ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

東欧

30年前に東西間の国境が開かれた

 1989年8月19日、ハンガリーとオーストリア両国間の国境が一時解放され、約600人の旧東独国民がオーストリアに入国し、そこから旧西独に亡命していった。同出来事は「ベルリンの壁」崩壊をもたらす契機となった歴史的出来事となった。あれから30年目を迎えた19日、ハンガリー北西部のショプロン市でメルケル独首相とハンガリーのオルバン首相が会見し、国境解放30年を祝った。

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▲メルケル独首相とハンガリーのオルバン首相の記者会見(2019年8月19日、ハンガリー・ショプロンで、ドイツ民間放送NTV中継から)

 国境解放の直接の契機は、汎ヨーロピアン・ピクニックが両国国境近くでベルリンの壁崩壊を訴える集会を開催したが、その時、ハンガリー入りしていた多くの旧東独国民はハンガリー・オーストリア間の国境が一時解放されると聞き、国境に殺到していったことだ。それに先立ち、ハンガリーとオーストリア両国は1989年6月27日、両国国境線に張り巡らせられていた鉄条網(鉄のカーテン)を切断している。

 あれから30年が過ぎた。ハンガリーは2015年、中東・北アフリカ諸国からの難民・移民の殺到に直面し、国境を閉鎖し、鉄条網を設置した。オルバン政権の難民政策はその後、“オルバン主義”と呼ばれ、難民対策の大きな流れを形成していった。隣国オーストリアもクルツ政権(当時)は、オルバン政権と同様、国境線を閉鎖していったことは周知の事実だ。

 興味深いことは、旧東欧諸国の民主化を先駆け、旧東独国民のために国境を解放したハンガリーが30年後、欧州諸国の中でいち早く難民に対して国境を閉鎖したことだ。

 1989年の国境開放には明確な理由があった。旧ソ連の衛星国家だったハンガリーは市場経済を導入し、他の東欧共産国からグラーシュ政策と誹謗されたほど自由化が進んでいた。ハンガリー動乱(1956年10月)は旧ソ連によって弾圧され、同動乱で数千人の国民が殺害され、約25万人が国外に政治亡命したが、その33年後、旧東独国民への国境開放を通じて、その夢を成し遂げていったわけだ(『ベルリンの壁』崩壊とハンガリー」2014年11月9日参考)。

 当方は1989年、ハンガリー社会主義労働者党(共産党)政権最後の首相、ミクローシュ・ネーメト首相(当時)とブタペストの首相官邸で単独会見した。その時、ハンガリー共産党は臨時党大会開催を控えていた。共産党内には改革派と保守派が激しく権力争いを展開していた。同首相は会見の中で「党を分裂させても、わが国は共産主義から決別する」と表明したことを鮮明に思い出す。

 国境解放30年後のオルバン現政権に戻る。オルバン首相は、「欧州をイスラム化から守る」と表明し、中東・北アフリカからのイスラム系難民の受け入れを拒否してきた。ちなみに、ハンガリーは約150年間(1541〜1699年)、オスマン帝国の支配下にあった。

 オルバン政権の対難民政策には揺れがない。イスラム系難民は受け入れない。難民歓迎政策を主張していたメルケル独首相とは常に対立を繰り返してきたわけだ。

 オルバン首相は、「1989年は共産政権時代から民主化へ向かう転換期だった。ハンガリーは旧東独国民のためにその国境線を開放しなければならなかった。そして現在、ハンガリーは国境を閉鎖しなければならなくなった。なぜなら、自由を守らなければならないからだ。両者はコインの両面だ」という。簡単にいえば、前者は“自由を得る”ために、後者は“自由を守る”ためだったという。

 そのオルバン首相とメルケル首相が19日、国境解放30年の記念式典で会見した。前者は欧州で難民受け入れ拒否の先頭を走り、後者は人道的観点から難民受け入れを進めてきた。難民政策では対照的な両首相だ。

 なお、メルケル首相は記者会見で、「30年前の国境解放は歴史的だった。欧州の未来に対してインスピレーションを与える出来事だ」と述べる一方、ハンガリー国民に感謝を表明した。

 欧州で国境が解放され、自由な行き来ができたのは、冷戦時代が終わり、欧州の統合が進められた束の間だった。2015年以降、殺到する難民対策のために欧州の国境は再び閉鎖され、シェンゲン協定は一時的だが、失効状況下に置かれた。多くの欧州の国々にとって、国境は依然、主権保護の重要な役割を担っている。自由に行き来できる「国境なき欧州」はまだ実現されていない。

警察の“お粗末”な捜査に国民が怒り

 ルーマニア南部カラカルで2人の女性が殺害されるという事件が発生したが、警察側の捜査があまりにもお粗末であったことが判明し、それに抗議するデモが27日、首都ブカレストであった。

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▲2件の女性殺人事件の全容解明を要求するルーマニアのクラウス・ヨハニス大統領(大統領府公式サイトから)

 ブカレストからの情報によると、15歳の少女は24日、66歳の容疑者に誘拐された。少女は容疑者が留守の時、警察当局に緊急電話を入れ、助けてほしいと連絡したが、最初は警察側は悪戯電話と受け取り、真剣に対応しなかった。少女は3回、警察に助けを求めたが、警察側が実際に動員され、容疑者の家に入ったのは事件発生19時間後だった。少女は暴行された末、殺されていた。容疑者は27日、逮捕された。

 警察から尋問を受けた容疑者は15歳の少女のほか、18歳の女性の殺害も明らかにした。2人の遺体は焼かれ、遺物は容疑者の家や庭で見つかった。18歳の女性の場合、家族が今年4月、行方不明届けを警察に出したが、警察は何も対応してこなかった。そればかりか、女性が殺されていた事すら家族に連絡せず、女性の母親はテレビのニュースで娘の死を知ったという。

 2人の女性殺人事件での警察のお粗末な捜査を知った数千人の国民は27日、警察当局、司法省の対応を批判するデモをする一方、ダンチラ社会民主党主導政権の辞任を要求するなど、反政府デモに発展する気配が高まってきた。

 ダンチラン首相は凶悪犯罪に対する刑罰強化を問う国民投票の実施を提案する一方、野党出身のクラウス・ヨハニス大統領(国民自由党=PNL党首)は事件の全容解明を要求し、事件捜査に関わってきた関係者の処分を求めている。これまで事件に関連してヨアン・ブダ警察長官が解任され、3人の警察官が処分を受けた。

 同国では昨年8月、ルーマニア各地で社会民主党(PSD)現政権の退陣、早期総選挙の実施などを要求する数万人の大規模な反政府デモが行われたばかりだ。首都ブカレストの政府建物前で開催されたデモ集会では、警察部隊が催涙ガスや放水車で参加者を強制的に追い払い、その際、452人の負傷者が出た(「ブカレストで大規模な反政府デモ」2018年8月13日参考)。

 同デモの直接の契機は、政府が昨年7月初めに著名なラウラ・コブシ特別検察官(Laura Kovesi)を解任したことだ。 同特別検察官は国家腐敗防止局(DNA)の責任者で多くの腐敗政治家を拘束してきた。デモ参加者は「マフィア政府は即退陣せよ」「犯罪人を高官に任命するな」「我々が国民だ」と叫び、腐敗政治家の即退陣を求めた。

 ルーマニアで2016年12月11日に実施された総選挙に圧勝した与党中道左派「社会民主党」(PSD)は昨年1月15日、中道右派「自由民主主義同盟」(ALDE)と連立政権を発足させた。紆余曲折があった後、昨年1月29日、ダンチラ首相が就任した。

 PSDは公式には社会民主主義を標榜しているが、実際はニコラエ・チャウシェスク独裁政権時代に仕えてきた政治家や閣僚の末裔であり、“腐敗政治家、ビジネスマンの寄せ集め集団”ともいわれる。ちなみに、ルーマニア初の女性首相のダンチラ首相は国民からドラグネア党首の“操り人形”と受け取られてきた。なお、同党首は今年5月末、腐敗問題で禁固3年半の有罪判決を受けたばかりだ。

 旧東欧共産圏の民主改革から今年で30年目を迎えたが、旧共産政権下の幹部たちが依然、政財界に暗躍している。特に、司法改革は遅れ、ポーランドやハンガリーは欧州連合(EU)から司法改革の推進を求められてきた。ルーマニアでも同様だ。

 スロバキアで昨年2月、政府の腐敗、汚職問題を追及してきた著名なジャーナリストが恋人とともに自宅で射殺される事件が起きたが、同事件はスロバキア政界を大きく震撼させ、ロベルト・フィツォ首相(当時)は引責の形で辞任に追い込まれた。ダンチラ政権が今回の女性殺人事件が契機となって、辞任に追い込まれる政変に発展する可能性は排除できない。

 参考までに、ルーマニアのブカレストで2012年8月、日本人女子大生(当時20)がレイプされ、殺害されるという事件が発生している。犯人は逮捕された。

欧州カトリック教会の牙城が崩れた

 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の27年間の在位中、東欧のポーランド教会は欧州教会で最も影響力を有する教会とみられてきた。そのポーランド教会でも過去、聖職者による未成年者への性的虐待事件が発生していたが、ヨハネ・パウロ2世在位中は公に報じられることはなかった。

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▲ポーランドで大ヒットした映画「Kler」のポスター

 冷戦時代、ポーランド統一労働者党(共産党)の最高指導者ウォイチェフ・ヤルゼルスキ大統領でさえ、「我が国はカトリック教国だ」と認めざるを得なかった。そのポーランドでクラクフ出身のカロル・ボイチワ大司教(故ヨハネ・パウロ2世)が1978年、455年ぶりに非イタリア人法王として第264代法王に選出された。ポーランドの多くの国民は当時、「神のみ手」を感じたといわれている。


 ポーランドは久しく“欧州のカトリック主義の牙城”とみなされ、同国出身のヨハネ・パウロ2世(在位1978年10月〜2005年4月)の名誉を傷つけたり、批判や中傷は最大のタブーとなった。だから、同教会で聖職者の性犯罪があったという報告はこれまで一度も正式に公表されなかった。聖職者の性犯罪が生じなかったのではなく、教会側がその事実を隠蔽してきたからだ。 

 その沈黙の壁を破ったのは、このコラムでも報じたが、聖職者の性犯罪を描いた映画「聖職者」(Kler)だ。同国の著名な映画監督ヴォイチェフ・スマジョフスキ氏の最新映画だ。小児性愛(ペドフィリア)の神父が侵す性犯罪を描いた映画は昨年9月に上演されて以来、500万人以上を動員した大ヒットとなった。それに呼応して、教会の聖職者の性犯罪隠ぺいに対して批判の声が高まっていったわけだ。

 カトリック教会は同映画の制作を阻止するために、撮影を妨害するなどさまざまな圧力を行使したが、映画に対する国民の関心はそれを吹っ飛ばした(「欧州の牙城『ポーランド教会』の告白」2018年11月23日参考)。

 ボストンのローマ・カトリック教会聖職者による未成年者性的虐待の実態を暴露した米紙ボストン・グローブの取材実話を描いた映画「スポットライト」は第88回アカデミー作品賞、脚本賞を受賞したが、スマジョフスキ監督の「聖職者」はポーランド版「スポットライト」と呼ばれた。

 同国教会の春季司教会議が12日から3日間の日程でワルシャワで開催された。スタニスラフ・ガデツキ司教会議議長は最終日の14日、1990年から2018年の過去28年間の聖職者による未成年者への性的虐待件数を公表した。

 バチカン放送が15日報じたところによると、382人の未成年者が性的虐待を受けた。そのうち、15歳以下は198人。そのほか、243人の犠牲者が報告されているが、未確認として処理されている。

 確認済と未確認済み合わせて625人の未成年者の犠牲者の58・4%は男性、41・6%は女性だ。そのうち、4分の3の件数は教会内の処罰が下されている。性犯罪を犯した聖職者の4人に1人は聖職をはく奪され、全体の40%は聖職を停止されるか、警告を受け、未成年者と接触する仕事から追放された。犠牲者の42%は教会側に性的虐待を受けたことを自ら通達し、21%は家族が教会側に通達している。そのほか、6%は警察当局から、5%はメディアから事件を知らされている。

 ポーランド司教会議は教区、修道院に聖職者の性犯罪に対して調査し、教会の統計事務所と司教会議が設置した教会保護センターが連携して集めたデータの真偽を分析、今回の聖職者の性犯罪報告を作成した経緯がある。

 ちなみに、ワルシャワで開催された春季司教会議にはバチカンからナンバー2の国務長官パロリン枢機卿が参加した。ポーランド司教会議は今年で創設100年を迎え、同時にポーランドとバチカンの外交関係樹立30周年を迎えた。同国司教会議のメンバーは155人で欧州最大規模を誇る。同国人口約3842万人(2017年現在)のうち、約3300万人がカトリック信者として登録している。

 同国教会の聖職者による未成年者への性的虐待報告は、欧州カトリック教会の牙城と言われてきたポーランドのカトリック主義の崩壊を意味するだけではなく、「空を飛ぶ法王」と言われ、世界中の信者ばかりか、政治家からも愛され、尊敬されてきたヨハネ・パウロ2世の27年間の長期任期について、これまでとは違った視点で再考しなければならないことを教えている。

 故ヨハネ・パウロ2世が冷戦時代の終焉に大きな功績があったことは事実だが、今回公表された聖職者の性犯罪のほとんどがヨハネ・パウロ2世時代に起きているという事実があるからだ。

東欧「外国労働者は歓迎、難民拒否」

 欧州連合(EU)の難民・移民政策は大きな試練に直面している。特に、東欧のEU加盟国でヴィシェグラード・グループ(地域協力機構)と呼ばれるポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーの4カ国はブリュッセルの難民分担案を拒否してきた。ハンガリーの中道右派のオルバン首相は、「中東アラブ諸国からのイスラム系難民の受け入れは欧州のキリスト教社会とは相いれない」とはっきりと主張。“オルバン主義”と呼ばれる厳格な難民政策はEU諸国の中でも拡大してきた。

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▲経済成長する一方、労働力不足が深刻なポーランド(ポーランド政府公式サイトから)

 ところで、独週刊誌シュピーゲル(2019年1月12日号)によると、ハンガリーと同様に難民受け入れを拒否してきたポーランドの中道右派「法と正義」(PiS)政権下で多数の外国人労働者が働いているという。経済協力開発機構(OECD)の統計によると、2016年には約67万人の外国人が労働許可書を得ている。その数は米国の同年の数より1万人多いという。すなわち、中道右派政権のポーランドで他の欧州諸国ではみられないほど多数の外国人労働者が働いているというわけだ。

 シュピーゲル誌によると、ポーランドで働く外国人労働者は主にベラルーシやウクライナ出身だ。彼らの多くは季節労働者で、短期労働許可書を得て工場やレストランの料理人、農業分野で働いているという。総数は200万人と推定されている。

 同誌は「ポーランドは、爆撃下に生き、迫害されてきたシリア難民の救済を拒否する一方、ウクライナやベラルーシから労働移民を受け入れている」と少々皮肉を込めて報じている。

 ポーランドだけではない。旧東欧諸国のヴィシェグラード・グループ4カ国でも程度の差こそあれ見られる現象だ。同4カ国はEU諸国の中でも高い経済成長率(平均約4%)を誇り、失業率は低い。欧米企業が労賃が安く、質の高い労働力が得られる4カ国に積極的に進出してきた結果、労働者不足が深刻となってきた。企業側は労働者の賃金を高めることで労働者を集めてきた。産業分野では年10%の賃金アップを提供するところもあるという。その結果、企業は競争力を失う。ポーランド内の優秀な労働者は英国など賃金の高い他のEU諸国に移民するため、国内の雇用市場は益々労働者不足が深刻化するわけだ。もちろん、外国直接投資にも影響が出てくる。

 ハンガリーで昨年12月12日、国民議会が改正労働法を採決し、雇用者側が労働者に要求できる残業上限を従来の年間250時間から400時間まで許容されるようになった。それ以来、同国各地で野党や労働組合が反対デモを繰り広げ、「改正労働法は労働者を奴隷のように働かせる悪法だ」と糾弾、改正法案を「奴隷法」と呼び、強く反対している。国民議会前で警察隊とデモ参加者の衝突が繰り返し起きている。

 オルバン政権は「企業や工場で労働者不足が深刻となってきている」と述べる一方、残業が増えることで労働者の手当てが増えるなどメリットが労働者側にもあると説明している。オルバン政権の場合、難民・移民の受け入れを拒否、外国人材の受けれには積極的ではないこともあって、労働者不足は国内の既成労働者の就業時間を増やす以外に解決の道は目下ないわけだ(「“ハンガリー式”労働者不足対策」2018年12月23日参考)。

 ポーランド政府次官が「わが国の繁栄は外国人移民に依存している」と現状を正直に説明したため、モラヴィエツキ首相から解任されたばかりだ。難民、外国人の受け入れを拒否してきたポーランド右派政権は、国民経済の発展が外国人労働者に依存している現状を認めたくないのだ。シュピーゲル誌は「移民なくしてグローバリゼーションは機能しない」と指摘している。

 日本で昨年末、労働者不足を解決するために外国人労働者の受け入れ枠拡大、それに関連して出入国管理法の改正案が成立したばかりだ。ドイツもEU域外出身の外国人労働者の受け入れ拡大に動き出し、外国人労働者枠を大幅に緩和する移民法改正案を閣議決定している、といった具合だ。

 外国人労働者の増加は、労働力不足の解消だけではなく、治安問題、文化慣習の軋轢などさまざまな社会問題とも関わってくるテーマだ。外国人労働者の受け入れを促進するためには、社会全体の受け入れ態勢の整備が急務だ。東欧4カ国の現状は労働力不足に直面している日本にも様々な教訓を与えるだろう。

“ハンガリー式”労働者不足対策

 東欧のハンガリーで今月12日、同国国民議会が改正労働法を採決し、雇用者側が労働者に要求できる残業上限を従来の年間250時間から400時間まで許容されるようになった。それ以来、同国各地で野党や労働組合が反対デモを繰り広げ、「改正労働法は労働者を奴隷のように働かせる悪法だ」と糾弾、改正法案を「奴隷法」と呼び、強く反対している。国民議会前で警察隊とデモ参加者の衝突も起きている。

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▲反オルバン政権デモ、2018年12月15日(ハンガリーの野党「社会党」公式サイトから)

 21日にも首都ブタペストで約5000人が参加した反対デモが行われた。反対デモはブタペストだけではなく、北西部シェール市やデブレツェン市など他の都市にも波及してきた。それに先立ち、同国のアーデル・ヤーノシュ大統領は20日、改正労働法案に署名し、同法は正式に成立したばかりだ。

 AFPの報道によると、「セゲド市とシャルゴータルヤーン市の議会は21日、労働者の反対を考慮して改正労働法を施行しない決議案を可決している」というから、中道右派政権オルバン政府の政策に対しては賛否があるわけだ。ちなみに、同国では19日、約2300人の警察官が過去3年間の約5万時間の残業代未払い分の支払いを要求する公開書簡を発表している。

 オルバン政権は「企業や工場で労働者不足が深刻となってきている」と説明する一方、残業が増えることで労働者の手当てが増えるなどメリットも出てくる、と理解を求めている。労働組合はクリスマス明けの新年早々にも「奴隷法」の撤廃を要求するゼネストも辞さない構えだ。

 ところで、労働者不足はハンガリーだけではない。先進諸国で等しくみられる状況だ。少子化、人口減少に直面し、不足する労働者をどこから補給するかが大きな課題となっている。

 例えば、日本の場合、労働者不足を解決するために外国人労働者の受け入れ枠拡大、それに関連して出入国管理法の改正案が成立したばかりだ。建築業界、介護業、外食業界などにとって外国労働者の受け入れはもはや緊急の課題である。ただし、外国からの人材受け入れ問題は、人材不足の解消だけに制限される問題ではなく、外国人の増加に伴う治安問題、言語の問題から社会慣習の軋轢などさまざまな問題が浮かび上がってくる。外国人労働者の受け入れを促進するためには、社会全体の受け入れ態勢の整備が急務となる。

 一方、オルバン政権の場合、難民・移民の受け入れを拒否、外国人材の受けれには積極的ではないこともあって、労働者不足は国内の既成労働者の就業時間を増やす以外に早急な解決の道はない。

 興味深い点は、オルバン政権と同様、難民・移民の受け入れに厳格なオーストリアのクルツ政権は一日の労働時間を従来の8時間から最大12時間まで延長を認める政策を施行したばかりだ。その結果、ハンガリーと同様、野党の社会民主党(SPO)や労働組合が強く反対している。彼らは労働時間の短縮を要求する一方、労働不足については実行可能な代案を提示できないでいる。

 オーストリアの場合、厳密にはハンガリーと日本の政策の併用というべきかもしれない。ある一定の外国人労働者を受け入れる一方、資格の乏しい移民の受け入れを制限するわけだ。

 まとめると、労働者不足の解決策として、.魯鵐リーのように、超過労働時間の大幅な上限拡大を認める、日本のように外国人材の受け入れ枠を拡大し、不足を解消する。オーストリアのように,鉢△鯤四僂垢襦△覆匹考えられる。

 どの政策がベストかはその国の産業規模や社会・文化の違いもあって一概には言えない。繰り返すが、労働者不足は、単なる産業界の発展に伴う経済的理由だけではなく、「少子化」、「家庭の崩壊」など先進諸国が直面している社会問題と密接に絡んでくる大きなテーマだ。

ホームレスが問う「国家」とは何か

 ハンガリーで今月15日、「宿無し(ホームレス)規制法」が施行された。それによると、ホームレスを見つければ、警察官は路上や公共場所で眠らないようにまず警告する。3度警告を受けたホームレスが移動しない場合、警察は罰金か公的奉仕を義務づけることができる。すなわち、路上のホームレスは犯罪人扱いにされる。 同法案は今年6月、2013年の関連法を改正したもので、賛成多数で採択された。

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▲ブタペストの夜景(ハンガリー政府観光局公式サイトから)

 中道右派のオルバン政府は町からホームレスを追放し、町の治安と清潔さを取り戻す狙いがあるのだろう。しかし、予想されたことだが、人権グループや法律家、弁護士たちは「人権擁護を明記したハンガリーの憲法に反する」として「ホームレス規制法」の撤回の署名運動を開始した。ホームレスを切って捨てる人がいる一方、それを救う人も出てくるわけだ。

 外電によると、ハンガリーに約2万人のホームレスが存在し、そのうち公共の緊急収容施設に厄介になれるホームレスの数は約1万1000人。残りは外で眠らざるを得ない計算になる。

 パリの政治家たちがセーヌ河沿いに住む宿無しや難民を追放するために強制移動させたことがあった。東京で夏季五輪大会が開催されるから、東京の駅周辺のホームレスを追放しようという政治家の話も聞く。

 政治家とホームレスの関係はどの国でも余り相性がよくない。ハンガリーだけではない。定住していないから、ホームレスにはどこからも選挙カードが届かないケースが多い。一方、そんな浮動票を当てにはできないから、政治家はホームレスには関心がいかなくなる、といった悪循環だ。

 長く路上生活を続けてきたホームレスは政治の刷新や改革といった問題に関心がなくなる。「政治が悪いから俺はホームレスとなった」と政府に不満をぶっつけるのはホームレスになったばかりの新米が多い。 ホームレス生活が長くなると、叫んだとしても状況が改善されることがないばかりか、ひょっとしたら、お世話になっている公共場所から追放されるかもしれない。ジーッと我慢するのが一番、という判断に落ち着く。ホームレスから革命や反政府運動は生まれてこないから、公安関係者はついつい気が緩み、監視も疎かになる、というわけだ。

 ホームレスを大きく分けると、4つに分類できる。(源通り、寝泊まりできるホームがない人、▲曄璽爐ら何らかの理由で追放されたか、自ら出ていった人、生来、放浪の人、世の中の人に関与され、監視されることを嫌う人、い聾醜餡箸鯣歡蠅掘特定のファンタジー帝国(無国籍)に住む人々だ。

 政府が関与するホームレスは,世蹐Α政府に財政的余力があれば、△両豺腓皀ウンセリングといったメンタル療法を提供できる。残念ながら政府は関与できない。し抻ヾ愀玄圓唯一監視しなければならないホームレス(この場合、無国籍)だ。数は少ないが危険なこともある。

 興味深い点は、いドイツで増えてきていることだ。ドイツといえば、欧州の経済大国であり、国民の生活水準も高い。国民は年2回、数週間の長期休暇を取って、世界を旅行する国民だ。ドイツに移住したくて中東や北アフリカから多数の難民・移民が殺到する時だ。そんなドイツの国籍を嫌い、「昔は良かった」として無国籍を選ぶ人々が年々増えているというのだ。「旧ドイツ帝国公民」運動( Reichsburgerbewegung)と呼ばれる人々だ。「旧ドイツ帝国公民」は、ドイツ連邦共和国や現行の「基本法」(「憲法」に相当)を認めない。政治家や国家公務員の権限を認知しない。彼らにとってドイツは過去にしか存在しない(「『ファンタシー帝国』に住む人々」2018年1月31日参考)。

 ところで、シリアで3年半余り拘束されていた日本人ジャーナリスト、安田純平さんがこの度無事解放されたというニュースが流れてきた。解放されたジャーナリストに対し、「自己責任」を追及する声と国の国民保護義務を強調する声が聞かれる。「ホームレス」と「国家」の関係に案外似ている。

 ホームレスとなったのは基本的には「自己責任」だが、だからといってホームレスを放置できないから、国は何らかの収容場所を準備せざる得ない。国が行くなといった危険地を訪問したジャーナリストは当然、一定の覚悟(自己責任)が必要だが、それでもいざとなれば「助けてください」と叫ばざるを得ない。主張と生き方に首尾一貫性がないジャーナリストとしても、国民となれば、国は助けに乗り出さざるを得なくなる。割が悪い立場だ。

 ホームレス(この場合)もジャーナリストも常にその主張と合致した生き方をしているわけではない。彼らに必要なことは、助けてもらった場合、「ありがとうございました」と感謝の言葉を発することだろう。

ルーマニア国民投票の無効を検証

 ルーマニアで6日と7日の両日、夫婦の定義を「男性と女性の間」とする憲法改正案の是非を問う国民投票が実施されたが、国民投票が有効となる投票率30%に達成すぜに、投票は無効となった。

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▲国民投票に投票するダンチラ首相(2018年10月6日、ルーマニア政府公式サイトから)

 ブカレストからの情報によると、投票率は約20・4%と有権者の5人に1人しか投票場に行かなかった。国民投票が有効となる30%の投票率まで届かなかった。世論調査では国民の90%以上が憲法改正案を支持していただけに、国民投票の低投票率は予想外だった。

 ルーマニア憲法48条第1項では、夫婦とは「自由意志で同意した配偶者の婚姻に基づく」と記述されている。その定義を「男性と女性の間の結婚」と厳密に定義することを要求し、ルーマニア正教や市民団体は国民投票の実施のために300万人の署名を集めた(ルーマニアの人口約1900万人)。それを受け、ルーマニア上院(定数136)は家庭の定義の変更を明記した憲法改正案の是非を問う国民投票の実施を賛成多数で可決した経緯がある。

 ルーマニアではこれまで同性婚も同性間の登録パートナーシップも認められていない。性的少数派(LGBT)は、「国民投票で夫婦の定義の変更を明記した憲法改正案が認められたならば、わが国では今後、同性婚は永遠に認められなくなる」という危機感から、国民に国民投票のボイコットを呼びかけていた。

 アムネスティ・インターナショナル(AI)や性的少数派支持グループ「国際レズビアン・ゲイ協会」(ILGA)は「法の下ですべての人は人権そして同等の保護を保障されている。憲法が改正されれば、同性愛への嫌悪を助長し、欧州法や国際法に違反し、人権での後退を余儀なくされる。また、婚姻関係に基づかない家族にとって、深刻な影響をもたらす」と警告を発し、投票ボイコット・キャンペーンを展開させた。

 国民投票の実施に反対してきた野党からは、「ファンタジーのために国民投票を実施し、公費4000万ユーロを浪費した」と批判し、国民投票実施を支持した与党・社会民主党(PSD)政権の辞任を要求。「国民投票は腐敗している現政権への批判をかわすための余興だ」(BBC)と批判する声も聞かれたという(「ブカレストで大規模な反政府デモ」2018年8月13日参考)。

 国民投票前、47人の欧州議会議員がダンチラ首相宛てに書簡を繰り、憲法改正による家庭の再定義は全ての家庭の子供たちを潜在的に傷つけると警告を発している。

 ちなみに、ルーマニアの同性愛男性は、ベルギーに住むパートナーの米国男性がルーマニアに移住するために配偶者ビザを申請したがルーマニア憲法裁判所から拒否されたため、欧州司法裁判所(ECJ)に訴え、今年6月、性差に関係なく、居住権はあるという判断を受けている。

 いずれにしても、ルーマニアでは同性婚は公認されないから、国民投票の無効後も性的少数派を取り巻く状況に変化はない。

 最後に、ルーマニアの国民投票が低投票率に終わった原因をまとめると以下の3点だ。

 〃法改正賛成派は「賛成派が勝利する」と過信し、投票を呼び掛ける運動が不足した。
 憲法改正案に危機感を感じたLGBTグループは欧州連合(EU)やAIなどを総動員し、投票ボイコットを展開。
 I綰毀簑蠅吠颪泙譴織瀬鵐船蘋権に対する国民の不信は強く、政権主導の国民投票に有権者は関心を示さなかった。

 3点の中で主因はやはりだろう。国民投票実施の背景は、欧州全土を席捲してきたLGBT運動に脅威を感じたルーマニア正教を中心とした国民の「男性と女性からなる伝統的な家庭」を死守する運動だったが、国民を啓蒙すべきPSD政権の政治的腐敗がネックとなって、国民投票は低投票率に終わった。

 ルーマニア国民の約85%は正教徒だが、彼らの多くも国民投票を棄権したことになる。それはLGBTを支持するからというより、現政府への反対票と受け止めるべきだろう。実際に投票した有権者の約91%は賛成票だったのだ。ルーマニアにとって、腐敗対策、政治の刷新が急務となる。


 <欧州連合(EU)の同性婚の現状>

 ‘雲婚を認めている国
 ベルギー、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、アイルランド、ルクセンブルク、オランダ、ポルトガル、スペイン、スウェーデン、英国(北アイルランドを除く),マルタ

 登録されたパートナーシップ(同性婚とほぼ同権)
 オーストリア、クロアチア、キプロス、ギリシャ、ハンガリー、イタリア、スロベニア

 E佻燭気譴織僉璽肇福璽轡奪廖文⇒は制限)
  チェコ、エストニア

 す臻‥制度がない国
 ブルガリア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、ルーマニア、スロバキア

(出所・ILGAヨーロッパ)

ハンガリーは欧州の自動車製造工場

 ハンガリーのオルバン首相は欧州連合(EU)では久しく“異端児”“問題児”扱いされてきた。ブリュッセルが主導する難民受け入れ政策を批判し、EUの盟主、ドイツのメルケル首相の難民歓迎政策に対し、「間違いだ」と直言してきたこともある。難民問題がEUの最大の議題になる前もメディア政策、司法改革などでオルバン首相の政治姿勢はブリュッセルから「民族主義的」として批判されてきた経緯がある。

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▲マジャールスズキ社のエステルゴム工場(ウィキぺディアから)

 そのオルバン首相の名誉回復は案外早かった。同首相が主張してきた厳格な難民政策がここにきてEU諸国で受け入れられ、難民が殺到するドイツですら、「オルバンに倣え」という言葉が聞かれるほどまでになった。オルバン首相の難民政策が欧州の主流となってきたわけだ。

 オルバン首相が率いる中道右派連合「フィデス・ハンガリー市民同盟」は今年4月8日に実施された国民議会選で第1党を堅持、オルバン首相は通算4期目の長期政権を発足させたばかりだ。ユダヤ系の世界的な米投資家、ジョージ・ソロス氏が1991年、冷戦終焉直後、ブタペストに創設した中央ヨーロッパ大学(CEU)の問題でも“世界のソロス”を相手に戦い、学校をハンガリーから追放してしまった。同首相は国内外で着実にその政治基盤を強化してきている。

 そのオルバン政権のハンガリーに世界の主要自動車メーカーが次々と進出している。以下、オーストリア日刊紙プレッセ(8月14日付)の「自動車産業はハンガリーの経済成長のモーター」を参考に、ハンガリーが今日、「欧州の自動車製造工場」となっている現状を紹介する。

 世界の自動車メーカーはハンガリーに目を向け、そこに巨額の投資を行ってきた。ハンガリーの魅力は、…稍其癲閉其眇綵爐論沼Δ量鵤格の1)、⊆舛旅發だ賁舅働力(生産性は高く、能率的)、脆弱な労働組合(労使間の紛争が回避)、ね∩ルートの完備(地理的にハンガリーは欧州全土と高速道路網で連結され、産業インフラは完備)、ゥ魯鵐リー政府からの補助金と税優遇―の5点だ。自動車関連の輸出はハンガリーの総輸出の3分の1にもなるという。

 ドイツの自動車メーカー、BMWは最近、ハンガリー東部デブレツェン市で10億ユーロを投資し工場を建設することを明らかにしたばかりだ。ドイツ・メーカーとしては既にオペルがセントゴットハールド市で、フォルクスワーゲングループに属するアウディは1993年、北西部のジェール市で自動車用モーターの製造を始め、メルセデス・ベンツは2012年に同国中部ケチケメート市で自動車製造の操業を始めている。日本の自動車メーカーとしてはスズキ(正式・マジャールスズキ)が1992年に北部エステルゴムに工場(従業員5700人)を建設し、小型車スプラッシュなどを製造している、といった具合だ。

 プレッセ紙によると、BMWが進出する地域は失業率が相対的に高いので、労働力の確保には問題ないという。自動車メーカーの進出は地域復興にもつながるから、地元から歓迎される。多くの労働者は「ドイツ自動車メーカーで働くことは名誉だ」という。BMWが工場を建設するデブレツェン市には空港があり、交通の便もいい。工場が操業を始めれば、年間15万台の自動車が製造される予定という。

 同紙の指摘によれば、ハンガリーの国民経済が欧米の自動車産業に依存度を深め過ぎることに一抹の懸念の声も聞かれるという。例えば、トランプ米大統領が欧州の自動車に追加関税をかければ、ドイツの自動車メーカーは大きなダメージを受ける。そうなれば、モーターや部品を製造するハンガリー工場にも影響が出てくることは必至だ。

 そのような不安を吹っ飛ばすほど、オルバン首相には目下“勢い”がある。その運勢に乗ってハンガリーは“欧州の自動車工場”として売り出してきたのだ。

ブカレストで大規模な反政府デモ

 ルーマニア各地で10日、11日の両日、社会民主党(PSD)現政権の退陣、早期総選挙の実施などを要求する大規模なデモ集会が行われた。首都ブカレストの政府建物前で開催された10日夜のデモ集会では、警察部隊が催涙ガスや放水車でデモ参加者を強制的に追い払い、その際、452人の負傷者が出た模様。65人は重傷で病院に運ばれたという。負傷者の中には11人の警察官も含まれる。デモ主催者によると、10日夜のデモ集会には約11万人が参加。11日にもブカレストで約5万人が集まったが、警察側は前日のように武力行使をせず、静観していたという。

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▲EU本部のブリュッセルを訪問したダンチラ首相(左から2番目)=2018年7月10日、ルーマニア政府公式サイトから

 今回のデモの直接の契機は、政府が7月初めに著名なラウラ・コブシ特別検察官(Laura Kovesi)を解任したことだ。 同特別検察官は国家腐敗防止局(DNA)の責任者で多くの腐敗政治家を拘束してきた経緯がある。

 デモ参加者は「マフィア政府は即退陣せよ」「犯罪人を高官に任命するな」「我々が国民だ」と叫び、取り締まる警察隊に対しては「暴力を使うな。盗人を守ることを恥ずかしく思わないか」と叫んだ。デモ参加者はビオリカ・ダンチラ首相とPSDのリヴィウ・ドラグネア党首の退陣を要求、社会民主党政権の腐敗政治を批判した。ルーマニア初の女性首相のダンチラ首相は同党首の“操り人形”と受け取られている。

 ドラグネア党首は過去、選挙の不正操作などで前科があって、首相には就任できないが、政府をコントロール下に置いてきた。PSDは公式には社会民主主義を標榜しているが、実際はニコラエ・チャウシェスク独裁政権時代に仕えてきた政治家や閣僚の末裔であり、“腐敗政治家、ビジネスマンの寄せ集め集団だ”ともいわれている。

 治安部隊が10日、デモ参加者に対し、催涙ガスを投じ、放水車を動員する一方、棍棒で殴打するなど武力行使。デモ集会を取材中のオーストリア国営放送のカメラマンが負傷したことに対し、西側では「報道の自由」と「言論・結社の自由」を侵害しているとして、ルーマニア政府に対し批判の声が上がっている。

 オーストリア国営放送によると、10日夜のデモ集会には英国、イタリア、スペインなどに住む海外居住ルーマニア人が母国の国旗を掲げて集会に多数参加していたのが目撃されたという。デモはブカレストのほか、シビウ市、クルージュ市, ティミショアラ市、ブラショヴ市, ヤシ市、オラデア市、ガラツィ市、 クラヨーヴァ市、コンスタンツァ市 でも数千人が集まったという。

 ルーマニアで2016年12月11日に実施された総選挙に圧勝した与党中道左派「社会民主党」(PSD)が昨年1月15日、中道右派「自由民主主義同盟」(ALDE)と連立政権を発足させた。PSDのドラグネア党首はソリン・グリンデアヌ氏を首相にしたが、同首相は17年6月21日、自党のPSDとALDEが提出した不信任案が承認され、辞任に追い込まれた。そこでトゥドゼ氏(PSD)が後継者となったが、ドラグネア党首とのPSD内の権力闘争に巻き込まれ、安倍晋三首相が今年1月16日、ブカレストを公式訪問する直前、突然辞任を表明した。トゥドゼ首相の辞任後、ドラグネア党首は側近のミハイ・ヴィオレル・フィフォル国防相を暫定首相に任命したが、同月29日、ダンチラ首相が就任して現在に至っている。

 なお、クラウス・ヨハニス大統領(国民自由党=PNL党首)は10日夜、フェイスブックを通じて、カルメン・ダニエラ・ダン内相(PSD)にデモ集会参加者への武力行使を批判し、「警察側の詳細な説明」を要求している。

 ルーマニア人口は約2000万人で約400万人が海外で働き、母国の家族に送金している。ルーマニアは欧州連合(EU)の中でも最貧国だ。

「プラハの春」50周年を迎えて

 旧チェコスロバキアで1968年、民主化を求める運動が全土に広がった。しかし、旧ソ連ブレジネフ共産党政権はチェコのアレクサンデル・ドプチェク党第1書記が主導する自由化路線(通称「プラハの春」)を許さず、ワルシャワ条約機構軍を派遣し、武力で鎮圧した。あれから今月20日で50年目を迎える。

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▲旧ソ連軍のプラハ侵攻(米情報機関、1968年に撮影)
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▲チェコの民主化運動のシンボル、バルラフ・ハベル氏と自筆サイン(1988年7月5日、プラハでハベル氏宅で撮影)

 旧ソ連共産党政権の衛星国だった東欧諸国で1956年、ハンガリーで最初の民主化運動が勃発した。「プラハの春」はこのハンガリー動乱に次ぎ2番目の東欧の民主化運動だった。ドプチェク第1書記は独自の社会主義(「人間の顔をした社会主義)を標榜し、政治犯の釈放、検閲の中止、経済の一部自由化などを主張した。

 チェコで「プラハの春」が打倒されると、ソ連のブレジネフ書記長の後押しを受けて「正常化路線」を標榜したグスタフ・フサーク政権が全土を掌握し、民主化運動は停滞した。

 しかし、劇作家のバーツラフ・ハベル氏(Vaclav Havel)、哲学者ヤン・パトチカ氏、同国の自由化路線「プラハの春」時代の外相だったイジー・ハーイェク氏らが発起人となって、人権尊重を明記した「ヘルシンキ宣言」の遵守を求めた文書(通称「憲章77」)が1977年、作成された。チェコの民主化運動の第2弾だ。

 そして1989年11月、ハベル氏ら反体制派知識人、元外交官、ローマ・カトリック教会聖職者、学生たちが結集し、共産政権に民主化を要求して立ち上がっていった。これが“ビロード革命”だ。

 プラハの春は、ドブチェク共産党第1書記を中心した党内の上からの改革運動だったが、ハベル氏らの民主化運動は知識人や学者たちの反体制派運動だった。チェコではハベル氏ら知識人を中心とした政治運動が、スロバキアではキリスト信者たちの信教の自由運動がその民主化の核を形成していった。チェコ民族とスロバキア民族の気質の相違がその民主化運動でも異なった展開となったわけだ。

 当方は1988年、プラハ市モルドウ河沿いにあったアパートで初めてハベル氏にインタビューした。会見テーマは「プラハの春」20周年目だった。

 ハベル氏の周辺は私服警察によって厳重に監視されていたこともあって、当方はかなり緊張したことを思い出す。約30分間ほどインタビューしたが、最後の質問の時、ハベル氏は、「自分は英語では十分に話せないから、チェコ語で答えるから、ウィーンに戻ったらチェコ人に通訳してもらってほしい」と語った。当方はハベル氏から自筆サインをもらうと、素早くアパートから離れた。ウィーンに戻ると、早速知り合いのチェコ人に頼み、録音したハベル氏とのインタビューをもう一度聞いた。

 ハベル氏との思い出はこれまでも何度か書いてきたが、ハベル氏、ドプチェク第1書記と共に“プラハの春”を推進したイリ・ハイエク外相(当時)、民主化の精神的支柱、ローマ・カトリック教会のフランチェスク・トマーシェック枢機卿らとの出会いはやはり忘れることができない。ハベル氏がプラハ旧市街広場のフス像前でVサインをしながら市民に民主化を訴えていた姿を今でも鮮明に思い出す。

 ハベル氏は民主化後、旧チェコ連邦の最初の民主選出大統領になり、旧チェコ連邦解体後は初代チェコ大統領に選ばれている。通算5年間牢獄生活を強いられたハベル氏はヘビー・スモーカーだった。それがハベル氏の健康を害したのだろう。2011年12月、75歳で死去した。

 チェコでは冷戦後、神を信じない国民が増えた。ワシントンDCのシンクタンク「ビューリサーチ・センター」の宗教の多様性調査によると、チェコでは無神論者、不可知論者などを含む無宗教の割合が76・4%となり、キリスト教文化圏の国で考えられないほど高い(「なぜプラハの市民は神を捨てたのか」2014年4月13日参考)。

 50年前、ドプチェク氏がやり遂げられなかった自由化路線をハベル氏らは引き継ぎ、実現した。その民主化プロセスで多くのチェコ国民が犠牲となった。チェコスロバキアは1993年1月、連邦を解体し、チェコとスロバキア両共和国に分かれた。両国とも現在、欧州連盟(EU)と北大西洋条約機構(NATO)の加盟国だ(「『チェコ連邦』の解体が決まった日」2017年8月28日参考)。

 チェコでも冷戦時代を知らない世代が増え、自由を当然の権利と考える人が多くなった。プラハの春、ビロード革命を想起し、獲得された自由を大切に享受してほしい。
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