岩崎雄大の低温日記 

  アラフォー弁護士の五行歌・短歌日記です。    

吾がこころ寂しきときにみちのくの涯まで行かむ旅をしぞ思ふ (金田千鶴)  

天に繋がる
萃点として

一本の
杭とならん (一歳) 

全日本短歌大会(日本歌人クラブ)にて秀作賞を頂いた。

どちらかと言えばを使い逃げているぼくには麻のざらつきがない 

良くない意味合いだが、「どちらかと言えば」の選択肢は自分に合っていると思う。

雲のなかにラドンの姿消えていく雷の夜

 

五行歌2020年8月号より

遅れてくるもの
北国の春 宮本武蔵
アベノマスク
中年以降の筋肉痛
息子の返信メール
(三隅美奈子氏 横浜五行歌会)

「アベノマスク」か「返信メール」あたりから着想されたものと思われるが、それより前に「北国の春」と「宮本武蔵」を入れた作者に敬服した。

挙げられている五つの物事を一つずつ順に消してみると、この歌においては「北国の春」が最も欠かせない要素であると感じられる。

例えば、「北国の春」の導入が無ければ「宮本武蔵」が唐突になり、そこからアベノマスクへの反転にも違和感を感じてしまう。
つまり「北国の春」から「宮本武蔵」へのワープが一度生じているから、「宮本武蔵」から「アベノマスク」へもすんなり流れると分かる。

他方で、三行目〜五行目は、そのいずれかが無かったとしても、そう大きく歌としての印象は変わらなかった。

これを前提とすると、作者が詠もうとしたもの(三〜五行目)と、歌の骨格として重要な役割を担うものとは、必ずしも一致しないことになる。

両者は一致していたり区別できないものと思っていたが、作者はズレが生じ得ることを認識し、且つ自分の歌に生じることを許容しているのだ。
その間隙を突くことで生まれたのがこの歌、という整理も可能かと思う。

ネギ  つんつん  さら  さら  海

AQ歌会(7月紙上歌会)より

背泳ぎが
好きだった
七月の
空を
泳ぐの
(かおる氏)

背泳ぎは、いつ、手がプールの端につくのか分からず、怖くて苦手だった。

でも、この歌を読むと、顔の位置を一定に保つことができるから、人によっては、自由度の高い泳ぎだったのかと思えてくる。

ゴールが見えないことと、上を見ていられること。

上を見ているからゴールが見えないではなくて、ゴールが見えないから上を見ているのだと考えることはできなかった。

水と空とが同化している作者には、少なくともプールの端など眼中にない。



一人用のレジャーシートを広げ、使い、しまう 午後

知的障害・精神障害のある男性が、自治会の役員らにより、できることとできないことを書面に書くように求められ、その翌日に命を絶った、というニュースを読んだ。

少なくとも現時点で言えることは、自治会の「班長選び」から外れることについて他の住民に理解を求めるための方法だったとしても、適切ではなかったということである。

実際の書面と見られるものを読んだが、そこには、金銭の管理や回覧板を回すといったこととは全く関係のない事柄まで書かれていた。
男性がどういう気持ちでこれを書いたかと思うといたたまれない。

社会福祉協議会の関係者が同席していたということであるが、障害の内容や程度については、手帳や証明書をもとに具体的に説明することは可能であるし、そもそも自治会役員が理解していれば足りるのではないかと思う。

詳細な経緯は明らかではないが、社協が関与していたのであれば、もう少し違う選択肢をとれたはずだと思えてならない。

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