2016年12月19日

◎若者たちよ 「海賊と呼ばれた男」がいたことを忘れるな!

 久しぶりに映画を観に行った。
「海賊と呼ばれた男」である。
いつもは私の本など読まない女房が、いつの間にかこの本を読んでいて感動をしていたらしいのだ。
「お父さん!『海賊と呼ばれた男』が来ているけれど、いつ観に行くの」とうるさいのだ。
「私は土・日が休みなの!」と迫ってくるので日曜日に行くことにした。
映画館は50%程度の入りで圧倒的に老人クラブ状態。
 原作は百田尚樹、監督は山崎貴で本作を映画化しようと決めたきっかけについて、「終戦直後のあの時代、皆が下を向いていたときに、とんでもないことをしでかした男達が居たということへの驚きが原動力。その背景を探求したくなった。」と述べているとおり映画のモデルは出光興産創業者の出光佐三、映画では国岡鐵造 役の 岡田准一、女房役の綾瀬はるか、堤真一、 近藤正臣、ピエール瀧、吉岡秀隆、鈴木亮平と役者が揃っている。
やがて映画が開始され、最初から引き込まれ夢中になって最後まで観てしまった。

 1945年(昭和20年)8月15日。世界中を敵に回した、日本の戦争は終わった。東京をはじめとした主要都市は徹底的に爆撃されて瓦礫の山となり、海外資産のすべてを失って莫大な賠償金が課せられようとしていた。これから日本はどうなっていくのだろうかと、全員が途方に暮れて失意に包まれているとき、毅然と店員を集めて話す男がいた。国岡商会の国岡鐡造店主である。
わずかに残った店員を前に、鐡造は「愚痴をやめよ、愚痴は泣きごとである。亡国の声である」「日本には三千年の歴史がある。戦争に負けたからと言って、大国民の誇りを失ってはならない。すべてを失おうとも、日本人がいるかぎり、この国は必ずや再び立ち上がる日が来る」と訓示を述べた。だが、失望から立ち直り武者震いする店員たちに、売るべき商品「石油」がそもそもないという現実が襲いかかる。「店主、このままでは、国岡商店は潰れます。涙を呑んで人員整理を」という進言に、鐡造は「馘首はならん!」と解雇を断固拒否する。戦後、住処も食糧事情もままならない情勢下で、日本の復興に向かって闘う男たちの物語が始まった。

 実は私は若いころ日本石油関連の会社に勤めていたことがある。
商売敵は出光石油(ホクレン)。映画では国内最大手の石油会社「日邦石油」(モデルは日本石油)。国策企業である石油配給統制会社は石油流通を統制し、戦前戦後を通じて国岡商店を潰しにかかる役割。
 わが社は中小企業ではあったけれど、社長がホクレン(出光石油)はいつも統制を破り好き勝手な商売をやっていると非難していた。
私は深い内容も知らずに”とんでもない奴らだ!”と目の敵にしていたものだった。
しかしながら、後に出光佐三の哲学書を読んだり、国内唯一の民族系石油であることを知って、彼の生き方に共鳴を覚えたものであった。
 それが半世紀近く経って、百田尚樹が「海賊と呼ばれた男」を世に出し、映画にまでなったことは実に喜ばしく、若い人たちにこの物語から是非、敗戦で日本の男たちが自信を無くしていた時代に、日本の復興に立ち上がった熱き心と日本人としての誇りを感じて欲しいと思ったのである。
 今石油業界の流れから出光石油はシェル石油との経営統合で揉めている。
シェルといえば民族系の石油会社を次々と飲み込み、日本での地盤を築いたメジャー石油系列である。
 最後の砦ともいえる出光石油、今一度日本の復興に向かって闘った男たちの物語を思い出してもらいたいものである。
 そして感動を忘れた日本の若者たちに是非映画館へ足を運んでもらいたいものだと思うし、この男たちの意気地を知ることは、あなたの心に何か熱いものを残すに違いない。



  

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2016年10月02日

◎アイヌ系日本人と在日韓国・朝鮮人の共通点から

 ヒマに任せて読書三昧の日々が続いている。
今回は積ん読状態であった単行本を4冊ほど持参して出かけた。
出かけ先のラウンジには貸出し可能な図書が50〜60冊ほど置かれていた。
「十勝平野」上西晴治著 筑摩書房が目についた。
これは明治初年頃から北海道開拓者の歴代のストーリーというところに引かれ手に取った。
上下巻2000枚の書き下ろしの大作を丸2日をかけて読み切った。
 実はこの本、日露戦争以前の樺太国境付近にいたアイヌを国防上の必要性から北海道の江別に移住させられたアイヌ民族の話や江戸時代からサケ漁のための場所請負人として入植していた和人(シャモ)たちとその労働者として生きるため十勝平野に住みついたアイヌたちの100年に亘る葛藤を描いたものである。

 この小説は、前後編を通して、アイヌは常に自然を愛するアイヌ民族の伝統に生きる善人として描かれ、彼らにかかわる和人・政府(シャモ)はアイヌの利益や権利を横取りして彼らの平和な生活をぶち壊す悪党たちとして描かれ、アイヌに対する犯罪行為例えばアイヌの家屋に放火したり焼き殺したりしても警察は動かなかったと表現している。これは眉唾物であると私は感じている。
また和人たちは常にアイヌたちを見下し決して和人たちと平等には扱わず、「旧土人保護法案」に基づく給与地の配分も湿地帯の荒れ地を割り当てるという汚さを描いているが、
台湾統治の時の高砂族に対する教育者や警察官を見れば日本人は比較的公平公正であった表現をすべきではないだろうか。

 彼らの心の奥底には江戸時代自分たちの先祖が和人(シャモ)から仕事場で差別を受けたり、アイヌメノコがレイプされたり、妾にされた話。
 生きるために名前、教育、仕事を和人(シャモ)風に直すことを余儀なくされたことへの怒り。
世の流れとはいえ、どうしようもない有形無形の不平等な扱い方を受け止めざるを得ない、いわゆる内面の葛藤。

◆ 差別意識について
私は人間にはどんなに善人ぶっても心の中までは明かさないものであると考えている。
差別意識というものは表には出さないけれども誰でも持っているものであり、それは優越感に通づるものであるともいえるかもしれない。
 人生の成功者が敗残者に対して「俺たちは同じ人間だよ」と言ってみたとてお互いに虚しさだけが残るものであり、
 人種間においても出物腫れものところ嫌わずとばかりに、電車の中や空港のラウンジで放尿したり、あたりかまわず大声で騒ぐC国人達の道徳心のなさへの嫌悪感。
 自分たちは人間的に常に上位にあるとばかりに威張りたがる世界の嫌われ者、恩ある人を平気で裏切り、また息を吐くようにウソをつくと言われるK国人の生きざまに対する唖然とする驚き。
このような人達と付き合うのは人間としても嫌だなと思うことが差別意識へと結びつくのである。

◆出自を隠すということ
 この小説の中で、自分はアイヌであるということを隠して生きることの辛さをいつも社会が悪いといって恨むのである。
人間だれしも他人に知られたくない警察沙汰があったり、出身、学歴、家族の問題等のコンプレックスを持っているものである。この主人公のように自分に都合悪いことをすべて世間が悪いからだとするのはトラブル発生の原因となりませんか。
我々日本人はウソをつく人、不正を平気でやる人を極端に嫌う傾向がある。
 在日の多くが使っている”通名”は不正直な行為と受け止め、それがバレた時には相手に対し不信感を持つものである。これは嘘も方便では済まないものがあるのである。
 在日の場合、終戦直後、第三国人として傍若無人に振る舞ったその付けが”通名”イコール”騙し”として結びついているのであろう。
しかしアイヌは100年余りに間、日本風の苗字を名乗ってきたこともあり、いまさらながらアイヌ風の苗字に付け替えるのは難しいのではないかとも考える。

◆差別意識を助長させないために
 我々日本人は常に他人に気遣い、自分の我儘は引っ込めて”等分に損をし、等分に得をする”そんな社会が欲しいのではないでしょうか。
 韓国内でよく言われることに”日本人には何をしても許される”という一般的傾向があります。そんなことが世界に通じるはずがありません。
 在日の人たちも外国人として日本の社会システムの中で生きていくなら外国である日本に住ませてもらっていることに感謝をしながら生きていくべきではないでしょうか。
それが日本人から受け入れてもらう一番の秘訣であろうと思います。
アイヌ系日本人の人たちも人間としてのプライドを
傷つけられ場合許せる範囲か許せない範囲によりますが、大いに怒って結構です。
・北海道はアイヌたちのものだから返せ
・アイヌのための特別枠を寄こせ
・わけのわからない補助金を寄こせ等
アイヌとは何ぞやという定義もない人たちが一般日本人より優越した特権を欲するのは逆差別になり、日本人全体から人種差別されることになりますよ。
 外国人である在日は別として和人(シャモ)とアイヌ系日本人は同じスタートラインに立つべきなのです

 100年も前のひどい差別をどのように取り戻そうとしているのでしょうか。
私がドイツ統一後の東ドイツ地区で聞いた話ですが、東西冷戦時代のソ連は占領軍として東ドイツ人に対して傍若無人に振る舞っており独立した国家でありながら彼らに対して何も言えなかったとのことであり、同じ東側のハンガリー、チェコスロバキアでも同じ状態であったと伝え聞いております。

 このように人権問題を声高に叫べる今日ならいざ知らず、当時は”力がものをいう時代だった”のです。
それがいまでも通用しているのはロシア、中国、北朝鮮の共産国であり、中東、アフリカの部族長支配のイスラム国家圏等を見れば、
”無理が通れば道理が引っ込む”世界がまだまだ多いんですね。

◆正しい歴史認識ということ
 特に日本人は”昔のことは水に流して”これからどうするという未来志向が一般的であるということを受け入れることが大事なのです。
 それでも朴槿恵大統領のように「日本と韓国は加害者と被害者という歴史的立場は千年の歴史が流れても変わることはない」というのであれば歴史的根拠に基づいて明確に反論する必要がありますね。今言えることはねつ造した政治的な歴史ではなく歴史的根拠に基づく公正な歴史を勉強してからものを言えと言いたい。

 韓国人は常に外国から侵略を受けてきたと主張するが大半の場合漢民族自身が半島内の勢力争いや権力闘争の内輪もめに外国軍(日本、中国、ロシア、米国、モンゴル、国連軍等)を内紛に巻き込んでさんざん利用するのを常としており、半島国家の多用する常とう手段であり、韓民族不変の習性ともいうべきものであります。
 これにより一番迷惑を被っているのが日本だということを忘れてはいけないのです。古くは白村江の戦い、元寇の乱(文永・弘安の役)、日清・日露戦争であり朝鮮戦争であります。
 詳しくは「韓民族こそ歴史の加害者である」石平著 飛鳥新社をお読みください。
目から鱗が落ちるとはこのことです。

◆力関係を認めざるを得ないということ
 このように力関係から言えば日本と韓国・朝鮮、封建時代の和人(シャモ)とアイヌは力あるものと弱き立場にあるものだったのは歴史的流れとして仕方がないものであった。そこには差別や悔しい思いもあったであろう。
そういう時代であったのを認め、それはそれとして割り切れるかどうかですね。
 第2次世界大戦で戦勝国側の一方的判断で多くの軍人が裁かれました。
戦闘員でない一般国民がB29による空爆や原爆を落とされ、たくさんの犠牲者が出たにもかかわらず米国の戦争犯罪は裁かれることはなかったという事実。日ソ不可侵条約を一方的に破ったソ連は満州、樺太に侵攻、多くの一般市民が殺された事実、ソ連は戦闘終結後に千島列島を攻撃し、日本人を追い出した事実は裁かれることはなかった。
 だからと言って今米国やロシアに恨みは持っても、復讐してやろうとは思わないのが日本人。

 日本人は争い事を好まず言い訳や他国を貶めることはしないのをよいことに、自分たちの悪行を隠すために一方的に日本を貶めることに躍起となっている中国、韓国・朝鮮、アメリカ、ドイツ等然り、かの国は日本の左翼的学者たちとともに、日本の正しい歴史をゆがめた結果、日本がなかなか立ち直れなくなっているのが実態である。
 しかし戦場の実相を正しく記録として残し、なぜこうなったのかを分析検討して後世へ残すのも我々の務めであると思う。
アイヌ系日本人よ!
我々と同じスタートラインに並びませんか!!!














  
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2016年07月29日

◎キリシタン大名とポルトガル宣教師の悪行

 先日 ”長崎の教会群とキリスト教関連遺産”がユネスコへ世界遺産として申請したとの報があった。
私は何故、豊臣秀吉が、1587年に「バテレン追放令」を発し、宣教師たちの追放を命じたか。1597年には、26人もの宣教師・信徒らを、長崎の西坂の丘で、はりつけに処したか。
 また秀吉に始まった禁教政策は徳川幕府によって強化され、1614年には禁教令が全国に発布されたか。 1622年には、国外追放に従わず潜伏していた宣教師と、彼らをかくまったとされた信徒ら計56人が西坂の丘で処刑された「元和の大殉教」が起きたかを調べるとともに、島原・天草一揆と宣教師の役割について調べたことがある。
 飢饉や重税に苦しんでいた有馬や天草の領民たちは、1637年から翌年にかけて武装蜂起し「島原・天草一揆」が勃発した。約3万7千人の領民たちは、原城に立て籠もったが、88日間の戦いの末、女性や子供までもが皆殺しになり、その後、原城は徹底的に破壊されたが、発掘調査では無数の人骨とともに十字架やメダイが出土している。孤立無援の中での籠城を可能にしたのは、16世紀中期以来のキリスト教信仰に基づく、共同体の結束が背景にあったと考えられている。

 何故、時の権力者が伴天連を追放し、キリスト教を禁止したか。
 映画『ミッション』(The Mission)でも表れていたが。1750年代、スペイン植民地下の南米・パラナ川上流域(現在のパラグアイ付近)を舞台に、先住民グアラニー族へのキリスト教布教に従事するイエズス会宣教師たちの生き様、彼らの理想と植民地社会の現実や政治権力者の思惑との葛藤が描かれていたのでよくわかるが、彼らは植民地支配の先兵として東南アジアを席巻していたのであり、日本に対しても 宣教師により純真無垢な住民を信仰という禁じ手を使い手なずけ、日本の神社仏閣を破壊し、キリシタン大名から貿易という甘い汁で領土を寄進させ日本侵略の基盤を作っていたのである。結論から言うとこの禁教令があったから日本は西欧の植民地にもならず、今日の日本があると言える。

◆徳富蘇峰の『近世日本国民史』
 日本においては安土桃山時代カトリックの宣教師により多くの日本人が奴隷として東南アジアや中東、ヨーロッパに売られていったという記録がある。
「徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵の見聞録がのっている。『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいばかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫び、わめくさま地獄のごとし』。ザヴィエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、ユダヤ人でマラーノ(改宗ユダヤ人)のアルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。
 キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが、天正少年使節団として、ローマ法王のもとにいったが、その報告書を見ると、キリシタン大名の悪行が世界に及んでいることが証明された。
 『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている』と。
 日本のカトリック教徒たち(プロテスタントもふくめて)は、キリシタン殉教者の悲劇を語り継ぐ。しかし、かの少年使節団の書いた(50万人の悲劇)を、火薬一樽で50人の娘が売られていった悲劇をどうして語り継ごうとしないのか。キリシタン大名たちに神杜・仏閣を焼かれた悲劇の歴史もあったということを忘れてはいけない。

◆朝鮮人・東南アジア人のための慰安婦
 日本人ばかりが朝鮮人・東南アジア人を慰安婦にしたということではない。
 彼等が日本女性を慰安婦にした事実を書きたい。 話は古いが、「からゆき」という言葉の「から」の語源は韓国だ。朝鮮南部、今の慶尚南道金海郡に「伽羅」という国があった。日本が倭(大和)と言われていた時からで、双方に往来があった。つまり、日本から朝鮮半烏へ出るのが「から行き」だったのに、徳川から明治にかけて、東南アジアへ連れ出された女をそう呼ぶように転化したのだ。その目的は出稼ぎだが、性の提供が主だっただろう。つまり、日本女性を最初に抱いた外国人は、朝鮮人だと言えるようだ。そして次の記録もある。ルイス・フロイスの書いたものだ。
 「薩摩の兵の豊後におゐて捕へたる人々の一部は肥後国へ売られ行きたり。然るに当年肥後の住人は非常なる飢饉に苦しめられて彼らの生活すら支ふる能はず。
 ……それ故にこれを羊若しくは牛の如くに高来(高麗つまり朝鮮)に運び行きて売りたり。……豊後の婦女小児は彼らの手より離るるに二、三トストン(二、三文という程の意味)を以てせられたり。而もその数は多かりしなり」(岡本良知氏訳による。牧英正『人身売春』岩波新書、七五頁所載)。
 ルイス・フロイスというのは、NHKの大河ドラマ「信長」に出てくるボルトガル人宣教師で、ここに書かれているのは、一五八六年(天正十四年)のことだ。豊臣秀吉が島津討伐のため九州に来たのは、その翌年五月だが、この実状を知り、六月に大阪に帰るとすぐ、二つの法令を出した。一つは人身売買禁止を含む十一ヵ条からなる御朱印状、もう一つは伴天連追放令だ。
 秀吉はこのあと文禄・慶長の役で朝鮮を攻め、捕虜として朝鮮人を連れ帰った。このことは日本人にもよく知られているが、それ以前に、日本人が朝鮮人に売られたのを知る人は少ない。売る者がいるから買うものがいるという言い訳もできようが、儒教に徹し人買いなどしないというのではない。慰みのための他国の女買いはしないというのでもない。事実が示すように、朝鮮人が常に被害者とは言えない。その時どちらが強いかで決まっている。

◆宣教師の本音と植民地の実態。
 日本の神学校で使用したラテン語学習の教科書に、次の記述がある。内容は、一五八二年(天正十年)九州のキリシタン大名(大村・大友・有馬)よりローマに派遣した少年使節が、途中目撃したものを会話の形で書いている。 
・ミゲル(有馬晴信の甥・千々岩清左衛門の洗礼名) 「旅行の先々で、売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見た時には、……激しい念に燃え立たざるを得なかった」
マンショ(大友宗麟の甥で伊東祐益)「……至極当然だ。かの人達は外の事には文明と人道を重んずるのだが、どうもこのことにかけては…一向顧みないようだ……」
マルティーノ(姓は原。大村純忠の一族の子弟) 「全くだ。……野蛮な色の黒い人間の間に奴隷の勤めをするのは、……誰が平気で忍び得ようか」(泉井久之助氏他訳。牧英正『人身売買』岩波新書、五六−七頁所戴)。
 これはフンシスコ・ザピエルが鹿児島に上陸し(一五四九年、天文十八年)、そのあとポルトガル商人、そして船員または雑役として一緒に来た東南アジア人が、安いといって日本人を買い、連れ出したものだ。このあと徳川は鎖国し(明治になっても移民保護法=明治二十九年四月=が制定され、海外へ出ることの出来る職業を限定し、娼妓目的の渡航は許されなかったので)、非合法の密航しか出来ず、そのため文書も記録もない。明治になり村岡伊平次という長崎県島原生まれの男が、自らの人買いの体験を書いた『村岡伊平次自叙伝』で、明治以後がわかるくらいだ。森克己氏はこの自叙伝の稿本を読み、女の草刈り場、天草地方に行って調べた。(九大教授のとき昭和24年から昭和26年まで)

 『人身売買』(至文堂)として昭和三十四年に発刊したが、そのなかで「彼女たちの十中の八、九は誘拐者の手によって誘拐された」 (八九−九〇頁)としている。そして女郎屋の経営者は日本人だが、それをさせたのは、その地域を属領としている白人(イギリス・フランス・オランダ)たちだ。白人は少数で、しかも単身で乗り込み、現地人を使って鉱山や山林、ゴム、農園等の経営をしたが、連れて来た日本人女性で、これはと思うのは自分の女にし、他は女郎にさせて、現地人の足どめのためにあてがった。
 シンガポールの女郎屋について、「登楼客はマレー人・中国人が主」という証言もある(天草志岐村・村上五八氏談。天草富岡町・福島留一氏談。『人身売買』森克己・至文堂、一一六頁所載)。
 虎(白人)の威を借る狐だったのではあるが、東南アジア人は、長い間日本人女性をこんな目にあわせた。日本人が、常に加害者だったのではない。
  
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2016年06月27日

◎NHKのワンパターン

特攻隊員選挙が近づいてくると決まって、戦時中の国民生活への極端な公権力による圧迫を表現したがる傾向が目に付くNHKのドラマ。

・軍人の横暴な発言と行為、
・国防婦人会のヒステリーティックなおばさんたち、
・隣組班長の強制指導

「とと姉ちゃん」の森田屋・青柳商店の廃業
木材の使用統制までは理解できるが、廃業まで追い込むのは極端すぎる。
陸軍が直接木材の切り出し人夫を雇って商品を納入させるかぁ。馬鹿じゃなかろうか。
陸軍御用達の店は、それなりに潤うことになっており、損はさせないのが常識です。

 実は私の父の時代(戦時中)のことです。
北海道の片田舎で”三角兵舎”と言われる土盛りの人夫宿舎に沢山の人を住まわせ、
冬山造材業と炭焼きを大々的やっており、軍に商品を収めていたのです。
その見返りとして軍からお金はもちろんのこと、
人夫の員数分の食糧が配分されていたという。
我が家は戦時中の食糧難の経験はなく、親戚筋が函館から、札幌から、釧路からと何件も北海道の果てへ食料を分けてもらいに来ていたと聞いております。
皆さんは一反風呂敷に米・醤油・野菜・魚・子供へのお菓子と山盛り担いで、買い出し列車で帰っていったとのこと。
もちろん内で働いている人夫には何不自由なく腹いっぱい食べさせたとのことであり、
軍と御用達側は持ちつ持たれつの中で会ったらしい。

 このように必要なところには軍と同じように食料が確実に収められ、ましてや青柳商店のように軍への大量の木材を納入しなければならない店は個人営業とはいえ廃業に追い込むのは現実的とは言えない。NHKも時代考証をしっかりやりながらドラマを作成しているのであろうが、もう一寸社会常識のある演出家を揃えてはいかがですか。

 大先輩に聞いた話であるが、”戦時中、イコール暗く酷い時代であった”という連中は、共産党や反政府運動をやっている者たちにとって厳しかったかもしれないが、一般庶民は普通に生活していたよとのこと。

 社会主義・共産主義万歳の先生に教えていただいた歴史認識では、
江戸時代は切り捨て御免の武士の天下であり、身分制度の厳しい封建時代で、暗黒時代であったと教育されてきた。
本当にそうであったであろうか。
武士は刀より読み書きそろばんが大事な官僚であるが精神的支柱は武士道、町人は国の台所を担っていたビジネスマンであり、後世に残る素晴らしい技術を持った製造業の職人たちがおり、豊かな農産物を作る国の支えで会ったはずの農民たちはそれぞれの分野で明治時代の近代国家の礎となっている。


華開く町人文化。
いたるところにあった寺子屋(19世紀半ば、武士100%、町人50%の識字率世界一)、飛脚システムの郵便組織、世界に先駆けた先物取引、上下水道を完備させたインフラ等
これが暗黒時代であったといえるであろうか・・・。


  
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2016年03月12日

◎国連人権委員会に蔓延る反日左派NGO

                 国連人権委の在日                                                                                                         3月の9日新聞に載った驚くべき国連女子差別撤廃委員会からの批判記事
慰安婦問題をめぐる日韓両政府の合意などを批判しただけでなく、最終見解案では、皇位継承権が男系男子の皇族だけにあるのは女性への差別だとして、皇室典範の改正を求める勧告まで盛り込んでいたのだ。
日本は国連に世界第2位(約311億円、2014年)、約10%もの分担金を支出しているというのに国民の血税を反日勢力に好きなように使われている。

◆日本の国柄や歴史・伝統を無視
女子差別撤廃委員会が日本側に提示した最終見解案では「皇室典範に男系男子の皇族のみに皇位継承権が継承されるとの規定を有している」と挙げたうえで、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも「皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだ」と勧告していたのだ。

日本側は4日にジュネーブ代表部公使が女子差別撤廃委副委員長と会い、皇位継承制度の歴史的背景などを説明して削除を求めた。発表された最終見解からは皇室典範に関する記述は消えていたという。(産経 3.9)

杉田氏は、国連で左派団体の影響力が強いことも、指摘した。
◆左派系のNGO(非政府組織)の実態
 「プレワークミーティングでも、われわれに与えられた時間は各1分ですが、左派系のNGO(非政府組織)の中には1人5分のところもありました。左派系NGOの中には『コンサルティブ・ステイタス』という特権を持つ団体もあり、国連委員とランチミーティングできるなど、アピールの機会がわれわれより断然多く、有利でした」

 杉田水脈(みお)氏の報告によると、ジュネーブではどんな状況だったかといえば、
国連の会議室では100人を超す日本人に加え、チマチョゴリの在日韓国・朝鮮人やアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場。今は国会会期中のはずの糸数慶子参議院議員(沖縄社会大衆党)の面々が杉田氏らに対する妨害活動・攻撃をしていたという。

 反日弁護士といえば、国連に「慰安婦=性奴隷」を持ち込んだ戸塚悦朗弁護士がいる。彼は日本の反日NGO、韓国の挺対協と連携。国連内では北朝鮮関係者と接触していた。
ちなみに、戸塚氏の国連ロビー活動は、92年から95年の4年間で海外渡航18回、うち訪欧14回、訪米2回、訪朝1回、訪中1回と執拗に繰り返され国連内部にしっかりと根を張っていたという(SAPIO2012年8月22・29日号より西岡力氏の解説)。
 
 我々日本人は権威主義に弱く、国連は日本国のあらゆる法令等、日本の伝統文化から超越していると考えるているものもいる。国連の韓国関連事項や決定事項はすべて受け入れるべきと考えているものが多い。
しかし国連といっても「歴代最悪」と言われる事務総長の潘基文(パン・ギムン)のように自分の地位役割を忘れて韓国のために働こうとするもの、人権委員会の中には今回の皇室典範改正要求にかかわった中国人や韓国人がはびこっていると聞く、国連職員は出身国の利益のため働くことを義務付けられているのが通常であり、日本人のように公に尽くすというのは例外であるということを認識する必要がある。

 また国連人権委員会のクマラスワミ(セイロン出身)のように韓国や反日NGOの偏った情報ばかりに影響されて日本が不利になるような報告書を日本に押し付ける輩が蔓延しているのが国連の各委員会である。
 日本の外務省は事なかれ主義を排して闘う日本の主張を繰り広げなければ「世界の卑怯者」「臆病者」の汚名を我々の子孫に残すことになってしまいますよ。
 そうは思いませんか・・・ご同輩!

  
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2016年02月21日

◎【真田丸】長澤まさみ等女たちの現代劇風のせりふはぶち壊し

 知っているようであまり知らない真田幸村は期待を持ってみているが、おっかさん役の高畑淳子、姉の松役の木村佳乃、きり役の長澤まさみの3人はただ五月蠅いだけの時代考証もなにもあったものではない。
彼女ら3人の現代劇風のセリフとクサイ演技は三谷幸喜の要求らしいが、この3バカが浮き上がってしまって「真田丸」をぶち壊しているとは思いませんか。

 昔からNHKの大河ドラマは欠かさず見るようにしているが、時々面白おかしくするためにおかしな設定をしていると感じることがある。
 外国からの留学生は大河ドラマで日本の歴史を知り、セリフから日本語を学ぶらしいのだ。
ある時留学生がこんなことを語っていたのを思い出す。
 「秀吉と石川五右衛門は幼馴染で生涯交流があったのですね。NHKの大河ドラマで勉強しましたから・・・」と。
ということはせめてNHKの大河ドラマだけは時代考証も歴史的出来事を正確にあらわす義務があるのではないだろうか。
 我々も子供のころは青少年の雑誌「少年」「少年画報」などの付録についていた織田信長、豊臣秀吉、真田幸村等を貪るようにして漫画を読み、それが歴史小説につながり、日本歴史、世界史に結び付けて勉強したものです。
 それが有職故実での資料調べや戦国時代の戦史、歴史大百科事典等に結び付いて今に至っているのです。

 歴史ものはあまり人気がないらしいのですが、学校教育がおろそかになってきて、高校生の日本史が選択科目になっているなんて考えられないことが文科省の小役人たちが決めているらしいのです。
せめて日本史ぐらいは日本人の伝統文化、ご先祖様の生きざまを知る道しるべとしてきちんとした教育であってほしいものですね。

 NHKも民放並みの視聴率に汲々とせず、品のある作品をお願いしますよ。
そうは思いませんか・・・ご同輩!
  
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2016年01月18日

◎夫婦別姓訴訟に関する最高裁判断に思う

 夫婦別姓を認めない民法の規定について、最高裁大法廷は平成27年12月16日、「夫婦同姓の制度は我が国の社会に定着してきたもので、家族の呼称として意義があり、その呼称を一つにするのは合理性がある」などとして、憲法に違反しないという判断を初めて示した。15人の裁判官のうち10人が「合憲」としたが、その一方で、女性裁判官3人を含む5人が「違憲」という意見を表明した。
 女性判事の3人は夫婦別姓という例外を認めないことは、多くの場合、妻となった者のみが、個人の尊厳の基礎である「個人識別機能」を損ねられ、「自己喪失感」といった負担を負うことになるとして、「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した制度とはいえない」とした。産経新聞記事抜粋

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 欧米キリスト教文化圏の家族が持つファミリーネームを取り入れ、明治民法第746条「戸主及ヒ家族は其家(ソノイエ)ノ氏ヲ称ス」ことにし、夫婦同氏となったのである。 これはキリスト教文化圏の欧米の模倣であった。
ところが、第二次世界大戦後の欧米において、女権拡張運動が起こり、その波の中、欧米諸国においてファミリーネームからの脱却が始まり、今日に至つている。
 この波に乗ろうとしているのが日本の〈夫婦別姓(氏でなく)〉運動である。要するに欧米女権拡張運動の真似である。と述べてくると、こう言えよう、どうして日本は欧米に弱いのかと。
 明治のときは、キリスト教文化圏のファミリーネームを真似し、第二次大戦後では欧米圏の女権拡張運動に乗ってファミリーネームを捨てて別姓化へ走ろうとしている。そんなに欧米に振り回される生きかたでよいのか。と立命館大フェロー加地伸行は述べている。

 最高裁の判決を聴いて字面や法律用語につられて心のない判断だと感じた。私の考えは100年以上も続いている明治民法第746条「戸主及ヒ家族は其家(ソノイエ)ノ氏ヲ称ス」ことにし、夫婦同氏(うじ)となったものをいま韓国・中国並みに女性の尊厳を貶めてよいのかといいたい。儒教に基づく族譜には嫁に来た女性は書き込まれないのであり、過去の歴史を読み解くと女性の名前が判然としないのはそのためであり、女性は男性と対等ではなかったのである。

 また夫婦別姓になったとして夫婦仲が円満な時は問題が起こらないが、子供を挟んで別れ話が起こったとしたら、悲惨な状況が予想されませんか。夫も妻も自分の姓を継いでいる子供に対する愛情・責任感は特別強いのではありませんか。いざとなったら人間は現実的であり非常なものです。社会的に活躍している女性たちの多くは結婚前の通名を使っているじゃないですか。社会通念上の法的倫理観をブチ壊してまでご自分を主張したいのですか、家族の安寧特に子供たちとの家庭的平穏を壊してまで夫婦別姓は必要ですか。

 日本の伝統的文化の基本となる家族主義を否定したいのであれば、こそこそ隠れてやるのではなく日韓併合まで遡って自分の出自(しゅつじ)を明らかにし、自分たちの民族文化を日本に広めることが目的だと認めなさい。
 いま日本に100万人以上の韓国・朝鮮系の日本人がネットワークを組んで政治・経済・法曹界・教育・メディア・官僚・芸能界・ヤクザ等あらゆる分野に巣くっています。彼らは合法・非合法にかかわらず活躍の場を持っています。かれらにはもちろん日本を愛しているものもいるでしょうが、必ずしもみんながみんな日本を愛しているとは限りません。油断はいけませんぞ・・・ご同輩!

  
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2015年11月06日

◎元寇は高麗人のご注進が切っ掛けである

元寇

歴史を直視し、日本は深く反省をし、中国・韓国より儒教的下位に位置しなければならない。日本は未来永劫中国・韓国の意に従わなければならない。

と言っている身の程知らずのバカな国があり、日本人の中にも正しい歴史を知らず、他国のプロパガンダに乗せられて反日の旗を振っているノーベル賞作家、ジャーナリスト、日本のためではなく「私は中国のために一所懸命働いたのですよ!」と国民の前で語った福田元総理大臣や北朝鮮のためなら日本人拉致を支援する民主党・社民党の政治家が大手を振って国会の赤じゅうたんを闊歩している。

こんな日本を異常だとは思いませんか。

 

ところで日本最大の危機だった元寇の乱についてこんな話があるということをご存知ですか。

クビライ・カアンが東国の島国の日本に興味を抱き、服属させようと思い立った切っ掛けは、高麗人の趙彝(ちょうい)という男の進言によるものだったらしいということを・・・。

以前からこの話を見聞きしていましたが、根拠文書がわからなくて書くことができませんでしたが『元史日本伝』に記されていることがわかりました。

 この趙彝(ちょうい)という男は高麗の慶尚道カンアンに生まれて仏僧となり儒学などにもくわしく弁舌にすぐれていた。

 野心家でもあったので高麗を離れて大都(元の首都)へ赴き、大元(元の名称)の宮廷にも出入りしてクビライに拝謁するチャンスを得た。

 「高麗の隣国に日本という島国があります。豊かな国で金銀米穀に恵まれ、高麗や南宋との通商にも馴れています。ひとつ高麗人に案内させ、使者を送ってみてはいかがでしょう。喜んで朝貢して参ることでしょう」『元史日本伝』

 そんなことを調子よくクビライに告げたらしい。

  

この時までクビライが日本についてどれほどのことを知っていたかは分からないが、

 さっそく側近の色目人(シルクロード上のトルコ系)や漢人たちに日本のことをしらべさせたであろう。

 

 この当時の中国人一般の曰本に対する知識はどのていどのものだったかといえば、中国江南地方の海商達は別として、内陸の、海とは無縁の人々の間では、とんでもない日本への幻想が生まれていた気配がある。マルコ・ボーロの『東方見聞録』がそれを教えてくれる。

 ヴエネチアの商人の子だったマルコ・ボーロがクビライに拝謁したのは1275年、曰本暦の建治元年、つまり文永の役の翌年のことで、中国では日本への関心が高まっていた頃だと思われる。マルコ・ボーロは以来十七年も中国に滞在し、帰国してのちに残した思い出話が『東方見聞録』である。そのなかで日本について、次のようなことを語っているのだ。

 

「ジパング(日本)は中国から1500マイルはなれた大洋の中の大きな鳥である住民は色が白く、礼儀正しい偶像崇拝者で、島主を頂いて独立している。この島主の宮殿について語れば、その宮殿の屋根はすべて純金であり、通路や各室の床はすべて金が板石のように敷かれており、広間や窓も金で飾り立ててある。真珠も豊富でその色はバラ色で大きくて丸く、死んだ人の口の中に真珠を一つ含ませる。他にもいろいろな宝石があり、まことに豊かな島である。だからこの莫大な財産について耳にした皇帝クビライは、この島を征服しようと思い立った……」

 要約すればこのような記述で日本のことが語られている。

マルコ・ボーロが元寇の切っ掛けとなったかといえば時期的にはすでに始まっており、ただこの時期に日本は金銀財宝の豊かな国であるという噂話が満載であったことは確かである。

高麗人趙彝(ちょうい)のことが『元史日本伝』に記されているということはこの男の進言が切っ掛けとなったといえるのである。

 

◇文永の役

 1274年(文永11年・至元11年)103日、モンゴル人の都元帥・忽敦(クドゥン)を総司令官として、漢人の左副元帥・劉復亨と高麗人の右副元帥・洪茶丘を副将とする蒙古・漢軍15,00025,000人の主力軍と都督使・金方慶らが率いる高麗軍5,3008,000、水夫を含む総計27,00040,000人を乗せた726900艘の軍船が、女真人の軍勢の到着を待って朝鮮半島の合浦(がっぽ:現在の大韓民国馬山)を出航した。

 

なお、726900艘の軍船の構成は、大型戦艦の千料舟126300艘、上陸用快速船艇の抜都魯(バートル:モンゴル語で「勇猛なる」の意)軽疾舟300艘、補給用小船の汲水小舟300艘から成っていた。

 

◇弘安の役

 1281年(弘安4年・至元18年)、元・高麗軍を主力とした東路軍約40,00056,989人・軍船900艘と旧南宋軍を主力とした江南軍約100,000人および江南軍水夫(人数不詳)・軍船3,500艘、両軍の合計、約140,000156,989人および江南軍水夫(人数不詳)・軍船4,400艘の軍が日本に向けて出航した。日本へ派遣された艦隊は史上例をみない世界史上最大規模の艦隊であった。

 

高麗国は元の属国であったとはいえ、この文永・弘安の役の切っ掛けを作り尖兵となり、兵站部隊となって元・高麗軍の日本攻撃を支え、連合軍の主力の一部となって日本に大災害をもたらしたのは言うまでもなく、高麗国(朝鮮国)である。朴槿恵大統領が1000年は忘れないというのであれば、日本は800年前の敵対国高麗(朝鮮)国の後始末をやり切ってから言えと言いたい! 

これが正しい歴史観に目覚めた日本人の心根だ!


  
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2015年07月09日

◎血迷ったか新国立競技場

新国立競技場 読売新聞を見ていたらこんな記事が載っていた。

 2020年東京五輪・パラリンピックのメイン競技場となる新国立競技場(東京都新宿区)の建設費が現行の1625億円から2500億円にも膨らむ可能性が浮上し、2019年9月開幕のラグビー・ワールドカップ(W杯)に間に合うか微妙な情勢。
 事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)は7日、東京都内で有識者会議を開き、巨大なアーチ構造の現行デザインのまま、総工費2520億円とする計画見直し案を承認しましたが、建築家グループはデザイン見直しを求める再提言を発表している。

 
 これは新国立競技場基本構想のデザイン・コンクールで、英国の建築設計会社「ザハ・ハディド アーキテクト」の作品を最優秀賞に選んだものである。

新国立競技場をデザイン通り建設した場合の総工費の試算が3000億円に達することが分かり、JSCは、当初総工費を1300億円と想定してデザインを公募したが、3000億円に上ることが採用後にわかったという。最終的に2520億円が承認されたと言うが、こんないい加減な話は聞いたことがない。

 
 このデザインは確かに奇抜で芸術的な建物になることは明白であるが、実際にゼネコンが見積もった建設費は2倍以上であり、デザインが採用されたらあとはどうにでもなるという一種の詐欺的行為であると言える。
素人の私でもわかる理論である。


 読売新聞7月8日の論点スペシャルにデザインをやり直せという世界的建築家槙文彦氏、次の50年 日本の誇りにという日本スポーツ振興センター長河野一郎氏、キールアーチ工法を絶対とするザハ・ハディド事務所事務局長ジム・ヘバリン氏の3氏の主張が紹介されていたが、建築家の槙氏以外は説得力のない自分たちの夢を語っているようなものであった。


 なぜこのような無様な状態になったかといえば、下村文科相に指導力がなかったこと、デザイン選考の時点で世界的な建築家安藤忠雄氏がごり押しをして決まったという経緯がある。現在彼は引きこもって逃げまくっている。 東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長は、斬新なデザインが国際オリンピック委員会(IOC)から「大きな評価と期待」を得たと強調し、莫大な超過予算を顧みず現行デザインでの建設に固執する。
また彼はラグビーW杯日本大会に間に合わせろと言う。
2520億円が承認されたとは言えそれで終わったためしがなく、過去の例から最終的には予算の1〜2割増しが通例である。ゼネコンもそれを承知で了解している。ということは3000億近い建設費になるのである。

 問題は維持管理費である。
この競技場はスポーツ競技用の健全な芝生育成のため、年間12日間しかコンサートなどのイベント使用が許されないとのこと。そこから得られる収入は10億円程度であり、冠競技場名も考慮しているということであるが例えば”孫正義国立競技場””マルハン(パチンコ)国立競技場”で200億円稼いだとしても日本の誇りは生まれません。
3000億円をかけ年間50日程度しか使用しない国立競技場
五輪後の収支見込みで、修繕費は毎年35億円から40億円に増加、そのほかに五輪後に作るという開閉式屋根などの見積もりはできていないという。

読売のまとめ読み「NEWS通」によると95%が現行のデザインに”NO”である。


 結論から言うとこれほど国民から人気のない新国立競技場問題(どこにも日本らしさのないデザイン、詐欺的ともいえる高額な建設費)には安倍首相が出てきて、ラグビーしか能のない森元総理を抑え込まないと後世に禍根を残すことになるよ。アベチャン!!!


  
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2015年02月21日

◎曽野綾子の移民対策論は正論である

曽野綾子

  いま曽野綾子がここぞとばかりに叩かれている。

彼女の持論である「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」がアパルトヘイトを称賛しているというのだ。

文章を素直に受け取らず悪意ある曲解そのものである。

左翼メディアは鬼の首でも取ったかのように世界に発信している。

彼女は「労働力不足と移民」をテーマに異文化の混合社会は民族間のストレスを増幅することにもなり、それぞれの文化圏で穏やかに暮らした方が良いと言っているのである。

 

 周りの人々とのトラブルは極力避けて穏やかに暮らしたい日本人

他人より自分の生活が第一で社会のルールは守りたいものが守れば良いと公共性の全くないC国人とK国人

日本の国籍を持っていても、C国人であるとマスコミで公言する帰化人。

嘘で塗り固めた歴史認識を声高に要求し、特別扱いをせよというK国人

子供の頃、隣に住んでいたK国人はよその敷地や道路半分近くを雑品で占領していたことを思い出す。

一戸建てならまだしも、アパートであれば悲劇である。

現にマスコミで放映されていたように、大阪の例でいうとアパートの通路を占領し時間帯にかまわず大声で叫んでおり、ゴミの収集はデタラメ、多くのお客さんが集まり夜中まで騒いでいるC国人。

在日に寛容なリベラルの人は、日本人から彼らに溶け込まなければならないというが、彼らのペースに合わせることは疲れることであり、私はご免である。

 

曽野綾子の主張は決して間違っておらず本音の話としてとらえたい。

以下彼女のコラムを載せたのでその真意をしっかり読み取って欲しと思う。

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曽野綾子の透明な歳月の光 産経新聞 2015,2,11

◆労働力不足と移民

「適度な距離」保ち受け入れを

 最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい、と思う。一方で若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めねばならないという立場に追い込まれている。

 特に高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。つまり高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上め知識がなければならないとかいうことは全くないのだ。

 どこの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。孫には衛生上の専門的な知識もない。しかし優しければそれでいいのだ。

「おばあちゃん、これ食べるか?」という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる。日本に出稼ぎに来たいという近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和することだ。 しかし同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。

条件を納得の上で日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。不法滞在という状態を避けなければ、移民の受け入れも、結局のところは長続きしない。

 ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ。

 もう2030年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。

 南アのヨハネスブルクに一軒のマンションがあった。以前それは白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。ところがこの共同生活は間もなく破綻した。

 黒人は基本的に大家族主義だ。だから彼らは買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人くらいが住むはずの1区画に、2030人が住みだしたのである。住人がベッドではなく、床に寝てもそれは自由である。しかしマンションの水は、1戸あたり常識的な人数の使う水量しか確保されていない。

 間もなくそのマンションはいつでも水栓から水のでない建物になった。それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。

 爾来、私は言っている。「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」

  
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2014年06月27日

◎歌人・「白蓮」について知っていますか

白蓮NHK朝ドラで仲間由紀恵演ずる「蓮子」のモデルでもある歌人・白蓮について、いままであまり関心がなかったのは事実である。
ところがご先祖様が幕臣旗本で日米修好通商条約批准のための使節団正使として渡米した新見正興(しんみまさおき)に血がつながるものと知ってびっくり・・・。

 彼女は「大正三美人」のひとりと言われ、歌人・白蓮が伯爵柳原前光(さきみつ)の娘であること。前光は、もとは京都の公家で、大正天皇の生母・柳原愛子の兄だから、白蓮は大正天皇の従妹ということになることをしって、二度びっくり・・・。

 あとは、大正十年(1921)夫である炭鉱王・伊藤伝右衛門への絶縁状を新聞紙上に公開し、社会運動家の宮崎龍介とともに出奔するというセンセーショナルな「白蓮事件」でも知られている。

 その白蓮の実母おりょうが新見正興の娘で、柳原前光の妾となって生んだ輝子が後の白蓮であった。ついでに宮崎龍介は大正・昭和期の編集者・弁護士・社会運動家で孫文の盟友・宮崎滔天の長男だという。

 宮崎 滔天(みやざき とうてん)といえば、明治3年 - 大正11年は、日本で孫文達を支援して、辛亥革命を支えた革命家であり日本人として、山田良政・山田純三郎兄弟とともに辛亥革命支援者として名を残す中華民国の恩人ともいえる人である。

 このようにみると、幕末における幕府側の重要人物が明治維新で没落をし、娘を芸者に売り、それにつながる白蓮という歌人を輩出し、その愛人の龍介が近衛文麿首相の密使として、蒋介石との和平協議のために活動する。その父が先祖伝来の田畑を売り払いすってんてんになりながらも、孫文の辛亥革命を支援した宮崎滔天であったなんて男のロマンと言わずして何というか・・・。

  
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2014年03月21日

◎日本民族の危機

d9d809ab この2月、政府は「移民の大量受け入れ」という選択肢を示した。受け入れ規模は2015年から毎年20万人。2030年以降の合計特殊出生率が「2.07」に回復するのが前提であるという。

 これは国立社会保障・人口問題研究所(社人研)は、現在約1億2750万人の総人口が、2060年に8674万人、2110年には4286万人まで減ると推計していることにある。


 なぜ毎年20万人という数字が出てくるかといえば、100年間で2千万人。試算通り総人口1億1千万人で維持できたとしても、2110年には約5人に1人が移民の計算となり、移民と日本で生まれたその2世のほうが多くなる日が訪れ、いずれ日本人は少数派になるということ。


 ここに至るまでにどんな摩擦が起こりうるかを想像してみてください。

・自己主張に固執せず「周囲との和」とルールを大切にする日本人。
・嘘をついてでも、相手を貶めることに執念を燃やし自己主張をするK国人。
・力のないときは「友好」で相手を油断させて援助金をせしめ、国力がつけば唯我独尊で力でモノゴトを解決しようとするC国人。
・カネがあるものから施しを受けるのは当たり前で、自らは身を粉にして働くことを良しとしないアジアの人々

・宗教に固執せず宗教上のトラブルを持たない日本人
・キリスト教やイスラム教の一神教に固執して他の宗教に寛容でない外国人


・天皇を基軸に2000年あまりの長きにわたる日本の伝統文化を大切にし、高い技術力を継承する日本人の価値観
・天皇を悪の権化としながら、良いとこ取りのパクリ専門文化のK国人とC国人

社会現象として起こりうることは、
・社会モラルの崩壊による治安の悪化、
・団地や町内会の活動、
・母国からの肉親の呼び寄せて、それに伴う年金・国保等の社会保障や教育費の税金の高負担、

・帰化した中国人は「日本の国籍を持った中国人」という民族意識
・日本の国籍を取ることは「朝鮮民族の恥」だという独善的な民族意識

 これらから出身母国への執着
 万が一、大量に受け入れた相手国と日本が緊張関係に陥れば、どちらに味方するか。
今でも対馬は韓国のものという韓国人・朝鮮人が対馬に住み着いた場合、尖閣をめぐって石垣島や沖縄本島に住み着く中国人。
母国の意向で日本に敵対し、多数決で独立宣言をし領土編入を図る。
これはウクライナとロシアがクリミヤ半島をめぐって領土紛争をしているではないか。
これは、安全保障に直結する問題に発展する。

 日本の官僚はヨーロッパの政策を鵜呑みにし、すでに破たんした政策であっても日本に取り入れようと画策する。
国際情勢に疎く、歴史を良く知らないエリートたちは机上の空論をもてあそび、無意識のうちに日本の国力低下に力を注ぐ、
 その悪い例が「開かれた皇室」で皇室を芸能界と同じ人気取りに貶めた。
またすでに破たんしていた「ゆとり教育」の導入による学力低下。これを推進した官僚はどこかの大学の教授に収まっている。

 こんどは移民政策である。異文化共生なんてこの日本ではありえない。
日本人が多数派を占めているときは何とか彼らを取り込むことができるが、何でも声高に主張する彼らが1割2割になった時は日本ではなくなる可能性が大きい。
英国、フランス、ドイツ、イタリア、オランダのすべてが移民政策は失敗であると言っているにもかかわらず、日本では移民を取り入れようとしている。

 これは日本という国の崩壊につながる危険な思想であり、取り入れてはいけない政策である。
これら政策の推進者は出自に問題がある人、すなわち半島人の血筋が多いということを認識して、反対運動を起こさなければならない。
十数年前初めてイギリスのヒースロー空港に降り立ったとき、待合室において20数人ものアフリカ系集団がじっと我々の持ち物を見ていたあの姿が忘れられないのだ。

  
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2014年02月20日

◎歴史認識が必要なのは どっちもー!

吉備真備「日韓がタブーにする半島の歴史」室谷克実著 新潮新書がある。
そでがきに耳を疑うような文章が書かれていた。
「古代日本は朝鮮半島から稲作などの先進文化を学び、国を発展させてきたーーという〈定説〉は大嘘である。

 半島最古の正史『三国史記』には、新羅の基礎を造ったのは倭人・倭種、中国の『隋書』には、新羅も百済も倭国を文化大国として敬仰していたと明記されているのだ。日韓古代史の「常識」に異議を唱え、韓国の偏狭な対日ナショナリズムと、日本のあまりに自虐的な歴史観に歪められた、半島史の新常識を提示する。」とある。

 何だこりゃの世界である。
これと思しき文章をどこかで読んだような気がするが、根拠資料が確認できなかったので、流し読みをしていたのだ。

 以下は彼の著書から一部抜粋させてもらった。
韓国の正史といえば、1145年に完成した高麗王朝の時代の金富軾(キムプシク)が編纂した「三国史記」があり、日本書記に匹敵する古史である。
「三国史記」は中国正史の形式に倣っているから、新羅、高句麗、百済の三国についてそれぞれ「本紀」があり、建国から滅亡までの歴史を年代順に記している。さらに「年表」、地理志などの「雑志」、英雄や悪漢や学者など個々人について記した「列伝」がある。全五十巻、すべて漢文だ。

官選でない史書として一然(イルリョン)が1280年代中ごろに編んだ「三国遺事」があるが、「三国史記」の異説集と言われている。


 『三国史記』には、列島から流れてきた脱解(タレ)という名の賢者が長い間、新羅の国を実質的に取り仕切り、彼が四代目の王位に即くと、倭人を大輔(総理大臣に該当)に任命したとある。その後、脱解の子孫からは七人が新羅の王位に即き、一方で倭国と戦いながらも新羅の基礎をつくっていったとある。
これは倭種・倭人すなわち日本人が新羅という国をつくったと言うことではないかな。


 七世紀半ばに完成した中国の正史『隋書』には、こんな一節があるという。
 新羅、百済皆以?為大国、多珍物、並敬仰之、恒通使往来
〈新羅も百済も?国を大国と見ている。優れた品々が多いためで、新羅も百済も?国を敬仰し、常に使節が往来している〉(『隋害』は列島そのものを扱った部分では「佞」国という表記を用いている。帝紀などでは「倭」国となっている)


 ブログ 吉備真備の勉強部屋から一部引用
◆8世紀半ば 遣唐使の吉備真備 新羅との席次争い
吉備真備(きびのまきび)2度目の遣唐使の際、唐の賀正の儀式のときに、一同に会した各国の席次をめぐって、日本側が唐にクレームをつけるというトラブル があった。
ことの発端は、新羅の席次が、日本の席次より上席になっているということである。
 当時の席次は東西に分かれていたのですが、
 【東の席】
 1席:新羅
 2席:イスラム帝国
 【西の席】
 1席:チベット
 2席:日本
 ということになっており、新羅が東の第一席であるのに対し、日本は西の第二席だったわけです。このとき、遣唐副使であった大伴宿禰古麻呂は、「日本は今も昔も新羅から朝貢を受けてきた国であり、その日本が新羅よりも下の席次というのは正義を欠いている。」として激しく抗議し、結果、新羅の席と日本の席を入れ替えさせたという。

 こうした事案からも日本がいかに新羅を下に見ていたかがうかがえますね。

 これらはすべて漢文で書かれており、ご存じのように漢字を追放した韓国はハングルは読めても都合の悪い漢文で書かれたこれらの史書は読めないのです。

さて、正しい歴史認識が必要なのは、日本かな、韓国かな。


 「どっちもー!!!」


  
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2012年08月08日

◎人間修養のための海軍兵学校「五省」

江田島海軍兵学校伝統の「五省」を受け継ぐ伝統の教えがある。

 広島・江田島にある海上自衛隊幹部候補生学校と海上自衛隊第1術科学校は旧海軍兵学校の流れをくみ、現在も伝統の「五省」を実施しているという。

 今の日本社会の中心となっている40・50歳代には心の規範というべき「あるべき姿」が感じられない。その子供たちである10・20歳代は推して知るべしであろう。
何が問題かというと日本人が伝統として培ってきた世界に冠たる「武士道精神」を軍国主義に結び付けて完全否定をしてきたが故の結果であると私は考える。
物事は誰にどのように活用されてきたかによって良くも悪くもなる評価をなされるのである。
たとえば警察官の持っている拳銃は殺傷能力があり使う人によって殺人兵器にもなり、悪漢から善良な市民を助ける手段にもなる。
主婦の使う台所の包丁も然りである。
このように考えるならば今一度海軍兵学校の「五省」を見直す必要があるといえるのではないだろうか。

五省は

▽「至誠(しせい)」に悖(もと)るなかりしか」(真心に反することはなかったか)

▽「言行に恥づるなかりしか」(言葉と行いに恥ずかしいところはなかったか)

▽「気力に欠くるなかりしか」(気力が欠けてはいなかったか)

▽「努力に憾(うら)みなかりしか」(努力不足ではなかったか)

▽「不精(ぶしょう)に亘(わた)るなかりしか」(不精になってはいなかったか)

 の5項目からなり、昭和7年、当時の海軍兵学校校長の松下元・少将が考案した。

 兵学校では毎晩、ラッパの合図で自習をやめ、当番の生徒が五省を問いかけ、各自が一日の行動を自省自戒した。

 現在でも、江田島で学んでいる2校の生徒は兵学校時代と同様に、毎晩自習終了時刻の5分前になると、五省を唱和し、よき伝統として受け継いでいる。

 ほかにも、兵学校伝統の機敏(スマート)、着実(ステディ)、機敏着実に行動するための命令者以外は静粛(サイレント)の「3S精神」も実践教育を通じて、体得させている。 産経新聞24.8.4抜粋

  
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2012年03月17日

◎中国人化しつつある日本人

ブレッド湖の聖マリア教会

一般的な中国人旅行者のイメージはどんなものだろうというと

1、あたりかまわず大声で騒ぐ

2、バイキング料理はその場で食べる

3、食べた後の残り物はごみ箱ではなく、その場に捨てる

4、室内であろうと外であろうとタンを吐く

5、ベストポジションを占領して他の人に譲らない

6、順番を守らない

7、自分たちが世界の中心であるとの勘違い

8、撮影禁止場所でもお構いなしでカシャ!

海外旅行中に見た中国人の狂態である

 

 今回の旅行で見た日本人の爺さん婆さんは、ホテルであろうが、レストランであろうが、グループでたむろし、耳が遠いせいか、大声で話し、馬鹿笑いをし、うるさくて聞こえないからさらに大声を出す、の連鎖を繰り返し叫びまくっていた

周りの外国からのお客様は呆れ顔であった

他人に迷惑をかけないように小声で話すあの奥ゆかしさはない

 

 さらに野球帽をかぶったアラ還(60歳前後)のオヤジが小皿をもってみんなが並んでいるその場でソーセージを頬張っていたので「チョットすみません!!」と云って押しのけた

ソーセージオヤジは“何だこいつは・・・”という顔をして一歩ずれた

自分のやってい ることが分かっていないようであった

 

 旅行は名所旧跡を訪ねることが定番である

特に暗闇を住処とする動物がいるところや祈りの場である神社仏閣、歴史的な教会ではカメラのフラッシュを制限しているところが多い

スロベニアのボストイナ鍾乳洞にはプロテウス・アグイナスという盲目の両生類がいる。皮膚が肌色のため類人魚とも呼ばれているらしい。

“光は彼らの住環境に悪影響があるのでご遠慮ください”と添乗員やガイドからきつく言われていてもオヤジたちは関係なくピカリピカリ

日本人はいつからこんなにルールを守らなくなってきたのだろう

 

 今回はあの中国人ツアーを見かけないなと思っていたら、添乗員さんの話では中国人の観光団は現在のところは殆ど入っていない。ここ1・2年は東欧に来ないであろうとのことであった

しかしクロアチアからオーストリアのザルツブルクに入った途端、中国人旅行客が大勢タムロして本来の姿を見せていた

アジア人に関しては、まず日本人が観光地を開拓し、良いということになったら韓国人が、そして最後に中国人が席巻するようだ

 

 台湾人の名誉のために云っておくが、きちんと秩序を守り、センスの良いのが台湾人で、その正反対が中国人である

日本の爺さん婆さんよ

もう少し品よく楽しもうじゃないか

せめて台湾人のように・・・

  
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2012年02月26日

◎土曜日の休みと祝祭日をこのままにしておいてよいのですか?

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 あなたは年間どのくらい休みがあると思いますか。

土日・祝祭日を合わせて、2012年は116日、2011年は120日それに正月休暇+5日、お盆休暇+5日を加えると126日〜130日の休みになります。有給休暇を平均20日持っているとすれば146日〜150日

われわれは1〜2日出勤して1日休みの計算になる。

皆さんはこの実態を知っていましたか。

こんなに働かない国民の住む国が左前になるのは当たり前と言わざるを得ないでしょう。


 ところで祝日が何日あるかご存知ですか。

祝日を休日と認識しているだけで、なぜこの日が祝日なのかわからない日が15日間もあります。

最も1月1日の元旦、2月11日の建国記念の日、12月23日の天皇誕生日ははっきりしていますが、戦前の祝日との関係、日曜日に合わせて固定化されていない休日等国民のほとんどが祝日の意義もわからずただの休日というノー天気ぶりである。


 今どき祝祭日に国旗を立てる家庭は右翼でないかと見られます。

自衛官も警察官もその他の公務員もその意識は全くなく、訳知り顔で歴史・文化を語るいわゆる知識人や組織の長と言われる人の自宅に日の丸が揚がっているのも見たことがありません。

これはGHQの呪縛から脱却できないままに、自民党政府時代に休暇を増やし経済の活性化と国民の人気取りのためわけのわからない祝日を増やしたのでした。

何でこの日が祝日なのか、そのいわれは何かを子供たちに教育して初めて祝日に対する意義を理解できるのですがこれがありません。もちろん大人も知らない人が多いと思います。


 評論家の西部邁氏は戦後日本の道徳的退廃は「戦後の日本社会が道徳的基礎となる国民の伝統や慣習を捨て去ったためである」と言っているように一番頼るべき保守陣営の軽薄さが今の日本を作っているのである。

日本の復興のためこれらについて考える時期が来ていると思います。
今一度、国民が忘れかけている日本の伝統と慣習を見直すために祝祭日の意義について語り合いませんか。

  
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2010年10月10日

◎ノーベル賞と中国の偏見

ノーベル化学賞の3人2010年のノーベル化学賞は米パデュー大特別教授の根岸英一さんと、北海道大名誉教授の鈴木章さんの2人が受賞した。2008年の日本人4名にひき続く快挙である。一方中国は喉から手が出るほどノーベル賞が欲しいのにノーベル平和賞に中国の民主活動家・劉暁波(りゅうぎょうは)氏がノミネートされた途端国を上げて妨害活動を始めた。スウェーデン政府筋に中国との友好関係が悪くなっても良いのかと脅す。これに屈したら平和賞の意味がなくなると判断したのだろう。劉暁波(りゅうぎょうは)氏に正式決定した。

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■日本人ノーベル賞受賞に「過去の侵略のおかげ」の見方=中国

サーチナ 108()1026分配信

 サーチナ総合研究所(上海サーチナ)のアンケートで、2010年のノーベル化学賞を根岸英一氏、鈴木章氏の2邦人が獲得したように、アジアの国では日本にノーベル賞受賞者が集中していることについて、「侵略で得た財産を科学技術や経済発展に投資」と考える中国人が多いことが分かった。
 「日本人のノーベル賞受賞者がアジア諸国の中で突出して多い理由は?」との質問に対して、最も多いのは「過去の侵略で得た財産を、科学技術や経済発展に投資したから」の1786%との回答だ(8日午前10時現在)。2番目は「日本は米国の従順な弟分なので優遇されているから」の1709%。
 中国では、「ノーベル賞には西側諸国の価値観にもとづく」との見方が根強い。「日本は米国の弟分だから」説は、この見方を反映したもので「中国大陸に受賞者がいないことは、“差別”されているから」との考えにも結びついている。
 日本人受賞者が多いことを率直に評価する、「日本人は優秀で勤勉だから」との見方を示した人は1301%、「日本では学術・文化育成の体制が整備されているから」は1553%と、やや少なかった。
 「単なる偶然」は1204%、「日本人は自分の業績を世界に向けて宣伝することが上手だから」は990%だった。(編集担当:如月隼人)

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このまま日本に対する偏見を野放しにしておいて良いのだろうか。

2008年10月に投稿したブログ記事をいま一度掲載したい。

日本人が如何に欧米の偏見にさらされ屈辱的な扱いをされてきたのを思い出してもらいたい。

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2010年08月23日

◎ムクゲの花と桜花

 ムクゲは無窮花とも書き、アオイ科の落葉低木。
散って咲き、また散っては咲く生命力の強さを、
韓国人の歴史と性格に例えることが多く、7月から10月に華麗な花を咲かせる。
韓国の国花とある。

ムクゲ北海道には庭の一本木として新興住宅地の各家庭に圧倒的に多いのだ。
実は私の家にもムクゲの花が・・・。
住宅購入の時にサービスとして庭に一本だけ植えてあったのだ。
私はつい最近までこの花がムクゲで韓国の国花とは知らなかった。

となりの庭との境界に植えられており、いつの間にか激しく繁茂し、我がもの顔に境界を超えてしまうのである。誰かが言っていたが、まるで日本社会に蔓延る傍若無人の在日社会のようだと・・・。

花は白、赤紫、紫となかなか綺麗であり、鑑賞に耐えるものであるが、
今どきは毎朝10から20個ほどしぼんで汚く散らばっている。雨の日は花びらが溶けて路面にへばりつく、
お隣に迷惑をかけられないのでこの片付けに気を使う。
住宅街を歩いてもしぼんで汚いムクゲが歩道を汚している。
最近知ったこととは言え、これが「韓国人の愛する国花」だと思えば余計に・・・。

それに比べて日本の桜は
日本文化の神髄は桜讃歌にあると清水馨八郎元千葉大学教授は言っている。

●世の中に
 たえて桜のなかりせば
  春(人)の心も
    のどけからまし 
      平安初期の歌人 在原業平

桜桜の特性と日本人の感性と行動を次のように位置づけている
(1)集団性(同時性、一斉の見事)
(2)いさぎよさ(一度に咲き、 一度に散る、刹那(せつな)の美)
(3)はかなさ(花の命、花は桜木、人は武士)
(4)開放感(長い寒い冬からの目覚め、ウキウキ)
(5)なまめかしさ、あでやかさ

圧巻は日本人の心とは問われて本居宣長は

●敷島の大和心を人問わば、
  朝日に匂う、山桜花

これほど日本の心を表している歌はない
古来から花といえば桜のこととして多くの詩歌に詠まれてきた。
万葉集には43首、古今和歌集には74首も載っているとのこと

●散る桜、残る(愛でる)桜も 散る桜

咲いてよし、散ってよしの桜かなというところ、早朝散歩で、ボタボタと閑静な住宅街の庭先を汚している隣国の花を見て、独断と偏見で桜花のウンチクを書いてみた。

  
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2010年02月03日

◎ギッチョは差別用語???。それはないだろう!

ある若者にシートに名前を書かせたところ、左手で書き込んだので「ホーッ、君はギッチョか」と云ったところ、鼻白んで「そういう言い方はないんじゃないですか」と云う。
「何が問題だ」と言うと彼は「ギッチョは差別用語ですよ」という。
「あなたがそんな言葉を使うなんて・・・」
「ちょっと待て!、私は差別用語を使う気もないし、ギッチョが差別用語だなんて初めて聞いた」と云った。
更に彼は言った「サウスポーも差別用語なんですよ。ポーと云う単語はアメリカの南部では動物を意味する言葉」という。
根拠は何だと言っても、彼は自分で調べてくださいと言って説明しようとしない。
私はムッとしながらも差別用語を使ったかもしれないという負い目もあって、
帰宅してすぐに『広辞苑』で調べた。
○ぎっちょ  糞疾叱譟縫リギリスの別称。△劼世蠅き。ひだりぎっちょ。えこひいき
○サウスポー【southpaw】 淵汽Ε垢脇酩堯△檗爾蕨咾琉奸アメリカ南部出身の大リーグ所属投手に左利きが多かったから)野球で左腕投手。拳闘の左構え

更に英和辞典で調べると
paw n 1《かぎつめのある動物の》足 2《話》《人の》手、3《話》筆跡 etc

サウスポー結局、彼が主張する差別用語であるという根拠はなかったのである。
その他netでも調べたが根拠と言えるものなかった。
結局彼の不確かな思い込みと結論付けた。
動物の足、キリギリスに結び付けて差別だと主張するのは、
獣偏を忌み嫌う文化を持ったある種の差別主義者たちが言葉狩りをしているのである。

彼らは相手が不快感を感じる言葉を云うべきではないという
これは一理あるようでそれが全てではない
明らかに差別意識意識を持って相手に云ったのなら問題があるが、相手が誤解もしくは勝手な思い込みで差別用語を使われたと主張するのであれば、むしろこちらの方が不快であり許せないことなのである。

例えばこんな言葉がある
チョッパリ《韓国・朝鮮人が日本人に使う蔑称》
 日本人の下駄を履く習慣を牛や豚の先割れのヒズメ(有諦類偶蹄目)に擬えて云う蔑称
 ちなみに日本に住んでいる在日の人たちへの蔑称は《半チョッパリ》
 日本人に半分毒されて、まともな韓国語を話せない中途半端な韓国・朝鮮人だという意味
動物に擬えて差別用語だと主張する人たちは自分たちの文化・価値観を日本人に押しつけようとする傲慢な行為である。
日本人には熊五郎、千鶴、亀吉など動物名を付けることに抵抗はなく、狐でさえ神様になっているではないか、また馬が死んだら馬頭塚を祀ったり、靖国神社では軍用犬、軍用鳩をも祀っています。昔の農家は家の中に馬小屋を造る等動物を大事にしてきたではありませんか。
こう考えてみると動物を下等なものとみなし蔑視する考えはどういう人たちか分かると思います。

「片手落ち」がいつの間にか「片落ち」に・・・
差別主義者は片方の腕がないことを表現するのは差別・蔑称だという。
では「手」という言葉はどのように使われてきたか。
「巨匠の手になる作品」「司直の手にゆだねる」「手が足りない」「手を貸す」
「手を切る」「その手には乗らない」「大金を手にする」「手料理」など
「手」と云う単語を使ったから障がい者を蔑視しているだろうか。
「片手落ち」という表現を「片方の手がない」などと勝手に思い込むのはいい加減にしろと云いたい。


日本の文字文化は世界に類を見ないほど様々な表現がある。
だからこそ世界最古の長編小説「源氏物語」があり、情緒豊かな伝統・文化を築いてきたのです。
言葉狩りを主張する一派こそ中途半端な知識で日本の伝統文化を貶めており、逆に弱者に対する差別主義者だといいたい。

 

 

 

  
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2009年12月05日

◎感情を爆発させる韓国・朝鮮人と激した感情を制する日本人の美意識

 1114日白昼に起きた韓国・釜山の室内射撃場火災は多くの日本人観光客が犠牲になった。日本人遺族の悲しみに堪え冷静に対応する姿を観て、韓国民は自国の文化との相違に一応に驚くとともに自国の”泣き女”文化と、節度ある悲しみの日本文化との認識を新たにしたことであろう。

 

 

軍人の妻 朝鮮日報は「日本人たちは自分の不幸を云い募る前に、他人が自分を心配し、気遣ってくれることに申し訳ないと思うのだ」と、

 東亜日報は「日本人遺族らの慎ましやかな哀悼は、他人が見ている前で感情をあらわにすることをはばかる日本式祭礼文化と関係が深い」また「落ち着きの中で亡き人への礼儀を守る日本の祭礼文化は円滑な事態収拾策を引き出す助けとなる」と日本人の特性を評価している。

 文化日報は「日本人遺族にとり、家族の身元確認と愛する家族がどうして死に至ったかという原因究明が何より重要なことに感じられた。補償問題は一切口にしなかった」と伝えている。

 

 もし逆の立場であったらどうであろうかと考えた。

韓国人は感情的で激しく、自分の気持ちに正直で感情を抑えようとしない。韓流ドラマでも良く観る場面であるが、韓国人の激情ぶりは凄まじく爆発的である。

 大声で泣き、叫び、天を仰ぎ、胸をたたき、身をよじり、地に倒れ伏す。そして時には失神する。これが韓国人の特徴でもある。このような場面を見たことがない我々日本人はその激しさに圧倒され、すべて我々が悪いからこんなことになると思いこまされるのである。

 

 土まんじゅうの肉親の墓の前で法事の度に泣き叫ぶ姿に日本人は“韓国人には付いていけないね”と感じる。ある韓国人の長男の嫁がこんなことを漏らした「長男の嫁は疲れるものよ!!!」

 

 祭礼の仕方について日本との大きな違いは韓国の喪主は泣き叫ぶことによって、故人の魂が慰められると信じており、一方日本は涙を流しながらも、ぐっと耐え忍んでいる姿に「美意識」を感じるし、ご家族の姿は立派であったと評価されるのである。

 

 この美意識はどこから来るのかと考えれば武士道精神から派生するのである。

自分の感情をコントロールできるひとは高貴な人、教養を身につけた人であり、常に感情をむき出しにする人は無教養で親の躾がなってない人、と判定されるのが日本の文化である。

 韓国・朝鮮人に対する無意識の侮蔑感は文化の違いすなわち”美意識の相違”にあると言わねばならない。

 

この文化に対する美意識は如何ともし難いものであり、お互いの文化を強要するのではなく、お互いに認め合うことが大事なのではないだろうか。

  
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2009年08月20日

◎国旗国歌のいわれ

 公党の党員が国旗を切り刻む事案が発生し、民主党のHPに何食わぬ顔をして載せていたという無神経さと反国家的行為を見るにつけ、日本の国家観が如何にお粗末かを示している。
 これを見て韓国・朝鮮、中国の反日国家はこう思ったに違いない。
”なんと御しやすい国家であろうか日本は!”と・・・。
今一度国旗・国歌を考えて見ましょう。

 幕末の日本の周辺には列強の船舶が入り乱れており、日本としても船を見分けるために船印を決める必要が出てきた。

世界の国旗というのは元々船舶の船印が源である。 1854(安政元)年に徳川幕府は、島津斉彬の進言により「日の丸」を「船印」と定め、1870(明治3)年の太政官布告第57号でこれをあらためて制定した。

仙台市博物館に行くと伊達政宗公ゆかりの資料の中に馬印(指揮官の位置)をあらわした日の丸が飾ってある。かなり立派なものが残っており見ごたえがある。

国歌についても諸外国との付き合いの中で儀式に使う国歌が必要となり、何度か作り直しながら、明治21(1888)年に国歌として各条約国へ公文書にて通告したとある。

2008.5.9のHPの一部を切り取ったものである。なお一部船舶画像の日章旗は見づらかったので、この位置にあるという意味で日の丸の図形で示した。

国旗国歌のいわれ

  
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2009年08月12日

◎民族対立を生起させる有識者懇談会の提言

  産経新聞(歴史の交差点)8月10日付で東京大学教授・山内昌之が「アイヌ民

族の尊厳のために」で色々な提言をしている。

「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」(佐藤幸治座長)は先月、1年以上

の議論の結果をまとめて報告書を河村建夫官房長官に提出した。

その中で北方の先住民族が受けた歴史の悲劇を直視しつつ、アイヌ民族の文

化復興や生活支援にかかわる各種の施策を実現する義務が国にあることを明

言した。という。

 

 彼の提言を聞いて有識者と言うものは困ったものである。

この先生たちはアイヌとネイティヴアメリカン(インディアン、エスキモー)やオーストラリアのアボリジニと同じ境遇にあると信じているらしい。
いま北海道で伝統的アイヌの生活様式で生活しているアイヌは誰もいないのであり、TVで映し出されるアイヌは観光収入のためと国家から特権を得ようとする宣伝用パフォーマンスである。北海道に住んでいるものは誰でも知っていることなのです。

アイヌのパフォーマンス

アイヌの定義は何かも定まっていないのにアイヌに対する優遇政策をやると言う。
今の北海道には純粋のアイヌなんて殆どいないのである。いやまったくいないと言っても良い。
殆どがシャモ(内地から入植した和人)との混血で、和人と区別するのが困難である。
内地人にはアイヌが民族衣装を着けていない限り、区別がつかないであろう。
先日、旭川市のアイヌの踊りと音楽を見せるところでNHKの取材があり放送されていた。
四人の女性が「タンチョウの舞?」を踊っていたが、4人のうち3人は誰が見てもシャモであり、一人だけがメノコの風貌をしていた。
そのメノコにしてもシャモの血が何分の一か入っているはずである。

有識者と称する現状知らずの学者連中は差別があるという。
私に言わせれば、いまどきアイヌを差別するなんてあり得ないのであり、現に私自身もアイヌ系の部下を何人か持ったことがあるが、優秀なのもおれば、それなりのものもいたのである。
当然優秀なものは昇任もし、給料もあがる。実力通りの地位に着けばシャモ(和人)の部下も持つのである。

 戦前と違ってあれはアイヌだからどうのこうのはないと断言できる。

アイヌ部落で彼らだけの集団で生活することはない、コタン(アイヌ部落)と言う名称はあってもシャモ(和人)またはシャモ系と混在しているのである。
生活様式は我々シャモ(和人)と何ら変わりはないのである。
明治以来、国の政策で生活と文化に深刻な打撃を受けたとあるが、和人文化とアイヌ文化は鎌倉以来関東地方から東北へそして北海道へ押し上げられ、松前藩を通して二つの文化は融合したが、結果的には勢力のある強い文化が生き残るのが世の常ではないのか。

 

 樺太(サハリン)の日ソ国境付近にいたアイヌはソ連によって内陸部に移されたり、ロシア人にレイプされたり、日本側に住んでいたアイヌをソ連のスパイに仕立て上げるため拉致をする等やりたい放題だったので、日本政府は樺太アイヌを北海道へ移住させたのである。
それをどう解釈するか。


 日本政府はアイヌを朝鮮人と同じように日本人として同化させ、決して被差別民族として扱ったのではない。
シャモの中には差別主義者がいなかったとは言わない、個人レベルでつらい思いをしたアイヌはいたであろう。
それは個人の人間性の問題であり、日本人全体の問題ではない。

 

 この偽善的有識者たちが根本的に間違っているのは、敗戦により壊滅的な社会情勢の中で一生懸命頑張ってきたシャモもアイヌもいたはずなのに、自由平等を謳歌している民主主義の北海道に新しい特権階級をつくろうとしていることである。

 

 戦後育ちの我々は差別なく平等に暮らしてきたはずである。
ところが突然に俺はアイヌだから補助金をよこせだの、お前たちシャモより貧乏なものが多いから生活資金を援助しろとか、大昔から北海道に住んでいたのだから土地をよこせだのやりたい放題をされたら、おとなしいシャモもきっと立ち上がるであろう。


あなたたちは北海道に第二の同和問題を作り出す気か。

 

 民族問題というものは民族意識を持たせないで公正に扱うのが平和の秘訣であるが、中国のように漢民族が他民族を睥睨(へいげい)し抑圧する場合で、しかも完全に民族意識が育ってしまった場合は民族自治か独立しかないのである。
アイヌ系、朝鮮系、九州系、関西系、東北系等々程度の認識で抑えておくのが平和に暮らせる秘訣なのです。


 観光地で有名な弟子屈町硫黄山の売店出店問題でアイヌの特権を要求した「同和」の連中が本州からやってきてオルグをかけたことがあった。このような問題がまた生起するのは必定であり、理想主義に燃える学者たちと無知な政治家たちは、近い将来北海道に民族問題を生起させることも分からず偽善的行為に酔ったのである。


 日本国民は出自(出身成分)に関係なく、同じスタートラインに着くべきなのです。
そして自分の力で道を開いていくのです。そこに互いの敬意と尊敬が生まれるのです。


◎「日本の教育のがんが日教組」「日本は単一民族」である
http://blog.livedoor.jp/wildhorse38/archives/51371443.html

◎「闘う」同和と「和」のアイヌ民族
http://blog.livedoor.jp/wildhorse38/archives/50640782.html

◎アイヌ系日本人を特権階級にする気か
http://blog.livedoor.jp/wildhorse38/archives/51288360.html

 

 

 

 

 

 

  
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2009年08月10日

◎「愛国心」を考える

「愛国心」とは

と大上段に振りかざすと世のヒトは「あれは右翼だ!」という。

右翼とは何だと問うと“黒い街宣車に乗って軍歌をガナリたてる黒い戦闘服集団だ」と言う。

冗談ではない、あれは唯の“左翼と一般国民を威嚇するパフォーマンス集団”だ。

 

時代によって右翼の定義は変わるものであり、本当は左翼に対する右翼を言い、唯単にフランス議会の改革派が左翼席に、保守派が右翼席にいただけに過ぎないのであった。

 

現在の日本で言えば

「自虐的国家観」で国民を洗脳する朝日・毎日新聞が左翼を代表とする一派であり、

「誇りある国家観」を語る産経新聞は左翼に対する右翼ということが言えると思う。

もっと分かりやすく言えば、未だにマルクス理論に引き摺られ、「反日」的で旧社会主義国を利する一派を「左翼」と言い、戦後民主主義から脱却し今一度「国のあるべき姿」、「誇りある日本」を取り戻そうとする人々を右翼と称する。

 

世界中で自国を愛することを拒否する国家は日本だけである

「愛国心」については公的機関で厳密に話し合ったこともなければ、有識者といわれる人たちも「愛国心」をきちんと定義できるとは思えない。

 

日本国の国籍を取得するときにも日本に忠誠を誓う儀式もなければ、愛国心を強要することもない、それが日本である。

日本国籍取得者たちは国際ビジネスに便利だからとか、ペーパー上の国籍は日本であっても韓国人であるという民族性には何ら変化はないなどと公言する娯楽業界の大物がいる。

 

ところで一番強固な愛国心を持っているはずの自衛官や警察官に「愛国心とは何ですか?」と問うて見てください。

自信を持って明確に答えるヒトは1割もいないでしょう。

「愛国心=右翼のイメージ」が邪魔して明確に教えていないのです。

 

私がかって多くの青年たちに教育した「愛国心」について述べたいと思います。

ヒトは物事を考えるとき“究極の事態に身をおき、その時点で何を考えるべきか”を判断する。

すなわち国家存亡の危機に際し、国家と一蓮托生の覚悟があるかと言うことである。

その覚悟を持たせるのが愛国心の涵養である。

国民に必要なものはそのためにどうするかである

愛国心とは「祖国愛」を核心として、国家・国民を豊かにする「国益」がバランスよく追求できる国家を造ることである

「祖国愛」(ペトリオティズム)とは:親子、夫婦、兄弟愛、隣人愛、自然と文化、歴史と伝統、郷土愛を育むことがベースとなる

「国益」(ナショナリズム)とは:排他的自国愛のことで、政治的・経済的に他国からの優越性を追求する

 

「祖国愛の高揚」をするためには学校教育で日本人として「自信と誇りと祖先への感謝」を涵養することが大事であり、

「国益の追求」は「国家の主権と国民生活の豊かさ」を追求するしたたかな外交政策と国際政治のバランス感覚が必要とされる

 

平時のときは「愛国心とは」などとヒステリックに叫ぶ必要はなく、学校で歴史や国語から日本の素晴らしい伝統文化を習っておけば良いのです

その間に政治家や官僚が国益に沿った外交・経済戦争をやるのです

いざ鎌倉と言うときにこんな素晴らしい日本への侵略には身を挺しても守り抜くという決意があればそれで良しと言うのが愛国心と言えるのではないか

 

愛国心とは

 

 

  
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2009年02月11日

◎ 神武天皇即位の年は”BC660年”ではなく”AD181年”に軍配

 以前から日本の神話は学校教育の場でキチッと教えるべきであるという考えを持っていたが、

いまひとつすっきりしなかったのが「神武天皇は日本書紀の記す紀年,辛酉年(かのととりのとし)(前660)即位76年(前585)に127歳で没」という史実に納得が出来なかったことである。

 

日本書紀から、なぜこんなに古い年代を持ち出したかについては、明治期の歴史学者、那珂通世(なかみちよ)のいわゆる「辛酉(しんゆう)革命説」に問題がある。

 

じご疑問を許さない天皇崇拝が終戦までつづき、戦後左翼陣営が天皇否定の立場から数多くの「長寿造作」仮説を横行させ、どの本を読んでも単なる作り話だ。万世一系に神秘性を持たせるためだとか、このことで神武天皇から平成天皇までの125代の天皇に胡散臭さを匂わせる歴史書が蔓延していた。

 

6・7年ほど前、産経新聞に連載され、後に単行本で発刊された八木荘司の「古代からの伝言」全4巻 「日本建国編 皇紀のなぞ」P179に神武即位は西紀181年辛酉の年だという仮説を出している。

もっと詳しく言うならば5・6年まえに同じ著者が「古代天皇はなぜ殺されたのか」角川書店の「第1章 神武の復活」に我々の疑問点を一つひとつ解明してくれている。

 

神武天皇 東征■神武天皇127歳???

 確かに初代・神武天皇は日本書紀では127歳だが、第2代綏靖(すいぜい)84歳、第3代安寧(あんねい)57歳と「短命」となり、第4代懿徳(いとく)から第8代考元までは 記載なしで、第9代開化天皇でようやく115歳と長寿に戻る。

これが一番大きな疑問点なのである。

これが本当ならば“神武天皇127歳”は世界一の長寿者としてギネスブックに載せることに成る

 

■「古代の日本では1年を春秋で2年と数えていた」

この問題に対して、八木氏は中国の史書を丹念に調べ、有名な魏志倭人伝の原典となった「魏略」という本に「その俗、正歳四節を知らず。ただ春耕秋収を計って年紀と為す」という一節があるのに注目する。「倭人は四季に基づく正しい暦法を知らず、春の耕作の始まりと、秋の収穫のときを数えて年数にしている」と言うのである。

 

ここから八木氏は、古代の日本人は春と秋に一年が始まる「二倍年」の暦を使っていたのではないか、と推察する。今の1年を春秋で2年と数える暦法である。とすれば、神武天皇127歳というのは、63、4歳にあたる。第3代安寧57歳は28、9歳で、まさに夭折である。記紀(古事記・日本書紀)を通じて最も長寿とされた第10代崇神天皇が168歳であるから、これも84歳となり、ありえない年齢ではない。

 

おそらく記紀が編まれた8世紀頃には、すでに「倍年法」は忘れ去られていたのであろう。しかし、編纂者たちは伝えられた異様な長寿はその通りに記し、年齢が分からない天皇はそのまま不詳とした。それは伝承された歴史を、そのままに文字に記そうとする、きわめて学問的な態度であったのではないか。

 

■歴代天皇の在位年数から検討

神武天皇即位を181年とすると、昭和の末年までで1880年であり、これを125代で割ると、天皇一代あたりの平均在位年数は14.5年となる。

天皇の即位年が文献上、正確に分かるのは聖徳太子の父君である第31代用明天皇であり、その即位から昭和天皇の崩御まで94代で計算すると、平均在位年数は14.9年となる。

 

 神武即位からの14.5年は、これに比較すると0.4年短いが、古代の平均寿命が短かったと考えれば、ほぼ妥当な数字と言える。神武即位は西暦181年という仮説は、技術や経済の発展段階、および、内外の文献上ともうまく整合するのである。

 

「倍年法」で検討した皇紀は全て納得がいくのである。

詳しく知りたい方は「古代天皇はなぜ殺されたのか」角川書店を参照してもらいたい。

 

「神武天皇即位は紀元前660年ではなく、西暦181年即位とするのが妥当であろう。」 

  
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2008年12月13日

◎軍歌と戦史教育から戦場の実相を学ぶ

将校 今時軍歌を歌うことは時代錯誤と思いますか?

私は決してそうは思いません。それじゃ歌うということについて、考えてみましょう。声を合わせて歌うグループにはどんなものがありますか? 児童たちの歌う校歌、黒人たちの黒人霊歌ゴスペル、労働組合の労働歌、旧ソ連の赤軍合唱団、古くは全学連の学生や左翼の人たちが歌った歌声喫茶、旧軍の兵隊たちが行軍の時歌った軍歌、往年の美少年だった中高年の寮歌祭等があります。

 

 人はなぜ仲間と共に声を合わせて歌いたがるのでしょう。人間一人では生きられないと同様、常に誰かといたい、何かの組織に所属していたい、誰かに保護されていたいと内心思っているものです。それは仲間と一緒に声を合わせて、歌うことにより一体感が生まれ、人間としての欲求が解消され、仲間としての絆が強まるのです。

 

 それじゃ今なぜ軍歌なのですかと問われれば、こう答えざるを得ません、旧軍の軍歌と命を懸けて戦ったことのない自衛隊の歌とどう違いますか。大きな違いは自衛隊の歌には“戦い(血)の臭い”がしません。ということは高校・大学の応援歌とあまり変わりがないということです。少なくとも世界各国の軍歌には命を懸けた戦争の歴史と生々しい戦闘の情景が描かれています。これが大事なのです。確かに自衛隊の隊歌は若々しく躍動感にあふれた歌詞が多く、現代の若者に相応しい内容かも知れませんが兵隊の士気を鼓舞するには物足りないのです。

 

 今の自衛官は学校教育の弊害から明治以降の日本の戦争の歴史をほとんど知りません。自衛官になってからも戦史について教育を受けることが余りありません。

 

中隊長 ある自衛隊OBのお話ですが、ある陸曹教育隊(下士官教育)ではこの問題点を解決するために、戦史教育の課目を新たに設け隊歌コンクールと一体化した精神教育の効用に着意することにしました。

しかしここに若干の問題がありました。第1番目の問題点として助教(教官職)のほとんどがもはや軍歌を歌えない。第2番目に歌詞の内容が難しくて理解できない。第3番目に今どき軍歌のCDを持っているのは軍事オタクぐらいしかおりません。

 

 そこで戦史教育の教授計画は戦史好きのS1尉が担当し。軍歌の方は隊本部がCDと歌集そして歌詞の解説をつけて各中隊に配りました。それでも半年ぐらいは妙な軍歌を聴かされたということです。

 

 学生の反応は「今どき何で一般部隊でもやらない軍歌を歌うのか」と疑問に思っていたのが正直な気持だったようです。最初は半分やけくそで歌っているうちに気持の変化に気がついたようです。それは仲間との一体感でした。みんなで声を合わせることにより、区隊としての団結が強まっていったのです。そして中隊長の精神教育で戦史の教育を受け、その時代背景を勉強することにより、軍歌が身近なものになっていき、戦いの実相について知ることができたのです。学生のほとんどが軍歌の効用について、十分理解をして卒業していったのは言うまでもありません。一致団結した学生の歌声は聞く人に感動を与えるものです。

 

S1尉の作成した教授計画は“鳥羽・伏見の戦い”の「宮さん、宮さん」から始まって、「婦人従軍歌」、「海ゆかば」「月月火水木金金」等の合わせて13曲、明治、大正、昭和に至る戦争の歴史を解説しながら当時歌われた軍歌をBGMに使い、教育を進めるやり方は、今までにない画期的な教授法であった。

 

慶応大学大学院のK教授が大変興味を持ち、是非送って欲しいと言われ、パワー・ポイントで作成した教授計画一式(CD)を送ったことがあるとのこと。

 

それから3年ほどしてテレビ・映画の脚本家で有名な林秀彦氏が、日本人と軍歌「海ゆかば、山ゆかば」PHP社から出したが、その帯に「日本の軍歌は世界に誇るべき芸術作品だ!」また「日本精神史の有終の美であるかごときの軍歌がなんと多いことだろう」とも述べている。

 

S1尉の作った「軍歌でつづる戦いの近・現代史」は今も戦史教育の教材として使われているかどうかは知らない。わたしは今も素晴らしい出来であったと評価している。彼が精魂込めて作った作品を、今一度世に出して上げたいなあと思う今日この頃でした。 

  
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2008年11月02日

◎田母神空幕長の論文はどこが問題なのか

 論文発表による更迭問題について、浜田靖一防衛相は31日夜、先の大戦を日本の侵略とする見方に疑問を示し、集団的自衛権行使容認を求める論文を公表した防衛省の田母神俊雄航空幕僚長の更迭を決めた。麻生内閣が先の大戦を「侵略」とした村山富市首相談話を踏襲する中、論文内容は政府見解に反すると判断した。

 

 田母神氏は「日本は侵略国家であったか」と題する論文を全国でホテルやマンションを開発しているアパグループが今年5月に募集した懸賞論文で最優秀賞を受賞した。

 

論文で田母神氏は、19世紀後半以降の日本の朝鮮半島や中国への軍事的行動について「相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない」と指摘。「日本だけが侵略国家といわれる筋合いもない」との見解を示した。集団的自衛権の行使を禁じた現在の憲法解釈の問題点にも言及した。とメディアは伝えている

 

日本の夜明け空幕長の論文の要旨

 

 一、わが国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したといわれるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も、条約に基づいたものだ。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めたが、相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。

 

 一、わが国は中国で和平を追求したが、その都度、蒋介石に裏切られた。蒋介石はコミンテルンに動かされていた。わが国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者だ。

 

 一、1928年の張作霖列車爆破事件も少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。(文献によれば)コミンテルンの仕業という説が強まっている。

 

 一、満州帝国の人口は成立当初からなぜ爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからだ。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけはない。

 

 一、日本が中国大陸などに侵略したため、日米戦争に突入し敗戦を迎えたといわれるが、これも今では日本を戦争に引きずり込むために、米国によって慎重に仕掛けられたわなであったことが判明している。米国もコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルという米国の公式文書がある。

 

 一、東京裁判は戦争の責任をすべて日本に押し付けようとしたものだ。そのマインドコントロールはなおも日本人を惑わせている。

 

 一、自衛隊は領域警備もできない。集団的自衛権も行使できない。武器使用の制約が多い。このマインドコントロールから解放されない限り、わが国は自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。

 

 一、日本軍の軍紀が厳正だったことは多くの外国人の証言にもある。わが国が侵略国家だったというのは正にぬれぎぬだ。

 

■論文 日本は侵略国家であったのか 田母神俊雄

http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

 

中国・韓国の手中から抜け出せない日本の指導者

今回の論文のどこの部分が問題なのか私にはよくわからない

手続き上なのか、論文の内容なのか

手続き上というなら文書でなく、口頭で報告しているし、慣例として大きな問題はない。

論文の内容だというなら、どの部分が誤りか正確に指摘するべきだ

中国・韓国の立場に立つもの、GHQの政策を弁護する反日左翼学者からは当然中傷誹謗の反論が出てくるであろう。

戦後60年余、各国の公文書公開で、われわれ反日的戦後民主主義の教育を受けてきたものにとっては、日ごろ疑問に思っていたこと、すなわち軍事常識、諜報謀略の観点からおかしいと思っていたことが次々と明らかになり、日本は如何に貶められてきたかがわかってきた。

田母神論文は反日左翼の一派は許せなくとも、少し勉強したものであれば極めて常識的内容であり、

目新しいものは特にない。

 

いまや政界は与野党そろって非難轟々

日教組上がりの民主党副代表の輿石参議院議員、創価学会池田大作傘下の山口那津男公明党政調会長が自衛官に歴史を教育してやるなどと戯言を言っている。

歴史的知識もなく、国家観もないのが政治家

昔、民主党の中堅幹部と戦後処理について議論をしたことがある。

戦争裁判、国家賠償問題に関する知識はまったくなく、こちらから教えて差し上げた。

 

私の知人には教員をしているものが多く、教育問題を議論することが多くあった。

彼らは日教組が配るアジビラだけの世界で、それに対する掘り下げた知識は何もなく、ただ教条的に日教組の言い分を放送するだけであった。彼らの常識はその程度

 

日本の反日メディアが騒ぐと同時に中国、韓国がこれに呼応する。

私はかの国々に言いたい。

中国は文化大革命の清算をしたのか、ベトナムに対する侵略行為、カンボジアのポルポト支援に対する清算、チベットや東トルキスタンに対する侵略行為はどうなったのか。

韓国は19世紀末の李氏朝鮮はどのような状況にあったのか、日本が日韓合邦という形をとらなかったら韓国住民はどうなったか、李承晩ラインと日本国民に対する拿捕抑留をどう始末つけたのか、火事場泥棒的な竹島の実効支配、今の韓国の経済の基盤を作ったのは日本ということを韓国民に教育したのか等々

中国や韓国が日本に妄言を吐く前に、自分たちの尻を拭いてから言えといいたい

 

 

航空自衛隊のトップが言いたいことを初めて言ったというところに価値がある。

いままで何十人もの陸海空トップが退役していったが、OBになってから色々発言しても、現役自衛官にとっては何も影響がないのである。

彼らが一様に言うのは「現役のとき御身大切で何も言わなかったくせに、階級章が取れてから偉そうなことを言ったって誰も聞きやしないぞ!」これが現実

 

いわゆるフィーリングだけで非難するのではなく、どこが問題なのか明確に指摘すべきである。

あいまいな決着は日本の特技であっても、これを良しとするのはそろそろ止めにしようじゃありませんか

それにしても、社会党党首村山総理大臣の「村山談話」を後生大事に抱え込んでいる自民党政府はおかしかないかい!!!

 

  
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2008年10月10日

◎ノーベル賞と北里柴三郎のノミネート

スウェーデン王立科学アカデミーは7日、2008年のノーベル物理学賞を、米国籍で日本人の南部陽一郎・シカゴ大学名誉教授(87)、日本学術振興会の小林誠理事(64)、京都産業大学の益川敏英教授(68)の3氏に贈ると発表した。引き続き8日にはノーベル化学賞の受賞を米ボストン大名誉教授の下村さん(80)に贈ると発表され、暗いニュースの多いなか、4氏のノーベル賞の受賞に日本中が湧き上がっている。

 

受賞者の各氏がコメントを残しているが、益川敏英教授の言葉が強烈な印象となって残った。

それは「世界がようやく日本の学術研究を正当に評価してくれるようになった」という言葉である。

 

これには深い意味がある。

今回の受賞者の研究発表・成果は30〜40年以上も前にノーベル賞を受賞してもおかしくないのである。彼らの研究理論を実証し評価判定するまでに、それだけの歳月を要したと言われればそれまでであるが・・・。

しかし今回の受賞者の年齢は87歳、80歳、68歳、64歳とお二人は80歳を超えている。世界から評価されるまで身体が持つかどうかの勝負を強いられてきたのが日本の研究者たちである。

 

実は一部の人には知られていることであるが、1901年の1回ノーベル医学・生理学賞の候補に北里柴三郎の名前がノミネートされていたが、どんでん返しで、黄色い東洋人の北里ではなく、名前も挙がっていなかった白人のベーリングが受賞したという事実があった。

 

彼ばかりではなく、志賀潔、野口英世も受賞してもおかしくない偉業を成し遂げています。

Wikipediaから彼らの世界的活躍を紹介して見ましょう。

 

北里柴三郎北里 柴三郎、(1853年1月29日1931年6月13日)は日本の細菌学の父」と言われており、

1885年(明治18年)よりドイツベルリン大学へ留学。コッホに師事し、

1889年(明治22年)には世界で初めて破傷風菌だけを取りだす破傷風菌純粋培養法に成功

1890年(明治23年)には破傷風菌抗毒素を発見し世界の医学界を驚嘆させた。

さらに、血清療法という菌体を少量ずつ動物に注射しながら血清中に抗体を生み出す画期的な手法を開発した。

1890年には血清療法をジフテリアに応用し、同僚であったベーリングと連名で「動物におけるジフテリア免疫と破傷風免疫の成立について」という論文を発表した。

1889年(明治22年) - ベーリングと共に世界で最初に破傷風菌の純粋培養に成功

1890年(明治23年) - 世界で始めて血清療法を発見し、ジフテリア毒素と破傷風毒素に対する抗血清を開発する。

 

1901年1回ノーベル医学・生理学賞の候補に北里の名前があがったが、結果は抗毒素という研究内容を主導していた北里でなく、共同研究者のベーリングのみがこの業績により受賞した。医学賞選考委員会が当初46名の候補から15名に絞り込んだが、その中に北里の名前はあってもベーリングの名前はなかった。そのため北里が受賞できなかったのは東洋人、黄色人種であったからなどともいわれている。

 

1894年(明治27年)にはペストの蔓延していた香港に政府より派遣され、病原菌であるペスト菌を発見するという業績をあげた。

 

 

志賀潔志賀潔1871年2月7日〜 1957年1月25日)は「赤痢菌の発見者」として知られる。

赤痢菌の発見とともに化学療法を研究し、明治時代の日本の近代化のなかで世界に通用する科学研究の成果を成し遂げた先駆者と評される。

1897年 赤痢菌を発見し、「細菌学雑誌」に『赤痢病原研究報告第一』を日本語で発表。

1898年 要約論文をドイツ語で発表。この論文・発見が世界的に認められて、後に赤痢菌の一種にShigellaという名が付けられる。

1901年 ドイツ・フランクフルトに留学しパウル・エールリヒに師事。ベンチジン系赤色色素の治療効果を明らかにし、トリパンロートと命名した。

1905年 帰国、脚気に対して追実験を行い、脚気細菌起源説を否定

 

 

野口英世野口英世1876年11月9日〜1928年5月21日)は日本の細菌学者。

学位は医学博士(京都大学)、理学博士(東京大学)。その他、ブラウン大学、イェール大学より理学博士を授与されている。

称号はエクアドル共和国陸軍軍医監、名誉大佐。

黄熱病や梅毒等の研究で知られる。また、コッホから始まる細菌学的医学権威の最後の一人ともいわれる。ガーナのアクラで黄熱病原を研究中に自身も感染して51歳で死去。

 

 

 

これらからわかるように、世界から驚嘆される偉業を成し遂げていても、日本人であるがゆえにノーベル賞という栄誉を受けることの出来なかった無念さは計り知れないものがある。

益川教授がいみじくも言われたとおり「ようやく正当に評価されるようになった」のかも知れない。

  
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2008年09月28日

◎「日本の教育のがんが日教組」「日本は単一民族」である

 中山成彬国土交通相は28日午前、首相官邸で麻生首相と会い、辞表を提出した。首相は受理した。「日教組が強いところは学力が低い」などの一連の発言に対する批判が広がり、国会審議や総選挙への影響を最小限に抑える必要があると判断した。

日教組 中山氏は25日の報道各社とのインタビューで、「成田空港は『ごね得』」「日本は単一民族」「日教組の子どもなんか成績が悪くても先生になる単一民族などと発言。千葉県の堂本暁子知事やアイヌ民族最大の団体「北海道ウタリ協会」、日教組などから抗議を受けたほか、民主党など野党各党が中山氏の辞任か罷免を要求していた。

 中山氏は26日に発言を撤回して陳謝したが、27日には地元・宮崎市で、改めて「日本の教育のがんが日教組」「日教組をぶっ壊せ」などと主張。民主党が日教組の支援を受けているとして、「小沢民主党も解体しなければいけない」などと発言していた。と朝日新聞は伝えている。

 

いつから日本の政治家は正論を戦わせなくなったのだろう。

中山国交相はサイレント・マジョリティーといわれる一般国民が常に思っていることを口にしたまでである。

 

《日本の教育の癌が日教組》

輿石東大分の教員不正採用ばかりがヤリ玉にあがっているが、その根源は何かといえば

日教組であり、大分の教育委員会以下学校現場全てを日教組が牛耳っているのである。

教育委員会のNO2まで賄賂を取って逮捕される現状をどう見るか。

県教組の組織率65%の大分よりはるかに組合支配が徹底している県教組の組織率95%の山梨県。その日教組を牛耳っているのが民主党の大幹部輿石東参議員会長、彼の率いる山梨日教組の不正活動については下記のブログに詳しい

 

●阿比瑠比さんの「国を憂い、われとわが身を甘やかすの記」

中山国交相の辞任と日教組の味方、公明党 (2008/09/28 10:08

http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/734039/

 

◎民主党代表代行の輿石東と山梨県教組のデタラメぶり

http://blog.livedoor.jp/wildhorse38/archives/51322698.html

 

《「単一民族」》

単一民族という言葉を吐くとアイヌの人たちが抗議行動を起こす。

しかし厳密な意味でなくアバウトな意味で言ったものまで否定されることが正しいことであろうか。

 

それでは反対の人たちに問う

日本は多民族国家であると云うべきであろうか

同じ北海道に住んでいてその実態から、声を荒げて抗議する問題とは思えないのである。

「北海道ウタリ協会」のHPによると

北海道が2006年に実施した「ウタリ生活実態調査」によれば、北海道に住むアイヌ民族の人口は、72の市町村に2万3782人

調査範囲が北海道居住のアイヌに限定し、地域社会でアイヌの血を受け継いでいると思われる人、また、婚姻・養子縁組等によりそれらの方と同一の生計を営んでいる人と定義し、自らが表明する人のみを調査対象とした。

道外に住むアイヌについては、東京都のみが実態調査を実施。1988年の調査において東京在住のアイヌ推計人口が2700人と見積もられているものが最も新しいとある。 

 

アイヌ民族男このあいまいな定義をもとにしても約3万人

現状はほとんどが和人との混血で、アイヌ民族の特徴を現しているのは幾人いるだろうか。明治以降に混血したとして1/2、1/4、1/8、1/16、1/32の世界なのである。どこまでをアイヌと言い、どこから和人と言うのだろう。

これからアイヌの人たちが「先住民族」としての権利を主張し、手厚い保護を受けることになれば、「俺はアイヌだ」と主張するだけで、アイヌになることができるであろう。

戦前は確かにアイヌの人たちに対する差別はあったと思う。

戦後育ちの今の人たちには特別な差別意識はないと確信を持っている。

ウタリ協会の統計でも約7割の人たちが差別に否定的であり、明確に差別されたという人は16.8%、差別されている誰かを見たという人は13.8%である。

ジイちゃん、バアちゃんたちは差別された人たちに入るかもしれない。

 

ところで日本の人口1億3000万人に対するアイヌ人口(申告者)約3万人

和人1万3千人に1人のアイヌ人ということであれば、単一民族と言っても非礼ではないと思う、また韓国・朝鮮系日本人も20〜30万人は帰化しているはずだという人もいるだろう。例えそれが30万人としても1300人に1人が韓国・朝鮮系日本人という事であり単一民族と言っても差し支えないと思う。

ただし厳密に言えば、色々な民族の人が日本の国籍を取得している。と言うべきであろう。

私の基本姿勢は

日本人の国籍を持っているものは、日本人としての権利を享受することが出来、義務を負うべきである。たとえ少数民族に属するものであっても、日本人として平等であり、特権を有してはならない。

 

◎「闘う」同和と「和」のアイヌ民族

http://blog.livedoor.jp/wildhorse38/archives/50640782.html

 

北海道ウタリ協会のHP

http://www.ainu-assn.or.jp/index.html

 

  
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2008年06月30日

◎謙虚さと感謝する気持ちを失った日本人

 先日 産経新聞を読んでいたら、作家の曽野綾子さんが「小さな親切大きなお世話」こんなことを書いていた。「戦後民主主義教育の中で、長い年月にわたって「弱者は弱い」のだから無条件でいたわり、その現状はそのまま受け入れられねばならない、とされてきた。しかし最近、私はそれが間違いであるケースが多々あると思うようになった。」とあった。

私が日頃考えていたことをそのまま主張されていた。

日本人は民族性として一般的に弱者といわれる部類に入る人たちには優しい気持ちを持っている。また不正に対する厳しいまでの正義感を持っている。いや持っていたはずだ。

終戦直後までに海外に移住した人々、明治・大正生まれのオジイチャンやオバアチャン、都会から離れた山里に住むお年寄りには古き良き時代の日本人の精神が残っているような気がする。

 

私の考えの基本はマイノリティーもマジョリティーも、ハンディーを持っているもの、性別出身階層に関係なく同じスタートラインに立つべきだ。ただし同じ日本の国籍を有しているということが前提である。

何故国籍にこだわるかと言えば、在日外国人は本国の庇護の下にあり、イザと言うときには自国民の立場で国益を守らなければならないからである。 

一刀両断 

私が「弱者は弱い」という観念に疑問を持ち始めたのは“ユダヤ人”について勉強し始めた頃である。

有史以来世界の各地で軽蔑と差別というレイシズムをモロに受けながら、世界規模の銀行、マスコミ界、映画界、ダイヤモンドのシンジケート等で存在感を示していた逞しいユダヤ人。しかし彼らも第2次大戦ではナチスによって、大虐殺をされ、”悲劇の民族”の象徴に祭り上げられたのである。

その悲劇の民族はイスラエルという国をつくるため、そこに住んでいたパレスチナ人を追い出し、彼らを流浪の民にしたのである。以来半世紀あまり中東地区の紛争の種になっているのは、紛れも無い事実である。

 

日本国内では「同和問題」があり、“人権・差別反対を旗印”に同和対策事業に特権的に食い込み、奈良市の同和優遇施策や部落解放同盟(解同)との不正常な関係など不正行為を行い、一部に大きな利益を得ているものもいる。これでも分かるように公的機関も、マスコミも及び腰で不正を追及しにくい風潮を作りだしている。

 

19987月、和歌山で起きた“毒入りカレー事件”の林眞須美は殺人未遂と保険金詐欺の容疑で逮捕された。彼女も夫の身体障害を武器に保険金を騙し取っていたのである。

 

20082月 北海道滝川市の元暴力団組員らが、同市から2億円を超える生活保護費をだまし取っていた事件、不正受給された生活保護費は札幌市の介護タクシー会社を通じて、別の暴力団関係者にも流れていたという。

 

札幌地区にある障害者施設の長(本人も筋萎縮症)がテレビの取材で言った言葉が忘れられない

「私たちは支援者や施設の職員に感謝はしない。なぜならば私たちがいるからこそ、職員たちは職場から給料が貰えるのです。むしろ私たちに感謝しなさい!」この傲慢さに怒鳴りつけたい気持ちになったのを思い出します。こういう施設はそこに働く職員も、入居者もお互い人間としての尊厳を大事にし、自愛と感謝の気持ちがあって始めてこそお互いに認め合うことが出来るはず。

 

最近モンスターペアレントといわれるクレーマーがのさばっている。

彼らは自分の子供のことしか考えず、学校教育にクレームをつけて教育現場を混乱させているという。

周りを見たらこれに類する人たちがたくさんいるはず

町内会費を10年も払わずクレームだけつける。

給食費を払わず平気で踏み倒す人々、これらは弱者でもなんでもないただ我が儘なだけ

 

生活保護費を貰いながら車を持ち、大型テレビを買い、人並み以上の暮らしをする。

税金を払わず、NHKの視聴料も免除され、子供が居れば給食費、修学旅行費、入学式、卒業式にはお祝い金と準備金と至れり尽くせりであるという。生活保護家庭に年間どれだけの公金が使われ、免除されているか試算を公開したことがありますか。

若者が一生懸命働いても彼らより給与水準が低いなんて・・・

特に介護福祉士として働く人たちの給与水準はあまりにも低く、家族を養う生活力がないという。

後期高齢者の問題にしても感情論だけでコメントを言うのではなく、実態を公開して国民に納得してもらわなければこの問題は解決しないと思う。

弱者とは何かを真剣に考えるときではないですか

 

以下は産経新聞 20.6.27 小さな親切大きなお世話 から引用しました。

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■弱点を武器にする弱者たち

 後期高齢者の健康保険制度にせよ、ほかのさまざまな社会問題にせよ、世間ではしばしば「弱者に優しい政治を!」と言い、それは社会の通念になってきた。ただしこの表現には、いわば「合言葉」的見かけのいい流行が感じられ、本当に弱者のために何か地道に行動を続けている個人は少ない。 私は同情という日本語をあまり好かない。体験的に慣習的に、その言葉は自分が上に立ちながら、相手を見下すような立場・姿勢をにおわせているからだ。しかし本当の「同情」は、極めて高度な人間の精神の証しである。つまり自分以外の他者の置かれた立場を理解して心を動かされることだから、電車の中で平気で化粧をする鈍感な女性たちのように、他者の存在の希薄な利己主義者はとうてい持ち得ない心情だと思う。 日本では戦後民主主義教育の中で、長い年月にわたって「弱者は弱い」のだから無条件でいたわり、その現状はそのまま受け入れられねばならない、とされてきた。しかし最近、私はそれが間違いであるケースが多々あると思うようになった。もちろん病人や高齢者は、自動的に弱いのだから、見捨てておかれる社会は未開である。しかし高齢者が高齢だということを資格のように考えて要求する姿勢もあさましい。 最近では弱者こそ強いのだと思わざるを得ない例が多くなった。孫が祖父母を殺す事件が最近目立つが、それは若くても精神力の弱い孫が、肉体的には弱くても自立している祖父母を殺すのである。 秋葉原の連続殺人事件の犯人も、早とちりして派遣会社を辞めなければ一応食べられるだけの職も健康もあり、短大にせよ学ぶことのできた能力と家庭的状況に育った。それだけの幸運が、アフリカや南米の貧困層にそんなにやたらにあるものではない、ということを私は言ってやりたい。 恐らく家族は、彼のこうした意識を直そうとしただろうが、彼の「負け組」意識、弱者のひがみは抜けなかった。その方が都合がよく祖父母を威圧でき、日本中のテレビ番組を独占することもできたからである。教育ママ的だった母が、ある時から息子といると怖いと漏らすようになったのは、息子が自分の弱点を武器に有形無形に親を脅し始めたからであろう。 ある生活保護受給者は、働かずにいつも酒を飲んでいる。市役所の職員の一人は、生活保護を受けている人ほど窓口で威張ると私に

打ち明けた。ホームレスだけが、市民が住むことを許されない景色のいい河川敷に無料でテントを張れる。「僕にはできない」「私は金がないんだ」「おれは病気なんだ」という言葉は弱者のものではなく、最高に強いものとなった。それが社会的資格であり、武器になりえることを戦後教育は教えた。 「それなら僕は大学(会社)に行かない(行けない)」「私に死ねという気か」という形で家族や社会を脅す例も増えた。しかし貧しい国々では、こんな言葉は脅しにならない。金がなければ飢え死にするか、薬が買えなくて死ぬか

どちらかだからだ。 戦後の日本は心身を強くすることは軍事力の象徴で平和の敵と見なしてきたが、それは間違いだ。強くなって耐える力を持ち、自発的に、不運な人のために金か労力か心か時間を差し出せる人を目的に教育すべきだ。

産経新聞 20.6.27 小さな親切大きなお世話 作家 曽野綾子

  
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2008年06月01日

◎アイヌ系日本人を特権階級にする気か

■アイヌ民族は「独自性有する先住民族」国会決議案

北海道に移住した樺太アイヌ(明治初年) 超党派の「アイヌ民族の権利確立を考える議員の会」(世話人代表・今津寛自民党衆院議員)は23日、「政府はアイヌの人々を独自性を有する先住民族として認めること」などを求める国会決議の文案をまとめた。今国会での採択を目指しており、自民党の同意を得られるかが焦点になる。

 

決議文案は、アイヌの人々について、近代化の過程で労働力として拘束、収奪されたため社会や文化が破壊され、同化政策で伝統的な生活が制限・禁止されたとして、「法的には等しく国民でありながらも差別され、貧窮を余儀なくされた歴史的事実を厳粛に受け止める」と明記。そのうえで、独自の言語・宗教・文化をもつ北海道の先住民族と認め、「高いレベルで有識者の意見を聞き、これまでのアイヌ政策をさらに推進」するよう政府に求めている。各党は党内調整に入るが、世話人の一人は「自民党内の調整に時間がかかる」と語った。

 

 政府は96年の有識者懇談会報告書でアイヌ民族の先住性・民族性を認めたが、土地補償などの権利主張が頻発する懸念から、先住民族と明確に認めることには後ろ向きだ。

 

 ただ、町村官房長官は23日の記者会見で、昨年9月に「先住民族の権利に関する国連宣言」が日本も賛成して国連総会で採択された点について

 

「賛成した事実は重い」と述べ、決議が採択されれば有識者会議の設置などには前向きに対応する考えを示した。(稲垣直人)

2008年05月23日 アサヒ・コム


 

先日のアイヌ系日本人の国会デモに、鈴木宗男議員がアイヌ民族の衣装を着て一緒にデモをしていた。

北海道選出の国会議員の大多数が対応していた。

この流れに私は危惧する者である。

 

私の周りにアイヌと言われているヒトがいるのだろうか。

アイヌ文化をそのまま現在の生活に取り入れて生活しているのだろうか。

何%の血が混じっていたらアイヌと言うのだろうか。

 

今や一見して彼は、彼女は“アイヌ民族だ”と言い切れるヒトはほんの数人である。

アイヌ民族の学者である知里真志保でさえ,〈今やその固有の文化を失って,物心ともに一般の日本人と少しも変わるところがない生活を営むまでにいたっている。したがって,民族としてのアイヌはすでに滅びたといってよく,厳密にいうならば,彼らは,もはやアイヌではなく,せいぜいアイヌ系日本人とでも称すべきものである〉(平凡社《世界大百科事典》旧版,1955年刊)と記さざるをえなかった。

 

1986年の調査では北海道在住者は7167所帯、2万4381人(調査に応じたもの)と言われている。

何を持ってアイヌ民族と言うのかは定かではない。

 

私の記憶では確かに戦前までは彼らに対する差別意識(80・90歳代)があったとは聞いている。

戦後60数年、彼らに対する差別意識はほとんどないし、むしろ大阪人だ、佐賀県人だ、福島県人だ、イラン系日本人だ、韓国系日本人だという出身県人、出身民族程度の区別はあっても、あれはアイヌの血を引いてるな、だからどうなんだ程度の意識である。

高校の同級生にアイヌ系の生徒がいた。彼は真面目でイヤミがなく、誰からも好かれる性格をしていた。もう一人は運動神経が抜群で常に同期生の花形であった。

 

結局アイヌ系だろうが、韓国系だろうが、性格のよい人間は皆から好かれるのであり、性格の悪いのはそれなりの扱いを受けると言うことである。

 

北海道のアイヌ系の人々は本州からの移住者たる和人の子孫の我々とは反目し合わないで、お互い仲良く生活していると思っている。ところが最近、北海道ウタリ協会が、政府に〈アイヌ新法〉の制定を求める運動を展開しだしたのである。

 

先住民族としての権利を主張し、土地の返還運動や補助金の交付、その他の特権意識を表に出すようになったら、本州の同和問題と同じ性格のものになる。

そこには我々北海道に住む和人の子孫とアイヌ系日本人の間には必ず軋轢が生じるはずである。

いまアイヌだから貧乏だ、アイヌだから会社員になれない、アイヌだから結婚できないなんてことはあり得ないのが北海道である。

 

なぜならアイヌ系のヒトは何代にも亘って混血しており、アイヌ民族の学者である知里真志保博士が言うように、物心ともに一般の日本人と少しも変わるところがない生活を営んでおり、区別が付かないのが現状だからである。

 

しかし〈アイヌ新法〉が制定され、アイヌ系同士が団結し闘争するときは、半世紀掛けて和人(シャモ)とアイヌが培ってきた『和と信頼』は必ず崩れるし、新たな対立と軽蔑が生まれ、失うものは大きいと思う。

これがいま問題になっている“人権擁護法案”絡みになったとき新たな対立が起きるは必死であると思う。

 

保護された先住民の問題は世界の先進国間で大きな問題になっている。

アラスカ・カナダのイヌイット(エスキモー)、オーストラリアのアボリジニ、アメリカのネイティブ・アメリカン(インディアン)が政府から厚い保護政策を受けたために、自ら働く意欲を失い、アルコールに浸り、結局、堕落してしまっているといわれている。

 

本州の同和問題を“他山の石”としてもう一度先住民問題を考えてみませんか。

 

 

  
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2008年05月10日

◎「和」の心 「日の丸」と「君が代」

「和」の心

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日の丸と君が代

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  
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2007年12月04日

◎国民性の違いか「騙されるほうが悪い!」と韓国

■韓国が先発メンバー変更 紳士協定を無視 野球アジア予選

対韓国戦の星野監督韓国が試合開始直前に先発オーダーをがらりと変更した。星野監督によると「1時間前にオーダーを受け取っていた」。だが、実際のオーダーは先発投手が右の柳済国から左の田炳浩へ。打線も左腕の成瀬を意識してか、1番から6番まで右打者が並んだ。

 指揮官はあわてて球審に詰め寄ったが、オーダー変更は認められ、そのままプレーボール。報道陣にも試合が始まってから新しいオーダー表が配られる事態となった。

 韓国の金卿文監督は「(国際野球連盟=IBAF=の)ルールは破っていない。いいとは思わないが、今回のルールでは、うそのリストを作ることもできる」と釈明。これに対し、星野監督は「監督会議で紳士協定を結んだ。ルールブックにはないことだが、非常に疑問だ」と静かな口調ながら怒りをあらわにした。(丸山) 2007.12.3 00:56 産経ニュース

 

日本と韓国の国民性の違いを良くあらわした対処であった。

日本は監督会議で取り決めた紳士協定は必ず守るであろうし、

もし日本側が国際試合の取り決めを一方的に破るようなことをしたら、

日本国中が星野監督を「卑怯者!」と批判するであろう。

 

しかし韓国の「朝鮮日報」は“先発変更への不満は日本の無知”と切り捨てている

 

これが国民性の違い 

「騙されるほうが悪い!」という性悪説をとるのが世界の通例である

中国・韓国は武士道精神、騎士道精神、ジョンブル魂の通用しない儒教の国があるということ

 

だからといって、日本は韓国の真似はするべきでない

だって日本は世界で一番信用されているのですから・・・

でも韓国にも「花朗精神」というものもあったのではないかな

それも昔の話か・・・

 

世界で高評価の日本

http://wildhorse-depot.seesaa.net/article/68642400.html

 

北京五輪野球:先発変更への不満は日本の無知

http://www.chosunonline.com/article/20071203000055

 

  
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2007年12月02日

◎天皇は「権威者」であって「権力者」ではない

約3カ月前まで「防衛省の天皇」と呼ばれた大物次官は「容疑者」に転落した。前防衛事務次官の守屋武昌容疑者(63)は28日、収賄容疑で東京地検特捜部に逮捕され、贈賄側に“おねだり”を繰り返していたとして、妻の幸子容疑者(56)も立件される異例の展開となった。疑獄の二人                                

特捜部は防衛省の捜索で段ボール約500箱分の資料を押収。巨額の防衛利権には複数の族議員が関与していたとされ、押収された「宝の山」から政界捜査に発展する可能性も出ていると産経ニュース(19.12.2)は伝えている。

 

いつもある組織でやりたい放題の独裁的権力を誇った権力者を称して、

「○○の天皇」と称して貶めるのがマスコミのやり方である。

これは「天皇」というものは誰も逆らうことのできない独裁者という意味で使用しているが、

古来 日本の「天皇」は「権威者」であっても「権力者」ではない。

権力を握って時の権力者でありたいと行動を起こしたのは

「承久の乱(13世紀)」の後鳥羽天皇(上皇)

「正中の変(14世紀)」の後醍醐天皇が有名であったが、

いずれも権力者になることなく「権威者」で終わっている。

 

明治・大正・昭和(1945年まで)の天皇は一見独裁的権力者に見えても、

実際には内閣で決まった事項を了解するだけの権限しかなかったのである。

いわゆる立憲君主制であったのである。

 

日本の天皇を

ローマの皇帝ネロ、フランス皇帝ナポレオン、

ドイツのヒットラー、ソ連のスターリン、

中国の毛沢東、北朝鮮の金日成・金正日などと同列に並べ、

独裁者扱いにするのは歴史を知らない新聞記者か、

又は政治的な思惑で天皇というものの権威を失墜させることを、

狙っているとしか思えないのである。

 

今の天皇陛下は世界の平和と日本国民と日本国の安寧を祈って、神事をおこなっているのであり、日本の伝統文化の権威として存在しているのである

それにしても防衛省の汚職事案はいつまでも続くね

政治家を一人か二人逮捕する疑獄事件までいかないと治まらないかもしれないね

 

オマケ

 昔の話であるが、自衛隊の装備品で62式機関銃がある。

隊員からは「鉄の塊」「役立たず」とか云われ、連続射撃ができないので64式小銃で代用していたというイワクツキの機関銃があった。

 

正式採用になる前に富士学校の装備開発実験隊でかなりの期間、機能試験(実射)をやって、実験隊の結論は「採用不可」であったが、ときの武器学校長が結論をひっくり返したと関係者から聞いたことがある。    これも疑惑事案かな・・・

 

  
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2007年11月08日

◎婚外子に対する親の義務と責任

東京都世田谷区に住む事実婚夫婦の無戸籍児の住民票が作成されなかった問題で、夫婦らが区に住民票不記載処分の取り消しを求めた訴訟の控訴審判決が5日、東京高裁であった。藤村啓裁判長は「区に裁量権の逸脱、乱用はない」として、住民票作成を命じた一審東京地裁判決を取り消し、夫婦らの請求を退けた。夫婦は上告する方針。
 訴えていたのは、介護福祉士の菅原和之さん(42)夫婦と二女(2つ)。菅原さんは二女の出生届を出した際、続き柄の欄に「嫡出でない子」と表記することを拒否した。このため世田谷区は出生届を受理せず、住民票も作成されなかった。
 藤村裁判長は、続き柄欄の記載が婚外子への差別に当たるとの夫婦の主張に対し、「民法が法律婚主義を採用していることなどからすれば、合理的理由のない差別とは言えず、憲法に違反しない」と述べた。

2007/11/05 時事通信 引用

 

親子日本は、法律婚主義をとる国家であり、婚姻届を所定の市区町村役場に届出ることによって、男女がはじめて夫婦として認めてもらえる。長年同棲を続け、誰もが認める夫婦仲であっても、婚姻届を届け出ていない以上は、法律上は互いに独身扱いなのある。

 

最近自分の意にそぐわないものは“差別だ”という言葉を金科玉条のように振りかざして、社会的規範を打ち壊そうとする考えがはびこっている。社会通念上の良俗として長年培われてきた日本の伝統文化を否定し、いまや過去の遺物となっているマルクス・レーニン思想をゾンビのごとく蘇えらすことに一途な集団がニッポンの社会を混乱に落とそうとしているのである。

 

「非嫡出子」という言葉が差別的であるとして、出生届に記載を拒否して自分たちの思想信条を国家・社会に認めさせようとしているのである。

「嫡」とは正妻、本妻、 「嫡子」とは本妻の産んだ子という意味

彼らは法律婚主義をとっている日本の民法を認めないのであるから法律上結婚しているとは認められないのであり、いわゆる内縁関係となる。

 

これはどう考えても子供の問題というより親同士の問題であり、単なる社会常識に反する思い込みの激しい男女同士の我が儘である。しかも「嫡出」と言う言葉は差別用語ではなく、区別用語の範疇に入るのである。

 

世の中に本妻、2号、3号という形態もあり、それに伴って嫡子、庶子(正妻以外から生まれた子)が存在する。

しかしこれは社会通念上は認められない家族形態であって、「本妻も妾も同じ権利を認めろ」「嫡流の非嫡流も同じ子供なのだから同じ権利を認めろ」という何でもありの婚姻を認めたら、日本の家族形態は崩れさり、国家そのものが崩壊につながる。

 

本妻以外に愛する女性・男性が出来て、必然的に子供が出来たというのは、親たちが子供に不利益を冒させることを覚悟で産んだのであり、それは法律婚では認められないのを承知していたはずである。

 

国家の最小単位は家族であり、個人である。

家族を基準に民法が定められており、それを認めず自分たちの信条を国家に認めさせようというのは土台無理な話である。

自分たちの子供が法的不利益を被っているのは親の責任であり、親の処置すべき事項であると考える。

 

西武の堤康次郎、ナショナルの松下幸之助、元総理大臣の田中角栄もそれぞれ庶子を持っていたが嫡子とは違う形で親の責任を果たしていた。

だからといって彼らは国家の責任がどうの、手続きがこうのなどとは言わなかったし、人間には分相応というものがある。法律を無視しても自分たちの意志を押し通そうとするなら、子供に対する義務と責任を十分に負えというのが私の意見である。

  
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2007年05月03日

◎究極の選択としての「国籍の取得」

NHKで「新・在日外国人」というドキュメンタリー番組をやっていた。

在日韓国人2世のディレクターが日本にやってきた各国の新・在日外国人の取材をし、

日本国籍の取得についてどのように考えるかを、彼らの普段の生活から迫った番組であった。

 

ニューカマーと呼ばれる韓国人留学生は、放送技術の編集要領を身につけたら国へ帰って仕事したいと、

目的意識をしっかり持っていたのが印象的であったが、この在日2世のNHKディレクターは日本人にもなりたくないし、韓国人にもなりたくないという。在日の特権をフルに生かして日本でこれからも生きて行きたいというわがままがはっきりと読み取れた。

 

ニューカマーの韓国人から「あなたはパスポートと違う名前(いわゆる通名)を持っているのはおかしい!」とはっきり指摘され、「あなたは自由に生きたいだけだ!」と言われて言葉に詰まり涙ぐんでいた。

 

すなわち彼らは韓国人としての義務である徴兵からも逃れ、日本においては特別永住権を取得して、地位は安泰日本人よりも教育、年金、各種保険を優遇され、朝鮮総連系の商工会にいたっては税金にも特権を持っている。まさに逆差別状態にある。

 

彼らは“自分たちは強制連行で日本に連れてこられた”というが彼らの来日時期と理由を調査(「アボジ教えて!」在日韓国民団)したら強制連行なんて有り得ないのである。

彼らの言い分をまともに聞いていたら、在日一世の男はみんなタコ部屋の労務者になり、女は従軍慰安婦になってしまう。

 

みんな食い詰めて日本に流れてきたのです。

昭和178年ころの九州地方の新聞には「半島から密航・・・密航」のオンパレードである。

昭和20年の終戦時には120万人いた在日はその半数以上が帰国して、日本に生活基盤のあった朝鮮人だけが居残ったのです。

 

日本では苦労した、差別されたといいますが、済州島では昭和47年ころになって初めて白米を食べられるようになったのです。彼らは日本に併合される前の惨めな生活については語ろうとはしません。

併合された後の人口増加は併合前と比べて2倍になったということは、十分な食料が確保されて飢え死にする朝鮮人がいなくなったということ。

 

在日に対する差別意識は、今はほとんどないといってよいと思う。

70代80代のお年寄りに根強い差別感があるのは、終戦直後の強盗、かっぱらい、強姦、不法占拠、集団暴力、闇市等ありとあらゆる悪行をやったその後遺症が残っているからといえる。

ヤン・ソギルの「血と骨」や「闇市を舞台にしたやくざの抗争」の小説等にその様相が詳しく描かれている。

鉄道警察が発足したのは在日が鉄道を舞台にあまりに傍若無人な行為がやったので、

その取締りのために警察を乗せなければならなかったのです。

 

日本人としての責任「日本の国籍」を取りたい理由についていろいろな理由を述べていた

一番印象に残ったのが「日本のパスポート」は世界で一番信用されている。

中国だったら色々面倒なことが多い。

将来もこの安全な国で暮らしたいから・・・。

中には永住権をとったのだから選挙権も欲しい。

日本で生まれて、日本の教育を受け、日本語を不自由なく使いこなしており、それが自然だから・・・

 

彼らの意見を聞いていると「国籍」というものを軽々に考えているように思える

・日本に税金を納めているから・・・〜税金は属地主義で公共のサービスを受ける代価

・外国旅行をしたいから

・日本においては外国人はあまり信用されていない〜日本人は性善説、外国人は性悪説、日本における犯罪発生率は中国・韓国がダントツ

・国籍をとっても紙の上だけのもの〜日本における凶悪犯罪の犯人は在日が圧倒的に多い。中国・韓国の価値観で日本人の仮面を被ってもらっては迷惑

 

■「国籍」というものを考えるときは

自分の母国(韓国朝鮮・中国・ロシア等)が日本と領土紛争した場合

どちらに味方するかということ。

平時は淡々と市民生活を送っていても、いざ戦争状態になった場合国家の命令で兵士として動員をかけられ、

日本に敵対行為をしなければならなくなります。

国家は非常事態のときは国民に対して生殺与奪の強権を発動する権利があります。

結局日本国民になるということはこの国と運命を共にするということ

その覚悟があって初めて国籍を取りたいといって欲しいものです。

  
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2007年04月26日

◎秀吉のバテレン追放令の真因の一つに、日本人奴隷の売買があった

バテレンの真意

「島原の乱」に関する書物を読んでいたら、こんな記事が出てきた。

 

「宣教師たちによる日本人奴隷の貿易」

天文11年(1543年)の鉄砲伝来の後、1540年代後半から始まったと考えられている。16世紀後半にはポルトガルや南米アルゼンチンなどへ送られていた。

天正10年(1582年)にローマへ派遣された天正遣欧少年使節の一行が、各地で日本人奴隷を目撃し、自国人と白人両方への憤りを報告書に記している。

『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている』と。

この出来事によって棄教した使節の一員もおり、皮肉な結果となったとある。

 

昔「世界紀行の番組」を見ていたらメキシコ、スペインに「ハポン(日本)」という苗字を持ったヒトが数多く紹介されていた。TVのナレータは天正10年(1582年)にローマへ派遣された天正遣欧少年使節の一行で現地に残った日本人の末裔であると説明していた。

 

それにしては出来すぎではないかと思っていた。現地に残った船頭は2〜3人、その末裔が延々と500年も血筋を残せるだろうか。残せたとしてもそれは奇跡に近い、たとえばその土地を治める領主に収まったというならあり得る話だが、所詮漁師日本人社会のおいても下賎の身ありえない話である。

 

しかし宣教師たちに売り買いされた何千、何万人という奴隷の子孫であったというなら理解が出来る。


我々日本人のキリスト教徒に対する一般的イメージは「清貧な殉教者」

最近ようやくそんなきれいごとでは治まらないということが判ってきた。

 

以前に天草の“隠れキリシタンの信仰”について現地で見ることができたが、彼らのキリストに対する信心の凄まじさを目の当たりにして、当時の為政者は驚愕したであろうと感じた。

 

彼ら宣教師はキリスト教という(当時 日本にとってはカルト教団)思想戦を仕掛けながら、南蛮貿易の莫大な利益で諸大名の目を眩ませ、日本人を取り込んでいった。


それが当時のキリシタン大名である有馬晴信、高山右近、大友宗麟等であり、彼らは宣教師に領土を寄進し、バテレンの指導で神社仏閣を打ち壊し、僧侶神官を惨殺、戦国大名同士の戦いで相手を打ち負かした戦利品として女・子供・武士・町人を奴隷として宣教師に売り渡した。

 

奴隷となった日本人は朝鮮、中国・マレー半島、南米、ヨーロッパ、アフリカの果てまで、売りさばかれたという。

 

歴史書は語る
天正15年(1587年)、豊臣秀吉は大坂城へポルトガル人宣教師ガスパール・コエリョを呼び、日本人奴隷の売買を止め海外のすべての日本人を帰国させることなどを命じる。

 

コエリョはスペイン艦隊を呼び威嚇したが、バテレン追放令発布、高山右近の失脚、長崎の拠点接収で未遂に終わる。

 

天正15年(1587年)6月19日、豊臣秀吉はバテレン追放令を発布。10条で日本人奴隷の売買が禁止される。
慶長元年(1596年)、宣教師側でも奴隷の売買が禁止される。


バテレン追放令(伴天連追放令)は1587年6月19日に豊臣秀吉によって発令されたキリスト教弾圧の為の命令。

 

松浦文書(九州 平戸)に、こんな内容の史料がある。
「ガスパール・コエリョ(Gaspar Coelho、1530年-1590年5月7日)はポルトガル出身の戦国時代に活動していた宣教師。イエズス会日本支部の初代準管区長」は

1587年、豊臣秀吉に、

·大名に対しキリシタンになるよう洗脳した事」
·日本人を奴隷として海外へ売った事
· 九州の寺院焼き討ちを奨励した事」
· 「九州の僧を迫害している事」
· 「牛食を広めている事」

これら五カ条に及ぶ詰問状を突きつけられる。


そこでコエリョは、九州統一を終え博多に滞在していた秀吉に対し、巨大な武装船に乗り提督の扮装で出迎え、威圧をかける。

しかし、これが逆に秀吉の逆鱗に触れる事となり、ついに同年6月バテレン追放令が発令される

コエリョは有馬晴信らキリシタン大名や、スペイン艦隊などに秀吉討伐の兵を起こすよう要請したが、結局かなわなかった。」

 

徳川家康の時代になっても彼らキリシタンの狂信的な信仰は変わらず、慶長19年(1614)高山右近らがマニラに追放されたとき、これに抗議して長崎でキリシタン各派が行列を行った。

この記録はキリシタン側にもある。

それを見るとライ病人の足を洗って接吻をし、麻の衣をまとい、首には縄をかけ、頭から灰をかぶり、十字架を担った(フランシスコ派)

 

五旬節(ペンテコステ)の月曜日には2千人の女子が白服をまとい、黒いベールをつけ、いばらの冠を戴き、手には十字架か聖書を持ち、8千人の男がこれに続き、列の中央を歩くものはろうそくを持ち、行列の終わりには黒布をかけた大きな十字架をかかげた(ドミニコ派)

 

俵をまとい、十字架を肩にし、手枷をはめ、もろ肌を脱いでぼろをまとう(アウグスチの派)

 

その中には大友義統(よしむね)の娘ルチアもいたと記されている

いわばこれは無抵抗で殉教も辞せずという意思表示を示したものである

『長崎港草』に「鬼利支丹行列」と記されており、普通の日本人には「百鬼夜行」のように見えたに違いがない                                       「日本人とは何か」山本七平著P466468

 

キリシタン布教創世記のころは、彼ら宣教師の手で多くの日本人が世界の津々浦々まで奴隷として売られ、スペイン王とローマ教皇がタイアップしての領土拡張政策の尖兵として、東南アジアを征服。

 

ついで日本に牙を向けたが秀吉、家康という賢明な統率者が日本を治めていたために、我が日本は西欧の植民地にならずにすんだといえる。 

  
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2007年04月16日

◎定番「暗い青春時代」は本当か???

軍人戦後民主主義で育った70歳代後半までの人々は、パブロフの条件反射のように「戦時中は自由のない、押し潰されそうな暗い青春を送った」

「特高警察・憲兵は悪逆非道な連中だ」

「学校は軍国教育の最たるもので、天皇陛下のために死ねと教えられた」等々


ステレオタイプな言葉が出てくる。

何も知らないものは“酷い時代だったのだね!”と

江戸時代の封建時代から明治、大正、昭和は暗黒史観に満ち溢れている。

あの成熟した町人文化、飛脚による情報伝達システムの確立、先物取引を世界に先駆けて取り込んだ商取引、参勤交代による流通文化や標準言語の統一、無血革命とも言うべき明治維新、大正デモクラシーまでも全て否定的に評価している。

黄色人種の日本だけがアジア・アフリカ大陸で唯一(タイ・エチオピアは形だけの独立国)力を持った世界の一等国として世界の先進国に伍して生き抜いてきたことも全て否定する左翼思想

これは左翼(共産党、社会党、民主党)が、マッカーサーの進駐軍を解放軍と定義付け、GHQ(占領軍)の占領政策とタイアップして勝ち馬に乗った結果である。

GHQ民政局局長代理のケーディス大佐以下アメリカで失敗したニューディール政策や社会主義的な統制経済を日本で実験的にやろうとしたのである。

「ルーズベルト秘録」産経新聞社を読むとホワイトハウスの奥深くにアメリカ共産党の工作員が入り込み、大統領夫人を通してかなりの影響力を与えていたことがわかる。

戦後時の権力者GHQに擦り寄っていた日本共産党や日本社会党は戦中・戦後を通してソ連共産党の指揮下で世界革命路線を標榜して反国家運動をやっていたに過ぎないのである。

彼ら日本共産党は日ソ不可侵条約を破って日本を侵略し、南樺太を、千島列島を掠め取り、満州国にいた日本人開拓移民に略奪・強姦・殺戮の悪逆非道のかぎりをしたソ連の手先になって日本に敵対していたのである。

戦後、ソ連は国際条約に違反し60万人もの軍人軍属をシベリアに強制連行し、極寒の地でまともな暖房も食事も与えず6万人ものの日本国民が死に追い込んだ。

あの強制収容所(ラーゲリー)の中でもソ連の手先になって赤旗を振り、同じ日本人を締め上げ野垂れ死にさせたのも日本共産党もしくはそのシンパである。

こういう連中が戦後民主主義教育の「暗い青春」を我々に刷り込んだのである

 時代小説家 郡 順史の書いた「大東亜戦争下の青春」という一説がある
 大東亜戦争下の青春は暗かった。まるで地獄の底のように陰影で、夢も希望もなかった。と主張する人が未だにいる。

「あの時代の青春は暗かった。まるで真暗だった。諸君、我々は後輩に、二度とあんな青春時代を送らせてはならん。青春とは、何物にも拘束されず、自由で平和で夢と希望に満ちあふれたものでなければならないのだ。我々は先輩として二度と再びあのような暗い悲惨な青春を後輩に持たせぬよう、語り継ぎ反動勢力と戦わねばならぬ責任があるのだ」という発言があり、

(中略)
大正末期から昭和初期にかけて生まれた筆者はこんな疑問を投げかけた

ではこれらの年齢層の者は、彼が吐くような暗い青春を一様に持ったのであろうか。嘘だ、と小生の体験から断言出来る。つまり暗い暗いと歎いた者もいたが、大多数の者は、使命感と充溢感を持って緊張に満ちた青春時代を送っていたのだ。

(中略)
 それは我々の年齢層は、中学へ入学した当時より(昭和十二、三年)軍事教練が強化され、且つラヂオ、新聞など、大人の話から時局の緊迫感を感知し、ほとんど確実に軍隊に入り、国の為に戦うという観念を抱き、名誉と思っていたからである。別に武士道を教師から学んだわけではなく、日本古来からの戦さに征き国や家族を護るのは男の責任、と肉体で思っていたからであろう。つまり青春の行き先、終着点は、それなりに覚悟のような形で肝の底に持っていたわけである。

 従って「暗い」と感ずるより先に、自分なりの遊び、興味に浸っていたわけである。多くの友だちが同様であった。
(中略)

 この小生の反論を、小生より先に立ち上った男が、次のように述べてくれた。
「君の言う真暗青春説は間違いだ。君にとって大東亜戦争中の青春は真暗であったかもしれないが、大部分の若者は、ひたぶるに国を護るという使命感に燃え、生命を失うのは嫌だが、しかし国の為に死ぬことが、この日本に生まれ育って来た男の天命なのだと思い、緊張感で日々を送っていた若者が大多数だったのだ。皆、明るく勇気が有り優しい心の持ち主だった。俺の戦友はぜんぶそうだった。でも半分も生き残らなかったが…」 語尾はやや震えていた。きっと亡き戦友に念いが走ったからであろう。

「軍国主義教育よりもっと日本人を不幸にし、無国籍人の如くしたのは、戦後の日教組ならびに貴男たち左翼主義者の反社会的、反日本的な教育ではないか。見よ、その結果現代を生きる青年たちの無気力、自己中心主義、倫理感の喪失、他人への思い遣りのなさ、どれ一つとっても人間失格ではないか。もし暗い青春というものが存在するとするなら、正に現代青年の姿ではないのか。もう一度言う、こういう青年をつくりあげたのは間違いなく君たちなのだ。反省したまえ!」

昭和史研究所会報 第120号 平成194月10日から一部抜粋

私は長い間この発言を待っていたのだ
この記事を読んでこんな発言を思い出した

戦時中が暗くつらい暗黒の時代であったという発言に、

「暗黒の時代だったのは、ソ連のために日本を裏切っていたお前たち共産党だけであって、われわれ真の日本人にとっては貧しくとも清く正しく、思いやりのある、爽やかな時代であった」と・・・

  
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2007年02月07日

◎「子供を2人以上持つこと=健全」で、いったい何が問題なのか???

親子またぞろ柳沢厚生労働相の発言を野党が問題にしている。
6日の閣議後の記者会見で、今後の少子化対策について「若い人たちは結婚したい、子供を2人以上持ちたいという(希望を持つ)極めて健全な状況にいる。若者の健全な希望にフィットした政策を出していくことが非常に大事だ」と述べた。という。

少子化対策担当としては極めて真っ当な事を云っていると思うが、野党は「子供が2人以上いない人は健全じゃないのか」(福島瑞穂社民党党首)と言葉尻を捕らえてケチをつける。

今朝のマスコミも今の風潮に乗って、柳沢発言を否定的に報道している。
これははっきり云っておかしい。
政治家が将来の日本を愁いて「家族のあり方」理想像を云うのは当たり前であり、むしろ美辞麗句、フェミニストたちに媚を売る発言を歓迎するのは極めて無責任であるといわねばならない。

産む環境をつくれとヒトは言う。これは云うは安し、行うは難しである。
国民はどういう環境をつくったら子供を産みやすいか、保育施設をたくさん作ればよいのか、子連れの職場を作ればよいのか、結局決定打は無いのである。

人間「価値観」すなわち「家族の理想像」がそれぞれ違うわけであるから、まず第一に「理想的な家族像」を国民の中に定着させることが大事。

今朝のテレビで、フランスでは働く女性で未婚の女性が子供を産んで育てるパターンが増えているといかにもそれが世界的な風潮かのような紹介をしていた。この番組なぜか福島瑞穂社民党党首をコメンテータにして最近ひんぱんにテレビに登場させている。

彼女はご承知のとおりジェンダフリーの闘士で、夫婦別姓論者でもあり、しかも伝統的な日本の家庭を否定している第一人者である。こういう輩を持ち上げて時代の寵児にするのは健全なメディアとは云えない。

では先ほどのフランスのように、未婚で子供を産むのが理想的なのか、子供には両親が揃って家族として生きる権利は無いのか、最近の学校教育のように多様化する家族と称してペットの犬は家族の一員であるけれども、おばあちゃんやおじいちゃんは家族ではないのか。

マイノリティーを保護するためサイレント・マジョリティーを無視する傾向は決して高度な民主主義とは云えない。弱者を否定するわけではないが、マイノリティーの権利を声高に主張するのはあっても良い。しかしながら最終的にはマイノリティー側の不利益の「暗黙の納得」というものがあってしかるべきではないのか。

今の日本にはマルキスト崩れのジェンダフリー一派によって、「男女共同参画」という政府の施策を隠れ蓑に「日本の伝統的家族の和」というものを否定する教育がなされている。これが一番の問題であり、国民意識の変革がすぐさま必要になっている。

そのためには世論作りと学校教育が大事である。
世論作りはやはりマスコミ操作である。
今までのように女房が夫をコケにするようなCMやドラマを自然淘汰させる世論を醸成し、日本の伝統的家族のスタイルを見つめなおすドラマを推奨する。また面白ければ何でもありの風潮を冷ややかに見つめる態度が求められる。

学校教育においては日教組(マルキスト・ジェンダフリー)や子供に迎合する教育のあり方は誤りである。いま安倍内閣は教育再生プロジェクトに取り組んでおり、教育基本法を成立させ、実行面の検討に入っている。「正論」19年3月号で桜井よしこ氏、山谷えり子氏、西川京子氏、長谷川三千子氏が国家と教育再生に関するシンポジュウム抄録が転載されている。

ぜひこれを読んで教育再生の資としてもらいたい。
「国家と教育」

http://wildhorse-depot.seesaa.net/article/32984886.html

「結婚・子2人は健全」 厚労相発言、与党内からも批判

http://www.asahi.com/politics/update/0206/012.html

2007年02月06日23時28分 asahi.com

  
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2006年11月09日

◎「闘う」同和と「和」のアイヌ民族

北海道には同和問題はない。

無いというより道民が知らないのである。

大人は北海道から本州に転勤して、子供は同和教育で初めて知る。

そこで良きにつけ悪しきに付け差別についてあらためて認識を深める。

島崎藤村の「破戒」で一躍有名になった「丑松思想」は、部落差別問題から目をそらす消極的な行動として批判の対象とされ、闘う部落解放運動を旗印にする今の解放運動が支持された。

それにより一般住民は“歴史と現状”、“差別される側の苦しみ”よりも、その激しい闘いぶりと既得権益のでたらめさにびっくりする。

彼らは差別された行為に対する憤りを個人に、組織に、公的機関に向ける。

 

元々日本の民族性は争いごとを嫌う傾向が強い。

ワアー・ワアーと騒ぎ立てる組織に嫌悪感を持ち、一般国民はいわゆるサイレントマジョリティーとなる。

そして武士の情けという言葉があるように、最後まで闘いぬいて、この組織を叩きのめすということをやらない。

安保闘争の全学連、東大の安田講堂の攻防、朝鮮総連、街宣右翼、労働組合、同和運動等々は結局はやり得となり、暴れたほうが勝ちとなる。

終焉になったとしても団交を受ける立場のものは腰が引けて、ズルズルと譲歩してしまう。

その場で治まっても団交の迫力とストレスを嫌うようになり、次回からは最初から相手ペースで団交が収拾される。

当事者、周りのものはなんと思うか。“怖い集団だ!”“あいつら!”と指を指す。

 

■アイヌ民族との共生メノコ

 北海道には特に幕末から明治にかけて悲しい歴史を持つアイヌ民族がいる。

北海道の開拓と共に和人(シャモ)と混血して純潔のアイヌ民族を探すのは難しい状況にあるが、彼らも今から半世紀ほど前までは差別問題で苦しんでいた。

本州の部落民と違って容姿が明らかに和人とは異なるため区別しやすかった(いわゆるエキゾチック)と言える。明らかにアイヌ民族の血を引いている娘さんは目鼻立ちが整っていて綺麗だったことを覚えている。

 

50年ほど前の状況であるが

心無い大人たちにより「体臭がキツイ」「メノコ(若い女)に手をつけたら最後、絶対逃げられない」「ひねくれものが多い」「根気がない」などと言いたい放題であった。

 

しかし私の高校の同級生O君は、運動神経抜群で体育系大学に進学、卒業後ふるさとに教員として戻ってきて、同期生の中で一番先に学校長をやっていた。かれにはアイヌ民族としての誇りはあったと思うが、別に気負いもみせない一般的な青年であった。

 

同じくT君はごく普通の高校生、人間的に大らかで付き合いもよく社会人になってからもよくクラス会に参加し、同期生の中で彼を避けたり、嫌ったりするものは誰一人いなかった。

クラスの中で一番好かれていたかもしれない。結局人間性の問題なのだ。

 

私の実家は整備工場をやっている

中学を出たばかりのアイヌの少年I君が整備工として入社してきた。

最初は熱心に技術を習得しようとする気構えがあり、兄たちもこの少年を可愛がり熱心に指導をしていた。確か夜間の定時制に行っていたはずである。

このころ北海道のアイヌ青年たちは夏場の観光シーズンはクマ彫りで稼ぎ、冬場は東京にガールハンティングに出かける。かれらは流行りの混血タレント風の風貌で女性に良くもてたそうである。

そんな武勇伝ばかり聞かされる多感な少年I君は油まみれの整備士に見切りをつけ、定時制卒業1年前にして退社してしまった。

 

十数年前に大阪辺りから部落解放同盟の闘士がアイヌ民族を覚醒させようと、オルグをかけたが一部の調子者を除いて、彼らの誘いには乗らず解放運動は頓挫したと聞いた。

先住民族のアイヌの人たちに土地を返せという運動は今でもあるが、大きな動きにはなっていない。

 

これが北海道の現在であり、和人とアイヌは共生している。

何故彼らと仲良くやっていけるか

・アイヌ民族は地域住民との間で実力行使をやらない

・半世紀前は別として、現在は露骨に差別的発言はされない

・混血が進み誰がアイヌなのか良く分からない

・アイヌのほとんどの者が日本の伝統的習慣に従っている

・彼らが民族意識を高めるのは民族音楽、装飾等であり、和人も違和感を感じない

・コタン(アイヌ部落)があったとしても蔑視的な見方はしていない

     アイヌだからといって特に経済的に貧しいということはない

     かれらは特権を持たない

要するに彼らは地域住民との融和を求めているのであり、挑戦的ではないということ。

結婚についても家族・一族から核家族の個人重視になっており、子供が幸せならば問題なし。

 

ただ結婚に関してこんな話もある。

アイヌ系の女性と出来ちゃった結婚をした青年がいた。

田舎じゃなかなか食えないので札幌で働くことになった。

彼は6畳2間のアパートを借り親子3人仲良く暮らしていたら、娘の父親(49歳)が田舎で失職したということで娘夫婦の所に転がり込んできた。

ところがこの親父一向に働かない。

少しは働くように父親にいったら、「親が困っているときは子供が面倒を見るものだ!」と開き直ったと言うことである。

とんでもない義父を抱えた婿殿はアイヌの娘に手を出したばかりにと嘆いたという。

これはアイヌの名誉のために言っておくが、こんなロクデモナイ親はどこにでもいるのであり、民族性には関係がない。

ことほどさように北海道は心のどこかに差別意識はあるかもしれないが、あれは九州だから、東京育ちだから程度の差別意識で特段取り上げて騒ぐほどのことではない。

 

最近の同和をめぐる醜聞は、彼らの処遇改善の行き過ぎから来たものであり、一般住民としての権利というより、強圧的手段でせしめた特権を守るところに問題がある。

北海道のアイヌ民族の「和」の生き方は部落解放運動のこれからの道しるべを示しているのではないだろうか。

部落民の敵対的な闘争する生き方は、地域住民に敵愾心を植え付けるものであり、激しければ激しいほど敵を作るものである。

いままでの「闘う」解放運動は十分に成果をあげたということで、ソロソロこの辺で手を打ち、これからは30年から50年かけて新しい運動の「和」に取り組みませんか!!!

  
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2006年07月31日

◎この国とわが国 

日本の夜明け

 

世間では愛国心と云っただけで“右翼的”とレッテルを貼る。

世界の色々な国を訪れる機会があり、その国のヒトと話す機会があった。

 

普段どんなに紳士的であっても事国家に関する意識は、

どんな国であっても他国の干渉を許さないという確固たる信念をもっている。

たとえそれがどんなに貧しくても、民度が低いと判断されようとも、一朝事あるときは当然この命国家に捧げるという。

 

ヨーロッパの国々は村々の教会に、有名寺院の壁に、戦死者を悼む慰霊の塔があり、石版があった。

そしてメモリアル・ディーにはささやかな哀悼を捧げる

まさに市民に息づいている慰霊があった。

 

日本では2000年余の長い歴史のなかで、たった一度の国家的敗北で国家というものを捨ててしまう

世界広しといえども、わが大和民族をおいて他には居ないのではないか。

 

国家って何だろう

皆さんは真剣に考えたことがありますか

リベラルといわれる人たちに「国家の安定」と「個人の幸せ」とどちらが大切かと云われたら、あなたはどう答えますか。

ハッキリ云って「国家の安定の上に個人の幸せがある」と見るべきでしょう

 

例えば イスラエルとレバノンの関係を考えて見ましょう

レバノンという国はキリスト教徒4割、イスラム教徒6割、

レバノンという国家の中にイランのひも付きのヒズボラという独立組織があり、レバノン国軍を凌ぐ私兵を持っている。

これがイスラエルと事を構える

世界で一番傲慢な国イスラエルはヒズボラを野放しにするお前が悪いといってレバノンを攻撃する。

当然一般市民が犠牲になる。

国家が安定しないから国民の幸せを維持できないのである。

 

中国という国を考えてみよう

13億の国民が美味しいものを食べ、生活水準が上がり、日本のように国民のみんながマイホームを持ち、マイカーを持つようになったらどうなるか。

世界の食物を食いつくし、石油は湯水のように使い、国家を維持するため、世界中の鉱物資源を買いあさざるを得ない。

 

そして中国は今アフリカの資源を買いあさり、中東の石油・黒海の石油を買いあさり、日本の尖閣列島の石油資源を盗掘している。そして軍事力に物を言わせてアメリカを黙らせようとしている。

それが中国という国家なのです。

 

日本には愛国心=軍国主義、靖国神社=侵略主義、国歌・国旗=戦前への回帰 等短絡思考のマスコミ、教育界がある。そして「わが国」ではなく「この国」と第三者的に日本を評価判定をする。

あなたは自分の家庭を「この家は!」といいますか「我が家」でしょう

「わが国」という入れ込みがあって初めて「日本」を愛せるのです。

 

ここに曽野綾子氏の「日本は死ぬに値するか?」というエッセーがある。 

国家というものを考える指標を与えてくれるので紹介する。

***********************産経新聞18.6.12付

■曽野綾子の透明な歳月の光 

日本は死ぬに値するか? 国なしに生きる方法ない

 

 昔、慶応大学の教授だった池田潔先生は、若い時にイギリスに留学されたすてきな方だった。自然な国際人でいながら、奥さまが初めて白髪を見つけられた日には「年を考えてみなさい。年を・・・」と言った話を書かれ、「西欧人なら、そういう時決して私のように言わないであろう。白髪があったって、君は十分に美しい、と言うに違いない。日本人の妻への労りは、一捻りも二捻りもしてある」という意味の洒脱な日本人論を書いて、日本人の心を失っていない方であった。

 

 池田先生の留学中に、王様(多分ジョージ五世)が危篤状態に陥った。池田青年が少し遅れて食堂に行ってニュースを伝えると、その場にいた学生たちは一斉に素早くポケットから小銭を出してテーブルの上においた。王様が今日中に死ぬか生きるかの賭けなのである。池田青年はその阿吽の呼吸にびっくりした。

 

 そうした一見ふざけたように見える青年たちが、しかし敢然と国のために死ぬのである。

 昔イギリスヘ行った時、イートン校には一つの記念碑があり、そこに同校出身の戦死者の名前が刻まれていたことを記憶している。その後こうした記念碑は広くどこにでもあることを知った。ミラノの終着駅には、鉄道関係者で戦死した人の名前を刻んだ碑もあるという。ヨーロッパの村々にも、住民だった戦死者の名前が教会の壁の一部とか、市の門のところとかに必ず刻まれているのである。その報恩の姿勢がなくて、国家は成り立だないだろう。

 

 死者たちは皆平凡な生活者であった。高学歴でもなく、政治的活動家でもなかった。皆、妻子を愛し、家を自分で修理し、ちょっと酒を飲み過ぎたり女好きだったりする癖はあっても、誕生日には花束を持って老いた親を訪ねる素朴な孝行息子であった。

 

 日本人は、自国が死ぬに値する国家かどうかから論議する必要がある、などと言う人もいる。私は最近、世界の各地から、日本人のシスターたちを通して、義務教育の先生たちに月給を出せなくなった国々の学校のために、何とか先生たちをつなぎ止めるだけの給料の肩代わりをしてください、という申請を整理するのに忙しい。

 

 私に言わせれば、自国民を食べさせられず、教育を確保できず、難産で死なせ、エイズの治療もできない国など国ではないと思うが、そんな国はいくらでもあるのである。日本は、十分に国民を生かすことのできる成熟した国だ。

 

 その日本が死ぬに値するかどうかは、私が決めることではないが、国王の死を賭け事の対象にしたエリート学生たちは、愛する家族を守るために、誰よりも真っ先に国のために死んだはずである。人はまだ国なしに生きる方法を見つけていないからだ。

    

  
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2006年07月04日

◎日本人の美学は武士道精神から

日本の母親 愛の鞭いま「文藝春秋」特別版で「私が愛する日本」の特集を出しているので、さっそく買って読んだ。
日本人の美学については色々な見方がある。

 

ノンフィクション作家・梯久美子の硫黄島指揮官栗林中将に関する美学については、玉砕型指揮官としてではなく任務完遂型指揮官として散ったことに対して共感を覚えたとある。

 

軍人と言えば直立不動、融通性なく四角四面で、一般社会では使いものにならない。

任務遂行のためには非情になることもできる。というイメージを植えつけられている。

 

一般的な軍人のイメージは戦後のGHQの統治政策のなかでつくられたものではないかと私は思っている。
中国・韓国やマルキストたちのいう極悪非道の軍人像は、追い詰められた極限の負け戦の中で人間性を失ったごく一部の軍人を取り上げているのではないか。

 

沖縄戦史を読んでいると軍人が身を隠している洞窟に民間人が入ってくる。

民間人は洞窟から出ろ!と追い出されたと言う

軍人たちは自分可愛さに民間人を見殺しにしたというが本当であろうか。

後に書かれた戦争小説は軍人=悪人、民間人=正義のヒト=すべて真実のステロタイプで書かれている。

民間人を戦闘行為の巻ぞいにしないために追い出したと言う場面があっても良いのではないか。

 

現に沖縄本島の国頭地区には日本軍が配置されておらず、この地域に逃げ込んだ島民は戦闘の巻き添えにならずに済んだ。一方日本軍が配置されていた島尻地区は悲劇の地となった。

 

いま曽野綾子が書いた「沖縄戦・渡嘉敷島〈集団自決〉の真実」が再発行されている。

そこには戦争で被害にあった住民の生活を守るために真実を曲げて、軍人を悪者にしたとある。

そのために命を懸けて国民を守った軍人たちも悪というレッテルを貼られ、無念の涙を流して死んでいったのである。

 

江戸時代の侍魂を受け継いだのが明治の軍人たちであり、軍隊と言うものは国民教育の場であった。

国民皆兵で日本中から軍人になり、除隊して地域の指導者に根付いたのである。

すなわち日本人の価値観を共有したのが軍人教育であった。

その教師足るべき軍人が、民間においては善良なる臣民であった日本国民が、日本人を見捨てるであろうか。

素朴な農耕民族であった日本人に、大陸の狩猟民族の残虐性は似合わないというのが私の持論です。

 

どんな集団でも2割の異端児はいる。

その2割がヤケッパチになって不届きなことをしたかもしれない。

しかし残り8割は立派に軍人としての任務を遂行したと信じている。

 

私は「日本人の美学」の源は「武士道精神」にあると思っている。
私たちが母親から躾られた「ヒトに迷惑をかけない」「嘘をつかない」

「弱いもの虐めをしない」「挨拶をしなさい」

「正直でありなさい」「勇気とやさしさと責任」等々

これらは武士道精神から発したもの。

大の男がか弱き母親に叱られ、そしていつまでも母親を尊敬していた。

そこには「優しさと厳しさの凛とした母親としての美学」があり、それが日本の母親である。

 

家庭における支柱は一般的に父親であり、母親のバックボーンに父親の存在があった、
古き善き時代の日本には自分の役割をしっかり認識している父がおり、母がいた

そこに「日本人のシステムとしての美学」の原点があった。

 

私は仕事柄長い期間に亘り米国人と付き合うことが多かった。そして最近は諸外国に行く機会があり、その国の歴史を勉強し色々な人種と彼らの生き様を見てきた。

世界には色々な人種がおり一概には言えないけれど、彼らと比較して「日本人は美しい民族」だと確実に言える。

 

  
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2006年06月18日

◎“蕎麦(そば)を音を立てて美味しそうに食べる”のは熊さん、八ッつあんの世界

蕎麦私は世の常識と言われていた“蕎麦を食べる時のズルズルにはどうも馴染めないな!”

と思いつつ今日まで来てしまった

 

ところが「日本の風俗の謎」樋口清之著に

それは江戸下町の下層階級 熊さん、八ッつあんの世界の話であると書いてあった

 

もちろん将軍や大名の食べる御前ソバは音を立てないし、

女性も音を立てないで食べるとあります

関東ではソバだけは音を立ててよいことになっているが、

関西ではソバでもうどんでも音を立てるのは非礼だそうである

 

関東ではなぜソバの音が許されるのかと言えば

これはおっちょこちょいでお馬鹿さんでヒトの良い江戸っ子の、

何でも早いことはいいことだという価値観の

一種のダンディズムとあります

またソバは粉にひいて熱湯を加え練り上げて、そばを作るから消化には問題がないとのこと

 

ソバは本来庶民の食べ物ですから、屋台が多く立食が一般的です

立って上からすすり込むと早く食べられる

(早ければカッコいい! 早メシ、早Gソ、芸のうち というのがあったなあ!)

当然ズルズルと音がする

 

和食はクチャクチャ音を出して食べるものではないが

落語、講談の世界でこの形が一般的となり、

ソバだけは音を立てても良いということになったのです

ついでに言うならば、音に立て方にも美意識があって、

一、二、三でスッ、スッ、スッと飲み込んでしまうのがカッコよいのだそうだ

 

理由は判った

しかし、ズルズル音を立てなくともソバは美味ければ良いという、

頑固者がいても良いのではないかと思う今日この頃でした・・・

 

 

  
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2006年06月02日

◎民間人に駐車監視員の強権をもたせるのは筋違い

駐車監視員6月1日から民間業者の駐車監視員を使った取締りが始まっている

警察の補助的手段として民間を使っているとのことであるが

だんだん筋が通らない変な世の中になってきたなと感じている

 

警察が自分たちの権力を民間に委譲してどうする気だ

世界的な傾向だから日本でも問題がないと考えているかもしれないが、

元々日本人は権力を傘にしてヒト様にああしろこうしろというのはあまり好きな民族ではない

韓国朝鮮や中国とは体質的に違うのである

今のところ人為的トラブルは起こっていないかもしれないが、いずれ起こるであろう

 

少し本質的なことを考えてみよう

彼ら監視員には警察のような権力はあっても権威はない

ゆえに罰せられるほうは隣のオジさんから罰金のステッカーを貼られるようなものである

ところで彼らは自分の親戚筋、日頃お世話になっている方、

福祉活動で一所懸命やっているヒト、自分の息子の上司にステッカーを貼ることができますか

ついでに言うならば

ヤクザや暴走族にステッカーを貼れますか

貼られるほうは警察官だからクソ野郎と思っても納得するのです

それがなんぼ警察から委託された民間会社だと威張っても納得するヒトは少ないでしょう

そこに元気の良いオジさんだったらパンチの一発でも入れるかも知れません

 

ただ日本人も韓国人や中国人と同じように、

事大主義的なところがあって他人に罰を科したり、

相手が下手に出たらこんな楽しいことはないのです

 

昔こんなことがあった

米軍基地に雇われていた日本人労働者がいた

当時 日本人はまだ貧しく、米国との戦争に負けた日本の男どもは腑抜け状態の

いわゆる外人コンプレックスにかかっていた時代があった

 

ところが何を勘違いしたのか

米軍に雇われている日本人が一般の国民を見下す態度に出た

ただ米軍に雇われている基地の門番がである

また米軍と同じPX(米軍専用の店)やオフィサー・オープンメスと言われる将校専用のクラブに、出入りできる特権を持った日本人は優越感に浸っていたことは隠せない事実である

当時オンリーといわれた米国軍人の現地妻(日本人のパンパン)までが、

貧しい日本人の食生活を見て優越感に浸っていたのです

 

このように日頃持ったことのない強い公的権力を行使できることはこんな面白いことはないのです

それとまた危惧することは本来真面目な日本人であるから、四角四面の妥協しない処置をするだろう

いままでの警察はさじ加減を知っていたが監視員にはできないだろう

もしやったら腐敗の第一歩になるのです

 

「お代官様 お目こぼしを!」とすがって泣いた百姓は、お許しをいただいた時点で後ろに回ってペロリと舌を出していたが、それが世の中の潤滑油でもあったわけです

このように権力には権威が必要であり、国民が納得するバックアップが必要なのです

わたしはこの制度は上手くいかないと思っている

 

*************************(毎日新聞web- 622015分更新

<駐車監視員>取り締まり初日は全国で965件

 警察庁は2日、改正道路交通法の施行に基づきスタートした民間の駐車監視員による取り締まり状況を発表した。初日の1日は全国264警察署の管内で1593人の民間監視員が965件の取り締まりを行い、標章(ステッカー)を車両に取り付けた。
 県別では、東京が最も多く181件、続いて大阪168件神奈川105件愛知81件千葉68件――だった。警察官も合わせた取り締まり件数は4744件。昨年中の1日当たり約5700件より約1000件少なかった。
 違法駐車の状況は、千葉、福岡両県の都市部で激減したことが確認された。千葉市のJR千葉駅前の道路約300メートルでは、施行前の5月29日に21台が確認されたが、1日は1台だけだった。福岡市中心部の明治通り約250メートルでは5月29日は69台だったが、1日は12台だった。
 なお、1日は9都道府県で監視員の携帯端末の不具合が起きたが、2日は同庁に機器のトラブルは報告されていない。【遠山和彦】

 

 

  
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2006年05月03日

◎日本国憲法の成立過程に立ち返る

マッカーサー

53日は憲法記念日

私は祝日には国旗を掲揚しているが、今日だけは日の丸を揚げたくない日である

なぜなら日本国憲法は「マッカーサーによる、マッカーサーのための、マッカーサー憲法である」

という「占領下憲法」であったからである

当時極秘裏に検討され、憲法策定の経緯を知らない日本国民は新しい日本の門出として素直に祝ったのである。

しかしこの憲法には落とし穴があったのです

 

マッカーサー最高司令官から憲法改正の指示を受け、明治憲法を土台に改正案をまとめたが、GHQに拒絶され、占領軍のリベラル素人集団がマッカーサーの父親が作った「フィリピン支配のための植民地憲法」を土台に1週間で作り上げた

そのまま日本国に押し付け、国会と言う見せ掛けの手続きをとり、日本国憲法として成立させたのである。

 

しかも新憲法施行日の昭和二十二年五月三日はGHQによる占領下にあり、屈辱の東京裁判開廷日にあわせて施行日とされたのである。

 

憲法96条「各議院の総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」という憲法改定が簡単にできない文言にして押し付けたのである。

 

*******************「祝祭日の研究」p68〜p71から一部抜粋

 

日本は昭和二十年八月十四日にポツダム宣言の受諾を決めて敗戦、以後、戦勝国である連合国軍の支配を受ける。連合国軍のダグラス・マッカーサー最高司令官はこの年の十月十一日には幣原喜重郎首相に対し、憲法改正を事実上指示する声明を発した。

 それまで日本政府の首脳陣も、美濃部達吉博士ら高名な憲法学者たちも、明治憲法のままでも、ポツダム宣言でうたわれた民主主義による新しい日本を作ることは可能だとし、憲法を変える必要はないというのが大勢だった。

 とはいえ連合国側の意向に逆らえるわけもない。政府は十月十三日に、松本蒸治国務相を主任とする憲法問題調査委員会を作った。

 この松本委員会は翌昭和二十一年二月までに早くも改正案をまとめた。作業は一切非公開で行われたのだが、二月一日には毎日新間がこれをスクープした。

 

 それによると、改正案は明治憲法から天皇の権限を制約する一方、議院内閣制を導人、さらに臣民の権利を拡充するなどとしており、委員会としてはこれで連合国側が求める民主化が実現できるとしていた。

 しかし、毎日新聞でこの松本案を知ったマッカーサー最高司令官は直ちにこれは受け入れられないと断定する。そして、二月三日にはGHQのホイットニー民政局長に対し、民政局で独自に憲法草案を作るよう指示した。

 アメリカ軍の軍人を中心に集められた二十五人のメンバーは翌四日から極秘裏に作業に着手、「リンカーン誕生日の二月十二日に」という指示どおり、十日には実際の憲法とほぼ同じ内容の草案を作り上げる。わずか一週間の作業で日本の戦後を決める法案ができたのである。

 しかも二十五人のメンバーはほとんどが軍人で、弁護士資格を持つものはいたが、憲法の専門家はひとりもいないという素人集団。二四条の「家族生活における個人の尊厳と両性の平等」を起草したゴードン・ベアテ・シロタ女史はまだ二十二歳だった。

 GHQの中でこういう草案が作られていることを、日本の政府は全く知らなかった。十三日になって外務大臣公邸で、草案を突然手渡された松本国務相や吉田茂外相らはもちろん驚いた。

 しかし、草案を持ってきたホイットニー局長は、これを受け入れるほかに日本が生き延びる方法はないとまで強く迫ったのだという。

 もっと驚くことには、こうした草案策定の過程を国民が知らされなかったということである。GHQが昭和二十七年に日本が独立を回復するまで検閲を行い、そうした事実を報道することを禁じたからである。

 日本の祝日の中に、わざわざ憲法記念日が設けられた背景には、こうして生まれた憲法を何とか国民になじませなければならないという事情があったのだ。

 GHQの手であわただしく作られた日本国憲法の草案は昭和二十一年六月二十日開会の帝国議会にかけられた。

 若干の修正をした後、同じ年の十月六日に貴族院、七日に衆議院で可決、枢密院での議決を経て明治節(明治天皇の誕生日、後に文化の日)の十一月三日、公布された。

 それからちょうど半年後の昭和二十二年五月三日が施行日となった。

 その二十二年五月三日、作家の永井荷風はその日記である『断腸亭日乗』にこう書いている。

「雨 米人の作りし日本国憲法今日より実施の由 笑うべし」

 

 

  
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2006年05月02日

◎団塊の世代と無責任世代

団塊の世代とは

昭和22年から昭和24年(28年という説もある)頃までの世代 

戦後のベビーブームの世代である

この世代のキーワードは「全共闘受験戦争、競争、ジーパン、ニューミュージック、ニューファミリー」などで新しい価値観、生存競争などのイメージがある。

 

日本人の価値観として「責任感」「礼儀」「義理人情」があるが国民に「責任は取らなくていいもの」と深く印象付けたのが全共闘世代だった

 

431月の「米原子力空母エンタープライズ寄港阻止闘争」、同年2月から4月の「米軍王子野戦病院開設阻止闘争」、同年10月「国際反戦デー統一行動」では、新宿駅構内に侵入して関係施設を破壊し、騒ぎで集まった群衆をも巻き込んだ「新宿騒擾事件」4611月の「渋谷暴動事件」「日比谷暴動事件」と一連の騒擾事件を起こしている。

 

昭和43年の東大紛争で、安田講堂の攻防で立てこもった全共闘の連中は「命を懸ける」「講堂を死守する」と大言壮語しておきながら機動隊に強制排除されたとき、誰一人として死んだものもいなければ、半死半生のものもいなかった。オメオメと逮捕されて生き延びている。

 

私はこれにはガッカリした

立てこもっている奴らはコンクリートの塊を投げ落として、警官を殺すくらいだから相当に根性ある人間ばかりと思っていた

 

かれら全共闘の学生は口先だけの腑抜け野郎だと決め付けた

あれだけ世間を騒がし、国民の財産を破壊し、公僕を傷つけた責任も取らず、その後政界、官界、教育界、マスコミ界、法曹界等 国家の骨格とも言うべき部署に入り込み、それぞれの組織のトップになりつつある。しかし世のリーダーとして、無責任の風潮を生み出した罪は大きい

 

一番始末が悪いのが全共闘シンパを含めて左翼思想を捨てたから運動を止めたわけでなく、食えなくなったから就職したに過ぎないのである。

最近特に目立つのは官界・政界・教育界・マスコミ界・法曹界がネットワークを組んで、やっていることは左翼政策の実現である。

・男女共同参画(ジェンダーフリー)

・人権保護法

・裁判員制度

外国人参政権付与

  靖国神社の代替施設等々

これら全て昔左翼勢力が主張していた政策である。

こうやって国民の首を徐々に絞めて住み辛い日本を作っているのである

彼らは良かれと思ってやっているから始末が悪い

 

我々はものごとの本質を十分見極め、彼らの無責任体質をチェックしていく必要がある。   
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2006年04月27日

◎ 韓国起源論を刷り込まれる韓流おば様たち

ペと日本のおばさん最近韓流にハマルおばさんたちの発言でビックリしたことが二つ

その1は 先日実施されたWBCの対韓国戦に関しての街頭インタビューで「貴女は日本と韓国ではどちらを応援しますか?」と問われて「ヨン様の国だから 韓国かな!」

通常、日本人であれば「日本を応援する」と答えるであろうと期待していたのだが・・・

 

その2は 韓流にハマッているという40代のオバ様たちの会話

「お茶とかお花は韓国から伝わったんだそうね!」

「折り紙や錦鯉もそうだって言うじゃない!」

「さすが ヨン様の国ねえ!」

 

オイオイ 冗談じゃないよ!

と思いつつもここまで日本は刷り込まれてしまったかと暗澹たる思いになった

最近の新聞でもアメリカのワシントンにある桜並木の原産地は韓国の済州島だと世界中に吹聴している

http://blog.livedoor.jp/wildhorse38/archives/50428694.html

 

このほか韓国が起源だと騒いでいるのが、気がついただけで剣道、空手、柔道、合気道、寿司、盆栽、日本刀、サムライがある

剣道はコムドといって韓国剣道でオリンピック競技にしようとしている

http://www.geocities.co.jp/Athlete-Acropolis/6963/kumdo.html

 

オリンピック競技になったテコンドー(韓国空手)は元々日本の空手(松涛館流)に弟子入りしていたものが帰国して軍隊空手として採用され「韓国式空手」というのをやめて「テコンドー」と命名した

昭和30年代アメリカでは「韓国式カラテ」としてやっており、未熟なものでも直ぐに「ブラックベルト」を出すので急速に広まったと現地で教えていた日本人空手家が嘆いていたのを聞いたことがある

http://members.at.infoseek.co.jp/koreawatcher/docs/webzine2.htm

とにかく彼らの起源論を見るのも一興か・・・

http://www.nandakorea.sakura.ne.jp/html/kigen.html

 

日本の伝統文化ばかりでなくお菓子からコミックから車のデザインまで何でも日本からパクッているのです

サムソン電子がなぜあれだけ業績を上げたかといえば、半導体部門で世界の最先端を走っていた東芝に目を付け、東芝の技術屋を接待付けにして機密の技術情報を提供させ、最後に高い契約金でヘッドハンティングをして、美味しいところを盗んだのです。これほど露骨にやられても日本は韓国批判をやらない国なのです。

 

なぜ韓国はこのように日本の文化を貶めるのだろう

それは中華文明を師とし、中国のものは最高のものであるという儒教の教え“事大主義”から抜けきれないため朝鮮のオリジナリティーを発揮できなかった。

 

朝鮮と日本の大きな違いは

朝鮮は中華文明の中にドップリ浸かって中華の外に出ることは一番弟子としては考えられなかった

日本は聖徳太子の「日出ずる処の天子・・・」以来中華は学問としては受け入れたがシステムには取り入れなかったところに独自性があるのです

 

韓国の主張する儒教的序列では日本の上だと思っているから(韓国の思い込み、日本はまったく無視)弟分の日本が自分たちより高い文明を持っていることは朝鮮民族の自尊心が許さないのでしょう

 

これからも国が存続する限り日本に難癖をつけてくるでしょう

日本は鷹揚に構えるのが大人と思っているがとんでもないことです

彼らは世界中に賄賂とヒステリックな自己主張を重ね「ウソも百回言えば本当になる」精神でやり続けますよ

「ヨン様 命」のお母さんたちが既にスリコマレテいるのですから・・・

 

マンガ嫌韓流2マンガ嫌韓流の真実!
別冊宝島『嫌韓流の真実! 場外乱闘編』

  
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2006年04月19日

◎ 盗まないという美徳

若者と日本の夜明け

    ある古代史関連の本を読んでいたらこんな文章が出てきた

「婦人淫せず、妬忌(とき)せず。盗窃(とうせつ)せず、諍訟(そうしょう)少なし。」

意味するところは(婦人は貞操観念が堅く、妬んだりしない。盗みをするものも少なく、訴えごとをするものもすくない)

 

何の本だと思いますか

実は魏志倭人伝(250〜300年)に書かれていた倭人(日本人)に関する一説です

この“盗まない”ということは、それから1000年余りも経った1550年頃のフランシスコ・ザビエルも「キリスト教信者の地方にあっても、そうでない地方であっても、盗みについてこれほどまでに節操のある人々を見たことがありません」と言わしめ、それから300年も経った明治維新前後に日本に来た外国人もこの点に大いに驚いたと記しています

 

日本人にとって「盗まない」ということはゴク普通のことであっても、外国にとっては盗むということが日常茶飯事のことであったと言えるようである

 

北海道の稚内、小樽、根室などのロシア漁船の入る港は、一般家庭が外においてある自転車を盗まれることが多い、捕まったロシア人の多くは大事なものであれば当然家の中に入れておくものだ。これは持って行っても良いと言っているのも同然だ

ロシアでは当然そうしているという、これについては妙に納得したりして・・・

 

ヨーロッパの観光地ではスリや窃盗、売春を生業にしているロマ人(ジプシー)が多いし、観光地では食えない難民が観光客のカバンを虎視眈々と狙っている。マドリードではホテルに着いても警備員が配置につかなければ下車させてくれなかった

 

ドン・キホーテで有名な風車のある街のみやげ物屋でのことである

日本人客がお店に入りみやげ物を選んでいた

ところが売り子のオバさんはレジ打ちをやるより、我々に品物を盗まれないかが心配で鋭い眼差しを何度も投げかけていた

我々日本人は口々に「なんて女だ、俺たち日本人を何だと思っているのだ!」「俺たち日本人が盗みをするわけがないではないか!」「われわれに対する侮辱だ!」と怒り狂っていた

 

だがそれは日本人社会で言えることであり、日本人だけに通用する論理なのです

 

いま日本は治安が悪くなったといいます

その大半は外国人犯罪です

「韓国武装スリ団」「サムターン回しの中国人窃盗団」「麻薬犯罪のイラン人」「新宿暗黒街のナイジェリアマフィア」「中国人の不法入国」等

今や今までの「犯罪の少ない安全な日本」ではなくなっているのです

 

さらに問題は今の若い人たちは社会の甘やかしから軽犯罪を犯罪と認識しなくなったことです

「盗むことが悪いと言うよりも、盗まれるほうが間抜けである」と言う論理が大手を振って歩き始めたということ

 

我々日本人が有史以来延々と受け継いできたDNAともいうべき「盗まないという美徳」をいかにして守り、子孫に受け継がせるか真剣に考えるべき時である

 

 

 

 

  
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2006年04月16日

◎古代史は朝鮮史観から脱却を!

広開土王の拓本歴史的発見 先日の読売に「好太王碑(中国吉林省)の最古の拓本が中国で発見され、倭(日本)との関係を示す記述が、旧日本陸軍が大手した拓本と一致した」と報道された。

実は戦後長い間朝鮮系学者、反日的学者のグループが皇国史観からの反動で今まで定説とされてきた日本の古代史は全否定され、朝鮮を主体とする朝鮮史観に古代史学会は支配されていた。

 

これに否定的学説を主張すると皇国史観に毒された右翼学者というレッテルを貼られ、すべて朝鮮・韓国の主張が正しいとして、日本のための古代史は子供の教科書からも駆逐されていった。

 

昭和60年代に子供の歴史教科書をみて愕然とした。

そこには日本は常に周辺諸国に迷惑をかけた国で、伊藤博文を暗殺した韓国のテロリスト「安重恨」、狂信的キリスト教徒で3・1独立運動の象徴的首謀者「柳寛順」が日本の教科書に紹介されていた。

彼らは韓国の英雄であっても日本から見れば犯罪人である。違和感を感じていたのは私だけではなかったと思う。

 私が子供の頃習った百済(くだら)は百済(ひゃくさい)に、新羅(しらぎ)は新羅(しんら又はシルラ)として、子供たちに教えられていた。

 

昭和47年発行の「日本史事典」旺文社 歴史教育研究所編の西暦・年号対照年表には、応神天皇以前の初代神武天皇から14代仲哀天皇が省かれており、事典の本編には神功(じんぐう)皇后は新羅遠征をしたといわれており4世紀後半の伝説的人物としか書かれていなかった。

 

今回の好太王碑最古の拓本を発見されたことにより、大和民族の古代史関連は自信を持って読むことができるようになった。

 

●朝鮮系学者の論法

「朝鮮民族の自尊心を傷つける説は許さない」、

「こんなことがあるはずがない」、

「日本に対してはこうあるべきだ」、

「いままでの積み上げや根拠となる文献は関係ない」、

「政治的にこう決着をつけたのだから我々の主張が正しい」

これが彼らのやり方である

 

このような論法で築かれた歴史観は全てにおいて見直しを図るべきと思う。

日本人学者が背負っているしょく罪意識は正しい歴史観を再構築するためには“百害あって一利なし”

を肝に銘ずるべきである

************************読売新聞18年4月14日から引用

○好太王碑最古の拓本発見

旧日本陸軍大手のものと一致

吉村明大教授「改竄(かいざん)論争に終止符」

 

 古代日本の朝鮮半島進出を記録した好太王碑(中国吉林省)の最古の拓本が中国で発見され、倭(日本)との関係を示す記述が、旧日本陸軍が大手した拓本と一致することが、中国社会科学院の徐建新教授(日本古代史)の研究で分かった。

これによって、1970年代以来論争が続いてきた、旧陸軍が碑文の内容を書き換えたとする「碑文改竄説」は成立しないことが確定的となった。

 好太王碑には、「391年以来、倭が海を渡って、百済や新羅を破り、臣民とした」とする記述がある。この碑文の拓本を、1883年に旧日本陸軍参謀本部の酒匂景信が大手。参謀本部が、4世紀に日本が朝鮮半島南部を支配していたと解読した。

 戦後になって酒匂の拓本の信頼性が疑われ、李進煕・和光太名誉教授が1972年、「近代日本の半島進出を正当化するため、都合のいいように旧陸軍が改変した」と主張。日本、中国、韓国、北朝鮮4か国の研究者の間で太論争となった。その後、改竄を否定する有力な説も出たが、実物の検証が困難な状況で、決着には至っていなかった。

 東アジア各国に散在する約50種の拓本を実際に確認する作業を続けていた徐教授は一昨年、それまで最古とされていた酒匂の拓本より古い1881年作成の拓本を、北京の古物オークションで発見。

酒匂拓本とともにパソコンに取り込んで比較したところ、意図的な書き換えの痕跡はないことが判明した。その成果は今年、『好太王碑拓本の研究』 (東京堂出版)として発表された。

 徐教授は「これで、皇国史観からも軍の関与を証明するための研究からも脱却し、好太王碑が4〜5世紀の東アジア史を解明する純粋な歴史資料として位置づけられるだろう」と自らの研究の意義を強調した。

 ただ、碑文の解釈については、倭を打ち破った好太王の業績を誇張するために、倭を実際よりも強大な勢大として記述したとの説が強く、敬意が否定されても古代の日本が朝鮮半島を支配していたかどうかの問題を決着させることにはならない。

 吉村武彦・明治大教授(古代史)は、「拓本には信憑性があり、長年の論争に終止符が打たれたと言える。パソコンの画像で比較するという10年前には考えられなかった手法で、IT時代ならではの成果だ」と評価する。

 一方、李名誉教授は「拓本に付随する書き付けの記述を、製作年代の根拠にしているが、本物かどうか疑問が残る。まだ疑惑が払拭されたわけではない」と反論している。

    

 

●好太王碑 広開土王碑とも言う。現在の中国東北部から朝鮮半島北部を統治した高句麗(紀元前後〜668年)の好太王を顕彰するため、没後2年の414年、吉林省集安市に建立された。高さ6・2メートルで東アジア最大の墓碑。

王の戦績など約1800字が刻まれている。1880年に中国(清)の役人が発見した。近くにある古墳群とともに世界遺産に登録されている。

  
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2006年01月06日

◎ 「国家の品格」の祖国愛

いま話題のベストセラー「国家の品格」は追及すべきは偏狭な愛国心ではなく「パトリティズムの祖国愛」だとして、愛国心と言う言葉を否定的に扱っている

藤原氏はナショナリズムは政治家や官僚が持っていれば良いと主張しており、一般国民が国益追求のナショナリズムを持つべきでないといっている。

 

しかしこれは納得がいかない

祖国愛や国益主義を意識する時は国家対立や国家間の経済戦争のときではないのか

普段は祖国愛だとか郷土愛などは心の中で感じていればよいのであって、表に出す必要もないのである。

パトリティズムとナショナリズムをバランスよく意識するべき問題であって分けて考えるべきでないと思う。

 

私と藤原氏の違いは祖国愛の構成要素は問題がなく、「国益追及」に対する考え方のみである

 

05年10月25日に◎健全な愛国心は祖国愛をベースにした国益追及のバランスで私の考え祖国愛を紹介している。

 

 

 

 

  
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2006年01月01日

◎お正月行事のいわれ

お正月「明けましておめでとうございます」

年が替わっただけで何で「オメデトウ」というのかなという素朴な疑問がありました。

でも深くは考えずに今まで来てしまった。

実はこれは相手の人間に対して言う言葉ではなく、「歳神さま」を称える言葉なのである
新しい息吹と瑞々しい活力を与えてくれるその霊魂を祝福しているのである

というウンチクも時々入れて今年もブログを書いていきたいと思う。

 

***************************「日本の風俗の謎」樋口清之著から引用

○お正月行事

おせち料理、若水、屠蘇、お年玉の起源

 

 節供(句)とは、季節の変わり日、すなわち節日に食物を神に供えて健康を祈願する日です。

 五節句というのは、人日(じんじつ)(一月一日)、上巳(じょうし又はじょうみ)(三月三日)、端午(たんご)(五月五日)、七夕(七月七日)、重陽(九月九日)、の五つです。

 そのほかに八朔(八月一日)、冬至、彼岸、お盆などがあり、みなこれを節日といいます。

 

 節供とは元来、神にお供えする供物のことでしたが、いつの頃からか、節目のことを節供というようになりました。

 

 節供に作る料理を「節料理」あるいは「おせち料理」といいます。現在では正月節料理のことを指しておせちといいますが、本来、節日に作る料理はみなおせちなのです。

 正月のおせち料理は正月期間、神を迎えるために,一切の家事労働を休むための保存食です。

またこれから春を迎えるために体力をつけようという知恵の産物でもあります。餅も、おせち料理と同じ発想からお正月に食べられます。餅を雑煮にし、重箱に詰めたおせち料理を食べて、精進するわけです。のちには婦人を家事労働から解放するための保存食という考え方も出てきます。

 

 さて、おせち料理の内容は、栄養補給の面からみれば、なかなか捨てがたいものがあります。

蛋白、脂肪、炭水化物が豊富な今日では、おいしくないという理由であまり好まれませんが、農耕社会が生み出した、正月休養と栄養補給のための知恵であったわけです。

 またお屠蘇も正月の飲物としては欠かせないものです。お屠蘇は薬草の入った酒のことで、中国にその起源が求められます。名前の由来は鬼気を屠絶し、人魂を蘇生させるところからきたといわれます。

 

 日本では平安年間からその習慣が始まったことが認められますが、一般に受け入れられたのは江戸時代のことです。また正月には若水を飲む習慣もあります。若水とは元来立春の行事でしたが、いつしか元旦の行事に変わってしまいました。若水は、新年の初めに、新しい水を汲んで飲み、生気を蘇生させる役割を果たします。水は井戸の水でかまいませんが、これを汲むのは、年男の仕事です。日本の元旦は、朝起きるとまず、若水を汲んできて飲み、神への礼拝をすませてから屠蘇を飲み、それから雑煮とおせち料理を食べるところからはじまります。

 

 また、現代では子どもたちにとって、お年玉の習慣は、お正月最高の喜びとなっています。元来、お年玉はお年魂(おとしだま)といって、神からいただく、新しい魂ということです。転じて、人間同士で魂を再生産する言葉をとり交わしたりするようになり、現在では圧倒的に金銭が多くなりました。

  
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