岩崎雄大の低温日記 

  アラフォー弁護士の五行歌・短歌日記です。    

2010年07月

乙女の密告、読み終わりました。

「アンネ・フランク」 ユダヤ人であるアンネのアイデンティティーをめぐる葛藤や、アンネ達が置かれていた当時の悲惨な境遇が、主人公のみか子・乙女達・バッハマン教授・アンゲリカ人形を通して、京都の外大ドイツ語ゼミという現代の狭い世界に現れ出す。

そんな感じでした。     

・真実とは乙女にとって禁断の果実だった
・乙女達に噂される麗子様・禁断の果実に触れ、密告を恐れるみか子
・人形をかくまうことで、真実を知るミープとしての自分を守りたかったみか子
・思い出した言葉によって乙女達の噂を解消できたけれど、大事なものを失った麗子様
・真実のアンネ・フランクを語るために、アンネフランクを密告したみか子

著者は、「真実のアンネフランク」を語ろうとし、そのために京都の「乙女」というものを使ったんだと思います。「乙女」が、小説全体にとって、下地にもミソにもなっていると感じました。     

心に残った、バッハマン教授の言葉があります。
「異質な存在は他者という名前のもとで、世界から疎外されたのです。
ユダヤ人であれ、ジプシーであれ、敵であれ、政治犯であれ、同性愛者であれ、他の理由であれ、迫害された人達の名前はただひとつ他者でした。
ヘト・アハテルハイスは時を越えてアンネに名前を取り戻しました。アンネだけではありません。
ヘト・アハテルハイスはあの名も無き人たち全てに名前があったことを後世の人たちに思い知らせました。
あの人たちは他者ではありません。かけがえのない[わたし]だったのです。」

アンネ・フランクの功績をたたえる言葉です。

一方、ナチス政権によるユダヤ人の組織的虐殺の歯車として働き、数百万の人々を強制収容所に移送したアドルフ・アイヒマンは、
「百人の死は天災だが、一万人の死は統計にすぎない」という言葉を残しました。

そうじゃないですよね。
虐殺された一人一人には、かけがえのない名前があったのです。

「アンネは、1945年3月ごろ、ベルゲン・べルゼン強制収容所でチフスに罹患し、15歳の若さで死亡した。」
いいえ、そうじゃない。

アンネ・フランクは殺されたのです。

今日、午後8時から、「新・科捜研の女」の新シリーズが始まります。

科捜研シリーズが大好きで、現時点で携帯の着メロも科捜研です。
ただ、どうしても気になることがあるのです。

人事です。

1 科捜研の所長とその主任研究員が、親子であること。
2 刑事部巡査部長と科捜研の研究員が、兄弟であること。
  
5・6人しかいない狭い世界の中で、「身内優先不適正人事」の批判は免れません。

今回のシリーズでは、巡査部長を兄にもつ科捜研の研究員が退職しています。
退職の表向きの理由は、東京で精神保健福祉士の資格を取る為という自己都合退職。

しかし、精神保健福祉士国家試験の受験のためには大学等での専門科目の履修が前提条件となっている
ところ、わざわざその目的のために学術都市である京都を離れて東京へ出る必要はありませんし、
後任の新人は「官民交流」の一環として民間会社から出向することになっています。

きっと世の中の批判を考慮したに違いありません。

とはいえ、依然、人事権を持つ所長と主任研究員が親子のままです。
難しい問題ですが、
所長の娘である主任研究員は番組の主人公(沢口靖子さん)なので、これは所長が引退するしかなさそうです。

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