藤根靖晃オフィシャルブログ 『ラ・マンチャのアナリスト〜to reach the unreachable stars!〜』

日本で唯一の独立系証券アナリスト会社である株式会社ティー・アイ・ダヴリュ(TIW)の代表である藤根靖晃“Fujine,Yasuaki”のブログ。 証券市場、企業経営、社会・政治、日常的な事柄についての雑感を表しております。 企業についてコメントをすることもありますが、特定の銘柄推奨や投資に関するアドバイスを行うものではないことをご了解ください。また、当ブログに記述された内容はあくまでも藤根個人の見解・感想等であり、必ずしもTIW社の意見を代表するものではありません。 TIWは独立系の証券アナリストレポートの会社です。詳細についてはリンク(右側)よりご参照下さい。

ベンチャーな奴らとウスベキスタン体験記(後編)


「俺はべつに構わないけど・・・・。」

それを聞くとS君は嬉しそうな顔をして言った。
「それではAさんを藤根さんの部屋と同室にしていただいて、姉にはAさんの部屋を使ってもらって・・・・藤根さん、本当に宜しいでしょうか?」
そう言われて今更、嫌とは言えない。
「えっ! お姉さんと同室じゃなかったの? もうドキドキしちゃったよ。あービックリした。」
悟られないように大げさに笑ってみせる。

S君は、それはさすがに無いですよと言いながら、手続きの為にフロントに向かった。
Aさんは、S君と一緒に仕事をしていたコンサルタントで、モスクワからタシケントに来ていた。大部屋を除けば男性と同じ部屋に二人で過ごすという経験は、思い出してみても殆ど無いだけに、ある意味で女性と同室よりも不安は多いかもしれない。
しかし、もしも彼がゲイだったらどうしよう、というような懸念は全くの杞憂に終わった。気さくな人で、最初の晩は明け方近くまで、ビールとコーラと飲みながら、部屋にタバコの煙が充満しないように互いに気遣いながら、話し込んだ。何を話したのかは忘れてしまったけど、ビジネス、結婚、人生、仲間、など。一瞬、大学生に戻ったような気がした。

翌日は、IT企業の社長であるF君と彼のパートナーのH氏の視察に便乗した。
F君は結婚式への出席と兼ねてウズベキスタンのIT人材の調査を予定しており、ロシア語もウズベク語も(もちろん日本語も)喋れる通訳を雇い、タシケント工科大学に向かった。
F君は、守衛を無視して大学構内に入って行き、通りすがりの学生にコンピュータ学科の場所を聞く、そしてコンピュータ学科と思われるところに行き、適当に部屋を開けて事務員に教授を紹介してくれと交渉する。と同時に、やはり通りかかった学生に手当たり次第に声をかけて話をしながら、ソフトウエア開発のスキルと英語力のチェック。
さて、飛込みにも関わらず学科の主任教授と面談できることになり、業務提携の可能性など話を進める(結局は、大学への寄付などがないと積極的には取組めないということが分かったのと、英語力のある学生が少ないことが判明して、提携の話は進まなかった。実際、タシケント工科大学の入り口にはサムソンの展示があり、韓国企業が積極的に寄付を行っていることが伺えた)。
結局は不発だったけど、F君のベンチャー魂(=行動力)の凄さに驚かされた。F君なんて気軽に呼んではいけない、ここからはF大社長と呼ばせていただきたい(以下、F君をあたらめF大社長)。
その後、現地のJETRO、JICAを巡り、ウズベキスタンに関して日本ではなかなか得られない貴重な話を頂戴した。JICAが設置している日本語学校で着物姿のロシア系ウズベク女性から日本茶の手ほどきを受けたのはいい思い出である。

その日の夕方、やはりロビーのバーでビールを飲んでいると、F大社長とH氏がS君の結婚式に出席していたウズベキスタンの若者(残念ながら、名前を忘れてしまったのだが・・・・ゴメンナサイ・・・ひとまずB君と置く)となにやらひそひそ話している。B君は日本に留学しており、日本の大手ソフト開発企業への就職が決まっている。
声をかけて何の相談?と聞くとF大社長は、なんでもないすよ、と嘯いている。
ああ多分、B君をヘッドハンティングしているのだろうなと思いながら、特に気には留めていなかったのだが、やがて3人で出て行った。

夕食時に、S君(新郎)にF大社長達はどうしたの?と聞くと、ちょっとここでは説明できない、と言う。F大社長は本当にチャレンジャーですよ、という意味深な答えだけが返ってきた。
ああ、そういうことか。

22時頃にホテルのバーで飲んでいると、F大社長ご一行が帰ってきた。
「どうでした?」と尋ねると、「兎に角、薄暗くて汚かった」と。
「日本円で1000円くらい」、「えーっ、何それ」。
「俺には絶対にそういうことはできないよなあ。凄げーなー」、と妙に感心しながら言うと、F大社長は、「実は中折れでした。がははははは・・・・」と笑ってみせた。

その後、サマルカンドの観光から帰ってきたAさんと部屋でビールを飲んだ。Aさんは最終電車に乗り遅れたとのことで、白タクの運転手と交渉してなんとか帰ってきたとのことだ(サマルカンドからタシケントまでは車で2時間かかる)。本当に海外組みは逞しい。

途中で紹介できなかったが、S君(新郎)の結婚式には、ロシアでマフィアと渡り合って飲食店を経営している元大手外食チェーンのエリアマネージャー(現在は、1部上場会社にスカウトされロシアでの店舗展開を推進している)、タイから殆ど陸路でタシケントまで来たというバックパッカーの元高校教師(その後、地中海まで陸路で抜けたそうだ)、ローカル局のフリーアナウンサー(女性)、S君が業務提携している現地の旅行代理店経営者、ウズベキスタンに日本語教師として派遣されて住み着いてしまった女性など普通の生活をしていたらなかなか出会えないような人が沢山居た。
S君のお父さんも起業家で地方自治体向けに機械の販売等を手掛けている。お姉さんも実はエステ関係のお店を経営している起業家である。

ウズベキスタンってなんだか良くわからないけど面白そうだから行ってみようか。
ベンチャー・スピリッツって単純化すればそんなものだろう。“面白そうだ”という単純な欲求が行動に向かうかどうかで住む世界が変わってくる。実際にS君の高校や大学の同級生はあまりタシケントにまでは来なかった。確定利回りを求めるサラリーマンには友達の結婚式に出席するために飛行機で(最低)8時間かかる場所には来ないのだろう。「仕事が忙しくって都合が付きません」、という言い訳が聞こえてきそうだ。
そういう意味では、ベンチャーな奴等の末席に加わらせて頂いたことは、なんだか誇らしい気持ちにさせてくれる。

さて、S君のお姉さんはというと、その後は殆ど話す機会が無かった。こちらがちょっと意識しすぎてしまったせいか、避けられているようにも感じた。
しかし、1年半以上過ぎて、そんなことも忘れていた頃に(先月)、FBリクエストが来た。だからと言って、それ以上のものではない。ただ、タシケントに滞在した日々とベンチャーな面々を思い出させてくれた。もっと激しく、もっと自由に、もっと直向に、走り続けなければならない、と。
そういうことを再認識させられた。有難う。(了)

ベンチャーな奴らとウスベキスタン体験記(前編)

2年前、ウズベキスタンには私の若い友人であるS君の結婚式に出席するために行った。
S君はバックパッカーで世界中を歩き、ウズベキスタンに到達し、そこでビジネスを起こし、そして15歳年下の美人の花嫁をゲットした男前であるが、彼とはtwitterで知合い、何度かミーティングをしてみて、結婚式にどうしても出席したい気にさせられていた。

ウズベキスタンを訪れたのはもちろん初めてであったのだが、その時に不思議な縁で、10数年ほど前にベンチャーキャピタルの(形式的な)役員をしていた際にちょっとだけだが一緒に働いていたF君とタシケントで再会した。S君とはやはりネット上の知り合いで対面したのはその時が初めてだったそうだ。F君はベトナムに移住し、今では社員200人規模のIT企業の経営者になっている(そういう人間はフットワークが全然軽いんだよね)。
また、以前に経営コンサル会社のアドバイザーを行っていた際にカウンターパートナーだった方(有名コンサルタント)にも現地で再開した。この方は中国でのコンサルの仕事の後にウズベキスタン入りをしたそうだ。
世の中は驚くほど狭い。と言うか、前向きな人たちはどこかで必ず繋がっている。

ロシア正教の結婚式、その後の披露宴、その翌日のサマルカンドへの観光を終えて、ホテルのバーでビールを飲みながらF君と談笑していると、S君がなにやらフロントで揉めている。「どうしたんだろうね」とその様子を遠めに見ていた。長い時間揉めた後に、S君は(美人の)奥さんと二人でこちらにやって来た。

「どうしたの?」と聞くと、「実は藤根さんにご相談があるのです」と言う。
「ホテルの予約が手違いで、姉の部屋が今晩から泊まれなくなってしまって・・・・。今日は満室で他に部屋がなく、いくつか他のホテルも当ってもらったのですが、どこも満室で・・・・。」
日本から結婚式に来ていたS君のお姉さん。最初は妹さんと見間違えるほど若々しく、ちょっとぽっちゃり顔の美人である。

S君が話を続ける、「もし、ご了解いただけるのでしたら、藤根さんの部屋に補助ベットを入れさせていただきたいのですが、宜しいでしょうか?」
えっ、お姉さんと同室? 同じ部屋? 綺麗なお姉さんと・・・・いいのか、いいのか、本当に? 本当?
少し離れた場所にお姉さんがスーツケースを横に置いて座っている。そのややうつむいた横顔からは表情を読み取ることができない。

心臓の高鳴りと汗が出るような感覚が伝わってくる(タシケントは乾燥しているので夜は汗をかくことは無いが日本だったら顔中に汗をかいていたかもしれない)。

生まれて初めて女の子をデートに誘う少年のような高揚と緊張感を感じながら、強張った表情を悟られまいとできるだけ何げなく努めながら言った。
「俺はべつに構わないけど・・・・。」
乾燥した空気の中で額から汗が蒸発してゆく感じがした。

(後編に続く)

後編はTIWメルマガの2014年6月20日号に掲載予定です。
それ以外は当面は掲載予定が無いので、続きをご覧になりたい方は、是非メルマガ登録をお願いいたします。
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「永遠のゼロ」に書かれなかった、 永遠に語られることの無い真実

祖父は海軍航空隊に所属する将校だった。最終的な階級は知らないが対戦前に懲罰(降格)を受けなければかなりの階級だっただろう。毎日、運転手によって送り迎えされていたと母が言っていたことや、戦時中でも家族でレストランで食事をしていたこと、戦後は、B級戦犯として捕らえられて服役していたので、大佐か、中佐くらいの階級にはあったようだ。

祖父の話しは面白かった。シンガポール、マレー、フィリピン、ラバウルなど日本軍の侵攻もそうだが、まだ海外旅行が夢だった昭和40年代に海外の話を聞くことは子供だった私にとっては驚くことばかりだった。い号作戦にも従軍し、海軍甲事件においては山本五十六機の横を飛んでいたと云う。墜落してゆく山本機が見えたそうだ。
そんな祖父が決して口にはしなかった話がある。

祖父が亡くなったのは、私が11歳の時であった。その年か翌年かは忘れてしまったが、祖母と母に連れられて夏の京都に行ったことがある。物凄く暑い日だったことは今でも憶えている。東山のあたりだったと思うが、一軒の民家に向った。祖父が生前に親しくしていた方であるとのことだった。その方の名前は、残念ながら忘れてしまったが、仮に「伊藤さん」とする。

祖父が自ら話すことは一度も無かったが、戦犯の容疑については、母から聞いて知ってはいた。祖父は終戦間際においては、特攻隊の教練を担当していた。戦局が厳しさを増す中で、少年兵が募られた。伊藤さんも特攻少年兵の1人であった。

「貴方のおじいさんに私は命を救ってもらったのです」
伊藤さんが言うには、特攻に出る直前に祖父は、死んではいけない。どんなことをしてでも生きて帰れ、と命令したそうである。そうして伊藤さんは機体の故障を装って不時着した。同じように生き残った方が他に2人居たそうである。

恐らくこうした話は、世間に出てくることは無いのだろう。祖父も決して口にはしなかったし、伊藤さんにしても限られた親しい人以外にはこの話は出来ないだろう。子供ながらにそう思ったのを今でも憶えている。

戦犯を解かれ、釈放された後に自衛隊からの強い誘いがあったそうだ。しかし、自分は若い人を沢山死なせてしまったからと言ってその話を断わり、三重の片田舎で新聞配達夫として生涯を終えた。新聞を積んで田んぼのあぜ道を自転車を走らせてゆく祖父の後を、走って追いかけたこともあった。

そんな祖父が目をきらきら輝かせながら語ってくれた話がある。
「皇居の上をどうしても飛んでみたい。」
太平洋戦争が始まるずっと前、昭和の始め頃の話らしい。
茂原の海軍航空基地から夜遅くに飛び立った。哨戒に引っかからないように曇りの日を選んだ。高度を上空高く取り、荒川の手前でエンジンを切って滑空飛行で皇居を目指した。哨戒には引っかからなかったので、ばれなかったつもりだった。しかし、何故かばれてしまい大事になったそうだ(2階級格下げになったらしい)。陛下の頭の上を飛ぶなんて当時はとんでもないことだっただろう(今でも?)。恐らく、祖父にとっては一番楽しかった、痛快な思い出だったのだろう。

特攻の教練の職務にありながら、自分の信じる正義を全うした祖父を誇りに思っている。
だから、自分の人生もまた新聞配達夫に終わったとしても後悔はしないつもりである(新聞屋さんゴメンナサイ)。
ただし、母(ならびに母の兄弟)は戦後相当に苦労をしたらしい。だからと言って祖父を恨んでいるという話しは聴いたことがない。

この話に興味を持ってくれた人がもし居るなら、私に連絡をしてみて欲しい(まだ、「伊藤さん(仮名)」はご存命かもしれないので母の記憶を頼りに辿ることが出来るかもしれない)。

特攻隊員に「死ぬな」と言った指揮官は、天皇陛下の頭上を飛んだ男だった。
そんな男だから、「死ぬな」と言えたのだと思う。

自分を信じるということ

15歳のときだった。
高校の4階の校舎と講堂の隙間は1mくらいの隙間しかなく、天窓から屋上までの高さは180cmくらいだったのでそこをよじ登ることが出来るのではないかとある日思いついた。
もちろん、下には何もない。失敗すればコンクリートの地面にまっさかさまに落ちる。運が良くても重傷は避けられないだろう。

1ヵ月以上の間、毎日、その場所に行って、何度も確認し、頭の中でシミレーションを行った。180cmと思っている高さが2m以上あった場合はかなり困難になる。何度も目視して2mはないと確認した。天窓から這い出して、体の向きを入替、1m先の講堂の壁に手を突いて天窓に足をかけてゆっくり立ち上がる。そうすれば、屋上に手が届く(はず)。
来る日も来る日もシミレーションを続けて『絶対に出来る』と確信した。

ある日、意を決して挑戦することにした。
このことは友人の誰にも話さなかった。話さなかったのは、見物人が来て集中力を殺がれるのがイヤだったこともあるが、もし、失敗したときに誰の責任にもしたくはなかった。

天窓にクビを突っ込み上半身を入れる。体を回転させて下向きから上向きに体を入れ替える。片足を外に出して体勢を整える。ここから先は後戻りが出来ない。

1m先の講堂の壁に手を伸ばして体重を預ける。足を天窓にかけ、少しずつ手の位置を上げながら体を起こしてゆく。斜めにほぼ立ち上がった状態で屋上の縁に手を伸ばす。勝負だ。手が届くか。

伸ばした手は、予想以上に余裕があり、縁の反対側まで手が届いた。伸ばした手の先に(これは予想外だったが)指ががっちりと掛かる溝があった。
その瞬間、勝ったと思った。
あとは体を引き上げればよいだけである。

体を引き上げて、屋上のコンクリートに転がるように寝転がった。勝利の喜びが体を震わせるのを感じた。

この経験は、自分自身を強く信じられることを与えてくれた。
ハイレベルでのスポーツ競技や、高い目標をクリアした人だけが得られる感覚に似ているのではないかと思う。

投資も同じである。自分の予想にどれだけの信頼を持てるか、それだけである。
日本人は確定利回りの預貯金を好むのは、最終的には自分を信じきれていないのではないかと思う。そして殆どの人はそれ(自分が自分を信じていないということ)を正面から認識していないのだと思う。
それを認識して、そこから逃げ出さずに居る人は、信じられる自分自身をいつかは獲得できるのではないかと思う。私自身も途上ではあるが、そう思いたい。

信念とはもしかしたら自分を信じる究極の姿なのかもしれないね。

FBページ及びTrue Investment Way(グループ)について

現在、フェースブック上でTIWのFBページと、True Investment Wayというグループを運営しています。
(ブログ読者の皆様にはご連絡が遅くなって申し訳けありません)

TIW 公式ページ
こちらでは、今までブログ上に掲載していました「IFIS/TIWコンセンサス225」の他、「TIWモデルポートフォリオ」のパフォーマンス状況などを掲載しております。

TRUE INVESTMENT WAY
こちらでは投資家の皆様とのディスカションを行っております。
(ご参加をいただくには参加リクエストを頂戴した後に承認をさせていただいております)

現在は、フェースブックをメインにしつつ、(FBは長期保存が出来ないので)内容によってはブログに掲載する方法を取っております。密かにtwitterでボヤイテイルこともありますがこちらはかなり不定期です。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

「東大卒は人の悪口を言わない」

(FBからの転載です)

先日、飲んでいたときにメンバーの一人がそんな話を始めた。
(もちろん、例外もあるが)確かにそういうタイプの人は少ないというのがその時の飲み会のメンバーの共通認識だった。

実際、辛口の評論家は、早稲田や一橋、中央あたりに多いような気がする。
(これはイメージだけかもしれないが・・・・)

東大卒は人の悪口を言わないという所与の前提を置いたとして、何故、東大卒は人の悪口を言わないのか?という理由を検討した。
もちろん、あくまでも仮説である。

・少なくとも学歴に対してはコンプレックスが殆ど無いので僻み根性が無い。
・高収入な職業につき易いことから、他人を蹴落とす必要がない。
・世間で槍玉に挙げられやすいことから、他人を刺激しないようにしている。
・子供の頃から優等生として育ってきたから、そうした態度が身についている。
・縦、横のつながり(学閥)が強く、村社会が形成されていることから社会的には縛られている。

さて、どのくらい当てはまるのかは検証しようがないが、特に能力の高い方は本当にツメを隠す傾向が強いと思う。逆に、東大、東大している人は実は大したことがないかも。

う〜ん、あの人が東大?と見た目では分からない人ほど(そういう方に限って腰が低いんですよ)、実は凄い人が居るんです。どう見たって・・・・のオッサンなんだけど。

とりあえず、最後に褒めておいて帳尻合わせをしました??

雨ニモマケズ

先日、筆者が個人的に昔から尊敬している或る会社の役員の方の講演を聞く機会があった。
(具体的なお名前や名称は差し障りがあるといけないのでここでは伏せさせていただきます)
その方の会社(以下A社)では、グローバル化を目指して社内の公用語を2年くらい前に英語に変更するという大改革を行った。社長からその提案が役員会でされた際に、その役員の方(以下、B福社長)は真っ先に賛成したそうである。英語を学ぶことによって語学だけでなく、社員の意識を大きく変えてゆけると考えたのが賛成した理由であったそうだ。はっきりと意見を述べる積極的な人間の集団に組織を変えるには有効性があるのではないか、と。

日本語は、文法上では結論が後に来る。日頃の業務会話の中でも結論は最後である。これはビジネス上では非効率的であると同時に、上司の顔色を見ながら結論を曖昧にしてしまうことも起こり得る。B副社長は最初に就職した会社で、『結論を最初に述べろ』と叩き込まれたそうである。結論を最初に述べてから、『次に理由を重要なものから3つあげろ』と。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
(以下、省略)
宮沢賢治「雨ニモマケズ」より

宮沢賢治の有名な「雨ニモマケズ」を掲げたのは、(勿論、文学作品なので例として持ち出すのはかなり失礼ではあるが)日本語の象徴的な例として興味深いからである。
「雨ニモマケズ」は最後まで読まないと主題(「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」)が全く分からない。しかも、対象となる要件が多岐にわたっており、重要性の順位付けが全くなされていない。言われてみなければ意外と気付かない点であるが、これが日本語の特徴である(これまで気がつかなかった私も日本人なのですね)。

(文学作品という点を無視して言えば)最後の主旨は、「サウイフモノハ メッタニイナイ」でも成り立つし、「サウイフモノハ ワタシハキライダ」でも成立する。
これが英語であれば、"I want be the person who is ~"というように冒頭に意思が示されるはずである。英語は最初にYes or Noと態度を明確にしなければならない。したがって。公用語が英語になることによってビジネス態度も変わってくるだろう、というのがB福社長が英語の公用語化の際に考えたことであった。

TOEICの平均スコアは、A社は英語の公用語化をはじめた際には526.2点だったそうである。そこから僅か2年半余りで700.3点にまで平均スコアが上昇したとのこと。これは驚くべき快挙ではないだろうか。

さて、B副社長の目論見であった意識改革は社員に生じたのであろうか?
それについてはここでは敢えて触れないが、筆者の経験を書いておこう。

(女性にはあまり当てはまらないが男性の場合は)英語の成績が比較的高い人ほど、自分の意見を明確に言わない傾向が強いように思われる。また、日本語で話している限りにおいて、(英語が得意な人ほど)途中の説明や前置きが長くて、結論が曖昧な傾向が高いように感じている。
筆者の感じている感覚が世間一般ではどうなのかを十分に検証はできていないが、その理由として次のような仮説を用意している。

昔、留学経験も全くないにも関わらず、英語がネイティブ並みに堪能な方に、どうしたら英語が上手くなるかを尋ねたことがある。語学は子供の頃の『習字』と同じであり、御手本に近づけることだけを目指せばよいのだというのが彼の説明であった。自己を主張しようとすると決して『習字』は上手くならないと。英語の習熟には基本的には自己主張の強い人間よりも素直な性格の人の方が向いているのではないだろうか(優等生タイプ)。

日本人は中学校から大学まで10年も英語の勉強をしているのに何故、英語が話せないのかという議論が昔から存在する。英語教育のあり方がその度に問われるのであるが、問題の本質は別のところにあるように感じている。国際的にみて日本の教育内容が著しく劣っているわけではない(と思う)。
本質は英語が話せないのではなくて、他人に伝えようという意思が足りないこと、主張すべき内容を持ち合わせていないこと、言わなくても察して欲しいという甘え、ではないだろうか?

最後にB副社長の言葉を短く引用しておく。
「きちんと主張を出来る人間が、英語を話せるようになることがベストである」、と。

余談であるが、B副社長の講演を聞いた翌日に、近所の英会話カフェに飛び込んでみた。
若い女性が沢山居るのではないかと思い緊張したのだが、気合を込めて開けたドアの先には、(お客さんは)70歳代男性と50歳前後の女性二人。
スタッフ(フランス人のイケメン男性)によれば夕方の時間帯のレギュラーメンバーだそうだ。う〜〜ん。

『反(アンチ)・スリッパの法則』

レオスキャピタルの藤野英人さんの「スリッパの法則」=スリッパに履き替える会社はなぜか上手く行かない、というのがどういう理由であったのかは正確には思い出せない。合理的な理由が無いことや、経営者が会社を自分のものと考える傾向が強いというような内容でなかったかと思う。
この本が最初に書かれた1990年代半ばの状況を考えるとなんとなく頷けるような気もするし、実際に私もスリッパに履き替える上場会社で成長した会社に有ったことは無い。

しかし、これは一定以上の規模の上場会社の話であり、中小企業については当てはまらないことの方が多いと思う。

スリッパの法則



写真は、私の友人の会社。この会社は工事会社(及び機械加工)だけど、新しい事務所が出来た際にスリッパに履き替えるようにしたとのことである。作業靴のままで事務所に入ると事務所が汚くなる。その結果、お客さんや取引先に来ていただくときに恥ずかしい思いをするということから事務所の後部には作業施設があるにもかかわらず、スリッパを採用したとのことである。当時は社員から(不便であるとの)大反対があったそうであるが、今ではすっかり定着している。

この会社の社長は(私と同じ年であるが)或る意味凄い人格者だと思う。リスクは全て自分が引き受けて、社員に頑張ってもらう環境を用意する。「(全てが)ダメな社員は居ない。皆がどこか良いところは持っている。その良いところを集めないと中小企業は勝てない」と言う。
或る意味で性善説に立脚した経営で売上・利益を伸ばしている(性善説・性悪説についてはまたあらためて説明したい)。
昨年の売上高は約5億円、今年は現在進めているプロジェクトが立ち上がれば一気に10億円レベルになる。小さな田舎の会社だが(コメンナサイ)、米軍とも国の機関とも直接取引がある。

スリッパは、(スリッパの法則が書かれてから)15年のときを経て、社員を家族同様に扱う経営の象徴ではないだろうか?これには藤野さんもきっと賛成してくれるだろう。

弊社も土足を廃止して「スリッパ」を採用してみようか・・・・(U~m)。

「女性は全員面倒です。」

数日前の夜、有楽町駅に向う途中に、友人(A氏)に少し前に連れて行ってもらったスナックが近くにあることを思い出した。
お店の名前を忘れてしまったことと、ついでにA氏のボトルを飲ませてもらおうと思い、やや遅い時間だったがA氏に電話した。何度か呼び出し音が続いたが出ない。
仕方がないと思いつつ帰途に着いた。

翌日、A氏から、昨晩電話を頂いていたようで失礼しました、というチャットが来た。
こちらが状況を書くと、あの店は・・・最近はちょっと行っていないのですよ、と。
補足しておくと実質的に独身であるA氏は、その店の女性とちょっと妖しい関係にあるようだ。

藤根:「さては振られましたね。」
A氏:「そうじゃなくて、ちょっといろいろとあって、まあ面倒なので少し間を空けているんです。」
藤根:「面倒なシチュエーションは昔から大好きだったのでは?」
A氏:「女性は全員面倒です。」

「女性は全員面倒です」というA氏のコメントが、不思議と全身に広がり、世の中の多くのことが解き明かされてゆくような気分になった。目から鱗が落ちるとはまさにこういうことだ。

結婚をしない独身男性が増えていることの理由として「面倒です」が最も説明力がありそうだ。
恐らく、今の時代の女性が面倒なのではない。実は女性は昔から面倒臭かったのである。何が変わったのか? 世の中が便利になりすぎたのである。蛇口を捻ればお湯がでる。冷暖房もボタン一つ。低価格で直ぐに食べられるファーストフードはあるし、コンビニも徒歩5分以内に殆どある。ビデオもオンデマンドで見ることが出来るし、スマートフォンがあれば時間潰しも苦にならない。だから、彼女が欲しいと思わないという男性がいても、必ずしも嘘を言っているわけでもないのだろう、と思ってしまう(中には同性愛者もいるのかもしれないが)。

結婚しない若者が増えているのは、女性の社会進出、収入の問題、若者の恋愛感、情報社会によるミスマッチの拡大など色々説明されているけど、世の中が便利になりすぎたことがシンプルに最大の説明要因ではないだろうか? 世の中が便利になった分だけ、面倒なことが相対的に際立ってしまったのであろう。
合成特殊出生率と各国の便利度合いを比べれば、意外と一致するのかもしれない。どなたかトライして欲しい。

日本経済の停滞が叫ばれて久しい。便利で楽になったことからチャレンジする人が減っているのだ。こうした世の中を活性化させるには、少し面倒なことを増やすのが良いのかもしれない。さし当って、駅など公共施設のエスカレーターを撤去してしまうのはいかがであろうか? 自分の足で歩まなくても運んでくれる。そうした楽チンさが無意識下に大きく染み付いているのではないだろうか?(撤去が出来ないならば有料化してみるのはどうだろう・・・・もちろんお年寄りのためのエレベーターを増設する必要があるが)

最後に、女性から見ればきっと男性も面倒であることを、忘れずに申し添えておきたい。


(最近はFBは関係者の目に付き易いので、内容によっては書き難いことが増えていますね・・・ということでこちらに掲載をしておきます)

勤労の五段階説

(暫くブログを放置しておりましたが、なんとなく書きたいことが出てきましたので久々に書いてみます)

昨日、ふっと「勤労の5段階説」という概念が頭に浮かびました。
企業評価を行う上で、内部要因としての社員の質をどのように考えるべきかということについて、モチベーションの観点から評価するのが妥当ではないかと思案していた際にふっと浮かびました。

名称からご想像のとおり「マズローの欲求の5段階説」が下地になっています。

皆さんも若い頃の自分自身を振り返ってみると、仕事の中身ではなく、お金を得なければならないと(無意識に)考えていた時期があったのではないでしょうか?

これはマズローでは「生理的要求」に該当すると思います。
まずは生活の糧としての収入を得ること。『初期経済的欲求』と名づけます。

次のステップとしては、スキルを高めつつより高い収入を得たいと願うところでは。マズローでは「安全性欲求」と位置づけていますが、『経済的安定要求』と名づけます。

マズローの第三段階は愛情欲求(所属欲求・社会的欲求)と有りますが、勤労では所属するチームや社内において一定の評価やその評価の証左としての出世・ポジションの獲得が求められます。これを『ポジション要求』と名づけます。

第四段階の「尊敬欲求」に該当するところでは、かなり高次のポジション(役員以上)の獲得や所属する組織内ではなく業界内での評価(業界団体の理事など)が求められます。これを『エグゼクティブ欲求』と名づけます。
ここまでは段階が上に行くにしたがって、収入面でも上昇する傾向がありますが、第一段階、第二段階とやや異なるのは、収入の多寡は経済的な面よりもプライドを充足する側面が強まってきます。

最終5段階「自己実現欲求」では、自分自身の仕事について社会的意義の追及や社会貢献が求めるようになります。マズローも第1〜4段階を「欠乏欲求」と呼び、第5段階を「成長欲求」というように質が異なります。お金を得ることは重要ではなくなります。

最近の日本では、第3段階はおろか第2段階で止まってしまっているのではないかと思われる方を多く見るようになりました。
年功序列型昇進制度の崩壊によって「愛情欲求=ポジション欲求」に到達できない人が増えているのかもしれません。その結果として、より高次の欲求に到達できる人が減少しているとするならば、社会全体としては勤労に対する精神面での充足が失われていることになるのかもしれません。


私の場合はと言うと、第5段階を目指しつつも現実的には第1段階でもがいているような感じです。

中小証券の再編は何故起こらないのか?

証券会社の不振が続いている。
大手はメガバンク系3社と野村、大和の合計5社に再編されたが、中堅・中小証券の再編が意外と進んでいない。

証券会社は、或る意味で設備集約産業であると同時に、コンプライアンスなど管理部門の充実が求められるだけに一定のスケールが重要であるが、なぜか集約が進まない。
一つの理由は、中堅証券で現在残っている会社はオーナー色が強く、(利益が出ている限りは)合併を望まない。また、その規模の会社は規模のメリットは確保されているので、単純に規模を追い求める合併では効果が少ない、ことが理由にあげられる。

それよりも小さな規模の地方証券や、中小証券で合併が進まないのは何故であろうか?
これは、証券取引所の規制・ルールが絡んでいることを最近になって知った。

仮に東証参加者資格を持っているA社と、大証参加者資格を持っているB社が合併しようとすると、存続会社でない方の会社の持っている免許(取引参加者資格)は、ゼロから取り直さなければ成らない。ゼロから(=新規で)参加者資格を取得するには、3期黒字をはじめとした厳しい条件が課せられる。
つまり、互いが持っていないものを補完し合うような合併が成立しないのである。取引所が株式会社されるまでは参加者資格=会員権の新規発行は殆ど行われてこなかった。
中小証券は、東京あるいは大阪の地場の証券会社が多く、どちらか一方しか保有していないケースが多い。
現在のような環境では、合併を促進して、証券会社の合理化を促すことが、証券業界はもちろんのこと取引所にとっても好ましいことのように思えるのだが・・・・・。

(余談であるが、これは金融庁の指導ではなく、取引所のルール(規制)であるそうだ)

香港のタバコのWARNING

この数日、香港に行っていました。
そこで購入したMarlboroのパッケージに書かれていた警告文書を見てビックリしました。

SMOKING MAY CAUSE INPOTENCE

なんと、喫煙はインポの原因になる可能性がある、と言っているのです。
もちろん、HKSAR GOVERNMENT WARNING、と香港政府が言っているのです。

HKSAR=Hong Kong Special Administrative Region

マルボロ(香港英字)

漢字では、吸煙可引致陽萎、と書かれています。
インポのことを中国語では陽萎と言うのですね。

マルボロ(中国語)

世界各国でタバコ規制の強まりから警告文が掲載されていますが、インポははじめてみました・・・ご存知でしたか?

鐘1つ「カーン」が無くなった!

昨日、たまたま見ていた「NHKのど自慢」で気付いたこと。
全ての出場者に対して鐘が2つ以上であり、
鐘1つは1人もいない。

確かに昔に比べて、著しく下手な人は出場しなくなったようだが、合格(鐘3つ)以外は全て2つというのも時代を反映しているような気がする。

元々、「NHKのど自慢」は歌唱力の上手さを競うものではなく、出場者と会場と視聴者が楽しむためのものであり、審査そのものも厳格性は無い。
それだけに合格者以外に差をつけることにはあまり意味が無いことは確かである。

しかし、かつてはつけていた差(1つ、2つ)をつけなくなったことは世相を反映しているとなると本当にそれで良いのかと思ってしまう(そんな世の中が良い世の中なのか?)。

天ぷらにソース

先日、恵比寿駅構内にある「讃岐うどん店」でうどんを食べていると、隣に座った男性が、天ぷらにソースをじゃぶじゃぶと掛けている。

「こいつはいったい何者なんだ!」
と思ってふと見渡すと、テーブルのあちらこちらにソースが配置してある。
その一方で、醤油はどこにも置いていない(うどんのメニューの「しょうゆ」を頼んだ際に、醤油指しを渡されるが・・・・)。

もしかすると、讃岐では天ぷらにソースを掛ける方が正統なのだろうか?
そんな疑問が湧いてくると同時に、岡山に住んでいた子供の頃のある光景が思い出された。

近所の親子20人ぐらいで海水浴に行ったときのことである。
お昼はカレーライスだったのだが、二つしかないソース瓶を大人も子供も奪い合うようにしてカレーにソースをじゃぶじゃぶと掛けていた。衝撃的な光景だっただけに今でも目に焼きついている。(もしも、それが普通だと思っていらっしゃる方は、刺身にケチャップを掛けている光景を思い浮かべて欲しい・・・・)。自分の周りに居た人が実は宇宙人でないかと思ったほどだ(ウルトラQの影響です)。

天ぷらにソースを掛けると言うのも実は西日本では普通なのかもしれない。
実は私が無知なだけなのかもしれない。
そのもやもやした感じは以下の個人ブログを見てようやく解消できた。
インターネットに感謝。


「天ぷらにソースをかけますか」

飯田橋にある或る和食屋の女将は、刺身にソースをかけて食べていた。
(王様にお耳はロバの耳)

神様のテスト2

九段下駅の東側出口(目白どおりを挟んで靖国神社とは反対側)のエスカレーターは中ほどで途切れてそこから階段になっている。

今日、目の前を、ベビーカーを押した女性がそのエスカレーターに乗っていった。
エスカレーターの終点(階段の中腹)で途中までしかないことに気がつき、踊り場で困惑している。戻るにも下りのエスカレーターは無いのだ。

「御手伝いしましょうか? 上で良いですか?」と言って、女性と二人でベビーカーを持ち上げて階段を上った。ベビーカーに座っている子供が不思議そうな顔をして見ている。

出口の上に着き、
「途中までとは全然気がつかなくてビックリしていたんです。有難うございました。」
という女性に「どういたしまして」と会釈をして立ち去った。

世の中のあちこちは“神様のテスト”に満ち溢れている・・・・きっと。
その内の多くは、見逃しているだけなのかもしれない。







御母さんが美人だったんじゃないかって?





う〜ん、ちょっとだけね。

神様のテスト

昨日の夕方、銀行に行った帰りに比較的最近出来たラーメン屋の前で足を止めた。その日はランチに新橋で(いつも行っている寿司屋より)美味しい鮨を食べたのだが、妙におなかが空いていた。

お店の前の食券販売機で千円札を入れて“しょうゆラーメン700円”のボタンを押した。
おつりレバーを押して御釣りを取ろうとすると100円玉が5枚ある。
前の奴が取り忘れていったのだな、きっとこの200円は何か良いことに使いなさいということに違いない、と思ってポケットに入れた。


ラーメン屋の中に入ると客が二人居る。
店員に食券を渡しながら、
「オレのすぐ前に入ったお客はどっちだ!」
と言うと店内に妙な緊張感が流れ、二人のお客も店員も固まっている(いやいやそうじゃないんだ)。


「御釣りを200円取り忘れていたよ。だから、800円の商品を頼んだ人じゃないかと思う」というと、やや間があって手前に居たサラリーマン風がこちらに少し顔を向けて、「あっ俺だ」といって店員に渡した200円を受け取った。


そのサラリーマンは、お店を出しなに「有難う、おかげで助かりました」と言って出て行った。
でもお礼を言わなければ成らないのは、こちらもである。
200円のために食事中ずっと後ろめたい思いをしなくてすんだのだから。


こういうシチュエーションを、「神様のテスト」と思っている。
雨の日に「Big Issue」を売っているおじさんと目が合ったときや、電車の中で座っている座席の前に老人が立った時もそうだ。

日本が今、不況に喘いでいるのは、きっと、日本人の多くが「神様のテスト」に失敗したからではないか、と思うこともある。



余談だけど、ラーメンは麺が固すぎず柔らかすぎず、ちょっと魚味が強かったけど美味かった。
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