ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2018年06月

独情報局がオーストリアでスパイ活動

 ドイツ連邦情報局(BND)は政治、経済の情報などを収集し、それを分析する諜報活動を担当している。そのBNDが隣国オーストリアで広範囲の諜報活動をしていたとしてオーストリア政府が批判し、メルケル政権に全容の解明とその説明を求めている。

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▲オーストリア大統領府(2013年撮影)

 オーストリア連邦報道局から16日午後、緊急記者会見が開かれるというメールが届いた。16日は土曜日だ。その上、記者会見は大統領府で行われるという。アルプスの小国オーストリアは幸い、大きな事件は発生していない。何が起きたのだろうか、と首を傾げた。テーマは、隣国ドイツの情報機関(BND)が過去、オーストリアで諜報活動し、2000以上の通信網を盗聴し、政府、省、企業、国連、国際機関の関係者の会話を盗聴していた、というニュースに関する記者会見だということが明らかになった。ひょっとしたら、クルツ首相の携帯電話がBNDに諜報されていたのだろうか。そうなれば、記事にはなる。そんな考えで大統領府に急いだ記者もいたただろう。

 2013年10月、米国家安全保障局(NSA)がメルケル独首相の携帯電話を盗聴していたことが発覚して、米国とドイツ両国の関係は一時、険悪化したことがあった。メルケル首相は当時、「同盟国の政府関係者を盗聴することは許されない」として、オバマ米大統領(当時)に抗議したことはまだ記憶に新しい。最終的には、オバマ大統領が今後は同盟国の首脳の携帯電話を盗聴しないことを約束して事を収めた。

 独側はワシントンにノー・スパイ協定の締結を強く要請したが、オバマ大統領がメルケル首相の携帯電話を盗聴対象から外すことを口約束しただけで終わった。メルケル首相自身、訪米してオバマ大統領と会談し、両国間の盗聴問題について米国側に慎重な対応を重ねて要請した経緯がある(「米国がスパイ活動する尤もな理由」2014年7月13日参考)。
http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52075508.html
 記者会見にはバン・デア・ベレン大統領とクルツ首相が出てきた。バン・デア・ベレン大統領は、「ドイツはわが国で不法な諜報活動をしていた」と批判。クルツ首相は、「隣国に対する諜報活動は受け入れることはできない。ドイツ側に事の全容の解明と説明を求める」と述べた。それ以上でもそれ以下でもなかった。大統領と首相からは新しい情報や具体的な情報はまったくなかった。ジャーナリストたちの中には土曜日、家族と一緒に遠出でもと考えていた者もいただろう。緊急記者会見ということで慌てて連邦大統領府に駆け付けたジャーナリストたちはがっかりするより、「なぜ記者会見を招集したのか」といった不満の声すら聞かれたという。

 BNDの件は15日夜、オンラインで週刊誌プロフィールと日刊紙スタンダードが速報している。バン・デア・ベレン大統領もクルツ首相も記者会見ではそれ以上の情報を語っていないからだ。オーストリア側が緊急記者会見を開いたのは、「わが国は怒っている」ということをドイツ側に伝えることが主目的で、新しい情報を公表することではなかったわけだ。

 BND盗聴事件について少し、説明する。1999年から2006年の間、政府、外交官、企業、イスラム教関連施設、そして国際原子力機関(IAEA)ら国連機関に対して、BNDは不法な諜報活動をしていたという。その規模は広範囲だ。ドイツは2015年、国内でNSA問題が発覚したことを受け、2016年には同胞国への諜報活動を中止している。ただし、オーストリア・メディアは、「BNDはそれ以降も諜報活動を続けていた」と報じている。

 問題は何故、1999年から2006年の間、BNDはオーストリア国内で諜報活動をしたかだ。答えは案外簡単だ。国民党シュッセル政権が発足した時と重なるのだ。同政権は極右政党「自由党」と初の連立政権を発足させた。その時、欧州全土で激しい批判の声が挙がり、多くの欧州諸国はオーストリアとの外交接触を控える制裁を実施した。BNDは国民党と自由党の連立政権の動向を監視する狙いがあった、という推測が成り立つわけだ。

 そして昨年12月以来、オーストリアでは再び国民党と自由党のクルツ連立政権が発足した。クルツ首相とバン・デア・ベレン大統領が土曜日午後、緊急記者会見を開催した背後には、自由党党首のシュトラーヒェ副首相ら自由党指導者からクルツ首相にBNDの盗聴事件を記者会見で公表し、ドイツに警告を発すべきだ、という強い突き上げがあったからではないか。

 今回の件ではドイツ国内では余り反響はない。「BNDは諜報機関だ。彼らはその職務を果たしていただけだ。オーストリア側がそれを今知ったというように騒ぐのはおかしい」という声が支配的だ。クルツ首相はドイツ側に事の全容解明を要求したが、ドイツからいい返事は届いていない。どの国も諜報機関があり、さまざまな諜報活動を外国でも展開しているからだ。

 ドイツとオーストリア両国は地理的に接し、ドイツ語を母国語としていることから、兄弟国といわれることが多い。実際、ドイツで起きたことはその数年後にオーストリアでも同じようなことが起きるケースが多い。数年前、ドイツでNSA諜報活動が発覚して大きな政治問題となったが、隣国オーストリアで今度はBNDのスパイ活動が明らかになった、というわけだ。

米国の「強さ」は誰の為か

 トランプ米大統領は5月8日、イランの核合意から離脱すると表明した直後、欧州のメディアで政治漫画が出ていた。曰く「大統領、どうしてイラン核合意から離脱するのですか。国際原子力機関(IAEA)や欧州の同盟国はイランはこれまで合意内容を遵守していると報告しています」と聞くと、トランプ氏は、「合意書のオバマの署名が気に入らないのさ」と答えているのだ。トランプ氏は合意内容や検証状況などには関心がなく、合意書に記入されたオバマ氏の署名が気に入らないというのだ。

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▲大統領就任500日を祝うトランプ大統領(2018年6月4日、ホワイトハウス公式サイトから)

 トランプ氏が大統領に就任して500日が経過したが、トランプ氏が取り組んできた政策は、オバマ前政権で決定した内容を覆すか、否定することに多くのエネルギーが注がれてきた。

 オバマケア(医療保険制度改革)に始まり、気候変動対策の国際的取り決め「パリ協定」離脱宣言、外交交渉の成果と言われた「イラン核合意」離脱まで全てオバマ政権の8年間で決まったものをひっくり返すものだ。

 精神分析学のメッカ、ウィ―ン派の精神分析学者ならば直ぐに「トランプ氏のオバマ・コンプレックス」と呼ぶかもしれない。オバマ政権の実績を破棄、ないしは無効にする度、トランプ氏は一種のカタルシスを感じてきたのだろうか。

 ちなみに、オバマ氏の現職時代、ある会合に参加していたトランプ氏に向かってオバマ大統領は演台から揶揄った。そのビデオを見る限りでは、トランプ氏は苦々しい顔をしながら笑いを返していた。侮辱されたこの時の体験がトランプ氏をオバマ嫌いにしたのかもしれない。人間は公けの場で侮辱された場合、その体験を決して忘れないと聞いたことがある。

 不動産王のトランプ氏は“米国ファースト”を標榜してホワイトハウス入りした大統領だ。同氏にとって、オバマ政権は米国ファーストではなく、米国ラーストだったと受け取っているのだろう。確かに、オバマ氏は米国の力を全面的に出して交渉したり、直ぐにその世界最強の軍事力を行使することはなかった。民主党出身の米大統領らしく、戦争嫌いであり、相手国との妥協で問題を解決しようとした。

 オバマ氏は、対北政策では北が非核化の意思を表明しない限り対話しない「戦略的忍耐」を続け、8年間、ほぼ沈黙してきた。その結果、北は核開発を進めることができた。北は弾道ミサイルに水爆を搭載できるまで核開発を進めてきているのだ。北にとって、オバマ氏ほど都合の良い米大統領はなかったわけだ。 

 一方、トランプ氏は北朝鮮に対し「世界最強の制裁」で警告し、軍事介入を何度も警告してきた。すなわち、米国のパワーを駆使した力の外交を展開し、平壌に圧力を行使してきたわけだ。

 米国の対北政策は前・現政権でまったく好対照だ。どちらの政策が正しいかは即断できないが、至上初の米朝首脳会談、南北首脳会談などの道を開き、ひょっとしたら、北の非核化も可能かもしれないという点で、トランプ氏の対北政策はオバマ政権より効果的だったといえる。オバマ政権の寛容、静観は、綺麗ごとで事を済ましたいという思いが強く、朝鮮半島の非核化云々に無関心だった。

 当方は外交として米国第一を批判する気はない。外交は国益最優先であり、米国だけではなく、独立国家を名乗る以上、全ての国の責任者は先ず、自国領土、自国民の権利擁護を最大の課題とする、という意味でだ。ただし、問題は次だ、米国第一が結果として米国ラストをもたらし、国民が大きな負担を担うことも出てくるかもしれないということだ。

 トランプ氏の米国ファーストは今、貿易問題に向けられてきた。カナダで開催された主要国首脳会談(G7)では、米国は同盟国との対立を深めていった。

 トランプ米大統領は鉄鋼、アルミに対し輸入関税を導入するばかりか、自動車の輸入に対しても同様の関税導入といった処置を次々と打ち出し、ドイツやフランスなどから強い反発の声が飛び出した。そしてトランプ米政権は今月15日、対中制裁措置の発動を決定し、中国からの輸入品に25%の追加関税を課すしなど、厳しい対応に出てきた。米中両国の貿易戦争の様相も深めてきている。

 トランプ氏の主張にはそれなりの根拠はある。対欧州連合貿易、対中貿易で米国は巨額の貿易赤字を抱えている。例えば、米国の対中輸出総額は約1300億ドル、対中輸入総額5050億ドル、といった具合だ。その赤字額を見る度、トランプ氏は憤りを感じていることが分かる。

 米国は軍事力で世界最強国であり、経済では世界一の経済大国だ。トランプ氏はそのパワーを駆使して、貿易戦争に臨み、対北政策を行使してきた。トランプ氏の発言には「いざとなれば、米国は…」といった警告、威嚇が常に含まれている。トランプ氏は力、パワーを信じている。力で相手の言い分を屈服させ、譲歩させることができるという信念の持ち主だ。

 問題は、不動産の売買では相手は一人、多くても数人だが、外国貿易はそうではない。グローバルな時代、多くの企業は国際企業だ。例えば、スイスの主要企業はほとんどが国際企業だ。国境を越えて商いが行われている。そのような時代に一国の大統領が経済統計を基に相手国に報復したとしても効果があるだろうか。むしろ、自国にマイナスの影響が出てくるかもしれない。日本の高品質の商品を購入できなくなった米国企業は品質の維持に苦心する、といったケースも考えられる。

 外交分野でも経済でも共生共栄の道を模索しなければ繁栄できない時代圏にきている。一人勝ちはもはや考えられない。当方はこのコラム欄で一度書いたが、トランプ氏にはオーストラリアのメルボルン出身の哲学者ピーター・シンガー氏(Peter Singer)の“効率的な利他主義”を学んで頂きたい(「トランプ氏はシンガー哲学を学べ」2017年2月11日参考)。

 シンガー氏は、「利他主義者は自身の喜びを犠牲にしたり、断念したりしない。合理的な利他主義者は何が自身の喜びかを熟慮し、決定する。貧しい人々を救済することで自己尊重心を獲得でき、もっと為に生きたいという心が湧いてくることを知っている。感情や同情ではなく、理性が利他主義を導かなければならない」と語っている。

 世界最強国の米国が自国ファーストを標榜し、暴れ出す時、世界は大混乱に陥ってしまう。逆に、米国が利他主義を唱え、米国に与えられた内外の恵みを他国と共有する時、世界は平和を獲得できるのではないか。トランプ氏は今、大きな分岐点に遭遇している。

性的少数派(LGBTIQ)の多様化

 社会は多様化してきたとよく言われるが、同時に、「性の多様化」も急速に拡大してきた。LGBTという性的少数派についてはメディアでも時たま報道されてきたが、現在はもはやLGBTではなくLGBTIQという。レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、それにインターセクシャルとクィア(Queer)が新たに加わる。そこで性的マイノリティについて、スイス・インフォの特集「LGBTIQ」を参考にしながら、少し整理したい。

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▲ミケランジェロの作品「アダムの創造」ウィキぺディアから

 レズビアン、ゲイ、バイセクシャルは性的・恋愛感情的指向を表しているが、トランスジェンダーは性的アイデンティティー、インターセクシャルは生物的な性別を表す用語だ。
 具体的には、レズビアンは女性同性愛者、ゲイは男性同性愛者、バイセクシャルは両性愛者、トランスジェンダーは性的転換者、インターセックスは性分化疾患者を意味する。それだけではない。パンセクシャル(あらゆる人を愛する全性愛者)、アセクシャル(他者に対して恋愛感情を抱かない無性愛者)という新しい性的指向や性的アイデンティティを表す言葉も生まれてきている。

 人間は男と女の2性と考えられてきた。「第2の性」という表現はフランスの実存主義者シモーヌ・ド・ボーヴォワールの著作の題名でよく知られているが、ここにきて「第3の性」という表現が飛び出してきた。
 この分野ではドイツが先行している。ドイツ連邦憲法裁判所は昨年11月、出生届に「男性」「女性」以外に「第3の選択肢」を認める判決を出した。ちなみに、オーストラリアとネパールでは既に第3の性別が認められており、男性・女性のどちらでもないと感じる人は「中間性」或いは「インターセクシャル」と表現できるという。

 スイス・インフォは「第3の性」を主張するミルシュ・パティさんにインタビューしている。
 「パティさんは、男性でも女性でもない。『彼』でも『彼女』でもない。英語ではパティさんのような人々を『they(彼ら)』と複数形で呼ぶことが多い。ドイツ語には『sier』『xier』という3人称に当たる新しい造語が存在するが、フランス語やその他多くの言語には、まだこの概念に対応する言葉が存在しない」

 性的マイノリティは過去、差別され、虐待されてきた。19世紀後半、アイルランド出身の著名な劇作家オスカー・ワイルド(1854〜1900)とその家族が体験した人生はその典型的な路程だ。オスカー・ワイルドは同性愛者だったゆえに投獄され、家族は迫害を逃れて姓名を変えて生きていかなければならなかった。幸い、今日では人権に対する民意が向上し、少数派の人権は尊重される方向に向かってきた。ただし、性的少数派は「われわれは社会からの寛容を願っているのではない。社会から受け入れられ認められることを求めている」と主張する。

 最後に、性的マイノリティーについて当方の考えを少し述べたい。 旧約聖書の創世記には「神は自身の似姿で人を創造した。男と女を創造した」と記述されている。神は2性を創造したことになる。しかし、「失楽園」の話を思い出してほしい。アダムとエバは蛇で象徴された天使の誘惑を受け、神の戒めを破る。天使は人間の創造する前から存在していた。その天使と一体化したエバは天使から多くの性質、性向を受け継ぎ、それをアダムにも移す。すなわち、人間は「失楽園」後はもはや「神の似姿」ではなく、堕落した天使の多くの要素を受け継いだ存在となった。人間は堕落後も外的には男か女の2性だが、その性的指向に天使の指向が加わったわけだ。

 ここまで書くと、大抵の読者は頭を振らざるを得なくなるだろう。神、アダム、エバまでは何とか忍耐しながらフォローしてくれた読者も、話が天使の登場となるとバカバカしくなってくるかもしれない。その意味で、性的少数派と同じように、当方の考えは少数派だろう。

 まとめると、男にも女性的指向(ホルモン)があるように、女性にも男性的指向(ホルモン)がある。同じように天使も何らかの男性的指向と女性的指向を内包しているはずだ。男、女、天使の3者のプラスとマイナス面が歴史を通じて交差してきた。人間の性的指向の多様性はそこから生まれてきたのではないだろうか。

 性の多様性、性的マイノリティーは多分、昔も存在しただろう。科学や医学の発展につれて「性の多様性」が実証的にも解明されてきたわけだ。聖書学的にいえば、これまで未解明だった「天使の世界」が次第に明らかになるにつれ、性的マイノリティーのルーツも分かってくるのではないか。

行方不明となった「神」を探せ!

 カナダの主要先進諸国会議(G7)、シンガポールの米朝首脳会談、そしてモスクワのサッカーワールドカップ(W杯)ロシア大会の開幕と重要なイベントが5月から6月にかけ立て続きに開かれ、それをフォローしてきたので書きたいテーマは後回しになってきた。テーマは「神の不在」から、「去ってしまった神(行方不明の神)」探しという問題だ。

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▲天の川銀河の中心部に発見されたブラックホール・バウンティ NASA提供

 神の不在論は神学界でも大きなテーマだ。多くの宗教家、神学者が考えてきた。日本の読者には最近映画化され欧州でも話題となった遠藤周作の名作「沈黙」を思い出してもらえばいい。迫害され、虐待されるキリスト信者の魂からの叫びだ。「あなたはどこに居ましたもうか」だ。

 当方は「『神の不在』に苦悩した人々」2011年8月18日参考)で「人間の苦痛」と「神の不在」について、過去の哲学者、宗教家、神学者のアプローチを紹介した。

 ギリシャの哲学者エピクア(紀元前341〜271年)は、「神は人間の苦しみを救えるか」という命題に対し、「神は人間の苦しみを救いたいのか」「神は救済出来るのか」を問い、「救いたくないのであれば、神は悪意であり、出来ないのなら神は無能だ」と述べている。紀元前の哲学者が「神の不在と人間の苦痛」をテーマに既に死闘していたことが分る。

 最も辛辣な見解は「赤と黒」や「バルムの僧院」などの小説で日本でも有名な仏作家スタンダール(1783〜1842年)だ。彼は(神が人間の苦痛を救えない事に対し)、「神の唯一の釈明は『自分は存在しない』ということだ」と主張した。

 ポルトガルの首都リスボンで1755年11月1日、マグニチュード8・5から9の巨大地震が発生し、同市だけで3万人から10万人の犠牲者を出し、同国で総数30万人が被災した。文字通り、欧州最大の大震災だった。その結果、欧州全土は経済ばかりか、社会的、文化的にも大きなダメージを受けた(「大震災の文化・思想的挑戦」2011年3月24日参照)。

 仏哲学者ヴォルテール(1694〜1778年)はリスボン大震災の同時代に生きた人間だ。彼は被災者の状況に心を寄せ、「どうして神は人間を苦しめるのか」と問いかけ、「神の沈黙」を嘆きだ。

  最近の例を挙げてみよう。世界に親しまれていたカトリック教会修道女テレサは貧者の救済に一生を捧げ、ノーベル平和賞(1979年)を受賞、死後は、前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の願いに基づき2003年に列福された。その修道女テレサが生前、書簡の中で、「私はイエスを探すが見出せず、イエスの声を聞きたいが聞けない」「自分の中の神は空だ」と述べている。

 コルカタ(カラカッタ)で死に行く多くの貧者の姿に接し、テレサには、「なぜ、神は彼らを見捨てるのか」「なぜ、全能な神は苦しむ人々を救わないのか」「どうしてこのように病気、貧困、紛争が絶えないのか」等の問い掛けがあったのだろう(「マザー・テレサの苦悩」2007年8月28日参照)。

 ところで、最近、ショッキングな命題に接した。「神は不在ではなく、去っていった」というのだ。無神論者も有神論者も常に「神」の存在を前提にその是非を考えてきた。アイルランド出身の劇作家オスカー・ワイルドは少々皮肉を込めて「放蕩息子は必ず(神に)戻ってくる」と書いている。すなわち、全ては「神」から始まり、「神」に戻ってくる。しかし「神は去った」は全く別次元の話だ。「神の館」にその主人、「神」がいないというのだ。

 「去ってしまった神」について、テキサス出身の説教師ジェシー・カスターを主人公とした米TV番組「プリーチャー」(Preacher)や長期連載TV番組「スーパーナチュラル」(Supernatural)でも既にテーマ化されている。「神は天国にもはやいない」「神はどこかへ行ってしまった」というテーマを扱っているのだ。

 聖書をみると、人類始祖アダムとエバの堕落、その後の世界をみて、神は「わたしは、全ての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地と共に滅ぼそう」(創世記6章13節)として40日間、洪水を起こす。神は第2のアダム家庭としてノア家庭8人を中心に再出発する。それでは、「去って行った神」はノアの時代のように第2の洪水を密かに起こす計画なのだろうか。

 宇宙には暗黒物質(ダークマター)が溢れ、誕生した星はブラックホールに吸収されて消滅していくように、聖書の「ヨハネの黙示録」が示唆するように、世界にはハルマゲドンが近づいてきたのだろうか、等々の思いが浮かび、消えていく。

 神の不在にはまだ余裕があった。神は必ず再び戻ってくる、という確信みたいなものがあったからだ。その神が去ったとすれば、その後の世界はどのなるのか。主人公が突然、舞台から姿を消したならば、その後の劇の運びはどうなるのか。「スーパーナチュラル」で天使カスティエル(Castiel)が「天国にはもはや誰もいない」と嘆く場面がある。

 「行方不明の神」はどこへ行ったのか。別の宇宙か、それともこの地上に降りてこられているのか。神の「不在論争」から一歩進んで今、神の「行方捜査」が大きなテーマとなってきているのだ。

プーチン氏「自国チーム大勝」に笑み

 第21回サッカー・ワールドカップ(W杯)ロシア大会が14日、モスクワのルジニキ競技場で約8万人の観衆を集めて開幕した。国際サッカー連盟(FIFA)W杯は五輪大会と同じで4年に1度開催される。32カ国からチームが参加し、8グループに分かれ、7月15日の決勝戦まで64試合の熱戦を繰り広げる。

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▲W杯開会式の歓迎の挨拶をするロシアのプーチン大統領  2018年6月14日、モスクワ、オーストリア国営放送中継から

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▲世界最大のスポーツイベントを楽しむロシア・ファンたち  2018年6月14日、モスクワ、オーストリア国営放送中継から

 開幕式のエンターテーメント後、ホスト国ロシアのプーチン大統領とインファンティーノFIFA会長の開幕の挨拶が終わると、第1試合はAグループでホスト国ロシア対サウジアラビアの試合が行われた。試合は前半12分、ロシアのカジンスキーが大会第1号のゴールを頭で決めると、ロシア側は勢いをつけ、最終的には5−0でホスト国が大勝し、幸先のいいスターを切った。

 ロシアで世界最大のスポーツ・イベントのW杯が開催されるのは今回が初めて。プーチン大統領も挨拶で述べていたが、サッカーはロシアのナショナルスポーツではない。だが、欧米の経済制裁下で生きるロシア国民が日頃の鬱憤を払い、世界から集まったサッカー・ファンと共に、喜んでいる姿が印象的だ。

 ところで、世界最大のスポーツ人口を誇るサッカーの頂上を決めるW杯となれば、参加国の首脳たちもここぞといわんばかりに会場に姿をみせて自国チームを応援するが、開幕式では欧米から首脳たちの姿は見られず、プーチン大統領とサウジのムハンマド皇太子がオープニング試合を観戦しているところがテレビに映っていただけで、少々寂しかった。 ちなみに、試合が0−5で大敗すると、ムハンマド皇太子はプーチン大統領に挨拶後、直ぐに退席していった。ふがいない自国選手によほど不満があったのかもしれない。

 韓国・平昌冬季五輪大会(今年2月9〜25日)では、「前回のソチ冬季五輪で組織的ドーピングが行われた」という理由でロシア選手はロシアの国旗ではなく、「五輪旗」のもと個人資格で参加する以外になかった。ウクライナのクリミア半島の併合問題で険悪化してきたロシアと欧米諸国との関係は緊迫状況にある。そこに今年3月、英国亡命中の元ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)スクリパリ大佐と娘の暗殺未遂事件が発生し、ロシアの関与があったとして多くの欧州諸国はロシア人外交官を国外追放するなど、欧米とロシアとの関係は目下、最悪だ。いずれにしても、ロシア大会はいやが上にもそのような政治情勢の影響から逃れることができないわけだ。

 開幕式のイベントで出演した英国のポップ歌手、ロビー・ウィリアムズが歌唱中、カメラに向かって中指を立て、何か抗議しているようなジェスチャーを見せたことが大きな話題となっている。SNSでは、ロシア大会のイベントに参加して歌うことに、「プーチンに金で買われた」とか、「英国の威信を傷つけた」といった批判の声から、「あれはロシアへの批判だ」という意見までさまざまな声が流れている。世界のポップスターはどこにいっても話題に事欠かないようだ。

 また、サッカー試合にはフーリガンがつきものだが、モスクワ大会でもフーリガン対策のため治安部隊が動員されていると聞く。スイス・インフォによると、22日のグループステージ・スイス対セルビア戦で、暴力事件が起きるリスクが高いと警告している。

 ロシア大会では時差の関係で眠れない日本のファンも出てくるだろうが、欧州に住む当方にとっては時差の影響はほとんどなく、1日3試合のグループ戦を観戦できることに感謝している。

イスラム寺院閉鎖とイマーム追放

 オーストリア連邦報道局から記者会見の知らせのメールが届いた。8日午前8時にクルツ首相、シュトラーヒェ副首相、キックル内相、そしてブリューメル文化相の4人の政府首脳が顔をみせ、記者会見を行うという。記者たちは7時には記者会見が行われる連邦首相府会議広間に入ることができるというのだ。会見の時間も4人の主要閣僚の参加も異例なことだ。記者会見のテーマは「政治イスラムとの戦いにおける決定」(Entscheidungen im Kampf gegen politischen Islam)だ。

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▲早朝の記者会見に臨むクルツ首相(左)とシュトラーヒェ副首相 2018年6月8日、連邦首相府公式サイトから

 クルツ政権(中道右派「国民党」と極右政党「自由党」の連立政権)がこれまで力を入れてきた過激イスラム対策の成果、決定内容が発表されるというわけで、早朝にもかかわらず多くの記者たちが参加した。民間放送は記者会見の会場からライブで中継したほどだ。

 記者会見の内容は、オーストリアで約400あるイスラム寺院のうち、政治イスラムの温床の地となっている寺院、7寺院(ウィーン1寺院)の閉鎖を決定すると共に、約260人のイマーム(イスラム教指導者)のうち、約60人が外国からの資金を受け取ることを禁止している現行「イスラム法」に違反している理由などから、滞在許可の見直し、必要ならば強制退去を要請するというものだ。自由党党首のシュトラーヒェ副首相は今回の決定について、「宗教の乱用から敬虔なイスラム教信者を守るため」と説明した。

 クルツ首相は、「宗教の自由は尊い価値あるものだ。それゆえに、イスラム教徒が常に疑われるような宗教の乱用に対しては毅然と対応しなければならない」と主張している。ちなみに、2015年に施行されたイスラム法は国家と社会に対しポジティブな理解を求めている。換言すれば、キリスト教国のオーストリアの国民として、その社会規範を重視すべきだというわけだ。ブリューメル文化相は、「敬虔なイスラム教徒であることと、立派なオーストリア国民であることは矛盾しない」と強調している。

 閉鎖が決定したイスラム教関連施設はウィーンではアラブ系文化共同体、それにオーバーエスターライヒ州とケルンテン州の合わせて7イスラム寺院だ。閉鎖理由は「寺院関係者のサラフィスト(厳格派)的な言動」という。イスラム法によれば、オーストリアには約30のイスラム系文化共同体が存在する。ブリューメル文化相によると、ウィーンには過激でファシズム的なトルコ系極右武装組織「灰色の狼」の影響を受けている共同体(Nizam i Alem)がある。既にオーストリアのイスラム教共同体からも認知を受けていない不法団体だ。

 また、外国からの資金提供を禁止しているイスラム法に違反するケースとしては40件が調査中だ。11人のイマームに対しては滞在許可に関する調査が既に始まっている。滞在許可書を剥奪されたイマームも出ている。イマームの家族を含むと150人が調査対象だ。特に、「トルコ・イスラム文化社会援助連盟」(ATIB)は外国からの資金で運営されている。

 クルツ首相は,「宗教は重要だが、イスラム教徒のパラレル社会(並行社会)、政治イスラムに対してわが国はもはや受け入れることはない」と強調。シュトラーヒェ副首相は,「宗教の衣を着て憎悪説教するイマームに対して忍耐しない」と述べ、過激な政治イスラムに対して戦いを宣言した。

 予想されたことだが、トルコからオーストリア政府の“政治イスラムへの戦闘宣言”に対し厳しい反発の声が出ている。トルコ大統領府イブラヒム・カーン報道官は、「オーストリアの対応は明らかにイスラム・フォビア(イスラム憎悪)であり、民族主義的、差別政策だ」と批判した。ちなみに、トルコのエルドアン大統領は9日夜、オーストリア政府のイスラム寺院閉鎖決定に対し「十字軍戦士と(半月旗の)イスラム戦士の間の戦争をもたらすことになる」と警告を発している。

米朝の「宣言文」より「制裁」の維持を

 シンガポールで開催された史上初の米朝首脳会談は終わった。トランプ米大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長のサミット会議に対する評価はもう一つだ。首脳会談の主要テーマだった北朝鮮の非核化について、両首脳が署名した共同宣言文に具体的なロードマップが記述されていなかったので当然かもしれない。

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▲米朝首脳会談で散歩する金正恩委員長とトランプ大統領 2018年6月12日、シンガポール、CNNの中継から

 しかし、落ち着いて考えてみれば、数時間の会議で約70年間ご無沙汰していた相手を説得することなど、たとえディ―ルの名手を誇るトランプ大統領にとっても至難の業だろう。相手は34歳とはいえ、3代続く独裁国の最高指導者だ。次の選挙日程が頭から離れないトランプ氏とは置かれている状況が全く異なる。

 そのうえ、短文の名手、ツイッターのユーザー、トランプ氏は生来、長文や複雑な外交文書を苦手としている。宣言文の文字を吟味し、それがどのような関連性があるか、といったことに余り関心がない。

 ただし、事はトランプ氏の将来ではなく、朝鮮半島、ひいてはアジア全般に影響を与える北の非核化問題だ。どうしても宣言文に欠けていた部分が気になるのは仕方がないだろう。宣言文には「朝鮮半島の非核化」と明記されているが、肝心の「北の非核化」はどうしたのか、トランプ政権が繰り返し主張してきた「完全かつ検証可能で不可逆的な核廃棄」(CVID)は明記されていない。後者は致命的な欠如だ。その一方、「朝鮮半島の体制保証」では在韓米軍の撤退から米韓軍事演習の中止まで広範囲の内容が網羅されている、といった具合だ。

 それでもトランプ氏はその共同宣言に署名した。側近のボルトン大統領補佐官はどこにいたのか。トランプ氏が11月の中間選挙、次期大統領選の再選などに心が奪われていることを知っていたはずだ。

 宣言文の問題点を挙げればまだまだあるが、敵対関係が70年余り続いてきた両国のトップが数時間とはいえ、一緒のテーブルを囲み、協議し、ワーキングランチも共にしたのだ。初めての会合としてはこれで十分だ。問題は次のステップだ。 トランプ氏の説明によると、宣言文で明記されなかった北の非核化プロセスは、米朝間の実務協議で迅速に開始される運びというから、その進展に期待したい。

 北側は宣言文の内容でポイントを稼いだが、そんなことは大きな問題ではない。米政権が対北制裁を維持し続けている限り、北は時間稼ぎはできないし、宣言文に違反することもできない。トランプ氏は「史上最強の制裁」に乗り出すかもしれない。ひょっとしたら、「宣言文を無効にするように関係者に通達した」というツイッターを金正恩氏宛てに配信するかもしれない。交渉相手がトランプ氏である限り、北の有利は瞬間に消滅してしまうのだ。繰り返すが、宣言文の文字ではなく、北の非核化が実行されるか否が重要なのだ。トランプ氏がその中心ポイントから逸脱しないように安倍晋三首相はアドバイスを忘れてはならないだろう。

 心配もある。中国が米朝首脳の宣言文を振りかざし、ひそかに対北制裁を解除するかもしれない。中国が対北制裁を緩めるような動きがあれば、米国は声を大にして、北の非核化の進展具合を指摘し、制裁を継続すべきだと主張すべきだ。そして中国の違法行為を国際社会で訴えるべきだ。

 トランプ氏はクリントン元大統領でもオバマ前大統領でもない。国際条約や合意書に余り重きを置かない稀有な政治家だ。気候変動対策の国際的取り決め「パリ協定」や「イラン核合意」からの離脱、最近では主要国首脳会談(G7)の首脳コミュニケの無効通達を思い出すだけで十分だろう。トランプ氏の外交ルールを無視したやり方は通常の場合、マイナスだが、北との交渉では大きな武器となる。金正恩氏は、トランプ氏の“次の一手”が読めない限り、非核化を中断すれば、トマホークが寧辺核関連施設を目掛けて飛んでくる恐れから逃れることができないのだ。

 金正恩氏が今年に入って対話路線を取ってきたが、韓国の文在寅大統領の南北融和政策の成果ではなく、米国らの強力な対北制裁の結果だ。その点、米朝首脳会談後も変わらない。北が非核化プロセスで時間稼ぎをすれば、それでもいいだろう。「巨人軍は永久に不滅です」と語った読売ジャイアンツの英雄・長嶋茂雄選手の引退時の言葉に倣って叫ぼう。「金正恩氏、制裁は永久です」と。

米朝共同宣言に「CVID」明記なし

 シンガポールのセントーサ島で12日午前、史上初の米朝首脳会談が開催された。トランプ米大統領と北朝鮮金正恩朝鮮労働党委員長の両首脳が同じテーブルで会談するのは初めて。両首脳はワーキング・ランチ後、[捷餞愀犬寮犠鏖宗↓朝鮮半島の完全な非核化、D鮮半島の平和体制保障、つ鮮戦争の遺骸送還などを明記した包括的共同宣言書に署名した。CNNによれば、トランプ大統領は金正恩氏をホワイトハウスに招待したという。

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▲共同宣言に署名する金正恩委員長とトランプ米大統領 2018年6月12日、シンガポール CNNの中継から

 共同宣言書にはトランプ政権が主張してきた「完全かつ検証可能で不可逆的な核廃棄」(CVID)という表現は明記されていない。CVIDの記述がないことについて、トランプ大統領は記者会見で「『朝鮮半島の完全な非核化』という表現にCVIDの内容が網羅されている。北の非核化プロセスは迅速に開始されるだろう」と説明するだけに留めた。北の非核化と経済制裁の解除の時期などについては不明だ。ちなみに、ポンぺオ米国務長官は、「北が非核化を実現するまでは制裁は継続される」と述べている。

 トランプ氏は、「米朝両国はこれで特別なつながり(Special bond)をもった」と金正恩氏との初の会見を評価し、「金正恩氏は交渉相手に相応しい人物だ」と賞賛した。 一方、金正恩委員長は、「この首脳会談を実現するために過去のさまざまな偏見や敵意などを克服しなければならなかった。私たち(米朝)は過去から離れ、前進することを決定した」と首脳会談の開催を決意した経緯を説明すると、トランプ大統領は「本当にその通りだ」と相槌を打ったのが印象的だった。

 米朝首脳会談が実現するまで紆余曲折があった。北側のペンス米副大統領批判に激怒したトランプ氏は、一時首脳会談中止を決定したが、北側の訪米特使などを通して金正恩氏が米朝首脳会談を願っていると判断し、今回の首脳会談開催となった経緯がある。

 米朝両国の最高指導者が戦後初めて会合した、という事実だけでも、両国にとって大きな実績だろう。トランプ氏にとってはカナダで開催された主要国首脳会談(G7)を早退し、シンガポールの米朝首脳会談に向かったところをみても、金正恩氏との歴史初の会合に期待してきたことが分かる。

 金正恩氏は10日にシンガポール入りすると、11日夜、市内を観光する一方、首脳会談の準備をしてきた。12日の米朝首脳会談でも金正恩氏の妹、金与正党第1副部長が会合の進展を援助しながら、少々緊張気味の兄、金正恩氏を補佐していた姿が放映されていた。

 トランプ氏にとって米朝首脳会談は重要だった。11月の中間選挙を乗り越え、再選の道を開くためにも外交政策で大きな実績を挙げることができれば幸いだ。過去の米大統領の誰一人として実現できなかった北朝鮮最高指導者との首脳会談を実現し、北の非核化の道を開くことができれば、トランプ嫌いのリベラルな米メディアも評価せざるを得なくなる。

 一方、金正恩氏にとっては国際社会の制裁が継続されれば、国民経済の破綻は時間の問題だ。史上最強の制裁(トランプ氏)を行使すると警告するトランプ米政権と、どうしても何らかの交渉が必要となった。そこで金正恩氏は就任後初めて中国を訪問、習近平国家主席と会合し、米朝首脳会談での中国側の支援を要請。韓国メディアによると、シンガポール行きで金正恩氏が搭乗した航空機は中国政府側からの提供といわれる。また、ロシアのプーチン大統領との会合を予定するなど、米朝首脳会談前に戦略同盟との結束を強化することに成功している。

 いずれにしても、史上初の米朝首脳会談はトランプ氏にとっても金正恩氏にもウイン・ウインで終わった感がするが、北の非核化の具体的なプロセスが始まると、ウインとルーズが分かれてくるかもしれない。
 当方はこのコラム欄で今月14日に72歳の誕生日を迎えるトランプ氏に北側が何らかのプレゼントをし、ハッピーバースデーを歌って喜ばすのではないかと予想したが、どうやら金正恩氏にはその余裕がなかったのだろう。ただし、シンガポールのリー・シェンロン首相が11日、トランプ氏に72歳の誕生ケーキを贈ったというニュースが流れてきた。サプライズを考えていた金正恩氏にとって、首脳会談のホスト国シンガポール政府に先を越されてしまったという感じだったのかもしれない。

 シンガポールの米朝首脳会議は歴史上初めて開催されたという意味で Historic Meeting(歴史的会合)であったことは間違いないが、同首脳会議が朝鮮半島に非核化と平和をもたらす History made(歴史を作った)の会合となったか否かは歴史家が後日、判断を下すだろう。

欧州の顔メルケル首相の面目躍如

 人はどのような機会に面目を失うか、逆に面目を保つか分からないものだ。ロイター通信が撮影した1枚の写真で“欧州の顔”といわれてきたメルケル独首相の株が再び急上昇中だ。

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▲カナダで開催されたG7に参加した主要国首脳たち 2018年6月8日、ドイツ連邦首相府公式サイトから

 カナダ東部シャルルボワで開催された主要国首脳会談(G7)2日目の9日午前、首脳宣言の採択に向けて首脳たちが話し合っている所が撮影されたが、メルケル首相がトランプ米大統領に向かって机に手を置き、トランプ氏を激しく追及しているような写真だ。トランプ氏は椅子に座ったまま、苦情を聞いている。いつもは穏やかで、感情をあまり表に出さないメルケル首相としては珍しい状況だ。普通ではないことが写真からも感じ取れる。

 その1枚の写真が世界に配信されると、多くの人の目に触れた。SNSでは「ホー、あのメルケル首相も感情を露にして喋ることがあるのだな」といったコメントから、「さすがに欧州の顔だ。不法な関税をかけるトランプ氏に向かってよく言ってくれた」といった賞賛のコメントまでさまざま意見が飛び出している。メルケル首相は最高の宣伝を、それも自然の形でやってのけたのだ。

 少々、残念だったと思うのは、マクロン仏大統領だろう。彼の顔が写真には入っているが、焦点がメルケル首相だったから、顔の一部しか写っていない。マクロン大統領もメルケル首相と同じように苦情を言っていたのだろうが、写真では分からない。マクロン大統領としては母国に向かって、「国民の皆さん、私はカナダでこのように頑張っていますよ」とアピールしたかっただろう(それにしても、安倍晋三首相はいい場所にいた。写真に写った政治家で全身が完全に写っていたのは安倍首相だけだった)。

 メルケル首相は4期目の首相だ。マクロン大統領はようやく40歳に突入した政治の世界では依然、青二才だ。メルケル首相は意識しなくてもロイターやAP、AFPのカメラマンがどこにいるか感覚で分かるから、自分がどのような行動をとればベストかを瞬間に判断できる。マクロン大統領がメルケル首相のレベルに到達するにはもう暫くの時間が必要だろう。

 前口上が長くなった、カナダのG7でも明らかになったように、米国と他の6カ国の間にあった亀裂は今回、一層拡大してきた。特に、貿易分野では保護色が強くなった米国と自由貿易を擁護する他の6カ国の間に大きな意見の相違が出てきている。米国が発動した鉄鋼とアルミニウムに対する輸入制限措置に対し、他の加盟国から批判が飛び出した。欧州の主要メディアでは、「6対1の戦い」「孤立を深めるトランプ」といった大きな見出しが躍っていたほどだ。

 喧々諤々でようやくまとめた首脳コミュニケを、トランプ氏はシンガポールの米朝首脳会談に向かう途中の機内でカナダのトルドー首相の批判に激怒して、「首脳コミュニケは無効だ」とツイートした。ホスト国を務めたトルドー首相は怒り、米国関係者はいつものように困惑しただろう。メルケル首相自身はカナダから帰国後、10日夜のトークショーで「興ざめし、憂鬱になった」と答えている。

 メルケル首相が嘆くのは当然だ。トランプ大統領の国際条約破り、外交ルール破りは今回が初めてではないからだ。トランプ氏は先月8日、13年間の外交交渉の末締結したイラン核合意から離脱を表明したばかりだ。核協議はイランと米英仏中露の国連安保理常任理事国に独が参加してウィーンで協議が続けられてきた。そして2015年7月、イランと6カ国は包括的共同行動計画(JCPOA)で合意が実現した経緯がある。トランプ氏はそれをあっさりと離脱表明したのだ。

 メルケル首相は10日、米国との貿易問題について、「米国は世界貿易機関(WTO)の規則に違反しているが、われわれはWTOの規則に沿って、7月1日から米国の関税導入に対抗する」と強調し、米国の一方的なやり方に対抗するために“欧州ファースト”を表明。同時に、欧州諸国の結束を呼び掛けた。

 いずれにしても、欧州はメルケル首相という政治家がいたことを感謝すべきだろう。メルケル首相のいない欧州がトランプ米政権と正面衝突したならば、欧州は今頃バラバラとなってしまっていただろう。

北「Happy Birthday , Mr. President」

 史上初の米朝首脳会談が12日、シンガポールのセントーサ島で開催される。世界の耳目が集まる会談の最大のテーマは「北の非核化」だ。トランプ氏は「完全かつ検証可能で不可逆的な核廃棄」(CVID)を北側に要求しなければならない。「段階的な非核化」を主張する金正恩氏を説得するという大きな使命を担っている。北は制裁の解除、経済支援、そして「完全かつ検証可能で不可逆的な体制保証」(CVIG)を主張しているだけに、簡単な仕事ではない。

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▲トランプ米大統領 ホワイトハウスの公式写真 ウィキぺディアから

 トランプ氏は、「12日のシンガポールの首脳会談が成功すれば、金正恩氏を米国に招待したい」と述べたという。トランプ氏は独裁者と恐れられている34歳の若い金正恩氏との人間的交流を期待している。金正恩氏にとっても願ったりかなったりだ。カナダで開催された主要国首脳会談(G7)でも明らかになったように、トランプ氏は他の6カ国首脳から誤解され、批判の対象となっている。そんな孤独なトランプ氏の心を捉える事ができれば大成功だ。しかし、ホスト国カナダのトルドー首相がG7閉幕後の記者会見でトランプ氏を批判したと分かると、トランプ氏はツイッターで「G7コミュニケの不承認を指令」するなど即反撃している。トランプ氏の気分を害すれば、どのような結果をもたらすか金正恩氏も内心戦々恐々だろう。

 しかし、金正恩氏はラッキーだ。トランプ氏が今月14日、72歳の誕生日を迎えるのだ。誕生日の2日前だが、シンガポールの首脳会談後の夕食会でトランプ氏の誕生日を祝うのだ。金正恩氏は平壌から誕生日プレゼントを用意しているはずだ。トランプ氏は突然の誕生日祝いに驚くと共に、大喜びするだろう。

 そうなればトランプ氏と金正恩氏との関係は米大統領、北の独裁者といった立場を越えて急接近する。トランプ氏はツイッターで「正恩は私のベストフレンドだ」と世界に向かって配信するだろう。

 問題は、何をプレゼントするかだ。資本家で全ての物が自由に手に入るトランプ氏を喜ばすことは安易なことではないからだ。ひょっとしたら、金正恩氏は11月の中間選挙の行方に心を砕いているトランプ氏を支援するため北の「非核化宣言」を表明し、ついでに「終戦宣言」に署名するかもしれない。これはトランプ氏の外交実績となるからトランプ氏を喜ばす最高の贈り物だ。

 ロシアのプーチン大統領は65歳の誕生日、トルクメニスタンのベルディムハメドフ大統領からアラドイの子犬をプレゼントされている。大喜びのプーチン氏と子犬の写真が世界に配信された。誕生日のプレゼントは何歳になってもうれしいものだ。トランプ氏も例外ではないだろう。

 ここにきて興味深いニュースが流れてきた。シンガポール入りした北朝鮮の金正恩氏一行に「三池淵管弦楽団」の団長、玄松月氏が加わっていることが確認されたというのだ。これで分かった。金正恩氏は米朝首脳会談後の夕食会で玄松月氏に「Happy Birthday, Mr. President」と歌わせ、トランプ氏の誕生日を祝う考えなのだ。 金正恩氏はサプライズが大好きだ、トランプ氏はちょっとやそっとで驚かないだろうが、「72歳の誕生日おめでとう」の合唱にトランプ氏の心は完全に溶けてしまうのではないか。ちなみに、金正恩氏は米朝首脳会談の準備会議でもトランプ氏の誕生日の件については米国側に事前に伝えなかったはずだ。

 トランプ氏はこれまで金正恩氏を「チビデブ」や「ロケットマン」と揶揄してきたが、北の歌姫が合唱する「Happy Birthday 」を聞きながら、金正恩氏を自分の息子のように好きになる。これで米朝首脳会談の成功は間違いない。

 「北の非核化」はどうなるかって?そんな野暮な質問をすれば、トランプ氏は笑い出すだろう。金正恩氏は、誕生日を祝う合唱に心が揺り動かされるトランプ氏の姿を見て、アメリカ大統領の孤独を感じ取るかもしれない。
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