ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

トルコ

トルコのサウジ総領事館盗聴は合法?

 トルコのエルドアン大統領は10日、イスタンブールのサウジアラビア総領事館内で殺害された反体制ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏(59)の殺害状況を録音した音声録音をサウジ、米国、英国、ドイツ、フランスらと共有したことを明らかにした。そのうえで「録音を聞いた者は犯行の実行者が誰か分かるはずだ」と強調した。トルコのメディアは捜査当局から得た情報を細切れに報道してきたが、トルコ当局は音声録音の存在を正式には明らかにしてこなかった。

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▲殺害されたジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏(ウィキぺディアから)

 犯行から40日以上が過ぎたが、米国は依然、サウジに対する制裁を決めかねている。それに対し、エルドアン大統領は忍耐の限界だとばかりに犯行状況を録音した音声録音の存在を認めたうえで、サウジ側に最終通告を突きつけたというわけだ。

 米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は12日、音声録音を聞いた者の情報として、「犯行の実行者の一人はリアドに電話し『任務が完了したことを上司(ボス)に伝えてほしい』と語っていた」と報じ、ムハンマド皇太子がカショギ氏殺害を命令したことを強く示唆する記事を掲載した。

 サウジはカショギ氏殺人事件ではトルコ側の情報攻勢に守勢を余儀なくされてきた。犯行をいったんは否定したが、それが難しくなると、総領事館内での喧嘩によるアクシデントによる死、そしてイスタンブールに派遣された18人の特別団の殺人説まで認めてきたが、ムハンマド皇太子に容疑が及ぶことだけは懸命に回避してきた経緯がある。しかし、捜査網はいよいよ皇太子周辺に近づいてきた。音声録音の内容を詳細に解析する段階で皇太子の犯行が浮かび上がるのはもはや時間の問題だろう。  

 カショギ氏は総領事館に入った直後、ビニール袋を被され、窒息状況で殺された可能性が高まった。同氏の遺体はバラバラにされたうえで、化学液で溶かされ、下水に流されたというのだ。その犯行は残虐だ。

 ここで少し立ち止まって考えたい問題がある。エルドアン大統領自身が音声録音の存在を認め、それを主要関係国と共有したというが、誰がその音声を録音したのか。トルコ側が録音したと考える以外にないだろう。すなわち、トルコは自国内の外国公館内(治外法権)で盗聴装置を設置していた可能性が高まるわけだ。明らかに国際条約に違反するものの、当方が知る限りでは、サウジの犯行を厳しく糾弾する声はあるが、トルコ側の不法盗聴についてはどの国も表立っては批判していない。

 「殺人」とその殺人を暴露した「盗聴」とではどちらが不法かと聞かれれば、前者は凶悪犯罪だが、後者も不法行為と言わざるを得ない。トルコ側はここにきて初めて音声録音の存在を認めたが、なぜ事件発生直後に発表しなかったのだろうか。トルコ側は録音の内容をメディアに流すだけで、その音声録音の存在は認めてこなかった、なぜならば、盗聴を認めれば、トルコ側も不法行為をしてきたと糾弾される恐れがあったからだ。

 それではどのようにして犯行現場を音声録音したかが問題となる。考えられるやり方は、〜輓了館内に盗聴器を設置、▲好イプでリヤドと犯行現場とのやり取りを傍聴、アップル・ウォッチによる録音などが考えられる。その中で,鉢△もっとも現実的なやり方だ。トルコ当局はメディアに△鉢の可能性を示唆する情報をリークしてきたが、それは,療霙阿傍燭い向かないように意図的に流したのだろう。

 どの国でも自国と対立したり、国益で衝突している国の大使館や公館には盗聴など様々な方法で監視していると考えて間違いがない。トルコにとってサウジは中東・アラブ諸国の覇権争いをしているライバル関係だ。何らかの監視が行われたとみて間違いがないだろう。

 米国家安全保障局(NSA)はメルケル独首相の携帯電話を盗聴し、会話内容すら傍聴できる時代だ。サウジ総領事部内会話盗聴するのは困難ではない。特に、ガショギ氏の場合、トルコ側は同氏の婚約者(トルコ人)を通じてカショギ氏が何時にサウジ総領事館を訪問するかなど詳細に事前に分かっていたから、盗聴はさらに容易だ。

 国際メディアはサウジの反体制ジャーナリスト殺人事件に強い関心を注いできたが、トルコ捜査側の不法盗聴に対してはあえて無視してきた感がある。トルコ側が盗聴していなかった場合を考えれば、多分、カショギ氏の動向は分からず、行方不明ということで事件は迷宮入りしたかもしれない。トルコ側の盗聴行為の助けで殺人事件の状況が明らかになった。結果論からいえば、国際社会はトルコ側の努力に感謝しなければならないかもしれない。

 しかし、大使館や領事館など外国公館への盗聴行為に市民権を与えれば、今後様々な不祥事が生じることにもなる。サウジだけではない。他の国の大使館や公館でも今後、トルコ側の盗聴を警戒する動きが出てくるだろう。

 例を挙げる。シャーロック・ホームズが殺人容疑者と考える家に不法に侵入し、容疑者の書斎から犯行を実証する物件を見つけたとする。裁判で裁判官は必ず聞くだろう。「あなたはどこでそれを手に入れたのか」と。シーロック・ホームズは「容疑者(被告)の自宅に不法に入り、証拠物件を見つけた」とは言えない。そのような事を言えばその瞬間、証拠物件は破棄されるからだ。だから「容疑者の家を訪問した時、家の鍵はかかっていなかった。不思議に思って入ったところ、今回の物件が書斎のデスクの上にあったのを見つけた」と虚言する以外に他の選択肢はないわけだ。

 同じように、カショギ氏殺人事件に対するトルコ側の対応でも言えるかもしれない。トルコは国際社会で信頼を落とす危険性はあるが、その代価を払ったとしてもサウジに致命的なダメージを与える絶好のチャンスと考え、エルドアン大統領は今回、音声録音の存在を認め、他国と共有したわけだ。

「カショギ氏殺人事件」1カ月の総括

 サウジアラビアの反体制ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏(59)がトルコのイスタンブールのサウジ総領事部内で殺されてから、今月2日で1カ月目を迎える。殺人がサウジ関係者によるものであったことは捜査側のトルコ当局もサウジ側もほぼ一致してきたが、誰がカショギ氏の殺人を命令したかでは、まだコンセンサスはない。同氏の死体が発見されれば、犯行状況などがより判明するだろう。

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▲殺害されたサウジのジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏(ウィキぺディアから)

 ところで、カショギ氏殺人事件だから犯人捜しが最優先されるが、殺されたカショギ氏がどのような人物で、なぜ殺されたのかについてはあまり報じられていない。明らかな点はカショギ氏が亡命先の米国でムハンマド皇太子の政治を厳しく批判し、糾弾したことがサウジ側の怒りに触れたことだ。「カショギ氏はジャーナリストの道に入った当初はムハンマド皇太子のサウジ改革に期待していたが、皇太子の政治が強権と粛清であることが分かり、袂を分かった」(独週刊誌シュピーゲル)といわれる。

 カショギ氏は生前、ワシントン・ポスト紙や独週刊誌シュピーゲルにコラムを寄稿し、ムハンマド皇太子批判を繰り返してきた。そこで“アラブの盟主”サウジを震撼させたカショギ氏とはどのような政治信条を有していたのか、そのプロフィールを少し追ってみた。以下、シュピーゲル誌の情報をもとに報告する。

 カショギ氏は9月、ワシントン・ポストに「ムスリム同胞団」について言及し、「『ムスリム同胞団』が解体されれば、アラブ諸国の民主主義は終わる」と述べている。カショギ氏の政治信条は「ムスリム同胞団」に近いとみて間違いない。実際、エジプト前大統領ムハンマド・モルシーの顧問と頻繁に会っているのを目撃されている。ちなみに、カショギ氏はアラブの盟主を目指すトルコのエルドアン大統領の友人だ。同大統領は「ムスリム同胞団」の支持者だ。

 一方、「ムスリム同胞団」を警戒し、脅威と感じるムハンマド皇太子はエジプトとアラブ首長国連邦と共に同組織がテログループであることを欧米諸国に向かってアピールしてきた。ムハンマド皇太子とカショギ氏の間には「ムスリム同胞団」に対する捉え方が180度異なるわけだ。

 なお、カショギ氏はジャーナリストとして初期時代、アフガニスタンのムジャーヒディーン(ジハードを遂行する戦士)を支持、国際テロ組織「アルカーイダ」の創設者オサマ・ビンラディンとも会っている。ただし、後半になると、イスラム教の教えを文字通り解釈するイスラム過激主義に距離を置き、次第にリベラルな考えになっていった。

 10月2日、イスタンブールのサウジ総領事部前でカショギ氏が戻るのを待っていた婚約者、Hatice Cengiz女史はカショギ氏が戻らないので直ぐに知人に電話している。その相手先はトルコのエルドアン大統領の顧問でカショギ氏の友人 Yasin Aktay 氏だ。すなわち、カショギ氏殺人事件の周辺にはサウジばかりか、トルコ側もトップが接触していたことが分かる。それだけではない。米中央情報局(CIA)はカショギ氏に事件前、「サウジ側は、あなたを誘拐し強制的に帰国させる命令をムハンマド皇太子から受けている」と通達している。サウジ、トルコ、そして米国の3国がその濃淡は異なるが、接触していた事実が浮かび上がる。

 ちなみに、カショギ氏は9月28日、イスタンブールのサウジ総領事部を訪問し、結婚に必要な書類を求めている。サウジ側は「1週間後、取りに来てほしい」と答えた。実際は、カショギ氏は10月2日、サウジ総領事部を再訪した際、事件に巻き込まれた。総領事部内にはリヤドから派遣された15人の特別隊がカショギ氏の訪問を待っていたわけだ。その中には、「死体解剖時には音楽を聴けばいい」と述べた死体解剖学者 Salah Muhammed Al Tubaigy 氏がいた。同氏はアラブのメディアとのインタビューで「自分は死体解剖の最短記録保持者だ」と自慢している。

 カショギ氏にとって武器商人で億万長者のアドナン・カショギ氏(昨年6月死去)とは甥・叔父の関係だ。英国の故ダイアナ妃と共にパリで交通事故死したドディ・アルファイド氏(叔父カショギ氏の実妹の息子)とも親戚関係に当たる、といった具合だ。華やかな一族だ。

 カショギ氏殺人事件がどのような結末を迎えるか目下不明だが、経済危機にあるトルコに対し、サウジが財政支援をする形で手打ちになる可能性もある一方、サウジとトルコ間でアラブの覇権争いが激化するかもしれない。いずれにしても、カショギ氏殺人事件はここしばらくはアラブ全土に大きな混乱と動揺をもたらすことは必至だ。

殺人現場の「音声記録」は何を語るか

 サウジアラビア検察当局は20日、トルコのイスタンブールにあるサウジ総領事館で今月2日に行方不明になった反体制派ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏は死亡したと初めて公式に認めた。

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▲殺害されたことが明らかになったサウジのジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏(ウィキぺディアから)

 サウジ国営メディアの報道によると、「総領事館を訪れたカショギ氏は館内にいた人物と口論になり、殴り合いに発展して死亡、その事実が隠蔽されようとした」という。関与が疑われる容疑者18人は拘束され、情報機関高官ら政府の責任も認めたという。

 サウジ側はこれでカショギ殺人事件の幕を閉じたいところだが、事件はやはり完全には解明されていない。最大の疑問はトルコ当局が保有しているといわれる殺人現場の音声記録だ。殺人現場で録音をしたのは誰か、そこには何が録音されていたか、といった事件の核心を解くことができる音声記録の内容だ。

 サウジ側は今回、自国の総領事部内でカショギ氏を口論の末、死亡させたと認めたが、なぜ間接的ながら犯行を自白したのだろうか。サウジ総領事部内の不祥事は本来、サウジ関係者しか知らない。治外法権内の総領事部での殺人をトルコ側に通達せずに処置できるはずだ。事件を闇の中に葬ることも十分可能だったはずだ。

 その答えは、トルコ当局が事件直後、総領事部内でカショギ氏が拷問され、殺害された現場の音声記録を所持していると主張し、その内容をメディアにリークしたからだ。

 サウジ側がカショギ氏を殺害していなかったならば、トルコ側の主張を「フェイク情報」と一蹴できたが、殺害していたので否定できない。トルコ側が所有しているという音声録音が公表されたならば、大変だ。そこでトルコ側が要請した総領事部内の捜査を受け入れ、妥協の道を探したわけだ。

 興味深い点は、スンニ派の盟主サウジ王国に対し、「ムスリム同胞団」を支持し、中東の覇権を模索するトルコのエルドアン大統領がサウジを叩く最高のチャンスを得たが、その後の言動にいつもの勢いが見られないことだ。

 考えられる理由は、音声記録を公表すれば、トルコ当局は外国大使館や公館をスパイしていたことを認めることになる。国際社会から批判され、外交問題が生じるかもしれない。サウジを叩くためにそこまで代価を払う必要があるかをトルコ当局は慎重に考えざるを得なくなるわけだ。トルコ側はサウジを叩ける殺人現場の音声記録を保有しながら、その入手先や方法については安易に公表できない理由だ。

 一部のメディアによると、ポンペオ米国務長官はトルコ当局から入手して音声記録を聴いたといわれているが、同長官はその直後、否定している。実際、トルコのチャブシオール外相は音声証拠を誰とも共有していないと発言している。

 それでは公表できない音声記録をなぜサウジは恐れるのか。「フェイクニュースで音声記録など存在しない」と言い切れば、トルコ側も考えざるを得なくなるはずだ。

 すなわち、サウジもトルコも弱みを持っているわけだ。それではどちらの弱みが大きいかだ。もちろん、反体制派ジャーナリストを殺害したサウジ側だが、トルコ側もサウジの犯行を証明する音声記録を公表すれば、トルコ情報機関のネットワークを公表することになり、これまでの全ての情報活動の見直しを避けられなくなる。スパイ活動は一度暴露されると、これまでの全てのネットワークを抹殺せざるを得なくなるからだ。

 そこでサウジとトルコ側は妥協し、サウジは犯行を認める一方、トルコ側は犯行現場の音声記録を公表しないという解決策を模索することになる。サウジは国際社会の評判を落とすが、サウジ王朝関係者に犯行の責任が及ばない限り、致し方がない。一方、トルコ側はサウジを叩くという願いは果たせるし、音声記録を公表しないことで外国公館をスパイしていたという批判を受けることは避けられる。ウインウインとまではいえないが、妥協が成立できる余地はあるわけだ。

 それでは、犯行現場の音声記録を誰が、どのように録音したかだ。ハイテクが進んでいる今日、スパイ関連機材は考えられないほど進んでいる。アップル・ウォッチだけではない。スパイにはハード面だけではなく、ソフト面もあるからだ。トルコ情報員がサウジ総領事館にいないと誰が断言できるだろうか。

 サウジが総領事部内の殺人を認めた最大の理由は音声記録の中にサルマン国王、ムハンマド皇太子の名前が飛び出していたからだろう。音声記録にはカショギ氏の遺体処理のためにサウジから駆け付けた法医学者が総領事部の関係者に「切断している時は音楽を聴けばいい」と語った内容だけならば、“狂人の発言”と片づけられるが、「お前を殺すのは皇太子の命令だ」といった犯行者の言葉が録音されていたとすれば、大変だ。カショギ氏殺害が上からの指令に基づくことを証明することになるからだ。

 サウジ側は犠牲を払っても音声記録の公表を避けなければならない。トルコ側はその音声記録を保持しながら、サウジ側を脅迫できる。今回の事件で仲介に出てきた米国はサウジの要請を受け、トルコ側に圧力を行使し、その音声記録の抹消を要求するかもしれないが、トルコ側はその要求を即受け入れるとは考えられない。

 ひょっとしたら、ムハンマド皇太子の強権政治に抵抗があったサウジの王朝関係者がトルコ側と交渉して音声記録を入手し、ムハンマド皇太子の退陣を要求するかもしれない。そうなれば、サウジ王朝内で激しい政権争いが勃発するだろう。いずれにしても、サウジの未来はもはやムハンマド皇太子の手にはなく、犯行現場の音声録音が握っているといえるわけだ。

サウジはトルコの陰謀に嵌められた?

 米国に亡命中のサウジアラビア反政府ジャーナリスト、米紙ワシントン・ポストなどにコラムを書いてきたジャマル・カショギ氏(60)が今月2日、婚姻に関する書類を入手するためにトルコの国際都市イスタンブールのサウジアラビア総領事部を訪問した後、消息を絶った事件はサウジ、トルコ、米国などが関与する国際事件となってきた。

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▲今月2日以後、消息不明となっているサウジのジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏(ウィキぺディアから)

 サウジ側は当初、「カショギ氏は用事が済んだ後、領事部を出ていった」と主張し、同氏が領事部内で殺害されたという一部メディアの報道を否定したが、トルコ政府筋から同氏が領事館内で殺害された時の録音やビデオの内容が一部メディアに流れたため、説明責任を問われてきた。

 事件は15日、急展開した。サウジはトルコ側に領事部内の合同捜査を認めた。CNNによると、「サウジは同氏を尋問中に誤って殺害した」ことを記述した説明書を準備していたという。トルコ側の情報によると、捜査は9時間に及び、「カジョギ氏が殺された証拠が見つかった」というが、詳細な内容は明らかではない。

 サウジ側が領事部内の捜査を求めるトルコ側の要望を受け入れ、トルコとの合同捜査を認めた背景には、(胴颪ら事件の早急な解明を求める圧力があったこと、トランプ大統領は、「カショギ氏殺害が明らかになれば処罰も辞さない」と警告したという、∋件が長引けばサウジの刷新、近代化を訴えるムハンマド皇太子の改革への国際的イメージが損なわれる危険性が出てきたこと―等の理由から事件の早急な幕閉じに出てきた、と受け取られている。なお、米国は15日、ポンぺオ国務長官をリヤドに派遣し、サルマン国王らと会談し、事件の早急解明に乗り出したばかりだ。

 今後の捜査の行方を待たないと不明な点が多いが、以下、同事件の問題点を考えてみた。

 .肇襯蛎Δ魯汽Ε諺輓了部内の不祥事を詳細に掌握していた。ウィーン条約によれば、外国の大使館、公館、領事部にはホスト国側は許可なくしては入れない。治外法権の領域だ。サウジ側はウィーン条約を根拠にトルコ側のスパイ行為を糾弾できるはずだった。

 考えられるのは、総領事部にトルコ側の情報員がいるか、盗聴してきたことだ。トルコ情報機関が総領事部内の殺害シーンを録音した証拠物ビデオを所有していたことが分かると、サウジ側は事件を隠蔽できないと判断、米国の助けを求めたのではないか。

 ▲肇襯蛎Δサウジ総領事部内を盗聴、監視していたことは国際条約の観点からも不法行為だ。トルコ情報機関が国内の外国公館をスパイしていたとなれば、国際社会でのトルコの評価は落ちる。トルコ側はサウジの蛮行を示す証拠を交渉材料としてサウジと有利な外交的話し合いの道もあったはずだ。結局、サウジはカジョギ氏の殺害により、またトルコ側は外国公館の盗聴、監視行為を認めることでそれぞれ評判を落とす結果となった。ひょっとしたら、米国のトランプ政権がサウジとトルコの間に介入し、漁夫の利を得ることになるかもしれない。

 エジプトのメディアによれば、カショギ氏はイスラム過激派組織「ムスリム同胞団」に所属し、婚約者のトルコ人女性はトルコ情報部員だったという。それが事実ならば、カジョギ氏事件は別の観点で見なけらばならなくなる。スンニ派の盟主サウジ王国に対し、「ムスリム同胞団」を支持し、中東の覇権を模索するトルコのエルドアン大統領の争い―という側面を無視できなくなるからだ。カショギ氏事件はサウジがトルコの陰謀に嵌ったということにもなる。

 ところで、カショギ氏はトルコ側の画策を事前に知っていたのか、それとも全く知らずに事件に巻き込まれて、トルコとサウジ両国の政争の犠牲となったのだろうか。今後の捜査を待たないと何も言えない。いずれにしても、同事件はサウジ側の部分的犯行声明後、最高指導部の責任を明確にすることなく、米国の介入で外交的、政治的解決を図ることになる可能性が現実的だ。

 なお、米紙ニューヨーク・タイムズ16日付は、「カショギ氏殺害にサウジのムハンマド皇太子の身辺警備を担当する治安部隊が関与していた可能性が出てきた」と報じている。事実とすれば、ムハンマド皇太子の責任を追及する声が高まり、皇太子の失権ばかりか、サルマン国王にもその影響が波及することが十分考えられる。

 蛇足だが、駐オーストリアの北朝鮮大使館内で北朝鮮のビジネスマンが拷問された後、平壌から派遣された2人の治安関係者に抱えられ帰国していった事件があった。

 北のビジネスマンとは大聖銀行から派遣されたホ・ヨンホ氏だ。投資の失敗で巨額の損失を被ったことが北側に通達された。北からは2人の治安関係者がウィーン入りし、大使館内でホ氏を拷問した。その後、奥さんと共に強制的に北に連行されていった。ホさんの奥さんはオーストリアの知り合いのビジネスマンに、「帰国するのが怖い。何が待っているのか分かるからだ」という言葉を残していったという。

 この内容はオーストリア内務省関係者から直接聞いた話だ。ホスト国オーストリアはウィーン14区の北朝鮮大使館(金光燮大使)を盗聴・監視していたことを物語っている。トルコ側だけが外国大使館・公館を盗聴、監視しているわけではない、という話だ。

エルドアン氏の独公式訪問の成果

 トルコのエルドアン大統領は29日夜(現地時間)、ドイツ初公式訪問を終えて帰国した。同訪問はシュタインマイアー独大統領の招待を受けたもの。ドイツとトルコの関係はドイツ人ジャーナリストのトルコでの拘束などがあって良好からは程遠い。特に、ドイツに亡命中の反政府ジャーナリスト、ジャン・デュンダル氏(Can Dundar)の対応で両国間は対立している。

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▲ケルンのイスラム寺院献堂式で語るエルドアン大統領(2018年9月29日、ドイツ・ケルンで、トルコ大統領府公式サイトから)

 エルドアン大統領とメルケル首相の共同記者会見が28日、ベルリンで開かれたが、「言論の自由」問題で双方の対立が浮き彫りになった。エルドアン大統領はジャン・デュンダル氏について、「彼は国家機密を流したスパイ容疑で5年10カ月の有罪判決を受けた人物だ」と指摘、同氏はトルコの法では犯罪人だと強調。それに対し、メルケル首相は「言論の自由」の遵守をトルコ側に要求し、トルコ国内で今なお拘束中の5人のドイツ人の釈放を要求した。

 肝心のデュンダル氏は記者会見を欠席した。ドイツのビルト紙によると、エルドアン大統領は、「彼が記者会見に現れたら、メルケル首相との記者会見をボイコットする」と事前に警告したという。

 デュンダル氏は トルコの野党紙「Cumhuriyet」の編集局長で、トルコがシリアのイスラム過激派に武器を供給していたと報じことで有罪判決を受けた後、2016年にドイツに亡命した。

 記者会見中、一人のトルコ系ジャーナリストが「トルコに言論の自由を」と書いたTシャツを見せ、カメラの前に立ったため、警備側が慌てて記者を強制的に退出させる、というハプニングがあった。

 28日夜のシュタインマイアー大統領主催の歓迎晩さん会では、シュタインマイアー大統領がトルコ国内の人権問題に言及すると、エルドアン大統領は、「ドイツ国内には数十万人のテロリストが潜伏している。分離主義テロ組織PKK(クルディスタン労働者党)のメンバーがドイツにいる」とやり返し、ドイツ国内のギュレン運動(トルコ第3の都市イズミルで生まれた社会運動)支持者の身柄引き渡しを要求したという 。

 参考までに、トルコ国家情報機構(MIT)はエルドアン大統領のドイツ訪問前にドイツ連邦情報局(BND)にドイツ国内に潜伏中にギュレン運動メンバーの名前、写真、住所などを提供し、トルコに送還するように要請している。

 トルコで2年前(2016年7月)、クーデター未遂事件が発生した後、国内の反体制派活動家が一斉に検挙された。それに対し、ドイツを始めとする欧州諸国はトルコの人権蹂躙問題を厳しく批判してきた経緯がある。その一方、殺到する難民・移民問題の対応でトルコ側の協力が不可欠となってきたこともあって、欧州側はトルコを突き放すことができない状況だ。

 一方、トルコは米国の経済制裁や通貨危機、リラの急落、外国投資の急減などもあって、国民経済は停滞してきた。トルコとしては欧州の経済大国ドイツとの関係改善がこれまで以上に急務となってきたわけだ。

 エルドアン大統領のドイツ滞在中、エルドアン支持派のトルコ人が支援集会を開く一方、反体制派ドイツ居住のトルコ人たちが抗議集会を開催した。反体制デモ集会では「エルドアンと取引するな」「武器輸出を止めろ」「クルド人社会への大量虐殺を止めろ」と叫ぶ声が聞かれた。

 同大統領は29日、ドイツ訪問のハイライト、ケルンでのトルコ・イスラム連合の中央寺院(Ditib-Moschee)の献堂式に参加した。エルドアン大統領はそこでサッカー・ワールドカップ(W杯)ロシア大会でドイツ代表の敗北後、トルコ系移民のMFメスト・エジル選手への批判の声が高まったことに言及し、「トルコ大統領としてそのような事態は耐えられない」と述べ、ドイツの人種差別主義に警告を発した。

 エジル選手ともう1人のトルコ系代表、MFイルカイ・ギュンドアンが5月中旬、大統領選挙戦中のエルドアン大統領と会見し、ユニフォームをもって大統領と記念写真を撮ったことが報じられると、「ドイツ代表の一員として相応しくない」という批判が高まった。ドイツ代表が予選で敗北すると、エジル問題が敗北の主因のように受け取られたことを受け、エジル選手が7月22日、代表を辞退表明した。そのエジル選手が独サッカー連盟(DFB)会長を名指し、人種差別を批判し、大きな社会問題にまでなった。

 エルドアン大統領はケルンでイスラム寺院前で演説する予定だったが、ケルン市側が「安全問題」を理由に寺院前の集会を許可しなかったため、大統領は招待したゲストの前に演説することになった。トルコ側の説明によると、エルドアン大統領はケルン市が集会を不許可したことを受け、イスラム寺院の献堂式参加をキャンセルする考えもあったという。なお、同オープン式にはドイツ側から主要な政治家の参加はなく、ケルン市のヘンリエッテ・レーカー市長も欠席した。

 エルドアン大統領は、「初のドイツ公式訪問は成功裏に終わった。両国関係は一層、深まった。シュタインマイアー大統領とメルケル首相とは重要な問題を真摯に話すことが出来た。具体的には、経済投資とイスラム・フォビア対策だ」と述べている。

 なお、エルドアン大統領はシュタインマイアー大統領主催の歓迎晩さん会でドイツの政治家ビスマルクの言葉「トルコ人とドイツ人の相互への愛情は、いかなる時も揺らがないほど由緒がある」を引用し、両国の関係改善に意欲を示したという。

 エルドアン大統領の初のドイツ公式訪問で、ベルリンとアンカラの関係が改善するかはここしばらく見ないと判断できないが、ドイツとトルコ両国は互いに相手を必要としていることは間違いない。

オスマン・トルコのアルメニア人大虐殺

 イスラエル国会(クネセト)で、オスマン・トルコ帝国軍による大量アルメニア人殺害を民族大虐殺(ジェノサイド)と認知する法案が提出され、審議される予定だ。イスラエルのメディア報道によると、中道左派政党「シオニスト連合」のイッズィク・シュムリ(Itzik Shmuli )議員がアルメニア人虐殺問題について、「明らかにトルコ側の民族虐殺だ。その責任はトルコ側にある」と表明し、「民族虐殺の日」を設定して毎年追悼する内容の法案を提出する意向を明らかにしている。バチカン放送電子版が19日、報じた。

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▲オスマン帝国軍の武装兵により追い立てられるアルメニア人(1915年4月、ウィキぺディアから)

 50万人から150万人と推定される犠牲者が出た「アルメニア人ジェノサイド」と呼ばれる大量殺害事件は、19世紀末から20世紀初頭にかけオスマン帝国の少数民族だったアルメニア人が強制移住させられ、殺害された事件を指す。

 トルコ側はアルメニア人の虐殺はあったが、その数は少なく、ジェノサイドではなかったという立場だ。だから、他の国がアルメニア人問題を提出すれば、激しく反論してきた経緯がある。トルコ側は事件の計画性、組織性についてはこれまで一貫して否定してきた。
 シュムリ議員の提案は政権与党リクードばかりか野党からも賛同の声が聞かれ、少なくとも50人の議員が支持を表明している。シュムリ議員はイスラエルのメディアに対し、「わが国を中傷、誹謗するトルコに対し配慮する必要はない」と強気だ。ユーリ・ヨエール・エーデルシュタイン国会議長は同議員の提案する法案がスムーズに可決されるように努力することを約束している。

 ところで、なぜイスラエルはここにきてオスマン・トルコ帝国軍のアルメニア人虐殺事件を持ち出し、トルコに歴史攻勢を仕掛けてきたのだろうか。少し説明しなければならないだろう。

 イスラエル政府は先日、同国駐在のトルコ大使の国外退去を要請したばかりだ。すなわち、イスラエルとトルコ両国関係は今、険悪な状態にあるのだ。
 トランプ米大統領は昨年12月6日、イスラエルの同国大使館をテルアビブからエルサレムに移転すると表明、今月14日、移転式典がエルサレムで挙行されたばかりだ。エルサレムを自身の「聖地」と宣言してきたパレスチナ人たちが米国大統領の決定に抵抗し、ヨルダン西岸地区やガザ地区で反イスラエル、反米抗議デモ集会を連日、開催。ガザ地区だけでも60人を超えるパレスチナ人が犠牲となり、数千人が負傷した。抗議デモは今も続けられている。

 それに対し、“イスラム教国の指導者”を任じるトルコのエルドアン大統領はイスラエルを「テロ国家」と断言し、米国とイスラエル両国に駐在する同国大使を帰国させる一方、トルコ駐在のイスラエル大使に退去を要請。その上で「イスラエル軍の大虐殺」を糾弾するためにイスラム協力機構(OIC)の緊急会議の招集を要求したばかりだ。エルドアン大統領の反イスラエル路線は、6月実施予定の大統領選、総選挙を見込んだ選挙運動の一環と受け取られている。

 トルコ側のイスラエル批判に対し、ネタニヤフ首相やイスラエル政治家はトルコの歴史の汚点といわれる「アルメニア人ジェノサイド」を歴史書から引き出し、歴史攻撃に出てきたわけだ。

 興味深い点は、イスラエル国会は3カ月前、中道政党「イェシュ・アティッド」のヤイール・ラピッド(Yair Lapid)元財務相 が同じアルメニア虐殺を認知する内容の法案を提出したが、却下している。ツィピ・ホトベリ外務副大臣は当時、「イスラエルはアルメニア人大虐殺問題には公式の立場を表明しない。なぜならば、複雑な外交上の問題が表面化する危険性があるからだ」と説明していた。
 イスラエルのルーベン・リブリン大統領は2015年4月26日、アルメニア大虐殺100年の追悼会をゲストを招いて開いたことがあった。同大統領は、「アルメニア人は近代史で最初の大虐殺の犠牲者だった」と述べたが、ジェノサイドという言葉は避けている。イスラエルはつい最近までトルコのアルメニア人虐殺問題については自制する姿勢を貫いてきたわけだ。

 それが劇変したのだ。いい悪いは別にして、歴史評価はその時々の政情の影響を受け、どのようにも見直しができるという典型的な例だろう。蛇足だが、政権や政情が変わっても韓国は日本に対し「正しい歴史認識」を要求し続けてきた。日韓の歴史問題は世界史的にみてかなり特殊ケースといえるかもしれない。

 ちなみに、ドイツ連邦議会(下院)は2016年6月2日、1915年のアルメニア人虐殺事件を「ジェノサイド」と認定する非難決議を賛成多数で採択したが、その時もトルコ側から激しい反論が飛び出したことはまだ記憶に新しい。

欧州に住むトルコ人のステータス

 トルコで16日、議会内閣制から大統領制へ移行する憲法改正を問う国民投票が実施され、賛成51・41%、反対48・59%の僅差で大統領制支持派が勝利した。

 エルドアン大統領の期待に反して、国民投票結果は拮抗し、トルコ社会はエルドアン支持者と反エルドアン派との二分化が深まった感がする一方、欧州居住のトルコ人の投票では、エルドアン支持派が圧倒的に勝利し、ホスト側の欧州はショックを受けている。

 ただし、トルコ国内の投票率は85・5%と、国民の国民投票に対する関心の高さを示したが、欧州居住のトルコ人の投票率は、賛成票が圧倒的に多かった半面、投票率はいずれも50%を割るなど、反エルドアン派が投票を棄権したことが明らかになった。
 
 欧州でトルコ人が最も多いドイツは、イスタンブール、イズミル、アンカラに次いで4番目に大きい選挙区といわれる。そのドイツで憲法改正を問う国民投票に賛成したトルコ人は63・1%だった。エッセン州では75%にも達した。

 ドイツに住むトルコ系住民総数は約290万人(約半分がドイツ国籍だけを有し、投票権を有するトルコ人は残りの半分程度)。16日の投票率は約46%だった。

 独紙ビルトは「トルコ人はわが国で民主主義の恩恵を享受する一方、エルドアン大統領の独裁政治を支持している」と指摘、ドイツの難民・移民の統合政策が効果を挙げていないと指摘している。

 著名なトルコ問題専門家 Haci Halil Uslucan 教授は、「ドイツのトルコ社会では最初の移民世代が依然、強い。彼らは1960、70年代にドイツに来た移民労働者でエルドアン大統領の与党『公正発展党』(AKP)支持者が多い。トルコ人のドイツ社会への統合には4世代から6世代かかるだろう」と述べているほどだ。

 ドイツでは2002年、「社会民主党」(SPD)と「同盟90/_緑の党」の連立政権下で2重国籍制が導入された。「キリスト教民主同盟」(CDU)と社民党の連立時代に入っても2重国籍制は維持されてきたが、今年9月24日の連邦議会選挙を控え、メルケル首相のCDUはここにきて2重国籍の取得資格の厳格化を目指している。

 一方、隣国・オーストリア居住のトルコ人の賛成票は73・2%でドイツを大きく上回り、欧州ではベルギーの75%に次いで2番目の賛成率だった。トルコ人の有権者総数は11万6000人。今回の国民投票の賛成票は3万8215票、反対票は1万3972票だった。投票率は50%を下回った。その理由について、野党関係者は「彼らはエルドアン大統領の独裁政治に批判的だから、投票を拒否した」という。

 オーストリアの極右派政党「自由党」のシュトラーヒェ党首は「独裁者エルドアン大統領を支持するトルコ人はトルコに帰るべきだ」と主張している。
 
 ソボトカ内相は19日、「不法な2重国籍者に対しては今後、オーストリア国籍をはく奪するだけではなく、厳格に処罰していく」と主張している。同内相が2重国籍問題をテーマとするのは、国内のトルコ系住民の多くが2重国籍を不法に有し、今回の憲法改正を問う国民投票でエルドアン大統領を支持する賛成票を投じたからだ。オーストリア代表紙プレッセ20日付1面トップの見出しは「2重国籍者に厳しい罰則を」だった。

 オーストリアでは2重国籍は基本的には認められていないが、不法に2重国籍を有する者が少なくない。政府側はこれまで2重国籍問題に対して監視が難しいという理由から野放しにしてきた経緯がある。
 ちなみに、2重国籍では例外もある。両親が別々の国籍所有者のケースやスポーツ選手や芸術家の場合、本人の希望があり、オーストリア側に利点があると判断された場合、2重国籍が認められてきた。例えば、ソプラノ歌手のアンナ・ネトレプコさんはロシアとオーストリアの2重国籍者だ。

 なお、「社会民主党」と中道右派の「国民党」の現連立政権では、社民党が2重国籍者への対応では厳格な対応に難色を示す一方、独CDUの姉妹政党「国民党」は野党の自由党路線に近く、厳格な対応、必要ならばオーストリア国籍はく奪を支持している、といった具合で連立政権内で意見が分かれている。

エルドアン大統領が喜べない事情

 コラムのタイトルを見て、「当方氏は外電を読んでいないのか」と指摘されるかもしれない。当方は一応、アンカラから流れてくるニュースには耳を傾けている。エルドアン大統領が議会内閣制から大統領制へ移行する憲法改正を問う国民投票で僅差で勝利したことは知っている。賛成51・41%、反対48・59%だ。

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▲支持者に勝利宣言をするエルドアン大統領(トルコ大統領府の公式サイドから)

 この暫定結果から、権限を拡大した大統領制導入に野心を持ってきたエルドアン氏が勝利したと解釈できるが、エルドアン氏が16日夜、イスタンブールで勝利宣言している写真をじっくりと検証してほしい。「われわれはトルコの未来で歴史的な決定を下した」と強調する一方、自身の政治に批判的な欧米諸国に向かって、「投票結果を尊重すべきだ」とわざわざ述べている。その顔は決して勝利者のものではなかったのだ。

 トルコで昨年7月、軍の一部勢力によるクーデター事件が発生したが、失敗に終わった。危機を乗り越えたエルドアン大統領は警察力で強権を駆使し、根本主義的なイスラム教国の建設に乗り出してきた。それを受け、トルコ議会は今年1月21日、「議会制」から「大統領制」に移行する憲法改正を承認したが、立法化に必要な票数には満たなかった。そのため、是非を問う国民投票が今月16日に実施されることになった経緯がある。

 国民投票の結果は、国民の半分が賛成、半分が反対だった。国民は完全に2分した。エルドアン大統領と与党「公正発展党」(AKP)の支持者に対し、野党、反エルドアン派の構図だ。
 例えば、国際都市イスタンブールと首都アンカラなど都市部では反対票が51%を超え、エーゲ海に面するイズミル市では69%にもなった。南東部クルド地域でも反対票は過半数を超えた。その一方、中央アナトリア地方で賛成票が多かった。
 (有権者数は国内で5530万人、国外居住有権者約290万人で、投票率は85・5%と高かった。国民投票に対する有権者の関心の高さを示した)

 国民投票で圧倒的な勝利を願ってきたエルドアン氏は今回の結果に失望しているだろう。エルドアン大統領に代わってユルドゥルム首相は、「今回の国民投票で敗北者はいない。トルコ国民、愛する祖国こそ勝利者だ」と述べ、国民に連帯と結束を呼び掛けている。

 一方、野党の「国民民主主義党」(HDP)は投票と集計に不正があったとして、集計のやり直しを要求している。HDPによれば、有権者は投票会場で公式の印が付いた投票用紙をもらうが、その印のない投票用紙が多く見つかったというのだ。
 共和人民党(CHP)は、「わが国は昨年7月以来、非常事態宣言下にある。そのような状況下で国民投票を実施すること自体無謀だ」と指摘し、投票結果を受け入れる考えがないことを表明している。イスタンブールでは16日夜、国民投票の結果に反対するデモが行われている。

 興味深い点は、海外に住むトルコ人にはエルドアン支持派が多いことだ。ドイツで賛成63・1%、オランダ71%、オーストリア73・23% ベルギーでは75・1%が賛成票を投じている。その他、フランス、ノルウェー、デンマーク、ルクセンブルクで賛成が多く、反対票が多かった国はスペイン、イタリア、英国だったという(「欧州トルコ人の『2重国籍』問題」2017年3月14日参考)。

 なお、欧州連合(EU)はエルドアン氏が死刑制度を再導入したならば、加盟交渉を即ストップすると警告を発してきただけに、トルコの国民投票結果と今後の行方に強い懸念を持っている。憲法改正を問う国民投票の結果は、トルコ社会を投票前よりも一層分裂させてしまう危険性が出てきたのだ。

欧州トルコ人の「二重国籍」問題

 欧州連合(EU)は今、厄介な問題にぶつかっている。トルコ問題だ。

 トルコで昨年7月、軍の一部勢力によるクーデター事件が発生したが、失敗に終わった。危機を乗り越えたエルドアン大統領は警察力で強権を駆使し、根本主義的なイスラム教国の建設に乗り出してきた。それを受け、トルコ議会は今年1月21日、「議会制」から「大統領制」に移行する憲法改正を承認したが、立法化の必要な票数には満たなかったため、是非を問う国民投票が4月16日に実施されることになった。
 
 ところで、欧州居住のトルコ人には選挙権を持つ有権者が多い。だから、トルコ与党「公正発展党」(AKP)や野党関係者は欧州に出かけ、選挙運動をする。すなわち、外国で自国の選挙運動をするわけだ。
 それに対し、ドイツ、オランダ、スイス、オーストリアは国内でのトルコ人政治家の選挙運動を禁止してきた。なぜならば、欧州居住のトルコ人は与党支持派ばかりではない。クルド系や野党勢力を支援するトルコ人も多数いる。与・野党支持者が海外で激しい論争ばかりか、特には衝突も繰り返す危険性が高いからだ(EUには約700万人のトルコ系住民が住み、ドイツには約300万人から350万人と推定)。

 国内の治安悪化を警戒するトマス・デ・メジエール独内相は先日、国内でトルコ人が政治活動、集会を禁止することを決定した。それに対し、エルドアン大統領は「ナチス時代と変わらない」と酷評したため、ドイツ国民の怒りを買っている。集会にはトルコ閣僚が出席し、大統領制を支持する憲法改正案の賛成を訴える予定だった。
 オランダ政府は11日、トルコのチャブシオール外相のオランダ入国を拒否し、ロッテルダム入りしたサヤン・カヤ家族・社会政策相がトルコ総領事館に向かうのを阻止した。両閣僚ともロッテルダムで開催予定のエルドアン大統領支持集会に参加する予定だった。トルコ政府はオランダ政府の対応に激怒し、オランダとの関係は国交断絶寸前といわれるほどだ。例外はフランスで、地元当局が治安上の脅威はないとして、トルコ系住民の集会開催を認めている。

 問題は、欧州居住のトルコ人が母国の憲法改正の是非を問う国民投票の選挙権を有していることだ。彼らは居住する国の国籍を得る一方、トルコ国籍を維持しているケースが少なくないのだ。すなわち、二重国籍者だ。欧州では二重国籍を基本的に禁止しているが、誰がトルコ人国籍を所有しているかチェックできないため取締りが難しい。 

 一方、トルコの憲法改正を問う国民投票では目下、賛成と反対が拮抗している。それだけに、エルドアン大統領はAKP支持者が多い欧州居住のトルコ人有権者の票を無視できないわけだ。

 オーストリアの極右派政党「自由党」ハインツ・クリスティアン・シュトラーヒェ党首は12日、「トルコ人が今回、投票場に出かけた場合、彼はトルコの選挙権を持っていることになるから、その場でオーストリア国籍をはく奪すればいい」と提案しているほどだ(オーストリアには約36万人のトルコ系住民が住んでいる。その中には、オーストリアとトルコの二重国籍を所有する者が少なくない)。

 トルコは地理的にオリエントとオクシデントの中間に位置し、西欧と中東の架け橋的な役割を果たしてきた。もちろん、それだけではない。オスマン・トルコ時代は欧州に北上し、欧州各地を戦場化した歴史がある。
 欧州最大の経済大国となったドイツは戦後、労働者不足をカバーするために大量のトルコ人労働者を受け入れた。トルコ人労働者はドイツの経済復興の陰の功労者だ。そして戦後70年が過ぎた今日、欧州に定着したトルコ人労働者の家庭は2世、3世時代に入っている。

 トルコは宗教・文化的にはイスラム圏に属するが、北大西洋条約機構(NATO)の加盟国であり、キリスト教圏のEUへの加盟を模索してきた。最近では、欧州に中東諸国から難民、移民が殺到したため、ブリュッセル(EU本部)は難民収容問題でアンカラ政府と交渉し、難民収容問題の解決に乗り出したが それも現在難しい状況になっている。

333年前のイスラム北上の“悪夢”

 オーストリアはトルコ問題では他の欧州諸国の中で最も過敏に反応する国だ。その理由はやはり歴史的背景があるからだろう。同国は過去2回、オスマン・トルコから侵入を受けた。1529年と1683年だ。特に、後者(第2次ウィーン包囲)では、北上するトルコ軍にオーストリア側は守勢を余儀なくされ、ウィーン市陥落の危機に直面した。皇帝レオポルト1世の支援要請を受けたポーランド王ヤン・ソビエスキーの援軍がなければ、危なかっただろう。ウィーンがトルコ軍の支配下に陥っていたら、オーストリアはイスラム圏に入り、キリスト教文化は消滅していたかもしれない。

 最後のトルコ軍が撤退して今年9月で333年が経過する。オーストリアは今、エルドアン大統領が率いるトルコとの関係で苦慮している。オーストリアとトルコ両国関係はもともと「良好」とは程遠かったが、アンカラ(トルコ政府)がウィーン駐在の自国大使を召還させたことで冷戦関係に突入してしまった。

 トルコのチャブシオール外相が先月22日、オーストリア政府のトルコ政策に抗議して、同国の大使に帰国を命じ、「両国関係の見直しが必要となった」と公表した。同日、アンカラでは駐トルコのオーストリア側代表が外務省に呼び出されている。
 トルコ側の今回の判断は、ウィーン市内で8月19日、クルド系デモ集会が挙行され、エルドアン大統領の人権蹂躙政策などを非難したことに対し、「オーストリアはわが国がテロ組織としているクルド労働党(PKK)支持者のデモを許した」と抗議し、大使を召還したわけだ。

 オーストリアではクーデター未遂事件後のエルドアン大統領の強権政治、粛清、人権蹂躙に対して、メディアで連日、批判的な声が報じられてきた。同国最大部数を誇るクローネン紙は、「トルコでは15歳以下の子供と性関係を持つことを許している」と報じて、アンカラを怒らせたばかりだ。また、クーデター未遂後のエルドアン政権の圧政に対し、ケルン首相が、「トルコは欧州連合(EU)に加盟する資格はない」と指摘、アンカラのEU加盟の可能性を完全に否定する発言を行った。

 トルコ側は、「オーストリアでは過激な民族主義が席巻している」と反撃。それに対し、オーストリアのハンス・ペーター・ドスツィル国防相は、「トルコは独裁国家だ」と発言するなど、両国間の批判合戦はエスカレートしてきた。


 ここにきてオーストリア考古学研究所チームがトルコ西部の古代都市エフェソス(Ephesus)の発掘調査をトルコ外務省の要請で中止させられたことが明らかになった。2015年、世界遺産リストに登録されたエフェソス発掘調査は20カ国から250人の学者たちが参加している国際発掘プロジェクトだ。トルコ側が先月末、オーストリアの考古学者チームの発掘調査を一方的に中止要請した背景には、やはりオーストリアとの関係悪化があるからだ、と受け取られている。

 ところで、今月16日、EU非公式首脳会談がスロバキアの首都ブラチスラヴァで開催されるが、トルコ問題は大きな議題の一つだ。オーストリアはEUにトルコの加盟交渉の停止を含む強硬姿勢を要求しているが、他の欧州諸国は、「トルコとの交渉は継続していくべきだ」と慎重だ。難民問題でトルコとの連携が不可欠であるという判断から、アンカラとの正面衝突を回避する動きが依然、強いわけだ。

 トルコ問題となれば、オーストリアは神経質になってしまう傾向がある。はっきりしている点は、EU加盟国間の中でもアンチ・トルコ傾向は際立っていることだ。333年前のイスラム北上の苦い記憶が自然に蘇ってくるのかもしれない。
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