2016年12月30日

◎ブラジルはどのようにしてあの広大な領土を持つことができたか

 世界地図を見るとロシア、中国、アメリカ、ブラジルとバカでかい国が目につく。ロシア、中国、アメリカは侵略に侵略を重ね領土を増やしていったことはよく知られているが、我々の社会常識では南米は列外(れつがい)ともいえる。
だからと言って新たに勉強してみようかとも思わず今日に至ったのである。
例のごとく本屋巡りをしていると「ワケありな国境」著 武田知弘 彩図社という本が目に入った。
日本も北方領土、竹島、尖閣諸島と領土問題を抱えているので、手に取ってみた。
今まで知らなかった国境問題がびっしりと書かれていた。
その中でもスペイン語圏にどっかりと居座るポルトガル語圏の南米と、国境が直線的に引かれたアフリカ諸国であった。
その中でもリオ・オリンピックもこれありブラジルの存在感に興味が引かれた。

 15世紀末、コロンブスがアメリカ大陸を発見したのを足掛かりにスペインは、いち早くアメリカ大陸に進出。
スペインは一躍、大航海時代の主役に躍り出たのである。
 そこでスペインに待ったをかけだのが、ポルトガルだった。
ローマ教皇に働きかけ、「アメリカ大陸は、スペインとポルトガルの2国で半分ずつ分け合いなさい」というトリデシャス条約という命令を出させたのだ。
大航海時代は隆盛を誇ったスペイン、ポルトガルだが、近代になってからはだんだんふるわなくなってきた。特に産業革命以降は、完全にイギリス、フランスにおくれを取るようになってきて、そのうち、スペインとポルトガルはみるみる凋落し、ポルトガルなどは一時期、イギリスの保護国同然の身分にまで落ち込んだこともあった。

 19世紀初頭、ナポレオンが登場しヨーロッパは大変な戦乱が起きる。
1807年、ナポレオンはポルトガルに侵攻。ポルトガルの王室は、まだ植民地として持っていた南米のブラジルに逃げ込んだ。(イギリスにより半ば強制的に疎開させられた)。
 ポルトガル王室は、ナポレオンが敗れる1821年までブラジルに滞在した。
そして国王ジョアン6世はポルトガルに戻るとき、皇太子のドン・ペドロを摂政としてブラジルに残していった。
 この皇太子ドン・ペドロが、翌1822年、ブラジルを独立させてしまうのである。

ポルトガルとしても、皇太子の国に攻め込むわけにはいかないし、もはや遠くの南米に軍を派遣する力もない。このためブラジルは大した戦乱もなく独立できたわけである。その後、ブラジルは、1889年の革命で共和制に移行している。
 ブラジルは、植民地から共和制国家になるまで手際よくソフトランディングしたために、分裂せずにあのような広大な国ができたといえる。
ローマ教皇の一存であの南米にあって、広大な国土を持つことができた所以なのである。

※「トリデシャス条約」
1949年にスペインとポルトガルの間で締結された「トリデシャス条約」のこと。ローマ教皇アレクサンドル6世が承認した同条約では、ヨーロッパ以外の地球上の大地は北緯46度36分を境に両国で分割することに決められた。

  

Posted by wildhorse38 at 12:52Comments(0)TrackBack(0)

2016年11月10日

◎トランプが次期米大統領に当選で世界中が右往左往

 アメリカ大統領選挙で、ドナルド・トランプ氏が米国の第45代大統領に当選した。投票前、日本の多くの有識者はヒラリー・クリントンの当選を断言し、トランプの当選はありえないと語っていた。

◆わたしは”いやどうなるか分からないぞ”と思っていた理由。
 トランプの発言についてはあくまでも選挙参謀の分析と見ていたし、アリゾナ州のメキシコ人たちはトランプ支持を訴えていた理由に”不法入国者が正規の移民である自分たちの職を奪っている。”と発言していた。ということは必ずしもヒスパニックの大半が反トランプとは言えない。これは意外であった。
 過去の特集記事を読んでいると、ミドルクラスの白人層やプアホワイトと呼ばれている白人の低所得者層が働かないで生活保護費を食い散らかしている黒人層に相当な不満を持っているのが理解できた。
特に昔は米国の豊かな工業地帯であった五大湖周辺のベルト地帯は寂れ果てて見る影もない状態であった。
 アメリカ人は常に本音と建て前を使い分ける傾向があるが、今回はエリート層でもある既存の政治家であるクリントンのエーカッコシイではなく、本音を言えるトランプがその声を拾い上げたということではないか。
 民度が高いと思っている米国人が本音で勝負するかどうかに疑念を持っていたのは事実であった。

 解説の誰かが言っていたが、”大統領選というのは蓋を開けてみないとわからないよ。”の言葉が妙に気になっていたのだ。
”隠れトランプ票”をアメリカのメディアも日本の解説者も読み切っていなかったというお粗末。

◆トランプ大統領の采配に不安を持つものへ
 トランプの暴言は名もなく実績もないものをマスコミの舞台で躍らせる仕掛けであったとみるべきであり、良識のある側近が密接にサポートし、大統領就任後はぼろを出さないように密接に支援すると思っている。
 建前ばかり言っていた既成のエリート政治家が言えないことに踏み込むことができる。
 ドゥテルテ大統領がフィリピンの病巣であった麻薬撲滅運動に強権を発動したように思い切った政策ができるのではないか。
 日本に対する米軍の駐留費増額要求は日米とも本音でやりあえばよい。
日本もいつまでも甘えた根性を捨てて自主独立路線を主張すべきであり、米軍が一部撤退した後はその駐留費(74%も支援していた)を対中国防衛費として回すことができる。
 在日米軍の比重が低くなることにより、国民の自主防衛意識も高まり北方領土解決の道筋が見えてくるのではないか。

日本の外務省の情勢分析は、国益よりも常に事なかれ主義に徹しており、良家のボンボンたちの貴族趣味を排して世界情勢が読める泥臭い官僚を育てるのが第一優先かもしれませんね。
  
Posted by wildhorse38 at 22:20Comments(0)TrackBack(0)

2015年02月27日

◎3月10日の東京大空襲をどう見るか

マッカーサー

 韓国・中国の捏造情報を真に受けて選挙の票欲しさに日本を貶めるアメリカに不信感を持っている。

韓国も中国も日本と戦って独立したわけではないので国家の正統性に問題がある。

 韓国は当時日本の植民地で終戦間際にようやく兵制が敷かれ朝鮮系日本人志願兵・軍属として米・英・中・蘭・仏と闘った仲であり、侵略国家などと言われる筋合いはない。

 共産中国にしても後方の兵站部隊にゲリラ攻撃をかけたわけであり、ドイツの支援のもと蒋介石軍が日本軍と戦ったが、日本軍にまともに勝ったためしがないのである。

 
 中国に侵略したと言うが
1900年の義和団の乱平定後の「北京議定書」は第二次世界大戦の終了まで事実上維持されたのである。日中戦争の端緒となった盧溝橋事件において「なぜ日本が中国の領域深くまで当然のように兵を置いていたのか」という疑問を聞くことがある。日本からすれば北京議定書に基づく権利の行使に基づいた駐留だった。辛亥革命後、中国は複数の腐敗した軍閥が割拠し、外国人への襲撃が相次いだこともあり、日本を含む8ヶ国の列強が居留民や領事館等を保護するため各地に駐兵していたのである。


 毛沢東の共産八路軍は共産匪、土匪の部類で、終戦から
1949年までの4年間を国民党との内戦が主な戦いであった。日本軍としては、中国人同士の勝った負けたは預かり知らぬことである。共産中国が対日勝利70周年とは片腹痛いのである。



アメリカはアメリカで戦時中の日本人虐殺に関してはあずかり知らぬことと事実をもみ消しにかかり、占領間は駐留軍にとって不利益なことは一切報道をさせず、NHKを通じて「真相箱」を放送、その内容は捏造した“悪しき日本の悪しき戦争”であり、徹底してGHQの洗脳を受けたのである。日本は70年経った今も日本の悪いイメージが人々の心の中に定着しており、国の誇りも伝統文化の素晴らしさも公言できないということは、アメリカの情報戦に完敗したのである。


 それではアメリカに戦争犯罪はないのかといえば、表ざたになっていないだけである。

唯一リンドバーグの衝撃証言による米豪軍の日本兵に対する残虐行為が明らかにされているが、広島・長崎の原子爆弾投下による民間人の殺戮、「いままでに行なわれた空襲のうち 最も大きな惨害をもたらした」といわれる20年3月10日の東京大空襲は 一夜にして10万人の生命を奪い家を失った都民は100万人を超えた。

これは明らかに軍事目標ではなく、一般市民の戦意を挫くためにガソリンと焼夷弾で罪なき民間人を焼き殺した戦争犯罪である。

以下は戦勝国の傲慢な歴史修正を訴えた阿比留瑠偉の視点である。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆米国の傲慢な歴史修正 戦勝国は全てを正当化、敗戦国は我慢…もつわけがない

                             阿比留瑠偉の視点 産経新聞 2015.01.15


 戦後70周年を迎える平成27年は、歴史認識をめぐる「歴史戦」の年になる。米紙ニューヨーク・タイムズなどは早速、日本の保守勢力に「歴史修正主義」のレッテルを貼ってきたが、戦勝国の立場にあぐらをかき、歴史を修正してきたのはどちらか。

 そんなことをぼんやり思いながら昨年末の休暇中、高校書道部を舞台にした漫画「とめはねっ!」(河合克敏著)を読んでいて、思わず息をのんだ。



 作中、見開きで大きく紹介されていた昭和20年3月10日の東京大空襲を題材にした元教師の書家、井上有一氏の書「噫(ああ)横川国民学校」(群馬県立近代美術館所蔵)があまりに衝撃的だったからだ。



 「アメリカB29夜間東京空襲 闇黒東都忽化火海 江東一帯焦熱地獄」「親は愛児を庇(かば)い子は親に縋(すが)る」「全員一千折り重なり 教室校庭に焼き殺さる」「噫呼何の故あってか無辜(むこ)を殺戮(さつりく)するのか」「倉庫内にて聞きし親子断末魔の声 終生忘るなし」



 書幅いっぱいに埋め尽くすように書かれた文字は、積み重なり、苦しみながら焼き殺された人々に見える。自身は一命を取り留めたものの教え子を失った井上氏が、血涙で書いたかのような印象を受けた。

約10万人が死亡した東京大空襲は、非戦闘員の殺傷を目的としており、もとより国際法違反である。米田建三・元内閣府副大臣の調査によると、東京大空襲の「作戦任務」(同年3月9日付)の目標は、軍事施設ではなく「東京市街地」と明記されている。最初から一般住民を標的にしていたことは明らかなのだ。



 また、東京大空襲・戦災資料センターが東京都から寄贈された被害者の名簿3万人分のうち、年齢が分かる人について調べた結果がこの空襲の性質を表している。



 それによると、被害者の年齢層で最も多いのは0〜9歳の20%で、次いで10〜19歳の18%だった。実に4割近くが未成年だったのである。これは通常の戦争遂行行為ではなく、米軍による子供の大量虐殺(ジェノサイド)にほかならない。



 しかも米国は戦後、こうした自らの罪を日本人の目から隠そうとした。明星大戦後教育史研究センターの勝岡寛次氏の著書「抹殺された大東亜戦争 米軍占領下の検閲が歪(ゆが)めたもの」(明成社)によると、連合国軍総司令部(GHQ)は検閲で、例えば米軍の東京大空襲での国際法違反行為を指摘したこんな文章を削除した。



 「無辜の一般市民に対して行へる無差別的爆撃、都市村邑(そんゆう)の病院、学校、その他文化的保護建物の無斟酌(しんしゃく)の破壊、病院船に対する砲爆撃等、計(かぞ)へ来らば例を挙ぐるの煩に堪へぬほど多々あつた」(信夫淳平氏「我国に於(お)ける国際法の前途」)

「米国は原子爆弾と中小都市焼爆で日本全土を荒廃し数百万人の非戦闘員を殺傷せしめた」(石原莞爾氏・宋徳和氏対談「満州事変の真相」)



 米国は、自分に都合の悪い歴史は堂々と修正し、歴史から抹殺しようとしてきたのである。当時、日本に対する空襲について「史上最も冷酷、野蛮な非戦闘員殺戮の一つ」(ボナー・フェラーズ准将)と自覚していたのは間違いない。



 焼夷(しょうい)弾を使用した夜間無差別爆撃に踏み切ったカーチス・ルメイ少将の下で、作戦計画作成に当たったロバート・マクナマラ元国防長官は記録映画「フォッグ・オブ・ウォー」(2003年公開)の中でこう赤裸々に証言している。



 「ルメイも私も戦争犯罪を行ったのだ。もし、負けていればだ」



 だが、戦勝国は全部を正当化し、敗戦国はすべてを我慢するなどという状態が70年以上ももつわけがない。米国は傲慢になりすぎない方がいい。(政治部編集委員・あびる るい)



陸軍特別志願兵制度 (朝鮮人)

http://depot3.blog75.fc2.com/blog-entry-109.html

全国主要都市空襲被害状況一覧


http://depot3.blog75.fc2.com/blog-entry-54.html



「降伏日本軍人」という身分と英軍による虐殺

http://depot3.blog75.fc2.com/blog-entry-53.html



米豪軍の日本兵に対する残虐行為(リンドバーグの衝撃証言から)

http://depot3.blog75.fc2.com/blog-entry-12.html



マニラ法廷 フィリピン軍による戦犯裁判

http://depot3.blog75.fc2.com/blog-entry-68.html 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 

  
Posted by wildhorse38 at 20:39Comments(0)TrackBack(0)

2014年09月28日

◎世界は悪党ばかり(その2)

 明治27年7月に日清戦争がはじまった。

日本軍は圧倒的な強さで清国軍を蹴散らし。難攻不落と言われた旅順要塞をたった1日で攻め落とした。

この間、支那人の残虐性が如何なく発揮され、日本軍の捕虜を捕えたら生きたまま鼻を削ぎ、耳を削ぎ、目をくり抜き、男性器を切り取り咽喉に詰めて殺し、挙句の果ては手足をバラバラにして殺してしまう中国伝統の「凌遅の刑(りょうち)」という処刑で、ブログ「ねずさんの ひとりごと」http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-553.htmlに詳しい。

中国の文化大革命で紅衛兵がこれに近いことをやり、人肉を食べたという記録がありますね。


 日本軍が眼下の旅順の市街に逃げ込んだ残敵を掃討した時のことである。

NYワールド紙にジェームズ・クリルマン記者の「日本軍大虐殺報道」が載った。

日本軍は女子供を追い、強姦し殺した。

水辺を逃げる子供たちに兵士は容赦なく銃弾を叩き込んで切り刻んだ。

これが「旅順6万人大虐殺」と伝える噂のもとである。

このねつ造記事はベルギー駐日公使アルベール・ダネタンが仏の観戦武官らを取材して、日本軍の無実を証明してくれた

しかしながら今もって「旅順大虐殺」と称して日本を貶めるためのねつ造記事を載せるメディアがある。



 ところでクリルマン記者はどこからあの発想が生まれたのでしょうか。

ハワード・ジンの「若者たちのための米国史」に米国インディアン虐殺場面が載っている。

報告者はシャイアン混血のロバート・ベントで、

「夜明け方、男の戦士が出払った集落を800人の騎兵隊が襲う。騎兵隊は丸腰の女を撃ち殺して頭皮を剥いだ。子供を連れて水辺に逃げた母は土手の砂を掘って、我が子を隠そうとしたが、背中から撃たれた。母が持たせた白旗を振る6歳の女の子も容赦なく撃ち殺された。妊婦は腹を裂かれ傍らに引きずり出された胎児が捨てられていた」とある。



 最近ベトナム戦争時の韓国軍のベトナム国民に対する残虐行為が暴露されている。

そこには女はレイプして殺し、妊婦は腹を裂いて胎児をさらす、子供の首を刎ねて突き刺す、年寄り等は一軒家に閉じ込め爆殺するまさにジェノサイト。


 ここで気が付いて欲しいのは、自分たちが武器を持たない人たちにやった勝者としての残虐行為を参考に日本軍はこんなことをやったとねつ造して、日本のために命を懸けて戦ってくれたジイちゃんたちを辱めている。

日本人のDNAからは女子供を惨殺したり、生きているまま肉を削ぎ、手足バラバラにして殺す習性はない。


インディアン騎兵隊



 


 

  
Posted by wildhorse38 at 09:23Comments(0)TrackBack(0)

2014年09月27日

◎世界には悪党ばかり(その1)

「プーチンよ、悪は米国に学べ」高山正之著を読んだ。
彼の著書は私の断片的な過去のデータを呼び戻してくれる。
しかも深く解説をして・・・。
我々は新聞記事、雑誌記事を7割方真実と思って読み取っているが、
それも朝日新聞の30数年に亘るねつ造記事事案で、いかに思想的、政治的な信念で記事をねつ造し国民を騙しているかが暴露された。

しかし高山の著書はズバッと本質を突き、その背景から人物を特定し事件の概要をコンパクトにまとめ、最後に皮肉っぽく決める。

これが堪らないのだ。

記事自体は「週刊新潮」に連載されたものをまとめたものであるが、短切で読みやすい。


 昔、米国イリノイの三菱自工が従業員に対するセクハラで訴えられ、多額の賠償金を取られたことがあった。

この事案は米国の雇用創出のため、レーガンが税の優遇、高い能力の人材を確保すると保証してものであったが、行ってみたら全くの嘘であの悪名高い全米自労組で日本の国鉄労組並みで汚い、働かないの状態。


 しかし会社は何んとかまともな組織にし、企業の人気が上がってきたときのことである。

クリントン大統領の手先となったのが、日系のポール・イガサキが連邦議会の認証官である。彼は次のように発表した。
「三菱の工場では男性従業員が同僚の女性の乳房を揉み、股間をまさぐる」
「被害は700人の女性従業員すべてに及ぶ」
米紙はこぞって「米国女性を人とみなさない日本人」(ワシントン・ポスト)
「米国女性を性奴隷扱いさせるな」等の嘘を並べ立てた。
身に覚えのない従業員2600人が企業防衛の立場で抗議デモをすると、米紙がそろって黄色い日本人が不遜にも米国政府に楯突いて、やらせデモまで演出したと嘘をついた。

 結局、三菱は米政府に50億円、黒人が人種差別で訴えて10億円、不採用になった身障者が因縁をつけて同額の保証を強請りとったのである。

これは米政府・議会・新聞が結託して明らかにウソをねつ造したのである。

これに対して日本のメディアも外務省も米国におもねり反論も批判もしなかった。
それはアメリカに媚びる日本を代表する指導層の姿であり、それを言わせない米国の傲慢さである。

 2010年世界一の
TOYOTAがでっち上げの車両事故で訴えられ、豊田章男社長が米議会公聴会で吊るし上げをくったことと重なるのは私だけでしょか・・・・。

クリントン

 

  
Posted by wildhorse38 at 09:45Comments(0)TrackBack(0)

2013年05月19日

◎アメリカには言われたくないね でもピューリタンの伝統がねぇ・・・ 橋下市長 負けるな!

進駐軍の悪行_320 ■国務省のサキ報道官は5月17日の記者会見で、改めて橋下氏発言を「不快であり言語道断だ」と強く批判した。15日の下院本会議では、エド・ロイス外交委員長が発言を求め、旧日本軍の慰安婦制度について「国家が後押しした性的蛮行」と訴えた。 
 米国では最近、軍内部で起きた性暴力事件が相次いで発覚した。2012年9月まで1年間の認知件数は約3400件。海外駐留の不安定化につながりかねない事態として綱紀粛正に追われている。
        時事ドットコム (2013/05/18-17:51)________________________________________

米陸軍軍医部の第二次大戦史が「道徳と健康に有害な売春(Prostitution)を根絶する政策を採用した」と格調高く宣言した建前が、実態とかけ離れていたのもたしかである。
 米軍は「兵士」の売春婦との接触はいかなる地域においても禁止」という方針を打ち出した「五月布告」(1941年陸軍サーキュラー170号規定)を終戦期まで押し通したが、「実際にはこれ(売春)を黙認し、軍内外からの批判があった場合には一応形だけは調査し、適切な処置をとることにしていた」とされる。
             「慰安婦と戦場の性」秦郁彦著 新潮選書から抜粋
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 橋本市長がピンチに追い込まれている
それはアメリカのダブルスタンダードの本質を理解していないからである。
ある意味アメリカの国柄は日本の左翼連中と似ていると感じている。
それは自分たちに都合の悪いことはあいつらとは人間が違うとでも言いたげに平気で無視することだ。
 
 日本のマルクス主義者は同じ日本の国籍を持って大和民族の血が流れており、2000年以上もの間、同じ日本文化を享受してきた仲であっても考え方が違うだけで、わたしは保守系とは相いれないものがあり、彼らは敵であるという態度をとる。

 アメリカ軍の中には戦時中、「リンドバーグの日記」に記されていたように日本軍人に対する残虐行為は目に余るものがあった。
戦利品として日本人の捕虜を殺して、皮をはぎ肉を削ぎ落し、いまだ緑色に光っている頭蓋骨や足の脛骨をクツベラに加工したお土産を持って帰ったり、飛行場の滑走路に日本人捕虜を集め建設用ローダで踏みつぶしたりしていたという。オンリー

 日本占領時、朝日新聞の木更津支局長だった明石清三によると、45年9月12日、市長室に武装した米軍将校3人が押しかけ、「女を提供してもらいたい。すぐ血液検査をする。30人以上」と迫った事案。
 進駐軍として日本に来るや否や連合軍兵士用(主として米兵)「特殊慰安施設協会」(RAA)を設置させ、食べ物に飢えた素人の女性やプロの女性を集め売春をさせたのである。
女性一人につき、一日最低15人から最高60人までの米兵を相手とする有様だったという。

 本国の圧力団体によりRAAが廃止された途端、日本人婦女子に対する強姦事件が急増している。もっともこのころ米軍の起こした不祥事は検閲で厳しくチェックし、報道させなかったのである。
 米軍の矛盾はアメリカの中に禁欲主義の伝統と言おうか、英国の植民地時代に、魔女裁判とならんで売春婦に公開のムチ打ち刑を科したというピューリタンの伝統が残り、女性の社会的発言権が強かったアメリカ軍は、戦場の性問題で英連邦軍のようなリアリズムに徹しきれなかったところに問題がある。
 政界、軍上層部、女権拡張主義者、聖職者にピューリタンの伝統が残る一方、戦場で戦う兵士たちには明日をも知れない悲壮感から肉欲に走る男たち。米軍の戦史を見ていると、英豪軍のようにリアリズムに走れず。戦地での慰安所を開設しては閉所する前線指揮官と軍上層部の無意味なやり取りが終戦まで行われていたのである。
 特に有名なのが戦車のパットン将軍、彼はイタリア戦線、フランス戦線においてもドイツ軍やイタリア軍の残した慰安所をそっくり残し、大いに活用したが、軍上層部と厳しい対立が終戦まで続いたのである。
 昆明駐屯の米義勇空軍(フライング・タイガース)が「昆明の有名な売春宿のおかげ(性病)で、時に空軍の半数が飛べなかった」こともあり、手を焼いたシェンノート司令官は米軍機をインドヘ飛ばし、病毒を持たぬ12人のインド人売春婦を運んできた。ところが、ピューリタンのスチルウェル総司令官が激怒して閉鎖命令を出したので、それいらい両人の関係は最悪になったという。
 米軍相手の日本人慰安婦たちの総数は不明だが、ピーク時七万、閉鎖時五万五千人というデータもある。またオンリーと呼ばれる現地妻も大勢いたことを見聞きしている。

 このほか朝鮮戦争は朝鮮の戦争未亡人を、ベトナム戦争時 第三旅団(兵力四千)は慰安所を抱え込んでいた(例60人、個人部屋で一日に8人から10人をこなす。料金は500ピアストル(2ドル相当)で、女の手取りは200ピアストル、残りは経営者が取った)という、湾岸戦争、イラク戦争は主に米軍の女性隊員を対象にしたが、戦場から離れた後方地区での休暇はそれなりに楽しんだのだ。
 
 韓国軍は戦場では片っ端から強姦をし、駐屯地では慰安所が常態であった。ベトナム撤退後に残された韓国系混血児は5000人とも3万人ともいわれており、韓国政府としては謝罪はしていない。

 このように米軍の基本は建前はピューリタン精神の禁欲、現実は戦場では強姦・慰安婦であり、札びらで貧乏なアジア人女性の頬っぺたをタタき、やりたい放題というのが事実である。
それでも日本を批判しますか・・・。
慰安婦と戦場の性

  
Posted by wildhorse38 at 17:45Comments(0)TrackBack(0)

2013年04月29日

◎Made in Occupied Japan

主権回復■「主権回復の日」政府が初式典 条約発効から61年
 政府は、サンフランシスコ講和条約が発効した4月28日を「主権回復の日」として政府主催の式典を初めて開いた。
 安倍総理大臣は、61年前の4月28日に主権を回復した意義を強調し、「本日を一つの大切な節目とし、これまで私たちがたどった足跡に思いを致しながら、未来に向かって希望と決意を新たにする日にしたい」
沖縄は、条約発効後もアメリカの統治下に置かれた「屈辱の日」にあたるとして、仲井真知事が式典への出席を見送るなど猛反発している。

昭和20年8月15日(1945年)は日本がアメリカを主軸とする連合軍を相手に死力を尽くして戦い「惨敗した日」し停戦した日なのです。
このことは知っていても占領下に何が行われていたのか、どんな重要なことが決められていたのか知っている人はごく少数でしょう。

Q 国家成立の要件の基本的構成要素は何か。
領 土:日本の主権を行使し得る地域、領海・領空を含む。
国 民:領土の上に住む住民で、その国家の主権に従う者。
主 権:領土に住む住人から認められ組織化された政治権力。

Q「主権」とはわかり易くいえば
「主権とは国家の政治のあり方を最終的に決める権利」
「我々の行く末を自分たちで決める権利」であり、
 ●日本国のことは俺たち日本人が決める。外国が余計な口出しをするな!
 ●外国が日本の領域に入ってきて勝手な事をするのは許さない!
 ●国民の権利はあくまでも日本国政府が守る!
 ※これが我々の守るべき主権である。

GHQに占領統治されるということはこれらすべてをマッカーサー将軍に委ねるということ。
すなわち、戦闘を停止した昭和20年8月15日という日から、昭和27年4月28日のサンフランシスコ条約発効の日まで、日本は「日本」という国ではなかった。
では、その間の日本は、なんだったのかというと、当時の国名は「連合国統治領日本」です。
その頃の日本からの輸出品は、Made in Japan ではなく、Made in Occupied Japan(占領下の日本製品)となっています。

昭和27年4月28日こそ、我が国が連合国との間に締結したサンフランシスコ平和条約が国際条約としての法的効力を発揮し、わが国が敗戦国として受けていた米軍による占領状態の屈辱から解放されて独立の国家主権が回復することができた日なのです。
すなわち昭和27年4月28日が日本の主権を回復した独立記念日と云えます。

占領下の日本(OCCUPIED JAPAN)で何が行われていたのでしょう。

昭和20年8月15日以降

             ●財閥の解体

             ●農地改革

             ●婦人参政権

             ●労働組合法の公布

             ●修身・日本歴史・地理の授業停止

             ●神道指令

昭和21年 ●公職追放●極東軍事裁判(東京裁判)始まる
        ●日本国憲法の公布
     ※占領間GHQの報道管制を受け、進駐軍に批判的な記事は禁止

昭和22年   ●教育基本法の公布 
                ●独禁法・労働基準法の公布
昭和25年  ●警察予備隊発足(保安隊、自衛隊の前身)
昭和26年  ●平和条約・安保条約の締結
昭和27年4月28日 
          ●平和条約効力発生により主権回復

このように6年と8カ月の間に国の基本たる骨格が他国に全て決められ、独立国としての気概も失い、我々の行く末を自分たちで決める権利に立ち返ることも出来なくなってしまった。これが占領国アメリカの狙いだったのです。

 沖縄が返還されるまでの間、沖縄には大変な思いをさせたけれども、あの時点では本土復帰を優先させざるを得なかったのです。沖縄の戦略的地位からしてアメリカも手放すわけにはいかなかったと言える。
沖縄では「屈辱の日」として反日活動が盛んであるが、それに連動して中国からの工作が強くなっているとのこと。
私は最近思うのだが、沖縄は中国・韓国朝鮮と同じ思考過程で、こちらがいくら誠意を見せても反日のための反日活動がますます高まり、騒げば騒ぐほどバカな政治家が日本国民の血税を投入するというスパイラル現象が続くのである。
本土復帰以降どのくらいのカネが沖縄に投入されたか誰も知らない。
観光以外これといった産業もなく、たかることを生業にし、遊び暮らしている。
沖縄出身の作家惠 隆之介(めぐみ りゅうのすけ)が云っているじゃないですか。
騒げばすぐに金を出す日本政府が沖縄人をダメにしていると・・・。

4月28日「主権回復の日」を切っ掛けに、今一度「日本と云う国の在り方」について考えてみませんか。

 

 

  
Posted by wildhorse38 at 00:22Comments(0)TrackBack(0)

2012年11月05日

◎創られた英雄「ジョージ・ワシントン」のアメリカという国

マッカーサー_320

私の愛読書に高山正之の変見自在がある。

これは「週刊新潮」連載超辛口名物コラムとして有名である。

今回で第7弾が発刊された。それが「日本よ、カダフィ大佐に学べ」である。

彼の姿勢は常に斜に構え、日本人特有の性善説を否定し、相手国を知るにはその国の歴史を知ることだと、そこにはその国の素行が表れているからだという。

なるほど中国、朝鮮は「約束は守らず、裏切りの歴史」と言い切れる。

米国はと言えば、自国民を囮にし、相手国を追いつめて攻撃をさせてから反撃に出るというパターンを常とう手段としている。


 国際的な騙しで有名な話の1つは「リメンバー・アラモ」メキシコの領土であるアラモの砦を米国の荒くれ者に占領させ、それを排除したメキシコに難癖をつけ、米軍の正規兵を義勇兵の名で送りだしメキシコ軍を破って、メキシコ領テキサスを強奪し併合した。


 2つ目はキューバ紛争中にハバナに停泊中の米戦艦メイン号を自ら爆沈させ、スペインに因縁をつけ米西戦争を始める。このときの合言葉は「リメンバー・メイン」。

結果スペインの植民地であったキューバを保護領にし、フィリピン、グアムを取って、当時独立国で日本の友好国でもあったハワイ王国を宣教師でフルーツプランテーションの親玉ドールと企みものにしたのである。これがアメリカの領土拡大のパターンである。


 日本人として忘れてはいけないものは、ハワイに米太平洋艦隊の基地を作り、日本を経済的に追い詰め、日本の連合艦隊を誘い込み戦艦5隻を生贄にして叩かせたのである。

ただし空母だけはもったいないと真珠湾から緊急避難をさせ無傷にして、日本への反撃の中核としたのである。このときの合言葉は「リメンバー・パールハーバー」であった。


 我われ日本人も出鱈目ばかり垂れ流す日米の大マスコミや醜悪な近隣諸国に、「よその国は平和を愛する良い国ばかり」なんて寝言を言っていないで、しっかりと見極めましょうよ ご同輩!

 

以下は 変見自在 「日本よ、カダフィ大佐に学べ」高山正之からの引用

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ■被害者ヅラする米国が生んだ「テロ連鎖術」

 ジョージ・ワシントンは子供のころ庭の桜の木を斧で切り倒したというエピソードがメーソン・ウィームズ著の伝記にある。

 怒りをにじませる父に彼は素直に自白し、父もぶん殴るのを思いとどまって我が子を褒めた。正直はいいことだと。

 しかし、これは作り話だった。そのころ米国には桜の木はなかった。

 作者がワシントンに欠けている正直さを補うために後から無理に付け加えたと一般に言われている。

 だいたい話の舞台のバージニア州マウントバーノン辺りはあのアメリカ花水木が有名で、後に州花にも指定されている。こちらの木にしていれば嘘はばれずにすんだ。

 ではワシントンはそんなに嘘つきかというと、正直なときもあった。

 市民軍の士官だった彼は手柄を立てて正規の英軍将校になるのが夢だった。

 それでフランス軍がオハイオに侵出してくると、勇躍出陣し、仏軍10人を捕虜に取った。ボインなアメリカ人

 そこまでは良かったが後に米国人となる市民軍の半分は英本国から流れてきた元囚人かその末裔。彼等は躊躇いなく仏軍捕虜を皆殺しにした。

 彼はその後、逆に仏軍に囚われ、10人虐殺の真相を質されると命惜しさから正直に殺害を実行した部下の名を告げ、許されて生還した。

 ただ、この正直さがたたって英軍は彼を正規士官に採用しなかった。

 彼はそれを恨んで米国の独立運動に挺身する。

 チャンドラ・ボースも最初は英国のインド高等文官(ICS)試験に受かって植民地インドの知事になるのが夢だった。

 ところが学科は通ったものの乗馬試験に落ち、彼はそれを逆恨みしてインド独立運動に転向した。

 ベトナムの阮愛国ことホー・チミンも同じ。仏植民地官吏試験に落ちて、独立運動を始めるが、こういうのが植民他人の共通した発想なのだろうか。

 さてワシントンは独立戦争に何とか勝ち、「すべての人間は生まれながらにして平等で、生命、自由、幸福を追求する不可侵の権利をもつ」と宣言して新しい国造りを始めた。

 ただ、その中にインディアンも黒人奴隷も入っていなかった。

 

彼はマウントバーノンの農場に400人の黒人奴隷を囲っていた。

 大統領になるとペンシルバ二ア州フィラデルフィアの大統領官邸に9人の里人奴隷を連れてきて身の回りの世話をさせた。

 ところがこの州は里人奴隷を認めない自由州で、6か月問続けて、この州に居住した奴隷は自由人になるという規則があった。

 ワシントンはそれで9人の奴隷が5か月間つとめるとマウントバーノンに送り返し、別の奴隷を官邸に連れてこさせた。

 彼は黒人に自由を認めなかったが、インディアンには幸福の追求どころか生命すら認めなかった。

 彼等は白人に追われ、ずっと退却してきたが、モホーク族を中心に結束して白人に抵抗を始めた。

 ワシントンはそれが気に食わなかった。彼は「インディアンを根絶やしにしろ。制圧するのではなく絶滅させるのだ」と命じた。

 戦士と戦場で勝敗を争っても絶滅させられない。それで戦場では戦わず、銃後の集落を皆殺しにする戦法がここから始まった。

 それはその後の米国の戦い方の形になった。

 フィリピンの植民地化では抵抗するアギナルド軍1万8千人は相手せず「彼等の家族20万人を殺害」(米上院公聴会)した。

 ベトナム戦争のソンミの虐殺も同じ趣旨だ。対日戦争でも米国は太平洋の前線で待つ日本軍の頭上を越えて本土を攻撃し、広島に原爆を落とした。敵兵の妻子を殺すことに専念した。

 世界はその残忍さが相手の戦意を阻喪させるのにいかに効果的かを知ったが、アルカイダを除いてどこもそのおぞましい米国式戦法を真似る気にはならなかった。

「9・11」の10周年でオバマは「戦場でもない、平和な市民生活を破壊したテロを忘れない」と言った。

 その手法を生み、実行してきたのが米国だということも忘れないでほしい。

                          2011年9月29日号

  
Posted by wildhorse38 at 16:39Comments(0)TrackBack(0)

2009年10月10日

◎世界がアングリ(−)!!! オバマ米大統領にノーベル平和賞

 ノルウェーのノーベル賞委員会は9日、今年のノーベル平和賞を、バラク・オバマ第44代米大統領(48)に授与すると発表した。就任間もない現職大統領の平和賞受賞は近年、極めて異例。オバマ氏は、メディアが予想する平和賞の有力候補リストに入っていなかった。

授賞理由として、国際外交の推進や各国国民の間の協力関係強化に甚大な努力を示していると評価した。とCNNは伝えている。

これにはびっくり“何だソリャー”が第一声

毎日新聞は米国内の雰囲気は祝賀ムードにほど遠く、驚きと戸惑い、さらには批判の声さえも聞かれた。最大の理由は、米国民が喜びを共有できる「実績」が大統領にないためだ。

と伝えている。

考えてみれば、今年の1月就任したばかりのオバマ米大統領はあちこちで美味しい声明を発表しているけれど何の成果も出してはいない。

現実と向き合ってきれい事を言っている場合ではないと気付き始めた大統領に欧州の知識人は方針転換前に歯止めをかけたのではないか。

 ノーベル平和賞受賞者

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  読売新聞09.10.10から抜粋

     歴代受賞者を見てなんか変だと思いませんか。

あまりにも政治的に走っているとは思いませんか。

・アウン・サン・スーチー女史は英国籍を持ったビルマ系英国人で夫は英国人の知識人。

ミャンマーでの政治闘争が評価。

・何の結果も出ていないアラファト、ラビン、ペレスは中東の平和に貢献したというが何処が平和なんだか教えて欲しい。

・金で買ったノーベル賞が韓国でも定説の金大中元大統領、彼が貰うのであれば金正日が貰わなければ片手落ち

・カーター元米大統領はブッシュ大統領の対イラク戦争開始を止めるため受賞させたと明言している。

・ゴア元米副大統領へは気候変動に対するキャンペーンで受賞したというが、ゴアの大豪邸は気候変動と真逆だと言われるほど、エネルギーを使い放題であると暴露された。

 

事程左様に西欧の偽善者たちはノーベル平和賞の格式も権威も貶めており、今年もつまらない人物を選んだなと笑い飛ばすのが一番

 

 ところで誰もわかっていない“友愛精神”を就任当初から日本でまき散らし、世界中で馬鹿にされながら“友愛”を呪文のように唱えている日本の鳩山首相もオバマと同じ体質なので、そのうち、中国から“中華圏毛沢東ポチ賞”でも貰うことにでもなったら、中国が世界中にまき散らすチン犬のウンコ(開発途上国の紛争、中国製地雷、中国製武器等)の後始末に走り回ることにならなければよいが・・・。と思うのは私だけであろうか。

  
Posted by wildhorse38 at 19:08Comments(1)TrackBack(0)

2009年01月22日

◎考えられなかった黒人のオバマ大統領

Change! 幕開け…熱狂のワシントン オバマ新政権 

 オバマ大統領は20日午後0時5分(日本時間21日午前2時5分)、連邦議会議事堂前で開かれた就任宣誓式で、リンカーン大統領も使用した聖書に手を置き、宣誓を行った。ロバーツ最高裁長官が宣誓文を読み上げる順番を間違え、オバマ氏が言いよどむ場面もあった。傍らでは黄色のドレスに身を包んだミシェル夫人が見守った。

 

オバマ大統領 「米国は、平和と尊厳を求めるすべての国家の友人だ」。就任演説で、オバマ大統領がこう訴えると、ひときわ大きな歓声がわいた。聴衆の星条旗が左右に振られ、地面がうねるかのようだ。

 

 議事堂前の広場「ナショナル・モール」を埋め尽くした聴衆は午前9時現在で約50万人。パレードなどもあわせ、合計では過去最高となる約180万人の人出となった。

 

 約18分にわたるスピーチには、オバマ夫妻の2人の娘や、ブッシュ親子とクリントン、カーターの歴代4大統領夫妻も立ち会った。と読売新聞は伝えている。

 

 

正直なところオバマ大統領の誕生は在りえないと断言していた。

ブッシュ前大統領によるイラク戦争の失敗があったとしても、未曾有の経済不況がなければ共和党のマケインがこれほどの大敗をすることはなかったはずである。

 

確かにオバマはキリスト教の伝道師のように演説で聴衆を酔わせ、今までの黒人指導者のように「黒人による黒人のためだけの政治」から脱却して黒人色を抑え、夫婦ともハーヴァード出身の超エリートであるということが、民主党の白人エリート層にも支持を広げることも出来た。歴とした黒人でありながら彼の醸し出す中性的な雰囲気が彼らの黒人アレルギーを払拭したのである。まさにオバマという敵を持たないキャラクターと不況という時の運が彼を大統領に導いたと言えるかも知れない。

 

何故私がこれほどまで“黒人というキーワード”に拘ったかというと米軍人との長い付き合いがあったからである。

 

昭和40年代後半、べトナム戦争華やかなりし頃のことである。

当時御殿場に勤務していたが、富士山の麓には米軍訓練部隊用のFUJICampがあった。

当時は今のように白人兵と黒人兵が一緒に歩くということは有り得なかったし、米軍専用の“Aサインバー”があったとしても白人兵専用バーと黒人兵専用バーに分かれており同じバーで鉢合わせることもなかった。

バーのホステスも黒人用、白人用に分かれており、黒人用ホステスが白人を相手にすることはなかったのである。

 

こんな光景を見たことがある。

ある日 黒人兵と白人兵が喧嘩して白人兵が殴り倒された

2日目 黒人兵1人に白人兵が23人が

3日目 白人兵23人に黒人兵が78人が

4日目 黒人兵と白人兵の30人ほどが入り乱れて乱闘をしていた

    MP(軍警察)が割り込んで来てこれを治めた

 

ある日 白人MPが黒人兵を捕まえて、警棒で気絶するくらい叩きのめしていた

    その間、もう一人のMPは腰の拳銃に手を掛け何時でも撃ち殺せる体勢でいた

 

昭和50年代後半 日米共同訓練が始まったころのことである。

米軍の野戦宿営地を訪問したことがある

エスコートをしてくれたのが、テキサス大学出身の黒人の大尉(中隊長クラス)で彼の任務はプロトコールで師団長の副官(秘書の仕事)をしていた。

 

私と二人でキャンプ地域を歩いていたら、向こうから白人兵2人が歩いてきた

彼らは何となくニヤつきながら我々に敬礼をして通りすぎたとたん、小馬鹿にしたように笑いながらふざけ出した

 

その後、PX(一寸した買い物や談笑が出来る場所)で黒人大尉と話しをしていたら、見るからにアメリカのプアーホワイト出身と思われる白人兵が私たちのテーブルの傍に立ち、腕組みをしながらわれわれを睨み付けている

 

「何だコイツは!」と苛立ち立ち上がろうとすると、大尉は悲しそうな顔をして私を抑えた

 大尉は席を移そうというので不承不承同意し彼に従ったが、我々が出て行った後、あの兵隊たちの卑猥な笑い声が聞こえた

将校としてのプライドを2度に亘って傷つけられ、ガックリしている黒人大尉の姿が可愛そうで慰めの言葉も出なかった

 

当時米軍内でも人種差別行為は禁止されており、処罰ものであったが公然と行われていたのを見ている私は“人種差別はなくならない”と確信を持っていたのだ

特に差別階層の近い黒人層とプアーホワイト層は職能区分が近いこともあって、歴然としたレイシズムが存在したはずなのである

 

しかし確かに四半世紀の間に、その階層の壁が緩やかになって色々なバリアを越えて、わずか13%のマイノリティーからアメリカの、いや世界の指揮官を選出したアメリカの懐の深さには完敗した

だからといって日本は民主党小沢にチェンジしてはいけない

 

日本のメディアと政界には国家観や歴史観のない感情論と軽さが主流を占めて居り、彼らの主張を一つ一つ吟味してみるとまさに日本の弱体化に繋がっている

防勢一方の麻生政権は“攻勢に転移”しなければ選挙には勝てない

国民の政治不信はネジレ国会を作っている参議院逆転にある

いま参議院が本来の仕事をしていると思っている国民はほとんどいない

衆議院と同じ機能であれば廃止するべきである

せめて“国会議員を半減して一院制移行への道筋をつける!”くらい言ってみろテンダ

インパクトのない選挙スローガンでは勝てませんぞ

“麻生さん!”

 

  
Posted by wildhorse38 at 12:50Comments(0)TrackBack(0)

2007年07月04日

◎日本人の気持ちを逆なでするアメリカ

原爆投下の正当性、米核不拡散担当特使が強調

741338分配信 読売新聞

鬼畜の米兵【ワシントン=大塚隆一】米国のロバート・ジョゼフ核不拡散担当特使(前国務次官)は3日、国務省で行った記者会見で、広島、長崎への原爆投下について、「さらに何百万人もの日本人が命を落としたであろう戦争を終わらせたという点に大半の歴史家は同意すると思う」と述べ、改めて正当性を強調した。

 原子力平和利用分野における米露協力に関する記者会見で、「原爆投下は技術の非常に無責任な利用だったと思う」と指摘されたのに反論した。という

 

私は反米主義者ではないが、この発言は許せない

アメリカは何のために原爆を落としたかと言えば

戦後のパワーバランス争いで、ソ連(ロシア)にアメリカの力を見せつけるためのパフォーマンスであったのは明確である。

すでに日本は負け戦を繰り返し、敗戦処理に入っていたのであり、まもなく日本は手をあげることは解っていた。

アメリカは何百万人もの日本人の命を救うためなどと戯言を言ってはいけない。

 

日本政府はアメリカに抗議の声明を出すべきであり、これに反論しなければアメリカの考えを日本が認めたことになる。

日本政府が反論したからと言って対米感情が悪くなるとは思えない。

 

■日米外交の基本は

右手でしっかり握手をしながら、左手で相手の頬を叩き、足で相手の脛をける。

顔は御互いにニコニコ笑っている

すなわち右手の握手(日米同盟)が基本形で、それぞれの分野では国益をかけて闘うのである

 

しかし最近のアメリカは日米の友好関係を損なうようなことを平気でやる

米下院委員会での慰安婦問題での対日非難、謝罪要求は理解に苦しむ

中国・韓国の対日戦略に乗せられて、同盟国である日本を貶めるとは何事か

 

■軍人と売買春はつきものである。

世界中の米軍基地周辺には必ず米軍相手の娼婦がおり、米軍人は札びらで娼婦の頬を叩きながらセックス処理をしているではないか。

オンリー終戦直後、日本にはRAA(米軍専用慰安所)がつくられ、日本全国の米軍が駐屯する町々に「オンリー(米兵専用のお妾さん)、パンパン(ショートで相手する米軍専用の娼婦)」がおり、一時は6万人を超える米軍相手の娼婦がいたという。

エリザベス・サンダースホームの混血児たちが良い見本である。

 

韓国にも米軍基地の周辺に売春窟があり、ベトナム戦争においては米軍師団が米軍専用の慰安所を抱えていた。

韓国軍もベトナムに5000人とも3万人とも言われる混血児を残してきているし、朝鮮戦争の時には慰安婦をつれて回ったとの記録が韓国の研究者から発表されている。

 

第二次大戦の時は米国の黒人兵専用の売春宿がオーストラリアに開設されたし、イタリアのシチリアにドイツ兵が残した売春宿をアメリカ軍はそのまま使ったという

終戦直後日本において新聞報道を規制し、米兵の犯罪を報道させなかった狡猾なGHQ

そのためどれだけの日本人女性が鬼畜のような米兵に汚されたか

日本人は裁判沙汰になったり、他人と争うことは好まない秩序ある民族である。

しかし世界の趨勢は反論しないと言うことはそれを認めたと言うことである

日本政府は外務省の貴族趣味を廃して、理不尽な主張には断固闘うべきである。

いま一時的に収まっても、これで決着したわけではない

一時的に険悪なムードになったとしても言うべきことはきちんと主張しなければならない

アメリカのノー天気なピューリタニズムに乗ってはいけない。

この先もアメリカに小突かれながら生きていくのか、

それとも誇りある民族として生きていくのか正に正念場を向かえている

 

 

軍隊と性管理

http://wildhorse-depot.seesaa.net/article/35793407.html

  
Posted by wildhorse38 at 22:10Comments(0)TrackBack(0)

2006年05月04日

◎B29のこの恐るべき殺戮 一万七千五百機・爆弾十六万トンの「空襲」の記録

東京大空襲の偵察飛行に非難する市民「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉とアングロサクソンはアジアの有色人種をいかに見ていたかが分かるのが日本本土空襲である。

 

都市攻撃と言うのは一般市民を殺りくして国民の戦意を喪失させるのが目的である。

一般市民(女・子供、年寄り)は非戦闘員であり、彼らに対する攻撃は明らかに国際法違反である。

その顕著なものは東京大空襲であり、広島・長崎の原子爆弾投下である。

彼ら連合国は国際法違反をやっているにも拘らず罪に問われることなく、逆に敗戦国の日本が人道に違反する罪に問われた

これが力関係の国際紛争の処理である。

ではその空襲はどのように為されたかを検証する。

 

17年4月18日 ドウリットル中佐指揮のB25が 太平洋上の空母から発進 東京など5都市を奇襲したのが 日本初空襲だった 19年6月から九州諸都市を爆撃したが 空襲が本格化した1911月1日から終戦までの9ヵ月半に 日本空襲に飛来したB29は延べ1万7500機 投下した爆弾16万トン 被災者920万人死者35万人負傷者42万人全焼家屋数は221万戸という恐るべき数字となった

 

東京空襲

「原子爆弾による荒廃を別とすれば いままでに行なわれた空襲のうち 最も大きな惨害をもたらした」といわれる20年3月10日の東京大空襲は 一夜にして10万人の生命を奪い家を失った都民はー00万人を超えた 191124日 20年2月25日そして3月10日 つづいて4月13日・15日 5月24日・26日の7回の焼夷弾攻撃で 全市街地の50・8%を焼失 開戦時の35区の人口687万人が253万人に減り 市街地域は米空軍の焼夷弾攻撃目標簿から抹殺されるに至った 空襲による東京の死者は11万5000人 負傷者15万人

カーチス・ルメイという男がいる

第二次大戦当時米空軍第21爆撃隊司令官で、東京大空襲を始めとする 無差別戦略爆撃および原爆投下の直接的な責任者だったカーチス・ルメイ大将(大戦当時は少将)低空飛行する爆撃機B29から焼夷弾を大量に落とす絨毯(じゅうたん)爆撃作戦を採用、さらには原爆投下も指揮して、日本の主要都市を焼け野原にした人間であるにも拘らず、戦後佐藤総理の時代の1964年には「航空自衛隊を育成した功績」として日本政府から「勲一等旭日大綬章 」を授与された。

常識的日本人であれば考えられない処置である

 

◎貴方はどれだけの軍人・軍属が戦犯として処刑され、または自ら命を絶ったかご存知ですか

http://blog.livedoor.jp/wildhorse38/archives/24241178.html

 

◎日本を焼き尽くしたB29 国際法違反の恐るべき殺戮

http://blog.livedoor.jp/wildhorse38/archives/29790152.html

 

◎日本国民を大空襲と原爆で殺戮し、日本政府から勲一等旭日大綬章を貰った男「ルメイ将軍」

http://blog.livedoor.jp/wildhorse38/archives/29993782.html

 

B−29による殺りく 空襲の記録

http://wildhorse-depot.seesaa.net/article/17293524.html

 

 

アメリカがいかに我々日本人の命を軽視し、ガソリンと焼夷弾を使って一般市民を焼き殺そうとしたかを知る

空襲体験記があるので紹介する。 

●ガソリンの雨

                 宍戸かつみ(当時・東京都江東区亀戸町在住)

 昭和二十年三月十日。史上空前ともいうべき東京下町一帯の大空襲に江東区亀戸町で被災し、幸いにも五人家族全員生き残り、当時、小石川西丸町にあった叔父の家(母の実弟)を頼って、やっと落着くことが出来ました。が、それも束の間、あの呪わしい日からわずかーカ月ばかりの四月十三日夜半、ふたたび大空襲に見舞われました。

 

 ちょうど叔父は会社の仕事で地方に出張中、家族は京都に疎間しており、私どもは居候兼留守をあずかっておりました。

私は当時、女学校四年生(17歳)で、学徒動員で本所にあったD機械工場で働いていましたが、学校も工場も焼けてしまいました。祖母は三月十日の空襲にこりて福島県の山の中に疎間させ、兄は海軍省の上役の方のお宅に下宿させてもらっており、一家離散の有様でした。後は娘の私と薬剤師である父、当時心臓病で弱かった母と三人のわび住いの毎日でした。

 

 四月十三日の晩は風もなくおだやかで、妙に不気味なほど静まりかえった夜でした。あれはちょうど10時過ぎだったと思います。警報が出て、毎度のことながら身支度をして、父母と様子を見ておりました。間もなくB29の爆音と味方の高射砲のお腹にひびくような、ズシンズシンと、にぶい音が入り乱れて、だんだん近づいて来た様子です。その時なにかがピカツと光り、突如家の中がパァッーと真昼のごとく明るくなったので、とっさに外にとび出してみると、左手の上富士前の方角に照明弾がキラキラと落下して行くのが目に入りました。理研の建物がある場所あたりです。それと同時に空襲警報のサイレンが、けたたましく鳴りひびき、親子三人防空壕へすべり込んで、父と私だけ入口から首を出して空を見上げておりました。

 

 敵機の爆音からして、今夜はどうも大編隊でやって来たらしく、地鳴りや轟音がいつもと違うようで、イヤな予感がするなと思った瞬間です。突然、頭上でガラガラッ、ザァーッザァーッと耳をつんざく音とともに、ドスンドスンと、二、三度身体に猛烈なショックを受けて、頭をどこかへぶつけました。壕がユサユサゆれ動き、天井から土砂が降って来ます。

 

 「やられたナ」と思ったとき、父が「ここにいたらあぶない、外に出ろ」と、母と私の手を引っぱって壕の外に出ました。前の路地に出ると、お向いのタンス屋さんの家に直撃弾が落ちたのです。ゴーツとものすごい音をたてて、あっという間に紅蓮(ぐれん)の炎が吹き上げ、もう二階が崩れ落ちてないのです。無我夢中で走り、四つ角まで来ますと、もう大勢の人達がひしめき合っていました。大塚、巣鴨、六義園方面は空も地も見渡す限り火の海で、わずかに南の後楽園(春日町方角)方面だけがほの暗いだけ、人々は完全に猛火の円の中に立たされてしまったのです。いつもは沈着冷静な父も顔色を変えて、「こっちへ移って来てまだ日が浅く、地理がよくわからない。運を天にまかすしかないから、覚悟だけはしておけよ」といい渡すのです。逃げまどう人々の流れに押され、突きとばされ、雨のように落下する焼夷弾の洗礼を死物狂いでよけながら、同じような場所を行ったり来たりしていたらしいのです。気がつくと市電氷川下停留所の所に立っていた私達でした。

 

すぐ近くに、当時の鈴木賃太郎首相の邸があるのです。そのとき警防団員の人が途方にくれている私達に、「皆さん早く徳川邸に避難して下さい」と、大声で呼んでくれたのです。大きな門を入ってみると、もうたくさんの人々が避難しておりました。雑草の生えた池のほとりに、やっと坐る場所を見つけ、いざとなったら水中にとび込む覚悟でいました。

 

 やがて邸の回りの樹木に火が燃えうつり、パチパチと音を立て始めました。劫火(ごうか)が風を呼び、煙と熱風が激しく吹きつけます。敵機は未だ頭上を悪魔のように乱舞しています。そのときポトリとなにか顔に当たりました。雨かなと、手でさわってみると、プーンとガソリンの臭いがするではありませんか。敵機はガソリンをまいて焼夷弾の直撃をかけてきたのです。はらわたの煮えくり返る思いですが、どうすることも出来ません。

 

隣りに母と並んで坐っていたどこかの上品な老婦人は、さきほどからずっとお念仏を唱えどおしです。私も他の人達と力を合わせ、防空頭巾を池の水に浸しては吹雪のように降りかかる火の粉を夢中ではらいのけていました。どのくらいの時間が過ぎたのか、ふとあたりが次第に静かになって来たのに、皆われに返りました。いつの間にか敵機も去り、東の空か白みはじめ、長い夜が明けたのです。

 

 親子三人、しばらくは放心状態で□もきけませんでした。私達はふたたび九死に一生を得て助かったのです。一晩、生死を共にした老婦人が、「助かって本当によかったですね。火の粉をはらって下さってありがとう。おかげさまで駄目だと思っていた家が焼け残っていました」といって、自宅からわざわざおにぎりを持って来て下さったのです。異臭の立ちこめる焦土の中で、いただいたあのおにぎりの昧は、その人の温情と共に、一生忘れることが出来ないでしょう。

 

昼すぎ親類の者が、私たちを探しにやって来ました。

学校や心あたりを探したが見つからず、百パ−セントあきらめていたとのことでした。

母をリヤカーに乗せ、徳川邸を後に余燼(よじん)くすぶる市電通りを黙々と歩いて行きました。途中、静かな谷中の通りにさしかかったとき、まぶしいほどの陽光に照り映えて桜の花だけは、あでやかに咲き誇っておりました。

 

  
Posted by wildhorse38 at 00:10Comments(0)TrackBack(0)

2006年04月13日

◎日米の友情をあらわすワシントンの桜にもケチをつける韓国

80c56b5f.jpg

ワシントンのポトマック河畔の桜は1912年に米国ワシントンに送られたことは誰でも知っている事実であるけれど、“米ワシントンのあちこちに咲いている派手な桜の原産地は日本ではなく済州島”だと朝鮮日報(韓国語)が報じている。

 

韓国は日本の空手、剣道、合気道、折り紙、生け花等の起源は韓国だとし、日本海は東海、竹島は韓国領土だと主張している。世界的に認められている日本の伝統文化、領土問題について国際地理学会を巻き込んで偽造、捏造を繰り返して世界に認めさせようとしている。

あの民族は自分たちの利益のためなら平気でうそを言うし、一流の学者でさえ偽造データを作り上げる。

うそも100回言えば本当になると、国を挙げてわが国を欺いている。

 

これは黙っていたら韓国のウソ話が真実として世界に広まる可能性がある

我が日本は韓国に徹底して事実を突きつけ、彼らに恥を掻かせなければならない

HPを調べていたらこんな素晴らしいHPがヒットした

 ワシントン桜物語 アメリカと日本の友情を深める花

http://www2.osk.3web.ne.jp/~aranishi/sakura.htm

 

このHPは米国ワシントンに送られた日本の桜は東京の荒川堤のソメイヨシノに伊丹市で育苗された台木に接木されて送られた史実が明確に書かれている。

 

“米ワシントンのあちこちに咲いている派手な桜の原産地は日本ではなく済州島”と主張する韓国のHP

http://blog.chosun.com/blog.log.view.screen?blogId=7259&logId=1029784

これを機械的に翻訳したのが

http://infoseek.amikai.com/amiweb/browser.jsp?langpair=9%2C2&url=http%3A%2F%2Fblog.chosun.com%2Fblog.log.view.screen%3FblogId%3D7259%26logId%3D1029784&translate=WEB%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8%E7%BF%BB%E8%A8%B3&display=2&lang=JA&toolbar=yes&c_id=infoseek

 

【韓国】 ワシントンの桜の原産地 日本ではなく済州島を知らせる運動

 

一般的に日本産の桜として知られたワシントン桜を始め、鎮海(チンヘ)、汝矣島(ヨイド)などの桜が済州(チェジュ)山・王桜(訳注:日本名ソメイヨシノ)であることを知らせようという運動がおこっている。

日本が歴史教科書まで歪曲しているという状態で、済州山で確認されて天然記念物に指定されている王桜の存在を今度の機会に確かに釘を打っておこうという動きだ。

(続く)

西帰浦(ソキポ)文化事業会は去る9日、天然記念物第159号に指定された王桜を西帰浦市の公園に植えた。イ・ソクチャン西帰浦文化事業会会長は「済州は世界唯一の王桜自生地にもかかわらず、この事実があまり知られていなかった。桜といえば、当然日本を思い浮かべる認識を破る必要があって広報活動を始めた。」と言った。

 

米ワシントンにはポトマック公園を始め、リンカーン記念館、ジェファーソン記念館などポトマック川沿いを中心に桜が植えられており、先月26日から桜祭りが開かれている。米国人たちはワシントン桜を日本との善隣関係の象徴物として見ている。

 

キム・チャンス博士はこれに対して「済州道内天然林100あまりの場所で王桜が自生していたことが確認された。

済州王桜は1908年フランス人の タケ神父によって初めて発見された後、多くの日本人学者によっても自生地の認証を受けた」と明らかにした。

博士は「王桜は全世界200余種類の桜の中でも一番立派で大きく育つ品種」と言った。

また「日本はこのために済州山王桜を移植して並木に植えるなど繁殖させた後

全国各所に桜公園を造成し、米国にもプレゼントした記録がある」と付け加えた。

(中略)

日本は朝鮮併呑2年後、親日性向のタフト大統領に両国友好の象徴としてで桜を寄贈したのだ。

ワシントンの桜はその華やかな花の背面に、このような臭い歴史的背景が隠れている。ワシントン桜祭りのたびに行われる

各種米日親善行事がただきれいに見えないのもこのような「歴史的背景」のためである。

  
Posted by wildhorse38 at 00:36Comments(0)TrackBack(0)

2005年08月20日

◎米国で日本たたきが始まる 裏でうごめく中国・韓国の影

いまアメリカでは日本たたきの第2次大戦映画が上映されているという。

それは大戦末期のフィリピンで日本軍に収容されていた500人の米人捕虜を奇襲作戦で収容した実話を題材につくった映画で「ザ・グレートレイド(偉大なる襲撃)」である。この映画はことさら日本軍を残酷な軍人に仕立て上げられているとのこと。

 

米中の日本たたき200また来年には「バターン死の行進」を取り上げるそうである。

 

私は7・8年前のアイリス・チャンを持ち上げて米中の諜報機関が連携して反日をやったのを思い出す。

中国は江沢民が実権を握って日本たたきに血道を上げていた頃のことである。

アメリカとしては戦後50年広島・長崎の原爆に対する反米感情が怒るのではないかという危惧から、米中の諜報機関が連携して日本たたきをやったのである。

アメリカの分析はいつも甘い

われわれを誰だと思っている尻こ玉抜かれて根性ナシの日本人だぞ。アメリカに逆らうわけがないではないか。

 

ただ厄介なのは米中韓の元捕虜たちが日本を相手に訴訟を起こしていることである。

これには中国政府が後押ししているらしい。

 

米中韓元捕虜の連携200日本側も言われっぱなしでは彼らの主張を認めることになるので、米兵の悪行を掘り起こして訴えることが大事だと思う。

 

日本人捕虜虐待に関しては

国書刊行会の戦犯叢書「戦犯虐待の記録」、その他にも沢山記録されている。図書館、古本店を探してみるのも一考かと思う。

 

 

 

 

 

 

 

  
Posted by wildhorse38 at 00:03Comments(0)TrackBack(0)

2005年08月11日

◎気象条件が左右した原爆投下目標 曇りの小倉から晴れの長崎へ

長崎の原爆 11時2分 原子爆弾の実験成功(1945716日)をうけて、日本のどこに投下するか、大詰めの選定作業が行なわれていた。取り仕切るのはマンハッタン計画総指揮官レスリー・グローブス少将だったが、多くの民間人や軍高官が携わった。そして最後はトルーマン大統領の許可を必要とした。

 目標選定委員会は四つの都市を候補に選んだ(5月28日)。最大の弾薬工場がある小倉、百万の人口と原爆効果測定に最も適している京都、日本軍の輸送船団集合地である広島、アルミ工場や輸送船の終着港である新潟、であった。

 このことを知って「京都を外せ」と異議を唱えたのがスチムソン陸車長官だった。そして、このスチムソンの異議が具体性を帯びたのは、アーノルド空軍参謀総長が、上司に当たるスチムソン陸軍長官に同調したからである。アーノルド大将はつい先頃まで日本空襲の総指揮をとっていたので、日本の空襲日標に精通していた。彼は即座に「京都の代わりに長崎を考慮すべきだ」とスチムソンに答えた。

 グローブスは「長崎は小さすぎて爆発効果が発揮されない」と反対したが、大統領に直接進言できる立場のスチムソンやアーノルドの意見が尊重された。

古都京都を原爆から救ったのは日本文化に精通していた後の駐日米大使ライシャワーの意見具申が大きかったと言われており、スチムソン陸軍長官を動かした一因でもあった。

京都は外され、小倉が第二候補、長崎が第三候補と決まった。

広島が第一候補にあげられた最大のボイントは「連合軍捕虜収容所がないのは広島のみ」だったからである。

 広島へは八月7日午前八時15分17秒に、長崎には八月九日午前11時2分に投下された。この長崎投下は、本来は小倉だったが、その日の小倉上空は雲が多く投弾できなかったため、B29は長崎に辻回したのである。

 

京都→小倉→長崎 まさについていない長崎 実は義父母が長崎出身で原爆症で鬼籍に入った。

1000年の都京都を原爆投下から回避できたことは喜ばしいことではあるが、同じ古都でもドイツのドレスデンは意味のない英米軍の空爆で街の80%を破壊された。ドイツ統一後歴史的建物は一般市民の浄財で復元しつつある。ドイツ人の民族性というべきか歴史的建物のほとんどの設計図が残っており、設計図に基づいて石を切り出し、破壊された建物で使えるところはそのまま使用し復元していた。

ちなみにこのブログのトップの画像はドレスデンの街並である。

  
Posted by wildhorse38 at 00:43Comments(0)TrackBack(0)

2005年08月10日

◎日本国民を大空襲と原爆で殺戮し、日本政府から勲一等旭日大綬章を貰った男「ルメイ将軍」

広島に原爆が投下されたのは、一九四五年(昭和二十年)八月六日の午前八時十五分、

長崎は八月九日の午前十一時〇二分のことだった。

それまで、空襲といえば夜間が原則だったのに、なぜ広島の原爆投下に限っては午前の、それも八時台という時間設定であったのか。結論を先に言うと、その投下時刻の決定には、最大効果を狙う、ある酷薄な意志がアメリカ側に働いていたのである。

それは学校が始まり朝礼の時間帯でみんな校庭に出ている。

会社、工場、作業現場等は日本人特有も文化 「朝礼」の時間である。

アメリカの原子爆弾投下チームは日本人の生活様式、木造建築の弱点の全てを研究し尽くして日本を襲ったのである。

まさに一般市民の大量虐殺を狙ったのである。

原子爆弾(ファットマン)○都市焼夷の戦略爆撃

 B−29の本土来襲は一九四五年三〜八月の間に、延べ百二十三回、一万四千七百八十機に及んだ。一九四五年の初期においては、軍事施設・工場・交通機関等への精密爆撃に関しては、早朝ないし昼問爆撃が若千行なわれていたものの、21爆撃部隊司令官のカーティス・ルメイ准将発案の「都市焼夷の戦略爆撃」が開始されて以来、空襲は夜間から夜明け前の早暁というのが原則になっていった。

その方が戦略的に見ても効果が大であると判断されたからである。

 

○東京大空襲

それは一九四五年の三月九日夜から翌未明にかけての東京大空襲だった。

前出のカーティス・ルメイ麾下の爆撃機は、一六六五トンの爆弾を東京に投下した。

焼夷弾であらかじめ「火の壁」を作り、逃げ道を断ち、さらに頭上に焼夷弾を落としていくという残酷で計画的な手法は、数カ月後の広島、長崎にも匹敵するような被害を東京にもたらした。

 「米軍機が焼夷弾投下を開始すると、風は火勢を強め、横町や建物の中へ炎を吹き込み、通りと防火帯を越え、渦を巻く白熱化した気体の巨大旋風は街区のすべてをなぎ倒し壊滅させた」

「焼夷弾により、工業地域の18パーセント、商業地区の63パーセント、労働者階層の住宅地帯の全域がことごとく焼き払われ、二五万戸の家屋が焼き払われた」

「すでに群衆は、ある者は悲鳴をあげながら、東京中を雪崩をうって逃げまどっていた。床下の防空壕にとどまっていた人々はたちまち火炎旋風によってあぶり殺された」

「移動する炎は群衆の避難路を塞いでしまった」

 この空襲で、ルメイは飛行士たちに、「わずか一日でも一時問でも戦争を短縮したとすれば、諸君は高尚な目的に貢献したことになる」と激励したというが、この焼夷弾攻撃は、いかにしてより多くの人員を殺傷し、手に負えない火災をつくり出すかを何度も計画し用意周到にテスト空襲を行なってきた「成果」でもあった。その経緯は今日ではかなり明らかになっている。

 

○なぜ午前中だったのか

 この東京大空襲後、六大都市・県庁所在地・工業都市への焼夷弾攻撃は、殆どが夜間になされている。常識的に考えても、夜問の方が日本側からの迎撃も限定的なものになるし、消火活動も困難となり逃げまどう人々などの死傷率が高まる。

 したがって都市潰滅を目的とする広島攻撃も、本来ならば、夜問爆撃されるべきものであったはずなのに、それが何故か、日中に行なわれたのである。理由は、軍事的によりも政治的に最大級に重要だったこの攻撃では、当時まだ信頼度が低かったレーダー照準に頼ることなく、「目視」による精密爆撃が厳命されていたからである。

 

 

○カーチス・ルメイという男

第二次大戦当時米空軍第21爆撃隊司令官で、東京大空襲を始めとする 無差別戦略爆撃および原爆投下の直接的な責任者だったカーチス・ルメ イ大将(大戦当時は少将)低空飛行する爆撃機B29から焼夷弾を大量に落とす絨毯爆撃作戦を採用、さらには原爆投下も指揮して、日本の主要都市を焼け野原にした人間であるにも拘らず、戦後佐藤総理の時代の1964年には、「航空自衛隊を育成した功績」として日本政府から「勲一等旭日大綬章 」を授与された。
 
このルメイ、キューバ危機の時は「キューバを全面的に破壊しろ」と主張。「核戦争は避けられない」とルメイは信じており、優位なうちにソ連を叩け、と考えていた。また、映画「地獄の黙示録」にも、ジャングルに空からナパーム弾を打ち込むシーンで「石器時代に戻してやれ」という台詞が出てくるが、これもベトナム戦争時にルメイが実際に言った言葉であるという。

 

日本人は世界中の人から見れば不思議な民族に写るだろう。

戦争とはいえ、まさにジェノサイトとも言うべき非戦闘員の一般市民を焼き殺す目的を持って、焼夷弾による絨毯爆撃をやり、それも軍事目的とは言えない広島・長崎市民が大勢外にいるときに原子爆弾を投下した。

あきらかに本人が認めている国際法違反をやりながらも人類に対する愛情の欠片もない男が「航空自衛隊を育成した功績」で自衛隊のトップである統幕議長さえ貰っていない「勲一等旭日大綬章 」を授与されている。

 

でもこんなのありか?

彼は世界で超1級の戦争犯罪者である。

自衛隊の育成に貢献したとはいえ私は許せない。

彼は辞退すべきであった。

 


GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く―戦後日本人の歴史観はこうして歪められた 小学館文庫
原爆を投下するまで日本を降伏させるな――トルーマンとバーンズの陰謀  
Posted by wildhorse38 at 00:09Comments(0)TrackBack(0)

2005年08月07日

◎謀略の大東亜戦争 ルーズベルト・トルーマン両大統領の大罪

スターリン、ルーズベルト、チャーチルまもなく8月15日(戦闘停止)の日がやってくる。

 

大東亜戦争はアメリカのルーズベルト大統領により引き起こされ、トルーマン大統領によって広島・長崎に人類に恥ずべき人体実験のための原爆投下をされ、日本は敗戦に追い込まれた。

 

ルーズベルト大統領の妄想ともいうべき対日観を植えつけさせたのは何かといえば、今では偽造と断定されている「田中(メモリアル)上奏文」であり、「百年計画」である。

 

そしてアメリカ政府の内部にまで潜入し、大統領夫人まで取り込んだソ連のスパイ組織の力が大きいといえる。

 

そしてソ連スパイによって作られた「ハル・ノート」にまんまと騙され、真珠湾攻撃により、火蓋を切った大東亜戦争は、終結段階でもアメリカの謀略に乗せられ、原爆の被害を被らされたのである。

 

 アメリカの政治家は、日本に原爆を落としたのは百万人のアメリカ兵の命を救うためだったと今日なおも語り、アメリカの学校ではそのように教えてきている。

 

日本の有識者でも広島・長崎の原爆は「米兵百万入救う」ためであったとアメリカの見解をそのまま国民に垂れ流している。

 

 原爆投下の本当の理由を承知しているアメリカ人は当然ながらいる。トルーマン大統領が原爆を日本の都市に是が非でも投下したかったのは、四年の歳月と二十億ドルの巨費をかけた究極兵器の力を議会と国民に教え、戦後の核計画への支持を獲得し、スターリンに対しては、その絶対的な威力を誇示し、脅しをかけるためだった。

 

 だが、その二つの目的はニューメキシコの砂漠の公開実験で十分に達することができたのであり、広島、長崎の市民とその二世までを殺す必要などあるはずもなかった。

 

 陸軍長官スティムソンと国務次官グルーは、日本に降伏を勧告するときだと大統領トルーマンに何回も説き、日本側が受け入れることができるように、天皇の地位保全を約束すべきだと主張した。

 

それでも日本が降伏を拒否するのであれば、そのときこそ原爆の投下を警告すべきだと説いたのである。

 

 海軍長官フォレスタル、陸軍参謀総長マーシャル、海軍軍令部総長キングもまた、警告なしに日本の都市に原爆を投下することには反対の立場であった。

 

 ルーズベルトは日本との戦争が長引けば中国の内戦が不可避になることを、中国の内戦が不可避になることを懸念した。天皇の地位の保証を主張するグルーを起用したのも、ヨーロッパの戦いが終わったすぐ後に、日本を降伏させようと考えてのことだった。

 

 だが、ルーズベルトは一九四五年四月に急死する。後継者トルーマンはバーンズの協力を得て、原爆を日本の都市に投下してみせ、ソ連を脅すことが何よりも先だと考えた。

米政府内のソ連スパイ網 

しかし当時原爆の威力を十分知る良しもない日本の軍部やソ連への脅かしが功を奏しないことがわかり、果たしてその後ベルリン封鎖、中国内戦、朝鮮戦争は原爆の威嚇によっては阻止できなかったのである。

 

その後日本占領に当たってもGHQにソ連の影響力あるもの、フランクフルト学派(隠れマルキスト)たちが入りこみ、日本占領政策に多大な悪影響を与えたことは否めない事実である。

 

アメリカとの戦争を考えるとき、こんなバカなことで日本は全てにおいて壊滅的打撃を受け、戦後60年経った今も立ち直れない現状を見るにつけ、ルーズベルト大統領の思い込みに対する怒りと日本の政治家たちの不甲斐なさに憤りと虚しさを感じるものである。

 

 クリックすれば表が大きく見えます

 


ルーズベルト秘録〈上〉
原爆を投下するまで日本を降伏させるな――トルーマンとバーンズの陰謀  
Posted by wildhorse38 at 15:12Comments(0)TrackBack(0)

2005年08月06日

◎日本を焼き尽くしたB29 国際法違反の恐るべき殺戮

全国主要都市空襲被災状況一覧

17年4月18日 ドウリットル中佐指揮のB25が太平洋上の空母から発進 東京など5都市を奇襲したのが日本初空襲だった 19年6月から九州諸都市を爆撃したが 空襲が本格化した1911月1日から終戦までの9ヵ月半に日本空襲に飛来した     29は延べ1万7500機         投下した爆弾16万トン          被災者920万人            死者35万人               負傷者42万人              全焼家屋数は221万戸                     という恐るべき数字となった

●東京空襲

「原子爆弾による荒廃を別とすれば いままでに行なわれた空襲のうち 最も大きな惨害をもたらした」といわれる20年3月10日の東京大空襲は一夜にして10万人の生命を奪い家を失った都民は100万人を超えた 19112420年2月25日そして3月10日 つづいて4月13日・15日 5月24日・26日の7回の焼夷弾攻撃で 全市街地の50・8%を焼失 開戦時の35区の人口687万人が253万人に減り 市街地域は米空軍の焼夷弾攻撃目標簿から抹殺されるに至った 

空襲による東京の死者は11万5000人 負傷者15万人

 

20年5月25日夜半の空襲で参謀本部(手前)も皇居も焼失曇り空の29日午前9時15分から横浜を襲撃 その一部は東京を空襲した

191124日に始まる東京大空襲を前に米軍は1〜23日の間に偵察飛行を10回行ないその都度空襲警報が発令された

東京大空襲 マルコゲの死体

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神戸空襲 20.3.17

 

 

 

 

 

 

今日は広島の原爆の日 日本では原爆ばかり注目されているが、日本全国を焼夷弾で焼き尽くした空襲は非戦闘員を目標にした国際法違反であり、アメリカに対し主張すべきところはきちんとして謝罪を求めるべきだと思う

 「空襲被災一覧」をクリックすると大きく見えます

  
Posted by wildhorse38 at 22:33Comments(1)TrackBack(1)