2016年04月15日

◎国連至上主義の日本はお先真っ暗

  国連の言うことは絶対的なものであるはず。
国連は世界平和のためにあるのだから日本は異議を挟まず協力すべきである。
「政界の壊し屋」といえば山本太郎のお友達で政治信条がよくわからない「小沢一郎」。
政党を作っては解党するたびに国民の財産である政党資金で不動産を買い集める「政界の不動産王」
「小沢一郎」が国連至上主義者ですね。彼は思想信条を明確に打ち出すたことがないですよね。
それは自分で責任を取りたくないから「国連任せ」で誤魔化しているのです。
 
  国連は本当に世界の平和を第一に考えているのでしょうか。
いやいやそれは眉唾物だぞとやっと気が付いたのがごく最近ではないでしょうか。
それでも国連の本質を知っている日本人は決して多くはありませんね。

  皆さんは国連はどのような集まりかご存知ですか。
常任理事国の5大国は中国(国民党の台湾を追い出し居座った中国共産党)を除いて第2次大戦の戦勝国であり、連合国なのです。
非常任理事国が良い案を出しても、意にそぐわなければ拒否権を頻発していつもぶち壊すのが核保有国(米・英・仏・露・中)ですね。
第2次大戦のとき枢軸国側であった日本・ドイツは国連の敵国条項で今でも敵国扱いなのです。
彼らがダメと言ったら何もできないのが現状ですね。
国連の加盟国は世界平和のために働いていると思いがちですが、自国の国益のための活動をしており、国連職員は出身国のため国益をかけて働いております。

  その典型は無能力者と言われている韓国人の潘基文国連事務総長ですね。
彼は朴槿恵大統領の後釜を狙っているので、常に韓国の世論向けの反日パフォーマンスをやっております。
国連事務総長としては恥ずべき行為ですね。
 
  国として自国への利益誘導が露骨なのは韓国・中国・ロシアであり、発展途上国の各国と言っても過言ではありません。
しかし高い分担金を収めて自国を貶めるために活動しているのが、及び腰の日本の外務省であり、日本人の国連職員だとしたら皆さんはどのように思うでしょう。

 10年以上も前から国連の左翼全体主義傾向が強まり、日本に対する歴史・伝統・文化を無視した内政干渉が強まっている。
  なぜこうなったかといえば、女性弁護士や非政府組織(NGO)の急進的フェミニスト運動家たちが現在の女性「差別」撤廃運動の成果に満足せず、国連の人権部門、なかでも女子差別撤廃委員会(以後は撤廃委と略称)を通じ日本政府に圧力をかけ、呼応して国内でも押す迂回(うかい)戦術に訴えた成果であると言われている。

 すぐ誠実に対応する日本の真面目さが国連内部で燻ぶるNGOの連中にとっては快感なのです。叩かれても国体を引っ掻き回されても黙って大金をだす日本は見くびられているのです。
気に入らなければ米国のように分担金をストップすればよいのです。決して恥ずべき行為ではありません。国としての矜持の問題なのですから・・・。

 当時の政府は確固たる信念も知識もなく、日本の伝統文化を表に出すことはタブーとされ、「ジェンダーフリー」の急進的フェミニズム思想に染まっていた政府・自治体の男女共同参画政策を全国展開していった。
左翼主義者でソ連シンパの事務総長が極端な家族破壊思想の女性を国連内で重用した結果、国連の家族についての認識が急進的フェミニズムに染まっていったのだという。

 その元凶といえるのが国連女子差別撤廃委員会(CEDAW)の日本人委員長、林陽子氏であり、2008年、外務省は林陽子弁護士を撤廃委の委員に任命し、3選を重ねている。
彼女は日本国を代表して国連活動をしているのではなく、日本国民を裏切った国連至上主義者である。
  11年に刊行した著書によると、撤廃委の勧告は日本の国内法より優越するので夫婦別姓の勧告に従い民法改正は義務だとか、個人通報制に加入すべきだと主張しているのだ。

  林陽子弁護士を撤廃委の委員に任命した外務省の罪は大きい。
今回のように「皇位継承権が男系男子の皇族だけにあるのは女性差別だ」と指摘しているように「日本の国の在り方」にまで干渉してくる国連には断固たる対応が必要であり、
ロビー活動の盛んな中国や韓国を相手にするには長い時間をかけて徹底した戦いの姿勢が必要なのは言うまでもない。
  事なかれ主義で闘うことを嫌う貴族体質の外務省を体質改善すること。
一番大事な慰安婦問題の真実を政治に売ってしまった安倍晋三首相は所詮政治家一族のボンボン政治屋であり、新しい信念を持った政治家が出てこないかぎりこの問題解結は難しいことであろう。

ただ忘れてほしくないのは
国連には主権国家に対する法的拘束力はない。
アメリカは撤廃委に加入せず、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の分担金を払っていない。
加入国の多くは内政干渉めいた勧告は無視している。


信念を持った政治家よ出てこい!
そうは思いませんか・・・ご同輩!!!



  

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2015年12月23日

◎立派な男性器を持った女装姿の男性の隣で貴女は用が足せますか

先日こんな記事が出ていた。
 性同一性障害を持つ40代の経済産業省職員が13日、戸籍上は男性であることを理由に女性用トイレの使用を禁じられたり、人事上の不利益を被ったりしたとして、国に約1600万円の損害賠償と処遇改善を求める訴えを東京地裁に起こした。
弁護団によると、性的少数者が職場での処遇改善を求めた訴訟は全国初。(産経新聞 2015.11.13)

 経産省は、女性の服装や休憩室の使用は認めたものの、女性トイレの使用は原則として許可しなかった。この職員が情報公開請求して開示された資料によると、女性トイレの使用を認めない理由について、経産省は]働安全衛生法の省令で男女別のトイレ設置が定められている⊇性職員の了解が不可欠だが、2人から「抵抗感がある」との声があがった――などと説明。戸籍上の性別を女性に変えない限り、障害者トイレを使ってもらい、女性トイレを望む場合は異動ごとに同障害を公表して同僚の理解を得るよう求める原則を確認した、としている。

 世の中にはいろんな意味での障害を持った人がたくさんいることは確かであるが完全な人間はいないことも確かである。
その中でも女性の権利やゲイの権利を振りかざす人には違和感を感じることがある。
以前にタレントの細川ふみえ?だったと思うがスカートをはいて足を広げ水を浴びている公共のポスターがあった。
それに女性の権利を主張するグループがクレームを付けた。
「女性が小便を漏らしているように見えるので取り外せ!」という。
どこからそのような発想が出てくるのか。
誰に聞いてもそのようには見えないという。
結局、”一人でも不快に感じる人がいれば、それは我々の本意ではない”と言って全国に貼ってあったポスターを取り去ったのである。
 私はなんとバカなことをしたものだと思ったものだ。
人間十人十色、誰が何を感じようとも個人のプライバシーにかかわることでなければ常識的判断で決するのが基本であり、「五月蝿い 黙れ!」と一喝して無視すればよいだけのはなしであったはず。
それ以降女性に関する権利主張が必要以上に声高に叫ばれるようになってきた。
今回の例は「私は性同一性障害だから男性であっても女性としての権利を認めろ」ということであり、私にはずいぶん我儘な奴だとしか思えません。
 
 ゲイの中には”両刀使い”と言って男でも女でもどちらでも相手にできる器用な人がいると言います。
女性の立場で考えると同じトイレを使うのは耐えられないでしょうし、男の機能を持っている人が女の格好して隣で用を足していて気持ちがよいわけがありません。
女子用トイレは使えない、男子用も障がい者用のトイレは嫌だという

 経産省は女性としての勤務を認めた一方、戸籍上は男性であるとして女性用トイレの使用を認めなかった。また上司から「(戸籍変更に必要な)性転換手術を受けないなら男に戻るべきだ」などといわれ、鬱病になった。さらに(トラブルを防ぐため)異動した場合は新部署でカミングアウトするよう命じられ、実質的に異動ができなくなったなどとしている。
 この経産省の処置は極めて真っ当であると言わなければならない。
世の中に費用対効果という言葉がある。
この男のために新しく便所を作るとすれば、どれほどの予算とスペースを必要とするか、またそれに伴う影響。
権利ばかり主張して周りが見えない人には誰かが我慢をすることも必要だよと教える必要があるとは思いませんか。
人権は認めるが現在のところそれに対応することは難しいとして決着すべきではないだろうか。


 
  
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2008年12月02日

◎「男らしさ」「女らしさ」って何だろう!(前段)

 街を歩いていて目に付くのが女子高生のスカートの短さと会話の汚らしさ、そしてお母さん達の若々しさ、それに比べて男子生徒の背中を丸めた自信のなさと服装の汚らしさ、そしてお父さん達の自信のなさと不満げな表情。一昔前の自信にみち溢れたたくましい日本人の顔はどこへ行ったのであろうか。

現代社会の男性達に「気迫と自信」が感じられないのは私だけでしょうか。

これらは日本の経済成長の鈍化と共に男性自身にも確固たる自信と主導性が失われ、そして教育者としての母親達が「あるべき姿」を見失ったことに原因があると思われる。なぜ日本の大人達は人間教育について自信も確固たる信念もなくしたのであろうか。以下日本の病根ともいえる教育界・マスメディア・官僚等知識層の思考過程を支配しているジェンダーフリーについて言及するとともに今後如何にあるべきかについて述べる

 

     「慎みと恥じらい」を奪ったジェンダーフリー

ジェンダーフリーは「社会的・文化的につくられた性差」と云われているが、これらは日本のフェミニズム運動家らの造語に過ぎず、男女共同参画や男女平等の理念には無関係なものである。内閣府は地方の男女共同参画行政担当者にこの造語の安易な使用を戒めたにもかかわらず、教育現場においてはいまだに男らしさ・女らしさの「らしさ」を否定する教育がなされているのが現状である。その一例として「男女混合名簿」がある。実行上の不便さを認めながら形だけの男女平等を主張している。日教組の調査では02年11月現在、全国で68%の学校が導入しているとのことである。

ジェンダージェンダーの根拠となっているのは文化人類学者のマーガレット・ミードの説で太平洋の部族社会を調査した結果「男らしさ・女らしさ」はそれぞれの部族社会で逆転していたとされていたが、後にミード自身「性差の存在を否定する実例はない」と明確に否定している。ということはジェンダーフリーの活動に信憑性がないということである。

 日本の性教育は昭和24年男女の交際を認めながら高い道徳心を重視した「純潔教育」からはじまり、40年代後半から生徒の妊娠や性非行が問題化し混乱した。こうした中、戦前の共産主義者だった山本宣治が主張した「結婚制度は奴隷制」を支持した性教協(゛人間と性゛教育研究協議会)が主体となって「科学・人権の性教育」を掲げ、家族の形成・維持、子供を生む・生まない自由等の自己決定能力を主張し、「ふれあいの性」「快楽の性」等過激な性教育を実践している。これらが男女の垣根を取り払い女性の「慎みと恥じらい」を奪い少女売春、妊娠中絶の低年齢化等の性非行に拍車をかけている。一方アメリカでは自己抑制を説く純潔教育が進み、10代の間で性行為を慎む風潮が広まっており、安全な性行為を教える「包括的性教育」から性道徳を重視し、自己抑制こそが性感染症や未婚の妊娠を避ける道であることを説く「節制教育」が広まり、3分の1以上の高校で実施している。今失われつつある「慎みと恥じらい」を取り戻すにはジェンダーフリーの活動との闘いが必要である。

 

     日本の美学であった「節度と和の精神」の破壊し混乱を目論むのは誰か

「戦後日本人は品がなくなった」「あの美しい日本は失われてしまったのか」これは戦前日本の教育を受けた台湾・韓国人、東南アジアからの留学生だった人々の言葉です。

 我々日本人は戦後60数年を経た今日でもGHQの占領政策のクビキから逃れることができていない。保守勢力は今まで労働者階級を対象としていた共産主義を警戒していたに過ぎなかったからで冷戦構造の崩壊で共産主義は力を失ったと安心しきっていたところに問題があった。我々の気のつかないところで精神文化の破壊が進んでいたのである。 

 教育界・マスメディア等知識人を対象とした隠れ共産主義「フランクフルト学派」は常識的な社会を否定する批判対象として家族、家父長制、道徳、伝統、性的節度、因習等全てを批判対象として「日本の伝統と文化」の破壊を企図している。「男らしさ・女らしさ」を否定することにより、今までの価値観を古い体質と決め付け、決別するべきであると主張している。特に教育問題と政治問題を絡めることにより、教科書問題のように常識人の価値観の破壊に勝利している。ハンガリーのルカーチは教育人民委員代理の時過激な性教育制度を実施した。自由恋愛思想、セックスの仕方、家族倫理・一夫一婦婚の古臭さ、快楽主義について教育したが現在の日本で行われている教育であり、まさに共産主義教育の実践をやっているといえる。このように今まで培ってきた「男らしさ・女らしさ」を真っ向から否定しているのが「フランクフルト学派」である。今や左翼勢力ばかりではなく保守勢力にまで深く浸透している。保守勢力はいままで外交・軍事・経済だけを対象として、精神文化の破壊に目を向けていなかったところに問題がある。

 

● 男と女の相違点

自衛官生活32年間のうち16年間は教育関係に携わってきたというある男の話である。それは新隊員教育からはじまって陸曹教育(旧軍の下士官教育)、幹部候補生教育(旧軍の士官学校本科)、幹部教育(小隊長・中隊長教育)ではあったがその中で女性自衛官教育に携わったのは幹部候補生教育である。自衛官3人ここでの教育は男女同じ教育内容で到達レベルも同じという環境のなかで実施した所見として次のような傾向が示された。思考力・状況判断能力・闘争心は男子が、記憶力・語学能力は女子が、また瞬発力・筋力は男子が、持久力・忍耐力は女子がすぐれている。男子はいい意味でのいいかげんさを持っており、ものごとの優先順位を割り切って考えることにすぐれ、女子は決まりきった工程を忠実に、また誠実に実行することにすぐれている。女性自衛官は男性自衛官にとっても精神的・体力的にかなりきつい総合訓練を、一歩一歩段階的に鍛え上げることにより見事にやり遂げることができた。男性も女性も極限状態のなかで訓練した場合、結果的に任務達成上大きな問題はないが、明らかに精神的・肉体的な特性があるということが証明された。すなわちそれぞれの持ち味を活かしたポジションで役割分担することにより大きな仕事ができると云うことがいえる。

 

● 人間は何を幸せと感じるのだろう。

最近の傾向で「結婚しない」「結婚しても子供は1人」というのが流行らしい。彼らの言い分として「自分らしく生きたい」「この快適な生活を捨てたくない」「お金は自分の為に使いたい」価値観の相違と云えばそれまでであるが、男として女として精神的に成熟しきっていないのではないか。北海道大学大学院の澤口俊之教授は「家族」と云うものについて次のように云っている。「それはきちんとした家族、家庭、そして子供ができればさらに幸福になる。家族をつくれば女は小さい子供を育てることに集中し、男は家族を守り、社会的価値観を自覚するようになる」としている。家族の役割分担はあるのである。それはお互いに協力し合うけれども、主務者は誰かを明確にしそれぞれの分野で全力をあげることこそ大事なのである。私の母は終戦の混乱期に食べ盛りの5人の男の子を育て上げた。まさにそれは食料との戦いであり、母の苦労は並大抵なものではなかったはず。しかし1名も欠けることなく無事育て上げた母の人生は不幸だったと思うであろうか。母が担った苦労の何倍もの充実感と満足感を味わったのではなかろうか。そして子供は母の生きざまをこの目で見ることにより女性の偉大さを確認することができたのである。男女共同参画問題は支配者、被支配者の関係だけでものごとを判断しようとしているが、役割分担した当事者の気持ちがどうであったかが大事だということを理解する必要がある。専業主婦である母親の役目は大きな意義を持っており今も昔も変わらないのである。

(後段に続く)

  
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2008年12月01日

◎「男らしさ」「女らしさ」って何だろう!(後段)

●「男に育てる」

 ノーマン・メイラーの言葉のなかに「男性らしさは人に与えられるものではなく、持って生まれるものでなく、獲得するものである。人は小さな戦いを名誉を持って堂々と勝ち取ることによって、男らしさを獲得するのである」世界各地には男になる儀式がある。少年や若者達は一人前の男になる為に何度もテスト(試練)を受けたり、教育を受けたりして「男」として認められていくが、女性は男性のように肉体的な試練を課せられたり、勇敢に戦うことを強制されることはない。初潮を境として大人(女)になる為の準備教育がなされる程度である。「男らしくなる」ためにはミクロネシアの男性のように小さな丸木船で深い海に出かけ、鮫と闘いながらヤスで魚をとって勇敢さを誇示する。エチオピアのアムハラ族は常に「大胆不敵に行動する」ことを要求され、ブヘと呼ばれる鞭打ちの競技に参加しなければならず苦痛に耐えることを要求される。近代イギリスの貴族階級の子弟教育は幼い時に母親や家族から引き離されて寄宿制のパブリック・スクールに入れられ、上級生から精神的・肉体的に厳しい躾け教育を受けた。これが後に独立自尊と不屈の精神を身に付させるのに役に立ったのである。

 

ワンパク坊主日本においても過去に若衆宿・若者宿・村の青年団というのがあり、少年から青年に成長する過程において「男らしさ」を磨いたのである。現代においては各国の軍隊教育がその役目を担っているといえるかも知れない。特にアメリカの海兵隊における新兵教育は厳しく鍛え上げるので有名である。肉体的にはもちろん意志薄弱なもの対してはイジメとも云うべき精神的苦痛を与えてそれを乗り越えたものだけが一人前の兵士として認められるのである。世界各国の軍隊もこれに準じた新兵・士官教育を実施している。世界共通の「男らしさ」は困難に立ち向かう勇気と気迫、強靭な精神力、家族を守ることのできる体力と経済力ということができる。

 

●母親の務めと男に育てるということ 

明治・大正時代に生まれ育った我々の父母には常に毅然とした親の顔があった。怒られても納得する叱り方があった。そこでは人間として変わらぬ価値観を教え諭してくれた。たとへば「人に迷惑をかけない」「ウソを親子つかない」「弱いものをいじめるな」「礼儀正しくしなさい」「正しいと思ったことは勇気を持ってやり通しなさい」「約束守りなさい」「いつも清潔にしなさい」「分相応の生活をしなさい」「みんなで決めたことは守りなさい」「親に孝行をしなさい」等考えて見ますとそれらはすべて明治時代に新渡戸稲造が世界に発信した「武士道精神」からの教えなのでした。武士道精神は国民教育の一端を担っていた軍隊における「軍人勅諭」に活かされ、軍人上がりの頑固オヤジにより一家の守るべき規範として特に男の子達に躾けられた。戦後「自衛官の心がまえ」としてたくさんの若者に受け継がれてきた。口うるさい母親と口答えすると鉄拳が飛んでくる父親の絶妙なコンビネーションと役割分担がなされていた。

 

我々中高年は少なくとも母親に対する尊敬の念は常に持っていた。それは母親としての無償の愛と子育ての使命感のようなものを肌で感じていたからである。そしてそれらは家庭における父親の役割、母親の役割が明確化されており、それが中学生くらいになると母親より父親の役割が重要視されて来る。少年に対しては明らかに「男に育てる」という姿勢に変わっていき、少女は絶えず母親との接触のなかで性熟していき女性の生き方・あるべき姿を自然に身につけていく。ここで大事なことは「少年はある時期から母親の干渉(影響)から離れなければならない」と云うことである。男性機能の成熟にともなって男集団の中で精神的に・肉体的に鍛えられて初めて「男になること」を意識できるのである。ところが最近のお母さん達の子育ては「逞しい男」を育て上げる母親の自覚を忘れ、盲目的に可愛いがることにより若造りのお母さんの「愛玩用男の子」に育てられている。子離れできない母親、親離れできない息子の末路はなにか問題が生起した時に自分で解決しようとせず、すぐ誰かに助けを求める。困難にぶち当たったときに正面から立ち向かおうとせず逃げをかけることが多い。問題は自分で解決する能力を持てなくなっているということである。

 

     「女らしさ」

貴方は昭和20年から30年半ばにかけての小津安二郎監督作品に出ていた原節子、久我美子、香川京子などの映画を見たことがありますか。あの当時の女性の言葉の美しさ、立ち居振る舞いの美しさはまさに日本女性の品格を示していた。そこには男性と違った「清楚で慎み深くそれでいて近寄りがたい芯の強さ」があり、世の男性から敬意を持って接しられる女性がいた。いまキャリアウーマンと云われる女性達においても本当に仕事ができる女性は「清楚で品が良くキリッとした美しさ」がある。決して男言葉を使わず女性としての優雅さと誇りをしっかり持っている。男性と対等にものを言い服装に注意を払わずその立ち居振る舞いが下品であれば決して男性からも女性からも尊敬を受けることはありません。では現代社会において目標になる女性はいるであろうか。いらっしゃいます。それは皇室のご婦人たちです。誰が見てもその洗練されたマナーに納得が行くのではないだろうか。現代の女性達のように明るく男女間にオープン過ぎるのは今一度考える必要があるのではないだろうか。

 

     如何にして「らしさ」を取り戻すか

何千年もかけて培ってきた日本の伝統と文化を破壊することは許さないということ。

武士道常識的な価値観を否定して社会を混乱に貶めようとする勢力の台頭を許さないと云うこと。これらを旗印に明確に敵を意識して戦う姿勢をとらなければならない。

 

では何を規範として教育するかそれは世界に誇る「武士道」である。

「男の美学」として「正義を貫き通す勇気」「弱きもの、戦いに敗れたものに対する慈しみ」「他人に対する思いやり」「誠を尽くす」「廉恥心」「天下国家の役に立つ」、「女の美学」は武士道の精神をベースに更に女性の特性を活かす項目として「慎みと恥じらい」「清楚な品格と上品な言葉」「母親としての自信を誇り」等がある。今一度世の退廃的な風潮と闘いながら日本の将来を託す若者達に期待をして見ませんか。 

  
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2005年09月23日

◎肩の力を抜いてはいけない若者たち

「男らしさ」の人類学ジェンダーフリーのフェミニストたちは若者たちに良くこんなことを言う

「肩の力を抜いて自分らしく生きなさい。楽になるよ!」

 

それまで頑張っていた若者は頑張ることをやめ、自分のやりたいように、生きたいように生きることを覚えた。

彼らは言う「力を抜くということは、こんなにも楽なことだったのか」と・・・

 

男らしくとか女らしくとかは大人たちが勝手に決めつけたものであり、これらは人間としての尊厳を縛りつけ、人間らしい生き方を否定してきたのだと・・・

 

彼らの論理から言うと言葉使いも、行儀作法も、服装も、髪型も、結婚と言う形式も、父親を中心とする家族というものをも否定されなければならない。

すべて人間らしく生きるためには、日本の歴史的伝統文化を否定することから始まるという。

 

いまや男女の差別と男女の区別の意味を混同し、なにから何まで一緒でなければならないと主張し、成長と共に自然に備わる“らしさ”を意識的に否定する。

 

女らしさ、男らしさはそれぞれ肩肘張ってはじめて成り立つものもある。

少年・少女が大人になるということは少年の美学、少女の美学があってはじめて魅力的な大人の女性になり、男性になるのである。

 

これを教えるのが家庭であり、学校である。

しかし残念ながら今の教育界にそれを求めるのは難しい。

何故なら教師自体がそのように育っていないからである。

 

そのためこれらは教育界において、いまや取り返しのつかない状況にまで追い込まれている。

私の学生時代の友人には教師が多く、ほとんどが日教組である。

 

●彼らの共通点

     自分は常に教える立場にある人間であるというプライド(子供ばかりでなく父兄にも)

     大学を出た時点から職員室にいる教師には上下関係がない、同僚である。

     一般社会の仕組みや社会常識を知らない。

     先輩教師から手取り足取り教えられることはないし、その必要もない。

     校長・教頭は現場教師の単なる代弁者であり、強圧的な指導を受ける覚えがない。

     他人(一般社会人)の意見を受け入れる余地はない。なぜなら自分は常に正しいと自信を持っている。

     子供は人質、父兄は教師を選べないという自覚がない等

こんな欠陥教師でも教えられている子供にとって教師の教えは絶対である。

それは親が先生の方がおかしいと言っても効き目はない。

 

日本の伝統・文化は2千数百年の年月を経て培ってきた日本人としての根幹である。

わずか6〜70年で理論的にも実践的にも崩壊したマルクス・レーニン主義の隠れミノとして、振りかざすジェンダーフリー論者が欧米では峠の過ぎた机上の空論として否定され、アメリカでさえその弊害の大きさに立ち上がっていると言うのに、日本では、さも時代の流れのようにツクロイ、子供たちとその親たちを惑わせている。

 

    今子供たちに必要なもの

     少年・少女としての美学(自分の立場とあるべき姿)

     基礎体力と精神力の鍛錬

     日本の伝統文化に対する誇りと世界観

     信賞必罰

 

「日本人として誇り高く、男としての美学、女としての美学を!

 

  
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2005年07月23日

◎フェミニズムの害に目覚めたアメリカからのリポート

ヒステリーの陽子

元法政大学教授で社民党の国会議員だった「田島陽子」といえばテレビの売れっ子で、その理論は常に男を「敵」と捉えその言動は感情的で思い込みが激しく、時には自分の母親をテレビという公開の場で罵倒することもあり、家族の価値というものを認めない男性社会に挑戦する女性を売り物にしていた。我々男性にとってはこういう女性がそばにいたら、心の休まる暇もなく、同じ共同体に住めるヒトではないと思うヒトが多いことでしょう。

そして彼女は「女性学」講座で女子大生に、男性に対する不信感を持たせ、自分の父親に対しても嫌悪感を持たせるような教育をしている。

彼女の生い立ちがNHKで放映されていたけれど、両親は一生懸命になって彼女に社会常識を身につけさせようと努力したけれどもこれを受け入れず、家庭というものと男性を憎悪する悲しいおばさんに育ったことが紹介されていた。もちろん本人はそうは思っていないでしょうけれども・・・。

 

男女共同参画といえば、いかにも「男性と女性が共同して、力を出し合って、より良い社会を築いて行こう」という理念を示しているような錯覚を起こさせるような名称である。しかし運動の根底に流れる思想は、フェミニズム、それも革新的又はマルクス共産主義フェミニズムであることは既に疑いの余地も無い。

 

日本のガン 福島瑞穂日本の男女共同参画社会も名前を変えた「結果の平等」社会だ。「機会の平等」では満足が出来ないのである。本当の平等とは、自分が社会に貢献した度合いに応じて報酬を得るのが真の平等だ。

男女共同参画社会というのはまさに共産主義社会を目指しているということである。

 

アメリカが30年かかってフェミニズムの害に目覚め、これを是正しようという動きが起こっているにも拘らず、日本は30年前のアメリカに追随しようとしている。その害はあまりにも大きい。

 

いまアメリカがどうなっているかメリーランド大学講師エドワーズ博美氏がリポートしているので紹介します。

********************************** メリーランド大学講師エドワーズ博美氏の論文から一部引用

●フェミニストが獲得した権利の事例1

一昨年十一月、アメリカ労働省の要職にあるフェミニスト達は、石油会社テキサコが男女間で不当な賃金差をつけたとして、賠償請求がー切ないにもかかわらず女性従業員百八十六人に三千百万ドルを支払うように命じた。損害の根拠は、「結果の平等」という謂れのない名目にすぎなかった。

 労働省の不当な支払い命令は、テキサコのみならず政府と取引のある他の会社にも命じられているとハドソン研究所のエバン・ガー氏は報じている。

 

●フェミニストが獲得した権利の事例2

一九九九年三月には、「マサチューセッツエ科大学サイエンス学部における、女性教授の地位研究」と題する記事が同大学発行の教授向け学校誌に掲載され、アメリカ全土のマスコミ各社は研究の科学的信用性を確認もせずに、「権威ある大学における性差別」として競うように報じた。事の発端は、上記大学のナンシー・ホブキン教授が研究用のスペース拡大を大学側に要求したが却下されたことで、ホプキン教授が同じような不満を持っている者が他にいないか一部の女性教授に打診したことだった。研究用スペース拡大却下は性差別に根ざしたもので、大学における性差別の根拠としては「サイエンス学部における男性教授の数が、女性教授より多い」ことを挙げている。

 これに対して、アラスカ大学のジュディス・クレインフェルド教授は、「大学の教授数における性差の比率は、一般的な能力、及び男女間での職業選択における好みの性差を反映したもので、性差別であるとするのは、最も不適切な結論である」と言っている。「性別差イコール性差別」という変な方程式を信じるのはフェミニスト達の愚かさの一つだ。

 

男女共同参画推進者の言いなりになっていると、日本国内にも遠からず第二、第三のテキサコが現れ、謂れのない損害賠償請求に苦しむようになる。第二、第三のホプキン教授が、「男女平等」を盾に女性優遇策を展開し、優秀な男性から職を奪い、男性にとって不平等な社会になるのは火を見るより明らかだ。

 

●「多様な家族」論の落とし穴 

 昨年十二月十三日付ボストン・グローブ紙に、「反逆への道」と題する記事が掲載されていた。ジェフ・ジャコビイ記者は、裕福な家の子として生まれたジョン・ウオーカーがどうしてタリバンのテロリストになったかを彼の成長過程に焦点を当てていた。ジョンの両親は、父がフランク・リンド、母がマリリン・ウオーカーと言い、「多様な生き方」を信奉する別姓カップルだ。彼らは、ジョンが

十六歳で高校を中退すると言った時も、マルコムXの自叙伝を読んで突然回教徒になると言った時も、生のアラビア語を習いたいからイエメンに行くと言った時も、ジョンの新しい友人にチェチェンでロシア人相手に戦った兵士がいると知った時も、彼の行動に対して“ノー”とは言わなかった。″ノー〃と言わないどころか、父親は「違った生き方を追求する息子を誇りに思う」と言い、母親は「子供が夢中になる何かを見つけるのは良いことだ」と言っている。そして一つだけジョンに押し付けた価値観があるとすれば、「どんな価値観も押し付けられるべきでない」という価値観だった。

 

 こうした育て方をジャコビイ氏は次のように批判している。

 「子供たちには、規制を守り、期待に添う生き方をするように教える必要がある」

「ニューヨーク・タイムズは、アメリカで最も自由で規制のない場所で育った少年が、なぜ最も自由のない規制だらけのイスラム教に走ったのか不思議だと言っているが、不思議でも何でも無い。ジョンは規制と規律を望んでいた。両親がそれを与えなかったから、与えてくれるタリバンに行っただけのことだ」

 

 最後に記者は、「両親が多様性と寛大性に心を配る前に、ジョンの道徳心の発達に心を配っていたら、ジョンは今ごろ、もっと別の場所にいただろう」「ジョンの反逆への道は、アフガニスタンで始まったのではない。それは、″ノー″といわない家庭の中ですでに始まっていた」と、結んでいる。

 ジャコビイ氏の言葉を、そのまま男女共同参画推進者と夫婦別姓賛成議員に送りたい。多様性のある社会を追求する前に、子供の心に道徳心を培い、大人も子供も規律を守る、そんな社会を追求するべきではないのかと。

 

●「離婚で幸せになる」のまやかし

「離婚は人々を幸せにするか」と題する研究がある。シカゴ大学の社会学者リンダ・ウェイトを中心に、家族研究の権威者と言われる学者チームによってまとめられたもので、「離婚しないでみじめなままいるのが最悪の結婚で、離婚して幸せになるべきだ」という通念を覆すものである、と報じていた。一九八〇年代末にインタビューした五千二百三十二組の夫婦を追跡調査した結果、不幸な結婚生活を解消して離婚した人は不幸な結婚生活を続けている人より幸せになっていないこと、そして、不幸な結婚生活でも、離婚を思いとどまった人の十人に八人は五年後、幸せな結婚生活をしているという。研究チームの一人、スコット・スタンリーは、「結婚や家族の大切さを認識することが、離婚の歯止めになっているばかりか幸せな結婚生活を成就する助けになっている」と結んでいる。

 他にも、「多様な家族」論の正当性を否定する興味深い研究結果が発表されている。「なぜ結婚は大切か‥社会科学から見た21の結論」と題する研究は十三人の学者により集大成されたもので、三十年以上に及ぶ家族解体がもたらす影響の議論に、初めて終止符が打たれた。この研究の一部を紹介する。

・結婚している男性は、独身男性より平均寿命が長い。

・結婚している女性は、独身や同棲している女性より、ソウウツ病になる率が低い。

・結婚している女性が、家庭内暴力の被害者になる危険性は、同棲している女性の三分の一である。

・片親の家庭で育った男の子が三十歳までに犯罪で投獄される率は、基本家族で育った男の子の二倍である。

 これらの研究結果は、「多様な家族論」がいかに無責任な議論であるかを証明している。

 

 先日、家庭内暴力に苦しむ女性の避難場所(DVシェルター)の理事をしている女性に話を聞く機会があった。彼女も、シェルターで働くフェミニストたちが被害者の女性に一様に離婚を勧めることを懸念していた。離婚奨励がいかに多くの女性を不幸にするかは、前記研究結果で明らかだ。フェミニスト達は、社会の問題を全て男女間の問題に置き換えてしまう。しかし、家庭内暴力が男女間の問題なら、同性愛着の家庭では暴力は起きないはずだが、異性愛者の家庭と同じ比率で暴力は発生している。また、男性イコール支配者、女性イコール被支配者というフェミニスト達の定義とは裏腹に、女性の男性に対する暴力が男性の女性に対する暴力と同率で発生しているとアメリカの専門家は指摘している。

 

 フェミニスト達は役割分担を極端に嫌う。女性の役割分担イコール支配される立場、という偏った方程式を信じているからであり、彼女達にとって役割分担を遂行している専業主婦は目の上のたんこぶでしかない。そして、手っ取り早く家族を崩壊させるもう一つの方法として、専業主婦撲滅に躍起になっている。それ

もこれも、家族を崩壊させ、最終的にフェミニスト達の都合の良い社会へと転換するためだ。

過激フェミニストのシモン・デビューボは、「私達は、女性に家庭を選ぶという選択はあるべきではないと思う。社会制度を根本から変えるには、女性にそうした選択肢を与えるべきではない。なぜなら、選択する自由があれば、多くの女性は家底を選択するから」更に、「社会を変えるためには、女性が家庭にいることを禁じる力を国から譲り受ける必要がある」とまで言っている。このシモン・デビューボの言葉をそのまま現実にしたのが、男女共同参画社会基本法だ。今、日本で、男女共同参画という美名の下で進められているのは紛れもない共産革命である。

 

●男性への敵対心を注入する女性学

 一九八〇年以降、日本の大学で「女性学」講座なるものが開講されている。

 第一段階として、「女性は虐げられてきた」という考えを徹底的に植え込むことから始まる。そして、虐げられてきた女性の立場に対して怒りを持つこと、男性に対して敵対心を持つことを教える。

そのために、生徒に、「男性社会」における嫌な体験をクラスの中で話させて、他の生徒と感情を共有する。ここで問題なのは、どんな体験でも、体験者の考え方、見方一つでは、抑圧体験になりうると言うことだ。

 フェミニスト達はいとも簡単に、普通の体験を男性に虐げられた恐怖の体験に置き換えてしまう。本当に見事だ。女性の権利を勝ち取るのがフェミニストの目的だから、女性に闘争心を起こさせないといけない。そのためには、男性への不信感を煽る必要があるのだ。だが、こんな人達のことを心理学では「被害妄想型人格障害」と言う。こうした被害妄想のフェミニスト達に、日本の国は今、左右されようとしている。

 

●スカートをはく男の子は正常か

フェミニスト達は、生殖器以外の性差は人為的に作られたものだから、ジェンダーフリー教育によって取り除く必要があるといってはばからない。それはとりもなおさず、男性から男らしさを取り除き、男性を弱体化させるための手段なのだ。

 彼らはジェンダーエクイティ、性の平等、という呼び方をする。いかにジェンダーフリーの考え方が過激であるかということだ。このジェンダーエクイティの教育現場での取り組みの事例を、ソマーズ博士は著書『ウオー・アゲインスト・ボーイズ(男の子への挑戦)』の中で紹介して非難している。

 

 メリーランド州の小学校四年生のクラスでは、ジェンダーエクイティ教育と言う名目で、次のような教育をしている。

 「七歳になる息子がいますが、いつも入形を買ってくれとせがみます。どうしてよいかわかりません。買うべきでしょうか。これって正常なのでしょうか、病気なのでしょうか。教えてください」と議題を提起する。

 これを聞いて、大多数の九歳男児は、人形を欲しがる男の子に嫌悪感をむきだしにする。そんな子供達に、教員は人形を抱いてあやして遊ぶことの大好きなウィリアム君と言う男の子の話「ウィリアムのストーリー」を読んで聞かせ、いかにも男の子が人形をあやして遊ぶ事が自然なことであるかのような指導をする。

 小学生という多感な時期に、男の子が男の子同士、女の子が女の子同士で遊ぶのは自然なことで、男の子が好む遊び、女の子が好む遊びが違うのも自然なことだ。ジェンダーエクイティ教育では、子供達に自然の欲求に逆らうように言っている訳だから、遅かれ早かれ、子供達は欲求不満になってしまう。子供達の心を、教育という名目で土足で踏み込み掻き回す、これがジェンダーエクイティ教育であり、男女共同参画推進者の勧めているジェンダーフリー教育だ。

 

●再評価され始めた男女別学

つい最近の新聞紙上で、高校生からの実際の投書が目にとまった。それは、「埼玉県の男女共同参画苦情処理委員が三月、県教委に対し、県内に十六ある男女別学の公立高校を早期に共学化するよう勧告した」という文章で始まり、次のような疑問で締めくくってあった。「男女別学が差別なら男性合唱、女性合唱も差別なのか。宝塚歌劇、歌舞伎、相撲はどうか。男女の区別は、勉強ができる、スポーツが得意、ピアノがうまいといった特徴の一つだと思う。男子であること、女子であることに誇りをもって高校生活を送ることは、いけないことなのだろうか」。男女混合名簿であきたらず、男女共学にするのが男女平等だとでも思っている男女共同参画推進者は、果たしてこの素朴な疑問に答えることなどできるのだろうか。

 市民権運動が盛んな一九七〇年代初頭のアメリカで、「タイトル宗廚噺討个譴覿軌藹だ軌討施行された。政府から補助金を支給される公立学校で性による差別を禁止するものだ。それを機に男子校・女子校が訴訟を恐れて次々と姿を消し、十一枚を除く全ての公立学校が共学になった。

 

 しかし、最近、多くの教育者が共学の是非に疑問を投げかけている。

カリフォルニア州ロングビーチにあるジェファーソン・リーダーシップ・アカデミー校のジル・ロハス校長は、三年前から男女別による授業を敢行している。小学六年から中学二年までの千二百人の生徒全員が、男女別に分かれて授業を受け、男子生徒のクラスには男性教師、女子生徒のクラスには女性教師の担任を置いた。

男女別による授業を始めて、ジェファーソン校生の共通テストの成績が一六%上昇した、とロスアンゼルス・タイムス紙は報じている。ジェフアーソン校中学一年在籍のキオナ・ジョーンは、「男の子にからかわれる心配をしないで、いろんな質問ができる」と言い、中学二年生のジェシー・アルバレズは、「女の子がいない方が、冗談とか言っても、勉強がはかどる」と言っている。思春期にさしかかった子供達を別学にすることで、男の子も女の子も他方の性を意識するエネルギーを、勉強というより建設的な方向に注ぐことができるのだ。ロハス校長は、タイトル修飽稟燭垢襪もしれない可能性に言及して、「別々のクラスで勉強するようになって、どの生徒も成績がよくなっています。教師として心配すべきは、生徒のことだけです」と言っている。

 

 シアトルのサーグッド・マーシャル小学校のベン・ライト校長も一昨年、幼稚園から五年生までのクラスを試験的に男女別にし、今年からは三百五十六人いる生徒の殆どを別学にした。

その結果、男子の停学率が減り学力が向上した。女子は男子を意識する必要がなくなった。ライト校長は、子供を非行から守る最善の方法は、「いかにして男の子は男の子らしく、女の子は女の子らしくなるかを学ぶことである。でも、それを学ぶには、共学の教室は適さない」と結んでいる。

 

 ジェフアーソン校やサーグッド校のように、子供を一番に思いやる教師が法律の規制に縛られることなく、男女別に分かれた授業を行うことができる法案が、去年末アメリカ国会を通過し、今年1月、ブッシュ大統領が署名した。この六百七十頁からなる新しい教育改正法は、「ノー・チャイルド・レフト・ビハインド・アクト」と呼ばれるもので、さしずめ「落ちこぼれをなくそう条例」とでも言うのであろうか。

 脳の研究で、男性は理数系、女性は言語に優れていることは周知の事実であり、男女別学で性差を補う授業をすれば成果があがるは自明の理だ。

 

これに、いち早く気付いたイギリス政府は、一九九八年秋より、小学校に「リテラシー・アワー」なる時間を設けて、男の子の言語能力向上に成功した。男の子に男の子向けの本を読ませ、文法を基礎から教えた。その結果、読解力のある男の子は一年間で六四%から七八%にまで上昇し、その驚くべき効果は予想以上のものだったと、イギリスのデイリー・メール紙は一九九九年に報じている。

 

男女共同参画推進者は女性の社会進出は世界の流れだと主張しているが、むしろ世界の流れは、家庭回帰にあることにふれたい。母親が盛んに共働きをしてきた時代に寂しい思いをして育った子供が成人に達してきているアメリカでは、そんな母親の生き方に疑問を投げかけている。

 

今年三月十二日付アメリカの全国紙「USA Today」は、過去二十五年間で初めて、女性の就労率が下がり、女性の86%が仕事より家庭が大事だと思っている、と報じている。

 最後に一人のアメリカ人女性を紹介したい。バージニア州在住のジエニー・ウエブライトさん(32)は、長年してきた医者の仕事を辞め、家庭に回帰して三人の子育てをしている。

 「働いていた時には、お金はたくさんありました。でも、他人が私の子供を育てていました。いま、わたしは、別人になったような気持ちです。仕事でストレスの多い毎日を送っているときには気づかなかったけど、赤ちゃんがはじめて笑ったとか、そう言う些細なことに喜びを見出すことができるのです」

 

 フェミニズムが猛威をふるい、離婚率が五〇%にもなってしまったアメリカでは、女性の家庭回帰が確かに始まっている。確かに女性の社会進出は好ましいことであろう。しかし、家庭を犠牲にし、子供を犠牲にしてまで、女性を社会に掻き立てる男女共同参画社会では、女性は決して幸せにはなれない。本当に実現すべきは、子供が小さい間は子育てに専念でき、子育てに手がかからなくなった女性が再び社会に参画できる制度だ。子育ても立派な社会参画であると胸を張って言える、そういう社会だ。フェミニスト達の思うままに操られていると、男性はますます弱体化し、子育てどころか女性が結婚相手を探すことさえままならなくなる。一部の被害妄想の女性はともかく、それが、大多数の女性の幸せにつながるとは、どうしても思えない。

 

*************************************************************ここまで一部抜粋

ここまでアメリカの現状について紹介してきたが、アメリカ・イギリスは彼らの企みを見抜き、これと戦う姿勢を示しているが日本は政治家の怠慢により、マルキストたちの思うがままになりつつある。

いま官僚たちの裏切りにより男女共同参画社会が推し進められており、家族制度の弱体化・解体がすでに始まっている。

われわれジェンダーフリーに反対するオトコどもは理論武装をしなければいけない。

もともとヒステリックに叫ぶ女性との議論をもっとも不得手としており、力でねじ伏せるしか能のない連中であることを自覚しながらキラッと光る反対論を身につけようではないか。


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2005年07月20日

◎ジェンダー・フリー、人権屋は国家を衰亡させる隠れマルクス主義(フランクフルト学派)者

親子

皆さんは男女機会均等法、男女共同参画、過激な性教育、ジェンダー・フリー、国旗・国歌の否定、靖国神社問題、新しい教科書問題、さらに人権擁護法案等日本の歴史・伝統文化を貶める動きが次から次へと出てきて、住みにくい世の中になってきたなあと感じておりませんか?私も周りにいるヒトも「オカシな世の中になってきたぞ!」と感じております。これ関しては20年前からいやもっと前から日本の軸がずれているのではないかと考えておりました。この原因がどうしても掴めなかったのですが、東北大学大学院 田中英道教授の論文を読んで「なるほどこれが原因だったか!」とひざを打ったものです。

今日は日本を揺るがせている「国家衰亡の理論 フランクフルト学派」について紹介します。

 

     フランクフルト学派は政党政治家たちや労働組合のマルクス主義ではなく、知識人のマルクス主義である点で、一般にあまり知られていない。

国家というものを内部から破壊しなければ文化革命が出来ないと考え、文化そのものがマルキストの戦いの中心だと考えているのである。

つまり彼らマルキストの狙いは何千年も培ってきたその民族の伝統文化の破壊にあるのです。

 

 この脅威を警告しているのは、最近、「西洋の死」土井のばあさん(2002年1月刊行)という衝撃的な書を出してアメリカでベスト・セラー作家となったアメリカの評論家で政治家のトリック・J・ブキャナンである。

 

その内容は、西洋先進諸国の没落が子供の減少にあり、それが貧困な周辺の移民によって代置され、二〇〇〇年代の後半には、アメリカも西洋もそれで崩壊すると語っている。その中でこのフランクフルト学派の影響が大きいとしているのである。まさに人口減少で「悩むアメリカ、滅びゆく西洋」を作り出しているのがこの学派の危険な思想だ、というのだ。

 

現にヨーロッパではすでに始まっている。

つい数日前のロンドン連続同時爆破事件、オランダのイスラム批判のゴッホ殺人事件、ドイツのトルコ人問題等、異民族の受け入れに寛容さを誇っている国ほどイスラム教徒とのトラブルを抱えている

この書はフランクフルト学派を信奉するアメリカ民主党の左派や、それを支持する少数のジャーナリズムヘの批判は激烈である。

 日本でも『病むアメリカ、滅びゆく西洋』(宮崎哲弥監訳・成甲書房)という邦題で去年末出された。

 

●フランクフルト学派とは何か

日本にとってもこの学派の影響は大きい。とくに60年代から70年代に学生であった世代は、この学派の影響下にあったといってよい。全共闘世代とか団塊の世代といわれる人々である。

 

ルカーチグラムシといった名前でおわかりの方々もいるだろう。彼らの革命思想が、別の形をとって資本主義社会に潜行している。今日の反戦運動、差別撤回、フェミニズム、ジェンダーなどのこともすべてこの学派から出た理論によっているのである。

そして共産党、社会党といった政党下の勢力以外の左翼の大部分はこの学派の影響にあったといってよい。これらの政党が衰微するに反比例して、学界ではこの勢力は根をつよく張っていった。まともな労働者の闘争を叫ばず、学生、インテリをターゲットにした運動だったのである。

 

スターリン●マルクス主義者ルカーチの理論(過激な性教育の元祖)

 この学派の誕生は、一九二三年にドイツのフランクフルト大学で、マルクス主義者ルカーチ(一八八五〜一九七一)らが設立したマルクス研究所から始まる。この学派から出た社会学者、歴史学者はユダヤ人であったためナチ批判の流れにのって戦後、ドイツの大学ばかりでなく、アメリカにまで及んでいることも知られている。

 

ルカーチは著書『歴史と階級意識』で、近代資本主義下の人間の「自己疎外」を説き、労働者階級だけの問題から、人間全体の物象化という事態を重視している。彼は共産党のコミンテルンの主導者になった。

その一環として彼は過激な性教育制度を実施したりした。

当時のハンガリーの子供たちは学校で自由恋愛思想やセックスの仕方、中産階級の家族倫理や一夫一婦婚の古臭さ、人間の快楽のすべて奪おうとする宗教理念の浅はかさについて教わった。現在、日本の学校教育で行われているのがこれで、まさに共産主義教育の実践といってよい。

 

 また女性を当時の性道徳に反抗するように呼び掛けた。こうした女性と子供の放縦路線は西洋文化の核である家族の崩壊を目的としていたのである。

 

ドイツのナチの勃興とともにアメリカに亡命したユダヤ人学者たちが、コロンビア大学の援助を受け、アメリカでフランクフルト学派を設立したのである。

 

○彼らの批判の対象は

その批判対象《キリスト教、資本主義、権威、家族、家父長制、階級制、道徳、伝統、性的節度、忠誠心、愛国心、国家主義、相続、自民族中心主義、因習、保守主義、何から何まですべて》という。

 

これをやさしくいえば、「批判理論」は、社会のすべての現象を批判することになる。よく考えると、日本人がキリスト教を除くと、戦後批判してきた、すべてがここに含まれている。

 

また教師からの指導・強制をすべて暴力ととらえることによりこれを否定し、自由放任、登校拒否も自由ということになり、学級崩壊も当然のこととなる。そのために「ゆとり」教育も生まれることになり、教科書のレベルを下げなければ生徒たちはついてこない。

 

 《フェミニズムもマルクスの『ドイツ・イデオロギー』の中で、家父長制家族は、まず妻子を財産と考えると述べているところから始まる。物質的所有と同じと見る。エンゲルスは『家族、私有財産及び国家の起源』で、女性差別の根源は家父長制にあると論じ、これが基礎となった

 

●エーリッヒ・フロム(フェミニズムの始祖)

中年のおばさん性差(ジェンダー)は固有なものではなく、西欧文化によってもたらされる、と主張し、彼は家族から父親を追放するために、母親が父親と役割を交換させることを提唱した。女性が男の役割を演じることができる、ということもソ連で早くも実現していたが、ソ連の入口の停滞を招いたことはその影響である。子供を生まない、という女性が多くなったのは、まさに男性と性の役割は相対的だ、とする考え方にたっており、上記、フランクフルト学派の考え方がもとになっている。

 

戦後の憲法もアメリカによってつくられた憲法や教育基本法から、近ごろの男女共同参画法案やジェンダー・フリー教育まで、ひそかにフランクフルト学派の影響がしのびこんでいる、と見ることができる。

 

●イタリア共産党書記長グラムシの思想

 イタリアのアントニオ・グラムシ(一八九一〜一九三七)がいる。最近のフランクフルト学派もしきりに彼を引用する。グラムシは一九二二年ムッソリーニのローマ進軍により、イタリアから一時ロシアに亡命した共産主義者である。

 

彼は帰国後イタリア共産党書記長となり、ムッソリーニによって投獄され、獄中膨大な『獄中ノート』を著し、それが後に出版されて新しいマルクス主義の教典のひとつとなった。そこで西洋における社会主義革命の成功の青写真を詳細に記している。肺結核を患ったグラムシは釈放された一九三七年、四十六歳で死んだこともそのカリスマ性を高めている。

 

●すべて社会に責任転嫁する風潮をつくった

彼は革命の新兵として、「歴史的に反主流派とされる層、経済的に虐げられた人々だけでなく、男性に対する女性、多数民族に対する少数民族、犯罪者まで」すべてが含まれると考えた。犯罪者が悪いのではなく、犯罪をおこさせた社会が悪いのだ、と。加害者が逆に保護される。

 

 ふつう左翼は「闘争至上主義」にはしり、権力を奪取し、上から文化革命を押しつけようとする。

 そのために、文化変革には種々の制度−−芸術、映画、演劇、教育、新聞、雑誌、さらにラジオという新媒体――転換のための「長い長い行程」を要する。それらを一つひとつ慎重に攻め落とし革命に組み込んで行く必要がある。そうすればやがて人々は徐々に革命を理解し、歓迎さえするようになる、と。

 

結局レーニン・スターリン主義は、本来の目的 絶対的権力掌握−‐をごまかすためにマルクス思想を政治的に利用するという当初の考えから抜けだすことが出来なかった。レーニン方式は疎んじられ、誰にも嘆かれることなく死を迎えた。が、グラムシの革命は脈々と受け継がれ、今なお多くの賛同者を獲得し続けている》

 

●伝統的文化の否定 

彼の「全面的歴史主義」、つまり、道徳、価値観、真実、規範、人間の在り方はみな歴史的に異なる時代の産物であるということ。《歴史を飛び越え、人類普遍の真実とされるような絶対的規範は存在しない。道徳観は一社会によって構築される》と謳っているからである。この歴史において、普遍的な価値を否定する考え方は、まさにイタリア人のイタリア文化否定である。キリスト教文化だけでなく、ギリシャの古典文化も、イタリア・ルネッサンス文化も何も価値がないことになる。日本の祖先がつくりだした文化・芸術も意味がない、という考え方を導くのだ。

 

●結論

このように彼らの説く理論の全てはわれわれが日頃何か変だと思いつつ、「お上は常に正しいことをするものだ」、「お上の決めることだから従わなければならない」という日本人特有の従順性が今日本という国家を衰亡させる危機にあることを認識させていないのである。

 

いまや政治家も、官僚も、教育者も、マスコミ界も、いわゆる世の指導的立場にあるものの言動を盲目的に信じてはいけない、自分で目で見て確認をし、オカシイと思えば声を上げなければならない。

 

彼ら隠れマルキストは「在日外国人に参政権を!」「男女共同参画(ジェンダー・フリー)」「人権擁護法案」「新しい歴史教科書採択妨害」「靖国神社問題」「在日・同和の差別問題」等を問題視し、日本の健全な家族制度の破壊と伝統文化の否定を狙っている。

心あるものは敢然と戦わなければ、われわれの子供たちに日本の伝統的文化遺産を申し送ることが出来なくなります。

「お前たち隠れマルキストの言うことに賛成できない!」とはっきりと意思表示をしよう!

 

 


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歴史の真実日本の教訓―日本人になる十二章  
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2005年06月14日

◎嘘から始まったジェンダーフリー

世界的ベストセラーであったブレンダと呼ばれた少年(AS NATURE MADE HIM)が店頭に並んだと思ったらすぐになくなり絶版となった。これには何か人為的な操作が感じられたが、このたび扶桑社から復刻版が出されることになり、ジェンダーフリーに対する反撃の根拠となり得る図書を入手することが出来ることは喜ばしいことである。

 

ジェンダーフリーを標榜する女権拡張主義者のカリスマでバイブルとも言える『性の署名』を著したのが性科学者であるジョン・マネー(米国 ジョンズ・ホプキンス大学病院)である。

 

彼は染色体異常で生まれた「半陰陽の患者」の研究の結論を、男女の性的行動および志向は生得的かつ本能的根拠に基づくものではない。つまり新生児は白紙の状態で生まれてくるものであり、育て方次第で男にも女にもなる結論付けた。

『男と女、男の子と女の子』『性の署名』を研究発表

 

ジョン・マネーの非人道的実験とも言うべき『双子の症例』は染色体の正常な男の双生児の一方ブレンダ(人為的性器損傷)に性転換手術をさせ、一方のブライアンとの違いを追跡観察するという人体実験を実施したが失敗に終わっているにもかかわらず、それを公にせずいかにも実験が引き続き実施されているように装った。

 

それを暴露したのが

『ブレンダと呼ばれた少年 ジョンズ・ホプキンス大学病院で何が起きたか』である。            

 

この本はジョン・コラピント(米 ジャーナリスト)ジェンダーフリーの嘘を暴いた衝撃のノンフィクションであるが、2000年に無名舎で刊行されたがすぐに絶版になり、扶桑社で復刻されたイワク付きの本である。 

 

「生後8ヶ月で割礼を受けたとき、電気メスで男性器を誤って傷つけられ、切断せざるを得なかったブレンダは、ジョンマネーの執拗な勧めで女の子として育てられたが、物心がつく頃から女の子になることに抵抗しはじめ、男の子の遊びに興味を示すので、マネーは膣整形手術を執拗に要求したり豊胸のための女性ホルモンを飲ませたりしたが、思春期の1980年にはディヴィットと名前を変えついに男の子に戻った。その後ペニス再形成手術を行い女性と結婚までしたが、2004538歳の若さで自殺した」とある。

 

 

じつは実験をしたジョン・マネー変態的な性的嗜好の持ち主で、マネーは若いころには「性革命の煽動家」としてフリーセックス、サド・マゾヒズム、スカトロジー(糞尿趣味)、性器切断願望、自己絞殺、小児愛に関心を示し、その種の著作もある人物であり、こんなコメントがある。

『私は良く思ったものである。家畜だけでなく人間も誕生時に去勢されたら、世界中は女性にとってより良い場所になるのではないかと』

 

 

このように彼女らの主張の根拠はすでに崩れているにも拘らず、日本ではジェンダーフリーの女性学が盛んであり、マスコミがオダテ上げ声高に叫ばせている。また隠れマルキストの官僚とツルンデ日本の伝統・文化を破壊することに血道をあげているのが現状である。

 

『双子の症例』の失敗を隠しつづけた結果、マネーの『性の署名』は今も女性学の基本的テキストとして読み継がれている

 

 

●女権拡張に血眼になっている3氏は国民の税金をフンダンに使い、社会秩序の破壊に努めている。

・“ジェンダーフリー革命”の発信基地  

           国立女性教育会館の女性学・ジェンダー研究会

・男女共同参画社会基本法案起草の主導者      東大教授 大沢真理

・過激なジェンダフリー論者            東大教授 上野千鶴子

・ジェンダーフリーの伝道師 社民党参議院落選、 和光大学教授 船橋邦子

 

男女共同参画政策の根拠となった『マネーの性心理白紙説』はすでに破綻しているが、これを脳科学の見地で真っ向から否定したのが、脳科学者 新井康允の著書『脳の性差ー男と女の心を探る』 共立出版であり、『男らしさ』『女らしさ』の意識は生得的なものが基礎にあると主張している。

 

 

「ブレンダと呼ばれた少年」の著者ジョン・コラピント(米 ジャーナリスト)は

「科学者の間では、・・・・『最も重要な性的器官は生殖器ではなく、脳である』という結論に達している」

 

「嘘から始まった男女共同参画政策」は一日も早い抜本的見直しが不可欠である

 

ジェンダーフリー http://www.jiyuu-shikan.org/teachers/hattori/0311.html

http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/kyouiku9.html

 

『ジェンダーフリーの害毒』林道義
『脳の性差』新井康允(共立出版)
『男脳と女脳こんなに違う』新井康允(河出夢新書)
『幼児教育と脳』(文春新書)
『話を聞かない男、地図が読めない女』アラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ(主婦の友社)
「フェミニストに歪められる改正教育基本法」高橋史朗(『正論』平成十五年一月号)
「『両性具有への人間改造』ジェンダーフリー教育の正体」中川八洋(『正論』平成十五年二月号)


ブレンダと呼ばれた少年
ブレンダと呼ばれた少年―ジョンズ・ホプキンス病院で何が起きたのか
脳の性差―男と女の心を探る

  
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2005年05月03日

◎「男らしさ」「女らしさ」は6割4割の世界

侍・町娘『報道2001』のTV討論(5月1日)で「男らしさ」「女らしさ」とは何かを討論していた。

正統派は山谷えり子議員八木秀次あたらしい教科書をつくる会の会長

日本の教育・伝統的家族形態を破壊する一派で性教育推進派の浅井春夫立教大教授、一橋大学の某教授、公立の現場教師がそれぞれの意見を主張していた。

その中で浅井教授たちの主張はまさにジェンダーフリーそのもので到底賛成できる内容ではなかった。

 

この種討論でいつも感じるのはジェンダーフリー派の言葉のごまかしに乗せられて、正統派は相手に致命傷を与えずに終わるということである。

視聴者はいつも「推進派の言うことも一理ある」で納得してしまうということである。

 

『「男らしさの」の人類学』という本がある。

この本は「人は男に生まれるのではない、男に作られるのだ!」と主張している。

つまり少年から青年になるには肉体的苦痛に耐え抜いて大人になる関門があるといっている

原始的になればなるほどまさに命をかけて挑戦する比重が大きくなる。

海洋民族の少年はサメの出る深い海に潜り自由奔放な行動力を示すことにより、一人前の男として認めさせる。

狩猟民族や農耕民族はイバラのついた鞭で身体を殴らせ、忍耐心と勇気を示し耐え抜いたものだけが結婚をすることが許され、大人の仲間入りをする。

 

そういえば、昔日本にも若衆宿といって少年が元服の時期になったら、郷(土地)の若者たちとともに若衆宿という小屋に寝泊りして、大人としてのしきたりや女性についての知識を吹き込まれたりしながら一人前になっていったという日本の風俗がありました。

西郷隆盛に対する若者たちの信奉はこの若衆宿で培われたといわれています。

村の青年団の組織は若衆宿の流れを汲んでいるのです。成人式もこの部類に入るといっても良いと思います。

 

英国の名門私立男子校イートン校は全寮制で懲罰には鞭で叩く話は良く聞きますね。 文化・民俗的違いはあっても世界各国で少年から大人の仲間入りのハードルが常にあるのです。共通して要求されるのは「勇気と肉体的忍耐力」です。

 

しかし女性は年頃になれば肉体的に自然と母親になる身体になりますし、肉体的苦痛を伴う少女から大人の女性へのハードルはありません。ここに男女間の差異が出てくるのです。

 

○ 例えば「男らしさ」はと、問われて逞しさ、行動的、危険に対する挑戦心(勇気)、力強さ、弱きものを助ける義侠心どちらかといえば精神的逞しさや肉体的強さ(攻撃的)を強調したがる傾向にある。

 

○ 「女らしさ」はと、問われてやさしさ、やわらかさ、包容力(母性的)、忍耐力、優雅さ、上品さ、清潔さ、どちらかといえば精神的な強さ、非攻撃的が強調される。

 

だからといって男性は女性を蔑視しているかといえばそれはないといえる。女性の優しさ、優雅さ、清潔さに一目もニ目も置いているのです。これがあるからこそ女性を大事にしなければならないと思うのです。

 

テレから女性を見下げた言い方をすることはありますが、肉体的強さだけを誇り、女性を卑しめるような発言をする男は単なるバカです。明らかに男女間で期待される要素が違います。

 

ここでジェンダーフリー派は正統派に対し攻撃をかけてきます。女には『精神的逞しさ』は必要がないのか、女だって多くの困難に立ち向かっていく勇気と逞しさは必要であると・・・。

男には優しさ、上品さや清潔さは必要がないのかと・・・。

ここで正統派は違いを強調できず黙ってしまう。

 

しかしこれは詭弁である。これらは人間として必要な要素ではあっても日頃から男女共通で同じ比重で要求すべきものではない。

6:4の世界で要求すべきものと思う。すなわち男にとって「男らしさ」の要素は6割で、4割は「女らしさ」の要素女にとって「女らしさ」の要素は6割で、4割は「男らしさ」の要素これが7:3になったり、8:2の比重になったりしても良いのである。

 

すなわち原始的生活では8:2もしくは9:1になる。文明的になるに従い7:3または6:4にはなっても絶対に同等もしくは逆転することはない。それが男として、女として生まれた肉体的宿命だからです。

 

幸せな家族、夫婦関係を築くのは、それぞれの特性を活かした住み分け、すなわち作業分担がお互いのプライドと心地よい対人関係を築くことが出来るのです。人類の歴史が始まって以来数十万年培ってきた夫婦としての文化を、マルクス主義崩れの女権拡張主義者たちに実験的文化破壊をさせてはならない。

 

専業主婦の社会的地位を貶めてはならない。専業主婦がいるから安心して働け

るのです

 

 

 

 


「男らしさ」の人類学
男は男らしく女は女らしく
国を売る人びと―日本人を不幸にしているのは誰か
新・国民の油断 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす
国民の思想

 

 

  
Posted by wildhorse38 at 23:49Comments(0)TrackBack(1)