ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2019年04月

刺激的だったクルツ首相の訪中「話」

 オーストリアのセバスティアン・クルツ首相は25日、中国入りし、上海、杭州市を視察後、26日から2日間の日程で開催された中国が国力を挙げて推進中の新しいシルクロード構想「一帯一路」(One Belt, One Road)の第2回「国際協力フォーラム」に参加した後、29日の習近平国家主席との会談を最後にウィーンに戻る。ちなみに、クルツ首相は昨年4月にもアレクサンダー・バン・デア・ベレン大統領の中国の国賓訪問(昨年4月)に随行している、クルツ首相は今回、オーストリアから26社の会社代表経済使節団を引き連れての公式訪問だった。

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▲中国の李克強首相と話すクルツ首相(オーストリア連邦首相府公式サイトから)

 オーストリア通信(APA)によると、クルツ首相は28日、李克強首相と会談し、米中貿易戦争、朝鮮半島の非核化など地政学的な問題について意見を交わす一方、両国間の問題としては中国旅行者のオーストリア訪問の促進、貿易拡大などを話し合った。APA通信によれば、オーストリア側は2025年前までに中国からの旅行者を年100万人から200万人に倍加し、2カ国間貿易を現行の130億ユーロから200億ユーロに拡大する野心的な計画をもっている。

 アルプスの小国オーストリアは観光立国だ。観光で国家の財政を潤している。オーストリアにとって中国からのゲストは最も購買力のある外国旅行者だ。昨年、旅行者は1人当たり平均616ユーロを使っている。なお、オーストリア航空は今年6月から中国の4都市(北京、上海、深セン、広州市 )とウィーンの間を直行便で結ぶ予定だ。

 32歳のクルツ首相は中国共産党政権のナンバー2の李首相との会談では、|羚饂埔譴旅垢覆覲放、⊃邑¬簑蠅硫善、の2点を要求している。バン・デア・ベレン大統領が習近平国家主席との会談で中国の人権問題には沈黙したことから、帰国後、オーストリアの野党から批判の声が上がったことはまだ記憶に新しい。クルツ首相は大統領の失敗を繰り返さなかったわけだ。

 文化面の交流では中国からウィーンのシェーンブルン動物園にパンダの借り受け契約、ウィーン美術史博物館と北京宮廷博物館の協調、両国間の開発研究促進などに関する覚書に署名。同時に、中国市場に進出したオーストリア企業が詐欺で1600万ユーロの損失を受けたことに対する賠償金支払いも含まれる。

 オーストリアは「一帯一路」構想への参加問題や中国大手通信機器ファーウェイ(華為技術)の第5世代通信規格(5G)の市場参入問題ではまだ最終態度を決めていない。欧州連合(EU)加盟国ではギリシャやハンガリーは「一帯一路」計画に積極的に参加する一方、ドイツでは中国の新シルクロード構想には強い不信がある(「中国の覇権が欧州まで及んできた」2018年2月5日参考)。

 「一帯一路」構想については、インフラ事業への投資でアジアやアフリカ諸国が中国の「借金漬け外交」の犠牲となり、最終的には中国側の言いなりになってしまう状況が出てきた。それに対し、習主席は26日のフォーラムの開会演説で「国際規則・標準に基づいて進め、各国の法律法規を尊重しなければならない」と述べ、参加国の懸念と批判に応えている。ちなみに、クルツ首相は「EUと中国間の投資保護協定が来年、署名される予定だ。『一帯一路』プロジェクトに参加するか否かは慎重に考える」という。

 ファーウェイ問題では、米政府はファーウェイが中国共産党政権のスパイ活動を支援しているとして米国市場から追放する一方、カナダや欧州諸国にも同様の処置をとるように働きかけている。英国政府は今月24日、ファーウェイに5G市場への参入を認める決定を下しているが、チェコやポーランドなど東欧のEU加盟国では米国側の圧力もあってファーウェイの5G市場からの追放を決めるなど、ファーウェイへの対応ではEU統一のコンセンサスは期待できない状況だ。

 さて、オーストリア国内では目下、クルツ連立政権の連立パートナー、極右政党「自由党」がニュージランドのイスラム教モスク襲撃事件の容疑者から寄付を受けたオーストリアの極右団体と関係があったことが明らかになり、野党から激しい批判にさらされ、政権発足後初めて政権の土台が揺れてきている。それだけに5日余りの中国訪問は成果の有無は別として、クルツ首相にとって息抜きとなったことは間違いない。行く先々で中国国民の歓迎を受ける一方、中国の情報技術会社アリババ・グループのジャック・マー氏(馬雲)と会談するなど、中国の代表的ビジネスマンとの交流は若いクルツ首相にとっても刺激的だったはずだ。

ノートルダム大聖堂の「火災」の衝撃

 フランスのパリのノートルダム大聖堂火災から29日で2週間が過ぎる。当方はその間、「なぜ多くのパリ市民が火災を目撃し、嘆き、涙を流したのか」を考えてきた。合点が行かなかったからだ。幸い、火災は大聖堂全体には及ばず、尖塔などが焼崩れただけで、貴重な絵画や聖物は無事だった。火災での人的被害も1人の消防士が負傷しただけで済んだ。

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▲ノートルダム大聖堂火災で消火活動する消防士たち(2019年4月15日、フランス内務省公式サイトから)

 ノートルダム大聖堂火災はパリ市民だけではなく、極端にいえば、世界中が大きな衝撃を受けた。パリ発の写真を見ていると、涙を流す市民の姿が見られた。死者が出なかったので犠牲者のために涙を流しているのでないことは明らかだ。それでは何が悲しかったのか。世界的に有名な13世紀のゴシック建築の大聖堂が燃えているからだろうか。パリ市民が誇ってきた文化財産が燃えたのだから、涙を流す人が出てくるのも当然だ。何も問題ではない、といわれるかもしれない。

 それでは、パリ市民は火災前、ノートルダム大聖堂で涙を流して祈ったとか、祝日の記念礼拝で祈ったことがあったのだろうか。それとも同大聖堂で結婚式を挙げたという個人的思い出があったのだろうか。涙は急速に伝染する。一人の市民が涙を流せば、それを見た他の市民も涙を流す、とドライに受け取るべきなのか。

 独週刊誌シュピーゲル((4月20日号)はノートルダム大聖堂火災について「大聖堂の火災はグローバルな責任という新しい感情を作り出した。ノートルダム大聖堂はそのためのモノグラムとなることができた。すなわち、世界遺産はその美しいアイデアよりさらに多くのものを内包しているのだ」というのだ。そして「発展し、デジタル化された人生の中で、石と木から建築された大聖堂はアナログの定点だ」という。確かに、名所旧跡は人間の「記憶の世界」では定点だ。その定点が燃えたり、突然消滅したならば、その人間の「記憶の世界」の一つの定点がなくなるだけではなく、その定点周辺の人間(この場合、パリ市民)にも消すことができない影響を与える。

 ここまで考えてきた時、ウィーン大学で心理学を研究していた知人が、「火は常にドラマチックだ。その火で燃え落ちる尖塔を目撃した市民は、存在していて当然と考えてきたものが失われていくプロセスを見たわけだ。一つ、一つが火で焼かれていく。それを目撃した市民は『失う』ということが何を意味するかを強烈に体験したはずだ」と分析していた。

 そういえば、ノートルダム大聖堂で火災が発生した直後、マクロン大統領が直ぐに現地に飛んでいる。そして「私の全ての同胞と同様、今晩私たちの一部が焼けているのを見て悲しい」と述べた。この発言を読んだ時、当方は「マクロン氏らしい文学的な表現だな」と受け取っていたが、そうではなく、大聖堂が失われていくプロセスを火災現場で目撃した結果の発言だったのだ。繰り返すが、マクロン大統領は火災後の大聖堂を視察したのではなく、火が大聖堂を包んでいく現場を目撃したのだ。「失う」ことの衝撃を肌で感じたのだろう。

 そして失う対象が世界遺産であり、民族の歴史、文化と密接な関連がある場合、その「失われていく」プロセスを目撃することは人によっては耐えられない体験だ。

 ノートルダム大聖堂の火災が報じられると、大聖堂の再建が大きな問題となり、巨額の寄付が短期間に集まり、フランス人の気前の良さを世界に誇示したが、再建問題よりももっと大切なテーマをぼかしてしまった感がする。それは、国家、民族が築き上げてきたものを「失う」ことの意味とその痛みを考えることだ。

 参考までに、聖書的観点から言えば、「火」は真理を意味する。「ルカによる福音書」第12章ではイエス自身が「私は火を地上に投じるために来た」と述べている。そして「ヤコブの手紙」第3章には「舌は火である」というから、イエスは真理を延べ伝えるためにきたと宣言したわけだ。

 アラブ系ソーシャルネットワークではノートルダム大聖堂の火災ニュースが報じられると、「フランスの植民地時代の蛮行に対する神の天罰だ」といったコメントがあった。

無神論者の牧師が日曜説教する時

 昔の無神論者は神の存在やその創造説を否定するが、一定のエチケットを持っていた。神父になろうとか、牧師となって説教演壇から神を否定するといった野心はなかった。ところが時代が変わった。「自分は無神論者」と宣言するGretta Vosper牧師(60)がカナダのトロント市のプロテスタント教会で日曜礼拝の説教をし、スイスのベルンでは一人の牧師は死の床にある信者の質問に対し「神はいない」、「天国は空だ」と答えている。

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▲独週刊誌シュピーゲル4月20日号の表紙

 独週刊誌シュピーゲル(4月20日号)はキリスト者の信仰問題について写真を入れて9頁に渡り特集していた。タイトルは「誰がそんなことを信じるか」で、「キリスト者はなぜ神を必要としないか」という挑発的なサブタイトルが付いている。その特集の中に、上記の2人のプロテスタント教会の聖職者の話が紹介されていた。読んで、「時代はここまできたのか」とため息が飛び出してしまった。

 4月21日は、イエスが十字架上で亡くなって3日目に復活したことを祝う復活祭(イースター)だった。ところで、キリスト者の多くはイエスが死から蘇ったとはもはや信じていない。イエスが「神の子」だったことも、復活したイエスが40日後、天に昇天されたことも信じていない。聖母マリアの「処女受胎」の話は21世紀の信者たちは「考えられない」と感じている。ただし、聖母マリアがイエスの母親という理由から聖母マリアの処女受胎の話を無神論者のようには笑って否定しない。一定の尊敬を払いながらも、「あり得ない話」と思っている。

 シュピーゲル誌の統計を紹介する。ドイツではカトリック教徒が国民の28%、プロテスタント信者は26%。合わせて4500万人の国民がキリスト教に所属している。2005年、約66%の国民が神を信じていたが、2019年ではその数字は約55%となっている。興味深い数字は、「神を信じる」と答えた国民の54%しか「イエスの復活」を信じていないのだ。一昔前なら「あり得なかった」ことだ。

 キリスト教ではこの種の話が多い。聖母マリア関連の祝日、祭日は年13回挙行されるが、その祝日を一つ一つ憶えている信者は多くない。それだけではなく、「その話が真実だ」と信じている信者も少ない。教会の教えや経典の内容を信じていないにもかかわらず、教会の祭日、イベントには大きな矛盾を感じることなく「神の宮」(教会)に通う。

 ひょとしたら、神への信仰にとって、教会や機構は絶対に必要なものではないのかもしれない。また、聖母マリアは処女受胎か、イエスは復活したかは、神への信仰にとって決定的なことではないのかもしれない。神にとって、自分がどのように扱われようとそれで面子が傷つけられ、気分が悪くなるということはないだろう。

 神は「わたしは、有って有る者」(「出エジプト記」3章)といわれている。それを様々な宗教が一種の信仰告白のように教えを構築し、神はこうだ、神の願いは、といった教理を考え出してきた。そして出来上がった教理を死守し、それを否定する者が出てきたら、異教徒として迫害する。そんな歴史が繰り返されてきたのではないだろうか。

 そのように考えていくと、無神論者が神の宮の演壇から「神はいない」、「神は死んだ」とフリードリヒ・ニーチェのように叫んだとしても、それほど深刻なことではないのかもしれない。なぜならば、無神論者だけではなく、教会に通う敬虔な多くの信者も「イエスの復活」や「聖母マリアの処女受胎」の話を信じていないからだ。その点で同じだ。無神論者と神を信じる者の壁が次第に消滅してきたのだ。

 昔は無神論者と神を信じる者の間には激しい戦いがあった。ドイツの哲学者、数学者のゴットフリート・ライプニッツとフランスの啓蒙思想家、ヴォルテールとの間で神の存在などについての書簡のやり取りは有名だ。天災が起き、多数の犠牲者が出るたびに、多くの人々は「あなた(神)はその時、どこにおられたのですか」と神の不在を問い詰めてきた。

 ドイツ人の前ローマ法王べネディクト16世(在位2005〜2013年)は価値の相対主義を憎悪し、厳しく批判した。同16世は価値の相対主義の後に来るニヒリズムの足音を恐れていた。神の真理は一つであり、それを信じることが信仰だと考えてきた。カトリック教会は絶対的真理を持っていると確信してきたから、他宗派に対しては厳しい視線を投げてきた。「イエスの復活」でも「聖母マリアの処女受胎」でも新約聖書の記述者が書いたように信じようとしてきたし、それを信者たちにも要求してきた。だから、平信者ばかりか、リベラルな聖職者からも厭われてきた。

 べネディクト16世の絶対信仰は素晴らしい。信仰する以上、そうあるべきだろう。揺れがないのだ。ただし、神の世界は無限大であり、人間の思考はそのわずかな部分を認識しているだけに過ぎないと考えると、一つの教えだけを絶対視し、他を排除することにはやはり危険を感じる。

 シュピーゲル誌によると、キリスト者(平信徒)だけではない。ドイツのキリスト教会ではほぼ半数の聖職者が時には信仰への確信が揺れるのを感じているという。それは「神は自分の傍にいない」という絶望的な虚無感だという。貧者救済のために生涯を歩んだノーベル平和賞受賞者マザー・テレサですら、親族宛ての書簡の中で「私はイエスを探すが見いだせず、イエスの声を聞きたいが聞けない。自分の中の神は空だ」といった苦悶を告白している(「『神の不在』に苦悩した人々」2011年8月18日参考)。

 教会は「神の宮」として絶対の権威を有していたが、教皇とカトリック教会の腐敗堕落から宗教改革を経て、啓蒙思想を通じて世俗化されていった。教会は次第にその権限を失い、聖職者の未成年者への性的虐待問題が表面化して、信者の教会への信頼も失われた。一方、神への信仰は教会や組織から離れ、個人化されてきた。そして「イエスの復活」なきイースター、「神」なき信仰、「教義」なき信仰が生まれてきた。これを「信仰の多様化」、「教義のグローバル化」と表現すべきだろうか、それとも「キリスト教の終わり」の前兆だろうか。明確な点は、「神の終わり」ではないということだけだ。

金正恩氏の妹・金与正さんの「欠席」

 北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長は25日、ロシア極東ウラジオストックのルースキー島にある極東連邦大でロシアのプーチン大統領と首脳会談を開き、伝統的な親善関係の強化を確認した。共同コミュニケや声明文は公表されていないが、朝鮮半島の非核化と対北制裁の解除問題などを話し合った模様だ。

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▲金正恩委員長とプーチン大統領(2019年4月25日、ウラジオストックで、クレムリンの公式サイトから)

 ロシアのメディアによれば、ロシア側は北の非核化問題では停滞している6カ国協議の早期再開を主張。北朝鮮中央通信(KCNA)が26日報じたところによると、金正恩氏は非核化問題では「朝鮮半島の平和は米国の出方次第だ」と強調、2月末にハノイで開催された米朝首脳会談のように米国側が強硬姿勢を続ける限り、進展はあり得ないと警告したという。

 金正恩氏にとってロシアのプーチン大統領との首脳会談は初めて。父親の故金正日総書記は2011年8月、メドベージェフ大統領(当時)と会談しているから、ロ朝首脳会談は8年ぶりの開催となった。

 金正恩氏とプーチン大統領が首脳会談後に開かれた夕食会で笑顔を見せながら乾杯している写真が配信されてきた。首脳会談は予定の1時間の倍の2時間に及ぶなど、両者は突っ込んだ話し合いをしたようだ。金正恩氏は中国との関係だけではなく、ロシアとの関係をアピールすることで多角外交を示したわけだ。

 北朝鮮専門家によると、金正恩氏は訪ロでは2つの目標があったという。一つは、中国に対して「わが国は中国だけではなく、ロシアとも関係が深い」ことを示すことで、中国側を牽制する一方、ロシア側には8000人と推定される北朝鮮労働者の滞留延長を要請することだった。


 ちなみに、海外に働く北労働者総数は約6万人から6万5000人、ロシアや中国など約40カ国に派遣されている。労働者海外派遣ビジネスからの総収入は年間1億5000万ドルから2億3000万ドルと推定されている。労働職種は建設業、レストラン、鉱山、森林業、道路建設などが主だ(「金正恩氏は“現代の奴隷市場”支配人」2014年12月9日参考)。対北制裁では、北朝鮮の労働者の労働ビザ発給は禁止されている。貴重な外貨獲得源の海外労働者のビザ再発給をプーチン氏に要請することが金正恩氏の今回の訪ロの目標だったわけだ。


 一方、外国首脳との会議では遅刻常習犯のプーチン氏は今回、ルースキー島の極東連邦大の会議場に先に到着し、金正恩氏を迎えた。プーチン氏にとっても朝鮮半島の非核化問題に関与することで、ロシアのプレゼンスを国際社会に示す機会となったわけだ。

 ところで、金正恩氏の妹・金与正(党第1副部長)は今回の首脳会談には欠席した。金与正さんは3回開かれた南北首脳会談や2回の米朝首脳会談で常に金正恩氏の傍にいて会議の進行を見守る一方、休憩時に兄の金正恩氏のタバコに火をつけるなどてきぱきとした動きで兄を助けていた。その姿がウラジオストックでは見られなかった。首脳会談後に開かれた拡大会合では、北朝鮮からは李容浩外相、崔善姫第1外務次官が、ロシアからはラブロフ外相らが出席した。

 金与正さんの欠席について、日韓メディアによると、第2回米朝首脳会談が不調に終わった責任が問われ、兄から処罰を受けたのではないかと推測されている。米朝首脳会談ではトランプ大統領が一方的に北側に最後通牒を突きつけ、席をたつなど、米国側のペースで進行し、制裁解除を期待していた金正恩氏を失望させた。そのため、帰国後、米朝首脳会談の準備をしてきた党幹部が追放され、米朝間の調停役を果たしてきた金英哲副委員長は「北朝鮮統一戦線部長」のポストを失った。金与正さんの場合も「妹だといって特別扱いはできない。しばらくは自制しておけ」と金正恩氏に言われたというのだ。十分考えられるストーリーだ。

 参考までに、北朝鮮事情通によると、金与正さん(30)はヒロポン中毒だという。メタンフェタミン類の覚せい剤で中毒性は強い。北朝鮮は国内には麻薬問題はないと豪語してきたが、実際は社会の隅々まで麻薬中毒が広がり、大きな社会問題となっている。特に、労働党幹部の家庭で麻薬中毒が広がり、党幹部の2世、3世が中毒になっているという。金与正さんもヒロポン中毒者だというのだ。

 実兄・金正哲氏(37)は音楽好きでエリック・クランプトンの大ファン、政治には無関心。妹はヒロポン中毒、自分を裏切ろうとした叔父(張成沢)は処刑し、異母兄・正男氏を猛毒の神性剤で殺害した。金正恩氏を取り巻く親族関係者の事情はいずれも深刻だ。

 金正恩氏は自身に不信を持つ側近たちを次々と処刑し、金王朝の堅持のために腐心してきたが、3代続いてきた世襲国家の終わりは独裁者の家庭周辺から既に始まっている。

ファーウェイは実質的には国有企業

 米国政府は中国通信機器大手ファーウェイ(華為技術)が中国のスパイ活動を支援しているとして米国市場から追放する一方、カナダや欧州諸国にも同様の処置をとるように働きかけてきた。米国政府は今年に入り、カナダ政府が昨年12月、米政府の要請で逮捕したファーウェイ社の創設者任正非氏の娘、孟晩舟・財務責任者の引き渡しを要求したばかりだ。

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▲ファーウェイのフラグシップショップの予定地(2019年2月9日、ウィ―ンで撮影)

 例えば、東欧のチェコのアンドレイ・バビシュ首相は昨年12月18日、内閣の職員に対して、ファーウェイ製スマートフォンの使用を禁止している。理由は「中国のファーウェイと通信大手の中興通訊(ZTE)のハードウェアやソフトウェアを使用すると、セキュリティ上の問題が出てくる」からだという。ポーランドでは1月8日、ワルシャワのファーウェイ社事務所の中国人職員がスパイ容疑で逮捕されている、といった具合だ。

 その一方、米国と情報提携が強固な英国でメイ政権は24日、ファーウェイによる次世代通信規格(5G)網への参入を認める決定を下している。すなわち、ファーウェイ製の機材がスパイ活動に利用されているという米国側の主張に対して、欧州では依然懐疑的な意見があることを裏付けているわけだ。

 米国の主張に懐疑的な主な理由は、.侫 櫂ΕДい蝋駘企業ではなく、民間企業だ、技術的にファーウェイ社の機材で中国共産党政権のスパイ活動を支援している証拠がない―の2点だ。

 中国問題専門家で筑波大学名誉教授の遠藤薫氏は先日、パトリオットTVとのインタビューの中で、習近平国家主席が推進する「一帯一路」プロジェクトに対して日本が支援することを警告する一方、同国のファーウエイが中国共産党政権のスパイ活動を支援しているという米国の主張に対して「ファーウェイは民間企業だ。ZTEのような国有企業ではない」と説明、ファーウェイの情報工作説を否定している一人だ。

 中国当局が公開する工商登記情報によると、ファーウェイは純粋な民間企業で創設者の任正非氏が株の1%を握り、他の99%はファーウェイ社の社員の労働組合(華為投資控股有限公司工会)が所持している。従業員の持株制度だ。だから、中国共産党政権はファーウェイにスパイ活動を強要する権限も法的権利もないという理由だ。

 それに対し、海外中国メディア「大紀元」は24日、「ファーウェイの所有者は誰?」の記事で、中国の法律に精通した米国専門家、ジョージ・ワシントン大学法学部教授のドナルド・クラーク氏とフルブライト大学ベトナム校のクリストファー・バルディング教授が発表した調査報告書を報道し、「ファーウェイの従業員持株制度は、一般的な従業員持株制度と異なる。中国の労働組合は、当局の支配下にある中華全国総工会が管理しているため、ファーウェイの社員は労働組合の方針、決定などに発言権を持たない。ファーウェイが社員に与える『ファントム・ストック(Phantom Stock、架空の株式)』も実質的には賃金の一部でインセンティブであり、法で定める会社の所有権や経営決定権と無関係だ」という主張を掲載している。すなわち、ファーウェイは登記上、民間企業だが実質的には中国共産党政権の管轄下にあるというわけだ。

 中国では「宗教の自由」は憲法で保障されている。だから中国では「信仰の自由」は認められているとはいえない。キリスト教徒、イスラム教徒、チベット仏教は中国共産党政権から激しい弾圧を受けている。同じように、登記上、ファーウェイが民間企業としても実質的には共産党政権の情報活動を支援している国有企業の疑いがあるわけだ。中国共産政権下では、憲法や法律で何が明記されているかが重要ではなく、実際、何が行われているかが問題となるからだ。

 「大紀元」は一つの実例を紹介している。広東省最高人法院(地裁)は2003年、ファーウェイ社の2人の社員が株式の買い取りを会社に要求したが、拒否された。そこで訴訟を起こしたが、「ファーウェイの発起人だけが工商管理部門で登記しているが、同社の社員は株主として登録していない。ファーウェイの労働組合が保有する株式は『ファーウェイとその社員の契約』であり、ファーウェイ社員は同社の株主ではない」と結論を下している。ファーウェイが国有企業であることを裏付ける判決だ。

 次は、技術的にファーウェイ製機材は中国共産党政権に情報を提供しているかだ。「大紀元」によると、米IT大手のマイクロソフトは今年1月、ファーウェイが製造するノートパソコンに、不正アクセスのための侵入口であるバックドアが設置されているのを見つけた。マイクロソフトは3月25日に公開したセキュリティ情報で、ファーウェイ製ノートパソコン、MateBookに搭載されているPCManagerソフトウェアを使うと、権限のないユーザーでも、スーパーユーザー権限でプロセスを作成できると警告している。ファーウェイが開発したデバイス管理ドライバーが原因だ。マクロソフトの報告を受け、ファーウェイ社は1月19日、ソフトウェアの修正プログラムを発表している。

 以上をまとめる。

 ファーウェイは実質的には国有企業の可能性がある一方、技術的にもファーウェイ社の機材に過去、不法なアクセスが可能なバックドアが設置されていたことが発見されている。ファーウェイ製の機材に慎重にならざるを得ない理由だ。

宗教色深める「国際テロ」のトレンド

 スリランカの最大都市コロンボなどのキリスト教会や高級ホテルで今月21日、テロとみられる計8回の爆発が起き、24日現在、日本人1人を含む359人が死亡したというニュースは世界を震撼させている。同国国防次官は、「今回のテロ事件は3月15日に発生したニュージランド(NZ)銃乱射事件に対するイスラム過激派の報復テロの可能性が考えられる」と述べている。NZ中部のクライストチャーチの銃乱射事件は、白人主義者で反イスラム教の犯人が2カ所のイスラム寺院(モスク)で銃乱射し、50人が死亡した事件だ。

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▲スリランカの爆弾テロ事件で犠牲となった人々(バチカン・ニュースのHPから、2019年4月23日)

 現地からの情報によれば、スリランカ内のイスラム過激派「ナショナル・タウヒード・ジャマア(NTJ)」による犯行と見られている一方、イスラム過激派組織「イスラム国」(IS)は「スリランカで有志連合の国民とキリスト教徒を狙ったのはISの戦闘員だ」と犯行声明を出している。

 スリランカのテロ事件の詳細な情報はコロンボからの現地情報に委ねるとして、「国際テロ」事件の過去の動向を振り返ると、明らかに一つのトレンドが浮かび上がってくる。

 1)「小規模なテロ事件」から「大胆な計画的、組織的テロ」に移行

 2)世界の耳目を奪うために「無差別テロ」や「トラック車両突入テロ事件」
  .侫薀鵐抗很慎念日(2016年7月14日)、同国南部ニースのプロムナード・デ・ザングレの遊歩道付近でトラック突入、84人が犠牲、
  同年12月19日、ドイツのベルリンのクリスマス市場で大型トラックが突入、12人死亡、
  スペインのバルセロナで2017年8月17日、ワゴン車が市中心部の観光客で賑わっているランブラス通りを暴走、13人が死亡。

 3)襲撃対象を「宗教関連施設」に集中。
  .侫薀鵐綱棉瑤離汽鵐謄謄エンヌ・デュルブレのカトリック教会で2016年7月、2人のイスラム過激派テロリストが神父を殺害。
  ∈鯒10月27日、米ペンシルバニア州ピッツバークのシナゴーク(ユダヤ教礼拝所)の襲撃事件(11人が死亡)、
  NZの2カ所のイスラム教モスク襲撃。
  ぅ好螢薀鵐の3か所のキリスト教会爆発テロ事件。


 もう少し詳細にみると、テロリストは、モスクやキリスト教会が宗教的行事を行っている時を選んで襲撃している。

 。裡擇両豺隋◆峩睛卜蘿辧彁だ。イスラム教徒にとって一週間で金曜日の祈祷集会は最も重要な宗教行事だ。
 ▲轡淵粥璽襲撃事件ではユダヤ教の「安息日の礼拝」中。
 フランスのカトリック教会襲撃事件では教会の「朝拝の礼拝」時。
 ず2鵑離好螢薀鵐ではキリスト教会最大のイベント、「復活祭」の記念礼拝中。

 この一連の流れから判断できることは、テロリストは襲撃対象を宗教関連施設に絞る一方、襲撃時期も宗教的イベントの開催中を選んで実行していることだ。もちろん、スリランカの場合、3カ所の高級ホテルが同時に襲撃されているから、イスラム過激テロ組織の伝統的な襲撃対象、欧米社会のシンボルを攻撃するという目標は依然、失われていない。

 次は、なぜ、テロリストは宗教関連施設を襲撃するのだろうか。イスラム過激派テロ組織にとって異教徒のキリスト教会は最大の憎悪対象だ。同時に、テロを実行する側にとって宗教的に表現すれば「聖戦」だ。聖戦意識はテロリストたちの憎悪、敵愾心、戦闘意識を否応なく高揚させる。

 テロの場合、襲撃対象を「ハードターゲット」と「ソフトターゲット」に分けられるが、政府機関や公共機関は前者でテロ対策も厳重だ。一方、劇場やスポーツ競技場などはソフト・ターゲットで、テロ対策は難しい。2015年11月13日、パリのバタクラン劇場で起きたテロ事件はその典型だ。


 国際テロで宗教関連施設を狙うテロ事件が多発してきたのは、「襲撃しやすい」という物理的、外的な条件が考えられる。治安関係者が全ての宗教関連施設を警備することは実質的に不可能だ。どうしても警備体制に隙間が出てくる。そのうえ、一度の襲撃で「無防備な多くの信者を殺害できる」からだ。

 ちなみに、5月5日から6月4日の1カ月間、ラマダン(断食月)だ。この期間、イスラム教徒はモスクに集まり、断食明けをする機会が増える。NZのモスク銃乱射事件のように、イスラム教徒を狙ったテロ事件が発生する危険性は高まる一方、イスラム過激派の宗教熱が高揚し、テロなど戦闘的な言動に走りやすい。国際テロ対策からいえば、「ラマダン」は危険な時期だ。

 国際社会は宗教戦争の様相を一層深めてきた「国際テロ」に対し、これまで以上に警戒が欠かせられない。特に、2020年東京夏季五輪大会を開催する日本は「国際テロ」の新しい動きには十分注意を払う必要がある。

消えた金正恩氏のソウル訪問計画!

 あれはいつ頃だっただろうか。北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長のソウル訪問がメディアで大きく報道されたのは。当方の記憶に間違いなければ、金正恩氏はソウルをまだ訪問していないはずだ。すなわち、韓国の文在寅大統領が夢見てきた金正恩氏のソウル訪問計画は取り消された可能性が高いわけだ。

 いずれにしても、南北両サイドから「金正恩氏のソウル訪問」といった話はもはや聞かなくなった。公式にも何も報じられていない。だから、同計画はダメになったか、それとも遠い将来に延期されたのか、どちらかだろう。以下、その理由を考えた。

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▲ワシントンでの米韓首脳拡大会議(2019年4月11日、韓国大統領府公式サイトから)

 ゞ眄飢源瓩魎攅颪坊泙┐觝櫃虜蚤腓量簑蠅楼汰澗从だった。それが2月22日以後、金正恩氏のソウル入りは考えられなくなった。スペイン・マドリードの北朝鮮大使館を海外反北朝鮮団体「自由朝鮮」のメンバーが襲撃し、コンピューターや書類などを奪って逃げるという事件が起きたのが2月22日だ。北朝鮮大使館襲撃事件の背後には米情報機関関係者が関与していた疑いも出ている。

 「自由朝鮮」は後日、世界に向かって、「われわれは北朝鮮の臨時政府だ」と表明し、3代続いてきた金独裁政権を崩壊させると宣言した。「自由朝鮮」は韓国社会にも脱北者のメンバーを抱えている。そのような状況下で金正恩氏がソウル入りしたら、自殺行為に等しい。賢明な金正恩氏は知っているはずだから、文大統領に会うためにはソウルを訪問しないだろう。

 韓国の世論調査社リアルメーターが22日公表したところによると、文在寅大統領への支持率は48・2%と、5週連続50%以下を続けている。韓国民の半分以上が文大統領の政権に不満を持っているわけだ。平昌冬季五輪大会時のような南北融和の雰囲気はもはや期待できない。ソウルを訪問したとしても、路上で南北の国旗を持って歓迎してくれるソウル市民の数は限られるだろう。大歓迎に慣れてきた金正恩氏は自身が歓迎されていないことを肌で感じるだけだ。文政権の動員力にも限界がある。「金正恩氏をソウルに招くより、国民経済の復興に努力せよ」といった声が国民の口から飛び出すだろう。ホストの文大統領の政治力が下降する一方、韓国内の保守派勢力が息を吹き返してきた。そのような時にソウルを訪問するのは危険きまわりない冒険だ。

 ハノイで開催された第2回米朝首脳会談後(2月27、28日)、朝鮮半島の非核化交渉では韓国の文政権と交渉したとしても意味がないことが一段と明確になった。文大統領は北側の「段階的非核化」、「行動対行動」を支持していたが、肝心のトランプ大統領は完全、検証可能で、非逆行な非核化を主張、それが実行されるまで制裁の解除もあり得ないと強い姿勢だ。文大統領の制裁の一部解除に応じる姿勢を見せていない。開城工業団地や金剛山観光業の再開も米国がOKを出さない限り、実現できない。交渉は米国とだけ意味がある。文大統領の米朝間の“調停役”については、金正恩氏自身が「不必要なこと」と強調したばかりだ。北側でも文大統領の政治力への評価は急落している。ハノイの米朝首脳会談の結果、金正恩氏のソウル訪問計画についてもはや誰も語らなくなったわけだ。

 な限臈領がここにきて突然、4回目の南北首脳会談開催の意向を表明し、北側に打診している。ということは、文大統領自身が金正恩氏のソウル訪問は困難だと判断、その代案として4回目の南北首脳会談の開催を思いついたのだろう。韓国大統領府は21日、「米韓首脳会談(4月11日、ワシントン)でトランプ大統領から金正恩氏へのメッセージを託された」と説明しているが、文大統領は南北融和路線だけは維持したいため、ハノイの米朝首脳会談後、なるべく早い時期に南北首脳会談を開催したいのだろう。韓国のメディアによると、文大統領は特使を北側に派遣し、南北首脳会談の時期を決定したいというが、北側からはまだ返答はない。

 なお、金正恩氏は24、25日にロシア極東のウラジオストクでロシアのプーチン大統領と初の露朝首脳会談を開催する予定だ。

 韓国の野党からも「文大統領は金正恩氏の報道官」と酷評されているが、文大統領は自身の路線を修正しようとしていない。忘れてならない点は、金正恩氏が独裁者であり、数十万の北の同胞が政治収容所に送られているという事実だ。その金正恩氏を現時点でソウルに招き、歓迎すれば後世に汚点を残すことになっただろう。それだけに、金正恩氏のソウル訪問計画がいつの間にか消えてしまったのは、自然の道理というより、`天の道理`だ。

フランスで「気前良過ぎ」はご法度?

 財布の紐を固くし、金を出すのを惜しんでいると、「あいつはケチだ」といわれるが、気前よく出し過ぎると今度は「あいつは金を持っていたのにこれまで何もおごってくれなかった」と受け取られ、やはり「ケチな人間」として批判される。

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▲ノートルダム大聖堂の再建問題を協議するマクロン大統領(仏大統領府公式サイトから、2019年4月17日)

 ここで「中庸の徳」を説くつもりはない。何を言っているのかといえば、パリのノートルダム大聖堂の火災で屋根が焼け落ち、尖塔が燃え落ちたことが分かると、フランスの金持ちが次々と億単位の巨額の寄付金をノートルダム大聖堂の再建のために出したというニュースが流れてきたことだ。火災後数日内で10億ユーロ以上が集まったというから凄い。フランス人は戦争には弱いが、気前は飛びぬけていい国民だろうか。

 「流石にフランスは文化国家と呼ばれるだけはある」と感心していたら、どうやらそうとは言えないようだ。フランス国民はケチとは思わないが、巨額の寄付をするお金もちに称賛の声ではなく批判の声が飛び出しているのだ。曰く、「社会の貧困救済には目をつぶってきた」、「わが国の金持ちは福祉や公益のためには金を出すのを渋るが、メディアが注目し、税金対策にもなると分かれば、巨額の金を寄付する」と指摘、数百万ユーロを寄付する資産家に対して当てこすりではなく、本当に憤慨しているのだ。

 カトリック教国のフランスで20日、同国各地で「黄色いベスト運動」の反政府デモが再び行われ、現地からの情報ではフランス全土で2万8000人がデモに参加。デモの一部は暴動化し、逮捕者も出たという。デモの暴動対策のために約6万人の警察隊が動員された。

 昨年11月からマクロン大統領の政策に反対し路上で抗議デモをしてきた「黄色いベスト運動」はよりによって復活祭の前日、暴れたのだ。彼らは「使い道がないほどの巨額の金を持っていながら、労働者の生活改善のためには寄付しない」、「俺たちは数ユーロでも節約しながら生きているのに、資産家たちは俺たちの生涯稼げる資金を簡単に寄付していい顔をしている」、「人間より建物を大切にするのか」と叫んだ。

 ノートルダム大聖堂再建の寄付活動を通じて、「持てる者」と「そうでない者」の経済格差が鮮明に浮上してきたのだ。簡単にいえば、「富の不平等な配分」だ。古くて新しい社会問題だ。ノートルダム大聖堂の再建を「5年で完了する」と豪語したマクロン大統領自身は資産家たちの気前のいい寄付に大歓迎で、税対策に配慮する考えも語ってきたが、予想外の展開に頭を痛めている。

 マクロン大統領は火災時、現場に飛び、燃える大聖堂を目撃し、「私の全ての同胞と同様、今晩私たちの一部が焼けているのを見て悲しい」と述べ、火災の翌日(16日)、「ノートルダム大聖堂をパリ夏季五輪が開催される2024年までに再建する」と表明し、専門家からは「非現実的で、人気取り政策」という声が出ている有様だ。

 人は常に批判し、時には妬む。特に、相手が持っていて、自分にないことが分かった場合だ。寄付という行為は本来慈善活動だが、その点では変わらない。米のウォール街で起きた「われわれは99%」運動はグロバリゼーションを批判し、資本主義社会の貧富の格差を糾弾し、話題を呼んだ。国の総資産の大部分を僅かな資産家によって占められているという事実が報じられると、「われわれは搾取されている」といった声がリベラルな米国社会でも飛び出した。久しく葬られたと思っていたマルクスが蘇ってきた(「『労働』が神の祝福となる日」2017年7月27日参考)。


 ノートルダム大聖堂再建を支援する資産家の寄付活動とそれを批判する労働者の声をニューヨーク・タイムズ紙も報じていた。労働者の批判は決して途方もない言いがかりではないが、資産家が盗人ともいえない。彼らも汗を流して資産を蓄えたのだろう。正当な報酬というべきかもしれない。ただ、経済格差が拡大し、その事実が今回のようにあからさまに報じられると、世間は黙っていない。抑えていた不満や怒りが飛び出す。

 カインはアベルを、エソウはヤコブを妬ましく思って殺そうとした。前者は実際殺してしまった。富む者への嫉妬は今始まった疾患ではなく、人類歴史が始まって以来の病だ。嫉妬心を抑えることができる人は聖人か諦観者だけかもしれない。ただし、嫉妬心はいつも良くないとはいえない。持てる者のようになりたいと努力することはいい。いい意味で競争心も出てくる。

 話をノートルダム大聖堂の再建に戻す。資産家が再建に必要な金を提供してくれるというのだから、その気前良さを受け入れようではないか。大聖堂が再建され、世界から多くの観光客が集まれば、国家収入も増え、国民の貧困対策や教育問題などに利用できる。効果が出てくるまで少し時間はあるが、国民にも恩恵が届く。労働者だけではない。社会が良くなれば、資産家も嬉しいはずだ。両者はウィンウィンだ。

 コラムで書くのは簡単だが、確かに実行は難しいテーマだ。試行錯誤しながら、人間は嫉妬心をコントロールするだけでなく成長のバネに転換する訓練が必要だろうう。忘れてはならない点は、「持てる者」、「愛されている者」の責任はそうではない者よりもやはり大きいということだ。

歴史発展の原動力としての「受難」

 復活祭(イースター)の21日午前(現地時間)、バチカンのサンピエトロ広場で挙行されたローマ法王フランシスコの「復活の主日」のミサをテレビでフォローした。世界のキリスト者にとって1年で一番大切な祝日だ。広場は世界から集まった信者たち、巡礼者たちで一杯だった。フランシスコ法王は記念ミサ後、聖ペトロ大聖堂の中央バルコニーから世界の紛争地に言及し、その平和的解決を願うメッセージ(「ウルビ・エト・オルビ」)を発信した。

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▲聖ペテロ大聖堂の中央バルコニーから「ウルビ・エト・オルビ」を発信するフランシスコ法王(バチカン・ニュースのHPから 2019年4月21日)

 いつものことだが、復活祭を迎えるたびに考えさせられる。イエスが十字架で亡くなり、3日目に蘇ったということを信じる者たちは、死を乗り越えた救い主イエスの言動に感動し、そこから生きる力を得る。キリスト教では「死」は人類始祖の罪から発生したという。だから生きている全ての存在にとって「死」は避けられないが、イエスはその「死」を乗り越えて復活した。その事実を世界に伝えるために出かけたのがキリスト教の歴史だった。イエスは復活後、40日間、弟子たちと共に歩んだ後、天に昇天した。

 「死」が人類始祖の罪(原罪)によってもたらされたものだとすれば、それは明らかに刑罰だろう。悪事を犯した者はこの社会でも刑罰を受ける。その悪事の軽重によって刑罰の内容は決まるが、「死」は最も重い刑罰だ。換言すれば、人類始祖の罪によって、その後の人類は例外なく死刑囚のような立場で生まれてくる。「割に合わない人生だ」と不平言っても仕方がない。

 新約聖書によれば、イエスは神の子として罪なき存在だ。それ故に、というべきか、イエスは「死」を乗り越えることができたのだろうか。それともイエスは神の子の特権で「死」に対して免疫があったのだろうか。

 「死」はこれまで一緒に生きてきた同伴者との別離を意味する一方、「新しい世界」への出発となる。それでは「死」後に入国する「新しい世界」はどこにあるのだろうか。ブラックホールのトンネル(三途の川)を抜けるとそこは「新しい世界」だった、というのだろうか。

 イエスは「あなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいる」(「ヨハネの黙示録」第3章1節)、「私を信じる者は死んでも生きる」(「ヨハネによる福音書」第11章)と語っている。しかし、永遠の命を約束したイエスも、それを信じた人々も、その肉体は死んでいった。

 イエスの語る「死」には二通りの意味が込められていることが分かる。肉体的に朽ちる「死」と、神の愛から離れた「死」だ。前者はイエスを含む全ての人間に当てはまるが、後者は神の懐から離れていった人間の死だ。宗教用語では「霊的な死」を意味する。デンマークの哲学者セーレン・キルケゴールが対峙していた「死に至る病」だ。

 ところで、なぜ人は永遠の命を願うのだろうか。始まりがあれば、終わりが必ずある。にもかかわらず、始まったが終わりたくないと叫んでいるのが私たちの偽りのない姿ではないか。それは、死刑囚の運命で生まれてきた人間が終身刑に減刑してほしいと裁判官に訴えているような状況だ。

 興味深い点だが、キリスト教には「復活祭」(移動祝日)を祝う一方、「死者の日」(11月2日)もちゃんと祭日となっていることだ。誰が復活し、誰が死者としてとどまり続けるのか。そもそも誰がそれを決めるのだろうか。

 イエスは罪なき方として生まれてきた。そのイエスが33歳の若さで十字架上で殺害された。イエスの「死」は罪の結果ではなく、明らかに「受難」による「死」だ。キリスト教では、原罪ゆえに制裁下にある人類がイエスの十字架上の犠牲によって復活(原罪からの解放)できる道が開かれた、と教えている。

 明確な点は、イエスの歩みがその後の人類に大きな恩恵を与えてきた、という事実だ。人類の歴史は史的唯物論が主張するように戦争や闘争で発展してきたのではなく、「受難」を原動力として前進してきたことが分かる。これは困窮下や病苦の中で生きている人々にとって、大きな慰めとなるメッセージだ。繰り返すが、イエスが「受難」を受けて犠牲となった衝撃は、様々な波紋をその後の歴史に投じてきた。2000年前の「イエスの復活」は“神のビックバン”を告げる最初の出来事だったわけだ。

「イスカリオテのユダ」の名誉回復?

 世界のローマ・カトリック教会総本山バチカンのサンピエトロ広場で21日、ローマ法王フランシスコが復活祭の記念ミサを行う。イエス・キリストが十字架上で死去、その3日後に復活したことを祝う日だ。正教会暦では1週間後の4月28日が復活祭となる。

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▲フランシスコ法王、聖木曜日の洗足式で受刑者の足を洗う(2019年4月18日、バチカン・ニュースのHPから)

 ところで、新約聖書によれば、12弟子の1人「イスカリオテのユダ」が30枚の銀貨を受け取り、イエスを祭司長らに引き渡し、イエスは連行され、十字架上で亡くなった。そこでキリスト教では久しく、ユダを裏切り者、サタンとして蔑視してきた。その一方、ユダは本当に金銭のためにイエスを裏切ったのかどうかを疑問視する神学者、聖職者が出てきた。2017年に出版された統一「新改訳聖書」の中ではユダは「裏切り者」といった表現だけではなく、「引き渡した者」という言葉でも呼ばれ出してきた。

 「イスカリオテのユダ」の名誉回復が秘かに進められているのだろうか。イスカリオテとは、「イス」(Isch)は人(男)を意味し、「カリオテ」(Kariot)は地域名だ。すなわち、カリオテ出身の男という意味になる。南部パレスチナ地方のカリオテはイエスが福音を伝えていたガリラヤまでには地理的に離れている。にもかかわらず、「イスカリオテのユダ」はイエスの群れを求めてやってきたわけだ。

 イエスの他の弟子たちは主にガリラヤ出身で漁師などをしていたが、「イスカリオテのユダ」は知識人だったのではないかという説から、過激な政治活動をしていた青年だったという推測も聞かれる(ウィーン大学の聖書学者マルチン・シュトヴァサー氏)。

 問題は、イエスを探し求めてきたユダがなぜイエスを裏切ったのか、という犯行動機の解明だ。多くの神学者、聖書学者がこれまで考えてきたが、満足できる答えを見出すのは難しい。なぜならば、ユダに関する記述があっても、その犯行動機については何も言及されていないからだ。

 ウィーン大学のヴォルフガング・トライトラー教授は、「ユダは裏切り者ではなく、大きな希望を抱いてきた使徒だった。イエスの12弟子の中でユダは最も強くイエスに期待していた使徒だった。具体的には、異教徒から解放してくれるメシアだと考えていた。だから、イエスを引き渡すことでイエス自身にメシアであることを公表させたいと考えていたのではないか」と解釈している。

 「ユダ自身、イエスを十字架の死に導くことで人類に救済をもたらした」とか、「神の人類救済の計画に操られたマリオネットだった」といった見方もある。イエスの「十字架救済論」の立場からいえば、ユダがイエスを引き渡し、イエスが十字架上で殺害されなかったならば、救済は成就できない。その観点からいえば、ユダはイエスの十字架救済を実現させた立派な功労者ということになる。決して「裏切り者」ではないわけだ。にもかかわらず、「イスカリオテ・ユダ」は常に罵倒され、忌み嫌われてきた。

 新約聖書の福音書ではユダの言動に関する個所で微妙な温度差がある。すなわち、福音書ではイエス像ばかりかユダ像も歴史的事実に基づいた記述というより、書き手の信仰告白、その解釈が綴られているからだ。

 「ルカによる福音書」ではイエス自身がユダに「人の子を裏切るのか」と言っている。「ヨハネによる福音書」では、ユダは金銭欲が強く、イエスの弟子の中では金を管理し、詐欺師のような人物を示唆している。そのユダ像は厳しい。例えば、「ヨハネによる福音書」13章2節には「悪魔は既にシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていた」と記述している。いずれにしても、新約聖書のユダ像は時間と共に、重く、暗いイメージが付きまとっていった。

 看過できない点は、福音書の反ユダ的な記述が教会の反ユダヤ主義のルーツともなってきたことだろう。キリスト教会では、聖週間にユダの像や絵を燃やすといった儀式すら存在する。

 ただし、第2バチカン公会議(1962〜65年)後、ユダ像のイメージが次第に明るくなっていった。カトリック教会が宗派を超えた対話を推進させてきたこともあって、ユダの名誉回復も静かだが進められていったからだろう。イエスは最初のキリスト者であり、同時に、ユダヤ人だった、という事実を強調することで、人間ユダに対する見直しの道も開かれてきたわけだ。
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