ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

北朝鮮

「駐オーストリア金光燮大使」の話

<写真で綴る北取材の「思い出」ぁ

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写真:北朝鮮の金光燮大使(1993年6月、ウィーン国連内で撮影)

 「金光燮(キム・グァンソプ)大使は1993年3月18日にオーストリアの北朝鮮大使として赴任して既に26年が過ぎた。もちろん、ウィーンの外交界では最長駐在記録の保持者だ。3月が来るたび、『彼はまだオーストリアにいるのか』と少々ため息交じりに語る西側外交官もいるぐらいだ。金大使はトーマス・クレスティル、ハインツ・フィッシャー、そして現在のファン・デア・ベレンの3代の大統領を知っている数少ない外国外交官だろう」

 上記の文は今年3月書いたコラムの中の一説だ。その金大使がオーストリアに着任した年の写真が出てきた。写真はウィーン国連内で撮ったものだ。26年前の大使の髪はまだ豊富だった。表情は生き生きしている。26年後の大使は髪が少なくなり、動きも初老の男性のものだ。活気がなくなった。大使曰く、「脊髄が悪く、治療を受けている」という。仕方がない。人は歳を取る。大使を26年間フォローしてきた当方も26年、歳を取ったことになる。

 金大使が26年間、同じ駐在国にいる理由は明らかだ。金大使の場合、奥さんが故金日成主席と故金聖愛夫人との間の長女、金敬淑さんであり、金正恩朝鮮労働党委員長の叔父さんにあたるが、異母方に属するから、平壌の中央政界からは外される。故金正日総書記とは異母弟の駐チェコの金平一大使と同じ立場だ。何もせずに、生活していれば問題がないが、常に監視されている。

 金平一大使は旧ユーゴスラビア、ハンガリー、ブルガリア、フィンランド、ポーランド、そしてチェコと欧州各地を転々としながら生き延びてきた。金光燮大使の場合、チェコ、そしてオーストリアだ。ただし、オーストリアでは既に述べたように今年3月で駐在歴26年となった。

 金ファミリーの一員として、多くの特権を享受してきた一面もあるが、やはり“疲れ”が出てきたとしても不思議ではない。実母がまだ生きているという以上、そろそろ北に帰りたいだろう。もちろん、毎夏、3カ月間、大使は平壌に戻るが、9月末にはウィーンに戻ってくる。その繰り返しだった。

 それにしても、今回見つかった写真の金大使は若々しい。その大使が26年間、ウィーンに駐在し続けるとは本人も予想しなかっただろう。駐在の北外交官の亡命問題、ウィーン駐在の銀行マンの強制連行など、様々な出来事が起きたが、金大使はそれらの困難を乗り越えてきた。当方は金大使とは何度か話す機会があったが、“大使の本音”を1度でも聞いたことがあっただろうか。北取材ではそんな苦い思いが常に付きまとうのだ。

「北朝鮮主催国際シンポジウム」の話

<写真で綴る北取材の「思い出」>

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写真:ウィーンの「ホテル・イン」で開催された北朝鮮主催「国際シンポジウム」の風景

 写真は、ウィーン市内の「ホテル・イン」で開催された朝鮮半島の非核化地帯設置に関するシンポジウムの風景だ(1991年9月)。同シンポジウムはパリ近郊に本部を置く北朝鮮のフロント組織「朝鮮半島の平和的再統一のための国際連帯委員会」(CILRECO)と「オーストリア・北朝鮮友好協会」が共催した。シンポジウムの目的は、核拡散防止条約(NPT)加盟国の義務である国際原子力機関(IAEA)との保障措置協定(核査察)の調印を求める国際社会の圧力をかわすためで、北朝鮮が在韓米軍核兵器の撤去と「南北非核地帯設置」を目的に打ち出したプロパガンダ・キャンペーンだった。

 同シンポジウムは駐オーストリアの北朝鮮大使館関係者がホスト側として会議の進行や様々な手配を担当していた。事前の取材の許可を受けずに会場に現れた当方に対して、金2等書記官は取材を認めてくれた。世界から集まったゲストの手前、大声で当方を会場から追放できないと判断したのだろう。

 出席者リストをみて驚いた。ギリシャのアテネからは北大西洋条約機構(NATO)の空軍退役大将ゲオルゲ・バスタ空軍将校の名前があった。NATOの軍事情報が当時、親北派の政治家、軍事関係者を通じて北側に流れていたわけだ。CILRECOにつながる人脈は驚くほど多方面に広がっていた。

 国際主体思想研究グループの会長だったハンス・クレチャツキ教授(オーストリア元法相)は当時、当方とのインタビューの中で、「平壌市内では醜く太った市民も、不潔な服を着た子供も見たことがない」と語っていた。大学教授や政治家たちの訪朝談はこの種の証が当時、多く聞かれた。

 同教授は北朝鮮が民主国家ではないことを認めたうえで、「米国の民主主義が果たして理想だろうか。米国の国内問題を見ればその答えは一目瞭然ではないか。離婚、麻薬問題、犯罪の急増などの難問を抱えている。北朝鮮には言論の自由がないことは確かだ。言論の自由を謳歌している欧州の現状はどうだろうか。彼らは多くのことを自由に語るが、混乱と怠慢に陥り、何ら高尚な行動をしていないではないか。北朝鮮には自由はないが、最低、秩序がある」と説明していたことを思い出す。

 あれから30年余りが経過したから、主体思想研究グループに所属する政治家、知識人の考え方も変わっているだろう。変わらない点は、親北知識人、政治家は反米だということだ。米国が嫌いだから、その反対に位置する北朝鮮に心がいくわけだ。

「ホテル・アム・パークリング」の話

<写真で綴る北取材の「思い出」◆

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写真:ウィーン市1区の「ホテル・アム・パークリング」

 ウィーン1区にある「ホテル・アム・パークリング」は「マリオット・ホテル」とイランの核問題の交渉の舞台となったホテル「パレ・コーブルク・レジデンツ」の近くにある。外観はこの2つのホテルのように豪華さはないが、「ホテル・アム・パークリング」の名前が世界に報じられたことがある。

 同ホテルには、死者115人を出した大韓航空機爆発テロ事件(1987年11月28日)の2人の北朝鮮工作員、金勝一と金賢姫の2人が1987年11月、5日間、宿泊している。2人の北朝鮮工作員はウィーンからベオグラードへ旅立つが、ウィーンでは大韓航空858便爆発後の逃避のための航空チケットを購入する一方、ウィーン旅行をする日本人親子の役割を演じていた。

 ホテル関係者は、「日本のテレビ局のクルーも当時、ホテルの室内を撮影するためにホテルに押し寄せてきたことがあったが、事件当時を知っている従業員はもういません。ホテル側としては、あえて公言するようなことでもありませんからね。ホテルを利用する旅行者も事件のことなどまったく知らないでしょう。ホテルの室内も改造しましたから、当時とはまったく様相が違います」と説明してくれた。同マネージャーによると、「韓国旅行者は宿泊するが、北朝鮮からの旅行者はあの時だけだ」という。

 大韓航空機爆発テロ事件の犯人の1人、金賢姫は著書「いま、女として」(文藝春秋社)の中で、「はじめてのウィーンの町は、ひたすら緊張を強いられる不慣れな街でしかなかった。特別な感銘を受ける心の余裕などまったくなかった」と記している。正直な言葉だ。音楽の都を訪ねながら、コンサート一つも訪れることなく、「大韓航空を爆破せよ」と命令されたテロ計画を如何に成功させるかで頭の中は一杯だったわけだ。

 「ホテル・アム・パークリング」の部屋から市立公園が良く見えるが、2人は公園内のシューベルト像やヨハン・シュトラウス像を見学する時間はなかった。

 ちなみに、金勝一は犯行後、バーレーンで服毒自殺、爆発事件後拘束された金賢姫は1990年4月12日、大統領特別赦免を受けている。同テロ事件を受け、米国は翌年1988年1月20日、北朝鮮をテロ支援国家に指定した。ブッシュ政権は2008年10月、テロ支援国家指定を解除したが、トランプ米大統領は17年11月20日、再指定している。

「ゴールデン・スター・バンク」の話

<写真で綴る北取材の「思い出」 

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 北朝鮮が欧州で初めて開業した同国直営銀行「ゴールデン・スター・バンク」(金星銀行)の写真だ。同銀行は1982年、ウィーンの一等地バーベンベルガー通りに開業した。ウィーン金融界は当時、北の銀行の開業は金融拠点のウィーンの評判を落とすとして反対が強かったが、社会党関係者の支援を受けてオープンした。同銀行はその後、ウィーン市7区カイザー通りに移転した。当時の「金星銀行」の写真が古い写真を整理していたら出てきたのだ。

 同銀行は北朝鮮の商業銀行「大聖銀行」の頭取、崔秀吉氏が故金日成主席の意向を受けて、100%出資して開設した銀行だ。崔頭取は労働党中央委財政部長の肩書をもち、日朝国交正常化政府間交渉の際には、日本を頻繁に訪問、在日朝鮮人の資産の見積もりをしていた人物だ。

 銀行が入った同ビル上階には北のスパイ工作機関「ゴールデン・ウイング」の事務所があった。要するに、「金星銀行」と「ゴールデン・ウイング」が入った同ビルは北朝鮮の欧州工作の主要拠点だったわけだ。

 「金星銀行」は2004年6月末、中道保守派シュッセル政権時代に営業を閉じた、というより、閉じざるを得なくなった。シュッセル政権は財務省独立機関「金融市場監査」(FMA)に「金星銀行」の業務監視を実施させた。米国が不法経済活動の証拠をつかんだことを知った北側は、強制閉鎖に追い込まれる前に自主的に営業を停止した、というのが真相だ。

 「金星銀行」は米ドル紙幣偽造、麻薬密売、武器取引などの不法な活動の拠点だったこともあって、米中央情報局(CIA)が早くからマークしていた。北朝鮮の核開発が急速に進展した時代だった。核関連物質、機材などを購入するときには、金星銀行が常に関与してきた。

 故金正日総書記への贅沢品調達人、権栄録(クォン・ヨンロク)氏がまだ「金星銀行」の筆頭頭取だった時だ。彼は定期的にドイツのメルセデス・ベンツ社に顔をだし、高級車を大量に購入するものだから、メルセデス・ベンツ社からはVIP扱いされていた。イタリアからの高速ヨット購入で躓いたが、彼は久しく金ファミリーへの調達人だった。「金正日の料理人」の本(藤本健二著)の中にも彼の話が出ている。

 カイザー通りで独週刊誌シュピーゲルを片脇に持って歩いているところを目撃したことがある。彼は当時、シュピーゲル誌を読みこなすだけの独語力をもっていた。寡黙で、何を聞いても口を閉じていた。権氏は2009年末、平壌に帰国した。オーストリアの検察庁が安保理決議1718号を無視し、外国貿易法に違反したとして権氏とオーストリア企業を起訴したために、平壌に逃げたわけだ。

 蛇足だが、「金星銀行」の左側の隣人はCIAが経営していたテコンドーの道場だったが、「金星銀行」が閉鎖されると、同道場は文字通り、消滅していた。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォード共演の米映画「スティング」(公開1973年)の最後のシーンを思い出したほどだ。

労働新聞が「電子タバコ有害」報道

 韓国聯合ニュースは28日、北朝鮮の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」が27日付で「世界的に懸念されている電子タバコ」という題の記事を掲載し、「電子タバコは一般のタバコと同様有害だ」と警告した、と伝えた。

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▲米朝首脳会談前にタバコを吸う金正恩委員長(CNN中継から)

 聯合ニュースはその際、「8月に行われた新兵器の試射を視察した金正恩委員長が、たばこを手に同行した軍幹部と話している」という絵解き付きの写真を掲載し、タバコ好きで有名な首領様と労働新聞の記事の趣旨が一見矛盾していることを示唆した。

 北朝鮮は民主国家ではない。金日成主席、金正日総書記、そして3代目の金正恩党委員長の3代の独裁者が実権を握っている国だ。その“首領様”の命令は至上命令であり、誰もがそれに反対できない。それは単に政治・社会分野だけではなく、日常生活の趣向分野にまで及ぶ。金正恩氏のヘアスタイルは労働党幹部から2世、3世にまで影響を及ぼしていることはいうまでもない。

 それでは、タバコ好きで有名な金正恩氏が一般のタバコではないが、電子タバコの有害性を示唆する労働党新聞の記事を読んだならば、どのような反応を示すだろうか。激怒どころではなく、タバコの有害を書いた記者を即、政治収容所に送るだろうか。ただし、首領様がタバコ好きということを知らない労働新聞の記者はいないから、金正恩氏の了解を得たうえで掲載された記事と受け取るほうが妥当かもしれない。

 それでは、金正恩氏は突然、回心ではなく、禁煙を決意したのだろうか。3人の子供の父親でもある金正恩氏は子供のためにも長生きしなければならないと考えた末、禁煙を決意したのだろうか。

 ハノイで今年2月末開催された米朝首脳会談の休憩時、金正恩氏が喫煙している写真が流れた。それはタバコが好きといった風ではなく、タバコに救いを求めているような依存性が伝わってくる写真だった。ストレス解消の手段でもあり、精神安定の手段としてタバコを口にしているといった様子だった。その金正恩氏が子供のために長生きを目指して禁煙を決意したとは考えにくいのだ。

 喫煙を愛する金正恩氏の逆鱗に触れることなく、労働新聞が国民に向かって禁煙の勧めの記事を掲載できるだろうか。民主国家では為政者と国民の間ではコンセンサスがないテーマは少なくない。メディアの世界では為政者を批判することが報道の客観性と受け取られているほどだ。

 聯合ニュースによると、「労働新聞は電子タバコは一般のタバコより安全だという見解は全く覆された。電子タバコも有害であり、多くの肺疾患患者が出てきている」と指摘し、「電子タバコは青少年に非常に有害であり、タバコを吸わない人にも影響が甚大だ」と述べているのだ。

 独裁者の嗜好、喫煙を厳しく有害だと指摘することはちょっと考えにくい。もちろん、金正恩氏は一般の外国産タバコを喫煙しているのであって、電子タバコではないが、それでも「タバコ喫煙は有害」というイメージを広める契機となることは間違いないだろう。それだけではない。「北朝鮮では外国産たばこの輸入を制限し、国内でのたばこ生産も中止するなど、禁煙政策を推進している」というのだ。

 興味深い点は、朝鮮労働党新聞が電子タバコの有害を報じる一日前、26日にロイター通信が電子タバコの有害を大々的に報じているのだ。米疾病対策センター(CDC)は26日、電子タバコの有害性が確認されたと報じ、肺疾患の件数が805件、死亡例は12件と、増加傾向が見られるというのだ。

 CDCによると、「9月24日時点で、カリフォルニア、フロリダ、ジョージア、イリノイ、インディアナ、カンザス、ミネソタ、ミシシッピ、オレゴンの各州で死亡例が確認された」というのだ。

 要するに、ハノイの米朝首脳会談後、非核化に関する米朝実務協議はまだ始まっていないが、電子タバコの有害性では米朝間で既に見解が一致しているわけだ。

 繰り返しになるが、「タバコ好きの金正恩氏」と「禁煙を勧める労働新聞の論旨」間の相違、ないしは対立はなぜ生じたのだろうか。以下、当方の推測だ。

]働新聞編集部は、ヘビースモーカーの首領様・金正恩氏の健康を案じて、自発的に報じた、主体性を国是とする「主体思想」の実践だ。

∀働新聞編集部は、誰も我々の記事など読んでいないと考えて、ロイター通信から流れてきた記事を朝鮮語で訳する気持ちで掲載した。

O働新聞編集部は、電子タバコの有害性というテーマを利用し、国内の反金正恩氏の結束を秘かに呼び掛けた。

は働新聞編集部は、金正恩氏が禁煙を決意したことを受け、今後、徹底的な反電子タバコ、禁煙路線でいくことを決定し、第一弾の記事として掲載。

 いずれにしても、「労働新聞の論旨」と「金正恩氏の嗜好」の対立、矛盾は、「全ての事象は対立や矛盾を介して発展する」というマルクス主義の史的唯物論の視点から考えれば、案外スムーズに理解できるかもしれない。労働新聞編集部も統合、調和ではなく、対立と矛盾こそ歴史発展の原動力と教えられてきたからだ。

朝鮮半島の「非核化」は既に「死語」?

 首脳会談など重要な会議では開催前には議題設定が行われる。何をテーマとして話し合うかだ。そして朝鮮半島に関連する一連の首脳会談には絶対欠かせられない主要議題(アジェンダ)があった。朝鮮半島の「非核化」問題だ。具体的には、北朝鮮の非核化だ。

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▲板門店でトランプ大統領、金正恩委員長、文在寅大統領の米朝韓3国首脳が結集(2019年6月30日、韓国大統領府公式サイトから)

 米朝、日米、日米韓首脳会談から先進主要国会談(G7)まで、朝鮮半島問題では北朝鮮の非核化問題は最大の議題の一つと見なされてきた。そして多くの首脳たちが北の非核化促進を訴えてきたが、ここにきて「北の非核化」を叫ぶ声が聞かれなくなってきた感じがする。

 理由はある。北がこれまでの最後の核実験(2017年9月)後、2年余り核実験を控えてきたからだ。北が米朝首脳会談推進中は一種のモラトリアムとして、核実験を控えているからだ。しかし、北が非核化を実行している兆候はみられない。

 米国の衛星写真などによると、寧辺周辺核関連施設で活動がみられる。一部報道では、5MW黒鉛減速炉の再操業を報じる記事があった。ウラン濃縮活動をカムフラージュするための恣意的な攪乱工作だろう。少なくとも5MW黒鉛減速炉はもはや博物館入り寸前だ。正常な活動を再開するためには膨大な資金と労力が必要となるから、北は古い原子炉から核燃棒を回収し、それを再処理してプルトニウムを入手するこれまでのやり方を放棄し、ウラン濃縮活動に専念しだしている。後者は大きな施設は要らず、隠ぺい工作も容易という利点がある。

 要するに、「北の非核化」はもはや遅すぎるのだ。6回の核実験を実行し、20基以上の核兵器を保有している北が非核化に応じるはずがないからだ。その点、イランの核問題とは次元が違う。ここで指摘しなくても関係国は既に知っていることだ。「非核化」、「非核化」と叫ぶが、誰もがそれが実現できるとは考えていない。それが北の非核化問題の現状だ。

 思い出してほしい。北が核兵器を既に保有しているという事実は国際原子力機関(IAEA)のエルバラダイ事務局長時代に明らかだった。エルバラダイ氏は2006年8月31日、ウィーンのホーフブルク宮殿で開催された包括的核実験禁止条約(CTBT)の署名開始10周年記念シンポジウムの基調演説の中で、「世界には現在、9カ国の核保有国が存在する」と述べた。9カ国とは、米英仏露中の国連安保常任理国5カ国にインド、パキスタン、イスラエル、そして北朝鮮というのだ。すなわち、エルバラダイ氏は13年前に北朝鮮を既に核保有国と見なしていたのだ。同氏に先見の明があったからというより、不都合な事実をバカ正直に言ってしまっただけだ(「北が『核保有国』と認知されない理由」2017年9月11日参考)。

 「北の非核化」が国際社会の主要議題となって久しいが、それを真摯に可能と考えている国や外交官は誰もいないだろう。トランプ米大統領は再選問題もあるから国際社会の注目度の高い「北の非核化」にのめり込んでいるが、実際は米本土まで届く核弾頭搭載可能の長距離弾頭ミサイルを北が保有しない限り、北が製造済みの初歩的な核兵器を黙認する考えだ。

 世界で唯一、核兵器を製造した後、それを破棄したのはアパルトヘイト政権時代の南アフリカ1国だけだ。白人支配が終わり、黒人支配に移行する直前、核兵器が黒人主導政権に渡るのを阻止するために核を完全に放棄、破壊している。リビアのカダフィ大佐は核開発計画を断念し、全ての関連機材を米国側に引き渡したが、リビアは当時まだ核兵器を製造していなかった。

 それでは、核兵器を20基以上保有し、6回の核実験をした北が完全な非核化に応じると考える“お人よし”の政治家がいるだろうか。中国とロシアが北を政治的、経済的支援する限り、北が非核化を実行しなければならない理由は見当たらない。中露2国は北の核兵器を最小限度に抑える一方、北東アジア支配への窓口として北を彼らの勢力圏に入れておくほうが戦略的にメリットが多い。民主選出された政権ではなく、独裁者が支配する国の場合、その政権が何らの理由で崩壊しない限り、非核化は考えられないわけだ。

 朝鮮半島の「非核化」はこれからも主要首脳会談でアジェンダとして取り上げられたとしても既に「死語」となっているのだ。朝鮮半島を取り巻く政治情勢は「北の非核化」から北主導の南北再統一、駐韓米軍の撤退問題、そして日本の再軍備といった流れに移動してきているのだ。

 中国の王毅国務委員兼外相は今月2日、平壌で李容浩外相と会談した。両氏は10月の中朝国交樹立70年祝賀行事に向けて協力することで一致するとともに、「朝鮮半島の非核化」についても話し合ったという。報道向けの内容だろう。実際は、中国外相の訪朝では「北の非核化」は主要テーマではなかったはずだ。

 中国が今関心を払っているのは、韓国が日本との軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を破棄した後の朝鮮半島情勢であり、その後続くだろう在韓米軍撤退問題だ。そのうえで「韓国の文在寅政権をいかに中国と北側に引き入れるか」で突っ込んだ話し合いがもたれたはずだ。中国・北朝鮮両国外相会談後、新たな対韓政策が実行されるかもしれない。文在寅大統領を突き放すのではなく、引き入れるための工作外交だ。

 繰返すが、「北の非核化」というテーマは既に死語となったが、ここ当分は誰もそういわないだろう。誰が最初に「北の非核化はもうテーマではない」と本音を漏らすだろうか。やはり、口の軽いトランプ米大統領だろうか。

北は「割れやすいガラスの器」か?

 北朝鮮の対韓国窓口機関・祖国平和統一委員会は16日、前日の文在寅大統領の光復節の式典での演説を非難し、「われわれは南朝鮮(韓国)当局者とこれ以上話すことはない」と一括し、文大統領に対しては、「まれに見る図々しい人物」などと非難したことが報じられると、文大統領は19日、青瓦台(大統領府)で開かれた首席秘書官・補佐官会議で、朝鮮半島の状況に関連して、「割れやすいガラスの器を扱うように、一歩ずつ進む慎重さが必要だ」として、相手の立場を理解する知恵や真摯な姿勢が必要との認識を示したという(韓国聯合ニュース)。

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▲エスパー米国防長官と会談する韓国の文在寅大統領(2019年8月9日、韓国大統領府公式サイトから)

 この記事を読んで複雑な思いがした。文大統領は、朝鮮半島の状況を「割れやすいガラスの器」と表現したが、具体的には北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が「割れやすいガラスの器」で、いつ暴発するか分からないから、南北融和政策も慎重に進めていく必要があるという意味合いがあるはずだ。

 そういえば、日本の河野太郎外相が文在寅大統領の元徴用工への対応が遅れていることを指摘すると、大統領府関係者が、「身の程知らずの無礼さ。一国の国家元首を批判するとは」と激怒している。北朝鮮に対しては「割れやすいガラスの器」を扱うように、相手の立場を考慮する一方、隣国の日本外相に対しては口汚く罵るのだ。この好対照ぶりは何を意味するのか。

 北朝鮮は米韓軍事合同演習に激怒し、短距離弾道ミサイルを連日発射してうっ憤を晴らした。すなわち、北は米韓の一挙手一投足に敏感に反応する。まさに「割れやすいガラスの器」だ。一方、韓国は、反日言動を繰り返し、海外に反日を拡散させたとしても日本は激怒することはない「壊れない鋼鉄の器」と考えているから、「日本の立場を考慮する必要はない」という思い込みがあるのだろうか。

 文政権は政権発足以来、南北融和政策という名目で北に完全に傾斜していった。文大統領は金正恩委員長の広報担当官とメディアで冷笑されても怒らない。むしろ、南北融和政策の成果として誇ってきた。

 一方、日本に対しては全てにネガティブに受け取る。韓国は昨年10月、国際観艦式で日本の海上自衛隊の艦艇の旭日旗掲揚に抗議して自粛を要請し、「過去の日本の植民地時代の蛮行を想起させる」と不満を表明し、慰安婦問題では少女像を世界に輸出し、元徴用工の賠償請求を促し、日本からの輸出を阻止し、国内では日本製ボイコットをする。なぜならば、韓国側は「日本は怒り出したとしても最終的には韓国側の意向を飲むだろう」という計算があるからだ。文政権は現実を冷静に判断する能力を失い、悲しい誤解を繰返している。日本側は怒り出しているのだ。

 文大統領の「割れやすいガラスの器」という北朝鮮は3代世襲の独裁国家だ。大量破壊兵器の核兵器を製造し、いつでもソウルや東京にミサイルを発射できる国だ。国民の人権は常に蹂躙され、基本的人権は全く考慮されない国だ。その国に対し、文大統領は「相手の立場を考慮して」と呼びかけているのだ。文在寅大統領はどの国の大統領だろうか。

 韓国民は気が付かなければならない時を迎えている。文大統領は韓国民の最高指導者というより、北側を第一に考える大統領だということだ。韓国の国民経済が厳しくなってもその対策を考えるより、金正恩氏と次はいつ会うかを楽しみにし、国民の不満が高まった時には反日カードを取り出して国民を煽れば済むと考えている革命指導者だ。

 北の立場に理解を示し、「割れやすいガラスの器」を扱うように、慎重となる文大統領が日本に対しては激変し、民族主義者の顔が現れ、反日ルサンチマンの塊になる。国民経済が厳しくなったこともあって、文大統領は「日韓の対話、協力」という言葉を使い出してきたが、多くの日本人は文大統領の言葉をもはや信じないだろう。

 文政権からは「米韓軍事合同演習が20日に終了したから、北側の態度が変わるのではないか」という淡い期待が聞かれる。韓国は来月中に、世界食糧計画(WFP)を通じて北にコメ5万トンの支援を実行する予定だが、中国は約80万トンのコメを北に支援するという。これが事実とすれば、韓国の対北経済支援カードはもはや有効に機能しないだろう。北国営メディアの文大統領批判はそのことを裏付けているように思われるのだ。

 文大統領は近い将来の南北再統一を視野に入れ、北側を怒らせないように自制しているのかもしれない。もしそうならば、文大統領は大きな間違いを犯している。独裁国・北朝鮮と韓国の再統一はあり得ないのだ。南北再統一問題は、北の独裁国家が崩壊した後に協議する課題、という条件が付く。その前は考えられない。独裁国家・北が存続する以上、韓国は南北再統一のカードを切れないのだ。文大統領の南北再統一構想は時期尚早だけではなく、非常に危険な冒険だ。

北の「瀬戸際外交」は封印された!

 南北非武装地帯の板門店でトランプ米大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の第3回首脳会談が先月30日、開催された。第1回目のシンガポールや第2回目のハノイの会談のように周到な準備が行われた後、開催された会議ではなかった。トランプ氏がツイッターで金正恩氏に「可能ならば板門店で会おう」と発信したのがきっかけだ。それも会談の数日前だ。

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▲南北の非武装地帯で会合したトランプ大統領と金正恩委員長(ホワイトハウス公式サイトから、2019年6月30日)

 当方はトランプ氏のツイッターが契機となって第3回首脳会談が開かれたのではなく、背後にはやはりそれなりの準備や安全問題などが話し合われていたと考えていたが、金正恩氏自身が先月30日、板門店の自由の家でのトランプ氏との立ち話で、「トランプ氏の会談希望のメッセージには驚いた」と告白していたというから、やはり板門店の会談は準備なしのサプライズ会談だったのかもしれない。

 今年2月末に開催されたハノイの第2回米朝首脳会談は決裂したと報じられた。その結果、次の首脳会談は当分は開かれないだろうと予想されていた矢先だ。ハノイ会談が決裂した主因は、トランプ氏側の説明によると、「金正恩氏には非核化への準備が整っていなかった」からだという。

 興味深い事実は、ハノイ会談で先に交渉テーブルを蹴って立ち上がったのが金正恩氏ではなく、トランプ氏だったことだ。予定されていた昼食会をもキャンセルして立ち去った。すなわち、第2回会談の決裂も第3回の板門店会合もトランプ氏側のイニシアチブに基づいているという事実だ。それに対し、金正恩氏はハノイでは怒りを爆発させ、涙も流したという報道さえある。そして板門店では「驚いた」と告白しているのだ。北の独裁者が米国との交渉で完全にイニシアチブを取られ、困惑するという姿はこれまで見られなかったことだ。

 米国が北朝鮮との交渉で会議の主導権を握り、会議を進めるということはこれまでほとんどなかった。北側の瀬戸際外交に圧され、北側と交渉テーブルにつき、北側の要求を聞いて譲歩する、というのがこれまでの対北交渉パターンだった。それがトランプ氏が登場して激変したのだ。

 北の外交は基本的には「瀬戸際外交」だ。その土台を築いたのが金正恩氏の祖父、金日成主席だ。金主席は1994年、核兵器の製造開発を中止するふりをして、米国から軽水炉の提供と重油の供給を勝ち得ている。故金正日総書記時代に入ってもその瀬戸際外交は継続され、3代目の金正恩氏まで継承されてきているわけだ。

 北の「瀬戸際外交」に懲りた米国はオバマ政権に入ると、「戦略的忍耐」と名付けられる対北政策に変わった。すなわち、北が非核化に応じない限り、対北政策では何もしない無策路線を守ってきた。その結果、北は核開発を進めることができたわけだ(「オバマ氏の『戦略的忍耐』の結果」2017年9月5日参考)。クリントン米政権で国防長官を務めたペリー氏は2017年1月、オバマ政権の8年間の対北政策について「北の核・ミサイル開発を助けた」と指摘し、「戦略的忍耐は失敗だった」と主張している。

 トランプ氏は対北外交ではオバマ政権の無策から別離し、北側に「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」(CVID)を要求、核実験、弾道ミサイルを発する度に対北制裁を強化する一方、北の若い独裁者の金正恩氏を「友人」呼ばわりし、親書を交換するなどの指導者同士の人間関係を重視する政策をとってきている。そして、北側との交渉では常にイニシアチブを取り、北側の「瀬戸際外交」に対しては、軍事力行使も辞さない強硬姿勢を誇示して封じてきたわけだ。

 ここまではトランプ外交は成功している。金正恩氏はトランプ氏のツイッター外交、サプライズ外交に当惑し、守勢を強いられてきた。しかし、それはあくまでも交渉の入口に過ぎない。交渉のテーマ、北の非核化の実現はこれからだ。トランプ氏が自身の再選を実現するために対北政策を利用するようなことになれば、金正恩氏が主導権をトランプ氏から奪い返す事態も十分考えられる。北の伝統的な「瀬戸際外交」とトランプ氏の「サプライズ外交」の戦いの決着はまだついていないのだ。

朝鮮半島で“良き知らせ”は日本から

 トランプ米大統領が先月30日、南北軍事非武装地帯の板門店で北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長と会談したが、それに先立ち、トランプ氏は現職の米大統領としては初めて北側領地に足を踏み入れた。その歴史的イベントが報じられると、世界に約13億人の信者を有する最大のキリスト教宗派、ローマ・カトリック教会の総本山ローマ法王庁でもバチカン放送(独語版)が至急電で大きく報じた。

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▲板門店でトランプ大統領、金正恩委員長、文在寅大統領の米朝韓3国首脳が結集(2019年6月30日、韓国大統領府公式サイトから)

 ハノイの第2回米朝首脳会談(今年2月)が両国の非核化政策で対立して決裂したばかりだった。その両国首脳が再会を決め、板門店で会合したわけだ。バチカン放送によると、ローマ法王フランシスコは同日、板門店でのトランプ・金正恩首脳会談に対し、「想定外だったが、出会いの文化の美しさを我々に見せてくれた」と述べ、トランプ氏のツイッターでは「数分間の挨拶」の予定だったが1時間余りの会談に延長されたことに対し、「米朝間の対話が生き続けている」と評価している。

 フランシスコ法王が米朝首脳会談についてその日のうちに自身のコメントを公表するのは異例だ。それだけに、フランシスコ法王が南北分断の朝鮮半島の行方に強い関心を有していることを示した。

 フランシスコ法王は、「関係者の努力を歓迎する。その歩みが朝鮮半島だけではない、全ての世界の平和をもたらす道を切り開いてくれるように祈りたい」と述べている。ちなみに、フランシスコ法王は2014年8月、韓国を司牧訪問し、南北に分断された朝鮮半島で紛争が再発しないように、平和のための祈りを捧げている。

 韓国カトリック教会でも第3回米朝首脳会談を歓迎する声が聞かれる。韓国大田広域市の Lazarus You Heung-sik 司教は「良き知らせだ」と喜びを吐露し、「ハノイ会談は報じられたように破綻はしておらず、トランプ大統領と金正恩委員長は相手を一層深く理解しあったのではないか。この出会いが更に発展することを希望する」と述べている。

 ちなみに、自身もカトリック教徒の韓国の文在寅大統領は今回の板門店での第3回米朝首脳会談について、「非核化と平和について朝鮮半島の8000万人に希望を与えた」と評価している。 

 韓国では先週、「韓国動乱」勃発69年を迎え、追悼集会が開かれたばかりだ。同動乱では300万人が犠牲となり、南北分断という悲劇をもたらした。Lazarus You Heung-sik司教によると、「北の国境線から数キロ離れた村で追悼ミサを開き、平和と祖国の統一のために祈った。同ミサには2万人が参加した」という。

 ところで、フランシスコ法王は今年11月、日本を訪問する予定だ。日本では長崎と広島の被爆地を訪問し、世界に向かって核全廃を訴えるという。以下は当方の勝手な考えだが、フランシスコ法王もトランプ氏に倣って南北非武装地帯を訪問し、そこで金正恩委員長とサプライズ会談を開いたらどうだろうか。フランシスコ法王には平壌を訪問するより容易であり、金正恩氏にとっても負担は少ないはずだ。そのうえ、ローマ法王と金正恩氏の会談はトランプ氏と金正恩氏の会談を凌ぐニュース・バリューがある。フランシスコ法王は北の国民が厳しい食糧不足に陥っていることを知っているから、金正恩氏は世界にネットワークを持つカトリック教会を通じ食糧支援を要請するという道もある。金正恩氏にとって損はないはずだ。

 板門店でフランシスコ・金正恩会議が実現すれば、世界も驚くだろう。ここで忘れてほしくないことは、第3回米朝首脳会談は、大阪市で開催された20カ国・地域首脳会談(G20サミット)後、トランプ氏が朝鮮半島に足を運び、実現されたことだ。同じように、フランシスコ法王も訪日後、朝鮮半島まで一飛びし、板門店で金正恩氏と非核化、南北再統一、そして食糧支援問題で意見を交わすのだ。全ていいことは日本からやってくるのだ。反日で教育され、日本への憎悪が深い南北国民にとっても、トランプ氏ばかりか、ローマ法王をも朝鮮半島まで運んでくれた影の功労者、日本に対して感謝が生まれてくるのではないか。

 トランプ大統領ができたことだ。アルゼンチン出身のローマ法王ができないはずがない。ローマ法王の外遊には長い準備が必要だが、南北に分断された朝鮮半島にはそんな悠長なことを言っておれない。フランシスコ法王は日本を訪問中、ツイッターで金正恩氏宛てに会合の期待を吐露すればいいだけだ。口頭といえ、金正恩氏は昨年9月、文大統領を通じてフランシスコ法王を招請済みだ。金正恩氏はこれまで米ロ中の国家元首と会談してきた。その会談リストにフランシスコ法王の名前を加えれば、金正恩氏は、良し悪しは別として、国際指導者の仲間入りだ。

 ついでながら、フランシスコ法王は日本で安倍晋三首相から金正恩氏宛ての親書を受け取り、板門店での会談で金正恩氏に手渡し、「安倍首相と日朝会談をすべきだ」と助言すれば、フランシスコ法王の調停外交に更に花を添えることになる。繰り返すが、朝鮮半島で良き知らせは日本からやってくるのだ。決して、中国大陸からではない。

“歴史的”が常にいいとは限らない

 トランプ米大統領は30日午後(現地時間)、南北間軍事境界線にある板門店で北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長と会合した。現職の米大統領が非武装地帯(DMZ)の境界線から北側の領土に足を踏み入れたのは南北分断66年間の歴史でトランプ大統領が初めてだ。

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▲DMZで出会ったトランプ大統領と金正恩委員長(2019年6月30日、CNNから)

 当方はウィーンの朝6時頃からテレビのスイッチを入れ、米CNNを通じて歴史的なイベントを追った。韓国側からトランプ大統領が北側の方向に向かって歩き出すと、ガードマンに囲まれて金正恩氏の姿が現れ、南北軍事境界線上で両者はがっちりと握手した。

 トランプ氏は、「このような場所であなたと再会できて光栄だ。歴史的だ」と挨拶すると、金正恩氏はトランプ氏の北入りを「将来の両国関係で過去の多くの困難を克服してポジティブな成果を生み出す勇断だ」と述べ、トランプ氏と同様、板門店での米朝首脳会合を歴史的と評していたのが印象的だった。

 トランプ氏と金正恩氏の板門店での会合は24時間前に突然降ってわいたトランプ氏のアイデアだったわけではないだろう。トランプ氏は大阪の20カ国・地域首脳会談(G20大坂サミット)前に「米国帰国前に韓国を訪問し、そこで非武装地帯を訪問して金正恩氏と再会し、スモールトークが実現できれば幸いだ」とツイッターで書いていたが、会合の準備はその前から進められていたはずだ。歴史的なイベントと受け取られるために、双方にとってサプライズな会合の方がインパクトが大きい、という計算があったのではないか。

 トランプ氏と金正恩氏は板門店の韓国側の「自由の家」で非公式の会談をしたが、それに先立ち行われた記者会見ではトランプ氏は繰り返しDMZの会合の歴史的意味を強調。その傍で金正恩氏も笑顔を見せながら気分よさそうな表情を見せていた。なお、1時間弱の会談では、米朝両国は今後2、3週間以内に実務チームを構成し交渉を開始することで合意したという。

 トランプ氏と金正恩氏はシンガポール(2018年6月)、ハノイ(今年2月)、そして今回の朝鮮半島のDMZ会合と計3回会ったことになる。ホップ、ステップ、ジャンプだ。シンガポール会談は文字通り、歴史上最初の米朝首脳会談であったが、米朝間の主要テーマ「北の非核化」協議には具体的な進展はなかった。そしてハノイの第2回目で米朝両国は北の非核化協議で衝突、米国と北朝鮮の間に大きな開きがあることが明らかになり、「北側は準備がなかった」という言葉を残してトランプ氏は交渉テーブルから退去した。ただし、ハノイ会談は決裂したが、双方は書簡交換し、第3回の首脳会談の可能性を排除しなかったことから、今回のサプライズな会合となったわけだ。

 トランプ氏は金正恩氏を友人呼ばわりしているが、金正恩氏も「トランプ氏との個人的関係は非常にいい」と述べ、両者の人間関係には問題がないいことを強調していた。

 問題は米朝首脳会談の主要テーマ、北の非核化に関する協議では実質的な進展はまったくないことだ。北側は古い寧辺核関連施設の破棄を表明する一方、米国はウラン濃縮関連施設などの核関連活動の完全な停止を要求、米朝間には非核化で大きな相違が明らかになった。

 北朝鮮の非核化は全く進展がないばかりか、北朝鮮はこれまでのプルトニウム型核兵器から濃縮ウラン型核兵器の製造に乗り出そうとしている。金正恩委員長は寧辺核関連施設を破棄することで非核化を演出しているが、北の核兵器は拡大されてきているのだ。一方、トランプ氏がカメラのショー効果が高い板門店で金正恩氏とのショートトークに笑みを漏らしているのを見ると、少々、心配になる。

 トランプ氏はここにきて「北の非核化は急がない」と述べ、金正恩氏には非核化への決意を下すのに時間が必要という認識を明らかにしている。CNNによると、トランプ氏は今回、金正恩氏をホワイトハウスに招請する意向を示したという。

 金正恩氏は再選を実現するために腐心するトランプ氏の願いを受け入れ、板門店での会合をOKしたのだろう。ひょっとしたら、次はトランプ氏が金正恩氏の願いを受け入れる番となるかもしれない。

 CNNのコメンターが、「歴史的なイベントが常にポジティブとはいえない」と皮肉を込めて語っていた。板門店での米大統領と金正恩氏の会合は初めてという意味で確かに歴史的だったが、それが常に好ましい成果をもたらすとは限らない、という意味合いだろう。当方はその点ではCNNのコメンターに同感だ。
 
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