2016年12月07日

◎靖国神社への参拝を疎かにしても、真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊するという安倍首相

 安倍総理大臣は、12月26日と27日にハワイを訪れ、太平洋戦争の発端となった75年前の旧日本軍による真珠湾攻撃の犠牲者をアメリカのオバマ大統領とともに慰霊するという。現職の総理大臣が真珠湾を訪れて犠牲者を慰霊するのは初めてである。
 彼が米国の戦死者に対し慰霊することには反対ではないが、安倍総理大臣は、2012年12月26日の総理大臣就任から1年もたった12月26日に東京・九段の靖国神社に参拝して以来、韓国・中国のクレームを恐れて慰霊を疎かにしている。
 
 オバマ大統領が今年、広島訪問を果たした。
首相の真珠湾訪問はその返礼との見方もあるが、多数の一般市民を対象にした広島・長崎への原爆投下や一般市民の焼き殺しを意図した大都市への空爆と、軍事施設に限定した真珠湾攻撃を同列視するのは誤りだと言いたい。
 菅義偉官房長官が12月6日の記者会見で「戦没者の慰霊のためであって謝罪のためではない」と述べているが、日本人特有の筋を通さないサービス精神からお詫びになるのではないかと心配している。
 
 日本の戦没者遺族からは、国のために命をかけて戦った双方の人々に敬意を表し、慰霊することは「未来を思って戦った」人々の思いにかなうとの声もあり、この際、2013年から途絶えている国のトップとして日本の戦没者に対する慰霊をするため靖国神社への参拝をしてからのハワイ行きを実施したほうが筋が通っていると思いませんか。
 中国・韓国やチャイナスクールの支配する日本の外務省、朝日新聞・毎日新聞・NHK・TBS等の日本の左翼陣営を出し抜いて参拝する覚悟があれば、国民は安倍ちゃんを支持すると思いますよ。今回ばかりはアメリカのリベラルもジャマはしないでしょう。
これを機に世界から言われぱなしの日本は終わりにしませんか・・・。ご同輩!!!



  

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2016年08月15日

◎稲田大臣の参拝見送りは中韓にまた外交カードを与えた

 またまやかしの政治家集団のパフォーマンスの日がやってきた。
九段北の靖国神社に集団参拝した国会議員は衆議院議員46人、参議院議員21人の合わせて67人
これに先立って、萩生田官房副長官や自民党の小泉進次郎衆議院議員も参拝した。閣僚では高市総務大臣が15日午後に参拝する予定で、今村復興大臣は先週、参拝しているという。
この70人余りの政治家で政治生命をかけてお参りしているものが何人いるだろうか。

 安倍総理は今年も終戦の日の参拝は見送り、側近議員を通じて私費で玉串料を奉納した。
また、稲田防衛大臣は例年、終戦の日に参拝していたが、ソマリア沖で海賊対策にあたっている自衛隊の拠点を視察するためジブチを訪問していて、15日の参拝を見送るとのこと。
この時期何がジブチ訪問だ。ふざけるのもいい加減にしろ。
”お前は防衛大臣だろう!”
前はあれだけ筋の通ったコメントを出していた福井のメガネ屋の回し者が、いちばん肝心要の終戦の日に靖国参拝をしないとは・・・。ご英霊に何と言って申し開きをするのか。
腰砕けの安倍総理大臣は中国・韓国に気を使って今年も靖国にお詣りをしないという。稲田大臣も理由は同じだろう。
親中の岸田外務大臣が先頭切って稲田大臣にお詣りは控えろと圧をかけていた。

 中国や韓国に指示に従って、日本の首相が、防衛大臣が参拝を取りやめて世界に恥をさらした以外、日本の国益になるようなことが何かありましたか。
日本大使館ばかりでなく各国に設置されている売春少女像問題の解決もせず、国民の血税10億円も韓国にだまし取られ、その場しのぎの譲歩してまた失敗をするのは火を見るよりも明らかなのに・・・。
世界観のない政治家と外務省のバカさ加減が目について仕方がない。

 日本外交の基本は事なかれ主義であり、絶対にケンカを売ってくることはないと確信をしているからこそ国の慰霊に関しても難癖をつけてくるのである。
こんなことは中韓をおいて世界各国ではありえないにもかかわらず日本政府は外交問題にしているのです。
 これを外交カードにして置くことにより、日本との係争時、日本に関して外交取引上優位に立てるのである。
闘う姿勢と根性を持った政治家がこの腐れ縁を断ち切らない限り華夷序列の下、これから先いつまでも日本は外交上下位に置かれることになる。
政治家も、国民もそれに気が付かないから始末が悪いのである。


  
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2014年04月20日

◎靖国神社のあるべき姿について考える

兵隊さん

 10年ほど前になるが、K坂女史と靖国神社の意義について論争したことがある。
 札幌における時局講演の講師として彼女をお招きした際にエスコート役を任され、約半日に亘ってお話をする機会があった。
当時彼女は飛ぶ鳥を落とす勢いがあり、慰霊について造詣が深く大変感銘を受けることが多かった。
しかしながら、靖国神社のあり方については意見を異にすることが多く、素直に受け入れることができなかったことを思い出す。


○ K坂氏の主張
(福田康夫前官房長官の私的懇談会「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」の委員)

・靖国神社の意義は十分理解をしているが、いつまでも国家国民のためになくなった英霊をこのままにしておいてはならない。そのためには「だれでもがお参りできる代替の慰霊施設を造ることは止むを得ない」と考える。

・慰霊施設は日米が戦った硫黄島にするべきだ。

・靖国神社の問題点は宗教法人の神道の施設であり、他宗教のものがお参りに来れないことである。

・引き上げ途中で亡くなった方は一部を除いて、すべての方が祀られていないことも問題である。


● 私の意見
・靖国神社を蔑ろにするべきではない。代替施設建設には絶対反対である。

・靖国神社は戊辰戦争以来140数年、国家国民のために命をかけて戦った英霊を祀っているところであり、これは国家としての英霊に対する慰霊のあり方である。

・靖国に祀られることは英霊となった軍人等への伝統的慰霊である。

・中国・韓国が首相の靖国参拝を批判しているが、これは明らかに内政干渉である。
この主張がある限りたとえ代替慰霊施設が建設されても、中韓両国から戦犯問題がある限り政治的問題とされ、いつまでもクレームをつけられるのである。世界中を探しても祖国のために戦い命を落とした若者たちの慰霊に反対する国は、両国を除いてないのである。

・昭和60年以降中曽根首相が参拝を取りやめてから中国につけ入る隙を与えてしまった。
元を正せば社会党の土井たか子一派が中国を焚きつけて外交問題にしたのが始まりであり、それまでは戦犯問題はなかった。

・戦後、A・B・C戦犯で処刑されたものは国会決議で法務死とされ、名誉回復して軍人恩給も受給している。
これは我が国の国家としての意思である。


◎  K坂氏を無言にさせた私の発言

・  靖国神社は宗教法人であり他宗教の人は「○○の命(みこと)」にはお参りができない(K坂発言)
 〜神道は八百万の神であり、他の宗教に寛容である。現にクリスチャンの一群(20数名)が本殿の正面を外して横で賛美歌を歌っていたのを見たことがある。
 
・  誰もがお参りできる施設が望ましい。(K坂発言)
 〜誰もがお参りできるということは誰もお参りに来ないということ。
 現に千鳥が淵の戦没者墓苑は私がお参りした後の15分間誰もお参りに来なかっ
 た。その時の靖国神社はたくさんの老若男女と外国人がお参りに来ていた。
 
・  硫黄島に慰霊碑を建てる。(K坂発言)
〜硫黄島は日米両軍だけの激戦地であり、戊辰戦争以降の戦没者、すなわち日清・日露戦争、第1次大戦、支那事変、大東亜戦争全域での戦没者に関する関連性はなく、たとえ硫黄島に慰霊碑を建てたとしても法務死となったA級戦犯、BC級戦犯の方々を祀らなければならないだろう。そこに首相がお参りしたなら中国・韓国に主権侵犯の口実を与えることになり、何の解決にもならない。

・  中国・韓国の抗議(K坂発言)
 〜大東亜戦争において日本は、共産党の毛沢東に降伏したわけでなく、国民党の蒋介石が連合国軍の一員であったことにより彼らに降伏したのであり、共産党の中国には言われる筋合いはない。
 また韓国・朝鮮は当時「朝鮮系日本人」であり、日本国民として戦った仲である。ゆえにどちらも正当性がなく、抗議されるいわれがない。日本がすぐ反応するから政治問題化するのである。
 
◎まとめ
 今回イラクに派遣された自衛官は主要幹部がそろって靖国神社にお参りし、もし命を落とすようなことがあれば靖国神社で会おう!」と誓った事実をどう見るか。
また同じように靖国神社で会おうといって敵艦に突っ込んでいった英霊たちの気持ちをどう考えるのか。
日本の慰霊は靖国神社にこそ意義があるのである。


 K坂女史が一日も早くそろってお参りができるようにと努力したのは分かるが、委員の中に自衛隊または軍人経験者がおらず現場サイドの意見がなかったのが問題だと思う。現在は小休止状態だがいずれこの問題はまた持ち上がってくるもの
と思う。


  
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2014年01月18日

◎「戦犯」問題 

マッカーサー靖国参拝が話題にでる度に、なんで一度決着がついたものを蒸し返すのか。
お前たち政治家は、もっと勉強しろよと歯ぎしりをする思いをずっとしてきた。
今日のTV「たかじん」でも靖国問題に田嶋陽子が思い込みの激しい性格を丸出しにして正統派のオジサンたちにくらいついていた。

こんな主張を聞くたびに、私のブログで決着のついている「戦犯」問題について書かなければならないと思っていたら、2014.1.18  産経新聞【一筆多論】に短切にまとめた根拠を示している記事を発見したのだ。
40代、50代の知識人といわれる人たちに是非読んでおいてもらいたい。
これを読んでまだ彼らを戦犯と呼ぶべきかどうか考えて欲しいのです。

中国は中曽根元首相の行為でこれは政治カードにできると考え、韓国は自分たちが日本に対して独立戦争(闘争)をしたこともないので、こじつけで「反日」をやっているだけなのである。

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◆先人が決着つけた「戦犯」問題 

                 2014.1.18  産経新聞【一筆多論】
 日本人が知っておくべき歴史的事実の一つは、先人たちが戦犯問題に決着をつけたことだろう。

 昭和27(1952)年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効後、間もなく、「戦犯受刑者の助命、減刑、内地送還」を求める国民運動が巻き起こり、約4千万人の署名が集まった。独立を回復したにもかかわらず、なぜ、敵国に裁かれた同胞たちは釈放されないのか、といった疑問が共有されたからである。

 当時、巣鴨、モンテンルパ(比)、マヌス島(豪州)では1千人以上の日本人らが、A級およびB・C級戦犯として服役していた。講和条約第11条は関係国の同意なくして、日本政府は独自に戦争受刑者を釈放してはならないと規定されていたためだ。

 これに対し衆参両院はほぼ全会一致の5回にわたる赦免決議を採択した。趣旨説明に立った改進党の山下春江議員は極東国際軍事裁判(東京裁判)をこう批判した。

 「戦犯裁判の従来の国際法の諸原則に反して、しかもフランス革命以来人権保障の根本的要件であり、現在文明諸国の基本的刑法原理である罪刑法定主義を無視いたしまして犯罪を事後において規定し、その上、勝者が敗者に対して一方的にこれを裁判したということは、たといそれが公正なる裁判であったとしても、それは文明の逆転であり、法律の権威を失墜せしめた、ぬぐうべからざる文明の汚辱であると申さなければならない」(27年12月9日衆院本会議)

 日本社会党の古屋貞雄議員も「敗戦国にのみ戦争犯罪の責任を追究するということは、正義の立場から考えましても、基本人権尊重の立場から考えましても、公平な観点から考えましても、私は断じて承服できない」(同)と訴えた。東京裁判がいかに不当で一方的なものかを論難するのに保革の違いはなかった。
翌28年8月6日、A級、B級、C級を問わず、戦犯を犯罪者と見なすのではなく、公務で亡くなった「公務死」と認定し、困窮を極める戦犯遺族たちに遺族年金、弔慰金を支給する戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部改正法が成立した。靖国神社への合祀(ごうし)も手続きに従って進められた。

 確認したいのは、一連の戦犯問題の処理に外国から異論は唱えられなかったことだ。これらが独立した戦後日本の原点だった。

 昨年12月26日、靖国神社に参拝した安倍晋三首相に対する非難、とりわけ国内からの強い批判にはこうした事実認識がすっぽり抜け落ちていないか。

 残念なのは、先人たちの労苦と思いが忘れ去られてしまったことだ。それどころか「勝者の裁き」を受け入れる「東京裁判史観」による発言が平然と出ている。

 後藤田正晴官房長官は61年8月、東京裁判の正当性を認める見解を示し、小泉純一郎首相は平成17年6月、「(A級戦犯は)戦争犯罪人という認識をしている」と国会で答弁した。

 安倍政権は少しずつ是正している。だが、日本が心を一つにして作り上げた成果を自らの手で無効にしてしまった所業は消えない。これを喜んでいるのは、さて、誰であろうか。(中静敬一郎 特別記者)

  
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2013年04月24日

◎上から目線の中国・韓国

 日本の閣僚が靖国神社を参拝したことに中国と韓国が抗議を述べ、韓国は外相の訪日を止めるという。

いつも思うのだが、日本人が戦争で亡くなった先祖の霊に弔意を表すことになぜ外国がケチをつけるのか。

日本政府の閣僚だろうが、一般市民だろうが、先人の霊を弔うことに何もためらう必要もなく、ましてや当時の戦勝国でもなかった中国共産党は国家としての存在もなく、共産匪と言われる単なるゲリラの存在であった。


朝鮮人 韓国は日本の植民地であり、何から何まで日本におんぶに抱っこで、ましてや日本と戦争をしていたわけでもない。二等国民として日本の一員として連合国や中国人と戦った仲ではないですか。

日本がアメリカに負けた途端、持ち前の事大主義を発揮し戦勝国側に立ち日本国内を荒らしまわったのが韓国・朝鮮人たちであった。

なぜ日本政府は“愛国者の霊を弔って何が悪いか、お前たちにとやかく言われる筋合いはない!”と厳しく突っぱねることをせずに大人の対応を決め込んでいる。

私に言わせたら大人の対応ではなく、ただトラブルを恐れる臆病者なだけなのだ。

 
 靖国神社参拝にケチをつけるように中国に知恵をつけたのが当時社会党の土井たか子で、中国の言いがかりに反応して引いたのが当時の中曽根首相であった。

これに味を占めた中国は、じ後靖国に対する慰霊にことごとくクレームをつけるようになったのである。それを真似したのが韓国であり、常に中国・韓国側に立ち、日本を貶めているのが赤いあかい朝日新聞、毎日新聞、国民の血税ともいえる受信料を徴取するNHKであり、最近は韓流ドラマ一色で在日のご主人様状態のフジテレビ、日テレ、TBSテレビが代表選手。

 

これに乗って調子づいているのが在日系韓国・朝鮮人たちである。

彼らの言いたい放題に反論できない歴史的教養のないコメンテータたち

だからいつまでも上から目線で歴史認識がどうのこうの言われるのである。

 

日本のスポーツ界や芸能界、メディア等で優遇されているにもかかわらず

上から目線で日本人に説教したがるのが野球解説の張〇勲、映画監督の崔〇一、ソフトバンクの孫〇義、400勝投手の金〇正一

芸能界のドンと言われ、いばり散らすのが歌手の和〇アキ子、

嘘八百を並べ立てまくし立てるのが東海大学の金慶珠(キム・キョンジュ)

天皇陛下をもコケにする徹底した反日主義者のコメンテータ辛 淑玉(シン・スゴ)

何か忘れてはいませんかてんだ。

 

■日韓併合時の日本政府から朝鮮総督府への通達

一、朝鮮人は対等の関係を結ぶという概念がないので、常に我々が優越する立場であることを認識させるよう心がけること。

一、朝鮮人には絶対に謝罪してはいけない。勝利と誤認し居丈高になる気質があり、後日に至るまで金品を強請(ゆす)られるの他、惨禍を招く原因となる。

一、朝鮮人は恩義に感じるということがないため、恩は掛け捨てと思い情を移さぬこと。

一、朝鮮人には裕福温厚なる態度を示してはならない。御し易しと思い強盗詐欺を企てる習癖がある。

一、朝鮮人は所有の概念について著しく無知であり理解せず、金品等他者の私物を無断借用し返却せざること多し。殊に日本人を相手とせる窃盗を英雄的行為と考える向きあり、重々注意せよ。

一、朝鮮人は虚言を弄する習癖があるので絶対に信用せぬこと。公に証言させる場合は必ず証拠を提示させること。

 

(後略)

  
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2010年08月12日

◎法務死(刑死)したひとは「A級戦犯=永久戦犯」にあらず!

■ <菅内閣>全閣僚の靖国参拝なし 終戦記念日
  菅内閣の全17閣僚が15日の終戦記念日に靖国神社に参拝しない見通しになった。10日午前の閣議後の記者会見などで各閣僚が明らかにした。菅直人首相も在任中に参拝しない考えを表明している。自民党政権では閣僚の参拝が恒例化し、中国、韓国が反発してきた。終戦記念日に閣僚が一人も参拝しないのはこの30年では初めて。

 仙谷由人官房長官は10日の記者会見で「閣僚は公式に参拝するのは自粛しようというのは、日本政府の考え方だと存じ上げている」と述べた。鳩山由紀夫前首相は政権交代直前の昨年8月、「(政権交代後)閣僚にも自粛を頂きたい」と求めており、菅政権も踏襲した形だ。

 自民党政権では80年に鈴木善幸内閣が「閣僚は首相と一緒に参拝する」と申し合わせて以降、終戦記念日の閣僚参拝が続いた。79年以前の記録は残されていない。と10日の毎日新聞は伝えている。
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軍人先日若者たちに特攻隊の話をした。
狙いは65年前の特攻隊員も君たちと同じ21・2歳という同じ世代の若者だったということ。
  彼らはどんな気持ちで帰るあてのない片道飛行の特攻機に乗って逝ったのか
 靖国神社の「英霊の言乃葉」から彼らの愛する肉親、妻、恋人に対する遺書を読ませ感想を聞いた。
・これが同じ世代の若者だったのだ
・こんな人間らしい悩みを持っていたなんて信じられない
・今までは軍国主義に凝り固まった軍人ばかりと思っていた
・あの時代の若者の純粋さを感じる
・それでも特攻カルト集団で命を捨てることを厭わなかった若者もいたはず
等々
特攻の話を初めて聴いてモノの見方が変わった若者
特攻の話を提起した私に反発するもの等色々であったが、
結局彼らは特攻隊員の血を吐くような心情に初めて接したのであり、その意義は大きかったものと思う。

 今の民主党政権を見ていると、
「軍人というものが何に命をかけ、死に直面するとき何に納得して従容として死地に向かうか」を全く分かっていない
もっとも民主党政権は昔の社会党だと思えば諦めもつくが、
国民が騙されるのは「松下政経塾出身」やTVでリベラルな言動をはくタレント的若手政治家が表立っているということにある。
しかし国民もようやく理解したと思うが、彼らには民主党を動かす政治的力はないのである。
結局民主党事務局を支配する旧社会党と典型的左派の仙谷官房長官が牛耳っているのである。

 日本の首相が諸外国に行ってその国のため戦って戦死した英霊に対し花輪を捧げるが、靖国神社にはお参りをしない。
こんな馬鹿なことがあって良いものであろうか。
千鳥ケ淵戦没者墓苑には、お参りするではないかと人は言う。
千鳥ヶ淵は、大東亜戦争で亡くなった人たちの遺骨を納めているが、
階級氏名不詳の無名戦没兵士であり、無名戦士の霊廟なのである。
お名前の分かっている遺骨は遺族のもとでご先祖とともに墓に入っているのである。
靖国神社には、戊辰戦争以来日本の近代化とともに、
日本のために国の命令でお亡くなりになった方246万6000余柱の御霊だけがお祀りされているのである。

 靖国神社には、A級戦犯が祀られているからと人は言う。
昭和27年に成立した「戦傷病者戦没者遺族等援護法」により戦争裁判による死亡者や拘禁中の傷病者は一般の戦没者、戦傷病者と同様に扱うことになり、昭和28年8月の国会では、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で採択された。これを受け、政府は関係各国の同意を得て、死刑を免れたA級戦犯やアジア各地の裁判で裁かれたBC級戦犯を釈放した。また、刑死・獄死した戦犯の遺族に年金が支給されるようになった。
これらにより日本には「戦犯」というものがいないのである。

 今もって政界やマスコミがこの時期になると大騒ぎをする。国民が勘違いをしているのではと思うのは、彼ら法務死(刑死)をした人々を「A級戦犯=永久戦犯」と見ているのではないか。日本にはそのような人はいないのであると声を大にして言いたい。

 

  
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2008年05月20日

◎日本とアメリカの慰霊

アーリントン墓地  
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2008年04月10日

◎戦場に花咲く武士道

戦場に花咲く武士道  
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2007年05月26日

◎ペリリュー島のニミッツ元帥の詩碑

米国太平洋艦隊司令長官ニミッツ元帥の詩碑がパラオのペリリュー島にある。

ニミッツが日本軍の勇戦奮闘を讃えたという詩は米軍の公刊戦史にも載っておらず、疑問を呈する方がおられると思います。

以前にも根拠がないとご指摘がありましたので、私のブログで一度回答をしたことがありますが、再びご質問がありました。

根拠については、私が使用した資料を公開しますのでご了承ください。

 

この島を訪れるもろもろの国の旅人よ

故郷に帰ったら伝えてくれよ

この島を守るために、日本軍人は全員玉砕して果てた

その壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を!

 

○この詩は 元航空幕僚長・ 浦 茂氏が昭和59年、米アナポリス海軍兵学校を訪問したとき知らされたものである。

航空幕僚長の米国軍事施設への表敬訪問は、日本を代表しての儀礼的なものであり、十分な根拠と言える。

●「世界から見た大東亜戦争」 展転社 1800円

元高千穂商科大学教授 名越二荒之助編

P154〜155 玉砕を讃える詩三篇

●昭和の戦争記念館 第3巻 恩讐の彼方

「大東亜戦争の秘話」 展転社 2800円

元高千穂商科大学教授 名越二荒之助編

P48〜52 激戦ペリリュー島物語(1)〜(5)

画像をクリックすると大きく見えます

世界から見た大東亜戦争玉砕を讃える詩3篇

  
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2007年05月20日

◎「俺は、君のために・・・」は心の記録映画

特攻隊員と靖国神社「俺は、君のためにこそ死ににいく」を見てきた

第二次大戦末期、特攻隊基地のあった鹿児島県で隊員たちと交流を持った女性の体験をドラマ化した感動巨編。製作総指揮は東京都知事で作家の石原慎太郎。隊員から母のように慕われた鳥濱トメ本人の口から若者たちの真の姿を聞かされた石原が自ら脚本を書き上げた。特攻隊員役に徳重聡、窪塚洋介、筒井道隆らが挑むほか、トメ役には大女優の岸惠子がふんする。出撃前の隊員たちの測り知れない苦悩や衝撃的な特攻シーンに言葉を失う

と紹介されている

 

鳥濱トメさん特攻隊員の話は過去にテレビドラマ化されたり、

映画化されておりその殆んどの作品を見ている

日本人のセンチメンタリズムと戦後半世紀余り続いた左翼思想のまん延が、

彼らの純粋に国を思う心、人間として儚(はかな)きものを慈しむ心を捻じ曲げて表現し、

その殆んどをつまらない作品に貶めていた。

 

しかし今回の「俺は、君のためにこそ死ににいく」は、

淡々としていて、姑息なツクリもなく、

大学時代に読んだカッパブックスの『戦没学生の手記』を読んで、

当時の若者たちの国を思う純粋な気持ちに感動したあの青春時代を思い起こさせた。

 

この映画はドラマとしての大きな山場もなく、当時の若者がどのような状況下に置かれ、

親のため、妻のため、兄弟のため、恋人のために生への執着と諦めをよく表現しており、

涙なくしては見ることができない。

 

ヒトによってはこれを反戦映画と見ることもできるし、

「パッチギ」の井筒監督のようにこの題材を取り上げただけで、

戦争を美化していると捉えるヒトもいる。

 

私は思想性をあえて取り上げることなく、

「当時の若者たちと彼らの苦しみを少しでも取り除いてやろうとした、

一人の女の心の記録映画」として位置づけたい。

 

「俺は、君のためにこそ死にに行く」

http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail/tydt/id324782/

 

  
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2006年12月16日

◎慰霊の島「硫黄島」

硫黄島の擂鉢山

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

姉妹作「父親たちの星条旗」に引き続き「硫黄島からの手紙」を観てきた。

「・・星条旗」よりも比較的良くできていたと思う。

 

物語は戦況が悪化の一途をたどる19446月、陸軍中将の栗林忠道(渡辺謙)が、本土防衛の最後の砦ともいうべき硫黄島へ指揮官として着任したところから始まる。

 

そこには一軍の将栗林中将から一兵卒までの人間模様が描かれる。

弱みを見せられない高級将校と虚勢をはって生きなければならない青年将校、人間性丸出しの兵隊たち。極端に走りすぎかなとも思うが所詮は外国人の作った映画、日本の共産党シンパの監督たちが作った映画よりずうっと観やすかった。

 

25年ほど前、硫黄島に行ったことがある。擂鉢山から海軍の司令部壕まで見たことがある

 

一番強烈な印象は地熱の物凄さであった、洞窟の中に入ると一瞬メガネがクモリ、汗が吹き出てきた。

壕の外に出てきた時は全身が汗でびっしょりであった。

またつい1〜2週間前に新たに発見されたという壕は滑走路の脇に入口があり、榴弾砲の実弾が弾薬置き場に積み残されており、飯ごうとかビンとかがまだ残っていた。

 

7月半ばであったこともあり、砂浜が焼けて照り返しに凄まじいものがあった。

井戸を掘っても水は出ず、雨水を溜め煮沸して飲んだとあった。

壕の中での生活で苦労するのは大便の処置である。

バケツ等に溜めてそれを外に捨てるのである。一ヶ月も篭っているとウンチも白くなったとある。

 

擂鉢山の砲台はほとんどが海岸に転げ落ちていた。

敵艦からの艦砲射撃で砲台の土台を打ち砕かれ、転げ落ちたのだということだ。

良くこんな悪条件の中で36日間も戦い抜いたものだと驚嘆したものだった。

 

米軍は硫黄島占領後、直ちに飛行場を設営するため、日本軍の遺体収容を待たず日本軍陣地を埋めてしまった。

そのため未だ一万数千人の遺骨収集ができていないという。

島が日本に返還されて、自衛隊が使用しているが飛行機の発着のたびに日本軍兵士の遺骨を踏みつけているのです。

この硫黄島こそ日本国内で米軍を打ち負かし、そして矢弾尽き果てるまで善戦敢闘し玉砕した日本軍の聖地として、永く歴史に刻むべき慰霊の島と思う。

米国人が作った割には手前味噌の部分は比較的少なく、一見に値する映画でした。

 

兵の生きざま

http://comorebinosato.seesaa.net/article/29770003.html

  
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2006年07月22日

◎絶妙のタイミングで出てきた「昭和天皇A級戦犯に不快 富田メモ」

マッカーサー今この時期に“富田メモ”をスクープした日経新聞

いかに反靖国派は小泉首相の靖国神社参拝阻止に躍起になっているかがわかる。

今回の“富田メモ”に対する評価はこれを本物としたとしても、

昭和天皇は三国同盟締結を推進した松岡元外相、白鳥元イタリア大使に対して不快感を持っていたことが学問的にわかっただけで、これによって分祀論者が政治利用をすることは避けなければならない。

いま近代民主主義の日本が昭和天皇の感情論で国の鎮めの方向が変わることは許されないことである。

 

天皇ご一家の発言は尊重されなければならないが、その通り実施するかどうかは国民が判断することである。

かって今上天皇が朝鮮半島の百済とのゆかりについて話されたことがあったが、良識ある国民はいまこの時期に天皇陛下もつまらないことを言うという批判的意見もあった。

また皇太子が雅子妃殿下を庇う余り非人間的発言をしてヒンシュクをかったり、婚約会見だったと思うが一般庶民と変わらない「全力でお守りする」発言があったりで、一喜一憂すべきものではない。

日本の伝統文化の家元として、日本精神の中枢としての天皇陛下とそのシステムは断固守らなければならないが、天皇陛下ご一家と皇族の方々の感情論に右往左往するべきではない。

 

国民も昭和27年に成立した「戦傷病者戦没者遺族等援護法」により戦争裁判による死亡者や拘禁中の傷病者は一般の戦没者、戦傷病者と同様に扱うことになり、昭和28年8月の国会では、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で採択された。これを受け、政府は関係各国の同意を得て、死刑を免れたA級戦犯やアジア各地の裁判で裁かれたBC級戦犯を釈放した。また、刑死・獄死した戦犯の遺族に年金が支給されるようになった。

これらにより日本には「戦犯」というものがいないのである。

 

期せずして小林よしのりの「いわゆるA級戦犯」米田建三帝京平成大学教授の「日本の反論 戦勝国の犯罪を検証する」がでている。

今回の問題の本質を知るよい資料となりうる。

 

****************************産経新聞18.7.21付 主張から引用

■富田長官メモ 首相参拝は影響されない

 昭和天皇がいわゆる″A級戦犯″の松岡洋行元外相らが靖国神社に合祀されたことに不快感を示したとされる富田朝彦元宮内庁長官のメモが見つかった。昭和天皇の思いが記された貴重な記録だ。

 昭和天皇が松岡元外相を評価していなかったことは、文芸春秋発行の『昭和天皇独白録』にも記されている。富田氏のメモは、それを改めて裏付ける資料だ。メモでは、昭和天皇は松岡氏と白鳥敏夫元駐伊大使の2人の名前を挙げ、それ以外のA級戦犯の名前は書かれていない。

 靖国神社には、巣鴨で刑死した東条英機元首相ら7人、未決拘禁中や受刑中に死亡した東郷茂徳元外相ら7人の計14人のA級戦犯がまつられている。

メモだけでは、昭和天皇が14人全員のA級戦犯合祀に不快感を示していたとまでは読み取れない。

 政界の一部で、9月の自民党総裁選に向け、A級戦犯を分祀しようという動きがあるが、富田氏のメモはその分祀論の根拠にはなり得ない。

 天皇の靖国参拝は、昭和5011月を最後に途絶えている。その理由について、当時の三木武夫首相が公人でなく私人としての靖国参拝を強調したことから、天皇の靖国参拝も政治問題化したという見方と、その3年後の昭和53年10月にA級戦犯が合祀されたからだとする考え方の2説があった。

 富田氏のメモは後者の説を補強する一つの資料といえるが、それは学問的な評価にとどめるべきであり、A級戦犯分祀の是非論に利用すべきではない。まして、首相の靖国参拝をめぐる是非論と安易に結びつけるようなことがあってはなるまい。

昭和28年8月の国会で、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で採択された。これを受け、政府は関係各国の同意を得て、死刑を免れたA級戦犯やアジア各地の裁判で裁かれたBC級戦犯を釈放した。また、刑死・獄死した戦犯の遺族に年金が支給されるようになった。

 戦犯は旧厚生省から靖国神社へ居られる祭神名票に加えられ、これに基づき「昭和殉難者」として同神社に合祀された。この事実は重い。

 小泉純一郎首相は富田氏のメモに左右されず、国民を代表して堂々と靖国神社に参拝してほしい。

 

「富田メモ」とA級戦犯合祀をめぐる主な動き

http://wildhorse-depot.seesaa.net/article/21194426.html

 

 いわゆるA級戦犯―ゴー宣SPECIAL
日本の反論―戦勝国の犯罪を検証する

  
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2006年07月11日

◎落ち目の加藤紘一議員 靖国論はあんたの負け!

日本軍文藝春秋の8月号で上坂冬子氏と加藤紘一議員とで靖国問題のバトルをやっていた

前々から加藤氏の言動には日本人として馴染めないものを感じていた

新たな戦没者追悼施設の建設を求める超党派の議員連盟は山崎拓会長を始め自民、民主、公明あわせて約130人もいるそうである

もちろんこれにはアベちゃんに続く人気の福田康夫氏、加藤紘一氏が含まれている

靖国に代わる新たな戦没者追悼施設の建設には断固反対するというのが私の立場

 

国の慰霊に関して他国から内政干渉される筋合いはない

中国・韓国の狙いは国家の基本的事項に関して、常に干渉して日本を意のままにしようとしている

日本では軍事問題はあまり重視していないが、諸外国は国家存立の基本であると考えているのである

 

国に命を捧げる覚悟の軍人が戦死した後、どこでどのように祀られるかというのは士気にかかわる重要な問題である

それをいつまでも決めさせないのは調略の一種で間接侵略の範疇に入ると判断する

まさに中国の遠謀深慮である

 

この対談のなかで加藤氏は常に中国の意向を聞きながら政策を決めていると言っている

上坂氏から加藤さんは「それはともすれば中国の言いなりになっているような印象を受ける」と指摘されているp132下段 中

 

また加藤氏はドイツのナチ指導者と日本のA級戦犯をナチと同じに考えていると発言

上坂氏から日本はナチのように残虐なことをしていないと東京裁判でも認められていると指摘された

中国は東京裁判に一切関係していないしサンフランシスコ平和条約にも調印も批准もしていない

中国が国際的立場でA級戦犯について云々する資格はないと反論

 

加藤氏は中国・韓国に謝罪をしなければならないと主張したのに対して上坂氏は謝罪は必要ないとピシャリと撥ねつけられている

 

この対談のなかで靖国の遊就館の展示内容について自虐的な内容になっていないと指摘している

どこの世界に戦没者を慰霊する施設の展示内容をこの人たちは侵略に加担して死んだ悪い人たちですと展示ができますか

「加藤よ!お前はそれでも国の指導者か!」と問いたい

 

かって エジプトの軍事博物館を見学したことがあるが

エジプトの軍人はイスラエルとこんなに勇ましく戦い、国を守ったのだという展示内容になっていた

これが世界の常識である

展示内容に好みがあったとしても、如何に雄雄しく戦ったかを展示しなければ意味がない

 

日本遺族会会長の古賀誠はこんなことを言っている

靖国を国家護持にして鳥居も御神体も外し、神社の宗教色をなくすることも考えているらしい

しかし戦没者を慰霊をするのに宗教色なくして御霊が安らかになるであろうか

私は今の靖国の形態を変えるべきではないと思う

 

現に毎年数回お参りしているが、キリスト教徒も仏教徒もお参りしているのを見たことがある

神道は寛容の宗教であり八百万の神である

私はありのままの靖国神社であって欲しいと祈っている

 

ものごとに対する知識はないが、腹だけはあるのは小泉首相

ものごとに対する知識だけはあるが、腹がないのは加藤紘一

ある本にこんなことが書いてあったのを思い出す

加藤氏の同期生の中には“加藤紘一を総理大臣にさせてはいけない会”というのがあると聞いたことがある

ムベなるかな加藤紘一

 

2年ほど前に上坂冬子氏と国の慰霊について、3時間ほどサシで話したことがある

彼女は自分の美学を持っている女傑

腹の座っていない加藤さん あんたではハッキリ言って勝てません

◎ヴァチカン代理公使ブルーノ・ビッター神父に助けられた靖国神社

http://blog.livedoor.jp/wildhorse38/archives/50006717.html

 

◎千鳥ヶ淵戦没者墓苑、靖国神社と国立追悼施設

http://blog.livedoor.jp/wildhorse38/archives/26450184.html  
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2006年01月19日

◎靖国参拝を外交カードにしたのは中曽根元首相の軽率な行動

マレー作戦日本人は過去自分たちの先輩が日本人としての矜持と裁判の不当性を訴えて戦後処理したことを無視しようとしているのか、それともその事実をしらないのか、あまりにもお粗末な政治家と世論である。

 

戦後戦犯の裁判で処刑された人たちの名誉回復が行なわれ、法的にも国民世論的にも納得したことを中国の外交カードに乗せられて、今もって中国の立場でモノを言う政治家やマスコミがいる限りこの問題はいつまでも使われよう。

 

中曽根元首相は一国の慰霊の話を、中国の友人を掩護するために利用したところに、そもそもの間違いがある。

彼は後世に禍根を残したまま、いまも自分のやった誤りを糊塗しようとA級戦犯に処せられた方たちを分祀せよと小泉首相の足を引っ張る。

産経新聞の「一筆多論」に基本的なことをまとめて書いてあるので紹介する

 

****************************産経新聞 一筆多論から引用

忘れ去られた民族の知恵

               一筆多論            中静敬一郎

 小泉純一郎首相が年頭会見で、自らの靖国神社参拝に関し、「日本人からおかしいとか、いけないとかいう批判が出るのは理解できない」と語ったことは、国論が割れていることへの危機感を示したものだろう。

 この問題をめぐる最大の対立点は、靖国神社に合祀されている、いわゆる「A級戦犯」問題だ。

 

 だが、指摘したいのは、A、B、C級の区別なく、「戦犯」の名誉は法的に回復され、決着済みということである。

 日本が独立(昭和二十七年四月二十八日)した直後から、極東国際軍事裁判(東京裁判)などによって断罪された人たちの釈放を求める国民運動が展開された。署名は約四千万人にのぼった。

 

 「戦犯」の家族や遺族が貧困のどん底に喘いでいたことへの同情にとどまらず、当時の日本人は東京裁判の根拠が事後法であり、罪刑法定主義や法の不遡及性に違反する不当な裁判だったことを熟知していたからにほかならない。

 

 外相だったが、戦争には一切関係なかった重光葵が「A級戦犯」になったのは、ソ連が指名したからだ。理由は、駐ソ大使だったからとされている。それが受け入れられたのは、ソ連に反対されたら、裁判自体が成り立だなくなるためだった。重光は禁固七年の有罪判決を受けた。

 

 昭和二十八年八月三日、衆院は「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」を全会一致で採択した。国会議員も、右も左も関係なかった。これを受け、受刑者などを対象とする遺族援護法や恩給法の改正が、社会党も含めた全員の賛成で成立した。これにより遺族年金の対象となる人たちは靖国神社の合祀対象の基本名簿に入り、「A級戦犯」合祀となった。

 

 日本は国際的には、サンフランシスコ講和条約11条の「戦犯に関する規定」を受諾したものの、国内的には「戦犯」を「犯罪者」とみなさなかった。それが当時の日本人の総意だったろう。重光は釈放後、外相として国連加盟式典に参列、戦勝国から万雷の拍手を浴びた。国際社会からも受け入れられたといえなくはない。

 

 一方で、首相の靖国参拝も淡々と行われた。昭和二十七年十月十七日、吉田茂首相は独立後、初めて靖国神社を参拝した。翌日の朝刊は、朝日も産経も、東京版の「例大祭始まる」で首相参拝に触れた程度だった。政治ニュースとして扱われておらず、首相参拝は、当たり前の光景だった。

 

 「A級戦犯」合祀が判明した直後の昭和五十四年四月、大平正芳首相は春の例大祭に参拝した。

 中国が抗議したのは、それから六年後の昭和六十年八月十五日、中曽根康弘首相の公式参拝の後だった。それまでの三十三年間の首相参拝を外国は批判したくても付け入る隙がなかったのだろう。

 

 だが、中曽根氏が翌年、「胡耀邦総書記を守らなければいけない」 (『正論』平成十三年九月号)と、参拝を見送った以降、靖国問題が政治力ードとして利用されているのはご存じの通りだ。

 

 最近では、先の戦争の敗北責任はあいまい、という指摘が出ている。うなずける部分はあるが、それを含めて、日本人は「戦犯」問題に決着をつけたのではなかったか。戦争が合法だった時代を今の価値観でさばくことができるのか、という先人たちの思いも込められていたように思える。

 

 大平首相が参拝後、「A級戦犯あるいは大東亜戦争というものに対する審判は歴史がいたすであろう」と語った通りである。外国の介入により国論が分断されるという惨状は、こうした民族の知恵が忘れ去られたためといえよう。

  
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2005年10月17日

◎小泉首相 帳面消しの靖国神社参拝

小泉首相の靖国参拝

懸案事項であった小泉首相の靖国神社参拝が“秋の例大祭”初日にあわせ実施された。

私は秋の例大祭には必ずお参りするとは思っていたが、こんな気の抜けたおまいりをするとは思っても見なかった。

 

どうせするなら一国の首相らしくモーニングの正装でやって欲しかった。

時期、形式には外国に配慮、「私的」色彩を強めたとある。

 

総理大臣の靖国参拝に私的も公的もあるものか

この馬鹿げた区別は夫婦して日本を貶めている三木元首相が言い出したことである。

それ以来首相たるもの毅然とした態度でお参りができなくなってしまった。

結局「腰砕けの小泉首相」という評価が定着するだろう。

 

マスコミがアジア諸国の反発と報じているが、いつもわが国の慰霊に関してケチをつけるのは中国・韓国の反日国家だけである。

今回の両国の反応を見て欲しい。

これは“出来レース”と見ている。

両国には外交ルートで事前に了解を取っており、

「あんまり目立たない程度にやるから了承してくれ!」と申し込んだに違いない。

だからこんなインチキ臭い参拝をしているのである。

 

私が英霊または遺族であったならこういうでしょう

「日本国を代表する総理大臣としてお参りできないのならくるな!」と・・・。

 

*******************17日 読売夕刊 引用

○小泉首相、靖国神社を参拝昇殿・記帳せず

 小泉首相は17日午前、東京・九段北の靖国神社を参拝した。首相は就任以来、年1回の参拝を事実上の公約としており、今回が5回目。内閣の最重要課題である郵政民営化関連法が14日に成立したことを踏まえ、17日からの靖国神社の秋季例大祭に合わせて参拝に踏み切った。

 首相は、本殿には昇らずに拝殿前の参拝にとどめ、記帳もしなかった。国内外の批判などに配慮し、「私的参拝」の色彩を強めたと見られる。

 しかし、靖国参拝中止を求めてきた中国、韓国は強く反発しており、今後の外交日程にも影響が出そうだ。

 グレーの背広姿の小泉首相は午前10時過ぎ、公用車で靖国神社に到着した。同12分ごろ、拝殿の前で一礼した後、さい銭箱にお金を入れ、30秒間ほど手を合わせた後、再び一礼した。献花料や玉ぐし料は出さなかった。

 過去4回の参拝は、モーニングか羽織はかま姿で、本殿に昇って祭壇に一礼していた。「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳し、私費で献花料も納めていた。

 従来の参拝形式を変更したのは、「公式参拝」との批判をかわす狙いなどがあると見られる。

 首相の靖国参拝について、大阪高裁は9月30日、「職務行為で、憲法で禁止された宗教的活動にあたる」として違憲と判断した。一方、東京高裁は同月29日に「私的行為」として憲法判断をしないなど、司法の判断は分かれている

 首相が秋に参拝したのは初めて。靖国神社側は「歴代首相は例大祭中に参拝している」として、17〜20日の秋季例大祭中に参拝するよう求めていた。

 小泉首相は17日昼の政府・与党連絡会議で、「内閣総理大臣・小泉純一郎としてではなく、一国民として心を込めて参拝した。二度と戦争を起こしてはならないという不戦の決意で祈った。今日の日本があるのは、心ならずも戦場で散られた皆さんのお陰だという気持ちだ」と語った。中韓両国との関係に関しては「アジア諸国との関係は未来志向で進めたい」と述べた。

 細田官房長官は17日の記者会見で、周辺国への事前連絡については「ないと理解してほしい」と述べた。

 首相は2001年4月の自民党総裁選で、終戦記念日の8月15日の靖国参拝を公約した。しかし、同年は、外交関係に配慮し、参拝日を8月13日に繰り上げた。その後、02年は4月21日、03年は1月14日、04年は1月1日にそれぞれ参拝した。

 首相は、今年の靖国参拝について「適切に判断する」と語っていた。これに対し、中国の胡錦濤国家主席や韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は再三、首相に参拝中止を求めていた。

  
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2005年09月27日

◎諸外国のVIPが参拝をする靖国神社

秋季例大祭(10月17〜19日)が近づいてきた

例のごとく中国・韓国が国の慰霊について内政干渉をしてきている。

腰の定まらない政府要人たち、儲けるために魂を売った財界の首脳たち

日本人のあなた達がオタオタしている間に諸外国の要人たちが靖国神社に参拝をし、日本の英霊に礼を尽くしておりますよ!

眉に唾つけている方のために以前に「正論」で紹介された資料を提供します。

 

 

靖国神社への外国人昇殿参拝者

http://wildhorse-depot.seesaa.net/article/7390544.html

イタリアの士官候補生

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やすくにの祈り―目で見る明治・大正・昭和・平成
米国空軍士官候補生

  
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2005年09月10日

◎「勝負あり!」「国士 上坂冬子」にメンを取られた石原慎太郎 

靖国神社永年 靖国神社について研究をしてきたモノとして、先日の石原慎太郎氏の『日本よ』での意見は賛成しかねる。

 

石原氏の論旨は、いわゆるA級戦犯とされた日本の指導者たちの敗戦の責任を明確にしなかったことが、今日の混乱を生じさせているとし、東条元首相の靖国合祀に異議を申し立てている。

しかし私は昭和二十八年八月三日に「戦犯の赦免に関する決議」を衆議院において全会一致で可決した時点で戦犯はいない。国民は納得したと見るべきであろう。

 

実は昨年上坂氏に講演を依頼した関係で3時間ほど個人的に意見を交わす機会があった。

その中で上坂氏は戦犯に関する著書を数冊書いており、戦犯に関する思い入れを述べたが、そこには理不尽な裁判で命を落とした若者たちへの鎮魂と敬意、そして遺族に対する思いやりあった。

今回の上坂氏の『正論』はこれらがベースとなっており、石原氏の敗戦の責任論に注文をつけたものである。

わたしは上坂氏の方が正論であると見たが・・・

 

***********************************産経910日『正論』引用

○石原氏の『日本よ』の論に異議あり

 

●戦犯の戦争責任と合祀は別問題  

            ノンフィクション作家 上坂 冬子

現実論としてどうなのか

 石原慎太郎氏にたてつこうとは思わないが、本紙九月五日付『日本よ』のA級戦犯に関する論に異議がある。

 石原氏は先の戦争に関し、日本は極東国際軍事裁判によって自国に犠牲をもたらした真の戦争遂行責任者を棚上げしてしまったとして、東条英機元首相らが靖国神社に合祀されているのを批判していた。

 

 国際裁判とは別に、日本人の手による戦争責任の追及がなされるべきだったということだろう。

 それは、そのとおりだ。しかし、現実問題として敗戦日本は何をどうすべきだったと言いたいのか。

 国内だけ見ても、敗戦が昭和二十年八月で、十月にはBC級戦犯狩りが始まっている。東条元首相らA級戦犯が起訴されたのは、翌年四月だ。

 

 巣鴨プリズンで最初に絞首刑になったのは、二十六歳の陸軍中尉で、彼は捕虜取容所の所長の責任を問われ、わずか一週間の裁判で判決が下っている。処刑されたのは敗戦翌年の四月であった。

 この慌しさの中で振り回されるしかなかったのが敗戦国の現実なのだ。つまり戦勝国は占領日本に、日本人自身の手による責任の追及など許さなかったのである。

 

 過日、NHKで靖国問題を取り上げたときにも、かつてBC級戦犯に問われた人が真の戦争犯罪人たる上官は難を逃れたと憤懣をもらしていたから、日本人による責任追及がなされていないという批判は人々の胸のしこりになっていると思われる。

 

 しかし、だからといって今となっては打つ手などあるはずがない。六十年前、陸海軍両省のあったころの日本にさかのぼって、組織図からひもとけとでもいうのだろうか。

 仮にそうだとしても、平和な時代に身をおいて、あの時代を判断すれば、見当外れとなるのみだ。この件について私たちにできるのは、戦争と戦後の理不尽をかみしめることだけだろう。

 

● なすべきことなした日本

 過日、東京イイノホールでたった一日だけ、四時聞半におよぶドキュメンタリー映画『東京裁判』(小林正樹監督)が上映された。初公開から二十二年ぶりであったが、あらためてあの裁判の不法を

示して見応えがあった。

 

 裁判長と検事が対立して裁判長は法廷を投げ出したかのようにいったん母国オーストラリアに帰ったり、弁護士が原爆の犯罪性について触れたのを当初は公判記録から削除したりしたのを目の当たりにして私はあきれるのみだったが、当事者たるA級戦犯たちは、あの裁判に身をさらすことによって十分に制裁を受け、自らの責任をも思い知らされていたことだろう。

 

 対日平和条約発効後に、独立日本として取るべき態度があったはずという意見もある。

 実はあまり知られていないが、当時の日本はなすべきことをなしているのだ。

 平和条約第11条は日本に戦争犯罪人の判決の受け入れを命じ、拘留中の戦犯を釈放するときには戦勝国との間でしかるべき手続きを行うべしと規定している。日本政府は条約どおりの手続きを経て、昭和二十八年八月三日に「戦犯の赦免に関する決議」を衆議院において全会一致で可決した。

 

 条約にしたがって手続きを終え、戦勝国の了解の下に解決した以上、国際的にも異論のあろうはずはない。

 公平に見て、以後、日本に戦犯は存在しないと私は思っている。

 外地から引き揚げてきた戦犯も巣鴨プリズンに収容されていたが、なし崩しに釈放されで昭和三十三年にプリズンは閉鎖され、跡地は巨大ビルとなった。     ‘

 ともあれ、日本は戦勝国の裁きを受け、千人を超える戦犯の命と引き換えに平和を取り戻したのである。

 

 不毛の靖国論議に止めをいかなる犯罪であろうと、裁判を受け、刑に服して処刑されたら、その案件は落着したものとみなされる。それを今頃になって、日本人の手で責任を追及しなかったから、

靖国から外せといわんばかりの論を立てるのは他意あってのことであろうか。

 

 たしかに靖国神社にも未整理な部分はあろう。但し、これはA級戦犯の合祀とは別問題だ。

 結党五十年を迎えて、自民党は新しい旋律を模索していると問いた。もしそうなら、手始めに国内外の不毛の靖国論議に止めを刺すべく、日本は独立二年目に自らの手で戦犯問題を決着済みだということを、政府見解として近隣諸国に連告するのが先決だ。

   (かみさかふゆこ)

  
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2005年08月15日

◎60回目の終戦記念日と国民の怒り

靖国の御霊政府主催の全国戦没者追悼式が天皇、皇后両陛下をお迎えして、先の大戦で命を落とした約310万人の冥福をを祈り平和を祈った。

超党派議員47名が靖国神社を参拝した。

しかし今年も小泉首相の靖国神社への参拝はなかった。

中国、韓国の主権侵害に乗ることは日本国民を卑しめるだけでなく、靖国の英霊をも貶めているのです。

我々日本人はいつになったら日本人としての誇りを持てるのか。

 

 

  
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2005年08月14日

◎ヴァチカン代理公使ブルーノ・ビッター神父に助けられた靖国神社

8.15の靖国神社

 GHQが靖国神社を焼き亡ぼす計画を実行しようとしていたのをご存知ですか

 アメリカ占領軍は日本との戦の中でその敢闘精神の根源は靖国神社にありとして、大変恐れており日本軍人の骨抜きをやろうとしたのである。

 

道徳的見地からしてももとよりであるが、長い眼で見ての、後年に及ぶ宿怨の種子を蒔いたりはしない、との打算の面から見ても、戦い終って後の更なる敵愾心・復讐心の発露は結局害あって利なしの結果を来すものなのである。

 

 ところがこの時、米占領軍は、日本の「無条件降伏」を勝ち取ったのだ、という誤った思い込みにとりつかれていた。それは、敗者は勝利者からどんな扱いを受けようとも一言も抗弁で

きる立場にない、ことを意味するものだった。

 

そこで彼等にはひどい傲り、思い上りが生じていた。それが靖国神社を焼却することによって日本人の抵抗心を完膚なきまでに叩きのめす、という発想につながった。

 

『靖国神社百年史』の第十三章「終戦と靖国神社」の中に「聯合国最高司令部との交渉」の一節が設けられているが、そこでも全くこのことにはふれられていない。それならばこの狼藉沙汰は根のない噂話にすぎなかったのかというと、そうではなくてたしかにあった話である。それはこの計画を未然に防ぎ止めるべく努力した関係者の証言によって確かめることができる。

 

 この乱暴な計画の実現を阻止した人とは、終戦直後から昭和二十七年まで日本駐在のローマ教皇庁代表にしてヴァチカン代理公使を務めていたイエズス会のブルーノ・ビッター神父である。

 

靖国論マッカーサー及び占領軍司令部当局は、司令部内に靖国神社焼却処分の意見が多数派を占めたことを認識していた。しかしさすがにその案を直ちに実行に移すことには躊躇を覚えた。

 

キリスト教会の意見をも聴くことが必要と考えて、上記のビッター神父に諮問を送り、教皇使節団としての統一見解を文書を以って回答されたい、と要望した。その時の同神父による答申の要旨を水交会の会長を務めておられた木山正義氏が、神社の社報『靖国』の昭和五十入年七月号紙上に紹介している。

 

●ビッター神父の答申

 「自然の法に基づいて考えると、いかなる国家も、その国家のために死んだ人びとに対して、敬意をはらう権利と義務があるといえる。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。無名戦士の墓を想起すれば、以上のことは自然に理解出来るはずである。

 

 もし、靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は、米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残ることであろう。歴史はそのような行為を理解しないにちがいない。

 

はっきりいって、靖国神社を焼却する事は、米軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。

 靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根元であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。

 

我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである。」

 

 以上の如き要旨の答申が副官H・B・ウイラー大佐を通じてマッカーサー将軍に送達され、将軍はこの答申を尊重して靖国神社焼却には中止の命令を発した。

 

実は伊勢神宮、明治神宮(これは戦災を受けている)、熱田神宮に対しても同じ様な処置が検討されていたということであるが、靖国神社一件のこの落着によって占領軍は一連の暴挙を思いとどまったらしい。

 

神道の靖国神社がカソリックの神父に助けられたというのも何か皮肉のようなものも感じますが、しかし、神道は八百万の神であることから、多くの宗教と敵対せずに受け入れてきたのと、ビッター神父が慰霊の本質をきちんと理解していたからだと思う。

 

靖国神社と日本人

ようこそ靖国神社へ

  
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2005年06月27日

◎千鳥ヶ淵戦没者墓苑、靖国神社と国立追悼施設

千鳥が淵千鳥が淵戦没者墓苑は、先の大戦において海外で亡くなられた戦没者のご遺骨を納めるため、昭和34年、国により建設された「無名戦没者の墓」です。

ここに納められているご遺骨は、昭和28年以降政府派遣団が収集したもの及び戦後海外から帰還した部隊や個人によって持ち帰られたもので、軍人軍属のみならず、海外において犠牲になられた一般邦人も含まれており、いずれも遺族に引き渡すことの出来ないものです。

***************** 読売からの抜粋

 小泉首相の靖国神社参拝問題を打開するため、新たな無宗教の国立追悼施設の建設を求める動きが出ている。類似の追悼施設としては、すでに「千鳥ケ淵戦没者墓苑」がある。

千鳥ケ淵戦没者墓苑は1959年に完成した。

先の大戦中に主に海外の戦地で亡くなった戦没者(約240万人)の遺骨のうち、身元不明や親族がいないために、遺族に引き渡せない遺骨35万926人分(2005年5月30日現在)が納められている。

軍人・軍属だけでなく民間人も対象だ。海外の戦地のほか、日本周辺海域の沈没船や沖縄県や硫黄島などから収集した遺骨も含まれる。

納骨者数 日本政府は主権回復後の1953年1月から、国交を回復した国や、了解が得られた国に対し、遺骨収集団を派遣した。同年12月、いわゆる“無縁仏”の遺骨を慰霊する「無名戦没者の墓(仮称)」の建立を閣議決定し、「維持管理は国の責任において行う」とした。

具体化に向けて54年6月から、関係省庁や国会議員、全国知事会に加え靖国神社、日本遺族会、日本宗教連盟などが参加し、厚相の元で官民協議会が開かれた。

靖国神社の崇敬者総代は神社の境内に施設を作るよう要求した。

納骨される戦没者の大半は、靖国神社に祭神として御霊が祭られているためだ。だが、境内が手狭なことや、政教分離乞定めた憲法20条との関係から、見送られた。

この地には戦前、賀陽官邸や官内大臣官邸があったが、45年3月の東京大空襲で焼け野原となった。施設の名称は『無名』という言葉が日本語として成熟していない」 (厚生省資料)との指摘があったため、「千鳥ケ淵戦没者墓苑」になったという経緯がある。

********************読売新聞 6.26付け 抜粋

新たな無宗教の国立追悼施設の建設には反対である。

    国の慰霊に関し他国から内政干渉を受け他国の意のまま新たな追悼施設を設けることは主権侵害を受け入れたということ

    靖国神社で会おうと言って命を捧げた英霊の思い入れに背くことになる

    靖国神社の形骸化

 

今回かの国のイチャモンを受け入れたら最後、これで味を占めて次から次へと日本をつぶしにかかるでしょう。

考えても見てください。

他国を意のままに動かせるくらい楽しいものはないと思います

我々日本人がアメリカ、ロシアの大臣をクビにしたり、アーリントン墓地には昔日本の敵だった政治家、軍人が埋葬されているのが許せない。ブッシュ大統領に日本人が不愉快に思っているのだからお参りに行くべきではない。と言ったらワシントンポストやニューズウィークが日本の言うことはもっともだというだろうか。言うわけがない。これと同じレベルの話です。

 

日本の政治家、マスコミ、官僚、すべてが日本国民第1に考えず、他国優先のお人よしというかお追従者だといわなければなるまい。

中国も韓国も力で抑えない限り、未来永劫日本に難癖をつけ続けるということをしっかり認識する必要がある。

 

ところでそれぞれの慰霊施設にどれだけの人々がお参りしているでしょうか。

靖国神社には年間600万人がお参りをするという。

千鳥が淵はどうかというと管理している方に訊いたところ1日に200くらいでしょうかというので私もしばらく墓苑にいたが15分に12名くらいしかお参りに来なかった。ただし4月の花見シーズンにはかなりの数になるということであった。千鳥が淵戦没者墓苑には多く見積もっても年間5万人も来ないということです。

中国・韓国のために新しく無宗教の戦没者慰霊施設を造ってもお参りする人が増えると思えない。

西行法師が伊勢神宮に参宮したときにこんな歌を詠っております。

「何ごとの 在(おわ)しますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるゝ」と。

人間はそこに宗教的何かが感じなければ感動はないものです。

特に日本人は鎮守の森でも判るように自然と魂の結びつきが日本人としての証なのです。

この分野に外国人が入り込んでとやかく言うのは許してはならないのです。

 


神道を知る本―鎮守の森の神々への信仰の書
靖国神社と日本人
ようこそ靖国神社へ
新版靖国論集―日本の鎮魂の伝統のために

  
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2005年06月25日

◎沖縄の慰霊 硫黄島、サイパンの慰霊

◎沖縄

沖縄戦の推移昭和20年(1945)4月1日米軍は沖縄本島に上陸した。

日本軍は牛島中将を指揮官として約9万6000(含む海軍1万)沖縄の現地召集兵約2万5000名のほか、女学生をはじめ、男性は軍属や衛生兵、看護婦として徴用された。

 

 沖縄戦終結から60年目の慰霊の日を迎えた6月23日、沖縄県糸満市の「平和祈念公園」で沖縄全戦役者追悼式が行われた。 公園内にある犠牲者の氏名を刻む「平和の礎(いしじ)」には今年、720人が追加刻銘され、合計23万9801人となった。追加は、沖縄へ向かう途中に撃沈された戦艦大和や、鹿児島から陸軍部隊を輸送中に撃沈された富山丸の乗組員らで、早朝から手を合わせる遺族の姿が見られた。

 

 沖縄では住民を巻き込んだ悲劇的な地上戦が展開され、軍民合わせて18万8000人が戦死した。この中には、旧制中学校の生徒らによる「鉄血勤皇隊」や、高等女学校の女生徒らによる「ひめゆり部隊」の戦死者も含まれでいる。なお米軍は陸・海軍、海兵隊合わせて1万2500人が戦死した。

 

 追悼式で、小泉純一郎首相は「この地に眠る御霊のご冥福と遺族のご多幸を心からお祈り申し上げます」とあいさつした。

 

 また、沖縄戦に向け、計2571機の特攻機が出撃した。海軍が誇った戦艦「大和」が派遣されたが、途中で米軍の猛攻撃を受けで沈んだ。

 

     沖縄戦跡めぐりをして

沖縄には古くは昭和45年夏、まだ返還前で通貨紙幣としてドルを使っており、1ドルが360円でヤミの両替屋がはびこっていた。本土のビール1本、ジョニ黒1杯がそれぞれ1ドルの時代であった。

 

米軍と激戦の地であった嘉数高地、前田高地を見学、戦闘陣地として使われた亀甲墓といわれる沖縄独特の先祖伝来のお墓、摩文仁の丘周辺の洞窟陣地をめぐった。

各地に張り巡らされた洞窟陣地はいまもって健在であった。

 

その後平成4、5年と2回、平成14年は女房同伴で行った。

その頃には摩文仁の丘に白くそびえ立つ「県立平和祈念資料館」と『祈念堂』が建てられていた。

それはただ大きいだけの遺物であり、ありがたさを感じなかったの私だけでしょうか。

そして観光バスのガイドさんは語り部特有の悲惨さの押し売りオンパレードで辟易したものです。私はただ静かに沖縄戦で亡くなられた方たちのご冥福を祈りたかっただけなのですが・・・。

 

先日TVで北海道の70代のご夫婦が15年間も沖縄に通いつめて、自弁で遺骨収集を実施していると聞き頭の下がる思いがしました。

 

◎硫黄島

suribatiyama 1945年2月19日朝硫黄島に米軍が上陸した。

前年6月から8ヵ月に亘る断続的な空襲の末実施された。

日本軍は栗林中将が指揮する約2万1000人(うち海軍8000人)守備隊は全島に交通壕を張り巡らし、ところどころに大きな洞窟を造った。

 

米軍の上陸に当たっては地下陣地に潜り込んでは飛び出して行き戦車に体当たりしては敵戦車を各座させた。栗林中将が決別の電報を打ったのが3月17日

 

日本軍の戦死者約2万

米軍の戦死者約6800、米軍戦傷者2万2000.米軍の死傷者が日本軍を上回った戦場はここだけである。

 

小泉首相は今月19日、歴代首相で初めて、硫黄島(東京都小笠原村)の戦没者追悼式にも参列した。小泉首相は「尋常ならざる勇気と献身を要求されて戦った兵士たちを思うと、二度と戦争をしではならないと思った」と述べた。

 

     硫黄島戦跡めぐりをして

いまから25年ほど前の夏に硫黄島に行くことがあり、硫黄島をくまなく散策することが出来た。

7月中旬の砂浜は焼けるような暑さで、直射日光と砂浜からの照り返しで脱水症状になり、海上自衛隊の基地内の冷房で生き返ったものです。

 

米軍は日本本土空襲のための中継地点として位置づけ、硫黄島を占領したらすぐ滑走路を造ったため

洞窟内で戦死した兵隊の遺骨収集が出来ないまま今日に至っている。

私が行った12週間前に洞窟が発見され見学を許されたが、滑走路脇の地下壕の中には大砲の弾が20発ほど交通壕をくり貫いた弾薬置き場に放置されたままであ李、つぶれた水筒やビンなど遺品と思われるものが手付かずで残っていた。

海軍司令部壕を見学したが、入口が崩れており、四つん這いで入ったのは良いけれど、地熱が高く、水蒸気でメガネが使えないような悪環境であった。しかし意外と中は広くそれぞれの指揮官室、幕僚作業室、その他もろもろ。ただ中にドラム缶が数本あったのが印象的でした。外に出たら衣服が全身ずぶぬれ状態であった。拠るべき地形といえば島の西南端にある摺鉢山だけである。飲み水は雨水を溜めて使用していた。案内してくれた方のお話の中で「地下壕の中で長いこと戦っていると大便が白くなった」ということです。

 

 

 終戦60年の今年、小泉首相は努めて戦役者の慰霊を重ねているように思われる。その戦役者慰霊の中心施設は靖国神社である。小泉氏は首相に就任した平成13年以降、毎年、靖国参拝を続けている。今年も5度目の首相参拝が行われることを、多くの遺族は願っているのではないか。

 

◎サイパン島

 27、28の両日、天皇、皇后両陛下がサイパン島の戦死者らを慰霊される。両陛下は終戦50年の平成7年、広島、長崎、沖縄などを訪問されているが、外地(米国自治領)のサイパン慰霊は初めてである。

 

1945年6月11日から4日間にわたって連日500機の感情爆撃機が爆弾の雨を降らせた。

日本軍は南雲中将指揮する陸軍約2万8000、海軍約1万5000、

米上陸軍2万のうち1割を死傷させた

邦人約2万のうち多くの人が戦火に巻き込まれ死傷した。

 

http://blog.livedoor.jp/wildhorse38/archives/24845255.html

http://blog.livedoor.jp/wildhorse38/archives/2005-06.html#20050610

 

 天皇の靖国神社ご親拝は、昭和天皇が昭和50年11月に参拝されたのを最後に途絶えでいるが、毎年、春秋の例大祭に勅使が派遣されでいる。

 

 靖国神社には、沖縄や硫黄島、サイパン島などの戦死者を含む246万6000余柱の霊がまつられでいる。国のために戦って武運拙く英霊となられた方々の慰霊は国家の主権行為である。国が一体となって他国からの内政干渉を排して首相が毅然とした態度で靖国参拝をされることをせつに望みたい。それが続けば天皇ご親拝の環境も整うと思われる。


大東亜戦争への道  
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2005年06月10日

◎サイパン島は昔玉砕の島であった。

6月27,8日と天皇皇后両陛下が戦没者慰霊のため訪れるサイパン島は、アメリカ合衆国自治領である北マリアナ諸島の中心的なであり、首都ガラパンもこの島にある。

スーサイドクリフ自殺の崖北緯15°15'東経145°45'で熱帯性海洋気候となり、平均気温は27℃である。面積は122km²、人口58,000人。サイパン島の北にはアナタハン島、南にはサイパン海峡を挟んでティニアン島がある。

古くは16世紀マゼランがこの地を発見し、その後3世紀に渡りスペインの統治下にあった。米西戦争でスペインの支配は終わりドイツに売却される。第一次世界大戦でドイツが敗れると、連合国側であった日本占領し、その後国際連盟委任統治領として、赤道以北の南洋諸島全体に南洋庁を置いた。サイパン島は南洋の中心として、数万人の日本人が移住した。

砲陣地サイパン島の静寂は19年6月11日正午過ぎ、米機動部隊延べ百八十機の艦載機による空襲によって破られた。 この日まで、邦人は「あめりか丸」「さんとす丸」(第一次・三月三日)や「千代丸」(第二次・五月三十一日)で引き揚げたが、「あめりか丸」と「千代丸」は米潜水艦の雷撃を受けて沈没、乗船者のほとんどが行方不明になるという惨事に遭遇した。

これ以降、在留邦人の本格的な本土引き揚げは行われることはなく、サイパンにはおよそ二万人前後の邦人が残され、日本軍とともに米軍の上陸を迎えることとなった。

 6月11日に続き、12日も米軍の延べ四百八十機におよぶ空襲を受け、13日からは艦砲射撃も行われた。サイパンの街はことごとく灰塵に帰した。15日は夜も明けぬうちから米軍の激しい艦砲射撃が始まり、午前8時40分過ぎ、すでに沖で待機していた上陸用舟艇はリーフ(珊瑚礁)目指して前進を開始した。

バンザイクリフの悲劇

 チャランカノアの市街をはさんで北と南の海岸に、第2海兵師団と第4海兵師団の上陸部隊が殺到した。6月11日から4日間で米軍が投じた砲弾・爆弾は3千5百トンにものぼった。

このように米軍上陸の際には住民を巻き込んでの激しい戦闘で多数の犠牲者を出しバンザイクリフスーサイドクリフなど島のあちこちに住民は追い詰められ崖から身を投じたのである。この戦いで島に残っていた日本人住民1万人が死亡した。

サイパン島守備隊 陸海軍あわせて4万3千700名は大勢力の米軍に対し粗末な兵器でよく戦い、余りにも日本軍の抵抗が激しくラルフ師団長を失脚させるほどの抵抗を見せたが、健闘むなしく7月7日世に言うバンザイ突撃”を最後に玉砕した。

しかしジャングルに入りゲリラ戦をやっていた部隊は終戦になっても投降せず、20年12月1日まで抵抗したのである。

天皇皇后両陛下は国内の都道府県全てを回られ沖縄の慰霊碑にも参拝され、海外の戦跡を訪ねる慰霊の旅を実施されると聞き、心安らかなものを感じるのは私だけでしょうか。


大東亜戦争への道  
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2005年06月09日

◎菅さん! 西郷隆盛や白虎隊の少年隊員も靖国神社で御祀りしてますよ!

先日のフジTVの「報道2001年」に出演していたテレビ目線の管直人(民主党)が靖国には「西郷隆盛や白虎隊の少年隊員は祀られていない」靖国神社は問題があると発言していた。

 

鎮霊社ところがどっこい本殿には祀られていないが、本殿左奥に「鎮霊社」という小さなお社には祀られているのです。このお社は昭和40年7月「分社」として建てられ、関係者を除きほとんど知られていない。

 

この施設について、靖国神社編「やすくにの祈り」(1999)にこのように紹介されている。

 

「昭和40年7月13日、嘉永6年(1853年)以降戦争・事変に関係して戦没し、本殿に祀られざる日本人の御霊と1853年以降、戦争・事変に関係した世界各国すべての戦没者の御霊を祀る鎮霊社を元宮南側に建立した。

 

この中には・・・・白虎隊の少年隊員や西郷隆盛らも含まれる。

また諸外国の人々では湾岸戦争や最近のヨーロッパ・ユーゴのコソボ自治州での紛争の犠牲者が含まれる。鎮霊社は昭和40年5月26日に地鎮祭を行った。以後例祭として恒例となっている」

 

当時 禰宜だった木山照道氏によると昭和38年秋 欧米視察旅行で無名戦士の墓などを巡拝、各国の宗教者と会談した筑波宮司が帰国直後に鎮霊社の建立を言い出した

         日本大学教授 秦郁彦の靖国神社「鎮霊社」のミステリーから抜粋

 

いわゆるA級戦犯の方々も正式に本殿に祀られる前はこの「鎮霊社」に祀られていたとのこと。

今となっては明治維新の官軍・賊軍の区別なく、日本人及び日本のために戦った外国の方々も含めて御霊を本殿に移して御祀りして欲しいものです。

 

 

 


靖国神社と日本人
やすくにの祈り―目で見る明治・大正・昭和・平成
ようこそ靖国神社へ  
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2005年06月08日

◎大勲位がうそを言っちゃいけないよ!

ロンとヤス先日フジTVの「報道2001」に東条英機の孫娘が出ていた。

中曽根元首相があちこちで「A級戦犯の遺族から、分祀に理解を貰えそうだ」といっているそうだが、それはありえないと明言した。彼女に言わせると中曽根さんにはあったこともなければ、分祀に理解を示したこともないと明言した。

 

大勲位ともあろう人が、自分が蒔いた種の後始末をしようとして、共産匪賊の片棒を担ぐ真似をしちゃいけないよ!

それとも大陸から中国のために良く働いたと「人民栄誉賞」でも貰うつもりでいるのかな。

もうこれ以上「晩節を汚す」ようなことはしてくれるなよ。

 

そういえば河野洋平(別名 紅の傭兵)野中広務(別名 中国・韓国の使い走り)も勳1等の勲章を貰っていたよなあ。日本国民を裏切って中・韓のため働いた国賊みたいに政治屋に勲章とはネエ。

 

中国の子分みたいな政治屋がアジアの理解がもらえないと靖国神社参拝を批判するがアジアではなく、クレーマーの中・韓と言って欲しいね。

この連中以外は極めて常識的だよ。

 

例えば

自民党の安倍幹事長代理6月3日、小泉首相の靖国神社参拝について「二度と戦争を引き起こさないと誓い、日本のために戦って命をなげうった人たちの冥福を祈るために参拝している」と説明したことに対して。(読売新聞平成176月4日)

インドネシアのバンバン・ユドノヨ大統領 

「国のために戦った兵士のお参りをするのは当然のことだと思う」

 

●5月30日、TBS系列の「筑紫哲也のNEWS23」に出演し、「総理大臣がA級戦犯のまつられている靖国神社を参拝することをどう思いますか」と質問されたのに対して

アメリカのリチャード・アーミテ−ジ前国務副長官

「まず主権国家である日本の総理大臣が、中国に限らず他の国から靖国神社に参拝してはいけないと指図されるようなことがあれば、逆に参拝すべきだと思います。なぜなら内政干渉を許してはいけないからです

 もう一つは、全ての国が戦死者を祀りますが、それぞれのやり方で良いのだと思います」

 

その他にマレーシアのマハティール首相、ビルマ(ミャンマー)のウ・ヌー首相、その他世界各国の練習艦隊、在日米軍、台湾の国務院議長等多くの外国高官、駐在武官等が公式参拝しております。

 

一国の首相の参拝は他国の干渉によって決めるべきではない。

戦没者慰霊はその国の伝統的な宗教や文化と深く関係している。日本には近代国家として出発したときから靖国神社があり、すでに130数年の伝統と継承があり、日本人の心の故郷となっている。他国から押し付けられてつくった無宗教の慰霊施設にだれが興味を示すか。

慰霊施設と言うものは宗教性があるから魂が安らぐのであり、お参りをする人も一体感を感じるのである

靖国神社http://www.yasukuni.or.jp/index2.html


ようこそ靖国神社へ
日本人よ、気概をとり戻せ!!―対論×14
「靖国神社への呪縛」を解く
かくあれ祖国―誇れる日本国創造のために
国を思えば腹が立つ―一自由人の日本論  
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2005年06月05日

◎貴方はどれだけの軍人・軍属が戦犯として処刑され、または自ら命を絶ったかご存知ですか

いまTVで靖国神社に関する戦犯合祀について、いろいろな意見が出ています。

中国から言われたから、または中国・韓国が騒ぐから別の慰霊施設を造ろうという意見と靖国神社の立場からいわゆるA級戦犯の分祀はありえないし、英霊となった方々対してもこれはやるべきでないという2つの立場がある。

 

私の立場は戦犯裁判でなくなった方々の法的立場は国会決議で「法務死」ということになっており、戦争犯罪者ではない。ゆえに軍人恩給も遺族年金も受給されている。国家の慰霊は中国・韓国などの内政干渉に応ずるべきではない。これはわが国の主権の問題である。

 

ではどのような形で戦争裁判が行われ、刑が執行されたか死刑についてのみ紹介する。

●第2次大戦後の戦犯裁判(死没者)

   

犯罪項目 1.平和に対する罪 
     2.通例の戦争犯罪 
     3.人道に対する罪

 

・A級 主要戦犯  BC級  普通戦犯

 A級  刑死   7、病死      7  計  14名 

  BC級 刑死901、病死・自決等153 計1054名                                     総数 1068名 

  

●裁判国と戦犯者(絞首刑)数(50ヶ所)

 連合国 14人、オランダ 273人、豪州 135人、米国 167人、フィリピン 17人、中国 175人、英国 254人、フランス 33人

※オランダ、イギリスが異常に多いのは戦争当初日本軍の進撃に惨敗した恨みが現れている。

       

敬礼●出身別死没者

総数 1068名

    階級別  

 将官59、佐官118、尉官262、将校計 439名 

准尉89

下士官316、兵 28、民間人196

 

年齢別 平均38.74歳最低 22歳、最高 85歳

・台湾出身者24名 朝鮮出身者 21名

※将官59名というのは師団長クラスを59人、連隊長・大隊長クラスを118人処刑したということになる。台湾・朝鮮出身者はほとんどが軍属として捕虜の管理にあたっていたため、白人捕虜から報復的に戦犯にされた。

 

●終戦とともに自決した軍人・軍属等 568柱の階級別構成

将官 34名(大将7、中将17、少将10

佐官 81名(大佐25、中佐21、少佐35) 

尉官128(大尉47、中尉44、少尉35、見習い士官2)

准尉 19名

下士官・兵243名(下士官141名、兵102名)
その他32名(軍属24、陸海軍司政官2、陸海軍警部4、従軍看護婦2)
軍人家族31名

※軍人として部下を死なした責任を取って戦犯に指定されていなくとも、自ら責任を取って自裁したのである。ここでも将官34名をはじめ243名の将校が自決している。
 
軍人として指揮官として、十分責任を取ったと見てよいのではないだろうか。
もちろん下士官・兵243名の自決は痛ましい事ではあるが、将校:兵隊の人員構成比を1:40とみたら将校の責任感を理解できるのではないか。
なお軍人家族31名は夫に軍人としての使命を果たさせるために幼い子供とともに命を絶った痛ましい行為である。

          

靖国神社3●靖国神社

 創立 明治2年(1869)招魂社

靖国神社に改称(1879)別格官幣社
祭神〜幕末の「国事殉難者」及び近代以降の戦没者の霊
目的〜戊辰戦争で亡くなった方の御霊を慰めるのがもとで明治以降 現在迄 246万6000余柱の御霊を祀っている。    

ご祭神〜軍人・軍属ばかりでなく軍の命令がモトで亡くなった一般人(含む少年・少女)・対馬丸の1500名の沖縄の学童、ひめゆり部隊、 従軍看護婦等女性は5万7千余柱、吉田松陰・坂本龍馬・高杉晋作等が祀られている。西郷隆盛は本殿には祀られていないが、本殿左奥の小さなお社「鎮霊社」に祀られている。

 ●千鳥ガ淵戦没者墓苑

千鳥が淵戦没者墓苑第2次大戦における海外戦没者の遺骨を納めた国立の無名戦没者の墓

各地域に遺骨収集団を派遣し、納められた遺骨のうち、遺族に渡すことができなかった34万4千柱が納められている。

 

●靖国神社と千鳥が淵戦没者墓苑の違い

靖国神社は戊辰戦争から130数年の国事殉難者全員の魂をお祀りし、千鳥ガ淵戦没者墓苑は第2次大戦(4年弱)のみの無名国事殉難者(お名前が特定できない)の遺骨をお祀りしている。

 

国としてはすでに無名戦没者の慰霊施設は千鳥が淵にある。

春の桜祭りの時期しか参拝者はほとんど来ない墓苑(15分に1人程度)の施設を充実させ、靖国神社を国家の慰霊施設として正式に認めて、天皇陛下にご親拝をしていただくことをお願いしたいと思います。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 

http://homepage2.nifty.com/boen/

靖国神社 http://www.yasukuni.or.jp/

 


靖国神社遊就館の世界―近代日本の歴史探訪ガイド  
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2005年06月01日

◎川村翁(卒寿90歳)の義憤に燃える心根を拝聴しようではないか

これは産経新聞(平成17531日)オピニオン15ページのアピールに載っていた意見である。

戦場体験者の最後の叫びと思って聞きたいと思う。

***************************************

靖国問題に理を尽くした反論を!

 

京都府ハ幡市

元濠北派遣「勢」部隊員 川村正雄 90

 日本兵

 時の流れとは言いながら、戦場実体験者がいよいよ少なくなり、戦後育ちの政治家・学者・マスコミ人が主流になりつつある時代、「靖国」に対する認識が薄れつつある傾向に、痛憤するものてある。

 

 戦場で困難な戦況に陥った場合「靖国で会おうな」「九段で会おうな」は、お互いの励ましてあり慰めであった。個々の宗教など問題ではなかった。

 

 日清・日露で戦没された先輩たちが眠る靖国へ俺たちも永久に祭ってもらえると、素直に信じていただけてある。従ってわれわれの感覚では政治・外交・宗教などを超えた日本伝統の「心のふるさと」とでも言いたい。

 

 中国が執拗に靖国を政治・外交のカードに利用するなど無体極まる内政干渉であり、断固として理を尽くして反論すべきである。然るに従来から「反省」「すみません」の繰り返しではないか。

 

 政治家・学者・マスコミ人の一部が、相変わらず総理の靖国参拝を批判するが、中でも許せないのは一党の党首でもある者が自分が総理になれば靖国には参拝しない」とか「ほかに慰霊の施設を検討」などと、まるで中国に迎合するかのような愚論を展開していることだ。

 

ゼロ戦結果的に「靖国」をカードに使うことが有効であると中国に自信を持たせるだけのことてはないか。屋山太郎氏が産経新聞で書かれている通り「中韓の要求は日本も中韓と同じ歴史認識を持てというに等しい」

 

首相が靖国参拝をやめれば、次は教科書の訂正を言うだろう。

それを直せば『尖閣諸島は中国領』と言い『ガス田も中国のものだ』と言い出すに決まっている」との見通しには全く同感である。

 

軍艦 祖国を思い家族を案じながら多くの戦友が朝に夕に倒れていった凄惨な実状を体験した者として提言する。「靖国へ総理の先導で象徴天皇が親拝される日を念願している」のは決して小生ばかりではない。

 

 政治家はもちろん、学者・マスコミ人も

事なかれ主義でなく、腹を据えて熟考してもらいたい。

**************************************

              産経新聞からの引用

 

川村翁の意見の中で「個々の宗教など問題ではなかった」があるが、現にキリスト教徒(25名)の一行が靖国神社の拝殿正面を外し、左横で賛美歌を歌っていたのを確認しています。

神道は八百万の神ですから他の宗教に対しても寛容なのです。

宗教上神社にお参りはできないなんていうのは教条的すぎませんか!

キリスト教徒の大平元首相もお参りをしていますよ!

  
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2005年05月30日

◎世界の戦没者慰霊(米国、英国、仏国編)

 故国のために戦って亡くなった人々を、世界の国々は国家としてどう追悼しているのだろう。また、そのさいの宗教とのかかわりは。「中国、韓国編」に引き続き「アメリカ、イギリス、フランス」の3カ国について産経新聞の特派員から慰霊の実態に関する報告を紹介する。

 

アーリントン2 《米国》

 主として戦没軍人や退役軍人を埋葬する国立墓地がアーリントン墓地(ワシントン近郊) http://www.ne.jp/asahi/yume/dreams/main/Photo_US_Wa_Arlington.htmをはじめ134カ所あり、21万人以上が永眠しているほか、新たに6カ所の建設が進められている。戦没・退役軍人の埋葬にあたっては、希望により国が墓石や、軍の礼葬を無償で提供することが法律で定められており、戦没者や軍人に敬意を払う姿勢を明確に打ち出している。19世紀の南北戦争を機に制度化された国立墓地の多くは復員軍人省が管理。ただ古戦場など国立公園地域にあるものは内務省国立公園局が、アーリントン墓地は陸軍が管理している。他に「米戦蹟委員会」が管理する外国所在の墓地24カ所や、各州政府の軍人用墓地も存在する。国立墓地では特定の宗教は採用していない。戦没者はもちろん、軍隊経験者やその家アーリントン1族は原則的に埋葬資格を持つが、アーリントン墓地に関しては資格が若干、厳しくなっている。5月末の「戦没将兵記念日(メモリアル・デー)や、11月の「復員軍人記念日(ベテランズ・デー)には大統領や閣僚がアーリントン墓地へ赴き、戦没者らをたたえる演説や「無名戦士の墓」への献花を行う。また外国元首らが米国訪問のさいにはここを訪れ、戦没者に敬意を払うことも通例になっている。              (ワシントン 土井達士)

 

 

 

 英国ポピーデイ《英国》

 11月11日の「休戦記念日」に最も近い日曜日「英霊記念日曜日」に、各地で第一次、第二次世界大戦などの戦没者の霊を慰める特別ミサや、多数の国民が参加しての戦没者慰霊祭が行われる。中核はロンドン市内にある戦没者記念碑「セノターフ」http://ww1.m78.com/topix/war%20graves%20commission.htmlで行われる国家による慰霊祭。日本でいえば法務省、最高裁、議会(上院)を管轄する官庁「大法官」省が、慰霊祭を所管する。厳かに国歌が流れ、参列者の一部が花輪を供えるのが慣例だ。招待されるのは女王をはじめ王室、首相を含む全閣僚、主要政党の党首、北アイルランド、スコットランド、ウェールズの各自治政府首相、陸海軍代表、各宗教界代表といったメンバー。この日曜日は通称「ケシの日」http://www.tamano.or.jp/usr/osaka/pages/b-data/8/poppy.htmと呼ばれ、多くの国民が一週間ほど前から両大戦の戦没者を慰霊するため、造花の赤いケシの花を胸に飾る。第一次大戦の対独戦の激戦地、フランダース地方の麦畑に、ケシの花が咲いていたことにちなんだ。一方、英外務省によると、外国公賓は希望すれば、英霊記念日曜日とは別に、ロンドン市内のウェストミンスター寺院の無名戦士の墓で公式献花が可能だ。天皇・皇后両陛下ウエストミンスターの無名戦士の墓は1998年5月の公式訪英のさセントポールの花輪い、献花されている。                       (ロンドン 野口裕之)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《フランス》

 戦争犠牲者の碑は各地にあるが、最も知られているのがパリ・シャンゼリゼ大通りにある凱旋門の下の「無名戦士の墓」だ。国家元首で三軍の長でもある大統領が第一次大戦の休戦記念日の11月11日、第二次大戦の戦勝記念日(ドイツ軍が降伏した日)の5月8日に参拝して献花する。式典には大統領のほかに首相、国防相、在郷軍人担当閣外相、参謀総長をはじめ在郷軍人代表なども出席する。無凱旋門の無名戦士の墓名戦士の墓が凱旋門の下に設立されることが決まったのは第一次大戦後の1920年。約150万人もの戦死者を出したため、戦後、記念碑を設立するべきだとの提案が出され、国民議会が全会一致で、全犠牲者の象徴として身元不明の兵士一人の遺骸を埋葬することを決めた。第二次大戦の犠牲者の霊をまつった記念碑もパリ郊外モンバレリャンの丘にあるが、凱旋門の無名戦士の墓http://sekainophoto.web.infoseek.co.jp/gaisenmon%20.htmlは第一次大戦のみならず、戦争の犠牲者の象徴的な記念碑となっている。パリ解放後の1944年11月11日、ドゴール将軍と並んで同盟国の英国のチャーチル首相(当時)が花輪を捧げたが、外国元首も公式訪問のさいに戦争の犠牲者の霊を慰めると同時に平和を祈願するために献花する慣習もある。天皇陛下が1994年、公式訪問したときも献花された。         (パリ 山口昌子)

 

 「世界に100の国があれば、100の正義がある。正義は勝者にばかりあるわけでなく、当然敗者にも正義はある。敗者は戦争という力の戦いに敗れただけである」by WildHorse38

国それぞれに慰霊のあり方がある。

靖国神社には140年の歴史と慰霊の文化が継承されている。

本来、時の政府の命令により図らずも英霊となった方々にはそれぞれの思い入れがあり、その国家の伝統と文化で慰霊すべきであり、他国がとやかく干渉すべきことではない。

図に乗る民族である漢・韓民族の言いなりになったら最後、未来永劫日本は両国家の精神的属国となる。

我々の子孫にこのような屈辱を与え続けてはならない。


南北戦争の南軍―灰色の勇者たち
凱旋門(エトワール)に銃口を
20世紀欧州大戦
ド・ゴール大戦回顧録 (1)
  
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2005年05月29日

◎世界の戦没者慰霊(中国・韓国編)

国それぞれに慰霊のあり方がある。

その民族の伝統と文化で慰霊すべきであり、他国がとやかく干渉すべきことではない。今回は産経新聞の特派員がレポートした記事を2回シリーズで紹介する。

 

《中国》

 戦没者らに対する国家レベルの追悼は、北京・天安門広場の中心にある「人民英雄記念碑」で行われる。中国近代史の幕開けとなった中国の慰霊アヘン戦争(1840年〜42年)から、中国共産党が政権を樹立した1949年までの革命で犠牲となった人民英雄をたたえる墓碑ではなく、「人民英雄の千古不朽の勲功を顕彰し、革命の先達に対する全国人民の敬意と思いを致す心情を表す」との顕彰碑としての位置づけだ。

 

高さ約38メートルの巨大な石碑で基壇は東西50メートル、南北60メートルに及ぶ。完成は1958年。

 

石碑正面に刻まれた「人民英雄永垂不朽」の文字は毛沢東の揮毫であり、碑の下段には革命の史実をモチーフにしたレリーフが飾られている。

 

訪中した元首・首脳クラスの外国要人は、公式日程のなかで記念碑を訪れることが多い。最近の日本首脳の例では、小渕恵三元首相(当時)が1999年7月の訪中で、三軍儀伎兵の見守る中で献花した。

 八宝山人民公墓

故人をしのぶ象徴的なスペースであることから、国民が集まる場所ともなり、二度にわたる天安門事件は周恩来死去(76年)と胡耀邦死去(89年)への追悼をきっかけに碑の周辺で発生した。

 

党・政府要人や功労者は、北京西部の八宝山革命公墓に多く埋葬されている。                               (北京 山本秀也特派員)

 

 《韓国》

 国のために亡くなった人々は、ソウル市銅雀区にある国立墓地に埋葬されている。同墓地は1955年に国軍墓地として創設され、65年に現在の名称に変わった。

韓国国立墓地 

朝鮮戦争やベトナム戦争での戦没者のほか、日本による朝鮮半島支配当時の義兵や愛国人士、国の発展に命をささげた人々、朴正煕元大統領ら死去した歴代大統領ら、約16万3千人の墓地がある

 

国立墓地内には「顕忠塔」と名付けられた慰霊塔があり、ここには朝鮮戦争で亡くなった軍人・兵士11万人が祀られている。

 

 顕忠塔は戦没者慰霊の象徴であり、それぞれの地方にも建立されている。  

韓国では6月6日を国土防衛に命をささげた人の忠誠を記念する「顕忠日」に定めている。毎年この日には大統領も参加し、国立墓地の顕忠塔前で慰霊式典が行われる。この場で、大統領は国民を代表して戦没者らを慰霊する。

 

韓国の慰霊海外の要人も、訪韓のさいには国立墓地や顕忠塔を訪れる。国立墓地によれば、これまで日本、ブラジル、モンゴル、マレーシア、アンゴラ、チェコ、カンボジアなど世界各国の首脳が訪問している。ロシアのプーチン大統領が訪韓のさいに訪れ、顕忠塔に花輪を捧げた。                (ソウル 名村隆寛特派員)   産経新聞記事転載

 

「世界に100の国があれば、100の正義がある。正義は勝者にばかりあるわけでなく、当然敗者にも正義はある。敗者は戦争という力の戦いに敗れただけである」by WildHorse38

 


日中戦争知られざる真実―中国人はなぜ自力で内戦を収拾できなかったのか
拝啓 韓国、中国、ロシア、アメリカ合衆国殿―日本に「戦争責任」なし
日韓併合―韓民族を救った「日帝36年」の真実
日本人よ、気概をとり戻せ!!―対論×14  
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2005年05月27日

◎殉国の英霊に敬意と感謝を!

『国難に殉じた愛国者に国を挙げて礼を尽くし、感謝することは国家としての基本である』

靖国神社2 いま小泉首相の靖国神社参拝をめぐって、中国が日本の国家主権に介入しようと戦いを挑んでおります。

中曽根元首相以来、小泉首相が毎年靖国神社参拝をし、そのたびに脚光を浴びる靖国神社http://www.yasukuni.or.jp/new/について考えてみよう。

 

貴方は「靖国神社は軍国主義の象徴」だと思いますか?

「靖国神社が祀っている神様(祭神)」を知っていますか?

ある人は天照大神と言い、ある人は東京裁判http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/tokyosaibann.htmで絞首刑になったA級戦犯の悪い人達が祀られていると言う人が多いかも知れませんね。

 

ところが「軍人軍属(含む台湾・朝鮮系日本人)のほか、坂本龍馬、吉田松陰、沖縄のひめゆり部隊の女学生、沖縄から疎開中に撃沈された対馬丸の1500名の学童や父兄が神様ですよ」と言ったらびっくりする人が多いでしょうね。

 

残念ながら白虎隊、西郷隆盛等明治新政府に逆らった者は本殿には祭られておりません。ただし本殿左奥のちいさなお社には祀ってあるそうです。

もちろん明治以降戦死された軍人・軍属、殉職自衛官の方々等幕末から現在までの国難に殉じた246万6千余柱の御霊が合祀されております。

 

そもそもは明治2年「招魂社」として戊辰戦争で亡くなった方の御霊を慰めるため創立され、明治12年「靖国神社」に改称されました。

 

 ところで第二次世界大戦に関連して連合国によって戦犯とされ処刑された方はどのくらいいると思いますか、国内外約50か所の戦犯裁判で約6500人を裁き、そのうち1068名もの多くの方々が処刑されたり収監中に命を落としております。

しかも戦争が終わって命を捨てなくても良くなった時期にです。

 ゼロ戦と特攻隊

その他に3500人の方々にも重刑を科されたのです。多くの場合は正規の裁判を受けられず、捕虜だった裁判官に復讐的に処刑されたり、神経痛を患っていた米兵に良かれと思って、漢方のお灸の治療した衛生兵が捕虜虐待の罪に問われたり、無実にもかかわらず員数合わせのために濡れ衣を着せられ有罪にされた軍人・軍属も多く、一説には80パーセントの人が無罪であったとも言われており、その無念さは戦犯者の遺稿集『世紀の遺書』に余すところなく書かれております。

 

ちなみに朝鮮戦争、ベトナム戦争、中越戦争、湾岸戦争、イラク戦争ではいわゆる戦争犯罪人として処刑された軍人はまだ出ておりません。

 

 それでは1千名余の命を奪い、愛する父母、兄弟、妻子に遺族となることを強いたこの戦争裁判はいったい何だったのでしょうか。

 

『まさに戦勝国が敗戦国にケジメをつけさせた戦後処理ではなかったのか』

 

靖国神社にはこの方々も祭られているのです。

純粋に国を愛し、国の政策に従い愛する人のため・家族のために命を捧げ、国の安寧のため捨て石となった我々の先輩にまず敬意を払い、感謝の気持ちを表すことが先決ではないでしょうか。

 

日本人の伝統的心情に、過去どんな経緯を持った人でも亡くなれば皆仏様として水に流され、霊を祀るという習慣があります。

 

中国・韓国のように生前国家に対する反逆者、悪人、仇だった人の墓を暴き、遺体を引きずりだし、みんなで鞭打つ国家の習慣に従えというのであろうか。

 

我々日本人にはそんなアコギなことはできません。

これは死者の属する国家の様式に従うべきなのであり、どんなに我に非があったとしても厳然と拒否すべきものなのであります。

大東亜戦争が侵略であったかどうかは別の問題です。

 

マスコミの影響の強いいまの若い人の大半は靖国神社にお参りをすることは時代錯誤と思っていますよ。

自衛官はもちろんのこと、世の責任ある方達は政治的思惑に左右されず、毅然とした態度を示して欲しいものです。

 

 ところで自衛官が国策に従い命を落とした場合、国民は敬意を払ってくれるのでしょうか、それとも政治的思惑で侵略に加担した戦争犯罪人扱いにするのでしょうか。 

 

一度靖国神社にお参りしてみませんか!

せめて若くして国のため戦って亡くなった方々の「遺書」だけでも読んでみると、「日本人の心」が解りますよ!

 


国神社一問一答
靖国神社遊就館の世界―近代日本の歴史探訪ガイド
再考『世紀の遺書』と東京裁判―対日戦犯裁判の精神史
世紀の遺書
指揮官たちの特攻―幸福は花びらのごとく
特攻へのレクイエム

  
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2005年05月25日

◎中国が仕掛ける平時の戦争(外交の戦い)

ドタキャン来日中の中国の呉儀副首相が小泉首相との会談をドタキャンして帰国したという。

通常格下の一副首相ごときが国際儀礼上やるべきことでない。

北京訪問中の武部幹事長は中国の靖国批判に対して「内政干渉」であると発言したことと小泉首相の「国の儀礼に他国が口に出して言うべきことではない」に反応した行為であるという。

 

お二人とも極めて真っ当な発言であるにもかかわらず、テレビ朝日の鳥越俊太郎は小泉さんは外交ベタとか人間関係をうまくやれないとか、かなりしつこく批判していた。

今までの政府筋はトラブルを恐れて、常に及び腰でやっていたから大きなトラブルも起きなかったわけで、その付けが今来ていると見るべきである。

 

中国・韓国はなぜ日本に内政干渉をしたがるのか。

それは日本にそれを受け止める土壌(マスコミ、経済界、政治家等)があるからで、未来永劫日本は中国に対するイエスマンとキャッシュ・ディスペンサー(下僕と現金自動支払機)であり続けるであろう。

 

アジアの老大国「清国」がアジア的序列(龍の爪で言うならば中華が5本、朝鮮・ヴェトナムが4本、日本が3本で一番格下だと思っている)で最も低い序列の日本に日清戦争http://www.ne.jp/asahi/chronicles/map/modern/nichirowar.htmでコテンパンにやられ、遼東半島(三国干渉ですぐ返還、ロシアに盗られた)、台湾、澎湖島の割譲、賠償金2億テール等を差し出した。

 

中華思想の清国としては、「けものへん」程度にしか思っていなかった兵力三分の一の「小日本」にヤラレタ恨みは中華民族のプライドに掛けて許すことが出来ないのである。

 

日本陸軍動員兵力 24万人  日本海軍 軍艦28隻  水雷艇24隻  総トン数59,000t

清国陸軍動員兵力 98万人  清国海軍 軍艦82隻  水雷艇25隻  総トン数85,000t

 

あのロシアでさえスターリンが不可侵条約を一方的に破って満州を侵略したとき、「これで日露戦争の恨みを果たした」と言ったという。

 

民族の興亡を掛けた戦いで国に殉じた若者たちの慰霊ほど、国の儀礼として大事なものはないのです。

その日本の興亡に立ち会ってはからずも亡くなった英霊たちを慰霊するのに日本の宰相たる小泉首相に迷いがあってどうする。

野党もマスコミも中国・韓国に口を出させるスキを与えるからこそ問題なのである。

「英霊を祀ることに口を出させてはいけない!」

これは日本の国家主権の問題なのである。

 

明治維新以来140年、軍人たちの血と汗と涙の愛国の伝統は平成の自衛官たちに受け継がれている。

いざというときに彼らの気持ちをぐらつかせてはならない。

英霊に感謝と敬意を表すところは靖国神社http://www.yasukuni.or.jp/しかないのであるから。

 

中国・韓国は小泉首相の靖国参拝をなぜ阻止しようとするのか。

外国では日本人が考えている以上に軍事は最優先で考慮される。

軍隊というものはどんなに高性能な兵器を持っていたとしても、それを運用する軍人に戦意がなければ絶対に勝てないのです。

 

自分たちは名誉の戦死か又は犬死にか、どっちになるかわからないような国のために命を掛けて戦うものがいると思いますか。

 

特攻隊http://www.tokkotai.or.jp/で亡くなった20代前半の若者たちの死を軍国主義の手先だとか、まったくの犬死にだとか言う世の中です。彼らを身近に感じている自衛官の心理状態に関心が行かないほど平和ボケしているのです。

中国の執拗な干渉は後からズシ〜ンと効くボディブローのようなものです。

彼らは戦略的に日本人の戦意喪失を狙っているのです。

 

中国・韓国ともに大幅に海軍力を増強しています。

両国とも地政学的に見ると、日本の排他的経済水域(日本領海)で押し込められているのに何故海軍力が必要ですか。

海の上ではせめぎ合いが始まっており、そして、もうすでに中・韓対日本の心理戦が始まっているのです。

いずれも中国・韓国から仕掛けられていることを認識すべきです。

 

「先手必勝、攻撃は最大の防御である」

「外交は平時の戦争である」

 

トラブルメーカー中国が仕掛けてきている平時の戦争(外交問題)

・  小泉首相の靖国参拝反対

          国連常任理事国入りの反対

          尖閣列島の領土、日本領海の侵犯

          排他的経済水域での石油・ガスの盗掘

          旧日本軍化学弾の処理(中国、旧ソ連、アメリカ、イギリス等を含む)

          反日教育と反日暴動

          中国全域に亘る抗日(反日)記念館と抗日(反日)記念公園の増設http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/tyousa02/tushu3.htm

          虚構である南京事件記念館の世界遺産登録申請

          不法入国者と中国人凶悪犯罪の多発

          来日中の中国の呉儀副首相の小泉首相に対するドタキャン

  文革の4人組を消した写真これらはすべて中国が仕掛けてきた主権侵害行為である。

 

 共産党独裁国家中国には人権も自由もなく、中国人民はすべて胡錦濤国家主席の思惑で動いている。

今日の夕方のニュースで中国政府は「呉儀副首相の帰国は緊急公務があるといったことはない」と声明を発表。

共産主義者はすでに公になっていることでも平気でうそを言う。

「革命のためにはいかなるうそをついても良く、約束、人道、人権、友誼に叛いても良い」

これが中国共産党の政策の基本です。

 文革の4人組が消された写真

こういうことをやるのが中国です

 


中国の人権―政治的弾圧と人権侵害の実態 アムネスティ・レポート
小説 中国共産党
靖国神社と日本人
「南京事件」の探究―その実像をもとめて
いざさらば我はみくにの山桜―「学徒出陣五十周年」特別展の記録

  
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2005年05月23日

◎靖国神社は日本人の心の原点

靖国神社

私は年に1回は靖国神社千鳥が淵戦没者墓苑にお参りすることにしている。

昨今のTVのコメンテータや政治家のなかには靖国神社と千鳥が淵の戦没者墓苑の違いを知らないのと靖国神社を軍人の墓地だと思っているものがいる。

 

こういう人たちが国の慰霊を討議したり、福田前官房長官を中心とする一派が「新たな国の慰霊施設」を造ろうとしている。

 

先日もあの河野洋平の息子の河野太郎が新たな国の慰霊施設をつくるべきだと主張していた。

以前に民主党の中堅代議士と懇談したときに、戦犯の処刑に関する基礎的な知識をほとんど持っていなかったのにはビックリした。

そういえば以前野党の幹事長だった議員が「靖国神社には軍人だけしか祀られておらず、ひめゆり部隊をはじめとする従軍看護婦などは祀られていない」と発言し、国立墓地を作るべきだという議論をしていたのを思い出す。

 

彼らは靖国神社にどういう人達が祀られているかをほとんど知らないのである。

 靖国神社の起源明治2年に招魂社として建立され、その後現在の名称に変更された。幕末から現代まで130数年にわたって「国事殉難者」及び戦没者の霊を祀っているものである。

 

一方、千鳥が淵の戦没者墓苑には先の大戦において外地で亡くなられた方々の遺骨・遺品が納められている。

いわゆる身元を確認できなかった「無名戦没者」の遺骨を慰霊している施設なのである。

 

そうした事実を全く知らないので、靖国神社には軍人だけしか祀られておらず、またA級戦犯も祀られているので分祀すべきだなどという暴論が出てくるのである。

 

  我々日本人の発想として、亡くなれば皆仏さんになり、生前の事はいっさい問わない風習がある。

しかし中国や韓国では日本と違い、死んでからもその人の墓を暴くという風習がある。

 

一番恐ろしいのは敵対する人物の先祖の墓を暴き、死体をバラバラにしたり(韓国の愛国者の金玉均)、鞭で打ったりして辱める行為(中国の愛国者の汪兆銘)である。

このような風習が中国・韓国にはあり、かつて清朝最後の皇帝であった溥儀は、自分の先祖である清王朝の墓を中国人に暴かれた為に、日本と手を組み中国から離れて満州国を建国したのである。

 

  それだけ日本と中国・韓国とは死者に対する考え方が違うのであり、その民族性の違いをよく考えなければこの問題は見えてこないのである。

 

  戦後60年、靖国神社は国の為に亡くなった人を祀っているという認識で我々日本人はきたのだが、こうした事をしっかり理解していないと、話が筋違いな方向に進みかねない。

国立墓地を新たに作るという意見は一見良さそうだが、130数年にわたって続く靖国神社の正当性を無視して、新たに墓地を作った場合一体どこから骨をもってくるのかという問題がある。

 

靖国神社というのは死者の霊を祀っている所であり墓地ではない。

戦死者の墓から骨をもってきて国立墓地に集めるというのは現実不可能であり、その辺の認識が今の50〜60歳代の政治家に欠如しているのではないか。

                   

靖国神社は平日においても国内外の参拝者が大勢おみえになっているが、千鳥が淵は15分に1〜2名程度であった。

 

 先日イラクに派遣された自衛官の多くが靖国神社にお参りをして、「もしものことがあったなら靖国神社で会おう」と誓ったという。国を守る武士たちの心の故郷は靖国神社であるということを知らしめることが大事である。国の慰霊は日本人が決めること。中国人ごときが口出すことではない。

 


靖国神社遊就館の世界―近代日本の歴史探訪ガイド
この国を守る決意
「靖国神社への呪縛」を解く
新版靖国論集―日本の鎮魂の伝統のために  
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