書こうと思っていたら2週間くらい過ぎてしまった。
一部の人には口頭で話した話なので、つまらないかもしれない。




この前、娘にご飯をあげているときにふと自覚した。
ああ、今この瞬間に俺は自分が生きていることを謳歌している時間から、子孫にすべてを託す時間にシフトしているのだなぁ。と。

若い、と世間に言われる年ではある。
しかし、目の前に子供がいる限り、それは生物として若い部類ではない。
少なくとも、自己の防衛と本能を貫くよりも自制と節度を持って、後続の、より進化する可能性を持った種の盾にならねばならぬ存在へと変わっているのだ。

それを、たまたま、娘に匙を運んでいるその瞬間に感じた。

ああ。

食事が
途端に死への道程に見えてくる。


君は、その一口によってより明るい未来に進んでいくだろう。
それに対して私は、死への道を一歩ずつ確実に歩んでいるのだ!


などと、モラトリアム的なことを思った。

あながち間違いではないだろう。
ただ、それほど悲観するほどのことでもないのは確かだ。






とにかく、生きる以上死ぬのは当たり前。
それをどう消化するかは本人次第。

子供のせいで楽しく生きられなかった
とは絶対に言いたくない。







おまけ。


さて、本当のおまけだが。
オフラインの方ではなぜか有名な

だんでらいおんさん。
本人もこのブログを読んでいることを前提とする。

それを踏まえたうえで。
そして、私の友人(俺がそう思っているだけかもしれないが)にむけて。


俺は、うそをつかない人間が好きだ。
騙さない。
騙すくらいなら自分が不利益を被るくらいがいいと。
潔い。
それが周りに迷惑をかけるなら
いっそ口を閉ざせばいい。

正直はぐらかすとか、面倒でしょうがない。
それは自己防衛と自己憐憫の塊でしかないと思うからだ。

なぜはぐらかす?
の問いに俺を納得させる答えは存在しないと思う。

いわく
がっかりされるのがいやだから?
→何を持って俺の判断基準をわかるのか?そしてがっかりされて何かかわるのか?がっかりされる程度の人間だったという事実が残るだけではないか。

夢を持っていたほうがいいから?
→夢は目標であり、空想ではない。
人間関係において、これほど必要な幻想はない。

真実を知られたくないから
→何を言っているのかわからない。
知ったからどうする?知って何が変わる。
俺が見ているのは常に自分と相手の昔から今の関係のみ。
相手が俺以外の人と経験してきたことは下地にはなってても軽蔑には決してならない。
今ある自分を形作るうえでより重要なことであったに違いないから。






とにかく。
本音を言わない人間は嫌いです。
先日40近い人と本気で(酔っぱらって)喧嘩しました。
でも、おかげで相手が本当に貴賤なくいい人だってわかったし、相手も俺のことを生意気なクソガキからすこしは進歩させてもらえたっぽい。
本音はいうべき。
策略を持つなら、言わぬが華。
思わせぶりは自分に自信がない人がする駆け引きの初歩中の初歩。
それで拾った相手に失望させないようにする努力こそが本当に大変なこと。



年上だろうが、上の原則を守らない人は軽蔑します。
そして、今の自分の周りにはほんと、俺のこのわがままな考え方に合わせてくれる人が多くてうれしいわ。