<写真で綴る北取材の「思い出」◆

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写真:ウィーン市1区の「ホテル・アム・パークリング」

 ウィーン1区にある「ホテル・アム・パークリング」は「マリオット・ホテル」とイランの核問題の交渉の舞台となったホテル「パレ・コーブルク・レジデンツ」の近くにある。外観はこの2つのホテルのように豪華さはないが、「ホテル・アム・パークリング」の名前が世界に報じられたことがある。

 同ホテルには、死者115人を出した大韓航空機爆発テロ事件(1987年11月28日)の2人の北朝鮮工作員、金勝一と金賢姫の2人が1987年11月、5日間、宿泊している。2人の北朝鮮工作員はウィーンからベオグラードへ旅立つが、ウィーンでは大韓航空858便爆発後の逃避のための航空チケットを購入する一方、ウィーン旅行をする日本人親子の役割を演じていた。

 ホテル関係者は、「日本のテレビ局のクルーも当時、ホテルの室内を撮影するためにホテルに押し寄せてきたことがあったが、事件当時を知っている従業員はもういません。ホテル側としては、あえて公言するようなことでもありませんからね。ホテルを利用する旅行者も事件のことなどまったく知らないでしょう。ホテルの室内も改造しましたから、当時とはまったく様相が違います」と説明してくれた。同マネージャーによると、「韓国旅行者は宿泊するが、北朝鮮からの旅行者はあの時だけだ」という。

 大韓航空機爆発テロ事件の犯人の1人、金賢姫は著書「いま、女として」(文藝春秋社)の中で、「はじめてのウィーンの町は、ひたすら緊張を強いられる不慣れな街でしかなかった。特別な感銘を受ける心の余裕などまったくなかった」と記している。正直な言葉だ。音楽の都を訪ねながら、コンサート一つも訪れることなく、「大韓航空を爆破せよ」と命令されたテロ計画を如何に成功させるかで頭の中は一杯だったわけだ。

 「ホテル・アム・パークリング」の部屋から市立公園が良く見えるが、2人は公園内のシューベルト像やヨハン・シュトラウス像を見学する時間はなかった。

 ちなみに、金勝一は犯行後、バーレーンで服毒自殺、爆発事件後拘束された金賢姫は1990年4月12日、大統領特別赦免を受けている。同テロ事件を受け、米国は翌年1988年1月20日、北朝鮮をテロ支援国家に指定した。ブッシュ政権は2008年10月、テロ支援国家指定を解除したが、トランプ米大統領は17年11月20日、再指定している。