ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2007年09月

「死の文化」と中絶不許

 ポーランドのローマ・カトリック教会のグレンプ枢機卿は欧州人権裁判所の判決に怒りを爆発させている。ポーランド教会のシンボルでもある同枢機卿の怒りの背景をバチカン放送の情報に基づいて、ここで少し紹介する。
 1971年生まれの2児の母親の女性が妊娠した。この女性は過去2度の出産で視力が弱化し、3度目の出産をすれば、視力を失う危険性があったが、ワルシャワ病院は中絶を拒否して帝王切開で無事出産させた。この女性はその後、1・5メートル先の対象がかろうじて見える程度に視力が弱まった。そのため、身体障害者と認定され、国から月140ユーロの年金を受けて生活するようになった。
 一方、ストラスブールの欧州人権裁判所は女性の主張を支持し、ポーランド政府に2万5000ユーロの賠償金の支払いを要求したわけだ。
 グレンプ枢機卿は「外部機関がわが国の問題に干渉している実例だ。医者たちは中絶を拒否したのは正しい判断だ」と述べ、ストラスブールの判決を厳しく批判する一方、「患者の生命の危険があったにもかかわらず、中絶を回避した」と評価したという。
 ポーランド教会だけではない。ローマ・カトリック教会は如何なる中絶にも反対していることは周知の事だ。ローマ・カトリック教会最高指導者、ローマ法王ベネディクト16世は9月、オーストリアを訪問した際も「如何なる中絶も許されない」とのメッセージを発信している。オーストリアでは妊娠3カ月以内で母体に危険がある場合は堕胎が許されている。それに対しても、ベネディクト16世は「中絶は許されない」と表明したわけで、政府関係者も少なからず衝撃を受けたほどだ。
 前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は生前、「中絶が増加する現代社会では、死の文化が席巻している」と強く警告を発していたほどだ。カトリック教会では、暴行を受けて妊娠した女性の堕胎をも許さない。そのため、多くの人権擁護機関から「バチカンの根本主義」といわれる所以だ。
 そのバチカンは今日、前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が死の床にあった時、その延命装置を停止して尊厳死を選んだ可能性がある、という医療関係者の発言に直面し、防戦に追われている。バチカンは中絶と共に、安楽死にも強く反対してきた経緯がある。前法王の尊厳死(2005年4月2日)が実証されれば、バチカンは「教義」と「現実」の乖離に陥ることになる。それだけに、前ローマ法王の尊厳死説を懸命に否定しているところだ。なお、前法王ヨハネ・パウロ2世の最後の言葉は「父(神)の家に行かしてくれ」だったという。

移転を繰り返す北貿易部事務所

 駐オーストリアの北朝鮮大使館はオーストリアと国交を結んで以来、現在まで同じ住所だが、北朝鮮大使館の商務官が拠点とする貿易部事務所は過去、何度も変わった。北朝鮮と貿易関係のあるウィーンの会社が北朝鮮の貿易部事務所の住所が分からないため、韓国貿易センター(KOTRA)に電話を入れ、「北朝鮮の貿易部事務所はどこにあるかご存知ありませんか」と聞いてきたという。それほど、北朝鮮の貿易部事務所は移転ばかりしている。当方がやっとのことで事務所の住所を入手して、そこに行ってみると既に空で、移転した後だったこともあった。
 2年前、ようやく新しい住所を見つけ出したので、訪問してみた。戸が開くと朴商務官が出てきて、「何しにきたのか」と招かざる訪問者の当方を外に押し出そうとした。当方は「オーストリアとのビジネスについて、少し近況を聞きたいと思いましてね」といって懸命に食い下がったものだ。
 ウィーン15区にあったその貿易部事務所が最近、朴商務官と共に姿を消したのだ。同事務所を借り受けた食糧小売業者は「北朝鮮大使館に電話すれば分かるはずですよ」といってくれたが、これまでの経験から「大使館は教えてくれませんからね」と溜息交じりで答えただけだ。
 ちなみに、朴商務官の夫人は最近オーストリア国籍を取得した才媛だ。大使を務めた父親をもつ夫人はウィーン大学を修了し、ドイツ語も流暢だ。英語しか話せない朴商務官を支えているわけだ。北朝鮮最高指導者の金正日労働党総書記の長男・金正男氏が2004年11月、ウィーンを訪問した時、ウィーンで会った2人の北朝鮮人のうちの1人だ。正男氏は朴商務官と欧州でのビジネスについて話したのではないかと言われている。
 北の貿易部事務所が頻繁に移転する理由については、米国ら敵国の盗聴を回避するため頻繁に移動する盗聴防止説から、不法取引が多いために住所を知られては具合が悪いからだ、といった不法活動隠蔽説まで、さまざまな理由が考えられてきた。
 いずれにしても、北の貿易部事務所の住所を見つけ出すことは、簡単ではないのだ。電話帳には古い住所しか載っていない。これで果たして、オーストリア企業とビジネスができるだろうか、と他人事ながら心配になってしまう。
 ベートーベンは生前、ウィーン市内を17、8回、引っ越しした。引っ越し魔だった。隣人関係や騒音問題などもあって定住できず、ウィーン市内を転々としながら生きていった。しかし、彼は引っ越しを繰り返しながらも世界的名曲を作曲したが、北の貿易部事務所は頻繁に拠点を変えながら何をしようとしているのだろうか。

レフ・ワレサ氏から学ぶ教訓

 レフ・ワレサ氏と会見するためにポーランドのグダニスク市郊外の同氏の自宅まで行ったが、奥さんが出てきて「主人は疲れて休んでいるから、新聞社のインタビューに応じられない」と伝えてきた。ワルシャワから勇ましく乗り込んできた当方は少々、ガッカリして再びウィーンに戻っていった苦い体験がある。
 インタビューを断れたからいうのではないが、自主管理労組「連帯」議長からさっそうと大統領に選出されたワレサ氏は、大統領府官邸入りしてからその輝きを急速に失っていった。再選を目指した大統領選では、元共産党青年部リーダーだったクワシニエフスキ氏に敗北を喫するなど、国民もワレサ氏から離れていった。多くの国民は当時、「ワレサ氏の政治姿勢は独裁君主だ」と、その政治姿勢に批判的だった。再挑戦した2000年の大統領選では、ワレサ氏の得票率はなんと1%と惨めな結果に終わっている。
 東欧の民主化のパイオニアとして、共産政権と戦っていた野党時代のワレサ氏にはカリスマ性があり、その言動は躍動感があった。世界が知っているワレサ氏のイメージはその時代のものだ。
 双子の兄弟のカチンスキ大統領と首相が主導する同国の政情も現在、大きく揺れ動いている。同国では議会の早期解散を受け10月21日に総選挙を実施する見通しだ。
 ところで、カチンスキ政権のEU政策を見ると、農業助成金問題や新条約の意思決定方式で他のEU諸国と対立し、最近ではEU死刑反対デー開催に拒否権を発動するなど、EU内の異端児となっている。EUの盟主ドイツに対しても戦後補償や歴史解釈をめぐって批判を繰り返している、といった有様だ。同国の為政者にとって、政治は統治ではなく、批判、対立を意味する、と思われるほどだ。
 ポーランド人のこの批判精神、野党精神はその歴史と密接に関連するとよく言われる。同国は過去、3度、プロイセン、ロシア、オーストリアなどに領土を分割され、国を失った悲惨な経験を味わっている。だから、為政者(統治者)に対する批判精神は鍛えられていったが、その分、統治能力は十分成長せずに今日に到っている。ポーランドの政情が常に不安定なのは、為政者が野党時代の批判精神を宥めることができず、肝心の「統治」という責任を忘れているからではないだろうか。
 政治の世界では民族から政党、個人に到るまで、野党時代が長過ぎることは決して理想的ではない。オーナー意識が育ちにくいからだ。ポーランドの政治風土はそのことを端的に物語っている。

オペラ「アイーダ」とアリラン

 韓国の盧武鉉大統領は10月2日から4日、北朝鮮の金正日労働党総書記と南北首脳会談を行うが、訪朝時に北朝鮮のマスゲーム公演「アリラン」を観覧すべきかどうかで韓国内で是非の議論が湧き上がっている。
 韓国の統一部の李在禎長官は「両首脳が一緒に観覧すること自体、世界への平和メッセージとなる」(中央日報)と強調し、観覧に積極的な姿勢を見せた1人だ。大統合民主新党のペ・ギソン委員などは「北朝鮮で見たアリラン公演は、オペラの『アイーダ』に劣らぬ感動を与える作品だった」と称賛し、「アリラン公演は民族の大叙事詩で、世界のどの国もなし得ない大型ミュージカルショーだった」(朝鮮日報日本語版)と主張しているほどだ(同委員がアリランを評価するためにどうしてジュゼッペ・ヴェルディ作曲のオペラ「アイーダ」を挙げたのかは分からない)。
 それに対し、野党のハンナラ党は「アリランは体制宣伝であり、それを観覧することは北朝鮮の独裁体制を支持することになる」と批判してきた。特に、児童・生徒たちはマスゲームのために長期間、1日に10時間以上の過酷な訓練を受けているとされ、人権蹂躪ではないか、といった批判は根強い。
 一方、北朝鮮の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は「アリラン公演には金総書記の統一への意思が盛り込まれている。アリランは金総書記の作品である」(連合ニュース)と強調している。
 朝鮮日報の説明によると、「アリラン公演」は2002年、北朝鮮が故・金日成主席の生誕90周年に合わせ、体制宣伝と国民の団結を目的として考え出したマスゲームだ。ちなみに、人文字などを描く為に約10万人の児童、青年たちが動員される「アリラン公演」は最近、世界最大のマスゲームとしてギネスブックにも記載されたばかりだ。
 韓国側としては故金日成主席の遺体が安置された錦繍山宮殿の参観を断る代わりに、北朝鮮が求めるアリランの観覧は受け入れるべきだ、といった実務的な意見が案外強い。
 以上、韓国日刊紙の報道を引用して伝えた。いずれにしても、「アリラン」を金総書記の傑作品としてオペラ「アイーダ」に匹敵する芸術作品と評価するのは少々、乗り過ぎと思うが、独裁国家・北朝鮮でしか実現できないスケールとその異様な規律性は、観覧する者に衝撃を与えることは確かだろう。

金正哲氏の誕生日

 北朝鮮最高指導者・金正日労働党総書記の次男、金正哲氏は25日、26歳の誕生日を迎えた。平壌で身内だけで誕生日祝賀会が開催されたものと想像する。
 正哲氏については、長男・正男氏ほど知られていない。正哲氏は1981年9月25日、金総書記と高英姫夫人との間に生まれた。母親は2004年、乳がんのためにパリで死去したといわれている。
 正哲氏について知られていることは、.好ぅ垢離ぅ鵐拭璽淵轡腑淵襯好ールに偽名で留学していたこと、■娃暁6月、欧州を訪問し、エリック・クラプトンのファンでコンサートを何度も訪れたこと、ぐらいであろうか。
 金総書記の後継者問題では、長男の正男氏が01年5月、偽造旅券で日本を不法入国したことが発覚し、父親の金総書記の怒りを買って以来、帰国できずにマカオを中心に放浪中ということもあって、正哲氏が大きく引き離して先行していると言われてきた。金総書記が訪中した際、正哲氏を帯同し、中国指導者に後継者として紹介した、といった情報も流れた。その上、亡くなった母親の偶像化も進んでいるといわれることから、正哲氏の後継は既に既成の事実だと受け取る向くもあった。
 しかし、正男氏が度々平壌に帰国し、父親の金総書記とも会っているらしいことが最近判明し、正哲氏の一方的先行説はここにきて少し揺れてきている。また、韓国メディアの情報では、正哲氏が女性ホルモン過多分泌症に悩んでいるともいわれ、健康問題が指摘されている(誰も確認していない)。
 金総書記の料理人を13年間務めた藤本健二氏はその著書「金正日の料理人」(扶桑社)の中で「金正日は、正哲王子のことを、『あれはダメだ。女の子みたいだ』と、よく言っていた」と紹介している。また、正哲氏がバスケットボールが好きなうえ、映画「マトリックス」が大好きなこと、高級車ジャガーを運転していたこと、などを伝えている。
 いずれにしても、正哲氏が金総書記の後を世襲すれば、北朝鮮国民は9月25日を国家祝日として祝賀会を挙行する事になるわけだ。

バチカンの人事を読む

 人事を間違えば、会社も国家も運営がうまくいかない。世界に約11億人の信者を抱えるローマ・カトリック教会総本山バチカン法王庁にとっても人事は教会の行方を左右する重要行事だ。それだけに、バチカンの人事は慎重を極める。そのバチカンがここにきてロシア・モスクワ大司教人事を断行して注目されている。
 ベネディクト16世は21日、モスクワの「神の母教会」(カトリック教会)のタデウス・コンドロシュービッチ大司教の後継者にイタリア出身のパオロ・ペツィ氏を任命した。ペツィ氏はまだ47歳だ。年齢からみるならば、異例の抜擢となる。この大胆な人事が吉と出るか、凶となるかは暫く時間が経過しないと判断はできない。
 バチカンからの情報によれば、ペツィ氏は2004年以来、サンクトペテルブルクで神学校を主導し、1年前に校長に就任したばかりだ。同氏はローマのドミニコ修道院系大学で修学し、1990年に神父に叙階された。「シベリアのカトリック教、源流・迫害、現実」をテーマに法王庁立ラテラン大学で博士号を修得。ロシアでほぼ15年間、カトリック信者たちの牧会を経験している。なお、同氏は来月27日、司教に叙階されることになっている。
 一方、前任者のコンドルシュービッチ大司教は16年前、故ヨハネ・パウロ2世によってモスクワ大司教に任命されたポーランド系のベラルーシ人だ。同大司教は冷戦終焉後、ロシア内でカトリック教会の基盤を構築するために奮闘してきた。それ故にというか、ロシア正教会から厳しい批判に晒されてきた聖職者だ。
 ロシア正教の最高指導者アレクシー2世は過去、「バチカンは旧ソ連連邦圏内で宣教活動を拡大し、ウクライナ西部では正教徒にカトリックの洗礼を授けるなど、正教に対して差別的な行動をしている」と激しく批判してきた。そのため、冷戦終焉後もローマ法王との首脳会談は今だ実現していない。
 今回の人事は、バチカンがアレクシー2世に向け発信した政治シグナルとも受け止めることができる。すなわち、バチカンがロシア正教会から嫌われてきたモスクワ大司教の顔を入れ替えることで、「正教とカトリック教会の関係改善を期待する」との願いをモスクワに送ったというわけだ。
 ちなみに、今年4月に死去した傅鉄山司教の後任に中国共産党官製のカトリック愛国会が任命したジョゼフ李山司教を承認するなど、ベネディクト16世の外交は、教義問題で見せる頑迷さはまったくなく、極めて柔軟で実務的だ。

ファティマの「第4の予言」?

 世界最大のキリスト教派ローマ・カトリック教会では現在、「ファティマの第4の予言」の有無について議論が沸いている。その直接の契機はイタリア作家アントニオ・ソチ氏が昨年、「バチカン法王庁はファティマの第4の予言を隠蔽している」との内容の著書を出版したことにある。
 それに対し、国務省長官のタルチジオ・ベルトーネは21日、「ファティマの最後の予言者」という著書を公表し、聖母マリアから予言を受けた最後の生き証人ルチアとの会話内容を紹介するなど、ファティマの問題はここにきて再び活発化してきたのだ。
 聖母マリアは1917年5月13日、ファティマの3人の羊飼いの子に現れ、3つの予言をした。特に、「第3の予言」については世界の終末を預言しているなど、さまざまな憶測が流れてきたが、新ミレニアムの西暦2000年、教理省長官であったヨゼフ・ラツィンガー枢機卿(現ローマ法王べネディクト16世)は「第3の予言はヨハネ・パウロ2世の暗殺を予言していた」と発表し、「ファティマ」問題に終止符を打った。
 それでは何故、ここにきてファティマの「第4の予言」有無が議論を呼ぶのだろうか。バチカン側は「まったく根拠のない議論」と冷静を装っているが、理由はあるのだ。当方も当コラム欄で「ファティマの第3の予言は故ヨハネ・パウロ2世の暗殺を予言したものではない」と繰り返し主張してきた。
 ここで少し、事実関係を復習しておく。ファティマの「第3の予言」内容を知っていた聖職者は当時、2人いた。1人はヨハネ・パウロ2世であり、もう1人はラツィンガー枢機卿だ。その教理省長官が説明するように、第3の予言内容がローマ法王暗殺を指していたとすれば、暗殺未遂事件直後、ヨハネ・パウロ2世はその意味内容を誰よりも理解できる立場にいたはずだ。しかし、ヨハネ・パウロ2世は当時、暗殺事件と第3予言の関連に何も言及していないのだ。これは何を意味するのだろうか(故ヨハネ・パウロ2世自身は著書「記憶とアイデンティティー」の中で、81年の暗殺未遂事件の黒幕を「共産主義国」と示唆している)。
 実際、前法王の言動を誰よりも知っていた個人秘書のジヴィシ大司教は著書の中で「ヨハン・パウロ2世が暗殺未遂事件をファティマの第3予言との関連性から捉えていなかった」と証言しているのだ。
 バチカン側の説明が正しいとすれば、,匹Δ靴橡_Π纏μた觧件後(1981年)に第3の予言内容を公表しなかったのか、▲侫.謄マの証人ルチアは生前、「第3の予言は決して終末的なカタストロフィーの内容ではなく、むしろ良き知らせです」と述べている、聖母マリアは3人の羊飼いに「第3の予言は1960年まで公表してはいけない」と言ったが、何故か、ね啝瑤い裡運諭▲筌船鵐燭「隠れたイエスに会えずに死ななければならない」と嘆いたといわれるが、「隠れたイエス」とは何を意味するのか、等々、多くの疑問に明確な答えがないのだ。
 ファティマの「第4の予言」有無問題が浮上するのは、「第3の予言」内容が依然、公表されずに封印されているからではないだろうか。

軍最高幹部出身の科学技術相

 国際原子力機関(IAEA)の第51回年次総会が17日から21日までウィーンの国際会議場で開催され、加盟国144カ国から多数の代表団が派遣された。イランのアガザデ副大統領、韓国の金雨植副首相兼科学技術相をトップとすれば、ハンガリーを含む数カ国が外相を派遣した他、閣僚として多数の科学技術担当相が参加した。
 ところで、軍最高幹部出身の科学技術相が参加していたことは余りというより、まったく知られていない。スーダンのアブデル・ラーマン・サエト科学技術相は閣僚入りする前は軍最高幹部の1人であった。もともと生粋の軍人だ。
 スーダンの知人によると、同国の組閣ではどの分野の出身かは余り重要視されない。全ては政治的に決定される。人物の資質や専門分野などは問題視されないという。南北和平合意に基づき、閣僚数は南北間で分割されたが、現閣僚の多くはその資質や専門職とは余り関係のない分野の閣僚に就任しているという。軍最高幹部のサエト氏の科学技術相就任も典型的なスーダン流人事という。知人曰く「彼は軍人であり、科学技術分野とはまったく関係がない人物だ」と指摘した。
 当方が「軍部出身」に拘るのはそれなりの理由があるからだ。イランの核関連施設が軍部の管轄下にあった、ということが発覚した時、欧米諸国はイランの核計画が核エネルギーの平和利用ではなく、核兵器製造を目的としている、といった批判を強めていった。この例でも分かるように、核エネルギーの平和利用を掲げる核計画に軍部が関与することは余り好ましくないからだ。
 スーダンが核兵器製造計画を保有しているとは思わないが、核分野を管轄する閣僚に軍最高幹部が就任したという事実は誤解を生み出すことにもなる。スーダンはもう少し政治的デリカシーを有するべきではないだろうか。
 ちなみに、同相は年次総会の一般演説で中東地域の非核化構想を支持すると共に、イランとIAEA間で合意した「行動計画」を評価する一方、核エネルギーの平和利用に強い意欲を示した。

日曜日を守れ

 「神は第7日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第7日に休まれた。神はその第7日を祝福して、これを聖別された」
 これは天地創造を記述した旧約聖書創世記の一節だ。キリスト教会が日曜日を聖日として尊び、同日午前、教会でミサを挙行して神へ賛美を返す根拠ともなっている聖句だ。
 しかし、21世紀の今日、キリスト教文化圏の欧州では聖なる日曜日が危機に陥っているのだ。数年前までは日曜日に店を開くのはせいぜい食堂か喫茶店だけだったが、消費文化の影響を受け今日、一般の商店も次第に日曜日にオープンし、顧客を集めてきたからだ。
 このような話は24時間、年中無休の店が普通の日本からみたら、「何を寝ぼけたことを」と思われるかもしれない。しかし、キリスト教圏の欧州ではこれまで日曜日は聖なる日として受けとられてきたのだ。神を賛美する以外、日曜日に他の労働をしてはならなかったのだ。
 当方は土曜日の午前、スーパーに行って週末用のパン、野菜、ライス、飲み物などを買い込むのが、ここ10年間の習慣だ。日曜日にはスーパーが閉まるからだ。週末に買物ができなかったため、日曜日にライスがなく、月曜日までご飯を食べることができなかった苦い経験をしたことがある。
 ところが、前述したように、日曜日にも店を開く所が出てきたのだ。それに対し、カトリック教国のオーストリアでは教会が中心になって「日曜日を守れ」といったキャンペーンがスタートしたばかりだ。
  教会関係者が懸念しているのは、来年6月オーストリアとスイス両国で共催されるサッカー欧州選手権(ユーロ2008)の期間だ。多くの商店はサッカー・ファンが殺到するユーロ2008の期間は日曜日も店を開くことを早々と決めている。商店関係者は「日曜日開業はユーロ2008の期間だけで、あくまで例外的処置に過ぎない」と説明しているが、教会関係者は「日曜日の聖なる日が一度崩れると、もはやその流れを止めることができなくなる」といった危惧感を抱いている。
 ちなみに、オーストリアを訪問したローマ・カトリック教会最高指導者ローマ法王ベネディクト16世はシュテファン大寺院での礼拝で日曜日の重要性を強調している。教会は必死になって日曜日を守ろうとしているのだ。

北との合弁事業の蹉跌

 北朝鮮の平壌ピアノ製造会社と合弁事業を運営しているウィーンのピアノ・メーカーの老舗「J・ネメチュケ社」のネメチュケ社長に、事業の近況を聞くために電話した。
 すると、電話先で社長は「北朝鮮との合弁会社は最近、破棄したよ」というではないか。
 当方が今年3月、会社を訪れて社長に会った時、「事業は順調に発展し、年間約300台のピアノを製造、輸出しているという。平壌からはピアノの外枠の半製品が運ばれ、ウィーンの仕事場でピアノの機材を挿入して完成している」と説明し、「北朝鮮でピアノの半製品を製造し、ウィーンで完成することによって、価格競争で有利となる」と、事業の将来に対して楽観的な見通しを述べてくれたばかりだ。
 「どうしたんですか」と聞いた。
 ネメチュケ社長は「北朝鮮とは一緒にビジネスができないことが分かっただけだ」という。具体的には、「北朝鮮側は納期を守らないし、支払いモラルは非常に悪い。その上、あちらでは、今日決定したことが明日になれば変ることが日常茶飯事だ。ビジネスなんかやっていけないよ」と合弁事業の解消の理由を挙げた。
 平壌のパートナー側と技術提携を開始した直後、社長は「年2回ほど、北朝鮮の会社を訪問し、製造担当者に品質管理を指導している」と述べるほど、品質管理には神経を使っていた。
 111年の歴史を有する同社はピアノ・メーカーの老舗だ。その会社が誇るピアノ製造のノウハウを極東アジアの北朝鮮ピアノ製造会社に伝授することは決して容易な仕事ではないからだ。
 そこで社長に「突然の提携中止の背景には、品質問題があるのではないですか」と聞いてみた。すると「平壌のパートナーは品質では向上し、こちらも満足していた。北朝鮮の職人は人間的にはいい人たちだよ。しかし、あそこの国とはビジネスはできないというだけだ」と強調した。
 「社長は正式に合弁事業の解消通知を平壌側に連絡されたのですか」としつこく尋ねると、社長は「何を連絡しても返答がない国だよ」といって、「J・ネメチュケ社」の一方的な解消宣言であることを示唆した。
 音楽の都ウィーンのピアノ・メーカーの老舗「J・ネメチュケ社」と平壌ピアノ製造会社間の合弁事業は3年余りで閉じることになるわけだ。ちなみに、 平壌で昨年12月28日、モーツアルト生誕記念コンサートが開かれ、オペラ「フィガロの結婚」の序曲やピアノ協奏曲23番などが演奏されたが、そこで使用されたピアノは北朝鮮と「J・ネメチュケ社」の技術提携の結実であったことを付け加えておく。
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

Recent Comments
Archives
記事検索
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ