ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

大統領候補者の“ふるさと論争”

 オーストリア大統領の決選投票は来月22日、極右政党「自由党」で第3国会議長のノルベルト・ホーファー氏(45)と「緑の党」のアレキサンダー・バン・デ・ベレン前党首(72)の2人の野党候補者の間で行われる。このことは報告済みだが、両候補者の選挙ポスターでは偶然か恣意的か分からないが、ハイマートがメイン・テーマとなっている。ハイマート(Heimat)は「故郷」「ふるさと」を意味する独語だ。ただし、両候補者がアピールするハイマートの間には明らかに違いがあるのだ。

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▲ハイマートで争う大統領候補者、(左)バン・デ・ベレン氏と(右)ホーファー氏(自由党の公式サイトから)

 ホーファー氏はオーストリア・ファーストを標榜する「自由党」副党首だ。難民政策ではジュネーブ難民条約に該当する難民以外は受け入れを拒否、経済難民・移民に対しては即送還を主張している。ホーファー氏の場合、ハイマートは先ず、オーストリアを意味すると受け取って間違いないだろう。それだけではない。ホーファ―氏はドイツ民族への憧憬心が強い民族主義的学生組合(Burschenschaft)の名誉メンバーでもある。

 一方、バン・デ・ベレン氏の場合、先祖はオランダ人だったが、モスクワに移住した。しかし、1917年、ロシアにボリシェヴィキ政権が誕生するとエストニアに亡命したが、エストニアが1941年、旧ソ連共産政権に併合されると、家族はドイツに逃げ、そこからオーストリアのウィーンに亡命してきた。
 同氏のハイマートはロシアでもエストニアでもないが、亡命先のオーストリアというわけでもない。ハイマートとは、国や民族に制限された狭い概念ではなく、「その人が安住できる場所だ」というのだ。

 難民問題では、バン・デ・ベレン氏は紛争地から逃げてきた難民、移民だけではなく、困窮下の経済移民に対しても人道的な観点から受け入れるべきだと主張してきた。国境線の閉鎖、監視強化を訴えるホーファー氏の難民政策には強い抵抗を示している。

 それでは、どちらのハイマートにオーストリア国民はより親しみを感じるのだろうか。ホーファー氏のハイマートがオーストリアとすれば、バン・デ・ベレン氏のハイマートには元々民族的な内容が乏しい。後者からみれば、前者のハイマートは民族主義的であり、外国人排他的だ。一方、前者から見れば、後者のハイマートは故郷を失った異邦人の似非国際主義というわけだ。

 ホーファー氏は「『緑の党』は昔、オーストリアを愛する人間はくそくらえだ。オーストリアは“ならず者国家”だと酷評してきた」と指摘すると、バン・デ・ベレン氏は、「自由党の専売特許となったハイマートを取り返したい。自分自身は外国人だった。これからは完全なオーストリア人になる」と述べている(日刊紙「エーステライヒ」4月28日付)。

 ちなみに、オーストリアはヒトラーの出身国であり、 第2次世界大戦でナチス・ドイツの戦争犯罪の共犯国だった。それだけにハイマートという言葉は戦後、久しくタブー視されてきた。ハイマートを主張し、それを政治的課題に掲げれば即民族主義者、極右派というレッテルを貼られてきた。

 戦後70年が過ぎた今日、オーストリアでホーファー氏とバン・デ・ベレン氏がハイマートをメイン・テーマに大統領決選投票を争うというのは偶然ではないだろう。前者は極右政治家と呼ばれ、後者は進歩的左翼知識人と受け取られてきた。その両者の決選投票は戦後の総括の一幕ともいえる。

独枢機卿「女性にも法王選挙権を」

 世界に約12億人の信者を有するローマ・カトリック教会最高指導者ローマ法王は法王選出会(コンクラーベ)によって選ばれる。ペテロの後継者のローマ法王を選出するのはこれまで男性だけだった。ドイツ人のヴァルター・カスパー枢機卿(83)は、「理論的には女性もローマ法王を選出できる」と主張して話題を呼んでいる。カスパー枢機卿は26日、ローマで開催された会議の中で語った。

 コンクラーベ参加資格は80歳未満の枢機卿となっているだけで、性別については何も明記していない。だから、カスパー枢機卿が指摘するように、「理論的には女性もコンクラーベに参加できる」ということになるが、問題はコンクラーベ参加資格の80歳未満の女性枢機卿などいないことだ。

 枢機卿だけではない。司教、神父ら聖職者に女性は一人もいない。女性にコンクラーベの選挙権を与えよという前に、女性聖職者への道をバチカン法王庁は開かなければならない。バチカンに女性聖職者がいないことについて、カスパー枢機卿は、「現行の聖職者主義に固守する教会指導部に責任がある」という。

 バチカン会合に参加したバチカン専属のジャーナリスト、グドルン・ザイラー女史は、「バチカン内の女性の割合は20%前後だろう」という。ただし、バチカン放送では半分の職員が女性である一方、バチカン内の聖職者省では女性職員は一人もいないように、バチカン内の部署によって女性の割合は大きく違う。

 バチカン放送が昨年3月公表したところによると、過去10年間でバチカン市国内の女性職員数は195人から371人とほぼ倍化。バチカン市国とバチカン法王庁内の女性職員の総数は762人だ。ただし、その数字には枢機卿のもとで働く家政婦などは含まれていない。

 バチカン内に女性職員が少ない主因として、ザイラー女史は、「バチカンには固有の人事部がないからだ」という。すなわち、人事は神の御心で決まるものだから、人事部は不必要だというわけだ。
 南米出身のフランシスコ法王は、「カトリック教会は指導的な立場に女性を登用すべきだ」と述べてきたが、女性聖職者については、歴代法王と同様、考えていない。


 米聖公会は2006年11月、第26代総裁主教認証式で初の女性総裁主教を選出して、大きな話題を呼んだが、ロシア正教は「キリスト教会の伝統に違反する」と猛反対するなど、女性聖職者問題ではキリスト教会の宗派によって、その見解が異なる。
 ローマ・カトリック教会は女性聖職者を認めていないが、教会史では一度、女法王ヨハンナが西暦855年から858年まで就任していたという文献が存在する。ただし、歴史家の多くは「伝説に過ぎない」と否定的に受け取っている。


 カスパー枢機卿のコンクラーベへの女性選挙権の話は話題としては面白いが、選挙権の前に女性に聖職者への道を開き、最終的にはローマ法王に立候補できる被選挙権を認めなければならない。それまでの道のりは平坦ではなく、長い。

大統領ポストと「銃」と「喫煙」

 オーストリア大統領選の決選投票は来月22日、極右政党「自由党」で第3国会議長のノルベルト・ホーファー氏(45)と「緑の党」のアレキサンダー・バン・デ・ベレン前党首(72)の2人の野党候補者の間で行われることになった。

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▲次期オーストリア大統領に最も近い政治家ホーファー氏(左)=自由党の公式サイトから

 両候補者の政治信念は右と左で全く正反対だ。ホーファー氏は第1回投票でトップとなり、決選投票でバン・デ・ベレン氏との戦いが決まると、「思想的には全く違うから戦いやすい。自分は自身の信念を国民に説明していくだけだ」と述べる一方、「緑の党」前党首は「極右(自由党)の政治家をわが国の大統領にしてはならない」と強調し、反ホーファー宣言を表明している。

 バン・デ・ベレン氏は第1回投票で大きくホーファー氏に水を開けられたが、出身党の「緑の党」に社民党と「ネオス」の支持を得て反ホーファー陣営を築けば、得票率で50%を超え、自由党大統領の誕生を阻止できると見積もっている。オーストリアのメディアも決選投票ではバン・デ・ベレン氏が逆転できる可能性はまだあると予想している。

 ホーファー氏は第1回投票で得票率35%を越え、自由党としては連邦レベルの選挙では最高率を達成した。本人は「決選投票は全く白紙からスタートだ」と決意を新たにすれば、反ホーファー陣営は、「ホーファー氏はシュトラーヒェ党首のマリオネット(操り人形)だ」と指摘し、ホーファー旋風の阻止に躍起となってきた。
 ホーファー氏はシュトラーヒェ党首とは違い温和で新鮮なイメージがあって、党を超えて国民の間で人気は高い。同氏は、「自分は自由党党員だが、大統領選はホーファーという人間の選挙戦だ」と指摘し、オーストリア国民全ての大統領を目指すと述べている。

 大統領選の最大の争点、難民問題ではホーファー氏はオーストリア・ファーストを標榜し、国境警備の強化など厳格な難民政策を主張する一方、「緑の党」のバン・デ・ベレン氏は人道主義的観点から難民受入れを支持している。
 オーストリアでは昨年9万人の難民が殺到した。経済難民の受け入れに反発する国民の声が高まり、ファイマン政権も次第に自由党の路線に近づいてきている。ホーファー氏は難民政策でバン・デ・ベレン氏を追い込む意向だ。

 ちなみに、欧州の極右政治家の代表だったイェルク・ハイダー党首が率いていた自由党が2000年2月、シュッセル連立政権に参加した時、欧州連合(EU)はオーストリアに対し制裁を科したことがある。バン・デ・ベレン氏は、「ホーファー氏が大統領になれば、わが国は再び欧州内で孤立する」と国民に警告を発している。
 
 ホーファー氏はパラシュートの事故で脊髄をやられ、歩行には杖が必要だ。同氏は銃を所持している。身辺の安全のためという。一方、バン・デ・ベレン氏は喫煙家で有名だ。環境・健康問題で喫煙が良くないと分かっているがやめられない。同氏が笑うと、黄色くなった歯が見える。同氏は経済学者で穏やかな紳士と言ったイメージがあるが、思想的には「緑の党」内でも左派に属する知識人だ。同氏は大統領選出馬直前、同棲相手と再婚している。

 愛煙家で左派政治家バン・デ・ベレン氏と銃を保持する極右政治家ホーファー氏の間で大統領府入りの戦いの幕が切って落とされた。どちらに軍配が挙がったとしても、4週間後、オーストリア初の野党出身大統領が誕生する。

中国共産党政権、宗教弾圧強める

 中国共産党政権はここにきてキリスト教徒や他の宗教者への弾圧を強めている。

 習近平国家主席は、「宗教者は共産党政権の指令に忠実であるべきだ」と警告を発する一方、「共産党員は不屈のマルクス主義無神論者でなければならない。外部からの影響を退けなければならない。過激主義者をその思想拡大の段階で阻止しなければならない。インターネット上の宗教活動を厳しく監視しなければならない」と強調した。これは、中国国営放送が先週末、宗教に関する会合後、報じた内容だ。

 2日間、北京で開催された同会合には数多くの党高官たちが参加した。バチカン放送独語電子版は25日、「中国は宗教的侵略に対し弾圧強化」というタイトルで速報している。

 中国では宗教者を取り巻く状況は悪化してきた。非政府機関(NGO)関係者は圧迫され、人権問題の弁護士たちは警察当局に手入れされ、脅迫を受けている。教会の十字架は撤去され、宗教関連施設は破壊されている。

 中国共産党政権の宗教弾圧はキリスト教会だけに向けられているわけではなく、イスラム教に対しても同様だ。イスラム教系学校はさまざまな制限を受け、ラマダンの月、イスラム教徒に断食中止の命令が出されたりしている。

 河南省では4月14日、プロテスタント系教会建物が当局から派遣された工事関係者に破壊されようとした時、それを阻止しようとした牧師夫婦が生きたまま埋められてしまうという出来事が起きた。牧師は自力で這い上がったが、夫人は埋められてしまったという。

 香港では24日、陳日君(ジョセフ・ゼン)枢機卿らキリスト教徒たちは中国共産党政権によるキリスト教シンボルの破壊に抗議するデモを行った。同枢機卿によると、香港でも宗教の自由が制限されてきたという。

 中国共産党政府は2013年末、キリスト教シンボルの撤去キャンペーンを始めている。それ以来、浙江省だけでも2000以上の十字架が撤去されたり、破壊されたという。それに抵抗した聖職者たちは逮捕された。
 
 中国では「宗教の自由」が一応明記されているが、実際は宗教者への弾圧は益々強められている。カトリック教徒、プロテスタント信者、イスラム教徒、仏教徒たちは北京当局のコントロール下に置かれ、外部からの干渉は拒否されている。

 中国当局によると、同国の宗教者人口は人口の1割以下の約1億人といわれているが、実際はそれ以上だ。仏教徒だけでも2憶4400万人がいる。キリスト信者数は6700万から1億人と推定されている。 

 中国共産党政権は過去、文化の空白を補うために同国の偉人、孔子を呼び出して、「孔子に学べ」を合言葉で儒教社会主義を提唱するなど、中国文化の復興に乗り出したが、国民の宗教心を圧迫する中国では真の文化は建設できない。
 「やがて中国の崩壊が始まる」(2001年)という著書がある米ニューヨーク在住の中国問題専門家ゴードン・G・チャン氏は、「中国国営企業はビルを建てることはできても、文化を築くことはできない。開放的で自由な社会でしか文化は創造されないからだ」と述べている。そして宗教は文化発展のコアとなるものだ。

極右候補者、トップで決選投票へ

 オーストリア大統領選が24日実施され、極右政党「自由党」が擁立したノルベルト・ホーファー第3国会議長(45)が得票率35・3%を獲得して第1位、それを追って「緑の党」前党首アレキサンダー・バン・デ・ベレン氏(72)が21・3%で第2位に入った。この結果、両候補者が来月22日の決選投票に進出することになった。ハインツ・フィッシャー現大統領は2期12年間を満了し、7月退陣する。

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▲自由党の大統領候補者ホーファー氏(中央)、左はシュトラーヒェ党首(自由党の公式サイトから)

 ファイマン大連立政権の与党「社会民主党」の候補者ルドルフ・フンドストルファー前社会相(64)は10・9%。国民党のアンドレアス・コール元議会議長(74)は11・1%でいずれも敗退を喫した。大統領選で与党候補者が決選投票に進出できなかったのは今回が初めてだ。

 自由党のホーファー氏はオーストリア・ファーストを標榜し、難民受入れに批判的で、厳格な国境監視を主張してきた。昨年9万人の難民を受け入れてきたオーストリアでは難民受入れに消極的な声が高まっている。同氏は難民殺到に懸念する国民の声を吸収していったわけだ。

 オーストリアでは大統領(任期6年)は名誉職であり、その政治権限は限られているが、決選投票でホーファー氏が当選し、ホーフブルク宮殿の大統領府の主人になった場合、欧州政界で大きな波紋を呼ぶのは必至だ。自由党はブリュッセル主導の欧州連合(EU)政策にこれまで批判的だからだ。自由党はEU米国間の包括的貿易投資協定(TTIP)に強く反対し、TTIPを問う国民投票の実施を要求している。
 
 極右政党「自由党」のホーファー氏の当選を阻止するため、与党「社民党」は「緑の党」元党首を支持する意向だ。今回の第1回投票で3位に入ったイルムガルド・グリス元最高裁判所長官(69)を擁立した野党「ネオス」も反ホーファー氏陣営に加わる姿勢を見せていることから、決選投票は「自由党」ホーファー氏に対し、社民党と「ネオス」が支援する「緑の党」バン・デ・ベレン氏の間で激しい戦いが展開されることになる(保守政党「国民党」は現時点では支持候補者を明確せず、党員の自由意思に委ねる予定)。


 第1回投票結果(暫定)

 ホーファー氏(自由党)          35・3%
 バン・デ・ベレン氏(「緑の党」)     21・3%
 グリス氏(「ネオス」支援)        19・0%
 コール氏(国民党)            11・1%
 フンドストルファー(社民党)       10・9%
 R・ルーグナー氏(実業家)        2・3%

 投票率                  68・1%


 第1回投票で最も深刻なダメージを受けたのはファイマン連立政権を組む社民党と国民党の2大政党だ。特に、党擁立の候補者が5位となった社民党は深刻だ。ファイマン党首となって以来、州選挙を含む過去の選挙で敗戦続きのファイマン党首への風当たりが更に強まることが予想される。
 一方、大統領候補者の擁立の際にゴタゴタがあった国民党ではラインホルド・ミッターレーナー党首(副首相)の辞任を含む党指導部の人事が避けられないと受け取られている。
  ただし、連立政権の解消、早期総選挙実施は目下、考えられない。現時点で総選挙を実施すれば、難民問題で支持を拡大する野党「自由党」に政権を奪われる事態が予想されるからだ。社民党と国民党は次期総選挙(2018年)まで党の立て直しが急務となる。

 いずれにしても、大統領選挙は与党政党、社民党と国民党への国民の不信が予想以上に深いことを明確に示した。国民が戦後から続いてきた2大政党主導の政治に「ノー」を突きつけた選挙だったといえる。

「賢者ナータン」が直面した課題

 キリスト教はユダヤ教を土台として始まった宗教だ。西暦7世紀にはイスラム教が生まれてきた。ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教はいずれも唯一神教だが、歴史の流れの中で少しずつ、その相違が明らかになっていった。


 南北に分割された後生き延びた南朝ユダがペルシャの王クロスの恩寵を受けてエルサレムに帰還した後、律法を中心とした今日のユダヤ教が誕生した。

 2000年前にユダヤ社会に生まれたイエスは選民ユダヤ民族から受け入れられず、十字架上で亡くなったが、復活後、その福音の教えはローマに伝えられ、392年にローマでキリスト教は国教と認められ、世界に拡大されていった。1054年のシグマ、15、16世紀の宗教改革を経て、今日、カトリック教会を頂点にキリスト教は約300のグループに分かれていった。

 一方、570年頃に生まれたムハンマドは神の啓示を受け、その教えを伝えていくが、メッカから追放された後、その教えは戦闘的となっていく。ムハンマドの後継者問題がきっかけでスンニ派とシーア派に分裂していったのは周知の事実だ。

 ユダヤ教の「ヤウエ」、キリスト教の「父」、そしてイスラム教の「アラー」もその表現は異なるが、3大唯一神教はこの宇宙を含む森羅万象を創造した神を崇拝し、偶像崇拝を忌み嫌い、多神教を否定してきた。

 ユダヤ教徒はその教え「タルムード」に基づき、日常生活を律していくが、その教えを外の世界に宣教せず、ヤウエの教えを継承していくことにその重点を置く。キリスト教とイスラム教は、イエスの教え、ムハンマドの教えを宣教することを使命と考える。

 伝統を堅持するユダヤ教徒は教育を、福音伝道のキリスト者は宣教、そしてイスラム教徒は結婚、出産を重視してきた。その結果、ユダヤ教徒は世界の経済・科学分野で圧倒的な影響力を保持し、キリスト教は世界にその版図を広げ、イスラム教は少子化で悩む欧州社会をしり目にその数を増やしている。

 ところで、唯一神教を唱える3宗派の対話は可能だろうか。インスブルックの神学者パウル・ヴェス氏(Paul Wes) は3宗派の対話の可能性について、「各宗派がその絶対性請求権(Absolutheitsanspruch)を自己批判的に考えることができれば可能だ」と主張する。これは、同氏が独フライブルクの雑誌「現代のキリスト」に寄稿している内容だ。
 ヴェス氏はその中でドイツ啓蒙思想の代表的知識人、劇作家のゴットホルト・エフライム・レッシング(1729〜1781年)の劇詩「賢者ナータン」に言及し、3大唯一神教の中で、「どの宗教が真理か」という問いを紹介している。

 以下は「賢者ナータン」の話の概要だ。

 劇詩の舞台は12世紀。当時の十字軍時代のエルサレムのスルタン、ザラディーンはユダヤ人の富豪で賢者の誉れ高かったナータンから軍事費を調達しようとして難問を出す。「ユダヤ教とキリスト教、イスラム教のどれが真実の宗教か」だ。
 賢者のナータンは答えに窮した。その時、商人の家で代々、家宝の魔法の指輪を最愛の息子が譲り受けていた、という話を思い出し、ザラディーンに聞かす。

 商人は3人の息子をいずれも愛していたから、家宝の指輪と模造した2つ指輪を準備し、3人の息子に与えた。父親の死後、3人の息子の間でいずれの指輪が本物かで戦いが起きた。息子たちは裁判に訴えた。
 裁判官は、3つの指輪が見分けが付かないほど似ているのに気がつき、3人に「各々は自身の指輪を本物と信じるがよい、そうして本物の指輪が持つ魔法の助けを受け、誰からも愛されるようになるように努力せよ」と助言した。この寓話を聞いたザラディーンは納得し、ナータンから金を取ろうとした自分に恥じ入る。最後は、サラディーンを含む全ての関係者が親族関係だったことを知ってハッピーエンドを迎える。


 神学者ヴェス氏は3つの指輪の話を紹介しながら、「この話は3宗派の対話の土台としては不十分だ。なぜならば、各宗派の絶対性要求に対する自己批判的視点が欠けているからだ」と指摘している。

 ヴェス氏の見解は理解できる。しかし、自身の教えに批判的に向かいあうことは神学者にとっては可能かもしれないが、信仰者にとって非常に難しい要求ではないか。神学者とは異なり、信仰者は自身の教えの絶対性を確信するから信じるのであって、絶対性への自己批判からではないからだ。

バチカン、「プリンス急死」報じる

 米国の伝説的ロック歌手プリンス(本名プリンス・ロジャーズ・ネルソン、1958〜2016年)さんが21日、米ミネソタ州の自宅で死亡しているのが見つかった。 死因は明らかになっていないが、プリンスさんは先週から体調を壊し、自宅で療養していた。薬物の過剰摂取の情報も流れている。

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▲57歳で急死したプリンスさん(プリンスさんの公式サイトから)

 プリンスさんは1958年6月、ミネアポリス生まれ。早くから作曲を始め。ギターなど複数の楽器をこなす。82年に出したアルバム「1999」がヒットし、全米で400万枚を売り上げた。84年には「パープル・レイン」でアカデミー賞歌曲・編曲賞(当時)を受賞するなど、ロック歌手として地位を揺るぎなきものとした。

 プリンスさんの急死はロック世界だけではなく、オバマ米大統領を含め世界各地で大きなショックをもって受け取られている。世界12億人の信者を抱えるローマ・カトリック教会の総本山、バチカン法王庁も例外ではない。バチカンはロック歌手の世界には余り関心がないだろうと思ってきたが、実際はそうではなかった。バチカン放送独語版は22日、「プリンスさんの急死はバチカンでも驚きをもって受け取られた」と急報しているのだ。

 バチカン文化評議会議長のジャンフランコ・ラバージ枢機卿は22日朝、ツイッターでプリンスさんのソング‘Sometimes it snows in april’(1986年)のテキストの一部を紹介している。

 Sometimes, sometimes I wish that life was never ending/All good things, they say, never last

 バチカン放送のプリンスさん急死を報じた記事の概要を紹介する。

 プリンスさんは生前はステレオタイプのロック歌手ではなく、多様性をもつ人間と受け取られてきた。 余り知られていないが、プリンスさんは宗教的な人間であり、「エホバの証人」の信者だった。同時に、ローマ法王に対しては大きな尊敬を払っていた。少々いかがわしいソングを作曲すると、次は宗教的なテーマのソングを歌うなど、自身でバランスを取ってきた。
               
 57歳になるまで、プリンスさんは風変りで、予測できない人間と受け取られてきた。同時に、同性婚に対してははっきりと反対していた。プリンスさんは2度結婚し、2度離婚した。一人の息子が生まれたが、遺伝子の病気で出産後、亡くなっている。
 2015年4月、警察官の暴力で殺害された黒人青年フレディ・グレイさん(当時25歳)の慰霊のためメリーランド州のボルチモアで無料コンサートを開催している。

 なお、プリンスさんは3月、回想録を書くと宣言していたが、その約束は実現できずに終わった。

ウトヤ島住民は慰霊碑建立に反対

 ノルウエー政府はアンネシュ・ブレイビク受刑者(37)の大量殺人の現場となったウトヤ島に犠牲者の慰霊碑を建立する計画だ。同国政府によると、慰霊碑には全ての犠牲者の名前を刻み込むという。その計画が明らかになると、同島の自治体ホール(Hole)の住民から慰霊碑の建立反対の声が飛び出している。そのため、今年建立予定が来年に延びた経緯がある。

 ウトヤ島で労働党青年部の集会が開かれていた時、ブレイビクが襲撃、青年たち69人を次々と射殺していった。逃げる青年たちを執拗に射撃、海に飛び込む青年に対しても射撃したという。ブレイビクはオスロの政府建物テロ爆発の被害者8人を含め77人を殺害した。単独犯としては世界最大の大量殺人事件だった。

 あれから今年7月22日で5年が経過する。前日のコラムでも紹介したが、ブレイビク受刑者は収監状況の改善を訴えて裁判を起こし、当局側から一定の譲歩を勝ち取ったばかりだ。受刑者はこれまで一度も犯行に対し謝罪や悔い改めを表明していない。

 ノルウェー政府が犯行現場のウトヤ島で慰霊碑建立計画を公表すると、同島の自治体ホールの住民が反対した。悲惨な事件を常に想起させる慰霊碑にやり切れなさを感じるからだろう。

 慰霊碑建立に抗議する島民は犠牲となった青年たちの家族や関係者ではない。多くの青年たちはオスロ市など他から島を訪れ、集会に参加し、悲運に遭遇した。だから、自身の島が最悪の犯罪現場として歴史に刻み込まれることに、島民が抵抗を感じるのは自然だ。
 それでは息子、娘の名前を刻んだ慰霊碑を犠牲者の家族や関係者は本当に願っているだろうか。犠牲者の家族から積極的に慰霊碑建立を求める声はなかった。慰霊碑建立案は政府側のイニシャティブではないか。

 ここまで考えてきた時、韓国の慰安婦像(少女像)を思い出した。岸田文雄外相と尹炳世韓国外相は昨年12月28日、ソウルの外務省で会談し、慰安婦問題の解決で合意した。「最終的、不可逆的な解決」の合意事項の中には駐ソウル日本大使館前の「少女像」の撤去問題も含まれている。

 日本大使館前の「少女像」の撤去について、韓国外相は「解決のために努力する」という表現に留めてきた。韓国メディアは、国民の66・3%が「少女像」撤去に反対という調査結果を報じている。

 韓国側は慰安婦問題では世界各地で慰安婦像を建立し、日本を激しく批判してきた。戦時の悲しみを刻み込んだ慰霊碑や少女像の撤去を求める声は韓国内では聞こえない。

 慰安婦問題が日韓の主要テーマとなって以来、当方は慰安婦となった女性やその家族は慰安婦像の建立を本当に願っているかどうか考えてきた。なぜならば、悲しみを癒すべき時間を恣意的に止め、常に悲しみに直面させるような言動は犯行と同様、関係者には非情ではないかと思うからだ。もちろん、悲しみへの対応は個々の感受性によって違ってくる。

 当方は全ての歴史的記念碑や慰霊碑に反対しているわけではない。戦争を2度と繰り返さないために戦争時の蛮行を戒め、犠牲者を慰霊することは重要だ。ただし、悲しみは関係者、家族が心の中で整理、昇華し、祈るのが最善の慰霊と信じている。

 ウトヤ島民が慰霊碑建立に抗議するのは分かるが、韓国側はなぜ慰安婦像撤去に強く反対するのだろうか。韓国民族の本来豊かな感受性がどこへいったのか。慰安婦像は韓国歴史と民族の恥辱以外の何ものでもないはずだ。その像を撤去しようとする韓国国民が出てこないほうが不思議だ。

大量殺人者ブレイビクの勝訴

 2011年7月22日、ノルウェーの首都オスロの政府庁舎前の爆弾テロと郊外のウトヤ島の銃乱射事件で計77人を殺害し、21年の禁固刑を受け収監中のアンネシュ・ブレイビク受刑者(37)は20日、オスロの裁判所から「長年、独房だったことは受刑者の人権を蹂躙し、人権宣言の内容に違反する点もある」という趣旨の判決を受けた。ただし、外部との通信要求は退けられた。

 ブレイビク受刑者は「独房はやり切れない」と主張、オスロの裁判に訴えてきた。それに対し、当局側は「囚人は非常に危険な人間だ。囚人の収監状況は人権宣言にも一致する」と説明してきた。

 ブレイビク受刑者はほぼ5年間、独房生活だった。その結果、頭痛、集中力散漫、無気力に悩まされてきたという。独房は31平方メートル、寝室、仕事、スポーツの3部屋があり、1台のテレビ、インターネットの接続がないコンピューター、そしてゲームコンソールがある。食事と洗濯は自分でやり、外部との接触が厳しく制限されている。郵便物は検閲されてきた。

 判決文では、ブレイビク受刑者の訴えに一定の理解を示し、「囚人の収監状況は人権宣言第3条に違反している点がある」として改善を求める一方、裁判コスト約3万6000ユーロは国が支払うべきと記している。


 ブレイビク受刑者の犯行は当時、世界に大きな衝撃を投じた。受刑者は犯行直後から、「行動は残虐だったが、必要だった」「信念がある1人の人間は自身の利益だけに動く10万人に匹敵する」と豪語し、自身の行動を弁明し、犯行を悔い改めることはなかった。
 ウトヤ島の乱射事件から逃れた少女は、「犯人は非常に落ち着いていた。そして撃った人間がまだ死んでいないと分ると、何度も撃って死を確認していた」という。容疑者はまるでその使命を果たすように冷静に蛮行を重ねていった。
 ブレイビク受刑者は、「政府庁舎前の爆弾テロで時間を取り、計画が遅れてしまった。そうでなかったならば、もっと多くの人間を射殺できたはずだ」と語ったという。


  犯行後、受刑者が書き記した1516頁に及ぶ「欧州の独立宣言」がインターネット上に掲載されたが、犯行は2年前から計画されていた。
 ブレイビクの両親は離婚し、外交官だった父親はフランスに戻った。ブレイビクは少年時代、父親に会いたくてフランスに遊びに行ったが、父親と喧嘩して以来、両者は会っていない。容疑者はオスロの郊外で母親と共に住み、農場を経営する独り者だ。両親の離婚後、ブレイビクは哲学書を読み、社会の矛盾などに敏感に反応する青年として成長していった。
  ブレイビク受刑者の世界は「オスロの容疑者の『思考世界』」(2011年7月26日)と「愛された経験のない人々の逆襲」(2011年7月27日)のコラムの中で詳細に紹介したので関心ある読者は再読をお願いする。

  なお、ノルウエー政府は犯行現場となったウトヤ島に犠牲者の慰霊碑を建立する計画だ。慰霊碑には全ての犠牲者の名前を記すという。同島の自治体ホール(Hole)の住民は犯行を常に思い出させる慰霊碑の建立には反対を表明している。

「天災」から連帯心を学んだ日本人

 熊本県で14日から連日、地震が起きている。マグニチュード7以上の地震が既に2回だ。同じ環太平洋造山帯のエクアドルでも16日、1979年以来最大となるマグニチュード7.8の地震で多数の死傷者が出ている。

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▲日本の地震図(ウィキぺディアの「地震の年表」から)
 赤:M7以上
 青:死者有り
 紫:最大震度6以上

 18日には北アフリカからボートで欧州入りを目指した数百人の難民・移民が溺れ死んだというニュースが入ってきた。陸路でギリシャからのヨーロッパ入りの道が途絶えたことから、地中海からイタリア入りを目指す難民・移民が再び増えてきた。彼らは人身売買業者の手を借りてボートに乗って欧州を目指していた。

 熊本・エクアドル大地震は明らかに天災だ。人知で回避できない災害だ。天災は突然くるから、時には多くの犠牲者が出る。天災は非情だ。待ってくれないし、説明もなく、襲ってくる。
 神がいて、そして愛の神だとすれば、天災には意味がなければならない。神の気まぐれや怒りの表現ではないはずだ、という思いが湧いてくる。

 一方、地中海の難民・移民の悲劇は回避できた人災だ。地中海の状況、ボートに乗る人数などを考えるべきだった。それ以上に、難民・移民をビジネス手段として暗躍する人身売買業者の責任は大きい。周辺国家は人身売買業者の取り締まりを強化すべきだ、
 陸路の難民ルートでトルコが現在果たしているように、アフリカでも難民・移民の管理を担当する拠点を構築すべきだという意見がイタリアを中心に出ている。

 天災の場合、犠牲者は誰に抗議し、その不運を訴えることが出来るだろうか。キリスト教社会では神が常にその責任を追及される立場だった。愛の神がなぜ無慈悲な災害を起こし、多数の人々を殺害したのか、といった神への抗議だ。また、なぜ神はその災害を防ぐことが出来なかったか、といった神の不在を追及する声が飛び出す。無神論者はその信念を追認する。

 一方、人災の場合、その災害を引き起こした直接の関係者、会社、国がその責任を追及される。最近では、2014年4月16日、仁川から済州島に向かっていた旅客船「セウォル号」の沈没で約300人が犠牲となるという大事故が起きた時、救援活動よりも船舶会社への批判、ひいては政府批判でもちきりとなったことはまだ記憶に新しい。

 もちろん、人災の中には天災的な要因もある一方、天災も人災が絡んで被害を更に拡大する、と言ったケースも考えられる。

 天災の場合、怒りをぶつける対象は神しかいない。神を信じない人にとって怒りを向ける対象が見つからない。だから、天災後の犠牲者の心のケアが重要となる。多くの人は諦観に陥る。怒っても仕方がないからだ。それだけに悲しみを分かち合うことがより大切となる。


 日本は地震大国だ。過去、数多くの地震の洗礼を受けてきた。だから、日本人には諦観心が強い。同時に、悲しみを分かち合う連帯感も生まれてきたのではないか。欧州人は怒りと悲しみを神にぶつけ、最後には神と和解するか、神から別れていく。一方、日本人は心に悲しみをしまい込みながら、耐え抜いてきた。欧州人の中には、天災後の日本人の規律の良さと冷静さに驚く声があるが、日本人は数多くの天災を通じて悲しみに耐える訓練を受けてきたからだろう。

 熊本・エクアドルの地震で亡くなった犠牲者の慰霊と負傷者の早期回復を祈る。  
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