2017年04月27日

◎教育勅語の12の徳目をご存知ですか。

 最近特に感じることであるが、国会議員やマスコミの教養レベルがあまりにも低いのではないかと感じることが多いとは思いませんか。
 他人様の意見の大意を読まず言葉尻をとらえて批判する、これに同調してマスコミが一斉に声を上げる。
 おいおい文脈を読めばそんなことを言っていないだろうに・・・。と庶民は分かっていても長いものに巻かれろ式に深読みもせずに”そうだ・そうだ!”と声を上げるコンニチ。揚げ足をとらえて相手を追い詰めるのは昔から民進党(社会党)・共産党と相場が決まっていたが、それに反論できない与党議員がおり、事なかれ主義のリベラル派マスコミや学者がいる。それでも田舎の片隅で怒りに燃えている正統派ブロッガーは1日100〜200アクセスを相手に声を上げるのがせいぜい・・・。

 世界に誇る武士道精神を長年研究しているものとして、気に入らないのが教育勅語の否定である。左翼は昭和23年6月の衆参両院での教育勅語排除・失効確認決議を根拠に教育勅語への批判を強めている。しかしこれが占領下、GHQ(連合国軍総司令部)主導で行われたことには触れられず、また国会決議には何ら法的拘束力がないことにも言及されていないのが野党の主張である。その根本精神まで全否定し、ここで示されている12の徳目も知らない連中がほとんどである。

◆教育勅語の12の徳目
1 親に孝養をつくしましょう(孝行)
2 兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)
3 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和)
4 友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信)
 5 自分の言動をつつしみましょう(謙遜)
6 広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)
 7  勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)
8 知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
9 人格の向上につとめましょう(徳器成就)
10  広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務)
11  法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)
12  正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう(義勇)
                                                   引用元:明治神宮HP

 これのどこが悪いのでしょう。
 昭和21年10月の文部次官通牒「勅語及詔書等の取扱いについて」で明確にされている。
(1)教育勅語をもってわが国唯一の淵源(えんげん)となる従来の考え方を排除すること。
(2)式日などの奉読を禁止すること。
(3)教育勅語を神格化する取り扱いをやめること。
 この3点を基本とするものであった。

 教育基本法制定にあたって、田中耕太郎文部大臣が、教育勅語の徳目が古今東西を通じて変わらない人類普遍の道徳原理であり、それらが民主憲法の精神とは決して矛盾しない、と述べたことにも象徴されている。

 また田中は昭和21年9月の教育刷新委員会の総会において、「詰り教育勅語を今までの神懸り的のもの、詰り神様の言葉として取扱うような態度であってはならない、それは倫理教育の一つの貴重なる資料であるというような態度で臨まなければならぬ」とも明確に述べていたのだ。
 いま武士道精神が否定され、教育勅語も否定されては世界に冠たる日本人の精神的支柱を失っては大和民族として滅びの世界に堕ちていくしか道はないのです。あと10年・20年もしたら明治生まれの父や祖父たちから薫陶を受け、その雫だけでも受け継いだ我々もいなくなってしまう現実を考えるとこのままにしておけないと”勇む”爺様たちがいることを分かってもらいたいのです。

※武蔵野大 貝塚茂樹教授の教育勅語に関する論文を参考にした。
  

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2017年03月11日

◎「森友学園」を叩く前に輿石東前参院副議長を叩くのが筋ではないか

 学校法人「森友学園」をめぐっては、愛国心教育の重視や、政治性がやり玉に挙げられている。
ちょっと待ってくださいよ。
反日教育や中国・朝鮮関連の礼賛は民進党(民主党)や社民党・共産党の専売特許ではないんですか。

▼今年1月には、神奈川県の市立小学校で、日教組出身の民進党議員のチラシが児童に配布された。2月の日教組教研集会では、安倍晋三内閣の安全保障政策で「教え子が戦場に送られる」と不安をあおったり、戦後70年の安倍首相談話を批判したりする報告がなされた。

日教組といえば、やはり「ドン」こと民進党の輿石東前参院副議長に登場願いたい。「政権交代にも手を貸す。教育の政治的中立などといわれても、そんなものはあり得ない」。輿石氏が平成21年1月の日教組会合で述べたあいさつである。

民進党の輿石東前参院副議長が大見えを切ったように、戦後日本は左翼思想凝り固まった教師に洗脳された子供たちが日本国中至るとこで育ってしまったのだ。
思い返すと硬派ぶって粋がっていた大学生が教員になったとたん手のひらを反すように自衛隊反対、社会党(民主党・社民党→民進党)・共産党万歳を叫び子供たちを洗脳している。
 その連中が国有地払下げ問題より愛国心教育に焦点を当て、森友学園のありようを全マスコミが挙って叩いている。彼の学校は所詮は一私立学校の話であり、思想・良心の自由もあるのであり、おのずと公立の学校とは違うのである。
親たちがこの学校の教育方針に納得して入学させたのであるから、
教育基本法で禁止されている政治的活動ではないかぎり、批判するのは筋が違うのではないか。

 ただ安倍首相の奥さんは30余りの名誉職を持っているらしいが、やりすぎではないのではないでしょうか。
あなたは日本のファースト・レディーなんですから・・・。
日本の宰相の足を引っ張らないようにして欲しいものですね。

  
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2012年07月23日

◎薩摩藩の郷中(ごじゅう)と会津藩の什の掟(じゅうのおきて)

誇り

江戸・明治以降にかけては2つの代表的な教育法があった。

それは日本の夜明けともいえる明治維新において敵味方に分かれ雌雄を決することを余儀なくされた薩摩藩と会津藩であった。両藩の優れた教育の元に日本の現代史を飾るにふさわしい素晴らしい人材を多く輩出した。


薩摩藩には郷中(ごじゅう)と言われる武士階級子弟の教育法があり、会津藩にはあの有名な「什の掟」がある。

これらの教育法には共通しているのは武士道精神を基調に自己意識を高める規範があり、今の日本人に必要とされる“如何に清廉潔白に生き抜くか”を教えてくれる。

もちろん男女同権の立場からすればなじめない言葉もあろうが、基本的に日本人の根本精神が基盤となっている。

いま日本は世界に誇る精神文化を失いかけている。その現状はこうだ。

 

選挙に勝つことと利権のためしか考えない政治家

責任を取らない企業のトップ

心の規範を持たず保身のためにしか働かない教育者

自己犠牲の精神を悪と教えられてきた若者たち

何が正しく、何が卑怯なのかということを躾けられていない子供たち

 

こんな子供たちに必要なものは何か

 

「人間として恥ずべきものは卑怯者である」

「名誉のため闘う勇気を持つ」

「自己犠牲の精神こそ一番尊いものである」

 

今一度”闘う精神”を思い出そうではありませんか。
 


■郷中(ごじゅう)薩摩藩の武士階級子弟の教育法、

  武道第一
  武士道の本義を油断なく実践せよ

  (グループ)外の者との不必要な付き合いは控えよ

  仲間との連帯を重んじよ
  軽薄な言動を慎め

決して嘘を言うな
  負けるな

弱いものいじめをするな

山坂を歩いて体を鍛えよ
  質実剛健たれ

たとえ僅かでも女に接することも、これを口上にのぼらせること
 も一切許さ
ない

金銭欲・利欲をもっとも卑しむべきこと 

 

■什の掟(じゅうのおきて)会津藩の子弟教育
  一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
  二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
  三、虚言をいふ事はなりませぬ

  四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
  五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
  六、戸外で物を食べてはなりませぬ
  七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ


 ならぬことはならぬものです

  
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2009年12月22日

◎「早寝・早起き・朝ご飯」

先日、桜井よしこさんブログを読んでいたら、「早寝・早起き・朝ご飯」の実践は憲法違反なのかと投げかけていた。

夜更かしさせずに早めに就寝させて十分な睡眠を取らせる。朝は早く起こして、しっかりと食事をさせる。こうして育て、充実した国語、算数教育を施した子どもたちが信じがたくもすばらしい成果を達成してきた姿は、多くの報道によって伝えられてきた。

いってらっしぃ!

ところが、日本教職員組合系の教育総研では、「早寝・早起き・朝ご飯は憲法違反」だとして非難しているというのだ。

「『早寝・早起き・朝ご飯』は、人の生活の仕方、生き方という、憲法の下で決してその価値の優劣を示してはいけないことがらに踏み込もうとする違憲のスローガンである」と・・・

なんだそりゃ!

子供に生活のリズムを身につけさせ、朝ご飯を食べさせるのは親の務めじゃないのか。馬鹿なことを言う前に子供の心身の健康を考えるのが教師の責務であろうに・・・


最近TV(エチカの鏡)で紹介されたYokomine式教育法の横峯吉文さん(女子プロゴルファー横峰さくらの叔父)の幼稚園、久保田カヨ子さんの「カヨ子ばあちゃんの子育て」を見て、子供は鍛えれば鍛えるほどスポンジのごとく吸収し、際限なく伸びて行くということを目の当たりにして、今の教育の在り方は明らかに疑問符がつく。

 

明治・大正生まれの両親は高等小学校(今の中学校)しか出ていなかったのだが、歴史、地理、漢字に関する知識は驚異的記憶力で、当時高校生であった私を寄せ付けないものがあった。

そういう私も中学1年の時に、友達とクイズ形式で覚えた世界の国と首都の名前、歴史の年表等に関しては半世紀経過してもほぼ完ぺきに覚えている。

 

あなたにはそういう経験がありませんか。

我々の子供時代は貧しい食生活ではあったけれども、規則正しい食事の時間と就寝時間、起床時間も守られて、リズムのある生活を送っていたことを思い出す。この生活のリズムこそが教育の原点なのではないでしょうか。

 

「さくらの叔父さん」や「カヨ子ばあちゃん」の教育法は詰め込み教育であり、古い体質の強制教育であります。日教組から云えばこれこそ忌むべき悪の根源。まさにその成果や子供の成長はどうあれ憲法違反なのであり、粛清の対象となるとは思いませんか。

だって、民主党の参院議員会長で小沢一郎の側近、山梨県教職員組合の元委員長だった輿石東(こしいし・あずま)は、「教育の政治的中立はありえない」なんて宣言しちゃっているんですもの・・・。

 

  
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2008年11月19日

◎「切り捨てることも大事!」 神田高校問題を考える

 神奈川県平塚市の県立神田高校が入試で服装や態度がおかしい受験生を不合格とした問題で、更迭された渕野辰雄前校長(55)を学校現場に戻そうと保護者や生徒らが16日までの予定で署名活動を実施、週明けに松沢成文県知事と山本正人教育長あてに嘆願書を提出する。前校長は教頭時代から同校建て直しに取り組み、信頼を得ていたという。

 

暴走族神田高校の保護者らによると、以前の同校は校内に飲食物が散乱し、喫煙やいじめ、盗難などが絶えなかった。近隣の公民館やコンビニエンスストアなどには「神田高生の立ち入り禁止」の張り紙が出され、アルバイトを断られたり、バスに乗せてもらえなかったことも。

 中退者は全校生徒約350人に対し、年間100人。謹慎処分を受ける生徒も絶えなかった。しかし、平成15年になるとこの状況に変化が見え始めた。教頭だった渕野前校長と前任の校長が「まじめな生徒が下を向いて歩いているようではいけない」と具体的な対策を取り始めたという。

・・・ここまで産経新聞11月15日を一部引用・・・

 

 

 

 

 

■軽蔑される大人たち

昨今の児童の学力低下、しつけ教育の不徹底は何に原因があるかといえば、家庭教育に第一義の責任があるが、社会正義をないがしろにした政治家・似非知識人を操るマス・メディア、なんでも平等主義の学校教育に大きな責任があると思う。

 

「悪化は良貨を駆逐する」、「1個の腐ったミカンが、ミカンを全部を腐らせる」

の例えどおり、一人の問題児を教化できず、他の真面目な生徒を追いやってしまっているのが現代の学校教育であろう。

 

本来一番大事な「切り捨てる」ということに及び腰になり、仕事をしない労働者でもクビを切れない労働組合的発想になっているのがこの日本である。

彼ら異端児は自分たちに厳しい処置を出来ない指導者を軽蔑しており、ますます困らせてやろうと悪事をエスカレートしていくのである。

この異端児たちは馬鹿でない限り自分たちの行動が悪いことだということは分かっているはずである。ただ悪に立ち向かってこない大人たち、特に権力者たちを卑怯者扱いにしているのである。

 

今の親たちも自分たちが経済的に、肉体的に損をすることは絶対にやりたくないし、何とか逃れようとする。理不尽なことを言っても相手が信念をもって立ち向かわないのを知っているからモンスター・ペアレントが排出するのである。

 

■悪事に対する罰を受けなくなった社会

昭和60年ころの話である

東京の地下鉄だったと思うが、中国人学生がキセル乗車常習犯として駅員に捕まったことがあった。このことに対して読売新聞があろうことか、経済的に貧しい中国人学生をいじめるなんて余りにも可愛そうだ、彼らを罪に問うべきでないし、罰金も許してやるべきだとのキヤンペーンを張った。

当時日本はバブル期の真っ最中、金満体質丸出しで中国を見ていた。

私はこのような不正を見逃したら、俺たち中国人は日本で犯罪を犯しても逮捕されることがないと誤解する。大挙して中国人犯罪者がやって来たら、これから日本は大変なことになるぞと話したことがある。案の定あれから四半世紀、日本は中国・韓国の犯罪者集団の巣窟になっている。

 

つい5・6年前の話であるが、東北の「BookOff」だったと思うが、中高生の万引きに悩まされていた店主が、とうとう万引き少年のVTRを店内TVに流したところ、これもマスコミが純真無垢な子供を泥棒呼ばわりをしていると、店長をつるし上げにして廃業にさせたことがあった。

これも窃盗をする子供たちを諌めるのではなく、必死に自分の仕事を守ろうとする店主を非難したのである。

 

酒酔い運転で人身事故を起こし、けが人を助けることもせず逃走し、酔いが醒めたときに舞い戻り、普通の交通事故として処理を強要する。酒酔い運転でヒトをはねたら先ずは逃げて酔いを醒ます。これが鉄則になっている世の中ってオカシイとは思いませんか。

 

6年ほど前に、S刑務所を見学したことがある。

そこの所長さんから受刑者に対する取り扱いについて説明を受けた。

受刑者は収容されている間、出所後社会不適応にならないことが大事であり、受刑期間あまりストレスがかからない矯正に心がけているという。

なんか変だな! ここは刑務所だろう?

彼らはいつ罪の償いをするのだろう???

この所長は快適な生活をさせて、刑期を終わらせることを第一に考えているらしい。

あとで刑務所関係のヒトに聞いたことだが、法務省のお偉方に人権派がのさばっており、受刑者の処遇改善を最優先しているということであった。

 

■学校の地位と役割

学校をどのように考えているかによって対応の仕方が変わってくる。

ただ単に知識技能を教える場なのか、

国民の一人として生きていく上の模擬教育の場として捕らえるべきか

と問われれば「社会生活のルールを学ぶところ」と答える

すなわち学校教育では法規に順ずる校則があり、

総選挙の真似事である生徒会役員選挙があり、

会社組織に順ずる上下階級のクラブ活動、

そして日常生活に必要な規則等を決めるホームルーム等で、

社会性を学びながら自己を高めていく、これが学校のあるべき姿である。

 

■体罰を異常に恐れる教育者

イギリスの名門イートン校では伝統的な“鞭打ち”指導がある。

指導に従わないとき、悪い事をしたときお尻を叩くのである。

アメリカのテレビドラマ『大草原の小さな家』で見たことがあると思うが、体罰の最たるものである。

私は体罰復活論者である。

あくまでも感情論ではなく、一定のルールに基づいて“怒るのではなく、叱る”のである。

今は子供たちに罰を与えることが非情に難しくなっている。

マスコミも一般社会も女性化して、“叩くイコール暴力”と捉え“指導”ということを忘れている。叩く→暴力→戦争に結びつけ、子供たちに肉体的ストレスを与えることを非情に恐れる空気がまん延している。

結果として、子供たちに責任を取らせることをしなくなったのである。

ということは我がままで、社会性もなく、残酷な特性を持つ子供たちは自分たちの本来持つべき規範を持たずして社会に放り出されるのである。

 

罰を受ける子供たちは、自分たちが悪かったということを十分理解しているものである。

あと大人が、先生がどう処置して収めるかである。

クドクド長々とご指導を受けるか、それとも一時的に肉体的苦痛を我慢して後はサッパリするかである。貴方ならどちらを選びます?

“悪いことをしたら、甘んじて罰を受ける”これも社会性を養う大事な教育である。

単純明快なルールを身につけるのです。

 

■教育者としての「誇り」と「あるべき姿」

神奈川県内の元高校長は、「切り捨てるのは簡単だが、入ってきた子供を学校になじませ、教え育てるのも公立高の重要な役割。外見で合否を判断する基準が公立高にあっていいのか」と指摘する。

また私立北星学園余市高校(北海道余市町)幅口校長は「教育しやすい生徒だけを学校に入れ、あとは切る。高校のあり方としてそれでいいのかという問題が根底にある」と指摘する。

私はそれで“よい”と思う。100%の教育効果を求める人は50%の成果も望めない。

2割8割の結果を受け入れる覚悟のある場合は6割から7割の成果を生む。

キレイごとをいう教育者は、清濁併せ呑む覚悟のない人である。

彼らは管理者としての自覚もなく、腹が据わっていないから学校は荒れるのである。

問題児を入校させて、真面目な生徒の学習意欲を削ぐ結果になっても誰も責任を取らない体質にこそ大きな問題があると思う。

 

問題児たちに、「お前たちのやり方を我々は認めない!」というハッキリしたメッセージを発信することが必要であり、無責任なマスコミがそれを批判しても、教育者としての信念を世論に訴えるべきである。

もちろん問題児が改心をして態度を改めるなら、君たちを大いに歓迎する!

  
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2008年10月01日

◎阿比留瑠比さんの日教組関連ブログ一覧

阿比留瑠比さんのizaブログ“国を憂い、われとわが身を甘やかすの記”のファンである私は、

時々“徒然なるままにエッSAY!”のネタ源として利用させてもらっている。

2008/09/30の 余裕のある人には読んでほしい日教組関連エントリ

http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/736418/ 

には、日教組全体や山梨県教組以外について書いたエントリ20本が紹介されており、

2008/06/30の 輿石氏の政治信条「逃げない、ウソつかない」と過去エントリ

http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/626970/ 

には、民主党参院議員会長 輿石東氏と山梨教祖のズブズブの関係について記した20本が紹介されており、合わせて40本がエントリされている。

教壇これを読んでは山梨の教育界の腐敗は大分の比ではないということに驚く。

まるで、中国文化大革命を題材に共産革命の腐敗と矛盾、そして人権の抑圧を描いた現代中国映画界の名作「芙蓉鎮」を観ているような世界である。日教組が支配する山梨の教育界、そのボスである民主党参院議員会長 輿石東には、誰も鉄槌を下すことが出来ないのか。まさに歯軋りをする思いである。

 

ここに山梨県の教職員組合の驕り高ぶった姿で、その“30年史”の中でこのように高らかに宣言をしているのである。

端的に「国会議員を送り出せる山教組という、自らの戦いによって勝ち取った大きな『政治力』は、つぎには、山教組と協働しうる県知事を当選させ、県議選に大きな力を発揮してきた。…こうして、一つ一つ積み上げて来た『政治力』が、山梨県の教育行政をして、『山教組を無視してはうまくことが運ばない』という状態にまで、大きく前進してきた」と自ら、選挙によって、政治力を培ってきたことを認めているのだ。

 

《日教組全体や山梨県教組以外について書いたエントリ20本》

 ■2006年

・10/29 「注意すべきは教育委員会と教職員組合の一体化」

         http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/65130/

  ・11/08 「小林正氏のレジュメに学ぶ日教組の実態」

          http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/70094/
  ・11/13 「例示・北海道で行われた過激性教育」

        http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/72336/

・11/21 「北教組グッズって何?・日教組委員長のレジュメ」

         http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/76197
  ・11/24 「産経記者が見た日教組教育研究集会」

        http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20061124/

・12/03 「教育基本法・参考人から外された小林正氏に聴きました」

   http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/81578
  ・12/07 「中核、革マル、全学連に応援されてる日教組」

   http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/83428/
  ・12/14 「またも革マルと全学連に求愛されている日教組」

   http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/86737/
  ・12/26 「日教組の『やらせ』?・教育基本法の国会質疑想定問答集」

         http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/92511

 ■2007年

・01/24 「読売GJ!北海道教組のいじめ黙殺」

http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/106417/

・02/15 「日教組とゆとり教育をかばう毎日社説と北教組」

 http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/117840/

・04/02 「札幌市教組の民主党選挙応援の『司令書』」

 http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/144533/

・04/10 「お薦めの書『いいかげんにしろ日教組』と教育現場」

 http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/149149/

・05/08 「話題の書『日狂組の教室』を読んでみました」

   http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/167289/
  ・05/18 「教育3法案の衆院可決と世耕補佐官の祖父」

 http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/174225/

・06/15 「本日の参院議員会館の風景・お題『北教組』」

 http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/197127/

・07/13 「槙枝日教組元委員長『教育荒廃の責任の半分は日教組』」

   http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/228548/
  ・10/25 「全国学力テスト結果と日教組組織率に関連はあるのかないのか」

 http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/362445/
■2008年

・02/04 「惜しくも日教組にメスを入れられなかった教育再生会議」

 http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/471875/

・02/13 「作家、曽野綾子氏のコラムで思い出した日教組集会資料」

http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/481141/

 

《輿石氏に関する過去エントリ20本》

  輿石氏の政治信条「逃げない、ウソつかない」と過去エントリ

  http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/626970/ 2008/06/30


 ■2006年
  ・6/13  命がけの告発と民主党1、同2、同3

http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20060613/
  ・9/20  まったく懲りない輿石東・民主党参院議員会長

http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/42243/
  ・9/23  証拠写真・山梨県教組の輿石氏支援選挙活動

http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/43855/
  ・10/3  民主党と日教組と教育基本法

http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20061003/
  ・10/13 しぶとい・民主党・輿石東氏の言行録

http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20061013/
  ・10/14 続・証拠写真・山梨県教組の資金カンパ

http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20061014/
  ・10/31 日教組出身議員とはどんな存在だろうか

http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20061031/
  ・11/1  告知・山教組問題を追及する集会と輿石氏

http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20061119/
  ・12/18 驚き・毎日が山梨県教組問題を取り上げている!

http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20061218/
  ・12/19 朝日新聞山梨県版が伝える山梨県教組の実態

http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20061219/

 ■2007年
  ・1/12  山梨県教組・元気に政治活動しています

http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20070112/
  ・1/14  法令違反全開!?山梨県教組が個別訪問で投票依頼

http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20070114/
  ・5/10  参院選・与党敗北で輿石東参院議長が誕生!?

http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20070510/
  ・5/14  山梨県教組が着々と復権しつつあるようです(怒)

http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20070514/
  ・5/20  山梨県教組の選挙活動はお墨付きをもらいました

http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20070520/
  ・8/23  週刊新潮が書いた民主党・輿石東参院議員会長はこんな人

http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20070823/
 ■2008年
  ・2/17  民主・輿石氏がやたらと意気盛んなのでちょっと昔の写真を

http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20080217/
  ・6/11  図に乗っている輿石氏に覚えていてほしい文科省通知 

http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20080611/

輿石東 こういう人が、民主党の「ネクスト副総理」だなどと持ち上げられ、民主党の小沢代表の強力な側近なのである。もちろん旧社会党の彼らにしたら自分たちが天下を取るための手段として保守系の御輿を担いでいるだけであろうが、その真の狙いを隠したまま民主党の大幹部に納まっている興石氏は、自分のことを「ぶれない、逃げない、ウソつかない」などと臆面もなく自賛しており、「鉄面皮」の称号に相応しいのである。  

 

 

  
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2008年07月18日

◎民主党代表代行の輿石東と山梨県教組のデタラメぶり

阿比留瑠比さんのブログ「国を憂い、われとわが身を甘やかすの記」に山梨県教組のデタラメぶりがリークされていた。

県教組の組織率65%の大分よりはるかに組合支配が徹底している県教組の組織率95%の山梨県の事例についてである。

平成16年冬、山梨県の小学校教員、高村基貴さんが、阿比留瑠比氏にその実態を赤裸々に語った証言の一部抜粋です。

 

教壇 「一般教員の人事は山教組支部書記長の采配で決まる。組合が推薦しない限り、教頭にはなれない。このことは山梨では暗黙の了解になっている。山教組役員が県教委の幹部になったり、教頭、校長に優先的に登用される。下手に批判すると県教委に筒抜けになるから、だれも大きな声ではいえない。支部書記長も誰かの指示を受けているはずで、もっと大きな力が働いていると思う」

 

高村氏はこの人事の件のほかにも、選挙活動については「山教組の各支部書記長が指示して教員が電話作戦に動員された。山教組の各支部から学校のファクスに集会への動員指示などが入る。学校運営にも支障が出ている。選挙活動は民主党の輿石東氏のときだけではなく、(同じく日教組出身で民主党の)那谷屋正義参院議員のための活動も行った。選挙が終わると、関係書類は全部廃棄する。毎年末、輿石氏の顔写真入りポスターを学校に送ってくるので職員室に張り出す学校もある」と証言した。

 

高村氏がかつて甲府市内の小学校に勤務していたときには、輿石氏が授業に中に学校訪問を行い、授業を中断させて教員を集め、「私の選挙をよろしく」とあいさつしたこともあったと言います。

 

こんな人が今や民主党参院議員会長として参院のドンとなり、民主党代表小沢一郎の強力な支持基盤であります。

今日のブログには「山梨県における教員異動・昇任に関する資料と証言」がエントリーされており具体的な事例が紹介されておりました。

 

輿石東 A校長が子供の採用をまず依頼したのは、A校長が山教組の地域書記長時代に地域支部委員長だったB教育事務所長でした。そこでB教育事務所長は採用試験の採点にかかわるC管理主事に話を通し、義務教育課長がそれを認めた採用となったわけですが、このC管理主事はA校長、B教育事務所長と同じ山教組地域支部の教育文化部長で、こんな先輩・後輩の関係にあったということです。

 これとは別のD校長の場合は、歴代義務教育課長会という親睦会に子供の採用を働きかけ、そこからやはり管理主事、義務教育課長へと話が降りていって採用が決まったと言います。教頭から校長への昇任などの口利きも、これと同じように教育事務所長や歴代義務教育課長会、あるいは結婚式の仲人などが仲介、口利きする例が多いそうです。その際には、商品券のやりとりなどがあるといい、組合仲間ぐるみの口利き関係が慣習化しているそうです。

 以上が「阿比留瑠比さん」のブログからの一部抜粋です。

このように組合が支配する組織は根底から腐ってしまい、自浄作用はないのです。

ましてや、その黒幕の大ボスである輿石東氏は民主党参院議員会長として参院のドンに、

いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの民主党代表小沢一郎とタッグを組んで、やる気のない福田政権を倒して政権政党になろうとしています。

 

20年前、中曽根内閣が実施した政治改革「国鉄分割民営化」以前の国鉄の姿を思い出してください。

当時、今の日教組(山教組)と同じように労働組合の国労が国鉄を支配しており、その実態はヤミ休暇・ヤミ休憩などに代表される民間企業ではあり得ない怠惰な労働環境の維持し、国労や動労が中心となって起こした順法闘争は国鉄のサービスの低下につながり国民の怒りを買い、利用者の「国鉄離れ」が進んだ。日頃国労組合員の横柄な態度に国民はこぞって分割・民営化に賛成した。

 

私の小・中学校の同級生Sくんは、国労のバリバリの組合員として活動していたが、1987年4月1日のJR発足時は採用されなかった。彼が後ほどシミジミ語った言葉に「今考えると、俺の国鉄時代は、やりたい放題だったよなぁ!」、「駅の構内はもちろんトイレの果てまで駅長、助役に掃除をやらせ、休暇は取り放題、早引きしてパチンコは行く、どれだけデタラメをやってもボーナスはチャンとくれた。JRに採用されなかったのは当たり前だよなあ・・・」と

 

当時の国労は10万人以上の組合員を抱える日本最大の労働組合であり、野党として大きな力を持っていた日本社会党(現社会民主党)の主要な支持母体である総評の中心的な存在でもあった。

いま総評を支持母体にしているのが、民主党左派グループで旧社会党出身で衆議院副議長の横路孝弘や代表代行で参議院議員会長の輿石東(こしいし・あずま)、その親玉が民主党代表小沢一郎

 

労働組合組織を母体に国会議員になれば、国家・国民のためよりも、組合員のために働くのが彼らの常識

国会議員も選挙で落ちればタダの人これも常識

腐りきった日教組に支配される教育界、こんな教師に教育される子供たちに日本の将来を托せるのか・・・

 

 

 大分県教員採用汚職でどうしても連想する山梨県教組

http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/646249/

 

山梨県における教員異動・昇任に関する資料と証言

http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/648109/

 

  
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2006年12月18日

◎学校給食の任務を終了し、新しい給食のあり方を考えるとき

いま給食費の不払いが問題になっている。

読売新聞によると18億円にもなるという。

本来の意味から学校給食の必要性は薄らいでおり、むしろその役目は終わったと見るべきであろう。

終戦直後の栄養不良の状態から子供の健康を守るという意味から学校給食は始まった。

私も学校給食には御世話になった口である。

 

一刀両断最近の学校給食の役目はむしろ子供たちというより、母親たちの弁当つくりを軽減してやっているほうが大きい。

母と子の絆という意味から考えれば母親の弁当が子供にとっては一番愛情を感じ、感謝する心が養われると思う。

この歳になっても、貧乏ながらも母親が美味しい料理を作って食べさせてくれたなあとシミジミ思うのである。

 

そこで提案ですが、

この際、学校給食を廃止して、会社や大学のように学食(ビュッフェ方式)と売店方式にしてはどうだろうか

そうなれば教育上「労働の対価」としてのお金を払うことにより食べ物を得ることが出来ることを、知らしめることは大きな意味があると思う。

母親は弁当を作ることにより母親としてのステータスを高め、子供との絆を深めることが出来る。

また弁当を持たすことが出来ない親は学校の食堂で学食を取ることが出来るようにする。

給食費の支払いを拒否する不届きな親はそこではじめて親として子供に食べさせる責任を感じるのである。

 

今までの給食関係者は学校の食堂又は弁当屋さんの従業員として雇用する。

この給食にかかわってきた人件費は莫大なものになっているはずである。

給食産業も民活にして経費節減を図る必要がある。

 

オッカサンこのように考えれば反対も多いと思うが、

親は子供に愛情を込めた美味しいご飯を食べさせようとするし、親子関係の基本が復活できるとともに、不払いの回収に神経を尖らす必要もなくなり、一挙両得で収まるものと思う。

 

今朝のワイドショーでやっていたが、

高級マンションに住みながら給食費は払わないという、

義務教育だからタダにするべきだとか、

子供の携帯に月4〜5万円をかける親が4000円弱の学校給食費を払わないという、

これほど世の中をなめた話があろうか。

 

本来の日本人の感覚からは到底理解できない考えが一般化してきており、

こういう恥知らずの親に育てられた子供が10年もしたら親になる。

子供の気持ちを思いやりすぎてかえって、

何が大切かを教えない現状を、

今変えなければこれからも変わることはないであろう。

 

 

  
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2006年09月16日

◎教育の崩壊と立て直しについて(後編)

  今後の教育のあり方

どうして教育界がこうなったんだろうと考えると学校の教師ばかりが悪いのではない。

それを取り巻く組織、マスコミ、文科省の官僚、父兄全てに問題あったのである。日本の夜明け

 

■教育崩壊の原因

1 戦前の教育システムの全否定

2 子供に大人と同じ人格と権利を認める姿勢

3 どんな子供を育てようとしているのか理念が見えない

4 体罰否定の社会的風潮

5 教師の労働者意識

6 父兄の無責任体質

7 管理職(教育委員会、校長・教頭)の無責任体質

8 教師の教育に対する情熱の喪失

 

1 戦前の教育システムの全否定

 日教組を中心とする教育屋労働者が、権威的教育を全否定し、子供たちの個性を尊重しすぎた教育に問題があった。

戦前は教育勅語という教育理念があって、迷うことなく子供の、日本人のあるべき姿を自信を持って教えていた。

教育勅語とは何だろう。http://ja.wikibooks.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2%E5%8B%85%E8%AA%9E

教育徳目には12の徳目があって

父母に孝 兄弟に友 夫婦の和 朋友の信 謙遜 博愛 修学習業 智能啓発 徳器成就 公益世務 遵法 義勇

まさにこれに尽きるのである。

教えるもの、教わるものがそれぞれ相手を尊重し、それぞれのあるべき姿に徹するところに一つの形が出来ていたのである。

ところが全てを軍国主義に結びつけ、極端に走ったとところに問題があったのである。

いま教育の見直しが始まる時に原点とも言うべき教育勅語を再評価する必要があろう。

 

2 子供に大人と同じ人格と権利を認める姿勢

 大人と同じような責任も義務もないにもかかわらず、子供の人権を認め、責任も資格もない子供を大人と同一に扱うことに問題があった。

子供には税金を納める義務もなければ、殺人を犯しても死刑になることもない。

ましてや常に親と社会の保護下にあって責任を放棄することが認められている。

こんな半端な人間に一人前に扱えと言うのか。

子供の人権とは何か。

人間として生きる権利、不当な奴隷的労働からの解放、教育を受ける権利、家族の一員として生活する権利であろう。

いま人権屋グループといわれている弁護士、教師、プロ市民の活動は全てにおいて拡大解釈をして、社会生活を根底から覆し日本の伝統的価値観を否定している。

子供は半人前であり、社会性のある大人に育成中であるとしっかり認識する必要がある。

 

3 どんな子供を育てようとしているのか理念が見えない

 道徳的には教育勅語を基本に、

学問的には世界に伍していける実力を涵養

ゆとり教育の早期廃止

冒険心・挑戦心を大事にする

必要最小限の運動能力

男女共同参画教育を廃止し、女性らしさ、男性らしさを取り戻す

 

4 体罰否定の社会的風潮

 男にはある時期持てるエネルギーを発散させるのに周囲とトラブル時期がある。

それは小学校高学年でもあり、中学校・高校時代のある時期である。

カラダも大きくなり、力も強くなる。俺はヒョットすると大人と同等もしくは大人と勝負しても勝てるのではないだろうかと勘違いする時期があるのである。

この時期は、大人が訳知り顔で諭すようなことを言ってもダメなのである。

力で押さえつけなければ勘違いをしたまま育ってしまうのである。

 

男にはグダグダ長いこと文句を言われることよりも、2・3発ぶん殴られてはい終わりの方がすっきりすることがあるのです。

このような経験のない大人は子供を指導する時に長い時間をかけて回りくどい説教をするのです。

この大人は子供が聞いていなくとも長い時間かけて怒ったことに自己満足するのです。

 

お父さんの叱り方とお母さんの怒り方を比較すれば判ると思います。

叱ると怒るの違いは自分の感情(自分がキレている)が入っているかどうか

 

5 教師の労働者意識

 戦後共産党と社会党が日教組を支配して、自分たちの階級闘争を教育の場に持ち込んだところに問題がある。

私も文科省傘下の学校とは違う組織で教育関係の仕事をしてきたが、単なる労働者意識では教育は出来ない。

教師は学生に感動を与えなければ、彼らにはなにも残らない。

昨日テレビで、先日甲子園を湧かせた石垣島の八重山商業高校野球部監督と甲子園球児の絆について、厳しくも激しい愛情表現が監督と球児たちの人間関係を作るのだというテーマであった。

 

私も現役の当時は土日なし、夜9時10時の帰宅は当たり前で家族サービスは一般の人たちの3分の1程度もちろん家族の理解がなければやっていけない。

我々の場合、3年1サイクルであったから気持ちの切り替えが出来たものと思う。

 

最初から単なる給料をもらうための手段と思っている教師であれば務まらないであろう。

  

6 父兄の無責任体質

今の親は子供の躾けは学校がするものだと思っている節がある。

冗談ではない。

子供の躾けは親に責任がある。子供が事件を起こした時、学校の校長が知りもしないのにコメントをするのが当たり前になっている。これはどう考えてもおかしい。

親には責任がないのか。 こんな場面ばかり見るから躾けは学校に責任があると勘違いするバカ親が出てくるのである。

 

このバカ親が教師の体罰を訴えたり、教育のやり方に理不尽なクレームをつけてくるのである。

なんでうちの子ばかり怒るのかとか、担任を換えろと学校に要求したり、パチンコ代はあっても子供の給食費を払わなかったりするのである。

 

7 管理職(教育委員会、校長・教頭)の無責任体質

赤旗教師が牛耳っている学校に一般公募の校長1人を送り込んでどうする。

敵はこの校長を潰すためにはなんでもやりかねない。案の定広島の公募校長を自殺まで追い込んでしまった。

校長・教頭を単なるオブザーバーに飾っておいて、実質教職員会議は組合員が主導することが多いと聞く。

日教組の組織率は4分の1まで下がったということであるが、会議は声の大きい奴が主導権を握るのです。

 

組織を改革しようとして送り込むのであれば、強大な権限と、それをバックアップする教育委員会が組織的に連携を取らなければ成功しない。

送り込む人間も海千山千の度胸ある人間を選定するのが第一である。

 

8 教師の教育に対する情熱の喪失

 教師というものは大学を出て、いきなり先生と尊敬され、上司から叩かれることもなく、何十年もやってきたのだから、当然自分が一番正しいと思っている。彼らと話をすると“何も知らない国民に俺たちが教育せねばならない“という意識を共通的に持っている。いわゆる世間知らずなのである。

学問的知識はあったとしても社会常識的教養は身についていないのが一般的である。

 

打たれ弱い教師たちが自分の教え子たちの背かれ、暴力を振るわれ落ち込むのは当たり前。

最初から教壇に上がるのではなく、社会勉強してから教師になっても遅くないと思う。

 

精神的に躁鬱状態になり、病院に入ったものは教育現場から外す勇気が必要

だれが精神状態の不安定なものに大事な子供を預けますか。教師の人権より子供の人権

 

     児童を排除する処置と勇気と実行

今まで問題児を排除しなかったばかりに、それが熱病のように伝染し、学級全体が崩壊しているのである。子供はお調子者で、残酷で、無責任であるという認識でいかに対処するか

 

     問題児ばかり収容し矯正する施設が必要

     問題児を警察と連携して管理

     施設の損壊は親に弁償要求

     教育委員会の教師掩護の声明

     イギリスのサッチャー首相の教育改革を取り入れる

教育改革成果のあがらない学校の廃止

成果を出した学校・教師には褒章

文科省と現場の一体化

     イギリスのイートン校のように体罰も容認

     バカな要求をする父兄の孤立化

     教育に情熱と実力のある教師の採用

 

「教育とは教師と学生の真剣勝負の場である。学生に対する厳しくも強い愛情がなければ教育はできない」

  
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2006年09月15日

◎教育の崩壊と立て直しについて(前編)

     教育は子供たちに対する愛情と教育者としての気概

 

先日 小学生の校内暴力について放送されていた。

驚くことに小学生の暴力事件が17年度で2000件を超えているとのこと。

とうとう戦後民主主義者たち日教組の教師たちによる教育崩壊ここに極まれりと言うところであろうか。

http://wildhorse-depot.seesaa.net/article/23798960.html

 

コメンテータのプロ教師と称するK氏の発言は自己弁護と諦めが先にたち、具体的な解決策を何ら示せないところが虚しい。

安倍次期総理候補は教育改革を旗印に挙げているが、頭でっかちのお坊ちゃま官僚に任せていても、付け焼刃的政策でお茶を濁すだけであろう。

 

ところでどうしてこんな状況になったのだろうか。

すでに30年いや40年前からこの要因となる教師のあるべき姿の崩壊が現れていた。

戦前の“権威的教育”に対する反動から“お友達的教育”の推奨、すなわち教育者も被教育者も同じ高さで教育すべきだと言うのが日教組系の教育であった。

 

共産党員の教師の教育現場を見せてもらったことがある。

教育するもの、教育されるものの区別無く、子供たちの発言が活発で教室は活気に溢れていた。

しかし、そこには他の発言者に対する思いやりも、教育現場としての秩序も、ただ烏合の衆、餓鬼の集団だったと言う印象しか残っていなかった。

それを教師に指摘すると「子供には大人の権威を押し付けてはいけない。彼等の積極性を引き出すにはこれが一番良いのです。どうです、子供たちが生き生きしていたでしょう」彼は自信を持って教育しておりました。

 

学校教育をどのように位置づけるか。

私は知識の切り売りの場所ではない。

大人として生きていくための最低限の知識・技能、円滑な社会生活のルールを身に付ける「シミュレーションの場」と位置づけている。

 

本来、基礎的な躾け事項は家庭の役割であるが、組織で生きていくためのルールを守るという躾け事項は学校の役割と考える。

そのためには強制指導もあり得る。

 

強制(矯正)指導をするためには教師、学校としての指導組織、父兄、教育委員会が納得し、教育のあるべき姿をイメージして一丸となってやらなければ、今の教育環境では無理がある。

先ず第一にやるべきことは体制作りと教師の失墜した権威を取り戻すことである。

 

かなり昔のことであるが、20歳前後の若者たち35名を教育する立場にいたことがある。

私のクラスは平均年齢19歳、新高卒、元チンピラ、今で言うフリーター、少年鑑別所出身、世界中を放浪して帰ってきたもの、元暴走族、元ホストクラブのホスト等いわゆる社会の縮図ともいうべき見事な集団であった。

 

私は大学時代空手部に所属し、体力・気力的には自信があった。当然私を補佐するものもいわゆる体育会系で只者ではない

 

当然この若者たちはこの組織で生きていくためには勢力争いがあって、自分たちでリーダーを決めていく。

そのへんはあえて干渉はしない。

 

その過程で元プロボクサーで4回戦まで行ったという「B」という男がいた。

この男は朝から晩までボクシングの話をしており、かなりのハッタリ屋でもあった。

そして「B」は言うに事欠いて、私に聞こえよがしに「教官は空手の有段者かもしれないが、俺たちプロボクサーと戦ったら、一発で終わりさ!」と言った。

 

それでなくともこのクセモノばかりのアウトロー集団で、指導者の権威がなくなったらこれから指導していけなくなると思い、このまま聞き流すことは出来なかった。

 

「おいBよ! プロボクサーの実力を見せてくれ!」

「教官! 本当に殴ってもいいんですか?」

「これは教官と学生の闘いではなく、男と男の闘いだ、俺も本気でいくからお前も根性いれてかかって来い!」

周りにいた基幹要員も学生もお手並み拝見というところで、

二人の実力をこの目で確認しようという態度であった。

 

勝負はあっけなくついた。

私の現役当時の得意技「後ろ回し蹴り」がBのみぞおちに食い込んだ。

靴は戦闘長靴であったので、かなりのダメージを受け後方に吹っ飛んだ。

実は現役時代に大学のボクシング部の学生と試合をしたことがあり、彼等は蹴りに弱いことを知っていたのです。

 

じ後、このアウトロー集団は学生同士ではある程度の問題は生起したが、教官側と学生側との確執はなく、前より両者の間隔は狭まりよい関係が確立できた。

もちろん決闘の後のフォローは必死にやったが、「B」はクラスで孤立をし、卒業を前にして辞めていった。

彼の性格・能力を考え、あえて強力な引止めはしなかった。

 

私は今でもあの闘いは間違いではなかったと確信をしている。

あのクセモノぞろいで教える側が腰の引けた教育をやったら、あのクラスは崩壊したであろう。

もちろん暴力は禁止されており、私の行為は処罰に値するものであるが、上司は知ってか知らずかお咎めなしであった。

当時は真剣勝負であった。私の教育方法に問題があったとしても、このやり方が一番良い方法であると確信していたのである。“辞めろというなら何時でも辞めてやる”という気概はあった。

(後編に続く)

小学生の暴力小学生の暴力

 

  
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2006年05月05日

◎子供には厳しい愛情表現が必要

少年法に守られた子供たち総務省の人口統計を見てみると年々総人口に対する子供の総人口比率は年々下がり続けており、いよいよ老齢化国家になりつつある。

いよいよ大事になってきた日本の子供たちに暗雲が立ち込めてきている

 

最近子供の絶対数が少なくなってきたことにより親たちは子供たちを愛玩用動物的に扱い、大人への予備軍として育てていない

 

例えば 少年による凶悪犯罪、性犯罪、窃盗等の軽犯罪の増加

彼らが犯罪を犯しても、犯した罪を反省させるより如何に彼らに心の傷を負わせないか、殺された被害者より生きている加害者を如何に教生するか、犯罪者の人権を如何に守るかに神経を使っている。

 

刑務所を見学したことがある。

刑務所長は「ここは罪を罰すると言うより、如何に教生させ社会復帰をさせるかに重点を置いている」という

チョッと待てよ!

罪を犯したものはまず懲罰的に反省させ、十分反省させてから教生社会復帰がスジではないのか

順序を間違えていませんか

成人の刑務所でこうであるから少年刑務所は押して知るべしである

 

先日 人権派弁護士のデタラメさで話題になった、「山口県光市の母子殺害」の少年が友人に出した手紙の内容はあまりにもひどく、その世の中を舐めきっている態度に世間は驚いた

彼らは少年法の弱点を逆手に取り、たいしたことにならないと見たのである

 

また売春少女たちに対する世間の態度はあまりにも子供たちを馬鹿にしていないか

10歳だろうが、15歳だろうが良いこと悪いことの区別はつくはず、

中学や高校の女生徒が売春をしているということは罪になるとわかってやっているのである。

それを罪にしない社会の風潮が彼らを堕落させている

 

以前に本の窃盗に悩まされた店主がVTRに撮影した画像を公開して社会の批判を浴びた

この店主は世間から袋たたきにあって店を閉めざるを得なかった

商品を盗んでも罪にならない、見つかってもお金を支払えばそれでチョンという世の中

 

これら善悪のケジメをつけず、社会が悪いことにして子供を守ったつもりが、犯罪を軽くみる風潮を植えつけた罪は大きい

 

タガの外れた今の世の中 子供を大事に育てるのであれば、

先ずはケジメを教えよう

権利には責任があること

法に服すること

社会常識を身に付けさせる

厳しい愛情表現があることを教えよう

 

*********************産経Web 5.5

     日本の子供 総人口の13.7% 25年連続減、1747万人

 「こどもの日」に合わせ、総務省が発表した四月一日現在の子供の数(十五歳未満の推計人口)は、昨年より十八万人少ない千七百四十七万人で、二十五年連続の減少となった。総人口に占める割合も昨年よりも0・1ポイント下がって13・7%と、三十二年連続で低下。一方で、六十五歳以上人口の割合は、20・4%(昨年19・8%)となり、少子高齢化の傾向を反映した内容となった。
 男女別では、男子八百九十六万人、女子八百五十一万人。三歳ごとの年齢別では、十二−十四歳、九−十一歳がそれぞれ三百五十九万人で最多。〇−二歳が三百二十九万人と最も少ない。
 子供の割合を都道府県別(昨年十月一日現在)に見ると、沖縄県が18・4%で最高。逆に最も低いのは秋田県の12・0%だった。平成十二年の国勢調査人口と比べると、東京都(12・1%)が0・3ポイント上昇したほかは、すべての道府県で子供の割合が低下した。
 調査時期に違いはあるものの、主要国の中で日本は最も低い水準。米国(20・7%)、韓国(19・1%)などに比べ、低さが際立っている。

  
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2006年03月21日

◎「衣食足りて礼節を忘れた日本人」に「什の掟」を!

躾け国旗国歌に対する礼を失する国民、

目上の者に対する礼節、弱きものに対する思いやりを忘れた若者

歩きながら飲食をし、電車の中で化粧する女姓

下品な言葉遣いをする女子高生

姿かたちの美醜だけで判断する若者たち

子供の教育・躾けの強制を恐れる大人たち

「若さ」の追求に血眼な母親たち

真面目に努力することを嘲る子供たち

 

日本はいったいどうなっているのだろう。

先日 日米中韓の高校生の意識調査を見て愕然とした。

日本の高校生は他3カ国の子供たちに比べて、人間として世界に伍して生きていくという意識が一番低かった

ただ低いというだけでなく、あまりにもかけ離れていたのである。

30年後50年後の日本は世界の3等国に成り下がっていることだろう。

 

江戸元禄期の儒学者で“大宰春台”という学者がいる。

彼は荻生徂徠の高弟で経世家として知られている。

「義をもって事を制し、礼をもって心を制する」

この世の秩序を守り平穏な社会にするためには、あくまでも人間として培った「義」と「礼」を行動の規範にすべし、というのである。

なぜなら、心の中の「仁」は目で見えにくいが、「義」は行動となり、「礼」は「形」となって表れるもので、目に見えるからである。したがって、この「礼」を厳しく躾ければ、悪い心をもった人間でも、行儀作法とともに心もおのずから正しくなっていく、と説いたのである。

 

彼はあくまで教育によって道徳は養われるとの確信があったのである。礼儀を厳しく教えれば、その過程でなぜそうすべきかがわかり、その行儀作法とともに心もおのずと正しくなる、

 

 俗に「服装の乱れは心の乱れ」というや言葉もあるように、春台は礼節の大事さを、次のように訴えている。

 「風俗に品格があれば、その国の勢いは盛んになるが、低級になれば衰運に向かう。世の盛運はその社会の風俗にかかっている。その風俗を高きに保つものこそ礼節である」

 社会を平穏で暮らしやすいものにするために、最も必要なのは「秩序」である。その秩序の具体的な行為が「礼」である。それゆえに武士道では「型」としての「礼」を厳しく問うようになったのである。

この大宰春台が我々に問うているように、人間としての美学(型)を教えることが一番大事である。

日本を救う道と教えている。

 

会津藩には

「会津家訓」をつくって強固な家臣団を編成、「会津風土記」を編纂させた名君保科正之、

会津戦争の時の家老西郷頼母、

「北京の55日」で有名な柴五郎(後に陸軍大将)、

西南の役の佐川官兵衛、

白虎隊の少年剣士たち、

このような人々を育んできた会津には脈々と人々に伝えられてきた品格の高い「会津士魂」といわれるものがある。

彼らの心の遺産とも言うべき「什の掟」が見直され、子供たちに伝えられようとしている。

 

会津藩の「什の掟」

http://wildhorse-depot.seesaa.net/article/15124713.html

 

 

  
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2006年03月03日

◎教育の失敗

戦後60年、日教組の戦後民主主義教育が勝利した。

いかにしたら駄目な日本人を育成できるかという大目標に保守陣営が敗北したと言う結果が出た。

 

日米中韓高校生意識調査が公表され、日本の高校生たちは惰眠を貪り、遊びにしか興味を示さないという驚くべき調査結果が出た。

 

国際社会に生き抜いていくためには米中韓の高校生たちがまともで、日本の高校生たちはただ親の遺産で享楽に走り、この資源のない日本は技術立国しか生きる道が残されていないにもかかわらず、この体たらくでは没落の一途を転げ落ちることが明白である。

 

20年ほど前のことであるがあ然とするドキュメンタリーがテレビで放映されたことがある。

それは小学5年生の男女混合のグループ討議の模様であった。

或るテーマを提示され、45分間でグループの意見をまとめると言うものであった。

開始後20分経ってもリーダーが決まらず30分経っても討議らしいことが出来ていない。結局そのグループは意見をまとめる事が出来なかったのである。

 

何が原因かと言うと頭が悪いからと言うのではなく、グループをまとめるリーダーがいないということである。

指導する教師は「誰もやりたがらないので、いつもこうです」と涼しい顔でインタビューに答えていた。

私に言わせればリーダーの選出の仕方や討議の進め方を指導しない方に問題があると云わざるを得ない。

 

日本の教育は「結果平等」が第一で競争社会を敵視してきた。

これから生まれるのは無気力と思考力を奪われた子供たちである。

みんな同じ結果であれば誰も努力しようとしないのは当たり前である。

 

「男女共同参画、ジェンダーフリー」

チームで役割を決めること、特にリーダーを必要とする組織論を否定

男子学生を萎縮させて、リーダーシップを発揮させない

男女間に発想の逆転を強いている

 

「男の美学」「女の美学」とはなにか、またどうあるべきかを教育しなかったことに問題がある。

 

世界に伍する日本人を教育するにはこれから50年はかかるだろう

今こそ日教組教育を全面否定して、新しい誇り高き日本人を育成する必要がある。

そのためには政治家と官僚、教育界とマスコミが新しいビジョンを打ちだし、真剣に取り組まなければお先は真っ暗である。

*******************読売新聞から引用

○日米中韓高校生意識調査

勉強離れ際立つ日本

 

高校生の意識調査 日米中韓の4か国の中で、日本の高校生は学校の成績や進学への関心度が最も低いという実態が1日、文部科学省所管の教育研究機関による意識調査で明らかになった。米中韓では「勉強ができる生徒」を志向する傾向が強いのに対し、日本は「クラスの人気者」になりたいという生徒が多く、日本の高校生の“勉強離れ”が際立つ結果となっている。

 

 調査は青少年の意識研究などを行う財団法人「日本青少年研究所」と「一ツ橋文芸教育振興会」が昨年秋、日米中韓の高校I〜3年生計約7200人を対象に実施した。

 

 それによると、「現在、大事にしていること」(複数回答)として、「成績が良くなること」を挙げたのは、米国74・3%、

中国75・8%、

韓国73・8%に対し、

日本は最下位の33・2%。

 

「希望の大学に入ること」も、

米国53・8%、

中国76・4%、

韓国78・O%に対し、

日本はわずか29・3%だった。

 

 「いい大学に入れるよう頑張りたいか」という問いに、 「全くそう思う」と回答した生徒は、

中国64・1%、

韓国61・2%、

米国30・2%で、

日本は最下位の25・8%。

 

また、「どんなタイプの生徒になりたいか」を尋ねたところ、

米中韓は「勉強がよくできる生徒」が67・4〜83・3%を占めたが、

日本は「クラスのみんなに好かれる生徒」が48・4%でトツプだった。

 

 逆に日本の高校生が他の3か国に比べ、「非常に関心がある」と回答した割合が高かった項目は、漫画やドラマなどの「大衆文化」(62・1%)、「携帯電話や携帯メール」(50・3%)、ファッションやショッピングなどの「流行」(40・2%)など。

 

米中韓でいずれも50%前後だった「家族」は、日本では32・4%にとどまった。

 

 調査を担当した日本青少年研究所の千石保所長は「未来志向の米中韓に対し、日本の高校生は現在志向が顕著で、『勉強しても、良い将来が待っているとは限らない』とさめた意識を持っている」と指摘している。

 

 「国家の品格」の著者で数学者の藤原正彦さん(62)は、調査結果について、「一言で言えば、日本の子どもはバカだということではないか」と話した。こうなった理由について、藤原さんは「一つは個性の尊重ばかりを唱え、子どもに苦しい思いをさせてはいけないという『子ども中心主義』」が信奉されてきたこと。

もう一つは、いつリストラされるか分からない金銭崇拝の競争社会で、『勉強してもしようがない』という意識を子どもに植え付けてしまったことだ」と指摘した。

  
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2005年08月25日

◎必要悪としての"暴力”論

歓喜の駒大苫小牧 いま駒大苫小牧の野球部長が行った部員に対する暴力が問題になっており、高野連の処分待ちの状態である。

常日頃から感じていることであるが、学校の不祥事に対して高野連の処分は過剰反応しすぎではないか。

なぜこれほどまでに「今の高校生」に「清廉潔白」を求めるのか。

自分たちの若かりし頃はそれほど“純朴”で“石部金吉”でしたか?

自分たちの高校時代の運動部には暴力事件がまったくなかったと言い切れますか?

部員が90数名もいれば中に1人や2人不軌弾がいてもおかしくありません。

 

ただ今回の事案で問題があるとすればただ一点、指導者の野球部長(27歳)が「マジ切れ」して叩きまくったすなわち「指導の領域」を越えてしまったことにある。

 

●なぜこんなことになってしまったか

それは“喧嘩なれ”“叩きなれ又は暴力なれ”していないからです。

昭和40年前後を境に日教組が完全に教育界を牛耳るようになり、ベトナム戦争反対運動の激化に連携して、暴力全面否定が強調されるようになった。

 

それにともなって刃物を持たせない鉛筆削り用の小刀も駄目という異常事態が浸透していった。

子供たちは刃物が傍にある緊張感、それを使いこなす工作能力を奪われ、叩きあいのルールに乗った喧嘩もできなくなった。

すなわち日頃鋭い刃物と接触していないから、包丁で物を切ることに抵抗を感じ、へっぴり腰で料理をすることになる。

 

●喧嘩にもルールがある。

素手での喧嘩なれをしていないものは、すぐに物を持って殴る。

素手で喧嘩しておけば叩く加減が判り、大怪我をすることは極めて少ない。しかし物を持っての喧嘩は加減が判らず叩き過ぎて相手に大怪我をさせてしまうことが多い。

昔の親は子供が物を持って喧嘩したなどといったら「卑怯者」扱いにされ、勝っても負けても又親から叩かれたものです。

 

また喧嘩なれしてくると叩き方すなわち叩く部位、ゲンコツ・平手等を瞬時に判断してやることができるようになる。これは一種の学習能力なのです。

結局「アツモノに懲りてナマス吹く」状態が最近の大人なのです。

 

親も教師も危ないものは全て否定し、子供たちの社会生活への学習能力をももぎ取ってしまったと言えるのではないか

 

     肉体的苦痛を与えることが人を鍛え、命を救うことがある。

一般的に運動部は体力の限界に挑戦するものであり、自己の向上のために自分の肉体をいじめる。状況により、先輩・コーチから叩かれることもある。それでも自分で納得して甘んじて肉体的苦痛を受ける。

 

結局そこには指導するものと指導されるものとの間に信頼関係があるか。また指導するものに学生に対する愛情があるのかどうかの一点にある。

 

軍隊の訓練においてレンジャー訓練のように体力気力の限界まで追い込むものがある。

隊員が意識朦朧となって生死の危険があるとき、気つけのために頬を叩くことがある

これなどは暴力が本人の命を救う手段の例である。

 

ここにサラ金に悩むA男と彼を指導する立場のB男がいる

A男はサラ金地獄に陥って自転車操業の状態

B男は数ヶ月に亘ってA男を親身に面倒を見てきた。

ところが自分の置かれている立場を理解しないA男は又新たな借金をしていた。

 

その事実を知ったB男はA男を呼びつけ懇々と諭したが、アッケラカンとしているA男を見て、B男はA男を殴りつけた。大の男が涙を流しながら「お前は何故判らないのだ!」と何発も何発も・・・

 

B男は自分のために泣きながら殴りつけるA男の愛情に感動をして、ただ黙って殴られていた。

こんな深い愛情を示す暴力もある。

 

わたしは今回の駒大苫小牧の暴力事案を見て、

TVのコメンテーターが揃って「いかなる暴力も許されない!」とステロタイプに言う姿に白々しさを感じる。

 

そこにこの学生を立ち直らせるため指導をするという深い愛情と熱い思いがあったのなら目をつぶることは許されるべきであり、ただ感情が激して抑えることができなかったのなら子供と親に謝るべきであり、小細工をするべきではない。

 

高野連の判定がどう出るかは判らないが、今回は甲子園で闘った球児たちに責任はない。

優勝旗をどうするこうするの話はないのである!

  
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2005年06月04日

◎無気力・無関心・向上心がない若者を生き返らす秘策は「教育改革」あるのみ!

今の若い人たちを評して、「無気力・無関心・向上心がない」という言葉がある。

親子3人社会のシステムがストリートチルドレンのようにマンホールの中で寝ることもなく、食に関しては飢え死にすることは考えられないし、別に働かなくとも親がホオッて置かないではなく、置けないのである。

昔と違って親に生活力があり、年をとっても子供の1人くらいはいつでも養っていける。

まったくの核家族になってしまい、「世間体が悪い」という言葉も最近は滅多に聞く事もない。つまり自主規正という歯止めがなくなり、大人になっても生きていくという切迫感も緊張感もなくなってきたのである。

もうすこし分析してみたい。

 

  母の躾一つ目は親が価値観の基準を決めるという尺度がなくなったと言える。家族とは、昔から長は父親で躾をするのが母親という役割分担がなされており、口うるさくガミガミ言って躾るのが母親で、それで統制がとれなくなったときに父親が出てきてガツンと叩いて終わらせるという形が出来ていた。良い悪いの判断は親が決めて、子は黙って刷り込まれたものである。

 

しかし、現在は昔みたいな頑固親父がいなくなり、父親の権威が無くなり、価値観を伝える組織を崩してしまったのである。

 

   二つ目は、近所の子供達の組織が無くなったことである。

昔は、ガキ大将を中心として、上の者は下の者をかばい、下の者は上の者に一生懸命尽くして、自分を守ってもらうという子供達の組織があった。

 

幕末の頃は、若衆宿という小屋に村の少年達を寝泊まりさせ、年長者が長になり色々な躾から女遊びまで教えられた。そこでは「勇」あり「義」ありと武士道精神を学び男として育っていった。

その流れを汲んでいるのが青年団であるが、若者の勤務状態の多様化から、いまでは一部農協青年団が残っている程度である。

 

こんなことが無くなったのは、時代の流れで核家族が増えて父親がガキ大将に取って代わってしまったからである。父親が自分の子供を鍛えるのが一番すばらしいかたちとなり、近所の子供と遊ばせなくなってしまった。だから、みんなで協力をして何かをするという団体意識が薄れて仲間のリーダーを立てて物事に取り組むという姿勢がなくなってしまったのである。

 

女子高生の大また開き  三つ目は「やりすぎてはいけない子供の人権」ということである。何の責任もとれない子供を一人前の扱いをして権利だけを主張させている。学校というのは子供達に社会のルールや物事の考え方を教えて、一人前にして社会に送り出す所である。

 

だから、選挙のまねごとをしたり、いろんなグループ討議をさせたり、奉仕活動等をさせ、いわゆる、小さな社会の仕組みを習うのである。その中で責任と権利というのをきちんと教えなければならないのであるが、責任を教えず権利ばかりを主張させているのが現状である。

 

教育改革

ではどうしたら彼らに生きる活力を与えることが出来るかといえば、教育改革しかないと思う。

サッチャーの教育改革のように現状分析をしっかり認識して社会が危機意識を持つということ。

教育界の癌である教職員組合と闘う姿勢を明確にするということ。現場責任者である学校長権限を強め競争させる。優秀な管理をして成果を出しているところは予算もつける。

改善を支援しても効果が出ない場合は非情に切り捨てる

それと同時に父兄に対する広報活動を組織的に実施する。管理者として能力の高いものを採用する。

 

教育委員会と管理者側との連携の強化特に人事施策の支援

 

人間の緊張感いうものはせいぜい3ヶ月持てば良い方である。だから世界の軍隊や一般の会社等においては3ヶ月、6ヶ月が一つの基準になっている。

それを一般の教師は年単位でやらなければならないという宿命がある。

これは至難の業といわなければならない。

 

教師は一年間の長き戦いに緩急をつけ、ここ一番のときに重点指向しながら、子供たちと対決していくのである。

これができる教師のみが「良い教師」の称号を得ることが出来る。

 

いまわが人生を振り返って、恩師といえる教師または教官は数えるほどしかいない。

それは感動を与えた教師が如何に少なかったかといえる。

 

教育者にとって教育というものは生活の手段が4に対し、育てるという使命感(熱い心)が6の世界、これが逆転するような場合は「でも・しか先生」と変わりがなく学生が惨めなだけである。

 

  教育とは真剣勝負であり、いかにしたら教師の熱い思いが学生に伝わるかである。

 

山谷えりこhttp://www.yamatani-eriko.com/

日本政策研究センターhttp://www.seisaku-center.net/

新しい教科書をつくる会http://www.tsukurukai.com/

 


教育正常化への道 英国教育調査報告
人生について、父から学んだ大切なこと。
新しい歴史教科書を「つくる会」が問う日本のビジョン
まとめて反論―『新しい歴史教科書』の思想  
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2005年05月08日

◎教育者が陥りやすい欠点

はは〜あ

北海道で教員をしている姪が訪ねて来たので、教育の現場について話し合った。

一昔前までは教員といえばそく日教組という感じであったが、最近は共産党系全教組が1/3、社民系北教組が1/3、その他(のんぽり)が1/3という割合らしいが、声が大きくて騒がしいのが主導権を握るらしい。

 

学校とは何をすべきところかについて話し合った。

私は「学校は本来子供たちの将来に必要な知識・体力を向上させるとともに、社会生活のルールを学ばせる所でもある」しかし現在の教育界は学力偏重か、ゆとり教育の関係で全て中途半端の状態で「社会的マナーの教育」という点に欠けていると思うと話した。

 

その点について姪いわく「学校の方針とは別に、私たちも他の先生達と研究して、各種施策を前向きに考えている。」と。校長先生の立場を軽んじる様な感じを受けたので、「学校長の地位役割は何か、君達の管理者であり、先生達は管理される立場にあり、学校全般の運営について最終的な責任を負う人である」組合の強いところはご多分に漏れずお飾りになっている学校長が多いといえる。

 

先日教師をやっている友人と飲む機会があった。

彼は自分たち教師は常に正しく、世間をリードしていかなければならないという意識が強かった。これにはどうも違和感があり、いい難いことをはっきり言わせて貰った。


江田島海軍教育
バカの壁
いいかげんにしろ日教組―われ「亡国教育」と、かく闘えり
新しい歴史教科書―市販本

一般的に教師というものは大学を出たばかりの22〜23歳という若さで教職に就き、一般の会社のように上司からボロクソに言われ、鍛えられるという機会がない。

そして若いうちから社会的にも人生の大先輩である父兄、特に教え子の母親等からチヤホヤされ、自分が見えなくなっているものが多い。そういう人に、児童を預けなければならない父兄は、子供を人質に取られている様なものである。人は甘やかされたり、おだてられるといつのまにか傲慢になるものである。

労組が主導権を握り管理者が適切な指導をしなくなったそのよい例が旧国鉄である。旧国鉄は、労働組合が天下を取り、客を乗せてやるんだという態度が強く、接客態度も横柄であったが、民営になってからは接客態度がガラリ変わって利用者の評判も良くなってきた。

 私の知り合いに国労のバリバリだった男がいる。
彼は国鉄がJRに民営化される際に退職し、現在は自営業を営んでいる。
彼は「今考えたら国鉄時代にはずいぶんデタラメをしてきたよ。自分が管理者であったならすぐ首だな!」と笑っていたことを思い出します。

昔、必要に迫られて英語学校に通ったことがある。
担当の教官は20代半ばでテキサス大学を出たステキな女性であった。

ある時、蒙古斑点の話になり、私もこれに関しては若干勉強していたのでツタナイ英語でウンチクを傾けたところ、このお嬢さんから私が主張した学説を真っ向から否定されてしまった。
それも年上の私に教え諭す言い方であった。
これにはわたしもカチンと来て、言い争いになったことがある。

とかくモノを教える立場のものは自分の説は正しいのだから反論は許さないという意識が強いものである。
いままで多くのアメリカ人と付き合ってきたがほとんどの人間が「アメリカNO1」「アメリカは世界のリーダー」「アメリカは世界の悪を退治する」等々であった。
このテキサス娘もこれであったのに加えて、教え子と教官という立場から日本人に物事を教えなければならないと気負ったのであろう。

長い間、人に物事を教えるという立場で教育に携わって来たが、陥りやすい欠陥として「教える側を長くやっていると、相手の人格まで見下す勘違いをしがちである」ということ。学校の先生と教え子、会社の上司と部下、夫と妻、親と子供等々往々にしてこのようなことがあるのです。

しかしながら、教育の場を離れれば対等な人間であり、人としての尊厳を尊重せずしてお互いの信頼はありません。

このことを常に肝に命じて、時には自分の言動を省みる事が必要だと思いませんか・・・。

 

  
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2005年03月31日

◎悪たれ小僧変身の秘密

前回は1週間で変身すると書きました
 
そんな馬鹿な!
と思っている人多いのじゃないですか
 
3人衆きっと軍隊特有の暴力でいうことを聞かせると思っているでしょう
そういえばロシア軍の下士官が新兵さんを蹴っ飛ばす映像が流れたことがありましたね
 
でも違うんですよ
いまどき自由主義国家の軍隊ではそんな訓練の仕方はやりません
 
世界各国の軍隊のやり方にプラス日本人特有の「義理人情」、すなわち徹底した時間管理と懇切丁寧な面倒見で虜にしてしまうのです
常自衛官として採用が決まったら
 
1Stage(単なる就職と違うぞと思わせる)
採用係りの自衛官(地連)が入隊者の不安を解消するため入隊するまでの間、接触をして色々教えてくれる。
各市町村ごと協力会・父兄会が主催で入隊激励会をやります。そこには市町村長・商工会議所の会頭・自衛隊の司令等いわゆるお偉方がお祝いの言葉をくれる
 
2Stage(いわゆるシャバとお別れ)
教育隊に到着したらすぐに持ってきた私物品は自分用のダンボール箱に入れ私物庫へ入れ、パンツだけあればあとは全て貸してくれます
長い髪をバッサリ 床屋でスッキリ
 
周りは鉄条網が張られており、屈強の若者が見張っている
スケジュールが分刻みで追いまくる 自由な時間はベットの中だけそれも疲れているからすぐ寝てしまう
 
助教・助手といわれる現職から選ばれた優秀な隊員がベットのたたみ方から靴の磨き方まで教えてくれる
私は国のため最善を尽くしますと宣誓書にサインをする
 
3Stage(パブロフの条件反射)
基本教練とは敬礼の仕方・立ち方・座り方等
部隊教練とは団体行動での移動の仕方等を教えてくれる
軍隊の基本である命令号令に速やかに反応することを徹底して教える
 
持続走4Stage(同期生意識)
大きな声を出すことによって今まで隠れていた積極性が前面に出てくる
常に仲間と同じものを食べ、同じことをやることによって仲間意識が出てくる
これは新隊員教育課程前期・後期を通して生まれる
この隔離された駐屯地の中で、いわゆるシャバッ気を断ち切られ、徹底して面倒を見てくれる教育隊に覚悟を決めざるを得ないのが本音
 
ちなみに教育隊の基幹要員は起床から就寝までの間気の休まるときはない。
もちろん休日も家庭サービスはままならない。
そんな要員の姿を見ているから新兵さんはやらざるを得ないのかもしれない
 
傍から見ていると基幹要員と新兵さんは真剣勝負をしているようだ
そして1週間後 生まれ変わった自衛官として入隊式を迎えるのである 
 
自衛隊という学校―若者は何を学び、どう変わったか
  
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2005年03月30日

◎悪たれ小僧の変身振りにビックリ

あなたは自衛隊の新隊員の入隊式を見たことがありますか。

水兵 わずか1週間で別人に変身何の話かといえば自衛隊の新兵さんの話です高校時代の若者の特性・返事をしない・常に猫背であごを出して歩く・人様の話を聞かない・じっと座っているのが苦手・大きな声を出せない等 々 この若者たちが背筋を伸ばしじっと正面を凝視し、来賓の話を黙って聞いている。大きな声で宣誓をし制服すがたで颯爽と歩く その姿を見て親はビックリし、進路指導の教師は唖然とする。そして感動をする。 なぜそれほどまでに変身する事ができたのかその秘密は次回のお楽しみ!

  
Posted by wildhorse38 at 00:25