岩崎雄大の低温日記 

  アラフォー弁護士の五行歌・短歌日記です。    

吾がこころ寂しきときにみちのくの涯まで行かむ旅をしぞ思ふ (金田千鶴)  

天に繋がる
萃点として

一本の
杭とならん (一歳) 

東京都のカスタマーハラスメント防止条例が昨日成立した。
施行は来年4月1日。

条例は、カスハラを「顧客等から就業者に対する著しい迷惑行為であって、就業環境を害するもの」と定義し、何人もカスハラを行ってはならないと禁じている。
施行に向けて、都は実例等を示したガイドラインを公表するという。

罰則はないものの、止めるよう求めたり 対応を打ち切る際の根拠となり、抑止という点でも機運を上げていくことは重要であるから、意義のある条例だと思う。

最近、カスハラ対策に関して研修依頼を受けることも増えてきた。
福祉事業者にとっても、いわゆる対応困難者の言動については、職員の疲弊から離職へとつながりかねず、深刻な問題と感じている。

他方で、障害者差別解消法や都条例に基づく「合理的配慮」を求める申入れ等が、安易にカスハラと捉えられることのないよう周知していくことも、合わせて必要と思う。

検討部会の議事録を読むと、委員からは、立場の弱い人たちが我慢しなくてはならなくなるということにはならない、といった意見が出されていた。

そうした意見は、事業者が合理的配慮について正しく理解し運用している、との大前提あってのものであり、現実はそう甘くない。
カスハラ対策を理由とした合理的配慮の不提供等の事例の状況についても、今後注視していくべきだ。

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まだまだ陽射しが強い。
懐かしく思い出すことも あるだろうか。

少し前、1年ぶりにボッチャを体験した。

いまさらだが、ボッチャとは「ジャックボールと呼ばれる白いボール(目標球)に、赤・青のそれぞれ6球ずつのボールを投げたり、転がしたり、他のボールに当てたりして、いかに近づけるか」(JBoA) を競うスポーツだ。

やってみると、思っていたより遠くに転がったり、方向がずれてしまったりと、力の加減が難しい。
先日は、上半身と足元をしっかり固定して投げる、というコツを教えてもらった。

上手い人は、わざと相手チームのボールに当ててその転がりを利用するなど、カーリングで見るような技を使っていた。

チーム戦だと、世代や性別等を超えて盛り上がること間違いなし。

このほどパリパラリンピックが開幕し、ボッチャ競技も始まっている。
どんなスーパーショットを観れるか楽しみだ。

舞鶴引揚記念館に行ってきた。

シベリアの強制収容所(ラーゲリ)での生活や家族に宛てた手紙、無事を信じた人たちの資料が展示されていた。
自分より若い人たちが熱心に展示を見つめていたのが印象的だった。

高校生と思われる語り部ボランティアの気持ちのこもった説明が館内に響く。

66万余人の引揚者と1万6千余柱の遺骨を迎え入れた

と一行で教科書は終わってしまう、と彼は言っていた。

先日、仕事で鷺宮に行った際、駅近くにある図書館に立ち寄った。

詩歌の棚を眺めていると、全集や古典に挟まれるようにその本はあった。
『滑走路』(萩原慎一郎)

以前から短歌大会の選歌集等で萩原氏のことは知っていたが、その後亡くなったことや歌集発刊、映画化などを知った今でも、まだ手にとっていなかった。

同じ時間軸の延長線から振り返ることに躊躇してしまったと思う。


『滑走路』より

 まだ結果だせず野にある自販機で買いたるコーラいまにみていろ

 とりあえず眼の前にある自販機で缶のコーヒー買っているのだ

 現実は奥行きがあり自販機で買ったコーヒー飲んでいるのだ

 桃食めばひとつの種が残りたり 考えていることがあるのだ

 あのときの居場所が今の居場所ではなくなっている冬の公園

 ぼくたちの世代の歌が居酒屋で流れているよ そういう歳だ

 眼の前をバスがよぎりぬ死ぬことは案外そばにそして遠くに


読み始めるととまらなかった。隣に人が座っていたのも気づかなかった。

そこには「今」が閉じ込められていた。
滑走路には、翼ではなく、砕くことのできない種が落ちている。


図書館の前の花屋が、外に向かって90年代の懐メロを流していた。

五行歌の会の入会案内が更新されていたので、僭越ながら勝手に紹介させていただく。
pamphlet.pdf (5gyohka.com)

掲載歌を含め、五行歌の魅力が詰まっていて素敵だなぁと思う。

この中に「メロディを捨てることによって」との記載がある。

そして「メロディ」とは、諸般の情勢から、主に 五七五七七 や 五七五 を意味していると思われる。

歌を書くとき、意識的にメロディを捨てよう とするものだろうか。
私は、メロディは拾うものだと思う。

この一点だけ納得しがたいが、五行歌は、私のような異端児的な人間も幅広く包含してくれる、素晴らしい詩形であるのは間違いない。

前例がない
が 昔から
嫌い
ないから
つくるんじゃん
『五行歌2024年6月号』より 井椎しづく氏


NHKの朝ドラを視ている。
朝ドラをしっかり視るのは、たぶん「さくら」(2002年)以来。

司法制度改革の波に乗っただけの自分には語るのもおこがましいが、時代を切り開いていく主人公にとって、「前例」は最も闘うべき相手であったかもしれない。

前例はいつでも安定した判断基準であり、前例の有無を、判断を支える理由付けの一つとすることは少なくない。

そうした前例がない場合、作者や寅と、私とでは、次の一手が違うのだろう。

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