ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2012年06月

ジュネーブ国連の看板は「人権」

 スイスのジュネーブ国連事務局(UNOG、ペレ・デ・ナシオン)を訪問した。ウィーンの国連記者室に常駐していることを話すと、ジュネーブの外交官は「ウィーンの国連は国際原子力機関(IAEA)、包括的核実験禁止機構(CTBTO)など核問題を扱う拠点となってきたが、ジュネーブの顔は何といっても国連人権理事会だ」と説明してくれた。要するに、東のウィーンは「核」、西のジュネーブは「人権」、というわけだ。

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▲ジュネーブ国連のシンボル、彫刻「壊れた椅子」(2012年6月27日、ジュネーブで撮影)

 アラブの資金で建設されたモダンな建物のウィーンの国連都市と比較すると、ジュネーブの国連欧州本部の建物は古い、といった印象を受ける。正面には加盟国の国旗が2列に並び、掲揚されている。パレ・デ・ナシオン前広場には「壊れた椅子」の彫刻が人目を引く。なお、欧州本部周辺には世界知的所有権機関(WIPO)、世界気象機関(WMO)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などの専門機関の本部がある。

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▲ジュネーブ国連食堂の風景(2012年6月27日、ジュネーブで撮影)

 
 国連を訪れた日、ジュネーブの国連周辺には欧州亡命イラン人グループがデモをしていた。また、中東人権活動家がシリア政府の虐殺問題を国連加盟国の外交官にアピールするため抗議の看板を持参したところ、国連警備職員に持ち込み禁止を受けた、といった具合だ。いい悪いは別として、人権問題に関心がある人間はジュネーブに集まってくる。ジュネーブは文字通り、「人権」という看板を抱えているわけだ。しかし、シリアのアサド政権に対して人権理事会が明確なメッセージを発信できないとすれば、「人権」のジュネーブの名が廃れる恐れもある。

 ちなみに、国連都市としてはジュネーブは大先輩であり、ウィーンは後発都市だが、ウィーンは過去、国際機関の誘致を積極的に進めてきた。ウィーン市には既に30を超える国際機関の本部、事務局がある。国連の欧州本部ジュネーブは依然、国際機関の数、職員数ではウィーンをまだ凌いでいる。
 
 最後に、食いしん坊の当方はジュネーブとウィーンの国連職員食堂を比較した。ウィーンの国連職員食堂のメニューはジュネーブのそれより相対的に安いが、ジュネーブのメニューの多様性はウィーンをはるかに凌いでいた。

スイス取材での「思い出」

 スイスに久しぶりに取材に出かけることになった。スイスはオーストリアの隣国だが、冷戦時代から担当エリアが旧東欧諸国だったこともあって、西側に取材に出かけることはめったになかった。

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▲サン・ピエール大聖堂(ジュネーブ観光局提供)

 初めてのスイス取材は、冷戦の終焉を迎える直前の1988年だ。チェコスロバキアの経済自由化理論を構築した後、スイスに亡命したオタ・シク氏とサンクト・ガレン大学内で会見した時だ。同氏は経済改革の旗手として「第3の道」を提唱し、チェコ共産党政権下では副首相を務めていた。シク氏は「市場メカニズムは民主主義体系下でしか機能しない」と熱っぽく語ってくれたものだ。

 そして1991年だ。スイスの日刊紙が北朝鮮の故金日成主席の心臓病治療の為にジュネーブの心臓外科医に訪朝を依頼したと報じたのを受け、その情報の真偽とジュネーブの北大使館を取材することが目的だった。
 訪朝を要請された心臓外科医との会見から実際に訪朝した医者はリヨン大学付属病院の心臓外科医だったことが判明した。ジュネーブの外科医は「李徹大使(当時)が私の事務所を訪ね、北の重要人物の治療をお願いしたいと言ってきたが、自分は断わった。その後、李大使がリヨン大学付属病院の外科医に要請したことを知った」と説明してくれた。ジュネーブ市内を3日間ぼど集中的に取材したことを懐かしく思い出す。

 今回はジュネーブに取材に出かけることになった。ジュネーブは人口20万人弱の小都市だが、国連ジュネーブ事務局(UNOG)の欧州本部がある。専門機関として国際労働機関(ILO)、世界保健機関(WHO)、世界知的所有権(WIPO)の本部が周辺にある。文字通り、国際都市だ。
 レマン湖の南西岸に位置する。市内には宗教改革者カルヴァンが拠点としたサン・ピエール大聖堂、ルソーの生家などがある。取材の合間、ルソー島や大噴水などを見学したが、もうすっかり忘れてしまった。

 スイスは欧州連合(EU)には加盟していない。欧州の経済危機の影響を最小限に抑えて奮闘しているが、失業者問題や外国人問題、特にイスラム教徒問題などが深刻化してきている。スイスの現状を可能な限り、見、感じてきたいと思っている。

「共産主義の犯罪」展示館、開館へ

 スロバキアの首都ブラチスラバで年内にも「共産主義の犯罪とその犠牲に関する展示館」が開館される予定だ。バチカン放送独語電子版が23日、報じた。
 共産主義時代の犠牲をテーマとしての記念碑は旧ソ連・東欧諸国でも少なくない。例えば、ウクライナのホロドモールの大飢饉(1932年〜33年)やハンガリー動乱(56年)を慰霊した記念碑はある。しかし、「共産主義の犯罪」そのものに目を向けた記念碑や展示館は案外少ない。
 例えば、ワシントンDCには共産主義下の犠牲者(約1億人)の慰霊碑がある。ブッシュ米大統領(当時)は2007年6月、同碑の落成式に参加している。ドイツでは旧SED(ドイツ社会主義統一党)政権の実態を検証する機関や歴史的記念碑の保存が進められていることは周知の事実だ。

 同博物館開館を進めてきた「政治犯同盟」のアントン・シォレッチ会長は「鉄のカーテン下でどのような恐怖、悪、不正が行われてきたかを明確に示さなければならない」と述べ、共産主義テロの解明に意欲を示している。
 旧共産政権下で生きてきた東欧知識人たちの間では「欧州統合が進められている今日、20世紀の旧共産圏の過去をどのようにして保存すべきか」でホットな議論が行われてきた。時間が過ぎ、民族が体験してきた「過去」への記憶が次第に薄れていくことを恐れる学者もいる。

 同博物館開館の案は2010年、「キリスト教フォーラム」が提示し、約3000人が博物館開館要望書に署名。それを受け、当時のラディチョヴァー政権は同案の実現を文化省に要請したが、「方向党ー社会民主主義」(スメル)のフィツォ新政権が発足すると、同案の遂行は遅れていった。同時に、政府からの補助金も削除され、博物館の開館予定が大幅に遅れた経緯がある。
 博物館開館の関係者は「1948年から1989年の共産政権時代を体験しなかった若い世代に歴史的事実を正しく伝えていきたい」と願っている。

ウィーン大学の卒業式に参加して

 知人の娘さんがウィーン大学比較文学科を無事終了し、その卒業式に知人代表として参加する機会があった。ウィーン大学は1365年創立のドイツ語圏最古、最大の総合大学だ。卒業式も学部によって開催日が違うし、卒業者数も異なる。経済学部や法学部となると、その卒業生の数も多いが、文学部の場合、22人だった(高等学校卒業兼大学入学資格試験のマトゥーラ、ドイツではアビトゥアにパスすれば大学の希望学部に入学できるが、卒業できる学生は少ない)。

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▲ウィーン大学の卒業式に参加する家族や知人(2012年6月19日、撮影)

 知人の娘さんは文学部比較文学科だ。独文学から英文学、そして仏文学など広範囲の文学をその原語で読み、論評したり、比較する学問だ。知人の娘さんの部屋を訪ねたことがあったが、部屋は隙間がないほど本で一杯だったことを思い出す。

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▲ウィーン大学の卒業式で挨拶する学部長(2012年6月19日、撮影)

 彼女はスカンジナビア文学にも精通し、スウェーデンの代表的作家アウグスト・ストリンドベルクを研究してきた。彼女からはイプセンやストリンドベルクなどのスカンジナビア文学についていろいろ教えてもらった。当コラムにストリドベルクの名が時たま登場するのは彼女からの情報だ。

 卒業式には学生の家族や友人たちも参加できる。その日は35度以上の暑い日だったが、家族の中には背広姿のお父さんの姿もあった。職場から直接、卒業式に駆けつけたのかもしれない。お祝いのプレゼントや花を持参してきた人も多い。
 卒業式は大祝賀ホールで行われた。先ず、学部部長や副部長が参加し、その後、今回卒業する学生が入場。学部長が挨拶と激励が終わると、卒業証書が手渡される。この日を期して、学生たちは自身をMaster(修士)やBachelor(学士)という呼称を正式につけることが認められる。国歌を唱和し、式は約1時間で終わったが、家族と一緒に写真を取る学生たちの姿が会場内で見られた。卒業まで5年,6年とかかった学生もいるだろう。その間、内外共に支援してきた家族たちの協力も大きかったはずだ。

 オーストリアでは他の欧州と同様、財政赤字の削減が緊急課題のため大学への政府予算も縮小気味だ。これまで学費は無料だったが、次期学期から長期間学生やEU以外の学生たちは学費を払わなければならなくなったばかりだ。その一方、雇用市場も厳しい、そのような時期に大学を卒業する学生たちは将来を楽観視できない。希望の仕事が見つからないので暫く勉強を続ける、といった卒業生もいるという。卒業生たちの健闘を祈る。
 

「国際寡婦の日」と「ルツ記」

 6月23日は国連が設定した「国際寡婦デー」(International Widows’ Day) だった。2000年12月の国連総会で採択された新しい国連デーに当たる。ニューヨークの国連本部で昨年、故ジョン・レノンさんの妻オノ・ヨーコさんらが「夫を亡くした大多数の女性は、何の生活の保障もなく、苦境下にある」と訴えるなど、寡婦の保護をアピールしたことはまだ記憶に新しい。

 寡婦、未亡人は悲しい立場だ。愛する夫を失い、同時に生活も厳しくなるケースが少なくない。子供が多数いる場合、貧困状況に陥ることもある。その意味で、夫を失った女性が子供と共に人生の試練に負けないように社会が暖かい支援を提供すべきだろう。全ての寡婦の人権は、「女性に対するあらゆる形態の差別撤廃条約」をはじめとする国際人権条約の中に明記されている。「寡婦の日」を設定することで、社会の寡婦の人権に対する意識が高まれば幸いだ。

 ちなみに、国連のデーターによると、世界で約2億4500万人の寡婦のうち、1億1500万人以上が極端な貧困の中で暮らしている。「紛争の渦中にある国々では、女性が若くして寡婦となり、戦闘や避難が続く中、孤立無援で子育てという重い役割を担わなければならないケースが少なくない」(潘基文国連事務総長メッセージ)。

 聖書には「寡婦」の話が記述されている。旧約聖書の「ルツ記」だ。エリメレクの妻ナオミは飢饉を逃れるためにモアブの地に移動してから夫を失う。二人の息子たちはモアブの女を嫁にするが、10年後、二人の息子も亡くなる。ナオミは夫と息子を失ったわけだ。息子の嫁には「あなた方はまだ若いから自分の故郷に戻りなさい」と諭すが、嫁の一人、ルツはナオミから離れることを良しとしなかった。ナオミとルツはベツレヘムに戻り生活を始める。夫エリメレクの一族で、裕福な親戚、ボアズのもとで落穂ひろいをしながら生活をする。ボアズは夫の母に仕えるルツの姿に感動。いつしかルツを嫁に迎えることになる。そして一人の息子が誕生する。その名をオペデという。ボアズからオペデが生れオペデからエッサイが生れ、エッサイからダビデが生れた。そしてダビデの血統からイエスが生れることになる。異邦人モアブ人のルツからダビデの家系が生れたわけだ。

 旧約聖書には、死んだ夫の妻が寡婦となると、夫の兄弟がその嫁と結婚する、といった風習(レビラト婚)が記述されている。創世記38章のタマルの場合もそうだ

メルケル首相「ハムレットの悩み」

 メルケル独首相はサッカー欧州選手権(「ユーロ2012」)開催直前、職権乱用罪で禁錮7年の有罪判決を受けたウクライナ野党指導者、ティモシェンコ前首相への対応でウクライナ政府を批判し、観戦訪問のボイコットを表明したが、ベルリン連邦首相府にいても落ち着かない。とうとう、「ユーロ2012」の観戦に飛び出していった。もちろん、ウクライナ開催の試合ではない。ポーランドのグダニスク競技場で22日開催された準々決勝のドイツ対ギリシャ戦だ。

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▲独チームを応援するメルケル首相(2012年6月22日、ドイツ公営放送中継から)

 試合は最初から実力の差が明らかで、ボールのキープ率もドイツ側が圧倒していた。そしてDFのフィリップ・ラーム選手がゴールすると、メルケル首相は飛び上がって喜んだ。もちろん、その瞬間をテレビのカメラが撮っている。試合結果はご存知のように4対2でドイツが勝った。ドイツ語圏のメディアは「サッカーでもギリシャはドイツに破れた」といった見出しを付けていたが、当方は「ドイツのGKマヌエル・ノイアーに対して2ゴールを挙げたということはギリシャ・チームの底力を見せ付けたものだ」と受け取っている。
 
 特筆すべき点は、ドイツ代表のヨアヒム・レーヴ監督の手腕だ。対ギリシャ戦では、グループ戦で3ゴールを挙げたFWマリオ・ゴメスの代わりにミロスラフ・クローゼを投入、MFトーマス・ミュラーの代わりにアンドレ・シュールレを使うなど、選手の選択には感服する。もし、負けていたならば、メディアから「なぜ、ゴメスとミュラーを最初から投入しなかったのか」と批判を受けだろう。
 過去のデーターと選手の性格を掌握し、ボールをキープしながらコンビネーションを中心に敵陣に迫る同監督の戦略はこれまでのところ成果をもたらしている。冷静で緻密な監督だが、準決勝を前に、「ドイツはタイトルを狙う」と宣言している。よほど、自信がるのだろう。

 話をメルケル首相に戻る。独週刊誌シュピーゲルは「メルケル首相の政治的動きは来年9月の総選挙に焦点が合わせられている。総選挙で再選するためにプラスとなることは何でもするだろう」と辛らつに評している。
 ところで、ドイツ・チームが決勝に進んだ場合、決勝戦はウクライナの首都キエフの競技場だが、メルケル首相はウクライナの「ユーロ2012」の観戦ボイコットを宣言した立場上、参加できない。一方、大多数のドイツ国民はテレビ観戦でチームを応援するだろう。優勝すれば、国挙げての祝賀会が待っている。その時、観戦席にドイツ首相の姿がなかった場合、どうだろうか。メルケル首相は今、ハムレットのような心境だろう。キエフに行ってドイツチームを応援するか、ウクライナの人権問題を理由にやはり観戦を避けるべきか、それが問題だ。2013年9月の総選挙勝利を最優先とするメルケル首相は面子を維持する一方、観戦できる道がないか、と考えているだろう。

なぜ「洗礼ヨハネ」は斬首されたか

 ブルガリアの考古学者は2年前、教会の床下から洗礼ヨハネの遺骨を発見したと発表した。「世界キリスト教情報」によれば、「英国とデンマークの考古学チームが洗礼ヨハネの遺骨を裏付ける証拠を発見した。小型の大理石のひつぎの中から指関節や歯、頭蓋骨の一部と、動物の骨3本が入っていた。ひつぎの傍らには火山灰を固めて作られた小箱があり、古代ギリシャ文字で洗礼者ヨハネの名と生誕日とされる『6月24日』の日付が刻まれていた」というのだ。慎重な検証作業が必要だが、「洗礼ヨハネの遺骨」が確認されれば、イエスの生涯を知る上でも大きな助けとなる事が期待される。

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▲洗礼ヨハネの斬首が記述されている「マタイによる福音書」(2012年6月23日、撮影)

 ところで、トルコと中国の考古学者チームは2009年、トルコのアララト山の標高4000メートルで「ノアの方舟」の残滓を発見したと発表したことがあった。放射性炭素年代測定によると、発見された木は約紀前4800年のものという。

 一方、トリノでイエス・キリストの遺骸を包んだ聖骸布の展示会が開催されたことがあった。ローマ法王べネディクト16世も2010年5月2日、2000年前のイエス・キリストの遺骸を包んでいた布といわれる「聖骸布」の展示場を訪れ、その前で祈っている。
 通称「トリノの聖骸布」と呼ばれる布は縦4・35メートル、横1・1メートルのリンネルだ。その布の真贋についてはこれまでさまざな情報があり、多種多様の科学的調査も行われてきた。

 そして今、「洗礼ヨハネの遺骨」の発見で世界の考古学者が興奮しているのだ。「ノアの方舟」と「トリノの聖骸布」、そして「洗礼ヨハネの遺骨」と対象は異なるが、歴史のロマンを感じさせる一方、聖書の中で記述されている「神の業」を追認したいという考古学者の熱い思いが伝わってくる。

 さて、洗礼ヨハネの評価について、聖書学的には「大預言者」から「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」「天国で最も小さな人間」まで、さまざまな見解がある。正教会ではイエスの先駆者であったという点から、「前駆授洗者」という称号をつけている。
 不可思議なことは、「大預言者」、「大聖人」といわれた「洗礼ヨハネ」が一見つまらないことで首を斬られていることだ。聖書を読むと、「洗礼ヨハネ」がイエスをメシアとして最後まで証し、彼に従ったという形跡がないのだ(「洗礼ヨハネの首切り」の話は、新約聖書の「マタイによる福音書」14章や「マルコによる福音書」6章に記述されている)。

 「洗礼ヨハネの遺骨」に関する協議は単なるその真偽に集中するのではなく、「洗礼ヨハネの生涯」を検証する機会とすべきだろう。当時、ユダヤ社会で人望と名声を享受していた「洗礼ヨハネ」がイエスをメシアとして最後まで証し続けていたならば、イエスはひょっとしたら十字架に行く必要はなかったのではないか。
 
 それでは、なぜ「洗礼ヨハネ」はイエスに従うことができなくなったのだろうか。ヨルダン川では「イエスは神の子」と証したが、その後、次第にイエスから遠ざかっていったのだ。ちなみに、祭司長ザカリアとエリザベスの間に生まれた「洗礼ヨハネ」とザカリアとマリアの間で生まれた「イエス」の関係は、半年違いの異母兄弟だった、という説がある。

欧州駐在北外交官の「呟き」

 知人の北朝鮮外交官はこのほど当方との会見に応じた。以下、同外交官との1問1答だ。

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▲第14回UNIDO総会で演説する金光燮大使(2011年11月30日、撮影)

 ――父親・金正日総書記の死後、金正恩第1書記が政権を継承して今月17日で半年が過ぎた。同半年のバランスシートはどうか。

 「若い指導者だが、立派な功績を残してきた。及第点を取れる歩みだ。もちろん、金第1書記は若いから今後も多くのことを学ばなけれならないが、素晴らしい指導者であることは間違いない」

 ――金正恩第1書記はこれまで自身で決断を下してきたのか。それとも経験豊富な張成沢(国防委員会副委員長)ら党・軍幹部が決断して、それを追認してきただけではないか。

 「最終決断は金第1書記が下している。周りのアドバイサーがそれぞれの見解を語るが、決定は金第1書記が下している」

 ――金第1書記に対しクリントン米国務長官は「北の改革者としてその名を残してほしい」とエールを送っている。北国内では組織化された野党勢力は存在しないから、アラブの春のように“下からの改革”は難しい。可能性は“上からの改革”だということで、若い正恩氏への期待となっている。

 「金第1書記の答えは既に報じられている。すなわち、『他国の指導者にエールを送ることはクリントン長官の仕事ではない。自分の職務に専心せよ』といった内容だ」

 ――指導方法で金第1書記と父親金総書記の相違は。

 「例えば、金総書記時代、ミサイル発射後、核実験を実施したが、正恩氏時代に入って『核実験をする計画はない』というメッセージも出ている。若い正恩第1書記は核兵器に対して古い世代とは違った考えを持っているのではないだろうか」

 ――軍部は核実験を願っているはずだ。軍部からの圧力はないのか。

 「わが国の指導者は一人だ。すなわち、金第1書記だ。軍部が指導者の方針に反対するといった伝統はわが国にはない」

 ――国連食糧農業機関(FAO)は18日、北朝鮮の主要穀倉地帯の畑耕地の90%が干ばつ被害を受けたと発表したばかりだ。実際はどうか。

 「その報道は事実だ。50年ぶりの干ばつと聞く。国民の食糧問題が今後、危機を迎えるかもしれない」

 ――ところで、駐オーストリアの金光燮大使(故金総書記の義弟)の近況はどうか。

 「金大使は今月16日、夏期休暇のため平壌に帰国した。多分、駐ワルシャワの金平一大使(故金日成主席と金聖愛夫人の間の息子)も同様に帰国しただろう。駐独の李シホン大使は就任して日が浅いので今年は帰国しないのではないか。平壌で海外駐在大使会議の開催云々は聞かない」

 ――帰国したのは金ファミリーの大使だけ、ということか。

 「多分、そうだろう」

 ――最後に、金正男氏(故金正日総書記の長男)の息子、金ハンソル君はボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルの国際学校に通っているのか。

 「通っているはずだ。彼の言動がここしばらく報じられないのは、彼が学業に専念して日韓メディアとの接触を避けているからだろう。詳細なことは自分も知らない」

「5年ぶりの暑い6月」

 35度以上の灼熱の日々が続く。オーストリアのメディアによると、「5年ぶりの暑い6月」という。「観測史上」ではなく、「5年ぶり」というのだからもっと暑い6月が過去、あったわけだ。たとえそうであっても、何の気休めにもならない。はっきりしていることは、観測データーは別にして、ウィーンでこんな暑い6月はなかった、と感じることだ。

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▲ウィーン市内で最も涼しい教会(2011年7月16日、撮影)

 問題は気温ではない。湿気だ。何をしなくても汗が出てくるから、日本の夏のようだ。当方も過去2回、40度以上の日々を体験した。一度はチェコのプラハ市で、もう一度はイタリアのフィレンツ市だ。とにかく、体が焦げ臭くなるのではないかと感じるほど暑かった。しかし、最近のように、蒸し暑くはなかった。ミネラルウォーターを飲めば耐えられたが、最近の蒸し暑さは水一杯では何の助けにもならない。

 ウィーンは昔、夏でも乾燥していた。ワイシャツを何日着ていても襟が汚れる、といったことはほとんどなかった。それが半日も過ぎれば、ワイシャツが汗で汚れてしまう。今年の6月はこれまでの6月の気候とは明らかに違うのだ。

 当地のメディアも「5年ぶりの暑い6月」がトップ記事だ。小さな子供のいる家族は公営プールに行き、若者たちはドナウ川に飛び込み、アイスクリームを食べるなど、「5年ぶりの暑い6月」を凌ぐため、いろいろな工夫をしている。

 大変なのは、工事現場の労働者やクーラーもない狭い職場で仕事をする事務員だろう。こんなに蒸し暑いと頭が回らないから、いい知恵も浮かばないし、アイデアも出てこない。太陽が西に沈み、直射日光がなくなるのをじっと待つだけだ。

 昨日(20日)夜9時以降、雷が鳴り、少し雨が降った。雷と雨がこんなに有難いと感じたことはなかった。
 蒸し暑い日々に苦しんでいるのは人間だけではない。窓際の小さなベゴニアも同様だろう。雨が降り出すと、安堵感で深呼吸をしながら、恵みの雨を吸収しているようだ。

 最後に、「5年ぶりの暑い6月」の明暗を紹介する。暑い日々を喜んでいる職種はアイスクリーム屋さん、公営プール、クーラーなどを売る電気屋さん、日焼け止めクリーム、サングラス、清涼飲料水などを並べる店だ。逆に、この「5年ぶりに暑い6月」を憎々しく思っている人たちは、サンスタジオ経営者、映画館オーナーなどだろう。

 ちなみに、当方はこのコラム欄で「ウィーンで今夏、最も涼しい教会」(2011年7月16日)を書いたことがある。教会に一歩足を踏み入れると、冷たい空気が体を包み、しばらくいると汗もひいてしまう。真夏の市内を観光する人は暑さに参ったならば、どの教会、宗派でもいいから、教会に飛び込めば、疲れが少し癒されることは間違いない。

「ダビデとゴリアテ」戦の見通し

 サッカー欧州選手権(ユーロ2012)の準々決勝(KO戦)が21日から開始されるが、22日にはドイツ対ギリシャ戦が行われる。優勝候補国のドイツは別として、グループ戦を勝ち進むことは難しいと見られてきたギリシャ代表が強豪ロシアを破り8強入りしたのは番狂わせだった。

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▲前回の覇者、スペインのファンたち 「ユーロ2012」はいよいよKO戦突入(ドイツ公営放送中継から)

 準々決勝でギリシャがドイツと顔を合わせると分かると、ブリュッセル(欧州連合本部)から緊縮政策を強いられてきたギリシャ国民は「今こそギリシャ人の意地をドイツに見せてやる」、「俺らたちを苦しめてきたメルケル独首相に復讐だ」といった脅迫に近い声が飛び出してきたのだ。
 ギリシャ国民の多くは「緊縮政策はブリュッセルというより、メルケル独首相が強いてきた」と受け取っている。アテネのメディアの中にはメルケル首相を「独ナチスのヒトラーの再来」と報じている。そこで、対ドイツ戦では「ギリシャ国民の総力を結集して思い知らせてやろう」というわけだ。欧州の経済大国で加盟国に緊縮政策を強いるドイツは「悪」の頭、それに対して小国ギリシャが立ち上がり、「悪」を退治する、といった思いだろう。対ドイツ戦を「ダビデとゴリアテ」と報じるギリシャ・メディアもあるほどだ。

 一方、ドイツ側はどうか。「準々決勝の相手国がギリシャ」と分かると、「グループ戦は苦しかったが、ギリシャは制しやすい」と喜ぶファンが圧倒的に多いのだ。客観的にいえば、その通りだろう。現在のギリシャ代表チームでは組織力を誇るドイツ・チームを破ることは至難の業だからだ。
 しかし、そこはサッカー試合だ。神風が吹き、強豪チームを破る、といった奇跡は過去、何度もあった。ましてや、ギリシャ代表は‘メルケル憎し‘の思いで結束力を強めている。ドイツ代表チームが気を緩めるようなことがあれば、何が生じるか分からない。ギリシャが先行すれば、ドイツ・チームが焦り、ミスを繰り返す、といった試合展開も十分考えられるからだ。

 政治とスポーツは別問題だ。スポーツに政治問題を絡めることは良くない、といった声を聞く。しかし、実際は、「ユーロ2012」開催直前、職権乱用罪で禁錮7年の有罪判決を受けたウクライナ野党指導者、ティモシェンコ前首相への対応問題が浮上し、欧州の主要政治家たちがウクライナの試合観戦ボイコットを表明したばかりだ。

 ギリシャ議会再選挙で新民主主義党(ND)が第1党となり、ユーロ圏から離脱といった最悪のシナリオはここ暫くはなくなったが、ギリシャ国民の中には「ブリュッセルはギリシャへの緊縮政策を緩和するだろう」との期待感が高まっている。その矢先、メルケル首相はギリシャ選挙の結果を歓迎する一方、「ギリシャはその義務を完全に履行しなければならない」と強調し、アテネの国民の淡い期待に水を差しているのだ。

 以上、22日の独対ギリシャ戦が「サッカー欧州選手権」史上これまでなかった死闘が展開される、と予想される背景だ。
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