既婚聖職者が礼拝の主礼を務め、信者への牧会を担当、離婚・再婚者が聖体拝領を受ける――これはローマ・カトリック教会の「現実」だ。一方、聖職者の独身制に固守し、離婚・再婚者への聖体拝領は認められていない――これが教会の「建前」だ。
 教会の「建前」と「現実」を限りなく一致させようとする運動がオーストリアで現在進行中の教会の刷新運動だ。インスブッルクの信者たちの「われわれは教会」と異なるのは、神父たちの改革運動という点だ。
 ヘルムート・シューラー神父(59)を中心に300人以上の神父たちが聖職者の独身制の廃止、女性聖職者の任命、離婚・再婚者の聖体拝領許可など7項目を要求、教会指導部への不従順を呼びかけている。「不従順への布告、神父たちのイニシャチブ」運動と呼ばれる(「『教会の改革』を叫ぶ神父たち」2011年8月19日参考)。
 しかし、オーストリアのカトリック教会最高指導者シェーンボルン枢機卿はこの運動を「教会を分裂させる危険性が潜んでいる」として、運動の要求を一蹴している。
 「現実」と「建前」の調和を要求していることに、教会指導者は「教会の分裂の危険」を感じているのだ。
 枢機卿が「その『現実』は教会の教えに反している」と主張するのならば、首尾一貫している。具体的には、既婚聖職者の聖職を禁止すればいいのだ。離婚・再婚した信者への聖体拝領を禁止すればいいのだ。
 身近な例を挙げてみよう。ローマ法王ベネディクト16世が22日、ベルリンのベルビュー宮殿で会見するドイツのヴルフ大統領だ。大統領は離婚し、再婚したカトリック信者だ。教会側の「建前」によれば、「大統領、あなたはサクラメントを受けることはできない」といわなければならない(実際、大統領は聖体を受けている)。
 もし「現実」が正しいのならば、教会の「建前」を修正すればいいだけだが、イエスの弟子ペテロの流れを継承する教会は2000年の歴史を誇る。簡単には改革できないのだ。というより、古い伝統が重荷となって、動きが取れない、といったほうが当たっているかもしれない。
 カトリック教会の前には2つの選択肢しかないにもかかわらず、両者の一つを選択することに躊躇している。存在する現行の「現実」を黙認しながら、その「現実」は教会の「建前」に反すると主張するならば、それは明らかに「偽善」だ。
 少々、理屈っぽいコラムとなったが、教会の「建前」と「現実」の乖離が大きくなればなるほど、その組織や団体はその生命力を失っていく。欧米のカトリック教会の現状はその懸念を裏付けている。「平和」と「愛」を説きながら、その組織・団体に「平和」はなく、「愛」がなければ、その組織・団体の崩壊は時間の問題だろう。