ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

ポーランド

欧州カトリック教会の牙城が崩れた

 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の27年間の在位中、東欧のポーランド教会は欧州教会で最も影響力を有する教会とみられてきた。そのポーランド教会でも過去、聖職者による未成年者への性的虐待事件が発生していたが、ヨハネ・パウロ2世在位中は公に報じられることはなかった。

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▲ポーランドで大ヒットした映画「Kler」のポスター

 冷戦時代、ポーランド統一労働者党(共産党)の最高指導者ウォイチェフ・ヤルゼルスキ大統領でさえ、「我が国はカトリック教国だ」と認めざるを得なかった。そのポーランドでクラクフ出身のカロル・ボイチワ大司教(故ヨハネ・パウロ2世)が1978年、455年ぶりに非イタリア人法王として第264代法王に選出された。ポーランドの多くの国民は当時、「神のみ手」を感じたといわれている。


 ポーランドは久しく“欧州のカトリック主義の牙城”とみなされ、同国出身のヨハネ・パウロ2世(在位1978年10月〜2005年4月)の名誉を傷つけたり、批判や中傷は最大のタブーとなった。だから、同教会で聖職者の性犯罪があったという報告はこれまで一度も正式に公表されなかった。聖職者の性犯罪が生じなかったのではなく、教会側がその事実を隠蔽してきたからだ。 

 その沈黙の壁を破ったのは、このコラムでも報じたが、聖職者の性犯罪を描いた映画「聖職者」(Kler)だ。同国の著名な映画監督ヴォイチェフ・スマジョフスキ氏の最新映画だ。小児性愛(ペドフィリア)の神父が侵す性犯罪を描いた映画は昨年9月に上演されて以来、500万人以上を動員した大ヒットとなった。それに呼応して、教会の聖職者の性犯罪隠ぺいに対して批判の声が高まっていったわけだ。

 カトリック教会は同映画の制作を阻止するために、撮影を妨害するなどさまざまな圧力を行使したが、映画に対する国民の関心はそれを吹っ飛ばした(「欧州の牙城『ポーランド教会』の告白」2018年11月23日参考)。

 ボストンのローマ・カトリック教会聖職者による未成年者性的虐待の実態を暴露した米紙ボストン・グローブの取材実話を描いた映画「スポットライト」は第88回アカデミー作品賞、脚本賞を受賞したが、スマジョフスキ監督の「聖職者」はポーランド版「スポットライト」と呼ばれた。

 同国教会の春季司教会議が12日から3日間の日程でワルシャワで開催された。スタニスラフ・ガデツキ司教会議議長は最終日の14日、1990年から2018年の過去28年間の聖職者による未成年者への性的虐待件数を公表した。

 バチカン放送が15日報じたところによると、382人の未成年者が性的虐待を受けた。そのうち、15歳以下は198人。そのほか、243人の犠牲者が報告されているが、未確認として処理されている。

 確認済と未確認済み合わせて625人の未成年者の犠牲者の58・4%は男性、41・6%は女性だ。そのうち、4分の3の件数は教会内の処罰が下されている。性犯罪を犯した聖職者の4人に1人は聖職をはく奪され、全体の40%は聖職を停止されるか、警告を受け、未成年者と接触する仕事から追放された。犠牲者の42%は教会側に性的虐待を受けたことを自ら通達し、21%は家族が教会側に通達している。そのほか、6%は警察当局から、5%はメディアから事件を知らされている。

 ポーランド司教会議は教区、修道院に聖職者の性犯罪に対して調査し、教会の統計事務所と司教会議が設置した教会保護センターが連携して集めたデータの真偽を分析、今回の聖職者の性犯罪報告を作成した経緯がある。

 ちなみに、ワルシャワで開催された春季司教会議にはバチカンからナンバー2の国務長官パロリン枢機卿が参加した。ポーランド司教会議は今年で創設100年を迎え、同時にポーランドとバチカンの外交関係樹立30周年を迎えた。同国司教会議のメンバーは155人で欧州最大規模を誇る。同国人口約3842万人(2017年現在)のうち、約3300万人がカトリック信者として登録している。

 同国教会の聖職者による未成年者への性的虐待報告は、欧州カトリック教会の牙城と言われてきたポーランドのカトリック主義の崩壊を意味するだけではなく、「空を飛ぶ法王」と言われ、世界中の信者ばかりか、政治家からも愛され、尊敬されてきたヨハネ・パウロ2世の27年間の長期任期について、これまでとは違った視点で再考しなければならないことを教えている。

 故ヨハネ・パウロ2世が冷戦時代の終焉に大きな功績があったことは事実だが、今回公表された聖職者の性犯罪のほとんどがヨハネ・パウロ2世時代に起きているという事実があるからだ。

上院議長「反ポーランド言動許すな」

 韓国・平昌冬季五輪大会が開催されて以来、関心が朝鮮半島に向かい、欧州の政情フォローが疎かになってきた感じがしていた時、ポーランドの興味深い政策が報じられた。このコラム欄でも報じた「ユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)関連法案」が施行されたが、今回はその続編ともいうべき内容だ(「ポーランドの『ホロコースト法案』」2018年2月2日参考)。

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▲スタニスワフ・カルチェフスキ上院議長(ウィキぺディアから)

 ポーランド上院のスタニスワフ・カルチェフスキ議長は外国居住のポーランド国民宛てに書簡(3頁)を送り、その中で「反ポーランドの言動があったら、それを最寄りの大使館、領事館を通じてワルシャワに連絡してほしい」と訴えたのだ。

 同議長は、「第2次世界大戦中の蛮行、非人間的な戦争犯罪の証拠を集め、それを文書に整理しなければならない」、「わが民族の評判を落とす反ポーランド的な全ての言動を集め、それを文書化してほしい。海外居住の同胞たちよ」、「わが国の大使館、領事館に国の名声を中傷する如何なる言動も隠さず報告してほしい」と強く呼びかけている。

 その上で、「自分はポーランドのディアスポラとその保護に責任を担っている立場だ」と書簡の中で述べ、「ユダヤ人、ポーランド人、ロマ人など迫害されてきた民族の犠牲者への不正な言動を忘却から守るためだ。歴史的真実を効果的に想起できるセミナーや展示会、手紙キャンペーンなどを組織化してほしい」と海外居住ポーランド人に協力を求めている。


 ポーランド上院は1月31日、物議を醸した「ユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)に関する法案」(通称「ホロコースト法案」)を賛成57、反対23、棄権2の賛成多数で可決した。そしてアンジェイ・ドゥダ大統領の署名を受け、同改正法案は施行された。
 「ホロコースト関連法案」はユダヤ人強制収容所を「ポーランド収容所」といった呼称をつけたり、ポーランドとその国民に対し、「ナチ・ドイツ政権の戦争犯罪の共犯」と呼んだ場合、罰金刑か最高3年間の禁固刑に処す、という内容だ。

 もちろん、予想されたことだが、イスラエル政府や歴史学者からは、「第2次世界大戦時、ユダヤ民族に対するポーランド人の戦争犯罪を隠蔽するものだ」といった強い批判の声が挙がっている。イスラエル政府だけではなく、米国、フランスからもポーランドの民族主義的なPiS政権への批判が出てきている。
 中道右派「法と正義」(PiS)政権が推し進めるポーランドの民族主義的政策に欧州連合(EU)の本部ブリュッセルは首を傾げる一方、「言論の自由」を蹂躙しているとして批判的だ。

 ポーランド民族は過去3度、プロイセン、ロシア、オーストリアなどに領土を分割され、国を失った悲惨な経験を味わった。そのためか、為政者(統治者)に対する批判精神は鍛えられたが、統治能力は十分発展せずに今日に到っている。他国の批判に過敏に反応する傾向はPiS政権になって一層強まってきた感がする。今回の上院議長の書簡は外国居住の自国民に一種のスパイ行為を要請するような内容であり、危険だ。

ポーランドの「ホロコースト法案」

 ポーランド上院は1月31日、物議を醸した「ユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)に関する法案」(通称「ホロコースト法案」)を賛成57、反対23、棄権2の賛成多数で可決した。同法案では、ポーランドがナチス・ドイツで占領されていた時代のユダヤ人強制収容所を“ポーランド収容所”と呼んだり、同収容所が(ナチ政権と連携した)ポーランド国家に帰属していた、といった間違った主張や表現をした場合、ポーランド国民だけではなく、外国人も罰金刑、最高禁固3年の刑罰を受けるという内容だ。

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▲イスラエルとポーランドの共同声明(2016年11月22日)左・ポーランドのシドゥウォ首相(当時)、右・イスラエルのネタニヤフ首相=ポーランド政府公式サイトから

 ポーランドで中道右派「法と正義」(PiS)が政権与党となって以来、「ポーランド強制収容所」の呼び方を刑罰で処する法案作成が進められきた。そして先月26日、ちょうど「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」 (International Holocaust Remembrance Day)の前日、下院(セイム)で採決され、今回上院でも通過したわけだ。同法案はアンジェイ・ドゥダ大統領の署名をもって施行される。

 同法案の内容が明らかになると、イスラエルのネタニヤフ首相は、「ナチ政権時代のポーランドの戦争犯罪を隠蔽するものだ。歴史は変えられない」と警告を発した。また、米国務省も同法案に懸念を表明し、「同法案は過去の戦争犯罪問題に関する自由な表現や議論を妨げる恐れがある」と述べてきた。

 独週刊誌シュピーゲルは、「ポーランドではリベラル派と保守派の間でコンセンサスを見出すテーマは少ないが、ポーランドのナチ占領時代のユダヤ人強制収容所に関する見解では一致している」と評している。すなわち、「ポーランド国民はナチ・ドイツの戦争犯罪の犠牲国だった」という受け取り方だ。だから、ユダヤ人強制収容所をポーランド強制収容所と呼ばれると、強い反発を覚えてきたわけだ。

 例えば、2012年5月30日、オバマ大統領(当時)が第2次世界大戦時のポーランドの地下活動家ヤン・カルスキーの名誉を称える演説の中で、ユダヤ人強制収容所を“ポーランド強制収容所”と述べた時、ポーランド国内で激しい批判の声が挙がった。ラデク・シコルスキー外相(当時)は、「スキャンダルな間違いだ」と酷評したほどだ。また、ドイツ公営放送ZDFが2016年、同じ表現で報道した時、ポーランドのクラクフ裁判所はZDFに謝罪表明を要求している、といった具合だ。

 ポーランド政府がユダヤ人強制収容所を「ポーランドの」と呼ぶことに神経質となる理由は明確だ。ナチ・ドイツ政権の戦争犯罪への責任が追及されるのを恐れるからだ。だから、ポーランドでは「ドイツはナチの戦争犯罪をポーランド側の仕業とするキャンペーンを始めた」といった憶測情報すら流れているほどだ。 

 イスラエル側は、「アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所を建設したのはポーランドではなく、ナチ・ドイツ政府だ。実際、"Auschwitz-Birkenau や 'Arbeit macht frei'という表現はポーランド語の表現ではない。しかし、『ポーランドの』という呼称表現を処罰する法案はユダヤ人虐殺という歴史的事実を曖昧にする危険性が出てくる」と強調する。同収容所だけでも、110万人以上のユダヤ人が虐殺されている。ユダヤ人虐殺では多くのポーランド人がナチ・ドイツ軍の手先となって関与したことは史実だ。

 ポーランドの「ホロコースト問題」を考えていると、アドルフ・ヒトラーの母国オーストリアでもナチ戦争犯罪問題が長い間、協議されてきたことを思い出す。オーストリアは今年、ヒトラー・ナチス政権による併合(Anschluss)80年を迎えるが、同国では久しく、「わが国はナチドイツの戦争犯罪の犠牲国だ」という立場を堅持してきた。「犠牲国」から「共犯者」でもあったと認めるまで長い時間がかかった(「ヒトラーの『オーストリア併合』80年」2018年1月3日参考)。

来年はポーランドが“台風の目”に

  ポーランド上院(定数100議席)で24日、憲法裁判所の権限を大幅縮小する改正法案が賛成多数で採決された。58人の上院議員が支持、反対の議員は28人、棄権は1人だった。下院(定数460議席)では22日に採択済みだから、上下両院が憲法裁判所の改革案を支持したことを受け、アンジェイ・ドゥダ大統領が同法案に署名すれば即施行される運びとなる。

 右派政党「法と正義」(PiS)が主導するシドゥウォ新政権が提出した同改正案に対し、野党勢力からは、「権力の3権分離の原則を崩壊させ、司法を混乱させる」と言った批判の声が強い。一方、国外からも批判の声が上がってきた。上院の採択前日の23日、欧州委員会がポーランドの右派政権に対し、憲法裁判所の独立性を制限する法案に警告を発している。欧州委員会のフランス・ティマーマンス副委員長(オランダ)はポーランドのヴィトルド・ヴァシチコフスキ外相とズビグニェフ・ジョブロ法相宛ての書簡の中で、「改正案を再審査すべきだ」と要求し、法案施行の延期を求めている。ワルシャワが再考しない場合、ブリュッセルは制裁を施行することも辞さない姿勢を示唆したという。

 同国では11月末、新政権は憲法裁判所の5人の裁判官を解雇し、新政権寄りの裁判官を任命済みだ。それに対し、憲法裁判所は今月、新政権の決定は違法と批判している。 

 欧州連合(EU)理事会議長国ルクセンブルクのジャン・アセルボーン外相は、「ワルシャワで何が起きているのか。例えば、ドイツでカールスルーエの憲法裁判所の権限が剥奪されるといった事態が考えられるだろうか」と、当惑を表明したという。
 アセルボーン外相は、「残念ながら、ポーランド新政権が行こうとしている道は独裁政権がやってきた道だ」と述べ、来年初めにもポーランド新政府関係者を招集し、今回の憲法裁判所改正案についてその見解を質す考えだ。

 国内外の批判に対し、ヴァシチコフスキ外相は24日、「憲法裁判所の改正に関する論議を早急に終わらせるため 欧州評議会に法案の評価を求めた」と説明、理解を求めている。

 トゥスク現EU大統領がポーランド首相(「市民プラットフォーム」PO党首)時代、同国の国民経済は旧東欧諸国の中でも最優等生と受け取られ、順調に発展してきた。にもかかわらず、右派政党「法と正義」が政権を奪い返した背景には、リベラルなPOが主導する経済改革で国民経済は発展したが、その恩恵を受けられない国民が多く、「貧富の格差」が拡大してきたことがある。ポーランドではPOはエリート層の政党、PiSが貧者の政党というイメージが定着してきている。

 ブリュッセル主導のEU政策に批判的で、難民問題でも受け入れ拒否を主張する最大野党PiSは10月25日に実施された総選挙で下院は460議席中235議席、上院100議席中61議席をそれぞれ獲得し、コバチ首相が率いる中道右派のPOから8年ぶりに政権を奪い返し、89年の民主改革後初の1党単独政権シドゥウォ政権を先月発足させたばかりだ。ちなみに、同党は今年5月に実施された大統領選でも同党の候補者ドゥダ氏が、POの現職コモロフスキ大統領を破って新大統領に就任した。

 東欧最大の人口を誇るポーランド(約3800万人)で発足したシドゥウォ右派政権は難民問題や財政危機などに直面しているEUにとって大きな不安材料となることは間違いない。ポーランドは2016年の欧州の新たな“台風の目”となる恐れが出てきた。

ヤルゼルスキ氏の「敗北宣言」

 ポーランドのウォイチェフ・ヤルゼルスキ元大統領が25日、ワルシャワの病院で死去した。90歳だった。軍人あがりの政治家で1989年から90年の間、大統領を務めた。首相時代の1981年12月、レフ・ワレサ氏を中心とした自主管理労組「連帯」の民主化運動を制圧するために戒厳令を発したが、それが契機となり、同国の民主化運動は加速され、旧東欧諸国共産政権の崩壊の道を開いていった。

 冷戦時代、旧東欧共産政権を担当してきた当方はヤルゼルスキ氏という名を聞けば、2つの発言を想起する。一つは戒厳令発令に対する国民からの批判に対してだ。
 同氏は民主化後、「自分が戒厳令を発せなかったら、旧ソ連軍が侵攻することを知っていた。だから、祖国を他国の支配下に置かないために、わが国は戒厳令を敷き、主権国家を守ってきたのだ」と弁明していた。
 当方はこの発言内容は事実ではないかと考える。ポーランドは過去、3国(プロイセン、ロシア、オーストリア)に分断されるなど、民族の悲劇を体験してきた国民だけに、主権を保持することの重要性をどの国よりも理解していたからだ。ヤルゼルスキ氏は母国を共産政権の盟主・ソ連の占領下に置かないために腐心したのだろう。

 もう一つは、「わが国は共産国(ポーランド統一労働者党)だが、その精神はカトリック教国に入る」と述べた発言だ。ポーランドは共産政権下でもローマ・カトリック教の信仰は国民の間で燃え続けてきた。ローマ法王にポーランドのクラクフ出身のカロル・ボイチワ大司教(故ヨハネ・パウロ2世)が選出されたのも偶然のことではなかった。ヤルゼルスキ氏の「わが国はカトリック教国だ」は共産国指導者としては一種の敗北宣言といえる発言だ(同氏自身、カトリック信者だったともいわれる)。

 しかし、旧ソ連・東欧諸国の民主化後、ポーランドでも無神論、ニヒリズム、不可知論が広がり、国民の神への信仰は揺れだしてきた。英国で始まった「神はいない運動」は同国にも進出し、ゲイ・パレードが開催されるなど、同国の世俗化テンポは想像以上に早い。

 例えば、2011年10月9日実施されたポーランド総選挙(下院選挙)では、新党「パリコト運動」が第3党に躍進した。同党は、ローマ・カトリック教会の影響が強いポーランドで反教会主義を掲げ、「国民は教会に支配されてきた祖国を奪い返すべきだ」と主張し、「教会と国家」の分離を強く要求している。(同党は昨年10月、「みんなの運動」に改名)。

 ヤルゼルスキ氏は共産政権下の独裁者というイメージがあるが、当時の東欧共産党政権下では珍しい人間的な側面を持った指導者だった。

チャウシェスクとカダフィ大佐

 42年間の独裁政権を維持し、多くの国民を苦しめてきたリビアのカダフィ大佐は20日、最後の拠点だった中部シルテで反政権派によって拘束され、その直後、死亡が確認されたという。
 同大佐は「自分は亡命しない」と最後まで抵抗する覚悟を表明してきた。その大佐は狭く汚い下水溝に隠れ、自分を見つけた民兵に対して「撃つな、撃つな」と叫んだという。
 過去、多くの独裁者がいたが、その最後が悲惨だったケースは少なくない。カダフィ大佐の死は独裁者の運命を改めて確認させたわけだ。
 カダフィ大佐の死は北朝鮮の独裁者金正日労働党総書記にも大きな衝撃を与えるだろう、という解説記事が既にみられる。その衝撃度は外からは計り知れないが、金総書記にショックを与えたことは間違いないだろう。
 金総書記の父親・故金日成主席は1989年12月、24年以上、独裁者として君臨していたルーマニアのチャウシェスク大統領(当時)がエレナ夫人と共に特別軍事法廷で死刑を宣告され、処刑されたシーンを観て、ショックを受けたという。それから4年後の94年7月、金主席は心臓発作で急死した。
 金総書記は今回、親北派のカダフィ大佐の死を知り、父親が感じたであろう衝撃を味わっているかもしれない(「ウィーンとカダフィ大佐の息子」2011年2月23日、「『独裁者の息子たち』の行方」11年9月6日参考)。
 数十万人の国民を政治収容所に送り、無数の人間を公開処刑し、大多数の国民を飢餓に苦しめてきた金ファミリーの場合、国民のファミリーに対する怒り、憎しみはカダフィ大佐に対するリビア国民のそれを大きく上回っているかもしれない。
 金総書記と後継者金正恩氏は不穏な勢力の鎮圧に乗り出す一方、国民監視を強化しているという情報が流れている。すなわち、金政権は「Xデー」の足音を既に感じ、恐れ戦いているわけだ。
 朝鮮半島の平和な再統一を願う者にとって、金政権の崩壊とその前後の混乱を最小限度に抑えるためにも、準備を整えておかなければならない。
 カダフィ大佐が死去したことで、リビアは本格的な民主体制の構築に乗り出すが、中東問題専門家のアミール・ベアティ氏は「族長社会のリビアで民主主義を構築する作業はチュニジアやエジプト以上に難しいだろう。その上、政治・経済・司法各分野の専門家が少ないことも大きな問題だ」と予想している。
 カダフィ大佐後のリビアの行方は、金政権の崩壊後の北の動向を予測する上で参考になるだろう。 

ポーランド国民へ

 ポーランドのカチンスキ大統領夫妻らが搭乗した政府専用機が墜落し、大統領夫妻を含む乗客、乗組員ら96人全員が死亡した。このニュースは、ポーランド全土に衝撃を与えている。
 欧州メディアは「ポーランドは泣いている」と報じた。ポーランド人将校が第2次世界大戦、旧ソ連秘密警察によって殺害された通称「カチンの森事件」の慰霊祭に向かう途上で発生した事故であることから、メディアの一部では「カチンの呪い」と呼んでいるほどだ。
 冷戦時代のポーランドは東欧の民主改革の先駆者であった。自主管理労組「連帯」を中心にカトリック教会や知識人たちが自由と民主主義を求め、共産政権と戦ってきた。
 冷戦終焉後、民主化運動を推進してきた「連帯」議長レフ・ワレサ氏(元大統領)ら多くの活動家は政府要職に就いた。カチンスキ大統領も「連帯」でワレサ氏らを支えてきた知識人の一人だった。
 大統領搭乗機の墜落原因については、36歳のパイロット(総飛行時間1939時間)のミスではないか、といわれている。パイロットは、ロシアの空港管制局が「霧が深いのでモスクワかミンスクの空港に向かうように」と指示したが、それを無視して強行着陸を試みたからだ。
 事故の詳細はブラックボックスの解明まで待たなければならないが、ここにきて「カチンスキ大統領がパイロットに強行着陸を指示した」という情報が流れている。大統領の強い要請を無視できなかったパイロットが着陸困難にもかかわらず、強行着陸を試みた、というわけだ。
 ところで、カチンスキ大統領の政治活動を振り返ると、「野党精神」と「愛国主義」がその中核となってきた。
 ポーランド民族は歴史的に批判精神、野党精神が旺盛だ。過去、3度、プロイセン、ロシア、オーストリアなどに領土を分割され、国を失った悲惨な経験を味わったからかもしれない。為政者(統治者)に対する批判精神は鍛えられたが、統治能力は十分発展せずに今日に到っている、といわれる。
 カチンスキ大統領はポーランドの「野党精神」の体現者の一人だった。ちなみに、民主改革の英雄・ワレサ氏も同じだった。ワレサ氏の場合、政治家としては最後、国民から見放され、政界の表舞台から去った。同じ様に、カチンスキ大統領の支持率もここにきて低下していた。
 カチンスキ大統領は徹底した反共主義者だった。同時に、欧州連合(EU)の新基本条約「リスボン条約」の批准にも難色を示すなど、民族主義的傾向が強かった。冷戦後、ポーランドが欧州統合に参加する上で、カチンスキ大統領の政治信条が障害となってきた、という声が聞かれたほどだ。
 ポーランドの政治家や国民は歴史的な「野党精神」を止揚し、欧州の統合プロセスで大きな役割を果たして欲しい。それこそ、民族を愛し続けたカチンスキ大統領が果たしたくても出来なかった夢ではなかったか。

レフ・ワレサ氏から学ぶ教訓

 レフ・ワレサ氏と会見するためにポーランドのグダニスク市郊外の同氏の自宅まで行ったが、奥さんが出てきて「主人は疲れて休んでいるから、新聞社のインタビューに応じられない」と伝えてきた。ワルシャワから勇ましく乗り込んできた当方は少々、ガッカリして再びウィーンに戻っていった苦い体験がある。
 インタビューを断れたからいうのではないが、自主管理労組「連帯」議長からさっそうと大統領に選出されたワレサ氏は、大統領府官邸入りしてからその輝きを急速に失っていった。再選を目指した大統領選では、元共産党青年部リーダーだったクワシニエフスキ氏に敗北を喫するなど、国民もワレサ氏から離れていった。多くの国民は当時、「ワレサ氏の政治姿勢は独裁君主だ」と、その政治姿勢に批判的だった。再挑戦した2000年の大統領選では、ワレサ氏の得票率はなんと1%と惨めな結果に終わっている。
 東欧の民主化のパイオニアとして、共産政権と戦っていた野党時代のワレサ氏にはカリスマ性があり、その言動は躍動感があった。世界が知っているワレサ氏のイメージはその時代のものだ。
 双子の兄弟のカチンスキ大統領と首相が主導する同国の政情も現在、大きく揺れ動いている。同国では議会の早期解散を受け10月21日に総選挙を実施する見通しだ。
 ところで、カチンスキ政権のEU政策を見ると、農業助成金問題や新条約の意思決定方式で他のEU諸国と対立し、最近ではEU死刑反対デー開催に拒否権を発動するなど、EU内の異端児となっている。EUの盟主ドイツに対しても戦後補償や歴史解釈をめぐって批判を繰り返している、といった有様だ。同国の為政者にとって、政治は統治ではなく、批判、対立を意味する、と思われるほどだ。
 ポーランド人のこの批判精神、野党精神はその歴史と密接に関連するとよく言われる。同国は過去、3度、プロイセン、ロシア、オーストリアなどに領土を分割され、国を失った悲惨な経験を味わっている。だから、為政者(統治者)に対する批判精神は鍛えられていったが、その分、統治能力は十分成長せずに今日に到っている。ポーランドの政情が常に不安定なのは、為政者が野党時代の批判精神を宥めることができず、肝心の「統治」という責任を忘れているからではないだろうか。
 政治の世界では民族から政党、個人に到るまで、野党時代が長過ぎることは決して理想的ではない。オーナー意識が育ちにくいからだ。ポーランドの政治風土はそのことを端的に物語っている。
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