2007年03月15日

◎ペリリュー島守備隊の健闘を称えるニミッツの詩

ニミッツ提督の詩

世界の戦史で後世に語り伝える代表的な玉砕戦として、

紀元前480年のペルシャの大軍(300万)に対し、スパルタ(4000)がテルモビレーの天嶮で戦い、激戦の末全滅したテルモビレーの戦いがある。

激戦の地にスパルタのレオニダス王以下の玉砕した敢闘精神を称える2つの碑が建てられているという。

 

 

 

 

 

「この地に於いて スパルタ国4千の兵(つわもの)は戦死せり 勇敢にも3百万の軍勢に立ち向かいて」

「旅人よ 行きてスパルタに告げよ われら 命(めい)を守りて ここに斃(たお)れると」

 

大東亜戦争においても我が日本軍も後世に伝えるに値する戦闘が幾つもある。

その中で「ペリリュー島の戦い」の勇戦ぶりは日米両軍から称えられた戦いである。

 

ペリリュー島は、パラオ諸島の小さな島で、南北九キロ、東西三キロ、全体で二〇平方キロの珊瑚礁からできた島である。第二次大戦の末期、日米両軍によって七十三日間に亘る死闘が繰り返された。ペリリュー島を守備する日本軍は、水戸の第十四師団隷下の歩兵第二聯隊を主力とした地区隊(隊長・中川州男(くにを)大佐)一万二千名。

 

米軍の総兵力四万二千。それに対して、我が方は、二度までも敵の上陸を阻止。しかし衆寡敵せず、持久戦に移り連日連夜、彼我肉迫する戦闘を行ない、七十三日間を持ちこたえたが、健在者の僅か五十数名で最後の突撃を敢行し玉砕した。

 

いまペリリュー神社が創建され、そこに1万2千の将兵の御霊を慰霊する石碑が立っており、ニミッツ提督の日本人将兵の敢闘精神を称える詩が刻まれている。

 

「この島を訪れる、もろもろの国の旅人たちよ。

あなたが日本の国を通過することあらば伝えてほしい。

此の島を死んで守った日本軍守備隊の勇気と祖国を憶うその心根を……

Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island.

 

先日 私のブログにニミッツ提督のペリリュー島守備隊の健闘を称える詩は根拠がないとコメントしてきた訪問者がいた。

 

この印象的な詩は『米公刊戦史・海兵隊史』にも、

ニミッツの『太平洋海戦史』にも載っていない。

 

実は元・航空幕僚長・浦茂氏が昭和五十九年に渡米し、

ニミッツ提督の資料を求めて、アナポリス海軍兵学校を訪れた。

その時に、兵学校の教官からニミッツの詩として教えられたものである。

 

ペリリュー島のサクラと神社 米国公刊戦史の讃えるもの

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/nagoshi/palau.htm



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この記事へのコメント
ペリリュー島守備隊の健闘を称える詩が
ニミッツ作であるという根拠はどこに提示されているのですか?
Posted by はぃらぅでん at 2007年05月25日 02:18
私もかつてこの「ニミッツ作」を本物だと信じ込んで、ある場所で引用までしたことがあります。この話は感動的ですが、残念ながら本当ではないようです。何よりの根拠は、この「ニミッツが書いた詩」の英語があまりに稚拙で、「詩」になっていないことです。英語が上手ではない外国人(おそらく日本人)が、日本文にあわせて英語を作ったのがありありと分かります。

ちなみに「伝えられよ」は「伝えてください」という敬語の命令形と思われますが、英文では「伝えられてほしい」という受身になっています。この話をでっち上げた本人が英語がまったくできず、他の誰かに訳させたが、その誰かは元の日本文の意味がわかっていなかったので、こんなことになったのではないでしょうか。

色々なところでこの「ニミッツ提督の詩」が本物のように書かれているのが恥ずかしくてなりません。何より、敵でありながら日本への敬意を保ち続けたという故提督に失礼ではないでしょうか。もちろん、これが本物だという確かな根拠が示されれば、私としても嬉しいことで、このコメントを撤回して失礼をお詫び申し上げますが、残念なことに今のところそのような根拠は皆無です。
Posted by 焼きそうせいじ at 2011年11月20日 02:25