ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2008年04月

「娘監禁事件」への一考

 オーストリアではここ数日、父親に24年間、地下室に監禁され、性虐待を受け、7人の子供を産んだ娘(現在42歳)の監禁事件の話題で持ちきりだ。世界のメディア機関も監禁事件の現場の小都市AmstettenにTVクルーを派遣し、事件を報道している。その外国メディア関係者からは「アルプスの小国オーストリアでどうして頻繁に世界を驚かせる蛮行が起きるのだろうか」といった素朴な疑問が聞かれる。同国では2年前にも18歳の女性が8年間の監禁生活から解放される、という事件があったばかりだ。その時も世界のメディアが競って報道したことはまだ記憶に新しい。
 両監禁事件に共通している事実は、「地下室」(監禁場所)だ。今回の「24年間監禁事件」も「8年間監禁事件」も犠牲者はいずれも地下室(Keller)で監禁されていた。「地下室」は事件の謎を解くキーワードかもしれない(「地下室」というより、「地下牢」=Verliesと呼ぶ方が監禁状況の現実に合っているかもしれない)。
 ところで、今回の監禁事件が発生したアムシュテッテン市からあまり遠くないマウトハウゼンには世界大戦時、ユダヤ人が監禁されていた強制収容所があった(同収容所では10万人以上のユダヤ人が殺害された)。ユダヤ人は当時、ナチス軍の蛮行から逃れる為に地下室に隠れたり、ナチス軍兵士に見つかり、虐殺され、暴行された。
 さて、ここからは当方の一考だ。虐殺されたり、暴行されたユダヤ人の「恨みと苦悩の魂」はどこに行ったのだろうか。消えたのか。消滅していないとすれば、どこに行ったのか。収容所で監禁されたり、暴行され、殺害されたユダヤ人の「恨みと苦悩の魂」は現在も漂い、恨みを晴らすために何らかの働きかけを現代人にしているのではないか。
 オーストリアで「8年間監禁事件」と「24年間監禁事件」が続けて発覚し、世界の耳目を集めたのは偶然ではないはずだ。「恨みと苦悩の魂」は「見ろ、この苦しみを。これがお前たちが自分たちにした蛮行だ」と叫んでいるのではないか。
 同国は過去、1950年の「モスクワ宣言」を盾に久しくナチス軍のユダヤ人虐殺蛮行の責任を回避し、「われわれもナチス軍の犠牲者だった」と弁明してきた。今年はヒトラーが率いるナチス軍がオーストリアを併合して70年目を迎えた年だ。その年に、今回の「24年間監禁事件」が明らかになったのは、繰り返すが、決して偶然ではないはずだ。「恨みと苦悩の魂」は「われわれが味わってきた苦悩を忘れるな」とオーストリア国民に知らせ、民族が犯した歴史事実に真摯に対峙するよう強いている、と感じるのだ。
 オーストリアのメディアでは「欧州サッカー選手権が6月、わが国で開催されるが、監禁事件が世界に流されたことで、わが国のイメージは著しく損なわれた」といった懸念の声が聞かれる。しかし、今回の監禁事件はイメージ問題ではない。“事件の核心”は1人の異常な父親の蛮行というより、(世界のメディアを通じて)、同国の歴史が白日の下にさらされている、ということではないか。

 以上、「馬鹿げている」と一笑にふされる恐れを感じながら、当方が今回の事件を通じて強烈に感じた一考を紹介した。
 われわれ人間は歴史と繋がりを有する存在であり、良い悪いは別として、歴史の所産だ。過去の歴史で展開された全ての内容は現在、再現され、清算するために必要ならば代価を払わなければならない、と信じているからだ。

 訂正・・29日掲載の「娘監禁性虐待事件の類似点」で、地下室の広さを「80平方メートル」と書きましたが、警察当局の公式発表によりますと「60平方メートル」でした。訂正します。

娘監禁性虐待事件の類似点

 オーストリアで27日、また、考えられないような事件が明らかになった。同国東部の小都市・アムシュテッテン市(Amstetten)で73歳の父親(電気工)が当時18歳だった娘(現在42歳)を1984年以降、24年間、地下室に監禁し、性虐待を繰り返し、7人の子供(1人は出産直後、死亡)を産ませたというのだ。
 父親は娘が11歳の時から性虐待を繰り返し、18歳の時に地下室に手錠をかけて監禁し、娘を行方不明者として報告する一方、産まれた子供のうち3人を「家出した娘が子供たちだけを送り返してきた」として、自宅で育てる一方、他の3人の子供たち(現在、19歳、18歳、5歳)は娘と共に地下室で監禁していたという。地下室は約80平方メートルの広さだが、高さは約1メートル70センチしかない。トイレ、料理できる小台所はあったが、娘は24年間、太陽の光の届かない生活を強いられてきた。
 監禁中の子供が病気となったため、父親が子供を病院に運んだが、治療に当たった医者が子供の病状に不審を感じて警察に報告したことから、事件が明らかになった。逮捕された父親の妻(娘の母親)は「地下室に娘や子供たちが監禁されていたとはまったく気が付かなかった」と証言し、ショックを隠し切れない様子だったという。
 同国では2006年8月23日、8年間監禁された後、解放されたナターシャ・カムプシュさん(18歳)の記憶がまだ生々しい。ナターシャさんは拉致犯人(44歳、ナターシャさんの逃避後、列車飛び込み自殺)の自宅の地下室に拘束されていた。同居していた犯人の母親はまったく事件を知らなかったという。ナターシャさんは自力で逃げ出して解放された。なお、ナターシャさんが監禁8年間の体験を語った最初のインタビュー番組は、オーストリア国内で300万人以上が視聴し、世界120カ所のTV会社が放送権を得て放映したほどだ。
 世界を驚かせた「8年間の監禁事件」と今回の「24年間の監禁事件」には酷似点が少なくない。.Εーンのような大都市ではなく、ニーダーエスタライヒ州の小都市で発生、犯人の自宅地下室で監禁されていた、H反佑虜覆篳貎討自宅の地下室に娘や女性が監禁されていたことを知らなかった、の擔佑眛瑛諭△泙辰燭不審を感じなかったうえ、犯人を「親切で真面目な人間だった」と証言している、等だ。
 オーストリアの日刊紙は28日、1面トップで監禁事件の詳細を報じている。「オーストライヒ」紙は「わが国の犯罪史上、最悪事件」と述べている。

トイレが不必要なスーダンの夏

 友人のスーダン出身記者がようやくウィーンに戻ってきた。約1カ月間、母国スーダンのほか、エジプトや他のアフリカ諸国を取材してきたという。ウィーンの気温は日中平均15度だが、スーダンでは45度以上だった、という。気温の相違もあって、「ウィーン生活に戻るまで少し時間がかかる」という。
 当方は過去2回、40度の気温を体験したことがあると話すと、友人は笑いながら「欧州の40度より、スーダンで50度の気温の方が過ごしやすいよ」と言い出した。どうしてか、聞くと、彼は「50度近くになると、汗で熱が皮膚から出て行き、その後は気分が爽快だ。夏の時期になれば、空気が乾燥しているため、朝、トイレ(小便)にいけば、夜までトイレに行かなくても体内の水は全て汗で出て行く。もちろん、日中、多くの水分を摂取するが、全て汗と共に出て行くから問題ではない」という。スーダンの夏はトイレが不必要なのだ。
 一方、欧州では湿気があるため、気温が高くなれば、体は汗をうまく排出できないため、気分は快適でないし、水分を取ればそれだけトイレにいく回数も増える。「スーダンの50度の方が過ごしやすい」ということになるわけだ。
 当方はこのコラム欄で「スーダンと『自殺』の話」(2007年6月5日掲載)を紹介したことがある。家族間の繋がりが強い同国では、1人になって自殺を考え、計画、実施できる空間やタイミングがないという。友人は「そもそも独り住まいのスーダン人なんて、ほとんどいない。親戚や家族と一緒に生活している。食事も1人で食べることはない。だから、独り、寂しく悩み、そして自殺を考える、といった“離れ業”はわが国ではあり得ない話だ」と語ってくれたことを思い出す。
 スーダンといえば、南北間の民族紛争やダルフール紛争を直ぐに思い出すが、スーダン人の生活や環境については余り知られていない。だから、友人から聞く「スーダンの話」はとても新鮮で、時には感動すら覚える。

バチカンとパラグアイ新大統領

 パラグアイ大統領選で20日、元カトリック司教のフェルナンド・ルゴ氏がオベラル前教育相ら対抗候補者を破り、当選した。野党連合「変革のための愛国同盟」を率いてきたルゴ氏は、選挙戦では約60年続いたコロラド党政権の交代を訴えると共に、汚職の一掃、社会福祉の重視などを掲げ、国民の3割以上を占める貧困層の支持を得て勝利した。
 ルゴ氏はサンペドロ教区司教として2004年まで従事してきたカトリック教会司教だったが、06年から政治活動に乗り出したために、聖職停止を受けた人物だ。教会法では、聖職者は世俗社会の公職(政治)に従事することが禁止されている。
 ところで、ローマ・カトリック教会総本山バチカン法王庁はルゴ氏の大統領当選に対して慎重な立場を堅持している。バチカン報道官のフェデリコ・ロンバルディ神父は22日、「ルゴ氏への対応を急いで下す考えはない」と述べ、バチカンが現時点ではパラグアイ次期大統領に選出されたルゴ氏の教会破門処分を考えていないことを示唆している。
 ルゴ氏はまた、解放神学の支持者として有名だ。貧者の教会といわれる南米教会では解放神学を支持する聖職者が多い。ルゴ氏は最貧困地域では「貧者の聖人」と呼ばれてきた。それだけに、バチカンとしては同氏への対応に慎重にならざるを得ない事情があるわけだ。
 エリート教会の欧州教会出身のローマ法王ベネディクト16世は教理省長官時代、「解放神学の背後にはマルクス主義が潜んでいる」として、解放神学を厳しく批判してきた経緯がある。ただし、貧困に喘ぐ南米に対して、法王は具体的な解決策を提示してこなかった。同16世は昨年5月、ブラジルで開催された第5回南米・カリブ地域司教会議でも中絶問題、貧困問題、解放神学の台頭など深刻な問題を抱える南米教会指導者たちに、「キリストの福音に帰ることが唯一の道である。神を知るならば、解決は可能だ」と語っただけだ。
 それに対し、ルゴ氏は聖職を放棄して貧困問題の解決に乗り出す為に政界入りしたわけだ。同氏は21日、「バチカンが私を破門しないことを期待する。自分はカトリック信者であり続けたいからだ」と述べている。パラグアイのカトリック教会司教会議はルゴ氏の立場に理解を示しているという。

仏・北両国関係と「拉致問題」

 北朝鮮がフランスとの国交樹立に向けて腐心している矢先、フランスの保守紙フィガロが23日付で「北朝鮮が1970年代にフランス人を含む28人の外国人女性を拉致していた」と報じた。サルコジ大統領は今年7月、訪日予定だが、日本政府は拉致問題の早期解決を目指して同大統領と協議したい意向だ、という憶測も伝えられている(韓国聯合ニュース)。
 フランスは欧州連合(EU)の主要加盟国の中で唯一、北朝鮮と外交関係を樹立していない国だ。しかし、サルコジ政権の発足後、両国間の国交樹立も近い、といった期待が特に北側に強かった。その背景には、同大統領が就任直後から米国、ドイツ、ロシア、リビア、中国などを次々と訪問し、積極的な外交を展開し、訪中では人権問題を議題とはせず、エアバスの売り込み、原発の技術提携契約など、実利外交を進めていったからだ。
 北朝鮮側は国交樹立を目指してフランス国内で活発な渉外を展開させてきた。同国最高指導者・金正日労働党総書記の誕生日(2月16日)には、「フランス・北朝鮮友好協会」が朝鮮半島問題に関する国際会議をパリで開催し、北朝鮮の洪水被害者への支援金約1万ユーロが集めたほどだ。そのうえ、会議参加者は両国の早期外交樹立を実現するためロビー活動を強化する旨などを明記した行動計画を採択している。両国友好協会はまた、独自のサイトを開設し、積極的な情報発信を進めてきている。
 一方、フランス外務省代表団は1月末から2月2日まで訪朝、関係省と意見の交換をしている。そのため、両国の外交関係樹立は「時間の問題」と受け取られてきた経緯がある。
 それだけに、フィガロの記事は北側の期待に冷水を浴びせたわけだ。今回の報道では、北朝鮮との外交関係樹立に消極的な仏外務省が保守紙に拉致情報を流すことで、国交に積極的な大統領府に警告を発する狙いがあったのではないか、といった憶測が聞かれるが、真相は不明だ。
 ちなみに、北朝鮮はフランスと国交関係がないが、国連教育科学文化機関(UNESCO)の本部のあるパリに同国代表部を設置している。

イランの核問題と「タキーヤ」

 イスラム教には「タキーヤ」(Taqiya)という概念がある。「タキーヤ」とは、イスラム教徒が自身の信仰ゆえに生命の危険にさらされた場合、「自分の信仰を隠しても赦される」という内容だ。ただし、「タキーヤ」について、イスラム教グループによって見解が一致していない。例えば、シーア派ではタキーヤは認められているが、スン二派は「嘘をつくことであり、偽善に過ぎない」と認めていない、といった具合だ。
 キリスト教の歴史を振り返ると、数多くの殉教者がいた。初期キリスト教時代、多くのキリスト者たちがイエスの教えを信じると「信仰告白」をしたため、殉教していった。キリスト教では、信仰を否定することは離教を意味する、といった認識が非常に強い。日本のキリスト者たちも過去、「踏絵」の試練に直面し、「信仰告白」か「離教」かの選択を強いられたことがあった。
 一方、イスラム教では、「自分の生命の危険な時、信仰告白して殉教の道をいくより、信仰を隠して生きのびてもいい」というわけだ。 シャハーダ(信仰告白)はイスラム教信仰の5つの柱の一つだが、その一方で「タキーヤ」(信仰の隠蔽)という概念を生み出したイスラム教は非常に現実的な宗教だ。もちろん、タキーヤは例外的な概念であり、シャハーダとは根本的に違う。
 ところで、イスラム教過激派グループの中には、西欧のキリスト教社会に浸透するために、「われわれは武装闘争や自爆テロを赦さない」と表明する一方、信者たちには反キリスト教的言動で扇動するイスラム教指導者が多い。彼らは「イスラムの教えを異教の地に拡大するためには嘘をついてもいい」と考えている。米軍の占領に敵意を感じていながら、今は手を結ぶほうが得策だ考えて米国に協力しているイラク指導者が多い。これらは「タキーヤの拡大解釈」といえるだろう。
 シーア派のイランでは核開発計画が進行中だが、イラン指導者たちは異口同音に「わが国の核開発は平和目的であり、核兵器開発の意図はない」と表明してきたが、「イスラム諸国で初めて核兵器を保持することで、イスラエル、米国ら異教徒に対抗できる。イスラムの教えを世界に広げるためにも核兵器は必要だ」と考え、その真意を隠蔽していることも考えられる。すなわち、アハマディネジャド大統領らイラン指導者がタキーヤを核問題に応用している可能性があるわけだ。

会議は踊る

 国際会議協会(ICCA、本部オランダ・アムステルダム)が先日公表した昨年度国際会議開催地ランキングによれば、都市ではオーストリアの首都ウィーンが3年連続、世界で最も国際会議が開催される都市であった。ICCAによれば、ウィーンが154回でトップ、それをドイツの首都ベルリンが123回、シンガポール120回、パリ115回、バルセロナ106回、ブタペスト90回となっている(国別では米国が467回でトップ、それにドイツ429回、スペイン303回と続く。オーストリアは9位に留まっている)。
 当方が昨年取材したウィーンの国際会議といえば、「欧州心臓学学会」だ。ウィーンのメッセゲレンデ(見本市会場)で昨年9月1日から5日まで約2万5000人の心臓医学者が参加した。同会議は米心臓学会議に匹敵する規模で、世界最大級の医学会議だ。門外漢の当方が学会取材に乗り出したのは、ドイツ・ベルリンの心臓センターの医者たちが同年5月、北朝鮮を訪問し、数人の北朝鮮人を手術した、という報道が流れたからだ。そこで当方は学会開催中、ベルリンから参加した心臓専門医をマークすることにした。ウィーン北駅に近い見本市会場には学会開催中、文字通り、心臓外科医で溢れるばかりだったことを思い出す。
 国際会議の開催回数が多ければ、それだけ開催地のホテル、レストランなど観光業界は潤う。特に、医学関係の学会が開催されると、1日、ウィーン市に落ちる金は1人当たり420ユーロともいわれている。国際会議が開催される度に巨額の金がウィーン市に落ちるわけだ。今年6月には会議ではないが、欧州サッカー選手権(ユーロ2008)が始まる。約100万人のファンが殺到すると予想されている(ちなみに、ウィーンには30を越える国際機関の本部がある)。
 オーストリア帝国の首都ウィーンで1814年、ナポレオン後の欧州の秩序を話し合う会議が開催されたが、夜な夜なダンスが開かれ、社交界は華やかだったが、肝心の会議は進まなかったことから、「会議は踊る、されど進まず」と揶揄されたものだ。あれから約200年が過ぎるが、ウィーンは今も国際会議のホスト国として踊り続けている。

バチカンのペレストロイカ?

 訪米したローマ法王ベネディクト16世は17日、ワシントンで米国教会司教たちを集め、「米国教会聖職者の性スキャンダルは深く恥ずべき事だ。教会側の対応でも問題があり、信者たちの信頼を失う結果となった」と指摘し、教会内のモラル刷新を求めた。同法王は同日午後、聖職者の性虐待の犠牲者とその家族に会い、「あなた方のために祈りたい」と語りかけたという。
 ローマ法王が聖職者の性スキャンダルを公開の場で言及し、謝罪するということはこれまでは考えられなかったことだ。そのため、法王の言動を「バチカンのペレストロイカ(改革)だ」と評価するバチカン・ウォッチャーもいたほどだ。換言すれば、聖職者の性犯罪がそれだけ世界のカトリック教会に消すことが出来ない汚点とダメージを残したということだろう。教会最高責任者のローマ法王としては、この問題を回避してお茶を濁すわけにはいかなかった、というのがバチカンの事情だろう。
 ところで、ベネディクト16世は聖職者の性犯罪に対し、「遺憾と痛み」を表明したが、具体的な解決策は「福音に帰れ」だけであった。同16世は昨年5月、ブラジルで開催された第5回南米・カリブ地域司教会議でも中絶問題、貧困問題、解放神学の台頭など深刻な問題を抱える南米教会指導者たちに、「キリストの福音に帰ることが唯一の道である」と強調し、「神を知るならば、解決は可能だ」と語ったことを思い出す。
 ローマ法王の指摘は間違いないが、その訓話だけで問題が解決できるのならば、問題は解決済みだろう。経営不振の会社社長が社員を前に、「会社の基本に帰れ」といったとしても、経営が回復するわけではない。問題解決の為には、具体的な政策や機構刷新、人事などが要求される。“教会のペレストロイカ”でも同じだろう。
 残念ながら、ベネディクト16世は「福音に帰れ」と叫ぶだけで、具体的な処方箋を提示しなかった。もちろん、訪米中の法王のスケジュールは秒刻みであり、プロトコール優先のため、諸問題の詳細な検討や協議は米司教会議に委ねざるを得ない。しかし、教会最高指導者として、ローマ法王は問題の解決策を提示する責任がある。法王が聖職者の性犯罪の犠牲者に対して「謝罪」を表明したとしても、具体的な解決策がなければ、聖職者の性犯罪はこれからも生じるからだ。

金正男氏の身辺に不穏な兆し?

 「金正男氏(北朝鮮最高指導者・金正日労働党総書記と故成恵琳夫人間の長男)は昨年、平壌に戻った後、国内に留まっているようだが、労働党内でポストをもらったという情報は確認できていない。同氏が長期間、国内に留まっているということは通常ではない。ひょっとしたら、正男氏の身辺に何かが生じた可能性が考えられるね」
 北朝鮮消息筋は妙に意味ありげな表情を見せた。
 金正男氏はマカオを中心にモスクワやパリなど、これまでかなり自由に飛び歩いてきたことはよく知られている。それが昨年6月末、平壌に戻って以来、国外にほとんど出ていないという(正男氏が今年、マカオに出現した、という情報が流れたが、確認はされていない)。
 そこで、北朝鮮消息筋は「金総書記の後継者問題で正男氏が正哲氏(金総書記と故高英姫夫人との間の息子)と熾烈な権力争いを展開し、ここにきて正哲派の締め付けを受け、正男氏は窮地に陥っているのではないか」と推測している。
 来月で37歳を迎える正男氏が「海外放浪生活」を終え、故郷に定着したとしても不思議ではないが、そこは北朝鮮だ。久しく海外に放浪してきた親族を温かく迎える金ファミリーではない、というわけだ。
 パリを訪れたり、マカオで顔を見せたり、その度に話題を提供してきた正男氏だが、今度は「帰国した後、姿を見せない」という理由で北朝鮮ウォッチャーを騒がせているわけだ。メディアに話題を提供する点では、2001年、日本不法入国で拘束されて以来、正男氏は金総書記ファミリーの中では特出している。
 一方、駐ポーランドの北朝鮮大使・金平一氏(故金日成主席と金聖愛夫人との間の息子、金総書記とは異母弟)が「まもなく帰国する」といった情報が報じられたが、先の北朝鮮消息筋は「誤報だ。金平一氏はポーランドに留まり続けるだろう。同氏の帰国報道は根拠がない」と断言した。ちなみに、金平一氏は今年でポーランド駐在10年目を迎える。

論理、利害、そして感情

 人間の場合、知・情・意の3機能があるといわれ、「知」で物事を判断する傾向の強い人を「知的」、「情」で動く場合が多い人を「情的」、行動力がある人を「意的」という。ところで、少し異なるが、政治の世界で物事が決定されたり、選択される場合、「論理」が決定的要因であろうか、それとも「利害」か、それとも「感情」だろか。読者はどう答えられるだろうか
 米ニクソン政権時代の外交を担当したヘンリー・キッシンジャー氏は「外交とは国益を意味する」と冷静に指摘している。同盟関係も重要だが、いざ国益に関る時は躊躇せずに国益に合致した決定を下すのが「外交」だというのだ。米中国交回復はその代表的な実例だろう。この場合「利害」だ。
 一方、「論理」はどうだろうか。「論理」で全ての問題が解決されることはない。そんなことは少しでも生きてきた者ならば直ぐに分かる。多くの場合、「論理」は後で付け足される程度に過ぎない。いずれにしても、「論理」では人間は幸せになれない、という現実がある。
 それでは最後の「感情」はどうだろうか。「感情的に話すな」とか「余りにも感情的だ」とか「感情」が入ると、ネガティブな印象を与えやすい。その一方、多くの人間は「分かっているけれども止められない」というように、「情」の力に翻弄されることが少なくない。政治の世界でも同様だろう。
 国政の重要政策を決定する際にも、「あいつは選挙戦で俺の悪口をいった」とか、「あいつはどうも虫が好かない」といった感情が案外、大きな影響力を持っている。幕末から明治維新までを描いた司馬遼太郎の小説「翔ぶが如く」の中で、作家は「感情が政治を動かす部分は、論理や利益よりもはるかに大きいといえるかもしれない」と述べている。
 ところで、最近の「政治の世界」はどうだろうか。メディア時代の今日、「感情」を表現する政治家の方が人気があって、それを抑える政治家は「冷たい」とか「人間味がない」といわれ、冷遇されることが案外、多い。現代は、ひょっとしたら、「感情」が過大評価される時代なのかもしれない。
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

Recent Comments
Archives
記事検索
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ