ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

日本外交官は中国大使に見習え!

 駐オーストリアの中国の李晓驷(Li Xiaosi)大使は模範的な外交官だ。自国の政情や国体がメディアで間違って報道されていたら、黙っておれない外交官のようだ。同大使の強みは流ちょうなドイツ語だ。20日の昼のラジオのニュース番組で同大使の声が聞こえてきた。同大使は数日前、オーストリア代表紙プレッセに寄稿し、香港のデモ集会について、「欧州メディアは正しく報道していない」と厳しく批判し、20日のラジオインタビューでは、「中国の北京政府も香港がカオスに陥るような状況になれば、関与せざるを得なくなる」と発言し、「欧州駐在の中国大使が北京政府の香港介入の可能性を示唆し、香港のデモに対し警告を発した」というニュースを発信させているほどだ。

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▲海外駐在外交官の模範、駐オーストリアの李晓驷中国大使(左)、李勇UNIDO事務局長(国連工業開発機関=UNIDO公式サイトから)

 当方は中国共産党政権の政策には同意できないが、李晓驷大使には感動すら覚える。国と国体は異なるが、「外交官の鏡」ではないか、と口には出せないが高く評価している。なぜならば、外交官は海外では出身国の代表であり、その国の国益を擁護し、問題があればそれに反論する立場だが、李大使はまさにその使命を忠実に実行しているのだ。李大使を評価する理由は、日本外交官が海外の派遣先で国の利益、立場を積極的に支援するという外交官の務めを怠っているのではないかという思いがあるからだ。

 日本の外交官はお茶の会や華道の実演紹介、文化イベントには積極的だが、政治問題や懸案に対しては沈黙するケースが多い。日本海の呼称問題を話し合う韓国主催のシンポジウムがウィーン大学法学部内で開催された時も、日本大使館からは誰も参加しなかった。日韓問題で駐在国の代表紙が偏った主張を社説に掲載しているのに、反論しない。何のために海外に駐在しているのか分からなくなる。その点、国は異なるが、李大使は模範的だ。プレッセ紙が“間違った”中国批判の記事を掲載すると直ぐに反論掲載を要求する。北京外務省は素晴らしい外交官をウィーンに派遣したものだ。

 ただし、ここで同大使の反論内容に言及しても意味がないかもしれない。李大使の反論は中国共産党政権の主張の繰り返しであり、政府のプロパガンダの域を超えていないからだ。

 香港の大デモ集会について、李大使は、「香港がカオスに陥るような状況になれば、国家の主権と領土統合を防衛するために北京は黙っていることができなくなる」と述べ、中国本土からの武力介入の可能性を示唆し、注目された。

 参考までに、台湾問題でも同じだ。中国の習近平国家主席は今年1月2日、「台湾同胞に告げる書」の40周年記念式典で台湾問題に関する中国政府の立場を述べ、その中で「武器の使用は放棄せず、あらゆる必要な措置をとる選択肢を残す」と発言している。李大使は当時もオーストリア代表紙プレッセに反論を寄稿し、「中国警戒論」の鎮静に腐心している。忠実で勤勉な外交官だ。

 李大使は当時、「台湾は1840年のアヘン戦争後、国内外の混乱に陥り、半世紀に渡り外国勢力の支配下にあったが、1945年に中国本土に戻ってきた。その直後、中国は再び内戦を経験したが、1949年に現在の中華人民共和国が建国された。その時、中国国民党政府が台湾に逃げた。その結果、現在の台湾問題が生じたのだ」と中国共産党の視点に基づいて台湾問題の歴史を簡単に説明している(「中国大使の空しい『反論』」2019年1月11日参考)。

 一方、日本の外交官はなぜ沈黙しているのだろうか。日本の外交官世界に通じている知人は、「能力や言語問題では中国大使とひけをとらないが、テーマが日中韓関係や歴史問題となると大使や公使が勝手に駐在国のメディアに寄稿したり、インタビューに応じることは難しい。東京の外務省から承認がなければ自由勝手に寄稿はできないからだ」という。すなわち、外務省の官僚機構が海外駐在大使の自由な言動を束縛し、迅速に対応できなくさせているという。もしそうならば、改善すべきだろう。

 蛇足だが、「嘘も100回言えば本当になる」といわれるが、外交の世界も次第にそのような様相を深めてきた。沈黙は外交の世界ではもはや金ではない。海外駐在の中国外交官や韓国外交官の積極的な自国アピール外交を見るにつけ、日本の外交官の“ひきこもり症候群”が気になる。

海外紙論調に反映する「朝日」の誤報

 オーストリア代表紙プレッセの社説(19日付)は「強制労働(元徴用工)と慰安婦=北東アジアの険悪な状況」で、日韓両国関係が険悪化していること、その背景には歴史問題があることを指摘している。書き手はブルクハルド・ビショフ記者だ。プレッセ紙のベテラン記者は基本的には東欧諸国やロシア問題を担当してきたが、今回突然、日韓問題について社説をまとめているのだ。

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▲オーストリア代表紙プレッセ19日付社説のコピー

 当方は同記者を個人的に知っている。冷戦終焉直後、ウィーンのポーランド大使館でワルシャワから訪問中の国防相と会見するために大使館に出かけた時、同記者もどういうわけか同じ時間帯に国防相と会見することになっていたため、一緒に国防相と会見したことがあった。同記者は当方のことを忘れているだろうが、同記者の名前がBischof(ビショフ)だったので、当方は勝手に「プレッセ紙のカトリック教会の司教(ビショフ)」と受け取って名前を覚えてしまった次第だ。

 肝心のビショフ記者の社説の内容に入る。繰り返すが、彼は朝鮮半島の専門記者ではない。記事の内容は多分、米紙ニューヨーク・タイムズ(NYT)の記事を参考にしながら日韓問題をまとめたのだろう。そして NYTの東京特派員は朝日新聞の論調を土台として記事を書くことで知られているから、ビショフ記者の朝鮮半島の分析記事は否応なく朝日新聞の論調と重なってくるわけだ。ただし、同記者の社説にはNYT記者が頻繁に使う「性奴隷」といった忌むべき表現は出てこない。

 ビショフ記者は、「北東アジアの経済大国、日本と韓国は目下、歴史問題で対立し、両国の和解の見通しは当分ない」と悲観的に描写し、歴史的争点として日本の植民地時代の「強制労働」と「慰安婦」問題を挙げている。

 記者は慎重に書いているが、日本側の両争点に対する見解は社説の中ではほぼ省略されているから、強制労働、慰安婦問題というテーマを挙げることで、日本側の責任を示唆しているわけだ。

 「強制労働」といっても、韓国人は当時、自主的に仕事を求めていったケースが少なくなかったこと、その労賃は半島地域より高かったことなどの説明はない。だから、アジアやアフリカを植民地化し、資源だけを搾取し、労働者を文字通り奴隷にようにこき使った欧州列強の強制労働のイメージが自然に結びつく。「日本も同じようなことをした」というメッセージが読者に伝わっていくわけだ。

 記者は1965年の日韓請求権協定には言及し、日本側の主張を書いているが、その重点は「日本は戦争犯罪を犯した国だ。その国は最終的に全ての責任がある」というトーンが根底に流れている。韓国最高裁の決定を紹介しながら、文在寅政権の立場を間接的に認めている。

 「慰安婦問題」でもそうだ。日韓両国は慰安婦問題で合意し、日本側がアジア基金に資金を拠出した。韓国の文在寅政権がその合意を一方的に破棄したことには言及しているが、その背景、理由は全く無視しているから、ここでも「日本側が慰安婦を集めて女性たちを酷使したのだから、日本側に責任がある」という論理が自然に浮かび上がってくる。書かなくても、問題を提示するだけで、責任は日本にあるという論理が展開されるから、韓国側には万々歳だろう。詳細な成り行きが説明されれば、韓国側は弁明に苦慮するからだ。

 「慰安婦問題」では、慰安婦という表現の発信先、朝日新聞の記者が恣意的に情報を操作し、慰安婦物語を創作していたこと、ベトナム戦争時の韓国兵士のベトナム人女性への性的犯罪、レイプ事件、ライダイハン問題にはまったく言及していない。戦争時の女性への犯罪というのならば、その規模、犠牲者の数でもベトナム人女性への性犯罪件数が圧倒的に多いが、ビショフ記者はそれについて一行も触れていない。

 記者は多分、そんなことには関心がない。情報源の内容が誤報だったことが判明すれば、今回のような社説は書けない。社説の論理が崩れてしまうからだ。ビショフ記者は日韓報道での最新の歴史的検証の事実を削除したわけだ。

 ビショフ記者は、「日韓両国関係の困窮はどちらの問題か」と自問した後、「新天皇が先週、父親の上皇と同じように、日本の戦争の過去について深い遺憾を表明し、恐ろしい戦争を2度と繰り返さないことを希望すると述べた」と書いている。同記者はその前に、慰安婦問題と強制労働問題に言及しているから、新天皇が強制労働と慰安婦問題に対し、謝罪を表明した、という風に受け取られてしまう危険が出てくる。

 ちなみに、同記者は社説の中で「日本の戦争犯罪」という表現を使い、「安倍晋三首相は日本の戦争犯罪を可能な限り矮小化しようとしている」と記述している。

 「戦争犯罪」といえば、欧州人ではナチス・ドイツのユダヤ人大量虐殺と結びつく。記者は日本の植民地下の問題をナチス・ドイツの戦争犯罪と同列視し、日本を批判していることが分かる。旧日本軍の戦争時の蛮行はあくまでも戦争下で起きたものであり、ナチス・ドイツのユダヤ人大量虐殺とは全く異なっている。オーストリアはナチス・ドイツと連携し、戦争犯罪を犯した共犯国だったこともあって、ビショフ記者は「旧日本軍も同じだ」という論点が基本にあるのだろう。大きな間違いだ。

 記者は最後に、韓国内の民族主義、反日ルサンチマン(恨み)に言及し、「韓国は日本の過去問題で常にその要求のハードルを高くしている」と述べ、記事の公平さを保とうと努力している。ただし、「韓国の民族過激派は日本国内の民族主義者を支える結果となっている」と述べ、安倍首相に「歴史修正主義者」という刻印を押し付け、「韓国との和解の可能性を閉ざしている」と批判している。すなわち、日韓の歴史紛争は日本側の責任だというわけだ。

 ビショフ記者の社説を読みながら、朝日新聞の誤報とNYTの反日記事がアルプスの小国オーストリアの代表紙、プレッセの社説にも大きく影響を与えていることが分かる。残念ながら、同記者独自の情報、論調は社説の中には見当たらない。

 それにしても、駐オーストリアの日本大使館は何をしているのだろうか。香港の大デモ問題で駐オーストリアの中国大使がプレッセ紙に寄稿し、欧米の反中国論調に激しく反論していた。その反論の内容は中国共産党政権のプロパガンダに過ぎないが、中国大使は外交官としては愛国的であり、勤勉だ。

 一方、ウィーンの日本大使館はどうしているのか。メトロ新聞や大衆紙の記事ではない。オーストリア代表紙の社説で日韓の歴史問題が言及されているのだ。間違い、誤解が見つかれば、プレッセ紙編集局に抗議し、必要ならば中国大使のように反論記事を寄稿すべきだろう。海外の日本外交官の無策、怠慢が日本の声を殺し、韓国側の主張がまかり通る最大の理由となっているのだ。今からでも遅くない。日本外交官は反論すべきだ。

30年前に東西間の国境が開かれた

 1989年8月19日、ハンガリーとオーストリア両国間の国境が一時解放され、約600人の旧東独国民がオーストリアに入国し、そこから旧西独に亡命していった。同出来事は「ベルリンの壁」崩壊をもたらす契機となった歴史的出来事となった。あれから30年目を迎えた19日、ハンガリー北西部のショプロン市でメルケル独首相とハンガリーのオルバン首相が会見し、国境解放30年を祝った。

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▲メルケル独首相とハンガリーのオルバン首相の記者会見(2019年8月19日、ハンガリー・ショプロンで、ドイツ民間放送NTV中継から)

 国境解放の直接の契機は、汎ヨーロピアン・ピクニックが両国国境近くでベルリンの壁崩壊を訴える集会を開催したが、その時、ハンガリー入りしていた多くの旧東独国民はハンガリー・オーストリア間の国境が一時解放されると聞き、国境に殺到していったことだ。それに先立ち、ハンガリーとオーストリア両国は1989年6月27日、両国国境線に張り巡らせられていた鉄条網(鉄のカーテン)を切断している。

 あれから30年が過ぎた。ハンガリーは2015年、中東・北アフリカ諸国からの難民・移民の殺到に直面し、国境を閉鎖し、鉄条網を設置した。オルバン政権の難民政策はその後、“オルバン主義”と呼ばれ、難民対策の大きな流れを形成していった。隣国オーストリアもクルツ政権(当時)は、オルバン政権と同様、国境線を閉鎖していったことは周知の事実だ。

 興味深いことは、旧東欧諸国の民主化を先駆け、旧東独国民のために国境を解放したハンガリーが30年後、欧州諸国の中でいち早く難民に対して国境を閉鎖したことだ。

 1989年の国境開放には明確な理由があった。旧ソ連の衛星国家だったハンガリーは市場経済を導入し、他の東欧共産国からグラーシュ政策と誹謗されたほど自由化が進んでいた。ハンガリー動乱(1956年10月)は旧ソ連によって弾圧され、同動乱で数千人の国民が殺害され、約25万人が国外に政治亡命したが、その33年後、旧東独国民への国境開放を通じて、その夢を成し遂げていったわけだ(『ベルリンの壁』崩壊とハンガリー」2014年11月9日参考)。

 当方は1989年、ハンガリー社会主義労働者党(共産党)政権最後の首相、ミクローシュ・ネーメト首相(当時)とブタペストの首相官邸で単独会見した。その時、ハンガリー共産党は臨時党大会開催を控えていた。共産党内には改革派と保守派が激しく権力争いを展開していた。同首相は会見の中で「党を分裂させても、わが国は共産主義から決別する」と表明したことを鮮明に思い出す。

 国境解放30年後のオルバン現政権に戻る。オルバン首相は、「欧州をイスラム化から守る」と表明し、中東・北アフリカからのイスラム系難民の受け入れを拒否してきた。ちなみに、ハンガリーは約150年間(1541〜1699年)、オスマン帝国の支配下にあった。

 オルバン政権の対難民政策には揺れがない。イスラム系難民は受け入れない。難民歓迎政策を主張していたメルケル独首相とは常に対立を繰り返してきたわけだ。

 オルバン首相は、「1989年は共産政権時代から民主化へ向かう転換期だった。ハンガリーは旧東独国民のためにその国境線を開放しなければならなかった。そして現在、ハンガリーは国境を閉鎖しなければならなくなった。なぜなら、自由を守らなければならないからだ。両者はコインの両面だ」という。簡単にいえば、前者は“自由を得る”ために、後者は“自由を守る”ためだったという。

 そのオルバン首相とメルケル首相が19日、国境解放30年の記念式典で会見した。前者は欧州で難民受け入れ拒否の先頭を走り、後者は人道的観点から難民受け入れを進めてきた。難民政策では対照的な両首相だ。

 なお、メルケル首相は記者会見で、「30年前の国境解放は歴史的だった。欧州の未来に対してインスピレーションを与える出来事だ」と述べる一方、ハンガリー国民に感謝を表明した。

 欧州で国境が解放され、自由な行き来ができたのは、冷戦時代が終わり、欧州の統合が進められた束の間だった。2015年以降、殺到する難民対策のために欧州の国境は再び閉鎖され、シェンゲン協定は一時的だが、失効状況下に置かれた。多くの欧州の国々にとって、国境は依然、主権保護の重要な役割を担っている。自由に行き来できる「国境なき欧州」はまだ実現されていない。
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