ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

キリスト教

「40」は神のラッキーナンバー?

 30日は「イエスの昇天」の日に当たり、「復活祭」(イースター)に連動した移動祭日だ。カトリック教国のオーストリアでは休日だった。クリスマスや復活祭とは違い、国民はプレゼント買いや礼拝参加といったストレスはなく、日ごろの疲れをとるためにゆっくりと休む国民が多い。

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▲「方舟を出た後のノアによる感謝の祈り」ドメ二コ・モレッリの画(1901年)=ウィキぺディアから

 ゴルゴダの丘で十字架上で亡くなったイエスは3日後、復活し、その後40日間、散らばった弟子たちを訪ね、福音を延べ伝えた後に昇天した。それからキリスト教が始まり、世界宗教へと発展していったのである。

 ところで、イエスはなぜ、復活後40日間、地上に留まったのか、「30日」でも「100日」でも良かったのではないか。実際は40日間だ。興味深い点は、新旧約聖書66巻の中には数字「40」が頻繁に登場することだ。代表的な例としては、ノアの40日間の洪水、モーセの2度の40日間断食、カナンの偵察期間40日間、イエスの40日間断食、そして復活後の40日間だ。なぜ神は「40」という数字に拘るのだろうか。ひょっとしたら、「40」は神にとってラッキーナンバーではないか。

 神はノアに(アララト)山頂で方舟を建設するように命じる。40日間、天が割れ、大洪水が襲ってくるからだという。洪水は25日間でも、30日間でもない。40日間続いた。モーセはユダヤ民族をエジプトの奴隷生活から解放し、神の約束の地カナンに向かったが、60万人のイスラエルの民は不信仰を犯し、金の子牛を造り、それを神として拝んだ。激怒したモーセは神からもらった十戒の石版を壊した。神はモーセに40日間断食すれば、新たに石版を与えると約束する。30日間の断食でもなく、50日間の断食でもない。神は40日間の断食をはモーセに命じたのだ。

 “第2のアダム”の立場だったノアは40日間の洪水後、人類の始祖として再出発する。モーセも40日間の断食後、イスラエルの民を再結束し、カナンへ向かう。復活後のイエスの時も同様だ。ユダヤ教から別れを告げ、新約の福音を携えて神のみ言葉を延べ伝えるキリスト教が始まる。困難を克服し、新しい出発の時、神は不思議と数字「40」に拘っていることが分かる。

 もちろん、数字「40」だけではない。例えば、「3」も聖書には頻繁に出てくる数字だ。イエスの3弟子、3大天使、ノアの箱舟の3構造、サウル、ダビデ、ソロモンの3王などだ。聖書の世界以外でも、3度目の正直、3つ子の魂100まで、といった数字「3」に言及した格言がある。物理の世界でも、ものを安定するためには3点が必要だ。1点、2点では定着できない。

 宇宙を観測する天文学者や物理学者たちは最性能の望遠鏡を駆使して宇宙を観測するが、宇宙が無秩序で構成されていたら、宇宙を観測できない。宇宙の観測性は、すなわち、宇宙が偶然に出来上がったのではなく、一定の数理性をもって構築されていることを実証しているわけだ。だから、人類はこれまでの学問的実績を土台としながら宇宙を眺め、その秘密を解明しようとしてきた。

 その意味で、「宗教と科学」の対立、といった命題は基本的に間違っている。神は最高の科学者だ。「科学」の世界を通じて、神がその作品の中に秘めた数理性、公式を解き明かし、「宗教」の世界を通じて、神に戻る道を教え、諭してきた。宗教と科学は相互補完関係といえるわけだ。

 「イエスの昇天」に戻る。イエスは「40日間」、福音を延べ伝え、新しい出発の土台を築いた後、昇天した。その後の2000年間のキリスト教の歴史はある意味でサクセス・ストーリーだったが、限界が見えてきた。イエスの十字架を信じる人々に一定の恩恵を与えたが、キリスト教神学の土台を築いた聖パウロ自身が告白しているように、十字架の救済には限界が明らかになってきた(「ローマ人への手紙」7章22節)。だから、イエスの再臨はどうしても不可避となるが、その前に数字「40」を成就する何らかの出来事が必要となるはずだ。

ミケランジェロはもう生まれないか

 独週刊誌シュピーゲル先週号(4月20日号)は特集「誰がそんなものを信じるか」という見出しでキリスト教の現状を辛辣に報告していた。このコラム欄でも「無神論者の牧師が日曜説教をする時」というタイトルでシュピーゲル誌の記事の概要を紹介した。ところで、そのシュピーゲル誌最新号(4月27日号)は先週号の記事に対する読者の声を掲載していたが、神の存在、キリスト教の教えを擁護する声が多かったのには驚いた。特に、過去の音楽、絵画、建築の背後に創作者の神への信仰があったことを想起させる読者の声には「まったくその通りだ」と相槌を打ったほどだ。

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▲ミケランジェロの作品「ピエタ」バチカンのサン・ピエトロ大聖堂内(ウィキぺディアから)

 世界の音楽、絵画、建築にはキリスト教の影響が深く刻み込まれている。神への信仰が作曲家、画家、建築家のインスピレーションを鼓舞し、多くの作品を生み出していったことは事実だ。キリスト教文化の影響が皆無の音楽や絵画などの芸術作品は欧米社会では見つけるのが難しいだろう。

 神童・モーツアルトは出身地のザルツブルクの大司教を嫌っていたが、彼が作曲した多くの作品にはやはり神への信仰からのインスピレーションが見られる。バッハのアヴェマリアだけではない。ミケランジェロの絵画は聖書の物語を描いた作品が多い。その絵画をみた多くの人々は国、民族を超えて感動を受けている。逆に言えば、キリスト教が存在しなかった場合、これまでわれわれが享受してきた音楽、建築、絵画は誕生しただろうか、という問いが生まれてくるのだ。ヘンデルのメサイア、モーツアルトのレクイエム(死者のためのミサ曲)やミケランジェロが設計したバチカンの「サン・ピエトロ大聖堂」もひょっとしたら生まれなかったかもしれない。芸術家と信仰との関係はキリスト教社会だけではない。仏教圏でも多くの画家や建築家がその仏教の教えから多くの芸術作品を創作している。

 それでは、キリスト教の世界観、文化を失いつつあるわれわれの世代は次の世代にどのような音楽、絵画、建築を残すことができるだろうか、という新たな問題が出てくる。

 シュピーゲル誌が指摘するように、21世紀に生きる人間は聖書が描くイエス物語、聖母マリア物語をもはや信じなくなってきた。キリスト教離れを含む宗教一般に対して懐疑的になってきた。それでは21世紀の芸術家はどこから創作のインスピレーションを得るだろうか。「ポスト神」時代の芸術活動はどのようなものだろうか。ビックデータが芸術家のインスピレーションの源泉となるのだろうか。バッハもモーツアルトも生まれない世界になっていくのだろうか。

 世界的ベストセラー「サピエンス全史」の著者、イスラエルの歴史家、ユバル・ノア・ハラリ氏はシュピーゲルとのインタビューの中で、「人類(ホモ・サピエンス)は現在も進化中で将来、科学技術の飛躍的な発展によって神のような存在ホモ・デウスに進化していくだろう。20世紀までは労働者が社会の中心的な役割を果たしたが、労働者という概念は今日、消滅した。新しい概念はシリコンバレーから生まれてくる。例えば、人工知能(AI)、ビッグデータ、バーチャル・リアリティ(VR)、アルゴリズムなどだ。そして人類は神のような存在に進化するホモ・デウスの時代が到来する」と述べている(「人類は“ホモデウス”に進化できるか」2017年3月26日参考)。

 パリのノートルダム大聖堂は長い年月を費やして完成された。そこにはやはり神への信仰があったはずだ。その大聖堂が火災で損傷を受けた。フランス国民は大聖堂再建に乗り出すことを決意し、再建費用も集まったが、大聖堂の建築を支えた神への信仰はあるのだろうか。それとも、大聖堂再建は歴史施設、観光名所の再建、修復工事の一つに過ぎないのだろうか。

 ハラリ氏が予言していたように、人間はホモ・デウスに進化し、神がモーセに約束した「カナンの地」の代わりに、火星や土星への宇宙が約束の地となったとしても、モーツアルト、ミケランジェロらの作品に対する憧憬、感動はそのDNAに刻み込まれているだろうか。答えを得る前に、次から次へと問いが浮かんでくるのだ。

無神論者の牧師が日曜説教する時

 昔の無神論者は神の存在やその創造説を否定するが、一定のエチケットを持っていた。神父になろうとか、牧師となって説教演壇から神を否定するといった野心はなかった。ところが時代が変わった。「自分は無神論者」と宣言するGretta Vosper牧師(60)がカナダのトロント市のプロテスタント教会で日曜礼拝の説教をし、スイスのベルンでは一人の牧師は死の床にある信者の質問に対し「神はいない」、「天国は空だ」と答えている。

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▲独週刊誌シュピーゲル4月20日号の表紙

 独週刊誌シュピーゲル(4月20日号)はキリスト者の信仰問題について写真を入れて9頁に渡り特集していた。タイトルは「誰がそんなことを信じるか」で、「キリスト者はなぜ神を必要としないか」という挑発的なサブタイトルが付いている。その特集の中に、上記の2人のプロテスタント教会の聖職者の話が紹介されていた。読んで、「時代はここまできたのか」とため息が飛び出してしまった。

 4月21日は、イエスが十字架上で亡くなって3日目に復活したことを祝う復活祭(イースター)だった。ところで、キリスト者の多くはイエスが死から蘇ったとはもはや信じていない。イエスが「神の子」だったことも、復活したイエスが40日後、天に昇天されたことも信じていない。聖母マリアの「処女受胎」の話は21世紀の信者たちは「考えられない」と感じている。ただし、聖母マリアがイエスの母親という理由から聖母マリアの処女受胎の話を無神論者のようには笑って否定しない。一定の尊敬を払いながらも、「あり得ない話」と思っている。

 シュピーゲル誌の統計を紹介する。ドイツではカトリック教徒が国民の28%、プロテスタント信者は26%。合わせて4500万人の国民がキリスト教に所属している。2005年、約66%の国民が神を信じていたが、2019年ではその数字は約55%となっている。興味深い数字は、「神を信じる」と答えた国民の54%しか「イエスの復活」を信じていないのだ。一昔前なら「あり得なかった」ことだ。

 キリスト教ではこの種の話が多い。聖母マリア関連の祝日、祭日は年13回挙行されるが、その祝日を一つ一つ憶えている信者は多くない。それだけではなく、「その話が真実だ」と信じている信者も少ない。教会の教えや経典の内容を信じていないにもかかわらず、教会の祭日、イベントには大きな矛盾を感じることなく「神の宮」(教会)に通う。

 ひょとしたら、神への信仰にとって、教会や機構は絶対に必要なものではないのかもしれない。また、聖母マリアは処女受胎か、イエスは復活したかは、神への信仰にとって決定的なことではないのかもしれない。神にとって、自分がどのように扱われようとそれで面子が傷つけられ、気分が悪くなるということはないだろう。

 神は「わたしは、有って有る者」(「出エジプト記」3章)といわれている。それを様々な宗教が一種の信仰告白のように教えを構築し、神はこうだ、神の願いは、といった教理を考え出してきた。そして出来上がった教理を死守し、それを否定する者が出てきたら、異教徒として迫害する。そんな歴史が繰り返されてきたのではないだろうか。

 そのように考えていくと、無神論者が神の宮の演壇から「神はいない」、「神は死んだ」とフリードリヒ・ニーチェのように叫んだとしても、それほど深刻なことではないのかもしれない。なぜならば、無神論者だけではなく、教会に通う敬虔な多くの信者も「イエスの復活」や「聖母マリアの処女受胎」の話を信じていないからだ。その点で同じだ。無神論者と神を信じる者の壁が次第に消滅してきたのだ。

 昔は無神論者と神を信じる者の間には激しい戦いがあった。ドイツの哲学者、数学者のゴットフリート・ライプニッツとフランスの啓蒙思想家、ヴォルテールとの間で神の存在などについての書簡のやり取りは有名だ。天災が起き、多数の犠牲者が出るたびに、多くの人々は「あなた(神)はその時、どこにおられたのですか」と神の不在を問い詰めてきた。

 ドイツ人の前ローマ法王べネディクト16世(在位2005〜2013年)は価値の相対主義を憎悪し、厳しく批判した。同16世は価値の相対主義の後に来るニヒリズムの足音を恐れていた。神の真理は一つであり、それを信じることが信仰だと考えてきた。カトリック教会は絶対的真理を持っていると確信してきたから、他宗派に対しては厳しい視線を投げてきた。「イエスの復活」でも「聖母マリアの処女受胎」でも新約聖書の記述者が書いたように信じようとしてきたし、それを信者たちにも要求してきた。だから、平信者ばかりか、リベラルな聖職者からも厭われてきた。

 べネディクト16世の絶対信仰は素晴らしい。信仰する以上、そうあるべきだろう。揺れがないのだ。ただし、神の世界は無限大であり、人間の思考はそのわずかな部分を認識しているだけに過ぎないと考えると、一つの教えだけを絶対視し、他を排除することにはやはり危険を感じる。

 シュピーゲル誌によると、キリスト者(平信徒)だけではない。ドイツのキリスト教会ではほぼ半数の聖職者が時には信仰への確信が揺れるのを感じているという。それは「神は自分の傍にいない」という絶望的な虚無感だという。貧者救済のために生涯を歩んだノーベル平和賞受賞者マザー・テレサですら、親族宛ての書簡の中で「私はイエスを探すが見いだせず、イエスの声を聞きたいが聞けない。自分の中の神は空だ」といった苦悶を告白している(「『神の不在』に苦悩した人々」2011年8月18日参考)。

 教会は「神の宮」として絶対の権威を有していたが、教皇とカトリック教会の腐敗堕落から宗教改革を経て、啓蒙思想を通じて世俗化されていった。教会は次第にその権限を失い、聖職者の未成年者への性的虐待問題が表面化して、信者の教会への信頼も失われた。一方、神への信仰は教会や組織から離れ、個人化されてきた。そして「イエスの復活」なきイースター、「神」なき信仰、「教義」なき信仰が生まれてきた。これを「信仰の多様化」、「教義のグローバル化」と表現すべきだろうか、それとも「キリスト教の終わり」の前兆だろうか。明確な点は、「神の終わり」ではないということだけだ。

歴史発展の原動力としての「受難」

 復活祭(イースター)の21日午前(現地時間)、バチカンのサンピエトロ広場で挙行されたローマ法王フランシスコの「復活の主日」のミサをテレビでフォローした。世界のキリスト者にとって1年で一番大切な祝日だ。広場は世界から集まった信者たち、巡礼者たちで一杯だった。フランシスコ法王は記念ミサ後、聖ペトロ大聖堂の中央バルコニーから世界の紛争地に言及し、その平和的解決を願うメッセージ(「ウルビ・エト・オルビ」)を発信した。

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▲聖ペテロ大聖堂の中央バルコニーから「ウルビ・エト・オルビ」を発信するフランシスコ法王(バチカン・ニュースのHPから 2019年4月21日)

 いつものことだが、復活祭を迎えるたびに考えさせられる。イエスが十字架で亡くなり、3日目に蘇ったということを信じる者たちは、死を乗り越えた救い主イエスの言動に感動し、そこから生きる力を得る。キリスト教では「死」は人類始祖の罪から発生したという。だから生きている全ての存在にとって「死」は避けられないが、イエスはその「死」を乗り越えて復活した。その事実を世界に伝えるために出かけたのがキリスト教の歴史だった。イエスは復活後、40日間、弟子たちと共に歩んだ後、天に昇天した。

 「死」が人類始祖の罪(原罪)によってもたらされたものだとすれば、それは明らかに刑罰だろう。悪事を犯した者はこの社会でも刑罰を受ける。その悪事の軽重によって刑罰の内容は決まるが、「死」は最も重い刑罰だ。換言すれば、人類始祖の罪によって、その後の人類は例外なく死刑囚のような立場で生まれてくる。「割に合わない人生だ」と不平言っても仕方がない。

 新約聖書によれば、イエスは神の子として罪なき存在だ。それ故に、というべきか、イエスは「死」を乗り越えることができたのだろうか。それともイエスは神の子の特権で「死」に対して免疫があったのだろうか。

 「死」はこれまで一緒に生きてきた同伴者との別離を意味する一方、「新しい世界」への出発となる。それでは「死」後に入国する「新しい世界」はどこにあるのだろうか。ブラックホールのトンネル(三途の川)を抜けるとそこは「新しい世界」だった、というのだろうか。

 イエスは「あなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいる」(「ヨハネの黙示録」第3章1節)、「私を信じる者は死んでも生きる」(「ヨハネによる福音書」第11章)と語っている。しかし、永遠の命を約束したイエスも、それを信じた人々も、その肉体は死んでいった。

 イエスの語る「死」には二通りの意味が込められていることが分かる。肉体的に朽ちる「死」と、神の愛から離れた「死」だ。前者はイエスを含む全ての人間に当てはまるが、後者は神の懐から離れていった人間の死だ。宗教用語では「霊的な死」を意味する。デンマークの哲学者セーレン・キルケゴールが対峙していた「死に至る病」だ。

 ところで、なぜ人は永遠の命を願うのだろうか。始まりがあれば、終わりが必ずある。にもかかわらず、始まったが終わりたくないと叫んでいるのが私たちの偽りのない姿ではないか。それは、死刑囚の運命で生まれてきた人間が終身刑に減刑してほしいと裁判官に訴えているような状況だ。

 興味深い点だが、キリスト教には「復活祭」(移動祝日)を祝う一方、「死者の日」(11月2日)もちゃんと祭日となっていることだ。誰が復活し、誰が死者としてとどまり続けるのか。そもそも誰がそれを決めるのだろうか。

 イエスは罪なき方として生まれてきた。そのイエスが33歳の若さで十字架上で殺害された。イエスの「死」は罪の結果ではなく、明らかに「受難」による「死」だ。キリスト教では、原罪ゆえに制裁下にある人類がイエスの十字架上の犠牲によって復活(原罪からの解放)できる道が開かれた、と教えている。

 明確な点は、イエスの歩みがその後の人類に大きな恩恵を与えてきた、という事実だ。人類の歴史は史的唯物論が主張するように戦争や闘争で発展してきたのではなく、「受難」を原動力として前進してきたことが分かる。これは困窮下や病苦の中で生きている人々にとって、大きな慰めとなるメッセージだ。繰り返すが、イエスが「受難」を受けて犠牲となった衝撃は、様々な波紋をその後の歴史に投じてきた。2000年前の「イエスの復活」は“神のビックバン”を告げる最初の出来事だったわけだ。

「イスカリオテのユダ」の名誉回復?

 世界のローマ・カトリック教会総本山バチカンのサンピエトロ広場で21日、ローマ法王フランシスコが復活祭の記念ミサを行う。イエス・キリストが十字架上で死去、その3日後に復活したことを祝う日だ。正教会暦では1週間後の4月28日が復活祭となる。

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▲フランシスコ法王、聖木曜日の洗足式で受刑者の足を洗う(2019年4月18日、バチカン・ニュースのHPから)

 ところで、新約聖書によれば、12弟子の1人「イスカリオテのユダ」が30枚の銀貨を受け取り、イエスを祭司長らに引き渡し、イエスは連行され、十字架上で亡くなった。そこでキリスト教では久しく、ユダを裏切り者、サタンとして蔑視してきた。その一方、ユダは本当に金銭のためにイエスを裏切ったのかどうかを疑問視する神学者、聖職者が出てきた。2017年に出版された統一「新改訳聖書」の中ではユダは「裏切り者」といった表現だけではなく、「引き渡した者」という言葉でも呼ばれ出してきた。

 「イスカリオテのユダ」の名誉回復が秘かに進められているのだろうか。イスカリオテとは、「イス」(Isch)は人(男)を意味し、「カリオテ」(Kariot)は地域名だ。すなわち、カリオテ出身の男という意味になる。南部パレスチナ地方のカリオテはイエスが福音を伝えていたガリラヤまでには地理的に離れている。にもかかわらず、「イスカリオテのユダ」はイエスの群れを求めてやってきたわけだ。

 イエスの他の弟子たちは主にガリラヤ出身で漁師などをしていたが、「イスカリオテのユダ」は知識人だったのではないかという説から、過激な政治活動をしていた青年だったという推測も聞かれる(ウィーン大学の聖書学者マルチン・シュトヴァサー氏)。

 問題は、イエスを探し求めてきたユダがなぜイエスを裏切ったのか、という犯行動機の解明だ。多くの神学者、聖書学者がこれまで考えてきたが、満足できる答えを見出すのは難しい。なぜならば、ユダに関する記述があっても、その犯行動機については何も言及されていないからだ。

 ウィーン大学のヴォルフガング・トライトラー教授は、「ユダは裏切り者ではなく、大きな希望を抱いてきた使徒だった。イエスの12弟子の中でユダは最も強くイエスに期待していた使徒だった。具体的には、異教徒から解放してくれるメシアだと考えていた。だから、イエスを引き渡すことでイエス自身にメシアであることを公表させたいと考えていたのではないか」と解釈している。

 「ユダ自身、イエスを十字架の死に導くことで人類に救済をもたらした」とか、「神の人類救済の計画に操られたマリオネットだった」といった見方もある。イエスの「十字架救済論」の立場からいえば、ユダがイエスを引き渡し、イエスが十字架上で殺害されなかったならば、救済は成就できない。その観点からいえば、ユダはイエスの十字架救済を実現させた立派な功労者ということになる。決して「裏切り者」ではないわけだ。にもかかわらず、「イスカリオテ・ユダ」は常に罵倒され、忌み嫌われてきた。

 新約聖書の福音書ではユダの言動に関する個所で微妙な温度差がある。すなわち、福音書ではイエス像ばかりかユダ像も歴史的事実に基づいた記述というより、書き手の信仰告白、その解釈が綴られているからだ。

 「ルカによる福音書」ではイエス自身がユダに「人の子を裏切るのか」と言っている。「ヨハネによる福音書」では、ユダは金銭欲が強く、イエスの弟子の中では金を管理し、詐欺師のような人物を示唆している。そのユダ像は厳しい。例えば、「ヨハネによる福音書」13章2節には「悪魔は既にシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていた」と記述している。いずれにしても、新約聖書のユダ像は時間と共に、重く、暗いイメージが付きまとっていった。

 看過できない点は、福音書の反ユダ的な記述が教会の反ユダヤ主義のルーツともなってきたことだろう。キリスト教会では、聖週間にユダの像や絵を燃やすといった儀式すら存在する。

 ただし、第2バチカン公会議(1962〜65年)後、ユダ像のイメージが次第に明るくなっていった。カトリック教会が宗派を超えた対話を推進させてきたこともあって、ユダの名誉回復も静かだが進められていったからだろう。イエスは最初のキリスト者であり、同時に、ユダヤ人だった、という事実を強調することで、人間ユダに対する見直しの道も開かれてきたわけだ。

神がフランス人だった時代

 フランスは欧州の代表的なカトリック教国だ。そのフランスの首都パリ中心部にあるノートルダム大聖堂から15日午後6時過ぎ、火災が発生し、大聖堂の屋根が崩壊し、尖塔が崩れ落ちた。ノートルダム大聖堂の火災状況は世界にライブで放映され、それを観た人々から大聖堂の再建を支援する声が出てきた。フランスの富豪たちから巨額の復興資金が献金されるなど、大きな反響を呼んでいる。

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▲ノートルダム大聖堂(ウィキぺディアから)

 幸い、大聖堂の火災では1人の消防士が負傷しただけで観光客や一般市民の死傷者はなかったことから、フランス国民の関心はもっぱら大聖堂の再建に集中している。マクロン大統領は火災時に現場に飛び、燃える大聖堂を見、ツイッターで「私の全ての同胞と同様、今晩私たちの一部が焼けているのを見て悲しい」と述べ、「われわれは必ず大聖堂を再建する」と語った。

 大聖堂は1163年に着工され、約180年かけて完成した。大聖堂では過去、歴代フランス国王の戴冠式が行われた。年間1300万人の観光客が訪ねるノートルダム大聖堂はシャルトル大聖堂と共にフランスの代表的なゴシック建設であり、1991年に「パリのセーヌ河岸」という名称で周辺の文化遺産と共に世界遺産に登録された。

 火災から5日が過ぎ、火災状況の検証が進められているが、ノートルダム大聖堂の報道を読んで漠然とだが違和感を持った。燃えたのはカトリック教会の建物だが、報道からは歴史的な文化遺産が燃えたような錯覚を受けるからだ。もちろん、バチカンは即、「悲痛なニュース」として報じていたが、大多数の報道はもっぱら大聖堂の復興をテーマとしていた。

 フランスは欧州のカトリック教国として大きな権勢を久しく誇ってきた。詩人で思想家のシャルル・ペギー(1873〜1914年)は「神はフランス人だ」と豪語したという。当時のカトリック主義者は、「わが国のカトリック主義はスペインやハプスブルク王朝のそれより強い」と考え、「フランスは神の摂理と密接な関係を有し、欧州の支配を運命づけられている」と受け取っていた。同国の知識人、ジョルジュ・ベルナノス(1888〜1948年)は、「フランス民族はイスラエル民族の後継者だ」と考えていたというから、フランスのカトリック主義が燃えていた時代があったわけだ。

 しかし、フランスでは1905年、厳格な「政教分離法」(ライシテ)が実施され、カトリック系学校や修道院は閉鎖されていった。同時に、教会も世俗化していった。教会の典礼は無視され、宗教は政治的な視点でしか議論されなくなった。

 「フランス国民の心のよりどころでもあったパリ中心部のノートルダム大聖堂が炎上し、長い間にわたり人々が見上げてきた高い尖塔も、悲しみに暮れて聖歌を口ずさむ大勢の市民に見守られながら崩壊した」といった非常に文学的な報道記事があったが、感動を覚えるより、違和感を持った。多くのフランス国民は「神の宮」である大聖堂が燃えたことを悲しむというより、フランスのこれまでの歴史的・文化遺産が詰まった建物の崩壊を惜しんでいたのではなかったか。

 欧州最大のカトリック教会は悩んでいる。オーストリア代表紙プレッセのコラムニスト、カール・ペーター・シュヴァルツ記者は、「教会の屋根が燃えた時、教会は崩壊しない」という見出しで、「大聖堂の火災による被害は大きいが、教会の主要問題は崩壊する古い建物ではない」と述べている。

 実際、13世紀に建設された屋根に火がつき、19世紀に改築された屋根が崩壊した時も、ノートルダム大聖堂は修復された。1793年の革命で大聖堂は略奪や破壊活動の被害を受けたが、再復旧されている。

 欧州で頻繁にイスラム過激派テロ事件が発生したが、テロ事件で聖職者が殺害されたのはフランス教会だけだ。同国北部のサンテティエンヌ・デュルブレのカトリック教会のジャック・アメル神父(当時85)が2016年7月26日、朝拝中にイスラム過激テロリストに襲撃され、殺害された。2人のテロリストは教会の裏口から侵入すると、礼拝中の神父をひざまずかし、アラブ語で何かを喋った後、首を切り落とした。神父殺害事件に衝撃を受けたフランシスコ法王は同神父を殉教者として列聖することを決めた。そして今回、フランス教会が世界に誇ってきたノートルダム大聖堂の火災だ。

 フランス教会は過去、多くの犠牲を払う一方、聖職者の未成年者への性的虐待問題に悩んできた。すなわち、フランスのカトリック主義は21世紀に入り、悩んでいる。先のプレッセ紙のシュヴァルツ記者は「マルセル・プルースト(1871〜1922年)は想像できないだろう。信仰が国家の支配で苦しむのではなく、教会の下で苦悩していることを」と述べている。

 明確な点は、教会の建物は時間がかかるが復旧できる。しかし、失いつつある信仰を呼び戻すことはさらに困難な課題だろう。華やかな大聖堂を再建したとしても、「神の宮」の大聖堂を支える信仰が見られなかったならば、そこを訪れる者は旅行者だけで、大聖堂は博物館となっていく。

 ただし、崩壊した大聖堂復旧で国家と国民が結束し、連帯できれば、ひょっとしたら“信仰のリバイバル”をもたらす契機となるかもしれない。災い転じて福となすという故事があるからだ。

イエスは本当に「復活」したのか

 世界のキリスト教徒にとって「復活祭」はクリスマスより重要な教会祝日だ。イエスが十字架で亡くならなかった場合、復活祭(イースター)はなく、その生誕日だけが盛大に祝われたはずだった。しかし、イエスはユダヤ人社会から見捨てられ、ゴルゴダの丘で他の2人の囚人と共に十字架で亡くなり、その3日後、復活し、ばらばらになった弟子たちを再び呼び集め、その教えをローマまで伝えていった。そしてローマ帝国の迫害を乗り越え、西暦313年にコンスタンティヌス帝のミラノ勅令によりキリスト教は公認され、世界に広がっていった。

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▲「十字架のイエス」(2013年3月31日、バチカンの復活祭)

 キリスト教を看板とした宗教グループは300を超えるといわれているが、十字架の死後3日目に生き返った「復活イエス」を信じているという点で大きな相違はない。新約聖書「コリント人の第1の手紙」15章でパウロは「死が1人の人によってきたのだから、死人の復活もまた、1人の人によってこなけれなならない」と述べ、主イエスが十字架で亡くなり、3日後に生き返ったことを信じる信仰告白がキリスト者の証というわけだ。

 英国のウィリアム・シェイクスピアの戯曲「ハムレット」の中で、デンマーク王子ハムレットは、「死の世界から戻ってきた者は誰もいない」と嘆いたが、キリスト者はイエスが死から復活したと信じている。しかし、時代が進み、人間が1度死んだ後、再び生き返ると信じる人は少なくなってきた。それはキリスト者の世界でも同じだ。

 イエスの十字架の死後3日目にイエスの墓を訪ねたマグダラのマリアは「墓には誰もいなかった」ことに驚き、そこにいた天使からイエスの復活を聞き、弟子たちに目撃した内容を報告する。そこから「復活のイエス」という話が生まれてきた。

 「復活」について、伝統的な受け取り方は、‘体復活説、⇔酖復活説の2通りがある。最近は、イエスは十字架で死んだのではなく、仮死状況にあっただけけだ、という2昌狎發聞かれる。

 ,錬横雲さの今日、多くの人々はハムレットより「肉体復活」に対して懐疑的だから、聖パウロのように肉体が死後、蘇ると信じることは容易ではない。だから、信仰としてイエスの復活を信じるが、肉体そのものの復活にはやはり懐疑を払しょくできない。

 △両豺腓浪奮慇こΔら批判を受けることを避けることができるメリットがある。イエスを信じる者の前に十字架で亡くなったイエスが霊的に現れたり、夢の中で出てくるからだ。霊的復活は信者にとって常にある現象だ。

 は「科学」と「宗教」の矛盾といった葛藤はなく、非常に受け入れやすい説だ。イエスは十字架上で仮死状況に陥ったが、3日後、仮死状況から目を覚まして、立ち上がって墓から出ていったというわけだ。独文豪のヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテも仮死説を信じていた1人だ。

 ちなみに、ドイツの歴史学者ヨハネス・フリード氏は、「ゴルゴダの丘で死者はなかった」というタイトルの本を出版している。副題は「生き延びたイエスを探せ」だ。フリード氏によれば、仮死状況から目覚めたイエスは天に昇天したのではなく、エルサレムから追放された後、その行方は分からなくなったという。エジプトに行ったとか、東シリア、インド、カシミール等に行ったなど、様々な憶測が流れている。


 キリスト教では神が受肉してイエスとなったと考えるが、「神が人間になった」という教えは一般の人には信じられない。だから、キリスト教の矛盾を克服するために「仮現説」(Doketismus)がでてきた。イエスの身体性を否定する教義で、イエスが生まれ、十字架で死んだというのは人の目にそのように映っただけで、実際はそうでなかったという考えだ。その思想の背後には、「イエスは肉体をもつことはなく、霊的な存在」という考えがある。キリスト教会では異端視されてきた。

 使徒ヨハネは「ヨハネの第1の手紙」4章で「イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、全て神から出ているもの」と述べ、神の受肉説を擁護している。また、十字架にかかって死んだのは、イエスに代わって十字架を背負ったキレネのシモンだったという説もある。それらは、「神の受肉」という教義を何とか信仰的に解釈しようとしたキリスト者たちの思索の所産ともいえるかもしれない。

 イエスの教えを信じる弟子たちを迫害してきたサウロがダマスコへの途上、イエスに出会い、目が見えなくなった後、回復し、イエスの証人となり、パウロと呼ばれるようになったという話は有名だ。その聖パウロは、「イエスは十字架の死後、3日目に復活した」ことを強調し、それを世界に広めていった張本人だ。キリスト神学は基本的にパウロ神学と呼ばれている。

 ちなみに、宗教改革者マルテイン・ルター(1483〜1546年)はイエスの十字架上の受難によって人間の罪が解放されたという「十字架の神学」を主張した。一方、カトリック教会ではイエスの十字架上の受難より、十字架から復活したイエスの勝利こそ称えるべきだという「栄光の神学」により力点を置いている。換言すれば、前者は「同伴者としての神」を、後者は「全能の神」とでもいえるかもしれない。

 19日は聖金曜日だ。イエスが十字架にかかった日に当たる。その後3日目にイエスは復活した。33歳のイエスはなぜ十字架にかからざるを得なかったか。なぜ、イエスは「私はまた来る」と再臨を約束されたのか。2000年前、「復活イエス」から始まったキリスト教には多くの謎が未解明のまま取り残されている。

新旧教会の「聖金曜日」巡る祝日論争

 キリスト教にとって最大の祝日といえば復活祭(イースター)だろう。復活祭はイエスの生誕日(クリスマス)より重要だ。イエスは十字架にかけられ殺害された3日後、復活し、離散した弟子たちを再び呼び集めた。復活祭を通じてイエスの教え(福音)はユダヤ教から離れ、キリスト教として世界に広げられていく。すなわち、イエスの復活からキリスト教が始まったわけだ。復活祭は移動祝日で今年は4月21日だ。

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▲「十字架のイエス」(2013年3月31日、バチカンの復活祭)

 イエスが十字架上で苦悶し、殺害された受難の日は聖金曜日(独Karfreitag)と呼ばれるが、世界最大のキリスト教、ローマ・カトリック教会(旧教会)は復活祭前の聖金曜日を祝日としていない一方、ルターから始まったプロテスタント教会(新教会)と古カトリック教会(復古カトリック教会)は教会祝日としている。すなわち、旧教会と新教会では聖金曜日への対応が異なっている。

 オーストリアはカトリック教国だから、聖金曜日(今年は4月19日)も平日通り勤労の日だ。オーストリアで新教徒の場合、雇用主に信者証明書を提出し、自分が新教徒であることを証明すれば、教会祝日として休むことができる。すなわち、カトリック教信者の労働者は「聖金曜日」も働く一方、新教徒は祝日として休むことができるわけだ。

 雇用者側が「オーストリアはカトリック教国で、聖金曜日は法定祝日ではないから、新教徒の君も出勤しなければならない」と要求した場合、プロテスタント信者の社員は出勤して働くが、後日、「休日にも関わらずに働いた」ということで雇用者にその手当を要求できる(労働者が休日に働いた場合、通常より高い日給を要求できる。または別の日に1日休日を得る)。カトリック信者の場合はそのような請求権はない。聖金曜日が通常の平日であり、祝日ではないからだ。

 ところが、ルクセンブルクの欧州司法裁判所(ECJ)は今月22日、 崟散睛貌」はプロテスタント信者だけがフリーでカトリック信者は働かなければならないこと、⊃袈掬未聖金曜日に仕事をした場合、雇用者に特別手当を要求できることは欧州連合(EU)の「差別禁止法」から判断しても不当である、という判断を下したのだ。

 もちろん、同判決を通じて、オーストリアの労働者は新旧教徒の区別なく聖金曜日を休みたければ、雇用者にその旨を通達すれば可能の道は開かれるが、全ての要求が受け入れられるかは別問題だ。オーストリア代表紙プレッセ(1月23日)は一面で大きく報道した。

 オーストリアでは年に13回の教会関連の法定休日がある。そこで「聖金曜日」も祝日とすれば、旧教徒と新教徒の間の差別はなくなるが、新たな問題が生じる。賢明なカトリック教徒の労働者は雇用者側に「自分は過去、聖金曜日も仕事をしてきたが、手当はもらわなかった」と主張し、過去の未払い分を要求するかもしれない。オーストリアではこの種の時効は3年だから、時効前ならば労働者は雇用者に支払いを請求できる。大企業となれば、社員の数も多いから、その支払額も少なくない。だから雇用者側も「聖金曜日」の一律祝日化には抵抗が出てくる。キリスト教関連の祝日問題でも経済問題が絡んでくるとにわかに複雑となり、解決も容易でなくなるという典型的な例だ。

 キリスト教とは無関係の読者からは「どうして新旧両教会は聖金曜日の対応で異なっているのか」という素朴な疑問が飛び出すだろう。多分、両教会の信仰の重点の違いとでもいえるかもしれない。

 宗教改革者、マルティン・ルター(1483〜1546年)はイエスの十字架上の受難によって人間の罪が解放されたという「十字架の神学」を主張した(ルターは当時、バチカンの行き過ぎた強権に不満を持っていた)。一方、カトリック教会ではイエスの十字架上の受難より、十字架から復活したイエスの勝利こそ称えるべきだという「栄光の神学」により力点を置いている。換言すれば、「同伴者として神」と「全能の神」とでもいえるかもしれない。

 聖金曜日をどのように受けとるかは、単に祝日論争ではなく、イエスの降臨目的、33歳で十字架で亡くなったイエスの生涯をどのように解釈するかなどのキリスト教神学の根本的なテーマにかかわってくる。

 カトリック教国のオーストリアでも年々、信者が減少し、社会の世俗化が急速に進んでいる。50%以上の国民がカトリック教会の信者ではなくなった時、同国でこれまで施行されてきた教会関連の年13日間の祝日はどうなるのだろうか。それとも「無神論者の日」とでも呼ぶ新たな祝日を新設し、廃止された教会祝日の差し替え休日とするだろうか。いずれにしても、大多数の労働者にとって教会関連であろうが、そうでなかろうが、1日でも休日が多いほうが嬉しい。

 最後に、オーストリアの商工会議所や産業界からは教会関連祝日がこれ以上増えることに強い反対がある。例えば、12月8日は教会の祝日「聖母マリアの無原罪の御宿り」だ。クリスマスシーズン中ということもあって、教会の祝日(休日)を返上してオープンするスーパーや百貨店が増えてきている。

教会信者数が人口の過半数を割る日

 アルプスの小国オーストリアはフランス、スペイン、ポルトガル、イタリアなどと共に欧州の代表的カトリック教国だ。そのオーストリアのカトリック教会の信者総数は昨年12月31日現在、約505万人で前年の511万人より約1・1%減少した。今年中には500万人台を割ることは必至の状況だ。

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▲ドイツ行の列車を待つ難民家族(ウィーン西駅構内で、2015年9月15日撮影)

 同国の人口は2017年現在約880万人だから、500万人台割れがどのような意味を持っているか、社会学者や人口学者は知っているだろう。オーストリアがカトリック教国のステイタスから転げ落ちるシナリオがいっそう現実味を帯びてきているのだ。

 オーストリア司教会議が9日、公表した教会統計によると、教会脱会者数は昨年5万8378人で前年比で8・7%増加した。一方、聖職者数の動向でも厳しい。2017年の統計だが、神父数は3857人で、16年の3980人より微減。同じように修道僧は16年の1970人から17年は1920人、修道女は3715人から17年は3600人とそれぞれ微減した。

 この教会統計の現象が今後も続けば、カトリック信者数が同国全人口の過半数を割るのはもはや時間の問題だ。参考までに、同国では2009年、カトリック信者数は約553万人で、まだ人口の約66%を占めていた。当方が1980年にオーストリアに初めて足を踏み入れた時、同国は文字通りカトリック教国だっが、年々、その割合は減少してきた。自分はカトリック教国のオーストリアに住み始め、半世紀後、イスラム教国となったオーストリアを後にして日本に帰国するのかもしれない、と冗談半分で考えだしている。

 歴史から見たら、半世紀は短い。アルプスの小国に何が起きたのか。明らかな点は、ー匆颪寮ぢ化と共に、カトリック教会が聖職者の未成年者への性的虐待問題などで国民の信頼を失ったこと、∨魅▲侫螢・中東からイスラム教徒の難民・移民が殺到したこと、カトリック教徒の家庭では少子化が急速に進行する一方、イスラムの家庭の出産率は不変で、一家庭で3人、4人の子供がいること、等の原因が考えられる。

 それでは順番にもう少し見ていく。

 ‘厩餠飢餾蚤腓離好ャンダルといわれるグロア枢機卿の教え子への性的虐待事件後、教会から背を向ける信者が増え続けてきた。グロア枢機卿は当時、同国教会最高指導者だった。その枢機卿の性犯罪が1995年、発覚し、致命的なダメージを教会に与えた。その翌年の教会脱会者数は9万人に迫ったほどだ。その後も脱会者は絶えず、グロア枢機卿の不祥事によるダメージは今日まで癒されずにきた。

 そして昨年7月、新たな聖職者の不祥事が報じられた。グルク・クラーゲンフルト教区担当のアロイス・シュヴァルツ司教はその贅沢な生活と女性問題が発覚し、バチカンから教区の司教職を解任され、現在はニーダーエスターライヒ州の州都サンクト・ペルテン教区の司教に人事されたばかりだ。教会聖職者の不祥事は絶えない。

 ■横娃隠鞠秋、シリアやアフガニスタンから100万人以上の難民・移民が欧州に殺到。ドイツへの通過点だったオーストリアでもその年、10万人近くのイスラム系難民が難民申請し、同国に留まった。

 オーストリアの難民統合をまとめた「2018年統合報告書」によると、同国では移民出身の国民はほぼ200万人で全体に占める割合は23%。10年前の08年は16%だった。一方、外国人数は139万5000人で外国人率は15・8%(08年10%)とこれまた大幅に増加した。

 ちなみに、オーストリアは歴史的に北上するイスラム教を阻止する欧州のキリスト教社会の砦だった。オスマン・トルコが北上した時もそれを防いだのはウィーンだった。そのオーストリアが現在、カトリック教国のステイタスを失おうとしている。一方、イスラム教徒が殺到し、年々その数を増やしてきた。仏人気作家ミシェル・ウエルベック氏の話題作「服従」の話を思い出す。「服従」では、フランスでイスラム教徒の大統領が誕生するというストーリーだ。オーストリアがフランスに先駆けてイスラム教国になるかもしれない。

 オーストリア人女性の合計特別出生率は2016年は1・49前後と少し持ち直したが、人口維持のためには最低2・0が必要だが、その値からは程遠い。同国の雇用市場では深刻な労働者不足が表面化してきた。女性の婚姻年齢も年々、高齢化している。オーストリアでも「子供は宝物」と言われた時代は過ぎ、子供は財政的に負担であり、家庭維持が難しくなる主因と受け取られてきている。

 難民・移民政策では欧州の中でも厳格な対応をとってきたクルツ政権だが、ここにきて高等教育、特殊能力を有する難民・移民に対しては雇用・滞在が容易になる対策をとってきている(外国人人口を含むと、オーストリアの人口は増加傾向にある)

 歴史が緩やかなテンポで進む時と急テンポで前進する時がある。当方が経験している1980年代から2010年代にかけての期間、歴史はテンポを速め、急速度で動き出してきているのを感じる。欧州に限っていえば、冷戦時代を経て、旧ソ連・東欧共産圏は崩壊し、欧州の統合が進む一方、イスラム教の北上に直面し、欧州社会はその対応に苦慮しているのだ。この期間、半世紀にもならない。

 「歴史の証人」といえばカッコいいが、歴史の激流に対峙し、その対応に苦戦する欧州を当方は目撃していることになる。

なぜ「予言」は時に外れるのか

 このコラム欄で紹介したブルガリアの予言者ババ・ヴァンガ「2019年の予言」は結構反響があった。まだ起きていないことを前もって語ることは通常、難しい。昔から「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と言われたが、その通りかもしれない。ただ、いつの時代も「予言」がズバリ当たれば、人は驚き、その予言を語った人物は一躍有名になる。

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▲ミケランジェロの「最後の審判」

 現代はIT技術の発展の恩恵を受け、ビッグデータを駆使して今年の経済の動向を予測する学者が多い。彼らの場合、通常「予言者」とはいわない。「経済専門家の国民経済の見通し」と呼ばれる。経済専門家の予測はその年の終わり頃にはその是非が判断できる。「先生の経済予測は見事に当たりましたね」と称賛されるか、「先生、全く外れましたよ」と言われ、酷評されるかだ。

 もちろん「通常の経済専門家」は自身の予測が「当たった」とか「外れた」という表現で評価されることに抵抗を覚えるだろう。「俺は予言者ではない。確実なデータを分析したうえでの予測だ」と主張する。ただし、当たらなかった経済学者の場合、ちょっと弁明が苦しい。データを駆使して予測したにもかかわらず、間違っていたからだ。データ・プログラミングにミスがあったのかもしれない。

 しかし、「予言」や「経済予測」には必ず当たり外れがある。ババ・ヴァンガの場合、予言の的中率は約80%だったという。その数字は凄いが、それでも約20%は外れたわけだ。予言が100%当たった預言者を当方は知らない。「ノストラダムスの予言」から「ファテイマの予言」、「マヤの暦」などをみても当たっている部分と大外れの場合がある。

 ところで、世界最大のベストセラー「聖書」には多数の預言者が現れ、数多くの予言を伝えている。興味深い点は、神が預言したものでも当たり、外れがあることだ。こんなことを書けば「神学の基本的知識が疑われる」といわれるかもしれないが、実際にある。「イエスはユダヤ人の王となり、滅びることのない王国を地上に建設される」(イザヤ書9章)という預言と、「彼は多くの人々から迫害される」(イザヤ書53章)という2通りの全く異なった預言があるのだ。それも「前者の神」と「後者の神」は同一なのだ。

 聖書を読み出す人は神が分からなくなることが少なくない。「イエスの降臨」に関する預言などはその典型的な例だ。「神は精神分裂症か」と叫び出す人も出てくるかもしれない。そのため、聖書の中の矛盾を理解しやすくするために神学者はさまざまな解釈を試みてきたわけだ。CNNのようにファクトチェックするとすれば、イエスは十字架で殺されたから、「イエス降臨」の預言では後者の予言が当たり、前者は今風にいえばフェイクニュースだったということになる。

 ババ・ヴァンガは「西暦2288年にはタイムトラベルが可能になる」と予言した。この予言はある意味で予言者の自殺宣言だ。通常の人々が未来にトラベルに行けるようになれば、予言者は仕事を失ったしまう。

 ちなみに、「相対性理論」を考え出したアインシュタインは「理論的にはタイムトラベルは可能だ」と語ったという。ただし、「『未来』にトラベルすることは可能かもしれないが、「過去」に戻ることは難しいだろう」と述べたという。

 それでは今回のコラムのテーマ、「なぜ予言の中には外れることがあるのか」に戻る。「予言」はまだ起きていないことを前もって語ることだ。すなわち、予言内容はまだ起きていないから、変えることは可能だという論理が成り立つ。アインシュタインが「過去」には行けないが、「未来」への旅は理論的には可能だといった発言にも繋がる。「過去」は既に起きてしまった世界だが、「未来」はまだ起きていないから、人間はその未来を変えることができるからだ。

 人はある一定の制限された枠組みの中で誕生する。遺伝子がそれだ。生まれた時から神童といわれる子供がいる一方、障害を持って生まれてくる子供もいる。知性だけではなく、体力でも同じだ。全ての新生児は同じ条件で生まれてはこない。生まれた瞬間から不公平な環境圏にいる。人間が平等なのはその価値であって、位置や遺伝子は異なっている。その不平等な生活圏に生きる人間が努力し、自身の能力を向上させて大成功する人がいる。サクセスストーリーは多くはこの種類のドラマだ。

 予言者は前もって語るが、それが当たるか外れるかは人間の責任領域に入る。ジャン・カルヴァンの「完全予定説」ではない。奴隷に生まれた人間が大統領にもなれる一方、最高の家庭環境で生まれたが、大悪人になってしまうことも考えられる。予言者は“一定の枠組み”を見てこれから起きることを前もって語るが、100%実際に起きる保証はない。「未来」は変えられるからだ。だから、100%予言が的中した予言者はこれまで出てこなかったわけだ。

 イエスをメシアと考え、彼の降臨を歓迎するか、イエスはユダヤ社会の破壊者だと受け取り、十字架に送るかは、選民だったユダヤ民族が当時決定しなければならない課題だった。神はユダヤ民族に強制することはできなかった。だから、イエス降臨に関する預言も2通りとならざるを得なかったわけだ。

 「人生はドラマだ」といわれるのは、人間が自身を開拓・啓蒙できる余地を持っているからだ。全てが前もって定められていた場合、人間にドラマはあり得ない。

 最後に、海外中国メディア「大紀元」によると、「逢九必乱」と呼ばれ、末尾に「9」が付く年には必ず波乱が生じるという。「中国当局は、国内では経済の減速、失業者の増加、社会不安の拡大など深刻な問題を抱えているほか、国外では昨年に続き、通商貿易やハイテク技術、軍事などの分野で米国・同盟国と中国との対立がさらに深まるとみられる。このため、複数の中国人学者は今年、中国の社会情勢に大きな変化が訪れるとの見方を示した」(「大紀元日本語版1月9日)という。

 この予言が的中するかどうかは、中国国民、厳密にいえば中国共産党政権の対応如何にかかわってくる。今年末に「逢九必乱」の予言が的中したかどうか、読者の皆さんと共にチェックしてみたい。
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