2006年12月15日

著作権保護期間延長問題について・その4

IT Media Newsに『著作権保護期間は延長すべきか 賛否めぐり議論白熱』という記事が載っていた。

12月11日に「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議」が主催者となってシンポジウムを開き、賛成派・反対派に分かれて議論を戦わせたときの内容である。
一昨日書こうと思っていたのだが、別のことを書いてしまったので今日になってしまった。
とはいうものの現在、実際の時間は12月16日0:15であり、それほど書けそうもない。

私の立場(著作権保護期間の延長には反対・死後50年もあれば十分)は既に何回か表明しているので、細かいことは今日は省略する。

この記事に書かれているように賛成派の意見、反対派の意見が表にまとめられている。

賛成派の主張には「延長で創作意欲が高まる」とあるけれども、私はそうは思わない。
自分が死んでからの著作権(財産権としての著作権)が自分の死後50年であろうが、70年であろうが、それで意欲が変化するようならばクリエータなどという仕事には就かない方がよいのではないかとさえ思える。
自分の生きている間にその権利の保護期間がなくなってしまうのならば長いに越したことはないが、自分の死後ならば創作意欲に影響を及ぼすことはないだろう。
なぜならばそのときにはクリエータとしての自分(ここでは私という意味ではなく、賛成派の松本零士氏や三田誠広氏など)は既に亡くなっていて意欲などあるわけがないからである。
著作権の保護期間は現時点でも死後50年はあり、クリエータが創作活動をするための存命中は少なくとも十分に保護されているのである。
従って、クリエータである自分が元気なうちは、つまり、十分に保護されている間は意欲十分に創作活動に専念すればよいと思う。

繰り返し書いておくが、著作権の保護期間が50年でも、70年(つまり、20年延長されたとしても)、その時点ではクリエータである人々は死後の世界にいるわけであり、現世での意欲などいうものは意味をなさいことになる。

ものの価値というものは、その創作物が『いいと思う人』、『素晴らしいと思う人』がいることによって決まるのである。
例え著作権の保護期間が過ぎても、いいものは時の流れに左右されることなく永遠に残ることであろう。
源氏物語や平家物語、その他の古典と呼ばれている文学作品が著作権の保護期間などということなど全く関係ないにも拘わらず未だに読み続けられていることを考えれば明らかだと思う。

アメリカやヨーロッパなどの流れに合わすのではなく、日本発の考え方を世界に向かって堂々と主張すればいいと思う。
世界標準といわれている『著作権の保護期間は著作者の死後70年』という法律を採用しているのは1/3ということなのだから論理的にそれが世界標準ということにはならないだろう。

ここに著作権の保護期間の延長に賛成派として登場されている方々は、それぞれ立派な業績を残して来られた方々だけれども、『論理的に通りそうもない、一方的な著作権保護期間延長賛成』という考えなのだということが分かった今、私は「この方たちの著作物を読もう」
という意欲が全くなくなった。

クリエータというものはお金は後からついてくるものであり、そんなことよりもとにかく何かを作りたい、何かを表現したいというものではないかと常々思っている。
その結果、その作品のよさに関しては、その作品を読んだり見たりした多くの人たちが「確かによい」と思うことによって、さらに多くの人たちに伝わり、評価が決まってくるものではないかと思う。
金銭的な問題もあとから十分にやってくるという考えはおかしいだろうか。

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ここからは2006-12-17に追記
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この記事のこの部分(2ページ目)で太宰治の例を出して三田誠広氏は

 『「太宰治さんの作品は、妻子の存命中に著作権が切れた。
  生きている間に著作権が切れるのは、奥さんや娘さんに
  とっても寂しいことではないか」――三田さんはこう訴
  える。「娘さんは残りの人生、父親の著作権が切れたま
  ま生きなくてはならない」(三田さん)』

と話しておられる。

また、それを受けて松本零士氏も

  『「若くして亡くなった作家の妻に『あと数年で主人
   の著作権が切れるんです』と涙ながらに訴えられた
   時にどう思うか。作家は一生浪人、生涯孤独な存在。
   創作のために心血を注ぎ、自分のため、家族のため
   に頑張る。頑張った成果はせめて子孫の代まで残し
   たいもの。年若くして亡くなった友人の子どもを見
   るたび胸が痛む。70年でも短いぐらいだ」(零士さ
   ん)』

と話されているが、これに関しては司会を務められた慶応大学の中村先生が
  『「なぜ著作権法で遺族の生活保障までしなくてはな
   らないのか分からない」と根本的な問題を指摘する。
   「自分の死後、家族の生活を守りたいと思うのは、
   作家もそば屋やうどん屋の主人も同じ。作家の遺族
   は著作権法で保護されるが、そば屋・うどん屋の遺
   族を守ってくれる『そば屋法』や『うどん屋法』は
   ない」(中村さん)』

と仰るように、私もその通りだと思う。

自分の腕一本で生き抜いてきたそぱ屋さん、うどん屋さんも作家の方々と同じで自分で生命保険に入って対策をしておくしかないであろう。
作家の『著作権法』に該当する『そば屋法』や『うどん屋法』などは当然のことながらこの世の中にはないわけで、松本零士氏の話されたこの辺の理屈は全く通らないと思う。

また、松本零士氏はこれに対して

  『「そばやうどんと一緒にしてもらっては困る。作家
   の作品は残るが、そばやうどんは私にも作れる」と
   反論した。』

とされているが、このことも随分と失礼な話だ。

例えば、マンガ界で超トップレベルの松本零士氏の作品を語って、マンガの素人である私がが

  「マンガなんかと一緒にしてもらっては困る。教師が
   教えた生徒の中にはその影響が一生残るが、マンガ
   くらいなら私にも作れる」

と発言したら、「(失礼な!!)あなたにプロのマンガが描けるわけがないでしょう」という感じの反論をされるはずだ。

そばやうどん作りの名人中の名人の作られるそばやうどんを、そば打ち素人(うどん素人)の松本零士氏が作れるわけがない。
普通のそばやうどんは作れても、『超・名人レベル』のそばやうどんは作れないだろう。
この発言は、そば屋さんやうどん屋さんに対して極めて失礼な発言であると私は思った。
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ここまでは2006-12-17に追記
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最後に、以前書いたことの繰り返しになるが著作権の保護期間が著作者の死後50年もあれば、一般的にはその著作者の孫が老人になるくらいまでは保護されるということを書いておきたい。
私の孫ならば、私は私の孫には自分の力で自分の生活を切り開いていくくらいの人間にはなっていて欲しいと思う。
そのための保護期間としては50年でも十分すぎると思うわけである。


#情報科教員MTのつぶやき・・・・
 もう少し、きちんとした形で書きたいが、既に実際の時間は
 12月16日0:50になってしまった。
 この辺で今日は終わりにしたいと思う。

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杉並区にある文化女子大学附属杉並中学校・高等学校で情報科教員をしている津久井 大(まさる)と申します。
元々は理科教員で、暫く理科と情報科の兼任をしていましたが、教育制度に則った情報科ができた2003年に情報科のみを教えることになりました。
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