May 14, 2006

大好きになったスリランカ(津波後のヒッカドゥアへ)

(2006年5月に頂いた投稿)
津波被害のおおきかったHikkaduwa(ヒッカデゥア)へ、
英会話の先生の引率で、沢山の支援物資などをを直接、届けるため、
去年の夏に行きました。先生はスリランカ人です。

私たちが手渡す現場では、
すでに多くのスリランカの人たちが雨のなか待っていて
くださいました。小さな子や、お年寄りも私たちに手を合わせて
受け取ってくださり、お礼にと、大きな葉っぱをもらいました。

目の前には、多くの犠牲者」と共に、津波にのまれて、
斜めに傾いた列車があり、胸がつまりました。
今でもまだ、先生ご夫妻は、支援の為の活動をされています。

訪問中、いろんな場面を目の当たりにして、
滞在中の一週間は、何度か涙を流しました。

また、愛知万博では、スリランカ レストランで働いていた
スリランカ青年と友達になり、今も時々メールがきます。
とても柔和で勤勉な人で、日本に縁があるのか 再来日して、
現在 日本で働いています。スリランカ国内は、内戦の危機で
とても心配ですが、みんなに幸せになってもらいたいです。

スリランカの子供たちの澄んだひとみ(学校訪問もしました)や、
すばらしい若者たちのエネルギーを
日本の人にもっと知ってもらいたいと思いました。

シーギリアで働いていたガイドの青年は、日本語がとてもうまく、
どこで習ったの?と尋ねたら、日本の観光客が喋っているのを聞いて
覚えたと教えてくれました。
この向学心を日本人は、学ぶべきと思いました。

戦争による犠牲者や、美しい自然や、世界遺産を破壊するのは,
もういいかげんにやめて欲しいと、強く言いたいです。
ちなみに私は、56歳です。なんだか
とりとめもなく、まとまりもない文章になってしまいました。
読んでくださってありがとうございます。
  

January 29, 2005

希望の家建設プロジェクト 

以前「ヌワラエリヤの町で」を投稿して頂いた方より再投稿頂きました。

光り輝く島・希望の家建設プロジェクトについて

スリランカの津波被害が日々のニュースから次第に姿を消し、それと共に人々から忘れられてしまうのかと思うと焦燥感に駆られています。

あの恐ろしい日からひと月あまり。今も尚、はぐれてしまった家族やとりわけ子供を失った親御さんにとって精神的苦痛を強いられていることは云うまでもありません。

私達OWOP(ワンワールド・ワンピープル協会)は皆様の暖かい援助をいただき各地の被災地区を回り、文具や生活必需品を届けました。
OWOP会長がスリランカに滞在中だったこともあり迅速な活動が行えたのは本当に不幸中の幸いだったと思います。

そこで、目にしたもの、生々しい被災地区を私達は会長のメールや写真で知ることが出来ました。
中には、直視できないような悲しい写真もございました。

スリランカ国内に多くの支援物資が寄せられていますが、その大部分は被災地に運び込まれるのを待っている状態だそうです。一刻も早く公平に分配されることを願ってやみません。

美しい光り輝く島が悲しみに暮れ、貧しくとも愛情にあふれた人々から笑みを奪ってしまった悲劇に私達が出来ることは無いのでしょうか?

私の主人は、10年以上にわたってNGO OWOPの活動を通してスリランカ農村の子供達の支援をしてまいりました。昨年にいたっては5回ほど渡航し、私達夫婦にとって、もっとも親密な国であります。
その内の一回を投稿させていただいたわけですが、スリランカの実情を少なからず見聞きするうちに孤児院建設の計画をした次第です。

そして、この災害が起きました。ご存知のとおり、多くの死者や被災者を出し、そして多くの子供が親や家族をなくし孤児となっています。多くの国や人々から支援の手が差し伸べられていますが、この国の事情はなかなか末端の貧しい人々には、支援の手が届きません。

そこで私達は、かねてから考えていた孤児院を、スリランカに贈ることにしました。私達夫婦の個人年金を解約し、それを原資として孤児院を建てるのですが、まだ建設資金が不足しています。

あつかましいお願いでは有りますが、多くの方のご支援をお願いしたいのです。

孤児院の運営は、フォスタープランを作り、スリランカNGOサルボダヤ 孤児院と障害者施設の運営をしているスワセタ NGOワンワールド・ワンピープル協会そしてスリランカにいる友人達と、協力し運営してまいります。

建設場所は、今回最も被害の大きかった地域の一つスリランカ南部のゴール地区に予定しており、既に場所の確定と土地の確保に、スリランカのスタッフが動き出しています。

何分にも、微力な私達だけでは力不足です。多くの方のご支援と、ご協力をお願いいたします。

光り輝く島・希望の家建設プロジェクト
URL http://www.rudy.co.jp/neige/

E-Mail bigboss@po5.lcv.ne.jp neige@po21/lcv.ne.jp どちらでも結構です
  

January 08, 2005

スリランカの思い出

呑気のん兵衛さんより

呑気のん兵衛さんのブログでスリランカ旅行の思い出を綴られています。
写真もあるので、以下のリンク先でご覧下さい。

http://plaza.rakuten.co.jp/nonkinonbei/diary/200412270000/  

December 30, 2004

バースデーカード

以前スリランカでサーフィンを投稿して下さった塚本さんより

誕生日から少し過ぎた6月の半ばのこと、スリランカから一通の手紙が届いた。

封を切ると、中には二つ折りのハガキ大のカードが入っている。
中央に描かれた地球の絵をぐるりと一周するように、スリランカの国旗とバラの花と仏陀、そして平和の象徴であるハトが独特な色彩で描かれている。
カードには、何かから切り取ったような大きさが不揃いでカラフルなアルファベットが5文字、不器用に糊付けされている。
『P』『E』『A』『C』『E』。カードを開くとたどたどしい英文が一行。

「 ! HAAPY NEW YOU 」

あとは僕の名前と差出人の名前が書かれ、クレヨンを使った風景画が一枚別に入っていた。

これは僕がスリランカを旅したときに仲良くなった、アナンデと奥さんのマリカ、娘のピユミ、スムドゥからのバースデーカードだ。
彼らは英語が全くできず、それまでに何度か受け取った手紙は全て、英語ができる人に頼んだ代筆の手紙だった。
「 ! HAAPY NEW YOU 」とは、きっと「 HAPPY BIRTH DAY ! 」のつもりなのだろう。
絵は長女のピユミが僕の誕生日プレゼントに描いてくれたスリランカの風景だ。

去年、僕はスリランカにサーフィンをしに行った。
僕が泊まったのは、ヒッカドゥアという海沿いの街の小さなゲストハウス。
改装中の未完成のゲストハウスだったけれど、花がたくさん植えられた緑いっぱいの庭が気に入って、無理を言って泊めさせてもらった。

まだ工事中なので、宿泊客は僕一人。
そのゲストハウスの庭仕事や工事をしていたスタッフの一人が、バースデーカードを送ってくれたアナンデだ。
サーフィンを終えて庭で本を読んでいる僕に、アナンデは紅茶やクッキーや奥さんが作ったお菓子なんかを、毎日のように持ってきてくれた。
シンハラ語しかできないアナンデとの会話は身振り手振り。ほとんど意味はわからないが、のんびりとした楽しい時間を過ごした。

帰国前、アナンデが僕のために自宅でカレーパーティを開いてくれた。
娘のピユミ、スムドゥとふざけあい、奥さんのマリカの料理に舌鼓を打った。

子供たちは代わる代わる宝物のおもちゃや、学校の成績を見せに来る。歌やダンスも披露してくれる。僕も負けじと顔芸で張り合った。僕の顔芸に、顔を真っ赤にしてはじけるように笑う子供たちの顔は今でも鮮明に目に浮かぶ。
言葉は通じなくても心を通わせた幸せなひと時。初めての土地で受けた温もりと輝く笑顔は忘れられない。

自然の力をまざまざと見せ付けられた今回の津波。
僕が居たヒッカドゥアは、全壊したゴールという街から北へ車で20分程度の距離だ。
アナンデ一家は無事だろうか?あの温かな家族にもう一度、笑顔で会うことができるのだろうか?津波発生の日から、彼らの笑顔が頭から離れないでいる。

内戦が落ち着きを見せ、復興に足並みを揃え始めたスリランカを襲った大災害。手作りのバースデーカードに込められた『P』『E』『A』『C』『E』ができるだけ早く彼らの元を訪れますように。