ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2010年08月

金総書記が切った「戦争」カード

 北朝鮮の金正日労働党総書記が26日未明、専用列車で中朝国境を越え、中国吉林省を訪れ、父親の故金日成主席が2年間通った毓文中学校など所縁の場所を訪問し、翌日の27日に吉林省長春市の迎賓施設「南湖賓館」で胡錦涛中国国家主席と首脳会談をした。そして28日夜に吉林省長春市の長春駅を出発し、同省の延辺朝鮮族自治州に向かった。30日には黒竜江省ハルビン市のハルビン駅を出発した、という一連のニュースが流れてきた(中国外務省は30日午後、「金総書記の訪中と胡錦涛中国国家主席との首脳会談開催」を公式に確認した)。
 ここでは訪朝したカーター元米大統領との会見をすっぽかした金総書記の意図と、北京から約1000キロも離れた地方都市で金総書記との会見に応じた中国側の事情を考えてみた。
 金総書記は今年5月にも訪中している。3カ月後の再訪中にもかかわらず、中国側が地方都市で首脳会談に応じた理由として、中国の対北配慮説がある。また、9月上旬の党代表者会で表舞台に登場する金総書記の後継者、3男の正銀氏との顔見せ説もあった。
 上記の2説は、残念ながら、根拠が薄い。特に、後継者問題のためわざわざ地方都市で首脳会談を開く必要はない。正式に発表された段階で北京で会見できる。そもそも後継者問題は北の国内問題であり、中国側がその是非を主張できる立場ではない。
 それでは何故、胡錦涛主席は金総書記と会見したのか。ズバリ、中国側は「北朝鮮が危ない」との情報を入手していたからだ。多分、駐平壌の中国大使を通じて「北朝鮮が韓国に対して戦争を仕掛ける危険性が高まった」という電文を受け取っていたのではないか。
 北朝鮮は韓国哨戒艦「天安」爆破事件、国連安保理制裁決議などで国際社会から一層孤立化する一方、今夏の豪雨による水害などで食糧不足は深刻化してきた。国民の忍耐も限界にきている。その上、9月上旬の党代表者会では後継者正銀氏が公式に表舞台に登場する時期だ。
 金総書記としてはなんとか国内の経済状況を急速に改善しなければならないが、多くの選択肢はない。国際支援は期待薄。唯一の道は中国からの大規模な経済支援だ。
 しかし、北京側は「6カ国協議の進展と非核化の公約」を条件に挙げ、対北支援を渋ってきた。5月の中朝首脳会談がうまくいかなかった主因は、中国側が経済支援に難色を示したからだ。
 金総書記に残されたカードは「戦争」だ。対韓戦争となれば隣国・中国も無関係ではいられない。金総書記は「国際制裁下で厳しい一方、韓国は米国と一体化してわが国の崩壊を目論んでいる」と主張、「わが国は主権保持のため韓国に対して戦争を仕掛ける。軍事支援を宜しくお願いしたい」と中国側に要請したのではないか。
 それを聞いた中国側はビックリだ、朝鮮半島で戦争が再発すれば、南北両国だけではなく、中国も大きな被害を受けることは必至だ。6カ国協議のホスト国の面子が潰れるだけではない。中朝軍事協力に基づき、北朝鮮の防衛義務すらでてくる。世界の経済大国の道を邁進してきた中国にとっては最悪のシナリオだ。
 金総書記は中国側のこの弱点を巧みに利用することを決め、カーター米元大統領の訪朝には目をくれず、中国の地方都市での首脳会談に臨んだはずだ。
 ちなみに、金総書記が故金主席の所縁の地を巡礼したのはあくまでも国内向けだ。総書記の訪中の主要目的は中国からの緊急大量経済支援の獲得にあったはずだ。それも「戦争」カードを駆使してだ(金総書記は、対韓戦争が北側の崩壊を意味することを誰よりも知っている)。
 それに対し、中国側は「戦争は絶対支持できない」との立場を強調する一方、北側の暴発を回避するために最終的には大規模な経済支援を緊急実施すると約束せざるを得なかったのではないか。
 この推測が正しかったとすれば、カーター元米大統領との会見をすっぽかしたために生じる対米不協和音という代価を払ったとしても、金総書記の再訪中は成功したわけだ。

旧核実験場だったカザフの「決意」

 国連総会は昨年12月、8月29日を「核実験反対の国際デー」(the Internatinal Day against Nuclear Tests)に指定する決議案を採択した。それを受け、国際原子力機関(IAEA)と包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)の本部があるウィーン国連で30日から9月3日まで、冷戦時代、旧ソ連の最大の核実験場(セミパラチンスク市)だったカザフスタン政府主催の写真展示会が開かれる。展示会のタイトルは「核実験の震央から欧亜繁栄の中心に」だ。
 30日のオープニングには、駐オーストリアのカザフ代表とCTBTOのトート事務局長が参加する予定だ。
 旧ソ連当局は冷戦時代、カザフのセミパラチンスク核実験場で456回の核実験を実施した。具体的には、大気圏実験86回、地上実験30回、地下実験340回。最初の実験は1949年8月29日。最後の実験は1989年10月19日だ。その総爆発力は広島に投下された核爆弾の2500倍という。
 セミパラチンスク実験場の広さは18500平方キロメートル。核実験の結果、同市周辺ではがん患者の発生率が非常に高い上、異常児出産が多発、約160万人が核実験の放射能の影響を受けたと推定されている。歪んだ顔のままで生まれた1人のカザフ人の写真は核実験の恐ろしさを世界に示した。
 今年4月に核実験場サイトを訪問した潘基文・国連事務総長は「恐ろしい遺産だ」と述べ、心を深く動かされた様子を見せたという。
 同実験場は1996年から2001年にかけて取り壊された。181の地下トンネルや13の未使用のトンネルが破壊された。
 カザフは旧ソ連連邦から独立した後、世界第4の核兵器保有国の汚名を返還するために核不拡散に努力を払ってきた。1992年には「核兵器フリー国家」を宣言し、2006年9月には中央アジア諸国の「中央アジア核フリー地帯」にジョイントしている。

「法王への偏見」を嘆く前に

 米カトリック教会聖職者の性的虐待問題を担当してきた弁護士ウイリアム・マクマリー氏が今月9日、ローマ法王ベネディクト16世に対する訴追を取り下げた、と報道されると、バチカン法王庁側は「当然だ」と冷静を装っていたが、内心ホッとしたところだろう。
 ところが、今度は米オークランド教区所属する7人の犠牲者が「バチカンは性犯罪を犯していた聖職者を処分せずに、その蛮行を隠蔽していた」として訴訟を起こしたのだ。具体的にはべネディクト16世への「隠蔽」容疑を意味する。
 訴訟内容は「教区の教会は未成年者への性的虐待を起こしていた神父の聖職停止を実施せず、未成年者を抱える家族に対しても情報を通達しなかった」というのだ。
 性犯罪を犯した聖職者はバチカンに聖職放棄の要望を書簡で送り、教区も当時、同書簡内容を支持していたが、ラッツィンガー枢機卿(当時)は「慎重に検討しなければならない」と即断を拒否したというのだ。
 ところで、イタリアの2人のバチカン・ジャーナリストが「ラッツィンガーへの攻撃」というタイトルの本を出版したが、著者はその中で「べネディクト16世は国際メディアから組織的に攻撃されている」と主張、法王への偏見があると嘆いている。
 実際、べネディクト16世への偏見は存在する。故ヨハネ・パウロ2世の治世時代に教理省長官(前身は「異端裁判所」)に就任したべネディクト16世には「超保守派聖職者」「カトリック教義の番人」といったイメージが付きまとってきたからだ。当方もそのような目で久しく見てきたことは事実だ。
 しかし、聖職者の未成年者への性的虐待問題が発覚し、その対応に苦慮する法王の言動をフォローしていくうちに、「法王は学者だ。ヨハネ・パウロ2世のように外交的な振る舞いを期待すること自体、間違いだ。聖職者の性犯罪という生々しい問題に対して、学者法王は戸惑っている」といった思いが強まってきた。法王の現状は、書斎に籠もってきた学者が突然、議会に呼ばれて施政方針演説をしなければならない羽目に置かれてしまった、とでも表現できるかもしれない。
 もちろん、「聖職者の性犯罪を隠蔽した」という容疑は深刻だ。バチカン側は「ローマ法王への偏見」を嘆く前に、聖職者の性犯罪では事実関係を真摯に解明し、その結果を公表すべきだ。「偏見」は、時間がかかるかもしれないが、事実を積み重ねていく中で是正可能と信じるからだ。

北の独裁者も羨む金永南氏の健康

 独裁者は国家の全ての財宝、人材を自身の願いに従わすことができるが、如何なる独裁者とはいえできないことがある。自身の生命だ。死が訪れれば、暫定的に延命措置ができたとしてもそれは束の間のことに過ぎない。「もっと生きたい」と叫びながら死の瞬間を迎えた独裁者が少なくないはずだ。
 世界の独裁者リストで1位、2位をスーダンのバシル大統領と競っている北朝鮮の金正日労働党総書記も同様だろう。一昨年夏、脳卒中で倒れて以来、昔のような体力も気力もない。フランスから医療関係者が訪朝し、総書記の健康をチェックしたといわれているが、医者の24時間監視が必要な身になってしまった。昨年12月には金総書記が死去したという情報がインターネット上で流れ、それを受けて韓国の株式市場が一時、急落したことがあったほどだ。実際、死去するまで何回も死亡説が流れるのが独裁者の宿命だ。
 ところで、北の独裁者が羨む人物が1人いるという。朝鮮労働党内の序列2位の金永南(キム・ヨンナム)最高人民会常任委員会委員長だ。同委員長は1928年2月生まれで、今年2月で82歳を迎えた。北朝鮮指導者の中でも最長老の1人だ。
 金総書記がどうして父親の世代に属する金委員長を「羨ましく」感じるのか。北朝鮮の知人は「それは金委員長がもつ長寿の遺伝子だ」という。金委員長が高齢にも関らず健康なのはその遺伝子の所為という噂が党内で流れている、というのだ。確かに、金委員長は1998年に委員長となって以来、病気らしい病気をしていない。
 金総書記が脳卒中で倒れた直後、2008年9月10日、金委員長は日本の共同通信社と会見し、そこで「金総書記の健康に問題はない」と発言、金総書記の健康悪化説を一蹴する重要な役割を果たした。そして金総書記の父親、金日成主席の死後開催された追悼大会では追悼演説をしたのも金委員長だった。
 「金総書記は金永南氏の健康を羨んでいる」という内部情報は案外、事実かもしれない。独裁者とはいえ、その遺伝子を手に入れることはできないからだ。
 父親の金主席は82歳まで生きたが、心臓病など多くの病持ちだった。金総書記の場合、高血圧から肝臓病まで満身創痍だ。ひょっとしたら、金総書記の死後、その追悼大会で追悼演説をするのは今回も金永南委員長かもしれない、といったジョークが平壌で密かに流れているという。

カーター氏は「死神の使者」?

 米大統領を務めた人物を「死神」と呼ぶのは礼儀に欠けた表現で申し訳ないが、カーター元大統領が拘束中の米国人の解放のために訪朝すると聞いた時、「カーター氏は金正日労働党総書記にとって、『死神』を呼ぶ不吉な訪問者とならないか」という思いが突然湧いてきたのだ。
 カーター氏が初めて訪朝したのは1994年だ。「当時は核戦争の危機すら予想されたが、カーター氏と金主席の会談で米朝関係が改善し、危機を脱した」といわれてきた。問題はその後だ。金日成主席が心臓病で急死したのだ。
 そのカーター氏が2回目の訪朝だ。16年前の状況と現在の朝鮮半島を取り巻く政情はかなり似ている。昨年11月末のデノミネーションの失策で北の国内経済は一層混乱する一方、金主席の息子で後継者、金正日労働党総書記が脳卒中で体力も消耗している。最近も仏医者団が金総書記の健康管理のために訪問したばかりだ。後継者問題が否応なく政治議題となってきた。そこにカーター氏は25日、笑みを浮かべながら平壌の空港に到着したのだ。
 真面目な北朝鮮ウォッチャーから冷笑を受けるかもしれないが、「金総書記がカーター氏と会見すれば、その後、金総書記に何かが起きるのではないか」という考えが浮かんできたのだ。ズバリ、カーター氏と会見したならば、金総書記はその数週間後、長くても数カ月後、急死するのではないか、といった漠然とした予測だ。
 そのような根拠のない思いに囚われていた時、韓国から26日、金総書記が中国を訪問中、というニュースが飛んできた。同総書記の訪中は今年だけでも、5月に次いで2度目だ。あれからまだ3カ月も経っていない。異例の訪中といわざるを得ない。
 「ひょっとしたら、金総書記は元々、カーター氏との会見を金永南最高人民会議常任委員会委員長に任せ、逃避行として訪中したのではないか」といった考えが浮かんできた。
 金総書記の政治手腕は瀬戸際外交でも分るように、緻密に世界の動きを読んだ上で展開されてきた。その金総書記が「死神」といった原始的感情に左右されるだろうか、といった疑問が出てくるだろう。当然だ。
 しかし、ここで看過できない事実は、脳卒中で倒れ、死が近いことを認識した金総書記はもはや以前の総書記ではないという点だ。一旦、「死神」をみた人間はその接近を誰よりも敏感に感じるのだ。
 (カーター氏が金総書記と会見したならば、金総書記は「死神の使者」のメッセージを受け入れ、その宿命を甘受する以外になくなるだろう)


天野事務局長、「決断」の時です

 国際原子力機関(IAEA)は来月21日から2日間、ウィーン本部で科学フォーラム「開発途上国のがん問題」を開催する。被爆国日本からIAEA事務局長に初めて就任した天野之弥(あまのゆきや)氏はここにきて核エネルギーの平和利用、特に、開発途上国のがん対策の一環として核医療の促進に力を入れている。その点、過去12年間の任期期間、もっぱら核査察分野中心だったエルバラダイ前事務局長時代とは好対照。当方はそのことを「IAEAの哲学が変った」と指摘し、評価してきた。
 ところで、ウィーンの国連Fビル地下1階には免税店がある。IAEAが管理する店舗だが、国連工業開発機関(UNIDO)や包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)など他の国連機関の職員や外交官、その家族も利用できる。その免税店にタバコが売られていることは当コラム(「国連免税店の危うい存在理由」2008年6月9日)でも紹介した。
 喫煙が肺がんを誘発させる最大原因といわれて久しい。「喫煙と肺がん」との関係はもはや議論の余地がないほど、医療関係者が等しく認めるところだ。世界保健機関(WHO)もタバコが健康を害するとして禁煙を奨励している。それなのに、同じ国連機関の中でタバコ類が堂々と職員に売られているのだ。
 参考までに説明すると、免税店ではタバコ購入はポイント制で外国人職員はオーストリア出身職員より毎月、2倍のタバコを購入できる。タバコ価格は市場価格のほぼ半額だ。
 IAEAの天野新体制はがん対策として核医療を促進する一方、国連建物の地下で肺がんの最大原因といわれるタバコを国連職員や外交官たちに免税価格で売っているのだ。天野事務局長はこの「矛盾」をどのように解決しようと考えているのだろうか。
 そこで事務局長にお願いしたい。タバコを売る免税店は、繰り返すがIAEAの管轄だ。そのトップが「今日からタバコを売らない」と宣言すれば、免税店からタバコは姿を消していくだろう。トップ・ダウン式の指導力が苦手な感がする天野事務局長だが、ここは勇断を発揮して免税店からタバコを追放していただきたい。
 「免税店からタバコぐらい追放できないようでは、国連安保理決議を違反してウラン濃縮活動を継続するイランの核問題を解決できるだろうか」とジャーナリストたちに冷やかされないためにも、天野事務局長の決断を期待する。

宗教戦争はゴメンだ

 オーストリアのイスラム教信仰共同体アナス・シャクフェ会長は22日、「オーストリアの各州(9州)に最低一つのイスラム寺院とミナレット(塔)があれば正常だ」と発言したが、その直後、極右派政党の自由党は「イスラム寺院は過激派の拠点だ」と述べ、ミナレット建設とスカーフ、ブルカの着用の是非、法治国家の容認などイスラム教問題を問う住民投票の実施を要求した。
 欧州では隣国スイスで昨年11月29日、イスラム寺院のミナレット(塔)建設禁止を問う国民投票が実施され、建設禁止が可決され、イスラム・アラブ諸国から激しい批判を受けたばかりだ。
 オーストリアには約50万人のイスラム教徒がいる。最大の数は首都ウィーン市(特別州)で約12万人で、人口比で7・8%を占める、
 ちなみに、ローマ・カトリック教会に次いで第2の宗派イスラム教は全国に約200カ所の祈祷用拠点を有しているが、ミナレットのあるイスラム寺院は4カ所だけだ。シャクフェ会長は「キリスト教会は全国に4300の教会がある。われわれは各州に一つのミナレットを要求しているだけだ」というわけだ。
 欧州に住むイスラム教徒たちはブルカ問題やミナレット問題を欧州キリスト社会の「イスラム・フォビア」と受け取り、抵抗や反発を感じている。彼らは「信仰の自由」を主張し、少数宗派の権利を要求するのが通常だ。
 それに対し、自由党は「わが国の社会に統合を拒否するイスラム教徒の増加は社会の不安を高める」と主張。選挙用のプラカードには、ヨハン・シュトラウスのオペレッタから「われわれのウィーンの血に対し、もっと勇気を」といったタイトルを巧みに利用しているほどだ。
 自由党のハインツ・シュトラーヒェ党首がイスラム教に関する住民投票の実施を要求するのは、10月10日に実施されるウィーン市議会選挙を意識した戦略である事は間違いない。すなわち、いつものように外国人排斥を訴え、イスラム教徒の拡大阻止を有権者にアピールする作戦だ。その意味で、「各州に一つのイスラム寺院とミナレットを」というイスラム教側の要求は絶好の選挙テーマとなるわけだ。
 しかし、政党の思惑で宗教的テーマが選挙争点となり、有権者に扇動的な情報が一方的に流されるのは好ましくない。
 オーストリア日刊紙エストライヒのヴォルフガング・フェルナー発行人兼編集主幹は「宗教戦争など誰も願っていない。ウィーン市議会選挙は市の将来を決定するもので、イスラム教の未来を決めるものではない」と述べている。

ウィーンの「喫茶店文化」と「喫煙」

 ユーチューブ(YouTube)で昔の音楽を聞いていたら、霧島昇さんが歌ってヒットした「一杯のコーヒーから」という歌に出会った。昭和14年の歌謡曲だ。コーヒ一杯から「夢の花咲くこともある」という歌詞を聞いて、思わず頬が弛んでしまった。
 そうかもしれない。少なくとも、コーヒー一杯からそのような夢が飛び出してくるような時代があった。コーヒーが別の世界の香りを運んでくれた時代もあった。
 当方が冷戦時代、東欧諸国を取材していた時、取材先にお土産としてウィーンのコーヒー豆袋をもっていくと、相手は大喜びだった。ルーマニアのブカレストを訪問した時など、こちらが何もいっていないのにコーヒーでもてなされたことがあった。これはホスト側がゲストを歓迎している、という最高の意思表示でもあったのだ。
 当方が住むウィーンはロンドン、パリと共に欧州の3大コーヒー文化の都市という。音楽の都ウィーンには現在、立ち飲みコーヒー店を含めると約2000軒の喫茶店がある。同市で最初に開業されたコーヒー店は1685年というから、同市のコーヒー店(喫茶店)の歴史は長い。
 オーストリア日刊紙クリア日曜版(22日付)はコーヒーと文化について面白い記事を掲載していた。コーヒー文化が喫煙と密接な関係があったことから、先月1日から施行された飲食店での喫煙制限がコーヒー文化に影響を与えるのではないか、という懸念が紹介されている。
 喫煙家のウィーン市民は昔、自宅のカーテンにタバコの匂いが付着するのを避けるため、喫茶店(カーテンはない)で紫煙を上げながらコーヒーを飲む愛煙家が多かったという。そして俳優たちが集まる喫茶店、作家、劇作家たちが談笑する喫茶店など、職種によって贔屓のコーヒー店が自然に出来上がっていった。独語には Kaffeehausliteraten(喫茶店文士)という言葉があるほどだ。そして「喫茶店文化」(Kaffeehauskultur)なるものが形成されていったわけだ。
 なお、クリア紙記者は「(飲食店の喫煙制限でも)ウィーンのコーヒー店は生きのびていく」と楽観的な見通しを述べている。
 ちなみに、昔の文豪にはコーヒー愛好家が少なくなかった。当方が好きなダブリン出身のオスカー・ワイルドやスウェーデン作家アウグスト・ストリンドベルクもコーヒーが大好きだった。ただし、オノレ・バルザックのようにコーヒーを飲み過ぎて死んでしまった作家もいる。

欧州統一教会の「歴史」

 世界基督教統一神霊協会(通称・統一教会)の信者拉致監禁問題について、当方はこの欄で数回、欧州に30年間居住する者の観点から言及し、人権の「普遍性」を指摘してきた。
 日本では統一教会といえば、「霊感商法」などのネガティブなイメージが強く、世界にネットワークを有する同教会の活動については、恣意的に無視されてきた感がある。その中の一つには、欧州統一教会の共産圏下の地下活動がある。
 ここでは当方が冷戦時代、目撃した欧州統一教会メンバーの歩みの一部を紹介したい。日本の人々にとって初めて聞く内容かもしれない。ひょっとしたら、日々の活動に追われている日本統一教会の信者たちも知らないかもしれない。
 チェコスロバキアがまだ連邦を形成し、共産党政権が支配していた時だ。チェコ統一教会も他のキリスト教会と同様、合法な宣教活動はできず、地下活動を強いられていた。
 唯物主義を標榜する共産主義社会では「宗教はアヘン」と受け取られ、キリスト教や宗教を信じる国民は2等、3等国民として迫害され、学校や職場から追放されていた時代だ。快適な書斎にいて共産主義を称賛していた日本の共産主義者には決して分らない世界だ。
 数人の統一教会信者が宗教活動をしていたとして逮捕され、拘留された。その中の1人は拘留中に死去した。拘留中に健康を害した別の信者は刑を終えて釈放されたが、湿気のある刑務所生活中に脚力を失い、歩行が難しくなった。
 その信者は拘留中、「生きていたら、アルプスの山を一度見たい」と願い、刑務所の窓からいつも山の方向を見つめていたという(旧ソ連・東欧諸国の共産政権が崩壊し、民主政権が誕生した後、その信者は夫人の助けを借りてスイスに旅し、アルプスの山を初めて自分の目で見たという)。
 共産圏で宣教していた統一教会の若き宣教師たちは命懸けで共産主義の間違いを主張し、ある者は命を失い、ある者は不当な迫害を受けながら生きてきた。
 レーガン元米大統領は共産主義を「悪魔の思想」として共産圏の解放に努力したことは良く知られているが、統一教会の創設者、文鮮明師は1970年代から80年代にかけ、共産圏の解放のために欧州の若者たちを密かに選抜し、旧ソ連・東欧の共産圏に宣教師として派遣しているのだ(文師は後日、「共産圏に派遣した宣教師のため祈らない日はなかった」と述べている)。
 多分、日本の統一教会ウォッチャーはこの欧州の統一教会の「歴史」を知らないだろう。

イスラム教の「イエス像」

 中東レバノンで「イエス物語」がテレビ放映されていたが、その内容がイスラム教からの「イエス像」であり、伝統的なキリスト教の教えと一致していないという理由から、同国の少数宗派、キリスト教側(マロン派キリスト教会大司教)が抗議。それを受け、放送局が今月13日、同番組の放映を中止したという。バチカン放送(独語電子版)が18日、報じた。
 レバノンの人口(約360万人)の3分の2はイスラム教徒で、残りの3分の1はキリスト教徒(主にマロン派)だ。
 イスラム教では、イエスは救い主(メシア)ではなく、一人の預言者に過ぎず、十字架で処刑されたのはイエスではなく、イスカリオテのユダだと信じられている。だから、イエスの「復活」もテーマではない。その教えは通称「バルナバス(Barnabas)福音書」の内容に立脚しているといわれる。
 同福音書はイエスの弟子バルナバスが書いた書簡といわれ、イスラム教の世界に大きな影響を与えているが、歴史学者の中にはその信憑性を疑う者が多い。キリスト教神学者も「14世紀から16世紀頃の偽書」と受け取っているほどだ。
 「バルナバス福音書」の特長は、キリスト教の中心的教えである「三位一体」、イエスの「十字架救済」、「イエスの復活」を否定している一方、「イエスの誕生」から「最後の晩餐」、弟子の「裏切り」までを他の福音書と同じように記述していることだ。
 興味を引く点は、アダム、アブラハム、モーゼ、ダビデ、イエスと共に、イサクではなく、イシマエルを「神の使者」に入れていることだ。(イスラム教はイシマエルの血統を引き継ぐ)。そして、イエスは「私の後に偉大なマホメットが来る」と述べているというのだ。
 一方、キリスト教の「イエス像」は通常、マルコ、マタイ、ルカの3つの共観福音書に基づいているが、それ以外にもイエスの生涯を記述したさまざまな外典がある。文献が書かれた時代、その背景も異なり、矛盾する点も少なくない。その意味で、キリスト教でも「イエス像」は今なお、完結していない永遠のテーマといえるかもしれない。
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