ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2007年08月

北朝鮮外交官の対日観

 日朝関係正常化作業部会が9月5日からモンゴルの首都ウランバートルで開催されるが、それに先立ち、北朝鮮の宋日昊日朝正常化担当大使は29日、「安倍首相が初めて過去の清算に言及したことを評価する」と述べたばかりだ。同大使の発言は、“安倍憎し”の観が強かった北朝鮮指導部がここにきて初めて柔軟姿勢を示したものとして注目されている。
 ところで、日朝関係正常化作業部会の開催直前に、米朝関係正常化作業部会が9月1日からスイス・ジュネーブで開催されるが、そこでは核無力化の第2段階の措置について協議が交される一方、北朝鮮をテロ支援国リストから削除する問題についても突っ込んだ話し合いが行われると予想される。そのため、拉致問題を抱える日本側も米国の出方に神経を尖らせている。
 それに対し、経済担当の北朝鮮外交筋は当方に対し、「米国がわが国をテロ支援国家リストから削除すれば、米国が掌握する世界銀行など国際金融機関から融資を受ける道が開かれる。その意味で大歓迎だ。しかし、わが国にとってアジア開発銀行(ADB)の金融支援は不可欠だが、そこでは日本が最大の影響力を有している。日本が主導的役割を果たすADBから金融融資を受けるためには日本の同意が必要となる」と説明し、北朝鮮が、国際金融機関との関係正常化のためには対米関係だけではなく、対日関係の正常化が急務と受け取っていることを示唆している。
 北朝鮮外交官と接触してきた当方の経験からみると、北朝鮮外交官の対日観はけっして「日本憎し」で固まっているわけではない。特に、経済分野を担当する外交官、ビジネスマンの多くは「日本との関係改善は重要」と受け取っている。それに対し、政治担当の外交官には激しい反日論者が少なくない。彼らは「日本の植民地時代の蛮行」を挙げて、徹底的に日本を批判する、といった具合だ。
 例えば、駐オーストリアの北朝鮮大使館でも反日論者と対日関係促進派の外交官がいる。どちらが現在、主流かは分からないが、反日の政治レトリックにとらわれ過ぎて、北朝鮮の真意を読み間違ってはならないだろう。

最近の欧州の宗教事情

 欧州はキリスト教文化圏に属する。キリスト教会に対して中世時代のような盲目的な信仰はもはや見られなくなったが、宗教(教会)は依然、住民の生活と密着している。欧州人はいざとなれば自身の信仰の自由を守るために戦うことをも惜しまない。共産政権が支配していた冷戦時代の旧ソ連・東欧諸国を想起すれば理解できることだ。旧東欧の民主化は宗教の自由運動がその原動力だった(例えば、ポーランドの自由化、チェコスロバキアの民主革命など)。
 そこで、最近の欧州の宗教事情を少し紹介する。北欧のノルウェーではキリスト教会とイスラム教徒間で改宗の権利に関する合意書が調印されたばかりだ。同国では約85%の国民が福音ルーテル教会に所属し、イスラム教徒数は約7万人だ。合意文書はイスラム教徒がキリスト教徒に、キリスト教徒がイスラム教に改宗する自由を尊重するというものだ。スイスでもキリスト教会関係者が同様の合意書を2010年までに作成する方向で協議している。その背景には、イスラム教徒がキリスト信者に改宗した場合、イスラム教社会から排撃されたり、暴行を受けるといった事件が発生しているからだ。
 一方、ドイツのケルン市では、イスラム寺院のミナレット問題が大きな社会問題となっている、独のトルコ・イスラム教同盟(Ditib)はイスラム寺院建設を計画している。Ditibの計画によれば、2000人の信者収容可能な寺院で、高さ30メートルの丸天井に2塔のミナレット(高さ56メートル)が予定されている。それに対し、キリスト教会関係者や政治家の一部からは反対の声が出ている。
 イスラム諸国では祈りの時間を知らせる呼びかけ「アザーン」が寺院のミナレットから鳴り響く。イスラム教徒は1日5回の祈りが義務付けられている。ケルン市でミナレットからアザーンが鳴り響けば、キリスト信者が大多数を占める同市の市民はきっと戸惑いを感じることだろう。
 同じ問題を抱えるオーストリアのケルンテン州では、ハイダー州知事が「わが州ではイスラム寺院の建設を全面的に禁止する」と表明しているほどだ。ちなみに、スイスのベルン市議会は8月、ミナレット建設禁止案を否決したばかりだ。ミナレット禁止は「宗教の自由」の原則と一致しない、という意見が多数を占めたからだ。
 南欧のセルビア共和国のコソボ自治州では、少数派のセルビア正教徒と人口の90%以上を占めるイスラム系アルバニア人住民との間で依然、小競り合いが続いている。国連教育科学文化機関(UNESCO)の調査によれば、コソボ自治州の民族紛争で135の正教の教会建物と数多くの修道院が破壊されたという。
 このように見ていくと、無神論を宣言する共産主義の挑戦を退けたキリスト教圏の欧州が今日、イスラム教のさまざまな攻勢に直面していることが分かる。

国連と「テロ」の関係

 「国連と『テロ』の関係」というタイトルをみて、「国連のテロ対策」か「テロの襲撃を恐れる国連」といったテーマを考えられるかもしれないが、ここでは「テロリストたちの潜伏拠点」としての国連について、当方がこれまで目撃し、聞いてきた情報を少し紹介する。
 ニューヨークの国連本部、欧州本部のジュネーブに次いで、音楽の都ウィーンは第3の国連都市だ。ウィーン市には冷戦時代、東西両陣営の窓口とし世界のスパイたちが暗躍していたものだ。当方が常駐する国連報道室には、米中央情報局(CIA)からソ連国家保安委員会(KGB)まで、世界の情報機関の工作員がジャーナリストという名目で情報収集活動をしていた。冷戦終焉後、報道室にはCIAや英情報局秘密情報部(MI6)などの米英情報工作員は姿を消していったが、旧ソ連連邦関係の情報エージェントは依然、ジャーナリストとして屯している。
 ところで、ウィーンの国連には情報機関員だけではない。テロ問題専門家によれば、イスラム系過激テログループの潜伏拠点となっているというのだ。例えば、米国内多発テロ事件直後だと思う。30歳前後のパキスタン出身の青年がウィーンの国連で働き出した。職種は文献などを職員に手渡す簡単な仕事だ。青年は米国でパイロット・ライセンスを取得している。
 問題は、米国帰りの青年がどうして直ぐに国連内の仕事を手に入れることが出来たのかだ。テロ問題専門家によれば、「国連内に仕事を斡旋するテログループ関係者がいるからだ。仲間が逃げてきた場合、仕事を与えて身を隠させる。身を隠すのに国連ほど最適な場所はない」という。確かに、国連は一種の治外法権があるから、外部の監視を受けることは少ない。
 当方は偶然だが、その青年を知っている。彼は同棲中の女性に「自分はウサマ・ビンラディンを支持している」と堂々と話している。国連のホスト国・オーストリア内務省は青年がアルカイダの一員の可能性があるとしてマーク、国連側と連携して監視していたほどだ。
 国連は地域紛争の解決、貧困対策、開発支援などに取り組み、世界の平和実現に寄与すべき責務を担う機関だが、ウィーンの国連が「テロリストたちの潜伏拠点」として悪用されている可能性が考えられるのだ。

金正男氏の近況

 韓国の日刊紙「朝鮮日報」が北朝鮮最高指導者・金正日労働党総書記の長男、正男氏(36歳)が今年6月に平壌に帰国し、党組織指導部で勤務していると報じたことについて、欧州居住の金正男氏の母方親戚筋は「正男氏が6月末に一旦平壌に帰国後、短期間、訪欧した。そして7月中旬には再び平壌に戻ったはずだ」と説明する一方、「正男氏は過去、何度も平壌に帰国している。今回の帰国が初めてではない」と指摘した。
 正男氏はマカオなど海外に居住している時は定期的に欧州の親戚に電話を入れるが、帰国した場合、北朝鮮と欧州間を繋ぐ直接の通信回路がないため、正男氏は親戚に電話をかけることは出来ない。先の親戚筋によれば、7月中旬から正男氏からの電話はないという。
 正男氏については、正男氏が2001年5月、偽造旅券で日本を不法入国したことが発覚後、父親の金総書記の怒りを買って後継者争いのレースから離脱、帰国できずにマカオを中心に放浪中と言われてきたが、同親戚筋は「メディア機関が流した憶測情報に過ぎない」と述べ、正男氏は北朝鮮と外国を自由に行き来してきたと強調し、「放浪説」を一蹴。
 ただし、正男氏が現在、労働党組織指導部に勤務しているとの情報については、「正男氏から聞いていないので、その是非は分からない」というだけにとどめた。(なお、正男氏の訪欧に関しては、当方の7月13日と同月31日の当コラムを再読して頂きたい)。
 金正男氏は金総書記と故成恵琳夫人(モスクワ療養中に死去)との間の長男だが、同氏は、金総書記と故高英姫夫人との間に生まれた2男・正哲氏(25歳)、3男・正雲氏(24歳)との間で後継者争いを展開中といわれるが、欧州の親戚筋は「後継者問題は金総書記以外に誰も分からない」と主張し、正男氏の帰国と後継者の可能性云々については、「憶測しても意味が無い」と語った。

マザー・テレサの苦悩

 「マザー・テレサ」と呼ばれ、世界に親しまれていたカトリック教会修道女テレサは貧者の救済に一生を捧げ、ノーベル平和賞(1979年)を受賞し、死後は、前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の願いに基づき2003年に列福された。その修道女テレサが亡くなって今年9月5日で10年目を迎えるが、彼女の生前の書簡内容がこのほど明らかになった。
 それによると、修道女テレサは「私はイエスを探すが見出せず、イエスの声を聞きたいが聞けない」「自分の中の神は空だ」「神は自分を望んでいない」といった苦悶を告白し、「孤独で暗闇の中に生きている」と嘆いている。
 西側メディアは「テレザ、信仰への懐疑」などと、センセーショナルな見出しを付けて報じたばかりだ。ちなみに、彼女は生前、その書簡を燃やしてほしいと願っていたが、どのような経緯からか燃やされず、このように彼女の内面の声が明らかになったわけだ。
 マザー・テレサの告白は、キリスト教の歴史では決して珍しいものではない。むしろ、程度の差こそあれ、神を信じる多くのキリスト者の信仰生活の中で見られる葛藤だ。新約聖書の聖人パウロの告白をご存知だろう。パウロは「わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して闘いをいどみ、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは、なんという惨めな人間なのだろう」(ローマ人への手紙7章22節〜24節)と告白している。“パウロの嘆き”と呼ばれる内容だ。
 パウロの場合、自身の神への信仰の弱さを嘆いたわけだが、マザー・テレサの告白の場合、神、イエスを求めても答えを得ることが出来ない、“神の沈黙”への嘆きともいえる内容だ。
 コルカタ(カラカッタ)で死に行く多くの貧者の姿に接し、テレサには「なぜ、神は彼らを見捨てるのか」「なぜ、全能な神は苦しむ人々を救わないのか」「どうしてこのように病気、貧困、紛争が絶えないのか」等の問い掛けがあったはずだ。それに対し、神、イエスは何も答えてくれない。このような状況下で神、イエスへのかすかな疑いが心の中で疼く。マザー・テレサは生涯、神への信頼と懐疑の間を揺れ動いていたのだろうか。
 神が愛ならば、愛の神がなぜ、自身の息子、娘の病気、戦争、悲惨な状況に直接干渉して、解決しないのか。その「神の不在」を理由に、神から背を向けていった人々は過去、少なくなかったはずだ。
 マザー・テレサの告白は、「神の不在」に関する背景説明が現代のキリスト教神学では致命的に欠落していること、結婚と家庭を放棄して修道院で神を求める信仰生活がもはや神の願いとは一致しなくなったこと、等を端的に示している。

スポーツ記者時代の思い出

 日本では社会部記者を体験してからスポーツ担当に回された時代があった。野球場にカメラの入った重たいバック抱え、投手のピッチングを撮影するために球場のネット裏で待機したり、王選手が登場すれば、一塁側に移動してカメラを構えるなど、試合中、球場内を行ったりきたりしたものだ。プロ野球の取材で忘れる事ができない思い出は、王選手がホームランの世界記録を樹立した瞬間を撮影できたことだ。大学野球では、法政大の江川卓選手を取材した日のことを今でも鮮明に覚えている。作新学院出身の彼は「賛美歌を歌える」というので、「少し聞かして下さい」と頼むと、当方の前で一曲賛美歌を歌ってくれたものだ。巨人の江川投手になる前の話だ。江川投手はその当時からサービス精神があったのだ。
 サッカー取材では競技場が大き過ぎて1人の記者ではカバーできず、苦労した。また、大相撲横綱審議会メンバーが場所前、横綱の稽古を見にきた日だったと思う。当方が土俵上の横綱を撮影するために審議会メンバーの前に出た時、他社の先輩記者から「馬鹿、前に立つな」と怒られたことがあった。2代目の横綱・若乃花とは部屋の前で路上インタビューをしたっけ。
 2年余りのスポーツ記者時代でプロボクサーとの出会いは思い出深い。スーパーウェルター級世界チャンピオンに復帰したばかりの輪島功一選手をジムでインタビューした。夜もかなり遅くなっていたが、いやな顔を一つせず、答えてくれた。WBAライト・フライ級世界チャンピオンの具志堅用高選手とはキャンプ中の三島で取材した。沖縄出身の同選手は次期防衛戦への決意を静かに語ってくれた。
 当方が初めてボクシングの生試合を取材した時、ボクサーの鼻血がリング下にいた当方のワイシャツまで飛び散り、ビックリしたものだ。テレビのブラウン管を通じて見る試合とは違って、リング下での取材は迫力があった。アイスホッケー取材では、リンク周辺が非常に寒いのにも驚かされた。
 一般的に、スポーツ記事は政治記事よりも難しい。政治記事の場合、いつ、どこで、誰が、何を、どのように語ったか、等を掴めば最低、記事は書けるが、スポーツ記事の場合、それだけでは不十分だ。記者の感性、時には、感情移入が求められる一方、選手の生の声が不可欠だからだ。勝利した選手のコメント、敗れた選手の敗北談を読むと、感動を覚えることがある。ドライな政治記事に比べ、スポーツ記事には“人間のドラマ”が展開されているからだろうか。

「憎しみ」と「忘却」

 作家・坂口安吾はその著書「日本文化私観」の中で、「日本人には『三国志』における憎悪や『チャタレイ夫人の恋人』における憎悪はない」と書き、日本人は「昨日の敵は今日の友にできる民族だ」と指摘している。当方の心の世界を見ても、「憎み続ける」と思うと、先ず「しんどさ」を感じてしまう。「ここで手を打って」ではないが、憎しみを忘れようという心の機能が自然に働き出す。
 イエスは「敵をも愛せよ」といったが、この場合、神の下で全てが兄弟姉妹だという考えが根底にある。日本人が同一の相手を憎み続けることができないのは、イエスの「敵をも愛せよ」という世界とは明らかに異なる。日本人の場合、生理的に一つの感情、特に憎しみを持ち続けることが出来ないだけではないか。だから、「憎しみ」という感情が時間の経過と共に変質し、一種の諦観が生まれてくると、「憎み続ける」ことの意義が次第に薄れていく。それを日本人は昔から「水に流す」といって表現してきたのではないか。
 一方、相手が50年前や数世紀前の事件を挙げ、こちらを憎んできた場合、正直言って戸惑いを感じてしまう日本人が多いのではないだろうか。例えば、中国人や韓国人から、直接犯したことがない戦争犯罪について糾弾されたり、批判された時、当方は「申し訳なく思う」と一応謝罪するが、内心は相手側の憎しみの持続力に言い知れない違和感を感じてきたものだ。
 当方は仕事柄さまざまな分野の人間と会見してきたが、「この人は自分とは全く違う世界にいる」という強い印象を受けた人物がいる。ナチ・ハンターで世界的に有名だったサイモン・ウィーゼンタール氏だ。同氏のウィーン事務所で会見し、そこで「戦争が終わって久しいが、なぜ今も逃亡したナチス幹部を追い続けるのか」と聞いたことがある。同氏は鋭い目をこちらに向けて、「生きている人間が死んでいった人間の恨み、憎しみを許すとか、忘れるとか、言える資格や権利はない」と主張し、「『忘れる』ことは、憎しみや恨みを持って亡くなった人間を冒涜する行為だ」と強調した。「水に流す」世界に生きる当方は、ユダヤ人の生死観に少なからず衝撃を受けた。
 ウィーゼンタール氏の世界観からみれば、日本の戦争犯罪を忘れず、日本人に憎しみを抱き続ける中国人、韓国人の生き方の方が自然かもしれない。ただし、ウィーゼンタール氏は世界を駆け巡りナチス戦争犯罪人を追跡していったが、オーストリアのワルトハイム大統領がナチ戦争犯罪容疑で国際社会から激しくバッシングされていた時、「ワルトハイム氏が戦争犯罪に関与した証拠はない」と弁護しているのだ。同氏は死者の「憎しみ」を忘れない一方、「憎まれる側」の世界にも一定の理解を有していた証拠だろう。「憎しみ」や「恨み」が一人歩きする時、歴史への謙虚な姿勢が失われていく危険性を、同氏は体験を通じて熟知していたのだろう。

結婚を望まない人々

 当方はこのコラム欄で「驚くべき現実」というタイトルで、アルプスの小国オーストリアで昨年度、離婚率が48・9%となり、ほぼ2組に1組の夫婦が離婚し、音楽の都ウィーンでは状況はもっと深刻で、3組に2組の夫婦(65・85%)が離婚した、という同国統計局のショッキングな情報を紹介したが、今度は結婚件数が減少してきた、というニュースが飛び込んできた。
 同国日刊紙オーストライヒは今月21日付で、「どん底の結婚式」という見出しを付け、同国で今年上半期の結婚件数は1万5384組で、前年度同期比で11・2%減を記録したと伝え、「結婚という社会的儀式がもはや流行しなくなった」と報じている。
 オーストリアは特別州のウィーン市を含めて9州から構成されているが、結婚件数が前年度同期比で最も減少した州はブルゲンランド州で24・2%減。それを追って、ウィーン市が3636件で前年度同期比でマイナス13・1%だった。他州もいずれも前年度同期比で減少を記録している。
 ここで想起してほしいことは、同国の昨年度合計特殊出生率は1・41だったという事実だ。オーストリアの女性は昔、子供を沢山生んだ。多産の代表はハプスブルク王朝時代、国母と呼ばれたマリア・テレジア女王(1717〜1780年)だ。女王は7年戦争をプロイセンのフリードリヒ2世と戦いながらも16人の子供を産んだ。そのテレジア女王が現代に生きていたならば、ビックリするような社会状況が生まれているのだ。すなわち、結婚件数は年々少なくなり、それに呼応して出産件数も減少。その一方、離婚件数は急上昇しているのだ。
 社会学者は「なぜ、現代人は結婚を希望しないのか」「結婚した場合でも、どうして長続きしないのか」「なぜ、子供を産まないのか」といった問題に必死に取り組まなければならないだろう。大げさに言うならば、これらの問題は人類の未来と密接に関るテーマだからだ。
 結婚を夢み、立派な子供を生み、育てたいという、半世紀前までは当然であった人間の願望を再び蘇らせることができるだろうか。それとも、「結婚」という一種の社会契約はもはや時代遅れなのだろうか。読者と共に考えていきたい。

脱北の10年の歴史

 10年前の今月27日がどのような日であったかを思い出せる読者は少ないかもしれない。駐エジプトの北朝鮮大使、張承吉氏が米国に政治亡命した日だ。張大使の米国亡命を知った北朝鮮は当時、同大使の身柄引渡しを要求し、それに応じない場合、「第3次米朝ミサイル協議に出席しない」と警告を発するなど、大きな衝撃を受けていた。同大使が北朝鮮の中東地域へのミサイル輸出を管理してきた中心人物だったからだ。
 米中央情報局(CIA)は平壌のミサイル・ビジネス情報を入手するために、張大使をリクルートしたわけだ。(CIAは90年代、北朝鮮の核開発計画を熟知していた駐国際原子力機関(IAEA)担当の北朝鮮参事官を同じようにリクルートしようとしたが、失敗している)。
 張大使の米亡命事件の半年前(97年2月12日)、北朝鮮最高幹部の1人で、主体思想の生みの親、黄長労働党書記が秘書と共に中国・北京の韓国大使館に亡命した。同書記の政治亡命が報じられると、北朝鮮側は「拉致された」と主張するなど、動揺を隠す為に懸命に腐心したほどだ。このようにみていくと、1997年度は脱北の歴史の夜明けを告げた年であったのだ。
 北朝鮮から亡命を希望する脱北者は今日、後を絶えない。今月21日にはベトナムのハノイにあるインドネシア大使館に男女5人の脱北者が大使館の塀を越えて亡命を求めている。米国が2004年、北朝鮮人権法を成立させ、脱北者の受け入れの道を開くなど、脱北者をジュネーブの難民条約に基づいて受け入れを進める国が増えてきた。その一方、国連人権理事会は今年6月18日、人権侵害の恐れがある国として「国別審査」の中に北朝鮮を引き続き加えるなど、北朝鮮の人権問題は既に国際化し、同国の人権状況への監視の目は一段と厳しくなっている
 張大使は亡命後、「北朝鮮はパキスタンを通じてタリバンとウサマ・ビンラディンの組織に武器を供給している」と証言し、北朝鮮の国際テログループへの支援活動を暴露した。また、黄氏は「北朝鮮住民は今日、36年間の日本植民地時代や朝鮮戦争の時代よりもはるかに悲惨な状況下で生きている」と強調している。

日本、CTBTOの危機を救う

 日本政府は今月、包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)に本年度分担金を全額支払った。これで財政危機にあったCTBTOはようやく一息つける。加盟国の分担金拠出率は今月20日現在、70%を越えた。日本が支払うまでは50%台だったから、CTBTO財政の中で日本の分担金(約960万ドル+約930万ユーロ)が占める割合(約20%)がいかに大きいか、改めて明らかになったわけだ。
 CTBTO担当の日本外交官の説明によると、日本政府の会計年度は毎年、3月締め切りで4月から新会計年度が開始され、その時に国連関連機関の分担金などが支払われてきたが、今年からそのやり方が変更された。そのため、国連機関への分担金支払い時期が8月まで大きくずれたわけだ。
 当方のコラムの読者ならばご存知のように、CTBTO最大分担金拠出国の米国が分担金(約1050万ドル+約1080万ユーロ)を滞納し、議決権を失ってしまって以来、CTBTOの台所は火の車の状況が続いてきた。その上、日本の支払いが今夏まで延びたことで、CTBTO関係者は文字通り、青息吐息といった状況にあった。
 CTBTOのホームページは新しい情報が少なく、1カ月間以上、更新されないまま、といったことが少なくなかった。それが財政危機が明らかになって以来、加盟国に分担金支払いを呼びかけるPR活動を展開させる一方、加盟国への情報サービスを進めるなど、積極的な広報活動に乗り出してきた。生きのびていく為の努力だ。
 なお、CTBTOは来月17日、ウィーンのホフブルク宮殿で第5回条約発効促進会議(通称・第14条会議)を開催する。昨年10月の北朝鮮の核実験後、CTBTOが構築中の国際監視システム(IMS)の早期完成を求める声も高まってきている。条約の早期発効は国際社会の願いと一致する。ただし、条約発効への最大の障害は今日、1996年の条約成立の原動力となった米国だ。米国は96年9月、CTBT条約に署名したが、米上院本会議は99年、批准を否決した。ブッシュ米政権はテロ対策の一環として使用可能な小型核兵器の開発を検討している。
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

Recent Comments
Archives
記事検索
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ