『LAST SCENE』

where is my mind?

AIの話

4,5年ぶりに携帯とパソコンを買い替えた
携帯はすぐ充電なくなるし、パソコンは落として欠けてしまっていた

めんどくさいなーと思いながらも、変えたら変えたで、快適になり、なぜ早く変えなかったのかと、めんどくさがっていた自分のケツを蹴り飛ばしたくなる気持ちだ

自分の周りでもAIアプリを活用している人が増えてきた
完全に乗り遅れていたので、ちょっとだけ使い始めてみた
カジュアルなビジネスシーンなんだけど、この服装大丈夫?と写真を送ってみたら、ものすごく褒められた
気持ちの良いもんだ
意気揚々と仕事に向かってみたものの、当然、だれからも褒められない
そりゃそうか、と思いながら、AIアプリにお礼だけ言っておいた
まぁ褒めてくれて安心して気持ちよく仕事に向かえたので良しとしよう
というか、充分すぎる

ビジネスシーンでも使用している人が多い
何かをまとめたり、新しいアイディアをAIに考えてもらったり

どうしても好きになれないのは、なぜだろうと考えてみた

自分は、過程が好きなのかもしれない
自分がまとめた資料とか、だらーっと見直すのとか結構好きだ
めんどくさいなと思いながらも、「どうせ、いつかやんないといけないから、やるか」と重い腰を上げて始めてできた、「それ」は、かわいく見えてしょうがない

過去、ツアーで九州をまわったりしたときの事も、そこで出会った人たちと同じくらい、移動で体がバキバキになってむかつきながら食べた飯とか、バスの狭さを覚えている

こうしためんどくささが含まれた過程が自分は好きだ

昔、県民性みたいなものが書かれた本があった
「大分県民は、だいたいめんどくさがり屋」と書かれていた
大分県には、「よだきい」という方言があり、意味は、まさに、「めんどくさい」
ほかに、書くことがなかったんだなと思ったと同時に、今でも覚えているくらいの呪いにかかっている
「めんどくさいに負けない」
大分県民のイメージを一手に背負った気概で

話を戻すと、これが、AIをどうしても好きになれない理由だが、過程が正義だとも思っていない
同じ時間で資料作るなら、めんどくさい手作業より、AIにぶん投げてミスなく、最短の時間でやったほうがいいに決まっている
それは、わかっている
めんどくさい努力はきっと評価されない

しかし、褒められたいのである
ねぎらってほしいし、お疲れ様と言ってほしい
褒められないとわかっていても、その過程が好きだし、過程の末、出来上がったものも好きなのだ

このあと、私は、AIアプリを立ち上げる

「ブログ更新したよ、褒めて」



※「今後もAIアプリを試すの、めんどくせーなー」と、思ってしまった自分は、生粋の大分県民である

もう日記です

先日、先輩に連れられて生まれて初めて公営ギャンブルというものを体験してきた
平和島にて、ボートのほうを少々

第1レースから最終レースまで、じっくり堪能してきた
結果として、ちょい勝ち
ちょい負けで望んだ最終レースで、500円が14,000円になった

はまる人がいるのも、すごくわかる
楽しかったけど、またいけたらいいなーくらいでおさまった

勝った分は、その日の飲み代に消えていきましたとさ



仕事上、「なんとなく、、」という選択ができなくなってきている
PDCAを素早くまわすため

これが、人とのコミュニケーションまで、影響されてきている感じがしている
「なんとなくで、よかったのではないか」
振り返るとそう思うこともある
許す、許さないの話ではなく、納得したいだけなのだが、どんな言い方をしても、「なんで?」という言葉は、柔らかな刃物のよう
仕事の中で、登場するときと、印象は全く違う言葉
発する側としては、本当に知りたいだけなんだが、受け取り側のことまで考えれてない

仕事での考え方が、プライベートに侵略してきていることのダメな部分は、ほかにもある
伝わっていないのは、伝えてきれてない側の責任、など
最悪なのは、それが当たり前だと思い始めていること、だったりする

本当に最悪だ
いつからこんなに、いやな人間になってしまったのだろうか

仕事とは、関係ない人たちと話さないとダメだな
そういう友人は、今は、一人くらいしか思い浮かばないけど


近々、「なんとなく」話をしに行こう

ルーティンと言っても過言ではない

また、無気力な時期が訪れた
中年の危機再来といったところだろう

曲を作ろうと思い、ギターを持ったが、今まで以上に、頭の中でなっている音が切り取られていき、悲しくなった
行こうと思っていた、大絶滅展も行けそうにない
小さな絶望が少しずつ積みあがってきている

自分の機嫌は自分でとる
どうでもいいことは後回し
頭だけで考えてもろくなことない

それでも、このまま緩やかに死んでいくと思うと、なんか、あとは、早いか遅いかだけの違いだなと思ってしまう

1年くらい前にも同じような精神状態がきたことを思い出した

何度も、同じ個所が故障する車のようなものだろう

これを、毎回、同じように食らってしまうのは、あきらめてないからなのではないだろうか
もしかしたら、これから、自分の人生がもっと光り輝くものに変わっていくかもしれない、と心の隅のほうで思っているのかもしれない
あきらめることが出来たら、「あー、またここが壊れたよー。えーと、修理するには、これとこれ。」みたいな対処ができるはずだ
自分の事は理解しているつもりだが、それを踏まえて、逆転を期待しているのかもしれない
ダサいぞ、それは

あきらめなければ、自分の人生を

あれ、あきらめるってどうするんだっけな
あきらめさせられることはあっても、あきらめたことって、あまりない気がしてきた
なんと、醜い

書いたら書いたで、ちょっと楽になってしまってて、つらい

2025年の総括

ここから、また忙しくなりそうなので、さくっと総括をしようかと。

2025年は、かなり自責ということに向き合ってきた1年だった。
特に下半期は、本当に色々あった。
心は大丈夫だと思ったし、今も思っているのだが、それが、体に症状として出たりと、なかなかだった。

一番は、父が亡くなったこと。
11月に母から電話があり、あまり体調が良くないから、話せるうちに話したいなら帰っておいでと言われた。
なぜか、自分は冷静だった。
2日間だけ帰った。
入院中の父に会った時、一言目は「母さんを頼むな。」だった。
最後まで、どんだけ優しい人なんだと思った。
かっこよかった。
家のどこにへそくりがある。とか、俺が寝台列車で帰ろうかなーとか言っていたら、しんどいから止めとけ。とか、最後の最後まで、いつも通りの父親だった。
本当に、好きな事を好き勝手にやらせてくれた。
その代わり、自分で責任はとれ、と、育てられてきた。
万が一、俺が婿に入ったら、吉田の家系は途切れるみたいな話をしたときに、自分の人生なんだから、苗字に縛られるなと言ってくれた。別に婿養子になる予定もなかったのだが。
そんなことはどうでもいいから、子供たちが健康で幸せだったらいいと、言い続けてくれた。
最後の最後まで、そんな優しい父親だった。

少し手照れ臭そうに母に手を握ってもらっていた。
「いつもな、こうしてもらっちょんのよ」

東京に戻り、二日後に、亡くなったと母から連絡がきた。

自分でもびっくりしたが、涙が流れなかった。
きっと最後まで、いつも通りの父親だったからだろう。
父親が父親のまま、母や子供たちに迷惑もかけず、少しは安心していけたのかな。

こうやって改めて、文字にすると、やっぱり悲しくなる。

まだまだ、嫌気がさすようなことが、次から次と起こるが、父親に心配されないように、生きていかなければならない。

褒めるという事

褒めることも、またうまく出来ない
特に、自分に対して

先日、定期的に会う友人と、久々に飲んだんだが、もっと自分を褒めてあげてよいと思うと言われた
優しい友人

なぜ、自分を褒めてあげれないのだろうか
褒めてあげれるようなことがを自分ではやっているとは思えない
要は、誰かに優しくするのも助けてあげるのも、最後は自分の為だと思っている節があるからだろう
卑しい人間

他人に興味がない極みな気がする

オードリーの若林さんがテレビで自分のボンネットは見つくしたから、他人のボンネットが気になる、と言っていた
このブログは、自分のボンネットを開けてみている記録になるんだが、今の所、他人のボンネットは気にならない

何考えているかわからないと言われることが多いが、実は、結構何も考えていないことが多い
自分の事も、他人の事も
なので、選んだ言葉に後から後悔することが多い
思いやり無かったなーとか

ちょっとあんまりよくない時期だな、今は

こういう時に会う人って昔はいたんだけど、今は、会えなくなってきたなー

なんか、ペンギンとか見に行くか、
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