天皇陛下が生前退位の意向をお持ちだというニュースは欧州のオーストリアでも大きく報道された。東京発の通信社のニュースを土台に詳細に天皇家の背景を報じるメディアもあった。

 天皇陛下の生前退位の意向を聞き、終身制の良し悪しを改めて考えざるを得なかった。体力の限界まで公務を遂行しなければならない終身制はある意味で非常に酷なシステムだ。

 天皇閣下の生前退位のニュースは2013年2月11日のローマ法王べネディクト16世の退位表明とどうしても重なってしまう。前者は世襲制であり、後者はコンクラーベ(法王選出会)による選出制だが、両者とも基本的には終身制だ。ドイツ人のべネディクト16世は当時、健康を理由に生前退位を表明した。自由意思による生前退位は719年ぶりだった。

 終身制を基本とする社会で生前退位を表明すれば、様々な憶測が生まれ、混乱が起きることもある。実際、ベネディクト16世の場合も例外ではなかった。生前退位後、様々な憶測が流れた。
 バチカン放送によると、フランシスコ法王は最近、ベネディクト16世の生前退位は決して個人的な健康問題が主因ではなかったはずだという内容の発言をしている。南米出身法王は、「べネディクト16世の生前退位は革命的な決定だった」と表現し、ドイツの法王が自身が身を引くことでバチカン内の刷新を図ったという意味合いを示唆している。

 「人生50年」といわれた時代とは異なり、100歳の長寿も決して珍しくなくなってきた時代に生きている。だから、終身制はある意味で長い任務を課すことになり、任期が長くなれば、「生き生きとした気持ちで任務を遂行できなくなる」ケースも出てくるだろう。
 ヨアヒム・ガウク独大統領は先月6日、2期目の出馬に対し、「与えられた職務に生き生きとした気持ちで応じられなくなるのではないかと懸念している」(独週刊誌シュピーゲル)と述べ、再選出馬を断念する意向を表明したばかりだ。

 ガウク大統領の再選出馬断念を思い出していると、静岡県の川勝平太知事が、「階段が上れなくなったら即辞める」と述べたという記事が読売新聞電子版(14日)で報じられていた。簡単に言えば、体力の限界が任務の終わりを告げるというわけだ。本人がやる気いっぱいでも体力が許さない場合、辞任せざるを得なくなる。その意味からも、終身制は非常に酷なシステムと言わざるを得ない。

 故ヨハネ・パウロ2世(在位1978年10月〜2005年4月)は亡くなるまで法王の任務を遂行したが、晩年はパーキンソン症候群などで肉体的に苦痛の日々を送った。その姿は痛々しかったほどだ。ポーランド出身のローマ法王は27年間、法王の座にあった。近代法王の中で在位期間は最長だった。

 もちろん、体力、意志力などは個人差が大きい。だから、何歳までといった明確な年齢制限は適切ではないかもしれない。故ロナルド・レーガン米大統領(任期1981〜1989年)が2期、8年間の任期を終え、辞任する時、「どうして米大統領職は2期で終わるのか」と不満を漏らしたと聞く。高齢で大統領に就任したが、2期を終えた後も3期を遂行できる体力と意志力があったのだろう。

 全てには時がある。スタートする時も、休む時も、考える時も、時がある。制度でその時を禁じる終身制はやはり再考が必要だろう。その意味で、ベネディクト16世の生前退位は法王の終身制に終止符を打った革命的な決定だった。天皇陛下の生前退位への意思表明については、日本国民として陛下のご健康を祈りつつ、謹んで受けたまわりたいものだ。