ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2017年02月

「金正男暗殺事件」で裏切り者は誰?

 マレーシアのクアラルンプール国際空港での「金正男氏暗殺事件」は実行犯が逮捕され、犯行に使用された毒薬もほぼ解明された。そして同事件の背後に暗殺計画を立案した存在は北の対外工作機関「偵察総局」と見てほぼ間違いない。もちろん、金ファミリー関係者の暗殺では金正恩労働党委員長の承諾がなくては不可能だから、異母兄殺しの最終的責任は正恩氏にあることはいうまでもないだろう。

 ところで、日韓メディアを追っていると、正男氏を裏切り、そのフライト・スケジュールや動向を北側に流した人物について様々な憶測が流れている。「金正男氏暗殺事件」の焦点は、マレーシア警察の捜査当局から次第にメディア側の憶測へと移ってきた感がある。当然だ。北関連報道では憶測、推測こそ本来主流だからだ。北関連情報で「これこそ事実だ」と100%確信できる情報はほぼ皆無で、大部分は報道側の憶測、推測から成り立っているからだ。そして「最後の審判」は歴史に委ねられてきた。

 そこで当方もその憶測と推測レースに参戦して、「金正男氏暗殺事件」の裏切り者は誰かを読者と共に考えていきたい。正男氏暗殺を立案する側にとって、最初に求められる情報は正男氏の動向だ。マレーシアの場合、正男氏のフライト情報だ。正男氏はインターネットでマカオまでの飛行チケットを予約しただろう。日頃利用してきた信頼できる旅行会社の知人を通じて電話一本で済ませたかもしれない。正男氏がフェイスブック上で自身のフライト情報を書き入れていたという情報が流れている。それが事実とすれば、北側が正男氏の動向を容易にキャッチできるだろう。この場合、正男氏自身の責任が大きい。危機管理ゼロと酷評されたとしても致し方がないだろう。

 正男氏はさまざまなビジネスをしていたというからビジネスを通じて知り合った暗黒世界との繋がりも考えられる。正男氏との事業で大きな損失を受けたマフィアの逆襲だ。ただし、マフィアが正男氏の暗殺に使用された毒薬VXを入手できたとは考えにくい。国家レベルの組織と人材がなければVXを製造することは困難だからだ。使用者側に被害がなく、相手だけを殺害するというのは毒薬VXの製造の場合、高度な専門的な知識が不可欠となる。マフィアならマレーシアの正男氏が使うホテルを襲撃して、射殺する方が簡単だ。それとも、マファイが北側に正男氏の動向を売ったのかもしれない。

 マレーシアには北朝鮮系企業のMKPグループが存在し、その責任者ハン・フニル社長の名前もメディアに上がっている。正男氏をよく知り同社長が平壌に正男氏のフライト情報を流した、というシナリオだ。知人の裏切りの場合、正男氏を欧州で世話する人物(このコラム欄では“謎の人物”O氏と紹介済み)も十分考えられる。フニル社長もO氏の場合も事実ならば、文字通り裏切り者だ。その動機は自身と家族の安全保証、利益の確保などさまざまな思惑が絡んでくる。なんらかの報復といった性格も忘れてはならないだろう。

 ここにきて「愛人説」から「ボデイ―ガードの裏切り」まで、日本のメディアを飾っている。いずれも完全には無視できない。なんらかの行き違いや口が滑る、といった状況だって排除できない。ただし、マレーシア警察当局の情報によると、北側は犯行日(2月13日)の2週間から3週間前(1月下旬)に正男氏のフライト情報を獲得していたはずだ。

 最後に、中国工作員の関与だ。中国当局は正男氏暗殺直後、対北石炭輸入を年内中止すると表明し、中国側の正男氏暗殺への不快の意思表示をした。そのタイミングの良さを考えると、北京の発表を素直に受け入れることはできない。
 中国当局は金正恩氏といつまでも険悪関係を続けることはできない。正恩氏には北京側への不信が強い。そこで北京側は腰を上げて、正恩氏に和解へのシグナルとして正男氏のフライト情報を伝えたわけだ。例えば、マカオの正男氏の家族関係者は2月13日に父親の正男氏がマカオに戻ってくることを知っていたはずだ。正男氏のマカオ宅を盗聴する中国工作員は正男氏の家族関係者の会話からフライト情報を得ることもできる。

 以上、まとめてみる

 \誼忙瓩旅圓つけの旅行会社筋
 ▲侫Дぅ好屮奪を通じて
 マレーシア在中の北ビジネスマン
 げその謎の人物
 グ人
 Ε椒妊ーガード
 中国工作員の関与
 ┘泪オの正男氏宅の盗聴工作から

 もちろん、北側が自前の工作活動から正男氏の動向を掴んだ可能性も排除できない。その場合、裏切り者はいなかったということになる。いずれにしても、正男氏の動向を北側に提供した裏切り者がいたとすれば、彼は遅かれ早かれ金正恩氏から命が狙われるだろう。「裏切り者は必ず再び裏切る」ということを正恩氏は知っているはずだからだ。

「白旗」を掲げない金正恩氏への恐怖

 今月13日のマレーシアのクアラルンプール国際空港内の「金正男氏暗殺事件」が北朝鮮の最高指導者・金正恩労働党委員長の指令に基づく「国家テロ」の可能性がほぼ確実となったことを受け、日韓米、国連などは北朝鮮への制裁強化に乗り出す議論を開始している。

 北の指導者・金正恩委員長との直接会談で問題解決を図りたいと選挙戦で話していたトランプ米大統領は「許されない行為だ」と金正男暗殺事件を批判し、新大統領の口からはもはや金正恩氏との首脳会談云々の言葉は出てこなくなった。
 トランプ政権は、来月初めに開催予定の北との非公式協議に参加する北高官(北外務省の崔善姫北米局長)らへの旅券発給を拒否し、北との対話の窓を閉じたばかりだ。
 その一方、米議会を中心に北朝鮮のテロ支援国家再指定の動きが見られる。米政府は大韓航空機爆破事件(1987年)の翌年1月に北朝鮮をテロ支援国家に指定したが、2008年10月、北が核検証を受け入れたことから、解除した。マレーシアの「金正男氏暗殺事件」を受け、北のテロ支援国再指定の可能性が濃厚となってきている。

 日本は北朝鮮が5回目の核実験を実施した直後、追加制裁を実施中で、新たな制裁の余地は少なくなったが、「金正男氏暗殺事件」が北朝鮮の国家テロ事件である事実を世界に伝達して、対北制裁の世界的な結束を呼び掛けている。

 韓国は正男氏の暗殺事件をいち早く批判し、「可能な限りの制裁に乗り出す」と表明する一方、韓国軍は南北軍事境界線付近に設置されている拡声器で事件を北の国民に知らせ、金正恩政権の残虐な行為を批判している。
 韓国連合―ニュース(日本語版)によると、韓国の尹炳世外相は27日から28日にかけてスイス・ジュネーブで開かれる国連人権理事会とジュネーブ軍縮会議に出席し、北朝鮮の人権問題や化学兵器の脅威などを訴える意向だ。

 北朝鮮の唯一の友邦国・中国は金正男氏の暗殺が明らかになると、安保理決議に基づき北朝鮮からの石炭輸入を年末まで停止すると決定し、北の貴重な外貨獲得の道を閉ざす対応に乗り出した。もちろん、北の対中石炭輸出の制限は金正男氏暗殺前に既に決まっていたことで、中国の対北制裁の真剣さは依然、疑わしいが、国際社会の対北制裁強化に中国はもはや表立って反対はできない。

 ちなみに、今回の金正男氏暗殺事件の舞台となったマレーシアでは今回の正男氏暗殺事件が北の仕業と判明したことを受け、北との国交断交を断絶すべきだという声が高まっている。

 北は今月12日、国連安保理決議に反して中距離弾道ミサイル「北極星2」を発射した直後、今度はマレーシアで金正恩氏が異母兄正男氏を暗殺したわけで、正恩氏は国際社会の批判を無視して、やりたい放題の蛮行を繰り返してきた。正恩政権時代に入ってミサイル発射が繰り返され、3回の核実験が実施された。その度に、日米韓を中心として国際社会は対北制裁の強化を実施し、もはや追加制裁の余地も少なくなってきたことは事実だ。過去の制裁がその効果をもたらさなかった最大の主因は中国の制裁破りがあったことは周知の事実だ。

 米韓両国軍が来月から合同軍事演習を始める。北側は「わが国を侵略する目的だ」と激しく批判し、「あらゆる対抗処置を取る」と警告を発している。韓国軍の拡声器による北批判で北当局を激怒させている。一触即発の危険性は高まっている。

 なお、米ジョンズ・ホプキンズ大の米韓研究所は24日、北の北東部豊渓里にある核実験場で新たな核実験(6回目)の準備とみられる動きがあると公表したばかりだ。

 以上、金正男氏暗殺事件を契機として対北制裁の動きを紹介したが、北は国際社会制裁にどれほど耐えられるだろうか(中国が国際社会の対北制裁に参加し、その義務を忠実に実行するという前提)。

 北側の反応はどうか。考えられるシナリオは、)夙説、核兵器、弾道ミサイルなどを使用した大規模な紛争ぼっ発、⊆爆説、制裁下で国民生活は急速に悪化、国としての形を失い、大量の難民が中国に流れる、人民軍のクーデター説、な特翔端貮隊の北指導部への襲撃などだ。

 最後に、指導者・金正恩氏の出方を少し考えてみた。少々画一的な分類だが、織田信長型、豊臣秀吉型、そして徳川家康型の3パターンに分けてみた。

 /長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
 ⊇┻函嵬弔ぬなら鳴かせてみせようホトトギス」
 2塙「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」

 34歳の若い正恩氏は老獪な家康型になれないだろう。信長型か秀吉型か。当方は△茲蠅皚,塙佑┐襦7海了愼確呂詫イ譴討い覦貶、激怒に走るタイプだ。謀略を駆使する秀吉型ではなく、直行型で停滞すれば折れてしまう脆弱さも持っている。
 いずれにしても、正恩氏の終わりは平和なものではなく、暴発か自爆の選択を取る可能性が高い。白旗を揚げる可能性がない指導者、金正恩氏の場合、国際社会は最悪の結果を想定し、その対策に乗り出すべきだろう。

「金ファミリー情報」は最大タブー

 マレーシアのクアラルンプール国際空港内の「金正男暗殺事件」について、北朝鮮の国民はほとんど知らされていない。「金正男氏」の存在すら知らない国民が多い。ましてや、金正男氏が金正恩労働党委員長の異母兄に当たるという情報はまったく知らないだろう。北朝鮮の朝鮮中央通信(KCNA)は23日、正男氏暗殺事件を初めて報じたが、「わが共和国公民が飛行機搭乗前に突然ショック状態に陥り病院に移送される途中で死亡したことは、思いがけない不祥事としかいいようがない」と報じただけだ。正男氏の名前も親族関係である事実も何も言及していない。

 北朝鮮では故金日成主席、故金正日総書記、そして金正恩党委員長の3代の世襲国家だが、その金ファミリーに関する情報は最大のタブーと受け取られてきた。
 北の国営メディアも公式行事やイベントに出席する指導者の名前を公表するが、その家族構成や関係については報じない。それを知ろうとすれば、金ファミリーの動向を探るスパイと受け取られ、政治収容所送りか、悪くすれば処刑されるのがオチだ。北の国民はそれを知っているので金ファミリーについて敢えて知ろうとしない。

 ウィ―ンに本部を置く国際原子力機関(IAEA)で唯一の北朝鮮査察官だった金石季(キム・ソッケ)氏は「君、核問題については答えられる範囲、返答するが、金ファミリーについては質問しないでくれたまえ」と口癖に言っていた。同査察官は人民軍幹部出身のエリート層に入るが、金日成主席や金正日総書記については絶対に口にしてはならない点で他の国民とそう変わらないわけだ。

 北の特殊工作員が、1982年にソウルへ亡命した李韓永氏(故金正日総書記の元妻・成恵琳の実姉の息子)を暗殺した事件が1997年に起きた。李韓永氏が亡命後、金正日総書記とその家族構成などをメディアに流したことが平壌の怒りを買ったといわれた。すなわち、北の最大のタブーを破ったからだ。

 金正恩氏の生年月日も公表されることがないので、日韓米メディアは正恩氏の年齢一つにしても確信をもって報じられない。全ては「金ファミリーに関する情報」はタブーであり、公表してはならないという不文律があるからだ。それを犯す者は親族とはいえ、最大の刑罰が下される世界だ。

 それでは、なぜ「金ファミリーに関する情報」はタブーなのか。考えられる理由を羅列する。‘蛤杣圓硫搬欧琉汰瓦鮗蕕襪燭瓠↓金ファミリーの実生活が外部に漏れた場合、その格差に嫉妬したり、激怒する国民が出てくるのを防ぐため。反ウォール街運動、「われわれは99%」といった格差是正を求めた北版抗議運動を生み出す恐れがある、F蛤杣圓凌誓参修里燭瓠↓ご道觴匆颪棒犬る国民の不安などだ。

 なお、マレーシアの金正男氏暗殺事件が北の仕業と判明したことを受け、韓国軍は南北軍事境界線付近に設置されている拡声器で事件を北の国民に知らせ、金正恩政権の残虐な行為を批判しているが、北側の強い反発が予想される。

 興味深い点は、正男氏暗殺の実行犯として逮捕されたベトナム人女性がフィエスブックなどで職を探している時、北側のオファーが届いたと言われているが、北はネット情報にも小まめに目を通し、情報を収集していることが考えられる。
 世界はグローバル化し、特に情報世界のグローバル化は急速だが、北はその恩恵を受ける一方、「金ファミリーに関する情報」を含む国内情報の流通は厳しく制限している。「外の世界」と「内の世界」との情報の流通格差は益々拡大してきた。換言すれば、北は、情報のインプットとアウトプットが異常なまでにアンバランスな社会だ。

 金正恩氏は政権就任後、李雪主夫人(ファーストレディ―)と公式行事に顔を出す一方、政治イベントで自ら演説するなど、新しい世代の登場を世界に印象づけたが、その流れはここにきて停滞してきた。オープンな情報開示の世界は独裁政権とは相いれないことを正恩氏は理解し出したのだろう。「金ファミリーに関する情報」は金正恩氏時代に入ってもやはり最大のタブーだ。

北の化学兵器製造を助けた「国連」

 このコラムを当方の知人で昨年1月、急死したドイツの化学者、ヤン・ガヨフスキー(Jan Gajowski)博士を供養する意味で書き出した。ヤンさんは北朝鮮の化学物質の生産で国連専門機関、ウィーンに本部を置く国連工業開発機関(UNIDO)が機材や原料生産を支援していた事実を暴露し、警告を発した化学者だ。

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▲北朝鮮の化学工場の機材(2005年、ヤン・ガヨフスキー氏撮影)

 マレーシア警察は24日、金正男氏暗殺事件で猛毒の神経剤「VX」が使用されたことを明らかにした。北が化学兵器禁止条約(CWC)で使用、生産、保有を禁止する「VX」を使用して正男氏を暗殺したことが確認されたわけだ。

  韓国「聯合ニュース」(日本語版)によると、韓国軍当局は、「今回の事件を北朝鮮が生化学物質を武器として使用できるという意思と能力を見せた事例だ」と分析している。同当局によると、「北朝鮮がさまざまな種類の生物兵器を自家培養し、生産できる能力を備えており、2500〜5000トンの化学兵器を貯蔵している」という。ちなみに、化学兵器の保有量では、北朝鮮は米国、ロシアに次いで世界3位だ。

 話はヤンさんの証言に戻る。彼はUNIDOではモントリオール・プロジェクト(MP)を担当し、環境保全を推進し、加盟国にアドバイスし、汚染問題があれば、その改善策を提示していた。当方が彼と接触するきかっけとなったのは、北朝鮮のMPだった。彼は平壌を何度も訪問し、そこで環境保全、化学関連施設の安全性などについて北の専門家を教育していた。時には、北の化学工場を訪問し、その環境問題、毒性の強い残留性有機汚染物質(ダイオキシン類やDDTなど)の処理などについて助言してきた。

 北には少なくとも5カ所、化学兵器を製造する施設がある。中国が恐れているのは両国国境近くにある北の化学工場だ。2008年11月と09年2月の2度、中国の国境都市、丹東市でサリン(神経ガス)が検出されたという。中国側の調査の結果、中朝国境近くにある北の新義州化学繊維複合体(工場)から放出された可能性が高いというのだ。北の化学兵器管理が不十分だったり、事故が発生した場合、中国の国境都市が先ず大きな被害を受ける(「中朝国境都市にサリンの雨が降る」2013年5月31日参考)。
http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52034343.html
 当方は北朝鮮がUNIDOから不法な化学兵器製造用の原料、機材を入手していたという情報をヤンさんから聞いた。ヤンさんの説明によると、「北は4塩化炭素(CTC)がモントリオール議定書締結国の規制物質となっているため、その代替農薬生産のためUNIDOに支援を要請。それを受け、UNIDOは07年4月、CTCに代わる別の3種の殺虫剤を小規模生産できる関連機材購入のため入札を実施した。そして受注したエジプトの化学製造会社『Star Speciality Chemicals』が08年8月、有機リンとオキサゾール誘導体を製造できるリアクトルを北に輸出した。有機リンはサリン、タブン、ソマン、VX神経ガスと同一の化学グループに属する。北が入手した化学用反応器はカズサホス(Cadusafos)12トン、土壌殺菌剤ハイメキサゾール(Hymexazol)20トン、クロルピリホスメチル(C hlorpyrifos Methyl)16トンを年間製造できる能力を有する」という。

 北はUNIDOのモントリオール・プロジェクト(開始2003年、完了08年)を通じて化学兵器製造に転用できる機材を入手したわけだ。国連側は、国連の専門機関が対北安保理決議(1718)を破ったことが判明すれば、国連全体のイメージ悪化に繋がるとして、もみ消しに腐心した。国連関係者は、「UNIDOが提供した機材は対北安保理制裁リストには入っていない」という理由で、UNIDOの制裁違反を否定したが、ヤンさんは当時、「詭弁に過ぎない。化学者ならば、UNIDOが提供した機材で北が神経ガスを製造できることは明確だ」と指摘、国連関係者の責任回避を珍しく激しく批判していたことを思いだす。

 ところで、化学兵器だけではない。北の核兵器開発には核エネルギーの平和利用を奨励する国際原子力機関(IAEA)が間接的だが支援してきたことを補足する。ウィーンにはIAEAの本部があるが、そこに査察官としてほぼ10年間勤務していた北核専門家がいた。金石季(キム・ソッケ)氏だ。金査察官は05年5月に帰国した。それ以後、IAEAには北出身の査察官はいない。金氏は最初で最後の北出身のIAEA査察官だった。北の核開発問題が大きなテーマとなっていた時、そのIAEAの懐に北の核専門家が勤務していたことはメディアでは余り知られていない。

 当方は同査察官とは結構面識を深めることが出来た。同査察官は北人民軍幹部ファミリーの出身者だった。IAEA査察官としてパキスタンや西側諸国の最新型原発を査察できる立場にあった。カナダ型最新軽水炉についても「知っているよ」と述べていたほどだ。北の核開発を支援したのはパキスタンの原爆の父、アブドル・カディル・カーン博士だけではない。IAEAにとって不本意だろうが、北の開発を間接的に支援してきたのだ。

 ちなみに、国連事務局がこのほど発表した資料によると、北朝鮮の2017年度分担金は12万6114ドルで、国連の予算全体の約0.005%だ。北は0・005%の分担金を払い、その数倍の利益を得てきたことになる。ヤンさんの証言は、世界の平和実現と紛争解決を標榜する国連への深刻な警告だ。

金正恩氏の「正男暗殺」演出は頓挫

 韓国「聯合ニュース」は23日、 北朝鮮の「朝鮮中央通信」(KCNA)が同日、朝鮮法律家委員会報道官の談話として初めてマレーシアの金正男暗殺事件について報じたという。それによると、正男氏暗殺の背後に北朝鮮がいるという非難に対し、「韓国が台本を書いた陰謀」と反論した。記事では「金正男」の名前には触れていない。

 当方は北側の「韓国が書いた台本」という表現に興味をそそられた。すなわち、北側は全ての出来事を何らかの劇の演出と受け取り、マレーシアの「正男氏暗殺事件」は韓国が書いた一場の演劇(台本)と指摘し、批判しているわけだ。

 劇である以上、実際の人生とは一線を引く。北の独裁者は国家の運命も人間の一生も一種の演劇と考え、演出とプロットが不可欠と考えてきたはずだ。北の場合、金ファミリーが常に劇の演出家の役割を果たしてきた。金正恩氏の父親、故金正日総書記の権力掌握術にはその傾向が強かった。もちろん、その劇のプロットに従って踊らされる国民は堪ったものではない。

 演出家は観衆が喜ぶ劇を演出しようと腐心する。演劇の世界が実生活とかけ離れていればいるほど観衆は劇に没頭できる。だから、サプライズは不可欠な要素となる。日常生活の思考の延長では、観衆は退屈してしまうからだ。劇場のオーナーであり、演出家の北の独裁者は常に世界を驚かせなければならない使命を負っているわけだ。

 マレーシアの「正男氏暗殺事件」は2人の外国人女性を登場させる一方、銃やナイフではなく毒物を使用して正男氏を暗殺するプロットを考えた。劇の舞台はクアラルンプール国際空港という華やかな書割を利用した。

 その結果はどうだったか。残念ながら金正恩演出のマレーシアの「正男氏暗殺」劇は駄作に終わった。“塙團掘璽鵑鮓届けた4人の北の工作員は舞台から去ったが、5人の北容疑者の名前と顔が明らかになった、■運佑遼未陵撞深圓逮捕され、駐マレーシアの北大使館外交官の関与も暴露された、事件の実行犯、2人の異国女性が逮捕された、だ誼忙瓩魄纏Δ靴燭、国際社会に「北の犯罪」と明らかにしてしまった。良好な関係だったマレーシアとの外交関係の険悪化も必至だ。

 独裁者も人間である以上、多くの国民を処刑したり、ましてや親族関係者を粛正した場合、良心の呵責を覚えるものだが、北の独裁者にはその形跡が見られない。その最大の理由は、彼らが人生を一場の演劇と受け取り、その演出に没頭し、舞台で演じる俳優たちの個々の運命にはまったく関心がないからだ。

 マレーシアの「金正男氏暗殺事件」は世界を驚かせた。捜査の進展によって、暗殺劇の台本を書いた脚本家はどうやら金正恩氏だということが分かってきた。大韓航空機爆発テロ事件(1987年11月29日)の台本を書いた故金正日総書記(当時労働党書記)は最後まで犯行を否定し、「韓国の自作自演」と言い張った。同じように、その息子・金正恩氏も自身が書いた台本「正男氏暗殺」劇が終幕を迎え、劇が駄作だったと分かると、「劇の台本を書いたのは自分ではない」というだろう。残念ながら、北ではゴーストライターは存在しないのだ。

「金正男氏の遺体」論争と偽名の生涯

 マレーシア警察は22日、金正男氏暗殺事件後、北朝鮮に帰国した4人のほか、3人の北関係者を追ってきたが、そのうち2人の身元が判明したと発表した。1人は駐マレーシアの北朝鮮大使館所属のヒョン・クァンソン2等書記官(44)、もう一人は高麗航空のキム・ウクイル職員(37)だ。「正男氏暗殺事件」に北関係者が関与していたことが判明したことで、事件は北の仕業であることが確認された。

 それにしても、暗殺工作で犯行現場の駐在外交官を動員したやり方は、事件が判明すれば駐在国との関係が険悪化する危険性を無視した最悪の選択だ。北はそれを知りながら現地駐在外交官を正男氏暗殺に駆り出したことになる。これは暗殺計画が短期間に実行に移されたことを強く示唆している。

 ところで、「正男氏暗殺事件」で理解に苦しむ点は少なくないが、その一つは駐マレーシアの康哲(カン・チョル)北朝鮮大使が「キム・チョル」の遺体を焦るように返還要求してきたことだ。今回は“正男氏の遺体”争いに絞って書いていく。

 北側の立場は、殺害された人物が所持していた「キム・チョル」という旅券名から「彼は北の国民であり、メディアが報じる金正男氏ではない」として、遺体を早急に北側に戻せ、というものだ。

 一方、マレーシア捜査当局は「遺体の身元確認が取れていない段階で北側には渡せない。身元が確認され次第、その遺族関係者に遺体を引き渡す」と基本的な立場を説明した。同国の保健当局は21日、記者会見で「遺体の身元を確認中」と発表し、確認が取れていないことを明らかにしたばかりだ。

 マレーシア当局が遺体を速やかに北側に渡さないことから、康哲大使は20日、激怒し、「マレーシア警察の捜査結果は信用できない。外国勢力と連携を取って北側を貶めようとしている」とメディア関係者の前でマレーシア政府を批判。それに対し、マレーシア側も「わが国を侮辱することは許さない」と反論する一方、駐北朝鮮のマレーシア大使を召還したばかりだ。マレーシアは本来、北朝鮮とは友好的な数少ない国だが、正男氏暗殺事件を契機に両国関係は急速に険悪化してきている。

 金正男氏は生前、身辺の安全から「キム・チョル」という偽名の旅券を利用していたが、遺体となった今日、その偽名が皮肉にも身元確認の障害となっている面もある。21日現在、マレーシア警察によると、「遺体の引き渡しを要求してきた遺族はいない」という。

 遺体に関する紛争は珍しいことではない。歴史的人物の中には遺体の場所すら分からない人物がいる。例えば、イスラエル人60万人をエジプトから率いて福地カナンへ向かったユダヤ人指導者モーセの墓は不明だ。そしてユダヤ人に十字架にかけられ処刑されたイエス・キリストの墓も同様だ。最近では、アドルフ・ヒトラーの墓も埋葬場所を誰も知らない、といった具合だ。こうした歴史上の人物にも“遺体争い”があったのかもしれない。その意味から“正男氏の遺体争い”は珍しいことではない。

 話を正男氏の遺体問題に戻す。北側が遺体をキム・チョルとして遺体返還を要求する背景には、早急に「正男氏暗殺事件」の幕を引きたいという強い意向があるからだろう。正男氏暗殺が「北側の仕業」と国際社会が騒ぎ出す前に事態の鎮静化を図りたかったはずだ。だから、康哲大使が何度も病院や遺体保管所に足を運び、遺体の引き取りをマレーシア側に要求してきた。

 もちろん、それだけではないだろう。正男氏の所持品、例えば、クレジットカードなどを手に入れたいだろうし、スマートフォンを入手したいはずだ。正男氏が接触していた北側人物の電話番号が入手できれば、大きな収穫となる。ひょっとしたら、銀行口座番号を得て、正男氏の個人資産の行方に関する情報が入手できるかもしれない。そのためにも、正男氏の遺体を早く引き取りたいのだ。

 北側の狙いを阻止し、正男氏の身元を確認できるのは息子のキム・ハンソル君ら家族関係者しかいない。ハンソル君は危険だろうが、マレーシア入りして父親の遺体と対面し、確認する必要がある。

 正男氏は2001年5月、ドミニカ共和国の偽造旅券で日本を訪問し、ディズニーランドを訪問しようとしたことがあった。スイスのインターナショナルスクール留学時代やマカオの生活も偽名で生きてきた。常に身元を隠す生涯だった。そして暗殺された後、今度は遺体の身元争いが生じている。正男氏は本名で堂々と生きることができずに終わった。45年間の同氏の短い生涯は憐れみを誘う。

金ハンソル君は北のハムレット?

 マレーシアのクアラルンプール国際空港で暗殺された金正男氏(45)の身元確認のため、その息子金ハンソル君(21)が20日夜(現地時間)、マレーシア入りし、遺体の確認を行ったという情報が流れているが、日本時間21日午後6時現在、未確認だ。
 マレーシア側としては遺体が金正男氏であることを確認するために家族のハンソル君にDNAサンプルの提供を要請してきた。北朝鮮側は遺体が金チョルという旅券を所有していたことから、正男氏ではないと主張し、遺体の早急な引き渡しを強く要求している。ハンソル君が遺体が父親正男氏であることを確認すれば、北側の主張は崩れる一方、暗殺の背後に北側の暗躍があったことが更に明らかになる。

 マレーシアからのこのニュースを読んで、正男氏の遺体と対面するハンソル君の心情を考えた。父親が北の工作員によって暗殺されたという事実はハンソル君に大きなショックを与えることは間違いないだろう。それだけだろうか。

 ハンソル君について少し紹介する。同君の名前がメディアで初めて報道されたのは16歳の時だった。ハンソル君は2011年9月、ボスニア・ヘルツェゴビナ南部モスタルのインターナショナル・スクール(ユナイテッド・ワールド・カレッジ・モスタル分校)に留学した。正男氏の息子がウィーンから遠くないボスニアの国際学校に通うということを聞いて、当方も驚いたものだ。欧州居住の金正男氏の母親(故成恵琳)親族関係者は、「ビザの発給は期待できないだろう」と述べ、ボスニア留学が実現しないと悲観的に語っていたほどだ(「ハンソル君のボスニア入りを追う」2011年10月14日参考)。知人の北外交官によると、同君のお世話は駐オーストリアの北大使館ではなく、駐セルビアのベオグラードの北外交官が担当すると語っていたのを覚えている。正男氏の家族がまだ安全で自由に移動できた時代だ。

 ハンソル君はモスタルの学校を卒業後、13年にパリ政治学院に入学、そこを卒業後、昨年9月から英国のオックスフォード大学大学院に入学する予定だったという。ところが、英日曜紙メール・オン・サンデー(電子版今月18日)によると、「ハンソル君は中国治安関係者から、暗殺の危険性があるためマカオに留まるように」と説得されたという。そのため、オックスフォード大学大学院への進学を断念したというのだ。

 ところで、中国治安関係者は金正男氏とその家族を本当に守る気があったのだろうか。中国側はマレーシアの空港の暗殺計画をなぜ阻止できなかったのか。正男氏がマレーシアの国際空港で暗殺された時、中国治安関係者はどこにいたのか。
 中国側は正男氏家族関係者を北の金正恩政権との取引材料に利用しているだけだ。正恩氏との関係が良好化すれば、正男氏家族は即平壌に引き渡されただろうし、北との関係改善が必要となれば、今回のように暗殺計画も黙認する。
 
 中国治安関係者は「英留学は危険だ」というが、オックスフォード大学周辺はマカオより治安が悪いのか。多種多様の国籍者が自由に行き来し、北側の工作員も出入りするマカオと、オックスフォード周辺の治安では後者が安全であると言わざるを得ない。

 脱北者で英国在留の金主日氏(Kim Joo Il)は元北朝鮮人民軍第5部隊の小隊指揮官の時(2005年8月)脱北した。同氏は今日、英ロンドンのニューモルデン(New Malden)に住み、「Free NK News Paper」を創設して、母国・北朝鮮の民主化のために戦っている。同氏は2013年5月、英国の永住権を獲得、現在は人権と民主主義のための「国際脱北者協会」(INKAHRD)の事務局長を務めている。同氏によると、「欧州には現在約1200人の脱北者が暮らしている。英国には約700人の脱北者が生きている。脱北者の数では英国は韓国に次いで多い」というのだ(「脱北者が英国に亡命する理由」2016年6月7日参考)。

 金主日氏の証言は何を物語っているのか。金主日氏は当方との会見の中で、「英国は政治的、社会的に民主主義の価値が完全に定着し、人権も守られている国だ。その上、英国は米国、韓国、日本とは違い、北の直接の敵ではないので、北当局も英国に逃げた脱北者の親族関係者に対してはかなり寛容だ」と述べた。金主日氏の証言は中国側の主張の根拠を崩す。「韓国に次いで英国は脱北者が多い」という事実は、脱北者の安全状況がマカオよりいいことを物語っているからだ。

 それでは、なぜ中国側はマカオ滞在に拘るのか。脱北者が多い英国にハンソル君が留学すれば、同君がある日、脱北を決意し、北の民主化運動に立ち上がるかもしれないからだ。すなわち、中国治安関係者が「英滞在は危ない」と警告する本当の狙いは、正男氏とその家族を中国の管理下に置き、いつでも利用できる状況を維持したいだけだ。
 ちなみに、ハンソル君が北京側の説得を受け入れ、マカオに留まるのを決意したのは、安全問題というより、財政的問題があったからではないかと推測する。

 ハンソル君はボスニア、パリの大学時代を経て、一人前の大学生に成長した。同君は近い将来、父親正男氏以上に政治発言をする可能性がある。そうなれば平壌を困惑させることは必至だ。だから、北側の暗殺を警戒するというより、ハンソル君を北京の管理下に置き、口を塞ぎたい、というのが北京政府の本音とみて間違いないだろう。

 ウィリアム・シェイクスピアの戯曲「ハムレット」の話に入る。父親を殺されたデンマークの王子ハムレットは父親殺しが誰かを教えられ、報復する話だ。ハンソル君は父親の遺体に対面し、父親の前で報復を誓うかもしれない。聡明で若いハンソル君は北のハムレットとなって立ち上がるかもしれない。中国当局は、ハンソル君が北版ハムレットとなることを可能な限り防ぎたいだろう。

 なお、中国当局とは別の意味から、当方はハンソル君が北のハムレットとなることを願っていない。ハンソル君の前には南北再統一という民族の課題が残されている。新しい世代のハンソル君にはハムレットではなく、南北再統一の実現のために貢献して頂きたいと思うからだ。

「正男暗殺」の次は「正恩暗殺」?

 金正男氏の暗殺事件を捜査中のマレーシア警察当局は19日、事件発生後、初めて記者会見を開き、これまでの捜査結果などについて発表した。その情報をもとに、「正男氏暗殺事件」の時間的推移を再現してみた。

 マレーシア警察の発表から「正男氏暗殺事件」が北朝鮮の対外工作機関「偵察総局」が主導した犯罪だったことがほぼ確認できた。そこで発表されたデーターから事件がどのように実行に移されていったかを考える。

 先ず、偵察総局から最初にマレーシア入りした人物は32歳のホン・ソンハク容疑者で、先月31日に入国した。この事実は、北側が正男氏のマカオ帰国の飛行機便の日時(今月13日)を先月下旬ごろ、入手していたことを示唆している。金正恩朝鮮労働党委員長の父・故金正日党総書記の誕生日(2月16日)が近かったことから、正男氏の暗殺計画がその日に合わせて実行された可能性も排除できなくなる。

 ホン容疑者の後、3人の容疑者が次々とマレーシア入りした。先ず、リ・ジェナム容疑者(57)が今月1日に、同月4日にリ・ジヒョン容疑者、そして最後にオ・ジョンギル容疑者(54)が入国した。このマレーシア入りの順序から判断すると、ホン容疑者が正男氏マカオ帰国情報の信頼性をチェックした後、その直接責任者のリ・ジェナム容疑者がマレーシア入り。そして正男氏のマカオ帰国日程が信頼できるとして「正男氏暗殺計画」の許可を金正恩氏に求めた。そしてOKが出たことを伝えるためにマレーシア入りした3人の容疑者に伝えたのがオ容疑者だったはずだ。すなわち、先月下旬に正男氏マカオ帰国日程を入手し、今月7日、金正恩委員長から暗殺許可が出るまで1週間余りの時間しか経過していないわけだ。

 不明な点は、正男氏を実際暗殺したベトナム人とインドネシア人の国籍を有する2人の女性の動向だ。2人はそれぞれ今月2日と4日に旅行目的でマレーシア入りした。その2人が4人の北工作員と接触したのは遅くとも今月10日前後と予想できる。2人の女性の証言によれば、13日の実行日の前日、クアラルンプール国際空港内でリハーサルを実施したという。一部の情報では、女性はマレーシア入り前に北側から既に何らかのオファー(香水の広告ビデオ撮り)を受けていたという。これが事実とすれば、北の正男氏暗殺計画が1月末から2月初めには既に準備されていた、ということになる。

 暗殺は毒物によるものだった。その毒物の準備や4人の北容疑者の宿泊地などを手配していたのが、17日夜逮捕された最初の北国籍容疑者、リ・ジョンチョル容疑者(46)だろう。犯行後、4人は即出国したが、リ容疑者はマレーシアに家庭を持っていることもあって留まった(北は不法工作活動に現地駐在の同国人を動員したわけだ)。

 事件の推移で不明な点は、4人の北容疑者と2人の女性との最初の接触だ。さまざまな証言が出ているが、誰が異国の2人の女性を正男氏暗殺の実行犯にする計画を立案したのか。正男氏マカオ帰国情報から暗殺方法、2人の女性の関与など誰が計画したのか。逮捕された唯一の北のリ・ジョンチョル容疑者から聞き出す以外に、もはやその答えを得る道がない。

 次に、北に帰国したという4人の工作員の運命だ。北側は「正男氏暗殺事件」の実行犯だという国際社会の批判に対し当然否定するだろう。そうなれば、北に帰国した4人の容疑者は遅かれ早かれ処刑される運命にある。金正恩氏の親族暗殺者が国内にいるという状況は正恩氏にとって快いものではない。国際社会の追及が激しくなる前に4人を何らかの理由で処刑するとみて間違いない。

 ところで、4人の容疑者は13日、マレーシアを出国し、3カ国経由で17日ごろ平壌に帰国済みというが、誰が確認したのか。ドバイから突然北京に入っているかもしれないし、ウラジオストックから平壌ではなく、第3国に渡っているかもしれないのだ。

 マレーシアの「正男氏暗殺」計画は北側の工作活動としては余りにも杜撰だった。。疑佑遼麺撞深圓量樵阿抜蕕明らかになってしまった、■運佑遼未陵撞深圓逮捕された、2人の異国女性の動向が予想できない。捜査次第では大きな爆弾が破裂するような内容が飛び出すかもしれない。正男氏を暗殺したが、国際社会に「北の犯罪」を改めて鮮明に明らかにしてしまった。その上、これまで良好な関係だったマレーシアとの外交関係が今回の事件で険悪化するかもしれない(マレーシア外務省は20日、駐北朝鮮大使を召還すると表明)。

 金正恩氏は叔父・張成沢氏を処刑し、今度は異母兄・金正男氏を暗殺した。正恩氏の権力基盤が一層安定するだろうという予想は残念ながら当たっていない。「金正男氏暗殺」の次は「金正恩氏暗殺」という声が出てくるからだ。

 当方は「米中特殊部隊の『金正恩暗殺』争い」(2016年4月6日参考)を書いたが、金正恩氏も自身の名が暗殺リストのトップにあることをくれぐれも忘れてはならない。実際、韓国の聯合ニュースは昨年6月17日、金正恩氏の死亡ニュースを流したことがある(「金正恩氏が何度も死亡する理由」2016年6月21日参考)。

北の海外駐在者はなぜ痩せるか?

 「金正男氏暗殺事件」が報道されて以来、暗殺された正男氏を改革派、開国派と見なし、北朝鮮最高指導者・金正恩朝鮮労働党委員長をその改革を阻止し、粛清を繰り返す凶悪な独裁者という色分けで報道する傾向が見られる。多分、簡単にいえば、その区分けは大きくは間違っていないのだろうが、金正男氏(45)は決して改革派の英雄でもないし、正恩氏の「新年の辞」を読めば分かるように、彼も「国民生活の向上」を忘れているわけではない。ただし、34歳の正恩氏の「国民」が貧困下に喘ぐ路上の通常の国民ではなく、かなり抽象的な主体国家の「人民」という概念が強いのではないか。

 韓国「聯合ニュース」(日本語版)は19日、正男氏暗殺の主犯と受け取られている北国籍のリ・ジョンチョル容疑者(46)がマレーシア警察に逮捕され、連行される写真を掲載していた。リ容疑者の目は異様に攻撃的な光を放っていたが、かなり小柄の人物だ。マレーシア市内のマンションに住んでいるリ容疑者は通常の北国民とは違い、特権階級に属する人間の一人だろう。同氏が対外工作機関「偵察総局」に所属し、正男氏を暗殺した主犯ではないかと受け取られている。

 「正男氏暗殺事件」の全容解明まで時間がかかるだろう。そこで当方が欧州で目撃してきた北の特権階級の面々のプロファイールを読者に紹介する。北の特権階級がなぜ痩せて、病持ちが多いかを理解していただけると思う。

 北朝鮮ナンバー2の金永南最高人民会常任委員会委員長の末息子、金東浩氏は長身だが、やはりマレーシア警察に逮捕されたリ容疑者のようにかなり痩せていた(「北で粛清されない『男』の生き方」2013年12月20日参考)。北の大聖銀行から出向していたホ・ヨンホ氏はロンドン留学で経済学を学んだ若手エコノミストだった。北の対オーストリア債務返済を担当して活発に動いていたが、ある日、「投機に失敗した」との理由で帰国の指令を受けた。ホ氏とビジネスをしていたオーストリア人によると、「彼は処刑された」という、同氏はリ容疑者と同様、小柄で痩せていた。

 ホ氏がウィーン市内のアジア食品店で「3色団子」を買っていた時、当方は偶然出くわした。ホ氏はなぜか「まずい時、まずい人間に会った」といった顔をしながら、会計を早く済ませて出ていった。店の前には同氏の公用車ベンツが停まっていた。
 ホ氏は北の国民の生活を知っているから、アジア食品店で(多分、北としては贅沢な)3色団子を買っている場面を(北から見れば)批判的なジャーナリストの当方に見られたくなかったのだろう、と推測している。

 ホ氏のことを書くと、同じ北のエコノミスト、金正宇(キム・ジョンウ)氏のことを思いだす。同氏は1990年代、羅津・先鋒自由経済貿易地帯を西側企業に紹介してきた北の代表的“エコノミスト”だ。その言動は北高官によくみられるぎこちなさはなく、自由だった。主体思想を“国是”とする北の国民経済は破綻したと発言して憚らなかったが、数年後、金正宇氏が自宅に数10万ドルを隠していたという汚職容疑で拘束され、処刑されたというニュースが流れてきた(「北朝鮮“エコノミスト”金正宇氏に囁き」2006年8月27日参考)。

 当方が面識ある北関係者の中で最も痩せて小柄な人物はといえば、尹浩鎮(ユン・ホジン)氏だ。尹氏は核専門家だ。国際原子力機関(IAEA)担当参事官を長く務めてきた外交官だ。ウィーンを拠点にドイツなど欧州各地で核開発に必要な機材、器具を購入してきた。その後、尹氏は南川江貿易会社(ナムチョンガン、原子力総局の傘下企業で核関連機材の調達会社)の責任者となった。ドイツ企業からウラン濃縮施設で使用する遠心分離機用のアルミニウム管を密輸入しようとしたが、発覚して失敗したことがある。国連安保理の対北制裁(昨年7月)の個人制裁対象者の5人の中に入っている。同氏は小柄だが、自国の核問題を擁護する時には声を張り上げて説明したものだ。

 面白いところでは、権栄緑(クォン・ヨンロク)氏がいる。金ファミリーへの調達品を工面する責任者だった。ドイツから高級車ベンツ、イタリアのヨットなどを故金正日総書記ファミリーのために調達する仕事だった。ヨット購入では事前に発覚し、オーストリア検察庁から安保理決議1718号を無視し、外国貿易法に違反したとして起訴された。ちなみに、権氏のウィーン市14区にあったアパートを訪問した時、権氏が赤いガウンを着て出てきた時はちょっとびっくりした。そこには同氏の身辺をお世話する若い女性が住んでいた。

 ホ氏や金正宇氏、そしてリ容疑者は特権階級に属するが、多分中級レベルの特権階級だったとすれば、張雄(チャン・ウン)氏や駐オーストリアの金光燮(キム・グァンソプ)大使らは海外駐在の北関係者ではトップ級の特権階級に属する。
 バスケットボールのナショナル選手だった張氏は2メーター以上の長身だ。張雄氏は2015年8月24日、ブルガリアの第2都市プロヴディフ市で開催された国際テコンドー連盟(ITF)総会の次期総裁選で13年間務めてきたITF会長ポストをリ・ヨンソン師範(Ri Yong Son)に譲り、自身は名誉総裁となったばかりだ。張氏は現在、国際オリンピック委員会(IOC)委員という肩書だけだ。
 同氏は現在、札幌で開催中の冬季アジア大会に北の責任者の一人として参加している。彼はIOCメンバーとして世界を自由に飛び、息子のためにスイスのローザンヌのIOC本部の職員の仕事を得るなどの特権を行使してきた。同氏の口癖は「自分はスポーツ問題には答えるが、政治問題には全く関心がない」ということだ(「北の多彩な外交官、張雄氏の“苦悩”」2015年11月6日参考)。

 駐オーストリアの金光燮大使についてはこのコラム欄で何度も書いてきた。故金日成主席の娘の婿になった外交官だ。それだけに、平壌の中央政界の動向に神経を使わざるを得ない。同大使は今年3月で既に24年間、オーストリアに駐在している。最長駐在外国大使の栄光を受けているが、換言すれば、駐チェコの金平一大使(故金日成主席と金聖愛夫人との間の長男)と同様、母国に帰り、ポストを手にする可能性がないからだ。金正恩氏が政権にいる限り、2人の北大使は海外に駐在し続けなければならない宿命があるわけだ。金正男氏の暗殺事件は決して他人事と傍観しているわけにはいかない立場だ。

 トップの特権階級に属する海外駐在北朝鮮関係者には病持ちが少なくない。例えば、張氏は心臓病に、金光燮大使は脊髄の疾患に悩まされている。北の政治に深く関わればそれだけ病に悩まされるわけだ。
 参考までに、「中国と北と正男氏を繋ぐ“謎の人物”」(2017年2月18日参考)の“謎の人物”も痩せている。胃腸が弱く、薬を常に飲んでいた。北の中堅エリートはその職務でストレスに陥り、痩せる一方、トップ級の北関係者は病に罹るわけだ。

 以上、海外駐在の北の特権階級の面々を簡単に紹介した。これを読めば、誰が北の特権階級に入りたいと思うだろうか。暗殺された正男氏もそれを知っていたから平壌の中央政界からは常に距離を置いていたのだろう。

「正男氏暗殺」は余りにもズサン!

 マレーシアからの情報によると、「金正男氏暗殺事件」を捜査中の現地の警察当局が18日、北朝鮮の旅券を所持する46歳の容疑者(リ・ジョンチョル)を逮捕したと発表した。犯行が北の仕業の可能性が濃厚となってきた。同時に、その結論が正しいとすれば、北朝鮮の工作活動も変わった、といわざる得ない。

 拘束された北旅券の持ち主はマレーシアでの労働ビザを所有していたという。その人物が正男氏暗殺に係っていたことになる。こんなズサンな暗殺計画はない。その人物が数日後、逮捕されたとしても不思議ではない。

 それに先立ち、ベトナム人とインドネシア人の旅券を有する2人の女性が逮捕されたが、女性の動向はどう見ても北の訓練された工作員とは程遠い。犯行後も現場に数日間留まり、警察当局に逮捕されたベトナム女性は暗殺した男性が金正男氏だったと聞いても、「金正男氏は誰?」と聞いてきたという。こんな暗殺計画があるだろうか。これでは殺された正男氏は浮かばれない。

 マレーシアの「金正男氏暗殺事件」の背後で北朝鮮の対外工作機関「偵察総局」が暗躍していた可能性があるという。正男氏の暗殺が報じられた直後から日韓メディアは「北側の仕業」と受け取ってきた。実証はなかったが、正男氏の動向を知っている韓国や日本の北朝鮮ウォッチャーは「北の犯行」とみていた。もちろん、それなりの理由はある。

 殺人事件が発生した場合、捜査当局は通常、犠牲者の死で誰が最も利益を得るかを考えるものだ。正男氏の場合、異母弟の北朝鮮最高指導者金正恩氏の名前が直ぐに浮かび上がってくる。北側は過去、数回、正男氏の暗殺を計画してきたし、正男氏自身も生前、「弟は自分を殺そうとしている」と語っていたという。その意味で、捜査当局が「この暗殺は北側の仕業」と受け取ったとしても不思議ではない。

 興味深い点は、北の偵察総局が正男氏の暗殺に関与していたとすれば、その暗殺のやり方はこれまでの方法とは明らかに違うことだ。具体的にいえば、^杞颪裡何佑僚性を正男氏暗殺目的のために雇った、逮捕された北旅券を有する容疑者はマレーシアで労働ビザも所持していた―ことだ。

 北は過去、外国から拉致した人物を言語や文化の教育担当係にし、自国のスパイや工作員を徹底的に教育した。犯行する国で正式に労働ビザを登録した北朝鮮人工作員(外交官、ビジネスマン)を不法工作には使わないし、異国のキラーを雇うことはなかった。

 大韓航空機爆発テロ事件の実行犯で生き延びた北の女性工作員・金賢姫の証言を読めば、北が完全なスパイ工作員育成プログラムを有していることが分かる。その北が今回、自国工作員ではなく、金で雇ったキラーにその暗殺をやらせ、その犯行後の逃亡方法などを緊密に検討した形跡が見られない。そもそも、多くの旅客が集まり、監視カメラが至る所に設置されているクアラルンプール国際空港内で暗殺を実行することは余りにも冒険的だ(「『正男氏暗殺』の主犯は本当に北側か」2017年2月17日参考)。

 考えられるシナリオは、北側は、金正男氏がマカオに戻るという情報を犯行数日前に入手したため、準備時間がなかったが、平壌の指令で慌てて暗殺を実行に移したのかもしれない。

 以下は当方の推測だが、北は今後、日本や海外で日本人を拉致し、スパイ・工作員の教育係にするといったやり方から決別するのではないか。その代わり、緊急の場合は異国人キラーを動員し、長期的には2重国籍所有者を増加させ、異国で不法工作を実施していくのではないか。オーストリアでも北朝鮮人のオーストリア国籍所有者が既にいることはこのコラム欄でも紹介済みだ。オーストリアの国籍を獲得した北朝鮮女性は自由に欧州域内を移動できるし、韓国だけではなく、国交関係のない日本にも自由に訪問できる。工作が暗礁に乗り上げたとしてもダメージは少ないからだ(「北外交官夫人が2重国籍者の時」2016年11月8日参考)。

 結論を下すためには更なる情報が必要だが、マレーシアの「正男氏暗殺事件」が北の仕業とすれば、ズサンであり、隙間だらけの暗殺計画といわざるを得ない。
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