独ノルトライン・ウェストファーレン州で公共建物内で十字架をかけるか否かで議論が起きている。その直接の契機は同州のデュッセルドルフ州裁判所のハイナーブレシング長官が「新しい州裁判所建物内ではもはや十字架をかけない」と決定したことだ。同長官はその根拠として、公共建物内の磔刑像(十字架)を違憲と判決した独連邦裁判所の判例(1995年)を挙げている。
 被告人が裁判の法廷内の十字架を「不快に感じる」といえば、裁判所側はそれを撤去しなければならない。そこで「裁判によって、かけたり、外したりすることはキリスト教のシンボル(十字架)にとっても良くない」(ブラシング長官)ということで、十字架を最初から外そうというわけだ。
 仏ストラスブールにある欧州人権裁判所(EGMR)が昨年11月3日、フィンランド出身のイタリア人女性の訴えを支持し、彼女の息子が通う公共学校内で十字架をかけてはならないと「十字架違法判決」を下して以来、欧州各地でさまざまな十字架論争が展開されている。独州裁判所内の「十字架」論争もその一つだ。
 ところで、日刊紙ヴェルト紙(20日付)によると、独イスラム評議会アリ・キジルカヤ会長が「裁判所内の十字架を支持する。欧州社会の伝統であり、そのシンボルを尊敬しなければならない」と述べたという。イスラム評議会が独国内の十字架論争に参戦してきたわけだ。
 もちろん、同評議会会長の発言はあくまで個人の見解であり、約350万人と推定される独内イスラム系住民の統一見解とはいえない。むしろ、十字架問題で守勢を強いられているキリスト教会へのイスラム側の援護、と解釈できないわけではない。
 当コラム欄で報告済みだが、例えば、ケルン居住のイスラム作家ナビッド・ケルマ二(Navid Kermani)がスイス日刊紙ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥング(昨年3月14日付)に寄稿した記事の中で、「十字架は神への冒涜であり、偶像崇拝だ」と語り、ドイツ国内のキリスト教会関係者から強い反発を引き起こしたことはまだ記憶に新しい。
 なお、バチカン放送(独語電子版)によると、同州裁判所の約1300ある法廷のうち、十字架がかけられている法廷は50から60カ所だけという。