ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2013年02月

120,117,115人・・

 ローマ法王べネディクト16世の退位を受け法王選出会(コンクラーベ)が開催される。開催時期は現時点では不明だが、法王は25日、「自発教令」(Motu Proprio)を公表し、前法王ヨハネ・パウロ2世が1997年に発行した法王憲章の一部を変更し、コンクラーベの開催時期の「法王死去(退位)15日後から20日までに実施」と明記されている個所を「枢機卿会議で自主的に判断して開始できる」と改正した。また、選出条件の「3分の2の支持」を「コンクラーベに参加した枢機卿の3分の2」と微調整している。

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▲今日、退位するべネディクト16世(バチカン放送独語電子版から)

 この「自発教令」に基づき、枢機卿たちはべネディクト16世が退位する今月28日午後8時以降、コンクラーベ参加有資格者の80歳未満の枢機卿がローマに到着次第、コンクラーベをいつでも開催できる。ただし、「参加予定の枢機卿の到着が遅れている場合、到着まで待つ」ということだから、ヨハネ・パウロ2世の憲章の「法王死去(退位)後、20日以内」を超える可能性も考えられるわけだ。すなわち、べネディクト16世は「法王の憲章」に拘らず、枢機卿の自主的判断に委ねているわけだ。

 ところで、コンクラーベ有資格者80未満の枢機卿数は開催日が近づくほど減ってきた。べネディクト16世は昨年11月23日、新に6人の枢機卿を任命した。次期法王選出会に参加権利を有する枢機卿はその時点で120人となった。それから3カ月後、同法王が今月末に退位すると表明した段階でその数は117人に減った。3人はどこに行ったのか。簡単だ。80歳を迎えたか、死去したケースだ。その直後、アジアの一人の枢機卿が健康を理由にコンクラーベ参加を欠席すると通達してきた。これで116人だ。そして25日に入ると、聖職者の未成年者への性的虐待問題の責任を取る形でコンクラーベ参加を見合わせた結果、その数は115人とまた1人減った。

 コンクラーベ開催が遅れれば、参加する枢機卿数はどんどん減っていくことが予想される。法王が退位した後、新しい枢機卿を選ぶ法王がいないから、枢機卿の数は減ることがあっても増える可能性はないわけだ。

 コンクラーベの開催が何らかの理由で3カ月間遅れた場合を想定してほしい。コンクラーベに参加できる枢機卿数がどれだけ少なくなっているだろうか。ひょっとしたら110台を割っているかも知れない。2桁代に急減するということは常識では考えられないが、完全には排除できない。何が起きるか予想できない時代だからだ。

 80歳未満とはいえ、健康問題を抱えている枢機卿が結構、多い。欧州からローマに飛ぶのは余り負担ではないが、アジア地域や南米などからローマに飛ばなければならない高齢の枢機卿にとってはローマ行きは命がけの旅となる。ちなみに、年齢別にみると、75歳から79歳までの枢機卿数は47人で最も多い。最も若い50歳から59歳の枢機卿は5人に過ぎない。

 欧米社会は高齢社会に突入したと呼ばれるが、バチカン社会は一般社会以上に高齢社会だ。同時に、高齢だけに、新しい考え方や若者達の思考が理解できなくなる。バチカンが刷新や改革に消極的なのは教義問題だけに理由があるのではなく、その肉体的衰えも大きく影響しているはずだ。バチカン社会の高齢化は存続にも関連する大きな問題だ。

戦後第62代政権は発足できるか

 イタリア総選挙の結果は事前に予想されたことだが、同国の政情を一層混乱させている。財政危機を打開するため登場したモンティ首相が率いる中道連合は上院で得票率10%にも届かず、惨敗した。ローマの総選挙の行方を注視していたブリュッセル欧州連合(EU)からは「大変なことになった」という懸念の声が飛び出しているほどだ。経済学者モンティ氏の財政緊縮政策に信頼を寄せてきたEUにとって、EU圏第4位の経済大国イタリアの政情混乱はブリュッセルにとって大きな不安要素となるからだ。

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▲イタリアのミラノ大聖堂(2011年8月、撮影)

 イタリア総選挙の結果は下院(定数630議席)では中道左派連合が過半数を獲得したが、上院(定数315議席)では過半数を獲得した勢力はなかった。上院では中道左派が121議席、ベルルスコーニ前首相の中道右派連合117議席、グリッロ氏の「五つ星運動」54議席、モンティ首相の中道連合は22議席に留まった。
 選挙結果からいえば、大躍進を遂げたグリッロ氏が今選挙の唯一の勝利者といえるだろう。中道左派連合はグリッロ氏との連携を模索するだろうが、同氏はどの連合とも連合を組む考えが無いことを表明してきた。
 
 ブリュッセルの信頼が厚いモンティ氏の対応も注目される。改革路線の継続を主張する中道左派連合と連合を組むか、野党勢力に留まるのか、今後の連立政権交渉のポイントの一つだ(両勢力が連立しても上院の過半数は達成できない)。
 それにしても、国際社会でイタリアの新しい顔として人気があったモンティ氏が率いる中道連合の惨敗は何を物語っているのだろうか。経済政策としては賢明であったとしても、国民の負担を強いる緊縮政策は誰が主張したとしても有権者の反発を受ける。モンティ氏も例外ではなかったわけだ。ブリュッセルとイタリア国民の願いは完全にすれ違っていたわけだ。
 民主主義は多様な見解、利益を尊重するが、社会の多様化の中で政権運営は益々難しくなってきた。もはや1党が過半数を掌握するという国は民主国家で考えられなくなってきた。イタリアはその代表的な国だ。

 オーストリア国営放送の夜のニュース番組でローマ特派員は「新政権がいつ発足できるか、現時点では不明だ」と述べていた。戦後共和国に移行してから同国でこれまで61回、政権が交代した。第62代となる新政権がいつ樹立されるか予想できない状況となったわけだ。
 民主主義の発祥の地ギリシャで財政危機が発生し、欧州経済は危機に陥っている一方、法治国家の発祥地イタリアの政情は一層、混乱の様相を深めてきた。

懐かしい名前を見つけた

 25日付の朝刊に懐かしい名前を見つた。ソウル特派員が元日朝国交正常化交渉日本政府代表を務めた遠藤哲也氏とインタビューしている。遠藤氏のキャリアをみれば分かるが、同氏は1989年、在ウィーン国際機関日本政府代表部大使に就任している。同氏はその後、朝鮮半島エネルギー開発機関(KEDO)担当大使に歴任するなど、朝鮮半島問題に久しく関わってきた外交官だ。

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▲駐オーストリアの北大使館(2013年1月撮影)

 知人の学者がハンガリーのブタペストで開催された未来学会に参加した後、ウィーンを訪問し、旧友の遠藤氏(当時、国連機関日本政府代表部大使)と会った。その直後、知人は当方に驚くべき話をしてくれた。駐ウィーンの前北朝鮮大使が遠藤氏に「国連で仕事をもらえないか。どのような立場でもいいから」と打診してきたというのだ。遠藤大使はその時、「彼は政治亡命を考えている」と直感し、体が震えるほどビックリしたという。北朝鮮大使を務めた人物が国連機関に職を求めるということは通常では考えられないからだ。

 当方はその後、遠藤大使に亡命意思を示唆した前北大使の動向を取材し、欧州の北外交官の動向をまとめて日本の月刊誌に掲載した。同件は当方にとって本格的な北情報取材活動の契機となった。そのような縁もあって遠藤氏の名前を良く覚えているわけだ。

 1980年後半から90年代にかけ、北朝鮮は欧州に基盤を整えていった。北外交官の動きは考えられないほど活発だった。
 遠藤氏に政治亡命の意思を伝えた前北大使とは別の件だが、当方はある北外交官の亡命意思を確認する取材をしたことがある。同外交官は亡命意思をもらした直後、帰国したが、その直前、当方に電話をかけ、「これからは連絡しないでほしい」と嘆願してきた。当方は同外交官の亡命意思が平壌に漏れたのではないかと心配になった。その数年後、彼は再びウィーンに赴任してきた。彼は無事だった。数年後、彼は再び平壌に戻っていった。その後は知らない。

 遠藤氏の名前を見つけた時、亡命意思を吐露した前北大使や北外交官の追跡取材に駆け回っていた時代を懐かしく思い出した次第だ。

イスラムから法王退位を惜しむ声

 ローマ法王べネディクト16世は今月末、退位するが、法王の突然の退位にキリスト教社会だけではなく、イスラム教社会でもその退位を惜しむ声が出ている。

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▲ホーフブルク宮殿の式典会場で開催された「宗教・文化対話促進の国際センター」創設祝賀会(2012年11月26日、撮影)

 ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボの元大ムフティ、ムスタファ・ツェリッチ師は法王宛の書簡の中で、「世界の多くのイスラム教徒は法王の退位表明に驚いている」と述べ、ドイツ人法王を「優れたカトリック神学者であり、真摯な羊飼いだ」と高く評価している。同師はまた、「法王はレーゲンスブルク大学での講演でイスラム教に対して否定的な見解を表明したが、その後、イスラム教国を訪問し、イスラム寺院を訪ねるなど、イスラム教への理解を深めていった」と評している。

 ツェリッチ師は2007年10月、バチカンとの対話を呼びかけた138人のイスラム教指導者たちの一人だ。イスラム教指導者たちは当時、世界のキリスト教会指導者宛に書簡を送り、「キリスト教徒とイスラム教徒が平和的に共存できない場合、世界は存続の危機に直面する。われわれは相違点ではなく、基本的な共通原理に立脚すべきだ」と指摘し、キリスト教との対話を求めた。


 同師が指摘しているように、べネディクト16世とイスラム教との関係は険悪だった。その直接の契機は、訪問先のドイツのレーゲンスブルク大学の講演で、イスラム教に対し「モハメットがもたらしたものは邪悪と残酷だけだ」と批判したビザンチン帝国皇帝の言葉を引用したからだ。そのため、学者法王は世界のイスラム教徒から激しいブーイングを受けたことはまだ記憶に新しい。バチカン側は法王の発言の真意を説明するなど、世界のイスラム教徒の怒りを沈静するため多くの汗を流した。

 法王とイスラム教徒との関係が改善する契機となったのは、法王のトルコ訪問(2006年11月)だ。法王はイスラム寺院を訪問した。その後、138人の主要なイスラム教指導者がバチカン宛に対話の書簡を送ったことで、両者間の関係は改善へと動き出したわけだ。さまざ紆余曲折はあったが、カトリック教会とイスラム教との間の対話は今日まで続いている。

 目をイスラム教圏に向けると、チュニジアから始まり、エジプト、リビアなど北アフリカ・中東で民主化運動が発生し、独裁政権が次々と崩壊する一方、イスラム系根本主義勢力が台頭してきた。その結果、中東アラブ諸国で少数宗派のキリスト教会への迫害が強まり、イラクでは多数のキリスト教徒が母国から追われている。
 それに対し、キリスト教社会の欧米諸国ではイスラム教国に少数宗派の権利尊重を訴える声が高まってきた。そのような時期、べネディクト16世が退位を表明したわけだ。イスラム教側はイスラム教への理解を深めてきたべネディクト16世の退位を惜しむのはそれなりの理由があるわけだ。

  ウィーンで昨年11月26日、新しい国際機関「宗教・文化対話促進の国際センター」(KAICIID)の創設祝賀会が開催されたが、主要提唱国サウジアラビアのイスラム教が戒律の厳しいワッハーブ派であり、少数宗派の権利、女性の権利が蹂躙されていることもあって、同センターの創設に対して人権団体やリベラルなイスラム派グループから批判の声が聞かれた。しかし、バチカンは同機関のオブザーバーとして参加意志を表明した。イスラム教徒との対話を重視したわけだ。次期法王のイスラム教との関係が注目される。
    

北核実験の検証で入り乱れる情報

 いつものように友人の韓国外交官と電話で話していた時だ。
 「日本の自衛隊機が核実験直後、希ガスのキセノン133を検出したという情報が連合ニュースに流れていたよ」という。
 北朝鮮の3回目の核実験で放出された放射性物質を検出するために日韓米を中心に監視体制が敷かれてきたが、22日現在、北核実験によると思われる放射性物質が検出されていない。事実ならば、大きなニュースだ。

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▲核爆発(CTBTOのHPから)

 「当方の知る限り、そのような情報は日本メディアでは流れていないですがね」と答えた後、再度、日本の主要メデイアの電子版をチェックしてみたが、やはりない。連合ニュース日本語版にも見つからなかった。
 そこで早速、包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)の知人に電話したが、繋がらない。そこで他の報道担当職員に電話したが、事務所にいない。
 「希ガスが検出されたので、緊急会議でも開いているのか」と心配になってきた。30分後、知人から電話が入った。「何か緊急かね」という。そこで「北の核実験で放出された放射性物質が検出されたというニュースが流れているようだが、事実か」と聞くと、「そんなことは初めて聞いた」というではないか。
 そこで日本の自衛隊機が検出したというニュースを説明すると、知人は「これまで数回、放射性物質を検出したという情報はあったが、その直後、間違いと判明した。日本の場合、高崎の放射性物質観測所が希ガスを観測したというニュースが入ったが、北の核実験によるものではないと判明したよ」という。
 米日韓らの民間機関も独自に監視活動を行っているが、基本的に観測データーはウィーンの国際データセンター(ID)に送信されることになっている。だから、今回の情報は間違いだという。
 ロイター通信は20日、「米韓軍が気象観測機などを飛ばして大気中の物質を採取したが、キセノンなどの放射性物質は検出されなかった」と報じたばかりだ。

 今回の北の核実験では、北がウラン型爆弾を初めて使用したかどうかを検証することがポイントだ。そこで放射性物質の検出が重要となるわけだ。例えば、米ワールドトリビューンドットコムは18日、「北朝鮮の3度目の核実験はイランの核兵器をテストするのが目的だった」と報じ、「核実験現場にはイランの科学者がいた」と報じている。事実とすれば、北の3回目の核実験はウラン核実験の可能性が高くなる。

 なお、韓国の朝鮮日報23日付の日本語電子版によると、「各国の情報当局が、核実験の行われた咸鏡北道吉州郡豊渓里の土を試料として確保するために、中朝国境地域で激しい情報戦争を展開している」という。大気中の放射性物質が検出されないので、実験場に近い土壌を採掘して検証しようというわけだ。

法王に関する「聖マラキの預言」

 ローマ法王ベネディクト16世はひょっとしたら最後の法王となるかもしれない。11世紀の預言者、聖マラキは「全ての法王に関する大司教聖マラキの預言」の中で1143年に即位したローマ法王ケレスティヌス2世以降の112人(扱いによっては111人)のローマ法王を預言している。そして最後の111番目が今月末に退位するベネディクト16世というのだ。

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▲次期法王は誰?(バチカン放送独語電子版から)

 マラキは1094年、現北アイルランド生まれのカトリック教会聖職者。1148年11月2日死去した後列聖され、聖マラキと呼ばれている。彼は預言能力があり、ケレスティヌス2世以降に即位するローマ法王を預言した。その預言内容をまとめた著書「全ての法王に関する大司教聖マラキの預言」と呼ばれる預言書が1590年に登場した。カトリック教会では同預言書を「偽書」と批判する学者が少なくないが、その預言内容がかなり当たっていることから、多くの信奉者を持つ(以上、ウィキぺディアから「聖マラキ」を参考)。

 例えば、第2バチカン公会議を提唱したヨハネ23世(在位1958年10月〜63年6月の即位について、聖マラキは「牧者にして船乗り」と預言している。ヨハネ23世は水の都ヴェネツィアの大司教だった。冷戦時代に活躍したポーランド出身のヨハネ・パウロ2世については「太陽の働きによって」と預言した。同2世が生まれた時に日食が観測されたから、預言は当たっていると解釈されている。そしてドイツ人ベネディクト16世の即位は「オリーブの栄光」と預言された。べネディクト16世の名称はベネディクト会創設者の聖べネディクから由来するが、同会はオリーブの枝をシンボルとすることで有名だ、といった具合だ。聖マラキは歴代法王を次々と預言していったわけだ。

 興味深い点は111番目に当たる現ローマ法王ベネディクト16世後についての散文だ。「極限の迫害の中で着座するだろう。ローマ人ペテロ、彼は様々な苦難の中で羊たちを司牧するだろう。そして、7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る、終わり」(ウィキぺディア)と述べている。
 同散文が112番目の法王の即位に関するものかで解釈が分かれている。預言は111番目のベネディクト16世の即位で終わっているからだ。

 以下は当方の解釈だが、べネディクト16世は「聖マラキの預言」内容を熟知していたはずだ。だから、ひょっとしたら、自身がローマ・カトリック教会最後のローマ法王となるのではないか、と予感したかもしれない。たとえ、次期法王が3月中旬に開かれるコンクラーベで選出されたとしても、もはや以前のようにローマ法王としての任務を履行できない状況下に陥るのではないか。
 「聖マラキの預言」は、2000年間続いてきたローマ法王制が終焉を迎えると強く示唆しているのだ。「マヤの暦」と同様、同預言の真偽は近い将来、明らかになるだろう。

北は本当に核実験をしたのか

 北朝鮮は米国らに核保有国の認知を求めているが、核実験を実際、実施したという証拠が出ることを恐れている。すなわち、北は過去、3回の核実験を実施したことになっているが、核実験と見られるのは2006年10月の1回目だけで、09年5月、そして13年2月の2,3回目の核実験は「核実験らしい」という認識しか与えることができないでいる。

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▲CTBTOの北核実験直後の緊急記者会見に集まった記者たち(2013年2月12日、CTBTO事務局内で撮影)

 何のことかというと、核実験を実証するうえで核実験後、検証される放射性物質が検出されていないからだ。1回目は核実験2週間後、カナダの放射能監視所で北核実験による放射性物質(希ガス元素のキセノン133)が検出された。1回目は1キロトン以下の小規模な核実験だったが、放射性物質が検出されたことで一応、核実験だったという結論が下された。しかし、2回目は最後まで放射性物質が検出されなかった。そして今回も核実験後10日余り経過するがこれまで検出されていない。
 核実験を監視している包括的核実験禁止条約機構(CTBTO)は世界に337カ所、4種類の監視観測所(国際監視サービス網)を設置し、その観測データはウィーンの国際データセンターに送信されて、分析される。CTBTOは2回目の北の核実験後、放射性物質の観測所の不備を改善するため合計31カ所の放射性物質観測所を設置した。しかし、今回も2回目と同様、これまで放射性物質が検出されていない。

 その理由について、欧州の核専門家は2つの理由を挙げる。)迷Δ核実験の詳細な内容、核物質などが判明しないように、地下1キロメートルの地下核実験を完全封鎖した、地下核実験の場所、咸鏡北道豊渓里周辺の地盤が硬く、隙間がないことから放射性物質が外に放出されない、という。参考までに、イランで核実験が行われた場合、同国の地盤が軟らかいため、爆発が吸収され、爆発規模の正確なデーターが難しい一方、放射性物質の検出は容易になると予想されている。

 北指導部はジレンマにある。核保有国の認知を得るためには、過去3回の実験が核実験だったことを実証しなければならないが、2回目、3回目の核実験では地下実験所を完全に封印したため放射性物質が放出されない。だから、欧米側は「北は核実験をしたらしい」という認識に留まる。北は核保有国の認知を国際社会に求めながら、その認知が難しくなるように自ら工作しているわけだ。これを“北のジレンマ”と呼ぶ。北側としては、3回目の核実験がプルトニウム爆弾かウラン爆発かを判明させたくない、という意図があるだろう。

 CTBTOによれば、337カ所の監視観測所の中で96カ所の地震観測所が今回の核爆発をキャッチした。地震観測所は北で自然の地震によるものではない人工波をキャッチしたことから、北で今回は10キロトン程度の爆発があったことを検証したが、これだけでは北が核実験をしたとは断言できない、なぜならば、TNT爆弾を大量に爆発させても人工波が生じるからだ。欧米の核物理学者の中には「北は核技術を保有していない。通常TNT爆弾を利用した偽装実験の可能性が高い」と主張する学者もいるほどだ(「独物理学者の北偽装核実験説」2007年5月17日)。基本的には、核実験の完全な実証は現地査察(OSI)以外にはない。

 もし、北の地下核実験所から放射性物質が検出されれば、偽装核実験説を一蹴し、核保有国の認知も一歩前進するが、北は放射性物質の放出を完全に封鎖することで、核保有国認知への道も同様に封鎖してしまっているわけだ。
 

ウィーン市、夏季五輪大会を誘致?

 音楽の都ウィーン市は、国際会議協会(ICCA、本部オランダ・アムステルダム)が毎年公表する国際会議開催数ランキングでベルリンやパリを抜いてトップの常連だ。ホーフブルク宮殿、オーストリア会議センター、見本市会場、そしてウィーン国連と、国際会議を開催できる会議場は到る所にある。そのウィーン市(人口約175万人)で2028年、五輪を開催しようという声が高まってきたのだ。ウィンター・スポーツ国オーストリアで冬季五輪は過去2回(1964年と76年)、インスブルックで開催されたことがある。次はウィーンで冬季五輪大会を開催するのか、というとそうではない。夏季五輪大会を誘致するというのだ。アルプスの小国オーストリアでは過去、夏季五輪大会は開かれたことがない。

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▲ウィーン市庁舎前広場のスケート場(ウィーン市サイトから)

 ホイプル市長は18日、オーストリア五輪委員会のカール・シュトス会長と共に記者会見をし、2028年にウィーンで夏季五輪大会を誘致したい意向を表明した。同市長は「五輪大会を開催すれば、文化都市ウィーン市は世界のスポーツ都市として更に多くの人々を惹きつけることができる」という。市のイメージアップに五輪大会誘致が賢明というわけだ。もちろん、市民の意向が問題となるから、来月7日〜9日、住民投票で市民に問うという。

 ウィーン市は国際会議の開催には慣れているが、夏季五輪大会となれば、約1万5000人の選手が集まり、26競技が行われるから、選手収容所から専門会場まで多数の施設が必要だが、残念ながら五輪選手が使用できるスポーツ会場は市内には少ない。例えば、水泳競技だが、ウィーン市内には市民用プールがあるだけだ。昨年のロンドン夏季五輪大会で4位となったユキチ選手は練習用プールが無いので、市民用プールで子供達が泳ぐ側で練習しなければならなかったほどだ。そのようなインフラ状況で果たして五輪大会の花形競技の水泳大会を開催できるだろうか、という素朴な疑問が出てくる。もちろん、大会開催前に水泳プールを建設すればいいわけだが、スポーツ競技場を作るためには膨大な費用と土地が必要だ。

 ロンドン大会の総費用は約134億ユーロだったという。誘致費用だけでも8000万ユーロから1億ユーロになる。欧州全体が財政危機下にあるこの時、小国オーストリアの首都の財政にはかなり負担だが、ホイプル市長は真剣だ。記者会見では「誘致することを決めれば、必ず勝利できる」と自信を披露したほどだ。一方、シュトス会長は「2020年、24年の夏季五輪大会が欧州以外で開かれることになれば、ウィーン市もチャンスが出てくる」と、市長よりは少し現実的だ。
 ちなみに、オーストリアは最近、モーツアルトの生誕地ザルツブルク市が2度、冬季五輪開催地に立候補したが、いずれも惨敗した(「泣くな、ザルツブルクよ」2007年5月29日)。なお、ロンドン夏季五輪大会ではオーストリア選手たちは最後まで一つもメダルを取れなかった(「『ノー・メダル』預言は成就された」2012年8月12日)。
 19日付のオーストリア日刊紙エストライヒの世論調査によれば、冬季五輪大会誘致賛成は約86%、夏季五輪大会誘致支持は約35%に過ぎなかった。

昔は面白い法王が多数いた

 世界に約12億人の信者を誇るローマ・カトリック教会最高指導者、ローマ法王べネディクト16世が今月28日に退位すると、法王選出会(コンクラーベ)の準備が本格化する。世界から117人の枢機卿がローマに到着次第、開催する予定というから、3月15日前にもコンクラーベが開かれる可能性が高まった。

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▲前法王の列福式を宣伝するポスター(2011年4月23日、ローマで撮影)

 「誰が第266代目のローマ法王に選出されるか」で大量の予想記事が流れているが、未来を考える前に過去から学ぶ、というわけではないが、今回は2000年のキリスト教歴史の中で忘れられない法王を紹介したい。オーストリアの著名な歴史学者ゲオルグ・マルクス氏が日刊紙クリアで過去のローマ法王のプロフィールを書いていたので、それを参考にしながら報告する。
 現在ならばどうしてあの人がペテロの後継者に、というような人物が過去、ローマ法王として君臨している。多数の女性を囲み、贅沢三昧の自堕落法王が結構いる一方、このコラム欄でも紹介した在位33日間という「短命法王」から、殺害された法王まで、さまざまな法王がいた。

 先ず、自堕落な法王の代表はルネッサンス時代のアレクサンデル6世(在位1492年〜1503年)だろう。多数の女性を囲み、8人の子供を生み、生まれた息子にローマ法王の地位を世襲させている。北朝鮮の金世襲政権も顔負けするほどだ。フィレンツェの商人君主メディチ家出身のレオ10世(在位1513〜21年)は修道女マザー・テレサが謁見していたら卒倒するような華美な生活を送っていたことで有名だ。聖職者の独身制を懸命に主張するべネディクト16世がアレクサンデル6世と会見していたらどのような反応が飛び出しただろうか、想像するだけで興味深い。いずれにしても、中世時代の法王たちは内縁関係の女性を多数囲っていたことは良く知られている。とにかく、人間臭い法王が多
かった。

 ローマ法王に選出されたが、就任33日目で急死し、「短命法王」としてその名前を歴史に残した法王はヨハネ・パウロ1世(在位1978年8月26日〜同年9月28日)だ。昨年10月で同1世生誕100年を迎えたことから、イタリア北部の各地で記念行事やシンポジウムが開かれた。
 近代の教会史で最短命法王となったパウロ1世の急死については憶測が絶えない。バチカンは当時、パウロ1世の死因を「急性心筋梗塞」と発表したが、新法王がバチカン銀行の刷新を計画していたことから、イタリアのマフィアや銀行の改革を望まない一部の高位聖職者から暗殺されたという説が聞かれた。十分な死体検証も行われなかったことから、証拠隠滅という批判の声もあった。また、ベットで死んでいるパウロ1世を最初に見つけたのは修道女だったが、公式発表では個人秘書が発見したことになっている。

 一方、歴史学者から高い評価を受けているローマ法王といえば、第2バチカン公会議を招集したヨハネ23世と27年間の長期政権を誇ったヨハネ・パウロ2世だろう。ヨハネ23世(在位1958年10月〜63年6月)は1962年10月11日、ローマ・カトリック教会の近代化と刷新のため「第2バチカン公会議」を開催した法王として歴史に記録されている。昨年は、ラテン語礼拝の廃止、エキュメニズムの推進など教会の近代化を決定した公会議開催50周年を記念するイベントが世界各地で開催されたばかりだ(「第2バチカン公会議開催50周年」2012年10月3日)、「『1960年』は歴史の大転換期」2012年10月10日)。
 ヨハネ・パウロ2世については説明が要らないだろう。生来の外交センスを遺憾なく発揮して時代の寵児となった法王だ。ポーランド出身の法王は冷戦の終焉に大きく貢献した。ちなみに、ヨハネ・パウロ2世は新ミレニアムの2000年、キリスト教会の十字軍遠征やガリレオ・ガリレイの異端裁判などキリスト教の過去の蛮行に対して懺悔を表明している。

 次に、歴史的評価が定まっていない法王はピウス12世(在位1939−58年)だろう。ドイツ国家社会主義(ナチス)の推進した反ユダヤ主義政策を擁護した法王としてのイメージが強いからだ。それに対し、バチカン側は「ピウス12世は多くのユダヤ人を救済した」と反論し、同法王の名誉回復を進めてきた。
 ピウス12世の「ユダヤ人を見殺した法王」というイメージが定着した背景には、ドイツ人作家のロルフホーホフート氏が63年、「神の代理人」という戯曲の中で「恐怖に襲われ、ナチスを助けるローマ法王」と風刺したことが大きな影響を与えたといわれる。一度、烙印が押されると、それを払拭することは並大抵ではない。ピウス12世の場合も例外ではなかったわけだ。
 
 その他、異端者を組織的に殺害する「異端審問所」制度を確立したグレゴリウス9世(在位1227〜41年)、唯一の女性法王ヨハナがいる。ローマ法王はキリストの12使徒のひとりペテロの後継者ということもあって男性が就任してきたが、カトリック教会の歴史には女性がローマ法王に選出されたことがある。しかし、「女性法王」は歴史家たちから、「史実というより伝説」と受け取られている。「伝説」というのは、女性法王の存在を確認できる文献が少ない上、教会自体が女性法王の存在を隠蔽してきたからだ。(「女性ローマ法王ヨハナの伝説」2009年10月28日)。

 以上、簡単に紹介した。ローマ法王は一応、「ペテロの後継者」と呼ばれるが、実際は、アダム・エバの堕落後の「人類の代表」という印象が強い。高潔な聖職者から自堕落な人物まで、玉石混淆といった感じがするからだ。

ドイツ人法王が残した“大改革”

 ローマ法王べネディクト16世は今月28日、法王職を退位するが、同16世の法王退位表明はペテロの後継者として絶対的権威を有してきた「法王職」のカリスマ性を削除し、(法王職の)非神秘化をもたらす可能性がある。これは昨年12月末、べネディクト16世と同様、早期退位した英国国教会のローワン・ウィリアムズ前大主教(在位2002年〜12年)がバチカン放送とのインタビューの中で語ったものだ。

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▲今月末に退位するべネディクト16世(バチカン放送独語電子版から)

 前大主教は過去、ドイツ人法王と数回会見したが、「法王は今後も職務を継続すべきだろうかで内省していた」という。前大主教によれば、「法王の心には前法王ヨハネ・パウロ2世の最後まで職務を全うする姿があったが、死ぬ瞬間まで法王職を行使するより、教会のため潔く退位するほうが賢明ではないか、という考えがあったのではないか」という。

 ローマ・カトリック教会ではローマ法王は本来、終身制であり、絶対的な権威を有している。1870年には、第1バチカン公会議の教理に基づき、「法王の不可誤謬性」が教義となった。すなわち、ペテロの後継者ローマ法王の言動に誤りがあり得ないというのだ。「イエスの弟子ペテロを継承するカトリック教会こそが唯一、普遍のキリスト教会」という「教会論」と共に、「法王の不可誤謬性」は、カトリック教会を他のキリスト教会と区別する最大の拠り所だ。同時に、キリスト教の統一を妨げる最大の障害ともなってきた。世界的な神学者、ハンス・キュンク教授は1979年、「法王の不可誤謬説」を否定したたため、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世から聖職を剥奪されている。
 
 しかし、べネディクト16世の在位期間、「法王の不可誤謬性」は大きく震撼した。同16世は2009年、オーストリア教会リンツ教区のワーグナー神父を補佐司教に任命したが、教区内の反対を受けると、任命を取り下げた。「法王の任命権の絶対性」を法王自身が否定した。また、法王は同年1月、破門された故マルセル・ルフェーブル大司教が創設した「ピウス10世会」の4人の司教に対する「破門宣言撤回」教令を出したが、破門宣言が撤廃された4人の司教の一人、リチャード・ウイリアムソン司教がスウェーデンのテレビ・インタビューの中で、「ホロコーストのガス室は存在しない」と発言し、バチカンに大きなショックを与えた聖職者だった。ベネデイクト16世は同年3月10日、世界の司教たちへの書簡の中で「バチカンが間違い(破門撤回)を犯した」と認めている。
 べネディクト16世は在位8年間で少なくとも2度、その決定の誤りを認めている。法王自身が「法王の不可誤謬性」の教義に囚われていないわけだ。そして今回、健康を理由に法王の退位を表明することで、終身制の法王職への新しい解釈の道を開いたわけだ。

 “カトリック教理の番人”と呼ばれ、保守派法王といわれ続けてきたべネディクト16世は歴代法王がなすことができなかった法王職の刷新を実施したことになる。「法王の不可誤謬性」のドグマを無視すると共に、教会で神秘化されてきた「法王職」の見直しを退位表明を通じて提示したからだ(プロテスタント教会や正教会とのキリスト教の再統合への対話の道が開かれる)。

 べネディクト16世は、聖職者の性犯罪犠牲者の話を聞きながら、泣き出し、人選で過ちがあれば訂正した。そして、自身の法王職も健康問題で完全に履行できないと判明すると退位を表明した。ドイツ人の学者法王は8年間の在位期間で、27年間の長期政権を誇った前法王ヨハネ・パウロ2世にも劣らない功績を残したことになる。

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