2012年05月02日
2012年4月カンボジア日記
今日はお客様のT様と打ち合わせ
土地も土山の分譲地に確定
高校の時の後輩の不動産屋さんも事務所に来て
手付金をお支払いになられました。
これから土地の地上げになるので
家を建てさせて頂くのは9月ぐらいになると思います。
またブログにてご報告させて頂きます
さて、今回のカンボジア支援活動ですが
21日に本社の大西会長と共に関空から出発
今回も韓国経由でインチョン空港で乗り継ぎで
約4時間半待ち・・・
朝早くから出て結局カンボジアのプノンペン空港に着いたのが
夜の10時半・・・
もう韓国経由はごめんです・・・
時間のムダっ
そして空港には現地NGO団体BFDのスタッフと
通訳のソムニアンちゃんと前に通訳をしてくれていた
レンセイ君が迎えに来てくれていました。
そのままホテルまで直行して
みんなで食事に行って就寝
22日朝からアクシデント勃発
今回は本当に色んな事がありすぎて
頭の中が整理出来ていません・・・
今回で11回目のカンボジア支援活動となりましたが
いい面も悪い面も今まで以上に見えてしまった活動となり、
正直、萎えてしまった部分とそれでもやらねばっ
と思う事がありました。
22日と23日はプノンペンで足止め・・・
せっかく通訳のソムニアンちゃんが立てていた計画も台無し
現地NGO団体BFDの人間関係の問題に巻き込まれ
またまた時間のムダっ
大西会長も私も暇でカンボジアに行っている訳では無い
団体の内部の問題は私達には関係の無い事
それを私達に相談する事自体お門違いだと思うのだが・・・
その件については頭の中で整理が付いたらご報告します。
結局活動拠点であるバッタンバン州に入ったのは25日
いつものケマラホテルに到着
この日はスケジュール通り
運営支援している孤児院SKOへ訪問
日本から支援して下さった物資を持って行きました。
子供達も大喜び
ご支援下さった皆様、お客様、
本当にありがとうございました
支援金にて米調達
50キロ入りで15袋
これが半年でなくなります
子供達を数人連れてツクツクに乗って
市場に夕食の食材のお買い物
大西会長・・・
子供達が大好きなチキンを買って調理中
その間・・・
運営の事に付いて施設の管理者と話し合いをしました。
ここでも問題発生・・・
去年の12月にSKOを訪問した時
英語の勉強をしたいと言っていたこの施設の少年は
もうSKOの施設にはいなかった・・・
経緯は去年の12月の過去ログを見て頂ければ
ご理解して頂けると思います。
少年は小学校中退で文字を書くことすら出来ず
すでに自動車の修理の整備工として働いておりました。
それでも施設に残りSKOで生活を送っていたのですが
英語の勉強がしたいと言うことを私達に言って来た事が
きっかけでその事が発覚して問題に・・・
この施設では働いている子供は
自分で生活が出来るようになったら出ていかなければなりません。
日本でも学校を出て働き出したら家を出なくても
ご飯代など家に入れますよね。
その少年はそれすらせずに施設にご飯を食べさせてもらい
他の子供達と一緒に寝泊りを共にして
自分の稼いだお金は全て自分で取り込んでいたのです。
それでも勉強がしたいと言うことでしたので
少年に仕事を辞めさせ再度学校へ行かせる様にして
大西会長が学校の資金を出す約束をしていました。
そして今回、訪問して彼の事を聞くと
1週間で勉強するのが嫌になり
結局、元の自動車整備工として住み込みで
働いているとの事でした。
これには本当にがっかり・・・
ちなみに一日2ドルで働いているそうです・・・
日本とは物価が違い過ぎるので職業としては妥当な金額だそうですが・・・
1週間でやめるなんて・・・
これが、カンボジアの現実、文化の違い、生活の条件の違い
育ってきた環境の違い、生まれてきた国の違いなのでしょうか・・・
働いてお金を稼ぐ事を覚えたらお金に走ってしまうのでしょう・・・
それが低賃金であってもその日のお金が大切と言う
頭の構造になってしまったのか・・・
食事に困らず寝るところに困らず
安心して学校で学べる環境を与えてもこの少年は
目先のお金に走ってしまった事に非常に悲しく思いました。
これが現実なんでしょうかね・・・
また、施設の管理者との話し合いの中で
やはり言葉の壁は本当に大変な問題です。
いくら通訳を一生懸命にしてくれても言葉のニュアンスや
伝え方で違う内容で伝わってしまう・・・
日本語をカンボジアのクメール語にして伝えるのは
本当に難しいように思います・・・
現在、SKOの施設の子供達の中に
19歳と20歳の女の子がいます。
もう・・・子供とは呼べませんね・・・
イエローグリーンのポロシャツを来た二人
就職先が決まり研修中との事
そして写真右のアメリカ人の女性は
カンボジアでフランス料理店を運営している会社の
マネージャーの方、施設の女の子は
現在、ここのお店で研修中です。
SKOの施設を運営支援している私達に挨拶に来てくれました。
この女性もカンボジアでフランス料理店をしながら
会社としてカンボジアで支援活動をしているそうだ。
女の子が仕事から帰って来た時に
施設の管理者が言ったそうだ。
仕事をしているから施設から出て行きなさいと
日本の支援者が言っていると・・・
はぁ〜?
俺らは鬼畜生か・・・???
言葉ってほんまに難しい・・・
施設の女の子は泣き出した・・・
日本語からカンボジアのクメール語へ・・・
クメール語から英語へ・・・
英語からクメール語へ・・・
クメール語から日本語へ・・・
そんなん伝わるかっちゅ〜ねん
と・・・言うことで大西会長は力説
それでも何となくしか伝わって無いように感じたので
全て文章にして書いてみた・・・
それを吟味してもらっってやっと伝わった模様・・・
私が書いた文章はこうです・・・
「学校を出て働き出したら生活の基盤が出来たならば
施設を卒業するのが普通です。そして社会人として自立して
自分の生活は自分でおくるのが普通です。
生活の基盤が出来ていない内は施設にいてもかまいません。
しかし、この施設は日本の心優しい方々から頂いた大切なお金で
運営されている施設です。余計なお金を使うことは出来ません。
ですので、社会人となって働いているのならせめてご飯代くらいは
施設に入れましょうと言っています。
日本でもそれぐらいは当たり前の事です。
みんなは兄弟としてこの施設で育って来ました。
ですので、この施設で一緒にいるのは
親の家にいるのと一緒の事ですが、
決して裕福な家庭とは言えません。
ですのでいつかは自立をすることを目指し
反対に施設にまだいる兄弟の為に
少しでもいいから支援してやって下さい・・・」
みたいな事を書いて翻訳してもらいました。
夕食を前にして再度、子供達に大西会長が話をしました。
管理者のヌーボラ氏にも通訳のソムニアンちゃんに
文章を把握してもらいながら何とか伝わったようです・・・
勝手にこっちがわかってるやろ・・・と思っても
実際は30%ぐらいしか伝わってない様に
本音として私は思っています・・・
ですので、日本に帰って来た今でもまだイライラしてます。
こうしてこの日は過ぎて行きました・・・
はっきり言って不完全燃焼です・・・
次の日へ続く・・・
土地も土山の分譲地に確定
高校の時の後輩の不動産屋さんも事務所に来て
手付金をお支払いになられました。
これから土地の地上げになるので
家を建てさせて頂くのは9月ぐらいになると思います。
またブログにてご報告させて頂きます
さて、今回のカンボジア支援活動ですが
21日に本社の大西会長と共に関空から出発
今回も韓国経由でインチョン空港で乗り継ぎで
約4時間半待ち・・・
朝早くから出て結局カンボジアのプノンペン空港に着いたのが
夜の10時半・・・
もう韓国経由はごめんです・・・
時間のムダっ
そして空港には現地NGO団体BFDのスタッフと
通訳のソムニアンちゃんと前に通訳をしてくれていた
レンセイ君が迎えに来てくれていました。
そのままホテルまで直行して
みんなで食事に行って就寝
22日朝からアクシデント勃発
今回は本当に色んな事がありすぎて
頭の中が整理出来ていません・・・
今回で11回目のカンボジア支援活動となりましたが
いい面も悪い面も今まで以上に見えてしまった活動となり、
正直、萎えてしまった部分とそれでもやらねばっ
と思う事がありました。
22日と23日はプノンペンで足止め・・・
せっかく通訳のソムニアンちゃんが立てていた計画も台無し
現地NGO団体BFDの人間関係の問題に巻き込まれ
またまた時間のムダっ
大西会長も私も暇でカンボジアに行っている訳では無い
団体の内部の問題は私達には関係の無い事
それを私達に相談する事自体お門違いだと思うのだが・・・
その件については頭の中で整理が付いたらご報告します。
結局活動拠点であるバッタンバン州に入ったのは25日
いつものケマラホテルに到着
この日はスケジュール通り
運営支援している孤児院SKOへ訪問
日本から支援して下さった物資を持って行きました。
子供達も大喜び
ご支援下さった皆様、お客様、
本当にありがとうございました
支援金にて米調達
50キロ入りで15袋
これが半年でなくなります
子供達を数人連れてツクツクに乗って
市場に夕食の食材のお買い物
大西会長・・・
子供達が大好きなチキンを買って調理中
その間・・・
運営の事に付いて施設の管理者と話し合いをしました。
ここでも問題発生・・・
去年の12月にSKOを訪問した時
英語の勉強をしたいと言っていたこの施設の少年は
もうSKOの施設にはいなかった・・・
経緯は去年の12月の過去ログを見て頂ければ
ご理解して頂けると思います。
少年は小学校中退で文字を書くことすら出来ず
すでに自動車の修理の整備工として働いておりました。
それでも施設に残りSKOで生活を送っていたのですが
英語の勉強がしたいと言うことを私達に言って来た事が
きっかけでその事が発覚して問題に・・・
この施設では働いている子供は
自分で生活が出来るようになったら出ていかなければなりません。
日本でも学校を出て働き出したら家を出なくても
ご飯代など家に入れますよね。
その少年はそれすらせずに施設にご飯を食べさせてもらい
他の子供達と一緒に寝泊りを共にして
自分の稼いだお金は全て自分で取り込んでいたのです。
それでも勉強がしたいと言うことでしたので
少年に仕事を辞めさせ再度学校へ行かせる様にして
大西会長が学校の資金を出す約束をしていました。
そして今回、訪問して彼の事を聞くと
1週間で勉強するのが嫌になり
結局、元の自動車整備工として住み込みで
働いているとの事でした。
これには本当にがっかり・・・
ちなみに一日2ドルで働いているそうです・・・
日本とは物価が違い過ぎるので職業としては妥当な金額だそうですが・・・
1週間でやめるなんて・・・
これが、カンボジアの現実、文化の違い、生活の条件の違い
育ってきた環境の違い、生まれてきた国の違いなのでしょうか・・・
働いてお金を稼ぐ事を覚えたらお金に走ってしまうのでしょう・・・
それが低賃金であってもその日のお金が大切と言う
頭の構造になってしまったのか・・・
食事に困らず寝るところに困らず
安心して学校で学べる環境を与えてもこの少年は
目先のお金に走ってしまった事に非常に悲しく思いました。
これが現実なんでしょうかね・・・
また、施設の管理者との話し合いの中で
やはり言葉の壁は本当に大変な問題です。
いくら通訳を一生懸命にしてくれても言葉のニュアンスや
伝え方で違う内容で伝わってしまう・・・
日本語をカンボジアのクメール語にして伝えるのは
本当に難しいように思います・・・
現在、SKOの施設の子供達の中に
19歳と20歳の女の子がいます。
もう・・・子供とは呼べませんね・・・
イエローグリーンのポロシャツを来た二人
就職先が決まり研修中との事
そして写真右のアメリカ人の女性は
カンボジアでフランス料理店を運営している会社の
マネージャーの方、施設の女の子は
現在、ここのお店で研修中です。
SKOの施設を運営支援している私達に挨拶に来てくれました。
この女性もカンボジアでフランス料理店をしながら
会社としてカンボジアで支援活動をしているそうだ。
女の子が仕事から帰って来た時に
施設の管理者が言ったそうだ。
仕事をしているから施設から出て行きなさいと
日本の支援者が言っていると・・・
はぁ〜?
俺らは鬼畜生か・・・???
言葉ってほんまに難しい・・・
施設の女の子は泣き出した・・・
日本語からカンボジアのクメール語へ・・・
クメール語から英語へ・・・
英語からクメール語へ・・・
クメール語から日本語へ・・・
そんなん伝わるかっちゅ〜ねん
と・・・言うことで大西会長は力説
それでも何となくしか伝わって無いように感じたので
全て文章にして書いてみた・・・
それを吟味してもらっってやっと伝わった模様・・・
私が書いた文章はこうです・・・
「学校を出て働き出したら生活の基盤が出来たならば
施設を卒業するのが普通です。そして社会人として自立して
自分の生活は自分でおくるのが普通です。
生活の基盤が出来ていない内は施設にいてもかまいません。
しかし、この施設は日本の心優しい方々から頂いた大切なお金で
運営されている施設です。余計なお金を使うことは出来ません。
ですので、社会人となって働いているのならせめてご飯代くらいは
施設に入れましょうと言っています。
日本でもそれぐらいは当たり前の事です。
みんなは兄弟としてこの施設で育って来ました。
ですので、この施設で一緒にいるのは
親の家にいるのと一緒の事ですが、
決して裕福な家庭とは言えません。
ですのでいつかは自立をすることを目指し
反対に施設にまだいる兄弟の為に
少しでもいいから支援してやって下さい・・・」
みたいな事を書いて翻訳してもらいました。
夕食を前にして再度、子供達に大西会長が話をしました。
管理者のヌーボラ氏にも通訳のソムニアンちゃんに
文章を把握してもらいながら何とか伝わったようです・・・
勝手にこっちがわかってるやろ・・・と思っても
実際は30%ぐらいしか伝わってない様に
本音として私は思っています・・・
ですので、日本に帰って来た今でもまだイライラしてます。
こうしてこの日は過ぎて行きました・・・
はっきり言って不完全燃焼です・・・
次の日へ続く・・・