トイレ今回はトイレの記事です。お食事中の方は終えてからご覧ください。

基本的に温厚な私。
例えば運転中割り込まれても、うちの奥さんは「クソがっ!」などと悪態をつく一方、私は「そうだよね、急いでいることもあるよね人間だもの」といって広い心で受け入れる。
だが、私にも許せないことがある。それは個室トイレに入っている時に電気を消されることである。

別に家のトイレでそれをされても何とも思わないが問題は会社のトイレである。

会社のトイレ、正確には会社があるビルの共用トイレである。画像のように小便器3つ、和・洋1室ずつのトイレである。

一日に一回は大便をすべく個室に入るのだが、当然空いていれば洋式を使用する。しかし結構な確率で洋式が使用中である場合が多い。
そんなとき皆さんはどうするだろうか。

私は迷わず和式に入る。これ、意外と少数派なのだろうか。

私が洋式を使用している時に後からトイレに入ってきた人が、「チェッ」と舌打ちして何もせずそのまま出て行ってしまうことがよくある。
おそらく洋式でしか大便をしない主義、なおかつ便意が切迫していない人なのであろう。
そのまま和式に入ってくる人は極めて少ない。体感で20人に一人といったところか。

私は違う。洋式が埋まっていても、私は迷わず和式に入る(2回目)。

私が和式に入ると洋式の男は壁の向こうから聞こえてくるブリブリ音が聞くに堪えないのか、そそくさと出ていく。どうせスマホでもいじって時間をつぶしていただけなのだろう。
出ていくなら初めからさっさと出て行けよと心の中で悪態をつきながら、ブリブリやっていると不意に電気が消されるのだ。
明らかに和式からブリブリ音が聞こえているのに洋式の男は電気を消すのだ。これは間違いなく悪意である。
おそらく安らぎのひとときをブリブリ音で台無しにしてくる私への腹いせなのだろう。
この時ばかりは「クソがっ!」とつぶやかずにはいられない。

さて暗闇に一人取り残された私。選択肢は二つである。
ブリブリをいったん中断して電気をつけにいくか、暗闇の中でブリブリを続行するか、である。

余程排便が佳境に差し掛かっていない限り、たいてい私は出かけたものを引っ込めて電気をつける選択をとる。
万が一、このタイミングで別の人間がトイレに入ってきたらかなりややこしいことになるからである。

当然、トイレは消灯されているので入ってきた人は自分以外に誰もいないと思い込むだろう。
おもむろに和式便所からブリブリ音が聞こえてきたら腰を抜かすほどびっくりさせてしまうではないか。

実際そういう展開になることもある。尻を拭きズボンを上げる前に誰かがトイレに入ってくるのだ。
そうなるとびっくりさせてはいけないとブリブリ音どころか物音ひとつも立てずに和式便所で息をひそめる私。
その甲斐あって何も知らない男は小便をすませ、手を洗い出ていく。そしてまた電気が消されるのだ。

ここで電気を消されるということは存在を気づかれずに済んだということで狙い通りなのだが、それにしてもやり場のない怒りがこみあげてくる。
なぜ人知れずこんな気を遣わなければならないのか!俺は大便をしていただけなのに!

IMG_6241改めてこの記事を書いてて腹が立ってきたので注意書きを作って貼ってきた。これで平穏な和式大便ライフを過ごすことができると信じている。

IMG_5320ずいぶんブログの更新をサボってしまっていた。みなさんお元気ですか?私は酷い目に遭いました。

もう一月も前の話だが、福岡から妻の従兄弟夫婦が札幌に遊びに来るということで、ワカサギ釣りに連れて出掛けた。

現地に着いて受付をすませたあと、誰よりも張り切って「先に行って様子見てくるから」と勇んで湖面に下りる瞬間に転倒。氷面に左肘で着地し、残念ながら左腕が帰らぬ人となってしまった。ほんと、腕がもげたかと思うほどの衝撃であった。わかる人にはわかると思うが、テリーマンの腕のようにどす黒くなったんじゃないかと思ったよ。

現地(苫小牧)の病院で診察し上腕の上部の骨折と判明、その後札幌にて入院、手術を経て今はリハビリに勤しむ日々である。画像の通り私の左腕はサイボーグ化されてしまった。

さて、生まれて初めての入院となったわけだが、初日に看護師からこんなことを聞かれた。

「今、痛みのレベルは10段階でどのくらいですか?」

今思えば基準値として3なり5なり適当に言えばよくて、それは入院中痛みレベルがどのように推移していくか把握するための数字というのはわかるのだが、唐突に聞かれたので真剣に悩んでしまった。

「2くらいっすねー」なんて軽く答えて「あーこの人腕折れてるけど痛みに強いのねー、手術も麻酔いらないわね」などと勘違いされるとたまらないし、「は、8はあります…」なんて深刻そうに答えて「は?タダの骨折で?大げさでしょ、ダサい男!」などと思われるのも心外ではないか。

そもそも無痛は0なのは分かるが、10の痛みって何よ…。

ひとしきり悩んだあとに出した答えは4であった。痛みを伝えつつプライドも保てる絶妙な数字と言えよう。

その後手術を経て翌日。麻酔も切れ痛みが多少強くなる。6といったところか。痛み止めを服用しながら耐えていたが、同室に同じく腕を骨折した60前後の男性(Nさん)が入院してきた。翌日に手術を控えているとのことである。
カーテン越しに看護師との会話によると沖縄にて、三輪バギーで転倒したという。せっかくの沖縄リゾート中に気の毒である。

そして看護師は私と同じようにNさんにも尋ねた。

「今、痛みのレベルは10段階でどのくらいですか?」
「0.5ですね」

Nさんは迷いなく答えた。私は耳を疑った。0.5?1点でもなく0.5?ほとんど痛みを感じていないのか、痛みに強いのか、それとも若くて美人の看護師を前にカッコつけているのか…
昨日4と答えてしまったのがなんだか恥ずかしい。

Nさんとの会話を終えた看護師が私のベッドにも立ち寄り「痛みどうですか?数字でどれくらいですか?」と尋ねてきた。
昨日よりは確実に痛い。何らかの処置をしてほしいくらいである。だがNさんが0.5なのに、6は大げさではなかろうか…。でも5だと一段階しか上がっていない。もう少し深刻さを分かってほしい。

「5強くらいです…」

言うに事欠いて、震度のような答え方をしてしまった。

「わかりましたー、ひどくなったら呼んでください」

看護師はそのまま立ち去ろうとした。

「あ、やっぱり6くらいあるかも」

ダサい。最高にダサい男ここにありである。しかし背に腹は代えられない。

「坐薬入れますか?」
「お願いします…」

私はしおらしくパンツを下ろし美人看護師による坐薬挿入を受けた。おかげさまで痛みはレベル4まで鎮静化した。

翌日、午前中にNさんが手術。ベッドに戻ってしばらくすると目を覚ましたようでうなされている。
看護師が来て尋ねる。

「今、痛みのレベルは10段階でどのくらいですか?」
「8です…」

私はまたも耳を疑った。0.5から8というと16倍である。いくら個々の基準が違うとはいえ、盛りすぎである。
そうか、Nさんも美人看護師に坐薬を入れてほしいのだな、それにしても8まで言わなくても入れてもらえると思いますよNさん。

「坐薬入れますか?」
「いや、いいです」

まさかの返答である。痛みレベル8にありながら坐薬なしで戦おうとしているのか…。Nさんそれは無茶ってもんだよ…。

看護師が去った後もNさんは「痛たた…」とか「ふぅー」とか「参ったな…」とかつぶやいている。これは盛ったのではなく本当に痛いのだろう。
見るに見かねて私が「坐薬、楽になりますよ」とアドバイスしたが、「もう少し様子見ます」などと言ってかたくなに坐薬を拒んでいた。
Nさん、プライドを捨てて坐薬入れてもらいましょうよ。向こうは仕事なんだから何とも思っていませんて。私なんか今夜も挿れてもらいますよ。
とは言わなかったが、やせ我慢するNさんはなかなか痛々しいものがあった。これが男のプライドか…。

ちなみに私はこの日の夜も坐薬をオーダーしたがなぜか「自分で挿れられますよね」と言われ、不本意ながらこの日以降は自力での坐薬注入となった。

結局私とNさんは同日に退院したが、坐薬を拒み続けていたNさんの痛みレベルは5を下回ることはなく、逆に毎日坐薬を挿入していた私の痛みレベルは4を上回ることはなかった。

もう退院して3週間ほど経つ。
Nさん回復していますか?痛んでいませんか?
私は毎日坐薬が必要な体になってしまいました…。

先週、吉澤嘉代子さんの新譜「若草」が発売された。
EP盤なので収録曲は6曲なのだが中でも「青春なんて」という曲にどハマりしてしまった。
いい年して「青春なんて」なんてタイトルの曲に心奪われることになるとは思いもよらなかったのだが、とにかく良いのですよ!

「青春なんてすり抜けてから気づく ただ風にさわっただけ」
サビの歌詞、ネット上ではわりと「何か切ないわ…」と感じるという意見が多かったのだが、自分的には丁度よいニュートラルな感じというか否定も肯定もせず諦観の境地というか、押しつけがましくない心地良さと、その上なんとなく奥さんと同棲していたころのことを思い出させる懐かしさが混在して、それが軽快な曲調とシンプルなメロディーと相まって、なんというか「何かイイ!」としか言えないけれどなぜか涙腺が緩んでくる、そんな曲なのですよ。
MVだとさらに良いので騙されたと思って観てやってくだされい。




などと私がJPOP(ほとんど吉澤嘉代子さんだが)の歌詞の良さを望まれてもいないのに他人に力説するイタいおじさんになってしまったのもここ数年の話。
もともとは「邦楽?ダッセーな、俺は洋楽しか聴かんもんね」と中二病の一つと分類される「洋楽しか聴かない症候群」を患ってしまったのはまさに中二の時。さかのぼること30数年前ということになりますな。

中学時は高校以降と違ってテスト前には真面目に机に向かい夜遅くまで勉学に励んだ私。お供はAMラジオであった。本来、学習効率を考えると音楽がメインのFMでも流していたほうがよかったのかもしれないが、実はこの頃はまだ音楽にほとんど興味がなく、お喋りメインのラジオ番組のほうが聞きやすかった。

聴いていたのは中高生に人気だったSTVラジオの「うまいっしょクラブ」からの「アタックヤング」からの「オールナイトニッポン」である。オールナイトニッポンの開始は1時であるから、いくら勉強熱心とはいえずいぶん遅い時間まで起きていたものである。

次第にラジオの魅力にとりつかれ勉強をしていなくても聴くことが習慣となった。アタックヤングは曜日ごとでパーソナリティが変わり、番組名は同じでもまったく別の内容となり飽きることはなかった。

毎週金曜日のアタックヤングではあるコーナーでジョンレノンのイマジンが使われていた。ジョンが歌うイマジンの小節間に、リスナーから寄せられるシュールな一言を読み上げる、というものだ。深夜に繰り広げられる、少しアングラで子供には覗いちゃいけないような、まさに深夜ラジオ独特の雰囲気。13,4の無垢な少年を中二病たらしめるにはもうそのコーナーだけで充分であった。

「おう君たち、ジョンレノンって知ってるか?イマジン、あれは良い曲だぜー、想像もつかないだろう?」と、気が小さいのでクラスメイトに口には出せなかったが、重度の中二病患者一丁上がりである。こうして今後長きにわたり邦楽アレルギーを発症する私、冗談抜きでこの時1991年から2017年まで自分で買ったJPOPのアルバムはたった3枚しかない。そのうちの1枚がこれである。

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私をジョンレノン、そしてビートルズの世界へ引きずり込んだ張本人、KANさんのアルバムである。
でも買ったは良いけど当時は洋楽にしか興味なかったからあまり聴かなかった。KANさんごめんなさい。でもアタヤンは欠かさず聴いてたしハガキ読まれた時は嬉しかったなあ〜


その後、高校に入った後も残念ながら中二病は治ることはなく、洋楽しか聴いてこなかったことが災いしてか、大学ではブルーグラスなどというもはや一生後遺症として残りそうな難病とお付き合いすることになってしまった。どう考えてもブルーリッジキャビンホームなんかより愛は勝つの方がカッコいい曲なのに!

結局、JPOPを素直に聴けるようになったのは吉澤嘉代子さんの魔法にかけられてから。

それからKANさんの曲も色々聴いたけど、「まゆみ」も良いし「永遠」も好き。でも一番良かったのは「よければ一緒に」って曲。自分たちはやらなかったけど、もし披露宴してたら絶対流していた曲だと思う。いや、結婚した時はまだこの曲発表されてなかったわ。



今朝、カーラジオから「よければ一緒に」が流れてきた。もう歌いだしだけで号泣してしまった。運転中なのに。
慌てて後ろの席に座ってた奥さんからハンカチもらって、しばらく無言で泣きながら曲聴いてたんだけど、なんか奥さんも泣いてる俺を見てもらい泣きしてるっぽいの。それにもまたじーんとしちゃって。

そしたら曲の終盤にいきなり「ねえ、そういえばウイのクリスマスプレゼントどうする?」って話しかけてくるのよ。デリカシーよ。ほんと、そういうところだぞ。

今朝も夢を見た。
いつもの定番のやつである。


午後の授業は国語だ。
後期に出席するのは初めてである。
サボり続けてきたが、いい加減出席しないと単位が取れない。

自分の机の下の床には「45」という数字が書かれている。
単位取得のために必要な残り時間が表示されているのだ。
他の学生の数字はほとんど一桁、なかにはすでに0という者もいる。
この数字が0にならない限り、単位は取得できない。
単位が取れないということは卒業できないということだ。

私は絶望的な気持ちになる。
残りの授業数から考えても45を0にすることは不可能だ。
就職も決まっているのに…親になんて言おう…



大学を卒業して20年以上たったが、未だにたまにこういう夢を見る。
ひどいときは月一回くらいのペースでこの類の悪夢にうなされていた。

で、目覚めた瞬間
「あー、良かった。俺ちゃんと卒業して就職してるんだった。」
と胸をなでおろすまでがセットである。こういう夢を見た後は、仕事に行くのが多少怠くても社会人として働けている境遇に感謝できるのである。

面白いのが、落第が決まったあとではなく、決まってその前の段階、つまり「授業さぼりすぎてこのまま行けば間違いなく卒業できない…あー、どうしよう…」と陰鬱になっている夢ばかりなのだ。

このような夢を見る理由は、もちろんこのような大学生活を送っていたからである。
自分の自堕落な生活が原因で二度の留年をかまし、最後も薄氷を踏む思いでの卒業であった。
しかも卒業が危うかったことは誰にも言っておらず、というかシャレにならな過ぎて言う気にもなれず、一人抱え込んで生きていた。情けない話だが6年目4年生の後期ほど大学に通った時期はなかった。どんなに吹雪いていてもチャリを漕ぎ1限目の講義に出席していたのだ。

うう、これ以上思い出すとまた同じような夢を見ちゃいそうだからこれくらいにしよう。
学生諸君、気を付けてくださいな。

ライブでMCを担当するのはほぼ私である。何度もやってきたので特に苦手意識無く出来ているつもりだが、未だに上手に喋ることが出来ない特定の話題が二つある。


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バンドのMCとしてはほぼ必須なトピックだが、どうもある感情がつきまとってしまい苦手である。それは「すみません、我々名乗るほどの者ではないんですが」というある種卑屈な感情である。特に営業などで自分たちを知らない聴衆の前でする時に強く思う。さらに言えば他のメンバーを紹介した後、最後に自己紹介する時に「名乗るほどの者ではないんですが」感は最高潮に達する。出来れば自分だけ紹介せずにキャンセルしたいくらいである。

じゃあいっそのことメンバー紹介は無理してやることもないんじゃない?と思われる方もいるでしょう。事実、メンバー紹介に抵抗感を持っていたので以前はあまりやっていなかった。

ただ、MCの中で「この曲はヒロヨシさんが〜」などとメンバーに触れることもあり、その都度お客さんに「は?ヒロヨシ?誰だよそれ、知らねーし。」と思われるんじゃないか、など余計な心配をしてしまうのと、話の流れで名前に触れるメンバーと触れないメンバーが生じてしまい不公平感というか何となくモヤっとした雰囲気になってしまうことから、メンバー紹介をする必要性を感じ、今ではステージの序盤で済ませてしまうことにした。

余談だが、MCで奥さんとの夫婦関係をネタにすることもあるのだが、その前にいちいち「あ、僕たち夫婦なんです」と触れるのも何かスマートじゃなくてイヤである。夫婦関係というのは大いにネタとして活用したいところだが…


投げ銭のお願い
たまに投げ銭形式のライブに呼ばれることもある。黙ってお客さんがお金を投入してくれるならどれだけ楽だろう。残念ながら我々はそこまでの人気は無い。そこで嫌味なく課金を促すことをアピールしたいところだが、これがメンバー紹介よりさらに苦手。お客さんは投げ銭システムであることを理解してきているのだから、それこそ考えすぎなのだが「すみません、お金を下さいとアピールできるほどの者ではないんですが」などという自虐的感情に苛まれて、結局何も言えず終わってしまうということがある。MC担当者としてもバンマスとしても失格である。

7月に投げ銭形式のライブに出た時、MCで何とかアピールしようと意気込んでいたのだが、我々の一つ前のミュージシャンがGETしていたビックリするような多額の投げ銭を見てしまい「あ、これ以上お客さんにお金使わせちゃいけない」などという謎の自制心が働き、用意していたとっておきのMC「拍手はいらないので投げ銭を下さい」を急遽封印、投げ銭には何も触れず淡々とステージを完了させてしまった。腰抜け野郎と笑ってくれい…。

その点、この前営業でしっかり投げ銭のおねだりが出来ていた学生バンドは大したものだなあ。見習わねば…。


それにしても「お前情けねえな。キャリア長いんだからもっと堂々としろよ!」と、天国のANYWAYのマスターに怒られそうな話である。でもそう思っちゃっているんだから仕方ない。来月も投げ銭のステージの予定があるので憂鬱である…。

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今朝、久しぶりに変な夢を見た。近年あまり見ることが無かったブル研(北大ブルーグラス研究会)ネタである。これは記録せねばと起きてすぐにスマホにメモをした。というわけで、10何年かぶりになると思うが夢日記である。どうぞお楽しみください。


☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆


どういうわけかブル研の部会で話すことになった私。

部会の議題は「部員が何か失敗した場合のペナルティ・罰ゲームを何にするか」である。
学校の教室のような部屋で、部員が数十人座ってこちらを向いている。

私は教壇に立ち、部員に良いアイデアがないか問いかける。
誰かが「アイスを全員におごるのはどうでしょう?」と発言。
ペナルティとしては非常にオーソドックスだが面白みには欠ける。金銭的な負担も大きく、保留としてさらなる意見を皆に求める。

廊下側に座っていた一年目の男子が「とりわけぎり」なるものを提案してきた。
聞きなれない単語である。彼はその場に立ち説明を始める。

「とりわけぎりの『ぎり』は『切り』ではなく『斬り』です。とりわけ斬りというのは、鍋などを食べる時、とりわけてもらえないというペナルティのことです。」

私はペナルティとしてはちょっと軽すぎないかと思ったが、自信満々に説明する彼を見て却下することが出来なかった。

とりあえず今までの案を黒板に書こうとする。前の授業の板書が残っており、消そうとするがなかなか消えない。消すのに15分くらいかかってしまった。

ようやく消し終わりあらためて他に意見を求めたところ元部長が前に出てきて、黒板に馬の絵を描いた。そして彼は「How mountain girls can love」を演奏する時に、馬になりきるというペナルティ案を説明しだした。「馬の真似をするのではなく、馬になりきるのです!」彼はそう熱弁していた。

私は「この曲をやる時以外には適用されないペナルティなら、これもまたヌル過ぎるなー」と心の中で思った。

いつのまにか場所が教室から外に移動しており半数ほどの部員が馬に乗って遊び始めていた。私は学級崩壊のようだと思った。

60697ECE-6046-4A19-8641-AFB7E4618E8E 先週の金曜日、すすきののファニーに行ってきた。9/8に行われるブルーグラス☆ポリスのライブの最終打合せと下見である。ありがたいことに予約がすぐに一杯になり、キャンセル待ちも何名かいる状態であった。「当日ギリギリでも良いので、キャンセル出たら連絡くださいっ!」なんてメールを頂いたら、たとえキャンセルが出ていなくても主催者としてはなんとか入れてあげたくなるではないか。そもそももっと広いお店で企画せーよという声も聞こえてきそうだが、まあそれは私もギターの染田屋君もこのお店に色々と思い入れがありまして。
 
というわけで定員に対して何席増やせるか、レイアウト次第で何名収容できるかなどの現地調査をした結果「まあとりあえず何とかなるでしょ」という結論が得られたのでお店の許可を得た上で増席決定。カウンターでジャックダニエルのロックを飲みながらキャンセル待ちのお客様に「お席がご用意出来ましたよ」とメール送信したり常連さんと話したりしてそろそろ帰ろうかと思った時、不意に来客。
 
「一人ですが大丈夫ですか…?」
おそるおそる入店してきた男性。カウンターの一番下手側に座る。40代のサラリーマンでなかなかのイケメンである。サッカー元日本代表の我那覇選手に似てなくもない。もっとメジャーな芸能人で例えたかったがどうしても思い浮かばない。我那覇君ではピンとこないと思うので加藤君(本名)と呼ばせていただく。
 
加藤君、このお店に来るのは初めてとのこと。私もこの店に来て長いが、所謂いちげんさんが一人で入店してくるところに居合わせたのは初めてである。なぜ数あるお店の中で、すすきのの外れのビルの7階にある、中の様子も窺えないファニーに来たのか。
 
「オープンマイクのお店を探していたんです」
おー、なるほど。ミュージシャンだったのね。高校時代、バンドをしていたとのこと。加藤君によるとすすきのでオープンマイクをしているお店はそんなにないそうだ。
 
「でも、入るのに勇気が出なくて、さっき一度引き返したんです」
あー、わかる。入ったは良いけど常連ばかりの内輪向けの店だったりしたら居心地悪いもんな。でもここは大丈夫。俺なんかこの前常連さんとLINE交換したときに自作のスタンプまで買わせちゃったぜ。それくらい気さくな人が多いから。
 
「別の店でビール一杯飲んで気合入れて来ました」
おー、それも分かる。今日を逃したら一生行けないみたいな勘が働いたんだろうね。アルコールの力を借りて行動するって言うのはアリだよね。
 
「なので、自分歌っても大丈夫ですか?」
もちろんだよ!そういう若者(といっても3歳しか違わない)が来てくれて嬉しいよ。上手下手関係なくガンガンやっちゃってください。弾き語りかな?
 
「実はギターも何も弾けなくて。バンドではヴォーカル専門だったので…」
おー、そうか。別に構わないと思うぞ、アカペラでも。

「よし、じゃあ俺ギター弾く、お前ベース頼むな」
加藤君との会話を聞いていた常連のおじさんが口を挟む。いや、あなたがギターを弾くのは勝手だが俺はベース弾けないっすよ、酔っ払ってるしエレベなんて随分触ってないし…
ここ数年はエレベを弾くといえばこの店で半ば強制的にステージに引っ張りだされた時くらいしかない。そして毎回恥を晒すのだ。

「いや、俺タテ型のベースしか弾けな…」
「うるさい、この前変なスタンプ買ってやっただろうが!」
ぐっ、確かに酔った勢いで半ば押し売りのように買わせてしまったが…まさか貸しをつくることになるとは…

かくして加藤君の記念すべきデビューの舞台の足を引っ張ることになった私。せっかく楽しみにしていた彼の歌声を聴く余裕もなく、動かない指と慣れないコード進行に四苦八苦するステージをお見舞いしてきた金曜の夜であった。

加藤君、これに懲りずにまた来てな。そしてギターでも何でも良いので弾き語り出来るようになろう!

final※食事中の本記事の閲覧はおススメしません。

さて体力が足りないという話。基礎体力が無いのは認めざるを得ないところ。基礎体力を最大HPとする。最大HPは地道に運動なり食事なりしてアップさせるしかないところであるが、そもそもHPが回復しきっていないことも疲労の原因になり得る。
ドラクエなら一晩寝ればHPはマックスに回復するのだが、現実世界ではそうはいかない。睡眠の量が足りなければ回復量も見込めないし、睡眠の質が悪ければ逆にHPが減ってしまう可能性だってある。この夏は寝苦しくて睡眠の質が担保出来ていなかった。今週から涼しくなるからまあよく寝れるようになるでしょ、と昨晩までは高をくくっていた。

昨夜床に就いたのは23時頃だろうか。キャンプの疲れもあってすぐに寝付けたのだが、2時頃に小便に起きる。2時か…、まだ結構寝れるなと思いすぐに夢の世界へ。ちなみに昨夜の夢は私がAI生成したおじさんが次々に現実世界に現れるというものだった。半分悪夢みたいな内容で体力回復どころか精神を削られるようなものだが、夢の内容はコントロールしようがない。

次に目覚めたのは5時。また尿意である。やれやれと思いつつ仕方ないのでトイレに行き、あと2時間寝られるなと思いながら布団にもぐる。

しかしまた尿意で目覚める。時計は6時である。明らかにおかしい。さすがに何かの間違いかと思い、独自に編み出した片足を上げる「尿意をやりすごす睡眠体勢」をとったが(AI生成画像参考)、いつも一定の効果があるこの技もなぜか通じず、「バッキャロー、お前さっきトイレ行ったばかりだろうが!」と下腹部に鉄拳制裁を見舞うも逆効果で、やむなくトイレにて排尿。1時間前に出したのにも関わらず、まあまあ出る。何というか膀胱が確変状態になっているのではないか。昨晩は酒を飲んだわけでもないし、カフェインを摂ったわけでもない。いつもと変わらぬ夜を過ごしたはずである。結局もう眠ることは出来ず、釈然としないまま起床した。見事に寝不足ある。

ここまでひどい夜は滅多にないが、基本的に毎日の目覚めは尿意とともにある。睡眠開始から約6時間後には目を覚ましてしまうほどの尿意がある。24時に就寝したとして6時くらいに目が覚め「あー、トイレ行こうかな〜、どうしようかな〜」と逡巡する。たいていは行かずにやりすごす睡眠体勢を取り7時までうとうとするというのがいつものパターン。尿意を自覚せずに9時間とか一気に眠ってみたいものだ。

思えば睡眠時に限らず、昔から活動時もトイレが近い。尿意を感じるとすぐトイレに行ってしまう。なんなら尿意が無くても念のため、みたいな感じで行ってしまうこともある。要は膀胱を甘やかしすぎているのだろう。もう少し根性見せてほしい。あのな、世の中には仕事中に自由にトイレに行けない雰囲気の職場だってあるのだぞ、お前(膀胱)はいつでもトイレに行けるのだからせめてご主人が睡眠中くらいは頑張ったらどうだ、と懇々と諭したくなる。お前、高校生の時はスキーの帰りのバスの中であんなに頑張れたじゃないか。俺、我慢し過ぎて全身が痺れて一人で歩けないほどになったのにそれでもお前、一滴も漏らさなかったじゃないか。あ、ちなみにその時はバスに緊急で停まってもらい、友達に肩貸してもらって山の中で致しました(時効)。多分それがうちの膀胱のベストバウトです。

なお2年ほど前、尿意はあるけど出ないという症状があり、泌尿器科に行って診てもらったが特におかしいところはなかった。しいて言うなら座り仕事なので慢性的に前立腺が炎症を起こしているのかもしれないですねー、とのこと。おじさんにアソコを触られるという極めて不快な思いをしたわりには、なんとなく分かったような分からないような診断結果しか得られなかった。でも2年前の話だし、そろそろまた診てもらおうかな…。

というわけで体力増進だけではなく、質の良い睡眠をするために最低限の膀胱忍耐力はつけたいと思った次第である。膀胱君、少しずつ頑張っていこう!何をどう頑張るのか分からんけど。

この前の土日、札幌ブルーグラスフェスティバルがあった。去年はフェス自体久しぶりの開催ということで、全面的に協力というかむしろ先頭に立って好きなようにやらせてもらったが、今回は一応協力できるよう準備はしていたが極力口出しせずに見守っていた。色々な反省点はあるが、主催側と共有して来年以降に活かしたいと思う。

当日もあくせく働いていた去年と違い、今年はのんびり参加させてもらった。はずなのにものすごく疲れた。自分にはフェスを楽しむ体力が備わっていないことを痛感した。

フェスには例によって前日入り。金曜の夜に協力者の方などと少し飲み食いし、早めに就寝。夜は少し暑くて寝苦しかった。早朝、遠くからニワトリの鳴き声で起こされ寝不足気味。

午前中に温泉に行き体力が回復するも、気温上昇にともない体力が削られていく。元気に働く学生たちを横目に軽い熱中症を自覚し、頭から水をかぶったり足を水に浸からせたりしてしのぐ。ちなみに去年はこの時間に来場する参加者の方たちに挨拶周りをしたり、オーナーと打ち合わせしたり、テントの設営をしたりとバリバリ働いていた。今年はPAセッティングに手こずる学生を遠巻きに眺めながら椅子から一歩も動けないでいた。

暑さが収まりつつある夕方の時間帯、ようやく活動的になり酒もすすむ。かなり久しぶりに会うOBのテントに長居をしてしまい、ステージの進行も娘の夕ご飯もオーナーのご機嫌取りも忘れて飲酒。

気づけば20時。何かを焼いて食わなければと思うが、炭をおこしたくらいの時点で眠気が限界を迎え、テントに入り仮眠。22時から出番だから21時にアラームをセットし、目を閉じる。

「おーい、次出番だぞー」
テント前に来たバンドメンバーの声にハッと目を覚ます。時間は21:17。進行が早まっている。アラームに気づかず爆睡していたようだ。そして、隣では奥さんも爆睡していた。

奥さんとともに慌ててテントを出るが頭が痛い。そして奥さんを見ると私よりも状態がかなり深刻そうである。本人によると短時間とは言え寝ていたので二日酔いらしい。彼女は昼間に来るとは知らされていなかった仲良しOBが来てテンションが爆上がりし、私とは別の所でずっと酒を飲んでいた。

昼間は夫婦ともども酔っぱらってテンションが高く、22時からのステージでせっかくだからみんな楽器持って上がりなよ、呼び入れるからさー、などと結構大人数に声をかけた記憶がある。

しかし今や私はまだしも、奥さんは燃え尽きてしまい立っていることさえままならない。とてもじゃないがステージに色々なメンバーを呼び込むだけの器が無いのである。心の準備、楽器の準備をしていたみなさんごめんなさい。

結局1曲目以外は何の曲をやるのかもはっきりしないままステージに上がる。奥さんはもはや人前に出て良い顔ではない。無表情というか仏頂面というか憔悴しきった顔というか、自業自得とは言え気の毒である。頼むからステージ上でゲロ吐かないでくれよ。

しかしそこはプロ根性である。過去もステージ直前まで二日酔いでゲロを吐いていたことが何度かあるが、胃液の一滴も戻したことは無かった。今回も何度もこみ上げてきたそうだが己の尊厳と借り物のステージトラックは死守したのである。さすが。

奥さんに比べればまだマシだったが私も泥酔状態だったのでステージのことはあまり覚えておらず、やる予定じゃない曲を立て続けに弾いて終了。終わるや否や奥さんはテントに直行。「ビニール袋ちょうだい…」と力なくつぶやき彼女の札フェスは終わった。

私も昼間の暑さに体力が削がれ、頭痛と気持ち悪さで懐かしいOBと酒を酌み交わしたり、フェス主任をねぎらったりする元気もなく、ほどなく就寝。まったく情けない。

というわけで来年のフェスまでにはもう少し楽しい時間を満喫できるよう最低限の体力はつけたいと思った次第である。

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昨日、高校一年時のクラス会があった。高三のクラスの奴らとは年に1,2回会っているが、一年時のクラスの面々と会うのは久しぶり。高校卒業以来初めて会うメンバーもいた。もし著しく頭髪が寂しくなっている男子がいたら明るく「禿げとるやないかーい」と突っ込もうとシミュレーションしていたが、それも杞憂に終わった。基本的にみんな見た目は変わらず、男子は渋く、女子は美しく年齢を重ねていた。
(※画像は記念で撮った写真をプライバシーに配慮しAI加工したもの。ベトナム料理店なのでプロンプトを「ベトナム」としたところ、全員ベトナム人になっちゃった)
 
高校一年のクラスは男女分け隔てなく仲が良く、みんなで遊びに行ったり、宅飲み(時効ということで許してください・以下「時効」)したり、図書館行ってテスト勉強したりと、今思えば絵に描いたような青春チックな一年間だったと思う。思い出なので美化されちゃってるかもだけど。
一方、高三のクラスはというと、まさに退廃的青春。迫りくる受験から目をそらして放課後に紫煙をくゆらせ(時効)賭け麻雀(時効)とか賭けトランプ(時効)している思い出しかない。高一の時は男女比ほぼ1:1のグループで遊んでいたが、高三は男のみ。共学なのに男子校のようであり、絵に描いたような青春とは程遠い一年間であった。まあこれはこれで楽しかったけど。
 
昨日は話題が尽きないといった感じで二次会まで喋りつくしたわけだが、当然「あの時は誰が好きだった」とか「誰と誰が付き合っていた」みたいな恋バナにも花が咲いた。もし女子から「ミネル君(※高校時代の私のあだ名。中三の時にミネル学院という個性的な名前の塾に通っていたためこの名がついた。最初は不本意だったが、すぐに慣れた)はあの時誰が好きだったの?」的なキラーパスが来たらどうしようと身構えてたが、幸いそのような質問が来ることは無かった。
訊かれても「いやー、特に好きな人はいなかったなー」などというつまらない答えしか持ち合わせていなかった。年甲斐もなく恥ずかしがっているというわけではなく、今思い出しても誰かが気になってドキドキしたとか、誰かを想って眠れなかったとか、そういうのが全く無い高校時代だった。うーん、今さらだけどちょっと寂しくないか…。本当に今さらだけど。
 
自分からはこのクラス会で、特に女子たちに聞いておきたいことが一つあった。
 
高校卒業後、浪人の末大学に合格したくらいのタイミングの時。高一の時にクラスが一緒だったとある女子がわざわざ「合格おめでとう」みたいな電話をかけてきたのだ。携帯はまだ普及しておらず、わざわざ家の電話にである。同じグループで遊んではいたが、一対一ではほとんど話したことはない、そんな女子が卒業から一年ほど経って突然電話をかけてきたのである。ちなみに今回のクラス会には来ていない。

しかし、あいにく当時住んでいた実家の電話はリビングにあり、会話が母親や妹に筒抜けである。ただでさえ珍しい女子からの電話に戸惑い、さらに家族に聞かれてるかもしれないとなると自然な会話は出来るはずもなく、一向に盛り上がりも見せぬまま電話は終わった。

これで終わりではなく、さらに数日後また彼女から電話がかかってきた。前回は合格おめでとうという名目はあったが、今回は特にテーマはなくフリートークである。いまいちなぜ電話がかかってきたのか腑に落ちない私に対して、彼女は愛の告白をするわけでもなくデートのお誘いをしてくれるわけでもなく、当たり障りのない会話を15分ほどして特に何も無く会話終了。

それ以降は彼女から電話が来ることはなかった。

んー、もしかして俺に気があって電話かけてみたけど会話してみたら思いの外つまらなくて見限られてしまったのだろうか。それともクラスの女子で示し合わせて何かの罰ゲームで電話をさせられたのだろうか。いや、罰ゲームて。

今回のクラス会で、もしかしたら何か分かるかもしれぬ。場合によっては20数年経ってモノクロだった青春に少し色がつけられるかもしれないではないか。

そんな淡い期待を持って「いや、誰にも言ってなかったけど実はこういうことがあってだな…」と一通り女子達に話を聞いてもらったが「えー、知らない」「なにそれ初耳ー」「ふーん、そんなことがあったんだー」などの反応。うーむ、拍子抜けである。本人に訊いてみない限り、真相は闇の中である。

S子ちゃん!あの電話は何だったの?罰ゲームではないことを信じてる!

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