2010年09月02日

「つか芝居」の効能

先日亡くなった戯曲家、演出家のつかこうへいさんの舞台に出て「演技開眼」した俳優はとても多いと言われています。

最近の女優では、黒木メイサ、石原さとみ、小西真奈美、内田有紀、広末涼子、黒谷友香、小池栄子、富田靖子、牧瀬里穂、石田ひかり……、男優では阿部寛、草なぎ剛、東幹久、石原良純……。

他にも数多くの俳優がつか作品に出ることによって演技が変わり、「一皮むけた」と認められるようになりました。ずらーっと並んだ名前を見てわかるように、特に「清純派女優」のブレイク請負人のような感じでした。

なぜ、つか作品は女優をブレイクさせることができるのか?
出演した女優は口々にこういうことを言います。

過激で口にするのも憚れるようなセリフを無理矢理言わされる。人前ではとてもできない恥ずかしい動きを付けられる。ちょっと躊躇するとその場の「口立て」でもっと過激になってくる。何十回も繰り返し、繰り返し……。頭で考えるよりまず全力で身体ごとぶつかっていく。
そのうち、何かが吹っ切れて楽になり、その口汚いセリフを叫んでいる自分を冷静に楽しんで見れるようになった。

つまり、「離見の見」です。

もちろん、様々な要因が劇的向上に関係あったと思います。またやはり、出演したすべての人に当てはまるわけではないでしょう。でも、多くの人が演技に目覚める”ツボ”みたいなものがやはり「つか作品」には明確にあるのでしょう。

女優がおしとやかに隠したい、と思っているものをすべてさらけ出すように強制する。そうして、

 口汚いセリフを大声で叫んでいることに”快感”を感じている自分って誰?

という感覚が生まれるまで追い込んで行く。そうして「自分を見られる」という受け身的演技から「”自分が”そこにさらけ出した何か」を見せるように変わっていく。

そうして、予定調和ではない「ライブ」の快感、そして「愛」の一体感がそこに生まれていく。まさに「劇的空間」がそこに出現します。

私も「蒲田行進曲」は大昔に自主公演で演ったことがあります。「つか芝居」のヘドロの中から銀鱗のキラメキのように飛び出してきて輝くセリフの数々に酔いしれたものでした。もちろん、実際のつかさんの演出は受けたことがないので、大きなことは言えないのですが。

  ○  ○  ○

ちなみに「小劇場ブーム」以前の芝居の「演出家」というのは、多かれ少なかれ「威圧的」でした。そのころの芝居というのは、ガチガチになっている役者に高圧的に「やめちまえー!」とか「へたくそー!」とか、暴言や侮蔑の言葉をぶつけまくり、さらにそれだけでなく、それこそ手当たり次第、灰皿とかペン立てとか台本とか、いろんなものをぶつけて抑圧し、ノイローゼになるくらいボロボロにしたところで「開き直り」を引出します。そうして「よし、殻を破ったな、オレのおかげだ、うん」「ありがとうございました、先生!」となるわけです。

役者とは社会から外れたアウトローであり、世の中が単一の思想に染まっていた高度経済成長期で、演劇とはあくまでも「カウンターカルチャー」だったから、それでも良かったのです。でも、いまもしそれやったら、劇団員はひとりも残らないでしょうね。第一そういう手法は「非効率」です。ほんのいくつか「たまたま咲いた華」の周りには、累々と屍の山が築かれていたのですから。

その混沌の中でも「つか芝居」が揺るぎない評価をつかんでいったのは、やはりその根底に「愛」があったからでしょうね。「つかこうへい」というそのペンネームは、「いつか、公平な世の中に」というメッセージが込められていたそうですから。

  ○   ○   ○

さて、そんな「劇的向上効果」のある「つか芝居」的なもの、利用しない手はありません。上演戯曲もいくつか出版されてはいますし、文庫版もまだ手に入ります。しかし、「レッスン」というくくりの中で行うにはややハードすぎます。

また、「つか戯曲」はただそのままやるだけでは「空振り」しがちです。そういう残念な公演も何度か観たことがあります。突き抜ける所までいかないと、逆に戯曲の持つ「毒」に犯され跳ね返されてしまうのですね。

そこで僭越ですが、その「エッセンス」だけちょっとマネしたエチュードをレッスンに取り入れて行こうかなと思っています。「日常世界」のすぐ隣りにある「非日常的世界」に入りこむ快感をつかんでいただければ幸いです。

その「エッセンス」とは、やはり「啖呵を切る」ことです。
日常生活の中では、到底あり得ないレベルのそれを、身体ごとぶつかって表現する。それによって何か変化するものがあると思います。
ちなみに啖呵とは、

たん‐か【啖呵】
1《3が原義》喧嘩をする際などの、勢いよく言葉が飛び出す歯切れのよい言葉。
2香具師(やし)が品物を売るときの口上。
3(「痰火」と書く)せきと一緒に激しく出る痰。また、ひどく痰の出る病気。

たんかをきる【啖呵を切る】
《痰火がなおると胸がすっきりするところから》歯切れのいい言葉で、勢いよくまくしたてる。「江戸っ子が威勢のいい***る」(大辞林)

いままでのレッスンの中に「スパイス的」に取り込めたらどんなことが起こるだろう?といまからワクワクしています。

  ○  ○  ○

芝居は時代と共にどんどん変わっていきます。未来を創造する芸術の一つなのだから当然です。そのレッスンもどんどん変わって行くべきだと考えています。もちろん、時代に影響されない「効果的カリキュラム」は不変です。それ以外は新しいものも古いものも取り入れて、どんどん変化した方がいいのです。

もし、何十年も「同じこと」を行っているレッスンがあるとすれば、たとえ伝統芸能だろうが伝統工芸だろうが、どんなジャンルであったとしても、それはあまり「価値がない」ものだと考えます。「変化とは進化」なのですから。


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