ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

ノルウェー

オスロ大量テロの首謀者は誰 ?

 辛いテーマだが、どうしても考えなければならない、と感じるので、オスロ大量殺人テロ事件のアンネシュ・ブレイビク容疑者(33)について今回も書く。

 16日に始まった公判は今後10週間の日程で開かれ、7月初めには判決が予想されている。同公判の争点は前日も書いたが容疑者の犯行時の「責任能力の有無」だ。全く異なる2つの精神鑑定結果が提出されている。17日からは容疑者がその犯行の動機などについて説明する予定だ。

 公判初日の動向を多くの欧州メデイアは一面で報じている(公判初日は約800人のジャーナリストが現地取材した)。「犯行は認めるが、自分は無罪だ。自衛権を行使しただけだ」と答えた容疑者の発言が大きく報じられる一方、検察側が紹介した容疑者作成のビデオを見ながら、涙を流した容疑者に対して「犠牲者に対しては何の反応も示さなかった容疑者が犯行に及んだ経緯を紹介した自分のビデオを見て涙を流す。彼はナルシストだ」(独週刊誌シュピーゲル電子版)といった報道も見られた。

 当方は16日夜、オスロの大量殺人テロ問題を扱ったオーストリア国営放送の討論番組を観ていたが、出演者の一人、司法精神病鑑定医のラインハルト・ハラー( Reinhard Haller)氏が「容疑者は狂気の世界に無防備状況で送り込まれている」という趣旨の発言をしていた。当方も「その通りだ」と思う。
 容疑者は狂気の世界に完全に嵌り、もはやその世界に抵抗できない無防備状況にいるのだ。だから「狂気だが、精神病患者ではできない精密な犯行を行使できる」(ハラー氏)という。
 狂気(Wahn)の世界に完全に入ると、時間の経過と共にそこからもはや脱出できなくなる。そして狂気の住人の思い通りに動かされていく。そして、自分の世界は完全に消滅されていく。宗教的表現をすれば、完全に悪魔に憑かれ、その手先として動き回る状況だ。それこそ、オスロの容疑者が現在、住んでいる世界ではないか。彼は脱出したくてももはやその術を失っているのだ。

 容疑者は公判初日、検察側の犯行説明を聞きながら、「もっとやるべきだった(もっと殺すべきだった)」と呟いたという。それを聞いた裁判関係者はゾーッとしただろう。容疑者の声というより、彼をその狂気の世界に押し込んだ者の声ともいえる。
 ウトヤ島の乱射事件から逃れた少女は「犯人は非常に落ち着いていた。そして撃った人間がまだ死んでいないと分ると、何度も撃って死を確認していた」と証言している。乱射の時も容疑者はまるでその使命を果たすように冷静に蛮行を重ねていったわけだ。

 多くの人々にとって、狂気の世界は無縁かもしれないが、それに憑かれる人々は決して少なくはない。オスロの容疑者の言動がそれを見、聞く者に大きな衝撃を与えるのは、狂気の世界に完全に入り、そこから脱出できない状況がどれほど恐ろしいか、をなんとなく感じるからだ。悲しいことだが、オスロの容疑者は狂気の世界の囚人ともいえる。そして、狂気の世界を牛耳っているのが悪魔だ(「『悪魔』とその助っ人たち」2011年8月25日)を参照)。

オスロ大量殺人事件の政治的影響

 オスロで77人が殺害されるというテロ事件(アンネシュ・ブレイビク容疑者)が発生、ノルウェー国民だけではなく、欧州全土に大きな影響を与えている。極右主義者、反イスラム主義者の容疑者の単独犯説が有力だが、32歳の容疑者の犯罪はノルウェーの政情ばかりか、欧州の政界にも様々な波紋を投じている。
 国内的に見れば、容疑者が一時的だが所属していた進歩党(シーヴ・イエンセン党首) の躍進に暗雲が差してきた。同党は2009年の総選挙で第2党に躍進し、今年9月に実施される地方自治体選挙で飛躍が期待されていたが、容疑者が一時、同党に所属していた事が判明すると有権者の間に警戒心が出てきている。
 イェンセン党首は、「容疑者がわが党に所属したということは、党にとって不幸だったが、わが党の移民政策が穏健すぎるといって出て行ったという事実は喜ぶべきだろう」と説明、進歩党の反移民政策が容疑者のそれとは違うと強調している。
 一方、イェンス・ストルテンベルク首相(労働党党首)はその冷静な危機管理と犠牲者への暖かい心遣いが国民の間で好意的に受け入れられている。
 ウトヤ島での銃乱射事件が明らかになった直後、「わが国は今後も自国の価値観を放棄しない、すなわち、今後も民主主義と自由な社会を擁護して行く」と述べ、警察の規制強化などの政策を施行しない意向を表明している。
 教会の死者へのミサでも、決して高揚過ぎることなく、抑えたトーンの中にも亡くなった若者たちへの同情心が聞く者の心を打ったといわれる。2人の子供を持つ首相(52)の真摯な姿勢が、戦後最大の危機に直面している国民を落ち着かせているというのだ。
 次に、国外をみると、容疑者のマニフェストで評価されたオランダの極右政党「自由党」(ウィルダース党首)、オーストリアの自由党は守勢を強いられている。オーストリアの自由党シュトラーヒェ党首は「オスロのテロリストとはまったく関係がない」と強調する一方、ネオナチ発言を繰り返してきた党内の議員を除籍処分するなど、党のイメージ保護のために腐心している、といった具合だ。
 欧州ではスウェーデン、デンマーク、ハンガリー、ベルギー、オーストリアなどで反移民政策を掲げる極右政党が台頭しているが、オスロのテロ事件が契機となって、支持者離れが進むことも十分に予想される。
 オスロのテロ事件の公判開始は来年初めになったが、事件の影響は欧州各国でもさまざまな形で表れ始めているわけだ。

オスロの容疑者の「思考世界」

 オスロの政府庁舎前の爆弾テロと郊外のウトヤ島の銃乱射事件で計76人を殺害(4人行方不明)したアンネシュ・ブレイビク容疑者(32)は弁護士に対して「行動は残虐だったが、必要だった」と述べ、その蛮行を後悔していないことを明らかにしている。
 容疑者は事件発覚当初から「信念がある1人の人間は自身の利益だけに動く10万人に匹敵するものだ」と豪語し、自身の行動を弁明している。その意味で、確信犯だ。
 犯行後、容疑者が書き記したとみられる1516頁に及ぶ「欧州の独立宣言」がインターネット上に掲載されたが、そこで容疑者は今回の犯行を2年前から計画(「殉教作戦」)し、爆弾原料となる農場用の化学肥料を密かに大量購入する一方、合法的に拳銃、ショートガンなどを購入し、戦争ビデオ・ゲームを愛し、ボディ・ビルで体を鍛えてきたことなどを明らかにしている(宣言表明の最後に「2011年7月22日午後12時51分、これが最後となる」と記述し、その2時間後、犯行に走った)。
 オスロからの情報によると、容疑者は極右民族主義者であり、反イスラム主義者だったという。そこで容疑者が書き残した宣言表明からそのプロファイル(Profile)を少し追ってみた。
 容疑者が尊敬する人物は、イマヌエル・カント(独哲学者)、ジョージ・オーウェン(英作家)、ウィンストン・チャーチル(英政治家)、フランツ・カフカ(チェコ作家)、ジョン・ロック(英哲学者)、プラトン(古代ギリシャ哲学者)たちだ。一方、嫌悪する人物はカール・マルクス(共産主義の提唱者)とイスラム教徒だったという。音楽ではクラシックを愛している。
 特に、宣言表明の中でオスマン・トルコの欧州北上の再現に強い警戒心を示している。その意味で、容疑者はオーストリアの手紙爆弾テロ事件(1993年)の犯人フランツ・フックス(Franz Fuchs)を想起させる面を有している、と指摘する声が挙がっている。フックスは数学を愛し、科学知識に精通していた孤独な民族主義者だった。11通の手紙爆弾で4人が死去、13人が重軽傷を負った(フックスは2000年、刑務所で自殺)。フックスはイスラム教徒に強い憎悪感を持っていた。
 オスロの容疑者は哲学を愛し、その世界に精通していた事が伺える。彼の発言は過去の哲学者の著作から引用したものがある。
 ウトヤ島の乱射事件から逃れた少女は「犯人は非常に落ち着いていた。そして撃った人間がまだ死んでいないと分ると、何度も撃って死を確認していた」という。乱射の時も容疑者はまるでその使命を果たすように冷静に蛮行を重ねていったわけだ。
 容疑者は「政府庁舎前の爆弾テロで時間を取り、計画が遅れてしまった。そうでなかったならば、もっと多くの人間を射殺できたはずだ」と語っている。
 
 以上から、容疑者のプロファイルをまとめるとすれば、(1)容疑者の知的レベルは平均より高く、哲学・文学の世界に精通、(2)多文化社会を嫌悪し、反イスラム主義を自身の使命と受け取る、(3)(今回の蛮行のために2年間に及ぶ準備時間があったというから)その行動は一時的な感情に基づくものではなく、強い信念に基づく、(4)(これ程の蛮行を犯しながら、これまで一度も感情を吐露していないことから)情感世界の欠陥が見られる、などだ(容疑者は母親のもとで農場を経営し、独り者だった)。

 ノルウェーは豊富な原油と天然ガスの資源を誇り、その一人当たりの国内総生産(GDP)は昨年度約8万4500ドルだ。失業率も3・6%と欧州の中でも最も低い。移住者(特に、パキスタン)が近年増えてきたが、外国人率は10%を超えてはいない(例・スイスは20%を越える)。北欧のノルウェーは欧州諸国の中でも最も裕福で安定した国と受け取られているのだ。
 すなわち、容疑者を取り巻く社会・経済的環境は決して緊迫し、爆発寸前といったものではなかったのだ。にもかかわらず、容疑者はイスラム教徒の増加に脅威を感じ、欧州のキリスト教文化を多文化社会から守るという使命感で今回の蛮行に走った。
 哲学を愛する容疑者の「思考世界」がどこかで狂ってしまった、としか表現できない哀しさを感じる。
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