弁明できるだろうか。

 イエスは2000年前、「私は知っていた」と宣言し、全ての罪を自分の責任として背負っていった。彼は自身が直接関与しなかった人間の不祥事に対しても「私は知っていた」と呟き、十字架上で亡くなった。
 それでは、イエスは私たちの何を知っていたのか。人間は責任を追及されれば、必ず「私は知らなかった」と弁明すると熟知していたのだろうか。愛弟子ペテロは「お前はあのイエスと共にいた」と追及されると、「私はあの人を知らない」と3度答え、自身にふりかかる危険から逃れた。

 「私は知らなかった」という弁明は、「私は知っていたが、知っているといえば責任が追及される」といった自己防衛本能が働いた結果かもしれない。厳密に言うと、「私は知らなかった」と主張する人は実は「何が善であり、何が悪か」を知っていることを実証していることにもなる。私たちに生来備わっている“良心”がそれを知っているからだ。本来、弁解の余地がない。

 これまで押し潰されてきた“良心”が時代の進展と共に次第に研ぎ澄まされてきたから、特定の宗教、道徳、倫理、法に依存しなくても何がいいか、悪いかが分かる時代がそこまで来ているのではないか。換言すれば、審判の時代の到来だ。

自動運転車が選択する“最善の事故”

 独週刊誌シュピーゲル最新号(1月23日号)は自動運転車が直面するテーマに関する興味深い記事を掲載している。タイトルは「Lotterie des Sterbens」(死の富くじ)だ。以下、同記事の概要を紹介しながら、自動運転車が提示する“倫理問題”について考えてみた。

 近い将来、自動車は人間がもはや運転しなくてもコンピューターで自動運転するロボット・カーが人間を目的地に安全に運んでくれる。ロボットカーは一部で既に試運転されているから、「その日」は案外、近いだろう。ちなみに、シュピーゲル誌によれば、2020年には自動運転車が高速道路を走り、その数年後には全ての道路にロボットカーが走ると予測している。

 オフィス仕事で疲れた人間が自家用車で自宅に帰宅する場合や、友達と一杯飲んだ後など、車の運転は危険だ。世界で毎年、100万人以上の人間が交通事故で亡くなっている。ある者は飲酒が原因であったり、運転中に携帯電話で会話に集中し、不注意だったなど、様々な理由で事故が発生している。車の調子や故障で事故を起こすケースより、運転手に原因がある事故がほとんどだ。

 だから、人間が運転しなくても目的地まで運んでくれるロボットカーの登場は朗報であり、その需要は大きいだろう。自動運転車だから人間的なミスは排除される。ロボットカーは目的地に最短距離で人間を運ぶ。信号のチェンジも前もって計算済みだから、ほとんどノンストップで走れる。交通事故件数も急減するだろう。

 ここまではいいことずくめだが、新しい問題が出てくる。
 路上に突然、3人の子供が飛び出したとする。ロボットカーは車に設置されたセンサーで即座に子供の動きを計算して事故を回避する処置を取る。ハンドルを右側に切って眼前の樹木に車を衝突すれば子供をひかずに済む。ロボットカーは「事故の損傷を最小限に抑える」ようにプログラミングされているから、「3人の子供の命を守る」という選択を取る。

 ロボットカーのシートで快適に新聞を読んでいた車の所有者は樹木に衝突して大けがをするかもしれない。ひょっとしたら死去するかもしれないが、子供の命は守ることができる。事故に関わった人間の数は3(子供)対1(車内の人間)だ。「事故の際、犠牲を最小限に抑える」とプログラミングされているロボットカーには他の選択肢はない。

 人間がハンドルを握っている時、運転手が飛び出した子供を救うために歩道に乗り上げ、その結果歩道にいた7人の歩行者を殺す、といった状況が考えられる。ロボットカーの場合、プログラミングに基づき瞬時に決定するから、クールであり、慌ててパニック状態に陥ることはない。

 別の状況を考える。前方に子供が歩道から飛び出した。歩道には老婦人が歩いている。子供を守るためには歩道に車を乗りあげる以外に他の選択がない。ロボットカーは躊躇することなくハンドルを歩道側に切り、老婦人は犠牲となる。人間の平均寿命のビッグ・データに基づき、ロボットカ―は子供の命が老婦人のそれより長生きすると判断する。

 それでは、子供の命が大人のそれより価値あるとすれば、子供1人に対し何人の大人の命ならば等しいのか。もちろん、ロボットカーのプログラミングの仕事は人間だ。だから、車内の人間を事故から守ることを最優先するプログラミングも可能だが、倫理的観点からそれは許されるか。逆に、車内の人間を犠牲にしても事故を避けるようにプログラミングされたロボットカーを誰が買うだろうか。コンピューターもミスを犯さないとは言えない。眼前に兎が飛び出したが、ロボットカーがそれを子供と判断し、事故を回避するために樹やコンクリート壁に衝突するかもしれない、等々、新しい問題が生まれてくる。

 交通事故の場合、想定外の事が瞬時に発生する。ロボットカーは自身で判断しなければならない状況に対峙するかもしれない。換言すれば、ロボットカーは人間の運命を決定しなければならない。もちろん、その前に、われわれはロボットカ―の倫理問題を解決しなければならないのだ。
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