ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2012年04月

「金日成花」と核実験

 駐オーストリアの北朝鮮大使館(金光燮大使)で先日、故金日成主席の生誕100年祝賀会が開催されたが、大使館の掲示板には金主席の功績を称える写真がいつものように掲載されていた。その中で通称「金日成花」(キムイルソンファ)と呼ばれるピンク色の可愛らしい花の写真があった。故金主席のイメージとその花の可憐さがかみ合わない感じはするが、その不調和感を忘れさせるほど、その花は4月の季節に融け込み、やさしさを周囲に放っていた。


blume
▲金日成花(ウィーンの北朝鮮大使館の写真掲示板から、2012年4月撮影)


 当方は事務所に戻り、その「金日成花」について調べてみた。金正日花など独裁者の名前のついた花が存在することは知っていたが、どのような花でその外観については全く知らなかった。独裁者で多くの人民を粛清した北朝鮮指導者の名を冠する花、ということで、その花の美しさを無視することは、公平ではない。それほど、金日成花は華麗で春の季節にマッチしている。


 インドネシアのスカルノ大統領が1965年、同国を訪問した金日成主席に対し、同国の植物学者が交配育種したラン科セッコク属の花の名前に主席の名前を付けたいと申し出たことから;金日成花が生まれた、という話が伝わっている。ただし、スカルノ大統領がその直後失脚したため、その花が北朝鮮に運ばれたのは1974年だったという。


 5年前、北大使館の中庭にあったスモモ(李)についてコラムを書いたことがある。スモモがいつ頃、植樹されたかは知らないが、小さな薄白色の花びらが垣根を越えて路上までその可憐な姿を見せていた。スモモはオオヤマレンゲ(木蓮の一種)らと共に北朝鮮の代表的な花だ。花びらは桜の花びらに似ている。木蓮のように強い存在感はないが、その清爽感がとてもいい。梅が終わり、桜が咲き出す頃、桜と同じような白色の花びらを開く。
 オーストリア応用美術博物館(MAK)で2010年5月19日から9月5日まで、北朝鮮の芸術作品が展示された。同展示会は「平壌民族ギャラリー」とMAKの共催で開催されたが、展示会の副題は「金日成主席への花」となっていたことを思い出す。

 朝鮮中央通信社(KCNA)によると、金日成主席の生誕100周年を祝賀して開幕された第14回金日成花祭典が今月20日、閉幕した。 同祭典には30余万人の来場者があったという。


 北朝鮮は3回目の核実験を準備中というニュースが流れてくる。大量破壊兵器の実験はあの「金日成花」の世界とは一致しない。

「落ちたアイスクリーム」の思い出

 夏の昼下がり、友人にアイスクリームを買ってアパートに戻ったが、アパートに着く直前、アイスクリームが地べたに落ちってしまった。戸を開けるブザーが鳴った時、アイスクリームはもう手になかった。

Uhrturm_6_Schiffer
▲時計塔(グラーツ市観光局のHPから)

 散歩から戻ってきた当方を見て友人は何もいわなかった。当方もアイスクリームを買ってきたが、部屋に入る前に落ちてしまったとは説明しなかった。当時、友人とは気まずい関係が続いていた。そこでアイスクリームを友人に買って帰ろうと考えた。友人との仲を取り持ってくれるはずだった肝心のアイスクリームは落ちた。何も言わず、自分の部屋に戻った。

Schloss%20Eggenberg_2
▲エッゲンベルク城(グラーツ市観光局のHPから)

 欧州に滞在して今年で32年目を迎えたが、欧州初年の夏のアイスクリームのこと、それが落ちた瞬間のやるせない思いを今でも不思議と鮮明に思い出す。


 当方は当時、リパプールからロンドン、ドイツ経由でオーストリア南部のグラーツ市(Graz)に移動した。1980年の夏だ。音楽の都ウィーンをじっくり見ることもなく、列車でグラーツに直行した。グラーツ中央駅には2人の友人が当方を迎えに来てくれた。


 それから1年余り、グラーツ市に住んだ。時間が許す限り、独語を勉強した。ベンチに横になりながら、単語帳を開き、勉強した。多分、その時、リチャード・クレイダーマンのピアノ演奏曲が流れていたのだろう。そのピアノ演奏曲を聴くたび、グラーツのあの夏の日々が脳裏を駆け巡る。ピアノから流れる感傷的な曲とグラーツの日々が当方の頭の中でくっ付いてしまった。


 あれからいろいろなことがあったが、グラーツ市の日々は当方の中では特別な位置を占めている。まだ家庭を持たず、一人だったこともあるが、欧州で生きのびていくために一人で葛藤し、悩んでいた時代だ。その意味で、グラーツは当方の青春の日々を過ごした町だ。


 最後に、読者にグラーツ市を紹介する。グラーツ市はシュタイアーマルク州の州都だ。人口は約25万人程度でオーストリア第2の都市。ウィーンから南に向かって車で3時間ほど飛ばすと着く。そのドイツ語はシュタイリッシュと呼ばれ、一種の方言だ。ウィーンっ子に馬鹿にされることもあるが、グラーツの人々は結構誇り高い(当方は英語をリバプールで、ドイツ語をグラーツで学んだ。ロンドンでクィーンズイングリュシュを、ハンブルクで標準ドイツ語を学ぶことができなかった。その結果、当方の英語は今なお、リバプール・イングリュシュ的、ドイツ語はシュタイリッシュ的になってしまった)。


 同市の観光名所としては、エッゲンベルク城とグラーツェ・シュロスベルクの時計塔だ。高台の時計塔から市内を俯瞰できる。時計塔に上がって、そこから町の風景を眺め、エッゲンベルク城の中庭のベンチに座って鳥たちを見つめていた日々が懐かしい。ちなみに、同州出身者の著名人としては、なんといっても俳優のアーノルト・シュワルルツェネッガー氏だろう。
 

「告解秘密義務」無効の法案を発表

 アイルランド政府は未成年者への性的虐待に関する届け出義務の強化案を検討している。法務省と家庭省が共同作成した法案によると、未成年者への性的犯罪に関する情報を隠蔽した場合、最高5年間の禁固刑が課せられる。聖職者が告解の秘密を守る義務を理由に沈黙できない。アラン・シャッター法相とフランセス・フィッツジェラルド家庭問題相は25日、法案を発表した。


 欧州では先駆けて同国で聖職者の未成年者への性的虐待事件が発覚。その件数も他の欧州教会を大きく上回った。教会側が性犯罪を犯した聖職者を庇ったり、隠蔽するケースも明らかになった。そこで同国政府は昨年から聖職者の性犯罪対策として「告解秘密の義務」を無効にする法案を検討してきた。


 シャッター法相は「カトリック教会の聖職者による未成年者への性的虐待問題を調査してきた政府委員会の体験から、関連法の強化の必要性が明らかになった。未成年者への性的犯罪を知りながら、告解の秘密保持を理由に沈黙することは許されないことだ」という。もちろん、法案はカトリック教会の聖職者だけを対象としているわけではない。未成年者が関わる全ての組織、グループの関係者にも該当することだ。同国政府によると、法案は来月議会で審議され、今年末には発効させる予定という。


 届出義務では、性的犯罪を犯した後、悔い改めた犯人の告解を聞いた聖職者(聴罪師)に対しても警察当局への報告義務が生じる。それを告解の秘密義務を理由に伝達しないということは今後許されなくなる。


 政府の法案に対し、同国のカトリック教会側は「告解の秘密義務は絶対であり、それを破棄できない」という。同国司教会議は「告解の秘密義務の解消は罪を告白する者の権利を蹂躙することになる」と述べている。カトリック教会では告解は赦しの秘跡と呼ばれる。


 医者、弁護士、公務員はその職務に関する内容を部外に漏らしてはならない守秘義務がある。医者が患者の病歴を他者に漏らし、弁護士が依頼人(Client)の事情を外部に流したならば、漏らされた関係者は大きなハンデイを背負う一方、医者や弁護士は信頼を失うだけではなく、その資格を剥奪される。同じように、告解秘密義務の無効法案が施行された場合、信者たちは聖職者に懺悔しなくなる事態も予想される。その影響はアイルランド教会だけではなく、世界のカトリック教会全般にも及ぶことは必至だ。それだけに、同法案の審議の行方が注目されるわけだ。

シュテファン大聖堂、再建60年

 音楽の都ウィーン市には世界から観光客が訪れる。国家財政の赤字を観光収入で補填できる文字通りの観光都市だ。そのウイーン市の観光の目玉はなんといってもモーツァルトを筆頭とする音楽家たちだ。それにオーストリアのローマ・カトリック教会の精神的支柱、シュテファン大聖堂(Stephansdom)だろう。ゴシック様式の同聖堂は世界第2次戦争で破壊されたが、1952年4月27日に再建された。27日はちょうど再建60年目に当たる。

P1030437
▲ウィーンのシンボル、シュテファン大聖堂内(2012年4月26日撮影)

 大聖堂は1945年4月に破壊され、南塔のプムメリン(鐘)も落下した。戦争終了直後、復旧作業が始まり、7年の月日をかけて修復された。再建費は各州からの寄付で賄われた。

P1030440
▲シュテファン大聖堂のファサード(2012年4月26日撮影)

 再建記念礼拝には、ローマ法王ピウス12世(在位1939年〜58年)から祝賀メッセージが送られ、同国の司教たち、テオドール・ケルナー大統領、連邦政府関係者らが参加した。
 ウィーン大司教区のインニッツァー枢機卿は当時、「大聖堂はわが国の中枢であり、民族の聖なる会堂となった」と述べている。ピウス12世も「あなた方が成し遂げた大聖堂再建は偉大な功績だ。あなた方の強固な意志を表示している」と賞賛している。
 なお、シュテファン大聖堂はモーツァルトとコンスタンツェが1782年8月4日、結婚式を行った教会としても有名だ。南塔は107メートルの高さで世界第3番目に高い。


 
【短信】離婚規制緩和を要求するコプト派


 エジプトの少数宗派(人口の約1割)、キリスト教のコプト派のグループ「コプト38」はこのほどカイロで記者会見をし、「離婚を認めるように」と主張し、1938年の離婚に関する規約の履行を求めた。
 1938年の規約では、少なくとも7年の刑期を受けた場合、5年間、家族を見捨てた場合、慢性の病気、精神病、性的不能、解決不能な対立などの場合、離婚が認められてきた。しかし、コプト派最高指導者、シュヌーダ3世総主教がこの規約を廃止したため、コプト派信者には結婚の無効は「パートナーの不貞」と「イスラム教への改宗」の2つの道しかなかった。そのため、毎年、多くのコプト派信者が離婚するためにイスラム教に改宗した。

なぜ、旧東独国民は神を捨てるか

 予想されたことだが、旧東独国民が最も神を信じていない、という調査結果が明らかになった。米シカゴ大学が実施した調査に基づく。それによると、旧東独国民の8%しか人格神を信じていない。そして「神を信じる人々は今後も減少する」と予想されているのだ。同時に、積極的に神の存在を否定する無神論者は46%だった。

P1000814
▲ベルリン市のブランデンブルク門(2011年5月撮影)

 当方はこのコラム欄で「旧東独国民が欧州で最も世俗的」2009年12月18日)を書いたが、今回の調査結果はそれを裏付けるものだ。旧東独時代、共産政権の崩壊、民主化運動を主導したのはライプツィヒの福音教会を中心とした知識人たちだった。その一人が先月18日にドイツ連邦大統領に選出されたヨアヒム・ガウク氏だ。新大統領は旧東独の人権活動家でルター派教会元牧師だった。ドイツの再統合後、旧東独の福音教会は信者がいなくなり、ほとんど消滅状態だ。それに代わって、旧東独地域では犯罪が増加し、過激民族派運動が台頭してきた。

P1000825
▲ベルリン市のアレクサンダー広場(2011年5月撮影)

 バチカン放送独語電子版によると、旧東独ザクセン州のプロテスタント教会聖職者だったアレクセル・ノアク氏は旧東独国民の脱教会化の原因について、「旧東独では1945年以降、信仰をもつ数百万人の国民が旧西独に行った。その空白は埋められることなく今日まで残されてきた。換言すれば、旧東独のドイツ社会主義統一党(SED)政権の対宗教政策は成功したわけだ」と述べている。


 興味深い点は、旧東独の隣国ポーランドでは冷戦時代、カトリック教会は活気を帯び、日曜礼拝は信者で一杯だった。国家評議会議長だったヤルゼンスキー氏(元)大統領は当時、、「ポーランドは共産国家だが、思想的にはカトリック教国だ」と認めざるを得なかった。同国の民主化運動は自主管理労組「連帯」と共に、カトリック教会が大きな役割を果たしたことは周知の事実だ。同国国民はその後、教会離れの傾向も見られ出したが、旧東独のような脱教会化はまだない。


 両国の相違について、プロテスタント宗教社会学のゲルト・ピッケル(Gert Pickel)氏は「ポーランドはカトリック教会が中心だった。一方、旧東独はプロテスタント教会が主導的立場だった。共産政権にとって、プロテスタント教会のほうが迫害しやすかったのだ。カトリック教会の場合、ローマ主導だが、プロテスタント教会は国単位の構造だからだ」と説明、、旧東独と同じように、神を信じる国民が少ないエストニアもプロテスタント教国だ。同氏によると、旧東独で例外はスラブ系少数民族ソルブ人たちが住む地域という。彼らもカトリック教信者たちだ。


 最後に、当方の独断を紹介する。カトリック教会がプロテスタント教会より共産政権の宗教政策に対抗できたのはバチカン法王庁を中心とするカトリック教会が共産政権と同じ独裁的体質を有しているからだ。一方、教会の独裁から自由を求めて始まったプロテスタント教会の信者たちは共産政権の弾圧にも抵抗を示したが、東西両ドイツの再統一後、‘更なる自由‘を求めて教会に背を向けだしたのだ。 


極右過激派、海賊党から政界へ?

 ドイツで5月6日、シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州、同月13日にはノルトライン・ヴェストファーレン州で州議会選挙が実施されるが、複数の世論調査によると、海賊党は2桁の得票率が予想されている。

titel
▲海賊党を特集した独週刊誌シュピーゲルの表紙(同誌のHPから)

 ベルリン市議会選挙で昨年9月18日、海賊党は得票率8・9%を獲得して15議席を得たのを皮切りに、今年3月25日のザールラント州議会選では7・4%を得たばかりだ。
 海賊党の躍進の背景には、既成政党への有権者の不信があることは間違いない。特に、インターネット時代の若い世代では、既成政党への不信から政治への無関心が広がっている。その意味で、海賊党はデジタル時代の新しい市民運動として脚光を浴びてきたわけだ。


 しかし、躍進を続ける海賊党にも問題が次第に表面化してきた。‥浚管瑤稜ご問題、直接民主主義的な党運営の今後、6鳳η疋瓮鵐弌爾僚莇だ。


 ベルリンの海賊党党首ゼムケン氏が「わが党の躍進は1928年、1933年のNSDAP(国家社会主義ドイツ労働者党)のそれを想起させるものがある」と発言すると、既成政党からだけではなく、党内からも「不適切な比較」という批判が高まり、党首の辞任要求が高まったばかりだ。海賊党幹部マリーナ・ヴァイスバンド氏は20日、「反ユダヤ主義、民族主義的メンバーに対して厳格に対応しなければならない」と強調、火消しに躍起となっている有様だ。


 例えば、党員ボード・ティーゼン氏は「1939年のドイツ軍のポーランド攻撃は合法だった」と主張し、ホロコーストについても「実際、そのようなことがあったかは不明だ」と発言している。
 
 著名な演出家クラウス・パイマン氏は「海賊党は殺人者、盗人、ネオナチに政界への道を開いている」と強調、強い警戒心を表明している(独週刊誌シュピーゲル電子版)。


 ちなみに、連邦海賊党のセバスティアン・ネルツ(Sebastian Nerz)議長(党首)は、日刊紙ヴェルト(24日付)に「わが党は極右過激派とは全く関係がない」と否定している。


 海賊党が議会に進出し、重要政策について党員の承認を得ようとする時、困難に遭遇することが予想される。議員が早急に決定しなければならない時、党員に同意を求める直接民主主義的な意思決定が足枷となることが考えられるからだ。


 ところで、海賊党には明確な党綱領はなく、肖像権や特許の改革、情報の自由化促進、直接民主主義の導入などを主張しているだけだ。外交政策、経済政策に到っては皆無だ。
 そこで党綱領の作成が進められているが、「他党の党綱領からコピーとペーストで作成されたインスタント綱領」、「党綱領も海賊版」といった揶揄が既に聞かれるほどだ。


 シュピーゲル最新号(4月23日号)は表紙にイタリア語で「Avanti Dilettaniti」(素人の行進)というタイトルを書いている。
 同誌は「海賊党はその内容が問題ではなく、コンピューターを通じて共に語り合う政党だ」と述べている。すなわち、政治に不信を持つ有権者が寄り集まって意見を述べる受け皿に過ぎない、というわけだ。だから、必然的に右も左も、マルクス主義者も元国家民主党(NPD)党員などの極右派過激派者も海賊党に近付き、その看板を掲げて政界進出を狙ってくるわけだ。

法王就任8年目の10の優先課題

 バチカン放送独語電子版(20日)によれば、ローマ・カトリック教会総本山、バチカン法王庁のロムバルディ報道官はローマ法王べネディクト16世の法王就任8年目の優先課題として10項目のリストを挙げた。以下はイエズス会出身の同報道官が掲げた法王の10の優先課題の概要だ。

1_0_581968
▲法王就任8年目の優先課題を挙げるバチカン報道官(バチカン放送独語電子版から)

 .トリック教根本主義者聖職組織「ピウス10世会」との関係正常化

 ベネディクト16世は2009年1月、カトリック教会根本主義者故ルフェーブル大司教の聖職者グループ「兄弟ピウス10世会」の4人の司教の「破門宣言撤回」の教令を出した。それに先立ち、ラテン語ミサ=トリエント・ミサの復活を承認した法王答書を公表。その後、バチカンは「兄弟ピウス10世会」との関係正常化交渉を続けてきた。報道官が18日、明らかにしたところによれば、「兄弟ピウス10世会」がバチカンの質問にポジティブな返答を返してきたことから、同会は今年上半期内にカトリック教会に完全に再統合される可能性が出てきた。

 ▲潺薀粒催の世界家庭大会で、家庭に向け愛と希望のメッセージを送る

 ローマ法王は今年6月1日、ミラノを訪問。同地で開催される「第7回世界家庭大会」に参加する。 バチカン「家庭評議会」議長のエンニオ・アントネッリ枢機卿は、「家庭は神のあり方を明確に示している。すなわち、三位一体の神だ。家庭は地上での神の似姿であり、神がどのようなお方かを示唆する啓示のようなものだ」と述べている。

 カトリック教会内の反体制派グループに対する法王の警告を尊敬と慎重さで理解を

 オーストリアではヘルムート・シューラー神父(59)を中心に400人以上の神父たちが女性聖職者の任命、聖職者の独身制の廃止、離婚・再婚者の聖体拝領許可など7項目を要求、教会指導部への不従順を呼びかけている「不従順への布告、神父たちのイニシャチブ」運動を始めた。

 ぅ▲ぅ襯薀鵐俵飢颪虜新強化

 アイルランド政府調査委員会が9年間の調査で明らかにしたところによると、聖職者の未成年者への性犯罪件数は2500件を越える。政府調査委員会の報告によれば、「未成年者への性的暴力が教会やその関連施設で“組織的”に行われてきた」と指摘している。加害者側の聖職者たちの中には既に故人となった者が少なくないが、犠牲者の多くは生存している。バチカンが聖職者の性犯罪を隠蔽していたとして、バチカンとの関係が険悪化した。

 ダ賛者の未成年者への性的虐待問題で世界の教会は連携して対応を検討、児童の保護に貢献する

 欧州のローマ・カトリック教会では2010年、アイルランド教会を皮切りにオランダ、ドイツ、オーストリア、スイスなど各教会で修道院関係者や教会聖職者による未成年者への性的犯罪が次々と発覚し、教会内外で大きな衝撃を投じた。
 各国教会は聖職者の性犯罪防止のための対策、犠牲者への賠償問題などを検討してきた。バチカン教理省は、「各国の司教会議は2012年5月までに聖職者の性犯罪防止に関する基本路線を決めるように」という内容の通達を送っている。バチカン教理省内教会法訴訟担当のチャールス・Charles Scicluna氏は「聖職者による性犯罪は当事者の問題だけではなく、全教会の問題だ」と指摘している。

 β茖殴丱船ン公会議開始50周年に相応しい画期的なメッセージを送る
 
 ローマ法王ヨハネ23世(在位1958年10月28日〜63年6月3日)は教会一致(エキュメニズム)や教会の近代化を明記した第2バチカン公会議の招集を決定。62年10月11日、約2800人の司教たちがサン・ピエトロ大聖堂に結集して第2公会議が始まった。ヨハネ23世の死後、その後継者、パウロ6世(在位63年6月21日〜78年8月6日)が継承し、65年12月8日、第2バチカン公会議は閉会した。第2バチカン公会議ではラテン語礼拝の廃止、他宗派との対話促進などが決定され、同公会議を契機に教会の近代化路線が始まった。

 Э景_参修悗寮こβ緝住紛飢餤帖淵轡離疋后砲篭飢颪某靴靴ち和だと宣教魂を供与する

 バチカンで今年10月、「キリスト教信仰を伝えるための新しい福音宣教」をテーマとしたシノドスが開催される。

 ┐戰優妊クト16世が呼びかけた「信仰の年」は華麗なイベントに終始するのではなく、神を見失った社会で生きる信者たちの神とイエスへの関係を深化させる

 べネディクト16世は福音の素晴らしさを世界に伝えるため、今年10月から翌年11月まで、「信仰の年」を開始すると宣言した。

 べネデイクト16世はイエスに関する著書を完結させる

 べネディクト16世はこれまで「ナザレのイエス」の1部、2部を出版してきた。3部は完結編といわれる。

 リオ・デ・ジャネイロ市の「世界青年の日」(2013年)の開催準備促進



 

人は「情」を完全に抹殺できるか

 ノルウェーのオスロ政府庁舎前の爆弾テロと郊外のウトヤ島の銃乱射事件で計77人を殺害したアンネシュ・ブレイビク容疑者(33)は20日、「ウトヤ島で69人の若者を射殺する時、どのように感じたか」という質問に答え、「何も感じなかった。なぜならば、自分は大量殺人を実行するために感情を殺す訓練してきたからだ」と述べている。
 同容疑者の話によると、2006年まで「自分は情的な人間だった」が、大量殺人を計画した後は感情を殺す訓練を繰りかえしてきた。そのために、戦闘ビデオを繰り返し見てきたというのだ。

 独週刊誌シュピーゲル電子版は20日、“Entemotionalisierung”という独語を使用している。エモーション化という名詞に「奪取」を意味する接頭辞「ent」がつく。この独語に初めて会った当方はその言葉の恐ろしさを直感した。そんなこと可能だろうか、という素朴な疑問と、感情を抹殺していく訓練を繰り返した容疑者の日々を考えたからだ。

 容疑者は「感情を殺せないようでは人を殺害できない」という。そのため、人を殺すために、感情を抹殺するトレーニングを繰り返してきたという。別の言葉では、dehumanisiertという言葉も使用されていた。自身と殺害対象の脱人間化(物質化)、といった意味だ。
 脱感情化、脱人間化の訓練を繰り返し、77人を殺害した容疑者は「本来はウトヤ島にいった569人全てを殺すつもりだった」と告白している。容疑者は実際、公判を見守る犠牲者の家族たちに対しても何の感情も見せていない。ただ一度、公判で自身が作成したビデオを見、そこに流れる音楽を聴いて「思わず涙が出てきた」というだけだ。 

 当方はこのコラム欄で「戦場の傷ついた兵士たち」2012年1月16日)を書いたが、そこで「イラク・アフガン戦争の米帰還兵の多くがPTSD(心的外傷後ストレス障害)問題に悩まされて、日常生活に復帰できずに葛藤する」と述べたが、彼らは戦場に派遣される前にビデオを通じて戦場での戦いを訓練することは良く知られている。自分をテンプル騎士団の騎士とみなし、武装闘争を宣言したオスロの容疑者も同じように殺人の訓練をしたのだ。

 容疑者の状況を宗教的に表現すれば、容疑者は自身の計画を履行するため自身の良心を眠らせる訓練を繰り返した。その結果、悪の霊が容疑者に侵入しやすい状況が生まれたのだ。時間の経過と共に、悪の霊は容疑者を占領し、良心が機能しないようにガンジガラメにしていったわけだ。換言すれば、容疑者は自分の良心を悪の手に売り渡してしまったのだ。
 
 裁判では容疑者の「責任能力の有無」が焦点だが、公判には全く異なる2つの精神鑑定が提出されている。昨年11月には、「容疑者は偏執病精神分裂者(paranoider Schizophrenie)」という鑑定結果が出され、今月10日の鑑定結果では「責任能力がある」という。

 容疑者は弁護士に、「自分を無罪として釈放するか、死刑にすべきだ」と述べている。容疑者は刑務所や精神病棟で脱感情化の状況から目覚めることを無意識に恐れている。同時に、容疑者は前者の鑑定結果を恐れ、自身の「責任能力」に拘る。なぜならば、容疑者としては犯行を自身の手で遂行したことを宣言できる唯一の道だからだ。容疑者に「罪と罰」(ドストエフスキー著)の主人公、ラスコーリニコフのように人間性の回復を期待できるだろうか。

反ユダヤ主義者を街から追放せよ

 ウィーン市の文化評議会は19日、市内1区、議会から大学までのストリートをDr.-Karl-Lueger-Ring(ドクター・カール・ルエガー・リンク)から今夏までにUniversitatsring(大学リンク)に改名することを明らかにした。

P4210025
▲ウィーン大学前の「ドクター・カール・ルエガー・リンク」の看板(2012年4月21日撮影)

 通りの改名はこれまで社会民主党、「緑の党」が要請してきた一方、同通りにあるウィーン大学のハインツ・エングル総長は大学創設650周年を迎える2015年までに新通り名を強く求めてきた経緯がある。
 その理由は、2つある。ルエガー(1844年〜1910年)は1897年から1910年までウィーン市長を務めた政治家だが、反ユダヤ主義者としても有名だった。彼は当時、「ウィーン市から全てのユダヤ人が出て行けば幸せだ」と発言している。「イスラエルを地図上から抹殺してしまえ」と発言したイランのアハマディネジャド大統領を彷彿させる暴言だ。その上、同市長は知識人を嫌悪し、高等教育には消極的だったことで知られている。
 ただし、ルエガーは市長時代、市の近代化を実施し、市民から愛された政治家だった。そのため、死後、市庁舎に近いリングに市長の名前をつけたストリートが生まれ、市内にはその名を付けた広場があるほどだ。ちなみに、同国日刊紙クリアによると、市長の葬儀行進には多数の若者たちも加わったが、その中には若き時代のアドルフ・ヒトラーが参加していたという。
 ウィーン市の決定にオーストリアのイスラエル文化同盟は歓迎しているが、もちろん、反対者もいる。「ストリート名を変更すれば、それに伴うさまざまな書類や文献の変更を余儀なくされる。名刺のアドレスも変更しなければならない」と受け取る企業や店主たちがいる。名称変更に伴う事務的、経済的負担が理由だ。
 それだけではない。「社民党は市内のドナウ島にキューバ革命のゲリラ指導者チェ・ゲバラの胸像を建立した。その判断基準
が明確ではない」と指摘し、社民党の一貫性のない立場を皮肉る声もある一方、極右派政党の自由党は「左翼の文化テロだ」と批判している、といった具合だ。
 ウィーン市側は「今回のストリート名の変更はあくまで例外的な決定だ」と釘を刺している。なぜならば、ルエガーだけではない。反ユダヤ主義者だった歴史的人物の名前を冠した地名や場所が市内にはまだある。それらを次々と変更していけば、市民だけではなく、音楽の都ウィーンを訪れる観光客にも混乱を与えるからだ。

 

人はいつ「涙」を見せるか

 オスロ郊外のウトヤ島で若者たちを冷酷に射殺していった大量殺人事件のアンネシュ・ブレイビク容疑者(33)は、公判で自身が作成した犯行宣言のビデオが紹介されると、それを見ながら初めて涙を見せた。涙を手でふきながら、目はビデオに注がれていた。弁護士が後日、「どうして涙を流したのか」と聞くと、容疑者はビデオの背後に流れてきた歌が心を締め付けたからだ、と答えたという。独週刊誌シュピーゲル電子版は、涙を流した容疑者に対して「犠牲者に対しては何の反応も示さなかった容疑者が犯行に及んだ経緯を紹介した自分のビデオを見て涙を流す。彼はナルシストだ」と切り捨てている。

 アイルランド出身の劇作家で「幸福な王子」の著者オスカー・ワイルドは自分が書いた童話を息子に読み聞かせていた時、思わず泣き出した、という話が伝わっている。同性愛者だったワイルドは後日、罪に問われ収監される一方、妻や2人の息子たちは世間の冷たい目から逃れるためワイルドという名前を改名するなど、苦労の道を行く。ワイルドが息子にその童話を読み聞かせた時は、彼にとって最も幸福な時間だったのかもしれない。

 ローマ・カトリック教会最高指導者、ローマ法王べネディクト16世は2010年4月17日から2日間の日程でマルタを訪問し、滞在最後の日、同国の聖職者から性的虐待を受けた8人の犠牲者と非公開の場で会見した。犠牲者との会見を報じたオーストリアのカトリック通信(カトプレス)は「べネディクト16世は犠牲者の話を聞きながら、その目は涙で溢れていた」という1人の犠牲者の証言を伝えた。バチカン放送も現地から報道し、「法王は犠牲者の苦痛と痛みを感じ、聖職者が犯した蛮行を恥ずかしくおもい、泣き出した」と報じている。欧米教会で1昨年、聖職者の未成年者への性的虐待事件が次々と発覚し、ローマ法王は謝罪の日々を送った。

 韓国の歌手、金ヨンジャさんは「イムジン河」(原題・臨津江)を歌い、「帰ろう故郷へ、翼あるなら、イムジンの流れよ、答えておくれ」と絶唱しながら、一筋の涙が頬に伝わった。イムジン河は朝鮮半島の南北間を流れる川だ。南北両国は今日まで分断されてきた。脱北者が南を目指す一方、韓国に住む多くの国民は北に住む親族関係者との再会を願っている。  

 ロシアの次期大統領プーチン氏は3月4日、大統領選勝利の直後、モスクワの支持者集会の前で思わず涙をこぼした。トラと戦い、オートバイをぶっ飛ばす元ソ連国家保安委員会(KGB)出身のタフガイ、プーチン氏は「どうして涙を流したのか」と聞かれ、「風が目に染みただけさ」と嘯いたという。昨年末の下院選後、ロシア全土で広げられた反プーチン集会など逆風を受け続けた同氏は、激しい選挙戦の日々が脳裏を駆け巡り、思わず涙が流れたのかもしれない。

 イエスも涙を一度、見せている。「いよいよ都(エルサレム)の近くにきて、それが見えたとき、そのために泣いて言われた。もしお前も、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら・・しかし、それは今お前の目に隠されている。いつかは、敵が周囲に塁を築き、お前を取り囲んで・・・それは、お前が神の訪れの時を知らないでいたからである」と述べている(「ルカによる福音書」19章41〜44節)。イエスはエルサレム入城後、ユダヤ社会のエリートたち、宗教指導者たちから迫害され、最終的には十字架の道を行かざるを得なくなる。

 そして、多くの日本人は昨年の東日本大震災(3・11)で涙を流した。
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

Recent Comments
Archives
記事検索
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ