岩崎雄大の低温日記 

  アラフォー弁護士の五行歌・短歌日記です。    

吾がこころ寂しきときにみちのくの涯まで行かむ旅をしぞ思ふ (金田千鶴)  

天に繋がる
萃点として

一本の
杭とならん (一歳) 

人権を守りながら
民衆を守るって
皿洗いしながら
ご飯食べるぐらい
ムズくね?

真面目な顔した老人に
日本潰されるなら
サンダル履いた
あほに潰されるほうが
納得行くでしょ?

五行歌2022年9月号 作品特集「N大学をぶっ壊す」より 水源カエデ氏

皿を綺麗にすることが目的化すると、肝心のご飯を食べることが疎かになってしまう。
汚れを落としやすくするために、ご飯を減らしてしまっては本末転倒だ。

人権は、普遍的な価値とよく言われる。
しかし、普遍的な価値というものに懐疑的な身としては、人権という言葉をなるべく使わずに、その中身を表わし、実現すべきと思っている。

それは、皿洗いよりも、ご飯を食べることに近い。

投げかけられた二つの「?」に、強烈な説得力を感じた。

ここ最近、あるプロ野球選手の女性問題が週刊誌などで報じられている。

事実であるとすれば、仮に当事者間で示談が成立しているとしても、道徳的な非難に値することに変わりはない。

ただ、よりショックなのは、プロ野球関係者やファンのなかに、同人の行いを擁護し開き直ったかのような態度を示す人が少なくないことだ。

中絶堕胎は、命の尊厳に関わることである。

まるで人ごとのように堕ろす堕ろさない等と軽々しく口にし、それらを女遊びとも豪語することに対しては、おぞましさを禁じ得ない。

どれだけ活躍したとして、それは拭いきれないベールのようなものと思う。









本郷歌会宛に届いた「鎌倉・逗子五行歌会十五周年記念歌集」より

友からの
手紙あければ
大きなひまわり
笑いころげて
おちてきた
(泉ひろ子氏)

車貸して

彼女送って行きたい
ヒナの巣立ちの
始まりだった
(今泉孝子氏)

道端の石ころは
拾えば手におさまり
胸の中のことばを拾うと
指の間からするりと抜け
青い空に吸い込まれる
(金森良子氏)

小さなジャンパーが
道端に落ちて
いた。電柱に
着せた。
次の日なかった
(金子美枝子氏)

かつて大好きだった人と
感動した風景
時を隔てて
一人で訪れたが
ただの景色だった
(野村誠氏)

降っていた雨が
音もたてずに
雪となる
流すはずの思い
閉じこめるように
(紫かたばみ氏)

収められている歌からは、堅実でやわらかい歌会の雰囲気が想像できる。

先日の歌会で、みんなで拝読しました。
御礼申し上げます。

先日、テレビで久しぶりに「耳をすませば」(スタジオジブリ)をみた。

オリビア・ニュートン・ジョンの「Country Roads」が冒頭流れると、当時抱いていた都会に対する憧れとともに、懐かしく切ない気持ちが湧いてくる。

もっとも、この年になって視ると、以前は感じなかった思いを抱くこともあり、それは必ずしも好ましいものではない。

話の途中、受験を控えるなかで、今やらなければならないこととして小説を書こうとする雫(主人公)に対し、父親が語りかけるシーンがある。

「自分の信じるとおり、やってごらん。でもな、人と違う生き方は、それなりにしんどいぞ。誰のせいにもできないからね」

人と違う生き方に今の自分が思うところもあり、このシーンでは「そんな僕を」肯定してくれるような気持ちになった。

ところが、その気持ちとは裏腹に、この話は、雫が、聖司から、将来結婚してくれないかとプロポーズを受けるところで終わる。

そこまでの台詞を言わせておいて、最後のゴールが「結婚」か、という違和感を抱いてしまった。
そんな見方をしてしまう自分にも、相当程度ショックを受けた。

もう帰れないということであろう。「さよなら カントリー・ロード」

まるで1997年のようだ。

優勝した98年の前年は、マシンガン打線で首位ヤクルトを激しく追い上げ、 その差は数ゲーム差にまでなった。
このまま逆転優勝できるのではないか、中学生の自分も高揚していた。

そして現在。
ベイスターズは首位ヤクルトに4ゲーム差にまで迫っている。
今日からヤクルトとの3連戦だ。

97年は、その首位決戦で、石井一久にノーヒットノーランを許し、勢いが止まってしまった。
力なく上がった、駒田のファールフライを鮮明に覚えている。

今年はどうだろうか。
冷静な自分と、ドキドキを隠せない40手前の自分がいる。

カマキリ ナナフシ
アンコウ オポッサム
あなた そして私
身を守るために
嘘つく生き物
(麹町倶楽部280回歌会 自由詠 一席   はるか氏)

オポッサムという動物自体知らなかった。
身の危険を感じると、死臭を出すなどして死んだふりをするらしい。

身を守るために嘘をつく自分なら、うんざりするほど知っている。

三行目の展開、玄人の技と思う。

荒川区にある円通寺という寺に行ってきた。

この寺は、坂上田村麻呂の開創と言われ、彰義隊士の墓や、上野戦争の際の弾痕の残る黒門で知られているが、悲しい場所でもある。
いわゆる「吉展ちゃん事件」(1963)で吉展ちゃんが見つかったのが、この寺だった。

最近「本田靖春集」(旬報社)というノンフィクションを読み、この事件を知った。

身代金受渡しの際の身柄確保に失敗するなどし、事件から2年経過した後、犯人の自白によって、この寺に既に埋められていたことが判明したという。

捜査にあたった者や事件関係者らの内面にも迫る 精緻でリアルな記述を通じて、オリンピックを翌年に控えた当時の日本の「影」の部分が滲み出るように描かれていた。

以下の動画では、身代金を要求する犯人の声もきくことができる。
吉展ちゃん誘拐事件 | NHK放送史(動画・記事)

その後、犯人は死刑となり、事件から8年後に執行された。

  負ひ死にし罪の重さをまざまざと曝さむ首のむらさきの痕 
  濯ぎたる肌着の白く吹かれつつ予告なき死に備へて乾く 

彼は獄中で短歌を詠みはじめた。短歌会への参加が叶い、毎月歌を出していたという。

  明日の死を前にひたすら打ちつづく鼓動を指に聴きつつ眠る (辞世の歌)

当日、真人間になって死んで行くという言葉を、自分を取調べた刑事に残したそうだ。

円通寺には、吉展ちゃんを祀った地蔵がある。
寺は昭和通りに面しているが、手を合わせていた間、何の音も聞こえなかった。

このページのトップヘ