ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

オーストリア

ヒトラーの「オーストリア併合」80年

 今年はヒトラー・ナチス政権のオーストリア併合(Anschluss)80年を迎える。バン・デア・ベレン大統領は1日の新年の演説で「今年はヒトラー・ナチス政権のわが国併合80年目を迎える年だ。わが国はヒトラーの犠牲国であると共に、加害国だったという事実を単に記憶するだけではなく、心の中でしっかりと留めておかなければならない」と述べ、「人種主義、反ユダヤ主義、そして破壊的な民族主義を再び甦らせてはならない」と強調している。

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▲「新年の演説」をするバン・デア・ベレン大統領(2018年1月1日、大統領府公式サイトから)

 アドルフ・ヒトラーが率いるナチス政権は1938年3月13日、母国オーストリアに戻り、首都ウィ―ンの英雄広場で凱旋演説をした。同広場には約20万人の市民が集まり、ヒトラーの凱旋を大歓迎した。その後の展開は歴史がはっきりと物語っている。

 オーストリアはドイツに併合され、ウィーン市は第3帝国の第2首都となり、ナチス・ドイツの戦争犯罪に深く関与し、欧州を次々と支配していった。同時に、欧州に住むユダヤ人600万人を強制収容所に送り、そこで殺害していった。蛮行は旧ソ連赤軍によって占領されるまで続いた。その後、カール・レンナーを首班とした臨時政権が発足し、第2共和国の建国が宣言された。

 オーストリアは戦後、「モスクワ宣言」を拠り所として久しくヒトラーの戦争犯罪の被害者と主張してきたが、クルト・ワルトハイム元国連事務総長の大統領選ごろから「世界ユダヤ人協会」から激しい批判が飛び出していった(「『ワルトハイム』報道は重要な教材だ」2016年12月12日参考)。

 ちなみに、1943年の「モスクワ宣言」には、「ナチス・ドイツ軍の蛮行は戦争犯罪であり、その責任はドイツ軍の指導者にある」と明記されている。


 同国がヒトラーの戦争犯罪の共犯者だったことを正式に認めたのはフラニツキ―政権が誕生してからだ。同国は戦後、長い間、ナチス政権の犠牲国の立場をキープし、戦争責任を回避してきたが、フフランツ・フラニツキー首相(任期1986年6月〜96年3月)はイスラエルを訪問し、「オーストリアにもナチス・ドイツ軍の戦争犯罪の責任がある」と初めて認めたことから、同国で歴史の見直しが始まった。そこまで到達するのに半世紀余りの月日を必要としてした(「ナチス政権との決別と『戦争責任』」2015年4月29日参考)。

 ただし、オーストリアではヒトラーに関連した事件が発生すると、国民は今なお平静に対応できないことも事実だ。オーバーエスタライヒ州西北部イン川沿いのブラウナウ・アム・イン(Braunau am Inn)にあるアドルフ・ヒトラーの生家を家主から強制収用できる法案が審査された時、国民の間でその是非についてさまざまな議論が出てきた。

 オーストリアで昨年12月、中道右派「国民党」とドイツ民族主義を標榜してきた極右政党「自由党」の連立政権が発足したばかりだ。新政権の樹立前から欧州各地でネオナチや反ユダヤ主義傾向の自由党の政権参加に強い批判と懸念の声が飛び出したことはまだ記憶に新しい。

 蛇足だが、ヒトラーは1907年、08年、ウィーン美術アカデミーの入学を目指していたが、2度とも果たせなかった。もしヒトラーが美術学生となり、画家になっていれば、世界の歴史は違ったものとなっていたかもしれない。ウィーン美術学校入学に失敗したヒトラーはその後、ミュンヘンに移住し、そこで軍に入隊し、第1次世界大戦の敗北後は政治の表舞台に登場していくわけだ。歴史と人間の運命を考えざるを得ない話だ(画家ヒトラーの道を拒んだ『歴史』」2014年11月26日参考)。

 久しく戦争責任を回避してきたオーストリアが特別、狡猾な国、民族だったからではない。どの国、民族にも同じように認めたくない歴史的汚点がある。オーストリア国民を批判するのではなく、同国が最終的に歴史的過ちを認めたという事実に注目すべきだろう。

極右政党の“暴走”対策はこれだ!

 オーストリアで18日午前11時(現地時間)、ウィ―ンの大統領府で中道右派政党「国民党」と極右政党「自由党」からなる新連立政権の宣誓式が行われ、クルツ新政権が正式に発足した。11年前、両党の連立政権が発足した時、自由党の政権参加に反対するデモ集会が行われ、新政権の閣僚たちは宣誓式が行われる大統領府まで地下道を通って行かなければならなかったが、今回も抗議集会こそ行われたが、規模的には小さく、大きな衝突はなかった(ウィーン市警察によると、デモ参加総数約5000人)。

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▲12月18日、ウィ―ンの連邦大統領府での宣誓式で語り合うバン・デア・ベレン大統領(左)、クルツ新首相(中央)、シュトラーヒェ副首相(右)=オーストリア国営放送の中継放送から

 欧州諸国では自由党の連立参加に批判と懸念の声があることは事実だ。欧州連合(EU)は反EU路線を標榜してきた自由党の政権入りに強い警戒心をもっている。

 31歳で新政権を組閣したクルツ首相は8週間余りの自由党との連立交渉で極右党の暴走を回避するために2、3の対策を取っている。クルツ新首相が実施した“極右党暴走対策”を紹介する。

 まず、閣僚リストを一瞥すると驚く。閣僚ポスト数こそ国民党は8閣僚で自由党より2つ多いが、財務省、法務省以外は重要なポストはない。一方、自由党は外務省、内務省、国防省、そして社会省と4つの主要閣僚ポストを得ている。新外相のカリン・クナイスル女史(52)は外部から抜擢されたが、自由党が推薦した人物だ。

 国内に極右政党「国民戦線」を抱えるフランスでは、クルツ新政権で自由党が内務省と国防省の両方を握ったことに強い警戒心を吐露している。当然の懸念だろう。クルツ新首相はその懸念を深刻に受け取り、手を打っている。クルツ新政権にはヘルベルト・キックル内相(49)のもと国民党からカロリーネ・エドッシュタドラー女史(36)を次官として配置している。

 自由党のブレインと呼ばれ、イェルク・ハイダー時代(1986〜2000年)、ハイダー党首の演説を書き、ハインツ・クリスティアン・シュトラーヒェ党首(48)が就任した後も自由党の政治路線から選挙戦まで組織化し、主導してきた人物だ。オーストリア・メディアによると、新内相にはネオナチ系人物との接触があるという。
 そこでクルツ氏は内務省に国民党の次官を配置し、キックル内相の独走を監視する狙いがあるわけだ。これが極右党暴走対策のナンバー1だ。

 連立交渉でクルツ氏が自由党側に強く要求した点はEU離脱を要求しないこと、カナダEU包括的経済貿易協定(CETA)に反対しないことだ。ブリュッセルの最大の懸念は自由党の反EU路線だからだ。その代わり、クルツ氏は愛煙家で知られているシュトラーヒェ副首相の要求を受け入れ、既に前政権で決定していた禁煙法の施行を断念している。これがナンバー2の暴走阻止対策だ。

 それだけではない。クルツ氏はEU問題は連邦官房省の管轄に置き、クルツ氏の最側近、ゲルノート・ブリュ―メル官房長官(36)がEU問題を取り扱う。自由党が反EU路線に走るのを避けるためだ。新外相は外部からだが、EUの懸念を払拭するための予防策だ。対策ナンバー3だ。

 なお、国民党と自由党の連立交渉が始まると、バン・デア・ベレン大統領は、「一つの政党が内務省と法務省の2省を握らないこと、過去にネオナチ的発言や外国人排斥などを発言した政治家は閣僚に就任させないことという条件を提示した。クルツ氏は大統領の願いを受け入れ、内務省は自由党に与えたが、法務省は国民党が握っている(ジョセフ・モーザー氏、62)。対策ナンバー4だ。

 クルツ政権で内相と国防相が自由党の手にあることに不安をもつ声はあるが、キックル内相には先述したように国民党からの次官をつけている。オーストリアは中立国家ということもあって、マリオ・クナゼク国防相(41)にはあまり大きな権限はない。主要課題は警察と連携して殺到する難民のコントロールと、国境線監視に限られている。軍部の不穏な動きといったことは現時点では考えられない。その意味で、自由党が内相と国防相の2ポストを占めたことに対する不安は杞憂だ。ただし、治安関連閣僚を極右政党が握ったという“事実”は新政権にとっていいイメージとはならない。

 31歳のクルツ新首相は極右政党自由党と連立を組んだが、自由党の暴走、脱線を防ぐために対策をそれなりに打ってきているわけだ。若い首相だが、抜け目がない。

新政権「イスラム北上を阻止せよ」

 オーストリアで18日、中道右派「国民党」と極右政党「自由党」から成る新連立政権が正式に発足する。同日午前、大統領府でバン・デア・べレン大統領のもと新閣僚たちが宣誓式をした後、新政権はスタートする。

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▲カーレンベルクのポーランド教会正面にあるポーランド王ヤン・ソビエスキーの記念碑(ウィキぺディアから)

 新政権は31歳の最年少首相に就任したセバスチャン・クルツ首相(国民党)とハインツ・クリスティアン・シュトラーヒェ副首相(自由党)のもと14人の大臣、2人の次官から構成されている。国民党出身の首相は11年ぶり、国民党と自由党の連立は通算、3回目となる。前の政権では自由党内の政争もあって任期を全うできずに終わった。今回は5年の任期だ。

 ところで、両党の党首は16日、連立政権の主要課題と政策を明記した政府プログラムを公開した後、記者会見に応じたが、興味深い点は、この記者会見が市内のホテルではなく、郊外のウィ―ンの森にあるカーレンべルク(Kahlenberg)で開催されたことだ。そこはオスマン・トルコの北上で窮地に陥った欧州諸国がポーランド王などの援助を受け、キリスト教軍を形成してオスマン・トルコ軍の北上を阻止した歴史的な場所だ。 

 同国は過去2回、オスマン・トルコから侵入を受けた。1529年と1683年だ。特に、後者(第2次ウィーン包囲)では、北上するトルコ軍にオーストリア側は守勢を余儀なくされ、ウィーン市陥落の危機に直面した。皇帝レオポルト1世の支援要請を受けたポーランド王ヤン・ソビエスキーの援軍がなければ、危なかった。ウィーンがトルコ軍の支配下に陥っていたら、オーストリアはイスラム圏に入り、キリスト教文化は消滅していたかもしれない。その意味で国民党と自由党が新連立政権の政府プログラムと閣僚リストを公表する記者会見の場所にカーレンベルクを選んだという事実は非常に意味深いわけだ。

 極右自由党は反難民政策を掲げ、“オーストリア・ファースト”を標榜する政党であり、最年少首相という名誉を得たクルツ新首相はその厳格な難民政策で欧州政界で名を成した若き政治家だ。2015年に中東・北アフリカから難民が欧州に殺到していなかったならば、両政治家は10月の総選挙で大躍進は難しかったかもしれないし、特に、クルツ首相が首相のポストを得るまであと数年は待たなければならなかっただろう。難民の殺到は両政治家を大躍進させた最大の主因だったことは疑いない。

 その両政治家が新政権のプログラムをカーレンベルクで最初に公表したということは、「欧州をイスラム化から防ぐ」という象徴的なデモンストレーションと受け取って大きな間違いではないだろう。

 ポーランドのモラウィエツキ新首相は今月、就任直後の記者会見で「欧州の再キリスト教化」をその主要目標に挙げている。スロバキアのロベルト・フィツォ首相も難民殺到の収容問題で「わが国はキリスト教徒の難民しか受け入れない」と宣言。ハンガリーのビクトル・オルバン首相は「欧州のイスラム化を阻止すべきだ」と強調している、といった具合だ。欧州連合(EU)の東欧加盟国はイスラムの北上に強い不安と恐怖を感じている。

 オーストリアは冷戦時代、200万人以上の難民を受け入れ、「難民収容国家」と呼ばれたが、同国は今日、中東・北アフリカから殺到するイスラム系難民の受け入れや不法移民に対して欧州で最も厳格な国になろうとしているわけだ。

最年少首相と極右党の新連立発足

 オーストリアで国民議会(下院、定数183)選挙後、連立交渉を続けてきた中道右派「国民党」のセバスチャン・クルツ党首と極右政党「自由党」のハインツ・クリスティアン・シュトラーヒェ党首は15日、「連立交渉は成功裏に終わった」と述べ、連立政権の発足で合意したことを明らかにした。

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▲国民党と自由党、連立政権発足で合意(2017年12月15日)=「自由党」公式サイトから

 10月15日の国民議会選で国民党はこれまで第1党だった社会民主党(ケルン党首)を抜いて第1党に復帰し、自由党は得票率約26%で第3党に躍進。国民党と自由党両党からなる新政権は議会で113議席を占める安定政権となる。なお、国民党から首相が出るのは11年ぶり。

 国民党はメルケル独首相の政党「キリスト教民主同盟」(CDU)の姉妹政党。2015年に中東・北アフリカから大量の難民が欧州に殺到した時、メルケル首相は当初、難民歓迎政策を実施したが、隣国オーストリアの31歳のクルツ外相(当時)はいち早く難民が殺到するバルカンルートの閉鎖、監視の強化に乗り出した。難民対策で意見が分かれていた欧州連合(EU)でもクルツ党首の難民政策を評価する声が高まっていった。ラインホルト・ミッテルレーナー党首が今年5月突然辞任すると、クルツ氏は国民党党首に就任し、国民的人気をバックに総選挙で国民党を第1党に押し上げた。

 一方、自由党は“オーストリア・ファースト”を掲げ、厳格な反難民政策を主張し、EUに対しても批判的な声が強かったが、英国に倣ってEUを離脱する案は撤回。同党はイェルク・ハイダー前党首時代、反ユダヤ主義を標榜し、ネオナチ政党というレッテルが貼られたが、シュトラーヒェ党首時代に入り、反ユダヤ主義を修正し、同党首自身がイスラエルを訪問するなど党の極右イメージの是正に乗り出してきたばかりだ。

 クルツ新政権は18日、大統領府でバン・デア・ベレン大統領のもと宣誓式を行った後、正式に発足する。オーストリア国営放送によると、新政権は14閣僚から構成され、8閣僚が国民党から、6閣僚ポストは自由党から出る。自由党は外相、内相、国防相、社会相など主要ポストを得る。

 「緑の党」出身のバン・デア・ベレン大統領はクルツ党首に法務省と内務省を同一の政党(この場合、自由党)に渡さないように要請する一方、ネオナチ的言動の自由党政治家の閣僚入りには反対する意向を伝えてきた。欧州では極右の自由党参加の連立政権に対し、批判的な声が挙がっているからだ。新政権で内相と国防相が自由党の手に渡ることに警戒心の声が既に聞こえる。また、EU本部ブリュッセルからは、反EU路線を主張してきた自由党の政権参加に警戒心はある。それに対し、クルツ党首は連立交渉の中で外務省を自由党に委ねるが、欧州問題担当は首相府が主管する体制を取り、自由党がEU政策を主導することを避ける考えだ。

 国民党と自由党の連立政権は今回で3回目。シュッセル首相の国民党と自由党の連立政権が2000年に発足した時、欧州諸国から「極右政党の政権参加」に強い批判が生まれ、EU加盟国はオーストリア新政権への制裁を実施したほどだ。ただし、自由党のクルツ政権参加に対しては一部批判が聞こえるが、シュッセル政権当時と比べると、その声は小さい。

 連立交渉では、企業の税負担の軽減、大学の学費再導入、一日の最大労働時間12時間など新しい政策を実施することで合意している。野党に下野した社民党などから反対が予想される。

 31歳のクルツ党首は欧州最年少の首相となる。新政権(任期5年)には専門家と女性閣僚が多いのが特長だ。若いクルツ党首が自由党に振り回されることなく、その政治手腕を発揮できるかが注目される。一方、自由党はその政務能力が問われる機会となる。欧州の他の極右政党への影響も無視できない。

極右党「エルサレム首都」を支持

 イスラエルの首都をエルサレムとするトランプ米大統領の発言は単に中東・アラブ諸国だけではなく、世界各地で抗議のデモが行われている。アラブ連盟は9日、カイロで緊急外相会議を開催し、「エルサレムのイスラエルの首都認定は国際法に違反する」として、トランプ大統領に再考を促すアピールを宣言している。パレスチナ自治政府のマフムード・アッバース議長は今月中旬に予 定されたマイク・ペンス米副大統領との会談をキャンセルするなど、米政府へ不満を表明している。

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▲国民党のクルツ党首(右)と連立交渉する自由党のシュトラーヒェ党首(左)=オーストリア自由党の公式サイトから

 一方、トランプ大統領の発言を、「歴史的な日だ。トランプ氏の名はイスラエルの歴史に刻み込まれるだろう」と高く評価したイスラエルのネタニヤフ首相は10日、パリでフランスのエマニュエル・マクロン大統領と会談し、翌日11日にはブリュッセルに飛び、欧州連合(EU)外相会議に参加し、イスラエルの立場を説明する外交に乗り出している。ちなみに、国内で汚職問題で追及されている同首相の支持率はトランプ氏の発言以来、上昇してきたという。

 ところで、アルプスの小国オーストリアでもトランプ大統領のエルサレム発言は国際面のトップ・ニュースとして報じられている。同国では社会党(現社会民主党)単独政権時代、クライスキー首相(当時)は中東の和平調停役を演じて世界にその名を広めたことがある。中立国で地理的に東西両欧州の架け橋的な位置にある同国は過去、中東問題の調停工作に関与してきた実績がある。

 オーストリアで10月15日に実施された国民議会選で第1党となった中道右派「国民党」と第3党の極右政党「自由党」の連立交渉が現在進行中で、クリスマス前には2党による連立政権が発足する予定だが、自由党のハインツ・クリスティアン・シュトラーヒェ党首は同国メディアとのインタビューの中で、トランプ大統領のエルサレム首都認定発言に触れ、「イスラエル国会や官庁が既にエルサレムにある。エルサレムをイスラエルの首都と見なすことにはまったく障害はない」と説明し、他の欧州諸国も大使館をエルサレムに移転するべきだと提案して注目された。ただし、同党首は、「わが国は中立国だから単独で大使館をエルサレムに移動させる考えはない。EUの加盟国と協議して決めるべきだ」と述べている。

 同党首は、「イスラエルとパレスチナ問題の和平外交は過去、成果をもたらさなかった。だから、従来の政策を変えなければならない」と指摘している。なお、自由党は国民党との連立交渉で外相候補に著作家のカリン・クナイスル女史を推薦している。同女史は中東問題の専門家で、アラブ語ばかりか、ヘブライ語にも通じている。同党首は「彼女は将来、女性のクライスキーと呼ばれるかもしれない」と述べ、中東和平への積極的外交の夢を描いている。

 なお、自由党はイェルク・ハイダー党首時代(1986年9月〜2000年)、反ユダヤ主義的発言が飛び出し、批判されたことが多かった。ハイダー党首はリビアのカダフィ大佐の息子セイフ・アル・イスラム・カダフィ氏をオーストリアに招くなど交流を深め、親アラブ政策を展開させた。しかし、シュトラーヒェ党首時代になると、イスラエル政府との交流を積極的に行い、同党首自身もイスラエルを訪問し、反ユダヤ主義とは距離を置く路線を展開させている。

 反ユダヤ主義的傾向が強く、ネオナチ政党といわれた自由党が今、他の政党に先駆けてイスラエルの首都エルサレムを支持しているわけだ。自由党が変わったからというより、中東・アラブの政情が大きく揺れ動いてきた結果というべきかもしれない。

オーストリア、同性婚を承認へ

 オーストリア憲法裁判所は5日、同性愛者の婚姻を2019年1月1日から認知すると発表した。同国では2009年、「登録されたパートナーシップ」が導入され、その翌年から施行されたが、同性婚は認められなかった。
 憲法裁判所は同性婚認知の理由として、「同性と異性間の婚姻に対する異なった対応は差別禁止法に違反する」と説明し、関連法の改正後、19年1月1日付で同性婚を認めるという。欧州ではこれまで15カ国が同性婚を認知している。

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▲ウィ―ン市庁舎前広場のクリスマス市場風景(2017年12月2日 撮影)

 同性婚認知のニュースは社会民主党、「緑の党」、ネオスなど政党が次々と歓迎を表明する一方、国民党と連立政権に参加予定の極右政党「自由党」は批判し、国民党に対しても「反対せずに黙認している2重政策だ」と指摘する声が出ている。
 一方、同国の主要宗教、ローマ・カトリック教会最高指導者、シェーンブルン枢機卿は「最高裁判官が婚姻について正常な理解を失ったことに驚かざるを得ない。婚姻は男性と女性の間の自然な結び付けだ。子供も産み、新しい世代を継承していく。裁判官は結局、社会の秩序を破壊することになる」と異例の厳しい批判声明を公表している。

 憲法裁判所の今回の決定の直接の契機は、「登録されたパートナーシップ」の2人の女性が同性婚を申請したが、ウィ―ン市と行政裁判所から拒否されたことにある。それを受け、憲法裁判所がその是非の検証に乗り出していた。同時に、「登録されたパートナーシップ」が養子縁組できるなど通常の婚姻の立場と酷似してきたこともあって、「登録されたパートナーシップの法的意味が薄れてきた」という事情があるという。

 欧州では2001年、オランダが世界で初めて同性婚を認知。その後、ベルギー、スペイン、ノルウェー、スウェ―デン、ポルトガル、アイスランド、デンマーク、フランス、英国、ルクセンブルク、アイルランド、フィンランド、マルタ、ドイツがこれまで同性婚を認めている。養子権も認めている国は、オランダ、デンマーク、英国、ドイツなど8カ国だ。ちなみに、ロシアやハンガリーなど東欧諸国は同性婚を認めていない

 北米では、カナダが2005年、そして米国が2015年、オバマ政権下で連邦最高裁が公認した。それまでは米国50州の中で14州が禁止してきた。南米ではアルゼンチン、ウルグアイ、ブラジル、コロンビアの4カ国、アジアでは台湾が今年5月、認知したばかりだ。イスラエルでは同性愛者の養子権は認めているが同性婚は認めていない。だが、海外で婚姻した場合は許可している。オセアニアではニュージランドが13年に認めた。オーストラリアは今年11月、国民投票を実施し、同性婚認知派が多数を占めたばかりだ。アフリカでは南アフリカだけだ。同国は2006年に既に同性婚を認めている。なお、インドは同性婚を禁止し、イスラム教圏では禁止、ないしは死刑などの刑罰を科している。

 同性婚推進派は、「同性婚を認めている欧州諸国は政治的理由に基づいて、同性愛者の婚姻を認知してきたが、オーストリアの場合、同性婚を禁止する法を破棄し、同性婚者の人権を容認する立場からの同性婚を認知した。欧州で初めてのことだ」とその意義を強調する。

 なお、オーストリア国民議会は今年6月、同性婚認知について協議したが、国民党と自由党が同性婚に反対して暗礁に乗り上げていた。それに先立ち、ドイツ連邦議会(下院)で6月30日、同性愛者の婚姻を認める法案(全ての人のための婚姻)の採決が実施され、賛成393票、反対226票、棄権4票と賛成多数で可決されている。

 キリスト教文化圏に属する欧州で次々と同性婚が認知されていくことに、当方はやはり危機感を感じている。日頃外交的な発言に終始し、はっきりと是非をいわないシェーンブルン枢機卿が今回、同性婚に反対の立場を強くアピールしたことは評価できる。

ウィ―ンで展開された「北」工作活動

 ‖膣攅匐機爆発テロ事件が発生して今日で30年目を迎える。死者115人を出した同テロ事件は音楽の都ウィ―ン経由で始まった。ウィーン市立公園からリンクを渡ると「ホテル・アム・パークリング」が見える。爆発テロ事件の実行犯の2人、金勝一と金賢姫は犯行前に同ホテルに宿泊している。

 2人は同ホテルに5日間、宿泊した後、ウィーンからベオグラードへ旅立つが、ウィーンでは大韓航空858便爆発後の逃避のための航空チケットを購入する一方、ウィーン旅行をする日本人親子の役割を演じている。ちなみに、金勝一は犯行後、バーレーンで服毒自殺、爆発事件後拘束された金賢姫は1990年4月12日、大統領特別赦免を受けている。

 同テロ事件を受け、米国は翌年1988年1月20日、北朝鮮をテロ支援国家に指定した。ブッシュ政権は2008年10月、テロ支援国家指定を解除したが、トランプ米大統領は今月20日、約9年ぶりに再指定したばかりだ。

 ∨鳴鮮の欧州唯一の直営銀行「金星銀行」(ゴールデン・スター・バンク)がウィーンで1982年開業された。「金星銀行」の開業を支援したのはオーストリアのクライスキー社会党(現社民党)単独政権だった。同銀行には不法武器密輸や核関連機材取引に関与しているという疑惑が度々浮上したが、社会党政権の加護もあって、大きな政治問題とはならなかった。しかし、オーストリアで2000年2月、親米派の国民党主導のシュッセル政権が発足して以来、米国による「金星銀行」壊滅作戦が本格的に始まった。
 同銀行は北朝鮮の欧州工作の経済的拠点として利用され、北の麻薬密輸、ミサイル輸出、偽造米紙幣などの工作にも深く関与してきたことはこのコラム欄でも度々紹介した。

 同銀行は2004年6月末、北側が自主的に営業停止して、銀行の歴史に幕を閉じたことになっているが、真相は異なっている。北が活用した「金星銀行」を営業停止に追い込んだのは米国中央情報局(CIA)と米国家安全保障局(NAS)の工作、オーストリアの当時のシュッセル政権の連携によるものだ。

 「金星銀行」が不法な経済活動を実施していることを掴んだCIAはシュッセル政権にその証拠書類を提示、銀行の閉鎖を要求した。CIAが提示した書類の中にはオーストリアの政治家たちが北側を支援してきたことを示すものも含まれていた。

 米国がそれらをメディアにリークする危険性があることを知ったシュッセル政権は米国側の要求に応じ、銀行の閉鎖を決定し、財務省独立機関「金融市場監査」(FMA)に「金星銀行」の業務監視を実施させた。米国が不法経済活動の証拠をつかんだことを知った北側は、強制閉鎖に追い込まれる前に自主的に営業を停止したというわけだ。


 大韓航空機爆発テロ事件の犯人2人は1984年8月にもハンガリーから車を利用してウィーン入りしている。ウィーンについて、金賢姫はその著書「いま、女として」(文藝春秋社)の中で「はじめてのウィーンの町は、ひたすら緊張を強いられる不慣れな町でしかなかった。特別な感銘を受ける心の余裕などまったくなかった」と記している。

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▲「金星銀行」の幹部、権栄録氏(ウィ―ンの北朝鮮大使館の中庭で撮影)

 「金星銀行」の責任者だった権栄緑(コン・ヨンロク)氏は2009年末、平壌に帰国したが、ウィ―ン駐在期間、ウィーン市1等地にあるカジノによく通っていた。彼は結構、ウィーン時代を堪能していたわけだ。

クリスマス市場が狙われている!

 欧州にクリスマス・シーズンがやって来た。アルプスの小国オーストリアでもクリスマス市場は既にオープンしている。子供たちやキリスト教会関係者だけではない。大人たちもなぜか心をワクワクし仕事帰りに市場を訪れ、プンシュ(ワインやラム酒に砂糖やシナモンを混ぜて暖かくした飲み物)を傾ける、といった風景が見られる。

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▲ベルリンのクリスマス市場にトラックが乱入(独民間放送N−TVの中継放送から、2016年12月19日)

 ところで、そのクリスマス市場がいま、危ないのだ。具体的にいえば、イスラム過激派テログループによって狙われているという情報が欧州の治安情報機関筋から流れている。


 例えば、ドイツでクリスマス市場を狙ったテロ計画が発覚し、6人の容疑者が拘束されたばかりだ。ヘッセン州ラジオ放送が21日、捜査当局筋で報じたところによると、テロ対策特殊部隊が同日早朝、カッセル、ハノーバー、エッセン、ライプニッツでイスラム過激派テロリストの住処と思われる家屋に突入、6人のイスラム過激派を逮捕したという。彼らは20歳から28歳のシリア人でエッセン市のクリスマス市場襲撃を計画していたという。治安関係者は過激派の名前や身元を公表していない(後日、爆発物や銃などの物的証拠が見つからなかったことから、警察側は6人を釈放している)。


 クリスマス市場を狙ったテロ襲撃事件は昨年12月19日、ドイツの首都ベルリンで発生している。ベルリン市中央部にある記念教会前のクリスマス市場で1台の大型トラックがライトを消して乱入し、市場にいた人々の中に突入し、12人が死亡、53人が重軽傷を負う事件が発生した。犯人はチュニジア人のアニス・アムリ容疑者(24)で昨年2月からベルリンに住んでいた。


 アムリ容疑者は犯行直後、列車でオランダ経由でフランス東部リヨン市、シャンベリに入り、そこからローカル列車に乗り換え、イタリアのトリノに逃避行を続けたが、2人のイタリア警察に職務質問を受け、撃ちあいとなり、最後は射殺された。クリスマス市場テロ事件はドイツ国民に大きな衝撃を投じたことはまだ記憶に新しい。


 ちなみに、クリスマス市場ではないが、スペインのバルセロナで今年8月17日、白いワゴン車が市中心部の観光客で賑わうランブラス通りを暴走し、少なくとも13人が死亡、100人以上が負傷するなど、OECD(経済協力開発機構)加盟国で少なくとも13件の車両を利用したテロ事件が起きている。そこでクリスマス市場の入り口に車両が侵入しないように、「アンチ・テロ壁」や「ボラード」(車止め、動力によって自動的に昇降するライジング・ボラードも含む)を設置する都市が増えてきた。


 テロ専門家のニコラス・シュトクハマー氏はオーストリア日刊紙エスターライヒ(11月22日)でのインタビューで、「車両がクリスマス市場に突入することを防止する対策が取られてきているが、テロリストたちは爆弾を製造し、それをクリスマス市場で爆発させる計画を考え出しているから、要注意だ」と警告を発している。
 同氏によれば、「ISはシリアやイラクで領土を失ったが、ジハード(聖戦)で訓練されたイスラム過激派が欧州に戻ってきている。彼らは欧州を次の戦地と考え、さまざまなテロ工作を計画している。彼らは聖戦で訓練されたプロのテロリストだ」という。

11歳の難民の少年が自殺した

 オーストリア北東部ニーダーエスターライヒ州のバーデンでアフガニスタン出身の11歳の難民少年が自殺したことが明らかになった。難民収容側に落ち度がなかったかなどについて、国民保護官(Volksanwaltschaft)が調査に乗り出している。

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▲ドイツ行の列車を待つ難民家族(ウィーン西駅構内で、2015年9月15日撮影)

 保護者のいない少年は今年2月から6人の兄弟姉妹と共にバーデンの難民収容施設に住んでいた。少年たちが収容された施設は看護などが必要な難民を収容する場所だ。少年の弟がダウン症候群だったからだ。同施設では24時間体制で収容者を加護できる。同時に、ダウン症候群の子供を持つ家族へのヘルプ体制も整っている施設だ。

 少年は11月12日死亡したが、自殺の詳細な背景は明らかにされていない。メディア情報では、11歳の少年はダウン症候群の9歳の弟を世話したり、他の兄弟姉妹を助けていた。最近、万引きで捕まったことがあったという。

 問題点は、7人の兄弟姉妹で最年長の23歳の兄に監護が委ねられていたことだ。だから「23歳の青年にとってその役割は重荷過ぎたのではないか」という声が聞かれるのは当然だろう。保護者がいないため、23歳の兄にObsorge(監護権)が認められ、難民収容施設関係者はこれまで問題はないと受け取ってきたわけだ。

 国民保護官は施設関係者の発言だけではなく、独自調査を始めているという。通常、親戚関係者、兄弟や叔母たちが未成年者の監護権を引き受ける。11歳の少年の自殺後、23歳を含め他の兄弟姉妹はバーデン外に住む親せき関係者に預けられている。兄弟姉妹を引き取った親戚関係者がなぜ監護の責任を最初から担うことが出来なかったか、という疑問が沸いてくる。

 ちなみに、保護者がいない未成年者の難民の監護権問題は今回が初めてはない。アフガン出身の18歳の少年ががんに冒された2人の姉妹の監護人となったケースが報告されている。

 欧州には2015年夏以降、100万人を超える難民が北アフリカ・中東諸国から殺到し、欧州各国はその収容問題に追われた。殺到する難民たちの中には、両親を伴わず、旅券や関連書類すら所持しない未成年者も少なくなかった。「セーブ・ザ・チルドレン」によると、約2万6000人の子どもが家族の同伴なく欧州に到着している。

 オーストリアのメディアは11歳の難民少年の自殺ニュースを大きく報道した。欧州メディアによれば、保護者のいない未成年者が犯罪組織によって性的搾取されているケースがあるという。保護者のいない未成年者の難民の収容について、国際社会はもっと関心と配慮を注ぐべきだろう。

北の亡命兵士事件で思い出すこと

 北朝鮮人民軍兵士が13日午後3時過ぎ(現地時間)、南北軍事境界線を越えて韓国側に亡命するという事件が発生した。朝鮮半島が北の核実験・ミサイル発射問題で緊迫しているだけに、韓国側は兵士の亡命に対する北側の報復行動を警戒、監視を強めている。

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▲インタビューの応じる脱北者、元北朝鮮人民軍第5部隊の小隊指揮官の金主日氏(2016年6月5日、ウィ―ン市内で撮影)

 韓国からの情報によれば、亡命兵士は車で境界線に向かったが車は溝に落ちたため、走って韓国側に行き、北軍から発砲を受け、負傷した。亡命兵士は現在、緊急手術を受けているという。

 このニュースを読んで、冷戦時代の1980年代、チェコスロバキアの2人の国境兵士のオーストリア亡命事件を思い出した。オーストリア通信社の速報でチェコ国境兵士の亡命事件を知った当方は当時、予定を変更し、車でチェコ・オーストリア国境線に向かった。亡命兵士は既にオーストリア側の保護下にあり、兵士の姿はなかったが、周辺の住民に亡命時の状況を聞いたりしたことを思いだす。
 国境兵士がオーストリ側に亡命する事件はめったにないだけに、国民の亡命とは違い、兵士の亡命事件は当時旧ソ連・東欧共産政権の威信をつぶし、大きなダメージを与えた。同じことが、今回の北軍兵士の亡命事件でもいえるだろう。

 冷戦時代、ソ連・東欧共産政権からオーストリアに200万人以上の亡命者が逃げてきて、収容された。だから、ウィ―ンにはオーストリアで国籍を取り、定着した元亡命者やその家族が多く住んでいる。名前を聞けば、ドイツ名ではないので直ぐに分かる。

 冷戦時代、当方は旧ソ連・東欧から逃げてきた多数の亡命者にインタビューした。その後は脱北者との会見の機会も得たし、中国の反体制派活動家たちとも会って話した。国は違うが、彼らはいずれも共産主義政権下で生きてきた人々だ。

 ロシア革命から今年11月で100年目を迎えた。共産主義世界の回顧記事がメディアを賑わせているが、共産主義は非人間的思想であり、その政権下で多くの人々が犠牲となり、粛清されていった。亡命者の存在がその実態を端的に物語ってきた。
 当方はこのコラム欄で「『共産党』を“誤解”している友へ」(2015年11月8日参考)と書いて、共産主義思想に今なお淡い希望を抱く日本の知識人に警告を発したことがある。

 「労働者の天国」、「階級の格差のない社会」、「平等で公平な社会」の建設を叫びながら、なぜ共産主義政権が人権弾圧、圧政で一党独裁政権となり下がったかを考える機会とすべきだろう。

 共産主義思想は神を否定し、「宗教はアヘン」として無神論唯物史観を構築し、労働者の天国を標榜したが、その思想構造はキリスト教の救済論に酷似している。「共産党」の独裁者を“救世主”と仰ぎ、「労働者」を“選民”とし、革命を主導し、最終的に“神の国”の「共産主義唯物世界」を築いていくというわけだ。共産主義思想があれほど宗教を敵視したのは、その思想自身が宗教イデオロギーだったからだ。故金日成主席が提唱した主体思想は似非宗教イデオロギーだ。

 ちなみに、旧ソ連・東欧共産圏が崩壊して既に27年余りが経過するが、共産主義の世界観は以前、その残滓を残し、一部では復興の兆しすら見せてきている。なぜか。共産主義思想が正しいからではなく、神を信じる民主主義世界が神を失い、席巻する物質主義の前にその価値観を失ってきたからだ。

 いずれにしても、北軍兵士の亡命事件は金正恩政権の崩壊がもはや遠い先のことではないことを示している。
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