ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

イタリア

中国に急傾斜するイタリアの冒険

 イタリアの国民経済はリセッション(景気後退)に陥ってきた。同国統計局(ISTAT)が1月31日公表した昨年第4四半期の国内総生産(GDP)は前期比で0・2%減とマイナス成長を記録した。予算をめぐる欧州連合(EU)との対立の影響もあってイタリア国債の利回りは上昇し、財政懸念が国民経済の発展のブレーキとなっていると受け取られている。イタリア国民経済は経済統計を見る限りリセッションだ。先月9日、ローマで約20万人の反政府デモが行われたばかりだ。

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▲昨年6月1日からイタリアのかじ取りをする法学者のジュゼッペ・コンテ首相(イタリア首相府公式サイトから)

 中道右派「同盟」とポピュリズムで反EU路線の政党「5つ星運動」から成るコンテ連立政権はここにきて中国に接近してきた。具体的には、習近平国家主席が提唱した新しいシルクロード構想「一帯一路」への参加だ。東南アジア、西アジア、中東、欧州、アフリカを鉄道、道路、湾岸を建設し、陸路と海路で繋ぐ巨大なプロジェクトで9000億ドルの資金が投入されるという。欧州では、ハンガリーやギリシャは既に同プロジェクトに参加しているが、イタリアでもトリエステ市(同国北東部の湾岸都市)は中国企業の欧州供給拠点となることを期待している。例えば、ギリシャ政府は2016年4月、同国最大の湾岸都市ピレウスのコンテナ権益を中国の国営海運会社コスコ(中国遠洋運輸公司)に売却するなど、中国との経済関係を深めている。

 「5つ星運動」の党首、ディマイオ副首相兼経済発展・労働相はここ数カ月の間で2回、北京を訪問し、「一帯一路」への参加に積極的な姿勢を表明し、「イタリアは欧州では最初の中国プロジェクトのパートナーとなる」と主張するなど、雇用拡大、投資、安価なクレジットを中国から獲得して、イタリア経済を回復させたい意向を表明している(独週刊誌シュピーゲル電子版3月9日)。

 イタリア現政権の中国傾斜に対して米国やEUのブリュッセルから警告の声が出ている。駐ローマのルイス・アイゼンベルク(Lewis Eisenberg)米大使はジュゼッペ・コンテ首相と会合し、「イタリアは中国と一帯一路プロジェクトで署名すべきではない。イタリアは国際社会で名声を失う危険性がある」と警告を発している。コンテ政権内でも中国傾斜には賛否両論があることは事実だ。

 駐中国の欧州諸国の大使たちは昨年、中国のプロジェクト参加には警戒するようにという趣旨の共同声明を出した。その一方、ブルガリア、クロアチア、チェコ、スロバキア、ギリシャ、マルタ、ポルトガル、ポーランド、ハンガリー、スロバキア、そしてバルト3国の計13カ国は中国との協定に署名済み、ないしは参加意思を表明済みだ。


 しかし、そこにイタリアが入った場合、インパクトは上記の13カ国より数段大きい。経済危機に陥っているとはいえ、イタリアはEU内で4番目の経済国であり、世界で8番目の経済国だ。そのイタリアが中国のプロジェクトに参加したならば、経済的ばかりか、政治的衝撃は無視できない。中国としても、EUの主要国イタリアを陥落させたいという思いが強いだろう。

 ところで、中国のプロジェクトに参加し、北京から投資を受けてきた国の中には、債務返済不能に陥っている国が多い。スリランカ、モンゴル、パキスタンで既にみられる。債務返済不能となった場合、中国側の言いなりになってしまう危険性が出てくる。イタリアでも米中貿易戦争が終了し、世界経済が改善される時まで中国との間でいかなる経済文書にも署名しない方がいいといった声が出ている。

 今月22日に習近平国家主席がローマを訪問する。その前日にはブリュッセルでEU首脳会談が開催され、中国のプロジェクトについて話し合われる予定だ。そしてEU・中国サミット会談は4月9日に開催される。それまでにEUは中国のプロジェクトに対するEU加盟国でのコンセンサスを構築しなければならないわけだ。

 イタリアは2000年1月、当時の先進主要国7カ国(G7)の中で北朝鮮と最初に外交関係を樹立した国だった。そのイタリアは19年後の今日、中国の「一帯一路」プロジェクトに加わるG7の最初の国となろうとしている。

急死したダヴィデの「その後」の活躍

 世界最大のスポーツ競技はサッカーだ。そのサッカー試合は通常,各チーム11人の選手でプレイするが、サッカー場にイレブンの他、12番目の選手がいるといわれる。それは通常、チームを応援するファンたちのことを意味する。ここではサッカー・ファンのことではない。実際、12番目の選手が他の11人の選手と一緒にプレイする話だ。北朝鮮の非核化やシリア内戦問題のコラムを読み疲れた読者に気楽に読んで頂ければ幸いだ。

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▲ダヴィデ・アストーリ選手(ウィキぺディアから)

 イタリアのプロ・サッカー第1リーグ(セリエA)には20チームが所属し、エリート・リーグのチャンピオンを目指して奮闘中だ。ドイツのブンデスリーガでは早々とFCバイエルン・ミュンヘンが第28回目の覇者となったが、イタリアのセリエAでは常連のユヴェントスFCと第2位のSSCナポリが現在、数点の差でトップ争いを展開中だ。

 さて、12番目の選手がプレイするチームはセリエAで現在7位のACFフィオレンティーナだ。1997年から2年間任天堂が、99年から8年間TOYOTAが、そして2011年から3年間MAZDAがそれそれメインスポンサーとなるなど、日本とは縁が深いチームだ。
 今季はこれまで32試合で14勝9敗9分けだが、過去6戦は5勝0敗1分けと負けがない。ホーム試合だけではなく、アウェィでも3戦3勝だ。特に、名クラブのASローマとアウェイで勝っている。

 フィオレンティ―ナの快進撃は「あの時」から始まったのだ。チームのキャプテンだったダヴィデ・アストーリ選手(Davide Astori)が3月4日、遠征先ウーディネのホテルで心臓発作で突然亡くなってからだ。それ以来、チームは1分けを入れ連戦連勝を記録中なのだ。ファンからは「ダヴィデがグランドで他の11選手と共に戦っている」といった囁きすら聞こえてくる。

 ダヴィデは31歳だった。ポジションはディフェンダー(センターバック)だ。イタリア代表にも選出されている。彼が突然心臓発作で亡くなってから、チームは負けを知らない。もう少し詳細に説明すると、相手チームの得点は過去6試合でトリノFC戦の1得点だけだ。守りの要だったダヴィデがゴールを守っている、というファンの声は決して空言葉ではないのだ。

 葬儀は3月8日、フィレンツェのサンタ・クローチェ教会で行われた。市全体でその日、喪に服することになった。彼の背番号「13」は永久欠番となり、クラブの練習場は「スポーツセンター・ダヴィデ・アストーリ」と命名され、イタリア・サッカー協会はフェア・プレー賞を「プレミオ・ダヴィデ・アストーリ」と改名している。ダヴィデが多くの人々に愛されて、尊敬されてきたことを物語っている話だ。

 もちろん、ACFフィオレンティーナは11人の選手で戦っているが、突然亡くなったダヴィデが12番目の選手としてグランドでプレイしていると、クラブ関係者やファンの中で語られているのだ。それ以外、快進撃の理由が考えられないからだ。

 どうか「全く妄想だ」といって一蹴しないでほしい。あり得る話だからだ。‘輿鎧爐靴疹豺隋∋爐鵑誠佑麓分が死んだと暫く理解できないことがある。地上に未練が強い場合、地上から他の世界に移れないケースが出てくるのだ。だから、ファンや仲間の選手たちから愛されてきたダヴィデはフィレンツェから“まだ離れられない”のかもしれない。

 当方は15日、対SPALフェッラーラ戦の試合をTV観戦した。結果は0対0で引き分けに終わったが、SPALがエルフ・メーター(ぺナルティキック)を得た時、主審がビデオでチェックした後、エルフ・メーターを無効とした場面があった。ファンたちは「ダヴィデがエルフ・メーターを防いでくれた」と考えたとしても、不思議ではない。それほど微妙な判定だった。

 ダヴィデは時が満ちればクラブの本拠地フィレンツェから去って行くだろう。それまで、多くのファンがダヴィデのプレイを試合中に感じたとしても不思議ではない。

アラファトが伊でテロを防いだ?

 当方はこのコラム欄で「伊『マフィア』はテロを防いでいる」(2016年12月27日)というタイトルで、「なぜイタリアではこれまでテロが発生しないか」というテーマを扱った。イタリアは欧州共通通貨ユーロ圏の第3の経済国であり、ギリシャと共に欧州文化の発祥の地だ。フランス、ドイツ、英国、ベルギーで過去、テロが頻繁に発生したが、イタリアではこれまで大きなテロ事件は起きていないからだ。そして「イタリアでテロを防いでいるのは、警察当局の対テロ対策の成果というより、マフィアの存在があるからではないか」という考えを紹介した。

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▲ヤーセル・アラファト議長、スイスの世界経済フォーラム(ダボス会議)で演説(2001年 「世界経済フォーラム」の公式サイトから、Remy Steinegger氏撮影)

 イタリアでは、ヌドランゲタ(Ndrangheta)、カモーラ、コサノストラなどの大マフィア組織が幅を利かしている。彼らは地域に密着している。マフィアはイスラム過激派テロ組織が国内で勢力を拡大し、イスラム・コミュニティを作ることを許さない。フランスやベルギーでも必ずイスラム系移民たちが集中する地域、共同体が存在する。例えば、ベルギーの首都ブリュッセル市のモレンべーク地区だ。そこではイスラム系住民が50%を占める。現地の警察もやたらと踏み込めない。一方、イタリアではマフィアが存在する。イスラム過激派テロ・グループがネット網を構築して組織化しようとすれば、イタリア警察が踏み込む前にマフィアが乗り込んで、壊滅させる、と説明した。


 ところが、ここにきて新しい情報が入ってきた。イタリアの情報誌レスプレッソ(L・Espresso)は「イタリア政府は1985年、パレスチナ解放機構(PLO)のヤーセル・アラファト議長(1929〜2004年)と『反テロ協定』を締結していた」というのだ。情報源はアラファト議長が1985年から2004年の間、こまめにつけてきた日記だ。同日記はアラファトの死後、信頼できる2人がルクセンブルクで保管してきたが、フランスの研究機関の調査のために提供した。同誌がその内容を入手したというわけだ。

 それによると、イタリアのべッティ―ノ・クラクシ首相(1983〜87年))とジュリオ・アンドレオッティ外相(当時)は1985年、アラファトの強い要請を受けて、イタリアの豪華客船 Achille Lauro のシージャック事件の主要容疑者、Zaidan alias Abu Abbasをチュニジアに逃がす代わりに、アラファトは「イタリア国内で今後如何なるテロも行わない」という「反テロ協定」をイタリア政府と締結したというのだ。

 イタリアでは1970年代から80年代にかけ極左・極右系のテロ組織が政府要人の誘拐・殺害や爆弾テロ等、年間2000件を超すテロ事件を引き起こしたが、アラファトとイタリア政府間で締結された「反テロ協定」以降、イスラム過激派テロ組織のテロ事件は起きていない。ただし、「反テロ協定」には大きな問題点がある。例えば、2014年に「カリフ国の建設」を宣言したイスラム過激テロ組織「イスラム国」(IS)が1985年に締結された「反テロ協定」を堅持するだろうか、という素朴な疑問だ。

 アラファトは2004年11月11日、パリ郊外の仏軍病院で死去したが、その直後、スーハ夫人ら家族関係者から毒殺されたという疑いがもたれ、死体の鑑定などが実施されるなど、アラファトの周辺には死後も様々なミステリーがある。
 そのアラファトがイタリア政府と「反テロ協定」を結んでいたという情報には疑いが完全には払しょくできない。イタリアで来月4日、総選挙が実施されるが、選挙戦中のメディアのスクープ報道にはやはりそれをリークした側の政治的思惑もあるからだ。

 なお、同誌は、シルヴィオ・ベルルスコーニ元首相が1998年7月27日、ウィ―ンのインぺリアルホテルでアラファトと極秘に会合していたと明らかにし、元首相が自身の汚職問題を隠蔽するためアラファトを買収し、偽証させていたと報じている。

クリスマスツリーは枯木だった?

 欧州最大のクリスマス市場、ウィ―ン市庁舎前広場には当然のことだが、クリスマスツリーが飾られている。毎年、ツリーは異なった州から運ばれるが、今年はフォアアールベルク州から運ばれた高さ25メートルの松の木だ。先月15日には、来年辞任予定のホイプル市長がツリーのスイッチを入れると、飾られたイルミネーションが一斉に点灯された。ツリーは、クリスマスが終わるまで輝いている。

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▲クリスマスツリーと相性が悪いローマのラッジ市長(ラッジ市長のフェイスブックから)

 ところで、クリスマスツリーが生き生きと飾り付けられているから、市場の雰囲気も盛り上がるが、そのツリーが運び込まれた段階で既に生命力を失った枯木だったらどうするか。クリスマスの雰囲気が失せてしまうだろう。

 そんな考えられないことがイタリアのローマであった。イタリア共和国トレンティーノ=アルト・アディジェ州トレント自治県の北東部に位置する谷、ヴァル・ディ・フィエンメ谷から採木された松が今月初めローマのヴェネツィア広場に運び込まれたが、樹木の専門家が直ぐにその松の木が既に枯れているのに気が付いたのだ。ローマまでの運送中に松の木が死んでしまったわけだ。松の木の運送コストはほぼ4万ユーロだったが、運送中に松の木が傷ついてしまったのではないかというのだ。

 松の枝は哀れにも垂れ下がっている。インターネットのユーザーたちはツリーを早速洗面所用ブラシだと揶揄している。ツリーに自らスイッチを灯したラッジ市長への嫌味もあってか、ツリーは“禿の枯木”と呼ばれているというのだ。

 消費者保護協会(Codacons)はヴェネツィア広場からクリスマスツリーを片付けるように要求。「クリスマスツリーは市民と旅行者に醜悪なイメージをを与えるだけだ」とその理由を説明している。
 ツリーはクリスマスが終わるまで生き延びないのは誰の目にも明らかだった。Codaconsのカルロ・リンツィ議長は、「枯木のツリーの写真はローマの町を世界の嘲笑の的にしてしまうだけだ」というのだ。

 ところで、ヴェネツィア広場のクリスマスツリーでローマのブルジニア・ラッジ市長は昨年も批判されている。「五つ星運動」所属のラッジ市長は昨年も他の政党政治家たちから同じように“枯れたクリスマスツリーだ”という批判を受けたばかりだ。


 ラッジ市長(39)は昨年6月、マッテオ・レンツイ氏が率いる与党「民主党」の対抗候補を破り、イタリアで初の女性市長に当選した才媛だが、クリスマスツリーとは相性が悪いのだろうか。それとも、イタリアで最初のローマ市長に当選した才媛ラッジ女史への嫉妬と嫌がらせがクリスマスツリー批判となって跳ね返っているのに過ぎないのだろうか。
 AFP通信が配信したツリーの写真を見る限りでは、撮影の角度もあるだろうが、やはり生き生きとした感じはなく、お化け屋敷のツリーといったイメージが浮かんでくる。

あの“ティラミス”の本場はどこ?

 世界的に有名なデザート、イタリアのティラミスは日本でも好きな人が多いだろう。イタリアが誇るチーズケーキの名産品だが、ここにきて元祖争いを展開している。その切っ掛けはローマの農業省が同国の伝統的名産品リストの中にティラミスを加えたまではよかったが、その本場をフリウリ・ヴェネツァ・ジュリア州ウーディネ県にある基礎自治体トルメッツォ(コムーネ)と説明し、「1950年代に生まれた」と紹介したからだ。

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▲イタリアが誇るデザート「ティラミス」

 「トレヴィ―ゾこそティラミスの本場」と主張してきた同国北東部ヴェネト州のルカ・ザイア知事は、「ティラミスは1960年代に、トレヴィーゾにあるレストラン『Alle Beccherie』において、店の女主人アーダ・カンペオルと、通称ローリという若い料理人ロベルト・リングアノットによって考案された」と主張し、農業省に抗議したのだ。

 月刊イル・チェントロによると、アーダとローリは、アーダが長男を妊娠中に、お腹の子に少しでも元気を与えられるように、このお菓子を考え出したという。ティラミスは「私に力をちょうだい」という意味だ。 

 当方も口の中でとろけるティラミスが好きだ。そのティラミスがいつ、どの町で最初に作られたか関心はあるが、地域の関係者にとっては死活問題だろう。その地域の特産品と指定されれば、地域の名は世界に広がり、ティラミスの売り上げも伸びることは間違いない。

 イタリアのティラミスの本場争いを聞くと、音楽の都ウィーンのザッハートルテの知的財産争いを思い出す。洋菓子のメッカ、ウィーンでは過去、ザッハートルテ(伝統的なチェコレートケーキ)の知的所有権争いが、ザッハー側と王宮専属洋菓子店「デメル」との間で長い間続いた(ザッハートルテは同国が誇る世界的なブランドで、日本から洋菓子作りを学びにくる職人がいるほどだ)。

 「ザッハー・ホテル」のオーナー、当時のエリザベト・グュルトラー社長によれば、「1832年、料理見習のフランツ・ザッハーが偶然作ったザッハートルテは今日、年間約36万個が製造され、ドイツ、米国、イタリアなどに輸出されている。輸出全体の4%を占めるほどだ、オーストリアにとって、ザッハートルテは文字通り、貴重な輸出品となっている」というわけだ。


 デメル側は「ザッハー・ホテル」が製造するトルテはザッハートルテの本来のレシピに従っていない。わが社のトルテはフランツ・ザッハー氏のレシピを忠実に守っている」と主張し、店舗でも「ザッハートルテ」という名前のトルテを売っていた(「175年を迎えたザッハートルテ」2007年4月13日参考)。

 参考までに、元祖、老舗争い、本場争いが国境を越えて展開されたことがあった。オーストリア人はソーセージが好きだが、そのソーセージの王様はケーゼ・クライナーだ。そのケーゼ・クライナーは隣国スロベニアから由来していることから、スロベニア政府が突然、「製造発祥地はわが国だ」として、商品名の専売特許を欧州連合(EU)の特許庁に申請したことがあった。それが伝わると、オーストリアのファストフード界やガストロノミーは大ショックを受けた。スロベニアの申請が承諾されれば、ケーゼ・クライナーという呼称を使用できなくなるからだ(「“ソーセージ”戦争の行方」2012年4月15日参考)。

 いずれにしても、伝統的名産品ティラミスの本場争いは地域の経済的発展にも影響を与えるだけに、地域の政治家、財界を交えたティラミスの元祖争いはまだまだ紆余曲折が予想される。

伊「マフィア」はテロを防いでいる!

 フランスやベルギーでイスラム過激派テロが頻繁に発生していた時、「なぜドイツではテロ事件が起きないのか」といわれたものだが、今年の夏、テロが発生し、クリスマス6日前の今月19日にはベルリンで12人の犠牲者が出た「トラック乱入テロ事件」が起きたばかりだ。残念だが、ドイツは、欧州最大のイスラム教徒を抱えるフランスやベルギーと共に、イスラム過激派テロのターゲットとなってきた。

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▲テロの標的の一つ、バチカン法王庁(2011年4月、撮影)

 ところが、ここにきて「なぜイタリアでテロ事件が起きないのか」という声が聞かれ出した。欧州共通通貨ユーロ圏の第3の経済国であり、ギリシャと共に欧州文化の発祥の地だ。その国でなぜかテロ事件が起きていない、という問いかけは看過できない。

 イタリアでは1970年代から80年代にかけ極左・極右系のテロ組織が政府要人の誘拐・殺害や爆弾テロ等、年間2000件を超すテロ事件を引き起こしたが、ここにきてイスラム過激派テロ組織によるテロ事件は起きていない(日本外務省「海外安全ホームページ)。

 イタリアの首都ローマには国連食糧農業機関(FAO)などの国連専門機関の本部があるだけではなく、世界に12億人以上の信者を抱える世界最大のキリスト教宗派、ローマ・カトリック教会の総本山バチカン法王庁がある。イスラム過激派テロ組織にとってテロを実行したいターゲットではないか。

 実際、バチカンではいつテロ襲撃されるか分からない、といった緊張感は既にあるが、幸い、これまで起きていない。フランシスコ法王の身辺警備も厳重であり、一般謁見でもイタリア警察とバチカン警備員が信者たちの動向に目を光らせている。

 北アフリカ・中東からは多数の難民、移民がイタリアのシチリア島南方にあるランぺドゥーザ島に殺到している。その中にテロリストが潜入していても不思議ではない。
 「空を飛ぶ法王」と呼ばれたヨハネ・パウロ2世(在位1978〜2005年)が1981年5月13日、ブルガリア系のトルコ人、アリ・アジャに銃撃される暗殺未遂事件が起きたが、それ以降、バチカンではテロ事件と呼ばれる事件は起きていない。

 それは、イタリア警察の対テロ政策の成果ではないか、といった思いも湧いてくる。独ベルリンの「トラック乱入テロ事件」のアニス・アムリ容疑者をパトロール中の2人のイタリア警察官がミラノ郊外で射殺し、独メルケル首相から感謝されたばかりだ。
 ただし、イタリア人気質を少しは理解している当方は、イタリア人警察官がドイツ人警察官より優秀だとはどうしても思えないのだ。

 欧州のテロ専門家の中には、「イタリアではマフィアが絶対的な力を握っている。彼らが目を光らせているのでイスラム過激派テロ組織は根を張れない」と分析する声がある。すなわち、イタリアでテロ事件が起きないのは、政府や警察当局の対テロ戦略の成果というより、自身の勢力圏を死守するマファイの存在があるからだというわけだ。マフィア「テロ阻止」説だ。

 マフィアはイスラム過激派テロ組織が国内で勢力を拡大し、イスラム・コミュニティを作ることを許さない。フランスやベルギーでも必ずイスラム系移民たちが集中する地域、共同体が存在する。例えば、ベルギーの首都ブリュッセル市のモレンべーク地区だ。そこではイスラム系住民が50%を占める。現地の警察もやたらと踏み込めない。一方、イタリアではマフィアが存在する。彼らはイタリア全土にその影響力を有している。イスラム過激派テロ・グループがネット網を構築して組織化しようとすれば、イタリア警察が踏み込む前にマフィアが乗り込んで、壊滅させる、というわけだ。
 蛇足だが、マフィアとイスラム過激派テロ組織では、その主要目的が異なる。だから、両者が提携するというシナリオはもちろん完全には排除できないが、非現実的だ。

 なお、イタリアでは、ヌドランゲタ(Ndrangheta)、カモーラ、コサノストラなどの大マフィア組織が幅を利かしている。彼らは地域に密着している。マフィア・グループが年間稼ぐ収益はイタリアの国民経済を陰で支えているといわれるほどだ。

伊地質学者「地震の続発」を予測

 イタリアでここのところマグニチュード(M)5からM6の地震が頻繁に起きている。30日には同国中部ノルチェ近郊で1980年以来、最大の地震、M6・6の地震が発生した。倒壊した家屋の傍で困惑したイタリア人の姿がニュースで放映されていた。彼らは余震を恐れ、眠れない夜を過ごしている。

 同国中部ペルージャ県ノルチャ付近で8月23日、M6・2の地震が発生し、 アマトリーチェなどでは多数の犠牲者が出たばかりだ(死者総数298人)。10月30日の地震では多数の建物が倒壊したが、幸い、これまでのところ死者は出ていない。ちなみに、「なぜ、8月の中部地震で多くの犠牲者が出て、今回は死者が出なかったのか」といった声も聞かれる。

 マッテオ・レンツィ首相は30日、「緊急に復旧作業に取り掛かる。家屋を失った国民は新しい家を建設する」と約束していた。それを聞いていた被災地の住民が「首相は約束するが、いつ新しい家屋を造ってくれるのか、その財源はどこから来るかなど何も言わない」と述べ、首相の支援発言に懐疑的な反応を示していた。

 被災地では他地域に避難する住民が増えている。なぜならば、地質学者は、中部地域で今後も地震が続発するドミノ効果を予測しているからだ。
 例えば、1783年のカラブリア大地震では2カ月間で5回の大地震が続けて起きている。同国ウンブリア州ペルージャ県のアッシジでも1997年9月、3週間で3回の連続地震が発生した。
 地質学者は、「今回の中部地震はこれまでの地震を上回る規模だ」と警告を発している。イタリアで地震が多発する理由としては、ユーラシアプレートとアフリカ・プレートが衝突する地域だからといわれている。

 8月の地震と今回のイタリア中部地震で、オーストリアでもチロル州やケルンテン州で揺れが報告されている。国民の地震に関する関心は高まっている。オーストリアでは軽震はあるが、M4程度の地震は久しく体験したことがない。音楽の都、ウィーンに住む当方は過去36年間、1度「あれ、少し揺れている」と感じたことがあっただけだ。地震大国で生きている日本人には考えられないことだろう。

 当方はイタリアに多くの知人、友人がいるので、地震の度に被害状況を聞くが、彼らは自身が直接被害を受けていなくても、地震の被害に話が及ぶと、涙ぐみながら説明する。

 イタリア人はいい意味で感情の振幅が大きい。嬉しい時は文字通り大喜びし、悲しい時は直ぐに涙する。イタリア語にはドルチェ・ヴィータ(Dolce Vita)という言葉がある。直訳すれば「甘美な人生」といった意味だ。束縛されることなく、人生を楽しむイタリア人気質を表した言葉といわれる。

 イタリアのセルジョ・マッタレッラ大統領は、「困難な状況下で国民は結束しなければならない」と述べている。イタリア国民はその天性の明るさを失うことなく、復旧に果敢に取り組んでいってほしい。

韓国人とイタリア人は似ているか

 韓国の朴槿恵大統領は14日、アジア欧州会議(ASEM)に出席するためイタリアのミラノに到着後、積極的な首脳会談をこなした。韓国聯合ニュースを読んでいると、面白いことに気が付いた。韓国とASEMのホスト国イタリア両国は地理的には離れているが、国民のメンタリティは似ている点がある、ということだ。
 産経新聞ソウル駐在特別記者兼論説委員の黒田勝弘氏はその著書の中で韓国人とイタリア人の類似性を指摘されていると聞いた。残念ながら、当方はその著書を読んでいないので詳細な点は分からない。そこで偏見と独断を恐れず、当方が感じる、両国民の類似性について書いてみた。

 ミラノから車で1時間ほど行くと、ベルガモに着く。そこに住む友人のカルロ夫妻宅を訪問したことがある。カルロ夫妻は市内を案内してくれたが、数時間のガイド時間で4、5回、レストランや喫茶店に入った。当方がよほど空腹に悩まされていると考えたわけではないだろうが、カルロ夫妻はとにかく食べることに拘る。カルロは当方が洒落た喫茶店を覗いていると「入ってコーヒーでも飲もう」と誘う。昼食を食べて1時間もたっていないのに、「あそこで休憩しよう」といって、レストランを指さす、といった具合だ。カルロの奥さんは海の幸を巧みに利用したパスタを出してくれた。

 韓国人は友人や知人に会えば直ぐに「ご飯を食べたか」と聞くという。「ご飯を食べたか」は韓国では「元気か」と同じ意味合いの挨拶言葉だそうだ。日本人は割り勘するが、韓国人は絶対、割り勘には応じない。食事代は自分が払うと言い張る。韓国人もイタリア人に負けないほど食事に執着心が強い。


 両国の類似性では、_板蹐励が強い、∋匐々イ、などが良く指摘されるが、イタリアの場合、家庭の絆は依然強いが、欧州でも少子化が最も進んでいる国だ。イタリア北部の町では子供の数より犬の数が多いところもある。その意味で、イタリアは変わりつつある。韓国も同じだろう。少子化は次第に社会問題となりつつある。

 イタリアは昔、世界を支配していた大国だった。「世界の道はローマに通じる」といわれた。イタリア経済は現在、厳しい試練を受けているが、欧州連合(EU)の主要経済国だ。一方、韓国は過去、大国の支配を受け続けてきたが、現在はアジアの経済国だ。付け加えると、両国とも南北問題を抱えていることだ。イタリアの場合、豊かな北部と貧しい南部の格差は大きな政治問題だ。韓国の場合、独裁国家・北朝鮮と対峙している。

 朴大統領は17日、イタリアのレンツィ首相と首脳会談を行い、両国関係を「創造経済パートナーシップ」として強化することで合意したという(聯合ニュース)。具体的には、文化、ファッション、デザイン、IT、保健などの分野で経済パートナーシップを築いていくという。

 ところで、イタリアはファッションの国だ。外見に拘る。一方、韓国人も外見に力を入れる。整形王国といわれるほどだ。未成年者の整形手術が増加し、社会問題となってきた、という記事を読んだ。盧武鉉大統領(任期2003〜08年)が二重瞼の手術を受けたと聞いた時、「へェー、韓国では大統領になった人物もその外見に拘るのだな」と驚いたことを思い出す。ちなみに、サムスンや現代自動車は本体の開発以上に、世界的デザイナーを雇って外形で斬新なイメージを創造することに力を入れることで知られている。
 まとめると、両国の歴史や背景は異なるが、食べることに拘り、外見を重視する2点で両国民は確かに似ているわけだ。

 なお、聯合ニュースによると、今年は韓国とイタリアの国交樹立130周年にあたり、両国は政治、経済、文化などさまざまな分野で記念行事を開催中という。

イタリア人の“ドルチェ・ヴィータ”

 観光の町、ウィーン市内を歩いていると、元気な声が聞こえるのはイタリア人の旅行者たちからだ。彼らは観光が楽しいというより、生きているのが嬉しいのではないかと思うほどだ。それに反して、足早に黙々と歩く観光者はドイツ人旅行者が多い。ガイドブックを片手に持ちながら、次の名所に向かう。そこには無駄がない代わりに、イタリア人たちのような陽気さは感じられない。

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▲初老の男と小犬(2013年9月25日、ベルガモにて、撮影)

 ウィーンに長く住んでいると、イタリア人やスペインといった南欧の明るさが恋しくなる。病弱のショパンが治療のために南国を求めたのも当然かもしれない。

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▲様々なピザを並べる店(2013年9月25日、ベルガモにて、撮影)

 ローマ法王フランシスコは先月27日、ヨハネ23世とヨハネ・パウロ2世の列聖式後、「列聖式のために尽力をしてくれたベルガモ教区とクラクフ教区の関係者に感謝する「と述べた。ローマ法王の口から“ベルガモ”という言葉が飛び出した時、昔の友人を思い出したように、自然と笑みがこぼれてしまった(イタリア北部の小都市ベルガモ郊外には、今回聖人に列されたヨハネ23世の生誕地がある)。

 当方は昨年9月、ベルガモを初めて訪れた。仕事で疲れるとベルガモの休日が思い出される。ベルガモでは本当にゆったりとした時間を満喫した。仕事らしいことは何もせず、友人家族と談笑しながら過ごした。仕事道具のラップトップは自宅に置いてきた。ポケットにメモ帳だけを入れ、デジカメをもってウィーンから飛んできた。リュックサック一つの旅だ。
 
 ベルガモの町を友人に案内されながら見て回り、疲れたら近くの喫茶店やピザ専門店で食事し、休憩した。旧市内の細い石段を歩きながら、行き交う人々や店を覗いた。昼食に入ったピザ店では余りにも多くの種類のピザがあるのにビックリした。サラミ、ツナ、野菜、パイナップル、小魚など様々な食材を組み合したピザが並んでいる。隣には、ベルガモの典型的な甘菓子、ポレンタを売る店がある。
 
 路上には犬が闊歩している。主人の歩くテンポを知っている犬たちは自由を満喫している。主人が疲れて休むと犬はじっと待っている。古い小さな飲み屋で腰を下ろして一休みしていた初老の男がいた。その足元には小犬が座っている。中世の絵画をみるような風景だ。当方はポケットからそっとデジカメを取り出し、シャッターを押した。小犬は当方の動作にまったく関心を払わない。どうぞ、勝手に撮影してください、といっているようだ。男は、と言えば、これまた微動だにしない。
 
 ベルガモでは時間に追われるように、一つの名所から他の場所へと飛び歩く旅行者は少ない。ミラノから日帰りでベルガモを訪ねる旅行者が足早に過ぎていくが、多くはベルガモの時間に合わせて動く。

 イタリア語にはドルチェ・ヴィータ(Dolce Vita)という言葉がある。直訳すれば「甘美な人生」といった意味だ。束縛されることなく、人生を楽しむイタリア人気質を表した言葉ともいわれる。ドイツ人とはまったく違うイタリア人の人生観、ドルチェ・ヴィータをベルガモの旅で発見した。

溺れる“不法”移民を助ければ罰?

 イタリア最南端の島ランペドゥーザ島沖で3日、難民約500人が乗った船が火災を起こし沈没した。イタリアのメディアによると、300人余りが犠牲となった。6日午後(現地時間)、194人の遺体が確認された。救済された難民の数は155人という。

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▲ランべドゥーザ島沖の悲劇を報じるオーストリア日刊紙エステライヒ紙(7日付)

 ボートに500人の難民が乗り、波の荒い秋の海をリビアのミスラタ海岸からスタートし、約140キロ先のランべドゥーザ島を目指した。生存した難民の話によれば、危険な航海を計画したのはプロの人身売買業者だ。春や夏の海とは違い、10月に入ると地中海の波も荒いという。人身売買業者が難民に航海の危険性を伝達したかどうかは不明だ。ただし、2人に1人が生きてランべドゥーザ島に到着できると教えられたとしても、「難民はその航海を決して断念しなかっただろう。母国にもはや希望がないからだ。国に留まるより、危険を覚悟してボートに乗った難民が少なくなかったはずだ」という。メディア報道によると、難民は1人当たり1600ユーロ相当を人身売買業者に払っている。

 イタリアのメディアによると、犠牲者の中には女性が多かったという。その上、難民の多くはエリトリア人、ソマリア人という。

 以下は当方の推測だが、犠牲者はイスラム教徒が多かったと見て間違いがないだろう。とすれば、イスラムの女性は泳げない人が多い。なぜならば、イスラムの教えは公の場で女性が肌を出すことを禁止しているから、女性が水泳を学ぶ機会などないからだ。犠牲者に女性が多かったという背景には、泳げないイスラム女性が多かったことを物語っているのではないか。

 ところで、島沖で溺れている難民を見つけた漁師は海岸警備船に即連絡したというが、海岸警備船が現地に到着したのは連絡が入ってから45分後だ。警備船がもう少し早く到着していたならば、救助された難民もいただろう。島まで500メートルもない海上で多くの難民は力尽きて亡くなっているのだ。

 問題は、漁師が海上で溺れている“不法”移民を発見し、それを救った場合、不法移民を守ったという理由で漁師の船は押収され、漁師も告訴される可能性があることだ。イタリアではボッシ・フィー二法(Bossi Finni法)と呼ばれる移民対策改正法だ。同改正法は2002年12月に発効している。
 ただし、漁師は目の前に溺れている不法難民を発見すれば、救済に乗り出すケースが多い。漁師の1人は「漁師としての当然の義務だ。もちろん、不法難民を救った場合、罰せられることを知っている」と話している。今回の悲劇を契機にレッタ伊首相は同法の再考を表明している。

 ランべドゥーザ島のダミアノ・スフェラッゾ副市長はバチカン放送とのインタビューの中で、「犠牲となった難民の故郷は戦争状況だ。彼らは安全な生活を求めてボートに乗ったのだ。彼らは不法移住者ではなく、難民だ」と説明している。なお、ランべドゥーザ島の空港では5日夜、亡くなった難民たちの慰霊ミサが開かれた。

 ちなみに、欧州連合(EU)は今月末、首脳会談を開催するが、移住者対策を緊急議題にすることを決定している。そこでは、開発途上国支援の拡大、人身売買業者への刑罰の強化などが話し合われるという。それに先立ち、欧州委員会のバローゾ委員長は9日、ランべドゥーザ島を視察する予定だ。
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