ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

2019年11月

文大統領、韓国の「今」を直視せよ!

朴槿恵大統領は「歴史の正しい認識」を標榜し、その後任の文在寅大統領は「積弊清算」を主張してきた。いずれも生きている「今」ではなく「過去」を政権の政策の要に置いてきた。その結果、日韓関係は「戦後最悪」ともいわれる険悪な状況をもたらした。

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▲韓国社会が「今」直面している諸問題に精力を注ぐべき文在寅大統領(韓国大統領府公式サイトから)

 国民経済が順調な時は「過去」のテーマに多くのエネルギーを注ぐことも悪くないが、国民経済に停滞の兆候がみえてきた「今」、過去の問題は本来、後回しにすべきだが、大統領就任前半を終了した文大統領は後半に入っても今なお「過去」がその主要テーマとなっている。

 朝鮮日報日本語電子版は28日、ソウルの合計特殊出生率が今年第3四半期、とうとう0・7を切り、0・69になった報じた。合計特殊出生率とは1人の女性が妊娠可能とされる15歳から49歳までの間に産む子どもの数を意味する。人口を維持するために必要な合計特殊出生率は2・1だから、韓国の特殊出生率は異常に低い。このままいくと今年は年間出生児数30万人維持も危うい状況だという。昨年の年間死亡者数(29万8820人)だから、死亡者数が出生数を上回ることになる。人口の減少だ。

 朝鮮日報によると、韓国の年間出生児数は2002年から16年までは40万人台を維持していたが、17年に30万人台に下がり、減少速度がますます増している。同国の人口学者は「韓国人は絶滅の道に入った」と警告しているほどだ。

 なぜ韓国人は子供を産まなくなったのだろうか。少子化問題は日本でも大きな問題だが、韓国の場合、少子化は超少子化と呼ばれるもので、合計特殊出生率は1・0を割って久しい。北朝鮮が韓国に戦争を仕掛けなくても、韓国は既に亡国の道を歩きだしているわけだ。

 韓国の自殺件数は世界トップ水準だ。韓国統計庁によると、昨年の死亡原因調査を発表したが、自殺者数が再び増加した。自殺率はOECD(経済協力開発機構)加盟国の中では最高で、自殺件数は1万3670人だった。前年比で1207人増で人口10万人当たりの自殺率は26・6人という。 韓国はリトアニアのOECD加盟で2位になっていたが、2018年の統計では再び1位になってしまったという。

 なぜ韓国人は自殺に走るのか。韓国政府は官民を挙げて自殺対策に取り組んできたが、残念ながらその成果は表れていない。韓国の人気アイドルグループ「KARA]元メンバー、ク・ハラさん(28)が今月24日、自宅で亡くなっているのを発見された。自殺という。韓国では芸能人の自殺が頻繁に報道される。ク・ハラさんの場合、友人の死にショックを受け、深刻なうつ病を引き起こしていたという。韓国の心理学者はク・ハラさんの自殺を「哀悼症候群」と分析している。

 韓国の若い世代では「ヘル朝鮮」という言葉がよく聞かれる。韓国の若者にとって、厳しい受験競争、就職探しなどがあって、地獄のような社会だという思いが込められている。一流大学に入学し、一流企業に就職することが多くの若者とその家族の願いだが、それを実現できるのはごく限られているから、大多数の若者は劣等感、敗北感、絶望感、自暴自棄の状況に陥りやすくなるわけだ。もちろん、若い世代だけではない。就職状況は中年の国民にとっても次第に厳しくなってきている。

 米精神科協会によると、韓国社会の特有の病気として、火病(a Korean culture-bound Syndrome)が挙げられている。恨めしいこと、悔しいこと、悲しいことを長期間、抑制している場合、それが限界に達し、心身が不調に陥った時に現れる症状で、文字通り腹の中から火の塊が飛び出して暴発するような症状を引き起こすことから火病と呼ばれている。他者への暴力性は少なく、怒りは自身に向けられるという。

 2014年4月16日、仁川から済州島に向かっていた旅客船「セウォル号」が沈没し、約300人が犠牲となるという大事故が起きた。船長ら乗組員が沈没する2時間前にボートで脱出する一方、船客に対して適切な救援活動を行っていなかったことが判明し、遺族関係者ばかりか、韓国民を怒らせた。朴槿恵大統領(当時)が事故一周忌の15年4月16日、死者、行方不明者の前に献花と焼香をするために事故現場の埠頭を訪れたが、遺族関係者などから「焼香場を閉鎖され、焼香すらできずに戻っていった」という。死者や行方不明者の関係者から「セウォル号を早く引き揚げろ」といった叫びが事故現場から去る大統領の背中に向かって投げつけられた(「焼香を拒む韓国人の“病んだ情”」2015年4月18日参考)。その出来事を知った時、当方は「韓国社会は病んでいる」と強烈に感じたものだ。

 文大統領は就任以来、過去の清算を掲げ、慰安婦問題、元徴用工問題から始まり、日韓併合の見直しまで足を突っ込み、日本に対して厳しく批判してきている。それらのテーマは「過去」だ。それも本人が直接体験しなかった過去の問題に対して、多くの精力を注いできた。同時期、国民経済は停滞の兆しを見せ、国民の間には「ヘル朝鮮」という言葉が流行。合計特殊出生率は1・0を割り、自殺件数は世界のトップとなってきた。これらの問題は韓国社会の「今」起きていることだ。文大統領は閉じてきた目を開ければ目撃できる現象だ。

 文大統領よ、任期後半は「過去」ではなく、「今」に集中すべきだ。国民は今、悩んでいるのだ。「過去」は「過去」自身に委ねるべきではないか。文大統領は南北融和路線を走り、南北再統一を視野に入れて歩んでいるが、国民が「今」直面している諸問題を放置して、南北の再統一を叫んでも国民の心には響かないだろう。

政党が破産寸前に追い込まれる時

 オーストリア社会民主党(SPO=前身社会党)の黄金時代、13年間君臨したブルーノ・クライスキー社会党単独政権(1970〜83年)を体験した国民ならば、現在の社民党の不甲斐なさに驚くだろう。国民党に1度政権を奪われたことがあるが、戦後から常に政界の中核を占めてきた。銀行総裁だったフランツ・フラ二ツキー氏(首相任期1986〜97年)が率いた10年間余りの社民党主導政権を最後に、社民党はゆっくりとだが、確実に政党としてのパワーを失っていった。イケメンのセバスティアン・クルツ国民党党首が政治の表舞台に出てきたことで、社民党の低迷は一層決定的となった。

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▲社民党主導の長期政権を誇ったフラ二ツキー首相(当時)=1989年、オーストリア連邦首相府で撮影 

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▲短期政権に終わったケルン氏=2016年7月1日 ウィーンの連邦首相官邸内で撮影

 ヴェルナー・ファイマン(2008〜16年)社民党主導連立政権は16年5月のメーデーで労働者の退陣要求を受けて辞任。実業家のクリスティアン・ケルン氏が新党首、首相(2016年5月〜17年12月)に就任したが、17年10月15日の総選挙でクルツ氏が率いる国民党に敗北し、政権を失った。

 下野したケルン党首が昨年9月、突然、政界から引退したのを受け、パメラ・レンディ=ワーグナー女史(前政権で保健相歴任)がSPO初の女性党首に選出された。ここまでは隣国ドイツの社会民主党(SPD)と同じプロセスを歩んでいる(「女性党首は社民党を救えるか?」2018年11月28日参考)。

 医者出身の レンディ=ワーグナー氏は政権奪回を目指して奮闘してきたが、その後の選挙で勝利したのはケルンテン州議会選だけで、あとは欧州議会選、今年9月29日の早期連邦議会選を含め、全ての選挙で得票率を大きく失ってきた。

 レンディ=ワーグナー党首は今月24日に実施されたシュタイアーマルク州議会選での敗北直後、党の刷新を改めて表明する一方、党財政が破産寸前となっていることを明らかにし、その財政危機を脱するためにウィーンの連邦党本部職員の約25%を解雇する一方、公務用自動車台数の削減などを表明したばかりだ。

 同党首によると、社民党は党員の減少、国からの政党補助金の減少などで9月末現在で約1490万ユーロ(約18億円)の債務を抱えている。党の再生の第一歩として党の債務削減が急務となってきた。具体的には、連邦社民党本部の職員102人から27人を解雇、公用車台数を減少し、外部の専門家たちとの顧問契約の見直しに取り掛かっている。2025年までに党の債務を完全になくするという。

 レンディ=ワーグナー党首が、「私はケルン前党首から党の赤字を引き継いてきたが、その額は約1500ユーロだった」と主張したとが報じられると、ケルン前党首は、「私の時代の党の赤字総額は1087万ユーロだった。それも減少傾向にあった」と指摘、党の財政破産の責任は自分ではないと反論、現・前党首の間で党の債務総額で対立している有様だ。

 明確な点は、ケルン氏時代に入って党は巨額の契約で複数の選挙専門家、コンサルタントと顧問契約を結んできたことは事実だ。その巨額の顧問料を払ったが、社民党は選挙の度に敗北した。同じようにレンディ=ワーグナー党首も個人アドバイザーに高額の顧問料を支払っていたことで問題となっている。全く無駄な投資だったわけだ。

 社民党の低迷が今後も続けば、来年実施予定のブルゲンランド州議会選、そして首都ウィーン市議会選でも苦戦は避けられない。社民党は「緑の党」や不祥事が続く極右党「自由党」にも抜かれ、リベラル派政党「ネオス」と共に小政党に甘んじる事態が予想されるからだ。

 社民党が国民の支持を失った直接の契機は2015年の中東・北アフリカからの大量難民の殺到とそれへの対応だ。クルツ国民党党首は厳格な国境管理をいち早く主張する一方、社民党は従来の寛容な難民受け入れを支持した。その結果、国民は前者を支持し、社民党離れが急速に出てきた。

 また、労働者の味方を標榜してきた社民党だが、アルフレード・グーゼンバウアー元党首(2007年1月〜08年12月)がロシア富豪の顧問となって巨額の顧問料を受け取っていることがメディアで報じられると、社民党を支持してきた有権者からは「労働者の党の裏切り行為だ」と受け取られるなど、社民党のイメージの悪化を益々深めていった。

 レンディ=ワーグナー党首は党大会で党の基本計画を公表し、▲労働時間の短縮、▲富の公平な分割と連帯、▲最低賃金1700ユーロ、▲高騰する家賃対策のほか、医者出身らしく▲医療対策の充実を挙げている。ちなみに、社民党で唯一選挙で勝利したケルンテン州のカイザー知事は「社民党は労働者の党として本流に戻って外に飛び出して国民と交わるべきだ」と語っている。

 社民党には党首の入れ替えや党幹部の人事も重要だが、戦後から常に政権内にあって利権を享受してきた結果、党幹部には腐敗体質が付着している。党の刷新のためには腐敗の一掃が必要だ。表面的なイメージ作戦だけでは低迷する党を再び上昇気流に乗せることは難しい。

アンチ資本主義の後に何が来るか

 オーストリア代表紙プレッセ(11月26日付)に米プリンストン大学のハロルド・ジェームズ教授の「アンチ資本主義が時代精神」といったタイトルの論評が掲載されていた。非常に示唆に富む内容だった。教授は、「われわれは急激な科学技術と経済変遷に直面する一方、資本主義が世界的にその魅力を失ってきているのを体験している」と述べている。

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▲今月初めに欧州中央銀行の総裁の就任したクリスティ―ヌ・ラガルド女史(欧州中央銀行公式サイトから)

 興味深い点は、アンチ資本主義は本来左派陣営から聞かれるべきだが、自由経済を標榜するネオリベラリズムとグローバリゼーションへの風当たりが強まっている時にポピュリズムの極右陣営から飛び出してきたことだ。

 「ベルリンの壁」が崩壊し、世界を一時期席巻していた共産主義世界が崩れた直後からグローバリゼーションが流行語となり、自由経済への賛美が大きくなっていった。欧州連合(EU)は冷戦終焉後、2度の大規模な新規加盟を実施し、いよいよ世界の第3の経済圏を構築する、という威勢のいい声がブリュッセルから飛び出したのもその頃だった。

 あれから30年余りが経過し、「グローバリゼーションは世界の貧富の格差を拡大させただけで、大多数の人々には恵みを与えなかった」という声が出てきた。決定的な変化をもたらしたのは、2015年夏以降の中東・北アフリカからの100万人を超える難民・移民の殺到という出来事だ。

 ハンガリー、ポーランド、スロバキア、チェコから難民収容の受け入れ枠の拒否が飛び出し、域内国境線の廃止で自由な人、モノの移動を推進するシェンゲン協定は停止状況に追い込まれていった。同時に、EU加盟国内でブリュッセル主導の中央集権的な政治に反対する民族主義的、主権国家論が台頭してきた。EU加盟国の首脳陣からはもはやグローバリゼーション賛美の掛け声は聞こえなくなっていった。

 「ベルリンの壁」は崩壊したが、新たな壁の建設の槌音が米国・メキシコ両国間の国境線だけではなく、世界の至る所で聞こえ出した。米国ファースト、ドイツ・ファーストといったキャッチフレーズが単に政治家からだけではなく、一般の人々の会話でも囁かれ出した。

 そしてここにきてアンチ資本主義が時代の寵愛を受けてきたというわけだ。グローバリゼーションは結局は貧富の格差を拡大させただけで、一部の資本家、大企業だけが利益を得た、といった声が極左、極右の両陣営から出てきたのだ。換言すれば、世界のグローバル化では勝利者は一人であり、他は敗北者だという苦い思いだ。

 グローバリゼーションを支えてきたのはコンピューターや人工知能、インターネットのIT技術の発展だった。金融世界や物質の流通もIT技術が主要な役割を果たしてきた。ジェームズ教授は、「近い将来、銀行は消えていくだろう。銀行業務はオンラインプラットフォ―ムで代行されていくからだ」と予想している。資本主義経済の要だった銀行がそのプレゼンスを失っていくというわけだ。

 人類は常に実現可能か否かは別として理想を求めていくものだ。政治分野でも同じだ。20世紀に入って出現したソ連、ユーゴ連邦、そしてEUも「多民族の統合」、「公平で平等な世界の建設」をモットーに掲げて登場した。共産主義をバックボーとしたソ連、ユーゴ連邦は既に解体した。EUは今、大きな存続の危機に直面している。多国間主義は後退し、民族の多様性は民族主義の挑戦を受けて苦戦を強いられてきた。

 世界に13億人の信者を有するローマ・カトリック教会の最高指導者ローマ教皇フランシスコは日本訪問では核廃絶と共に、人類の多様性への理解を求めた。教皇は“民族のるつぼ”のバルカンや欧州ではなく、ほぼ単一民族から構成された日本人社会で民族の多様性への理解をアピールせざるを得なかったということは、それだけ人類の多様性が揺れてきているからだろう。

 資本主義、そして共産主義が現れ、後者が姿を消すとリベラル主義とグローバリゼーションが主導権を握ったが、ここにきてアンチ資本主義、反グローバル、反リベラルの動きが出てきた。最後に笑う者が最も多く笑う、というが、誰が最後に笑うだろうか。グローバルな風に乗って大儲けした一握りの大資本家か、それともIT革命と人工知能の時代を先駆けて切り開いた人間たちだろうか。それとも共生、共栄、利他的な世界観を掲げた新しい精神覚醒運動が生まれてくるだろうか。

「チャウシェスク処刑」から30年目

 ルーマニアで24日、大統領選の決選投票が実施され、中道右派「国民自由党」(PNL)が支援した現職のクラウス・ヨハニス大統領(60)が左派の社会民主党(PSD)党首のビオリカ・ダンチラ前首相を破り再選された。先月、ダンチラ政権は不信任案が可決され崩壊したばかりだ。

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▲ルーマニアの12月革命の英雄・テケシュ牧師(1990年2月、ブタペストで撮影)

 ところで、ルーマニアで24年間君臨した独裁者チャウシェスク大統領が反体制勢力によって処刑されて来月で30年目を迎える。同大統領夫妻の処刑シーンは全世界に放映され、それを見た北朝鮮の金日成主席、金正日総書記親子が当時、「次は俺たちかも」と思い、震え上がったという話は有名だ。

 ルーマニア全土を掌握してきた独裁者チャウシェスク大統領の政権が崩壊する最初の一撃を加えたのは同国トランシルバニア地方の改革派キリスト教会のラスロ・テケシュ牧師、当時37歳だ。ルーマニアの少数民族マジャール系(ハンガリー人)の牧師が主導する、少数民族への弾圧政策に抗議する運動が改革の起爆剤となったことから、同牧師はルーマニア国民から「12月革命の英雄」と称えられてきた。

 当方はチャウシェスク政権崩壊2カ月後、ハンガリー訪問中のテケシュ牧師と会見した。12月革命から30年目が経過する機会にもう一度、牧師との会見内容を振り返ってみた。

 牧師は、「独裁者チャウシェスク大統領に不満を持つ人々が自発的に立ち上がったものだ。その発火点はチミシュアラ市民だった。12月の出来事は革命というより反乱だと考えている」と述べる一方、「国民は何のための蜂起かを理解していなかった。国民には民主主義に対する認識が決定的に欠けていたからだ」と説明。民主化直後に急造された新政権(「暫定国民統一評議会」)に対して批判が続出していることについては、「チャウシェスク体制の負の遺産が残っているし、社会が民主化していない状況では当然だ」と指摘し、国民に「寛容と忍耐」を求めている。

 テケシュ牧師は、「国民は目下、民主主義を模倣している段階だ。民主化プロセスが成功するためには、西側民主諸国と密接な関係を築く必要があるだろう。西側の民主主義のいい面を吸収できれば、我が国の民主化はゆっくりとしたテンポではあるが、成功すると信じている」と強調した。

 ――秘密警察が全土を支配している中、牧師は命の危険を顧みずに立ち上がり、民主化の起爆剤となったが、その原動力は何か?

 「キリスト者としての信仰と、不義な者に対して逃避してはならないといった確信があった。多くの国民も、人間として自由でありたいという願いは、生命を失うかもしれないという恐れより強かった」

 北朝鮮の独裁者・金正恩朝鮮労働党委員長が聞いたら恐れを感じるセリフだろう。恐怖と粛正が支配する独裁社会でも命を懸けて立ち上がる人間が一人でも出てくれば、独裁体制は崩壊してしまうことをルーマニアは世界に示したからだ。

 あれから30年の年月が過ぎる。ルーマニアは現在、欧州連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)の加盟国だが、国内の民主化は依然、多くの課題を抱えている。

 ルーマニアで2016年12月11日に実施された総選挙に圧勝した与党中道左派「社会民主党」(PSD)は昨年1月15日、中道右派「自由民主主義同盟」(ALDE)と連立政権を発足させた。紆余曲折があった後、昨年1月29日、ダンチラ首相が就任した。

 PSDは公式には社会民主主義を標榜しているが、実際はニコラエ・チャウシェスク独裁政権時代に仕えてきた政治家や閣僚の末裔であり、“腐敗政治家、ビジネスマンの寄せ集め集団”ともいわれる。

 ルーマニア各地で昨年8月10日、11日の両日、社会民主党(PSD)現政権の退陣、早期総選挙の実施などを要求する大規模なデモ集会が行われた。首都ブカレストの政府建物前で開催された10日夜のデモ集会では、警察部隊が催涙ガスや放水車でデモ参加者を強制的に追い払い、その際、452人の負傷者が出た。(「ブカレストで大規模な反政府デモ」2018年8月13日参考)。

 テケシュ牧師の「民主主義を学ぶには時間が必要だ」は正しい予測だった。EU加盟国の中で最貧国という汚名を付けられたルーマニアだが、30年前に独裁者チャウシェスク大統領を自発的な人民の蜂起で打倒した国だ。欧州の代表的な国として世界に誇れるルーマニアを築いてほしい。

故郷に錦を飾れない「教皇」の悩み

 このコラムが掲載される頃はフランシスコ教皇はイタリアへの帰国途上だろう。いつものように機内で随伴記者団との会見が行われているかもしれない。82の高齢フランシスコ教皇にとって10時間以上の飛行機旅は大変だっただろうと推測する。日本国民の一人として教皇の訪日を感謝したい。教皇の訪問で慰められ、励まされた日本人も多かっただろう。

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▲天皇閣下を謁見したフランシスコ教皇(2019年11月25日、バチカン・ニュース公式サイトから)

 フランシスコ教皇にとって若い時代の夢だった「日本での宣教活動」は実現できなかったが、ペテロの後継者として日本を訪ね、肌で日本国民、社会を体験できたのだから、若い時の夢の一部は実現された、と受け取っていいだろう。

 バチカンに戻れば、フランシスコ教皇には聖職者の未成年者への性的虐待問題や女性の聖職者問題からバチカンの不正財政問題に至るまで多くの難問が待っている。健康にきつい日々がまた始まる。

 ところで、南米出身のフランシスコ教皇は2013年3月、第266代ローマ教皇に選出されて以来6年半が過ぎたが、まだ故郷(アルゼンチン)に錦を飾っていない。前教皇べネディクト16世(在位2005年〜13年)は就任後、ドイツに凱旋帰国している。ポーランド出身の故ヨハネ・パウロ2世(在位1978年〜2005年)は27年間の教皇在位期間中、数回帰国し、国民から大歓迎を受けている。

 アルゼンチン出身のフランシスコ教皇はなぜ故郷に帰国しないのだろうか。何か特別の理由があるのか。カトリック教信者が人口の1%にも満たないタイや日本を訪問し、中東のイスラム教国エジプトやアラブ首長連邦には足を向けるが、フランシスコ教皇は母国を訪ねていないのだ。

 教皇就任直後、世界最大のカトリック教会、南米のブラジルを訪問し、15年にはエクアドル、ボリビア、キューバを訪問。16年にはメキシコ、17年にはコロンビアをそれぞれ訪問し、昨年はチリとペルーを訪ねたが、アルゼンチンだけはフランシスコ教皇の外遊計画には入っていなかった。そして来年の2020年の教皇の外国訪問先にもアルゼンチンの名前が見つからないのだ。どうしたのか。

 教皇になる前はホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿としてブエノスアイレス大司教を務めてきた。ベルゴリオ枢機卿は故郷に戻れない理由でもあるのだろうか。故郷で何か悪いことをしたのか。アルゼンチンの日刊紙クラリンは、「フランシスコ教皇はペルーを訪ねながら、なぜ母国アルゼンチンを素通りするのか」と疑問を呈したが、フランシスコン教皇とアルゼンチンの間にきっと何かがあったのだろう。

 ベルゴリオ枢機卿が教皇に選出された後、アルゼンチンから2度、現職大統領がバチカンを訪問し、フランシスコ教皇と会見している。クリスティーナ・フェルナンデス・キルチネル大統領が13年の教皇就任式典に参加した。そして大統領が代わり、実業界出身のマウリシオ・マクリ現大統領が2016年末、バチカンを訪問し、フランシスコ教皇を謁見したが、両者の会談はわずか20分間で終わったことから、「マクリ大統領はブエノスアイレス市長時代、近くに住んでいたベルゴリオ大司教(現フランシスコ教皇)とはほとんど交流がなかった」という不仲説さえ流れたものだ。

 これまでメディアに流れた「教皇の帰国できない理由」としては、.侫薀鵐轡好涯宜弔離▲襯璽鵐船鵑侶垣政権時代(1976年〜83年、ベルゴリオ大司教時代)での、独裁政権との関係説。アルゼンチン国民の中には、「ベルゴリオ大司教は独裁政権への抵抗が十分ではなかった」、「修道院の同胞が迫害されても救援しなかった」、「彼は独裁政権の共犯だ」等の批判の声があった。教皇は国内の政治問題に自身が利用されることを避けたい、そしてはバチカン側の説明だが、「日程の都合」だ。は例外だろう。チリ、ペルーを訪問しながら、隣国のアルゼンチンを訪問する日程がなかったでは余りにも説得力がない。

 興味深い点は、バチカン・ニュースはアルゼンチンの政情についてはかなり頻繁に報道していることだ。バチカン・ニュースは今月19日、「次期大統領アルベルト・フェルナンデス元首相は、「中絶の自由化に関する審議を早急に開始したい」と述べたと報じている。フランシスコ教皇のアルゼンチン教会は中絶の自由化には反対している。ただし、アルゼンチンの中絶闘争がフランシスコ教皇の帰国を阻んでいるとは考えられない。むしろ逆だ。ベルゴリオ枢機卿は故郷に戻り、国民に中絶の危険性を訴えるべきだからだ。

 フランシスコ教皇と母国との関係を考えていると、「預言者は故郷では受け入れられない」と語ったイエスの言葉を思い出す信者もいるだろう。当方はフランシスコ教皇は神の約束の地カナンを目の前にしながら入れなかったモーセと重なる(もちろん、フランシスコ教皇はイエスでもモーセでもない)。

 イエスは常に「ナザレから何のよいものが出ようか」と嘲笑された。イエスがエルサレムに入り、福音を伝えようとすると、イエスを知っているユダヤ人から、「彼は大工ヨゼフの息子だ。その息子がキリストであるはずがない」として、偽りを伝える危険人物と受け取られた。その時、「エルサレムよ、エルサレムよ」という有名な嘆きがイエスの口から飛び出したわけだ。イエスが嘆いたように、神が送った多くの預言者は過去、故郷では歓迎されず、むしろ迫害されてきた(「『預言者』は故郷では歓迎されない」2018年1月18日)。

 一方、モーセは60万人のイスラエル民族を引き連れて奴隷生活を強いられてきたエジプトを出てカナンに向かったが、イスラエル民族は辛い長旅に不満を吐露し、エジプトに戻りたいと嘆く。それを聞いたモーセは激怒し、神からもらった「十戒」を記した石板を地に投げつけて壊す。最終的には、神はモーセに「あなたはカナンに入れない」と言い渡すシーンが「出エジプト記」に記述されている。

 フランシスコ教皇はアルゼンチン国民を愛している。しかし、ペテロの後継者となったフランシスコ教皇は世界13億人の信者を先ずケアしなければならない。ローマ・カトリック教会は今、崩壊の危機に瀕している。聖職者の性犯罪件数は数万件に及ぶ。その賠償金の支払いは世界のカトリック教会の財政を危機に陥らせている。信者は教会への信頼感を失い、教会脱会者は年々増加。一方、聖職者になる若者の数は年々減少し、聖職者が不在の教区も出てきた。

 フランシスコ教皇はアルゼンチンに戻り、旧友と会ってのんびりとした日々を過ごしたいだろう。教皇には自身の羊たち(アルゼンチンの国民)を愛する前に他の羊たち(世界のカトリック信者たち)を愛さなければならないという思いが強いのかもしれない。

 世界のカトリック教会は初代キリスト教会のように霊性を取り戻し、生き生きとした神の館に回復できるだろうか。フランシスコ教皇はいつ故郷に錦を飾ることができるだろうか。

法王から見た日韓の「道徳」の違い

 ローマ法王フランシスコは23日午後、最初の訪問国タイでの全行事を終え、次の訪問先の日本に到着した。23日から26日まで4日間の滞在期間中、長崎、広島の原爆被爆地を訪問し、東京では記念ミサを開催するほか、今年5月に天皇に即位された徳仁天皇陛下を謁見訪問し、安倍首相ら政府関係者らとも会見する。ローマ法王の日本訪問は故ヨハネ・パウロ2世以来、38年ぶりだ。

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▲被爆地・長崎を訪問したフランシスコ法王(2019年11月24日、バチカン・ニュース公式サイトから)

 南米出身のローマ法王は就任以来、アジア重視の姿勢を見せてきた。日本の隣国・韓国には2014年8月、訪問済みだ。フランシスコ法王は訪問前に日韓両国にメッセージを発信しているが、その内容は明らかに異なっているのだ。

 例えば、法王は18日、日本国民へ挨拶メッセージを送っている。法王曰く「友情を込めてご挨拶します。訪日のために選んだテーマは『命の保護と全ての生命の保護全ての命を守る』です」と述べ、「核兵器の破壊力が人類の歴史に2度と起きないように。核兵器の使用は倫理に反します」と述べている。フランシスコ法王は、日本が過去、2度の原爆の被爆を受けたことを想起し、日本国民への深い同情と連帯感を吐露している。

 それでは5年前の訪韓前にフランシスコ法王は何を語ったのだろうか。法王は2014年4月、韓国の珍島沖で起きた旅客船「セウォル号」沈没事故の犠牲者を哀悼して、「韓国民すべてに深い哀悼を表す。韓国民がこの事故をきっかけに倫理的・霊的に生まれ変わることを望む」と強調している。

 ローマ法王の発言内容はかなり異例だ。「国民に倫理的、霊的に生まれ変わるように」という内容は、韓国民の倫理的、霊的な現状が良くないという判断があるからだ。「セウォル号」沈没事故直後、国民はショックに陥り、「わが国は3等国家だ」、「後進国だ」といった自嘲気味な意見が聞かれる一方、政府の事故への対応を批判する声が溢れていた。

 2014年4月16日、仁川から済州島に向かっていた旅客船「セウォル号」が沈没し、約300人が犠牲となるという大事故が起きた。船長ら乗組員が沈没する2時間前にボートで脱出する一方、船客に対して適切な救援活動を行っていなかったことが判明し、遺族関係者ばかりか、韓国民を怒らせた。

 朴槿恵大統領(当時)が事故一周忌の15年4月16日、死者、行方不明者の前に献花と焼香をするために事故現場の埠頭を訪れたが、遺族関係者などから「焼香場を閉鎖され、焼香すらできずに戻っていった」という。死者や行方不明者の関係者から「セウォル号を早く引き揚げろ」といった叫びが事故現場から去る大統領の背中に向かって投げつけられた(「焼香を拒む韓国人の“病んだ情”」2015年4月18日参考)。

 韓民族は大国に支配され続けてきた歴史を持っている。他国や為政者の政略の犠牲となってきた。そのためか、韓民族は問題が生じる度に加害者(国)を恨み、非難する一方、自己の不甲斐なさを嘆き、自嘲気味に陥ってしまう傾向がある。

 フランシスコ法王は、「歴史の中で多くの受難を体験してきた韓民族はキリスト教の歴史から学ぶことができるはずだ。加害者(国)を批判し、恨んだり、また逆に自己卑下するのではなく、それらの不運から発展の栄養素を吸収すべきだ」と期待しているのかもしれない。それが法王の「霊的に生まれ変わってほしい」という表現となったのだろう(「ローマ法王の『韓国国民への伝言』」2014年4月29日参考)。

 フランシスコ法王は14年8月18日、訪韓記念ミサで国民に向かって、「和解」をキーワードとした説教をした。法王は「和解は先ず、自らその過ちを認めることから始まる」と強調し「猜疑、対立、競争心といったメンタリティーを捨て、福音と韓民族の高貴な伝統からなる文化を生み出すべきだ」と主張している。そして、「和解、統合、平和は神の恵みだ。それらは心の生まれ変わりを求めている」と語っている。

 ところで、フランシスコ法王が日本を好きなことはよく知られている。若い時、日本に宣教師として行きたかったが、健康問題があって実現できなかった。法王は日本のキリスト教迫害時代の信者の信仰に強い関心を有している。2014年1月に行われたサンピエトロ広場での一般謁見で中東からの巡礼信徒に対し、厳しい迫害にもかかわらず信仰を守り通した日本のキリシタンを例に挙げて励ました、という話が伝わっている。

 法王の来日を控え、16世紀末から19世紀半ばの日本国内のキリスト者の迫害状況を記述した「マレガ文書」(Marega Paper)が強い関心を呼んでいる。バチカン・ニュースも数回に分けて、「マレガ文書」を紹介している(「法王は訪日で『神』を発見できるか」2019年11月5日参考)。

 興味深い記事がバチカンニュースに掲載されていた。フランシスコ法王の日本観について、法王と同じイエズス会出身でルクセンブルクのジョン・クロード・ホラリッヒ枢機卿がバチカン放送とのインタビューの中で16世紀の東アジアの宣教パイオニア、フランツ・クサバ―の証言を引用し、「日本民族は欧州のキリスト教国の国民より道徳性が高い、と驚いた」という話を紹介している。同枢機卿は長い間、日本で仕事をしてきた聖職者で、バチカンが誇る知日派の代表格だ。

 カトリック教会の日本宣教は失敗したといわれる。信者の数は全人口の0・6%前後に過ぎないが、日本国民の道徳性は他の非キリスト教国の中でも見られないほど高いというのだ。フランシスコ法王はキリスト教を受け入れない日本国民の道徳性の高さに強い関心があるわけだ。

 フランシスコ法王の日韓訪問前後のメッセージを簡単には比較できない。韓国は30%以上がキリスト信者の国だ。日本の場合、2回の被爆国である一方、キリスト者人口は全体でも1%に満たない。だから、法王の語る内容や重点は自ずと異なる。換言すれば、訪韓は韓国信者向けの司牧が主要目的だったが、訪日は長崎・広島の被爆地を訪問し、世界に核廃絶を訴えるといった政治的狙いが重点に置かれているからだ。

 ローマ法王の目から見た場合、日本民族の道徳性がキリスト教を受け入れないにもかかわらず高く、優秀である一方、韓民族には「キリスト教の歴史から教訓を読み取り、霊的に生まれ変わったほしい」という希望を吐露しているわけだ。

 黒田勝弘氏はその著書『韓国人の歴史観』の中で、「日本に植民地化され、戦後は連合国の戦勝国グループに属して日本を裁くことができなかった韓国は自国の真の建国記念日がないことに強烈なコンプレックスを抱いている。慰安婦問題はその恨みを解放し、日本を批判できる貴重な問題となってきた。慰安婦問題は日本に対して『道徳的優位』を誇示できるテーマだからだ。『わが民族は日本に植民地化され、民族のアイデンティティを奪われたが、道徳性では日本人より高い』と感じることができるからだ」と書いている。

 韓国は日本に過去、植民地化されたが、道徳的には韓民族は日本民族より優位と信じ、それを慰めとしてきた。世界13億人の信者を有するローマ・カトリック教会の最高指導者、ローマ法王の目には全く違って受け取られていることを自身がカトリック信者の文在寅大統領は冷静に考えるべきだろう。

南太平洋の島ツバルを中国から守れ

 バチカンに次いで人口が少ない国家、南太平洋のエリス諸島の島国ツバルという国名を始めて聞いた。オーストリア国営放送の公式サイトに22日、「ツバルが中国の人工島建築計画を拒否した」という見出しの記事が掲載されていたからだ。

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▲ツバルのコフェ外相と会談する茂木外相(2019年10月21日、日本外務省公式サイトから)

 ツバルのサイモン・ロバート・コフェ外相はロイター通信とのインタビューで「中国のオファーは、台湾の南太平洋地域への影響を弱める狙いがある」と指摘、台湾支持の姿勢を明確に強調した上で、「中国は太平洋地域での影響力拡大を画策している」と警告を発した。

 早速、ツバルという国がどのような国かサーチした。1978年に英国から独立を獲得し、9島から構成されている。現在は英連邦加盟国で、2000年に国連に加盟している。人口はというと、2011年の段階で9847人だ。確かバチカン市国の人口は2016年時点で809人だから少し多いが、バチカンは世界13億人の信者を抱えるローマ・カトリック教会の総本山だ。ツバルは人口1万人以下の太平洋に浮かぶ島国だ。

 その国が人口14億人の大国・中国の要求を拒否するだけではなく、正々堂々とその理由を説明し、台湾支持を明確にしているのだ。それだけでも驚きだ。中国人民軍が軍事攻撃に出ればツバルは半日も持たないだろう。ペリシテ人の巨人兵士ゴリアテに対抗するダビデ少年のような組み合わせだ。

 記事を読む。小国の太平洋の島国ツバルは人工島建設のオファーを断った。地球温暖化の影響もあって海面が上昇し、国が水没する危険性に直面するツバルにとって、人工島建設は重要な課題だ。

 ツバルのコフェ外相は、「人工島の建設は台湾の影響を弱める狙いがあるはずだ。中国は太平洋諸国での政治的影響力を拡大しようとしている」と指摘し、軍事力を背景とした中国の覇権主義に警鐘を鳴らしているのだ。

 ちなみに、今日、台湾と外交関係を締結している国は15カ国に過ぎない。 ツバル、パラオ、ナウル、マーシャル諸島のような小国ばかりだ。その中で、最近、キリバスとソロモン諸島が台湾と国交を断絶して中国と外交関係を締結した。

 中国の習近平国家主席は新しいシルクロード構想「一帯一路」を標榜し、アジア、アフリカ諸国に巨額のインフラ投資などを呼び掛けているが、中国側の財政支援を受けた国々は巨額の債務を抱え、財政破綻に陥る国が続出している。「中国は財政支援を約束し、道路や空港を建設するといって小国を誘惑している」と批判されている。

 ツバルに対しても人工島を建設するというオファーを中国企業を通じて持ち掛けてきた。もちろん、その背後には中国共産党政権がいる。彼ら曰く、人工島建設には4億ドルが必要だという。ツバルが中国企業の投資案を受け入れ、人工島を建設した暁には、その債務返還と台湾との外交関係の断絶を要求してくることは目に見えている。

 いずれにしても、超大国・中国のオファーを毅然とした姿勢で拒絶する超小国ツバルの主張に当方は感動すら覚えた。多分、台湾ばかりか、米国からも何らかの支援を受けているだろうが、それにしても勇気がいることだ。

 ところで、そのツバルから先月の即位礼正殿の儀にコフェ法務・通信・外務大臣が招かれた。同外相は先月21日、茂木敏充外相と東京の外務省で会談している。

 日本とツバル両国は今年、外交関係樹立40周年を迎えた。茂木外相は、「両国関係を更に深化させたい、来年半ばにフィジーで開催予定の太平洋・島サミット中間閣僚会合において、共同議長として緊密に連携していきたい」と若いツバルのコフェ外相に語っている。

 コフェ外相は日本の支援に感謝を表明し、「ツバルにおいては先月新政権が発足したが、日本との関係を重視しており、引き続き協力を強化していきたい」と返答している。両外相は、「太平洋・島サミット中間閣僚会合、気候変動や国際場裡における協力等において、今後も緊密に連携していくことで一致した」という。

 南太平洋の島国ツバルの中国との戦いは始まったばかりだ。中国側はこれからも様々なオファーでツバルを誘惑してくるだろう。日米と台湾は連携して“南太平洋のダビデ”を応援すべきだ。

※ダビデ=古代イスラエルの王、少年ダビデは敵軍の屈強な兵士ゴリアテを石投げで倒した。

日本は韓国のサンドバッグでない

 日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の延期が決まった。GSOMIA破棄を一方的に表明した韓国の文在寅政権にとって今回の破棄の撤回決定は大きな試練だったかもしれないが、正しい決定だ。

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▲エスパー米国防長官と会談する文在寅大統領(2019年11月15日、韓国大統領府公式サイトから)

 当方はこのコラム欄でGSOMIAに関連したコラムを書いてきたが、多くのことを読者から教えられた。その一つは、日本国民が韓国側の執拗な反日攻撃に呆れ、辟易するのを通り越して怒り心頭に発しているということだ。当方はウィーンにいて母国・日本人がソウルから連日配信される根拠なき反日批判、中傷・誹謗にどれほど傷つけられ悩まされてきたかを充分には理解していなかったことに気が付いた。

 韓国側は「日本は加害者だから叩いても問題がない」と誤解しているが、韓国人が生身の人間であるように、日本人も叩かれれば痛い。それも自身が直接犯したことがない過去の内容で、これでもかこれでもかと叩かれれば、やはり頭にくるし、反撃したくなる。しかもその相手は感情的に対応してくるから、相手にするには疲れ切る。

 日本人は韓国のサンドバッグではない。韓国の為政者は、日本というサンドバッグを叩くボクサーのようだ。それだけではない。彼らの多くは直接の被害者ではなく、被害者の代弁という形を利用して反日を繰返してきた。生存者が30人を割ったいわゆる「慰安婦」の代弁者として、韓国の為政者やその代弁者たちが日本を批判してきた。

 第2次世界大戦が終わって70年以上の年月が経過した。大戦時の被害者の多くはもはや生存していない。その生存していない被害者を代弁する人々はどのような権利があって自身が体験もしていないことで相手(国)を批判、中傷できるのか。

 それが正当というのならば、世界至る所で過去の問題を遡上に挙げて紛争、対立を繰り返すことになる。幸い、時間は経過し、被害者も加害者も歴史の舞台から姿を消していく。新しい世代は新しい歴史を綴るチャンスが出てくる。にもかかわらず、為政者はその若い世代に対して過去の重荷を負わせ、「これが武器だ。戦いを始めよ」と発破をかけているのが現代の韓国の為政者の姿ではないか。

 戦争中とはいえ、不法に扱われた女性は痛みを与えた相手を批判する権利はある。韓国の慰安婦問題を見ていると、声を大にして叫んでいるのは慰安婦自身でもその家族でもない。

 戦時中、性的犠牲になった女性を抱える家族、遺族たちは、世界に向かって「私の娘、母親は慰安婦にされました」と叫び、相手を糾弾したいと思うだろうか。それには痛みが余りにも深いはずだ。自身の娘、母親が慰安婦だったということを米国、ドイツなどに慰安婦像を輸出してまで知らせたいと考える本人やその家族がいるだろうか。

 「女性の権利保護」という理由を持ち出して日本を批判するのならば、ベトナムに派遣された韓国兵士がベトナム女性に犯した蛮行を忘れたのか。このコラム欄でも何度も指摘したが、韓国兵士によって蹂躙されたベトナム人女性の数はいわゆる“慰安婦”の数より多い。「女性の権利保護」というのならば、現代の韓国では人口比で性犯罪件数が飛びぬけて多い国だ。

 戦争、紛争で生じた様々な痛み、苦しみは時間に委ねるべきだ。時間は痛みや恨みを癒す力を有している。癒しのプロセスで恣意的に過去の痛みを呼び起こす事は間違っている。世界中で戦争、紛争は絶えず起きてきた。痛み、苦しみは世界至る所に刻み込まれている。朝鮮半島はその痛みを掘り起こして新たな紛争、対立を先鋭化させている世界でも数少ない地域だ。その責任の多くは韓国の為政者にある。

 隣国からの反日攻撃で多くの若い日本人は傷ついたが、もはや黙っていない。傷つくのは韓国人だけではない。日本人は痛みを感じながら耐えてきているのだ。それが限度を超すと、「嫌韓」となって跳ね返ってくる。

 日本人が戦後、世界で果たしてきた人道支援、経済支援を想起してほしい。そして優秀な科学者がノーベル賞を受賞する度に、日本の若い世代はその日本を誇りに感じているのだ。

 韓国の為政者も自国の若い世代に「ヘル朝鮮」ではなく、「韓国を誇る」と感じさせるためにそのエネルギーを投入すべきではないか。愛国心を育成するためには、国家が世界に尽くした実績を積み重ねていく以外に道がないのだ。

 いずれにしても、日本は韓国のサンドバッグとしての役割を止め、「徴用工」問題でも自国の立場を明確し、反撃した。GSOMIA破棄問題は日韓両国に新しい関係を構築する機会となった。日本だけではない。皮肉にも、反日の権化、文在寅大統領時代になって韓国も過去の呪縛から解放されて、新しい時代の新しい関係を模索していかなければならなくなってきた。

 朝鮮半島の米軍プレゼンスも近い将来、再考されるかもしれない。北朝鮮、中国の軍事脅威が高まる中、日韓両国の指導者は主体的に課題に取り組み、若い世代のために未来を開いていかなければならない。幸い、韓国のGSOMIA破棄、撤回、そして延長決定は日韓両国にとって大きな教訓を与えてくれた。 

ヒトラー生家が警察署に生れ変わる

 オーストリア内務省は19日、同国オーバーエスタライヒ州西北部イン川沿いのブラウナウ・アム・インにあるアドルフ・ヒトラーの生家を警察署に改築して利用することを決定したと明らかにした。ヒトラーは1889年4月20日、その生家で4男として生まれた。

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▲アドルフ・ヒトラー(独連邦文庫から)

 欧州でネオナチ運動が活発化し、極右勢力が台頭してきたことを受け、オーストリア政府は「ヒトラーの生家がネオナチらの聖地(メッカ)になることを回避しなければならない」としてその対応を急いできた。

 オーストリア政府は1972年以来、持ち主との間に生家の借用契約をしてきたが、家主側の反対があって購入できずにきた。一時期、「生家を破壊すべきだ」という声もあったが、2016年5月には強制収用できる法案を作成し、ヒトラーの生家を強制的に買い取るために、持ち主と交渉を重ねてきた。

 内務省によると、「生家がヒトラーと関連する一切を排除し、地元の警察署として生まれ変わることになった。建築家など専門家たちによる審査で建築プランを公募する」という。同審査結果は来年上半期には明らかになる予定という。

 ちなみに、2017年1月に特別法で生家をオーストリア政府の所有としたことを受け、オーストリア側は生家の持ち主に約81万2000ユーロの補償金を支払った。新しい警察署はブラウナウ警察本部の管理下に置かれる。ただし、警察署がいつ完成するかは未定だ。

 当方は30年前ごろ、ブラウナウを訪問し、ヒトラーの生家を訪ねたが、生家を見つけるまで一苦労したことを思い出す。誰もヒトラーの生家がどこにあるか教えてくれないのだ。町の情報センターに聞いても「知らない」という答えしか戻ってこなかった。生家は当時、精神病患者の福祉更生施設の作業場だったと記憶している。

 「ブラウナウは小さな町だ。外国人旅行者が足を踏み入れるとすればヒトラーの生家を見学することぐらいだろう。ヒトラーの生家の場所を聞いたのは当方が初めてではないはずだが、情報センターの関係者は『知らない』という。『それ以上、聞くな』といった響きすら感じたので、歩き出して路上の人に聞いた。数回、尋ねた後、ヒトラーの生家を見つけた」とコラムの中で書いた。

 オーストリア国民が独裁者ヒトラーを誇らしく感じないのは理解できるが、その生家の住所さえも外部の人間に隠そうとするブラウナウの人々に驚かされたものだ。

 「モスクワ宣言」で“オーストリアはヒトラーの犠牲国だった”となって以来、国民はナチス・ドイツの犠牲国の立場を死守してきた。しかし、ワルトハイム大統領(1986〜92年)のナチス戦争犯罪容疑問題が大きく報じられ、世界ユダヤ人協会やメディアから激しいオーストリア・バッシングが行われた。フランツ・フラニツキー首相(任期1976〜1997年)が「わが国もヒトラーの戦争犯罪に責任がある」と表明し、犠牲国から加害国であったことを初めて認めるまで、かなりの年月がかかった。

 ヒトラーの出生地はオーストリアの小村ブラウナウ・アム・インだ。村を通過するイン川を越えると、そこはドイツのバイエルン州だ。ヒトラーの出生地とバイエルン州は実際、数百メーターも離れていない。多くのオーストリア人が「ヒトラーはドイツ人であり、ベートーベンはオーストリア人だ」と宣伝したくなる衝動も理解できる。 

 ヒトラーは1907年、08年、ウィーン美術アカデミーの入学を目指していたが、2度とも果たせなかった。もしヒトラーが美術学生となり、画家になっていれば、世界の歴史は違ったものとなっていたかもしれない。ウィーン美術学校入学に失敗したヒトラーはその後、ミュンヘンに移住し、そこで軍に入隊し、第1次世界大戦の敗北後は政治の表舞台に登場していくのだ。

 美術大学学長がヒトラーを入学させていたならば、ナチスの蛮行、ひいては第2次世界大戦も勃発しなかったかもしれない、一学校の入学不合格が世界の歴史を変えてしまったわけだ(「画家ヒトラーの道を拒んだ『歴史』」2014年11月26日参考)。ちなみに、ヒトラーが若い時に描いた水彩画が独南部ニュルンベルクで競売に掛けられ、13万ユーロで落札されている。

 オーストリアのヴォルフガング・ぺショルン内相は19日、「ヒトラーの生家が警察署として利用されることで、同生家が国家社会主義の苦い過去を永遠に排除する明確なシグナルとなるだろう」と述べている。

法王、訪日で袴田死刑囚と会見へ

 バチカン・ニュースが16日、明らかにしたところによると、23日から26日のフランシスコン法王の訪日中、東京で元プロボクサーの袴田巌死刑囚(83)と会見する予定だ。同死刑囚は1966年、静岡県清水市で起きた強盗犯人放火事件(死者4人)の犯人として死刑判決を受け、45年間以上、東京拘置所に収監拘束されてきた。死刑囚として世界で最長収監拘束記録としてギネスブックに一時記載されたほどだ。同死刑囚は2014年、DNA鑑定で犯人ではないことが判明して死刑執行が停止され、釈放されたが、再審はこれまで拒否されているから、死刑囚の立場は変わらない。ただし、バチカン側は元死刑囚と呼んでいる。

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▲日本の十字架(2019年11月16日、バチカン・ニュース電子版から)

 バチカンのマテロ・ブル二広報官が15日報じたところによると、フランシスコ法王と死刑囚の会合は「私的な会合であり、法王の公式訪問プログラムには掲載されていない」という。ローマ法王と死刑囚との会合をアレンジしたのは日本司教会議で、フランシスコ法王の東京ドームでの記念礼拝(25日)に招待することになっている。

 なお、日本ローマ・カトリック教会は同死刑囚の釈放のためアムネスティ・インターナショナルなどと連携してきた。同死刑囚は1984年、拘置所でカトリック教徒の洗礼を受けている。フランシスコ法王は死刑制廃止を主張し、昨年8月、カトリック教義を修正し、「如何なる状況でも死刑は道徳的に許容できない」と表明してきた。


 ローマ法王の訪日は1981年の故ヨハネ・パウロ2世の訪問以来38年ぶりだ。フランシスコ法王が日本好きであることは良く知られている。ローマ法王の訪日の主要モットーは「命の保護と全ての生命の保護」だ。その意味は、単に個々の人間の尊厳を守るだけではなく、環境も含まれる。特に、2度被爆した日本にとっては特別の意味合いがあるという。

 最初の訪問国・タイから日本入りする法王は23日夜、日本のカトリック教会司教団と最初の会合。24日の日曜日には長崎に飛び、そこの平和公園で世界に向かって原爆の恐ろしさを伝え、 豊臣秀吉のキリシタン禁止令(1597年2月5日)によって26人のキリシタンたちが殉教したことを追悼する西坂公園の記念碑、記念館を訪ねる(26人の殉教者はその後、聖人に列聖され、「日本26聖人」と呼ばれる)。ピウス12世(在位1939〜58年)は西坂公園をカトリック教徒の公式巡礼地に認定している。

 長崎の野球場でミサを行った後、フランシスコ法王は次の訪問地広島に向かう。そこで平和集会に参加し、世界に向かって同じように原爆の全廃を訴える。25日には東京に戻り、2011年3月、東北を襲った地震、津波、そして福島第一原発事故の被災者と会う。そして皇居を訪問し、今年5月に天皇に即位された徳仁天皇陛下を謁見訪問した後、東京ドームで記念礼拝をする。安倍晋三首相と会談し、政治家、外交官、有識者の前で記念スピーチすることになっている。日本滞在最後の半日、フランシスコ法王はドイツのイエズス会が創設した東京のソフィア大学(上智大学)で教会関係者と文化センターで礼拝する。

 バチカンによると、「カトリック教徒は約50万人、人口の0・6%」で、新旧教会を合わせても日本のキリスト教徒は人口の1%にも満たない少数宗派に過ぎない。ただし、日本には海外から50万人以上の出稼ぎ労働者がおり、フィリピン、韓国、ブラジル出身者にはキリスト信者が多い。また、フランシスコ法王の訪日に合わせて、海外から多数の信者たちが日本を訪問するとみられている。

 フランシスコ法王は聖職者になった頃、日本宣教を希望したが、健康問題があって実現できずに終わった。法王は日本のキリスト教迫害時代の信者の信仰に強く関心を有しているという。2014年1月に行われたサンピエトロ広場での一般謁見で中東からの巡礼信徒に対し、厳しい迫害にもかかわらず信仰を守り通した日本のキリシタンを例に挙げて励ました、という話が伝わっている。

 法王の来日を控え、16世紀末から19世紀半ばの日本国内のキリスト者の迫害状況を記述した「マレガ文書」(Marega Paper)が強い関心を呼んでいる。バチカン・ニュースも数回に分けて、「マレガ文書」を紹介している(「法王は訪日で『神』を発見できるか」2019年11月5日参考)。

 ローマ法王の訪問は基本的には司牧が主要目的で、訪問国の信者たちの信仰を鼓舞することに重点があるが、フランシスコ法王の訪日では、長崎、広島を視察し、核廃絶を世界にアピールする一方、死刑囚と会合して死刑制度の廃止を訴えるなど、大きな政治テーマを掲げて世界にアピールする機会となるわけだ。聖職者の未成年者への性的虐待問題の対応で苦慮してきたフランシスコ法王にとって、訪日は世界の宗教指導者としてのイメージ回復にもなる(「法王訪日を政治目的に利用するな!」2019年9月15日参考)。
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