ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2006年08月

世界最大核実験場の悲劇

 ウィーン国連で現在、カザフスタンの核実験場セミパラチンスク市の悲劇を紹介した写真展示会が開催されている。旧ソ連当局は冷戦時代、カザフスタンのセミパラチンスク核実験場で456回の核実験を実施した。具体的には、大気圏実験86回、地上実験30回、地下実験340回となっている。最初の実験は1949年8月29日。最後の実験は1989年10月19日だ。
 セミパラチンスク実験場の広さは18500平方キロメートルだ。核実験の結果、同市周辺ではがん患者の発生率が非常に高い上、異常児出産が多発、約160万人が核実験の放射能の影響を受けたと推定されている。歪んだ顔のままで生まれた1人のカザフ人の写真は核実験の影響の恐ろしさを端的に物語っていた。
 ハーバード大学のグラハム・アリソン教授は「核時代について書くならば、カザフに関する一章を設けなければならないだろう」と述べているが、セミパラチンスク核実験場はその主要舞台だったわけだ。
 同実験場は1996年から2001年にかけて取り壊された。181の地下トンネルや13の未使用のトンネルが破壊された。
 カザフは旧ソ連連邦から独立した後、世界第4の核兵器保有国の汚名を返還するために核不拡散に努力を払ってきた。包括的核実験禁止禁止条約(CTBT)にも早期加盟してきた。
 原爆被爆地の広島市と長崎市、それに核実験場のセミパラチンスク市の3都市は、核兵器の恐ろしさを実体験した哀しい地だ。

オーストリアで「月の砂漠」気分を満喫?

 音楽の都ウィーンには伝統的なスペイン乗馬学校があることは知っていたが、中欧のオーストリアでラクダ乗りを教える学校があるとは、つい最近まで知らなかった。20年間以上、アラブ諸国で働いてきたゲルダ・ガスナーさんが最近、下オーストリア州の森林地でラクダ学校を開いている、という雑誌記事を読んだ。同学校には14頭のフタコブラクダ(Camel)とヒトコブラクダ(Dromedary)がいる。
 ラクダは通常、暑い砂漠で人が乗ったり、物を運ぶために利用される動物だ。日本の北海道と同じ緯度に位置するオーストリアでラクダは生きていけるのだろうか。早速、ガスナーさんに電話で聞いてみた。
 ガスナーさん曰く、「冬季以外は学校を営業している。オーストリアの気候もラクダには問題ない。30年間、1度も病気をしたことがない」という。ラクダは人間以上に適応力があるわけだ。
 ラクダ乗り学校のホームページ(www.kamel-reiten.com)を開くと、子供向けのラクダ乗りワークショップから商業用のラクダ出張まで、さまざまなオファーが紹介されている。ちなみに、ガスナーさんは乗馬技術をウィーナー・ノイシュタット軍事アカデミーで修了したプロだ。ラクダ学校を経営するのが長年の夢だったという。
 日本人にとって、ラクダといえば童謡「月の砂漠」を思い出す人が多いのではないか。ラクダに乗ってロマンチックな気分に浸るのも悪くない。ただし、そこまで“砂漠の船”と呼ばれるラクダを乗りこなすには何度かの落ラクダ(馬)を覚悟しなければならないかも。

マルタさんの宿

 ハンガリーがまだ共産政権時代、記者はブダペストに取材に行くと、決まってマルタさんの家に宿泊した。
 マルタさんと初めて知り合ったのはブタペスト西駅の構内でだ。ウィーンから電車でブタペスト入りした夜、記者は宿泊先を決めていなかった。そこにマルタさんと彼女の母親が声をかけて来た。「近くに安い民宿があるからどうか」という。当時は、西側からきた旅行者に部屋を貸す市民が多かった。
 この時間、市内に出てホテルを探すのは少々億劫だ。人のいい母娘といった感じだったので、マルタさんの民宿に一泊することにした。民宿というより、マルタさんのアパートだ。部屋に入ると、客室を紹介された。風呂は兼用。朝食付きだった。マルタさんの家はブタペスト一の繁華街バーツィー通りにあったから、記者にとっても便利だった。
 あれから、ハンガリー取材の度にマルタさんの家に厄介になった。マルタさんの父親は大学教授だったが、ハンガリー動乱(1956年)を契機に職を失った。マルタさんの母親は夫の死後、一人で娘マルタさんを育ててきたことも後日、知った。マルタさんの母親から共産政権の腐敗や問題点を具体的に教えてもらったものだ。
 その母親は数年前、がんで亡くなった。最近、ブタペストに久しぶりに取材に行く機会があったのでマルタさんに電話した。
 「ご存じのように、母が亡くなってからは民宿はやめたのよ」という。マルタさんは眼球の病気に悩まされていた。今は年金をもらって細々と生活しているという。
 マルタさんのアパートから眺めたブタ地区の朝の風景は、素晴らしかった。

アラブ人とペルシャ人

 「自分に対してアラブ人といった者がいたら、気分が悪いどころか、怒りが湧いてくる」
 ペルシャ人であるイラン外交官はこういう。そこで「アラブ人とイラン人の大きな相違は何か」と聞いてみた。
 外交官曰く、「中国人と日本人間に相違があるように、両民族にはさまざまな違いがある」とし、まず言語の相違を挙げた。
 ペルシャ語は32文字からなるが、アラブ語は28文字で構成されている。ペルシャ語は詩的であり、アラブ語は少々喧騒的だという。
 外交官によると、4文字の相違は「イラン人をアラブ人より感情の表現でより繊細にさせ、表現力で豊かにしている」という。
 イランの歴史をみると、ペルシャは7世紀、アラブ民族に支配された。この時に同地にイスラム教が伝播された。
 「ペルシャ民族はアラブ民族が伝えたイスラム教を独自に発展させてきた」という。アラブでは主にスン二派だが、イランではシーア派が多数派だ。
 一方、アラブの友人にも聞いてみた。「ペルシャ人のイラン人とアラブ人の違いは何か」と。
 彼曰く、「両者の違いは大きい。ペルシャ人の家庭では女性が実権を握っているが、アラブ世界では男性が全てに支配的だ」と実生活レベルでの相違を強調した。イランの家庭では最終的な意思決定権は男性ではなく女性が握っている。すなわち、女性が財布の紐を握っているというわけだ。ちなみに、イランでは女性の大学進学率は男性をはるかに上回っている。
 ところで、アラブの友人は昔、ペルシャ女性と結婚していたことがある。しかし離婚した。その理由は「彼女は自負心が強く、自分をいつも支配しようとしてきた。だから、耐えられなくなったので別れたのさ」とのこと。友人曰く「ペルシャの女性には気をつけろ」。

旧ソ連邦時代の次官と国連記者室

 存在感のある人はいる。逆に言えば、存在感のある人は少なく、多くは「あら、いたのね」と言われかねない。
 ニューヨーク、ジュネーブに次ぐ第3の“国連都市”であるウィーンの記者室には「あら、いたのね」といわれる記者が多い中で、非常に存在感のある記者がいる。一つの記者デスクを占領している老紳士がそれだ。
 彼がどうして記者室にいるのかは誰も知らない。ただ、この老紳士は「プロフェッサー」(教授)と呼ばれている。それだけではない。老紳士は「旧ソ連邦時代(ゴルバチョフ時代)に国家科学技術委員会副議長(次官)であった」というではないか。
 次官まで上り詰めたロシア紳士がどうして記者たちの溜まり場的な国連報道室にたどり着いたのかは分からない。
 老紳士は「次官時代、私のオフィスはこのプレス室以上に大きく、その内装は素晴らしかった」と説明する一方、「しかし、今の自分のデスクの方が次官時代の(大きな)デスクより気に入っている」という。
 次官時代、共産党政権下でその言動がいつも監視されてきたのだろうか。老紳士は「自分のデスクは小さくなったが、ここには自由がある」と笑う。
 国連内で開かれる記者会見では、この老教授は普通の記者とは違った観点から質問する。端的に云えば、時事的な観点ではなく、高次元的、哲学的な立場から聞く。質問された方も「何であんなことを聞くのか」と思ってしまうことがあるが、当の老教授にはまったく他の声など耳に入らないといった風情がある。
 記者会見での質問を除くと、多くの国連記者たちはロシア出身の老紳士、旧ソ連邦時代の次官に一定の敬意を払っている。

タリバン政権と金正日政権

 国連薬物犯罪事務所(UNODC)の最新報告によれば、アフガニスタンで今年に入ってアヘン栽培が急増、昨年同期比で40%増という。栽培地面積も昨年度約10万へクターから今年に入り15万へクターに増えている。
 UNODCによれば、同国は昨年度4500トンのアヘンを生産したが、同量で約450トンのヘロインが製造できる。世界のヘロイン供給の約90%に当たる量だ。
 ところで、アフガニスタンでイスラム根本主義勢力のタリバンが政権にあった時、同国は国家の総力を挙げてアヘン駆逐に乗り出した。その結果、タリバン政権崩壊直前にはアヘン生産量は400トンに急減し、ほぼ駆逐される勢いを示したほどだ。同独裁政権下では、アヘン栽培者は処罰され、麻薬乱用者には極刑が科せられた。
 もちろん、世界の民主政権が麻薬対策でタリバン前政権のような強圧政策を取るわけにはいかないことは言うまでもない。
 一方、タリバン政権とは逆に、独裁政権が麻薬生産に乗り出すならば、その国は麻薬の製造拠点となり、世界に不法麻薬をばらまくことになる。実際、それを実行している国が北朝鮮の金正日政権だ。
 金労働党総書記の意向を受けて軍部の一部が麻薬を生産、それを世界で密輸していることは周知の事実だ。独裁政権が「麻薬対策」ではなく、「麻薬生産」に乗り出した場合、世界は大きな脅威に直面せざるを得なくなる。同じ独裁政権でも、タリバン前政権と金正日政権とでは、麻薬政策で天と地の差があるわけだ。

核実験する6つの理由

 英核燃料会社(BNFL)の企業内部文献「核燃料サイクルと核拡散の細道」を入手した。コンフィデンシャル(機密情報)と位置付けられているが、その内容は今日、既に周知のことだ。文献は核兵器の歴史から核兵器の構造と関連機材、核兵器化、フランスの海底核実験の仕組みまで、40ページから成る。
 そこでは、核実験が実施される6つの理由を箇条書きにまとめている。北朝鮮が核実験を履行する場合、どのような理由が考えられるかを知る上で手助けとなるだろうから、ここで箇条書きに紹介する。
 「核兵器化プログラムの最終段階は核実験だ。核実験を履行する理由としては、Technical assurance (技術保証)、Data acquisition(データ取得) 、Effects test(爆発効果テスト)、Science experiment(科学実験)、Peaceful nuclear explosions(平和的核爆発)、Demonstration(示威)の6点が考えられる」
 それでは、北朝鮮最高指導者・金正日労働党総書記が貴重な外貨を投入して製造した核兵器を実験する場合、上記のどの理由が最も該当するだろうか。
 まず、Δ両豺腓直ぐに予想される。金融制裁を実施する米国に対し、核兵器保有国としての政治的誇示だ。
 しかし、メイド・イン・ノースコリアの核兵器が正常に核爆発するかは不確かだ。テストが失敗したならば、「政治的示威」どころではなくなる。総書記にとっても、その懸念は払拭できないはずだ。
 ということは、金総書記が核実験に踏む切るとすれば、まず、,陵由からという結論になる。Δ寮治的示唆はその後だ。この推理は当たっているだろうか。

北朝鮮“エコノミスト”金正宇氏の囁き

 1990年代、羅津・先鋒自由経済貿易地帯を西側企業に紹介してきた北朝鮮の代表的“エコノミスト”金正宇氏は柔和な笑顔の持ち主だった。その言動は北朝鮮高官によくみられるぎこちなさはなく、自由だった。主体思想を“国是”とする北朝鮮の国民経済は破綻したと発言して憚らない。
 金氏がスイス・ダボスの「世界経済フォーラム」出席後、オーストリア商工会議所開催の「自由経済地帯説明会」に参加した時に初めて会った。会場にはオーストリア企業の代表たちが円卓を囲んでいた。その裏の席で私は著名な北朝鮮エコノミストの言動を追っていた。
 休憩に入った時、金氏は立ち上がり、私に近づいてきた。挨拶を交わした後、「Oさん、あまり意地悪はしないで下さいよ」と、顔を見ながら囁いた。
 金氏の顔は笑っていたが、その目は鋭く私の顔を射抜いていた。一瞬、何のことか理解できずに当惑していたら、金氏は「いい記事もお願いしますよ」と付け加えてきた。
 同氏はきっと駐オーストリアの同国大使館から私が北朝鮮に批判的な記事を書く日本人ジャーナリストだと聞き、警告を発する意味合いがあったのかもしれない。
 金氏とはその後、国連工業開発機関(UNIDO)でも再会した。同氏の機嫌はウィーン滞在中、すこぶる良かった。
 数年後、金正宇氏が自宅に数10万ドルを隠していたという汚職容疑で拘束され、処刑されたというニュースが流れてきた。この情報の確認のために、北朝鮮外交官筋に問い合わせてみたが、真偽は分からなかった。
 金氏の名前を聞くたびに、同氏の囁きを思い出す。

主体思想研究グループの衰退

 アルペンの小国オーストリアにも北朝鮮の国是ともいえる「主体思想研究」のグループが存在した。厳密にいえば、今なお、細々ながら存在しているが、冷戦時代のような活発な動きはもはやなく、会員は年々、減少している。
 オーストリアで主体思想研究が活発な所はインスブルック大学だった。多くの哲学部教授が一時は主体思想に惹かれていったものだ。平壌詣でも続いた。彼らにとっては、主体思想が「南チロル問題」を解決できる哲学体系に思われたのだ。
 「外部から影響を受けず、主体的に生きていく」とする主体思想は、イタリアとオーストリア間で帰属問題を抱えていた南チロルに解決の道をもたらすという希望を与えていた。
 しかし、主体思想の本家、北朝鮮が外部からの経済支援がなくては生存すら出来なくなり、主体思想がいつの間にか「先軍政策」に取って代わられた状況が明らかになるのにつれて、主体思想研究グループは会員を失っていった。
 主体思想研究グループの会員だった大学教授から「会員だったことはあるが、今はやめた。主体思想研究グループの一員と書かないでほしい」と嘆願されたほどだ。自ら主体思想研究グループの一員であると堂々と宣言するメンバーはもはやいない。
 どのような素晴らしい思想体系も実践と実行が伴わなければ、その魅力は急速に失われていくのは当然のことだ。主体思想は確実にその輝きを失ってきた。

アルペン小国の介護問題

 シュッセル首相夫人の母親の介護のために、スロバキア出身の看護士が不法雇用されていたことが発覚し、介護問題の深刻さが改めて浮き彫りになっている。
 メディア情報によれば、女性看護士には時給2ユーロが払われていたという。正式看護士を雇用すれば、時給10ユーロにもなるから、不法に雇用されていた東欧女性の労賃がいかに安いか一目瞭然だ。
 ただし、シュッセル首相の家族だけではない。看護士不足から東欧出身の女性を不法雇用するケースはオーストリアでは日常茶飯事だ。フィッシャー大統領の父親も以前、スロバキア出身の不法看護士に介護されていたことが判明している。すなわち、一国の大統領と首相の親族が労働許可書を所持していない不法看護士を雇用していたことになる。
 同国で看護士を必要とする人は約39万人。労働許可書を所持せずに国内で働く不法看護士は約4万人と推定されている。ちなみに、オーストリアはドイツと同様、自国の労働市場を保護するために、欧州連合(EU)新規加盟国の東欧出身者に対して雇用市場を閉ざしている。
 同国では10月1日に総選挙が実施されるが、介護問題は争点の一つ。その意味で、親族関係者の不法看護士雇用問題が表面化したシュッセル首相にとって、大きな失点となることは避けられない。
 政党からは不法看護士の合法化を求める声もあるが、法的問題が控えているから早急には実現できない。そこで、失業者を教育して看護分野に投入すべきだという意見も聞かれる。問題は力仕事が多く、ハードな仕事の割りに、賃金が低いという看護士になりたい国民が少ないことだ。多くの失業者は看護士になるよりは失業手当を享受している方が快適なのだ。
 少子化問題と介護問題がアルペンの小国オーストリアにも、じわじわと襲ってきている。
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