ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

焼香を拒む韓国人の“病んだ情”

 “隠れキリシタン”という表現に倣うとすれば、当方は“隠れ韓国ファン”だ。日本の多くの文化遺産が朝鮮半島経由で日本に入ってきたことを知っている。朝鮮民族と日本民族には同一性と相違点があることも学んできた。それでも「これはどうしたことか」と思わざるを得ない出来事が16日、韓国メディアで報じられていたのだ。その話をする。

 昨年4月16日、仁川から済州島に向かっていた旅客船「セウォル号」が沈没し、約300人が犠牲となるという大事故が起きた。船長ら乗組員が沈没する2時間前にボートで脱出する一方、船客に対して適切な救援活動を行っていなかったことが判明し、遺族関係者ばかりか、韓国国民を怒らせた。あれから16日で1年が過ぎた。

 そこで朴槿恵大統領が同日、死者、行方不明者の前に献花と焼香をするために事故現場の埠頭を訪れたが、遺族関係者などから「焼香場を閉鎖され、焼香すらできずに戻っていった」という。死者や行方不明者の関係者から「セウォル号を早く引き揚げろ」といった叫びが事故現場から去る大統領の背中に向かって投げつけられたという(李完九首相も同日、沈没事故で多くの犠牲者が出た学校近くの合同焼香所を訪れ、焼香しようとしたが、遺族関係者から拒否されている)。

 家族や友人の突然の死に直面した遺族関係者や遺体がまだ見つからない家族関係者の叫びは理解できるが、焼香に訪れた者を追い払うその行為に驚くというより、はっきりいえば“異常さ”を感じるのだ。

 焼香を拒まれた朴大統領は現場周辺で国民へのメッセージを読んだという。大統領は、「突然家族を失った苦痛を誰よりもよく知っており、その悲しみが消えずにいつも胸中に残り、人生を苦しめることも自分の半生を通じ感じてきた」(朝鮮日報日本語電子版)と語っている。

 愛する父母を凶弾で亡くした朴大統領のこの言葉を焼香を拒む遺族関係者はどのように受け止めただろうか。ひょっとしたら、大統領のメッセージすら耳に届かなかったかもしれない。自身の悲しみに没頭するあまり、他者の悲しい体験に同情する余裕すらなかった、といったほうが適切な表現かもしれない。

 韓国人は情が深い民族だ、といわれている。他国に支配され、苦しい時代を長く経験した民族には悲しみが溜まっている。だから、その悲しい情が暴発することだってあるだろう。しかし、泣いている自分の傍に、同じように悲しみを味わってきた人がいることを忘れてしまうことが多いのではないか。

 もちろん、個々の悲しみを相対的に受け取ることは難しい。「あなたの悲しみは私の悲しみに比べて……」といった理屈は通じない。悲しみは関係者にとって絶対的であり、相対的に評価などできない。それは分かるとしても、他者の悲しみに無頓着とも思える対応は正常とはいえない。自身の悲しみに理解を求めるのならば、他者の悲しみにも、理解する努力が必要だろう。

 焼香は死者への生きている者の礼だ。焼香は、家族関係者だけではない。死者に対して礼を尽くしたい人は誰でも焼香が許されるべきだろう。その焼香を拒むということは、死者への冒涜にもつながる。別の世界に入った死者に別れを告げたり、追悼する時、生きている者はどのような理由があったとしてもその焼香を願う人を拒むべきではない。

 朴大統領の焼香を拒んだ、というニュースを読んで、韓民族の情が病んでいる、と強く感じるのだ。韓民族は他者の悲しみへの連帯を再発見しなければならない。他者の悲しみを自身のそれと同じように感じることができれば、自身の悲しみは自然と癒されていくのではないか。

 同じように、韓民族が戦後70年目を迎えた今日にあっても戦時の痛みや悲しみを癒せないとすれば、考えなければならない。清流の水がその新鮮さを保てるのは、常に流れているからだ。如何なる清流も留まれば、いつかは淀んでくる。同じように、韓民族の豊かな情も留まっていれば、時間の経過と共に変質してくる危険性がある。悲しみや恨みの虜になってはならない。悲しみを昇華すべきだ。その最初の一歩は、他者の悲しみへの理解を深めることだろう。

テロリストに狙われる国連記者

 イスラム教過激派テロ組織から脅迫状を受け取った友人の国連記者の近況を紹介する。ここではX氏と呼ぶ。アラブのイラク出身だ。

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▲4月の日差しを受け、昼休みを楽しむ国連職員たち(2015年4月14日、ウィーンの国連内で撮影)

 1年ほど前だ。X氏が「君、脅迫状が届いたよ」というではないか。何事が起きたかと聞くと、イスラム過激派グループから「お前を殺す」という脅迫が届いたというのだ。彼はイスラム教徒だが、かなりリベラルな信者だ。女性の権利を擁護し、欧州居住のイスラム教徒には欧州社会への統合を呼びかけてきた。欧州でテロ事件が発生する度にBBCやさまざまなTV番組に出演し、イスラム教過激派テロ組織を厳しく批判してきた。オーストリアの高級紙「プレッセ」でも、イスラム教過激派に警鐘を鳴らす記事を掲載してきた。要するに、X氏はイスラム教過激派テロ組織にとって嫌な存在だ、というわけだ。

 当方が国連で会う度に、「気をつけたほうがいいよ」というと、X氏は「人間は一度は死ぬから恐れることはない」と述べ、「Salem Aleikum」といって笑っていた。彼は当時、まだ余裕があった。

 X氏によると、昨年中旬の段階で6件の脅迫が届いた。X氏は脅迫の数を勲章の数のように自慢しながら話した。そんなX氏だったが、脅迫状の数が12件となった昨年末頃になると、同氏の声にも深刻さが出てきた。「脅迫状も2桁になった。俺はいつ死んでも可笑しくないな」というが、内心は穏やかではなかったはずだ。

 X氏にショックだったのは今年1月パリで発生した風刺週刊紙「シャルリー・エブド」本社襲撃テロ事件だ。同じジャーナリストがテロリストによって無残にも殺害されたというニュースは、テロリストから生命を狙われているX氏にとって、決して他人事ではないからだ。「明日はわが身」といった緊迫感が迫ってきたのだ。

 その直後だ。オーストリア内務省はアンチ・テロ部隊(コブラ)から2人をX氏の身辺警備に派遣した。ウィーンでパリのようなテロ事件が発生し、ジャーナリストが殺害されたら大変だ、というオーストリア内務省側の判断があったからだ。

 X氏は、「君、2人のコブラ隊員が24時間、俺を警備しているから大丈夫だよ」と豪語していたが、次第に「君、どこに行くにも2人が警備している。インタビューの予定も2人に報告し、安全を確認してからしかできないし、勝手に外出はできない」と言い出した。社交的な性格のX氏には24時間身辺警備下でしか動けないことに苛立ちと疲れが出てきたのだ。

 X氏に更に辛いことがあった。35年以上、国連記者としてウィーン国連内で活躍してきたX氏だが、2015年の国連記者としての許可書が国連情報サービス(UNIS)から下りないのだ。UNISはX氏に国連内で動き回ってほしくないのだ。
 当方はUNISに問い合わせたが、「X氏の申請書が不十分だったから許可が出ないだけだ」という。国連関係者によると、「国連側の本音はテロリストから脅迫されているX氏が国連にきて、取材活動をすれば、国連内の安全が脅かされるからだ」という。要するに、「報道の自由」より、国連の安全を優先した処置、というわけだ。
 ちなみに、ウィーン国連でガードマンを連れて行動する外交官はイスラエルとエジプトの2国大使だけだ。ジャーナリストがアンチ・テロ部隊のガード付きで取材活動をするといったケースはこれまでなかった。

 X氏はアパートで奥さんと小犬一匹と住み、買い物も自由にできない。日頃は陽気で強気の彼にも疲れが見え出した。X氏からはもはや「何件の脅迫状が届いたよ」といった類の話は飛び出してこなくなった。テロリストの脅迫はX氏を着実に苦しめているわけだ。

 当方は国連記者室で陽気なX氏と会えなくなって淋しくなった。それにしても、いつまで彼はテロリストの脅迫下で生活しなければならないのだろうか。一人のジャーナリストの人生を妨げるテロリストの脅迫に強い憤りを感じる。

中国首相の「先達の罪」発言から学ぶ

 共同通信は14日、北京発で以下の記事を発信してきた。

 「中国の李克強首相は14日、北京の人民大会堂で河野洋平元衆院議長が会長を務める日本国際貿易促進協会の訪中団と会談し、歴史問題に関して『指導者は先達の罪も背負うべきだ』と述べた」

 李首相のこの発言は、眼前に座るゲストの河野氏に向かって、というより、東京にいる安倍晋三首相に向けたものと受け取られている。「戦後70年談話」の草稿に取り組む安倍首相へのメッセージというわけだ。興味深い点は、中国共産党政権の李首相が、「先達の罪」と述べたことだ。そこで「先達の罪」とは何か考えながら、なぜ李首相の発言が興味深いかを説明したい。

 ハッキリとしている点は、李首相は日本の現指導者が「先達の罪」を背負っていないと憂慮していることだ。「先達」とは、先立って歩む道案内人、指導者たちを意味するだろう。要するに、李首相は日本の前世代の為政者が犯した罪に対して、現世代の日本指導者はその罪を背負うべきだといいたいわけだ。
 前の指導者が犯した悪事に対して後に続く世代がその責任を背負う、という主張は正論だ。その点で当方は李首相の発言に異議はまったくない。

 ところで、「先達の罪」は決して日本人指導者だけではない。どの国、民族にも程度の差こそあれ、「先達の罪」がある。少し飛躍するが、イエス・キリストを殺害したユダヤ民族のその後の歴史を思い出せば、「先達の罪」が如何なるものか、明らかになるだろう。民族の罪、国家の罪といえば、漠然とした感じだが、歴史の中でその意味が次第に明らかになっていくわけだ。

 清教徒たち(ピルグリムファーザー)が建国した米国の歴史は輝かしい成果の連続のように見えるが、その裏には先住民インディアンに対する蛮行、黒人迫害とその奴隷制度など歴史の負の面がある。米国はその「先達の罪」に対して久しく黙認してきたが、やはりさまざまな形でその罪の責任を問われてきている。

 李首相が示唆した「先達の罪」について考えてみよう。日本は近隣諸国へ侵略し、植民地化してきた歴史がある。その「先達の罪」に対して、日本は戦後、近隣諸国の経済支援などを通じて返済してきた。日本の戦後の努力をどのように評価するか、十分と見るか、不十分と受け取るかは国によって違う。中国、韓国の両国は日本の努力を「不十分」と見て、批判してきた経緯がある。

 ところで、他国の「先達の罪」を指摘するのに忙しい李首相にぜひとも思い出してほしいことがある。毛沢東時代、何人の国民が粛清されたのか。数千万人の同胞が中国共産党の圧政で犠牲となった。戦争の犠牲者ではない。自国民への殺害だ。これも中国の「先達の罪」に数えられるだろう。

 中国共産党が過去、権力闘争や国民弾圧で殺害した自国民の数は日中戦争の時の犠牲者より多い、と意地悪なことを言うつもりはないが、中国共産党指導者の一人として、李首相にはこの「先達の罪」を忘れないで欲しいものだ。

 だから、河野氏との会談では、李首相は「わが共産党政権は恥ずかしながら大きな罪を犯しました。われわれはその『先達の罪』を背負っています。日本も同様だと思います。私が『先達の罪』を共に背負っていこうと述べたと安倍首相にお伝え下さい」と語ったとすれば、李首相の「先達の罪」発言は日本でもっと大きな反響を呼んだことだろう。

「解放」と「敗戦」ではどこが違うか

 “音楽の都”として世界のクラシック・ファンから愛されているオーストリアの首都ウィーン市がソ連赤軍(当時)によってナチス・ドイツ軍から「解放」されて今年4月13日で70年目を迎えた。それを記念してウィーン市のロシア兵記念碑前で駐オーストリアのロシア大使などを招き、70年追悼集会が開かれた……オーストリア通信(APA)が14日、報じた。

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▲ウィーン市内のソ連赤軍とナチス軍の戦闘(オーストリア国営放送のHPから)

 APA記事は「ウィーン市周辺で4月5日、激しい戦いが始まった。そして13日夜にはウィーンは解放され、その直後、第2共和国が建国された」という書き出しで始まる。そして「ヒトラーはウィーン市をドイツ第3帝国の第2の首都と宣言して、その防衛を指令した。ソ連赤軍はウクライナの3戦線からウィーンに侵攻し、ナチス軍と激しい戦闘の末、13日午後2時、戦争終焉を宣言し、同市を解放した」という。

 この記事をそのまま受け取ると、ウィーン市はナチス・ドイツ軍に占領されてきたことを意味するが、ヒトラーがウィーン市の英雄広場で20万人の市民を前に凱旋演説をしたこと、ウィーン市民が自国出身の指導者ヒトラーを大歓迎したことを少しでも知っている読者ならば、「解放」ではなく、「敗戦」を迎えたというべきではないか、といった素朴な疑問を感じるだろう。

 オーストリアは1938年から45年の間、ヒトラー政権に強制的に併合された、という理由から、戦後も長い間、「わが国はヒトラー政権に占領されてきた」と考えてきたし、多くの国民もそのように信じてきた。実際、ヒトラー政権に命がけで抵抗した人物の追悼日には、「ナチス軍に抵抗した英雄」といった見出し付きの記事が同国メディアで大きく報じられてきた。

 ところで、「解放」と「敗戦」では文字が違うだけではなく、意味もまったく異なる。ナチス・ドイツ軍と共に戦闘したオーストリアはヒトラーの戦争犯罪に関与したことは間違いない。歴史家は「ナチス親衛隊(SS)ではオーストリア出身者がドイツ人より多かった」と証言しているほどだ。オーストリアのワルトハイム大統領(任期1986年7月〜92年7月)はナチス・ドイツ軍の戦争犯罪に関与した容疑から、世界ユダヤ協会から激しいバッシングを受け、再選出馬を断念せざるを得なくなったほどだった。

 オーストリアは戦後、長い間「解放史観」を学び、「敗戦」という事実を覆い隠してきたが、フフランツ・フラ二ツキー首相(任期1986年6月〜96年3月)がイスラエルを訪問し、「オーストリアにもナチス・ドイツ軍の戦争犯罪の責任がある」と初めて正式に認めたことから、同国は「解放史観」から文字通り解放され、事実に直面するようになった。そこまで到達するのに半世紀余りの月日が必要だったのだ。

 興味深い点は、オーストリアは敗戦後、米英仏ソの4カ国に10年間、分割統治されたが、同国の歴史書ではこの期間を「4カ国の占領期間」と表現するケースが多いことだ。
 ちなみに、ウィーンがオスマン・トルコ軍に包囲された時(1683年)、ポーランドや欧州のキリスト教国がウィーン市を救済するために結集し、北上するオスマントルコ軍を押し返した。この史実は「ウィーン市の解放」という見出しで歴史書に記述されている。この場合は正しい歴史的認識だ。

 ここまで書いてくると、「敗戦」を「解放」と歴史書に記述してきた国は必ずしもオーストリア一国だけでないことを思い出す。隣国・韓国も日本が敗戦した日を独立記念日(光復節)として国を挙げて祝ってきた。それに対し、日本の歴史学者には「韓国は当時、旧日本軍の一員として共に戦った」と指摘し、韓国の解放史観に疑問を呈する声がある。

 オーストリアは「ナチス・ドイツ政権との併合後は主権国家オーストリアは存在していない」という理由から、久しく戦争犯罪問題を回避してきた。これと同様、韓国は、「日韓併合(1910年)以後、主権国家・韓国は国際法上存在しない」という理由から、旧日本軍の「敗戦」に対して一線を敷いてきた。オーストリアと韓国両国の近代史は驚くほど酷似しているのだ。

「世界宗教」の勢力図が変わる時

 世界はイスラム教スンニ派過激武装組織「イスラム国」の蛮行に直面し、その対応に苦慮している。国際社会は、古代アッシリア帝国のニムルド遺跡を破壊し、異教徒を殺害続ける「イスラム国」の狂気に恐れを感じている。その蛮行の原動力がどこから起因するのか理解できないからだ。

 ところで、世界各地で勢力を広げるイスラム教が2050年にはキリスト教とその教勢でほぼ並ぶことがこのほど明らかになった。米国のシンクタンク「 Pew-Research-Center 」が2日公表した「世界宗教の未来」に関する研究報告によれば、50年にはイスラム教徒数が約27億6000万人と急増し、キリスト教徒の29億2000万人に急接近してくるという。具体的には、世界人口に占めるイスラム教徒の割合は23・2%から50年には29・7%と拡大する(キリスト教31・4%と変わらない)というのだ。同報告によれば、他の宗教も少しは増加するが、仏教だけは2010年の維持にとどまり、世界人口比では縮小(5・2%)するという。

 興味深い点はどの宗教にも所属しない無宗教者(無神論者や不可知論者)の数(12億3000万人)も仏教徒と同様、ほぼ現状維持だが、世界人口に占める割合は15年の16・4%から50年には13・2%に縮小することだ。科学技術文明が花咲くと予想されている21世紀は「科学の世紀」とはならず、逆に宗教人口が増えていくことが予想されるのだ。

 仏人気作家ミシェル・ウエルベック( Michel Houellebecq )氏が最新小説「服従」の中で予感したように、イスラム教指導者が世界各地でこれまで以上にその影響を拡大する時代が確実に到来するだろう。ちなみに、ウエルベック氏の小説「服従」は、2022年の大統領選でイスラム系政党から出馬した大統領候補者が対立候補の極右政党「国民戦線」マリーヌ・ル・ペン氏を破って当選するというストーリーだ。フランス革命が起き、政教分離を表明してきた同国で、将来、イスラム系出身の大統領が選出されるという話だ。

 問題は、イスラム教が世界最大宗教となり、イスラム教徒が世界に君臨する時、イスラム教は他の宗派と共存の道を選ぶか、それとも「イスラム国」のように、異教徒を弾圧し、殺害していくか、現時点では不明なことだ。中東地域のイラクやシリアで展開されている少数宗派キリスト信者への迫害状況をみると、世界最大の宗教となったイスラム教が後者の道を選択するシナリオは決して完全には排除できない。

 宗教学者ヤン・アスマン教授は「唯一の神への信仰( Monotheismus )には潜在的な暴力性が内包されている。絶対的な唯一の神を信じる者は他の唯一神教を信じる者を容認できない。そこで暴力を行使してまでも改宗させようとする。その実例はイスラム教過激派テロだ」と指摘し、「イスラム教に見られる暴力性はその教えの非政治化が遅れているからだ」と主張する。

 キリスト教は中世以降、非政治化(政治と宗教の分離)の道を歩み出したが、その代価は決して小さくなかった。キリスト教社会の世俗化が進むことで、教会はその影響力を急速に失っていった。一方、イスラム教は政教一致を掲げ、その勢力を広げてきたわけだ。そのイスラム教が人口統計学的にみて21世紀中には世界最大宗教となることはほぼ間違いない。

 なお、欧州のキリスト教社会にはユーロ・イスラムと呼ばれる世俗イスラム教徒が存在する。彼らは約1400万人と推定され、イスラム教過激派に対しては一定の距離を置いている。その意味で、ユーロ・イスラムはキリスト教とイスラム教の対話の窓口となりうる、といった楽観的な意見もある。イスラム教過激派勢力がユーロ・イスラムをターゲットにオルグを始めているのは決して偶然ではない。いずれにしても、21世紀に入って、「世界宗教」の勢力図は着実に変わりつつあるのだ。

決断を迫られる教会の「運命の日」

 ローマ・カトリック教会総本山のバチカン法王庁で10月4日から25日まで、通常の世界司教会議(シノドス)が開催される。それに先立ち、バチカンは昨年10月5日から19日まで特別世界司教会議(シノドス)を開き、「福音宣教からみた家庭司牧の挑戦」ついて協議してきた。通常シノドスでは、特別シノドスの議題について、継続協議が行われる。作業ペーパーと質問事項は既に世界191カ国の司教会議議長宛てに送付済みだ。

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▲雨が降る中のサンピエトロ広場の復活祭(オーストリア国営放送の中継から、2015年4月5日、撮影)

 通常シノドスでは単に協議するだけではなく、なんらかの決定が下される予定だが、例えば、再婚・離婚者への聖体拝領問題では司教の間で意見が割れているだけに、最悪の場合、教会が分裂する危険すら排除できない。

 フランシスコ法王は2013年3月に就任後、歴代法王たちからみれば羨まれるほど教会内外で人気が高い。贅沢を戒め、法王パレスに住むことを嫌い、ゲストハウスのサンタマルタに住み続ける法王は“貧者の聖人”と呼ばれたアッシジの聖フランシスコの歩みとダブって見えるほどだ。

 南米出身のローマ法王には結構失言が多い。「兎の話」を思い出してほしい。フランシスコ法王は1月19日、スリランカ、フィリピン訪問後の帰国途上の機内記者会見で、随伴記者団から避妊問題で質問を受けた時、避妊手段を禁止しているカトリック教義を擁護しながらも、「キリスト者はベルトコンベアで大量生産するように、子供を多く産む必要はない。カトリック信者はウサギ(飼いウサギ)のようになる必要はないのだ」と発言し、大家族の信者たちから「われわれはうさぎのように子供を多く産んでいるのではない」といった強い反発の声が上がったことはまだ記憶に新しい。
 もし、ドイツ人の前法王べネディクト16世があのような発言をすれば、メディアばかりか信者たちから激しいバッシングを受けることは必至だろう。しかし、フランシスコ法王の場合、笑顔で少し説明すれば、失言も法王の気さくな性格の反映と理解され、ネガティブには受け取られない。これはフランシスコ法王の人徳だけではないだろう。南米出身の法王に教会信者たちが期待しているからだ。

 それでは「何」を期待してるのか。教会の抜本的刷新であり、バチカン法王庁の機構改革だ。教会のドグマと時代の潮流が合致できるように教会を主導してほしいのだ。フランシスコ法王就任後、その淡い期待を抱きながら、信者たちは2年間も法王のパフォーマンスに付き合ってきたのだ。

 しかし、拍手喝さいがいつまでも続く保証はない。フランシスコ法王が10月の通常シノドスで信者たちの期待に応じて教会の刷新に乗り出すか、それとも期待外れに終わるかで、法王の人気ばかりか、教会の運命も大きく変わるだろう。信者たちの期待が大きいだけに、それに応じることができない場合、失望も一層深まることになる。

 ところで、10月の通常シノドスを半年後に控えた今日、2つの象徴的な出来事が報じられている。一つは、チリのカトリック教会サンチャゴ大司教リカルド・エザティ・アンドレロ枢機卿がイエズス会出身のJorge Costadoat Carrasco神学教授の教職を禁止したのだ。その理由は、同教授が再婚・離婚者への聖体拝領を容認したり、同性愛者を承認する説教をしたからだ。同教授は「再婚・離婚者への聖体拝領拒否は福音の真理を偽るものだ」と表現している。
 チリ教会のニュースを読んだとき、「法王の不可謬説」を否定したたため、1979年、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世から聖職を剥奪された世界的神学者ハンス・キュンク教授のことを思い出した。

 チリ教会はフランシスコ法王出身のアルゼンチンと同様、南米教会であり、教職を剥奪された神学教授は法王が所属していたイエズス会出身だ。そのチリ教会で、教会の教えに反するとして神学教授の教職資格が剥奪されたのだ。この決定にフランシスコ法王が全く関与していないとは考えられない。

 2つ目は、同性愛問題に関連するテーマだ。イタリアのメディアが11日、報じたところによると、今年1月に駐バチカン大使に任命された仏外交官Laurent Stefanini が同性愛者ということでバチカン側から信任を拒否されているというのだ。バチカン側はこの件ではこれまで正式には何も発言していないが、3か月余り、新任大使に信任状を出さないということは、バチカン側がこの人物を好ましくないと考えている証拠だ、と解釈されている。
 ちなみに、同外交官(55)は敬虔なカトリック信者であり、2001年から05年まで駐バチカンの仏公使を務めているから、バチカンにとって同外交官は決して全くのニューカマーというわけではないはずだ。

 同性愛者問題では、フランシスコ法王はこれまで容認発言をしていないが、寛容と慈愛で対応する姿勢を強く示唆してきた。興味深い点は、駐仏バチカン大使や同国教会では次期バチカン大使に任命された人物に対して好意的だ。イタリア日刊紙「コリエーレ・デラ・セラ」によれば、パリのアンドレ・ヴァントロワ枢機卿は2月の枢機卿会議でフランシスコ法王宛てに一通の書簡を手渡し、同外交官を擁護している。 ということは、次期大使の信任を渋っている勢力がバチカン内にいるわけだ。

 今年3月で法王就任3年目がスタートした。フランシスコ法王はいつまでも人気法王の立場に甘んじていることはできない。華美な書割を準備したとしても、主演の俳優がその役割を理解して演じなければ劇は盛り上がらない。フランシスコ法王は通常シノドスで改革を貫徹するか、それとも傍聴人に留まり、信者たちを失望させるか、その歴史的な舞台の幕があと半年で開くのだ。

同じように「半世紀」が過ぎたが……

 オバマ米大統領とキューバのカストロ国家評議会議長は10日午後、パナマ市で開幕した米州首脳会議で互いに挨拶し、握手を交わした。欧米メディアは“歴史的な握手”と報じた。それに先立ち、ケリー米国務長官が9日、パナマ市内でキューバのロドリゲス外相と会談している。オバマ米大統領が昨年12月17日、キューバとの外交関係正常化に乗り出すと表明して以来、両国間で今年1月21日から外交接触が続けられてきた。


 米キューバの関係を考える時、冷戦時代の核戦争の危機を想起せざるを得ない。米国はキューバ革命(1959年)に成功したフィデル・カストロ政権の崩壊を目指していた。それに対し、ソ連(当時)が1962年、キューバ国内に核ミサイルを配置しようとしたことから米国が反発、米ソ間の核戦争の危機が高まった。いわゆる「キューバ危機」と呼ばれる出来事だ。最終的には、米ソが相互に譲歩して戦争は回避された。

 米キューバ間は冷戦時代、ケネディ政権が1961年、キューバとの国交を断絶して以来、外交関係のない遠い関係となった。米国内にはキューバから亡命した亡命キューバ人の社会共同体ができ、米国内で反政府活動を展開させてきた。亡命キューバ社会は米国の対キューバ政策に大きな影響を与えてきた。

 米キューバ両国は関係断絶後、“半世紀”が過ぎてようやく接近してきたが、半世紀といえば、日韓両国は1965年6月、国交正常化を締結した。あれから同じように、“半世紀”の時間が経過した。今年は日韓国交正常化50周年の歴史的な年だ。

 日韓両国は半世紀間、外交関係を締結し、政治、外交、経済、文化関係を構築していった。その両国は半世紀を迎える今日、日本国内で嫌韓が高まる一方、韓国では反日感情が国民の間で席巻している。

 韓国は日本に「正しい歴史認識」を要求し、旧日本軍下の慰安婦問題を国際化し、告げ口外交を展開している。一方、日本側は韓国側の一方的な反日攻撃に嫌気がさし、隣国への無関心が広がってきた。安倍晋三首相が、「中国とは考えは違うが交渉できるが、韓国とは交渉すらできない」と嘆いたという噂が流れるほどになってきた。韓国で朴槿恵政権がスタートして3年目に入ったが、両国首脳会談は依然実現されていない。
 
 半世紀余り関係が途絶えてきた米キューバがここにきて関係正常化に乗り出してきた一方、両国国交正常50年目を迎えた日韓両国は「歴史上、最悪の関係」といわれるほど、険悪な関係となってきた。同じ半世紀の間で米キューバ両国と日韓両国の関係はまったく異なる展開をしてきたわけだ。

 もちろん、「米キューバ」と「日韓」では政治的、歴史的にあまりにも違いすぎる。周辺諸国の政情も異なる。同じ半世紀という時間が過ぎたといえ、両者を簡単には比較できない。分かっているが、日韓国民はやはり考えざるを得ないのではないか。“失われた半世紀”とは表現しないが、どうして半世紀という時間を得ながら両国関係は深化できなかったか、強固な信頼関係を構築できなかったか、冷静に考えなければならないだろう。

 ウィーン生まれの経営学者ピーター・F・ドラッカーは「創造する経営者」の中で、「たいていの経営者は、その時間の大半を『きのう』の諸問題に費やしている」と指摘し、未来へのリスクを恐れるべきではないと諭している。含蓄のある言葉ではないか。「きのう」のことを「現在」の最大課題とし、「未来」を創造できない為政者は経営者と同様、最低の指導者だ。時間が過ぎていくのではなく、われわれ人間が過ぎ去っていくのだ。「現在」と「未来」にその能力と知識、そして財力を投入すべきだ。日韓両国は新しい半世紀に向けて、再スタートを切るべきだろう。

「罪」と「病」の間で揺れる「責任能力」

 独週刊誌シュピーゲル最新号(4月4日号)に非常に啓蒙されるエッセイが掲載されていた。同誌の Dirk Kurbjuweit 編集次長の「罪と心」( Schuld und Psyche )というタイトルのエッセイだ。

 エッセイは、ドイツのジャーマンウィングス機墜落(エアバスA320、乗客144人、乗員6人)をもたらした副操縦士アンドレアス・ルビッツ容疑者について、「彼は149人の人間を殺した大量殺人者か、それとも150人目の犠牲者か」と問いかけ、心理分析の発展に伴って社会の罪観が変わってきたと指摘している。

 先ず、149人の犠牲者を出した墜落の主因とみられるルビッツ容疑者は責任能力があるか、という問題が問われる。容疑者が長い間、精神的な病に悩み、病院にも通ってきた。パイロット養成学校コース期間中、病のため中断せざるを得なかったこと、その病歴をジャーマンウィングス社の本社ルフトハンザ航空に報告していたことなどが明らかになるにつれて、容疑者には墜落の責任を担う能力がない、と受け取られてきた。

 昔は、人を殺せば殺人者としてその責任を追及された。「目には目、歯には歯を」といった旧約聖書時代の掟はいきていた。特に、キリスト教社会の欧州では人間は原罪を受け継いだ罪深い存在、と教えられてきた。だから「罪」は明確だった。ちなみに、刑法上、責任能力ない人間は、14歳未満の国民と心神喪失者だけだ。

 ドストエフスキーの長編小説「罪と罰」の主人公、貧しい元大学生ラスコーリニコフは、「自分のような選ばれた人間は社会の道徳を踏みにじっても許される」と考え、金貸しの強欲狡猾な老婆を「存在する価値のない人間」と見て、殺す。ドストエフスキー時代では主人公ラスコーリニコフは「悪人」だが、現代社会では精神的異常者とみられ、「病人」と判断される可能性が高い、という。
 
 ジークムンド・フロイト(1856〜1939年)から始まった精神分析の発展に伴って、「正常な人間」の定義が次第に難しくなってきた。実際、裁判では容疑者の精神鑑定書が判決の行方を左右することが多くなった。同時に、精神病の数も増えてきた。

 例えば、ノルウエーの大量殺人事件(2011年7月)を思い出してほしい。オスロの政府庁舎前の爆弾テロと郊外のウトヤ島の銃乱射事件で計76人を殺害したアンネシュ・ブレイビク容疑者は弁護士に、「行動は残虐だったが、必要だった」と述べ、その犯行を後悔していないと告白した。同容疑者が正常な人間ではないことは明らかだ。実際、容疑者は偏執病精神分裂者( Paranoider Schizophrenie )という精神鑑定書を受けている。

 ブレイビク容疑者が精神的異常者とすれば、同容疑者の犯行には責任能力がないことになる。すなわち、心理療法が発展した社会では、多く人を殺した人間ほど、異常な人間と診断され、その犯行に責任能力がないと判断されやすい。論理的にいえば、大量殺人者は罪が問われないことになる。ただし、ブレイビク容疑者の場合、「自分の犯行が異常な精神状況から生じた犯罪ではなく、確信に基づくものだ。自分には責任能力がある」と、自己弁護している(実際、大量殺人者の場合、裁判では「病気で全てが説明できない」と受け取られ、有罪判決が下されるケースが多い)。

 それでは、149人の犠牲者を出したジャーマンウィングス機墜落の場合、副操縦士ルビッツ容疑者は責任能力がないとして、罪に問われないだろうか。エッセイの筆者は、「容疑者は自身が精神的病に罹っていることを知っていた。彼は多くの乗客が搭乗する旅客機の操縦桿を握ることは危険だと認識していたはずだ。容疑者はパイロットの職務を断念すべき責任があった」と指摘、「ルビッツ容疑者は精神的病に悩んでいたかもしれないが、犠牲者ではない」と主張している。

コックピット内の「操縦士の事情」

 インド国営航空エア・インディア機のコックピットで今月5日、機長と副操縦士が喧嘩を始め、殴り合いとなったが、飛行機は目的地の首都ニューデリーに無事到着したというニュースが流れてきた。

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▲墜落したドイツのジャーマンウィングス機(ウィキぺディアから)

 現地からの情報によると、西部ジャイプールからニューデリーに向かう機内で機長と副操縦士が離陸前の手順などで口論となり、副操縦士が機長に殴りかかったという。ジャーマンウィングス機の墜落(3月24日)があった直後ということもあって、続けざまに起きたコックピット内の出来事に多くの人々は衝撃を受けている。

 ドイツのジャーマンウィングス機(エアバスA320、乗客144人、乗員6人)の場合、回収したブラックボックスなどの解析の結果、精神的な病を抱えていた副操縦士が、機長がトイレに行った直後、コックピットを閉じ、機長を締め出して、高度を下げてフランス南東部のアルプス山中に墜落させた。これまでの調査では、副操縦士の自殺行為が墜落原因と見られている。

 ところで、機長や副操縦士の人災(自殺行為)が原因で墜落した旅客機はドイツのジャーマンウィングス機が初めてではない。最近でも3件、起きている。以下、独週刊誌シュピーゲル(3月28日号)の記事から紹介する。

 。横娃隠廓11月29日、モザンビークの首都マプト発、アゴラの首都ルアンダ行のLAMモザンビーク航空470便(エンブラエル190)の墜落。副操縦士がトイレに行った直後、機長がコックピットを閉じ、機体の高度を下げた。副操縦士がコックピットに入ろうとしたが、戸が開かない。ハンマーで戸を叩き続け、やっと開いた時、もはや遅すぎた。飛行機は地上に墜落。乗員乗客33人は全員死んだ。ジャーマンウィングス機の場合と状況は酷似しているが、LAM航空の場合、墜落させたのは副操縦士ではなく、機長だった。

 ■隠坑坑糠10月31日、ニューヨーク発カイロ行のエジプト航空990便(ボーイング767)の墜落。大西洋上を飛行中、コックピット内で副操縦士が突然、操縦桿を前方に向け、エンジン出力を下げた。機長が慌てて墜落を防ぐため止めようとし、コックピット内で殴り合いが始まったが、正気を失った副操縦士が機長を倒すと、「アラーを信じる」と叫んで機体を墜落させた。搭乗していた217人は死去した。

 1997年12月19日、シンガポールのシルクエア航空185便(ボーイング737−300)の墜落。旅客機が上空1万600メートルから突然、急直下に落ちた。104人の乗員乗客は全て死んだ。国家運輸安全委員会(NTSC)は「原因不明」としたが、機体製造元を管轄する米国側は、私生活に問題があった機長が故意に飛行機を垂直に急降下させ、墜落させたという。

 ぃ横娃隠看3月8日、マレーシアのクアラルンプールから北京に向かっていたマレーシア航空370便(乗員乗客239人)が突然、レーダーから消えた。機体の技術的原因も排除できないが、調査関係者は機長の自殺行為の可能性があるとみている。マレーシア政府は今年1月、機体が見つかっていないことから乗員・乗客は全員死亡したと結論を下した。

 以上、最近の墜落4例を紹介した。機長、副操縦士が意図的(自殺行為)に飛行機を墜落させた疑いのある墜落事故は残念ながら決して珍しくないわけだ。コックピットに座る2人の精神状況が今後、技術分野の改善と共に、旅客機の安全飛行のうえで重要な要因となることが分かる。
 独紙フランクフルター・アルゲマイネは、「パイロットは一般的によく訓練され、教養も高いが、人間は天使ではない。疲れたり、ストレス下では間違いを犯す」と述べていたが、コックピット内の「操縦士の事情」を誰が把握し、それを管理できるか……非常に難しい課題に航空会社は直面しているわけだ。

ギリシャの「要求」とドイツの「対応」

 2787億ユーロ(約36兆2448億円)……この膨大な金額はギリシャ政府が6日、議会で初めて公表したナチス・ドイツ軍のギリシャ占領時代(1941〜44年)に対する戦時賠償金総額だ。国際通貨基金(IMF)とユーロ圏財務相会合(ユーログループ)が2010年以来、第2次支援の枠組みに基づいてギリシャに供与した融資総額は約2270億ユーロだから、戦時賠償金総額はそれをも上回っている。

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▲「ギリシャ中央銀行」の看板(2012年5月 撮影)

 独週刊誌シュピーゲル電子版によると、ギリシャのディミトリス・マルダス財務副大臣( Dimitris Mardas )は国家の債務が膨れ上がった背景を調査する議会委員会で初めて明らかにした。財務副大臣によると、「103億ユーロはナチス・ドイツに強いられてわが国が供与した資金であり、残りは占領時代の被害総額、犠牲者への補償、インフラ破壊などが含まれている」という。

 マルダス財務副大臣によると、「関連文書は全て整っている。戦時賠償金総額は6人の専門家が5万を超える関連文書を慎重に検証した結果だ」という。ドイツに対する一方的なプロパガンダでも嫌がらせでもないというのだ。

 一方、巨額な請求書を突きつけられたドイツ側はギリシャ政府の戦時賠償金について、これまで公式には何も返答していない。なぜならば、戦時賠償問題は、「法的に解決済みであり、一切の義務はない」という立場がドイツ側の公式見解だからだ。
 具体的には、1960年、ドイツ政府は当時、ギリシャに対し1憶1500万マルクを支払い済みだ。その上、1990年の東西ドイツ統一に関する「2プラス4協定」で「戦時賠償問題は終わった」と記述されているからだ。 

 ただし、ドイツの野党左翼党は、「ドイツには道徳的義務がある」という。「ギリシャ側が提示した賠償要求全てを受け入れることは難しいが、その一部でも実施すべきだ」という考えだ。それに対し、ドイツ政府は、「そのような中途半端な対応は法的に問題が生じるだけだ。国際法上で解決済みの問題を再考する余地などはない。賠償額の問題ではない」と主張してきた。ドイツ側が恐れていることは、対ギリシャ戦時賠償問題で譲歩すれば、ナチス・ドイツ軍に占領された他の欧州諸国からも同じ要求が出てくるのではないかということだ。

 法律専門家の中には、「対ギリシャ戦時賠償問題は国際法からみても再考や譲歩の余地はないが、ヒトラーのドイツが1942年、ギリシャ中央銀行から4億7600万マルク(当時)の資金を強制的に借り入れた問題(現在価格では80億から110億ユーロ相当)は再考の余地はあるかもしれない」という意見がある。また、「ギリシャ支援基金」を設置してアテネを支援すればいい、という現実的な案も出ている、といった具合だ。

 ギリシャ側の執拗な戦時賠償請求に対し、ドイツ国民の中には、「それではヴィルヘルム1世時代(1861〜88年)、わが国はギリシャに120万グルデンを供与したことがあるが、いまだもって返済されていない。アテネは利子分を含めて即返済すべきだ」といった感情的な意見も飛び出している。

 IMFやユーログループから金融支援がなければ、ギリシャは数週間で破産する。アテネのチプラス政権が財政問題で本格的な改革案を提示せずにユーログループと交渉している背景には、「ギリシャは、いざとなれば、ドイツから巨額の戦時賠償金を受け取るつもりでいるのではないか」といった憶測すら聞かれる。

 なお、ギリシャのチプラス首相は8日、2日間の日程でモスクワを訪問し、プーチン大統領らと会談する。欧州連合(EU)は、「ウクライナ問題で対ロシア制裁を実施中の時、(EU加盟国の)ギリシャの首相がモスクワを訪問することは、時期的に見て好ましくない」と不快を表明する一方、ギリシャが財政問題の解決のためにロシアに急接近するのではないかと警戒を強めている。シュルツ欧州議会議長は、「ギリシャはEUを分断すべきではない」と警告を発しているほどだ。
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