ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

ユダヤ人

同世代への「連帯感」と「責任」

 最近、知人や周辺の人の訃報を聞くことが多くなった。厳密にいうと、年を取った当方が「死」に過敏になってきたからかもしれない。人は生まれ、そして死を迎える。そのサークルは今も昔も変わらない。若い時にはなかった「死」への感情移入が生じ、そう感じるのだろう。

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▲ナチ・ハンターと呼ばれたサイモン・ヴィーゼンタール(1995年3月、ウィーンのヴィーゼンタール事務所で撮影)

 特に、当方よりも若くして亡くなった知人や周辺の人の訃報には心が痛くなる一方、亡くなった彼らに、まだ生きている自分は漠然とだが、「責任」を感じることがある。

 知人の元神父が58歳で亡くなった。最近、ウィーンに住む40代後半の日本人男性が奥さんを追うように、自ら人生を閉じた。人生80年、90年といわれる現代、彼らの「死」はやはり早すぎる。

 人はそれぞれ独自の運命をもって生まれ、人生を歩みだし、最後はその歩みを止める。早い、遅い、といった表現は適切ではないかもしれない。なぜならば、「死」は本来、自分で決定できる領域の問題ではないからだ。

 当方は24年前ごろ、ナチ・ハンターと呼ばれたユダヤ人、サイモン・ヴィーゼンタール氏(1908〜2005年)と知り合った。彼は戦後、ユダヤ人を虐殺したナチス幹部を探しだすことに人生の後半生を投入した。戦争が終わって50年以上経過しているのに、彼は逃亡したナチス幹部を追い続けた。

 当方は「なぜ?」と単刀直入に聞いたことがあった。ヴィーゼンタール氏は、「生きている人間にはナチス犯罪者を許す権限はない。出来るのは彼らに殺された人間だけだ」と答えた。だから、彼らが「もう許す」というまで、ヴィーゼンタール氏は元ナチ幹部を追い続けた。

 ヴィーゼンタール氏は多分、アウシュヴィッツなどユダヤ人強制収容所で亡くなった同胞に対し、自分は生き延びた、といった一種の負い目があったのかもしれない。それが死者に対し「責任」となったのだろう。その「責任」から彼は死ぬまで自由になれなかった(「ユダヤ人が引きずる『良心の痛み』」2018年2月19日参考)。

 地球温暖化問題を警告して、その対策をアピールするスウェーデンの16歳の環境活動家、グレタ・トゥンベリさんは国連の国際会議で「(世界を現在、リードする)あなた方は若者の未来を奪った」「あなた方は地球を破壊した」と厳しく批判し、世界の指導者たちの「責任」を追及した。その口調が厳しかったため、それを聞いた人々も驚いた。16歳の少女から「責任」を追及されたからだ。

 グレタさんの発言に対し、トランプ米大統領やロシアのプーチン大統領は批判的なコメントを発信している。誰でも責任を追及されれば嬉しいものではないが、16歳の少女から地球の破壊の責任を追及されたのだ。平静ではいられない。プーチン氏は、「グレタさんは本来、優しい少女だろう。大人が彼女を利用するのは止めるべきだ」と述べ、グレタさんが一部の大人に操られていると受け取っている。

 グレタさんは地球温暖化対策のために休学して奮闘している。その点、ナチ・ヒトラーに殺された同胞を慰霊するために人生の後半を投入していったヴィーゼンタール氏と同じだろう。ただ、ヴィーゼンタール氏には死者への連帯に裏付けられた責任感があったが、スウェーデン出身の16歳の少女の口調から、貧困と困窮から立ち上がるために汗を流してきた世代への連帯感をほとんど感じないのだ。

 少し付け加えるが、地球温暖化は長い時間をかけて進展してきた現象だ。だから、その問題に対応するためには、過ぎ去った世代、現世代、そして未来の世代が連帯、結束しなければならない。環境保護運動が“世代闘争”に発展する事態を回避しなければならない。グレタさんの国連での演説に感じる不安はその辺にある。

 当方は「人生をやり直しできたら……」(2017年12月30日参考)というテーマでコラムを書いたことがある。やり直しが可能ならば、死者への連帯感、責任感はひょとしたら変わるだろうが、人生はやり直しができない。だから、貴重であり、同じ時代圏に歩んだ後、その舞台から去っていった同胞に言い知れない連帯感と責任を感じるわけだ。時には、もう少し生きていてほしかった、といった痛恨の思いすら出てくるのだ。

ホロコースト生存最年長者の「訃報」

 当方は彼の存在を知らなかった。彼の訃報に接して後悔している。マルコ・ファインゴールド氏(Marko Feingold)が19日、肺炎で亡くなった、106歳だった。オーストリアでホロコースト(ユダヤ人大虐殺)生存者の中で最年長者だった。同氏は4度の強制収容所を生き延びたユダヤ人だ。彼は学校を訪問し、講演会に参加し、反ユダヤ主義、全体主義の恐ろしさを強く警告し続けてきた。

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▲オーストリアのホロコースト生存者の最年長マルコ・ファインゴールド氏(2019年9月20日、オーストリア国営放送のHPから)

 ファインゴールド氏は1913年、現在スロバキアの Banska Bystrica で生まれた。当時はオーストリア・ハンガリー王国の領土だった。彼は3人の兄弟姉妹とウィーン2区で成長した。同区にはナチス・ドイツ軍のユダヤ人弾圧が始まるまで多くのユダヤ人が住んでいた。1938年、ユダヤ人にとって運命の時を迎えた。ナチス・ドイツが同年3月、ウィーンに侵攻し、マルコは弟エルンストと共に逮捕され、拷問を受けた。

 父親が警告を受け、2人の息子は解放された後、プラハに逃げ、そこからポーランドに入ったが、偽造旅券で再びプラハに引き戻り、2人の兄弟は反ナチのサボタージュなどに参加した。しかし、ゲシュタボに見つかり、逮捕され、ポーランドのアウシュビッツ収容所に送られた。2人の兄弟はサポタージュに関与していたとして「懲罰部隊」(Strafkompanie)に送られた。ユダヤ人の世界では「アウシュビッツでは長くても3カ月しか生きられない」と言われていた。

 マルコは2015年5月10日のオーストリア国営放送とのインタビューの中で、「多くのユダヤ人は立ちながら死んでいった」と証言している。横にうつ伏せになって死ぬのではなく、立ちながら死ぬことがどのような状況かは体験しなければ理解できないことだ。

 マルコはそこを生きて出ることができた。彼は自身の体験を記述した本の中で、「自分は奇跡を信じないが、生きて収容所を出ることが出来たのは奇跡以外の何物でもなかった」と述懐している。そこで「殉死、屈辱、暴力、病気、特に、飢餓を体験し、目撃してきた」と述べている。

 マルコ自身、2カ月半の間に55キロあった体重が30キロになってしまったという。エルンストがマルコと別れた後、その消息は不明だったが、戦後、ノイエンガンメ収容所のガス室で1942年に殺されていたことを知った。

 マルコは4カ所の強制収容所を生き延びた。アウシュビッツを皮切りに、ノイエンガンメ(独ハンブルク市ベルゲドルフ区の地域)、ダッハウ(独バイエルン州)、そしてブーヘンヴァルト(独テューリンゲン地方)だ。マルコは1945年4月11日、ブーヘンヴァルト強制収容所から解放された。解放後は、国内避難民(DP)としてオーストリアのザルツブルクで衣服業を始めた。マルコは1946年から47年、ザルツブルクの「イスラエル文化協会」の会長を務めている。

 マルコはナチス・ドイツ軍の蛮行が忘却されることを恐れ、生涯6000回を超える講演で当時の体験・目撃談を語り続けてきた。マルコは、「学校では当時のことが正しく教えられていない」と強く感じてきたという。また「オーストリア国民はナチス・ドイツの蛮行に対して真摯に向き合うことを回避してきた。多くの国民は『オーストリアはナチス・ドイツ軍の最初の犠牲国だった』と考えてきた。戦争捕虜を迎えるときには音楽隊が歓迎したが、強制収容所の生き残りは歓迎されることがなかった」と述べている。

 マルコはナチス・ドイツ軍の蛮行を厳しく批判する一方、ユーモアを失うことがなっかた。「120歳になったら歓迎されるだろうが、自分はモーセのようには聖人ではないからね」と述べている。彼を知っている多くの知人は、「彼は決して恨みや憎悪をもたなかった。ルサンチマンがない人間だった」と証言している。罪を憎み、罪びとを憎まなかったというわけだ。

 なお、バン・デア・ベレン大統領は、「彼はナチス・ドイツ軍のテロの生き証人だ。彼は高齢になっても体験を我々に伝えるために命がけだった」と評価。 オーストリアのイスラエル文化協会のオスカー・ドイチュ現会長は、「ユダヤ人社会だけではなく、オーストリアにとって偉大な人物を失った」と述べている。

 注・このコラムはオーストリア国営放送の記事をもとに書きました。

ドイツ人が「ユダヤ人」を名乗る時

 第2次世界大戦でナチス・ドイツ軍がユダヤ人を大量虐殺(ホロコースト)した史実やガス室の存在を否定する歴史学者や一部反ユダヤ主義者はいる。その度に世界ユダヤ協会が批判し、訂正を要求してきたが、ドイツ人の歴史学者で若い女性ブロガー(31)は自身のブログで「祖父母がユダヤ人で、22人の氏族関係者がアウシュビッツア強制収容所などで犠牲となった」と語り、エルサレムのホロコースト記念館(ヤド・ヴァシェム)にも報告していた。

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▲「ホロコースト記念館」の犠牲者の名前と写真を連ねた部屋(ウィキぺディアから)

 しかし、実際は祖父母はドイツ人であり、祖父はプロテスタント教会の牧師、ブログで記述したユダヤ人家庭の話は全くの偽りで、「22人のうち、実存した人間は3人だけで、全ては架空だった」というのだ。

 「ナチ戦争犯罪の犠牲者だった」「遺族だった」と偽証したのは彼女が初めてではない。過去、スイスやベルギーでも同じようなことがあった。ドイツでは昨年、ハンブルクのピネベルクのユダヤ社会の責任者だった人物が実はドイツ人だったと分かったという出来事が起きたばかりだ。独週刊誌シュピーゲル(6月1日号)は「ドイツ人は『自分の先祖がナチス・ドイツの戦争犯罪の犠牲者だった』と思いたがる傾向が強い」と指摘し、それを「ドイツ人の特殊性」(Deutsche Besonderheit)と述べている。

 ドイツはナチス・ヒトラー時代、600万人のユダヤ人を強制収容所などで虐殺した。だから、ドイツはナチス政権の戦争犯罪行為で加害者と刻印されてきたが、それに強い抵抗を覚える人々がいても不思議ではない。特に、「戦争を知らない世代」にとって、自分の世代が関与していない戦争犯罪で批判され続けることに不満を抱くケースも出てくる。また、加害者から犠牲者に立場を代えたいという思いが湧いてくるかもしれない。今回の女性ブロガーのように偽りの家系図を考え、自分の家庭はユダヤ人であり、祖父母はアウシュビッツで殺されたと主張し、犠牲者の家族出身になり切ったケースは珍しい。

 シュピーゲル誌記者はその女性ブロガーと会見している。彼女はユダヤ人の犠牲者を集めたヤド・ヴァシェムにも偽りの文書を送っている。エルサレム側はドイツ女性歴史家からのホロコースト関連文書が嘘だったことに驚く一方、「ドイツ人はユダヤ人を600万人虐殺したが、新たに22人の犠牲者まで創造した」と少々皮肉の思いを込めて応えている。 

 彼女はユダヤ人家庭出身と偽証してきたが、ブログの読者の中で昨年、別の歴史家が彼女の話に疑問を感じて調査しだしたことから、真相が明らかになってきた。彼女の弁護士は、「ブログの内容は彼女の実際の家庭の歴史を語ったのではなく、一種の文学だった」と弁明している。

 シュピーゲル誌は4頁に渡って写真入りで彼女の話を紹介した。記事は「フェイクの世界で」(In der Fake Welt)だ。ちなみに、彼女は2017年、年間最高のゴールド・ブロガー賞を受賞したが、今回の件があって受賞は剥奪されている。

 シュピーゲル誌は彼女を詐欺師(Hochstapler)とバッサリと切っているが、当方はそう簡単には言い切れないものを感じる。「戦争を知らない世代」が「あなたの国、民族は戦争犯罪を犯した。あなたの国は戦争犯罪国だ」と言い続けられた場合、どのような反応が生まれてくるだろうか。歴史に興味のある若者ならば自分で歴史書、文献を漁り、自分の歴史観を構築するかもしれないが、多くの若者は「自分には関係がないことだ」、「歴史は戦勝国家によって綴られたもので、多くの偽証が含まれている」と冷ややかに受け取るかもしれない。例えば、日本の戦後の平和教育、自虐歴史観の洗礼を受けてきた若い人たちのように、学校で教えられてきた歴史内容をそのまま鵜呑みにするかもしれない。

 いずれにしても、戦争を体験しなかった世代に過去の戦争を伝える歴史教育は容易ではない。体験に裏付けされていないために、その歴史観は様々なフェイクや偽証の虜になる危険がある。先の31歳のドイツ女性の「先祖はナチ犯罪の犠牲者だった」というように、全く作られた家系図を考え出すかもしれない。

 歴史では加害者は常に批判され、謝罪を求められる一方、犠牲者は加害者にその責任を追及してきた。「戦争を知らない世代」のドイツ人はナチス・ドイツ時代の蛮行といわれてもピンとこないから、当然加害者認識は薄れていく。

 「ホロコースト産業」という表現が一時期、欧州のメディアで流れた。ユダヤ人はナチ・ドイツ軍の犠牲をビジネスとして利用している、といった加害者が犠牲者に放った精一杯の反論だった。

 歴史的出来事を加害者、被害者という観点から捉えることができるのは「戦争を体験した世代」だろう。「戦争を知らない世代」に同じ枠組みで歴史を考察するように強いることはある意味で非人間的なことだ。

 歴史の真実を次の世代に正しく継承させることが現代人の使命だ、と主張する声もあるが、少々無理があるだけではなく、危険が伴う。なぜならば、歴史の真実とは、といった議論が必ず飛び出し、終わりのない新たな歴史論争が始まるからだ。

 多くの日本人は隣国・韓国との付き合いで苦慮してきた。「正しい歴史的認識」(朴槿恵前大統領)と「未来志向の日韓関係」との間に深い溝があって、両者を連携することは至難の業だということを学んできたからだ。

ドイツからユダヤ人がいなくなる日

 バチカン・ニュースが5日、報じたところによると、ドイツに住むユダヤ人の数が昨年とうとう10万台を割り、9万6000人となった。2006年は10万8000人だったから、ユダヤ人の数が1万2000人少なくなったことになる。多くはイスラエルに移住していった。

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▲反ユダヤ主義に抗議するデモ(独ユダヤ人中央評議会の公式サイトから、2018年1月)

 旧ソ連の解体後、多くのユダヤ人がドイツに移住し、その数も年々、増加傾向が続いてきたが、2006年をピークに減少傾向が出てきた。ユダヤ人口の減少の背景には、第一には、ユダヤ人社会の低出産率と高齢化がある。例えば、新生児の数は昨年226人で、死亡数は1557人だった。


 それだけではない。1990年代、旧ソ連の解体、そこに住んでいた多数のユダヤ人がドイツに移住したが、ここにきて今度はドイツに住むユダヤ人がイスラエルに移住する傾向が出てきたのだ。イスラエル政府の積極的な移住政策もあるが、それ以上に反ユダヤ主義が席巻する欧州に危機感が高まっていることが、ユダヤ人をイスラエルに向かわせていることは間違いない(「独のユダヤ人社会で高まる危機感」2018年4月27日参考)。

 特に、2015年の中東・北アフリカからの100万人を超えるイスラム系難民・移民の殺到でドイツ内に反ユダヤ主義傾向がいやがうえにも高まり、反ユダヤ主義的犯罪が増加し、ドイツのユダヤ人は住みにくくなった。

 ユダヤ人家庭ではユダヤ人というアイデンティティを隠しながら生活せざるを得なくなってきた。ユダヤ人と直ぐに分かるキッパの代わりに、野球帽をかぶる一方、自己防衛のトレーニングに通うユダヤ教のラビも出てきた。

 考えてみてほしい。ドイツに住む10万人弱のユダヤ人社会に100万人を超えるイスラム系難民が殺到してきたのだ。その大部分が国で反ユダヤ教、反イスラエルの強い教育を受けてきた人々だ。単純な計算からいっても、15年以降、ドイツに住むユダヤ人が反ユダヤ主義的な襲撃や中傷を受ける危険率は10倍に膨れ上がったといえる(「イスラム系移民のユダヤ人憎悪」2017年12月22日参考)。

 独ユダヤ人中央評議会のジョセフ・シュスター会長は当時、「シリアやアラブ諸国出身のイスラム教徒は祖国で反ユダヤ民族の教育を受けてきたはずだ。『彼らが欧州に定着すれば、欧州でアラブ諸国出身の反ユダヤ主義が台頭する恐れが出てくる』という懸念をメルケル首相に伝達した」と述べていたが、その恐れは3年後、現実となってきたわけだ。

 ドイツだけではない。欧州でアラブ系人口が最も多いフランスではイスラム過激テロ事件が多発し、2015年1月にパリのユダヤ系商店が襲撃された時、フランスのユダヤ系社会ではイスラエルに移民すべきだという声が高まった。フランスではここ数年、シナゴークやユダヤ系施設への襲撃が絶えない。フランスでは2014年1年間だけでも約7000人が移住している。

 欧州に住むユダヤ人は過去、極右勢力、ネオナチ・グループの反ユダヤ主義の台頭に警戒してきた。欧州にイスラム系難民が殺到した15年以降、欧州に住むユダヤ人は、イスラム過激派の反ユダヤ主義にもさらされてきた。すなわち、欧州居住のユダヤ人は極右過激派とイスラム過激派の攻撃の対象となってきたわけだ。ちなみに、ドイツで反ユダヤ主義の言動で告訴された件数は年平均1200件から1800件になる。これまでその90%は極右グループやネオナチたちの仕業だったが、ここにきてイスラム系住民の反ユダヤ主義の言動が増えてきている。

 アウシュヴィッツ強制収容所があったポーランドでは今日、ユダヤ人はほとんどいなくなった。アドルフ・ヒトラーの政権下でユダヤ民族の抹殺政策が実施されたドイツには戦後、ユダヤ人が戻ってきたが、そのユダヤ人たちが再び去っていこうとしている。

 奇妙な点は、ユダヤ人がいなくなった後もポーランドでは反ユダヤ主義が欧州の中でも激しいことだ。ユダヤ人が急減してきたドイツでも近い将来、同じことがいえるかもしれない。「ユダヤ人がいなくなったにもかかわらず、ドイツでは反ユダヤ主義が広がってきた」という現象だ。

 反ユダヤ主義の背景を歴史的、民族的、社会的、文化的な観点から慎重に研究する必要があるだろう。ユダヤ民族はナチス・ドイツ軍によって同胞600万人を失い、ホロコーストから生き延びたユダヤ人は、死者となった同胞に対し良心の呵責を感じながら生きてきた悲しいディアスポラだ(「ユダヤ人が引きずる『良心の痛み』」2018年2月19日参考)。

 これは当方の希望だが、反ユダヤ主義のルーツや背景が解明されれば、ひょっとしたら、キリスト教の発生や共産主義の台頭など他の歴史的出来事の意味もこれまでとは違った視点から理解できるようになるのではないか。

欧州で反ユダヤ主義の拡大を懸念

 欧州で反ユダヤ主義が拡大してきた。欧州に住むユダヤ人を対象に欧州連合(EU)の欧州基本権機関(FRA)_が調査した結果が10日、ブリュッセルで公表された。それによると、多くのユダヤ人は自身の身辺を心配せずに欧州に住むことができなくなってきたと感じている。FRAの調査報告によれば、欧州居住のユダヤ人はバンダリズム、中傷、威嚇、暴力などに直面している。反ユダヤ主義の最大の舞台はインターネットやソーシャルネットワークだという。

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▲反ユダヤ主義の拡大を警告するFRA報告書(FRA公式サイトから)

 FRAの調査は、EU12カ国に住むユダヤ人1万6395人を対象に、今年5月から6月の間実施されたもの。オーストリア、ベルギー、デンマーク、フランス、ドイツ、ハンガリー、イタリア、オランダ、ポーランド、スペイン、スウェ―デン、英国の12カ国だ。

 調査報告によると、「欧州で過去5年間、反ユダヤ主義が急増してきた」と感じるユダヤ人は63%、「少し増加した」は23%。45%は反ユダヤ主義は「非常に大きな問題だ」と受け取っていることが判明した。

 また、40%は「暴力による襲撃を受けるのではないか」と懸念。そのうち2%は過去12カ月の間で実際襲撃されている。質問を受けたユダヤ人の38%は「安全のために移住しなければならない」と真剣に考えている。反ユダヤ主義的出来事が頻繁に生じていることもあって、「ユダヤ人であるという事実だけで統計上ネガティブな出来事に対峙する危険性が高い」という受け取り方がされている。

 頻繁に聞かれる反ユダヤ主義的扇動パローレ(言葉)は、.ぅ好薀┘襪蓮▲淵繊Ε疋ぅ沈権がユダヤ人民族にしたように、パレスチナ人にしている(51%)、▲罐瀬篆佑詫召蠅砲眤燭の権力を持っている(43%)、ユダヤ人はホロコースト(民族虐殺)を自身の利益のために利用している(35%)だ。

 参考までに、12カ国の中で、「反ユダヤ主義が大きな問題」と受け取っているユダヤ人はフランスで最も多く95%。「反ユダヤ主義が拡大した」と受け取っているユダヤ人は93%に達した。ドイツでは85%、89%だった。「反ユダヤ主義が大きな問題か」という質問に最も数字が低かった国はデンマークで56%だった。

 オーストリアでは3分の1は「ユダヤ人は金融界で大きな権利を享受している」と受け取っている。ポーランドやハンガリーではその数字は40%にもなる。ホロコーストに対する啓蒙活動が乏しく、よく知らない欧州人が増えている。例えば、18歳から34歳の若いドイツ人の約40%はホロコーストについて余り知らないことが明らかになった。

 ドイツでは反ユダヤ主義の言動で告訴された件数は年平均1200件から1800件だ。これまでその90%は極右派グループやネオナチたちの仕業だったが、「過去2年間でイスラム系住民の反ユダヤ主義の言動が増えてきた」という。

 2年前といえば、2015年、100万人を超える中東・北アフリカ諸国からのイスラム系難民がドイツに殺到した時期と重なる。だから「イスラム系難民の収容は反ユダヤ主義を輸入したことになった」という見解が出てくるわけだ。

 多くの難民は反ユダヤ主義が社会に深く刻み込まれたアラブ諸国から来た人たちだ。彼らは母国で「ユダヤ人は悪魔だ。世界の悪はユダヤ民族の仕業だ」といった教育を小さな時から受けてきている。ドイツ治安関係者は「アラブ系住民のユダヤ人憎悪は深刻なテーマだ」と主張しているほどだ。

 ドイツに住むユダヤ人たちは反ユダヤ主義が拡大してきたことを受け、キッパ(Kippa、男性が被る帽子のようなもの)などユダヤ教のシンボルを身に着けない、公共の場でヘブライ語を喋らない、といった危機管理に乗り出している。また、学校でイスラム系生徒からモビング(嫌がらせ)されたユダヤ系生徒は学校を移り、私立学校に転校するケースが出てきている。ユダヤ系家庭では子供が誕生してもユダヤ系と分かる名前を避ける傾向すら出てきているという。

 EUは先週、域内で拡大する反ユダヤ主義に対する闘争を呼びかける「共同声明」を採択した。EU内相会議で欧州のユダヤ人とその関連施設の保護強化を要求する一方、反ユダヤ主義に対抗する包括的戦略を構築し、実践すべきだと加盟国に呼びかけている。

 エルサレムのサイモン・ヴィーゼンタールセンターはEUの共同声明を評価し、「歴史的な声明だ。関係国は即、それを実行に移すべきだ」と主張した。ちなみに、イスラエル外務省も世界ユダヤ会議(WJC)も欧州の「共同声明」を歓迎するコメントを出している。

 反ユダヤ主義は欧州だけではない。米東部ペンシルベニア州ピッツバーグのシナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)で10月27日、銃乱射事件が発生し、礼拝に参加していたユダヤ人ら11人が犠牲となった。犯人は「全てのユダヤ人を殺したかった」と述べている。

 キリスト教社会の欧州ではユダヤ民族は、救い主イエスを殺害した民族の烙印を押され、久しく憎悪の対象となってきたが、旧約聖書を読んでも分かるように、イエス誕生前から反ユダヤ主義はあった。

 ユダヤ民族はナチス・ドイツ軍によって同胞600万人を失い、ホロコーストから生き延びたユダヤ人は、死者に対して良心の呵責を感じながら生きてきた 悲しいディアスポラだ(「ユダヤ人が引きずる『良心の痛み』」2018年2月19日参考)。ユダヤ民族への根拠なき反ユダヤ主義は根絶されなければならない。

ユダヤ人が引きずる「良心の痛み」

 先日、疲れたのでベットに横になりながらラジオを聞いていた時、「良心の痛み」をテーマにさまざまな有識者に見解を聞いていた。「良心」という表現はキリスト教が出現する前からあった。ソクラテスも良心について言及していたという。興味を引いたのは、一人のユダヤ人の意見だ。アウシュヴィッツ強制収容所で多くのユダヤ人が犠牲となったが、生き残ったユダヤ人の中には一種の良心の痛みを感じながら、その後の人生を歩むケースが少なくないという。

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▲ナチ・ハンターと呼ばれたサイモン・ヴィーゼンタール(1995年3月、ウィーンのヴィーゼンタール事務所で撮影)

 そのユダヤ人は、「犠牲となったユダヤ人たちはベストのユダヤ人だった。そうではなかったわれわれは生き延びた。彼らに対し一種の良心の呵責を感じる」という。参考までに説明すると、「犠牲となったユダヤ人は“神の供え物”となった。供え物は常に最高のものでなければならない」という信仰がその根底にある。

 当方はナチ・ハンターと呼ばれたサイモン・ヴィ―ゼンタール(1908〜2005年)と数回、会見したが、彼に「戦争が終わって久しいが、なぜ今も逃亡したナチス幹部を追い続けるのか」と単刀直入に質問したことがあった。するとヴィーゼンタールは鋭い目をこちらに向け、「生きている人間が死んでいった人間の恨み、憎しみを許すとか、忘れるとか、言える資格や権利はない。『忘れる』ことは、憎しみや恨みを持って亡くなった人間を冒涜する行為だ」と強調した。当方はその時、ユダヤ人の死生観に新鮮なショックを受けたことを今でも思い出す(『憎しみ』と『忘却』」2007年8月26日参考)。

 ラジオ放送の良心の呵責の話を聞いた後、ヴィーゼンタールの話を考えた。「確かに、許す許さないといった問題は死者の権利かもしれないが、生き残った人間は死者に対して良心の呵責を感じるものだろうか」と考えた。ホロコーストを生き延びたヴィーゼンタールは強制収容所で命を落とした多くの同胞に、その後の人生でやはり良心の痛みを感じながら生きてきたのだろうか。もはやかなわない願いだが、ヴィーゼンタールにもう一度会って確かめたくなった。

 オーストリアの精神科医、心理学者、ヴィクトール・フランクル( 1905〜1997年)はどうだったのだろうか。“第3ウィーン学派”と呼ばれ、ナチスの強制収容所の体験をもとに書いた著書「夜と霧」は日本を含む世界で翻訳され、世界的ベストセラーとなった。独自の実存的心理分析( Existential Analysis )に基づく「ロゴセラピー」は世界的に大きな影響を与えている。

 フランクルは収容所で亡くなった多くのユダヤ人の死に対しても「意味があった」と受け取り、犬死ではなかったと自身を納得させ、犠牲となったユダヤ人に対する自身の痛みを昇華していったのだろうか。

 もちろん、ホロコーストを体験したユダヤ人の中には神への信仰を失ったユダヤ人もいた。600万人以上のユダヤ人がナチス・ドイツ軍の蛮行の犠牲となった後、「なぜ神は多数のユダヤ人が殺害されるのを黙認されたか」「神はどこにいたのか」といったテーマが1960年から80年代にかけ神学界で話題となった。アウシュヴィッツ前と後では神について大きな変化が生じたわけだ。神学界ではそれを「アウシュヴィッツ以降の神学」と呼ぶ。

 例えば、ユダヤ人作家で1986年のノーベル平和賞受賞者エリ・ヴィーゼル氏(1928〜2016年7月2日)は自身のホロコースト体験を書いた著書「夜」の中で、「神はアウシュヴィッツで裁判にかけられた。その判決は有罪だった」と述べている。

 人は良心の呵責から逃れることができない。ホロコーストを生き延びたユダヤ人は、死者に対して良心の呵責を感じながら、その痛みが癒される時を願ってきたのだろうか。反ユダヤ主義の言動に怒りを発する前に、自身の心の世界で痛みを感じてきたのだろうか。

イスラム系移民のユダヤ人憎悪

 ドイツで反ユダヤ主義といえばこれまでネオナチや極右派の専売特許といった感じだったが、ここにきてユダヤ人への憎悪はドイツに住むイスラム系移民によるものが増えてきた。独週刊誌シュピーゲル最新号(12月16日号)が5頁にわたってドイツの反ユダヤ主義の現状をルポしている。以下、その概要を紹介する。

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▲踊りだしたパレスチナの人々(2012年11月29日、ウィーン国連内にて撮影)

 トランプ米大統領は今月6日、イスラエルの米大使館をテルアビブからエルサレムに移転させると表明、エルサレムをイスラエルの首都と認定する意向を表明したが、その直後、ドイツ国内のパレスチナ人などアラブ系住民が一斉にデモ行進し、強い不満を表明したばかりだ。一部で、デモ参加者はイスラエルの国旗を焼き、トランプ大統領の写真を破るなどした。シュピーゲル誌によると、1人のパレスチナ人女性は、「エルサレムはイスラエルの首都ではない。イスラエルの首都は地獄だ」と激怒している。

 ドイツでは反ユダヤ主義の言動で告訴された件数は年平均1200件から1800件だ。これまでその90%は極右派グループやネオナチたちの仕業だったが、「過去2年間でイスラム系住民の反ユダヤ主義の言動が増えてきている」という。
 2年前といえば、2015年、100万人を超える中東・北アフリカ諸国からのイスラム系難民がドイツに殺到した時期と重なる。だから「イスラム系難民の収容は反ユダヤ主義を輸入したことになった」という見解が出てくるわけだ。

 与党「キリスト教民主同盟」(CDU)の幹部、イエンス・シュパーン氏は、「多くの難民は反ユダヤ主義が社会に深く刻み込まれたアラブ諸国から来た人たちだ。彼らは母国でユダヤ人は悪魔だ。世界の悪はユダヤ民族の仕業だといった教育を小さな時から受けてきている」と指摘。ドイツ治安関係者も、「アラブ系住民のユダヤ人憎悪は深刻なテーマだ」と主張しているほどだ。

 ドイツに住むユダヤ人たちは反ユダヤ主義が拡大してきたことを受け、キッパ(Kippa、男性が被る帽子のようなもの)などユダヤ教のシンボルを身に着けない、公共の場でヘブライ語を喋らない、といった危機管理に乗り出している。また、学校でイスラム系生徒からモビング(嫌がらせ)されたユダヤ系生徒は学校を移り、私立学校に転校するケースが出てきている。ユダヤ系家庭では子供が誕生してもユダヤ系と分かる名前を避ける傾向すら出てきているという。

 メルケル首相は、「如何なる反ユダヤ主義的言動に対しても厳格に処罰しなければならない」と警告を発し、治安関係者は、「極右派による反ユダヤ主義的言動だけではなく、イスラム系の反ユダヤ主義にも対応しなければならない」と強調している。

唯一神教の聖地「エルサレム」の使命

 予想されていたことだが、現実となってきた。中東アラブの各地でエルサレムをイスラエルの首都に認知すると発言したトランプ米大統領に抗議するデモが発生し、エルサレムやガザ地区で一部暴動となり、死傷者が出ている。トランプ大統領はツイッターで自身の発言を弁明している。中東から遠いホワイトハウスで服務する大統領にとって、「エルサレムがイスラエルの首都」発言はメキシコ国境線に壁を作るといった選挙公約と同じで、多くある公約の一つに過ぎなかったかもしれないが、中東に住むアラブ人たちは自分たちが住む家屋に爆弾を投じられたようなショックを受けたわけだ。

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▲ エルサレム旧市街南西部にあるシオンの山

 トランプ大統領の発言で最大の受益者はもちろんイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相だろう。汚職容疑で司法の捜査の手が迫ってきている首相にとって、トランプ大統領の発言は文字通り、クリスマス?プレゼントかもしれない。一方、最大の被害者はやはりパレスチナ人だろう。トランプ大統領の発言はイスラエルとパレスチナの「2国国家和平案」への“死の接吻”を意味するといった声すら聞かれる。

 ニッキー・ヘンリー米国連大使は8日、緊急招集された安保理会議で、「米国の決定は中東の和平目的の実現を前進させるものだ」と主張したが、多くの安保理メンバーは、「国連決議に違反する決定」という声が支配的だった。ウィ―ンのホフブルク宮殿で開催された欧州安全保障協力機構(OSCE)閣僚会議でロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は、「トランプ大統領の発言は過去の中東和平に関する全ての合意内容を踏みにじるものだ」と厳しく批判しているほどだ。

 エルサレムは唯一神教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地として信者たちに崇められきた。そして唯一神教ゆえに、他宗教、他宗派の主張を拒否し、自身の信仰、教義、聖地を絶対的に信奉する。3000年の歴史を持つユダヤ教を筆頭に、2000年歴史のキリスト教、そして1300年の歴史を持つイスラム教はその点で全く同じだ。
 “信仰の祖”アブラハムから始まったユダヤ教、キリスト教、イスラム教は唯一神教だが、神学者ヤン・アスマン教授は、「唯一の神への信仰( Monotheismus) には潜在的な暴力性が内包されている。絶対的な唯一の神を信じる者は他の唯一神を信じる者を容認できない。そこで暴力で打ち負かそうとする」と説明している。それにゆえに、繊細な配慮と対応が必要となるわけだ。

 バチカン放送(独語電子版)に興味深い記事が掲載されていた。エルサレム旧市街南西部の「シオンの山」にあるベネディクト派修道院のニコデムス・シュナーベル修道院長へのインタビュー記事だ。
 同修道院長は、「エルサレムにはさまざまな宗派を信じる人々が住んでいる。非常に複雑で込み入った街だ。それだけに、繊細な配慮と対応が不可欠な街だ。まるで蜘蛛の巣のように入り組んでいるのだ」という。

 同院長によると、エルサレムにはキリスト教関係で50の宗派の信者たちが住み、イスラム教関係ではスンニ派、シーア派、イスラム改革派のアフマディーヤー派の信者らが住み、ユダヤ教ではアシュケナジム系(ドイツ・東欧出身)、セファルディ―ム派(スペインやポルトガル出身)、そしてイエメン・ユダヤ派などに属するユダヤ人がいる。ユダヤ教関係者は、「エルサレムは3000年前からユダヤ教の聖地だ」と主張しているが、考古学の調査によると、少なくとも4500年前に住んでいた異教徒カナン人の聖地だったことを証明する遺物がエルサレムから発見されているのだ。

 すなわち、エルサレムは3大唯一神教の聖地となる前に、異教信仰の聖地であったわけだ。この事実は大切だ。エルサレムと呼ばれる街の多様な歴史が浮かび上がるからだ。

 修道院長は、「エルサレムが単にユダヤ教の聖地だけとなれば、エルサレムは退屈な街となってしまう。さまざまな宗派の信者たちが自由に行き来するエルサレムこそ最もエルサレムらしいのだ」という。

 確かに、唯一神教の聖地が多様な歴史を持つエルサレムと呼ばれる街にあるという事実は一見奇妙な組み合わせである。しかし、唯一神教の信仰とエルサレムの多様性は本来、不可分な関係にあったのではないか。唯一神教の信者たちが結集し、互いに交流を図り、時には競争することもあっただろうが、エルサレムはその多様性をこれまで失うことがなかった。

 21世紀に入り、多様性は高く評価され、それぞれが競ってその独自性を発揮できる時代圏に生きている。宗教の世界も多様性を発揮する一方、共存を実現することで将来の統一世界の姿をわれわれに示す使命を有しているのではないか。「エルサレムは神に召命された街」(シュナーベル修道院長)という発言はエルサレムの本質を言い当てているように感じる。

スイスのリゾート地での「出来事」

 スイス日刊紙ターゲス・アンツアイガー(15日付)によると、同国のグラウビュンデン州のリゾート地、アローザ(人口約3200人)の旅行者用アパートメントハウスでユダヤ人客向けの注意書が反ユダヤ主義だとしてイスラエル側から激しい批判を受け、経営者のホテル側が急きょ、注意書を外すなど対応に追われている。以下は、ターゲス・アンツアイガー紙の記事に基づく。

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▲スイスのリゾート地アローザ(スイス政府観光局公式サイトから)

 問題の注意書は英語で書かれ、「ユダヤ人ゲストへ」とわざわざ名指しで書かれている。一つは「プールに入る前と後には必ずシャワーを浴びるように」と記され、もう一つは「冷凍ボックスは決まった時間にだけ利用するように」と警告しているのだ。

 同旅行者用ハウスには毎年、多くのゲストがイスラエルから訪れる。同注意書を読んだイスラエル人客が本国のテレビ局に連絡したことから、この注意書は大きな反響を呼び、英国、フランス、イタリアなどの欧州メディアでも報道される“事件”になったのだ。

 イスラエルのツィピ・ホトベリ外務次官は14日、「これは明らかに最悪のタイプの反ユダヤ主義的行動だ」と激しく批判し、スイス駐在のイスラエルのヤコブ・カイダル(Jacob Keidar)大使に連絡。同大使は直ぐにスイスのディディエ・ビュルカルテ外相に事態の解明を強く要請したというのだ。ホトベリ次官は、「残念なことだが、欧州では反ユダヤ主義が広がっている。スイスの出来事はこのことを端的に物語っている」と述べている。
 ちなみに、スイス国内のユダヤ人たちも「注意書の内容は容認されない」とイスラエル側の反応に同調し、スイス側に対策を求めている。


 事態がスイス・イスラエル両国間の政治問題にまで発展したことに、事件発祥地のホテルはビックリ、「これは誤解だ」と弁明する一方、問題の2枚の注意書きについては、「注意書の表現が確かに良くなかった」と認め、即撤去するなどの対応に乗り出したばかりだ。

 ホテル側の説明では、注意書のような事態は実際起きており、ユダヤ人ゲストがシャワーを浴びず、プールに入ったり、Tシャツでプールに入るゲストもいたことから、他のゲストから苦情があったという。冷凍ボックスの件では、本来はホテル側が管理しているもので、ゲストの使用は認めていない。ただし、ユダヤ人客だけには一定の時間、使用を認めていたという。

 イスラエルからのゲストはホテル側にとっては常連客だけに、ホテル側は「今回のことで経済的ダメージが生じなければいいが……」と神経質になっているという。

 スイスで2009年11月29日、イスラム寺院のミナレット(塔)建設を禁止すべきかを問う国民投票が実施され、禁止賛成約57%、反対約43%で可決された。その後、スイス南部のティチーノ州で2013年9月22日、ブルカや二カブなど体全体を隠す服の着用禁止の是非を問う住民投票が行われ、州国民の約65%が「公共の道路、広場で顔を隠してはならない。また、性別に基づいて他者に顔を隠すように強制してはならない」というブルカ着用禁止を支持するなど、スイスではここにきて急速に外国人(他宗教)への排斥傾向が強まってきている。

 欧州では2015年以来、中東・北アフリカからイスラム系難民・移民が殺到したが、彼らの多くは反ユダヤ主義の教育を受けて成長したイスラム教徒だ。それだけに、難民の欧州定着が進めば、欧州で反ユダヤ主義が拡大する、といった懸念がユダヤ人側には強い。アルプスのリゾート地での出来事は細やかなものかもしれないが、ユダヤ人がそれを黙認しないのはそれなりの理由があるわけだ。

あるイスラエル人の「呟き」

 当方が最近知り合ったイスラエル人(人権活動家、ここではA氏)から聞いた話を紹介する。テーマはイスラエル人の歴史観についてだ。

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▲イスラエルの国旗

 イスラエルは、「われわれは歴史を通じて常に犠牲者だった」という歴史観を持っている。イエス以降、ユダヤ教から派生したキリスト教の社会から迫害されてきた。世界に反ユダヤ主義が席巻し、至る所でユダヤ人は追われ、時には忌み嫌われてきた。そのユダヤ人迫害史の中でナチス・ドイツ政権時代のユダヤ人虐殺はその頂点だろう。約600万人のユダヤ人はアウシュビッツ強制収容所などに送られ、そこで犠牲となった。

 A氏は、「イスラエル政府は常にわが民族は犠牲者であり、犠牲国だという歴史観を国民に教え続けてきたが、イスラエルの隣に住むパレスチナ人がどのような日々を送っているかを知ろうとしなかったし、政府も国民にパレスチナ人の現状を伝えることはしなかった」という。 

 A氏曰く、「イスラエルの現状は精神分裂症的な状況だ。イスラエル社会は一見、欧州と米国のそれと似ているが、その次の戸を開けるとそこでは軍事占領が行われている。大多数のイスラエル人はパレスチナ人の現状を全く知らない。世界からジャーナリストが集まり、情報は無数にあるが、イスラエル人は知らない。極限すれば、知りたいと思わない。子供の時から民族主義的な教育を受ける。それはパレスチナ人を非人間化する教義(ドクトリン)だ。それは『私たちがこの紛争の犠牲だ』という点に集約されるだろう。多くの非政府機関(NGO)の活動家がその歴史観の間違いを指摘するが、イスラエル政府は彼らを反国家主義者のように扱い、攻撃する」
 
 「紛争は常に複雑で希望がないが、全ての紛争には終わりがある。イスラエル政府は紛争に終わりがないことを国民に教え続けてきた。人は変わることが出来ることを信じなければ、和解とか許しなど出てこない。興味深い話をしよう。イスラエル人とパレスチナ人の紛争犠牲者の家族たちが一堂に集まり、共同追悼集会を行ったことがある。そこに参加した一人のイスラエル女性は、『自分はイスラエル人ではない。子供を失った一人の人間(母親)として参加した』と答えたという」


 当方は数年前、1人のイスラエル人女性が、「平和の実現は迫害されている人々の手にあるように思える。イスラエル側は自分たちが平和のカギを握っていると信じているが、自分にはそうと思えない。迫害される側のほうが多くの平和を実現できる力があるのではないかと感じ出している」と語ったことを思いだした。

 イスラエルとパレスチナ問題は戦いでは解決できない。このことはこれまでの歴史が証明してきた。両民族の和解は結局は一人ひとりが自ら生み出していかなけれないのかもしれない。たとえ、多くの時間がかかるとしてもだ。

 当方は「新しいイスラエル人が出てきた」と感じている。イスラエルは犠牲国といったこれまでの歴史観を超越し、「われわれは共通の痛み」(コモン・ペイン)を抱えた人間であるという土台でパレスチナ人との和解に乗り出すイスラエル人の登場だ。
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