2017年08月23日

◎道徳の基本は三種の分野を知ること

 大阪大名誉教授・加地伸行氏の【古典個展】産経新聞を読んでいたらこんな記事が載っていた「道徳には三種の分野があり、教材に偉人伝もいいが演歌がいい」と出ていた。
”なんだそりゃ!”と見てみたら実に新しい発想で道徳というものを知ることができ、目から鱗が落ちたと言える。

 以下彼の趣旨にのっとってわたしなりの意見を述べる。
加地氏はやはり、昔からの、だれもが身につけてきた感覚や習慣を大事にすべきではないのかという。戦後学校教育から本格的な道徳教育が抜け落ち、人間としてのあるべき姿は何かと問われても誰も自信をもって答えることができない。
道徳教育=戦前の軍国主義と結びつけてその本質を知ろうともしない傾向があり、教育者が避けて通ろうとする傾向がある。
加地氏はいう。 
小学校・中学校における道徳教育に対して、否定的に文句を言っている人が多いが、そのほとんどは、道徳教育そのものを、始めから〈悪(あ)しきもの〉という先入観で見ているのみならず、その論説の最大欠点は、道徳の基本がよく分かっていないことにある。

 道徳の基本とは何か。道徳には三種の分野がある。
(1)絶対的道徳
(2)相対的道徳
(3)修養道徳である。

(1)の「絶対的道徳」は、古今東西を問わず、絶対に変わらない道徳。例えば、人を殺さない、盗みをしない、放火をしない、人の心を傷つけない、規則は守る…等(など)。これは必ず強制的に教育するという。

 我々は(1)の「絶対的道徳」は人間として余りにも当たり前のことであり、特に取り上げて教育するまでもないと考えていた。
しかし各国の紛争の歴史や民族性を考えるにつけ、性善説に立ってモノを判断するのは日本人だけであり、他民族は性悪説で見るのが常識である。

 戦争もの、マフィアもの、スパイもの、満州や樺太、朝鮮半島からの引揚もの等の映画・ドキュメント・小説が一番良い例で、「女・子供」を平気で殺す。日本人にはできない芸当である。
「息をするようにウソを吐く」「経済力や軍事力をつけた途端に領土的野心をあらわにする」「国家間で決めた約束事を自国の都合で平気で破る」に聞き覚えがありませんか。
 
 しかし教授は(2)の「相対的道徳」は、条件つきでの道徳。例えば、陸地から遠く離れた海上での話。1人しか乗れない舟に3人が乗った。これでは舟もろとも沈んでしまう。どうすればよいか。そういう問題を出して、考えさせる議論をさせる道徳教育であると断言する。

 いろいろな答えが出てくる。例えば、3人ともそのまま乗り続けいっしょに死のう。ジャンケンで勝った者1人だけが残ろう。一番若い人が残ろう。一番年長者が残ろう、病気のない人が残ろう…というふうに。

 討論する。答えはない。その討論が児童生徒の頭脳を活性化し、かつ道徳への関心や理解を深めることになるだろうという。

 何を隠そう私自身が(2)の「相対的道徳」というものは道徳の1分野と捉えることを知らず、状況判断の訓練の分野であり、教育法として独立したものと捉えていたのだ。

(3)の「修養道徳」は、個人の問題であり道徳教育には入らないという。すなわち、自分なりに実践できる徳目が自分の身につくように努力し続けること。一生をかけて。たとえば〈まごころ〉を生涯実践し続けて自分を鍛えるとか。
我々一般人は寧ろこの分野を道徳教育と捉え、精神修養に励んできたのだ。

 しかし教授は強調する。これらは論理。道徳教育には心にしみるものも必要となると、教材としては偉人伝もいいが演歌がいい。日本人の心情が籠(こ)もっているからだ。島津亜矢(あや)が歌う「いのちのバトン」には日本人の死生観に通ずるものがある。家族について実(まこと)しやかに説く世のいかなる道徳論も、森進一が絶唱する「おふくろさん」1曲に遠く及ばないという。

早速TVの歌番組で聞いてみた。なるほど!!!

  
Posted by wildhorse38 at 17:15Comments(0)人の倫(みち)

2017年08月13日

◎若い世代の中国女性の恋愛観と日本への旅行

 今朝 TVを見ていたら7月18日、福建省出身の小学校教師、危秋潔さんは個人旅行で北海道を訪れたが、危さんは札幌市内のゲストハウスに宿泊していたあと、22日に部屋に荷物を残したまま外出。帰国予定の25日になっても戻らなかった。その後、中国の家族などが危さんの行方を捜索しているが、本人からの連絡は一切ないままだ。
TVではゲストハウスの様子を克明に写すとともにその後の足取りを追ったが、22日は北海道東部の阿寒湖温泉のホテルに1人で宿泊し、翌23日朝にホテルをチェックアウトしていることが判明。阿寒湖のホテルをチェックアウトした後に、店に立ち寄ってパンを購入したという報道や、31日に阿寒湖から近い山奥の林道で危さんとみられる女性の目撃情報もある。
 さらに、中国版ツイッターと呼ばれる「微博(ウェイボー)」を、23日に札幌市内で使用した形跡があるとの報道や、危さんが「別れの手紙をゲストハウスに残していた」、また釧路のカフェのマスターの談に彼女は一人深刻そうな顔をして40分もじっと海を見ていたとあった。

  中国ネットメディアは「福建省美人教師北海道失踪事件」などと熱心に報道を続けているが、依然として女性教師の足取りははっきりとしていない。中国のインターネット上では、女性教師の安否を心配する一方で、「日本は果たして安全な国なのか?」などと日本の治安を疑問視する記事も目立つという。

「中国壊死」百年変わらない腐敗の末路という宮崎正弘氏と宮脇淳子氏の対談集を読んだばかりである。
これには中国の若い世代は日本の恋愛小説に憧れを持っているという。中国の結婚事情(お見合い話)はTVで見たことがあるが、本人たちがいない場で親同士が「あんたの息子収入いくら?」「自家用車何台持ってる?」「マンション何軒?」つていきなりそんな話をする。すべて無機質に。それで年収いくらで、ローンが何年ぐらい残ってるとか、それから決めていって、ランクが合うところに親同士が納得したら、初めて本人同士が会う。そこには恋愛感情はない。
それを本人同士も「べつに」と思ってるわけで。つまり男と女の間に気持ちの通い合いが必要だという意識が最初からないということだ。それはもう人生というのはそういうもんだと思ってるのが一般的だという。
だから渡辺淳一の『失楽園』(一九九七年、講談社)にみんな驚いたらしい。
彼らにとって全く新しい世界だったのだ。一部の中国人が憧れるようになって、日本に来て、撮影の現場に行きたいとか、ここで出会った同じところで写真を撮りたい、とかの追体験してるつもりらしい。また、中国でもソックリな恋愛ドラマをけっこうつくっているとのこと。
そういえば危秋潔さんの持ち物の中に渡辺淳一の『失楽園』中国語版と「阿寒に果つ」の日本語版が見えていたし、彼女は大変なロマンチストだったと聞いている。

 日本統治下の1931年、台湾代表として夏の甲子園に出場し、準優勝した嘉義農林学校(通称:嘉農=かのう)野球部の実話を描く台湾映画「KANO」が、「KANO 1931海の向こうの甲子園」の邦題で2015年1月24日から日本公開され、球児たちのひたむきな姿を伝える特報映像も公開されたので妻と見に行ったことがあった。

 その中で日本人の少年と台湾人の少女の純愛が描かれていたが、少女は親の勧めで日本人の少年と分かれて家柄の好い台湾人の男性と結婚をした。そのあまりにもあっけない別れに違和感を感じたが、この本を読んで彼らの結婚観を理解し納得をした。つまり本人同士の気持ちの通い合いよりも家柄のレベルさえ合っていれば恋愛は後からもできるし、そのほうが安全圏だと考えているのだ。そういえば日本に働きに来た中国女性が簡単に偽装結婚をし、割り切って一緒に暮らすということも中国人にとっては大した問題ではないらしい。


以下抜粋 「中国壊死」百年変わらない腐敗の末路 からの抜粋 p198〜202
◆「日本化」か? 中国人も世代で違う 

宮崎 日本人にとっては中国人の人生観があまりにもドライなんだよね。若い中国大なんて
          「愛人稼業」つてビジネスがある。自分のパトロンがいくらくれる、マンションを買っ
   てくれた、ベンツを持っているとか、その自慢をし合う。あけすけにね。そういう面妖な
   世界がありますよ。考えてみれば昔からそうなんだ、中国は。ナイトクラブへ行っても「愛
   人になるか、ならないか」「いくらくれるのか」という話ばかり。
宮脇 それで、北京大学の学生同士とか中国のエリート中のエリートのカップルでも、片方が
   アメリカの留学試験に受かったら 婚約解消です。階層が違うという理由で。だから同
   じランクの高級幹部同士の子弟が、親が決めた婚約をするのはごく当たり前です。われわ
   れ日本人だったら普通は恋とか愛とかはお金に関係がない、相手がぜんぜん金持ちでなく
   ても好きになったら一生大事にする。そういうことは中国じゃありえないですからね。
宮崎 北京の天安門広場のちょっと北北東のほうに中山公園がある。少し広い。日曜日の
   午後二時にうじゃうじゃ人が来て、見合いの話。
宮脇 親が?
宮崎 親だけ。本人いないんだ。「あんたの息子収入いくら?」「自家用車何台持ってる?」
   「マンション何軒?」つていきなりそんな話をする。すべて無機質に。それで年収いくらで、
   ローンが何年ぐらい残ってるとか、それから決めていって、ランクが合うところに親同士
   が納得したら、初めて本人同士が会う。そこには恋愛感情はないんですよ。

宮脇 それを本人同士も「べつに」と思ってるわけ。つまり男と女の間に気持ちの通い合
   いが必要だという意識が最初からないことがすごいでしょう。それはもう人生というのは
   そういうもんだと思ってる。
宮崎 だから渡辺淳一の『失楽園』(一九九七年、講談社)にみんな驚いたんだよ。
宮脇 新しい世界だった。一部の中国人が憧れるようになって、日本に来て、撮影の現場
   に行きたいとか、ここで出会った同じところで写真を撮りたい、とか。おそらく追体験し
   てるつもりなんでしょう。それでいま、中国でもソックリな恋愛ドラマをけっこうつくっ
   ています。
宮崎 ぽんと全部パクリ。
宮脇 韓国もすごいけど。面白いのは留学先の東京とか、わざわざ外国で出会うシチュエ
   ーションにする。北京だとリアリティがなさすぎるというよりも、ありえないから。それ
   でその背景までそっくりにして、『101回目のプロポーズ』とか、日本の一時のトレン
   ディドラマの型をものすごく真似てるわけ。
宮崎 もっと面白いのは、ドラマで主演を演じる米倉涼子とか酒井法子とか松嶋奈々子に
   そっくりな中国人女優を必ず見つけてくること。
宮脇 山口百恵もみんな好きでしたもんね。けっこう香港Λがイカれてたみたいだけど。
   ああいうやわらかい感じの女の子を好きになるのは日本に対する憧れなのね。自分たちの
   まわりにはいなかったから。中国でも映画人とか一部の人はそういうのをわかって映画に
   取り入れたりしてますね。
宮崎 うん、世代によってぜんぜん変わる。
宮脇 すこしは日本化してるわけですよ。日本の真似をするということは。
宮崎 福島香織さんの報告では、最近の中国の美人局も非常に巧妙になって、わざと親しく
   くっついて愛人になったと思いきや、別れ話になったら一千万円単位の要求が始まった。
   一方において、本当にこれが恋愛だと思って、日本人の男が黙って日本へ帰ると失望のあ
   まり自殺するホステスもたくさんいる。
宮脇 ほお。新しい、それ。
宮崎 そんな新しい現象がけっこうあるらしい。
宮脇 一昔前だったら中国人ではありえない。自殺と心中はないはずの国だったんですけど。
宮崎 だから急速に海外に出始めてから、この五年くらいの話ですよ。こんなに中国人が
   世界中に出かけてね。
宮脇 自戒するのはよいことですよね。外国を見てね。内部から腐るというのは政治家から見て
   腐ることであって、外国のものを取り入れて文化が変わるのは良いことでしょう。

  
Posted by wildhorse38 at 12:17Comments(0)中国人とは