2012年11月17日

昨日、知人のY塾長のお通夜に行ってきた。

先週の木曜日に会う予定だったのだが、「不幸があったので」と
今週の木曜日に変更された。

そして、木曜日朝、蕨の塾兼自宅に伺うと
インターフォンを押しても誰もでなく、渡す資料に
「今日お会いする予定でしたが、来る前に確認するべきでした」
と書いて帰ってきた。

そして帰ってきてから電話をすると奥さんが出て、
「今日お会いする予定でしたが、様態が悪くなり、
 昨夜病院に行って、今朝6時に亡くなりました。
 まだ後で葬儀屋さんとも話し合ってないので、後ほど連絡します」
とのことだった。

実のところ、もう末期癌で緩和ケアに入っていたので
翌週の木曜日に変更された時点で
「会えないのではないだろうか」と思っていた。

勘が当たってしまった。

6年前、ちょうど古ちゃんが塾を辞め大手進学塾に移った年に
教材メーカーの紹介でY塾長と知り合った。

私の塾の資料などを読んで、大学の先輩でもあったのか
「全面的に応援しますから」といって下さった。

それからというもの1ヶ月に1回は必ずお伺いし、
ここ最近は、自宅の居間で、
昼食を奥さんの手料理を食べて帰ってくることが多くなった。

昨日は、お通夜で、
偶然にも仏教でいう焼香(天理教なので玉串奉納?)のとき

今のわたしのようにY塾長に指導を受け、
今では神奈川の数千人の塾生を持つ塾に成長させた
業界で有名なM塾長が一緒だった。

もう1人長年吉田先生の主催する勉強会にも参加し
親交の深かったA塾長。

3人が壇上に立つと
それまでご家族も涙をこらえていたのに・・・

食事の後、
Y塾長との対面があり、

喪主である息子さんが来られて
「(お父さんが勝又さんとの約束を守れなくって)
 すみませんでした」と涙を流しながら・・・

抱き合いながら号泣してしまった。

この何十年かの間に声を出して泣いてしまったのは
今回が初めてだ。

58歳は早い。
もう少し長生きして欲しかった。







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2012年11月01日

10月28日 10月の塾長の手紙にも書いた引越しをした。

古ちゃん、ポンポコ、柴ちゃん、バオ(福吉君)、パソコンの山ちゃんと土曜日、突然のメールにも対応したT松と朝電話があり、「手伝います」といってくれた事務のNさん7人で

いつもは結構暇なくせに、突然の引越しなのに、その真っ只中で小中1.2の個別面談を入れていた。

最初は、ほとんど面談希望なんてなかったのだが、しばらくすると面談希望者がどんどん増え、面談時間も30分面談からそんな短い面談ではと思い1時間程度という面談に切り換えたこともあってとっても忙しくなってしまった。
(面談は、その期間に収まらず1週間延長して今も継続中)

ということでいつものことながら全く引越しの用意せずに当日を迎えた。

片付いていないのでできれば引越しの手伝いは女性事務の方や講師は呼びたくなかった。

しかし、そんなじょうきょうだったから
突然事務のNさんが来てくれたことはまさに天の助けだった。
(あまりの埃に、鼻水からそこから風邪を引かせてしまった)。

日曜日は、例のマッサージチェアがあったのでもうたいへんだった。

ドアを外すにも、ネジ穴が潰れて、回せず、

パソコンの山ちゃんが来てくれ「貫通ドライバー」や砂鉄を混ぜたボンドのようなもので何とかした。

日曜と火曜に手伝ってもらったお陰で、何とか1日前の30日に不動産屋に引き渡すことができた。

しかし、引越しは出るだけでは済まず、広い部屋から狭い部屋への引越しはたいへんで、今もアパートはダンボール箱だらけで収集がつかない。

あれだけ苦労して入れたマッサージチェアもダンボール箱で動かせずただ邪魔なだけ。

来た皆は、広いワンルームでジャバラのドアで仕切れるようになっていた前のアパートがいいといっているが・・・



四畳半2つとキッチンのいわゆる2Kのアパートで
トイレとバスが一緒で古い。風呂は種火をつけて風呂の湯が溜まる時間を考えながら入れないとダメである。

しかし、なんか心が喜んでいるのである。

頭の中には、ロッキー3が思い出され、「Eye of the tiger」の曲が流れているのである。

WIN&WINセミナーをはじめたちょうど15年前の時点に戻り、初心に返り
「ここからやるぜベイビー」って感じなのである。

本当にお世話になった
亡くなったNさんの遺言で借りれることになったが

不動産屋も
駅から歩いて7分、2K 2万5千円の価格に
「針ヶ谷でそんな値段でなか絶対にありません。風呂がついていなくて4万円です」と驚いていた。

古いアパートというのが味噌で、Nさんは、色々相談に乗ってくれて応援はしてくれても、手放しで応援してくれる人ではなく、多少試練をさせるそんな人だった。

Nさんはパソコンができるから天国でこのブログを読んでいるだろうから
「ちゃんとメッセージ受け取りましたよ。頑張ります!」

winwin9 at 23:34コメント(1) 

2012年10月11日

カツ丼を食べながら泣いていた

8月26日、私は、昼、そば屋でカツ丼を食べながら泣いていました。泣いているのを見られたくないので、お絞りで顔を拭いたようにしながら涙を拭いていました。

テレビでは、「24時間テレビ」が流れていて、感動的な画像が流れていたので泣いていたのではありません。 ある生徒のお母さんの病気が完全に治ったことを前日に聞いて、そのことを思い出し、「よかった」と安堵し、思い出し涙を流していたのです。 そして、「この病気を治してくれたのは神様のお陰だ。(お祈りした)伊勢神宮にお礼参りに行かなきゃ」と思ったのです。夏期講習は、8月28日で終了しましたが、「終了したからと言って9月になるまでの期間休まず、しっかり2学期の準備をするように」とスタッフに檄を飛ばしながら、私は塾長特権を使い「どうしても今回はお礼参りに行きたいので帰省する」と伝え、帰省し9月1日に伊勢神宮に行ってきました。

伊勢神宮の駐車場に着くと突然雨が降り出しました。
その雨を見て、「これはきっと『よく来ましたね』という意味で神様が降らせた雨だ」と思いました。
というのも伊勢神宮の橋の前の鳥居をくぐろうとするときには、雨はすっかりやんでいたからです。
自分のお参りのときは、小銭しかお賽銭箱に入れないのに、お祈りしたときと同様の1000円札を入れました。

お礼参りに来たかった訳

今年の春先のことでした。A君のお母さんより塾長と面談したいというメールがありました。塾にとても理解があり、自然塾には子どもを毎回参加させてくれますし、父母会や勉強会など必ず出席してくれるお母さんです。
しかし、突然の面談は、私の経験上、退塾の話の場合が多いので、「本当に一生懸命やったけど、満足いく結果が出せなかったし、しかたないよな」と思いながらの面談でした。
話を聞くと退塾の話とは違い、「実は、検査で、病気が見つかりました。その病気は、致死率が高いので、手術や入院で、色々ご迷惑をかけるかと思いまして、塾長には先に話しておこうと思いました」というような話だったのです。
お母さんは、まだ若く40歳になったばかりで、中学生の男の子が2人います。子育てにはまだまだお母さんの存在が必要な歳です。
まだ子どもたちにも話していなかった重要な話を私の方にしてくれたことに対して「何とかしてあげたい」という気持ちが起きました。
その後、病名を聞いていたので私なりにもインターネットで調べましたが、「まずい」のです。普通の病院の治療では治らない確率が高いのです。
塾の生徒や知人の病気の時には、いつも相談させていただいている岩間こどもクリニックの岩間先生に電話して、そのお母さんが入院しているJ病院で「本当に大丈夫でしょうか」ということを聞きましたところ、岩間先生は、私に病名をもう一度聞き直しました。それほど心配な病気だったのです。
岩間先生は、「J病院で大丈夫です。もし私の家族が最初にJ病院に入院しても最後まで見てもらいます」と言ってくれたのです。しかし、口には出しませんでしたが、「最後まで見てもらいます」という「最後まで」というところに少しばかり引っかかりました。

まず私に話したのはベストな選択かも

私は、あまり学力は無いのですが、中学時代から研究しているヨガや武道などから派生して、呼吸法や食事療法などの自然治癒については詳しいのです(詳しいだけで実践していないことが問題なのですが)。
今では読む本の3分の1くらいはそういったものです(ちなみに少し知ったかぶりをすると漢方はダメです。抗癌剤と同じで、毒をもって毒を制するので、副作用が大きいです。その病気が治っても別な病気が出ます)。
A君のお母さんは、そういったことをご存じなく私の所に来られたのですが、私はなんとかAさんを助けたかったので、今まで研究してきた自然治癒の方法を話し、早速、2階にあった塾長室の本棚から本を数冊選んで渡し、その後、家にあった本を1、2冊選んで、自宅まで持って行きました。
A君のお母さんは、とっても勉強家なので、私の渡した本を読み、自分なりにも自然治癒をキーワードに本を探し、共通点の食事療法や呼吸法を実践したそうです。
お父さんも、一生懸命調べ、講演会などに行ったりして、最新の免疫療法を探し出しました(その治療はいいと直感的に思いました)。

WIN&WINセミナーは、家族と思ってください

そして、A君のお母さんには、こんなことも話しました。「もし、お母さんが入院してお父さんが仕事で帰ってこられない場合など、A君も(まだ塾に通っていなかった)弟のB君もいつでも塾に来させてください。お父さんが帰ってこられるまで、塾で勉強させて待たせますし、家までも送っていきます。ご飯を食べていなかったらご飯も食べさせます。ですから塾を家族と思って何でも相談してください。
それとこの話は、スタッフの協力も仰ぎたいので話をさせていただきます。そうしておくと、なぜA君だけを特別扱いするのかという講師からの不満もスタッフが処置してくれると思います」と話しました(A君家族だけが特別でなく、WIN&WINセミナーは、どの程度までできるかわかりませんが、どの塾生の家族、卒業生にもそうしていきます。そこが、商売で合格実績だけを売る予備校塾と「一生つきあえる仲間作り」が目的のWIN&WINセミナーとの違いです)。
そういわれたからと言って、そう簡単に頼めるわけもなく、A君家族で色々な工夫し、対処されていました。
たまたま一度だけ、A君のお母さんの実家のおじい様おばあ様が、手伝いに来てくれたとき、普段かけないカギをかけてしまい、そのまま実家に帰ってしまったため、A君弟のB君の2人は家に入れず、連絡も取れなかったことがありました。
お母さんから塾に連絡があり、その電話を取った私は、「授業がないので直接行ってみます」といって自宅に行きました。すると玄関においてある車の中にいる2人を発見しました。
夕飯代わりに、近くの「お好み焼き」でもと思ったのですが、その日は定休日で、ステーキバイキングの店に連れて行く羽目になりました。ちょうどその日はA君の誕生日近くだったので、お店の若いお姉さんたちからお誕生日の「ケーキ」と「歌」のプレゼントがあり、A君にとって、最低の一日が、最高の一日に変りました。

神様と雨の関係

こんなこともありました。
A君の自宅にお見舞と(食事療法を行っているので)切る手間のいらないカットフルーツを買って持っていったときです。バイクに乗るとポツポツ雨が降り出しましたが、そのまま走り出すと大雨となり、ずぶ濡れの状態でお見舞いを届けました。
あまりにもずぶ濡れになったので、塾には戻れず、自宅で着替えているとチュンチュンとスズメが鳴き出しているので外を見ると、もう雨はすっかり止んでいたのです。
その時、さすがに「神様!俺、何か悪いことしました?」と話しかけました。そういいながら少しして、考えを変え「神様!今後何度ずぶ濡れになってもかまわないから、A君のお母さんの病気を洗い流してやって下さい」とお願いしました。
雨、天の川、天照、アーメン、アクア、アモーレ、阿夫利神社。神や水を表すものは、世界的にあ音が多いそうです。それはむかし、むかし世界がもっと小さく共通言語だったころの一番大切な神様を一番のあ音で発音していた名残りであるということを本で読んだことがあります。
冒頭に伊勢神宮にお礼参りに行ったとき、雨を降らせ「良く来ましたね」と感じたのは、そんなことを知っていたからかもしれません。

たすかりたいでは、たすからない。

ゴールデンウイークは、塾頭の西山、副塾頭の柴田、高1のY君を連れ、志摩自然塾の下見に行きました。
志摩自然塾の最初の見学場所でもある伊勢神宮にお参りにいったときのことです。
そのとき塾では、2月に中3、高3ともに卒業生が過去最高の60名も出、3月、4月と頑張ったもののまだV字回復まで持っていけず、赤字続きの非常に厳しい状況だったのです。ですから、私としても日本一のパワースポットで神頼みでもしたい気分でした。
しかし、子どもを残して死ぬかもしれないA君のお母さんのことを思うと、自分の努力次第で何とかなる塾の経営よりも、「今回はA君のお母さんのことだけ祈ろう」という気になったのです。
賽銭箱に1000円札を入れ、伊勢神宮に行っても、生徒のためのお札は買ったことがあっても、自分のためのお札やお守りは買った覚えがないのですが、今回A君のお母さんのためのお守りは買いました。
すると、不思議なことが起きたのです。突然、依頼したわけでないのに日本政策金融公庫の融資担当から電話があり「融資をしたい」というのです。さいたまに帰ってからその融資担当と塾で会い、まったく審査らしい審査もなしに、1週間ほどで融資がおりてしまったのです。願ったり叶ったりといいますが、願ってないのに叶ってしまったのです。
「たすかりたいではたすからない。たすけたいという心を持つと、たすけられる」という話は、こういうことを言うのだと思ったのです。
その融資のお陰で、本来なら打てなかったチラシが打てたり、新しいティッシュを作ったりすることができました。結果、今年の1月の過去最高の生徒数を8月末時点でほぼ同数となり、ピークとなる1月に向け、さらに最高の生徒数を更新しつづけていくと思います。

神様の完璧なしわざ

ところが、神様は不思議な技をそれだけにとどめませんでした。それからしばらくして8月の初旬にA君のお母さんからメールがありました。
治療法も確立できていない病気が、検査結果で「正常値に戻った」とのことでした。
A君のお母さんは、J病院で、手術を受けたものの、その後の治療で、同室にいる患者の方々が、病院の勧める治療を受けるたびに元気のなくなっていくのを見て、「このままでは自分もこうなってしまう」と思い、逃げるように退院したそうです(なぜかこのときに「A君のお母さんは助かった」と思いました。そういうメールも入れました)。
病院の治療も受けずにそんな結果が出て「何をやったのですか」と担当医も驚かれたようです。
そう聞かれても、お父さんの勧めた最新医療の免疫療法をする前の検査結果でしたので、私が最初に勧めた食事療法や呼吸法を(基にお母さんがさらに本で読んで研究し)実施したことしか考えられないというのです。
お父さんの勧めた免疫療法を受けてからも、必ず高熱が出て辛かったようですが、検査結果もよくなったそうです。
8月末、メールのやり取りで、「食事療法で、精製された小麦粉がダメなのでうどんやそばが食べられない」ということを聞いたので「10割のそばを出すいい店があるから一緒に行きましょう」と与野にある「孤丘」という店に誘いました。
私が勝手にコース料理を予約してしまいったので、肉(魚)やてんぷらは食べられず、そばだけしか食べられませんでした(そばは、とってもおいしいかったそうで、お父さんとも行かれたそうです)。
そこで出た話は、食事療法だけで病気を治すことを勧める医者さんに直接診察してもらえる機会があったそうです。その先生の診察を受ける前には、今まで行っていた検査以外の別な検査が必要だったようで、「もしかしたら悪い結果が出るのでは?」と心配したようですが、その検査でも「まったく異常なし」であったとのことでした。
その話を聞いて「良かったですね」、「本当に治ったんですね」と言っているとうちに涙腺の弱い私は、涙をこぼしてしまいました。
今まであまり神様にお願いしても願いが叶ったという思いがありませんでしたが、今回は見事に願いが叶い、神様の偉大さを感じました。それにも増して、今までは不純な思いばかりを願っていましたが、願いを叶えるには、その思いの純粋さ、ピュアさが大切なのだと痛感しました。
(今回、A君のお母さんの許可を得て書かせていただきました)。
-中略
夜の特別演習 塾長講話

夜の特別演習では、2時間目か3時間目あたりにたまに5分程度の話をすることがあります。少し集中力ややる気をつけるためとか、受験には直接影響しないけれど聞けば人生に役立つ話をするのです。
勉強しながら聞いてもいいのですが、今年の生徒は、鉛筆を置いて聞いてくれる生徒が多かったように思います。今月はその塾長講話の一つを披露して締めくくりたいと思います。
 内申の悪い生徒に、「お前職員室に行って、成績の悪かった教科の先生の机でも拭いたらどうだ」と話すと、瞬間的に「それは教師に媚を売れということですか」という反論が返ってきました。
 「違うよ。先生にもっと感謝の気持ちを持て!ということや」といったのです。そんなことから以下のような話をしました。(少し話した内容とは変わっているかもしれませんが私の思うところですので参考になればしてください)。

俺は、昔から年下や後輩に優しいんだけどどうしても先輩や先生や上司といった上の人に逆らってしまう心癖があった。
中学1年のときに、野球部に入ったんだけど、2年の先輩からいじめられ、「勝又は絶対キャプテンにしないようにしよう」とか俺が守りたかったショートを「守らせないようにしよう」という話し合いがあったようだ。
それで先輩の策略は功を奏し、ショートとはならず、俺はもっとなりたかったピッチャーになった。センターからバックホームに投げた球が監督の目にとまり「勝又をピッチャーにせい!」となった。
そんなことで、中学時代は、1年上の先輩を「せこいことを考えるなんて心の狭い連中だ」と思っていた。
けれど、今になってみると先輩たちの気持ちが凄くよくわかる。いじめられて当然のことを俺はしていたから。
まず、漫画の読みすぎで、俺は中学に入ったら番長になろうと思った。
なので、小学校から上がったばかりの中1の俺が、2年生の中の一番弱いやつから喧嘩を売りにいった。1人目は楽勝。2人目は苦戦したが勝った。3人目を探す前に、一番強そうな部類のでっかいやつにつかまり、胸倉をつかまれ壁にどんどんやられた。「やばい」と思ってそれから止めた。
また、もっとひどいことがある。中1の後期に生徒会の選挙があり、中1の俺が会長に立候補してしまったんだ。
本当は、1年は会長に立候補してはいけない決まりがあったのに、立候補しろという先生に「俺は会長以外はやらない」というと、それを本気にした担任はアホなだけなのに逆に「凄いやつ」と思ったのか、職員会議にかけて、「同じ生徒なのに1年が立候補できないのはおかしい」ということになってしまい、出られることになった。言ってしまった手前出ざるを得なくなった。
選挙をすると、中3が面白って私に投票してしまったのかたった6票差の次点で落選した。これはもしかすると先生の画策があってわざと落としたのかもしれない。しかし、そうだったとしてもこれは先生の判断が正しかったと思う(2年後期にはしっかり生徒会長になった。3年は会長にあき、副会長になった)。
こんなことしていたから2年が「生意気なやつ」と怒るのはもっとものことであると今の私なら思える。
会社に入ってもそういった傾向は治らず、先輩たちから真正面からは来ないけれど、陰口を叩かれるような存在だった。「なんで俺は」と自分のやっていることに気づかずそれなりに悩んでいた。
あるとき、本を読んでいると「上司(先輩)からは可愛がられ、部下(後輩)から慕われるような存在にならなければならない」という個所に出会い、ハッとした。
「そうだ俺は後輩の方ばかり考えていて、正義の味方きどりだった」ということに気づいてから世界が変わった。
思うだけで態度が変わるのか、年上の方や目上の方から色々な応援や引きが入るようになった。
早く出世しようと思ったら上司や先輩たちからの引きが絶対にいる。そして、いい仕事をしようと思ったら部下の働きがいる。
だから両方から愛される存在にならなければいけないのである。
上司や先輩ばかりに眼が行けばゴマすりになってしまう。でも後輩ばかりで上司や先輩をおろそかにすれば、あなたより同僚や後輩が先に出世することになるだろう!

 今月の塾長の手紙は、A君のお母さんのことばかり書きました。実は、私の渡したお守りを手術中もずっと持っていてくれたそうです。
 ですが、こんな手紙には書ききれないほどの死の恐怖を味わい、もしそうなったとき残されたご主人や子どもたちはどうなるのだろうと考えたに違いありません。そんな中で、感謝の心も学び、魂も成長させたのだと思います。
 もし、神というものをまったく信じない人がいたとしたら、その人はとっても幸せな人で、まだ人智を超えた死の恐怖というものを味わっていないのではないかと思うのです。

 敬天愛人

大いなる神=天を敬い。生徒。その生徒を塾に通わせてくれている保護者の方々を始め、出会う人、巡り合う人をすべての人を愛せるような、
そんな塾となれますように塾一同今月も頑張ります!
皆様の応援をよろしくお願いします。

winwin9 at 02:21コメント(0)トラックバック(0) 

2012年10月06日

中3の体験の生徒を個別に見ている。

数学は別の講師が見て、私はそれ以外の担当。

まずは、乗れない自転車を乗れるようにして欲しいとの
依頼を受け、自転車練習をすることにした。

ガリガリで、がい骨が歩いているような感じで
運動もほとんどしたことのない生徒だった。

少し自転車の練習をさせるだけでぜいぜいしている。

乗れるまでに「4時間か5時間くらいかかるかな」と思っていた。

が、先日練習をしていると雨が降り
その雨が本降りになりそうなので、帰るまぎわ

雨にぬれないように急いでいたようで
ペダルをグンと踏み込め、1回、2回、3回、4回
と回し、酔っ払いの運転のようだったが
乗れるようになった。

1回出来てしまうと自信がつくのか
もう乗れるようになった。

後、2,3回練習すれば自転車は大丈夫だろう。

次は何をできるようにしますか?
とお母さんに聞くと

「泳げないので泳げるようにして欲しい」
とのことだった。
まあ、初めてのチャレンジだがやってみよう!

予備校塾のやっていることは結局は
長時間勉強で過去問題を解かせ、
多少連想記憶術が入っている程度である。

どこでもやっていることだ。
だから成績のもとから良い生徒を取りたがる。
合格実績が上がりやすいからだ。

WIN&WINセミナーは、
どの生徒も伸びる塾を目指しているから
その子の一番足りないところを強化する術を持っている。

だから成績ももちろん上がるが、
全く運動が出来なかった生徒がハーフマラソンや
トライアスロンに挑戦できるようになり、
学校でも走るのが速くなったり

不登校の生徒がめちゃくちゃ
強くなって、しゃべれるようになったり
笑えるようになったり
劇的に改善する(こともある)。

WINWINマジックは、
勉強面以外でもどんどん成果が出ている。

知育・徳育・体育を1つの塾でやっているから
出せる成果なのだ。

ある大手進学塾は、無料で偏差値70台の生徒を集め
合格実績に書いて、
内の塾はすごいといっているんでしょ。

こちらは土台から変えてみせるぜ!

けれど親の信頼と理解と協力は入ります。

winwin9 at 19:54コメント(0) 
塾長のひとりごと 

2012年10月01日

中華街に行ってきた。

8月の塾長の手紙で書いた
大手印刷会社時代の先輩のお父さんがなくなり
すっかり気落ちしているお母さんを
元気づける会である。

前回お線香をあげに行ったときは
「仕事が入った」とドタキャンした先輩も
今回はドタキャンなしにちゃんときた。

とはいうものの、メールを2回入れても
返事がこないことがあって
「こら◯◯◯!返事くらい出さんかい。
馬鹿者!」
とメールを入れた。

私は変なことをすると怖い後輩なのである。
まあ、私の方が年上だからしょうがない。

会社員時代は、その先輩を
「サラブレッドの家系に生まれた駄馬」
と呼んでいたから。

横浜というとすごく遠く感じたが
実際には、京浜東北線で一本だし、
みなとみらい線に乗り換えて4つめの駅が
元町中華街駅だ。

先輩の予約してくれた店は
重慶飯店本店だった。

こどもたちのお父さんの遺言は、
いいものをお母さんには食べさせて
あげられなかったから
これからは美味しいものを食べさせて
あげて欲しい
とのこただったそうだ。

旅行はいったようだ。

私としては、料理はまあ美味しかったけど
杏仁豆腐は、揚州商人の方が断然うまい。
あんな杏仁豆腐だったら
マルエツでも売っている。

食事中の話で出たのは、
「年賀状の整理をしていると勝又さんの年賀状だけは、
親戚の中に入っていたんですよ。
主人は、親戚のように思っていたんです」
と話してくれた。

食事を終え、中華街を歩いて外人墓地辺りを
歩いて、お母さんを送り、
先輩と少しお茶をして、帰ってきた。

いつも
「ありがとうございます」
と何度も言ってくれるので、
3ヶ月後くらいにまた何処かに
連れて行ってあげたいと思った。

winwin9 at 05:54コメント(0)トラックバック(0) 
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