ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

オーストリア

女性党首は社民党を救えるか?

 オーストリア野党第1党社会民主党(前身社会党)に130年の党の歴史で初の女性党首パメラ・レンディ=ワーグナー氏(47)が誕生した。オーバーエスターライヒ州ヴェルズで24日開催された社民党(SPO)大会で97・8%の支持を得て、ケルン党首の後継者に選出された。レンディ・ワーグナー新党首は、「党員の支持に感謝する。党員一人ひとりの支持は私にとって燃料だ。私はこれから国民のために走りだす。共に走ってほしい」と述べ、「わが国の初の女性首相を目指す」と宣言し、大拍手を受けた。

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▲97・8%の支持で党首に選出されたパメラ・レンディ=ワーグナーさん(2018年11月24日、社民党党大会で、SPO公式サイトから)

 隣国ドイツでも半年前、社民党(SPD)にアンドレア・ナーレス党首(48)がこれまた党の初の女性党首となったばかり。ドイツとオーストリア両国の社民党で女性党首の誕生ということになったわけだ。

 両国の社民党の共通点は初の女性党首の誕生だけではなく、選挙の度に得票率を失い、低迷状況に苦しんでいることだ。そこでもはや男性に党首は務まらないというわけで、女性を党のトップに担ぎ出したという事情も似ている。「労働者の味方」を標榜してきた社民党で女性党首が果たして党再生の救世主となれるだろうか。

 SPDの現状はもはや目を覆うばかりだ。ドイツ連邦議会(下院)選挙を含む選挙と呼ばれる選挙の度に得票率を落としてきた。欧州議会議長を5年務めてきた希望の星、シュルツ氏が党首に選出されたが、SPDの低迷傾向にストップをかけるどころか、さらに悪化させて1年余りで党首の座をナーレス現党首に譲ってしまった経緯がある。

 SPD初の女性党首に就任したが、ナーレス党首は党の低迷を止めることはできない。SPDは10月14日のバイエルン州議会選では第5党となり、「ドイツのための選択肢」(AfD)の後塵を拝したばかりだ。連邦議会選後、SPDは下野する予定だったが、結局、メルケル首相の誘いに乗って第4次メルケル政権のジュニア政党の地位に甘んじることになった。

 一方、SPDの姉妹政党、隣国オーストリアの社会民主党(SPO)にも同じ傾向が見られる。ファイマン首相(当時)が2016年5月辞任し、実業家のケルン氏が新党首、首相に就任したが、昨年10月15日の総選挙で現クルツ首相が率いる国民党に敗北し、政権を失った。下野したケルン党首は今年9月、突然、政界からの引退を宣言し、レンディ=ワーグナー女史(前政権で保健相歴任)が初の女性SPO党首に選出されたというわけだ。ドイツのSPDとオーストリアのSPOは国こそ違うが、同じプロセスを歩んでいる。

それでは党の初の女性党首は社会民主党を再び生き返らせることができるか。SPDの場合、複数の世論調査を見る限り、現時点ではユートピアに過ぎない。総選挙が実施されたならば、SPDはAfDの後塵を拝するのはほぼ間違いない。だから、ナーレス党首はメルケル首相の与党「キリスト教民主・社会同盟」(CDU/CSU)との大連立政権を破棄できない。現時点で早期選挙に打って出るのは自滅行為以外の何物でもないからだ。

 一方、SPOはどうだろうか。誰が党首となっても現時点ではクルツ首相を破り、第1党になることは非現実的だ。ケルン前党首が政界から引退して再び実業界に戻る最大の理由は、「あと8年以上、野党党首としていたくないからだ」といわれる。それほどクルツ首相の国民的人気は高い。スキャンダルや不祥事が起きない限り、再選は確実と予想されている。だから、SPOに女性党首が担ぎ出されたとしても状況に大きな変化は期待できないのだ。

 SPDとSPOの女性党首は目下、来年の欧州議会選に焦点を合わせて戦っていく意向だ。ドイツとオーストリアの社会民主党は「労働者の政党」から「中産階級の政党」に脱皮し、再生を目指していくが、前途は決して明るくはない。

 地元のSPOに戻る。レンディ=ワーグナー新党首は党大会で党の基本計画を公表し、承認された。その内容は▲労働時間の短縮、▲富の公平な分割と連帯、▲最低賃金1700ユーロ、▲高騰する家賃対策のほか、医者出身らしく▲医療対策の充実を挙げていた。また、国連「移民協定」に参加を拒否したクルツ政権への批判といったところだ。

 「公平で平等な社会建設」を主張し、「労働者の天国」を標榜して生まれてきた共産主義社会は夢物語に終わったが、ワイルドな資本主義社会の問題が浮かび上がってきた今日、富の公平な分配と平等な分割など、社会主義的な主張が改めて叫び出されてきている。それだけに、社民党の役割は重要だ。

 SPO、SPDの女性指導者の持ち時間は決して多くないだろう。レンディ=ワーグナー党首が、「私は今日から走り出す。共に走ってほしい」と党大会で懸命にアピールしていたのが印象的だった。

退役陸軍大佐、ロシアに情報流す

 オーストリア連邦軍(Bundesheer)の退役陸軍大佐(70)が過去20年間以上に渡りロシア側にさまざまな情報を流していたことが判明し、セバスティアン・クルツ首相は9日、急きょ記者会見を招集し、説明に追われた。

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▲ロシアのスパイ活動を批判するクルツ首相(右クナセク国防相)(2018年11月9日、連邦首相府公式サイトから)

 マリオ・クナセク 国防相を伴って会見に現れたクルツ首相は退役陸軍大佐がロシア側に情報を提供していたという報道内容を認め、「スパイ活動は如何なる状況でも容認できない」と指摘、検察当局が元大佐に対し軍事情報の洩えい容疑で捜査を開始したこと、モスクワ側に説明を求めていることなどを明らかにした。

 5年前に退役した元大佐がどのような情報をモスクワに流していたかは今後の調査を待たなければならない。オーストリアのメディアによれば、元大佐はロシア側から報酬として30万ユーロを得ていたという。金銭が目的で政治的、思想的な背景はなかったという。

 ロシアのスパイ活動はオーストリアにとって珍しい出来事ではない。冷戦時代からオーストリアは地理的に東西両陣営の中間に位置していることもあって欧米と旧ソ連・東欧共産圏の間でスパイ合戦の舞台となってきた。

 今回の出来事では、「誰が」、「なぜこの時にメディアに流したか」という点に関心が集まっている。先ず「誰が」だが、クナセク国防相は記者会見で、「数週間前、外国情報機関筋から情報を得た」と述べていることから、米国家安全保障局(NSA)かその欧州パートナー、独連邦情報局(BND)からの情報ではないか。

 次は、「なぜこの時、西側の情報機関がロシアのスパイ活動をオーストリア側に通報したか」だ。クルツ政権は中道保守政党「国民党」と極右政党「自由党」の連立政権だ。特に、自由党は近年ロシアとの人的交流を頻繁に行ってきた。自由党が抜擢したカリン・クナイスル外相の結婚式(8月18日)にロシアのプーチン大統領が招かれ、同外相がプーチン大統領とダンスをしている写真が世界に流れたばかりだ。

 欧米諸国は、ウクライナ併合、元ロシア情報員の親子暗殺未遂事件(通称スクリパリ事件)に対し、ロシアに経済制裁を実施する一方、ロシア外交官の国外退去など厳しい対応を行ってきたが、オーストリアはロシア外交官の国外追放を拒否してきた経緯がある。それだけに、他の欧米諸国ではオーストリアの親ロシア政策に懸念の声が聞かれる。

 そのような状況の中、オーストリア連邦軍元大佐のスパイ活動が暴露されたわけだ。クルツ首相は、「制裁も重要だが、ロシアに常に対話の道を開いておく方が賢明だ」と主張し、ウィーンの対ロシア独自外交を弁明してきたが、対ロシア政策の見直しを強いられることは間違いない。なお、クナイスル外相は12月初めに予定していたモスクワ訪問を中止している。

 最後に、ロシアは何を狙っていたのかだ。元大佐によると、「ロシア側はオーストリア連邦軍内の情報や移民問題について関心があった」と述べているが、それだけではないだろう。オーストリアはバルカン情報のメッカだ。ボスニア紛争やコソボ戦争ではウィーンは東西の情報機関関係者にとって紛争勢力の情報が入ってくる貴重な拠点の役割を果たした。

 また、アルプスの小国オーストリアは中立国で北大西洋条約機構(NATO)には加盟していないが、オーストリア連邦軍将校たちがドイツやフランスの軍関係者と交流することで入手できる情報をロシア側は狙っていた可能性が考えられる。

 ちなみに、ロシアのスパイ活動はオーストリアだけではない。オランダのアンク・バイレフェルト国防相が今年10月明らかにしたところによると、オランダ・ハーグに拠点を置く化学兵器禁止機関(OPCW)でロシア連邦軍の情報機関、ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)のスパイ活動が発覚したばかりだ。

 なお、モスクワ外務省は9日、駐モスクワのオーストリア 大使を外務省に呼び、今回の不祥事の詳細を聞いている。セルゲイ・ラブロフ外相は「わが国に対するスパイ容疑は根拠のないものだ」と強い口調で反論する一方、記者会見でロシアのスパイ活動を公表したオーストリア側の外交を「マイクロフォン外交」と呼んで糾弾している。

クリスマス・ツリーも整形手術を

 クリスマス・シーズンの訪れを告げるクリスマス市場が欧州各地でオープンされるが、欧州最大のクリスマス市場と呼ばれるウィーン市庁舎前広場市場でも今月17日、ルドヴィック新市長を迎えオープンされる。それに先立ち、今月6日には同広場にクリスマス・ツリーが運び込まれ、2台のクレーン車に支えられ、立てられたばかりだ。

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▲ウィ―ン市庁舎前広場のクリスマス市場風景(2017年12月2日 撮影)

 ここまでは毎年みられるクリスマス前の風景だが、今年はちょっと違っていた。ウィーン市庁舎前広場に立ったクリスマス・ツリーを見た市民から「あれは何だ」、「枝も所どころ落ちている老木だ」といったクリスマス・ツリーへの批判の声が飛び出しているのだ。

 今年のクリスマス・ツリーはケルンテン州から運び込まれた松の樹で、高さ28メートル、樹齢150年だ。日刊紙エステライヒに掲載されていたクリスマス・ツリーを見ると、確かに松の枝はふさふさしている、というより、所々枝が落ちている。頭毛が落ちだした初老の男の頭を彷彿させる、といえば当たっているかもしれない。「ケルンテン州から車で運ばれる途中、枝が落ち、葉っぱがなくなったのだろう」と同情する声もあるが、1年で最大のイベント、クリスマス・シーズンを祝うのには相応しくない、というのがウィーンッ子の大方の反応のようだ。ちなみに、エステライヒ紙が実施した調査では、市民の88%が今年のツリーは「Flop」(ハズレ)という。

 と、ここまで書いて思い出した。クリスマス・ツリーへの批判はこれが初めてではないのだ。オーストリアはローマ・カトリック教国だが、その本場イタリアのローマでも昨年、同じような出来事があった。

 ローマのヴェネツィア広場に昨年、イタリア共和国トレンティーノ=アルト・アディジェ州トレント自治県の北東部に位置する谷、ヴァル・ディ・フィエンメ谷から採木された松が運び込まれたが、樹木の専門家がすぐにその松の木が既に枯れているのに気が付いたのだ。ローマまでの運送中に松の木が死んでしまったというのだ。「枯れ木のクリスマス・ツリーを飾ればローマの恥だ」といった声が当然出てきてブルジニア・ラッジ市長は批判されたわけだ。

 クリスマスはキリスト教の2000年前の救世主イエス誕生を祝うものだが、クリスマス市場が毎年開かれるようになったのは決して大昔ではない。ましてや、クリスマス・ツリーを飾るといった風習も近年に入ってからだ。プレゼント交換となれば、最近の話だ。クリスマス・ツリーがなくてもいいわけだが、そこはイベントだ。きれいに飾ったクリスマス・ツリーの下にプレゼントを準備してクリスマスの日を迎えたい、というのがキリスト教社会に生きる欧州の平均的家庭の願いだ。

 クリスマス・ツリーの外貌には「ああだ、こうだ」と文句を言う反面、クリスマス本来のイエスの誕生とかその生涯への関心は年々薄れてきている。「教会は?」となれば状況はもっと深刻だ。聖職者の未成年者へ性的虐待事件の多発で教会への信頼は失われ、信者の教会離れは増えている。幼児洗礼の数でようやく信者数を維持するだけで、日曜日ミサに参加する信者は老人層に限られてきた、というのが欧州キリスト教会の現実だろう。

 「だからこそ」というのかもしれない。クリスマス・シーズンぐらい華やかに祝いたい、というのが欧州人の偽りのない心境だろう。クリスマスから「イエスの生誕」という話を引き離し、「ウインター市場(冬の市場)に呼び方を変えるべきだ」という声まで聞かれる。

 ウィーンでは今年、オープンされるクリスマス市場は市庁舎前広場を含め約20カ所だ。クリスマス市場では子供連れの夫婦や若いカップルが店のスタンドを覗きながら、シナモンの香りを放つクーヘン(焼き菓子)やツリーの飾物を買ったり、クリスマス市場で欠かせない飲物プンシュ(ワインやラム酒に砂糖やシナモンを混ぜて暖かくした飲み物)を飲む。クリスマス・シーズンの雰囲気は否が応でも盛り上がる。やはり、ウィーン市民はプンシュを飲まないではクリスマスを迎えられないのだ。

 “禿だ”とか“枯れ木”と批判されているツリーも夜になれば2000本のLEDの光を受けて浮かび上がり、美しい雰囲気を周囲に放つ。プンシュを飲みいい気分になった市民はツリーのことなどとっくに忘れ、市場の店をのぞき込むだろう。

 ところで、メトロ新聞ホイテが8日付で報じたところによると、市庁舎前広場のクリスマス・ツリーは急きょ、枝がない個所に新枝を植え込む“整形手術”を受けたという。禿対策の植毛手術と同じだ。

「ツヴェンテンドルフ原発」の40年

 40年前の話だ。オーストリアにも原子力発電所があった。厳密にいえば、原発は建設され、いつでも操業できる状態だった。それが国民投票で操業開始反対派が僅差で操業支持派を破ったため、建設され、操業開始寸前の原発は1度も操業されることなく、即博物館入りした。あれから今月5日で40年が過ぎた。

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▲ツヴェンテンドルフ原発の全景(ツヴェンテンドルフ原発のHPから)

 このコラム欄でも数回、紹介したツヴェンテンドルフ(Zwentendorf)原発の話だ。オーストリア国民は同原発の話になると何とも表現できない表情をしながら、「あれから40年が過ぎましたか」とため息をつく。一部の環境保護活動家にとっては、40年前の話は勝利の証かもしれないが、大多数の国民にとってはそう簡単には割り切れない思いが湧いてくるからだ。

 オーストリアの最初の原発は同時に最後の原発となった。ツヴェンテンドルフ原発の話はアルプスの小国オーストリアのエネルギー政策を考えれば、やはり歴史的出来事だったと言わざるを得ないだろう。その意味から、もう一度、ツヴェンテンドルフ原発操業停止の経過を振り返ることも意義あるだろう。

 オーストリアのニーダーエスタライヒ州のドナウ川沿いの村、ツヴェンテンドルフで同国初の原子炉(沸騰水型)が建設された。同原子炉の操業開始段階になると、国民の間から反対の声が出てきたため、当時のクライスキー政権は1978年11月5日、国民投票を実施することを決定した。

 オーストリアで最初に実施された国民投票の結果は反対派が僅差で勝利したが、反対派ですら当時、勝利するとは考えていなかったので「驚いた」という。反対派160万677票、賛成派157万6709票でその差は約3万票だった。投票率は約64%。

 驚いた国民の一人は、賛成派が勝利すると確信していた当時のブルーノ・クライスキー首相(社会党、現社会民主党)その人だった。同じ1978年、自民党総裁選で予想外に敗北した福田赳夫首相がその直後、「天の声にも変な声は、たまにはある」と嘆いた話は有名だが、クライスキー首相がどう感じたかは知らないが、ビッグ・サプライズだったことは間違いない。

 ツヴェンテンドルフ原発は操業可能な状況だったが、1度として操業されなかった世界で唯一の原発という記録を残した。当時70億シリング(現行価格で約10億ユーロ相当)を投入して完成した原発だ。

 原子炉が挿入された原発は「はい、停止ですね」と言って容易に破壊できない。原子炉挿入後の原発の安全保存のために操業停止後もほぼ同額の資金を投入しなければならない。天文学的な浪費というべきかもしれない。原発操業のために雇用された専門家約200人は操業中止後も雇用契約を維持しなければならないから、人件費もばかにならない。“眠れる森の美女”となった原発を見つめながら、原発推進派は「いつか操業の日を迎えるだろう」という一途の希望を持ち続けていったわけだ。

 オーストリアでは“ツヴェンテンドルフの後遺症”と呼ばれる現象がある。原発問題をもはや冷静に議論することなく、反原発路線を「国是」としてこれまで突っ走ってきた。

 ツヴェンテンドルフ原発の操業中止後、同国議会は「反原発法」を採択し、将来の原発利用を禁止した。1979年の第2次オイルショックもあって国民の間で原発支持を求める声が一時高まったことがあるが、チェルノブイリ原発事故(1986年)で原発操業の道は完全に閉ざされていった。同国議会は1999年、連邦法「反原発法」をコンセンサス(全会一致)で憲法に明記した(「オーストリアの『反原発史』」2011年4月26日参考)。

 参考までに、同国の主要エネルギー源は水力発電だが、年々、必要なエネルギーを輸入に頼ってきている。そのうち、かなりの量は隣国の原発が生産した原子力エネルギーだ。

オーストリア「移民協定」に不参加

 オーストリアのクルツ政府は先月31日、12月10日から11日にかけモロッコのマラケシュで開催される「安全で秩序ある正規移住のためのグローバル・コンパクト採択政府間会議」で正式に採択される「移民協定」(Migrationspakt)に参加しないと表明した。

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▲国連「グローバル・コンパクト」のHP

 アルプスの小国のオーストリアは冷戦時代、東西欧州の懸け橋としての役割を果たし、200万人を越える旧ソ連・東欧共産政権からの亡命者、難民を受け入れてきたことから、「難民収容国」と呼ばれたことがあった。そのオーストリアが国連加盟国がまとめた「移民協定」に参加しないということで、内外から批判と戸惑いの声が出ている。同国のバン・デア・ベレン大統領は「わが国の国際評価を汚す恐れがある」とクルツ政権に警告を発したばかりだ。

 国連加盟国が合意した「移民協定」とは何かを国連広報に基づいて少し紹介する。

 7月13日、加盟国が過去18カ月以上にわたって協議してきた「安全で秩序ある正規移住のためのグローバル・コンパクト」(Global Compact for Safe,Orderly,and Regular Migration)の最終案(34頁)が成立された。

 国連広報によると、国連加盟国が一堂に会し、全体論的かつ包括的な形であらゆる次元の国際移住を対象とする協定について交渉を行ったのはこれが初めてだ。今回の合意は、移住に関するガバナンスと国際理解を改善し、今日の移住にまつわる課題に取り組み、持続可能な開発への移民と移住の貢献を強化するための基盤となるという。すなわち、世界初の包括的な移住に関する枠組みというわけだ。

 ミロスラフ・ライチャーク第72回国連総会議長(スロバキア外相兼副首相)は、「グローバル・コンパクトは、私たちの受身的なやり方を、積極的なものに変えることができる。私たちが移住の利益を手にしながら、そのリスクを軽減するのに役立つ可能性もある一方、協力のための新たなプラットフォームを提供できる可能性もある。人々の権利と国家の主権を適切にバランスを取るための参考にすることもできる」と指摘し、最終案の合意を「歴史的瞬間」と歓迎している。

 オーストリアがグローバル・コンパクトに参加しないことに対し、アントニオ・グテーレス国連事務総長は「非常に遺憾だ」と表明し、ルイーズ・アルブール国際移住担当事務総長特別代表も「オーストリア政府は何を考えているのか」と失望を吐露しているほどだ。

 国連加盟国193国中、190カ国は移民協定を支持している中、オーストリアの不参加は理解できないという声が強いわけだ。なぜならば、オーストリアは同協定の草案作りに積極的に関わってきたからだ。同時に、オーストリアは今年下半期の欧州連合(EU)議長国だ。同協定の最終案がまとまった今年7月の段階では何も不満を表明してなかったから、なおさら「なぜ今になって」というのが他の国連加盟国の偽りのない反応だろう。

 米国は昨年末に「移民協定」に不参加を表明。それを追ってハンガリーが7月13日の最終案が成立した直後に離脱の意思を表明している、オーストリアは3番目の国だ。協定から離脱を考えている国としては、オーストラリア、ポーランド、チェコらの名前が挙がっている。

 それではなぜオーストリア政府は同協定をここにきて拒否するのだろうか。クルツ政権は中道右派「国民党」と極右政党「自由党」の連立政権だが、自由党が「移民協定」に強い抵抗を感じているからだ。

 シュトラーヒェ副首相(自由党党首)は、「移住の権利は人権ではない。グローバル・コンパクトは合法と不法の移住者の区別を明確にしていない」と批判している。「移民協定」の基本的トーンが「移住歓迎」であることに抵抗があるのだろう。メルケル独首相の難民歓迎政策にも通じるわけだ。また、移住者家族の統合促進、集団強制送還の阻止、移住者への雇用保証や生活援助などについても懸念を感じている、といった具合だ。

 実際は、「移民協定」は法的拘束力を有していない。加盟国の主権を尊重しているから主権侵害といった恐れはない。あくまで加盟国の移住政策が最終決定権を持つ。協定条項15では、「正規移住かそうでないかは主権国家が決定する」と明記されている。換言すれば、「移民協定」は「移住問題がグローバルな課題である」と明記したシンボル的な価値しかないわけだ。にもかかわらず、シュトラーヒェ党首は、「移民協定は法的拘束力はないが、慣習国際法として適応される恐れがある」と受け取っているわけだ。 

 オーストリア代表紙プレッセは2日付の社説で、「移民協定にノーを突き付けることはわが国の評判を落とす」と強調している。同紙によると、「ウィーンは3番目の国連都市だ。小国のわが国が国連加盟国の多数が支持する協定に加盟しないことは愚かだ。米国は参加しないが、米国は一国でやっていける大国だ。しかし小国のわが国が大多数の国が支持する協定を拒否することは賢明ではない」と指摘している。

欧州極右指導者ハイダー死後10年

 欧州全土でポピュリズム、外国人排斥、民族主義を掲げる極右政党が台頭し、選挙の度にその勢力を拡大してきた。反難民・移民政策を全面に出したハンガリーのオルバン首相の名をとって“オルバン主義”と呼ばれだした。

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▲欧州の極右派指導者だったイェルク・ハイダー(ウィキぺディアから)

 そのオルバン主義に先駆け、欧州極右政党のパイオニア的存在だったオーストリアの極右政党「自由党」党首のイェルク・ハイダー氏(Jorg Haider)が10年前の今月11日、クラーゲンフルト南部に住む母親の誕生日を祝うため車で走っていた時、交通事故に遭い亡くなった。58歳だった。ハイダー氏の葬儀は国葬ではなかったが、参列者数と規模では、04年7月に急死したトーマス・クレスティル大統領の国葬を大きく上回ったといわれた。

 ハイダー氏の突然の交通事故死後、様々な憶測が流れた。暗殺説も流布した。原因はアルコール飲食(1・8プロミル)とスピード(時速142km)の出し過ぎだった。そのハイダー氏がまだ生きていたら、欧州のポピュリズム的政治スタイルはオルバン主義ではなく、ハイダー主義と呼ばれていただろう。

 ハイダー氏は1950年、オーバーエスターライヒ州生まれ。1986年、自由党の党首に選出されて以来、選挙では常勝街道を邁進、得票率4%の小党に過ぎなかった自由党を20%の大台を越える主要政党にまで躍進させた。

 ハイダー氏の政治手腕は明確だ。2大政党、社会民主党と国民党の問題点をバッサリと切り、国民には常に「オーストリア・ファースト」を訴えた。政敵からは大衆扇動家として見なされた。

 自由党党首として党の勢力を拡大し、ケルンテン州知事を歴任した。敵も少なくなかった。ハイダー氏の生涯の最大の敵は外国人だった。

 ハイダー氏はケルンテン州知事時代、第3帝国の正規雇用政策(ordentlichen Beschaftigungspolitik )を称賛し、ケルンテン州自由党党首時代には「ドイツ帝国が出来れば、全て自由になる」と語るなど、ネオナチ的発言で度々物議を醸した。

 2000年1月、国民党のシュッセル党首と自由党のハイダー党首が連合を結成した時、欧州全土でハイダー氏の自由党が参加したシュッセル連立政権誕生に抗議する大きなデモが起き、政権宣誓式には首相府から地下道を歩いて大統領府入りしたほどだった。

 欧州連合(EU)加盟国は外交ボイコットを実施した。ハイダー氏は賢明な政治家だった。シュッセル政権には閣僚入りしなかった。選挙で第3党となった国民党のシュッセル党首を首相に担ぎ出し、政権を外からコントロールした。最終的には、シュッセル首相の巧みな包囲網にあって、ハイダー氏は政治力を失っていった。

 その後は、自由党から脱党し、新党「未来同盟」(BZO)を結成したが、自由党党首時代ほどの政治的影響力はもはやなかった。そして交通事故でその短い生涯を閉じた。

 オーストリア国営放送は11日夜、ハイダー氏死後10年とその生涯を振り返る特別番組を放映した。雑誌や新聞、テレビはハイダー特集を掲載した。ハイダー氏が政界に登場した1980年以後、オーストリアの政治スタイルは大きく変わったといわれている。

 当方は一度、リビアの独裁者カダフィ大佐の次男セイフ・アル・イスラム・カダフィ氏歓迎する会合でハイダー氏と会った。ハイダー氏はカダフィ大佐とは仲が良く、オーストリアに一時留学したセイフ・アル・イスラム・カダフィ氏を世話していた。ハイダー氏の人脈は欧州だけではなく、中東まで及んでいた。


 「ハイダー氏ほど国民に愛され、同時に嫌われた政治家はいなかっただろう。その意味で、同氏は国民を一体化させるというより、分裂させた政治家であった。それが野党政治家としてのハイダー氏の『運命』だったのだろうか」と、当方はハイダー死後5年目のコラム「オーストリア極右派指導者ハイダー氏の『遺産』」の中で書いた。

 ハイダー氏が2015年の中東・北アフリカからの難民・移民の殺到を目撃したならば、どのような政策を訴えただろうか。オルバン首相を凌ぐ厳しい難民対策に乗り出していただろう。ハイダー氏は10年前に亡くなったが、今日、第2ハイダー、第3ハイダーが欧州各地で生まれてきている。

小学生では移民出身が全体の51%

 欧州が東西分割されていた冷戦時代、アルプスの小国オーストリアは旧ソ連・東欧共産圏から200万人以上の政治亡命者を積極的に収容し、“難民収容国”という呼称を得た。ソ連・東欧共産圏の崩壊後(冷戦後)、政治亡命者が急減する一方、欧州の経済的恩恵を共有したいと願う経済難民が増えてきた。

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▲ドイツ行の列車を待つ難民家族(ウィーン西駅構内で、2015年9月15日撮影)

 2015年には中東・北アフリカから難民・移民が欧州に殺到。「15年前」と「15年後」では欧州の政情は大きく変わった。100万人以上の難民が殺到したドイツ南部バイエルン州で長い間州首相(当時)だったホルスト・ゼーホーファー内相は、「難民・移民問題が欧州が直面する全ての問題の根源にある」と言っているほどだ。

 オーストリアの難民統合を担当するカリン・クナイスル外相は13日、「2018年統合報告書」を公表した。それによると、同国では移民出身の国民はほぼ200万人で全体に占める割合は23%。10年前の08年は16%だった。一方、外国人数は139万5000人で外国人率は15・8%(08年10%)とこれまた大幅に増加した。

 移民・難民の社会統合状況を見る。まず、雇用市場では全体に統合の遅れが目立つ。同国の失業者数は約41万2000人で失業率は7・5%と欧州連合(EU)加盟国では低いが、外国人に限ると、その失業率は12・5%と高い。移民の場合は出身国によって状況は異なる。トルコ出身の場合、約55%が雇用市場に統合しているが、シリアやイラク出身の場合、27%と低い。トルコの場合、第2次世界大戦直後からドイツやオーストリアで労働者として働いてきた長い歴史があるから、オーストリア内にもトルコ・コミュニティがあって、雇用市場も他の出身国の移民・難民より断然有利だ。

 オーストリアも日本と同様、高齢化、少子化が進んできた。同時に、雇用市場では専門職の労働力不足が深刻になってきている。オーストリア連邦商工会議所は政府に一定の移民の受け入れを要求している。

 次に、教育・言語分野から見た社会統合では、遅れが目立つ。初等教育の学校では28万857人の生徒がドイツ語を母国語としていない。その率は全体の25%にもなる。首都ウィーン市の場合、非ドイツ語圏出身の生徒数は全体の51%(11万8693人)と遂に過半数を超えた。初等教育を終えた生徒で高等学校に行かないが、基礎教育や職業教育を修得する中等学校(Mittelschule)となれば、非ドイツ語圏出身の生徒の割合はなんと73%だ。クラスは外国出身の生徒で溢れているわけだ。

 だから、ウィーン居住のオーストリア人市民の場合、子供を地元の公立学校に送れば、ドイツ語学習が遅れ、他の学科教育も難しくなるから、経済的に豊かな家庭では学費の高い私立学校に子供を通わせる。

 例えば、オーストリアの元首相(在任2007年1月〜08年12月)のアルフレート・グーゼンバウアー氏の場合、自分の娘を学費がウィーンで最も高い学校といわれたフランス語国際学校に送っていた話はよく知られている。

 移民・難民の社会統合を進める政治家が自身の子供を私立学校に通わせるケースはグーゼンバウアー氏だけではない。公立学校はドイツ語を母国語としない子供たちで占められ、地元のオーストリア人の子供たちは自宅から遠く、学費の高い私立学校に通うということはもはや珍しくない。

 なお、今年8月に国連人権高等弁務官に就任したミシェル・バチェレ前チリ大統領は今月10日、就任初の演説でオーストリアを名指しで、「難民収容状況を監視するため専門家を派遣する」と述べた。そのことが報じられると、オーストリアのクルツ連立右派政権の中には、「なぜわが国が監視されなければならないのか」といった不満の声が聞かれた。昨年12月に発足したクルツ連立政権には反難民、移民政策を主張してきた極右政党「自由党」が参加していることがあるからだろう。「国民党」出身のクルツ首相は「偏見を解決するために監視団の派遣を歓迎する」と述べ、冷静に受け止めている。

「僕はゲイ」では難民認知に不十分?

 18歳のアフガニスタンの青年がオーストリアで難民申請した。理由は「自分はゲイだ。故郷に戻れば拘留され、虐待され、生命の危険がある」というものだった。審査の結果は「青年が『ホモ』であることを実証できなかった。故郷に戻っても恐れることはない」として難民認知が却下された。強制送還を受ける危険性のある青年は即、審査結果を不服とし、控訴することになった。

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▲同性愛者のシンボル、レインボーフラッグ(ウィキぺディアから)

 青年を審査したヴィーナー・ノイエシュッタト難民審査所の審査報告書によると、「本人はゲイと主張しているが、その歩き方、ふるまい、服装などから、ゲイであることを十分実証していない」「彼には潜在的攻撃性がある。通常、ホモの場合はそうではない」、「彼は友達がいない。ゲイは通常、もっと社交的だ」などの理由から、難民申請書は却下されたというのだ。

 その審査内容がメディアに流れると、独週刊誌シュピーゲルや英紙ガーディアンなどが一斉に「青年は難民認知を受けるほど十分なゲイではなかった」と、オーストリア側の難民審査結果を報じ、難民審査官のゲイに対する偏見を面白半分に報じた。

 欧州司法裁判所は、「難民がゲイで、その難民の母国がゲイを虐待している場合、難民認知を受ける資格がある」という判断をこれまで下してきた。アフガン青年が本当にホモの場合、オーストリアで難民認知を受ける資格はあるわけだ。しかし、「彼がゲイだという証拠が不十分だった」というわけだ。

 参考までに、ゲイなど同性愛者が国内で迫害され、生命の危険がある国は、アフリカ、アラブ諸国、イラン、パキスタン、アフガン、そしてロシアなどだ。

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の1951年のジュネーブ難民条約によれば、難民とは「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であること、または政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けられない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者」と定義されている。その条約に合致した難民を「条約難民」と呼ぶという。簡単にいえば、「人種、宗教、政治的な理由で母国で迫害され、生命の危険がある人」ということになる。

 例えば、2015年に中東・北アフリカから100万人以上の難民が欧州に殺到したが、各国が難民申請者に対しジュネーブの難民条約に基づいてその審査を行う。豊かな生活を願って欧州にくる難民は「経済難民」とみなされ、難民審査で認知されない。難民認知率は年々低くなってきている。

 難民の中には難民認知を得るために「政治的に迫害されてきた」といった嘘をいう者が出てくる。難民審査官にとって、言語の問題のほか、パスポートや身分証明書を持参していない難民が少なくないため、その難民申請の是非を判断することは簡単ではない。

 この18歳のアフガン青年の場合、青年が本当にゲイかどうかを審査することは難しいだろう。性的指向を知るために心理テストをすることは禁止されているから、本人の告白と振舞い方などを総合的に判断する以外にない。ちなみに、アフガンの青年を審査したヴィーナー・ノイエシュタットの難民審査官は、メディアで審査内容が報じられた直後、その職務から解任されている。

 ところで、アフガン青年が「ゲイ」という理由で難民認知を受けた場合を考えてみよう。それを聞き知った多くのアフガンの難民がその後「自分はゲイだ」と告白し、難民申請するケースが増えるだろう。アフガンから自称ゲイの難民がオーストリア国境に殺到する状況が生まれてくるわけだ。

 オーストリア側は、「僕はゲイ」とカミングアウトだけでは難民認知されないということを難民申請者に知らせる意味合いから、18歳のアフガン青年の難民申請を却下したのかもしれない。

 なお、オーストリア内務省は「個々の難民審査の結果には言及できない。ただし、UNHCRと連携し、同性愛者の難民申請者に対し、どのように対応すべきかについて、難民審査関係者の学習を予定している」という。

プーチン氏を結婚式に招いた外相

 オーストリアのクルツ連立政権の閣僚の1人、カリン・クナイスル外相(53)が18日、同国南部シュタイアーマルク州で結婚式を挙げる。その式にロシアのプーチン大統領が招かれたというニュースが流れると、外相のプライベートな結婚式が俄かに政治問題となってしまった、という「話」をする。

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▲河野外相と会談したクナイスル外相(2018年7月、ウィ―ン外務省内で撮影)

 「外相の結婚式になぜプーチン氏が招かれたのか」、「ウクライナ問題ではロシアとウクライナの調停外交を行ってきた。オーストリアの中立主義はどうなるのか」、「オーストリアは今年下半期の欧州連合(EU))議長国だ。外相の個人的なイベントとはいえ、オーストリアの議長国としての信頼性を失う」等々、議論を呼んだわけだ。

 猛暑に苦しむ日本の読者にとって、どうでもいいような話だが、\治家の結婚式が如何に政治問題となるか、▲廖璽船鷸瓩欧州でどれほど警戒されている政治家か、という事実を理解するために、クナイスル外相の結婚式をめぐって飛び出したさまざまな反応をオーストリア通信(APA)を参考に読者に報告する。

 クナイスル外相はアラブ語が堪能な外相で有名であり、中東問題に精通した専門家として知られてきた。その才媛にオーストリアの極右政党「自由党」が外相ポストをオファーしてクルツ連立政権に招いた。クナイスル外相は一応、無党派閣僚といわれるが、実質的には「自由党」寄りの政治家と受け取って間違いないだろう。

 クナイスル外相がプーチン氏を結婚式に招待したことが報じられると、オーストリアの外交に批判の声が上がった。同国外務省報道官は「わが国の外交には全く影響がない。外相のプライベートな結婚式であり、プーチン氏の訪問も個人的なものだ」と説明し、同国外交が親ロシア寄りだ、という批判を必死に否定した。

 オーストリア外務省も認めているが、プーチン氏のオーストリア訪問は実務訪問となっている。訪問中、結婚式に参加するクルツ首相とプーチン氏が会談することは間違いない。ただし、バン・デア・ベレン大統領との会談予定は入っていない。

 参考までに、プーチン氏は今年6月5日、ウィーンを既に公式訪問し、バン・デア・ベレン大統領、クルツ首相らオーストリア政府首脳たちの歓迎を受けている。プーチン氏は4期目の大統領就任後の初の外国訪問先にウィーンを選んだのだ。

 プーチン氏はウィーンで「米ロ首脳会談をウィーンで開きたい」という意向を通達、クルツ首相を喜ばした。最終的には、米ロ首脳会談はヘルシンキで開催されたが、プーチン氏が如何にオーストリアを愛しているかの小さなエピソートだろう(「スパイたちが愛するウィ―ン」2010年7月14日参考)。

 プーチン氏が訪問した場合、その安全問題が出てくる。プーチン氏の身辺警備のため数百人の警察官が動員される。プーチン大統領周辺の安全対策費はモスクワ側が、結婚式費用と結婚式の安全警備一般はクナイスル外相が負担するということで一応合意ができている。

 ロシア問題専門家、インスブルック大学のゲルハルド・マンゴット氏は、「プーチン氏の結婚式招待はオーストリア外交にマイナスだ。オーストリアがロシアにとってEUへの道案内役と受け取られるからだ。親ロ政策を取る自由党とシュトラーヒェ党首(副首相)にとってプーチン氏の結婚式参加は喜ばしい。一方、プーチン氏は対制裁下でも決してロシアは孤立していないことを誇示できる絶好のチャンスだ」と述べている(APA通信)。

 ウクライナはプーチン氏の結婚式参加に対して厳しく批判している。ウクライナ議会外交委員会ハンナ・ホプコ議長(Hanna Hopko)はツイッターで、「オーストリアはウクライナ問題で中立の立場で調停役を演じる資格を失った。プーチン氏の結婚式参加は欧州の共通の価値観への攻撃だ」と酷評している。


 ちなみに、オーストリア国内では野党議員から「クナイスル外相の辞任」を要求する声も聞かれるが、その声はあまり大きくない。婚姻政策を実施してその政治勢力を拡大したハプスブルク王朝を思い出せばいいだろう。結婚式に外国の元首を招くのは初めてではない。むしろ、オーストリアの伝統ともいうべきだろう。

 プーチン氏が欧州で警戒されるのはそれなりの理由はある。シリア内戦で独裁者アサド政権を軍事支援、ウクライナのクリミア半島のロシア併合、マレーシア航空機MH17便を東ウクライナ上空で撃墜(2014年)、英国在中の元ロシア情報員への化学兵器による暗殺未遂事件などはいずれもその背後にプーチン氏がいると受け取られてきた。また、ロシアは米大統領選挙ばかりか、EU諸国の選挙にもサイバー攻撃を繰りかえしてきた。

 ウィーンは「ロシアの欧州統合を促進することで、東西間の架け橋役を演じている」と主張し、ブリュッセルからの批判をこれまでかわしてきた

 欧州は連帯して対ロ制裁を実施している。その時、オーストリアがプーチン氏を公式招待したり、外相の結婚式に招待することはかなり冒険だ。少なくとも、タイミングは良くない。

 それにしても、欧州で嫌われるプーチン氏を自身の結婚式に招待したクナイスル外相にはどのような欧州統合のビジョンがあるのだろうか。機会があれば聞いてみたい。

ウィーン市は「世界一」住みやすいか

 「ウィーン市が世界で最も住みやすい都市に選ばれた」というニュースが飛び込んできた。40年余りウィーンに住んでいる当方は「へェー」と叫んだ後、「自分はひょとしたら世界で最も住みやすい都市に住む、世界で最も幸せな人間の一人ということになる」と考えた。

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▲シェーンブルン宮殿(ウイーン市観光局提供)

 英誌エコノミストの調査部門「エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)」が毎年発表している「世界で最も住みやすい都市ランキング」で、オーストリアの首都ウィーン市が「2018年版第1位」の名誉を獲得したのだ。前年まで7年連続首位だったオーストラリアのメルボルンを抜いた。もちろん、ウィーン市にとって初の快挙だ。14日夜のニュース番組で早速、ロンドン発の「ウィーンは1番」のニュースを報じていた。

 英BBCによると、「調査は世界140都市について、政治的安定性、社会的安定性、犯罪、教育、健康医療制度の利用しやすさなどの項目を評価し、順位付けした」というから、少なくともランキングはシリアスに行われたのだろう。
 ロクサナ・スラブチェバ調査担当編集長は「ウィーンが首位を獲得したのは、治安の改善」を反映した結果という。

 そこでエコノミスト誌とは別に、少し独自のファクトチェックを試みた。
 まず、「治安問題」だ。確かに、オーストリア連邦犯罪局(BK)が先日公表した「2018年上半期犯罪統計」を見る限り、年々犯罪件数は減少傾向にある。オーストリア全土で今年上半期、22万8887件の犯罪認知件数があったが、前年同期比で約10%減少した。音楽の都ウィーンでは今年上半期、犯罪認知件数は8万2573件で前年同期9万6825件でマイナス14・7%と記録的な減少だ。暴力犯罪件数は7958件から7062件と11%減少した。犯罪統計を見る限りでは、「治安は改善した」という評価は当たっているが、殺人件数は今年上半期では17件で前年同期12件を大きく上回っている。エコノミスト誌は犯罪総件数の増減を重視し、個々の犯罪の詳細な動向については敢えて考慮しなかったのかもしれない。

 パリやロンドンなど欧州のメトロポールではイスラム系テロ事件が過去、頻繁に発生したが、ウィーンでは1985年以降起きていない。ウィーン市は世界的な観光地であると共に、国連、石油輸出国機構(OPEC)、欧州安全保障協力機構(OSCE)など30を超える国際組織の本部、ないしは事務局がある国際都市だ。

 ちなみに、ウィーンで過去3度、大きなテロ事件が発生した。テロリスト、カルロスが率いるパレスチナ解放人民戦線(PFLP)が1975年12月、ウィーンで開催中のOPEC会合を襲撃、2人を殺害、閣僚たちを人質にした。81年8月にはウィーン市シナゴーグ襲撃事件、そして85年にはウィーン空港で無差別銃乱射事件が起きた。それ以降、ウィーンを舞台とした大きなテロ事件は生じていない。この点はランキング評価で大きなプラス得点となったはずだ。

 次は「政治的安定」だ。オーストリアでは昨年、クルツ連立政権が発足した。中道保守政党「国民党」と極右政党「自由党」の連立政権だ。欧州連合(EU)の本部ブリュッセルは、EU統合に懐疑的な自由党が参加したクルツ政権に対し批判的だったが、自由党側が「EU離脱は考えていない」と宣言する一方、ネオナチ的な言動からイスラエルとの関係が難しかったが、シュトラーヒェ党首(副首相)自らイスラエルを訪問し、イスラエルとの関係改善に乗り出している。

 国民党と自由党の連立政権だったシュッセル政権が発足した2000年のようなオーストリア排斥の動きはEU加盟国では見られない。2015年の中東・北アフリカからの難民・移民の殺到で混乱する欧州の政界の中でクルツ首相は厳格な難民・移民管理を主導し、国境の閉鎖などを他の加盟国に先駆けて実施することで、EU加盟国のクルツ政権への評価は高まったことは事実だ。

 最後に「社会的安定」だ。ウィーン市議会は戦後から今日まで社会民主党(社会党)が第1党を堅持し、手厚い社会関連政策を実施し、市民から支持を得てきた。難民問題では国民党・自由党の連邦政府の対策とは異なり、積極的に難民受け入れを実施してきた。2020年に予定されているウィーン市議会選を待たなければならないが、与党・社民党が後退するようなことがあれば、ウィーン市だけではなく、オーストリアの政界が大きく揺れ動くことは十分予想できる。

 外国人率25%のスイスの都市ほどではないが、外国人急増で外国人憎悪、イスラム憎悪などフォビア現象がウィーン社会一般に広がる危険性は排除できない。

 以上、主要な3点の分野のファクトチェックをしてみた。エコノミスト誌EIUの「ウィーン市1番」の評価はほぼ妥当だろう。「世界で最も住みやすい都市」ウィーン市を一目体験しようと観光客がさらに増え、市の観光収入は飛躍的に増加するかもしれない。

 ただし、観光客が増えれば、ウィーン市は益々喧噪となることは間違いない。エコノミスト誌の「世界で最も住みやすい都市」のタイトルはその都市に住む市民にとって本当に「住みやすい都市」であるかは別問題だ。

 フランスの作家、ロマン・ロラン(1866〜1944年)は「ベートーヴェンの生涯」の中で、「ウィーンは軽佻な街だ」と書いていた。その評価は100年以上前のものだが、当方は不思議と「そうだよな」といった共感を覚えてしまうのだ。長く住んでいてもウィーンは当方にとってやはり異郷の町なのかもしれない。



◆2018年版「世界で最も住みやすい都市ベスト10」◆


1位 ウィーン(オーストリア)

2位 メルボルン(オーストラリア)

3位 大阪(日本)

4位 カルガリー(カナダ)

5位 シドニー(オーストラリア)

6位 バンクーバー(カナダ)

7位 東京(日本)

8位 トロント(カナダ)

9位 コペンハーゲン(デンマーク)

10位 アデレード(オーストラリア)

※英誌エコノミストの調査部門「エコノミスト・インテリジェンス・ユニット」(EIU)作成

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