2006年07月24日

◎時代は巡る 軽さの変遷

若者たちいつの時代にも「最近の若い者は・・・!」という言葉がある

今の高校生は

躾が出来ていない

だらしない

挨拶ができない

ヒトの話を聞くことが出来ない等々

ボロクソに言われている

 

それでは彼等の躾に関する責任がある親の世代はどんなであったろう

40歳前後とすれば

18年前彼等の青春時代は

羽根つき扇子(通称、羽根扇やジュリ扇とも呼ばれる)とボディコンでハードコア・テクノやパラパラにのって同じ踊りを踊っていた1980年後半から1990年代前半

 

その少し前の1979年(27年前)には中学生、高校生を中心に東京原宿代々木公園横に設けられた歩行者天国でラジカセを囲み、ディスコサウンドにあわせて独特の「竹の子族ダンス」を踊る竹の子族たけのこぞく)が幅を利かせていた

 

その又、親すなわち爺ちゃんと婆ちゃんたちの青春時代はどうであったかといえば

38年前、グループサウンズ全盛期の1968(昭和43年)には、ブルーコメッツ、タイガース、失神者が現れ、社会現象にまでなったオックス (OX)、などが、甘くメルヘンチックなルックスと歌声で多くの少女ファンを夢中にさせた

 

42年前の1964頃からアストロノウツザ・ベンチャーズがブレイクし、寺内タケシとブルージーンズなどがサーフミュージックを演奏していた(通称、エレキ)。

 

49年前1957年のロカビリー・ブーム。ジャズ喫茶から始まったそのブームは、様々なロカビリー・シンガーを生んだ。例えば、ミッキー・カーチス平尾昌晃山下敬二郎など。彼らが出演する第一回日劇ウェスタン・カーニバルは、19582に開催された。

 

戦後60年すっかりアメリカナイズされた日本

今の若いもんはと教訓事項を垂れ流す60代70代は自信がない

小泉首相・石原慎太郎都知事は「太陽の季節」の時代

まさにロカビリーで踊り狂っていた時代である

 

偉そうなことは云えないけれども誰かが言わなければ歯止めがきかない

  

Posted by wildhorse38 at 23:55Comments(0)TrackBack(0)

2005年04月02日

◎美学を捨てた女たち

女子高生地下街の階段に座り込んだ若い女の子が足を広げて鏡を覗き込みながらマスカラをつけていた。
その姿はまったくの無防備な姿をさらけ出していた。
いつの頃からか電車の中、デパートの休憩コーナ、公園のベンチのいわゆる公衆の面前で化粧する女たちが増えている。
 
そして男の子に対しては呼び捨てにしながら、同姓に対しては「さん」で呼ぶ、しかし使う言葉は下品な男言葉
清潔感あふれる上品な大和撫子はどこを探しても見当たらない。



新・国民の油断 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす
話を聞かない男、地図が読めない女―男脳・女脳が「謎」を解く
ブレンダと呼ばれた少年―ジョンズ・ホプキンス病院で何が起きたのか

何故人前で化粧をしてはいけないかについて後段で語ります。

17・8年前から気づいたことであるが、一所懸命に努力する子供はシカトされ、言葉の綺麗な子供もいじめに合う。
女の子が男の子を圧倒してだんだん乱暴になってきたと・・・
バブル以前からかもしれないが30代40代のお母さんたちが自分の娘たちの世代と競い合って若造りに夢中になって、権威ある母親よりも女でありたいと願うようになった。

特に最近になって気のつくことであるが20代半ばの女性たちが社会的決め事を無視したり、平気で公徳心のない行動をする姿の多くなってきた。
TVに良く出ていたジェンダーフリーの旗手で元法政大学教授の田島陽子氏、東大教授の上野千鶴子氏等女性学の信奉者たちの発言の下品さに世の女性たちは喝采をし、男性は益々萎縮していく。

この現象は冷戦構造が崩れて、生き場所を失ったいわゆる隠れマルキストたちが人権・環境・ジェンダーに走って、連綿と続いてきた日本の伝統と文化を否定し、社会秩序を破壊することに自分たちの生きる道を見つけたのである。

ここで「化粧の美学」について考えてみたい。
人間誰しも美しくありたいと思うものです。
人間にとって一番醜い姿はいわゆる『無防備』な姿すなわち何かに夢中になって外敵から狙われやすい瞬間です。それは大便をしている姿、食事をしている姿、化粧をしている姿、SEXをしている姿であります。いわゆる傍から見ていて『間抜けな姿』なのです。だから昔から人前で鏡を持つものではないと躾けられたのです。

女子高校生のオシャレについて
時間外制服姿で歩いている女子高生のほとんどが化粧をし、胸のホックを外し、スカートをたくし上げ精一杯の露出をしている。
一昔前だったら個性的と言おうか異端児としてのオシャレだったと思う。
しかし今の時代皆さん同じ格好をしているだけで個性的でもなんでもない姿なのです。

本当のオシャレとは個性的で、自分の美点を分かっており、さりげなくその美しさ見せるものなのです。10代の肉体的美しさは何もさらけ出さなくとも十分美しいのです。チラリズムの世界が美学の極致なのです。

言葉のオシャレについて
昔は清潔感溢れて上品な大和撫子ばかりが周りにいたから、ボーイッシュな服装をし、男言葉を使うのが妙にかわいらしく新鮮に映ったものです。
それでも上品さは失っていなかったから許せたのです。

ところがそれが格好いいとばかりにみんなが真似をし、男言葉ばかりになってしまい、ついには男生徒を圧倒してしまっては本来のかわいらしさを見つけ出すことが出来なくなってしまった。
ついでに上品さを失ってしまってはただの下品な女の集団になっていますよ。
昨今ジェンダーフリーが教育界を席巻しており、いまや男女の区別まで取り去ろうとしています。ますます教育は混乱していくことでしょう。
もうそろそろこんな馬鹿げたことに気がついて、上品な女言葉に回帰してはいかがですか。

中高年の男性には女性とは真面目で清潔で信頼できる人間であるという夢がありました。「あれは女だからなあ!」とかいって女性を舐めているような発言あったとしても、心の中では女性の真面目さ、優しさ、奥ゆかしさ、清潔さに一目もニ目も置いていたのです。だからいざと言うときには女性と子供は守らなければならないと思っていました。

しかし今や女性は自己主張を始め、男性をコケにし、男も女も平等であると声高に叫びだした。
平等であると言うことはいざと言うときに男性が身を捨てて守ってあげる必要もなくなったと言うことになります。
貴方たちはそのように扱われても良いのですか。
男女平等ということは人間としての生きる権利が平等だと言うことであり、男女間の区別もなくなったと言うことではないと思います。
ジェンダーフリーの活動家たちは平凡で幸せな家庭を持つこともなく、もちろん子供を生んだこともない女性たちです。
このひとたちに家族を否定され、社会の秩序を破壊する権利はないのです。
かって世界から羨望のまなざしで見られた日本女性のあるべき姿を取り戻しませんか。

  
Posted by wildhorse38 at 20:09Comments(0)TrackBack(0)